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太田大阪府知事が出馬断念?━━━━━━━━━━━━━ 毛馬 一三大阪知事選は、知事にまつわる「カネと業者癒着」のスキャンダル批判が収まらないのを受けて、突如知事与党3党が推薦を拒むことになり、結局3選を目指す現職知事が出馬断念も予測される異常な事態となってきた。08年1月10日に告示される大阪知事選挙は、3選を目指す太田房江知事(56)が12月7日に出馬宣言を行い、与党の自民公明民主3党に「推薦」を正式要請する段取りを組んでいた。しかし、一番先に推薦に回ると内外から見られていた民主党が、相次ぐ「カネと政治」のスキャンダル批判を受けている太田知事に、選挙では府民の支持は得られないとして、一転して「推薦」を取り止め、独自候補者擁立に踏み切る意向を29日の会見で明らかにした。傘下の支援組織連合とも共同歩調を取るという。これに対して最大会派の与党自民と与党公明では、「カネ」に絡む太田知事のスキャンダルが相次ぐ中で、もともと太田知事に対する府民の不信感を拭うことは出来ないとして、3選出馬の推薦には応じられないとの空気が支配的だった。このように太田知事の推薦を拒んだ民主党の動きが、29日に急遽先行したことから、結果として与党3党が「太田知事離れ」で一致することが、事実上確定する見通しとなった。となると、今後この「太田離れ」の3党が再び「相乗り」する形で、新人候補を共同で担ぐかどうか、ということが焦点となる。この点では、民主は「自公に相乗りは出来ないが、民主に自公が相乗りすることまでは阻まない」と、与野党対決を回避する道も開く姿勢をのぞかせている。そこで焦点は自公の動きとなるわけだが、この知事選を自公の退潮と受け取られかねない「市長選の二の舞にはしたくない」との意見が大勢を占めている。つまり自公で独自候補を擁立することは避けてでも、民主の候補者に相乗りして「勝利」を手に入れることが、先決という理屈だ。しかもこの判断は、現3与党が分裂して票を分散すれば、府下に強力な支持基盤を有する共産党票に凌駕され、共産府政の再現に手を貸すことになりかねないという危機感から出ている。と同時にスキャンダルの太田知事を2期8年支持してきた3与党から離れていく組織票と、特に「カネにまつわるスキャンダル」を嫌う無党派層が大挙して、共産党へ流れていけば収拾が付かなくなるという訳だ。こうした情勢を踏まえ「太田離れ」をした自公陣営としては、中央の与野党対決の代理戦争は避け、3党相乗りをすることで、強力な共産票の封じ込めと無党派層からの集票に一致団結して臨みたいというのが本音だ。29日の午後からは水面下で、自公両党が民主の推薦する新人候補に相乗りする意向を内々伝え折衝を進めている。告示日が切迫する中で、仮に民主党に候補者探しが暗礁に乗り上げた場合は、自民がこれまで打診してきた候補者を、民主候補者として擁立してもらう事もやぶさかでないとの意向も伝えているようだ。こうした情勢下で、知事が中小企業経営者らで作る任意団体の飲食をともなう講演会で883万円もの高額講師謝礼を受け取り、その団体に所属する21の企業に大阪府が随意契約で36億円もの工事を発注したという「カネと癒着」疑惑についていくら釈明と謝罪をしても、疑惑と批判はそう簡単に沈静化する気配を見せていない。知事支援周辺では、再度3与党を巡回して「推薦拒否」の撤回をひたすら求めたい方針だが、正直対応策に苦慮している。一部には3選出馬断念も否定できないとの意見も出ていると周辺関係者は漏らす。大阪知事選は、再び大きな局面を迎えた。(了)07.11.29頂門の一針よりぜひ、メルマガに読者登録を。お勧めです。 大阪府民の審判やいかに?注目の選挙です。 記:とらのこども
2007.11.30

ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよ誰しも一度は口ずさんだことがあるでしょう、有名な童謡『ぞうさん』。この歌には、こんなエピソードがあるそうです。作詞者まどみちお氏は、戦後復員し、とある食品会社の守衛をしていました。乏しい給料の中から、ある日7歳を迎える長男に、誕生日プレゼントを買ってやろうと思い立ちます。二人連れ立って出かけていった先は、街のおもちゃ屋さん。そこで長男が指差したものは『汽車』のプラモデルでした。しかし、正札を見ると、当時のまどみちお氏の給料では、とても手が届かない高価なものでした。親子はそれを、無言のうちに了解します。父親は、息子にほしいものを買ってやれなかった不甲斐なさを息子は、父親に無理な要求をしてしまった後悔を それぞれに感じ入りながら、動物園に向かったのでした。そうして、生まれた詩が『ぞうさん』です。しかしその当時、動物園には象はいませんでした。にも拘わらず、悲しみを抱えた素朴な親子の目には、確かに象が見えたのです。見えたばかりか、心を通い合わせたのです。 ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよこうして見ると、この詩につまった優しさや温かさ、言い知れぬ哀切が感じられます。『見えないものを見る目』とは、こういうことなのかなぁと思います。今日は勤労感謝の日。毎日、辛いこともしんどいことも、踏ん張って、家族のため自分のために社会のために頑張っていらっしゃる、全国のお父さん・お母さん、お疲れ様です・.。*・.。*(〃´∀`)・.。*・.。* なぜか一瞬にして、長文記事が消えてしまった哀切を、ひとり噛みしめるうさより^^; 以上の素敵なお話し。てくてくうささんに教えていただきました。 Honnete Homme 記事原文はこちらで~す!! 皆様もぜひご訪問ください。
2007.11.30

宇宙人に遭遇したとき僕らはどうすればいい??11月26日11時17分配信 R25宇宙人からコンタクトがあった場合、日本ではどこに通報すればいいのか?こんな疑問を解決するための会議が、先日兵庫県で開かれた。天文学者をはじめ60人以上の専門家が集まる、初の本格的会議として成果が期待されたのだが…残念ながら、今回は結論が出ず。情報を独占される可能性があるので国家を通報先にすべきではない、といった意見も出るなか、とりあえず結論が出るまでの間は「発見者の判断に委ねる」ことになったという。しかし。当然、僕らだって今日あたり、ひょっこりと宇宙人に出くわす可能性があるわけで。そんな重大なイベントに対して「判断に委ねる」と言われても…正直荷が重すぎます。その時、我々はいったいどうすればいいのか?? こんな疑問を、思いっきり“あの人”にぶつけてみましたよ。「確かに通報先を決めるのは難しいですね。強いていえば、UFOに関しては防衛省でしょうが、これはあくまでも《未確認飛行物体》に対する防衛面から。宇宙人に出会った場合…やはり、僕に連絡をするのがよいでしょう」(UFO研究家・矢追純一氏)しかし。矢追氏によれば、いざ宇宙人に出会ったとしても…。「一般人なら、まずパニクりますよ(笑)。冷静に通報できれば立派なものです」とのこと。そのうえで宇宙人と対面した場合のコミュニケーション法については…。「言葉や身振り手振りは、誤解を受ける可能性が大。やはり思念(ヒーリング・テレパシー)を直接送るのがよいでしょう」というアドバイスをいただいた。「実際に遭遇するかはともかく『宇宙人に逢うかも』という思考をもつことは大切ですよ。それによって有事に対する心構えができるし、人間の代表として正しくあろうという気持ちを日ごろから持てますから」と。実は、人間形成にも関わる問題だった宇宙人との接触。荒唐無稽と思う前に、自分が“人間代表”としてふさわしいかを見つめなおしては?(R25編集部)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071122-00000000-rec_r-ent 人間の代表としての正しい気持ちを持っているか、自問したとらのこども。 皆様はいかがでしょう? 記:とらのこども
2007.11.30
韓国の俗談・ことわざをご紹介したいと思います。始まりが半分だ。(シジャギ パーニダ。)このことわざの意味は、始めりゃ終わったようなもんだ!ですが、1990年に工事開始されたKTX(韓国の新幹線)が工事期間が延長、延長されて18年かかっても終わらないように、苦しみの入り口だったりもします。基本的には、韓国の仕事は、納期の最後の最後にバタバタバタッと終わるので、このことわざ通りとも言えます。化け物と付き合ったな?(トッケビル サギョンナ?)これは、急に成功したな! という意味ですね。北斗七星がねじれた。(プクトゥチルソンイ エンドウジョンネ)これは面白い表現です。意味は、全てがパアになっちゃった。です。最後にもうひとつ。後家の事情は後家のみぞ知る。(手元に無し )意味は、同じ立場の人しかわからない。ことわざは、その国の価値観を示す言葉でもあります。勉強すると面白いです。最後の最後にもうひとつ。飛行機に乗せないでください! (ピヘンギ テウジマセヨ)意味は、おだてないでください。韓国語がお上手ですねとかおだてられたときに、使ってください。韓国の人がびっくりしますから。記:とらのこども
2007.11.29
「イルカに乗った少年」なら絵になるが、「蜂に刺された少年」ならギャグだろう。でも、繰り返し、繰り返し、蜂に刺される少年というのは実在する。今日はそんな少年の話しである。MOMOの実家の庭には、かぼちゃが植えられていた。ある日、かぼちゃ畑を見ると黄色い花がきれいに咲いている。のどかな庭の風景だ。その中のひとつに、蜂が入っていた。オシベのまわりを、もそもそと動いている。ふと思いついて、花を手でつまんでみた。「ぶーん、ぶーんっ!」と蜂が暴れるけれども、出口が無い。逃げられない。MOMOは,うれしくて小躍りしたくなった。なかなか面白い思いつきだったぞ~、と思った。「ハハハッ!逃げられんだろう。蜂のムサシもこれまで。ハハハッ!」ところがその瞬間。「チクッ!」なんと蜂が、かぼちゃの花びら越しに指を刺したのだ。「あうっ、痛っ。」 思わず握り締めていた花を放す。ぶぅーん。蜂は飛んでいった。指は痛い。猛烈な痛みだけが残った。空を見上げて、蜂に悪態をつく。「くそっ、くそ~。」「蜂のやろう。」「今度会ったら、ぶっ飛ばしてやる。」痛みはますますひどくなる。涙が出てきた。うるさく騒いでいたから、家の中から、いとこがでてきた。「どうしたの?MOMO?」と聞かれれば、なぜかますます涙が出る。「うっ、うっ。蜂は刺したから、死ぬんだよね。死ぬんだよね。。。うえーっ。」我ながら、馬鹿な少年であった。続く。
2007.11.28
「幾たびか辛酸を経て志初めて堅し、丈夫玉砕するとも甎全(せんぜん*)を恥ず」西郷隆盛さんの言葉より*「甎」は敷き瓦(がわら)。志をまげて、瓦のよう に値打ちのないものとなって、いたずらに生きなが らえること。生きて、生きて、生き抜く気持ちが大切だと思います。叩かれてこそ、志(こころざし)を強くできるのでしょう。そして生きていける。
2007.11.28
最近はそういうことをしてはいけない、ということになっているのだろう。スカートめくりとか、女の子のお尻を指で突いた話しは聞いたことがない。かつてはあった。それも、毎日、毎日、盛大にやった。時代の雰囲気というものだったと思うが、「オー、モーレツ!」とか「トイレット博士」、「ハレンチ学園」などの漫画を読み漁り、同じことを学校でもせっせとしていた。大好きなあの子が廊下を歩いている。タタタッと近づいて、スカートをめいっぱいまくりあげる。「キャー!」と彼女が叫ぶ。走って逃げる。田舎の学校で木の廊下だったから、掃除の時間にはぞうきんがけをした。また別の大好きな女の子がぞうきんがけをしている。後ろから猛烈な勢いで追いかけて、ぶつかる。スカートをめくる。指でお尻を突いた。「キャー!」と彼女が叫ぶ。ニヤニヤしてると、平手で頬を叩かれた。そういう楽しい日々は永遠に続くと思われたが、ある日、先生に名前を呼ばれ、教室の前にスカートめくりの男たちが整列。お尻を思いっきり、叩かれた。「あなたたち、スカートめくりは止めなさい!! とっても恥ずかしいことよ!」と。さらに、ズボンも、パンツも下ろされて、クラスの全員に見せられた。「スカートめくりは、あなたたちの生尻くらい恥ずかしいのよっ。」と先生は絶叫した。ぼくたちは、先生が気違いのように叫んだのは、別に意に介さなかった。その先生は、いつもそうだったから。しかし、当時、番長らしき奴もいて、「じゃあ、止めるか。。。!」と仲間に言った。それで、みんなで一斉にそうしたことを止めた。スカートめくりしてた奴も、された女の子も、楽しくないわけではなかったと思う。泣いた子にはホントに謝ったし、もうしなかった。ビンタを返してくる子には、甘んじて叩かれた。男でも、中にはズボンを脱がされて泣いている奴もいたし、ケツを思いっきり突かれて悶絶したことも、幾度となくあったものである。それなりの秩序があったのだ。それで、どうしてそうなったか?なんと、スカートめくりをされなかった女の子が、先生にいいつけに行っていた。嫉妬というものは怖いものだ。そのときは分からなかったが、そういうことだった。小学2年生のころの話しである。記:とらのこどもps たかよちゃん、けいこちゃん、あけみちゃん。ごめんなさい!! でも、当時、好きだったし、今、思い出しても大好きです。 海より深く反省してます。(へへ)
2007.11.27

今日した同僚との話し。1 今すぐやろう、今すぐ。今日中にこれと、あれをやっちゃおう!!2 とにかく大事なのは回数だから、これでもか!ってくらい返信を返してください。 こっちもこれでもかってメイルを贈ります。スカイプしますから。3 ちゃんと説明を聞かないとわからないと思うんです。。。 じゃあ、おいでよ!日本へ。説明するよ。出張の承認もこっちでとってあげるよ。4 あるんじゃない?そうだよね、あるはずだよ。 誰に確認したの?本当にあるの?momoに聞いてごらんよ。ほら、やっぱり~。5 どうしても今日、必要なんです。 わかった。じゃあ、今日出そう。後のことは後で考える。(責任は取る。)5 やるだけやったから、もう、今日はいいじゃないですか? 明日があるから、明日の朝からまたやりましょう。というわけで、明日また頑張ります。今日はおしまい。お疲れ様っ。記:とらのこども
2007.11.26

最近の国際政治と経済活動を俯瞰すると、力こそすべてであるという猛烈な圧力と、儲けるためには手段を選ばないという誤った自由が横行しているように見える。ある種の怪物を見ているようだ。そかもそれはある国内に止まることを知らず、グローバルスタンダードという名の下に、経済戦争となり、無防備なアジア諸国や、南米地域や、旧共産圏、大国のなかでは韓国までがその餌食となった。金融の自由化の結果、ビッグバンとかなんとかいいながら、金融、流通市場を「カジノ」にしてしまっている。今日も続く日本の異常に安い金利。その10倍以上の金利と、株式の高騰などを通じて、日本だけでなく多くの国から金と言う金を吸い寄せて、貿易赤字の補填をし、株や現物や通貨に投資して多くの暴騰が起きてきた。この米国中心経済の基本的構図は、今なお変わっていない。そして市場から、国家から、あらゆる経済活動から、この構造は見放されつつある。米国中心経済の基本的構図は、ようやく壊れかかっている。高金利を餌にして、日本などから吸い寄せた金で投機には使えたけれども、高金利自体が米国企業を痛めつけ、国際競争力を弱らせる。米国経済は、本体である産業界と、投機である株式市場の間に迷いながら、結果的には高金利を容認し、ユーロ高、円高を容認し、沈んでいく。日本はダメだ。日本は沈没していくと言う人は少なくないが、日本は永らく世界一の債権国を堅持しているし、国民預貯金総額は2千兆円を超える。あらゆる分野の研究開発力も世界のトップレベルにあり、多くの企業では、日夜、新製品の研究、開発、試作、評価などが繰り返されている。かつて、金融戦争には負けた日本ではあろうが、日本の主役である製造業、生産、販売流通、その他の分野で、今まで以上に健全に進めばいいのだ。「日本には日本の生き方がある。」塚本三郎さん
2007.11.25

もみじ、かえで、イチョウの木。その他のいろいろな紅葉する木々。彩られていく山々の景色はきれいですね。ここ数日で、紅葉のことをいろいろ考えてて、ふと思い当たったことがあります。それは、木々の果実の色は、色付く葉っぱの色と同じだ!!、ということ。黄色いぎんなんのイチョウ。葉っぱは黄色く色付く。真っ赤なさくらんぼの桜の木。葉っぱは赤く色付く。柿色(濃いオレンジ色)になる柿の実。だから柿の木の葉っぱは、きれいなオレンジ色。木々のファイトケミカルの色は、木々に特有なもののはずだから、紅葉のときの葉っぱの色も、木々の実も同じ色になるんだろう。発見した!植物に詳しい人に、いつか聞いてみたいと思います。けどやっぱり、きっとそうだと思います。皆さんいかがでしょう?記:とらのこどもps もうひとつ思ったこと。イチョウは恐竜のいるときから生きている植物の化石と言われています。そのころは、とっても暑くて落葉はたぶん必要なかったんじゃないかな?と思うんです。でも、今、イチョウはちゃんと落葉する。昔から落葉してたかもしれないけど、してなかったとすれば進化したのかなあ、、、と。落葉の素早い木々と、だらだらと(失礼!)、ゆっくりと落葉する木々。季節の移り変わりと寒さに対応できているのは、速やかに落葉する植物群やと思います。ゆっくり紅葉を楽しませてくれる木々は、すごくエネルギーを使ってそう。。。でも、そのおかげで美しい紅葉の山々の景色を楽しませてもらっている。進化してなくってありがとう! と思った。三連休、よもやまと瞑想?迷想?にふけるとらのこどもでした。最後まで読んでいただいた方に感謝します。ps2 カエデの真っ赤な紅葉。カエデの実の色は何色でしょう? 誰か知ってたら教えてください。
2007.11.25
新しい自分を発見する [ 友だちの刺激 ] 例によって、休日再掲シリーズです。休日に、過去の記事のなかからピックアップして掲載しています。*********************************************************************** 誰かに出会う。誰かと話しをする、食事をする、飲む、遊ぶ、そして誰かを好きになる。もっと好きになる。「出会った誰か」を主体で考えるのが普通だけれども、ホントは違うと思う。誰かを好きになるということは、新しい自分の発見だ。人を好きになると、驚くことがいっぱいある。まず、相手に対して、知らなかったことをどんどん知っていく。名前とか、住所とか、年齢とか、やってきた諸々のこと。そして現在のこと。さらに、今まで知らなかった自分を見つけていく。これこそが「人を好きになる」ということだ。自分がどんどん変わっていく。まるで、カフカの変身のように。違う人間になっていくのだ。相手と付き合っていくうちに、相手が自分の鏡になっていく。相手のことで、好きなところ、嫌いなところ、自分にあるところ、無いところ。それが、だんだん分かっていく。例えば、こんな人は嫌だと思っていた人なのに、どんどん惹かれていく自分を見つけたときに、今まで知らなかった自分を見る。清純な女子高校生が、暴走族に入っていくのもそう。子どもが生まれて、お母さんになっていくのもそう。わがままな連れ合いを、励ましたり、怒ったり、泣いたりするのもそうだ。新しい自分というのは、新しく生まれ変わることではない。もともとあった自分の再発見だ。今まで知らなかっただけなんだと思う。自分のことをわかっているつもりで、分かってないことはたくさんある。良い部分もあれば、悪い部分もある。友人、知人、恋人、家族を通じて、それがわかってくる。新しい友達は、角度の違う鏡だ。右後方からのうなじの色っぽさが再認識できる。そんな角度の自分って、見たことないでしょ???そういう発見がなかったら、その人と付き合っている意味もないし、その人のこと。本当に好きじゃないんだろうと思う。だから、そういう自分を見つけさせてくれる人と付き合いたいと思う。だから、いろいろな人と合うべきだし、年の違う人、性別の違う人は発見が多い。とらのこどもは、小学生の子どもに教えられることが多くある。子どもの友だちと一緒に遊んだり、食事をするときに、誰かの話しをしたりする。ドキッとするような、本質をついたコメントが多い。子どもはすごい。好きな人と何かをすると、ゲームなんて嫌いと思っていたのに、ゲームにはまったり、アウトドアは嫌いと思っていたのに、その楽しさにはまったり、テニスや、水泳や、スキーにはまったりする。なんで好きになったかが問題ではない。好きになって何を発見したかが大事だ。好きな本を見つけることで、好きな人を見つけることで、好きな自分を見つけることになる。私の内なる自分は、あなただったかもしれない。だから惹かれる何かがあるのだ。このプログを、すべての友人、知人の皆さんへ捧(ささ)ぐ。 会うたびに日本語が上手になっていく韓国人スタッフがいる。 会うたびに仕事が上達していく新入社員がいる。 会うたびに素敵になっていく人がいる。 もし、その人のそうした変化に、ほんの少しでも関与できていたら、幸せだと思う。 記:とらのこども注)以上の内容の主要部分は、ずいぶん前にとらのこどもが本で読んだものです。 いいなあと思って、いつまでも私の心に残っていて、ブログで紹介しました。 今回、自宅で本を探しましたが、元ネタは残念ながら発見できませんでした。 たぶん10年ほど前の本で、女性の作者だった。 オリジナルを紹介したかったのですが。。。
2007.11.25
自然の素顔の美しさを感じるこの頃である。秋の光に照らされる木々の素顔は、ことのほか美しい。輝いて見える。豊穣の秋。きれいに化粧された顔よりも、素顔がうつくしいと思う。女性たちも、食べ物も、もみじでさえ、素顔が引き立つ。さてさて、話しはちょっと変わって、お顔にも身体にもよいファイトケミカルを紹介。ファイトケミカルとは何か?ファイトケミカルの語源はギリシャ語で、ファイトは「植物」を意味します(闘う化学ではありません)。ファイトケミカルの研究がさかんになったのは比較的最近で、ビタミンやミネラル等に比べて遥かに種類が多いため、今後更に研究が進められる分野です。「ファイトケミカル」には、透明のものもありますが、赤色や黄色といった色鮮やかな色素が多く、 カロチノイド群では600種以上の種類が存在し、フラボノイド群には6000種以上、約1万種が存在すると考えられており、そのうち800種類が確認され、その数は研究の進展とともにどんどん増えてきてます。ファイトケミカルは植物は主に植物が紫外線から自らを守るために作り出すものであり、その働きは活性酸素を消去する働き=抗酸化にありますそれでは、どんな種類があるんでしょう?良く知られたファイトケミカルには、トマトの赤色成分として知られる「リコピン」、ブルーベリーやワインでお馴染の「アントシアニン」、お茶の渋み成分「タンニン」、大豆に含まれることで有名な「イソフラボン」「サポニン」などがあります。また制ガン作用があると言われるフコイダン(モズクのぬるぬる成分)やアガリクスに含まれる多糖類のβグルカンなどもファイトケミカルの仲間です。 以上は、ファイトケミカルサプリメントから。感の良い読者の皆さんは、上記の説明の意味がわかったかもしれませんが、、、もみじの美しさは、ファイトケミカルの色だったんですね。葉っぱ本来の色が、木々の水分量が減って、葉緑素がなくなるとともに出てくる。紅葉は、葉が赤くなることではなく、緑色でなくなること。素顔のはっぱの色がようやく出てきた色なんです。であればこそ、新芽のときにも淡い赤色や、うすい黄色のはっぱの色が見られます。あかちゃんとのときの淡い紅葉もきれい。この季節の紅葉ももちろんきれい。美しいと思います。素顔の美しさでしょう。ようやく市街地や、里山にも、紅葉が降りてきた。太陽に照らされて、ひかり輝いて、良い景色です。個人的には、よく晴れた午後の散策。斜に差し込む夕陽のひかりに照らされた紅葉を、その夕陽のひかりとともに愛でるのが、なにより美しいと思います。たくさんの外国の人にもこの美しさを見てもらいたい。日本の自慢の景色です。記:とらのこどもps いつもながら、回りくどいブログですいません。。
2007.11.25
休みにどっか連れて行って欲しい、&ボーイスカウトの宿題で、旅行計画を立てよう!というのがあって、むすめからお出かけのお誘いがありました。とりあえず、こんな感じで計画を立て、実施の音頭をむすめがとることに。1 参加者を募る。 ⇒ めでたく家族全員参加が決定。2 参加者の日程調整と、希望聴取。予算の検討と、予算配分。⇒お父さん、お母さん折半。3 行き先決定、現地情報の入手と検討、交通手段の決定とタイムスケジュール作成。4 ドライバーへの依頼。 ⇒ 丁重な依頼で断れず引き受け。5 とにかく、お出かけの話しで雰囲気を盛り上げつつ就寝。⇒残念、夢は見なかった。。。6 起床、朝食。各自、朝の用事を済ませて、集合。 ⇒ 出発!!それで、愛知県と岐阜県境にある「リトルワールド」というテーマパークへ出かけました。空はあくまで青く澄み渡り、行楽を祝福しているよう。天気も、気温もまずまずです。到着してすぐ、入場口の係員さんが「中国美少女雑技団の公演がもうすぐ始まります。ぜひごらんくださいね!!」「それなら是非みなくては!」(美・少・女、に惹かれた!!お父さん。)入場口から、わさわさと歩む人の列に一緒に付いて行く。野外ステージは超満員だ。確かに美少女!、それに技がすごい。人間離れしている。逆立ちから始まり、塔の上に立った片手バランス倒立、フラフープ芸、傘回しときて、最後は空中ブランコもどき。何れも素晴らしい体術だった。続いて、場内を歩く。いろいろな国の家がある。いろいろな国の食事も供している。あれを食べ、これを食べる。ビールも飲む。うまい。カレーと一緒に食べた”ナン”の味がほろ甘く、本物の味だった。(中略)帰りがけ、ふと東の空を見ると、月が顔を出してました。まんまるの美しい月。おおきくぽっかりと浮かんでましたが、あれは不思議です。なんでそこにいるの?って感じがします。あわてて東の空を見た。ついさっきまでいたはずの太陽は残念ながら見れず。駐車場の見晴らしの良い中央で、ジャンプしてみたがやっぱり見えない。今日の夕方は、年に1度の「月は東に、日は西に」の日だったんだなあと思った。まんまるの満月。まんまるの太陽。残念でした~、と言わんばかりに大空が夕焼けに染まっている。大きい、大きい夕焼けでしたね。こどもの顔も、まんまるでオレンジに映えて。うちの車も、オレンジ色に映えて。振り返ると、メタセコイアの大きい木がきれいに紅葉してて、日のよくあたるところは見事な黄色からオレンジに光り輝いていました。ほんと、きれいでした。むすめの旅行計画には、満点をつけてあげようと思います。記:とらのこども
2007.11.24

サブプライム問題をめぐり市場関係者が不安視するシティ米国の低所得者向け住宅融資(サブプライムローン)問題で巨額損失をこうむった米シティグループ。その先行きを不安視する市場関係者が増えており、「サブプライム問題は端的にいえば、シティの巨額損失をいかに穴埋めするかということに帰結する」(在米金融機関幹部)とまで言われている。金融界では今、日本の金融機関がシティの支援に乗り出すのではとの観測も出ている。 シティは2007年7~9月期決算で、サブプライム関連の損失が約65億ドル(約7500億円)発生。さらに11月には、最大110億ドル(約1兆2600億円)もの追加損失が発生する見通しであることを発表、損失は合わせて2兆円規模に達する見込みだ。 こうした状況を受けてシティの株価は急落し、10月初旬まで40ドル台後半で推移していたものが30ドル台半ば近辺まで下げている。 「シティの株価が低迷から抜け出すには時間がかかるだろう。というのも、シティのサブプライム関連の損失は現時点で2兆円規模と見込まれているが、米国の金融関係者の間には『実際はその5~10倍、10兆~20兆円はあるのではないか』とみる向きもあるからだ。最終的な損失額はいくらなのか。そのあたりがクリアにならなければ、シティへの不安は払拭(ふっしょく)されないだろう」(在米金融機関幹部) そんななかで浮上しているのが、日本の金融機関がシティへの資本支援などに乗り出すのではないかという観測である。引責辞任したチャールズ・プリンス前会長兼CEOの表情が同社の実情を物語る。 こうした観測が浮上してきた背景の1つが、ロックフェラー財閥のデビッド・ロックフェラー氏(92)が11月上旬に来日したこと。表向きは著書「ロックフェラー回顧録」(新潮社)を10月に出版したことを受けての来日とされるが、額面通りに受け取る金融関係者はいない。 「デビッド・ロックフェラー氏は親日家として知られるが、それでも世界的な財閥の重鎮が本の出版くらいでわざわざ日本まで来たりはしない。シティはロックフェラーとつながりがあるとされている。来日の目的は、シティ支援の感触を確かめることだったのではないかとみる金融関係者は多い」(大手銀幹部) その支援について、先の在米金融機関幹部が次のように指摘する。 「万が一、シティがサブプライム問題で重大なダメージを被るようなことになれば、信用崩壊から世界恐慌に発展する恐れすらある。最悪の事態を回避するため、米国側が日本にシティ支援を求めることは十分ありえる話だ」 気の早い日本の金融界では、支援策をめぐっていろいろな観測が飛び交っている。 「政府のコントロールが利きやすい『ゆうちょ銀行』などが、シティの優先株を大量に引き受けるのでは」 「りそなホールディングスの“きれいな部分”だけをシティに譲渡するというやり方もある。りそなには約2兆円の公的資金が入っており、日本政府のコントロール下にある」 くしくも、ロックフェラー氏が来日中の11月5日、シティのチャールズ・プリンス会長兼最高経営責任者が巨額損失の責任をとって辞任。後任の会長には、シティグループの経営委員会会長を務めるロバート・ルービン元財務長官が就いた。 「元財務長官のもとで経営を立て直すということは、シティの事実上の“国有化”ともとれる。それほど、シティはダメージを受けているということなのだろう」(在米金融機関幹部)。今後の成り行きが注目される。ZAKZAK 2007/11/19ZAKZAK NEWSより
2007.11.24

日米関係の悪化を断て国際戦略コラムより福田首相がブッシュ大統領と会見し、日米同盟の強化を言う。 Fより日米関係が揺らいでいる。米国は経済的な関係が深まる対中国に外交努力を集中させるために、知日派外交官から知中派外交官に要職をシフトさせた。このため、ブッシュ政権で日本に理解があるのはチェイニー副大統領しかいなくなった。しかし、チュイニーは米国タカ派であり、日本の多くの知識人が第2次大戦を正当化するニューヨークタイムズの広告を出したために日本人全体に対して反米的との疑念に変わった。それまでは日本の味方をしてくれていたチュイニーを日本は失い、米下院で対日慰安婦非難決議案が可決されてしまった。その下院の決議と共に、米国の北朝鮮政策が変更になっていった。ヒル国務次官補とライス国務長官が北朝鮮の原子力施設放棄と交換でテロ支援国家の指定解除を行うとなって、日本の拉致家族が失望する事態になっている。この事態より以前から、日本は米軍事活動の支援して、イラクへの航空自衛隊の派遣とインド洋での補給活動を行っていたが、この2つの活動は米国を助けるので中止すると民主党が宣言している。これは反米国家と同じ理屈であり、参院の議会で多数である民主党が宣言すると、米国から見ると日本国民全体が反米的に見えることになる。そのような反米国家と日米安保を結んでいることは大きな矛盾を起こしていることになる。このように日本と米国の友好関係を切る政策を民主党はどんどん推し進めている。この民主党に同調して共産党、社民党なども反米を推し進めている。こちらは昔から反米であり、数も少ないから米国から見ると、日本国民の一部が反米的と見えるだけであった。しかし、参院で多数派の民主党は米国の受け取り方は違う。そして、日本国民の安全は米国の軍事衛星なしには確保できない状態にある。北朝鮮からのミサイル攻撃を防御するためには、米軍事衛星からの通知がないとMDは有効に動作しない。民主党はこの日米関係を空気のような存在と見なしているようだが、米国の政治状況はそうではない。米国は中国にスイングしている。ヒラリー・クリントン候補の選挙資金の多くを中国が出しているし、中国系米国人が陣営に多くいる。中国は米国と対等に話をするために、米国としても中国を重要視している。もし米中同盟ができ、かつ反日的な対応をされると日本の安全保障はほとんど成り立たないし、反日的でなくても、日本の外交は大きな試練に見舞われる。前回の日米関係の潮目で述べたように、ハリマン事件後、急速に日米関係は悪化した歴史がある。しかし、現実の日本政治は守屋前事務次官の疑獄問題が争点で、民主党は、インド洋の給油もイラクの航空自衛隊派遣も反対して、米国と日本の関係を悪化させている。このようなことが日米安保の破棄になると認識しているのかを非常に心配をしている。このまま、反米的な対応すると、本当に日米安保破棄を米国から持つ出されることになる。民主党の反省を求める。さあ、どうなりますか??
2007.11.23
━━━━━━━━━━━━自民党を救った大連立拒否━━━━━━━━━━━━ 渡部亮次郎22日に党首会談 。自民、民主両党は国対委員長会談で22日の党首会談を合意。共産、社民などとも行う見通しだという。しかし、何の進展も無い事だけは確かである。まさか例の「大連立」の蒸し返しがないことも確かであるが、つくづく民主党は政権奪取の絶好のチャンスをみすみす逃したものだ、と思う。昭和30(1955)年の保守合同をつぶさに見た記者渡邉恒雄氏(読売会長)だから今回、民主党が大連立に踏み切れば、悪くすると次の総選挙では政権が民主党に渡ってしまうぐらいは読んでいたはずだ。それでも大連立をやらなければ参院と衆院のねじれ現象下、福田政権は二進も三進も立ち行かない「泥沼」から抜け出す事のできない事は、その後の国会が全く機能してない事を見れば明らかである。渡邉さんから話を聞かされた小沢氏にしてみれば、当に「渡りに舟」と思い、欣喜雀躍の思いだったに違いない。一見、自民党に取り込まれたように見えるかもしれない。しかし「政権」の美酒の味を殆ど知らない民主党の若手政治家たちが6人も入閣し、政権を実体験。曲がりなりにも腕を振るうところを見せれば、どうなるか。実際に細川内閣で菅直人氏が厚生大臣としてエイズ対策などに強力な指導力を発揮、大向こうを唸らせた。あれを小沢副総理ほか6閣僚で示せば、政権運営に対する国民一般のそこはかとない民主党への不安も解消するはずだ。いうなればヒヨコ民主党の政権運営の模範演技紹介(エキジビション)が大連立の意味だった。やれば次期総選挙での民主党への不安は完全に解消し、勝利を担保する出来事になるはずだった。その意味を理解しようとしないまま、自民党政権維持に力を貸すことになるとしか理解できないガス頭。またエキジビションと説明してしまえば自民党を警戒させて手品の種明かしになってしまう。言わなくとも分かるだろう、言ってしまえばお終いよ、なんとか分かってくれ!小沢さんは悲痛な叫びを胸の中で叫んでいた。しかし3段論法しか分からない秀才君たちは小沢手品を分かれなかった。やはりこの連中とでは芝居はやっていけない、とわかったから、小沢氏は辞任を表明したのだ。一見、敵に塩を贈るように見えて、実は敵の心臓をえぐり取れるという荒業、いうなれば「負けるが勝ち」という「諺」の意味を理解できない単純性脳膜炎。小沢氏は絶望したはずだ。「これぐらいのことも分からないのか、オレはやってられないよ」要するに民主党の連中はあまりにも単細胞であり、舞い上がっている、と小沢氏は厭気がさしたのだ。参院選の勝利は小沢の勝利ではなかった。安倍の敵失に救われただけなのだ。従って次期選挙で衆院の過半数を民主党が制するなんて保証は何一つ無い。せめてエキジビションで模範演技を演じて国民の目をくらますことが出来れば、可能性はあった。重ねて言う。大連立に乗る事こ次期総選挙で民主党が勝利するエキジビションの唯一のチャンスだった。菅、鳩山、岡田、赤松らは未だに分かっていない。支持者も単純な頭しか持っていないからこれまた分かっていない。気力の衰え。こんな党首、さっさと辞めさせるさせるべきだったのだ。民主党は二重に間違いを犯してしまった。間もなく己の馬鹿さ加減を知るだろう。それが衆院選挙だ。2007・11・19渡部亮次郎の頂門の一針より
2007.11.23
バクは夢を喰う。こどもは夢を見る。おとなも夢をみる。夢を紡いで、現実にする。そうしてみんなで遊ぶ。そらのうえを散歩する。雲のうえのわた菓子のあまいあまい夢をみる。現実になる夢もあり、現実にならない夢もある。苦い?あまい?きらい?好き?夢は希望を呼ぶ。希望はあなたにちからを呼ぶ。ぼくもあなたを呼び、あなたはぼくを呼ぶ。夢がふくらむ。おおきくふくらむ。まあるくふくらむ。ふくらむ、ふくらむ。あなたの夢が叶うといいなと思う。バクは夢を喰う。喰われてはいけないと思って隠すより、喰われてしまえばいい。バクは夢のフンをして、夢の花が咲くかもしれない。夢をみましょう。バクに夢を食べさせましょう。お・や・す・み・な・さ・い。おしまい。
2007.11.21
今日の言葉人間も、動物も何かを食って生きている。食ったもので身体ができあがっている。喰うものには気をつけろ。人間であれば、お金を使って生きている。使ったもので今の生活ができあがっている。使い方を変えれば人生が変る。喰う物を変えれば、健康にもなり、病気にもなる。大きいからだにもなれば、その逆もあるだろう。目に見えない生活というものも、結局は同じだ。気持ちと、お金と、時間を何に使うかで、どんどん変っていくのだ。投資に使う金も、お金。快楽に使う金も、お金。家族やこどものために使う金も、お金。どうせ使うなら、納得のいくように気持ちよく使いたいものだ。使って笑顔になるために、お金を使いましょう。記:とらのこども
2007.11.20
こころが寒くなるときがある。悲しい出来事があったときに、こころが寒くなるのは別に怖くはない。しあわせだなあと思う毎日にあるときに、ふと寒くなるときがある。これは怖さを感じる。なにか意味がある警告かなと思う。たくさんの人に囲まれているときにこそ、さみしさを感じる。家族に囲まれているときにこそ、ふと悲しさを感じる。自分に感じるようでいて、他人のこころの痛みを感じるようにこころが寒くなる。ぶるぶるする。しんしんと冷えてくる。妻を、こどもを、誰かを抱きしめたくなる。ほんとは、自分を抱きしめて欲しい反射だろう。抱きしめたくなる。ひとりぼっちを感じる。いつか、暗い、寒い洞窟でいたときの、むかしむかしのご先祖様の記憶のように。それにしても、寒い。。。そして、どうして生きていかねばならぬのかを考えてしまう。考える衝動が、寒さを連れてくるのか?わからない。ただ、寒さを感じたのちに、こころが温かさを取り戻す。ようやく取り戻した温かさは、活力につながる。明日もがんばろうと思う。根拠は無い。納得もしていないかも。わからないが、生きていかねばならぬと、なぜかしら思う。寒いよ。寒いね。寒いが、わたしは生きている。こころも寒いが、いきている。寒いから、温かさがわかるよ。記:とらのこども
2007.11.18
新しい自分を発見する [ 友だちの刺激 ] 誰かに出会う。誰かと話しをする、食事をする、飲む、遊ぶ、そして誰かを好きになる。もっと好きになる。「出会った誰か」を主体で考えるのが普通だけれども、ホントは違うと思う。誰かを好きになるということは、新しい自分の発見だ。人を好きになると、驚くことがいっぱいある。まず、相手に対して、知らなかったことをどんどん知っていく。名前とか、住所とか、年齢とか、やってきた諸々のこと。そして現在のこと。さらに、今まで知らなかった自分を見つけていく。これこそが「人を好きになる」ということだ。自分がどんどん変わっていく。まるで、カフカの変身のように。違う人間になっていくのだ。相手と付き合っていくうちに、相手が自分の鏡になっていく。相手のことで、好きなところ、嫌いなところ、自分にあるところ、無いところ。それが、だんだん分かっていく。例えば、こんな人は嫌だと思っていた人なのに、どんどん惹かれていく自分を見つけたときに、今まで知らなかった自分を見る。清純な女子高校生が、暴走族に入っていくのもそう。子どもが生まれて、お母さんになっていくのもそう。わがままな連れ合いを、励ましたり、怒ったり、泣いたりするのもそうだ。新しい自分というのは、新しく生まれ変わることではない。もともとあった自分の再発見だ。今まで知らなかっただけなんだと思う。自分のことをわかっているつもりで、分かってないことはたくさんある。良い部分もあれば、悪い部分もある。友人、知人、恋人、家族を通じて、それがわかってくる。新しい友達は、角度の違う鏡だ。右後方からのうなじの色っぽさが再認識できる。そんな角度の自分って、見たことないでしょ???そういう発見がなかったら、その人と付き合っている意味もないし、その人のこと。本当に好きじゃないんだろうと思う。だから、そういう自分を見つけさせてくれる人と付き合いたいと思う。だから、いろいろな人と合うべきだし、年の違う人、性別の違う人は発見が多い。とらのこどもは、小学生の子どもに教えられることが多くある。子どもの友だちと一緒に遊んだり、食事をするときに、誰かの話しをしたりする。ドキッとするような、本質をついたコメントが多い。子どもはすごい。好きな人と何かをすると、ゲームなんて嫌いと思っていたのに、ゲームにはまったり、アウトドアは嫌いと思っていたのに、その楽しさにはまったり、テニスや、水泳や、スキーにはまったりする。なんで好きになったかが問題ではない。好きになって何を発見したかが大事だ。好きな本を見つけることで、好きな人を見つけることで、好きな自分を見つけることになる。私の内なる自分は、あなただったかもしれない。だから惹かれる何かがあるのだ。このプログを、すべての友人、知人の皆さんへ捧(ささ)ぐ。 会うたびに日本語が上手になっていく韓国人スタッフがいる。 会うたびに仕事が上達していく新入社員がいる。 会うたびに素敵になっていく人がいる。 もし、その人のそうした変化に、ほんの少しでも関与できていたら、幸せだと思う。 記:とらのこどもps ネタ切れ再掲シリーズ。過去ログのなかからこれは好きだ、これはまあまあだ。 と思うブログをピックアップしてご紹介しています。すでに見た人にはごめんなさい。 自分の文章ながら、読み返すとほーっ、なるほどと思うから不思議ですねえ。
2007.11.18

ウッ、まぶしいっ。ベッドから立ち上がり、西向きの窓を開けると、目に入る全てが眩しかった。林立するマンションの壁が、キラキラと白く光り輝いている。午前4時までカジノで遊んでいた誰かの目には、耐えられない光だ。海も、木々も、光っている。なかでも、オレンジ色のモーテルはひときわ目立つ。オレンジは太陽が似合うんだなと感心する。手前には海浜公園の入口があり、多くの人が三々五々行きかっている。みんな、朝の散歩に公園に来ているのだ。寒さ対策だろう、帽子、マフラー、手袋。なかでも、黄色、オレンジ色のウインドブレーカーの人が目立つ。朝の光は遠慮が無い。輝いて、きっと差し込み、光を与える。もし殺人光線ならみんな死んじゃうよなあと、ぼーっとした頭で考える。1番、目についたのは、中学生か、高校生らしき団体。だって、みんな夏服のような白いシャツ。ギンギラギンの朝の太陽だから目だって仕方が無い。「おーい!!」と言って手を振りたくなるくらいだ。白いシラサギのような鳥が、白く光る波のうえを飛んでいく。もっともっと小さい小鳥の群れが、白く泡立つ波のところを低空飛行で飛んでいる。数十はいるだろう。波の泡立ちにあわせて、沖へ、浜へ。あれはきっと遊んでいるんだろう。そういえば、マンションも光り輝いてはいるが、眩しそうに目を細めているように見えた。わたしも目を細めている。しらさぎもそうだろう。目は合わなかったが。もうすぐ冬だ。光る街と、海と、公園を見ながら、そう思った。もうすぐ冬だ。熊も、りすも、人も思う。もうすぐ冬だ。で、俺はどうすんだっけ???記:とらのこども
2007.11.17

夕方ごろに高速道を走る。道が高くなっているから、景色が見通せる。山沿いを走っているから、山肌を近くに望むことができる。夕日が沈む前。水平線近くまで下がってきて、赤くて大きい姿を見せている。山々は太陽の赤い光に照らされて、木々の紅葉もあるから、山全体が赤く光ってる。高速道から西を見れば、赤く輝く太陽と、暮れなずんでいく山々のコントラストがきれいだ。すこし霞んで、近くの山、遠くの山、中間の山がグラデーションを描く。空気が霞んでいる。水蒸気が空気に溶けているのが、光で透き通る。秋は夕暮れ。そのやわらかな空気が、山々も、太陽も、大空も、やさしく抱いてた。私の乗った自動車もまた光に抱かれてひかっている。わたしの頬もそうだ。ミラーでちらっと見えた。うつくしいと思った。全てが美しい、うまし国。まほろば。桃源郷。であればよいのに。ゆっくり夕暮れを見たのは久しぶり。そういえば、その時間は会社にまだいるんだものなあ。。。秋の夕日と照る山もみじ。ぜひ、見に行きましょう。ひとりでもよし、誰かとでもまたよし。今度、行きましょう。お誘いします。記:とらのこども フリー写真より
2007.11.17

初めてのこと、初めてのとき。ドキドキ。 [ 幸せのかたち ] 今から書くことは、初めてのこと、初めてのときのドキドキが幸せだという話しだ。これには、「誰と、○○を初めてする。」についてご紹介する。改めて、テーマを読むとHな感じがする・・・。が、Hな話しではない。大真面目だ。さて、初めてのことには、3パターンある。「私も、一緒にそれをする誰かも、二人とも初体験」という場合と、「私は初めてだが、相手は経験者である」場合、「そして、私はしたことがあり、相手が初めて」というときである。初めてのことは、子供だけの特権ではない。20代でも、40歳になろうが、70歳になろうが、世の中には、初めてのことが掃いて捨てるほどある。そして、一生のうちに、どれほどの初めてを経験しようが、パターンは上記の3パターンしかない。友人のパターンと言い換えても良いが、二人とも初めてのことに一緒に挑戦するとき。これは同級生、会社の同期、兄弟、家族に、このパターンが多いように思う。次に、自分が初めてのとき、これは先輩、上司、兄や姉、年上の従兄弟、親、おじなどになろうか。最後の相手が初めてというのは、その逆パターン。そして、友人ではあるけれど、初めてのことに一緒にチャレンジすることのない友人、大人になってみれば、普通の友人、知人、ご近所、同僚は皆、この範疇に入る。今日の主題は、初めてのことを一緒にしてくれる人を大事にしなさい、だ。もちろん、それ以外の友人、知人も大事にしないといけない。だが、特に、初めてのことを一緒にしてくれる人を大事にするのだ。意識して、大事にするのと、そうでないのとは、一生のうちに大きい差になる。ずっと一緒にいるつもりの友人であっても、一期一会なのである。物事は流転し、大事なものもまた、流れさっていくのだ。水の流れのように。家族でもそう。家族を一生、家族だと思って、依存し、大人になっても甘える中年がいっぱいいるが見苦しい。正確には、家を出て後は、元家族、生きているご先祖様と思ったほうが良い。所詮は、親と自分の人生は、一生を通じて共にあるものではないのが事実で、別の人生である。話が逸れた。「初めてのことを一緒にそようとしてくれる人」は、折々にあるものの、ずっと共にあるのではない。過ぎ去っていくのだ、ということを理解すべきだ。そして、初めてのことを一緒にしてくれる人を考えたとき、これほど、親身になって、本当に、心から、あなたを考えてくれている人が少なくないことに気がつく。慕う、慕われる感覚を大事にしたいし、年が離れていても、一緒に新しいことに挑戦してくれる人があったときは、これは真に友人と言っていい。そして、最後に残る人たちがいる。誰がいなくなっても、その人たちが残り、傍らにある。それを家族という。だから、主題に付け加える。まず、家族を大切にして、次に、初めてのことを一緒にしてくれる人を大事にする。そして、周りの全ての人を大切にする。これが幸せの順番というものである。そして最期に自分もしあわせになっていく。記:とらのこども
2007.11.16
「政治と犯罪は、一つのコインの表と裏だ。」「気を付けろ。正直であることは危険だ。」ゴッドファーザーのセリフより。 普通の人は、生活のひとつひとつの行為に気をつけている。 悪いことはしないし、嘘はつかない。 為政者なり、事業者というものは、目的を達成するために活動している。 まれに手段を選ばないことがある。 全体の大きい幸福を求めているから、無理や無法を犯すことがある。 これを善とみるか、悪とみるか。 善人ほど悪人はいないとも言う。 たとえば、あかちゃんが故意にただ飯を食べるため、あのように可愛らしく、 あのように甘え、泣いていれば、恐いことだ。 あかちゃん以外の善人は、世の中にたくさんいる。 善人と善人がけんかをすれば、両方善人だから果てしなくけんかするそうだ。 私は悪人です。というのは究極の善人かもしれない。 今日の結論。男は悪人であれ。 記:とらのこども
2007.11.16

国際戦略コラム からご紹介いたします。うーむ、なるほど。日本人の日本人たる源泉はここかと、思った。サラリーマン道、まず苦役から始まり、精神昇華し、ここに至る。記:とらのこども***********************************************************日本文化を見ると、優れたところがある。この根源を検討しよう。Fより日本文化に根ざした商品が世界的に認められているのは、なぜかといつも考えていたが、密教を見ていると、その原因がわかった。日本に密教を伝えたのは、真言宗の空海と天台宗の最澄であるが、天台密教は第3代座主・円仁の時代に、『摩訶止観』で「常坐三昧」と「常行三昧」の2つに大別し、「常行三昧」は「運動しつづける瞑想法」であり、その常行三昧を中心において修行法を確立する。その常行三昧の極地が千日回峯行である。そして、この常行三昧の発展系が武士道であると、仏教思想史8で解説した。この武士道の考えを発展させたのが、江戸初期の鈴木正三の思想である。鈴木正三自身が武士で出家する。このため、武士道の発展系を考えることができたのである。そして、「仏法則世法」で生活の業を立派な行為と考え、心がけ次第で労働をそのまま仏行となしうるとしたのだ。農業則仏行なりとなる。農業を修行と考えて行動することを求める。商人の利益も否定しないで、正直の道にいれば修行である。人に奉仕した結果が利潤を生むことはいいことになる。これは、農業道や商業道などの**道となる教えである。この仕事を精進すれば則仏行という思想は、日本に革命的な変化を起こした。仏教の坊主や仏法を必要としないことになる。もし、仏教教団が江戸時代にシッカリしていれば、このような革命的な仏教思想を非難していたでしょうが、仏教教団は江戸幕府の保護を受けて、生活に困らない状態になったために、大事とは捉えなかったようだ。しかし、徐々にその思想は大きな影響を与えて、現在、サラリーマン道、ラーメン道などが跋扈して、仏教教団は衰退の一途になっている。鈴木正三の思想が現代、大きな影響をしているように感じる。日本の優れている理由を日本人の多くは、理解できないと思うが、実というと鈴木正三の思想に原因があることになる。仕事を修行の一部として行っている。同じことを極地まで極めるまで繰り返すのも、修行であると見る。このような見方は、アジアにも中国にも韓国にもない。中国の若者が頑張るのは、ハングリー精神で金持ちになりたいという意識で、仏教の修行と言う感覚はない。欧州やイスラム圏では、一神教であり、まずは自分を仏にする感覚がそもそもない。このため、常行三昧が理解できないと思う。インドのヨガやチベット仏教は密教的であり、日本の密教に一番近いが、チベット仏教は人間の生理的な機能を強化して、専門的に修行した僧だけが仏というスーパーマンになるよう修行する。ヨガも同じである。しかし、日本の常行三昧は、同じ動作の繰り返しが重要で特殊な人でない一般人が専門家になることで仏になるという。インドのヨガやチベット仏教とはこの点で大きく違っている。このため、インドにもチベットにも日本の鈴木正三の思想は入らない。この1つ1つの道の普通の人間である専門家が日本の芸術にも製品にも大きな付加価値を着けているように感じる。以下、省略。オリジナルをご参照ください。2780.仏教思想史8http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/L9/191014.htm
2007.11.12

直ぐに消されるほど問題になった作品なので早めにアクセスするべし。べし スプーの絵描き歌 風Ringさんのブログで教えてもらった。
2007.11.11
今日はお休みなので、恋愛のお話しを。とりあえず、男の本音というお題を挙げてみましたが、懸命な女性の皆さんは、男の本音など、ホントはわかっているんでしょう。どこかで聞いた話し、格言などから書いてみます。トピックは、櫻井秀勲さんの「男と女のホンネが怖いくらいわかる本」より。どこかで聞いた話し。「地図の読めない女」。ところが、この話しは危険。「それってわたしのこと?!」と怒り出す女性もある。いや、それはそうじゃなくって、、、と言い訳しないといけなくなる。「なぜあなたはそうなの?」これもよく受ける質問ですが、男はとんちんかんで、間抜けなもの。微笑んで許したほうが、お互いに得ではないかなあと思います。 「あなたはどうして私と付き合っているの?」 「エッチだけが目的なの?」そう聞かれて、正直に「YES」と答えられる男性は滅多にいないと思います。それでも女性がそれを聞くのは、何か本能的な理由があるんでしょうね。女性の「愛してる」は、精神的なことを指すような気がしますけど、男性の「愛してる」は「エッチしたい、どっかでしようよ」というのが本音でしょう。行為で言えば、女性の愛してるは、会いたいという意味だし、そう言われたとき、彼氏であれば飛んでいって会わないといけないと思います。それがやさしさ。やさしさの尺度になってる。たぶん。男にやさしくさせるには、とりあえず、こんなもんでどうでしょう?1 文句を言わないこと、感情的な言葉を口に出さないこと。2 笑顔を絶やさないこと。3 なにかと気を遣う。男性の立場とすれば、2,3より、絶対、1が上位です。最後に格言からひとつ。男が本当に好きなものは二つ。危険と、遊びである。なかでも女を愛する危険が好きだ。どんな男でも、安全な女性ではおもしろくないのです。浮気や、社内の不倫にしろ、車内のエッチにしろ、人妻、特に知人の妻などであれば、危険がいっぱい。危険をはらんだ女性を愛してしまうのは、男全体の性なのです。男というものは、我が家から離れているときが一番陽気だ。シェークスピアさすがシェークスピア。男性心理を鋭く突いています。家の中で不機嫌そうにしていても、妻はそれにだまされてはいけません。以上、櫻井秀勲さんの「男と女のホンネが怖いくらいわかる本」より。「元女性自身」編集長、他に「男の運命は女で決まる」、「男のH、女のH」など。 恋愛を逃避する男性も、女性も多くなったなあと思うこのごろです。 手間ひまも、お金もかけたくない。そう若者に聞くと、どうして?と聞きたくなる。 もてるためにバリバリ仕事したり、もてるために勉強したり、スポーツするのが、 不純じゃあなくて、それこそ純粋でキラキラしてるように思うんだけどなあ。 記:とらのこども
2007.11.11
季節はめぐる。とはいっても、松山千春ではない、恋愛の季節だ。前回プログで紹介した、めぐる季節について、思うところを補足したい。恋愛には季節がある。と紹介したが、これは誤りで、「恋の気持ち」には季節がある。そして、「恋の気持ち」イコール「恋のめぐる季節」には、男性と女性に、差がある。どうも、この季節。男性には何度も繰り返し訪れることがあるのに、女性には、特定の男性には、1度だけしか「恋の季節」が巡らないのではないか?意識し始めて、ほのかに憧れる春の季節。お友だちの時期も春の範疇だろう。付き合い始め、遊び始め、身も心も燃える夏の季節。秋は飽きに通じるかも・・。しかし、実りの季節だ。良いことがいっぱいあるのも、秋の季節のようだ。冬。これはつらい。冷たい風が吹き、風邪をひく。家に閉じこもり、春を待つ。たとえば女性は春を待つと、男性の季節が再び春になるときがある。けれども、男性は彼女の再びの春を待てども来ない。来ないのだから待たなければ良いのに待つ。待つ、待つ。けれども、再びの春はやって来ない。だから、恋愛には季節のタイミングが大事だ。基本的に、男性のほうが季節のめぐりが早い。男性が夏真っ盛りになったときに、女性のほうはやっと春の芽生えだったりすることが多い。行為にもミスマッチが起きる。意識して、季節のタイミングも合わせるように努めたい。女性の春、夏、に合わせて恋をして、秋の訪れとともに収穫するのだ。例えば、晩秋になってから、プロポーズしても、冬の予感を感じている女性が、OKするかどうか、OKしないのではないか。独身の人には、季節を感じつつ、旬の味わいを堪能してもらいたい。最大の収穫は秋にある。しかして、女性たちは次の恋の季節へと移り行く。男は待てども、彼女の男への、2度目の春の季節は来ないようだ。む~、残念。夫婦の愛とはどうか。たおやかな、なだらかな、大空と海のような関係になったとき、「愛」という言葉がふさらしい、と書いた。これは、季節を超越した関係である。「愛」は季節を超えた存在だ。春と夏と秋と冬が混ざっている。もしかすると、嵐に似ているかも、、、。けれども、それは女性の立場に立ってのこと。男性は、繰り返し季節を刻む。妻を好きになったり、嫌いになったり、愛したりするのだ。これを、うっとおしいと思うか、好ましいと思うかは、妻が決めること。こちらではわからない。かくして、もうすぐ来るクリスマスのプレゼントに頭を悩ませつつ、妻をいかに口説くか悩んでいる。暖かく、大地の女神のごとく、迎え入れてくれることを祈るだけだ。クリスマス、お正月はもうすぐだ。準備、準備。記:とらのこどもPS女性は知らないが、男は「一瞬の光り輝く瞬間」を見てしまった女性を、一生涯、忘れないし、大好きなのだ。同じ人物とは思えない人が、現実の妻であったとしても。(失礼!)男性は知らなければいけない。それと同じことがあっても、定期的に見直すような、惚れ直す事柄が無いといけないのだ。もし無ければ作るほかはない。PS2 前回、この記事をアップしたとき、松山千春のファンページに、関連ブログとしてトラックバックされていたのを見て、笑ってしまった。 今回もまた?まさかね?
2007.11.10

韓国の最大企業のひとつ、最優良企業でもあるサムスングループ。その中核、サムスン電子は9日、日本法人が開設していたインターネットの家電製品直販サイトを10月末までに閉鎖したことを明らかにした。同社は、昨年夏以降、すでに量販店での販売も中止しており、今回のサイト閉鎖の措置で、日本の家電市場から完全撤退することになった。同社は薄型TVで世界首位など家電販売で大きい実績を持つが、日本市場では競争が激しく、売り上げが低迷していた。販売を継続しても採算が見込めないと判断し、経営資源をアジアなど成長市場に集中する。サムスン電子の日本市場での売上げ高は、約1兆1千億円。このうち9割以上は、液晶パネルや、電子部品などの法人向け販売で、同社日本法人は、「以前から法人取引が圧倒的に多く、日本での家電販売を止めても事業への影響は無い。」としている。以上は11月10日、毎日新聞記事より はたして、日本にとって得なことか、損なことかと考えてみた。 新聞記事は、すこし誇らしげなニュアンスを感じたからだ。 サムソンの強さは、意思決定の速さと、その後の対応にこそあると思っている。 利益が大幅に減少し、今期苦戦中のサムソン。 韓国内の雇用も、10%のリストラ実施と夏ごろの韓国の新聞で読んだ。 しかし、大きく減ったとはいえ、利益率は日本の家電会社各社よりも格段に上だ。 サムソンは手強い。世界で生き残るだろう。そう思う。 記:とらのこども
2007.11.10
If something happens to me,I want you to knowthat you made my life.(ワシントンポスト誌、リックの言葉)2001年9月11日、アメリカ同時多発テロにおける実際の物語。(ワシントンポストに掲載された内容です)経験豊富な退役軍人のリック(当時62歳)は、世界貿易センター内のある会社の副社長をしていました。午前8:48、最初の飛行機が激突した時、リックは事務所にいて、通報を受けました。直ちに彼は、ビル内の従業員全員に避難命令を出したのです。そして、自分は拡声器を手にして階段を駆け上り、各階から人々を避難させました。階段の吹き抜け部分で人々を安心させようとして声をかけているリックの姿を見た一人の友人は「リック、君も外へ出なければダメだ」と言いました。「全員が避難してからだ」とリックは答えました。彼はまったく平静でした。その後、彼は本社に電話をかけ、降りて来られない人を探すために上へ戻ると言いました。同じ時、リックの妻は、その事件を知りました。しばらくして、電話がなると、それはリックでした。「泣かないでほしい。 今は同僚たちを救出しなければならない。」妻は泣きじゃくりました。「もし、ぼくの身に何か起こったら、 君がぼくの人生のすべてだったということを 覚えていてほしい。」そして、電話は切れたのです…その後、分かったことですが、ビルで働いていた彼の会社の2,700人のうち、亡くなったのは、わずか6人だったのです。大虐殺のなかの奇跡だと言われています。彼の奥さんのことを考えると、身に詰まるものがありますが、なんとも言えない言葉です。力と勇気を感じ、そして愛とは何かを考えさせられます。やはり、私には、まだまだ分からないことが多い…(参考)大事なことに気づく(ドロシー・ロー ノルト) より。2003年01月09日いい言葉ねっと ご覧ください。はっとする言葉がいっぱいですから。もし、ぼくの身に何か起こったら、君がぼくの人生のすべてだったということを覚えていてほしい。 リックの言葉、リックの行動、リックの愛に賞賛の拍手を送ります。 こういう人がいるから、アメリカという国は素晴らしい。 すべての良人を代表して、愛する妻へ。 わたしもかくありたいと念願している。 記:とらのこども
2007.11.08

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる。相田みつを なにが幸せか、わかっている人のところに幸せがくる。 自分にとって、何か幸せかわかってないひとのところは、幸せは素通りする。 自分が幸せだと思えるなら、人からどう思われようと、どうでもよい。 ありがたい。 しあわせだ。 だから、今日もがんばれる。 記:とらのこども
2007.11.07

小沢一郎、民主党、自民党との大連立、政策協議うんぬんと、テレビ、新聞にあるが、わたしのブログで、そうしたことへの批判、論評はしたくはない。国民が政治に望むことは、本来シンプルなはずだ。わたしのおじいさん、おばあさんを健やかに生活させて欲しいと思う。わたしの会社、地域を安定的発展のなか、守って欲しいと思う。わたしの国の安全を確保し、自然を守って欲しいと思う。わたしの子どもに適切な教育を提供し、明るい未来を約束して欲しいと思う。そして、わたしを含むわたしの家族を、隣人をシアワセに生活させて欲しい。そのために、国家としての、行政としての、司法としての、立法としての、政治家の志を、ぜひとも行動で見せていただきたい。そのために、政治家になったのではなかったのか? と、問いたい。信じて託すのが有権者であるならば、託されて応えるのは政治家の責務であろう。わたしたちは、じっと見ている。記:とらのこども
2007.11.06

来年にも世界首位 デンソーが部品業界で 【ニューヨーク=時事】 米自動車業界誌オートモーティブ・ニューズ(電子版)は、10月31日、トヨタ自動車グループの部品大手デンソーが来年にも独ロバート・ボッシュを抜き、部品業界で世界のトップに立つ可能性が高いと報じた。 デンソーはこの日、2008年3月期の売上高見通しを3兆9500億円に上方修正。これはドル換算で約343億ドルに相当する。 一方、ボッシュの今年の売上高見通しは約460億ユーロ(約665億ドル)とデンソーをしのぐものの、柱の一つである産業機器を除くと、同社を下回るとみられる。 同誌の推計によると、昨年の部品業界の売上高首位はボッシュで297億ドル、2位は米デルファイ(244億ドル)、3位がデンソー(240億ドル)だった。デルファイは減収を続けている。 トヨタに続いて、デンソーも世界首位かあと思うと、すごいニュースだ。 とすれば、世界の自動車業界で首位に立たんとしている会社は少なくないのだろう。 とすれば、ビッグ ビジネスチャンスは日本にこそあり? 記:とらのこども
2007.11.06

1999年1月6日の私の手帳に、年始の社長訓示メモが残っていた。三菱化成(現三菱化学)の桑田社長の新年あいさつだ。「情緒、感動の無いところに、新技術は創造されない。情緒は直感を呼び起こし、発明を創生する。すべからく、技術者は情緒を持つべきである。」先日、中途半端な紹介でしたので、改めてご紹介いたします。何度読んでも、素晴らしい言葉だと思います。そういう技術者でありたいし、そういう職場でありたいものだ。なお、技術者でない皆さんも、学生でも、家庭でも、同じことやと思います。感動のあるところに、何かが生まれるのです。記:とらのこども
2007.11.05

すみません、の気持ち日本語の「すみません」は、語源のひとつに「澄みません」とあり、もともとの静かな気持ち(乱れていなかった心の状態)・・・、から、あなたがしてくださった○○のために、私のこころはこんなにも乱れてしまいました。元の澄んだ状態にするために、わたしはどうすればよいのでしょうか?どうぞ御礼に何かさせてください、それでなければ元のように、こころが澄みません。(澄まない、澄むことができない)という気持ちを「すみません」という。だから、感謝の意も含む。韓国語のすみませんは、「ミアナムニダ。」といい、漢字で書くと「未安ハムニダ」である。意味は、漢字から解釈すれば、「いまだやすらかではない」となる。今では韓国語には、感謝の意味を含まず、陳謝の意味だけになったが、漢字の意味からすれば、同じ語源、同じ意味なのだ。かつて、とらのこどもが、韓国語がもっともっと拙い頃、(今も拙いが・・)BARでバーテンの女性に、上記の意味を一生懸命説明して、だから、韓国語と、日本語は近い関係なのだ。と力説したことがある。それは、吉本のギャグのように、身振り、手振りを交えながら、1時間以上の大苦闘だった。今ならもっと、もっと、気持ちを伝えられるだろうか・・・。おそらくは、1時間の苦闘を、笑顔で聞いてくれた彼女こそが素晴らしい。その後、会ったことはないが、「あのときは、すみません。ありがとう。」と伝えたいものだ。1年前、クリスマス直前の雪の夜。美しいひとだった。記:とらのこどもPS それからさらに1年が経とうとしている。 もう2年になるのか、時の経つのは本当に早い。
2007.11.04

昨日まで、プサンにいたとらのこどもです。ちょっとした出来事があったのは木曜日の夜でした。同じ会社の開発のマネージャーが出張で来ていて、夜にBARのカウンターでポロッ。。「実は、ぼく、今日が誕生日なんですよね~。」「自宅にいれば、今頃ケーキ食べてたのかなあ。ほんとに、まったく。。。」義を見てせざるは、勇なきなり。と、BARに同席した同僚3人で急遽、お祝いしよう!!ということになり、BARの女の子に頼み込んで、買出し隊を結成、夜の街に派遣した。ところが夜遅いため、店が開いていない。灯りはついてるのに、さっきまでやってたみたいなのに、あ~、残念・無念。でもここであきらめないのが、韓国人の素晴らしいところ。彼女は携帯を取り出し、店の人間へ電話。「すぐ来て!!」と頼んでくれた。数分ほど待つと、店の人間がほんとに来た。やった~っ。選んだのは、フルーツたっぷりのおおぶり30CM超のデコレーションケーキ。ろうそくも、花火もしっかりもらった。女の子への御礼に、キャンディ詰め合わせも忘れず買う。急いで店に戻る。バーテンに頼んで,"Birthday Song"も、バッチリ準備OK!お店の女の子を全員呼ぶ。手には花火、クラッカー。灯りが消え、歌が流れ、ろうそくに灯がともる。全員で"Birthday Song"を歌う。「センイル チュカハムニダ~、センイル チュッカハムニダ~~~」(誕生日、おめでとう。誕生日おめでとう。 という意味。)ろうそくを吹き消し、クラッカーを鳴らす。みんなで乾杯だ。本人も家族と一緒ではなかったけれども、出張でたまたま出会った我々と、お店の皆さんと、ほかのお客さんも一緒になってのお祝いがうれしかったようだ。たくさんの人と乾杯し、たくさんに人にケーキを一緒に食べてもらった。帰り道はずいぶん寒かったが、我々にはこころあたたかい夜だった。プサンのBARの皆さんのホスピタリティに、厚く感謝します。本当にどうもありがとう。ボクまでとってもうれしい夜だった。記:とらのこども
2007.11.03

たまには、韓国のことを書いてみようと思い立った。わたしの韓国像は、雪舟の世界だ。丸くて、まるでおっぱいのような優しい山々が、霧にけぶる韓国のやまの景色は絶景だ。冬と夏のあいだ、夏と冬のあいだに、そうした景色がある。韓国の新幹線の窓から、飛行機の窓から、そして高速を走る車の窓から、幾度となく、それを見た。春であれば、黄色のケナリが霧の中に揺れていて、きれいだ。今年もようよう11月になった。山々の景色も、冬に近くなった。 枯葉舞い散り、木々の姿も寒々しい冬至の候。 哀愁は人々の心にも影を落とし、 釣り人は震える気持ちを胸に抱き湖水の真ん中に釣り糸を垂れる。 ”哀しくも悲しからず” 明け方の朝霧の如く、晴れ間に輝くさざ波の如く。 文:チョン・ドンクム Morning calrm 11月号より転載上記の詩のイメージは、晩秋よりも少し先、初冬の韓国・安東(アンドン)だ。ソンビ(朝鮮時代に在野学識者)の故郷にして、朝鮮時代の礼節、文化が今も息づくといわれる街だ。その安東市は、大邸(テグ)の北、韓国の中部東方の山中にある。見所は、洛東江(ナットンガン)の水面に美しい姿を映す芙蓉台(プヨンデ)の絶景。東には太白山の稜線に連なる花山(ファサン)が名の通り、花のつぼみのよう。残る三面は、洛東江が蛇行して流れる。水面は太極模様に水の文様が表われる。山々があり、水があり、自然と人がつながっている。朝鮮時代の貴族・ヤンバンの礼節とは、この地にこそ息づく。外国人も、韓国人も訪れて、古き良き時代の韓国を感じると良いのではないか?都会では失われたものがあるに違いない。かつて、英国のエリザベス女王もここ安東を訪問された。同じ思いがあったのでは?と思われる。以上の内容は、「Morning calrm誌 11月号」より抜粋、転載したものです。 わたしもいつかきっと訪れたいと思う。 まだ見ぬ安東だ。 この風情。情感。礼節と情操は、洛東江の流れのように、 ヤンバンの子孫たちにとうとうと流れている。 記:とらのこども
2007.11.03
■「止まる」と「止める」■ 「する」表現中心で行為主としての「主語」が必ずある、という英文法。その特殊性から離れて、日本語そのものを見てみれば、そこに日本人の物の考え方が浮かび上がってくる。 その一つが、多くの自動詞と他動詞がペアとなっていること。 止まる(tom-ARU) / 止める(tom-ERU) 始まる(hajim-ARU) / 始める(hajim-ERU) 変わる(kaw-ARU) / 変える(kaw-ERU) 伝わる(tutaw-ARU) / 伝える(tutaw-ERU) 日本語の「止まる」も「止める」も、英語では"stop"であり、同様に、「始まる」も「始める」も、英語では"start"である。自動詞と他動詞がこれだけ豊かに、かつ体系的に揃っているのは、日本語の特長である。 英語は「する」表現中心だから、自分を止めようと、他者を止めようと同じ"stop"で、自他の区別はあまり気にしないのだろう。逆に、日本語では「ある」と「する」を厳密に区別する。 ローマ字表記だとよく分かるように、日本語の自動詞には「ある -ARU」が潜んでいる。一説によると「ある」の語源は「生(あ)る」で、「生まれ出る」という意味である。 物事が自然に生まれ出る、あるいは、自ずからある状態になる、という事を尊ぶ日本人の世界観が窺われる。 引用元:「ある」日本語と「する」英語 http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108960709.html なるほど~、面白い。 と思ったので、皆さんにご紹介します。 記:とらのこども
2007.11.03

53年ぶりとやらでに日本一になった落合・中日ドラゴンズ。よくやった、偉かった、よく頑張った。多くの中日ファンが快哉を叫んだことだと思う。名古屋では、熱烈な中日ファンが少なくない。とらのこどもの1番印象に残ったのは、「後で泣きます。」と言った落合監督のコメントだ。嬉し涙を流したことだろう。それを想像するだけで、わたしまでもが、もらい泣きしそうになる。中日の優勝の原動力は何か。落合監督はチームに何をもたらしたのか。私見だが、「優勝という目標」と、「情感」ではなかったかと思っている。テレビで、くやしい顔をする監督は見たことがある。だけども、本当に、死ぬほど、くやしいのか、本当のところはわからない。わたしには、くやしいふりだけしているように見えてならない。少し話しが飛ぶ。ずいぶん昔の三井か、三菱の化学関係会社の社長さんの年始コメントで、「開発者はすべからく情感を持たなくてはならぬ。」という年頭訓示があった。続きとして、「。。。情感が創造を呼び、発明を創生する。開発者は情感を持て。」と。そのときの感銘は忘れられない。そうか、そうだったかと正月に新聞を握り締めた。野球にしろ、新製品の開発にしろ、行政にしろ、期待されているのは、何かを創生するのは、その元に情感があるのだろうと思う。だからこそ、映像では見ていないけれども、落合監督の嬉し涙は、ものすごく美しい。そう、こころから思う。記:とらのこどもps 落合監督、中日の選手の皆さん、そしてファンの皆さん、おめでとうございます。 来年も、感動と泪を見せて欲しいと思います。 とらのこどもも名古屋在住。ちょとだけファンです。
2007.11.02
こんんちは。いつもお世話になり、誠にありがとうございます。ご愛読いただいている皆さん、そしてランキング「ポチッ」へご協力いただいた皆さんのおかげで、なんと、なんと、な~んと、日本ブログ村ランキングで、一般教養部門第1位を獲得しました。ありがとうございます。厚く、厚く感謝申し上げます。今後とも、とらのこどもの応援をお願い申し上げます。記:とらのこども
2007.11.01

おまえの心を明るくしようと思えば、ともに暮らす人びとの長所を思え。マルクス・アウレリウス他人の短所を見れば憂うつになり、他人の長所を見れば、人生が明るくなる。デール・カーネギー愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとは言えない。ゲーテ友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらず、「あなたを好んでいる人」のことを言うのである。エルバート・ハバード わたしは家族を、またある人を、あるものを、あることも、好んでいます。 これは理屈ではありません。好みたいから好んでいるのです。 そして、そうして好むことも勇気だと思います。 若者よ、勇気持て好め。/人も、道も、仕事も。/好み、励めば、路は拓く。 記:とらのこども
2007.11.01
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