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染色の絵のタイプに『更紗模様』というのがある。『インド更紗』『ジャワ更紗』などはポピュラーだが、そうした系統の、染色で絵を表現する一つが『絵更紗』。昨日の自画像の絵は、全体が、あの絵の40倍くらいになる『絵更紗』の図案。表現したいことを染色の技法で自由に描く絵として、私も頑張って楽しみたい。こちらは、15年ほど前?(記憶が曖昧…(--;))に描いた『絵更紗』で、街角の風景。絹、紬地で14.5×21cm。5点ほど小さな額に入っているが、この街角の風景の建物も今はもう、見られなくなったのが何箇所もある。いまさら感傷に浸る気もないが、この町に暮らしてきた私の記憶でもあり記録の一つだ。昨日の自画像のある作品は、そうした私の中の記憶に残る仕事になると思う。だから、画面の片隅に私の姿を入れさせてもらったのだった(^^
May 31, 2007
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今日は一般社会で言う営業。お客様のお宅で染物の打ち合わせ。その中に、私の自画像も入れさせてもらった。『絵の中の自画像』「能登の手さん、メタボだ」(笑「いやぁ~。地震の後、妙に食べる量が増えたんですよ」(^^;「私も、そう!」と、お客様。そういえば、絵画教室のメンバーの1人も「地震のあと、間食が増えて太ってきた」と嘆いていた。しかし、もう1人のメンバーは、「地震とは関係ないでしょう。僕は変わらないから」と。この人はメタボ体型ではない。「いや、僕の感触では、地震の後、間違いなくメタボリック症候群は増えていると思う!」(笑という自画像の言い訳(^^;
May 30, 2007
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私の好きな絵描きに、ずいぶん前だが「甲斐庄楠音(かいのしょう・ただおと 1894年~1978年)日本画家」のことを書いた。化粧の匂いまで感じられる、少し(?)生臭いところが好きだった。そして、もっと好きな画家に、「徳岡神泉(とくおかしんせん、1896年~1972年)日本画家」がいる。花や野菜、動物を描いあるのだが、写実を越えた静かな空間の中に引き込まれる。20歳頃に京都の美術館で初めて観た時「こんな絵があるんだ!」と衝撃を受けた。もう少し時間があったら(無いけど)ああいう世界に入り込みたい。そして、そして。一番好きな絵描きが「熊谷守一(くまがい もりかず、1880年~1977年)油彩画家」仙人のような画家だ(^^単純化した絵は全て平面になり、殆ど抽象画のようになっていく。その著書「下手も絵のうち」を何度も読み返していたが、知人に貸したら戻ってこなくなった(^^;死ぬ前には、ああいう境地になりたいと思うのだ。いや、まだ死ねないので、まだ描かない(笑)まだまだ「描けない世界」で、遥か遠い世界なのだ(^^・・・あれれ!!!書き終わってアップして読み返して気がついた。3人とも30年から35年ほど前に亡くなっている。たぶん亡くなったので話題になり美術展で観たのではないかと、気づいた。それ以降、たくさんの凄い画家の絵を観ているはすだが、この3人が今も私の中で存在が大きいのは、私が20歳から25歳くらいに、その作品に出合ったからなのかもしれない・・・(^^;
May 29, 2007
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昨日は会合があって能登半島地震のために半壊し閉鎖されたままの街中の料理店へ行ってきた。常連さんが10人ほど集まってきたが、発起人さんが材料を持ち寄り自分たちで料理をして飲みながらワイワイ話し合う会だった。私は常連でもないし酒も飲まないが(運転のため)、話しの内容に興味もあり、店のオヤジさんを激励する意味も兼ねて顔を出した。常連客からは「簡単な料理で良いから続けて欲しい」「行くところが無くなった」「ここが集まる場所だから」「何もせんとボケルぞ」などなど冗談も交えて再開のリクエストが沢山あった。店の柱が傾き、設置型の大型冷蔵庫も壊れ調理場も壊れて、以前のような料理を出すことができない。元通りにするには1千万円を越えるかもしれないという。だが、少し手を加えると常連客のいうように「簡単な料理」は出せる状態に見えた。しかし、オヤジさんは「うん」とは言わなかった。65歳を越えたご夫婦には色々な選択肢があるようだったが、一通り話しを聞いたことで私にも、今の段階では店を再開しない気持ちが分かってきた。店を閉じている理由の最も大きいのは、色々な理由もあるのだろうが、これまでやってきたオヤジさん自身の料理人としての気持ちが動かないのだと思えた。これまで長い期間、店をやってきたことによる仕事人の仕事への誇りは大きい。その仕事によって家庭を支え自分自身を支えてきたのだから、自身の思っている料理が出せないならば、その魂は動かないものだろう。どんな形であれ、この先の動きは、もう少し時間が必要に見えた。ふと、自分自身に置き換えてみる。私が思うような仕事ができない状態に陥ったならば、どうするだろうか?正直なところ、私の着物のお客さんは古くからの家の人が多く、被災した家の人も多い。今回の地震で家を直すからというので納品を止めたり途中で中止した着物があって、私にも地震の影響が大きく出てきている。この先、こうした状態が続くと私も思うような仕事ができなくなる。同じように長い期間仕事をしてきて、それなりに誇りもある。・・・しかし、私は、きっと仕事を辞めると思う。いや、誇り以前に生活のために辞めざるを得なくなる。別の仕事に就くか、この町では仕事にも就きにくいから出稼ぎに行くことも考えるか・・・そう思うと、私の誇りというのは、すこぶる小さなものだと思うのだった。う~~~暗い話しになった(--;)今は、手がけている仕事を精一杯やるだけだ!(^^
May 28, 2007
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月に一度の絵画教室。3月にメンバーだった中学3年生が卒業し、4月は大人3人で「これから、ひっそりとやっていくことになるね」と言っていたのだが、今夜は突然5年生が3人になり、それぞれのお母さんが付き添いで来ていたので一挙に大賑わいになった(^^手前はアクリルでF20とF50を描くメンバー。息子も遊びがてら参加(^^黒板は子供に顔の描き方を説明した図。「よく見て確かめてしっかり描きましょう」って、それしか言えない(^^;子供たちは黙々と描く。教室の終わるのは9時過ぎ。お母さんたちが何もしないで待っているのも退屈なので子供たちと同じように、それぞれ隣の人をスケッチしてもらうことにした。「えぇ~っ!」と皆さん顔を見合わせたが、すでに目の前には画用紙(笑まずは「観察して形の発見です」。「動かないでぇ~」「ごめんね、顔が怖くなった」「シワ描かないで」と言う声も賑やかに、あっという間に2時間が過ぎた。お母さんたち3人の絵を並べてみると、とても興味深い。皆さん、中学か高校のとき以来、久しぶりに絵を描いたと言う。普通は子供のために漫画のようなものしか描かないものだ。3人の顔の違いが絵に描かれていくが、描き方を見ていると面白い。絵の上に描き手3人の性格的な部分も現れる感じもあって、大人が真剣に観察した絵というのは良いものだ(^^来月には、更に2人の児童と母親1人が参加して、総勢14~15人の教室になる予定だ。大丈夫か>私(^^;
May 26, 2007
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チクチクと針仕事をする私。時間はかかるし縫い跡は美しくない。教室の生徒であるお婆ちゃんたちの方がはるかに上手だった。当然だ。さすがに見かねて妻が縫い始めた(予想通り・・・笑)出来上がった染を見て、より綺麗な仕事になるように手を加えて工夫して染め上げた。私はデザインを提供する側に専念し、次々と新たな図案を描いてお婆ちゃんたちに染めてもらった。「山吹とか、花ショウブもいいね」今頃の季節だった。生徒のリクエストに応えて山吹の図案を描く。90cm×150cmの画面に花と葉の数を合計すると絞りのパーツが500個以上もあった。「まんでよおけ絞る数あるぎね~」と言いながら一週間ほどで染め上げてくるのだった。そして妻から苦情が来た。「この図案では作業ができない」「・・・?」「絞りの模様が接近しすぎて、皆が困っている」絞りの模様を、例えば花びらを1個絞ると布にヒダが出て隣の花びらを綺麗に絞れない。無理して絞ると隣の花びらの形が崩れてしまうから、絞り模様一個ずつ互いに5ミリくらい離さないと隣の絞り作業ができないのだった。・・・私は、そんなことも分からなかった(--;花ショウブの図案を描いた。ショウブの葉が、すっくと伸びていた。お婆ちゃんたちは黙々と作業していた。例え絞りの数が多かろうと絞りの模様が接近し過ぎていようとも。失敗すると、お婆ちゃんは自分の技術が無いからと思い、新たにやり直して染めてきた。(教室初期の頃の生徒作品)またしても妻から苦情が来た。「だめやわいね。こんな長い葉っぱの絞り。綺麗にできるわけ、ないがいね!」「いや、工夫すればできるやろ?」「あんた、自分でやっとらんから分からんぎ」妻は実際に絞りを行うお婆ちゃんたちの代弁者として、私の図案の問題点を次々と指摘した。お婆ちゃんたちが思っていても言えない事も、全ての苦情をまとめてストレートに投げかけてきた。そして、お婆ちゃんたちと妻によって苦情と失敗の理由が明らかにされ、絞りに適した図案が増え、綺麗な絞りが増えていった。草木染教室の指導者は私ではない。ということが、教室みんなの共通認識になった頃の話(^^;
May 25, 2007
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大げさなタイトルのまま話しは続く(^^;草木染教室のお婆ちゃんたちが上達することで、新たな模様の要望が出てきた。「もっと違う模様したいぞね」「違う絞り方も教えて下いまね」私は月ごとにプリントを作り教室で配布し参加者が皆同じように理解し、同じような作業ができるように説明図を付けていた。当時のテキスト。そのときはパソコンを持っていなかったのでワープロで文字を打って手描きのイラストを貼ったものをコピーして配布した。私には絞りの知識はあった。しかし・・・知識だけだった(--;実技が伴わない典型的な口先人間である(笑)針仕事などはミシンで雑巾を縫う程度しかできないし、知識や記憶にある絞りを実技として行ったことも無かった。そして、妻に絞りを染めて教えて欲しいと頼み込んだが、妻はこう言った。「私、絞りは嫌い」「・・・へっ?」「ぐじゅぐじゅした模様って、好きじゃないから」「・・・(--;)」妻の絞りのイメージは座布団やTシャツなどでよく見られるクモの巣のような(糸で巻き上げる)模様だった。確かに教室で最初に行う絞り模様も、当時は簡単な模様を糸で締め上げるものか割り箸で挟むものだった。「いや、花とか波とか、美しい絞りもあるんや」「知らないから分からない」玄関の入り口で却下されたようなものだ。本を持ち出して色々な絞りを見せるが納得してくれない。「よく分からない」と言う。だめだ。美意識の共有ができない!かくなるうえは・・・美しい絞りの実物を見せるしかない。私は花びらや波の模様を描き、カマボコ板に糸ノコを使い同じ形を2枚くり抜いて布の両面から挟み、その上を割り箸で固定した。知識だけの私でも、なんとか花びらや波の模様は形としてできた。染め上がりを見て妻が言った。「わかったけど、たいして美しいと思わない」「いや・・・初めてだから。慣れれば、もっと綺麗にできると思う」言い訳するしかなかった。美の共有には、ほど遠かった(笑しかし、こうした模様ごとに板で絞りの防染型を作る方法では自由に模様の形を増やせないし手間が掛り過ぎだった。しようがないので、針と糸を持って、生まれて初めて花びらの絞りを縫い始めた。草木染を教えるために、まさか私が針仕事をするはめになるとは思ってもみなかった・・・(--;
May 24, 2007
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美と技の共有・・・なんと大げさなタイトルだろう!(笑能登に暮らす私にできることとして、身近な植物の染まり具合を調べ始めて能登の各地の染や織りの実態を知ろうとしたのが17年ほど前。写真は絹のストールにアカネで全体をピンクに染め、その上にピラカンサを重ね染めしたもの。ピンク地を縫い締めて食品ラップをかぶせ絞ってある。絞ってない部分だけがピラカンサに染まりレンガ色になっている。食品ラップの無い時代には竹の皮を使っていたという。能登にも古くから染めの方法もあったはずなのだが、伝える人も「昔はいたけど、今はいない」という事ばかりで土着の染や織りは伝承されていなかった。逆に西陣織の工場や新たな織物の生産は行われていた。時折、新聞などで話題になった染物を見に行くと私の知っている方法と違っていることが多かった。正直なところ、それでは染まらないはず?その色は根本的に出ないはず?などなど、染を仕事としている者としては疑問を持つ内容が多すぎた。私たちの勉強不足かな?とも思ったものだ・・・(^^;染物をしてみたいという人がいたので、この機会に草木染のしっかりした方法を広めようと思い、まず私たち夫婦が作品を作り出した。私の本職がローケツ染なのでローを使った作品は抵抗なくできた。だが、ローで自由に模様を描くには、筆をさばく手にスピードがないと加熱されたローが冷えて失敗する。マスターするには継続した訓練が必要だった。1998年から始めた染物教室には高齢者が多かった。ローケツより絞りのほうが良い。針仕事ならば、高齢者のほうが慣れている。草木染教室の高齢な女性たちには縫い締め絞りを試してもらった。草木染は1色を2時間かけて染める。手絞りも根気の要る作業だ。能登のお婆ちゃんたちは辛抱強く根気が続くのだった。私の予想以上にお婆ちゃんたちの絞り模様は美しく仕上がってきた。日に日にお婆ちゃんたちは腕を上げていった。あえて大げさに書く。お婆ちゃんたちと私に「美と技の共有ができた!」と(^^しかし、この手絞りの草木染、困難な問題が山ほどあることに、この時は気づかなかったのだ(^^;
May 23, 2007
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とある町の商工会から草木染講習の依頼がありHPを見てもらって打ち合わせをしたのだが、絞りの重ね染めの模様をローケツ染と判断されてしまっていた。HPの写真が小さくて、模様があるのはローケツと思われたようだった。写真は妻のオリジナル草木染。タマネギ、ピラカンサ、ゴバイシを染め重ねた『手絞り』のタペストリー2点。「少女」「猫」2点とも25cm×48cm。木綿シャンタン地。仕事を行っている当の本人は、自分自身が分かっているから説明不足になっていることに気づかないのかもしれない。HPを確認したら作品説明には小さな文字で絞りと羅列していた。他のページには『手絞り』の説明もあるのだが、HPを見る人が私の思い通りに閲覧してくれるはずもない(^^;立場の違う人間や価値観の違う人間が集まって仕事をしたり話をするときに言える事だが、よく話し合ってお互いの共通認識を得ることが前提になる。仕事以外でも、こういうことはあるのだと実感。最近、ある会から退会したのだが、会の主旨を聞くと「自分たちが楽しむために行う」と言う。これは良く使われる言葉だが、それだけでは自己満足になってしまう。まぁ、それでも良いというのかもしれないが(^^;普通はイベントを行う主旨や会の目的を明確にし、広く伝える努力もする。だが、準備のための会合も少なくイベントを行っても反省会もされないし、こうした意見や会議用の資料を出しても取り上げてもらえず、私の熱意や意欲は完全に失われてしまったのだ。で、イベント自体も人の集まりが次第に悪くなったのだが、それでも会議は行われなかった。???う~~ん、私には最後まで、なんだかよく分からなかったわ(--;まぁ、色々な考えがあってかまわないけど、私自身が行う事の場合、共通認識を得るための話し合いや資料の作成、自分自身の説明のあり方等など、もうすこし丁寧な方法で行わなければならないと反省。ということで、今作っている資料は何人もに見てもらい意見と感想を聞いて修正、共通認識を得られるような内容にまとめているのだった(^^
May 22, 2007
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雨も上がり、我が家の畑では藍がスクスクと伸びている。さて・・・この畑を覆いつくす苗をどうしよう?ご希望の方はどうぞ、と書いたが、どなたも持ちに来てくれない(笑)やはり間引きしかないか(^^)所々にある紫色の芽は紫蘇。一方、家の前の畑は色々な野菜が育って賑やかになってきた。ブルーのネットは風除け。その向こうはトマトとキュウリ。左奥はジャガイモ。真ん中の畝は植えたばかりのサツマイモ。右のネットの手前がタマネギで、右端が発育中のネギ。この他に家の横と裏にも畑があるのだが・・・。ちなみに私が行った畑作業は、ブルーのネットを支えている杭打ち。先日の法事の帰りに親戚の製材所からタダで貰ってきた角材。喪服を着たまま雨の中、盗人のように急いで車に積み込んだ。ん?別に、やましいところは無いが(笑角材の先を鉈で尖らせ脚立に乗って杭を打つ・・・2mほどの杭を20本ばかり打ち込むのが、どれほど大変な事か!・・・オイオイ(^^;
May 21, 2007
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昨日の法事の折に行ったお寺の隣には神社が並んでいて、その前には見事なイチョウの巨木が緑をしたためていた。能登町の天然記念物にも指定されている「大峰神社のイチョウ」。根の周り約7.5m、周囲約7.2m、樹高21mの雄(オス)株。推定樹齢は約500年とも700年ともいう。裏側?(下の写真の右)には垂れ下がった枝もある。イチョウの巨木は写真でよく見るが、この木は高さがあって美しいと思う。久しぶりに絵にしたいような、得体の知れないモヤモヤ感があった。写実ではなくイメージを膨らませるような絵が描きたいと思った。長時間じっと見ていると木の精霊のようなものに、とり憑かれて身動きできなくなるかも(^^;
May 20, 2007
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クサギ草木染で藍とともにブルー系の色を染める植物。絹に若葉の銅媒染で緑、秋の熟した青色の実でブルーを染める。しかし、耐光堅牢度が弱く長期間のうちに変色しやすいので、布染めよりも糸を染めて織りに使うほうが良い。木綿には染まらない。クサギ 1997年 ケント紙にアクリル絵の具 クサギは若葉を山菜として食べる地方もあるようだが、葉や茎の汁が臭いので臭木と呼ぶようになったらしい。・・・あまり食べたいとは思わない(^^;あぁ、今日は親戚の49日の法事で精進料理を食べてきた。木の芽和えやゴマ豆腐、くずきり、野菜のてんぷら・・・。最近は49日、まるまる行う家が少なくなってきたが、私の父が亡くなった頃の精進料理の御膳とは比べ物にならないほどボリュームがあって満腹になった。食べ終わった頃、家の若い子達が観ていたテレビ番組は再放送の「大食い女王」ギャルソネなんとか?・・・ラーメンやトロの寿司の大食い。苦しそうに泣きながら競い合って食べる番組。・・・あきれながら、もったいないと言いながら最後まで観てしまった私が情けない(--;
May 19, 2007
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モミジイチゴ草木染には葉を細かく刻み沸騰させて20分間煮出した液を布漉し。これを同じ葉で2回繰り返してまとめて染料として使う。染め→媒染→染め→媒染を各々20分の繰り返し。絹にアルミ媒染で渋みの薄いローズ色、銅媒染でレンガ色、鉄媒染で茶味の濃いグレー色。木綿にもアルミ媒染で薄いローズ色、銅媒染で渋味のレンガ色、鉄媒染で茶味の薄いグレー色が染まる。下絵用の観察図もファイルの中にあって、こちらはボールペンで描いてあった。これも10年前の植物画。過去の自分の描いたものを未熟だとか、不十分だと思えるうちは良い。欠点が見えて直す部分が分かる場合は、きっと自分なりの進歩があるのだと思える。今はこういう時間が無い。あっても描けないかもしれない(^^;という今の私は、過去よりも良いものが描けない状態か~。また、落ち込むか(--;最近、10年前のこういう執念のようなものが無くなってきたと思うし、気力が続かなってきた。写実から離れて自分自身のフィルターを濃くして描く年齢なのだと思うわ。手抜きではなく、省略、暗示の世界へ行こうか~な~。・・・逃げか?(笑
May 18, 2007
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昨日のことだが、被災して避難生活をしている知人から電話があった。地震で店舗兼住居が壊れ親戚の家に避難している人だが、病気を抱え手術をして半年。年齢も60歳に近く「何も考えることができないで50日過ぎた」と。「地震の日、来てくれてありがとう」「いえ、何も手伝いもできませんでした」「ううん、あんたの事務所も撤去されてしまったね」「えぇ、事務所がなくなったのは都合悪いですけど」「仕事は大丈夫なのかな?」「被災者から納品を断られたのとキャンセルが2件あって苦しいですが仕事はしてます」「私も、そろそろ何か考えようと思うんだ」という。「体は、大丈夫ですか」「うん、だましながらでも、仕事していたほうがイイかもしれん、と思えてきた」倒壊した家屋跡に町内の人が集まるテントがあったのだが、仮設住宅ができて撤収された。集まって話のできる場所が無くなったのだ。「こうして、何もしないで居ると気が変になりそうなんだ」「そうですね、僕も仕事してるほうが落ち着きます」「お客さんも尋ねて来てくれることもあるし、仮設の店でも始めようかと思う」「できれば、それやって下さい。気持ちの張り合いのためにも」「うん、家族会議してからね。あんたも大変だろうけど、頑張ろうね」「そうですね・・・ありがとうございます」・・・家が全快し店を失った人から、逆に励まされてしまった。地震の後遺症とは思わないけど、色々なことが重なって少し落ち込んだ気分の日々が続いていた。親戚の葬儀や行事、寄り合い、会議などで集中力が途切れることも多いし、地震前よりも仕事の効率は、はるかに悪くなっている。それに輪をかけているのが家のネット環境。ISDN(64kbps)なので、写真や資料のダウンロードにエラーは出るし、あまりの遅さにパソコンを殴りそうだ!(笑
May 17, 2007
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震災後5軒目の弔いが入って今日は手伝いに出かけた。明日、明後日と記帳係り(受付、会計)を務める。もう何回この係りをしたか覚えていない。老人の多い田舎の宿命だろうか?私の宿命なのかも知れないと受け止める。ヤマボウシ 1997年 ケント紙にアクリル絵の具 葉を煮だし染料として使用。絹にアルミ媒染で黄土色、茶色、鉄媒染で茶緑のグレー。木綿にもアルミ媒染でベージュ、銅媒染で緑味の茶、鉄媒染で紫味のグレーが染まるが、煮出した液がアクが強く粒子も粗い感じで染めムラが出やすかった。秋になる実は、ねっとりして少し甘酸っぱい。子供たちが小さいときに食べさせたが、一口で拒否された(^^;
May 13, 2007
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絵を描くときに「私というフィルター」を、どういう形で意識するものだろうか?現実にある実物のありのままの姿を、ありのままに描こうとする絵がある。見えるものを見えるままに描こうと努める。ボタニカルアートという分野がある。その分野にも色々な描き方があるようだ。しかし、私の場合、仕事上、植物の絵を描く機会が多いということで、着物に花を描くこと、模様として描くこと、図案化したり、暗示的な表現をする基本として描くこと、そういう目的で描いていた。仕事以外では花を描くことは少なかったが、草木染の染色データの資料として植物の説明のために描いたものがある。キンシバイ 1997年 ケント紙にアクリル絵の具 葉を煮だし染料として使用。絹にアルミ媒染で薄茶、銅媒染で茶色、鉄媒染で茶緑味のグレー。木綿には、各媒染それぞれに薄くしか染まらない。こういう描き方をしても、私が描くと「私というフィルター」を通した絵になる(^^
May 12, 2007
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一昨日は夏のような暑さで、昨日は雨でストーブが必要な寒さの夜だった。雨も上がった今日。日に日に若葉の色が鮮やかになってきた。大地には、トマト、キュウリの苗が元気にすくすくと伸びて、今日は畑にトマトの棚を作るための杭打ち作業であった。写真左はトマト棚づくり。さて、この女の人は何歳くらいでしょう?(^^写真右、我が家の入り口にある畑の藍が、遅まきながら双葉らしくなってきた。暖冬で異常気象といわれたが、3月が寒くて種まきのタイミングを逃し、更に地震騒動で1ヶ月ほど蒔くのが遅くなった。今、畑の畝を埋め尽くすように芽生え過ぎているが、さて、どうしようかな?藍の苗、希望者にプレゼントでも考えようかな・・・我が家まで持ちに来てくれる人のみって(^^しかし、こんなに遅くて夏に藍の生葉染ができるだろうか???畑の植物が色付き元気になると、我が82歳になる母親(写真)も元気が溢れてくる(^^;反比例ではないが、仕事場の振袖にある花や草木は、なかなか色付きが進まないのだった(--;
May 11, 2007
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ものの本によると、『伝統』という言葉は古くから伝わるものごとを言うが、日本の古来には無かった言葉のようで、明治時代に英語[tradition]の訳語として作られた新造語らしい。(参考:現代思想辞典・講談社現代新書・伝統・桑原武夫)古い伝統という言葉は新しかったのか~(笑せっかくだから伝統について私なりの覚書を書いておこう(^^【伝統】一つの社会(民族、体制、集団)において、自然発生的、または特定の条件の下に発生した行動や現象が、世代を越えた期間にわたり価値のあるものとして共通認識された状態で継続されるもの。また、継続されている行動や現象そのものを「・・・の伝統」、「伝統(の)・・・」という。キーワード(1)社会・組織・集団(2)行動・方法・様式(3)長期間(4)価値付け(5)共通認識(6)現在継続中『伝統』に対しては『新興』が相反する意味だろうが、政治や宗教的には『保守、現状維持』の立場を『伝統』に当てはめ『改革、革新』という勢力と対立させる場合がある。伝統となっているものには、自然発生したものが形や技術の熟成を経て高度な内容になって受け継がれたものと、ある時代に新たな方法や改良を取り入れたり、革新的な技術や方法が発達して現代に受け継がれてきた場合がある。文化や芸能に関して、伝統芸能と伝承芸能に区分けがあるように、その形式や意識、文化形態、価値観が壊れ、途中で継続が途切れた場合には、伝統といわずに伝承、慣習、そして伝統的○○などと表現される場合がある。Wikipediaに書こうかしら(笑―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――能登にも地場産業に『伝統の輪島塗』がある。観光と輪島塗によって知られる輪島市としては、今回の能登半島地震の打撃は大きい。風評による観光客の減少はもちろん、ここ数年来、落ち込んでいる輪島塗の市場に輪島塗製造の問題、製品の保管の問題、販売の問題を更に加えてしまった。この1ヶ月に大きくは、3つの動きがみられた。1)新しい商品を売り出す動き(震災によって生まれた新彩椀)2)廉価で販売する動き(セット物で壊れていない単品を安く売る)3)これまでの方針を貫く動き(危機を乗り越えてきた従来の方針)伝統を主張するものと改革する勢力とは往々にして対立の図式も生み出すものだが、どちらにしても時代の変化を乗り越えるための意味のある考え方や行動が必要なのだと思う。曖昧に、どのようにでも使えるようなコメントでまとめてみた(^^;キーワードなど一部を追記(070511)
May 10, 2007
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以前、娘が小学生の頃。社会の教科の中に『地域と伝統産業』などとあって、着物の仕事や輪島塗について話すよう社会人講師の要請があり『伝統について』という話をした。教室で子供たちの前に立ち、『伝統の伝』は伝えるという意味。では『統』は何?と。・・・隣に居た担任教師に聞いたが首を横に振った。・・・私も読めないし意味を知らなかった。まずい!!!話の勢いで、ついつい聞いたのが、自ら墓穴を掘ってしまった!知らないで言うんじゃない!・・・え~っと統一の統だから(--;「昔から伝わってきたものをまとめて、今に受け継がれたもの」と、その場はゴマカシで逃げた(自爆!)家に帰ってから『統』の意味を調べたのは言うまでもない(汗伝統という言葉には重さが感じられ何かを説明するときには説得力があって便利だが、実際は格付け差別化に利用されることが多い。たとえば、「春夏、甲子園出場の伝統校」「伝統工芸の技術水準の高さ」という風にランクの高い使われ方をする。そして時として「伝統ある我が校の歴史に汚点を残した」とか「誇りある伝統を穢(けが)した」などという厳しい使われ方もする。つまり、伝統とは『勝者』に与えられる言葉で、伝統を振りかざすためには常に勝ち続けなければならない、という厳しいものなのだ。甲子園どころか、地区予選一回戦でいつも負ける学校には「常に1回戦敗退の伝統がある」などとは言わない(笑だが、その伝統校も最初の1勝から始まったものだし、常に勝ち続けるため継続した努力が必要になる。まぁ、そのために特別なことを行う場合もあるようだが(^^;ものづくりの世界にも『伝統工芸』という言葉がある。そういう価値付けをした美術会派もあるが、美に伝統を振りかざすと、常に勝ち続けなくてはならない。そして、時代の渦に巻き込まれて途中で途切れた文化や生活様式は『伝承、慣習』という言葉に置き換えられる。最近では『伝統的工芸品』という都合の良いネーミングの物品も見受けられる。あぁ、これは時代に勝てなくて、一旦、途切れたのだな~と(^^一人でものづくりをする私にとって勝ち負けは縁がないし、一旦途切れたものにも美は見出せる。伝統があるかないかには興味が無いが、私の中で新しい美を形にすること、その美をより深めることに努めるのだが、・・・そして、これもまた凄く厳しい。 5月としては暑かった一日。正直、弱音だわ(笑
May 9, 2007
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昨日の日記に『古典にも、伝統的技法にも、はじまりがあった』と書いた。その続き。着物の仕事をしていると、古典模様や伝統的技法というのに直面する。友禅は江戸時代の扇絵師、宮崎友禅斎の名前と当時流行りだした染色技法が一体となって着物の模様の総称(のように)になってきた。一方、ローケツ染めは、古くは正倉院御物にある染色技法の三纈(さんけち)「臈纈(ろうけち「ろう」は草冠に「臈」)夾纈(きょうけち)纐纈(こうけち)」の一つ、ローケツによる模様付けが大正時代から昭和にかけて自由な表現方法として新たな発達をした。発祥の時代としてはローケツ技法のほうが古いのだが、友禅の染色技法が発達し留袖の模様などに使われ格式の高い染色方法となって、友禅の技法のほうが伝統的技法といわれたりする。ま、伝統『的』というのがキーワードで、どっちも古くから続いた染色技法という場合もある(^^面白いのは、江戸時代に当時の贅沢禁止令の中で着物に豪華な刺繍模様を付けることができなくなったため、その逃げ道として、禁止されていない染めの技法で華やかな模様をつける友禅模様が、おしゃれとして流行し技法も更に発達した。そして、大正昭和期の自由な機運の中で衣装の模様も大胆に変化していくが、同時に化学染料の発達もあり、友禅技法よりも更に自由な表現ができるローケツの技法がおしゃれ着の模様付けに広まったのだった。どちらにしても始まりは画期的な表現だったわけで、その時代背景とあいまって発達したのだが、今の時代の私にしてみると描きたいものに合わせて都合よく使い分けているだけだ(笑説明が長いわ・・・(--;写真は能登上布タペストリーに草木染のローケツ抽象柄。昨日の写真もそうだが、10年ほど前は、丸、三角、棒、四角というシンプルな要素だけで画面を作ることに熱中していた(^^
May 8, 2007
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先日、某新聞社の取材を受けたときに、「草木染を行う理由」という質問で「目の前に染まる草があるから」と答えたが、もひとつ脳裏に浮かんだことが言葉として出てこなかった(--;そのフレーズが、「草木染は、染色の古典」。今日、思い出した(笑)だからどうなの?と問われそうだが、今のことを理解するには古典を学ぶと更によく分かる・・・ということが、染にも言えるかもしれない(笑仕事の注文の場合は依頼主に気に入ってもらえる方向に全力を尽くすのは当然のこと。その一方、自分の世界を探すときには、他人の目や言葉をまったく意識しないで無謀とも言える技法に挑戦したりもする。そして、思うのだ。『古典にも、伝統的技法にも、はじまりがあった』のだと。ローケツ技法による草木染。木綿布にゴバイシ、2000年頃の作品。『ふわり-01』『ふわり-02』けっこう自分では気に入っているのだが、見た人は怪訝な表情をすることが多い作品だった(^^;
May 7, 2007
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牡丹の花は着物の模様に多く使われるが、私は34年余りの染色生活で、いったい牡丹の花を何個描いてきたことだろうか?数えたことはないが1000個は越えているような気がする(笑牡丹、椿、菊などは実物を見なくても、それらしく描くことはできる。これは決して良いこととは言えないが、模様の場合は『華やかさ』や『美しさ』を優先するから、花の模様としてパターン化する一面もある。私の中にもそういったパターンが組み込まれていることを踏まえて、もっと魅力的な意匠を探そうとする。どういうスタイルであろうと描き手の感覚の中を一度通って花の模様になる。私の中を通っても、リアルなもの、図案化したもの、抽象的なものでも牡丹は牡丹であればよい。振袖、上前部分とオクミ 素描き花は、それぞれの花として・・・少なくとも、牡丹は芍薬とは明らかに違うものなのだ(笑同じような花を描いても、着物の模様とCGとでは、描こうとするテーマとそのモチベーションは違う。着物の上では『華やかに、美しく、整然と』。『枯れる、散る、乱れる』というような要素は殆ど使わない。逆に、スケッチやCGでは、そうしたことも含めて、新たな発見を探してみる。その発見が、それぞれの花であり、私が私であることなのだ、と言ってみる(^^
May 6, 2007
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春の花が順番に咲きそろった。やはり桜や牡丹は美しいし人気がある。だが、あまりポピュラーではないが、この花の美しさも格段だ。写真に撮ると、すこぶる気持ちよく爽やかに見える。我が家の入り口の坂道に咲いて遠めでも白い花の塊が目に付くが、・・・誰も手折って持っていかない。あまりに無垢な感じで絵にしても面白くないほどで(笑)、蜜も多いから色んな蜂がブンブンいって飛び回り、近づくと危険かも~(^^ズミ(バラ科リンゴ属)ズミは染(そみ)という意味草木染には樹皮、緑葉を使いアルミ媒染で黄色、銅媒染で鳶色(レンガ色)鉄媒染で渋みの鶯色を染める。
May 5, 2007
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能登半島地震から40日。仮設住宅ができ避難所生活の全ての人々が仮設住宅へ移ることができた。これから本格的な復興に対して新たな課題と向きあうことになる。昨日は仕事と知人宅の地震見舞いをかねて、輪島市門前町へ行ってきた。門前町へ近づくにつれ屋根や壁を覆ったブルーシートが増えていく。街の中心、総持寺祖院周辺の商店街も道下地区住宅の被害も実際に見ると未だに凄い状態だった。門前町、総持寺(曹洞宗、総持寺祖院について)1244年、道元禅師によって福井県永平寺が創建された。1321年、道元の4代目法孫、瑩山禅師(けいざんぜんじ)が総持寺を開き全国の大衆に広めた。1898年、門前総持寺、大火にあう。1911年、横浜市鶴見区の総持寺に曹洞宗の本山が移転する。総持寺には連休ということもあり観光や見物?など多くの人々の姿があったが、石垣の凹凸や白壁の崩落、屋根の波打つ様子、屋根瓦も落ちていたり、僧堂の通路床も抜け落ちていた。 山門を通り抜けると奥中央の法堂(大祖堂:だいそどう)の大きな扉が傾いている。内部から見ると、扉の大きさが良く分かった。門前町の被害の規模は大きくて、いまだ生々しい痕跡もそのまま手付かずの部分も多く見えた。まだ締め切ったままの商店が多い中で、倒壊した洋服店が仮の店舗で商いを始めていたのが印象的だった。知人の焼き鳥やさんを尋ねると、入り口の道路は陥没による段差もあり店舗の壁面にも修復の跡が見えている。店内ではご夫婦が忙しく働いており、声をかけると笑顔で迎えてくれた。「もう、泣きそうやった」と奥さんが言う。「リニューアルの時期が来たんやと、思うしかなかったわね」と旦那さんが言う。店内が壊れてしまい店舗部分の改修を終え4月28日に営業を始めたばかりだという。まだ家族の生活部分を直している最中だった。帰り際、奥さんが店の前まで出て手を振ってくれた。晩御飯用に買った焼き鳥を車の中で食べた。美味しかった(^^厳しい現実だけど、立ち向かっていくしかないんだという気持ち、ひしひしと伝わってきた。自然の中で長い時間をかけて、人々が集団で生きていく。そこに土地の歴史が生まれ、その土地の文化がうまれ暮らし続けていくことで、受け継がれていくものがある。先日の日記、牡丹の集落。今年の牡丹を見たけれど。結果から言うと残念ながら過去の面影はまったく残っていなかった。一昨年の幹の太い(タバコの箱で比較した)写真の牡丹も世話がされていないようで、丈も低くなり根の周囲も賑わいがなくなっていまい、我が家の近くの50年程度の牡丹よりも寂しい感じになっていた。ハザ木で支えられていた17年前の面影を残すものはなく、帰り道、私の過去写真と話は「昔は良かった、こうだった」などという、お年寄りの懐古口調と同じかもしれないと思えてきた(--;牡丹の古木のある集落は、もう見ることはできない。どれだけ魅力があろうと、価値があろうと、町おこし、地域づくりと声高に叫ぼうとも失ったものは戻らない。陳腐な言い方だが『その土地に暮らしている人が大切だと思って生きていかないと、土地の暮らしも文化も失われてしまう』。これが、現実だ。そして、失われていくものもあるけれど、新たに生み出すものもある。そう思って、新たなモノ作りに向かっていく。
May 4, 2007
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着物の模様を描く仕事柄、牡丹の花をスケッチしたり写真に撮ることも多い。そして、牡丹の花が咲く頃になると、いつも思い出す悔しい記憶がある。以下[2004年5月2日の日記]私の好きな能登の景色の一つに能都町波並地区があります。写真は漁港と集落。ちょうどレールの真中あたりにポツンと一両の列車が走っています。来年の3月には、この鉄道も廃止になってしまいます。それはそれで、とても残念な事なのですが、今日は、私にとって、とても大切に思っていた話です。列車の写っている場所のもう少し向こうにあるガードをくぐり抜けると、波並地区の集落に入ります。旧街道に沿って高い石垣が組まれ、南向きの海に向って家々が軒を並べています。この家並みも残して欲しいものの一つですが、ここに、私は別の宝物を見ていました。京都で染色を学んでいた20歳くらいの頃、休日は毎日のように花のスケッチをしていました。ちょうど今の季節は恒例の行事のようにして長岡京市の乙訓寺(おとくにでら)や奈良の長谷寺へ出かけていたのものです。今から10数年前、この地区に居る友人を尋ねた折、驚きました。この家々の石垣から、こぼれるほどの牡丹の花が咲いていたのです。家によっては、屋根まで届きそうな牡丹の花を沿え木(稲ハザ木)に組んで棚を作り、手入れをして楽しんでいるのが窺えました。この集落一帯が、牡丹で溢れていたのです。幼い子供を抱えた妻を牡丹の木の前で立たせて写真を撮った記憶があります。2階の屋根まで届いていた白い牡丹の花、あの木は3mもあったかと。・・・それが今、無いのです。買い物の帰り、久しぶりに立ち寄ったところ、当時の面影が全く無いのです。車を降りて探しました。集落の中央を流れる細い川。その路地を何度も往復しましたが。更に奥まった細い小路も覗いて見ました。空き家、玄関の改修・・・そして木の寿命でしょうか・・・。当時の面影を残す庭にもぐりこみ写真を撮りました。塀のある縦写真の白牡丹(花木の高さ、1.8m~2m)。今日見た花の中で最も太い幹です。左の写真の赤い線、比較の為に置いたタバコの箱は、幅5.5cm。根本の2つに別れた左側は直径8cmほど。右の主幹は直径10cmを越えています。地面から20cmほど上がった幹は箱2個分で11cm以上あります。私は花を描くのが専門で、植物の生態等に詳しいわけではありません。この木の太さが、どれほどの意味を持つのか?判断できません。しかし、京都や奈良の牡丹の名所でも、こんなに太い幹や3m丈の花木は、それほど無かったように思います。我が家の牡丹は30年程で、幹がようやく2~3cm程です。この10cmを越える幹になるには何10年・・・いえ・・・100年、200年?どれほどの歳月が必要だったのでしょうか?そして、牡丹の樹齢以上の歳月が、この集落の歴史に刻まれていたはずです。庭に牡丹を植えて楽しむことができる人々がいて、その暮らしがあったはずです。 この地区は私の住む町の隣町です。・・・こんなことなら、あの時、もっと写真を撮って、もっと強く言うんだった。10年ほども前でしょうか、この牡丹の集落が「すごい!」と隣町の役場職員に言ったことがあります。町会議員にも、観光業者にも言ったことが。もっと大切にして!と。「美しい石垣と古牡丹の集落」は観光資源にも出来るはずだと・・・しかし、隣町の私は言葉だけで、それ以上のことは出来ませんでした。・・・今更思っても取りかえしのつかない話ですが。海岸線の細い旧道、石垣を組んで得る事が出来た大切な土地、川沿いの細い路地の庭、その貴重なスペースが見事な牡丹で埋め尽くされていた映像。今も、しっかりと私の記憶に残っています。牡丹のあった庭は、藤棚やツツジ、園芸植物や家庭菜園などになっていました。友人の話では、ここ数年で一挙に減ったようです。理由は分かりませんが、せめて、今残っている牡丹は大切にして欲しいもの。私の中で宝物のように思っていた「美しい石垣と古牡丹の集落」は、もう夢でも実現不可能なものになってしまいましたが・・・。百年以上もの牡丹の木は、すぐには増やせませんから。そして、今年もこの牡丹の花が気になっていた。
May 2, 2007
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着物の染を行った後の仕事場は散らかり放題だ。染めることに神経を使うから床に染料がこぼれようがエプロンが汚れようが気にしていられない。だから、染が終わった後には染め刷毛やボカシ刷毛の洗いと手入れはもちろん、雑巾や生地の横幅を伸ばす伸子(しんし)の片づけ、床掃除、図案の整理など雑用がいっぱいだ。写真左は汚れたエプロンや雑巾を熱湯に入れハイドロサルハイトコンクで脱色している。同じようにして竹製の伸子も針の付いた先の部分の色を脱色し、曲がってしまった竹を真っ直ぐに戻して乾燥させる。散乱した道具を片付けると同時に次の仕事に使うための段取りを行う。仕事の言葉に「段取り八分」というのがある。本番の仕事の全体を想定し使う道具や資料を工程順にそろえ、作業を支障なく行うための段取りの方が八割のウェイトを占めるということ。段取りが悪いと途中で手が止まり失敗の元になる。段取りだけで疲れてしまうような気もするが、道具の手入れは重要だ。そして・・・伸子の弾力を戻すように、私の弾力の無くなった腰も元に戻したい(--;おまけ・・・エプロンは紺色だったのにハイドロと反応してオレンジ色に変化してしまった・・・エプロンまでオレンジ色にする段取りなどなかった~~~(^^;
May 1, 2007
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ようやく一日が終わった・・・(--;振袖の地色染め。私にとって着物の地色染めは落ち着いた状態でないとできない。地震と選挙と親戚の葬式が重なり、ゴールデンウィークになって染めるというのも、なんとも巡り合わせが悪い。染め場、オレンジの世界となった。朝から染料を炊いて目的とする色を合わせて、一日中、立ちっぱなしの状態。夕方には足と腰が限界に来ていたが、着物の地色染めは途中で中止というわけには行かない。途中で止めると身頃や袖などを分けて染めているため、完成して仕立てたときに縫い合わせた両方の部分の色が違ってしまいやすい。例えば身頃の背中で右と左の濃度が違うことなどもおきてしまう。刷毛に染め液を含ませた量や生地の水分の多さの状態、ボカシ色など、そのときの感覚と感触で着物一枚分を同じ(ような)濃度で染め上げる。地色染め専門のプロにとっては当然のことだと言うかもしれないが、1年に数えるほどしか染めない私にとっては至難の業なのだ(^^;)そしてまた、仕事の次の工程上、どうしても私が染めなければならない事情もあるのだった。疲れているのだから早く休めばよいのだが、神経が尖ったままなので布団に入っても眠れないのは分かっているので、しばらくの時間ネットでクールダウン(^^
May 1, 2007
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