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来年まで待てなくなってグラブマンの燃料コックを取り外してみた。ナットを緩めて引っ張ると、ストレーナーがタンクの中へ残ったままになってしまった。古いバイクは必ずと言っていいほどこうなるので、別に慌てたりはしない。通常ならラジオペンチの先などで引っ張るとタンクから抜けてくるのだが、このストレーナーは頑固である。5センチ程抜けてからその後が抜けてこない。ペンチを持ち出してストレーナーが千切れるほど力を入れて引っ張っても抜けない。ストレーナーの材質はビニールのような物で、突起のような物も無い筈なのに何故か抜けない。途中で千切れるのを覚悟で精密ドライバーでこじりながら引っ張ったらボロボロになってやっと抜けた。ストレーナーをじっくり観察するが、普通のストレーナーだ、何処が引っ掛かっていたのだろうか。未だに分からない。コックからタンク内に延びる燃料パイプもかなり不純物が付着して汚れていたので、掃除してやろうと摘んで引っ張ったら途中で砕けた。「やっちまった。」と思ったがもう遅い。プラのパイプはガソリンでかなり劣化していたのであろう。何でも新しい型はこの部分が金属製に変更になっているらしいが、単体では入手できない。ストレーナーはOリングとセットで販売されているので、HONDAに注文するとして、このパイプは代用品を探すしかない。ホームセンターに行ったついでに物色してみたら直径5ミリ/1m長の銅製パイプがあったので購入した。プラの壊れたパイプの直径は5.3ミリなので、セメダインを塗って挿し込めば何とかなりそうである。セメダインはガソリンに溶けるのかな?引っ張れど引っ張れど出て来ないストレーナー無理矢理引っ張り出してボロボロになったストレーナー壊れた燃料パイプとホームセンターで買った銅パイプ
2015.11.27
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何年か前、刈払機を買うにあたって相談してきた人が3人いた。2サイクル嫌いでHONDA好きの私は迷うことなく「HONDAを買いなさい、でも高いよ」とアドバイスしたら、ほんとにHONDAを買った珍しい人の1人である。その刈払機が動かなくなったというので預かった。早速分解にかかる。それにしても汚い外観である。ヘッドからシリンダ、クランクケースまでオイルと砂でベトベト、ドロドロ。(写真1)キャブやマフラーなど補機類を全て外しガソリンとクリーナーで掃除、ともかくベトベト、ドロドロを取り除く。刈払機の点火はマグネトーで、冷却ファンの外周に付いている磁石が点火コイルの下を横切ることで高圧を発生、点火している。この磁石回りのあまりの汚れで点火しなくなっていたようだ。とにかく汚れを取り除きプラグに火が飛ぶかを確かめる。プラグを外しシリンダの上に置いてスターターのひもを引っ張ると、最初は飛んでいなかった火が飛ぶようになった。小さなHONDAのエンジンはOHC、バルブはコグドベルトで駆動している。刈払機如きに何でこのような機構を、と感心することしきり。次はキャブレターだ。さすがにゴム部品は硬化していて動きが悪い。この刈払機は私自身の所持している機械と同じなのでキャブ関係の消耗パーツは所持している。今回の交換部品はこれ。(写真2)他にもホースやストレーナなどを交換してエンジンは快調に動くようになった。ついでにギヤボックスのグリスでも補充しておこうかと回転刃を外すとなにやらギヤボックスの動きがおかしい。ゴリゴリするし時々ギアが飛ぶような動きをする。ギヤボックスはパーツリストで見るとアッセンブリーだ。ベアリングやギア単体で交換できるようになっていなくて1個7500円くらいする。パーツ番号で行きつけのバイク屋に注文、土日と東京行きを挟んだので5日目に取りに行った。(写真3)この部品を交換するのは初めてだが交換自体は簡単。教材が手に入ったので向学のため、ばらせないギアボックスをばらしてみる。スナップリング2つを外し、ほんとはプーラーが必要だが、機構を確かめながらアタマを使ってシャフトを引き抜くとベアリングとギアが出てきた。よく見ると小さいながらもハイポイドギアだ。案の定ギアはすり減り、ベアリングはガタガタ。(写真4と5)薄くすり減ったギアが分かるだろうか。グリスさえ切らさなければこんなにはならない。日頃のメンテナンスの重要性を思い知らされた修理だった。と一つ直したらまた別の刈払機が修理に来た。ン?kawasakiのエンジンって、初めてだ。(藤)写真1写真2写真3写真4写真5
2015.11.24
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福さんからツーリングのお誘いがあった。今回は福さんが行ったことがないという島根県の三瓶山だ。17日の予定であったが、雨天との予報により20日に延期され、満を持してのリベンジツーリングとなった。山陽道道口PAに5分前の8時5分に到着。ディアベルとファットボーイは既に到着し、タバコを吹かしている。ストリートトリプルはここに間に合わない場合は、現地で合流となる模様。朝の山陽道は車が多く、福山あたりまでは、制限速度で安全運転だ。尾道から無料区間の尾道道に入る。三次までは尾道道三次から宍道までは松江道と言う。2線合わせ「やまなみ街道」と呼ばれている。これは、瀬戸内海の島々を渡る「しまなみ街道」に対しての呼び名である。今回は、尾道道を三次東ICで降りてR375を走る予定である。尾道道の無料は有り難いのだが、片側1車線なので遅い車がいても追い越しが出来ないのが鬱陶しい。三次に近づくにつれて気温が下がり始めた。V7ドンキーには温度計が装備されているので、体感と合わせて服装の参考となるのは有り難い。トンネルの中は20度近くあるのに、トンネルを出ると12度ほどに下がるのだ。前回、三次を走った時にも天気が悪く寒かったのを思い出す。三次は盆地なので、霧が発生しやすく、昼頃にならないと太陽が上がって来ないので寒いのだろう。たまらず三次のコンビニに寄って、熱いココアで体を温める。R375は今回も拡幅工事中であった。そのため、大型車がいなくて工事場所以外は快適に走れる。江の川沿いに走る三江線を対岸に見ながら色づいた山々の間を走るのは気持ちが良い。邑智で県道40号に分岐三瓶山を目指す。三瓶高原道路に入ると、紅葉の名残が美しい。高原に出るとススキ原が晩秋を想わせる。昼前には三瓶バーガーにありつく。ここで、ディアベルに試乗してみる。低いシートはコックピットに潜り込むと言うような感じで、安心感はあるが、カーブの多い山道を右に左にヒラヒラと体勢を変えるには向いていないような....。しかし、何のストレスもなく大きな車体を押し出す図太いトルクは圧巻である。次はファットボーイである。これもシートは低く、大きなハンドルと粘るエンジンは以外とマイルドな感じである。一番の違和感は足の位置がバックステップのV7ドンキーと真逆で前に放り出した感覚の乗車姿勢である。これは慣れが必要であるが、高速道路などでは良いのかも知れない。試乗会の後は、向かいの三瓶自然館サヒメルで巨大地底林などの見学後、帰路につく。三瓶高原道路から県道40号を通り今度はR54を経由し、松江道吉田掛合ICから一気に南下する。山陽道福山西SAで最後の休憩の予定であったが、ファットボーイが何時まで待っても来ない。どうやら、見落としで通過したようである。その後もとうとう会えずに自然散会となってしまった。晩秋の三瓶山は初めてであったが、この時期も良いものである。R375脇のイチョウ三瓶バーガー三瓶山3台揃い踏み/奥はサニークーペGX
2015.11.22
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下町ロケットの録画を見ていたら、藤さんから電話が掛かってきた。何でも不要になったGB250クラブマンが近くのバイク屋に置いてあるのだが「いらないか」と言う内容だった。状態が分からないので、タダなら貰う。(即答)と言う事で話しがついた。程なくしてメールと写真が送られて来た。メールにはリアシートと廃車証明は後で届く事になっている。右サイドカバーは欠品と書かれていた。写真で見る限り、酷いサビも見当たらず、スポークも綺麗だ。デジカメで撮った写真は実際よりも綺麗に見えるが、その事を差し引いても悪くない車体である。写真を頼りに色々と調べてみたら、このバイクは昭和58年(1983)発売の初期型で7型までモデルチェンジを繰り返しながら平成9年(1997)まで発売された息の長いバイクのようである。クラブマンの初期型が発売された頃はVT250ZとTLR200を所有していた。この頃の250ccバイクは40psのスペックを誇っており、クラブマンの30psは見劣りするかも知れないが、それでも単気筒で30psは立派なものだ。ヤマハSR400の27ps、初期型V7レーサー750の40psと比較すると驚異的な数字である。その理由は10,000回転まで回る単気筒のDOHC化にある。また、燃焼効率と吸排気効率を大幅に向上させるためバルブを放射状に配置するRFVC(Radial Four Valve Combustion Chamber)が搭載されているが、初期型はカムシャフトが弱いらしい。初期型の特徴は低速用と高速用のツインキャブ仕様、マフラーも左右に2本出し、タンクのHONDAウイングのデカール、小径穴無しディスクローター、HONDA製キャリパー等のようである。2型からシングルキャブとなりマフラーも1本出しとなったため、初期型の人気が高いそうである。当時、スーパースポーツバイクが君臨する中で、クラッシックカフェスタイルのクラブマンは却って新鮮であり、乗って見たいバイクの1つであった。欲を言えば馬力は低くて良いので整備性の良いOHV、無理ならせめてOHCエンジン搭載モデルを併売して欲しかった。でも、当時はそれでは売れないか.....。バイク屋に何時までも置いておけないのでと言う事で、月曜日の夕刻、藤さんがアクティーに乗せて運んで来てくれた。フロントブレーキの固着により、キャリパーを外しているので、2人掛かりで慎重に降ろした。外観を一回り見たが、倉庫内のような所で保管されていたと思われ、想像していたよりもかなり綺麗である。欠品は右側のサイドカバーのみで部品は殆ど揃っているし、キーもある。走行はメーター読みで13,000kmほど。フレームはサビも無く塗装も痛んでいない。タンクの中は真っ赤に錆びているものの、外観は傷も凹みも錆もなく綺麗なままだ。ウインカーは社外品が付いているようだが、小振りな物で好感がもてる。これはかなり上物である。藤さんからちょっと早いお年玉をいただいた気分である。これで来年は良い正月を迎えられる事は確実である。そして来年はこいつを仕上げる楽しみがまた1つ増えた。あまりの昂揚気分で来年まで待てないかも.....。
2015.11.20
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最近はセンタースタンドが付いていないバイクが多く見受けられる。軽量化、コストダウン、マフラーの取り回し、スタイルなどなど理由はあると思うのだが、メンテやオイル交換をする時などはやはりビシッと垂直に立つバイクは有り難い。V7ドンキーもご多分に漏れずセンタースタンドが付いていないが、オプション(約27,000円)で設定があるものの、純正マフラーの車体でないと取り付けできないようである。残念ながらV7ドンキーは既にマフラーをアゴスチーニに交換しているので、当然センタースタンドは取り付け不可だ。ところが、バイク屋の主人が言うには、「ピアジオからセンタースタンドの代わりになるメンテナンスジャッキが発売されたので、2台ほど注文していたら届いたので見においで。」と連絡があった。どんな物か早速見に行ったら、メンテナンスジャッキは主人の勘違いで、ジャッキではなく、ジャッキに取り付けるアダプターであった。国内一流メーカーの興和精器製で、センタースタンドを取り付けるフレームの左右を繋ぐパイプに丁度架かるように高さと幅を調節し、動かないように溶接されたアダプターであった。このアダプターはアストロプロダクツなどが販売している汎用のモーターサイクルジャッキにピッタリ合うように作られているので、ジャッキを持っていない人はジャッキの購入も必要になる。触ってみたが、興和精器の製作だけあって品質は良いのだが、値段が純正のセンタースタンドと同じらしい。数が出ない物とは言えジャッキはアストロの特売で5,700円で購入している。どう見ても高い。主人には申し訳ないが、アダプターを作った方がかなり安上がりだ。早速、ネットで調べてみたら、アストロにモーターサイクルジャッキ用のV字アダプターが存在する事が分かった。早速、倉敷のアストロに電話して在庫の確認をして貰う。1時間程で連絡があり、「全店に問い合わせをしたが、この商品は既に廃番となっており、在庫は何処にも無い。」との回答であった。ウーン残念。無念。諦め切れずに更にネットで検索すると、DeNAショッピングで在庫があった。税込み1,004円、送料が800円だったが、この際仕方ない。新潟のホンダウォークから送られて来た。モーターサイクルジャッキからL字アダプターを外して、V字アダプターを取り付ける。V7ドンキーのフレームパイプに傷防止の為にゴムパイプを取り付けた後、高さと幅を合わせてセットし、持ち上げてみる。ジャッキのハンドルは重くて回せないので、ラチェットを使ってリアタイヤが浮くまで車体を上げてみる。車体を左右に揺らしてみたが、直ぐにバランスを崩すような事はない。センタースタンドの方が安心感があるが、軽いメンテくらいなら大丈夫だろう。興和精器製のV7用アダプターV字アダプターモーターサイクルジャッキに装着したV字アダプターとL字アダプターバイクを持ち上げた状態のジャッキ
2015.11.18
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パナソニックのウェアラブルカメラでバイクからの撮影は、ヘッドマウントを首に掛けて行っていたが、画像が傾く事がままあるので、トライポッドマウントにカメラを取り付け、更にカメラ用クランプでバイクに取り付けて見ることにした。パナソニックのHX-A100/A500のトライポッドマウントは3,900円と高価である。カメラを挿し込むだけのプラスチックの小さなマウントが4,000円近くするのは納得できない。他を探してみたら、レックマウントから同じ物が出ていた。panasonicの文字が無いだけで税込み1,296円である。この辺りが適正な価格だと思われる。裏側には三脚取り付け用のネジが切ってあるので、手持ちのカメラの雲台クランプに取り付け、クランプごとバイクのミラーロッドに取り付けてみた。SLIK(スリック)社の雲台クランプ/ロアー2は少し大きいが3kgまでの機材が取り付け可能とあって、シッカリしている。レックマウントのトライポッドマウントミラーロッドに取り付けたトライポッドマウント
2015.11.16
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最近は仕事と荷物の運搬以外は工作車を使わずにフィットRSに乗る機会が多い。高速から狭路に至るまでストレス無く走る事ができるので、ついつい乗ってしまうのだ。そのお蔭で距離が出るのでタイヤの摩耗も早い。スーパーの駐車場で減り具合を見てみたら、フロントサイドの溝が殆ど無くなっており、スリップサインも見えだしている。リアはサイドは溝がまだ少し残っている。車検は来年2月なので、その時まで我慢する事にして、ここはローテーションで急場を凌ぐ事にした。車の場合前後のタイヤを入れ替えるには、前後共同時にジャッキアップする必要があるので、2つのジャッキが必要である。フィット用はトランクの底から出すのがめんどくさいのでテラノ用とトッポ用を使用する事にした。車を持ち上げる前に電動インパクトでナットを少し緩めておく。ホイールを外してみると、デザイン的に狭まっている所にディスクブレーキのカスが溜まって赤黒く変色していたので、洗剤と歯ブラシで掃除を行う。ついでに、タイヤも洗って磨いておく。RSのタイヤはダンロップルマン185/55R16/83Vという扁平タイヤが純正で装着されている。あまり使われていないサイズらしく、店頭に置いているのを見たことは一度もない。従って高価なのが玉に瑕である。ホイールとタイヤを洗いながらの作業となったので、1時間程かかったが、これで2月まで何とかなるだろう。前後のホイールを外したフィットリアへ移したサイドが摩耗したタイヤ
2015.11.13
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公安委員会から「運転免許証更新のお知らせ」が届いた。以前はこんなサービスなど無く、うっかり更新を忘れたら、免許証が無効となっていた。お知らせを始めたのは更新期間が3年から5年に延びたのも要因かも知れないが、忘れずに済むので有り難い事である。親展ハガキを開いてみると誕生日の前後1ヶ月、つまり更新手続きは2ヶ月間の内に済ませれば良い事になっている。書かれている内容を順に読んで行くと、違反者運転講習2時間となっている。確か5年前に違反者講習を受けて、5年後の更新の日まで無事故、無違反ならゴールド免許に復帰できるので、慎重に運転しようと心に決めた矢先、米子ICにて後部座席シートベルト非着用で捕まった。警官から反則金はありませんので、点数1点だけですから。と言われたが、反則金にして貰った方が何十倍も有り難かったのですが....。それから、ハガキにはご丁寧に平成24年9月の最終違反歴も記されている。大阪で知らずに一方通行道路に浸入してしまって捕まった。違反はこの2件だけである。しかし、前回は違反者運転講習は確か1時間だった筈なのに、どうして今回は2時間になるのだろうかと思い調べてみたら、過去5年間に軽微な違反が1回のみの場合は1時間講習で、免許の色は青色。有効期間は5年。2回以上又は6点以上の違反があった場合は2時間講習になり、免許の色は青色で有効期間は3年となるらしい。ここで疑問が出て来た。ゴールド免許になるには更新時において、過去5年間の無事故、無違反が要求される。直近の違反は平成24年9月だから、3年先、つまり平成30年の誕生日の41日前まで違反や事故がなければ、ゴールド免許になれるのである。ところがである。今回もし違反が1回だけだったら、有効期間は3年から5年に伸びるので、平成32年の誕生日の41日前まで違反や事故がなければやっとゴールド免許になれるのである。違反が少ない人より、多い人の方がゴールド免許を手にするのが早くなる逆進性が生じるのである。違反が2回以上の人のリスクは更新手数料が550円高くなるのと、違反者講習時間が1時間多くなるだけである。逆にメリットは違反が1回の人より2年早くゴールド免許を手にする事ができる。この事によって、任意保険のゴールド免許割引の適用を受ける事ができる。頭の良い官僚の皆さんが作った法令とは思えないズサンなものである。免許更新時の誕生日の41日以前までに違反が1回の人は是非、警察署の前でシートベルトを締めずに車に乗ってわざと捕まえて貰えば反則金無しの違反2回以上となり、3年後にはゴールドです。取り敢えず今回は違反が2回なので3年間無事故無違反なら、平成30年にはめでたくゴールド免許となるのだ。免許更新時に警察で「違反が多くてラッキーでした。」と言ってやろう。公安委員会から届いた「運転免許証更新のお知らせ」
2015.11.11
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「ノスタルジックカーフェスティバルin岡山2015」がコンベックス岡山にやって来た。土曜日の午後は何故か空いていたので、仕事の合間に写真屋を誘おうと電話したら、ホームセンターで豆電球を探している最中だった。何でも3台目のCB750のエンジンが4発揃って仕事をしないので、点火タイミング調製するために、自作の計測器を作ろうと物色中だとか。朝から仕事もせずにバイク修理に没頭するあたり、良く似た同じ年のオジンである。昼飯のオープンサンドを食べてサスペンスを見ていたら、CB独特の排気音が聞こえて来た。2台目の赤いCB750/K1に乗って写真屋がやって来た。フロントタイヤを新品にしている。手こずるようならレスキューに行こうかと行っておいたのだが、どうやら一人で頑張ったようである。コンベックスは直ぐそこではあるが、天気も何とかもちそうなので、V7ドンキーを引っ張り出して2台で行く事にした。1キロも走らない内にCBが付いて来なくなった。何処かが壊れたのかと思い引き返すと、スピードメーターケーブルがハブから抜けてブラブラになっていた。ケーブルを留めるビスの締め忘れであった。コンベックスの中の二輪専用駐車場に駐車する。車だと駐車場からかなり歩く必要があるので、こういう時にはバイクが便利だ。1,500円の入場料を払って入場すると、外車や国産の旧車が展示ホール一杯に並べてある。最初に目を引いたのが、TOYOTA2000GTだ。シルバーに塗り替えられた車体は美しく光っている。ライトが小さいので前期型であろうか。恐らく数千万円はするだろう。(TOYOTA2000GT)次に登場したのがスカイライン3兄弟だ。ハコスカGTRとケンメリGTRとスカラインRS。しかし何と言ってもハコスカであろう。シルバーの角張ったボディーに流れるようなライン。GTRだけの大きく抉られたタイヤハウジングに黒いオーバーフェンダー。リアガラスに熱線も無い。ホイールはお決まりのワタナベ。直列6気筒のDOHCは160PS/7,000rpmを絞り出す。当時としては突出した出力だ。このエンジンにはウェーバーの三連装が奢られる。6気筒は今となってはV6となってしまって、見ることが出来なくなった。当時の直6エンジンは何とも美しい。このエンジンを積むにはどうしてもボンネットが長いロングノーズの車体が必要である。今、見てもこれほど美しい車体の車はそうそう無いと思う。ニッサンの作った傑作であろう。(ハコスカGTR)(ハコスカGTRオーバーフェンダー)(ハコスカGTRエンジンルーム)(ハコスカGTRテール)(ケンメリテール)(ケンメリエンジンルーム)次はサニー1200GXクーペB110だ。今でもレースで活躍している名車である。OHV直列4気筒にSUツインキャブを搭載したスポーツモデルである。このエンジンはOHVでありながら良く回る。ヘッドカバーが青色の鉄製であったと記憶している。その後1400も出たが、やはりサニーは1200だろう。(サニー1200GXクーペ)次はセリカ1600GTVだ。初代セリカでダルマセリカと呼ばれていた。後にリフトバックが追加されたが、ダルマは根強い人気があった。2T-G型DOHCは115PS/6,400rpmのスペックだ。この当時はまだツインカムエンジンのシリンダーから上はヤマハ製を使っている。TOYOTA2000GTもヤマハ製だし、クラウンにもヤマハ製を使っていた。GTVの2T-Gエンジンの音は何とも迫力があり、痺れる音であった。このオーナーは20代で新車を購入後40年間乗り続けているとの事。奥さんは「こんなボロ車、早く始末してくれ」と言っているようであるが、女子供には、この貴重なGTVの良さが分からぬのであろう。たわけ者めが...。(セリカ1600GTV)次はマツダの誇るロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツだ。不可能とまで言われたアスペックシールの製作に成功して、初めてロータリーエンジンを搭載した市販車としてコスモスポーツはデビューした。ロータリーエンジンの滑らかな加速を味わうと、幾ら燃費が悪くても他の車に乗り換えられず、マツダ地獄に陥る人が沢山いたようである。因みに海外での名前でRX-2がカペラ、RX-3がサバンナ、RX-4がルーチェ、RX-5がコスモAPそれとRX-7、RX-8何れの車もロータリー仕様があった。速かったのはファミリアロータリークーペ。コスモAPのロータリーは絶品であった。(コスモスポーツ)(コスモスポーツ/フロントエンブレム)マツダマークが懐かしい(コスモスポーツエンジンルーム)他にもブルーバード、ベレットなどの国産車やカウンタックLP400やムスタングなどの外車と少数のバイクがあったが、バイクに至ってはハーレーの旧車以外は新しいものばかりであったので、ザッと見て会場を後にした。ドレミコレクションから出品されたZ1/フルレストアでピカピカだ。駐車場で、V7ドンキーから工具を出してCBのメーターケーブルを締め直していると、入場者が「おっ。CB750だ。」と言っては見学に寄ってくる。バイクに限ってはこちらの方が集客力が上だ。
2015.11.09
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フロントフォークブーツ最初に気になったのがこの部分の破れであった。ストロークも短いためブーツも短いのだが、鉛筆のように細いインナー(8ミリ)とアウター(33ミリ)を繋ぐブーツは特異過ぎて純正以外には手に入らない事は容易に判断できる。そのブーツは左右共破れて千切れている。HONDAに問い合わせて貰ったら、既に廃番との事。これは困った。リアブレーキレバーハンドル左のこのレバーは灰色のビニールテープでミイラのようにグルグル巻きにされている。どうやら曲がりがあるだけではないようである、ビニールテープを剥がしてしまって確認するのが怖いような....。リアキャリア赤サビがメッキにかなり浸食している。磨いただけでは無理であろう。逆にメッキを剥がして塗装した方が良いだろう。メッキを剥がすのが大変だ。ハンドルスイッチ幸いスイッチ類の破損は無いようだ。作動も大丈夫である。昭和生まれのこのバイクで感心したのは、スイッチホルダーが左右共アルミを使用している事である。アルミは質感があって錆びないのがよろしい。タイヤ前後共2.75-10規格のタイヤが入っているが、摩耗してヒビ割れている。これは前後共要交換である。幸い、この規格のタイヤはまだ発売されているので入手可能である。メーター50ccのオドメーターは殆ど4桁メーターとなっていて、1万キロで1回転して0に戻ってしまう。従って表示されている4105kmはそのまま信じることはできないであろう。外装樹脂の外装は見た限り黄色が抜けて白っぽくなっている以外は割れや欠けはないのが救いだ。外してみないと分からないが、PPとABSの混合だろうか。再塗装しかないであろう。30年を過ぎているとは言え、ビンテージとはならず、ヤフオクで1万円前後で取引されているスクーターなので、金はかけたくない。なるべく現状のままで化粧直しをしたいところであるが、さてどうするかなぁ。越年して考える事にしよう。
2015.11.07
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さて次の日、名誉社長と新社長のお祝いの会だ。名誉社長は私より14歳年上で、当時の上司。入社したばかりの若造は上司に逆らえる立場ではなく、言われるままに仕事をこなす。しかしながら当時教えてもらったことは今の仕事の基礎になり、役立っていることは言うまでもない。上司はその後ポストが上がりやがて社長に。更に兵庫県の業界長にもなる。なかなか交替の遅い業界においてポストにしがみつくことなく今春突然引退を発表、全ての役職から退いた。なぜ突然、と思うがこの方は自分で定年年齢を決めていたようで、自身の誕生日前日にスパッと全職辞めてしまったのである。予告されていたわけではないので残された者は困るが、この方の哲学なのであろう。挨拶回りを済ませ社に戻ることなくそのまま電車で自宅へ帰ったという。普通なら自社前で女子社員から花束なんぞを受け取って、拍手で社員に見送られ・・・なのだが、エッ、そのまま電車で帰っちゃったの、てなもんで徹底している。あっぱれとしか言いようがない。見習いたいものだ。お祝いの会は昼前から延々17時頃まで続き、そろそろ帰らねば、と神戸を後にしたのは18時半頃。日もとっぷりと暮れた第二神明、加古川バイパス、姫路バイパス、太子竜野バイパスと快調に走り、夜帰還お決まりの国道2号線を岡山に向かってひた走る。エンジンは快調だが、昨日から気になっていたクラッチの切れの悪さがだんだんひどくなってきた。BMW/6シリーズはクラッチがとても重たい。長く運転していると左手が疲れ、クラッチ操作が荒くなる。シフトダウンの時なんかは下手に繋ぐと後輪がスリップする時もある。そのためずいぶん前にクラッチ操作を軽くする部品を付けた。これはミッション後部のクラッチレバーを延長するもので、操作が3分の2位に軽くなる。今回はシフトが重くニュートラルが出にくい症状、クラッチが完全に切れていないようだ。左手レバー根元のクラッチワイヤー長さ調整のネジ部品を操作するとしばらく調子が良いがだんだん悪くなり、走りながらまた調整を繰り返す。どうもこの部品が悪さをしているのでは、と想像しながら走る。船坂峠あたりはさすがに寒いものの、特に上に着重ねることもなく22時過ぎに我が家に帰った。帰ってこの部品を取り外してみた。(写真1)この四角の部分がレバー先端の中に入りレバーを延長しているのだが、そこが切れて伸びている。(写真2)そのためレバー自体がだんだん前の方に曲がった状態になり、切れなくなったのだ。切れたところを溶接せねば、と2日にいつものバイク屋に持っていき溶接してもらった。(写真3)取り付けたところを下から撮るとこんなかんじ。(写真4)これで直るはずだが、最後は走ってみないと分からない。(藤)写真1写真2写真3写真4
2015.11.05
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太さんの新車グッチを見ていて思い出した。私が神戸にいた頃、神戸サイドカークラブに入っていた。当時の会長が古いグッチにのっていたなぁ、なんだったけ、と昔の記憶の引き出しをこじ開けて埃を払ってみた。そうだたしかV7スペシャルだ。これは太さんに見せてあげなければ、と声をかけた次第である。10月30日は、神戸時代に務めていたところの社長が名誉社長になり引退、副社長が社長に昇格、そのお祝いの会の日である。ひょっと前日からバイクで行けないかと太さんの予定を尋ねたら幸い予定が無いというので一緒できることになり、更にドカ、ハーレーの2人も参加となった。私は神戸で一泊、3人は日帰りの変則ツーリングとなったのは少々申し訳ない。個人的興味で当初加西市の南端にある一乗寺の国宝三重塔を見てからという計画であったが、太さんの他に2人が参加、というので急遽一乗寺をやめてバイク乗りなら走ってみたい六甲山を目指すことにした。神戸に居た頃、当時の愛車CB550Fで何度か走ったことがある。最初の頃は「二輪通行禁止」の道路があることを知らず走った。幸いお世話になることはなかったが、後でわかり冷や汗ものであった。そのようなことが無いよう今回は予め調べてみた。また、昼食は「まきばのウクライナ」を考えた。「まきば」は神戸市の西の端、「神出」というところにあり、岳父に教えてもらい何度か「ウクライナ」を食した。最初は「エ、これだけ」と思ったが、食してみると結構な食べ応え、熱々シチューのうまさとカップの上に乗ったパン?の絶妙なコラボである。行ってから注文すると時間がかかるので独断と偏見で予約。気に入ってもらえたかな。神出から六甲山を目指すには北側から入った方がいいと考え、時間短縮もあり7号北神戸線で唐櫃~裏六甲ドライブウエイを行くことにした。裏六甲は平日二輪通行可である。帰りは県道16号で小部峠へ出て混雑を避け市街地の北側を廻って明石に向かうルートを考えた。しかし物事は予定通りいかないもので、県道16号が途中で通行止めだったのである。二輪通行止めの道が多い六甲山、よそ者はすぐに代替道路が分からないので、地図とにらめっこしながら確か表六甲は通れたはず、と引き返し表六甲入り口で「二輪通行止め」が無いことを確認して降る。表六甲を降るとそこは神戸のど真ん中。岡山とエライ違いの交通量、信号の多さ。これだから中心部は走りたくなかった、とぶつぶつ言いながら西へ向かう。目的地をセットしたナビは、当初の予定とは違う道を走るものだから元の道に戻そう戻そうと走っても走っても距離は縮まらない。昔の記憶を思い出しながら、確かこの道でいいはず、とナビに逆らいながら走る。でも友人宅の近くの道は既に記憶の彼方へ消え去り、頼みはナビのみ。須磨のあたりの信号で止まったときナビを入れ直し何とかたどり着いた。二十数年ぶりに会う友人は既に定年退職。悠々自適のバイク三昧、とまではいかないようだがそこそこ楽しんでいるようだ。1970年生まれのグッチはいたって健康そう。今のバイクのように背中を蹴飛ばしたりしない。オーナーとの時間をゆったりと過ごしているようだ。2人が先に帰った後、17時半頃までウダウダとバイク談義。太さんが写真をUPしているので今回写真は無し。(藤)
2015.11.02
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