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所用で地震の被災者の暮らす仮設住宅を訪れた。手前右は談話室。掲示板に「鎌あります」などの連絡事項が張り出されている。夏の日差しが強くなった平日の午後。行きかう人の姿は少ない。静かな時間が流れていた。ゴミ一つ無い道路。綺麗に巻かれた水道のホース。家々の前にはサルビアの花が目立っていた。ここで暮らしている人々の気持ちが、すごく伝わってきた。それぞれの境遇の中、この先2年間の仮設住宅だ。用事を済ませて、私も先に進むしかない。と自分に言いきかせて帰ってきた。
Jul 31, 2007
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参院選が終わったが、結果は結果。国民生活の実情と一般大衆の気持ちを汲み取った政治が行われるよう望むだけ。第21回参院選の最終投票率(選挙区、全国平均)は58.64%となり前回を2.07ポイント上回った。選挙がらみで投票用紙についての話題。●投票用紙の開票作業時間の短縮開票作業の時間短縮で先進地として知られるのは福島県相馬市だが、全国自治体の開票時間ランキングを集計している早稲田大マニフェスト研究所では、「迅速化は人件費の削減だけでなく、自治体の創意工夫を示す1つの指標にもなる」と説いている。今年6月28日~7月22日にかけ都道府県選挙管理委員会や町村を除く全国804市区に対し調査が行われた結果、最長の東京都江戸川区は疑問票の判断に時間がかかり10時間22分、最短は大阪市西区の2時間1分だった。大阪市は上位10位に5つの区が入ったが、各区が時短を徹底しているようだ。前回参院選、平成16(2004)年の開票終了時刻は午前10時28分。午後8時の開票開始から14時間28分後だった。全国の開票所ごとの前回の平均所要時間は約4時間だが、最も遅かった奈良市は前回参院選で比例代表の開票終了時間が開票翌日の午前5時を超えた。今回は“汚名返上”となったのだろうか?今年の報告結果が楽しみだ。早くて尚且つ間違いが無いのが一番良い(^^●投票用紙の間違い長野市で、投票用紙の交付機が不調だったため、有権者9人に対し選挙区選と比例選の投票用紙を間違えて交付。茨城県大子町、山形県鮭川(さけがわ)村、岐阜県山県市、など全国7県8市町村の投票所で合計132票が無効になるという。また、期日前投票を済ませた有権者に誤って用紙を渡し再び投票する「二重投票」も栃木県野木町や香川県坂出市などで起きている。こんなミス、あること自体が変だ。あくまでも過去の話だが、市町村レベルの首長選挙で合計投票数が合わなかった例もある(--;●東京、大阪、神奈川、埼玉の4都府県では全有権者分の投票用紙を印刷していない。東京都選管。23区分は有権者の85%、市分は90%を印刷。大阪府選管。町村分は100%印刷。市区分は90%分印刷。 神奈川県選管も市区分は95%。埼玉県選管。全有権者の95%印刷。戦後の国政選挙では1958年の衆院選の全国投票率の最高が76.99%。近年の国政選挙で都市部の投票率が70%を越えることは考えられないから、余裕を持って80%分の印刷枚数でも良いようなものだが、さすがにそこまでは減らせないという。この印刷代金の削減自体は大した金額ではないだろうが、選管が100%投票を呼びかけながら、ちょっと矛盾する微妙なニュアンスを含んでいる。
Jul 30, 2007
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第21回参院選。29日午後6時現在の投票率は39・98%で、前回2004年を0・52ポイント下回っている。ただし期日前投票者は1079万8997人と過去最高を記録しており、最終投票率は前回の56.57%、並みということ。自分の国の国会議員を選ぶ選挙に43%、約半数近くの人が投票に行かない国かぁ・・・よく、分からない国、よく分からない国民性だ。政治に無関心とか期待していなくても、政治が分からなくても選挙の結果次第で、今後の自分自身の生活が変えられて行く。この先、憲法を変えることも、消費税を上げることもありうる。たとえ、それが争点になっても、それでも行かない人がいる。・・・どう考えても、投票に行かないということ自体が分からない(--;選挙の結果が出る前に書いているのだが、私は今の日本という国が余り好きじゃないな。この10年ほどで日本人というイメージが私の中で変質してきている。ものすごく手抜きで仕事をし、物事の価値観を持っていなくて他人に責任を押し付け、感覚や気分だけで自己主張をする国民。・・・今の日本人って、そんなイメージ。・・・私も、その日本人の1人なんだよな~(--;
Jul 29, 2007
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海の近くに暮らしているから浮かんだ舟は見慣れてしまってるのだろうか。どうしても丘に上がった舟に目が行ってしまう。それは、父の舟を丘に上げたのが私だったからのような気もする。入り日の中で幾隻もの船が重なり合っていた日の記憶。[CG・ペンタブレット]
Jul 28, 2007
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梅雨空が晴れて、今日は夏。さすがに室温が30℃を越えると冷房が必要だ。何しろ足元にガスコンロを抱えている。いや、梅雨時に汗を流すとサウナのようで良いとも言えるが、額から手の甲から噴出した汗が生地の上に落ちるのはマズイ!夕方。窓から差し込む光が夏色になっていた。しかし、明日、明後日と天気予報では曇り。2日以上晴れないと梅雨明け宣言できないだろうな~(^^;
Jul 27, 2007
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昨夜は、土砂降りの雨。地震の後、屋根を直してもらったのだが直っていなく、迷った挙句に同じ職人に直してもらったのだが、結局、この土砂降りで雨漏り2ヶ所とも見事に漏った(--;昨夜、真夜中1時過ぎ。寝ようと思ったのだが「・・・ぽとん・・・ぽとん」の音で屋根裏に上がるしかなかった。埃っぽい隙間にもぐり込み、腹ばいになったまま前進し雨水の溜まったトレイから汲み出した水がバケツに8分目。狭い空間で8分目まで水の入ったバケツを持って後ろずりして・・・って、凄く難しく苦しいものだ。やっぱり、も少しスリムにならないといけない、と、こういうときに思う(^^;しかし、あのまま寝ていたら今朝は押入れの中が水浸しになっていただろう・・・(--;母も妻もカンカンに怒りまくって、お金返してもらいなさい!絶対他の人に頼め!と。2回も同じ失敗したら、そりゃ~信用は回復できないものだ。・・・2回も3回も同じミスを繰り返しても職に居座り続けられるのは権力の座に居る者だけ(笑
Jul 26, 2007
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雨の多いせいで植物の生育が凄く良い。時間のある時にアカネの写真を撮りたいと思っていたのだが、いつのまにか鬱蒼とした藪の中に紛れ込んでしまっていた。で、写真を撮れなかったので10年前のイラストと、数年前の写真(--;南向きの土手に生えて、その根を煮出して紅色を染める。葉は四方に伸びて茎は四角形で面が内側にくぼんでいる(茎の断面が十字の手裏剣と言えばイメージが湧くかもしれない)刺さっても痛くない程度の柔らかい棘も特徴の一つ。我が家でも栽培をしたこともあるのだが根が太く育つには2年間必要で、次の年には殆ど刈り取られてしまった。染めに興味のない人には単に迷惑な雑草にしかすぎない(^^;これの栽培も老後の楽しみにしておこう(笑
Jul 25, 2007
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地震のあと、玄関に掛けてあった絵をはずしたままで掛ける気がしない。下駄箱の上に時々庭の花が飾られるが、壁の中央が空いたままだからガランとした空間のままだ。最近、体調も気持ちも低下気味で、自分の絵を見ると更に落ち込んだ。仕事上、依頼された内容を描く努力を重ねた結果、私には「これ!」といった絵のスタイルがないことに気づいていたが、あえて口に出していなかった。F6 ローケツ染め 絹布こういう染め絵のシリーズも何枚か描いたのだが、今見ると私らしいとは言えない気がする。10年以上も前の作品だから仕様が無いけど(--;いつも、あと10年したら好きなものを好きに描こうと言うのだが、ちょっと辛いな~。・・・50代半ばのオヤジらしい絵が描きたい!(笑
Jul 24, 2007
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梅雨の明けない一日。久しぶりに日差しを浴びているが、まだ真夏の暑さというには程遠く、湿度が高く過ごしにくい。私は体調不良のままガスコンロを足元に抱えている(--;どこかでカナカナの鳴く声が聞こえるが、家の周りには鶯のホー、ホケキョウ!という鳴き声が見事なまでに響き渡る。雨が降れば降ったで文句を言い、晴れれば晴れたで溜め息をつく。なんとワガママなことか。先日来、仕事場を、ぶ~ぅん、と何匹もの蚊が飛びかって昼と言わず夜とも連日集団で私の血を求めてくる。そんなに私の血が美味しいのか?窓を開けているので電機蚊取りなど効果もなく、渦巻き蚊取り線香を炊き出した。効果は見事で、蚊だけでなく匂いが嫌いな息子も妻も近づかなくなった。嫌われているのは蚊取り線香の匂いだけではないようだが(笑あぁ、今日も一日、暑い。蒸し蒸しする。足元が熱い。気持ち悪い。お腹が痛い。腰が痛い。なんとも文句の多い夏の日の夕方であることだ。
Jul 23, 2007
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一日中雨。窓から対岸を見る。海の向こう北東方向は雨の中で全く(晴れていても)見えないが、梅雨から真夏に向かうに日々。昨夜も寝苦しい夜だったが、中越沖地震の避難所ではこうした季節、蒸したり暑かったり、さぞ寝苦しく都合の悪い日々だろう。3年前は10月、冬に向かう季節。今回は真夏に向かう時期。どちらも、この先苦しい季節だ。一日も早く安らげる日になれるよう願うのみ。絵は「雨の日曜日」20歳頃、会社の寮にいて雨でどこへも出かけられない日曜日、窓から見た町並みを描きたくなって4階のトイレを一日中占拠した。トイレに来た図案部の部長に「屏風にして残しておけばいい」と言われたので、当時、手取り6~7万円の給料から5万円かけて屏風にした(^^;画面は縦130cm横134cm(67cm×2枚)画仙紙に墨と顔彩。今見ると、屏風にするような絵ではないと思うが(笑)雨の日に現場で描き上げた私としては珍しい絵。京都市西京区(当時は右京区)から洛西方面、太秦から嵐山方向を望んだもの。ああ、あそこは昼休みに話し込んだ喫茶店。あそこの焼肉屋は何度も行ったが犬を食べさせるので有名になった。キャッチボールをした路地。スケッチをした公園。駐車場は前の年まで田んぼだった。嵐電に乗って帷子ノ辻、車折神社、広隆寺、仁和寺へよく行ったが、数年前に訪れた時には道幅が変わりビルばかりの景色になって迷ってしまう程だった。土地の景色は変わるけど、人がいる街は賑わう。能登は・・・と呟いてみる雨の一日。
Jul 20, 2007
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伝承の物語の絵本に関する裏話(2)「なあげそうけ」という地域の物語を絵本にするために鎌倉時代の衣装や地形、言葉まで想いをめぐらすことになった。当時の衣装を探したり住居の形を確認したり、中世の暮らしを紐解いて、史学の教授からも資料をお借りした。だが、あまり細かいところまで描くと絵として面白くなくなるし、実際、実物が無いので細かいところを描けば描くほど間違いが増えてしまう(笑衣装や地形も、かなり曖昧で申し訳ないことだが、歴史に疎い私も、この町の地形やなりたちを学ぶことになった。長谷部信連公は武勇の人という印象が強かったから当初は鎧兜姿の絵を描いたが、実際に町を見回るときには兜など身に着けるわけもなかった。よって、烏帽子に変更したがさすがにイメージ的に直垂(ひたたれ)姿には公家のように見えるので出来なかった(^^;こちら、ちょっと面白い当時にあったものが今には無くて、今ある地形は埋め立て地なので当時には無かったはずで、時代を経て広がり増えた河川と新しい道路、移転した寺社に増えた住居・・・掌握しきれない。昔のこの町の湊(みなと)は河口から700m上流だったという・・・が、しかし、これは一枚の絵に出来なかった(^^;そして、絵本の中に描いてある「ボラ待ちやぐら」(上図の右下に配置)は、鎌倉時代に存在したか?歴史上の記録として登場するのは1838年(天保9年)「杭網(くいあみ)の図=夏中鮪捕網)」当時は岸辺までマグロが回遊して木で組んだ櫓(やぐら)の上で網に入るマグロを待っていた漁だったということで、その後、ボラを待つ櫓になったらしい。(また、その漁に対して年貢がかかりそうだったということだから、それだけ海がきれいで豊かな恵みがあったのだ)では、記録として見付かっていない江戸時代以前に「やぐら漁法」は無かったのか?結局、こういった原始的な漁法が「無かったという記述も無い」ことだから、「絵本の中にはあっても良いでしょう」という意見が多いことから「描いてあったほうが穴水らしくて良い」ということになった。さらに、その遠方には能登島と立山連峰を描いた。こちらも上空から見たような感じで実際に見えるよりも遥かに広く大きく描いてある(^^;あったものと無かったものを正確に配置して・・・(いや、私は当時の地図や見取り図の資料を描いているのではないから)それでは絵にならないのでアバウトで許してもらうしかない(^^;では、「絵本なら、なんでもアバウトで良いのか?!」と自ら突っ込んでみる。う~ん、上手い答えが見つからないのだが(^^;絵本ということで絵として魅力あるようにしたかったという弁解と(笑)絵本の話から町の歴史を知るきっかけになり、もっと学ばないとイケナイと反省・・・という言い訳をさせてもらいたい・・・m(__)mそして、こういう疑問が出てくる絵を描くには、もっともっとボカシを多用するほうが良いという結論を得たのだった。過去の屏風や襖絵の俯瞰図で雲間やボカシの中に町並みや人を描いてあるのは、そういう意味だったのか?などと思うのだった(--ゞまだまだ修行が足りない!各種のボカシ技法を習得し、ゴマカシ上手にならないとイケナイな~。と思うのだった・・・オイオイ(笑)
Jul 19, 2007
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伝承の物語に関する裏話(1)●「なあげそうけ」の駄洒落、勘違いについてこの町の人々に伝えられている「なあげそうけ」は、殿さまが「菜上げ“そうけ”」を「名上げ宗家」と聞いて喜んだ、という内容だった。しかし、アドバイスを受けた史学の教授に「なあげそうけ」は「名上げ長家(ちょうけ)」と聞き間違えて殿さまが喜んだ、と言われた。さて、そこで作者も私も少し悩んだ。この伝承の話の登場人物であるお婆さんの子孫の方は「そうけ」は「宗家」という内容で話していた。絵本の作者も私も、ずっと以前から、そういった内容だと聞いて思い込んでいた。う~ん、絵本の本文をどちらの内容にするか?もっと詳しい理由を教授から教えて頂きたかったのだが、大変忙しい方でなかなかお会いできない。そこで私なりに考えてみた。新たに本として出すことのポイントは2点1.皆が知っている内容と違う点があるということで、新たに発表する意味もある。2.子供に読ませて聞かせる絵本で「そうけ」と「宗家」の説明は難しい。「宗家」という言葉は普段使わないので、子供には駄洒落と判断できない言葉だ。尤も、今では「そうけ」が竹製の作業器ということを説明するのも難しいが(^^)駄洒落が通用するには、その言葉の意味を多くの人が共有していないとウケない。では「宗家」という言葉はいつから使われたものだろうか?中国では三国志(陳寿(233年 - 297年)が記録した歴史書)の中に「宗家」は使われているようだが、「日本において、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号。もとは観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったもの。」とある。(Wikipediaより抜粋)この説明が正しければ、観世流の祖、観阿弥は1300年代の人だから、絵本に登場する長家の殿様、長谷部信連の時代1200年頃には「宗家」という言葉は一般的であったとは考えにくい。たとえ信連公が知っていた言葉であったとしても、「そうけ」=「宗家」という掛け言葉が一般に理解され伝承話として広まったと考えるのは難しい。「観世銕之亟 (かんぜ・てつのじょう) は能楽観世流宗家観世家の分家当主がもっぱら明治以降名乗っている名」であるという。「宗家」という言葉は「分家」があって初めて成立するから「宗家」という言葉が使われ始めたのが明治からならば、「なあげそうけ」が「名上げ宗家」になったのは明治以降になる。ただし、長家(ちょうけ)の馬印が「そうけ」であったことは歴史的事実だから、長家の殿さまが「名上げそうけ」を喜んで使ったのは間違いなさそうだ。まぁ、現実に、小さい子供に「宗家」の説明をするの苦労しそうだから、絵本の作者さんも「なあげそうけ」は「名上げ長家」という内容が良いと判断したようだった。私の推理が正しいかどうか?今度教授にお会いしたら伺ってみよう(^^Wikipediaより、以下抜粋宗家(そうけ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%AE%B6ある一族、一門において正嫡(嫡流)の家系。またその家系の当主。本家。日本において、能楽などの伝統芸能や古武道などで家元の言いかえとして用いられる称号。もとは観世流で観世銕之丞家に対して家元家を宗家と呼んだところからおこったもの。観世銕之亟 (かんぜ・てつのじょう) は能楽観世流宗家観世家の分家当主がもっぱら明治以降名乗っている名。家系上は九代目を数える。江戸中期(1752年)に十五世宗家観世元章が弟観世清尚に別家させて以来、能楽四流の宗家並みに扱われ、観世流において「分家」といえば銕之亟を指す。観阿弥(かんあみ/かんなみ 觀阿彌陀仏 正慶2年/元弘3年(1333年) - 至徳元年/元中元年5月19日(1384年6月8日))は日本の南北朝時代から室町時代にかけての猿楽師。息子の世阿弥とともに、いわゆる能を大成した人物である。
Jul 18, 2007
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今年の藍の葉が大きく育ってきたので妻が藍の生葉染めの試作を行った。藍の生葉染めは、葉を水に入れミキサーなどで粉々にして布濃しをした液を使って染める。写真左は絹のストール。右は木綿のハンカチ。「草木染の事典 山崎青樹著 東京堂出版」によると「生葉の染色は必ず晴れた日を選び、日に干して短時間で乾燥しないと冴えた色相にならない」とあるのだが、作業を始めたのは昨日、曇り日の夕方。確かに少し鈍い色合いともいえるのだが、これはこれで良い色と言える。まぁ、冴えた色になる根拠は分からないが、後日、また晴れた日に行おう(^^)木綿のハンカチは絞りが施してあり、こちらは後日、更に模様を絞って色を重ねる。台風、地震と自然の災害の大きさの前に泣くのだが、その自然の元で暮らして自然の恵みを食して、自然のものを、こうして染めている。人も自然の一部ではあるのだが。もしかすると人の不自然な行いによって自然のバランスが壊れているのかもしれないが、無知なる私には関連の存否も理由も知る由は無い。ただただ自然の中から染まるものを使って染めるだけ(^^
Jul 17, 2007
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しかし、何か祟りでもあるのか?と思うほど大きな災害が続く。自然の脅威の前では何も出来ないし人間の無力感ばかり大きくなってしまう。そして、つくづく実感を込めて、平成19年新潟県中越沖地震で被害に遭われた方には心からお見舞いを申し上げます。地震って、一度起きたところには、しばらく起きないんじゃないの?そう言われていたのに・・・能登にも次があるってことか?・・・はぁあ(--;姉夫婦たちが墓参りに来てにぎやかに話していた最中だったが、思わず柱にしがみついた。この地は震度4くらいか。・・・地震の後は気が滅入ってしまった。トラウマになりそうな気分。昔の人が、アニミズムか神頼みか禊か、何であれ人間以外の力に祈りを込め、願い、すがった気持ちが痛いほど分かるこの頃だ。
Jul 16, 2007
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今日は父親の命日。台風4号のために姉夫婦たちが墓参りに来るのは明日になった。朝、仏壇に手を合わせて午後に雨の合間をぬって墓前で手を合わせた。1982年7月15日の朝4時ころに心筋梗塞で逝ってしまってから25年が過ぎた。父は大正2年生まれだから今生きていれば94歳か。陸軍へ初年兵から入隊し敗戦で戻ってきたときは陸軍中尉になっていた。金鵄勲章があるから相当の頑張りがあったんだろうが、幼い頃私が聞いても不思議なことに軍隊のときの話をしなかった。どちらかと言えば寡黙なタイプだったし、私が悪さをしたときは怒鳴られたが、勝手なわがままをした時には「まだ、ものが分からんのだ」という内容の一言だけだった。・・・饒舌な私とは少しタイプが違っていた(笑いや、私も何も言わないで良いならば絵を描いたり黙々と仕事をしているだけのほうが良いのだ、などと言ってみる(^^;いくつもの記憶が甦るが、私の20歳ころ勤めていた会社に父が訪ねて来て社長に挨拶をしたときのことを思い出した。今は亡き社長も同年代で、戦時中の話、軍隊の話、シベリア抑留の苦労話を父に語った。社長は軍曹で父は中尉ということを知っていた私は、父がどんなことを話すのかと思っていたが頷くばかりで、一言だけ「あの時は、そんな時代でした」とだけ言った。共通の話題がある筈だから、もう少し話したら良いのにと思ったが、会社の社長と従業員の父親の図式とは、こうしたものだと思った。父は深々と頭を下げて「息子をお願いします」と言った。そんな父親の姿を、少しだけカッコイイと、あの時、若いなりに胸にこたえた。父を送りに出て、会社近くの食堂で親子で御飯を食べビールを一本だけ飲んだ。「やれるだけやって、ダメなら帰って来い」父の話はそれだけだった。私も「あぁ」とだけ言って、後は無言だった。外で父と酒を飲んだのは、この一回だけだった。24歳で車の免許を取って帰省した折に父を乗せて隣町へ行った。家の前の凄く狭い道を運転する私に「おぉ、おぉ」と嬉しそうに言っていたのを覚えているが、父を車に乗せたのも、この一回だけだった。・・・親不孝者だな(--;)しかし、私が30歳になろうとする年、いっこうに田舎に帰る気持ちのない息子を、その死によって引き戻したことになった。月命日もお参りするが、せめて年に一度だけは父親のことを思い出す一日があって良いものだ。
Jul 15, 2007
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期間限定日記 7月14日~15日のみアップ。16日に削除しました。また、機会があれば(^^;
Jul 14, 2007
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絵本の絵の説明をするときに「手描きCG」などと私が言うものだから、「パソコンで手描き?」と聞いた人が困惑する。しかし、印刷物を見ると誰しもが紙かボードの上で描いたものと思うようだ。まぁ、どっちでも良いのだが(^^;普段の着物の図案をPCで描く場合は、アウトラインもボカシも丁寧な仕上がりになるように務める。しかし、今回の絵本イラストはパソコン上で思いっきり手描き風の表現を駆使した。鉛筆で描いた線をスキャンし線だけを抽出して全体を透明な状態にし、その背後で彩色を繰り返すが、ボカシを入れた上にガサガサな(小さなドット)色を重ねていく。鉛筆の線もカスレでガサガサしているのを利用した。普段は使わないこの技法をけっこう楽しめた(^^この絵は、ページ上では小さな部分だったので必要以上に手を加えなかったが、切り取って一枚の画面として実験。色面で空間を出すように加工してみた。色というのは、面白い。ものの表面の色であるのだが、色面で方向を出す事で空間を表せるし、厚みや重さも出せる。イラストの色塗りに日本画のような絵の具の重ね塗りの使い方も可能かと思う。また、いつか時間のあるときに工夫を重ねたい(^^だが、この絵のタイプで・・・「ドット荒いんじゃないの?解像度を高くして描いたら良いです」と言われたのには、返事の言葉を思いつかなかった。ん~わざと、こうしてるんだけどな(^^;
Jul 14, 2007
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3月発行予定だった絵本を、ようやく発行できた。タイトルは、『なあげそうけ』穴水城主であった鎌倉時代の武将、長谷部信連(はせべのぶつら)ゆかりの物語で、挿絵を依頼されてから2年越しに完成(^^ゞ今年は7月15日(日)が『長谷部まつり』。この祭りはイベント性の高いものだが、1186年(文治2年)源頼朝の命によって能登のこの地域に地頭職として赴任してきた長谷部信連を偲ぶ祭り。なので、この機会に出版(^^; ▲表紙と裏表紙 ▲右から本文3~4ページ ▲右から本文5~6ページその一部を縮小して紹介。A4サイズ、本文14ページ。文章を書いた作者「むらかみ ますみ」さんの自費出版で、1冊1000円で販売。作者は今年3月に保母(&幼稚園教師)さんを定年退職したのだが、子供たちに地元の物語を話したいという想いから絵本という形にしたかった、という。興味のある方は、私まで。メールは◆notonoteAAA-AAAjeans.ocn.ne.jp◆AAA-AAAの部分を半角@に書き換えて住所、氏名、電話番号を記入して送信してください。2年越しの理由で、一番遅れたわけは地震のせいにした(--;)パニックで絵本を出せる状態ではなかったのは事実だが、それは3ヶ月遅れた理由であって、2年間費やした説明にはならない(笑鎌倉時代の話なので、当時の衣装や町並み、地形などが分からず、専門の史学の大学教授にアドバイスを頂いて描き直しのだが、資料を見ても細かい部分がわからなかった私。しかし・・・これでは何年かかっても確信をもてないと判断。今できるベストを尽くすということで出版を決断した(^^;う~ん、予め「イラストは絵本用なのでイメージを重視して描きました」と、歴史の資料にはならないことの言い訳をしておこう(--;)
Jul 13, 2007
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藍の成長が、今年はすこぶる良好(^^雨が多いせいで世話も少ないまま、ぐんぐん伸びて染めに使用できる葉の大きさになってきた。写真左、梅の実が大きくなり紫蘇の葉(写真の右奥)が梅干用に刈り取られた。右の写真も同じ藍だが、葉の形が菱形の長葉種。以前この2種類を育てていたのだが、丸葉の方ばかりを使うようになってきた。その中に紛れ込んだ種があったらしく、長葉種の確保のために離れた場所に移植した。花の色は丸葉の方が紅で長葉は白だったのだが、近くに植えていたら全てが紅い花になってしまった。紅の花の遺伝子のほうが強いのかもしれない。さて、この離れた場所に移植した長葉種は、秋に紅白どちらの色の花を咲かすのだろうか?(^^
Jul 12, 2007
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雨が降り続いて午後、少し光が差し込んできた。「あぁ、今日は7月11日なんだ」と言うと妻が妙な顔をした。「能登線転覆の日、今年は23回忌じゃないかな?」「・・・そういうのだけは、よく覚えているんだ」と言う。ん・・・?なんだか奥歯にモノが挟まっている話し方だと思ったら、昨日は妻の誕生日だった。「おぉ、幾つになったんだ?」「忘れた・・・」「・・・」(--;しかし、ここ数年というもの、お互い相手の誕生日さえ忘れてしまっている。まぁ、結婚して20年以上経つと、こんなもんだろう(--ゞ1985年7月11日 古君~鵜川間で豪雨のため盛土が崩壊、急行「能登路5号」の脱線転覆で7人死亡能登線の記憶国鉄能登線→JR能登線→のと鉄道と変わっていき2005年4月 1日 のと穴水~蛸島間(61.0km)廃止 2006年11月……線路の撤去作業開始~今年の8月で全て撤去されるんだという。4月の下旬のこと。レールがめくられた後、慰霊碑はどうなるんだろう?ということが気になり知人と事故現場へ行ってみた。水田の細い道を通って転覆事故の現場へ。少し歩きにくいが、碑の周囲には砂利が敷き詰めてあり、お参りをした後の花が残っていた。碑へ行く木の階段の向こうに「ご遺族の方へ 階段が老化しておりましたので取替えました。JR七尾鉄道部 有志一同」という立て札が立っていた。こうして、この先も管理され続けていくのだろう。と関係者でもないが少し安心した。事故に遭った人の中に知人や縁者は居ないけれど、鉄道の話題になると思い出してしまう。そして、昨日も大雨警報が出ていて事故の年と同じように雨が多い日々だ。もう、これ以上、災害は要らない。
Jul 11, 2007
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最近、草木染め教室の活動が地味になってきた。この教室は参加者に高齢の女性が多いこともあって、じっくりと取り組んでもらえるのが利点だったのだが、高齢であるが故に旦那さんの介護や参加者自身の体調の都合もあって、落ち着いた形で製作しにくいことも起きてきたのだった。それと、当初から描いていた草花や風景の図案を参加者が一通り使い終わったこともある。「新しい図案、欲しいぞね」「斬新なが描いてくだっしま」と言われた。う~ん(^^;そうは言われても、草花の図案ならば直ぐに描けるが、デザイン性の高い抽象模様ということになると悩む。草木染めの手絞りで出来る図案は限られている。技法的に無理なものも多いのだった。高齢者に斬新な図案と言われて・・・悩んだ挙句、円を重ねたり三角を重ねたり。ということで、絞りの抽象図案を私の頭が搾り出した(^^;円を重ねた図案は染め上がってきたのだが、この三角形模様は、なかなか手ごわい。絵でも染でも、一つのパターンの殻を破って次に進むには何かが必要になる。これは日常生活でも言えるのかもしれないが(笑さて、この図案、果たして草木染めで実現するだろうか?楽しみでもあり、不安でもある(^^;
Jul 10, 2007
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最近、色々と考えることが重くなってきた。梅雨時の空も重く、考えることも重く、身体も重く・・・さすがに、しんんどい(笑軽く、さらりと身をかわすときも欲しいな(^^;能登上布にオニヤンマ。墨描き。まだ描きすぎ。今度描くときには、もっと省略したいものだ(^^
Jul 9, 2007
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昨日の日記・・・キリコ祭りと書いても、石川県内くらいにしか通用しないかもしれない。いや、ここ数年、石川県も能登の自治体も一生懸命PRしているから、少しは知られているかもしれない(^^;キリコ祭りは、・・・由来やキリコの種類など色々あって曖昧なことを書いても誤解を生じるだけなので、以下のサイトを参照して下さい。▼能登キリコ祭りhttp://www.hot-ishikawa.jp/page/kiriko/▼能登のキリコ祭りhttp://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kiriko/index.html▼能登キリコ祭りhttp://www.notokiriko.jp/今日は能登のキリコ祭りのPR・・・自分で説明しないところがミソだ(^^しかも、いつか絵に描こうと思いながら一度も描いたことがない。そして、殆ど写真にも撮ったことがない。結局、我が集落の場合は担ぎ手として出かけるし、他の集落の場合は「よばれ」に行ってキリコ運行の姿さえ見ていないことが多いし、たとえ見ても、そのときは酔っ払いなので写真を撮れる状態ではない!ということ(笑
Jul 8, 2007
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あばれ祭りに雨が降らなかったのは何年ぶりだろうか?花火もキリコも順調に行われて良かったようだ。と言うのは、私は友人の家の座敷で「よばれ(=ご馳走に呼ばれること)」て酒を飲み、花火もキリコの運行も見ていないのだった(笑この宇出津の「あばれまつり」から9月下旬頃まで能登の各地で殆ど毎日のようにキリコ祭りが行われる。たいまつの中、大型の行灯(こういう表現しか思いつかない)が何本も走りまわる姿は壮観でカメラマンにとっても絶好のモチーフだ。その一方で座敷では「よばれ」が行われている。今回、春先に知り合った新聞記者が能登のキリコ祭りも関心を持っていたので「女たちの祭り」の取材を薦めた。祭りの夜に多くの家の座敷では「よばれ」で友人知人が集まり宴会を行う。今はテーブルで市販のオードブルや家庭料理でもてなすが、私が幼い頃はお客さん一人ひとりが御膳に座り家によっては輪島塗の御膳やお椀で二の膳までついた祭り料理を頂いた。私も6歳か7歳ころ、それまで親の傍で食べていたのが一人分の膳に座らせられて不安気と気恥ずかしさの中で一人前の扱いを受けたものだった。そうした風習も簡略化されてきたのだが、奥能登の旧家などでは今でも座敷に御膳を仕立てる家が残っている。これも失われていくのだが、だからこそ、そこで行われた祭りの日の女の人の仕事を取材して欲しいと思ったのだった。よばれ」に来た男たちは口々に「一年ぶりですね」「七夕の牽牛と彦星のようだ」などと話すのだが、実際には増えた腹周りと減った髪の毛の話になったりするものだった(^^;さて、宴も終わり知人宅に妻と息子が迎えに来て、お礼を言って友人宅をあとにし、コンビニで買い物をした。色とりどりの浴衣を着た子や法被姿など、店内外に若者が溢れている。この光景も珍しい(笑深夜なのでタバコなどを買うためにレジに並んだのだが、混雑していて順番が分からない。3人ほどのお兄ちゃんグループが横にいたので、私は「ここで良いのかな?」と尋ねた。眉毛を剃った子と金髪の子が顔を見合わせて「いいです」と言ってくれた。「ありがとう」と言ってそこに並んだのだが。・・・なんだか、割り込んだような気になったが、今の若者も礼儀をわきまえているもんだと思った。・・・(^m^)「まだまだ若い子もすてたもんじゃないな~」と帰りの車中でレジの話をしたら、息子が、「単に、ガラの悪い酔っ払いオヤジと関わりたくなかっただけだろう」と言ったもんだ(^^;
Jul 7, 2007
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久しぶりの晴れの日。今日は仕事も兼ねて能登半島の先端、珠洲市へ。知りあいと3年ぶりに会って、お互いの近況を語り「近いうちに乾杯のお酒を飲もう」と約束してきた(^^人の繋がりとは不思議なもので、初めて会ったときから話が合い、同じ目的を持って進んだ人間というのは3年間会わなくても気持ちが通じ合うものだった。1昨年の暮れに違う街に暮らしている仲間3人が離れ離れの中で同じ目的で進めていた「一つの形が実現」したとき、電話口で泣きそうなほど嬉しくて、「今夜はそれぞれの家で乾杯しよう!」と話したことを、お互い思い出して話ていたのだった。珠洲市も穴水町と同じく合併しなかった自治体で財政状況は良くない。だが、いくつもの模索の中から現実の形にしようとしている。そうした『考え方を形にしていくこと』の重要性を感じながら帰ってきた。今、自分の暮らす「自治体が再建団体になる」と表明すると、住民は「首長や議員、役所の職員は、いったい何をしていたのだ!?」と言うだろう。だが、自治体の破産でもあり自治の放棄である再建団体になる場合は、その数年前から兆候が現れている筈。兆候が現れているのを無関心な住民は放置していたことになる。首長や議員を選んで、その人たちに託した形になるのだが議会は必ずしも健全な方向に進むとは限らない。地方であれ中央であれ、議会において多数で決めたことが破綻することも多々あるし、代表の意思が住民の多数の意思と異なる場合もあることは、今更言うまでも無いこと。最近、自治という言葉を使わないけど、本当は凄く含みのある言葉だと思う。自治には「団体自治」と「住民自治」があるが、地方自治というのは「地方の運営は地方の住民の意思によって行われる」ということ。「住民自治」=「住民が自分たちの町を良くするために自ら動くこと」だが、動かない所は、街は良くならないし例え幾らハード面の整備をしても無駄になる。街中も商店街も周辺集落も、そこに暮らしている人たちが「自治」を行わない限り、立派な道路や素敵な公園が整備されていても、住民が有効に使わない状態ならば無駄になり維持費ばかりが大きくなる。最近は都市部だけでなく田舎でも不審者も多く出る。住民による自警団や防犯組織が活動しているところは安全に歩ける可能性は高いだろうが、治安は警察の仕事だからとか、まちづくりは行政の仕事だからと言っているような街の夜道は歩けなくなるだろう。政治に無関心という。政治は難しいし分からないという感覚だが、『自治は暮らしている人が、暮らしている環境をどうしたいのか?』という問題だ。『自治に無関心』ということは『自ら暮らしやすい街にすることを放棄している』ということになる。「自治」という言葉は、本当は凄い内容なのだと、改めて思うのだった。そうした住民の活動や意思が実現したときの乾杯は何度あってもよいはずだ(^^)3人の仲間のもう1人とは、明日杯を交わす予定。明日から『能登のキリコ祭り』が始まるのだ!(^^
Jul 5, 2007
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最近、よく「原風景」という言葉を耳にするが、ふるさと志向やUIJターンの為に良いイメージ作りに利用されているのか?ふるさと納税の為かも?(^^;)などと思ってみる。そのイメージは、ノスタルジーで郷愁を誘ったり、少し哀愁がある映像だろうか。「ふるさとの原風景」「能登の原風景」などとマスコミにも取り上げられるが、「原風景の残る能登」と言う場合は「今も昔の田舎のままです!」と言っていることになる(笑さしずめ、このような風景だろうか?2003年、『能登が好き』3号を企画したとき『原風景』というテーマで文章を募集したが挫折した。原風景という言葉の壁に取材が行き止まったのだ。人によって、余りにもそのイメージが違っていた。いや、多くの人は郷愁のあるイメージを持ったのだが数人が、中でも私自身が、その言葉の壁にぶち当たってしまったのだ。雨に煙った山あいの町、中能登町の山に近い集落。この町に来ると「原風景」という言葉を思い出していた。「原風景」について最初は軽くイメージしていたのだが、考えていくうちに、私にとっては、どこか、暗く、重く、痛みを伴った色あいが濃いものに行き着いてしまったのだ。私は海辺に育ったのだが、目を閉じると幼いころ母親の実家の縁側に座り絵を描いていた記憶が甦る。裕福な家の孫は、周囲から丁重に扱われ何不自由のない日々だった。その家の周囲の景観に似ている。だが、あのときの光景にも似ていることを思い出すのだ。今から47年前の夏、大雨による洪水で目の前の川に流されていく家の屋根があった。被害の実態は幼い私にはわからなかったが、人々の狂い叫ぶような状況が、私の記憶というより潜在意識の中に刻み込まれた光景になった。家に帰り、穏やかな海を目の前にした漁師の子供としての日々もまた、私の幼いころの記憶でもあった。そうした幾つもの記憶が複雑に積み重なっているのが私の原風景かもしれない。そして、子供と私と、私の親の世代の幼い頃の生活環境の違い、社会的背景の違いから記憶に刻み込まれたものの姿は違うことに気づく。世代が離れると原風景の映像は違うだろう。子供の頃の記憶が原風景と結びつくのであれば、せめて子供たちの記憶に残る良い風景を見せることが出来ればとも思った。私は、そうしたことも書いてまとめようとしたのだった。だが、この春に能登半島地震があった。この地震で家が壊れていく光景は被災者の記憶と現実に大きな痕跡を残している。大人にも子供にも。それが原風景として子供の心にも残るかもしれない。今も子供たちに絵を描かせると地震の絵を描く子供もいるのだという。家の前で大きな物音がしたり揺れたりすると怯える子供たちも多くいるという。心のケアが、まだまだ必要だということだった。新聞に原風景という言葉を目にして立ち止まる。改めて思うのは、あの時、原風景についてまとめることが頓挫して良かったような気がしてきた。失われていくふるさとの景色は残せるものは残したらよい。子供たちにも楽しい記憶を与えるのは良いことだ。結局、私にとっての原風景は、個人のもの。というイメージが強くなった。世代を超えて、地域を越えて共有するものもあるし、陽の当たる美しく懐かしい映像であっても良いが、貧しさや悔しさや恐怖の原点の場合もある。負の部分や影の部分を見れば原罪にも通じるものかもしれないと思う。そして、一人ひとりの世代や過去の生活状態、社会背景によって明らかに違うものであるということも、私自身の記憶の中に書き留めておこうと思うのだった。うむ・・・雨が続くからか?まだ疲れが残っているのか、実にネガティブだ。これ以上悲しい原風景は要らないね(--ゞ
Jul 4, 2007
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昨夜の午後9時、私のまぶたは限界に来ていた。パソコンを立ち上げてメールをチェックしたが脳みそが活動していなかった。気が付くと深夜1時、泥のように眠り込んでいた。そのまま寝室に倒れこみ目が覚めたのは今朝の8時半だった。1日の午後9時、勤労奉仕が堪えて身体の節々が痛いままイラストの修正に取り掛かった。大幅修正が5ページ。小さな部分が2ページ。2日の朝9時には印刷所へ向かうために出なければならない。どこまで直せるのか不安だった。とにかくやれるところまでやる!・・・しかし、真夜中を過ぎて、「無理かもしれない」という雰囲気になってきた(--;3月末に出版予定だった絵本が能登半島地震で延期になった。3ヶ月が過ぎ落ち着いてきて7月15日に発行しようということになったが、私の仕事と私の頭がイラストモードになってくれなかったのだった。正直、もう一日発行を延ばしたい・・・疲労から緊張感が途切れそうだ。だが、それでは作者に申し訳ないし、請けた仕事は期日に収めるのが当然だ。という厳しい姿勢を持っているが、大体「いつでも良いから」という期日なしの仕事が多い(笑深夜2時、窓を開け外の空気を吸って頭を切り替えると以前に使った資料を思い出しコピーして変形して色合いを調整して合成。この辺がパソコンで描く都合の良さだ。5時、雨模様の空も明るくなってきた。そろそろ確認の作業をしないと間に合わない。Photoshopで描いた絵をTIFF形式で保存し、Illustrator(編集ソフト)で編集。プリントして絵の細部を修正して朝食を食べた。何も知らない家族は、いつもより起きるのが早いと思ったらしい(^^;午前9時30分。私はCGを保存したCDをカバンに入れ、ゲラの修正を確かめて車のエンジンをかけた。もう一度忘れ物が無いことを確認し羽咋市へ向かう。雨の中、能登有料自動車道は地震で崩落した8箇所の迂回道路が工事中で、海側に壊れているのがモロに見える。ちょっと怖い(--;約束の11時にCDを渡して私はパンと野菜ジュースを買って公共施設の駐車場の片隅で仮眠を取った。1時間は熟睡できた(笑)最終校正を終えたのが午後3時半過ぎ。4時からはAGOのメンバー会議だったが20分ほど遅れてしまって申し訳なかったが、内容の充実した話し合いができ帰宅したのは午後8時だった。今日は徹夜明けの次の一日。けど、疲労はしっかり蓄積されていて身体の節々がオイル切れの感じ。まだ徹夜が出来る体力も気力もあるのだが、このままいくと、どこかで突然プツンと音がして人生が終わりそうな気がする此の頃だった(^^;
Jul 3, 2007
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本日は起床4時半。5時から海岸掃除。7時からミニ消火訓練。8時からお寺の巨大塔婆建立。10時からキュウリ、イチジクの柵作り。午後はCG作業の後、夕方5時から校正打ち合わせ。・・・午前中が、いかにも田舎暮らしいといえる。海岸清掃は草刈とゴミ集めなのだが、ここ数年ゴミや雑草の刈り取り後の野焼きが禁止されている。もちろんゴミは分別して出せるが、集落の砂浜の雑草を刈り取って放置したままになるので、どうにも見苦しい。野焼きを禁止してもよいが、代わりのスッキリ感が欲しい!田舎の人は、朝早くから集落総出の仕事をするのが好きなようで・・・集落の作業はかまわないが、早朝からの肉体労働は、夜型が身について前日早く眠れない私には、早起きが最も苦痛なのだ(--;
Jul 1, 2007
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