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日本が誇る”大ショッピングセンター・ジャスコ”。その中に、MOVIXがある。5月の連休に入り、ジャスコも、MOVIXも、人、人、人。観客の列が映画館からはみ出す勢いで、すごかった。そのあおりだろう。映画館へ通じるエスカレーターは、OFFになっていた。家族で映画「ゲゲゲの鬼太郎・実写版」を見る。ネット予約で座席も、支払いも確定しているから、列に並ぶ必要はないのだが、いかんせん、人が多すぎる。とにかく人波を掻き分けて、チケット引換機までたどり着く。またまた列にならび、コーラ、ジュース、ポップコーンを買う。順番にトイレも行く。準備万端ととのって、いよいよ映画「ゲゲゲの鬼太郎・実写版」を見る。ガラガラだろうと、馬鹿にしていたが、これがなかなか盛況でびっくりした。鬼太郎を演じるのは、"WaT"大活躍中のウエンツ瑛士。ねずみ男を演じるのは、俳優、大泉洋。猫娘に田中麗奈、子なき爺と砂かけ婆に、間寛平と室井滋らが豪華共演。ヒロインで、鬼太郎と共に事件に巻き込まれていく女子高生・実花を井上真央が演じる。大泉洋がすごい。めっちゃはまり役で大笑い。室井滋も、間寛平も、普通にやっているだけなのにおかしい。妻は、「ウエンツ瑛士がかわいいっ」と叫んでいる。ウエンツ瑛士がゲゲゲの鬼太郎では、水木ワールドとはどうも雰囲気が違う。仮面ライダーとか、何とかレンジャーの男前俳優に、お母さん方が騒ぐのと同じだ。ばかばかしい、、、と思いつつ、田中麗奈がかわいかったなあ。と思うから、映画会社のわなにはまっている。それにしても日本映画は元気だ。映画館が元気なのか、映画自体が元気なのか、観客が盛り上がっているのか。よくわからないが、どうも本物のブームのようだ。まだまだ伸びそうに見える。若かりしときに、映画館用の非常照明灯を設計したことがある。また、映画館用の光ファイバネットワークのプロジェクトに関与したこともある。そのころの感想は、映画館じゃあ儲からない。 だった。今は環境が違うようだ。違法だが、サブミリナル広告を流すサービスは儲かるのではないか。合法的に儲けるサービスも、いろいろありそうな気がする。例えば、双方向通信のできる端末を映画館に設置するくらいは簡単だろう。映画スクリーンを使った超大型のTVゲームで、シューティングゲームで遊びたい。4方向スクリーンと大音響。平板に作り直した映画館内に、トーチカを多数配置。ゲーム参加者は、レーザー銃で武装し、レーザー反応のヘルメットを着用。宇宙からの侵略者と戦う。特許出願でもしようかしら???記:とらのこども
2007.04.30
一緒にビーチバレーをやっている仲間とのOFF会に行ってきた。焼き鳥屋でビールを飲み、チュウハイを飲み、2次会へ移動してまた飲む。気を置けない仲間との飲み会は、楽しい。何がいいんだろうと思って、中のひとりと酒酌み交わしつつ、話した。やっぱし、利害得失がなくって、気を遣わなくてもいいのがいい。力いっぱい盛り上げなくても、にこにこと酒を飲んでいるだけでいいっていうのは、幸せなことだ。客と飲んだりするより、会社の同僚と飲むよりも、緊張感が低い。もちろん、わがままをいっぱい言うわけではない。何もせずに座っていても、許容してくれるというのが心地よいのだ。もしかすると、家庭のなかでも、それが許されない人もあるだろうし、会社にあっても、趣味の世界でも、緊張感を強いられている人もまたあろうと思う。終り際。中のひとりの気になるセリフ。「○○ちゃんって、ほんといいよね。」「さりげなく気をつかってくれてさ、バレーのときもホントやりやすい。」「あんないい子はいないよね。いいわあ。」、、、というセリフが気になった。だって、気を遣わなくて良い場所であれば、人間、誰しも多少はとげがある。きついことも言う。それなりにわがままだ。もし、それを出していない場所であれば、他の場所で出しているだろう。バレーの仲間のなかで出していないだけだ。そう、あんないい子は、いないのだ。誰しも年をとる。そして、気を遣ってとげを出していない子があったときに、当然だと思ったりする。私もそうだろう。みなさんも同じことはあるんではないか?それが怖い。笑顔は磨り減るのだ。どこかで、笑顔の力をチャージしている。そして、そのときはそれなりにわがままな顔も出しているんだろうと思う。できれば、笑顔のチャージしている場面に、私も一緒にいたいと思っている。できれば、誰かの笑顔をすり減らしたくはないものだ。楽しい、楽しいOFF会に、ふとそういったことを思った。気づかないということは、幸せなことであり、また反面、怖いことである。記:とらのこども
2007.04.29
日本の自宅では、ベランダで「金のなる木」を育てている。他には、洋ラン、アロエ、今ならチューリップなどが、プランターで花開いている。家族それぞれに担当がある。さて、この金のなる木が数年前から毎年、ちいさな、ちいさな花を咲かせる。年を追うごとに、たくさん花開く。別に植物だから当たり前じゃんと思うのだが、、、。花の名前が「金のなる木」だけに、心が騒ぐ。もしかしたら、お金がいっぱい入ってくる良いことが起きるのでは??、と思う。我が家のこの花は、1月後半ごろにつぼみから花になっていく。最初はあわいピンク。だんだんと真っ白になる。朝露が花ひとつひとつにたまると宝石のように見えて、とてもきれいだ。花ひとつは数ミリ。それが数十あつまってひとつの花の塊となる。花の塊の数は、毎年違うが、、、数えてみた。今年は34株の花が咲いた。においは沈丁花に少し似ている。かぐわしい、良いにおいだ。(誰かさんみたい!)金の成る木の名前の由来って?ゆらいは、販売成績をあげたかった販売業者の命名とのこと。葉芽が小さいうちに穴の開いた硬貨をのっけて、葉が成長したあとはまるで葉の元に金が生えているように見せかけて、「金のなる木」として売り出したよし。縁起物として売れたらしい。ところで、「金のなる木」は、とらのこどもが担当。月に数度の水遣りでよいため、出張が多くても大丈夫。水をやり、葉のほこりをとり、霧吹きをかけてきれいにする。よしよしと葉っぱをなでる。葉をふるわせて喜んでいるよう。どやねん?と聞くが、返事はまだない。1月から咲き始め、もうほとんど終わりだが、最後の数株が咲いて僕を待っていた。ずいぶん、開花する期間が長い。約4ヶ月近くも咲いている。不思議な感覚だが、植物にも相性があるような気がする。あるものは妻よりも私がよく、またあるものは私よりも妻がよいようだ。色とりどりのチューリップは、娘の担当。これもなかなか、仲良しに見える。記:とらのこども植物の解説 : ガーデニング屋の説明より転載。通称を金の成る木、別名を「花月」と呼ばれる植物。種類にして、花花月、姫花月、芳香花月、黄金花月などがある。学名は、Crassula obata。ちなみに花花月は花月の仲間では一番花付が良く早いものは2~3年で開花し開花時期も早いし繁殖も早い。 姫花月は葉が小さく、節間も狭くミニで可愛いところから姫花月と名づけられた。 芳香花月は通称:福助。葉が大きく節間が短くつまり葉幅も広い。葉の周囲は褐色に縁取られ船底形にそっている。花は大輪で咲き始めは濃いピンクで良い香りがする。 黄金花月は秋になると葉の色が黄金色になるのでその名がついた。5,6年で成木すれば開花する。
2007.04.29
「鮎原、立てっ。立つんだっ。」「ダメです、コーチ。立てません。」ボールは、次々とこずえに投げつけられるが、こずえはなかなか立てなかった。。・・・といえば、昔懐かしいアタックNO.1の有名な1シーン。スポーツで厳しいところであれば、本当に動けなくなる、または1歩手前まで追い込むのは普通の練習ではないかと思う。剣道であれば、かかり稽古がそれ。練習台の先生、上級生相手に、3分とか、5分間、打ち込み続ける。今、思い出しても苦しい稽古だった。腰がとろけて、本当に崩れ落ちたものだ。ところで、家人がしんどい、しんどい。というセリフをよく言う。でも、別に農作業もないし、仕事も、家事でもきつい何かがあるわけでもない。私が思うに、毎日の生活範囲の運動量が、最大運動量になっているから、毎日の普通の生活が、身体にしんどい思いをさせるのだろう。楽をしようと思ったら、生活の中でも良いし、できれば何かの運動などで、もっともっと、過負荷をかけるしかない。上限を上げるのだ。毎日の生活範囲の運動が、最大運動量の8割とかになれば、生活に伴う運動が楽に思えるはずだと思う。それで運動を進めるのだが、どうもおっくうなようだ。かつて、とらのこどもが、学校で部活動をしたり、佐川急便でのトラック荷積みや、サッカー部で朝練後に会社に行ったりしていた頃は、すこぶる元気だった。どれの場合でも、毎日、毎日の運動だったから、日常生活の負荷などは、無いも同様だったのではないかと、今にして思う。私の場合は、出張の多い毎日ではあるけれど、幸いにして元気だ。それなりにたくさんの荷物を持って、バスに、列車に、飛行機に乗り換える。ドアツードアで、7,8時間かかる。運動と思えばいい運動だ。今回は、5月の連休前なので、酒に、キムチ、のり、紅参、チョコ、タバコなど。久しぶりに大きい土産物を袋2つ持ち帰った。もう夏になろうと思い、スーツや、冬の衣料も全部、持ち帰った。鍛えているというか、疲労困憊というべきか。とにもかくにも、無事帰宅。風呂に入り、ビールを飲む。心地よい酔いが回る。やっぱり家がいい。本当に、生き返る気がする。楽に生活するための身体能力の余裕。皆さんはいかがでしょうか?運動のとき、もし大丈夫そうなら、自分で自分を苦しいところまで追い込むのも悪くはない。これが結構、快感ではまる。知っている人は知っている。運動って気持ちよい。さわやかだ。多分、脳内に一種のモルヒネ様快感物質の分泌があるのだと思います。苦しむほど出るみたいです。たぶん、運動のご褒美なんでしょう。記:とらのこども
2007.04.28
毎日、毎日、基本的に仕事だけをしている。ときどき、知人と会う。いろいろな話しをする。こころがやすらぐ。「安心する人ってどんな人」これが今日のお題。当然だけれども、好きな人、安心できると思う人と会う。嫌いな人、安心できない人とは、会いたくはない。父親の立場、女性に親身な立場から言えば、「お酒を飲んでよいのは、酔っ払ってよいのは、安心できる場所だけ。安心できる場所とは、安心できる人のいるところ。」「だから、ここでそんなに飲むな。もう帰れ。」というセリフを吐いて、若い女性に嫌われることが数多くあったものだ。でも、そのなかからとても親密になった後輩もいた。おかげさまで、5年、10年、20年とお付き合いをしている人もある。決して濃い付き合いでは無い方が多い。けれども、話せば通じ合う。話題は普遍性がある。馬鹿な話しもそうだ。昨日、思った。そういう人は大きい愛を持つ人だと。武者小路実篤式にいうと、「人類を愛する人」と会っていたのだと得心。記:とらのこどもps 安心できる人 : 大きい愛を持っている人。秘密を守る人。など。 あなたと一緒にいると、安心します。合掌。
2007.04.28
韓国ドラマファンは多い。実は私もそう。元々、TVはあまり見ないのだが、韓国ドラマ「チャングムの誓い」は良く見た。義理の姉や姪も、韓国ドラマファンである。見回すと、結構にファンが多い。韓国ドラマのロケ地ツアーにも興味はある。ちゃんとパンフレットも持っている。けれども、一人だけで「ミーちゃん、ハーちゃん」に混じって行く勇気は未だ無い。と、前置きはこの辺にして、、興味があって、韓国ドラマの解説本?、楽しみ方なる本は、すでに数冊を読んだ。これが実に面白い。ドラマの解説といいつつ、現代韓国人社会の解説であり、韓国特有の人間模様を解く大事なことを教えてくれるのだ。仕事にも役立つ。韓国ドラマの重要なキーワード「ハン(恨)」その中で最も興味を惹いたのは、「ハン」という韓国人独特の感情だ。これをを理解することが、ドラマ理解のうえでも、最も重要なことだとあった。「ハン」を辞書で引くと「恨」という字を当てており、「恨み」という意味になる。普通の日本人なら、字義から誤解するし、怖い感じもする。しかし、「ハン」は日本の「恨み」とは違う概念である。よく言われるように、日本の「恨み」は、晴らすものであるのに対して、韓国の「ハン」は、「プルダ(解く)」ものである、ということになる。つまりは、「恨み」は、相手に復讐することによって解消(晴らす)ものだが、「ハン」は必ずしもそうではない。理解することが大切だ。では、「ハンを解く」とは、どういうことか。まず、重要なのは「ハン」という感情の土台になっているものが、「あこがれ」だということ。 自分が本来いるべき場所、自分の本来あるべき姿、、。そのような「理想的状態へのあこがれ」が非常に強いのが、韓国人だと思われる。理解できれば、人間として共感できる感情である。それは、他人よりも上位の優れた場所、優れた状態であることもあるし、また、普通の人であれば、誰でも享受できる「平凡な幸せ」であることもあるようだ。しかし、人生はつらいもの。そのような、「理想的な状態」に到達できない人がたくさんいる。そのようなときに、韓国人は「ハヌル プムダ(ハンを抱く)」となるのだ。つまり、「ハン」とは、誰もが持っている「あこがれ」であり、同時にそれが何らかの理由で、挫折したときに抱く「悲しみ、無念」の情なのです。ハンを解くとは?さて、どうやったら、その「ハン」を解くことができるのか?それはその「ハン」を抱くことになった理由による。 一概には、同じではない。まず、ひとつとして、自らの「ハン」の原因が他者にあると認識したとき、その他者を、完全否定するか、または凌駕したときに、「ハン」は解かれる。自分を不幸に陥れた相手の不道徳性を非難して、自分が道徳的に上位に立つのだ。このときのポイントは、相手を打ち倒すことではない。相手よりも上位に立つことが重要なのだ。この点で、「ハン」を解くとは、恨みを晴らすのとは違う。これが分かっていない日本人は、困惑し、怖さを感じるけれども、違うのだ。ただし、韓国人にも勿論、相手を打ち倒す感情を持つことがある。しかしそれは、「ウォナン(怨恨)」、「アンシム(快心)」という別の表現、別の感情となり、「ハン」とは違う感情であるらしい。以上が攻撃的な「ハン」。これとは別に、内向的なハンの類型がある。これは、特定の相手に対して発せられる感情ではなく、自分が不幸に陥った状況全般に対して、悲しみの感情を心の中に静かに積もらせる。この場合には、あこがれを挫折させた状況が変化して、あこがれが現実化したとき、あるいは自分の子どもが、自分の「ハン」を受け継いでくれて、いつか自分のあこがれを実現させてくれたとき、ハンは晴らされることになる。「ハン」を抱いた人々がうごめき暮らす社会。これが韓国社会だ。歴史的に外国の蹂躙を多く受け、侵略され、政治状況、貧富、性別、出身などでの差別の過酷さが、「ハン」のエネルギーを強くしてきた。これは今も変わらない。また、韓国のマスメディアが人々の「ハン」に焦点をあてた報道をし、演出をすることで、「ハン」は再生産される。そして自然、「ハン」を尺度にして考える。韓国ドラマの正しい見方韓国のドラマは、当然のように「ハン」の複雑なからみ合いによって成立している。特に連続ドラマでは、第一回、第二回あたりで、登場人物の紹介だけでなくって、どんな「ハン」を抱いているか解説している。この「ハン」の相関関係をしっかり頭に入れ、感情移入しつつドラマを鑑賞すると、ストーリーの展開にも、没入できる。「そうそう、そうなのよ!」と思えるようだ。韓国ドラマの見方、楽しみ方、解説本が、日本でたくさん出ている。ミーちゃん、ハーちゃんだけでなく、ビジネスマンも読むべきだろうと思っている。(ミーちゃんハーちゃんごめんなさい。でももし、この先ずっと好きなら見直します。)以上、韓国ドラマ解説本より。記憶に私見を入れつつ書いた。プログよりも、各種の原書を読むのをお勧めします。詳細な解説もあり、ツアー写真もたくさんあって、結構に面白い。行った気になる。記:とらのこどもps お勧めの著者(韓国関係)ドラマずばりではないが、オソンファ(呉善花先生・拓殖大学教授)の本がいい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E5%96%84%E8%8A%B1
2007.04.27
1970年 1980年 1990年 2000年 2005年女25-29歳: 19%・ 23%・ 42%・ 54%・ 60%女30-34歳: 8%・ 10%・ 15%・ 26%・ 33%女35-39歳: 7%・ 7%・ 9%・ 13%・ 19%男25-29歳: 46%・ 55%・ 66%・ 70%・ 73%男30-34歳: 11%・ 21%・ 33%・ 43%・ 48%男35-39歳: 5%・ 9%・ 19%・ 25%・ 31% (注) 25-39歳の未婚者比率――国勢調査より 他の情報によれば、首都圏や、近畿圏では、 30代で結婚しているものが約半数。 そのうち、子どものいるものが、さらに約半数。 そして、2人以上の子どものいるものが、さらに半分を下回ると聞いた。 夫婦二人と、子ども二人が標準家庭としてのモデルなのは、すでに昔の話しで、 今や、その比率は、半分の、半分の、半分なのだ。約5%くらいか。 決して、結婚だけが人生ではないと思う。頭ではそうと思うのだけれども、 しかしながら、どうなのだろう? ほんとにこれで良いんだろうか? どうしても理解できない、とらのこどもである。 自分の子どもには、そうした人生を勧めたくはない。 できるものならは、子孫繁栄がうれしい、、と思っている。
2007.04.25
今日は、「国際派日本人養成講座」の商品広告を転載します。もし、興味のある方は、どうぞ!!************************************************************************ 先日、よく行く服屋で、いつもの店員さんに面白い話を聞きました。 彼、ニコニコしながら 私に近寄ってきて… 「柿の実から取れる《渋み》が加齢臭に良いって知ってます?」 と聞いてくるんです。「へ?」と自分のニオイを気にしながら詳しく 聞くと、なんでも店員さん、35を過ぎニオイを気にして、この情報を 知ったらしい。そこで、その《渋み》を練りこんだ石けんを見つけて試すと 最高に良いと。私も、取り寄せて試すと…「うはっ♪」凄い、 毛穴が気持ち良すぎる!! ホント良いものみつけちゃいました。加齢臭が気になる方は、どうぞ。 教えてもらったサイト → http://www.emotent.co.jp/mg2/396/■■■■■ Japan On the Globe ■■■■■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 闘うビジネスマンの身だしなみ「加齢臭」を考える。 ~気になる加齢臭に「ガツン」と対応するもの見つけました。~■■■■■■■■■■■■■■【号外広告】■■■■■■■■■■■■■■■ 冒頭の石けん、今、凄く話題らしく、色々なメディアで 取り上げられているらしい。まだ、大量生産できないらしく、 それで人気が過熱していると。 確かに、やられた感のある商品ですね。説明を読んでいると、 自分でも、もしかしたら!!と思ってしまい、ついつい、買って しまいました。 この商品を是非、皆様にも試して頂きたくて、今回、キャンペーンを 用意して頂きました。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ● 国際派日本人養成講座 読者様へ 特別キャンペーン!! ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 発売とともに注目されている「加齢臭対応 柿渋石けん」。 大人気を記念いたしまして・・・特別に ご用意させて頂きました。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 特別なキャンペーン価格をご用意!!(お一人様5個まで) さらにご購入者全員に「高級絹(きぬ)タオル」をプレゼント!!! このチャンス、お見逃しなく! → http://www.emotent.co.jp/mg2/396/ ──────────────────────────────── +-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 現代人は加齢臭が強い?? +-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 現代人は、様々なニオイが強くなっていると言われます。 その原因には、食生活の欧米化、環境の変化など様々な事が 言われておりますが、やはり一番の原因が・・・ ストレス社会ではないかと私たちは考えております。 実際にストレスを受けている方は、加齢臭などが強くなって いると言われております。そこで私たちが注目したのが、 柿の実から取れる「渋みエッセンス!」そして・・・ ┌───────────────────────────┐ │ この渋みエッセンスを一つ一つ丁寧に練りこむ事に │ │ 成功したのが・・・柿渋(かきしぶ)石けん!! │ └───────────────────────────┘ 開発までの詳しい内容はコチラ → http://www.emotent.co.jp/mg2/396/ +-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 「柿の渋み」が加齢臭に厳しく対応? +-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 「柿の渋みエッセンス」は、ニオイの元、悪臭成分 ノネナールにしっかりと対応!!皮脂の酸化、抗菌など、 原因の一つ一つに厳しく対応してくれるのです!!だから お使い頂いた方からは・・・ ┌───────────────────┐ ────│ 妻が喜んでくれました! │──── └───────────────────┘ ┌───────────────────┐ ────│ 毛穴が気持ち良い感じがします! │──── └───────────────────┘ などのお声をたくさん頂いております。 お喜びの方の詳しいお声も → http://www.emotent.co.jp/mg2/396/ 続々届くウレしいお声をご紹介! ┬────────────────────────────────┬ ■■毎日 快適です!! (水野 徹 様(仮名) 会社役員) ┴────────────────────────────────┴ 汗っかきの私は、夏には家内からも注意され、いつも気にしていたので すぐに購入し試してみたのですが、正直びっくりしました! 毎日のお風呂でしっかりと使っていると・・・ 日中かなり汗をかいても、今までとは違う感じなんです。 家内も良いものであると認めてくれて、それ以来、入浴時には必ず この石けんでしっかりと洗っています。おかげで快適な毎日ですよ。 ┬────────────────────────────────┬ ■■使って 正解でした!! (前原 勇樹 様(仮名) 会社員) ┴────────────────────────────────┴ 仕事が遅くまでなると、なんとなく体のニオイが気になっていました。 しかし、この石けんを使って…気にならなく?気にしなくなった感じです。 今の状態であれば、今度の夏を迎えるのが楽しみです。 今では、1つの石けんを本当に大切に大切に使っているんですよ! 詳しい内容はこちらから → http://www.emotent.co.jp/mg2/396/━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ TRYVIC.sk FOR MEN(トリビックエスケー フォーメン) 〒812-0011 福岡市博多区博多駅前3-16-10 株式会社エモテント TEL:0120-378-220 FAX:0120-785-220 E-mail: info@emotent.co.jp ※ご注文に関するお問い合わせの際は、連絡先電話番号・お名前を ご記入下さい。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◎Japan on the Globe-国際派日本人養成講座 のバックナンバー・配信停止はこちら⇒ http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/ 「国際派日本人養成講座」は、とらのこどもお勧めメルマガです。 上記商品広告は、どうかなあ、、、と思いますけど、毎回、面白い広告です。 未だ見たことない方は、バックナンバーをご覧になってください。 ちなみに、とらのこどもは、においを消すよりも、 におい込みでその人だと思うほうです。皆様はいかがでしょう??? 記:とらのこども
2007.04.24
『上には上がある』「これが最上だと思っていても、必ずそれ以上の行為や状態があることをいう」(広辞苑)幸せのヒント 「比較の考え方」 上には上がある、と上を目指して行くか 上には上がある、と程々の所で満足するか 上には上がいる、と挑戦していくか 上には上がいる、と謙虚になるか 上には上がいる、と卑屈になるか 気づかずに、天狗になるか 下には下がある、と考えるか 人と自分を比べてばかりいると、目の前に現れる相手によって一喜一憂することに なってしまうでしょう。 過去の自分と現在の自分を比べて、少しずつ進歩していればいいのではないでしょうか。 幸せへの登り道に終わりはないような気がします。 生きている限り、少しずつ幸せになっていけたら、とても幸せなのではないでしょうか。 「名言から学ぶ幸せのヒント」より。 http://meigen.shiawasehp.net/index.html
2007.04.23
誰かに出会う。誰かと話しをする、食事をする、飲む、遊ぶ、そして誰かを好きになる。もっと好きになる。「出会った誰か」を主体で考えるのが普通だけれども、ホントは違うと思う。誰かを好きになるということは、新しい自分の発見だ。人を好きになると、驚くことがいっぱいある。まず、相手に対して、知らなかったことをどんどん知っていく。名前とか、住所とか、年齢とか、やってきた諸々のこと。そして現在のこと。さらに、今まで知らなかった自分を見つけていく。これこそが「人を好きになる」ということだ。自分がどんどん変わっていく。まるで、カフカの変身のように。違う人間になっていくのだ。相手と付き合っていくうちに、相手が自分の鏡になっていく。相手のことで、好きなところ、嫌いなところ、自分にあるところ、無いところ。それが、だんだん分かっていく。例えば、こんな人は嫌だと思っていた人なのに、どんどん惹かれていく自分を見つけたときに、今まで知らなかった自分を見る。清純な女子高校生が、暴走族に入っていくのもそう。子どもが生まれて、お母さんになっていくのもそう。わがままな連れ合いを、励ましたり、怒ったり、泣いたりするのもそうだ。新しい自分というのは、新しく生まれ変わることではない。もともとあった自分の再発見だ。今まで知らなかっただけなんだと思う。自分のことをわかっているつもりで、分かってないことはたくさんある。良い部分もあれば、悪い部分もある。友人、知人、恋人、家族を通じて、それがわかってくる。新しい友達は、角度の違う鏡だ。右後方からのうなじの色っぽさが再認識できる。そんな角度の自分って、見たことないでしょ???そういう発見がなかったら、その人と付き合っている意味もないし、その人のこと。本当に好きじゃないんだろうと思う。だから、そういう自分を見つけさせてくれる人と付き合いたいと思う。だから、いろいろな人と合うべきだし、年の違う人、性別の違う人は発見が多い。とらのこどもは、小学生の子どもに教えられることが多くある。子どもの友だちと一緒に遊んだり、食事をするときに、誰かの話しをしたりする。ドキッとするような、本質をついたコメントが多い。子どもはすごい。好きな人と何かをすると、ゲームなんて嫌いと思っていたのに、ゲームにはまったり、アウトドアは嫌いと思っていたのに、その楽しさにはまったり、テニスや、水泳や、スキーにはまったりする。なんで好きになったかが問題ではない。好きになって何を発見したかが大事だ。好きな本を見つけることで、好きな人を見つけることで、好きな自分を見つけることになる。私の内なる自分は、あなただったかもしれない。だから惹かれる何かがあるのだ。このプログを、すべての友人、知人の皆さんへ捧(ささ)ぐ。 会うたびに日本語が上手になっていく韓国人スタッフがいる。 会うたびに仕事が上達していく新入社員がいる。 会うたびに素敵になっていく人がいる。 もし、その人のそうした変化に、ほんの少しでも関与できていたら、幸せだと思う。 記:とらのこどもps Kさんは、スパイダーマンのヒロインにそっくり。どきどきしちゃう。
2007.04.22
中国人や、韓国人との会話のなかで、「一人、一人は、絶対にわれわれが優秀だ。強い人間だ。」という話題がある。「三人ではダメだが、一人でなら世界征服できる。」と中国の俗語にもある。日本人に対しては、「個人、個人では、日本人は弱い。集団になると強い。」と言う。これは本当か。違うのではないか。元々個々人が強いから、強いのではないのか?例えば、野球にしろ、サッカーにしろ、スポーツの世界を見ればはっきりしている。弱い選手ばかりでは、健闘はしても勝てない。勝つというのは、強いからだ。初代若乃花だったと思うが「強いから勝つのではない。勝つものが強い。」と言っていた。すなわち、日本の技術者、生産技術者、事務、企画、営業部員にいたるまで、ずこぶる強い。市場で勝つ会社の社員は、皆、強いのだ。そこまでするのか、という極みで仕事している。だから日本1になり、世界1になる。最近、日本の世の中は、トップエリートではなくて、「貧乏人で、働くのが嫌いな、さぼりの人間」がマジョリティになりつつある。楽をして、豊かな生活をしたい人にとって、楽園のような国になりつつあった。ハングリー精神は無く、エリートでもなく、社会奉仕もしない。ぶら下がり人間だ。働かないから貧乏なのに、不平等に反対する。これを恥知らずと言う。一見すると、お年寄りや、障害者に厳しいような政治判断があるが、私は仕方ないと思う。しかしながら、男は黙ってサッポロビールだ。黙して働く男達が大勢いる。会社を、社会を、家庭を支え続けているのだ。心から、両手を合わせて拝みたい。あんたは偉い。話しが逸れた。つらつら考えると、日本人は、自我と自己は、別物である。自我を強く主張することは、自己主張ではない。日本人は無我を以って善しとするのだ。本来、自己主張とは多くの人々に喜ばれるものでなくてはならない。何かのものごとから、新しい地平を開いてくれる、革新への個人の意見の発露こそが、正しい自己主張(意見の開陳)と言うのだ。他人の嫌がる主張は、そのほとんどが自我の主張でしかないことを知るべし。強い自己主張は、新製品や、会社、社会に対して発現するのである。居酒屋の目の前にいる外国人に、自己主張しても仕方が無い。無意味であろう。そして、そうした意味で、本当の自己主張の個人の能力、力量において、日本人はとうてい弱いとは言えないし、中国人や、韓国人が優れているとは思えない。ただ、一般的に小規模な会社のなか、親族のなか、居酒屋のなかでは、ゴリ押しの強い自己主張(自我のみ)が相当の有効性を発揮するのは否定しない。日本人は一般的にそういう態度(やくざや、ゴリ押しする人たち)には、負けを決め込み、争わないのも事実である。韓国の友人には、「負けるが勝ち」という日本語をお伝えしたい。文字通りだけの意味に止まらず、深い言葉だから。怖い妻であったり、上司のわがままには、見かけ上、「わかりました」と従っていても、身勝手に強権を振りかざしている者に、負けを決め込んでいるだけなのだ。強いと思い込み、その結果、「裸の王様」にはなり下がりたくない。だから、大きい、慈しみの気持ちで懸命に奉仕したい。モッピョルル カジゴ ヘンドン ヘヤ ハンダ。以上、韓国の人たちへではなくて、自分自身へ自戒を込めて。記:とらのこども
2007.04.22
いろいろとやってはみるが、なかなか続かないことが多い。いわゆる3日坊主である。だが、それはそれなりに自分のなかに蓄積されていく。短歌、ポエム、絵画、いろいろな外国語、作詞、小説、そしてプログなど。いっぱい取り組む。そのうち止めるものが出てくる。これは自然だろう。中には止めないものも出てくる。これは本物かもしれない。取り組まずに、止める人が世の中には多くいる。取り組まずに止めておいて、しったかぶりをする奴がいっぱいいる。「やってみもせんで!!」というのは、本田宗一郎氏の有名な口癖だったと聞いた。何でもいちお飽きるまでは、やってみないとダメだ。飽きていって、好きだとカン違いしていたけれども、それは好きじゃなかった。ということが分かっていけば、それでも「これは飽きない」というものが、最後に残る。それがその人の本質に近いものだろう。人間とは、いっぱい殻をかぶって、いらないものも、いるものも、いっぱいぶらさげて、そして生きている。そして、それをどんどん減らしていくのだ。減らすものが無くなったら、どうするの?という疑問もまたある。40歳代で引きこもっている主婦、独身の男女が、日本でニュースになっている。ときどき新聞の人生相談に掲載されている。これは怖いことだと思う。だから、いっぱい取り組んで、いっぱい失敗して、またいっぱい取り組むのがいい。必ず、その中から、本当の自分のものが、光り輝いて、出てくるのだ。記:とらのこども
2007.04.22
武者小路実篤の本で、「人類の意思について」という本がある。これ、戦前の本なのであるが、戦後においても改版本が何度も出版されている。とにかく深い、、、としか言いようがない。人の思考というものは、かくも深淵まで洞察し得るものかと思う。本には、人類というものの意思、武者小路実篤の人生観、人生読本、人類愛について、美について、そして美・愛・真(まこと)について書いてある。特に中年以上の方にお勧めの良書であると確信する。自分を振り返り、そして再確認できる。崇高な示唆がちりばめられている、と思う。なお今回出張中に読んでいる途中で読了前。よって思うと記述した。***************************************************************************本より一部紹介 (家庭について)前書き省略。いきなり要部で失礼します。家庭本位は悪くは無いが、しかし隣人へのつとめを忘れてはならない。家庭は家庭のためにあるのか、主人の仕事のためにあるのか、次の時代をつくる人物をつくるところか、ともかく家庭は幸福であることにこしたことはないが、それだけでは面白くない。なすべきことは他にたくさんある。他人の生命に直接、間接であれ役に立つことが必要なのである。美しい家庭の美しさは特別なものである。僕らはその美を讃嘆したい。しかしそれだけめったに見られないものと思う。幸福な家庭は幸福な一生とともに珍しい。しかしないものではない。多くの家庭は嵐も吹き、雨も降るだろうが、無事で平和な時が多いであろう。しかし家庭は船にとっての港である。港にばかりいるために船があるわけではない。人生は家庭本位であってはならない。子供本位、仕事本位、隣人へのつとめ本位でなければならない。自分のなすべきことをさらによりよく喜んで果たすために家庭があるのである。われらは家庭のために生きているのではない。ところが今のわれらは家庭を飢えさせないために働いている。家庭のために働くことが余儀なくされている。一人で働くよりは家庭のために働くほうがいくらかははりあいもあり、意味もある。だが、家庭本位で他人がどうなってもいいという考え方は面白くない。今の多くの人は家庭がやっとである。他のことを考える余力はない。だが、家庭が最後の目的であってはならない。自分はこの頃ますます個人主義こそ最も正しい最後の主義だと思ってきた。家庭においても人々は個人として尊敬されなければならない。妻は夫のものではない。子は親のものではない。すべて独立した存在だ。すべて協力はし、お互いに愛し合いもするが、だから他人の自我を傷つけていいと言うことにはならない。家庭においても、従順は美徳であるが、それは飢えや、暴力を恐れての従順ではない。お互いが自分の心で動かなくてはならない。孔子の言葉に、「和して同ぜず」という言葉があるが、われらは他人と調和することは大切だが、同じになる必要はない。お互いが勝利者になって、相手をやっつけていいという理由は人間世界から、無くなっていいと思っている。家庭にもときどき暴力沙汰が行なわれるのは醜いことである。お互いに独立人として、愛してもらえるだけ愛してもらうことで満足すべきだと思う。愛の強要はできない。親が調和して美しい家庭をつくることは美しいことである。 この本は、昭和14,5年くらいが初版で、中身は改定されていない。 作者の要請だ。ただ、現代仮名遣いになっているだけだ。 戦前のことゆえ、少し違和感もあるけれども、基本は同じだと思う。 今や、戦後強くなったと言われる女性が家庭の主役だ。 自分を守るために家庭を作る主婦も多くあり、理想の家庭を形作る主婦もある。 皆様はいかがであろう。記:とらのこども
2007.04.21
恵まれた生活も結構だし、恵まれない生活も結構。何事も結構という気持ちが大切だと思います。松下幸之助さん幸・不幸は、財産、地位、あるいは職業などによって決まるものではない。何を幸せと感じ、何を不幸として感じるか、その考え方が幸、不幸の分かれ目なのである。デール・カーネギーさん幸せは人格である。三木清さん
2007.04.20
メンソールの煙草に火をつけて眉のあたりに細い指を遊ばせながらあなたはさらりと言ったのです「私、結婚するわ…」おお、S嬢よ なんたる不覚いったいどんな男がそんな危険なワナへと あなたを誘いこんだというのだろう長い髪をきりきり結び ひたすら前を向いての仕事一途高いヒールをカツカツ響かせ 我が店に現れては「ドライマティーニ!」 あなどりがたい 凛々しい飲みっぷりでありました女一匹、孤軍奮闘 男社会ゆえの理不尽も セクハラまがいの屈辱にも油断のならないその可愛い笑顔で しなやかに乗り越えてきたはずのS嬢よ「私、女だからって甘えるのは大嫌い、ズバリ仕事でまともに評価されたいのよ」寄ってくる男どもを つぎつぎと蹴散らしてあるいは あっさり肩空かし 仕事とお酒に 女の一生を捧げるものとばかり思っていましたまったく 潔いというべきかこれまで積み上げてきた仕事の実績も 会社でのポジションもそれなりの収入 気楽な独身生活にさえ はらりと鮮やかに身をひるがしての 祝結婚! いや、お見事でしたあれから2年 どうしているかと思っていたらひょっこり現れたのです つい先日狭い店の入り口で なにやらガタピシ音がする「もう、この店、ベビーカーぐらいスラスラ入るようにしてよね」なつかしいあなたの声 汗まみれになりながら叫んでいるではありませんか「お久しぶりです Sさん おや、子どもが出来たの?」「うん、産んじゃったわよ、女の子、意外とあっさり出来るものね、結構痛かったけど、産んでみればこれがまた、可愛いのよ…」などと 変わらぬ口調でおっしゃるのです長かった髪は ぱちっとしたショートカット穏やかな瞳が 少しさがった目じりで柔らかく光っています「久しぶりに、マティーニ飲みたいなぁ…」たくましくなった彼女の腕のなか 一歳になったばかりの赤ん坊がジンの香りに酔ったのか けだるそうな小さなあくび「いや、すっかり、お母さんですね」「あら、そうかしら…」小首をかしげ まんざらでもない 幸福そうな笑顔をうかべるのです私ね この子が生まれてくる日に つくづく思ったことがあるの 陣痛が襲って来て それこそ背骨が折れるかと 本気で思うほど痛いのよ恥も外聞もなく 股を開げてうなり声をあげながらどうして私はニワトリじゃないの そしたら可愛くポコリと この子を卵で産んであげるのに…でもね 彼女が外の世界にはじめて出てきた時に羊水まみれで ぐしゃぐしゃで まだへその緒をくっつけたまんま「ほら、女の子ですよ…」と私の胸にそっと抱かせてくれたのよ 信じられないくらい小さくて 柔らかくて そして温かくて顔を真っ赤にして泣き声を上げたわ「ほら、生まれてきたよ、生きてるよ!」そんなふうに聞こえたの私今まで 学校の勉強や 会社の仕事なんかをそれなりにがんばってきたつもりだったけど一度だって心から満足できたり 人に誇れることなんてなかった会社の上司に 同僚に まわりの男たちにただ認めてもらいたくて眉つり上げて 仕事に没頭してたわ 男なんぞに負けるものか 今に見ていろ アッパレ勝ってみせてやるひとの2倍3倍働いて 売り上げ 収益 実績 数字ばかりを追っかけていたでも結局 今ふり返って考えるとねこの子を産んだことだけが 私の上出来のお仕事だった気がするのできたての ほやほやの生命が この胸に小さく息づいているこれからいろんなことで 泣いたり、笑ったり、そして恋したりすっころんで血を流し、髪ふり乱して怒ったりきっと私と同じように ジタバタしながら生きていくそんなひとりの女を 私はこの世に確かに産み落としたんだとねマティーニ サイドカー ホワイトレディー カクテルグラスを次々と代えながら相変わらずの飲みっぷり「変わりませんね、Sさん…」「あら、変わったわよ、私、少しは大人の女になったんだから」「いえいえ、相変わらずお強いです、お酒が…」「そうかしら…」ほんのり酔った視線の先が 思わぬ鋭さで私をとらえたのです赤ん坊はすやすやの夢の中この子もいつか 自分の足ですたすたと歩き始めるわ後ろで はらはらしている親のことなんて まるで気にもとめないでね若いころの私が 何でもさっさと自分で決めて痛みのかけらも感じなかったように彼女も 前だけを見て どこかへ駆け去っていく日がきっとくるその時 子育てを終えた私が 年齢を重ねた私が疲れはてて しぼんでしまったりいつの間にか感性の動脈硬化 常識や社会性まで老化させて自分が失ったものさえ気づかず 空虚で騒がしいお喋りばかりの毎日 そんな 醜いアヒルのおばさんになったりするのは絶対にいやなの!「だから、これからが本当の私の人生だと思うの…」きっぱりとカクテルを飲み干して 彼女はグラスを置きましたこの子の絵本は私が読んであげられる オッパイは私の胸にある でも私への絵本は誰も読んでくれないわ本当の意味での 大人の いい女になるための絵本 それは自分で探し出して 自分の声で読まなくてはいけないのよメディアや雑誌が創り上げた 誰かのモノマネではなくてね「Sよ、しっかりしなさい 娘といっしょにヨダレたらして昼寝してる場合じゃない」しっかり目をあけて 今、生きている時代と自分を見つめなければ彼女の意気ごみにびっくりしたのか 腕の中の赤ん坊が大声で泣き出しついでに 彼女のケイタイまでもが鳴きだした「あらら、ごめんね、よしよし泣くんじゃないわよ…」「もしもし、あら、もう着いたの?」なんとも忙しく 赤ん坊とケイタイを両手に抱えて話しかけてる「マスター、行くわ…」「そうですか、ダーリンのお迎えですか…」ハリケーンが吹き過ぎていくようなあわただしさ「そう、彼がデートに誘ってくれたのよ」彼女ははずむ笑顔で ウインクひとつを私によこしました「明日から彼ね、育児休暇なのよ、しばらくはオレが子どもの面倒を見てやる、だからお前は自分の好きな勉強をしろよ、と言ってくれたの」「それで私は、もう一度英語の勉強のやり直し、いつかはもう一度仕事を始めるつもりだし、その時役立つかどうかわからないけど、自分への絵本探しを始めるわ」ベビーカーを颯爽と押しながら 彼女は私に手をふった「親子三人で、これからホタルを見に行くのよ、舞い飛ぶホタルを見ながらね、明日から始まる彼の育児生活のお祝いよ」私の大切な親友、M様へ作:茨木のり子 「デートはホタルの舞い飛ぶ夜に」より
2007.04.19
たまには詩歌をご紹介したい。最初なので、ガツンとくるものを。皆さんもガツンときてください。ぱさぱさに乾いていく心を他人のせいにはするな自ら水やりを放っておいて気難しくなってきたのを友人のせいにはするなしなやかさを失ったのは、どちらなのか苛立つのを近親のせいにはするななにもかも下手だったのはわたし初心、消えかかるのを暮らしのせいにはするなそもそもがひよわな志(こころざし)にすぎなかった。駄目なことの一切を時代のせいにはするな自ら残る尊厳の放棄自分の感受性ぐらい、自分で守ればかものよ。作:茨木のり子さん「自分の感受性くらい」より
2007.04.19
とらのこどもが23歳、24歳くらいのときだから、ずいぶん昔の話しである。ボスは小林課長といい、大人の風格ただよう素晴らしい方だった。広告、宣伝、印刷物から写真撮影、仕事は全てプロフェッショナル。そして、どの会社の方とも、社内の他部署のマネージャーとも、親しく話しをした。オーラがあった。魅せられて、一所懸命に仕事したものだ。実に懐かしい。ただ、ひとつ。悪い癖。むちゃくちゃ、さぼるのだ。最初のころはついていけなかった。まず、会社に来ない。9時を過ぎてもこないから、何度も電話する。「わかった、すぐ行く。」と言うが、こない。来ないと困るから、昼休みに会社の車で迎えに行く。「おーっ、悪い。悪い。○○くんもラーメン食え。パンもあるぞ。バナナはどうだ。」そんなものはいらない。会社に来て欲しいだけだ。やっと会社に来ると、「○○君、車を用意してくれ。出かける。」とのたまう。車を用意して行き先を聞く。すると、「適当に書いておいてくれ。」これだ。車を出す。「どこに行くんです?」と聞くと、「喫茶店だよ。わかってるだろ?」と言う。わかってはいるが、、、「課長、今週は月曜から金曜までパーフェクトですね。毎日です。」嫌味を言ってもコタエナイ。「わかってないねえ、だからこどもなんだよ。君は。こうやってサボるだろ?会社に申し訳ないと思う。だから頑張って仕事するんだよ。」「わかりますけどね~。」そう言いつつ、これが本当にわかるまで軽く10年以上かかった。かくして、小林課長への朝の電話。車の送迎は続いた。あるときなどは、「君。戸籍だけ貸してくれ。困っている女の子がいるんだよ。」偽装結婚のお願いである。フィリッピンから来る子の空港への送迎や、身請け人として、暴力団へ話ししに行くときの運転手などはやったが、結婚は断った。少し心は動いた。優しい顔の美人だった。この小林課長、前職で総務課長のときがあったらしい。それで、社員が女子トイレで倒れたときに、トイレの壁をきりきりとよじ登り、彼女を救急車で病院へ、、、というのは嘘だが、そういう心積もりでいつも仕事をしていたと聞いた。その他もろもろ、教えてもらったことは、今も心の底で僕の基礎になっている。勘の良い方はお察しのとおり、とらのこどもは今日、午後から「ずる休み」中である。妻と評判のランチを食べ、ビールを飲み、ドーナツを食べて、昼寝する。プログをひとつ書いて、今からお風呂だ。その後、栄に飲みに出る。さぼりの効用、というか自己弁護の説明はこの辺で終了。説明は不十分だが、「たくさんさぼった奴が、良い仕事をするんだ。」と、心からそう思っている。さぼれもせずに、良い仕事ができるかと。それにしても、さぼる会社員は激減した。日本はどうなるのだろう。記:とらのこども
2007.04.18
幸運とはなにものであろう?運か、運ではない。でも、運が大きい。しかしながら、運と幸運とは、全く別のものだ。なにか新しいものを手にするためには、新しいことを自らしなくてはならぬ。偶然しか信じない者は、下ごしらえするものを笑う。下ごしらえする者は、何も気にしなくていい。幸運を作るというのは、つまり条件を自ら作ることである。この世でたったひとつだけの確かな成功の秘訣は、どんな仕事に就いていようと、自分に期待されている以上の奉仕である。この世界を変えようとすれば、必ず変わるのだ。
2007.04.17
「雨の日はマッコリ」という表現が韓国にある。雨の日は、親しい人と濁り酒のマッコリを飲んで、憂さを晴らす。「なぜ、マッコリか?」と問う余地も無い。昔からの情景だ。ところが、つい先日。ある有力な全国新聞が「否、雨の日に赤ワイン!」と掲げて2頁の特集を組んだ。伝統文化に対する挑戦的な提案といえる。また、もう1頁の見出しは、「サムギョッサルにワインはいかが?」だった。サムギョッサルは、豚バラ肉の焼肉で、韓国料理の定番だ。大衆的な豚バラ肉は、脂が焦げるほど「ジューッ」と焼いて、冷えた焼酎で「キュウッ」と飲むのが定番。その庶民の食生活にまで異議を唱えた。こんな大胆な企画が成り立つのは、韓国で空前のワインブームが起きているためだ。ワインを素材にした「神の雫(しずく)」が、ハングルに翻訳され、05年11月発売。ベストセラーとなったのがきっかけだ。日本でも全10巻合わせて95万部売れたヒット作だが、人口が日本の1/3の韓国で、発行部数は100万部を超えた。今や韓国経済界CEOたちの「必読書」とされ、漫画でよく紹介されている仏ブルゴーニュ地方のワインは、昨年の輸入額が前年比で140%となっている。ついで、ワイン同好会の発足が相次ぎ、「ビビンバにはフルーティな白」、「パジョンには重めの赤」と、韓国料理との相性にまで研究は進んでいる。韓国も、よくぞ変わったものだ。そもそも韓国の酒文化は、「質よりも量」が主流であり、代表例がビールにウイスキーのショットグラスを落とし、一気飲みする「爆弾酒」だったはず。宴会参加者の団結力を確認するため、「標準装備」とされ、数万円のウイスキーが一瞬で消えた。しかし、ここに来て「ゆっくり味わう」趣向が広がって、爆弾酒党からワイン党への転向組が目立つ。酒の飲み方が変われば、人間関係も変わるから面白い。ソウルのあるアパートでは、子供たちを寝かしつけた夜11時過ぎ。近所の母親4,5人が、ワインを1本づつ持ち寄り、井戸端会議をしている。「部屋にロウソクをともしたらワインバーの雰囲気で、まるで女性の解放区」と、36歳1児の母。酔うために飲む焼酎だと周囲の視線も冷たいが、ワインなら深夜会合も許される気がする、という。会社組織より、家族や友人。さらに、社会慣習よりも、自由と個性。小さなコミュニティを求める韓国社会の変化がワインブームを呼んだ。毎日中部版、堀山明子さん 世界も、日本も変わっていく。 韓国もまた、変わっていく。そうして、だんだんと、人間としての感性や、 価値感も近いものになっていく、ように感じる。こういう国際化は良いと 思う。この延長線上に、国よりも、人類として何を為すべきか、、という 価値観も共有できると思うからだ。 記:とらのこども
2007.04.16
今日のことばあなたの「やりたいこと」は何ですか?その「やりたいこと」の中に、あなたの使命があるんです。その「やりたいこと」の中に、成功の鍵があるんです。あなたの「やりたいこと」を、大切にしてください。
2007.04.16
技術文化人類学のすすめ デルタ技塾投稿連載より。 世の中の不思議・・大差は秘訣で決まる 世の中の不思議の一つは、物事への対応が「超出来る人」から「そうでない人」まで、物凄く幅広い分布をしていること。それが70年前も今も、変わらないのは何故だろう?兼ねてから不思議で仕方なかった。 お役所等でよく見掛けるのは、新聞等を猛勉強するが、一向に出来る人にならないタイプである。一方で、自信を持って、的確な判断と行動をする人がいる。そのような人は、何処かで「秘訣」に出会っている。松下幸之助さんは、多くの書物で残しておられる。稲盛さんの「良すぎる話は、悪魔の囁きと思う」は、孔子と同じなので、印象に残っている。後輩に多くの秘訣を伝えている。最近では、SBI北尾CEOの「土足で上がりこんで上手くやりましょうはない」は痛快だった(堀江社長の行為に対して)。北尾さんは、「父親が、孔子等中国古典に詳しかったので、幼少の頃からその影響を受けた」と書いている。確固たるバックボーンがあればブレがない。出来る人は、言葉を「自分ならどう使うか」と捉えて学ぶ。日本初のノーベル賞の湯川さんは、中国思想が理論のヒントで、父の影響と言われた。 言葉の「裏」って何? 新社会人は、「学校で習った」ことの延長で人生を切り開くものと思い込んでいる。しかし、学校では仕事の「仕方」は教えない。仕事は、入社して「ゼロから」学ぶことを、養老孟氏の「馬鹿の壁」で気付いた人が多い。最初に習得すべきは日本語の「裏」である。でないと、仕事用語の理解がトンチンカンになる。 米国では、文章が生活の一部になっていて、親も学校も、文章表現と理解を重視する。ここで表現/論理/コミュニケーション力がつく。日本は、会話が中心で、文章で育っていないので、文章や用語を、目前の自分の発言に当て嵌める事に慣れていない。 例えば、「伝える」という日本語には、「言う」とは違う行動が「裏」に沢山含まれている。「裏」とは、伝わった確認、相手の理解の確認、双方の実行の確認等である。「伝える」「言う」は学校で教えるが、「裏」の違いは、親も学校も教えない。一歩進んで、教材等の「情報活用力」「折衝力」「内外の信頼」等の日本語の裏が解りますか?自分の行動に当て嵌めて、上手く出来るようになったとき、初めて解ったといえる。更に深い処で、社会を実質動かすのは、根回しである。「頭の切替え」要求があることを理解されたと思う。 「自分を見る」癖を着ける・・他人ばかり見る人は伸びない 知っていても行動に使えない、新聞を猛勉する人は、「他人の事」を探して読んでいる。一方、松下さん等は、「自分を観察」するスタンスで、読む。逆から見れば、人や仕事が上手く動く発言が出来れば、学問無しでも良い社会人になれるということ。 「そうでない人」のスタンスは?子供を見れば解る。皆、良い子になりたい為に、責任転嫁や人の欠点を言う。しかし善悪が判らないので、理由は捏造。「自分」の善悪を視ることを知らないのが特徴。この癖のまま大人になれば、嫌われる。全て周囲が悪いと思う。この思いが嵩じると、被害妄想に進む。 癖を直すのには、「自分の発言の善悪を考えないと大人になれない」と誘導する。例えば次項の、孔子を引用する。どれも自分の善悪の物指しになる。ところが日本には、このような物差しを与えるシステムが無い。そこで大半は、他人に合わせ、同じ行動をする。これを見てソソッカシイ外人は、集団主義と勘違いしている。日本人が、会話が苦手な原因も、ここに在ると思われる。 何はともあれ、社会で先ず必要かつ重要なのは、「自分ならどう使うか」「当事者」意識で対応すること。自分を良く観察する力で、会話の相手の心理も読める(脳のミラーニューロンの働きで)。すなわち、人の目利きにもなれる。あまり教えない「秘訣」 誰でも20歳前後は、迷いが多い。ここで、賢人の言を引用せよと教えてくれたら、「賢人に従っている」と胸を張って判断/行動できたのに、と悔いた経験がある。一つ拠り所が出来れば、心の安定が保たれ、非行防止も。また自信が付けば「教えて下さい」と気楽に言え、成長が加速する。しかし普通、親も学校も教えていない。 賢人として誰も反対できない人を選ぶ。そして兎に角、使う。使っている内に、目が向くようになる。イソップの、「狼少年」は信用を失うから「嘘をつくな」ということを。「北風と太陽」は、人を動かすには、心を開き会うことを教えている。小学校で、自分の行動に使うとは教えないので、折角の忠告を忘れてしまい、迷惑人になっている人が多い。 孔子で役に立つのが「四絶」「九思」である。「四絶」は、「勝手な憶測をしない」「押し付けない」「固執しない」「自分本位にしない」である。「九思」は「ものをはっきりみる」「話はちゃんと聴く」・・・等であり、人の信用を得る必須事項である。これを「古い」と言う人がいるが、軽率である。新しいロボットやITは、アルキメデスやピタゴラスの定理なしでは出来ない。恒常的な事と、進化するものを見分けるのが大切である。欧米人は、2000年前の聖書を、古いとは言わない。 誰でも知っている格言/諺も使う。それで物知り自慢をするようでは、「馬の耳に念仏」。使うこと。また、“バカ”と言うより、「豚もオダテりゃ木に登る」を使えば、賢い親/上司になれる。“バカ”根拠無しなので「狼少年」と同じでもある。 乱暴な書き方だが、ほかの記事も面白く、読み応えがある。 広島大学の学生新聞。ひまならご一読を。 参考HP:http://www11.plala.or.jp/hirodai-np/main1.html 記:とらのこども
2007.04.15
とろのこどもが興味のある技術を、適当にピックアップ。ご紹介します。経済だけでなく、技術においても世界は大きく動いている。******************************************************************核融合炉。イーター(ITER)計画の概要と経緯概要:環境への負荷が少なく人類の恒久的なエネルギー源の一つとして期待される核融合エネルギーの科学的、技術的な実現可能性実証を目的に、そのための実験炉を建設・運用する国際共同プロジェクト。参考:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/technology/takoku/iter.html傾斜性機能材料。竹や骨など、動植物の構成材強度は一様でない。現在一般的に使われている材料は、どの部分をとってもみな同じ機能や性質が見られます。しかし、傾斜機能材料(Functionally Graded Materials)は材料のある部分と別の部分では性質が異なっています。つまり、ひとつの材料の中で性質が変化しているものを傾斜機能材料というのです。例えば、ある部分は機械的強度が強く、ある部分は耐熱特性があるといった、2つの顔を持つ材料になる。参考:http://www.kuba.co.jp/syoseki/PDF/3069.pdf重力波遮断物質・ケイバーリット。反重力やそれに類する技術理論はSFにおいては物語世界を成立させる基礎技術であるが、それそのものが主題になる物ではない。 真面目に力学の方から考えると、重力というのは天体の上にある物体に働く、様々な力の合力として表れる力である。これを要素に分けると、大抵は物体と天体間の万有引力が大きい。結果としてその物体が天体に引きつけられる力となる。万有引力は離れた二つの物質の間に働く力だから、何らかの方法で、その間で伝達をさえぎってやれば、その影響を脱することができるという考えに立つものもある。一例としてケイバーリットなる重力遮断物質で、これを地球側に敷けば、地球からの引力が働かなくなり、その代わりに宇宙からの引力が働くから、そのままそちらへ移動できてしまう。 参考:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』反重力/ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E9%87%8D%E5%8A%9Bその他、架空の物質一覧が、Wikipediaに紹介されている。参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%B3%AA%E4%B8%80%E8%A6%A7 暇なときに眺めて、創造的発明にふけってみてはどうだろうか。暇つぶしにもなるし、もし、天の啓示があったならば、人類の救世主たりうるかもしれないのだ。キューティーハニーのように、空中元素固定などで服を作る技術も、近い将来、夢ではない。ちなみに、現在水素自動車や水素を燃料とする燃料電池自動車が試験走行されているが、風力発電と並んで、興味がない。説明はしないが、無理、無駄な研究であるようだ。水素社会を実現するインフラの技術革新を待つほかはない。実用化できないと立証されても、自動車会社の開発は止まらない。なお、太陽電池は良いと思う、大躍進を期待したい。それから、原油、銅など多くの資源が高騰している。高騰することで、石油代替燃料などの開発がそろばんに合うようになった。これは誰かの意思だろうか、、、、。地球を救う賢人の意思であることを願うばかりだ。さもなくば、、、。 記:とらのこども
2007.04.15
光の影、ゆらゆらと。春の高山祭り、春祭りの夜祭り曳航を、テレビ、新聞などで紹介している。淡い提灯の灯りがゆれる12台の屋台がほんとうにきれいだ。岐阜県高山市で14日に開幕した「春の高山祭り」。400年の歴史を持つ。土曜の夜に入り、呼び物の夜祭りが行われた。屋台の頂上にあるものを入れれば、全部で四段の提灯。各屋台100個を越す。灯りがゆれながら、屋台の金銀の細工をきらめかせる。周囲にある照明が都会ほどでもないから、美しさは圧倒的だ。これが中世であればなおさらだったと思われる。さながら、阿弥陀さまの降臨のごとく、極楽浄土気分であったのでは?と思う。TDL「えれくとりかるパレード」なら、日本ユニシスの提供で毎日でも見ることができるが、祭礼である高山祭りは年に一度だけ。尤も、較べるのも愚かだろう。夜となり、屋台の提灯が闇夜を照らし、宮川に光の影を落とす。神楽台を先頭に、車輪をきしませ、ゆっくりと動き出す。金銀の刺繍や、金具が、光のなかで「ゆらゆら」と浮かびあがっている。約2時間の曳き回しの後、哀愁を帯びた「曳き別れ歌」が流れ、主役の屋台は、ご自宅(各屋台蔵)へ。沿道の3万人を越す見物客は、名残り惜しそうに見送った。以上、毎日新聞の記事より抜粋。一部加筆あり。(参考HP)高山祭りの歴史:http://www.hidanet.ne.jp/02/matsuri/kigen.htm春の高山祭り:http://www.hidanet.ne.jp/02/matsuri/haru.htm 日本には、こうして400年を超える伝統を守る人たちがいる。 この凄さ。壊れていっている現代社会だからこそ、改めて素晴らしいと思う。 ディズニーランドにばかり行かせている父親は猛省して、 わが子を参加させることのできる地域伝統行事も、探すべきではないか。 自分の住んでいる地域の行事にこそ、祖先の香りがかすかに残っている。 記:とらのこども
2007.04.15
誰のために戦うか。ある球技の代表数十名にテレビが問うていた。全員が「自分自身」と答えた。そうだろうと思う。厳しい試練を乗り越えてきた猛者たちだ。負けた自分の姿は見たくなかろう。だが、ここまで答えが揃うと落ち着かない。そう思っていたら、雑誌のコメントが目を引いた。「フィールドにいる一選手のために戦え。」NFL(米フットボール リーグ)の某ヘッドコーチの言葉だ。チームでも、監督でもない。同僚の一人ためというのがいい。仲間の頑張りは、仲間であるゆえに皆が良く知っている。「あいつのために」とそれぞれが思えば、チームが一丸となるかも知れない。「自分のため」なら諦めてしまう甘えも封じていて、なかなか奥深い。私の学生時代は、「チームのため」一辺倒だった。「一選手のため」と言われたなら、誰を思い浮かべただろう。そして、「俺は皆にそう思われるか」と自問したはずである。さて、社会人になったとき、配属部署に膨大な仕事をこなす先輩がいた。威張らず、情に厚い人だった。私は手伝いに走り回った。自分のためでもなく、会社のためにでもなく、その先輩のために。熱いフィールドは、どこにでもあると、今にして思う。記:須藤靖貴氏(作家)/スポーツ万華鏡より 「ALL FOR ONE,ONE FOR ALL!」 ALLには入るが、ONEになることがあったろうか。と自問してみた。 そしてかつてONEを自覚したときは、身震いして事に当たってきたことに気づく。 だから、今は、みんなを「応援ハゲッスムニダ」。気づいて身震いしろ!! 最後の最後まで、死んでもやり遂げろ。俺が必ず守ってやる。 記:とらのこども
2007.04.15
健康十訓 健康の秘訣、ここにあり。1 少肉多菜 お肉ほどほど、野菜たっぷり、健康もりもり2 少塩多酢 塩分摂り過ぎは高血圧のもと、酢は健康のもと3 少糖多果 甘いものは果物から、砂糖は肥満への直通切符4 小食多噛 腹八分目でよく噛みゃ、幸せも噛みしめられる5 少衣多浴 薄着で風呂好きの人は、健康を身に付けている6 少言多行 ぺらぺらとしゃべってる間に、行動を開始せよ7 少欲多施 自分の欲望のために走らず、他人のために走れ8 少憂多眠 くよくよしたって同じ、とっとと寝てしまおう9 少車多歩 自動車は確かに早い、でも歩けば健康への近道10 少憤多笑 怒ったときもニコニコしていれば忘れてしまうMETREグループ、創作和風居酒屋「はなの舞」のコースターに書いてあった。持ち帰り、プログで紹介します。ご参考ください。
2007.04.14
かつて、日本の部品業界は高利益を謳歌した頃があった。理由は簡単だ。TV,DVC,DSCなどの各種電気製品の市場価格の下落スピードよりも、部品単価の下落スピードが遅かったのだ。(この理屈。それなりの人でも認識していない方が多いのに驚く。)よってその赤字、セットメーカーがかぶった。かくして、利益はセットメーカーから、部品メーカーへと、急速に移っていった。家電製品だけでなく、パソコンや、自転車など同様の経過をたどった業界が多い。ところが、自動車業界だけは違った。トヨタ自動車がその先陣を切る。各取引先へ30%になんなんとする大合理化、コストダウンを要求し、それを勝ち取ったのだ。これは今日へと続く。誰もが高収益と思うトヨタ自動車の経常利益は、94年には約2%近くに落ちていた。2004年までの10年間で、これをなんと、利益率10%まで積み増す。自社努力もあろうが、各取引先へのコストダウン要求の徹底が大きかった。日産自動車のリバイバルプランが世間では有名だが、すぐにできない会社は対応をしなくてよかった。トヨタは、1年、2年待ってでも、要求水準まで下げさせる。あるとき、特急電車で隣り合わせたおじさんが、トヨタ系列の金型屋の取締役で、苦労談を聞く機会があった。すごい!、ほんとにすごい。想像を越えた現実を聞く。その会社、社員全員の給与賞与を30%引き下げたそうだ。世界と闘う、世界1になるという舞台裏は、情け容赦ない。最終的な売価から、原材料費を差し引いたものが「付加価値という名の富」であり、どの業種にあっても、その付加価値の分配をめぐって、血みどろで闘う。闘う相手には、運送業界、商社・問屋、小売業界、関税という国家さえも含まれる。かつて、家電製品では部品業界が甘い汁を吸ったけれども、自動車業界では、塗炭の苦しみとなった。本当の闘いは、競合各社間ではない。本当の闘いは、富の配分をめぐる闘いなのだと思っている。だから、為替が大きくふれるときや、市場価格が大きく変動するときがチャンスだ。十分な準備をして、闘いを挑んだものだけが勝ち残る。受身の会社は食い物になる。経営とはリスクマネジメントだ。資本主義経済であるから弱肉強食である。やすやすと食われぬよう、辛いコチュをまぶすのも方策かも知れぬ。記:とらのこども
2007.04.12
つらいと涙はからくなる。卒業、転勤、引越し。春は何かと別れの多い季節。そこで、今日は別れにつきものの涙のお話しです。ひと口に涙といっても、嬉し涙、悔し涙、悲しみの涙など、人はさまざまな涙を流す。この涙には、それぞれ味に違いがあるらしい。その秘密、自律神経の働きにある。例えば、副交感神経に刺激されてあふれる「嬉し涙」は、水分が多くてマイルドな味。そして、交感神経に刺激による「怒りや、悔しさの涙」は、ナトリウムを多く含んでいて辛口になるという仕組み。なるほど、人の涙とは、奥が深い。そういえば、総体の大将戦で負けた時、汗に混じって口に入った涙の味はとびきり辛かった。僕が勝っていれば、おそらくは優勝までいったはずだった。今なお辛い。いつかみんなに泣いて謝りたいが、まだできていない。ところで、悲しいときや、悔しいときに涙を流してすっきりした、という経験は誰しもあるのではないか。実は、近年の研究で、「ロイシンーエンケファリン」という物質が検出されて、この物質がからだの中で、痛みや、ストレスを緩和してくれる脳内モルヒネ様物質のひとつと解明された由。涙には痛みやストレスなどの刺激を洗い流し心を守ってくれる効果があるみたい。逆に考えると、泣きたい感情を抑えて、無意識にストレスをためている可能性も。厳しい社会の中、ぐっと涙をこらえた日は、お酒でストレス解消もいいですが、時には、映画や小説などで、思い切り泣いてみるのはいかが?流した涙は、きっと新しい春を届けてくれると思います。世の中、そう捨てたものではありません。記:とらのこども
2007.04.11
人が決め手になる時代である。経営担当能力を持った管理者が育てられるかどうかが会社発展の鍵となる。とはいっても、管理者に教えたいことは山ほどあり、「トテモデキナイ」という気になってしまう。生き生きと勝ち続けているチームを率いているリーダーをよく観察すると「10の良い顔」を持っている。力も、能力もあるのに、なぜか勢いがつかないチームリーダーには欠けているいくつかの「顔」がある。この「10の顔」を意識するだけでリーダーが育つなら、めっけものである。是非、試していただきたい。1 決める人 「部下と相談するが決めるのは私」という意識でいつも事に取り組む。2 計画を示す人 計画は、関係者の意見を集めて作られることが望ましい。 しかし、リーダーの計画を示さなくてはならない時期、事柄があることを 知ってなければならない。いつも部下の意見の足し算ではダメなのだ。3 答えを出す人 仕事に関連したことで、部下から質問を受けたら「自分で考えろ」というのはよい。 しかし、その場合でも、リーダーはその答えを持っているべきである。 答えがわからなかったら、外部に問合せても、自分のさらに上司に問合せても、 答えを用意しておく責任がある。4 部下の考えを引き出す人 聞き上手、尋ね上手は、やらせ上手で、育て上手。 いつも部下の考えを引き出そうという意識が大切である。 たとえ、自分がやるほうが早くても。5 やりきらせる人 部下の努力を業績に結びつけるとチームのエンジンがかかる。 そのためには、決めたこと、約束したことは「何が何でもやりきらせる」という 意識が大切である。6 仲裁する人 部下グループのもめごとはリーダーが収めなければならない。 ”知らぬ顔の半兵衛を決め込む”ことは、責任の放棄につながる。 ”大岡裁き”の分別は、リーダーにも求められている。7 査定する人 人間は誰しも他人から点数を付けられることを好まない。 それだけに、「この上司の査定は公平だ」と部下に感じてもらえるように 平素から部下を客観的に観察して、記録をとって、備えを万全にしておか なければならない。8 保護する人 部下が不当に扱われたときは、断固として保護する責任をリーダーは背負って いることを自覚するべし。いざというときに、リーダーの真価が問われる。9 多方面に連絡する人 たとえば突然の出来事に出くわしたとき、リーダーはこのことを誰と誰に 連絡しなければならないか、またその情報を洩らしてはならないのは誰か などが的確に判断できなければならない。10 春風を吹かす人 リーダーは言うべきことを遠慮なく言うべきである。 しかしネアカでなければならない。 部下の集いにリーダーが入ってくると、「心地よい緊張感とともに、同時に 春風にような希望と暖かさが伝わってくる」と言われるようなリーダーでありたい。以上の心得は、自然と顔の表情に現れる。そして、いつもこの「10の顔」の表情に努めていると、10の心得が自然と自分の身についてくるのである。人間は変われるし、変わっていくからすごい。
2007.04.10
今日のことば理解の仕方について、「鋭い」、「深い」の二種類がある。ハズリッド箴言集より。翻訳:中川誠理解の仕方にも、二つのタイプがある。「鋭さとは、物事の確信を掴む(つかむ)ことであり、深さとは、真実の空気を感じ取ることである。」人の言葉から、その理解の「深さ」を感ずるときと、「鋭さ」を感ずるときがある。「鋭さ」には感嘆するが、より心を慰められるのは、「深さ」を感ずる時である。
2007.04.09
新聞社説はもとより、社内の噂、都すずめに至るまで、施政者の批判や、上司の悪口に満ち溢れている。どうしてこんなことが分からない?こうすればいいじゃないかと、、、若者ならずとも、口にする。創業家が退き上層部刷新となった三洋電機の例を引かずとも、有能な経営者、取締役、そしてマネージャーは、どこの会社でも引く手あまたである。世を挙げて新入社員の時期だから、君たちにお教えしたい。会社では、ダメ先輩、ダメ主任、ダメ課長、ダメ部長があまたいる。それは、そうなる理由があるのだ。新入社員のなかに、優秀な人材は、数多くいることだろう。そして、入社早々から比較され、選抜されていく。(⇒落ちこぼれていく。)会社は、常に、優秀な社員に飢えている。入れ食いだ。例えば、技術系の社員であれば、下積みではなく、入社早々からデザインをやってみろとか、研究所へ行ったりとか、本社経営プロジェクトなどに勇躍派遣されることもある。中には、国内外への留学の道もある。文系、理系を問わず、与えられた仕事に、全力でまい進する。成績もあがる。中には、早々に、チーフ、主任、係長になる者も出てくる。もっと頑張る。もっと成績を上げる。また、昇進だ。かくして、セールスでTOPだったころは幸せだったのに、気がつけば、新商品企画に行ったり、店舗設計&新事業プロジェクトに行く。本社に引っ張られる者も出てくる。課長になり、部長になる。でも待てよ。営業の能力と、企画の能力と、人事掌握の能力と、海外事業の能力、、、、担当者として有能でも、管理者としてどうか、役員ならなお更だ。全部、こなせれば問題は無いが、ほとんどの場合、どこかでうまくいかない。うまくいかない仕事、うまくいかない職能があって、当たり前だ。すると、ダメなところで昇進、昇格の道は止まる。世の中みんな役立たずになり、これでまた平和になる。かくして、また有能の才が求められる。みんなで役立たずというのも、落ち着いていて居心地は悪くない。悪口を言われても、へっちゃらだ。できないものは仕方が無い。ただし、他社より無能であれば、会社まとめて落ちていく。だから、変わり続けることが大事なのだ。長らく新陳代謝の無かった公立校の先生方は、今、ホントに苦しんで、もがいている。実に気の毒だ。個々人がもがいても、なかなか変えられないらしい。ああはなりたくないものだ。記:とらのこども
2007.04.08
週末なので刺激的なお題を上げた。上げるだけ上げて、花見の話しを書いてしまいました。読者の皆様、ごめんなさい。改めて、本題です。初めて、女になるとき。「男になってこい。」、そう言われて男は出かけることが多けれども、女の場合、送り出されることはない。ある日、女になるのだ。初めて女になる。これはまず、初潮を迎えたときである。次に、初体験のときで、「女になった。」「女にした。」などという。実は、もう1度ある。それは、初めて女を売ったときである。初めてのときは、家族みなで赤飯を炊いてお祝いをする。次のときは、当然ながら相手がある。最後の場合、ひとりだけだ。相手はあるけれども、ひとりきりで女になるのだ。最後にもうひとつ。男の死に水をとるときも、女になったときかも知れない。 この目線。男目線での冗談(ジョーク)やと思いますので、 女性の読者は、軽く、ふんと読み流してください。お題のミスです。 記:とらのこども
2007.04.07
いつも読んでいただいているプログ読者の皆様、こんばんは。とらのこどもです。今日は土曜ですし、思い立って花見に行ってきました。実にきれい。心洗われるようで、実によかった。家の近くの浄水場。その横の川筋に、桜並木がある。そめいよしのの並木道。俗に言う桜堤(さくらづつみ)ですな。桜目当ての人々に、堤を踏み固めてもらうんやとおもいます。その桜。ほとんど花の香りはないんですけど、小雨のせいもあって、今日の桜には、ほんのすこし、くぐもった香りがありました。甘い香りやなしに、すすのようなにおいです。例えが悪いのですいません。うすたなびく、野焼きのすすのようなにおいが桜の花びらからしてて、数は少ないけれども、雲霞が花の周りを飛んでおりました。花のかおりは、鼻を近づけてかいだりしますが、1番ええのは、花の咲いた枝をかすかに揺らすんですね。これがええ。たまったかおりが動くんでしょうね、花のにおいが立ちます。ごめんやで。もおてくで、この香り。(もらってくよ、という意味。)そんな感じで花に断り入れまして、春の花の香りをもろて歩く。これはこれで、春の散策の醍醐味ですな。今年最後のなべしよか、そない言うて、夕食は、鍋にしました。豚しゃぶに、ビール、日本酒と進みます。食事は、あつあつのおうどんです。今、ちょうどええ気持ちです。今日は、家内と娘が、さくらがバックの写真をずいぶん撮りましたが、ぼくの頭の中にも、同じスナップが残っていて、今晩の夢に出てくるとええなと、酔ったあたまで思うてるところです。記:とらのこども
2007.04.07
「光陰矢のごとし」というように、どんどん年を取る。特に、ご無沙汰中の人と合うと、前回に会ったときから、1年ぶり、2年ぶり、、、だったりするから、1年、2年の時間が、あっという間に過ぎ去って行ったのだなという実感がある。ましてや、その人の顔かたちが変わっていたときには、なおさらである。自分もそうかと思えば、恐い気さえする。さて、今日のお題は、出会う人、付き合う人、好きな人、である。そもそも毎年、新しく何人の人と出会うことか。高校入学であったり、新社会人という節目には、実に多くの人との出会いがあり、変わりなく、去年と同じ今年であれば、それなりの人数だろうと思う。職業柄多ければ数百、数千人かも知れぬが、普通のおとなであれば、親しく話す機会を持てる人は、せいぜい数十人。百人はいないのではないか。それらのなかで、好きな人、好きになってくれる人、ウマの合う人がいる。第一印象で分かる場合のあり、じわじわっと好きになる人もある。光り輝いている人もあれば、やわやわと優しいオーラを持つ人もいる。出会った後、多少でもお付き合いを始める人が出てくる。初めてだから楽しいし、刺激もある。話し込めば、お互いに人生があり、そのひだもあるから、話しは尽きない。また、新しい取り組みに発展していくこともある。かつて、会社の先輩がこう言っていた。「あのな、毎年いろいろな人に会うやろ。そんなかに、ああーええなと思う人が、毎年3人おるらしい。ようけ会うても、会う人が少ない年でも、ほんまにええなと思う人は、3人くらいやて。活動的な人生が50年として、100人から200人くらい、いてはるわ。そうした人と、生涯にどんなふうに付き合うかで君の人生が変わるのやで。」当時、とらのこどもが新入社員か、2年目やったかくらいのことである。今も鮮明に憶えている。この話し、も少し続きがある。「ほんでな、そういう人は君の前を通り過ぎて行くねん。普通は。せやけどな、君が素敵な人やったり、君がその人を一所懸命に大事にすれば、そのとき限りやなしに、ずっと付き合えるのや。好きな人といられるのは、ホンマに幸せなことやねん。まだ、わからんわな。まあ、そのうちにわかるよって、憶えとくとええよ。○○君。」宮島先輩、ありがとうございます。今から思えば、先生みたいでした。おかげさまで、20数年経った今もしっかり憶えてます。月日は過ぎ行き、今ではそのセリフを自分が後輩に言うようになった。昨日、昇格祝いで飲んだ山根くんは、憶えてくれただろうか。まあ、どっちゃでもええことですけど。今週末は、えらいぬくうて、花見は大盛況でしょうな。皆さんは、今年の桜の花はどなたと見られますか?とらのことどもは、家族で近くの「岩崎城さくらまつり」へ行きます。おっ、もうそろそろ出発の時間や。今日はこのへんで失礼します。
2007.04.07
ノートにいろいろなことばを、書き連ねてある。ときどき、それらを読み返す。ちからをもらって、また仕事をする。詩歌もあれば、人生訓もある。本からのものも、ネットからのもの、人から聞いたことば。それらから、いくつかを紹介したい。今日のことばは、本田宗一郎さんのことば。「人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である」このことばには、続きがある。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは、自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。もうひとつ、やはり本田宗一郎さんの別のことばも。私は、うちの会社のみんなに「自分が幸福になるように働け」っていつも言っているんですよ。会社のためにではなく、自分のために働けって。以上、本田宗一郎さんのことばより
2007.04.06
実は、短歌ファンである。以前は、読売新聞の旅歌(たびうた)というサイトへの投稿常連であったことも。それで、短歌つながりで友人になった人もあったが、最近はご無沙汰だ。「土曜の夜はケータイ短歌」というラジオ番組がNHKにある。結構、面白い。皆さんにご紹介したい。ネットで、投稿された短歌だけも見ることができる。現代短歌だ。http://www.nhk.or.jp/tanka/tansho.html*************************************************************************~だいたひかるさん選~才能は磨けば光る言われ続け今の今まで磨き忘れて 広島 落合の弟子 26父親のてっぺんハゲが眩しくて人混みの中、目印にする(魚喃さんも選) 岩手 えのきすばる 22青春が輝くものと決めた人 私あなたを信用しない 福岡 小埜マコト 31君にだけスポットライトが当たってるように見えてた一年二組岡山 稚春 16教室の曇りガラスの向こうには無限に広がる自由の光 福井 じんぐうじ 14短歌はいい。一瞬を切り取る。これも日本人的感性らしい。自然も、動植物も、人間も同じ土俵にあるのだから。記:とらのこども
2007.04.05
人生の大先輩、Aさんと会った。いつも楽しい、いつも凄いお話しを伺う。聞くたびにすごいと思うばかりだ。楽しい時間が過ぎていく。その場にオーラが広がり、場ができるようだ。Aさんのお知り合いの皆さんにもまた、凄い方がたくさんいらっしゃる。そして、そうした皆さんが何を考え、何をしてらっしゃるか、経験、知見、そしてしみじみしたことまで、お聞きする。いくつも耳に残り、自分を省みて、いくつもの反省がある。また、取り組みたいところが見えてくる、、、ような気がする。とはいえ、しばらく意識に沈み込んで、もっと後日のことだ。それで、自分のものになる。ように思う。ふっと思い出し、なるほどと思う。ところで、そうした知人の方の話しから、なぜ韓国人と日本人が分かり合えないか、愛し合えないかという精密なお話し、根拠的なものを多く聞いた。なるほど、そりゃそうだ。あっ、それ分かります。先日ありました。という感じのことばかり。そうか、それで分かり合えないのか。それで、長く愛し合えないのだ、と思った。それでも、Aさんと私の話しの結論は、「愛していれば、誰とでも、必ず分かり合える。愛し合える。」「ただただ、愛すればいいのだ。」そういうことに落ち着いた。男は直球勝負である。思い返せば、若いころ、うまくいかなかったあの時、うまくいかなかったあの人とは、こちらに、愛が足らなかったのだと合点する。自己愛というか、わがままというか、そうりた利己心が、思いやる、愛する気持ちを超えたときがあって、あの彼女とはダメだった。クー ノレヌン クーニョルル チョアハドン ノレエヨ。ふと流れた昔の歌を聴いて、ノレバンで、ひとり事を言う。このハングルが、日本人がマスターできない、韓国語の回想過去形である。(動詞の過去回想と形容詞の過去が、動詞の過去と形容詞の現在が、同じ形なので要注意!)記:とらのこどもPS 愛し合ってるかいっ?!
2007.04.05
読書の話し読書はなんでするのか。読書は何を与えてくれるのか。私は男なので、男の子の立場で考えてみたい。いきなり、回答です。自分の中に取り組むべきテーマを、なにも持っていない人間は、いくら本を読んでも、なにひとつ発見することができない。中谷彰宏「自分塾」より。だから、自分のテーマを持つこと。自分が主役。本はあくまで助役(ヒント)に過ぎないと知るべし。また、生きるうえでのテーマを持っている人であれば、人生のなかで学べることが多い。人に説教したい人は、伝えたいことがある人とも言えるから、良い人だと思う。いかがでしょう?ps 女の子にも、女の子のテーマがあると思います。とりあえず今日は、男の子に人生のテーマを探せ!と言うお話しでした。記:とらのこども
2007.04.03
例にもれず、中年太りである。やさしい友人たちは、「そんなことないよ、かっこいいよ。まだまだ大丈夫。」となぐさめてくれる。「友人よ、ありがとう。」と素直に感謝する。とはいえ、体重計も、おなか周りのぜい肉も、私に真実を報せてくれる。鏡も真実を映す。「脱ぐとすごいのよ!」、というのは、まさに私のことかと思う。現実とは残酷だ。ここ、6年間で最大10KG以上の体重増加である。しかし糖尿病もイヤだし、太りすぎからくる各種生活習慣病には、かかりたくない。ダイエットはしないといけないと思う。なにより私には家族がある。さて、そのダイエット。ダイエット法にはいろいろあるので、悩んでしまう。まず、食事制限はイヤだ。うまいものを食いたい。怪しいサプリメントは真っ平だ。おなかに巻くベルトは、ラクで良さそうだが、事故の報告も多い。なかでは、パナソニックの乗馬が、なかなかよさそうだ。やっぱり運動が良いと思う。が、月に数回ではダメのようだ。そもそも現在の体重増加は、大阪から名古屋への転勤が原因だった。電車5本を乗り継いでの片道1時間半の通勤が、自動車20分の通勤になった。ラクになった分、身体もすなおに成長した、ということ。でも、毎日の運動習慣はなかなかに難しい。いろいろ本を読み、ネットで探し、沈思黙考の結果、私のたどり着いたのは、「腹巻きダイエット」であった。結果は良好、ここ3ヶ月ほどで2KGの体重減少である。快哉。そもそもカロリーの入りと、出の関係を、ほんの少しでも、出るほうを多くすればよいのだ。私は腹巻きで、体温をほんの少し上げて、基礎代謝をあげたということ。なお、腹巻きだけではなく、多少の運動もしているので付け加えたい。皆さんも騙されたと思って、お試しありたい。腹巻きは、なにより身体に良いらしい。消化吸収もよく、下痢もしなくなった。寒いソウルにあっても、身体全体がぽかぽかして実にいい。服装自体、薄着でだいじょうぶだ。これでさらにダイエット効果もあがるらしい。特に、男性に良い。女性には効果があるかはわからない。私見ながら、あまり無さそう・・・。衣料品店には、昔ながらの毛糸の腹巻きもあるが、綿の薄手のものや、やわらかく締め付けないもの、色の目立たないものもある。ずいぶん種類があって、なかなか配慮が行き届いている。腹巻きを発明した人に、海よりも深く感謝する!!
2007.04.03
「かもめのジョナサン」ではなく、韓国・男やもめのとらのこどもです。(長いっ。)ネタ切れのこの頃ですので、休日の行動を書いてみたい。土曜日8時起床、シャワーを浴びて朝食。コーヒーとチョコチップ。それにオレンジだ。チョコチップは、オリオンに限る。柔らか食感で、うまい。洗濯をスタートさせて、会社に出社。午後1時まで仕事する。弁当屋で、とんかつ弁当を購入。自宅アパートで食す。味噌汁は、日本から持ってきた永谷園のひるげだ。食後、緑茶を飲んで、、、1時間ほど韓国語を勉強。(ボン イリ イッソヨ。など)洗濯物を干して、後は、昼寝。 韓国語の勉強をすると、その後、熟睡できる。独身のころ、弁理士を目指して勉強したことがあるが、そのときも、逐条解説を読めば、たちどころに熟睡した。歴史は繰り返す。夕方4時半。自宅を出発。友人がヒルトンホテルのカジノで遊んでいるので、出かけて合流する。夕食は、カジノで無料だ。遊んで、食べて、飲んで帰る見込み。頑張るぞ!!カジノに着いた。友人を探し、ルーレットをやっている友人のとなりで座る。とりあえず、5万wをチェンジ。ラッキー!!1回目で36倍が来た。その後、すべて無くなり、10万wの小切手を追加チェンジする。、、、、、、、、、途中省略。約2万円勝ったところで終了。幸運の女神(ディラー)にチップをはずんだ。楽しいゲームだった。カジノを出て、会賢まで歩く。夕食は、ヘムル鉄板焼き。タイラギの貝柱、サザエ、海老などがうまかった。その後、友人たちと別れて、日本からの出張者と二人だけアニャンへ帰る。初めてのBARで少し飲み、おしゃべり。帰宅して就寝。BARに置いてあった通信のジュークボックスは初めて見た。日本語の曲も、ずいぶん沢山あった。これは、良い商品だと思ったが、日本語のフォントが無いのか、ひらがなしか表示されない。こりゃあ、ダメだ。そして、日曜日。起床、部屋の掃除。シャワー後、朝食を取る。会社へ出勤。昼食は出張者を呼び出して一緒に食べる。ノルブのハンガリアカルビ(ヤンニョムカルビ)とビール。休日の醍醐味だ。ノルブでは、ケジャンがうまくって、ずいぶん食べた。午後から、初めてのソウル大公園を散策。大きい公園だが、男二人では面白くない。たわいも無い話しをしつつ、歩く。ハトに蒸しパンをやったのが1番面白かった。ソウルのハトは、えさを誰にももらわないのか?ものすごい入れ食いだった。もし、自分がハトなら寒いソウルより、少しでも南に飛んでいくなあと思う。市内に出て、これも初めてのドラゴンスパに行った。風呂は天井が低くてどうかなと思ったが、ハンジュンマクは、気持ちいい。7年ほど日本に行ったことのある社員がいわく、土日は客が多いらしい。平日はゆったりしているから、またおいでくださいとのこと。また、プールは小さいが夜も利用可能。星を見ながら、水に浮かぶことができる。子どもたちがいない夜9時ともなれば、貸切りだ。気持ちよし。その後、龍山からイテゥオンまで1時間歩く。後輩がシルバーの指輪を買い、私は時計を買った。ビールを飲み、ラーメンを食べて、帰宅。就寝。それにしても、よく歩いた週末だった。記:とらのこども(エピローグ)土曜日は家族は出かけてていて、電話をしてもいなかった。日曜日は娘が電話に出た。この電話している時が1番、うれしい時間だった。日曜の夜にまた電話した。山の神に、時計の買い物をバカねと、しかられた。スパで体重計に乗った。この冬で3KG減量成功。よしっ。私のダイエット法は、人とは全く違うはずだ。後日、プログで紹介したい。
2007.04.02
まず、お断りします。以下に書くことは、世上の学説、論文などに基づきません。思考のどうどう巡りであって、まったくのカン違いかも知れません。類似の考えをどこかで聞いて、澱のように脳のそこに溜まっている。そんな、お話しです。さて、本題。まずは、原子の話しから。原子構造は、学校で習った。まず原子とは何か。「物質を構成している最小の粒子」が原子。原子の直径は、だいたい1億分の1センチメートル。最小粒子であるはずの原子だが、最小単位ではない。陽子と中性子からなる原子核の周りを、電子がいくつか回っている。そのセットを原子という。陽子と電子の数は同じだ。それで、電子の数と陽子の数を原子番号といい、まず原子番号1番の水素には電子が1個、陽子が1個。続けて、原子番号と周期別にどんどんある。大まかには10種類、細分化すると、6000種以上だそうだ。***************************************************************************解説 : 原子出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索原子(げんし、Atom)は物質の最小構成単位である粒子。現在発見されているものだけでも約3000種類存在し、数え方によっては約6000種類に達する。しかしながら、電子の数(陽子の数)が等しいものを同じ原子と考えると、約110種類の元素にまとまる。個々の原子はほぼ球状であり、半径は10-8cm程度、質量は種類によって異なるが、10-24~10-22gである。分子は複数の原子が化学結合によって結びついたものである。種類は少ないものの1個の原子から成り立っている分子(単原子分子)も存在する。***************************************************************************また、ウィキペディア(Wikipedia)は、原子の構造を、原子は硬い球体というよりも惑星系に例えている。原子核の半径は原子の半径の約10万分の1。原子核と電子の間には真空が広がっている。ところで、原子核の構造は今も未解明である。ここからは想像だが、おそらくはその粒子は、鉄球のようなひとつの固まりではなく、さらに小さい宇宙のような構造になっているのではないか。陽子なり、中性子という素粒子は、ちょうど宇宙ひとつ分の構造であって、その中に無数の銀河があって、その銀河たちは重なり合い、適当に分布して、個々の太陽系のようになっているのではないか。そして、この関係は、超微小な世界から久遠の宇宙の世界まで、そしてその先の世界へまで、無限に続く関係のように思う。次は、分子・細胞の話しをしたい。太陽と惑星、原子核と電子の関係が、原子構造なり、惑星系の形状であったけれども、分子・細胞の世界はどうなのだろうか。前出ウィキペディアには、分子とは、共有結合によって結合した,あるいは化学結合をせずに原子単独で存在している,まとまりを持った原子団。とある。どうして結合するのか、必然なのか、偶然なのか。結合するだけで終りか、、、そうではなくて、それらの分子はさらに高分子を形成し、万物を形成する。無機体の大きな固まりも作れば、有機体のウイルス、細菌、人間も同じことだ。事実はそうであっても、それが必然なのか、偶然なのか。それが問題だ。例えば、細胞ひとつは、個々の種が同じであれば、全く同じ細胞から始まり、ある細胞は周囲の細胞と結合して心臓になり、ある細胞は周囲の細胞と結合して、目玉になる。分子の結合は夫婦のように、機能化していく過程は職業選択のようなものか。自由意志で動いているようでいて、全体の求めている、足りないものになるように、消防士になったり、俳優になったり、八百屋になったり、するのだ。人間世界にあって、フリーターや、引きこもりというものは、身体の世界では、血液中の過剰なコレステロールだったり、おなかの周りの脂肪と同じことではないか。適度であれば問題ないが、過剰に過ぎれば病気という。地球上の動植物の分布と、身体上の細菌の分布も同じようなものだと思う。かくして、分子、細胞というものは、原子の世界とくらべて柔軟な結合をしているように見えて、またこれも同じように、この関係は、超微小な世界から久遠の宇宙の世界まで、そしてその先の世界へまで、無限に続く関係ではないか。続いて、その理由、必然性について考える。ものにはエネルギーがある。エネルギーを与えられて、変化していく。個々に意思というものはあるのか。あるのではないか。小動物も、植物にも、意思があるように思える。無機質には無いのか、やはりあるのではないか。水に意思は無いのか、鉱脈に埋もれる金やダイヤモンドに意思はないのか。やはり、あるんじゃないのか。人間のオーラ(気)のようなものが、万物それぞれから出ているに違いない。そのエネルギーが、周囲の何かとの関係を決めていく。想像力が人間の脳の作用としてあるとして、無限に続く関係、 有意・無為の結合、活動への想像、 輪廻転生のように、、、、チベットのマニ車のように、思考はまわり続ける。回り続けるだけだ。太陽にも、地球にも、杉やヒノキにも、心臓を形作る細胞ひとつや、水素を回る電子たちにも、宗教があるのだろうか。生死があるのだから、何か救いはあるのであろう。記:とらのこども
2007.04.01
クライン孝子の日記を引用して、「マンガローマ帝国の歴史 全3巻」を紹介します。うちの子供に買おうと思っています。もし良ければ、貴家でもいかがでしょう?最近、シーパワーと、ランドパワーの国家の盛衰、というテーマでの世界史や、現代の日本国家の舵取りを評した書籍、情報が多く目に付きます。そうした時、ローマ帝国の歴史は、必ず引用されます。歴史の基本みたいなもの。ローマ帝国、中華帝国、キリスト教とイスラム教の歴史、そしてモンゴル帝国。それらに興味を持って、日本や韓国を俯瞰して欲しいと思います。まず娘には、各種の歴史マンガから。記:とらのこども(以下、クライン孝子の日記より)*************************************************************************■2007/03/31 (土) さかもと未明氏と小堀馨子さんの本が出版された。今日、久しぶりで小堀桂一郎先生と電話でお話した。そこで、嬉しいビッグニュースを知った。「ところで、FAX、直った?」「大丈夫と思います」「じゃ、ちょっとしたものを送るね」「有難うございます」そこで、電話を切って、何だろうな。きっと小堀先生の論文かしら、と楽しみにしていたら、あらまあ、マンガ本の広告ではないか。タイトルは<<「マンガローマ帝国の歴史 全3巻」第1巻 ユリウス・カエサル、世界の運命を握った男第2巻 アウグストウス、揺るぎなき帝国の礎第3巻 カリグラ,ネロ、ユリウス朝の崩壊かつてないスケールで描きおろす古代ローマの英雄たち!!出版社は講談社。林真理子さん絶賛!「ローマの世界がこんなに面白いとは!さかもと未明って、やっぱり天才だ」>>とある。最初この広告をみたとき、塩野七生氏のあの大作がさかもと未明氏によって、マンガ化したのかな、と思った。ところがである。さかもと未明の横に、やや小さめだが、「監修 小堀 馨子」とある。あらまあ、彼女は小堀先生のお嬢さんではないか。彼女はもっか、ロンドンに留学中で、「卒論」に取っ組んでおられる。その彼女が何と、このマンガ本の監修に携わっていたとは!馨子さんが、さかもと女史ととても親しいこと、二人で何か、仕事をしているということはちらっと耳に挟んでことはあったが、まさかこの本作りで共同戦線を張っていたとは「知らぬが仏」でありました。カエサル=シーザー、そしてローマ帝国(ことに征服者の被征服者に対する呵責なき報復)に関して、私はゲルマニア=ドイツサイドから反駁したいことが、いくつかあり、いつだったか、そのことで馨子さんと長時間、電話でやりとりしたことがあります。馨子さんは、小堀先生とおなじく、根っからの学者タイプ。きっと彼女の監修は、完璧に違いない。そう思いつつ、再度、小堀先生に電話をし「おめでとうございます。でも大変だったでしょうね」といったところ、「どうも、そうらしい。編集者からも、直接僕の方に電話があってね。当時の服装など正確にチェックしたものだから、随分役立ったって」いやはやおめでたいこと!そうだ、馨子さん、一刻も早く帰国し、さかもと未明氏とペアで、日本の言論界にぜひとも新風を吹き込んでほしい! です。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_21世紀を迎えた今世界は混沌としています。日本もその渦て政治経済ともに、国際的視点に立脚し欧州からの情報収集が不可欠になってきています。欧州の国際情勢を日記風にまとめドイツ滞在歴30余年の経験を生かし、現地よりレポートします。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_・クライン孝子名抜きのメルマガの転載は固くお断りいたします。・このメルマガは下記のホームページからの登録も可能です。・このメルマガは下記のホームページの孝子日記でもご覧になれます。 「クライン孝子のホームページ」 http://www.takakoklein.de メールはこちらへ E-mail: mail@takakoklein.de メルマガ発行者: クライン孝子 (フランクフルト在住 )◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◎クライン孝子の日記のバックナンバー⇒ http://blog.mag2.com/m/log/0000098767/
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