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8月の終わりは、すさまじい雨。今年の夏の激しさを物語る。いや、今年の自然現象のすさまじさ、そのもののような8月の日々だった。昨日は能登の山手のほうで土砂崩れによって家が倒壊するし、川下では床上まで浸水する被害が出たということだ。もう、これでお仕舞い。今年の災害は終わりにしよう!この先の季節、大嶺神社の巨木に平穏無事を祈願するしかない(^^写真加工。人間の大きさと比較すると樹木の大きさが分かる。さて、今朝一番の仕事。雨漏りの音を聞きながら屋根裏に上がり、はいつくばってバケツ2杯の雨水を出した(--;屋根裏に上がると、全身かゆくなるのだ・・・皮膚の弱いところがカイカイになってプツプツ赤くなってくる。こうみえても色白で皮膚の弱いタイプなのだよ(笑その2杯のバケツの水をこぼさないように持って屋根裏から降りるのも一苦労だった。さて、3度目の屋根の修理、どこに頼もうか(--;
Aug 31, 2007
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『ひまわり』の絵といえばゴッホになってしまう。ゴッホについて説明する必要もないのでこちら参考。生涯において12枚の『ひまわり』を描いたようだが、花瓶に入った同じスタイルの絵が7枚ある。実際に美術館で見たのは一枚だけだが、似ているので、どれだったか今では分からない(^^だが、私はゴッホの向日葵の中で『4輪の向日葵』が一番好きだ。 1887年7月~9月 パリ時代 60×100cm 黄色と青紫の補色使いで空中に浮いているような向日葵。画集などでよく見る花瓶に入った明るい向日葵の絵には、どこか無理があるような気もするが、この4輪の向日葵も、暗くて切ない感じがする。どちらにしてもゴッホの絵に対しては色々な物語を思い浮かべて感情移入をしてしまいそう。今年のような激しい暑さの夏には、ゴッホの向日葵がピッタリだ。そして、ゴッホについて話すといつも同じような結末になってしまう。ゴッホのイメージは、実らぬ愛、仕事の挫折、相手に届かない気持ちの自己主張。 思いこみが激しく、押し付けタイプの人間のようだから周囲に理解されなかったのも無理ないのだが、もし今、近所にゴッホが暮らしていたら、迷惑な隣人、絶対に係わりたくない男だな~と、やっぱり思うのだった(^^;
Aug 30, 2007
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今年の夏、こんな感じかな。その夏も終わる。ヒマワリは描く気にならないので写真加工(笑枯れたヒマワリは晩夏そのもののようで、こちらは描きたいと思う・・・でも思うだけ(^^夏の終わりは疲れが溜まっているのが自分でも分かる。遅くまで起きていられないのだ。涼しい夕方。明日からは雨になる。・・・また雨漏りの心配(--;
Aug 29, 2007
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親戚の家の奥さんが作っているキルトを見ていたら、教える人の工夫が見えてきた。知り合いのパッチワークの先生もコサージュをキルトに組み合わせていたが、布のアートも多彩になって立体表現が多くなってきたようだ。レリーフのようなキルトも見た記憶がある(^^色の組み合わせや仕事のキメの細かさは個人の感覚だから生徒の能力次第だが、教室の方向付けや教材の魅力は、指導者の力量が問われてしまう。この世界も競争率が激しなぁ~などと思った。そういえば・・・うちの草木染教室、最近、指導者がサボっている!(--;
Aug 28, 2007
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午後、富山県から20歳代の女性が一人、ネットで我が家のHPを見つけて草木染の講習にやってきた。仕事に活かすために、休日、2時間近く掛けて学び来るのがエライ!(^^ちょっと道に迷って(我が家へ初めて来る女性で迷わずに来た人は殆どいないが・・・(^^;))工房に着いたのが午後3時。4時間ほど休憩なしで作業し続けて、タマネギのアルミ媒染、鉄媒染。そしてアカネで絹のストールを染めた。その学ぶ意欲に私も応えたくて、専門ではないが和紙の染め方を話したり名刺に藍を染めてみたりした。帰り道、迷ってもらうと困るので国道まで道案内。今ごろ、まだ走っているんだろうな。お疲れ様。意欲には気持ちで応えたくなるものだね(^^
Aug 27, 2007
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子供たちは顔を描くと、たいがい描きやすい方向で慣れたものしか描かない。前回の作も多くの子はパターン化したアニメや漫画のような姿を描いていた。そこで、今回の絵画教室では座った子の左隣の子を描いてもらった。横顔、斜めの顔、下向き・・・大人でも苦しいかもしれない。小学校4、5年生の子供たちにとって、これは凄く難しい。しかも、右利きの子は手の動きと目線などから、普通は左に向いた顔しか描かない。しかし、敢えて右向きの顔を描いてもらのうのが、この教室らしいところだ(^^・・・すごく、意地悪な先生としか思えないかも~(^m^)
Aug 26, 2007
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昨夜は能登町鵜川の『にわか祭り』。8月24日25日。武者絵が描かれた『にわか』と呼ばれる行灯風の奉燈が鵜川地区内を巡行する。豊漁を祈願し、七福神の1人弁財天を祀る海瀬神社の祭礼。加賀藩前田家13代藩主前田斉泰が当地を訪問したとき、にわかに奉燈を組み立てて担ぎ旅情を慰めたという言い伝えがある。写真左は去年。右は今年の街中巡行。毎年この季節は毎日のように近隣集落の祭りが続く。子供が小さな時には連れ立って行ったが、さすがに高校生になると行こうと言わなくなった(^^)多くは『座敷祭り』で宴会だから酒が入り結構疲れるので、私も最近は親戚の行かなければならない家にしか出かけなくなったが、この『にわか祭り』は好きな祭りの一つだ(^^;能登を代表する夏の祭りの一つだが、狭い街中を『にわか』の車輪で運行するので、けっこう迫力もあるし時には死に至るような事故も起こってしまうほどの危うさがある。管理運営するほうも大変だし、祭り自体を楽しむ人と、神事で行う部分とイベントとして人を呼ぶ部分の兼ね合いが難しそうだ。しかし、この暑さの中、祭りが続くと疲れるわ~。今夜は絵画教室・・・こっちも最近、賑やかなのだった(^^;
Aug 25, 2007
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昨日は処暑。二十四節気の一つで暑さが落ち着く時期だという。親戚のお通夜に行ったが喪服の上着を着ても大丈夫で、午後11時時の外気温は18℃。さすがに寝るときには涼しくタオルケットをかけていた(^^とはいえ、まだまだ日中は暑い。この夏の写真スケッチ。画像加工編。セミの『抜け殻』『脱皮』。この二つの言葉、何かを連想させる要素を持っているが、まったく違うイメージに進むのが面白い。ともあれ、暑くても、もう脱ぐものがない程の夏だった~(^^
Aug 24, 2007
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朝から雷が鳴り停電・・・ローソクの明かりの中で朝食を摂ったが、妙な感じだった(^^;停電で仕事にならず、ただ雨を見ていた。降りしきる雨が滝のように流れ落ちる。音を立てて屋根を打ちつける。跳ね上がった雨滴が屋根の向こう側、白いラインになってボカシを描いていた。「雨の描く白いボカシライン」私の5年物のデジカメでも、かろうじて撮れた(^^驟雨(しゅうう)は夕立のことかな?日中の雨は、そう呼ばないのだろうか?家の前の坂道が雨で削られて土砂が落ちてしまい、午後には補修作業に出た。・・・ほんとに、文字通り土砂降りだった(--;
Aug 22, 2007
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19日、朝4時半起床。5時から集落各戸総出で神社の清掃作業。今夜は地区の宵祭り。50数戸のこの地区も2本のキリコを出して秋祭り(本来は秋に行われていた)。太鼓をたたいているのは息子。集落を練り歩いて終わるのが真夜中。父親はできるだけ負担の少ないキリコについて回っている(^^;今日は午後3時からお神輿が集落をくまなく運行。担ぎ手が少ないためキリコにも神輿にもタイヤを装着しているが、私にとってこの2日間は一年で一番早く起きて、一番歩いて、一番お日様に当たって、一番重いものを担ぐ日でもあった(^^;
Aug 20, 2007
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6月2日に漬け込んだアジのスシ。今年の猛暑の中で見事に発酵した。というより発酵し過ぎたかもしれない(^^;毎年、同じように漬け込んでも微妙に発酵の具合が違うのだった。金沢から能登に嫁いで来られた方に届けたら、丁寧なお礼状を頂いた。「ブルーチーズのようで ブルーチーズより数段美味しい。この地に住めばこその味。能登の魅力です。」と。明日はわが地区の夏祭り。来客の方には、この強烈な匂いのナレズシと、イシルの焼きお結びなどでお酒を飲んでもらう。この味・・・食べてみたい方はご自由に来てください(^^
Aug 18, 2007
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6月に取材された草木染め活動のテレビ放送が、夕方5時半過ぎに約6分間ほどあった。草木染教室のお婆ちゃんたちは、しっかりと能登弁で話してくれていた(^^放送後にさっそく電話で講習の依頼が2件。テレビの効果は大きいものだと改めて思う。そして友人から何件かのメールを頂いた。良い編集で、我が家の刻んだ染めの歴史がわかるという感想や、ナチュラルな感じで良かったというコメントを頂いた(^^そして、驚いたこと。私が25年前に勤めていた京都の染め工房のご主人から電話があった。「今日は家族で片山津温泉に来ているんやけど、夕方旅館に着いてテレビ点けたらな、能登の染めって言葉が聞こえたんや」えーーーーーーーーーーっ!なんという偶然!もちろん、私は事前に連絡していない。片山津に一泊旅行することも知らなかった。ローカル放送だから石川県にいないと絶対に見られない。しかも北陸朝日放送を今日のその時間に見る。この全てを結びつける確率は何パーセントなんだろう?!奇跡にも近いような偶然というものだ。番組は妻の草木染活動の紹介だったが、私も少しだけ映っていた。「いや~、久しぶりに顔を見た。貫禄が出てきたなぁ~」と。それって???・・・笑ってごまかすしかなかったが、5年ほど会っていないと変わるものだな、と(笑いや、どこが変わったかは言わない…(爆
Aug 16, 2007
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昨夜は地区のバーベキュー大会で、午後2時から準備に出かけた。まぁ、暑いことこの上なし。机などを運ぶと顔からポタポタと汗が流れた。昨年は座る席が足りなかったのでホームセンターから薄い畳を12畳買ってきて床面積25畳。テーブル20脚に座席を100人分以上用意した。毎年、お盆の13日の夜の恒例の会。6時半開始してすぐに座席が埋まり2時間以上満席状態が続いた。この地区50数世帯の集落に150人以上、のべ参加人数は不明?(^^;)青年団、壮年会、婦人会、みなが協力して準備する。仕事が終わって急いで準備に駆けつける人もいるのが嬉しい。私も用事を午前に済ませて駆けつけた。実は数年前、このイベントの言い出しっぺが私だったためにサボりたくてもサボれないのもある(笑)正直、足が痛くて辛かったので、片づけが一段落した9時半ごろにはバテて帰ってきた(^^;こうしたイベントは準備と片づけが重要で、わいわい楽しく世話をするのが良い。中心になっている青年団のメンバーが言う。「年寄り子供に喜んでもろたらエエがいね」と。そうした気持ちが準備するほうにも参加者にも伝わるものだと思う(^^そして口々に言うのだった。「どっから、こんだけの人ゃ集まってくるが?」「いつも、こんだけ人ゃおると、もっしょいぎけどな~」・・・お盆13日の夜ならではのことだった。
Aug 14, 2007
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お盆前、最後の仕事。真夏にふさわしい?麻ノレン「朝顔」(^^能登上布の帯やノレンを描き上げ納品のために中能登町の『能登上布会館』へ。蛇行する海岸沿いの道を走っていると車が多く、しかも前に40Km以下で走る軽四。う~~~約束の時間に着けないわ。イライラする気分にラジオから熱中症で亡くなった人のニュース。・・・思わず、休憩(^^;能登島のツインブリッジ。・・・気持ちよさそうにヨットが進んでいる。あまり長時間見とれているわけにもいかない。結局、約束の時間を大幅に越えてしまったm(__)m行きはまだ元気が残っていたが、帰りは道の駅で日陰に車を停め1時間以上も寝込んでしまった。しかし、この季節は車の中で寝るのもエアコンを切ったり付けたりの調節が難しくスッキリしなかった~。あぁ・・・今夜は思考力がない。早く寝よう(--;
Aug 12, 2007
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今日の暑さは、すごい!兵庫県豊岡市の最高気温38.6度、群馬県館林市で38.3度。東京・練馬区で37.6度、福岡県前原市37.6度、甲府市で37.3度、岐阜県白川町36.5度、・・・熱中症などの事故相次ぐ。我が家で34度程度。こういう日は家の中で仕事に限る。・・・納期切迫!!!(汗一見、印象だけは涼し気な麻ノレンにオニヤンマを描く。以前の日記に「次の機会にはもっと省略して描きたい」と書いたことがあるが、・・・まだ省略しきれない未熟者であった(--;この大きさの体型で軽やかに飛ぶことを表現するのは難しい。せめて気持ちの中で「もっと飛べ!」「空気をつかめ!」と叫んで描いてみた(笑・・・作者に似て重たいのが何匹か居るわ(--ゞ
Aug 11, 2007
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能登上布に蔦模様のノレンを描き終わったところに従姉妹の息子夫婦がやってきた。初盆のお参りに帰省したという。ワイワイ話をして帰った後、次に描く生地を並べたのだが・・・布目がわからない。描くとき布の表裏と生地の織り方向をそろえないとイケナイ。麻ノレンは特に生地自体に重さがあるから長期間吊り下げておくと生地のたるみが見えてくる。写真、生地の下の中央部分が両端より下がっている。これを間違えると裾がSを横にしたように波打って見苦しい。依頼主のほうは、余り気にしていないようなので、コチラがチェックする(^^;今日も暑い!冷房を掛けた仕事場に一日中篭る。冷房がないと仕事にならないが、足腰がガクガクしてくるし目がショボショボして生地の表裏を見抜けない(TT;)といって、パソコンに向かうとドライアイなのだった(--;
Aug 10, 2007
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3月25日の地震の後、4月8日に町議会議員の選挙があり立候補者は口々に「復興のために働かせてください」と言っていた。穴水町行政改革を応援する会では、町民の「議員アンケートをしたい」と言う声に基づいてアンケートを行い、今朝、その結果を新聞折込で町内全世帯に配布した。こちら12名の議員のうち4名から返信が来たのだが、たぶん、言わなくても皆は分かっていると思う。議員アンケートで問われていることは、「5項目の設問だけではない」、ということを。
Aug 9, 2007
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毎年、恒例になった『こどもエコロジーキャンプ』の生葉染め教室。今朝刈り取った藍の生葉をミキサーで粉々にした液で、絞りを施した木綿のハンカチを染めた。石川県内の小学生高学年の24人と手伝ってもらった大学生のスタッフ。子供たちは、穴水町にある農業体験のできる「四季の丘」(廃校になった小学校をリニューアルした自炊型宿泊交流施設)で、かぶとむし獲りやジャンボカボチャの提灯作り、きび団子づくりなどで2泊3日の農業体験をする。暑い一日、世話をする人は大変。学生は元気だが(^^私は進行のために、2時間ほど子供たちの周りを歩いただけで足が痛くなった・・・(^^;
Aug 8, 2007
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未体験の世界、未知の領域を思い描く。毎日新聞 特集能登・過疎に生きる:第2部・交通/4止 高齢者に好評、デマンドタクシー /石川かつて21世紀の姿を描くと、街はビルが立ち並び広い道路にキレイな家並みが整備されているはずだった。それは発達、発展という言葉であり、積極的な発想だった。だが、現実には想像を超えるような急激な過疎が進んでいる。5年ほど前に「能登の人口8万5000人は、20年後に半減する」という予想があったが、能登半島地震の後、転出が増え、あと10年で4万人になるという予想に変わったという。過疎集落の人が街中に移動する場合もあるが、それでも今よりも街中に人が増える予想は出来ないだろう。既存のイメージから抜け出せない。人も車も増えないのに、未だに大きなビルと広い道を希望する声もある。その工事によって街中にお金が動くことも事実。しかし、家並みが整備されて10年後広い道路になったとき、この町の人口は、交通量は、どれ程になっているのだろう?未知の領域、未体験のイメージを描くのは難しい。現実の中で新たな模索と柔軟な発想、新たな提案を繰り返して解決していくしかないのだと思った。そんな中で私が考えられるのは、ソフト面の新たなアイディアだけ。これなら、けっこうイメージを結べる。・・・実現するかは、別だが(^^;そんな話をした昨日。街からの帰り、スタンドに寄った。灯油@82円、ガソリンが@153円だった((@@))・・・既に未体験ゾーンに入っているような気がする~~(--;
Aug 7, 2007
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真夏の夜は、しみじみとした灯が心にしみる。能都町鵜川地区の縄文焼き(陶芸作品)に灯りが点された。携帯で灯りの写真を撮っても綺麗にならない。本当はもっとキレイ!(^^;私の夢というか、地域づくりでイメージを描いたのが、能登半島の波静かな湾の中で、こうした明かりが灯されると海に映って上下に2重になるの、綺麗だろうな~と想像したことがある。数年前、絶好のロケーションの地区の人にアイディアを持ちかけようとしたが「きっと意見を一致させるのが大変だと思うよ」と言われ「アンタ説得して世話する根性あるなら言ってみさっし」と。・・・提案するだけの根性がなかった私だった(笑地区に暮らす人が、自発的に努力を積み重ねて点す灯りが良いのだ(^^
Aug 6, 2007
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暑い!しかし、夏は暑いのが夏らしくて良い。ほどほどに季節らしいのがイイわ(笑こういう日は、1日中家にこもって仕事。というより盆前の追い込みで、もはやバテている(^^;が、このところ硬い話が続いたので今日は夏の色について。色っぽい話ではなく・・・染料の話(^^梅雨時から夏にかけては、色が長持ちしない。湿気が多いと腐ってカビも生える。薄い色には胡粉が入っているものも多く、更に腐りやすい。みょ~うな甘い香りがしてドロリとした感触になる(--;)もちろん防腐剤も入れているが、暑いので冷房を入れると染料の液自体の乾燥が早くなり色の濃度が変わる。毎朝、色の調整から始まるが、これがけっこう時間を費やすのだ。絹用の化学染料は水彩絵の具に似ている。しかし、使うときに混色することはめったになく、目的の色を必要な数だけ合わせるために色数が多くなる。これは着物の場合、特に合い口(身頃など縫い合わせ)の模様を同じ色にしないとイケナイ為でもある。ちょっと使う色が多すぎて混乱。ガスコンロの上は実際の生地に使った色を見本として乾燥させたもの。こうして残しておくと、万一腐っても、この見本と同じような色を再び合わせて作ることが出来る。・・・まだまだ色数は増える予定(笑暑い一日。めまいしそうな程の夏の色(^^;
Aug 5, 2007
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能登線。その苦い記憶久しぶりに能登線の写真のページを開いた。能登線の記憶 毎日新聞の特集、3回目は能登線の廃止によって減った旅行客。能登・過疎に生きる:第2部・交通/1 バス路線、提案も白紙 /石川 能登・過疎に生きる:第2部・交通/2 鉄道廃止で変わる通学環境 /石川能登・過疎に生きる:第2部・交通/3 能登線廃止で旅行者二の足 /石川↑こちら3が今日のネット配信分。廃線になる少し前。「存続運動」に参加しないか、と2ヶ所から呼びかけられた。私は参加できなかった。気持ちが動かなかった。能登線の列車の写真を撮り始めたのは赤字廃線の声が聞こえ始めた頃だった。列車内に動くギャラリーを提案したのは国鉄能登線の時代、1986年の頃。そういった提案には反応も無く実現しなかった。のと鉄道時代。真冬の寒い朝、病院へ通う母は、降りしきる雪の中、6時の上り一番列車に乗るために前波駅に行っていた。8時近くになり、その母が家に帰ってきた。どうしたのか?と尋ねたら汽車が来ないから帰ってきたという。雪の重さで倒れた木々によって列車は不通になった。暖房の無い無人駅に1時間以上も老人子供たちは列車の来るのを待っていた。その間、何の連絡も無かったのだ。私の中に怒りがこみ上げてきた。のと鉄道と穴水町役場に電話を掛けた。屋外防災無線機で不通になったことの放送さえ無かったのだ。知り合いの町議に事の次第を話した。「鉄道と町と連絡を密にして放送で流してください」と。それだけだった。次に台風が来て不通になったときも、同じく雪で不通になっても迅速な放送や連絡が出来ていたとは思えなかった。2004年4月28日。我が家に染めの講習に来たお客さんが門前の総持寺に行きたいと言った。我が家の近くの駅で列車に乗り穴水町へ行き門前行きのバスに乗り換えなければならない。時刻表を見たら穴水駅に列車の到着の時間が11時50分。バスの発車時間が11時50分だった。・・・愕然とした。私はお客さんを穴水駅まで車で送りバスに乗ってもらった。その足でのと鉄道の事務所の駅員に時刻表の矛盾を話した。「バスは別会社です」と応えた。ムッときた。当時、私は「穴水門前合併協議会」の委員だった。言いたくはなかったけれど、その旨を伝えると駅長室に通されて丁寧な扱いを受けたが、バスのダイヤ改正には時間がかかるといわれた。輪島まで列車が走っていた頃。この地から輪島高校へ通う生徒も居た。だが、あるときのダイヤ改正で生徒の乗った列車が穴水駅に着いた時間には輪島行きが既に出発して次の列車を待たなければならない時刻割りになった。さすがに苦情続出で直ぐに再改正になったが。ほどなく輪島行きのレールは廃止になり、2005年3月末、のと鉄道・穴水蛸島間は廃止された。能登線にまつわる記憶が甦る。結局、私の中に「存続」のために動こうという気持ちは湧いてこなかった。正直、このやる気のなさで存続しても無駄だとさえ思えた。日本全国には赤字のレールを復興させた例も聞いていた。民間から社長を募って経営改善を実現した話も聞いていた。存続させる方法はあったのかもしれない。しかし能登の自治体はすんなりと廃止を受け入れ存続の動きは大きな広がりにはならなかった。「失くしてからしか、その大切さは分からないもの」だと言えるけれど、能登の多くの人々は「あたわり」として受け入れ「絶対になくしてはイケナイ」という強い気持ちがなかったのだと思う。もちろん私も含めてだ。誰の言葉だったか忘れたが「気持ちまで過疎にしないで」という言葉が、私の中で空しく響いていた。能登線の写真は懐かしいけれど、こうした苦々しい記憶も沢山思い出されてしまうのだった。
Aug 4, 2007
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私の日記の『僻地話』は、大げさに書いていると思う人も居るかもしれない。という人に、毎日新聞の特集能登・過疎に生きる:第2部・交通/1 バス路線、提案も白紙 /石川 能登・過疎に生きる:第2部・交通/2 鉄道廃止で変わる通学環境 /石川↑こちら2が今日のネット配信分。とうわけで、今日は私が思う「町へ引越しする理由」過疎地の暮らしにくさには色々ある。ふるさと志向、田舎暮らし、団塊の世代、UIJターンなどなど言われながら、今一つ大きな動きにならないことの理由は、田舎の古い慣習や人付き合いの煩わしさも、その一つかもしれない。しかし、若い人が田舎を捨てる理由は、田舎が好きでも、あまりにも都合が悪い事が多すぎるから。過疎地の集落では学校の統廃合が進み、子供は町まで時間をかけて通わなければならない。子供の通学費、町まで2人分だと1ヶ月=4万円。親の通勤費、町まで1ヶ月3万円×夫婦2人分=6万円合計で月々10万円。この金額だと街中で家を借りた家賃より高いし、または家を建ててローンを組む選択がある。実は子供の通学費はそれだけではない。塾やプール、ピアノなど習い事も町中が多いから、時には送迎が必要になる。共働きの夫婦にとって、この送迎のリスクは大きい。親が送り迎えできる家庭は恵まれているのだ。街中に引っ越したほうが親にとっても余分な送迎代と時間が必要ない。何よりも精神的に楽になる。子供にとっては、海と山がいっぱいの自然があっても周囲に同級生も友達も殆ど居ない地域、通学にも都合悪いし、遊ぶところも何もないし、つまらない場所であるだろうと思う。子供を育てる環境ではないと、言い切る人もいる。「町へ引越しする理由」・・・「教育環境の悪さ」。集落から若い親が減る。言うまでもないことだが、限界集落へと更に一歩進む。それでも、ここに暮らしているんだよな~(^^;
Aug 3, 2007
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過疎地に暮らす人の「人間の権利は?」どこまで認めてもらえるのか?私の日記の中で度々話題にすることだが。●選挙の投票権利●教育を受ける権利●医療を受ける権利この3つの大きな権利を手に入れるために、同じ日本人でありながら過疎地に暮らす人々は時間を惜しむことなく、出費を多くしてでも、自ら努力しなければならない、という話。毎日新聞大阪本社版7月28日のトップ紙面に、「限界集落 投票所消えた」という記事が載っていた。石川県では投票所の数が04年の参院選から27箇所減った。宝達志水町(ほうだつしみずちょう)の富山県との境にある沢川(そうご)地区も4月の県議選で地区の投票所が無くなり、車で25分かかる場所に変更された。そこは沢川地区からバス路線が無い場所だ。在住の90歳の男性は27日に1時間近く費やして隣の富山県の高岡市で期日前投票を行った。我が家の隣町の猪平(いのひら)地区は32世帯。住民は68人で平均年齢は68歳。05年から地区の投票所は無くなり4km離れた場所になった。そこへ行くにはバス路線も無く、高齢者家庭で車の無い家が7軒。住民から集めた区費でバスを借りて投票所へ行くのだという。能登の言葉に「土地貧乏」というのがある(土地転がしで貧乏になった意味ではない)。「生活に都合の悪い土地に暮らしていること自体が貧乏」という意味。そして、「わしらの“あたわり”やわいね」と諦めにも似た言葉が出てしまう。過疎地に暮らす人の宿命なのかもしれないが、単に地域格差という言葉だけで済まされないような気がする。最近の10年間くらいか、いや市町村合併、三位一体、地方交付税の見直しで、自治体の財政難から、こうした住民サービスの経費が削減されていく。過疎地の小さな集落は【限界集落】と呼ばれているけれど、自治体の努力が足りない部分はあるけれど、こういうことって、果たして自治体(役場)と住民の努力だけで解決できるのだろうか?【限界集落】自治体総人口の過半数を65歳以上が占める状態を「限界自治体」。この割合の「限界集落」は急激に増えている。国土交通省の「過疎地域等における集落の状況に関するアンケート調査」調査基準2006年4月、2007年1月中間報告では、全国62,271集落のうち高齢者(65歳以上)が半数以上の集落が7873地区(12.6%)10年以内に消滅の可能性のある集落が422集落いずれ消滅の可能性のある集落が2219集落、合計で2641集落と言われる。参考「努力しても限界が来てしまった集落」という意味か?「限界集落」、その先は「消滅する集落」となる(--;我が家から救急車を呼んで病院へ入るのに1時間必要で、学校が統合されて通学にも不便。私の暮らす集落も、そろそろ限界集落・・・。●選挙の投票権●教育を受ける権利●医療を受ける権利こうした3点の大きな権利を、国民全てに、平等に補償できない国というのは、「まともな国」と言えるのだろうか?などと、選挙の度に思うのだった。そして、こちら、毎日新聞 石川版「能登町猪平地区」について詳しい記事が載っている。能登・過疎に生きる:第2部・交通/1 バス路線、提案も白紙 /石川実は能登町猪平地区は私のお婆さんの生まれ育った地区なのだ(^^;
Aug 2, 2007
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