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初の車載用情報機器プラットホーム 米アルテラと独TRS-STAR 米アトラスと独TRS-STARは、車載マルチメディア・システムにIPを組み込める柔軟なソリューションを、設計者に提供する自動車業界初のスケーラブルな情報機器プラットフォーム「PARIS」を発表、サンプル出荷を開始した。 PARISプラットフォームは、同社のStratix2 FPGAを搭載、次世代の車載用インフォテイメントや、テレマティクス・システムで利用される車載マルチメディア・システムをターゲットとしている。 CAN、MOST、USBイーサネットおよびSDHCインターフェイスをサポート、複数のビデオ入力/出力ファンクション、オーディオ処理モジュールやアプリケーションプロセッサを備えるスケーラブルな車載グラフィック・システムを提供する。 また、アルテラの低コスト・高性能のストラクチャードASIC「Hard Copy 2」によるコスト削減手段を提供、高性能なインフォテイメント・アプリケーションを量産するのに適したシステムとなる。 PARISプラットフォームは、EU圏ではインフォテイメント機器の開発プラットホームとして、すぐ検証できる特徴から引き合いが活発だ。08年第1四半期からの出荷予定。日本市場でも今後、販売代理店を通じて紹介していくことにしている。以上、電波新聞より いよいよ、自動車がPCに近くなってきましたね。 通信規格では、欧州と、米国間のデファクトスタンダード争いもあるだろうし、 日本メーカーはどうしているんでしょう? 誰か知ってたら教えてください。 個人的には、気持ち悪さを感じます。 CPUは必ず誤動作すると思うし、そんなときに乗っていたくないし。 ほんとはこの記事も何を言っているのか、私にはわかりません。 本当は、100年前も、今も、自動車に求めていることは同じはずでしょ? シンプルイズベスト。機能の付き過ぎは御免蒙りたい。 記:とらのこども
2007.10.31

カーナビ向け半導体技術カーナビの新たな進化に対応 車載情報端末向け画像処理機能搭載SoCもカーナビゲーションシステムは、新たな進化段階に突入している。本来のナビ機能に、これまではDVD・音楽再生、デジタル放送受信、インターネット接続などエンターテインメント性が追求されてきた。そして、普及が進み、自動車にあらかじめ搭載される「純正化」が顕著になってきた。この自動車と一体になったカーナビの「純正化」により、機能面でも自動車と一体化に向け動き始めている。自動車本来の機能である走行に関連する情報を処理し,何らかの形で走行を制御する端末へと変わろうとしている。走行支援型システム現在は、走行に関連する情報を処理し、それを運転者(人間)に伝え、運転の助けを行う「走行支援型」のシステム作りが盛んに行われている。以上、電波新聞より・・・ そして人間は退化していく。 もし、今、何かの大事件が起きたとしたら、1億人以上、生き残ったとしても、、、 何千年分かは昔に戻るんだろうなあと漠然と考えている。 少しだけでも、農業の勉強しようかなあ?と、いま、ふと思った。 バック トウ ザ フィーチャー。基本は農業だろう。 記:とらのこども
2007.10.30

バカボンドで吉川英治さんがこう言っている。「見つめても見えないのなら、目を閉じよ」と。 見えないものにこころを囚われ、苦しむ時間って、少なくないものですよね。 誰しもそうです。普通のことです。だから、見えないものに苦しんで、もがくより、 手の届くもの、目に見えるものに、時間を、精力を傾けたい。心配事に次いで、不幸の最も強力な原因のひとつは、妬み(ねたみ)である。(妬みは不幸の元)ラッセル(イギリス・幸福論)幸せは行為である。アリストテレス 幸せに結びつくことをやる。これが大事だと思います。 幸福は、活動のなかにこそ成立するものです。 だってそれをしていることが、「しあわせ」なのだから。ついでにもうひとつ。最高の善は幸福であり、良く生き、良き行為をすることが、幸福と同じ意味である。行動はいつも幸せをもたらすものではないが、行動なくして幸せはない。ディスレーリPS 最近、誰かの何かのお祝いをしたことがありますか? 誰かへ、何かの御礼や、プレゼントをしたことありますか? まずは、飴ちゃんひとつから実践。その行動から人生が変わっていくんです。
2007.10.30
━━━━━━━━━━━━━「NOVAの闇」に光?━━━━━━━━━━━━━ 平井 修一英会話学校最大手のNOVAが「会社更生法の適用を申請した」。NHKニュースで知ったが、ごく一般的には、「事実上、倒産しました」と続くのだが、NHKには、この紋切り型の言葉がなかった。「倒産」という言葉は法律用語ではなく、「破産」「清算」「会社整理」が正しいそうだが、会社更生法の適用を申請し、裁判所が「破産」「清算」「会社整理」または「再建」を破産管財人とともに決めることになるはずだ。倒産というと、完全に「バンザイ」「お手上げ」のイメージが強いから、マスコミは最近はこの言葉を使わないのかもしれない。「会社更生法の適用を申請」と言えば、まだ立ち直る可能性があるというイメージを聞き手に与えることができる。米国では「チャプター・イレブン」(破産法第11条)に相当し、経営が行き詰まると、債権者に債権の減額や放棄、新たな出資者の募集をして再建を図るのは日常茶飯事で、10年おきに「チャプター・イレブン」を申請している猛者もいる。日本も米国並になってきたのだろうが、NOVAを助けようという出資者はいるのだろうか。NOVAのビジネスモデルはフィットネスクラブに似ている。利用券を先に売りつけるが、多くの人は使いきれないで死蔵するか、解約・返金を求める。この返金に際してNOVAは利用者に不利益を与えてきた。その不利益はNOVAにとっては大きな収入で、こうなれば「利用券を売りまくれ、売ったが勝ち」となり、駅前に教室を次から次へと開設し、広告を派手に打って受講生を募った。十分な教師を揃えることは金がかかるから怠る、そのために受講生はレッスンの予約が取れない、結果的に解約するが、これでNOVAは儲けるのである。詐欺的なスキームである。スタッフもそろっていないのに事業所を作りまくったコムソン(グッドウィル)の介護事業みたいだ。500億円に近い債務の中身はなにか。大口債権者は誰か。NOVAのバックにはサラ金がいると聞いたことがあるが、どうなのか。いずれにしても債権者は債権をほとんど放棄せざるを得ない。NOVA支援企業の候補として「イオン、丸井、ヤフー、楽天の4社の名前が挙がっている」(産経)そうだが、出資してどのような見返りを望んでいるのだろう。受講生や講師を救いたいなんて義侠心で何十億円も出すはずはない。英会話教育の必要性に急に目覚め「NOVAの火を消すな」と支援を決意したはずはない。「この件はビジネスチャンスになる」と判断したのだろう。NOVAの年商は500億円だが、今は資金繰りが底をつき、ほとんどキャッュはないし固定資産もない。債務ばかりである。40万人と言われる受講生、数千人の講師、賃貸物件だろう全国の一等地にある1000の教室、そしてNOVAのブランドが、資産といえば資産だ。新たな出資者はこれを活用して一儲けしようと企んでいるのだろうが、ヤフー、楽天のようなベンチャー企業が名乗りを上げるのは分かるとしても、イオン、丸井のようなカタギが手を出すような案件ではないだろうにと思う。同業者が名乗りを上げないのは、NOVAのスキームに欠陥があると知っているからだろう。今回の会社更生法の適用申請で「NOVAの闇」と小生が感じていたことの多くが明らかになるかもしれない。以上は、知る人ぞ知るメルマガ『頂門の一針』のブログ版。ブログ:totopapaさんの普通の国にしたいだけなのだ 我があこがれの論説。とらのこどものお勧めブログです。
2007.10.29

もう2回もだ。急に襲われた。さいわい、2回とも直前に気が付いて、身をよじって逃げた。危ないところだった。ビルの奥の片隅に、その狭い個室がある。行かなくて済むなら行かない。暗くて、狭くて、くさい。イヤだ。こんなとこと思う。でもでも、どうしても行かなくてはならない。強制されているわけではないんだけど、身体がそこに行けとぼくに命令する。ソコに行けば、服を全部脱ぐわけではないが、少なくともパンツを下ろして恥ずかしい格好にならなくてはならない。思っただけで恥ずかしい。もし、大好きなあの子に見られたら自殺ものだ。と、あんまし意味のない前ぶりはこの変にして、この話し。実は真面目な話しなのだ。会社のビルにあるウオッシュレット、これは商品名だから、、、シャワートイレ、、、これも商品名か。洗浄機能付き便器の話しである。ピピッ。赤外線センサーだろう。人が個室に入ると洗浄機能付き便器(以後、あいつと言う)が起動する。チッチッチッ。クーッ。なんか知らんが動いている。おもむろにベルトを外し、ズボンを下げる。下着も下げる。次は座るだけだ。その瞬間だ。 シャーッ!!放水が始まる。なんじゃこいつは。気配に気が付いて、座るのを中止。とっさに身をよじって逃げた。 シャーッ!!水は、トイレのドアまで勢い良く飛んでいる。危なかった。止まったのを確認し、座りなおして用をたす。本来の洗浄はいつもどうりだった。そして、流して立ち去ろうとすると、 ピピッ。 チッチッチッ。クーッ。 シャーッ!!なんと、立ち去ろうとしているわたしに、第2回目の放水攻撃。うおっ、と思ったが、こちらもさるもの、ひっかくもの。洗浄機能付き便器 ごときにやられはしない。再び、身をよじって個室の脇へと逃げた。手を伸ばし、便器の蓋を閉める。なかなか、俺もやるな。まだまだ、若いもんや洗浄機能付き便器には負けん。そう思うと、爽快な感じがした。記:とらのこども PS その後、襲われたことはないが、今もときどき、狙われているような気配を 感じることがある。そのとき、手のひらを広げて指を閉じ、ウルトラマンの ように手刀を作ってしまうのは、我ながらおかしいことだ。 ばかばかしい話題ですいません。 今日は、日曜ですからご勘弁ください。ははと、笑ってもらえれば幸いです。
2007.10.28

喜びについて書く。心理学の専門家ではない。まず、お断りしておく。そのつもりで読んで欲しい。人間の感じる喜びは、どうやら区分して2種類しかないのではないか?まずひとつは、「光り輝くような、真っ白な光そのもののような喜び」そしてもうひとつ。「黒く、タールのように粘る、暗黒のような喜び」である。前者は、練習して、練習して、コンクールで優勝したり、甲子園で優勝したりするような喜びで、簡単には手に入らない。相当の年月と、努力を、仲間と積み重ねて、掴み取るのだ。そして、手にした瞬間に、頭のなかが真っ白になる。光に包まれる。うれしくてしかたがない。涙が出る。飛び上がる、仲間を抱きしめる。そして、この喜びは、長期間、持続するのだ。後者は、努力は必要ない。今、あなたの目の前にいる虫や、小動物を、捕まえて、いじめて、はり付けにして、針で刺す。手足を引きちぎる。しびれるような快感が、あなたを捕らえる。胸の中に、黒い、ねばねばとした、嫌らしさが残る。夜や、日陰、とかげのような目が似合う。そして、その対象は、自分より弱いものであれば、人間相手でも良い。噂を言い合い、陰口、悪口をいう。身体は動かさないが、痺れる快感がある。仲間と一緒にやっても良い。だが、この快感は、そのときだけで、持続しない。そして嫌悪感が残る。経験上、人は誰でも、この両方の快感を知らず知れずに求める。自分の中に、天使と悪魔がいるようなものだ。自分で、自分の衝動を観察するとき、怖ささえ感じることがある。救いはある。どうやら、この喜びは、両方一緒には感じることができない。誰しも、何か特定のことをしない・・・、というのは禁煙と同じで難しい。だが、他のことを一生懸命やっていれば、したくないと決めたことをしなくて済むのだ。だから、自分自身で、家族で、そして会社において、目標を立て、共にそれを追いかけるのが良い。努力する者は希望を語り、怠ける者は文句を言う。希望を語り、計画を立て、実施するのだ。計画は、実現可能なものを立てれば良い。簡単だ。会社の中でも、噂や、文句ばかりを、陰で言い合っている集団をときどき見ることがある。善良でないから、そうするのではない。その中にあるから、そうするのだ。野球や、楽しいコンパ、新らしい仕事の担当、新しいプロジェクトに参加してもらって、達成の喜びを知ることで、光り輝く喜び、幸せのとりこになってもらいたい。ただし、毒を持つ人間がまれにいる。外見は人間だから、よく観察しないとわからない。これは、避けるしかない。記:とらのこども
2007.10.27

生きるということ。生きると言うことは、いったいぜんたい、どういうことか。小鳥は生まれてヒナとなり、親鳥からえさを与えられ、必死になって喰う。いつかしら自分で飛び立つ日が来る。そして飛び立つ。大空を飛び、えさを求め、愛をささやく。そしてつがいを為し、次代へと世代をつなぐのだ。本能のまま生きて、悩みも悲しみも喜びもないように見えるが、懸命に、懸命に生きているに違いない。生まれ、生きて、死ぬのだ。人は、本能のままには生きられない。煩悩がある。煩悩が身を焦がし、そのこころも、身体も、人生さえも、黒々と焼き焦がす。人には、感情がある。泣いて、笑って、喜んで、憎み、妬み、嫉み、苦しむ。それこそ人間だろう。それで良いのだ。であればこそ、払える煩悩は払い捨て、ピュアな人生を送りたい。生まれ、生きて、死ぬのだ。泣いて、笑って、喜んで、憎み、妬み、嫉み、苦しんで生きるのだ。思えば神様は人間を罪な作り方をしたものだ。生きるとは、笑うとは、何かをするとは、、、。ひとりでするのではない。誰かと何かをする、これを「する」という。誰かと何かする。笑う、誰かが一緒に笑う。泣く、誰かが一緒に泣いてくれる。死ぬ、誰かが泣いてくれる。良い生涯であった。よく生きた。うれしくて泪が出る。人には煩悩がある。だからこそ、誰かと何かをしないといけないし、何かをしたいと、こころからそう思う。だから誰かを愛することを生きるという。とらのこどもの結論である。あなたのことが大好きです。こころから、そう思います。出会えてよかった。記:とらのこどもps今度はカラオケに行きましょうか?カジノに行きましょうか? 旅行に行きましょうか?食事に行きましょうか?夢を一緒に追いかけますか? もっともっと好きになったらどうしましょう?ps2 とらのこどもの私見で恐縮だが、感情とはスイッチではないかと思う。 人間という生物の、いろいろなホルモン分泌をコントロールするスイッチだ。 であるので、泣くと癒されるホルモンが、怒るとアドレナリンが分泌される。 スイッチごときに大切な人生を左右などされたくはないが、、、 感情と共に右往左往するのが人間というものか。 とはいえ意志の力でだけではこのスイッチをコントロールできないかもと思いつつ、 人生の研鑽を積んで、良いスイッチ回路を優勢にしたいと思う。 病気の快癒もこの延長線にこそあるのではないか?てくてくうささん、いかが?? これぞホルモンの神秘。食べてもうまいっ、冗談です。ごめん。
2007.10.27
古代ギリシアの意思決定は市民集会だ。20歳から60歳の人を集めて市民集会をするのだが、そのうちに人が集まりすぎて話がまとまらないということが分かってきて、その町ごとで代表を出すようにした。その代表が100人委員会を作るわけですがそれでもまだ多いというので、その100人委員会の中からさらに非常に前向きで物事を考えられる人を10人集め、その10人の組織を「ストラテゴ」と呼んだ。これは戦略の英語の「ストラテジー」の語源である。そのストラテゴというのは何かというと「構想」なのだ。要は都市国家をどういう都市国家にしていこうかという構想を持つことが、元々「ストラテジー」、「戦略」の意味なのだ。現代日本には、このストラテゴがいないことが最大の不幸である。ギリシア最高のストラテゴであるペリクレスをはじめ、世界史上の例を参考にして、戦略をランドパワーとシーパワーの観点から考察する。世界史を通じてランドパワーとシーパワーを理解することは、孫子の説く、「敵を知り、己を知る」ことでもある。以上、江田島孔明さんの「世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略」より。ネット検索すると、この論説全文が見ることができます。超大作、見ごたえがあります。記:とらのこども ps ストラテゴが無ければ作れば良い。作った者こそが何かを成し遂げる。
2007.10.26
トヨタ自動車の生産子会社、セントラル自動車(神奈川県相模原市)は23日、仙台市近郊に自動車組み立て工場を新設すると正式に発表した。10年中に相模原市の本社工場を移転する計画。生産能力は本社工場とほぼ同じ、年12万台程度を想定している。トヨタグループの国内での新工場稼働は、93年の関東自動車工業岩手工場(岩手県金ケ崎町)以来、17年ぶりとなる。 工場の移転先は、仙台市の北約20キロにある第2仙台北部中核工業団地(宮城県大衡村)。近く宮城県と用地買収交渉に入る。トヨタの主力車種「カローラ」や「ラウム」、輸出向けの「ヤリス」などを生産する。 同工業団地は、関東自動車工業岩手工場や、ブレーキ関連部品などを生産するトヨタ自動車東北(宮城県大和町)など関連工場に近く、生産・物流の効率化が期待できると判断した。 セントラル自動車本社工場は1960年の建設で老朽化が進んでいる上、市街地のため工場の拡張が難しく大規模な増産に対応できなかった。トヨタは災害時などのリスク軽減のため、グループの生産拠点の分散化を進めており、移転先を探していた。毎日新聞より。東北地域は、1970年代以降、東京およびその周辺部に広がる既存産業集積の外延化などによって、電気機械・情報通信機器、電子部品および精密機械を中心に立地が進み、これに関連した地域企業の創業を併せて、緩やかな産業集積が進展してきている。このなかで、自動車関連産業は、1990年トヨタ系列の関東自動車工業・岩手工場が東北地域初の自動車組立一貫工場として立地したことや、いくつかの自動車部品メーカーが国内の生産拠点として強化したことなどから、近年、地域経済における重要性を高めており、今後、東北地域で多様なネットワーク形成による発展が期待されている。しかし、東北地域は、自動車コンプレックスのような近接した関連産業の稠密な集積になっておらず、他地域に依存した産業構造になっています。こうしたことから、東北地域では、自動車組立工場は他地域から部品を調達する割合が大きく、一方、自動車部品製造企業は、その製品を自動車産業の集積地域などへ移出する割合が大きく、これが、輸送コストや生産性に加えて近接したものづくり現場での外部経済性を享受し難いといった環境を強いられる要因となっていた。東北経済産業局のレポートより。問い合わせ先:東北経済産業局 企画・情報システム室 これから大きく変わりそうな予感ですね。東北自動車産業。 1993年に関東自動車工業が進出し、大物の部品会社も輸送費削減で進出している。 出荷規模はまだ2500億円規模。また現地調達比率はまだ35%、まさにこれから。 東海や、北関東、広島が老舗の産地ですが、北九州地区では1975年に初めて工場が できて後、今や100万台規模を超えています。(トヨタ・ダイハツ・日産が生産) 2004年の資料で、すでに出荷額は2兆円を超えた。 自動車産業とはやはりでかい。 記:とらのこども
2007.10.25

決断力・行動力.行動力。決断力・行動力を高める. 目標を達成するためには、行動力が必要です。 いくら考えていても、それだけでは目標は達成できないでしょう。何らかの行動をしなければなりません。 まずは、「行動することの価値を知る」ことが大事だと思います。 それは勇気と言い換えてもいいかもしれません。決断力を高めるためには、どうしたらいいでしょうか? まずは、行動することの価値を強く意識することだと思います。 もう一つ、決断力を高めるには「自信」が必要なのかもしれませんが、自信は実際に決断し、行動し結果をだすことで少しずつ育てていくものです。必ず、決断力は育ちます。羽生 善治著「決断力」「決断力」「集中力」の極意!「勝つ頭脳」は、こうして決断する。 第1章 勝機は誰にもある(勝負の土壇場では、精神力が勝敗を分ける/勝負どころではごちゃごちゃ考えるな。単純に、簡単に考えろ!) 決断力は日々の行動の中で涵養されるもの。例えば、大か小かを決断せずにトイレに入る。出れば大。出なければ小にする。これでは決断力を鈍らせるばかりになりかねない。入る前に「大だ!」と決断してからトイレに入る。これをしている人は、なんだ当たり前じゃないかと思うかもしれないけれども、それをしていない人は、世の中にいくらでもいるものだ。変な例を引いたが、その他の仕事上の、プライベートのあらゆる場面で、予め決断していない人は多い。まして男子であれば、心してかからなくてはならぬ。別名「ケツ断力」ともいうゆえんである。失礼。記:とらのこどもps ブログ本文の内容と、紹介した本は関係ありません。念のため申し添えます。 同じテーマゆえご紹介しました。
2007.10.24
【地政学名言集】 一、隣接する国は互いに敵対する。二、敵の敵は戦術的な味方である。三、敵対していても、平和な関係を作ることはできる。四、国際関係は、善悪でなく損得で考える。五、国際関係は利用できるか、利用されていないかで考える。六、優れた陸軍大国が、同時に海軍大国を兼ねることはできない。その逆も然り。七、国際政治を損得で見る。善悪を持ちこまない。八、外国を利用できるか考える。九、日本が利用されているのではないか疑う。十、目的は自国の生存と発展だけ。十一、手段は選ばない。十二、損得だけを考える。道義は擬装である。十三、国際関係を2国間だけでなく,多国間的に考える。十四、油断しない。十五、友好,理解を真に受けない。十六、徹底的に人が悪い考えに立つ。十七、科学技術の発達を考慮する。 「国家に真の友人はいない」 -キッシンジャー 「隣国を援助する国は滅びる」 -マキャべリ 「我が国以外は全て仮想敵国である」 -チャーチル 「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。 長く深淵を覗く者を、深淵もまた等しく見返す」 -フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900) 政治としては、隣国には干渉しないといけないが、干渉し過ぎてはいけない。 個人としては、真の友を隣国に持ちたいとこころより思う。 記:とらのこども
2007.10.23
もし、あのとき。。。欧州で戦火が始まり、第2次世界大戦(太平洋戦争)直前のチャーチルの世界戦略はどうだったのか? そしてその後どうなったのか。■1.チャーチルの世界戦略■ 1940(昭和15)年5月に首相に就任したチャーチルにとって、 イギリスの命運は風前の灯火のように思われた。ドイツの電撃 戦によって同盟国フランスはすでに屈服し、ロンドンを始めと するイギリスの各都市は連日ドイツ空軍の爆撃に曝されていた。 一方、頼りにしていたアメリカは、大統領選を控えており、 3選を狙うルーズベルト大統領は、欧州戦線に巻き込まれるこ とを嫌う世論に迎合して、「あなたがた(米国国民)の子供た ちは、海外のいかなる戦争に送り込まれることもない」[a]と 公約していた。 もう一つの厄介な問題はイギリスのアジアでの権益をいかに 日本から守るか、という事だった。フランスがドイツに占領さ れて、その植民地・仏印(ベトナム、ラオス、カンボジア)は 無防備状態に陥っていた。 「フランスが崩壊した時(1940年6月)に、どうして日本が (東南アジアに)打って出なかったのか、我々は不思議に思っ た」とチャーチルは述べている。[1,p63] 英領の香港、マレーシア、シンガポールなども、英軍は手薄 で、増強する余裕もなかった。日本が進出してきたら、イギリ スには単独では打つ手がなかった。この時点で、イギリスには 以下の4つのシナリオがあり得た。 (1) アメリカがドイツに宣戦布告し、日本は中立に留まる。 (2) 英米が協力して、日独と戦う。 (3) 日米がこのまま欧州戦争を傍観する。 (4) アメリカが中立を守ったまま、日英戦争が勃発する。 現状は(3)であった。これが(4)となったら大英帝国は崩壊す る。(1)は理想であるが、日本が東南アジアに勢力を伸ばして くるのは、時間の問題と思われた。したがって次善の(2)にい かに持って行くか、をチャーチルは考えた。すなわちドイツと の戦いに勝ち、日本から英領植民地を守るためには、いかにア メリカを自陣営に引きずり込むかが課題となった。以上は、国際派日本人養成講座「JOG-Mag No.517 日米戦を仕掛けた英国情報外交」から一部抜粋しました。創刊7年目・3万1千部発行・まぐまぐ殿堂入りのメルマガです。国際社会で自分自身を語れますか?政治・外交・文化・歴史など、グローバル社会をたくましく生き抜く国際派日本人のための教養誌。とらのこどものお勧めメルマガです。ぜひぜひご一読ください。 その後の世界の行方は、皆さんご存知のとおりです。 このときだけが深刻で、今はそうではない。と言う認識は明らかな間違いと思います。 こうした状況は、あのときも、今でも同じです。世界地図は変わっていません。 主要なプレイヤーも同じです。60年ほど経ったというだけに過ぎません。 では、今、私たちはどうしたら良いでしょう? わかりやすく質問を変えると、、、 1)中国、ロシアと行動を共にする。 2)フランス、ドイツなどEUと行動を共にする。 3)英米と行動を共にする。 4)中立になる。 基礎はひとり、ひとりの認識です。お上に任すも好し、自分で考えるも好し。 できるなら、よく考えて、自分なりに納得したいと思います。 皆様はいかがでしょう? 記:とらのこども
2007.10.23
今も毎日、数輪だけ、あさがおが咲く。大ぶりの白い花もあり、濃い青色、赤紫のものもある。なかでも、白いものが光に透き通ってとてもきれいだ。半月前までは、毎日盛大に花咲いていたことを思うと、季節が進んだのだろう。9月下旬には、毎日30輪から多ければ50輪以上の花が競演していたというのに。そして、あさがおの葉も今はほとんどない。散ったのではなく、糞になったのだ。もにょもにょと動き、旺盛な食欲であさがおの葉を食べていた「いもむし」。青く、かわいらしさもあったのが、今では7,8cmにもなり、茶色く変色し、皮膚は堅くなった。2匹いる。大きい。おそらくは、後、数日くらいでさなぎになるのではないかと思う。所用で半月ほど出かけるため、わたしは見ることが叶わない。ベランダにおいたプランターには、毎年、秋の終わりに卵を産みに来る蝶がいる。のだろうと思う。去年も同じころ、あさがおの葉をむしゃむしゃ食べている奴がいた。家族で、朝、昼、晩と観察する。「いる!」、「どこにいた。」「いない!」、「どこへ行った?探せ!」とうるさい。もう終わったあさがおへの水遣りも、それなりに欠かさない。我が家のあさがおの葉だけで、生きている輩に、配慮せねばならないからだ。大辞林によれば、「うるさい」の意はやかましいが第一。しかし、いやになるほどに、こまごまといきとどいている。という意味もある。 「れいのうるさきき御心とはおもへども、えさは申さで」〈源・夕顔〉 蝶は、その我が家の「うるさき様」を、知って産むのかと、聞いてみたいものだ。そのチャンスは、来年の春か、秋か。。。ときおり蝶の舞う我が家のベランダである。「いもむし」も冬支度だ。記:とらのこども ps プランターの土の中には、小さい甲虫の幼虫もたくさん住んでいる。 今はまだ卵。これは、チューリップを植えるときのお楽しみだ。 またまた、我が家はうるさくなる。
2007.10.21
せみが鳴いている。クマゼミだろうか、ワンワン鳴いてうるさい。数を数えてみると、案外少ない。あいつもこっちを見ているようで、見てると鳴き止む。夏休みも8月を越えると、本番のような。慣れがあるような。だから、毎日が夏休みなのが普通になっちゃう。今日は家に誰もいないから、電話をかける。「よう、今日はなにしてんだよ~。」「そっちこそ、何してんの。どこにもいかないの?遊びに行こうよ。」「とりあえず来る?誰もいないからさ。」数分のやりとりをして、すぐ電話を切る。長電話なんて、バカのすることで俺は電話なんてしない。会いたいときは会いに行くほう。昼でも、夜でも、出かけて、あいつの部屋に石を投げる。あいつが顔を出す。「あんたさ~、こないだわざと間違って妹の部屋に石投げたでしょ。」「もう、最低ー。」「いなかったからいいけど、いたらどうするのさ?」「そりゃ、同じことするよ。」「信じられない!バカ!」あいつが来た。表で待っとけって言ったのに、なんでのこの部屋まで入ってくるんだ?「来たよ~。なんだ、まだそんな格好でいるの?」「うるさいなあ、ちょっと待っとけ。」あいつはベッドに座って待ってる。「これさあ、どうだったけ。」「知るかよ、数学なんて自分で解けよ。俺に聞くんじゃあねえ。」「でな、こうなるだろ。次はこいつをこっちに持ってきて。。。」「後は、この数式に入れるだけ。なっ、簡単だろ。」「やっぱり、ちゅーちゃん頭いい~。」「うるさいの、どおでもいいんだから。そんなの。」おまえさあ、、、、黙ってじっと見る。(そんなつもりなかったのに。。。)(朝、自分でしたんだぜ。俺。ばっかみたいじゃん。)最期にシャワー浴びて、出かける。単純に計画的わなに落ちただけ。(男って。)面倒だからタクシーで市内の公園に出かけた。そこは江戸時代からの古い公園で、重要なんとかに指定されているらしい。夏だから観光客も結構来てる。外人もちらほら歩いてる。でっかい背中。ランニングシャツ。やっぱり外人は女でもすげーや、と思った。入場料を払って公園を歩く。松の木があり、塀があり、庭園がある。宝物館があったから入る。「宝物じゃないじゃん、近所のおっさんの作品だろ、これ。」「全部、値札ついてるしさ。」「いいじゃん、すっごいきれいだし。」「違うだろ。俺はさ、むかしむかしの宝物がいいんだよ。」「鎧とか兜とかあるだろ。身震いするような真剣とかすごいぜ。」空が急に暗くなってきた。「雨降るんじゃない、急ごうぜ。」「だいじょうぶだって。いつもそんなんだから。降らないわよっ。」すこし降り始めたころ、公園の外に出て、甘味茶屋に入る。「お汁粉飲んでたら、雨も止むと思うから。」「そうね。わたし白玉にしようっと。」「おばちゃん、ビールと灰皿。」「わたし。取ってきてあげる。」ビールを飲む。汁粉を飲む。タバコを吸う。外を見る。大雨になってきた。外は暗くて、まだ夕方なのに夜みたいだ。旅館の建物が雨にけぶる。明かりがついて、木造3階建ての建屋がうかぶ。これって、宮崎駿のお父さん、お母さんがブタになる映画あったじゃん。あの風呂屋みたい。。。そうひとりで思った。甘味茶屋の窓を開けてみる。雨が降っている。池の水面をいっぱいたたいている。少し明るくなった。でもまだダメだ。この店に入ってくる人も、濡れて入ってくるひとが多い。みんな傘を持っている。さっきまで、誰も傘なんて持ってなかったと思ったら、結構みんな持ってる。店を出ようとしたら、兄ちゃんが手に傘を3本持って飛び込んできた。「お姉ちゃん、傘要らない?1本200円だから、買いなよ。」「買おうか。」「買おう。」「じゃあ、1本ちょうだい。」「2本じゃないの?」「いいの、一緒でいいでしょ?」(別に、2本買えばいいのに。高いもんじゃないのに、、、女ってなあ。)雨は未だ降っている。向かいの商店街に向かって歩く。このあたりはアーケードは無い。通りには、水たまりがところどころにある。それを避けながら二人で歩く。小さい衣料スーパーに飛び込む。2階建てになっていて、やたらポスターが貼ってある。1Fを見回す。Tシャツいくらだ?げえっ、高いじゃん。2Fに上がる。一回りして、もう降りる。外の通りに出てタクシーを待つ。みんな待ってる。観光地だからぼちぼちタクシーが入ってくる。でも客が乗ってる。雨のなか、傘を差して待つ。そのうち来るだろうと思う。気長に待つ。タクシー待ちの人たちが来ては、いなくなる。通りを歩いていく。あいつを後ろから抱きかかえて傘を持つ。これって「あすなろ抱っこ」って言うんだよな、と思いだす。別に俺。このまま待っているので、十分しあわせかもと思う。こいつ、もう一度、俺んち来ないかな?と思ったりする。結局、30分ほど待ってもダメ。バス停で、適当に乗り込む。市内を家の方向にさえ行けば、後は、タクシーでいい。バスはどのみち、俺んちの方面はないから。バスに揺られる。道ばたには傘を差して歩いてる人。カッパ着て、自転車で走ってる高校生。もうネオンが光ってる。夜になったんだ。夏の雨の雨宿り。公園に遊びにきたのか、雨宿りに来たのか。どっちでもいいや。「じゃあね。ちゅうちゃん、わたしバイトあるから。」おいおい、勝手に来て、勝手に行っちゃうのかよ。と心の中で少し思った。あの傘は俺の手にある。あいつは要らないって言ってた。どうすんだ。家にはいっぱいあるんだぜ。おわり。
2007.10.20
夜になって雨が降り出す。街はまだ明るさを残しているけど、週末とは違って人影も少ない。通りに雨が落ちる。小さい水溜り、大きい水たまり。通りの上は、うすい、うすい川。水たまりから、排水溝へと流れていく。今日は結構な雨だ。ちょっとしたスコール気分。空を見上げると、街の明かりの反射だろうか、夜遅くなのに、上のほうに明るさが残ってる。明るい雲の中から雨が落ちてくる。傘を差して歩く。水たまりを少しでもよけて、水の少ない街路を、かかとを上げて歩く。二人は遠くなったり、近くなったりしながら歩く。お店の前にはひさしが出ていて、そこであれば雨に濡れなくても済む。今度は、並んでひさしの下を歩く。ひさしはずっと続いてなくて、切れ目がある。切れ目が来るたび、傘を差す。僕が差して、彼女と一緒に入る。「ちゃんと二本あるのに、、、」と彼女は見上げて笑う。肩を抱いて、二人で歩く。また切れ目があって、切れ目のたびに二人の距離が近くなっていく。手を腰に回して、歩調をあわせて、二人三脚のように歩く。やがて切れ目もなにも無くなって、雨の中、通りを歩いてく。傘は1本しか使わない。彼女の傘は、手に握りしめられたままだ。夏だけど、雨に濡れて寒さがある。寒さのなかに、彼女の暖かさがある。別れ際、急にキスをしてきた。「ありがとう、じゃまたね!」と言って、彼女は帰っていく。それにしても、キスをされるとキスを返したくなるのは、何故だろう?そうしたとき、ほっぺに返すのか、くちびるに返すのか、いつも迷う。ゆっくりすればいいのに、ちょっとあせって、キスする場所が、くちびるからちょこっとずれちゃうのは何故だろうと思う。別れた後、左手には、やわらかな暖かさが残っている。くちびるにも、久しぶりのキスの感触が、ずっと残っている。耳には、彼女の最期のセリフが甘く響いている。見上げると、街の明かりの反射で、上のほうにまだ明るさが残っていた。明るい雲の中から雨が落ちてくる。雨の日も悪くはない。雨の日は、雨の日の楽しみがある。記:とらのこども PS こんな雨なら降って欲しいもの。寒いときの温かさは人肌がいちばん。 今は残念ながら、それ以前で足踏み中。
2007.10.20
どうしてブログを書き始めたのか?どうしてブログを書き続けるのか?そのことを考えないブログ管理人はいないことやと思います。それを考えてしまうほど、時間も、労力もかかる。でも書き続けたいと思う何かがあって、また書く。とらのこどもは、最初、こどもに伝えたいことを書きたいと思ってました。どうやらそれは口実で、自分のことを書きたかったのだろうと、後で思いなおしました。誰かに何かを伝えたい。思うことを伝えたい。誰かに読んでもらいたい。読んでくれるに違いない、という期待があった。今も同じで、期待を抱き続けています。昔であれば、それを特定の個人に宛てて手紙にしたことでしょう。または、自分自身へ向けて、日記としてしたためたことでしょう。人はひとりでは生きていけない。理解して欲しい。そういう欲求がある。だから伝えたいことがある。これが根本。そう、誰かに伝えたいことを手紙に書くのだ。それは自分自身のこと。そして今は、それをブログに書く。手紙にしろ、ブログにしろ、読んでくれる人があればこそ幸いである。記:とらのこどもps だからこそ、時間をかけて読んでくれた人へのサービスを内容に込める。 もし喜んで受け取ってくれたなら、わたしの大きい喜びです。 わたしの思ったこと、感じたことを、 これからもブログからお伝えしたいと思います。 最近、ほんと寒くなってきました。 風邪などひかぬよう温かくしてくださいね。またお会いしましょう。
2007.10.20
特殊技能、身のこなし、目付き、気配。ただものではない! そう思わせる雰囲気、特殊な技能というものはあるものだ。隠していても、それと分かるほどの身体的特徴、技能というもの。ある者は、その筋肉を見ただけで、ある者は、すり足で歩くだけで、ある者は、腰を落として構えただけで、ただものではないと分かる。民俗学というのがあるけれど、そのなかにこんな記述があって、わたしの記憶にくっきり残っている。いわく、江戸時代の人は生涯、走ることがなかったらしい。もちろん、泳ぐことも無かった。いわんや、自転車にも、自動車にも乗れやしない。ということで、走り方、泳ぎ方を知っている人は、ただものではない。訓練を積んだ忍びの者と同じであろう。江戸時代の絵に、両手をあげて逃げまどう人の絵を見たことがある。なんとあれが、庶民の最もあわてて、最も早く逃げている絵である。火事のときに、ああして両手をあげて前のめりになりながら、早歩きで逃げた、らしい。現代には現代のただものではない人が大勢いる。見た目は、普通の人間に見える。しかしながら、江戸時代の走れない庶民に対する走ることのできた人のように、現代のただのもではない人は、何かすごいはずである。外国語を流暢に使う人かもしれないし、人のこころを操る怪人かもしれないし、お金に使い方に最高の技能を持った人かもしれない。発見してみましょう、現代のただものではない人を。見つけたら教えてくださいね。そっと。記:とらのこども
2007.10.19
北朝鮮と連動するシリア空爆━━━━━━━━━━━━━━━━ニューヨーク・タイムズの”Israel Struck Syrian Nuclear Project,Analysts Say ”の記事は、九月六日のイスラエル空軍機によるシリア空爆の対象は北朝鮮設計の原子炉だったと示唆した。その原文は次のようなものである。Israel's air attack on Syria last month was directed against asite that Israeli and American intelligence analysts judged was apartly constructed nuclear reactor, apparently modeled on oneNorth Korea has used to create its stockpile of nuclear weaponsfuel, according to American and foreign officials with access tothe intelligence reports.この記事をCNNはいち早く伝えている。アメリカのメディアはユダヤ系アメリカ人に独占されているといってもよい。なかでも今のアメリカのメディアをリードしているニューヨーク・タイムズやCNNは、その傾向が顕著で親イスラエルの立場をとっている。もっともアメリカで隠然たる力を保持しているユダヤ社会は、パワー・エリートを輩出しながら、大きく分けてネオコン的なタカ派と超現実的外交を唱えるキッシンジャーら中道派が存在している。9・11同時多発テロ事件によってブッシュ政権は、テロとの戦いを唱えてネオコン主導によってアフガン戦争やイラク戦争を行った。しかし皮肉なことに、戦争に勝利してもテロとの戦いはかえって激化した観がある。昨年秋以来、ブッシュ政権からネオコンが一斉に退場して、中道派のキッシンジャー路線が浮上している。いずれもユダヤ社会のパワー・エリートたちである。米国の安全保障政策の最優先順位は中東政策であって、北朝鮮政策ではない。中東において力の均衡が破れるのは、イランやシリアが核を持つことであろう。人口500万のイスラエルが2億のアラブ諸国との間で保ってきた均衡が破綻する。そのイランやシリアに北朝鮮が核技術を輸出するのは阻止せねばならない。ネオコンは経済制裁を強め、力によって北朝鮮の金正日体制を崩壊させようとした。しかし経済制裁を日本とともに強化しても中国や韓国が北朝鮮を支援すれば、効果は半減する。制裁をかい潜って北朝鮮とイラン、シリアとの関係は続いている。キッシンジャー路線の中道派は北朝鮮との融和策によって核廃棄を迫り、少なくともイランやシリアに対する核技術・ミサイル技術の拡散を阻止する戦略をとっている。たとえ北朝鮮の核廃棄が不透明なものであっても核拡散阻止が担保されれば、米朝の国交締結までひた走るであろう。その最中に発生したイスラエル空軍機によるシリア軍事施設に対する空爆である。この事件は九月六日以来、主として英国などヨーロッパ筋から様々な観測情報が出ている。ニュース・ソースはイスラエルであることは想像できる。重要なのはシリアの湊に入港した北朝鮮の船舶が積み荷を下ろして出港後、イスラエルが偵察機にによって積み荷に行方を追って、搬入先を空爆したと伝えられたことである。これが事実とすれば、北京で6カ国協議が行われ、米朝直接交渉も行われた最中に北朝鮮が背反行為をしたことになる。これを時系列でみてみよう。9月18日に英紙デーリー・テレグラフは、北朝鮮の貨物船が最近、韓国の国旗を掲げシリアの港に停泊した後、姿を消したと報じた。この情報はイスラエルのデータ分析家であるロネン・ソロモン氏によるものだが、欧米メデイアが「イスラエル軍機が今月初め、シリアの核関連施設を越境攻撃した」と伝えたので、空襲1日前までにシリアの港湾に出入りした外国船舶を追跡したという。その結果、5隻が浮上し1隻が北朝鮮に関係する「アル・ハメド号」という貨物船だったという。1,700トンのアル・ハメド号は、イスラエルがシリア北東部を攻撃する3日前に、シリアのタルトゥース港に現われ、積み荷をおろして行方をくらました。シリアやイランに対する北朝鮮の資材提供は、東支那海、マラッカ海峡、インド洋を経て貨物船で行われているが、韓国旗を掲げて擬装するケースがある。米国艦艇が韓国船を停止させ臨検することは、国際儀礼上も出来ない。とくにスエズ運河を通行する北朝鮮の貨物船は例外なく韓国旗を掲げているという。シリアのタルトゥース港に入港したアル・ハメド号は、その典型例である。これに先立つ12日のニューヨーク・タイムズ紙にイスラエルの偵察機が最近、シリア国内の核関連とみられる施設の写真撮影に成功したと伝えている。米政府筋の情報である。15日のワシントン・ポスト紙は中東専門家の話として、イスラエルがシリア北部の「農業研究施設」を攻撃したとみられると報道。これにはイスラエルがこれをウラン抽出施設とみており、攻撃の3日前に北朝鮮からシリアに核関連機器が輸送されていたという情報を解説としてつけた。さらに18日のニューヨーク・タイムズ紙は北朝鮮の貨物船がシリアの港に入るのをイスラエル情報機関が追跡し、その貨物が運ばれた場所が攻撃されたと報じた。だが「積み荷の中身は不明だ」としている。この日にライス米国務長官はエルサレムに向かう機中で「われわれは北朝鮮の政権の本質に関して幻想を持っておらず、最初から北朝鮮の核拡散を懸念していた」と記者団に語っている。このような経過を経て、イスラエル空軍機によるシリア空爆の対象は北朝鮮設計の原子炉だったというニューヨーク・タイムズ紙の特ダネに至っている。当初は空爆そのものがイスラエル諜報機関の謀略という説があったが、すでにシリアもイスラエルも公式に認めた。米国が懸念しているのは、イランの核施設に対するイスラエルのミサイル攻撃であろう。日本にとっても、この事件は対岸の火ではない。以上、古澤 襄さんのメルマガよりご紹介しました。杜父魚文庫ブログ すっごい奥深いブログです。皆さん、是非ともご訪問ください。 とらのこどものお勧めです。(ただし、上記ブログは未だ収録がありません。)
2007.10.18
今と言う時代はどんな時代なのか。中にいるとわからないんではないか。ものすごい時代なんではないのか。何が違うのか、何がものすごいのだろうか、という一考察。まず、こうして考えたことをそのまま発表でき、それを見ることができることはすごい。深く、深く思考した結果、何かを発見し、発明することができる存在が人間だったとして、それを伝えるための労力もまた気が遠くなるほどの労力だったはず。それがあっという間に、世界中に伝播する。例えば、通信速度が数百倍になったような、クロック周波数が数千倍になったような、コンピュータを数万台連結したような相乗効果があるに違いない。そして、時代が早く回転する。時間というもの自体が早くなってきていると書いてある科学論文を見たことがあるが、体感的にそれと感じるほど、ものすごい速さだ。加速している。今後の10年は、今までの100年。今までの100年は、それまでのミレニアム以上のものがあり、それまでのミレニアムは、さらにそれ以前の1万年に相当するんじゃないかと思うほど。きっと壊れてしまう。そんな予感がする。身体が、精神が、そのスピードに耐えられないポイントで壊れるんでないだろうか。今までの価値観や、権威や、評論がどんどん壊れてきている現代。ある程度の年齢であれば、50年間という時間軸を自分の感覚で意識できるだろう。その2倍を加えるだけで、明治維新のころになるとすれば、つい昨日のようなものだ。それを3倍すれば、信長、秀吉の時代となる。それですら一昨日と同じこと。想像して欲しい。総理大臣でさえ、天皇陛下でさえ、今の我々はどれほど身近に感じることか。ひとりひとりが覚醒している今と言う時代。ひとりひとりが思考する今と言う時代。ひとりひとりが行動する今と言う時代。我々はどこに行こうとしているのか。その怖さをわからないものはクラッシュするだろう。感じるものだけが自分を守りうる。行動しなくてはならない。行動するというのは行動しないということを含む。必要なのことは、守るべきものを守るという行動かもしれない。守るべきことを守らない人間は、もはや人ではない。人でない人間を見分け出来るかどうか。今はそれが最も必要な「最先端技術」であるように思えてならない。人というものはすごいが、人という存在こそが怖い。そして救いもまた人のこころのうちにある。記:とらのこども
2007.10.16

たまにっていうか、最近はよくひとりだけの時間というものがある。ひとりっきりのときに、いろんなものの整理をすればよいのだけど、つい怠けてしまう。怠けるというと、「何もせえへんの?」と聞かれるけれど、実際は逆で、せんとあかんなあと思う事柄を置いておいて、他のことをしてしまうのだ。ブログ然り。飲みに出るのもそう。さて、せんといかんもんはせんといかんので、整理してみよう。マンションの引渡し、工事の手配はせんならん。入居募集手続きも手配が必要だ。(参考:とらのこどもは大家さんでもある。。)修学旅行の準備、買い物もせんならん。今日中に片付けよう。(参考:とらのこどものこどもは、今週、修学旅行に出かけるのだ。)仕事の整理は、帰国前にノートにまとめ終わってるから大丈夫として、、、(ほんまか!!)ふと思い出す。自分の性癖。せんならんことを後回しにするのだ。気持ちはせんならんことが頭にあるままやから、他のことしながらも、ちょっとあせってたりする。なのに、他ごとをしてしまう。いやいや、だからこそ手が届くというもの。せんならんことからする人ばかりやから、すればいいのにしてないことが、家庭の中に、会社の中に、世の中に、あふれているというのやから。待てよ。風呂のドアがきしむからそれを直したり、女房殿が下水工事があったから荷物があっちこっちしてたのを、元の位置に戻すのは、お前さんの優先業務かい? 女房殿に媚びてやしないかい?内心、それと思い当たるので、ふーむ。と自分で思ってしまった。さしあたって、このブログはどうまとめるのだ?!それが問題だ。。。 よく考えた結果、まずは、図書館。午後は、バレーの練習に行くことにします。 パピー。このブログ。携帯でチェックしてたら、練習、一緒に行きませう! 記:とらのこどもps エディタを始めてみました。 使い方がまだ良く分かりません。もしアドバイスいただけたら、うれしいです。 ブログの輪が広がるならうれしいですし、渾身の過去ログも見て欲しい。
2007.10.14
≪歴史的に固有な関係の台湾≫1972年9月30日午後、田中角栄元首相と大平正芳元外相は、日中国交正常化を果たして北京から帰国した。その同じ日に、佐藤栄作元首相の時代に内閣官房に組織され、当時は外交一元化ということで外務省に移管されていた国際関係懇談会が開かれていた。この懇談会は、日中関係をどう形成すべきかを議論するための一種の諮問機関であり、亡き高坂正堯教授(京都大学)と私が最年少ということで幹事を仰せつかっていた。この会合に大平外相を羽田空港に迎えたばかりという、法眼晋作外務次官が出席され、開口一番、「今回の日中国交は100点満点どころか120点をつけられる」といわれた。私は唖然として大きな違和感を覚えたことを思い出す。私を含む国際関係懇談会の多くのメンバーは、佐藤首相も考えていたように、日中国交は時代の流れとして不可避だが、日本にとっては中華民国=台湾との関係という歴史的にも様々に固有な関係があるので、この点をしっかり考慮して禍根を残さないようにすべきであり、一挙に日中国交を実現して急旋回することは避けるべきだという方向に議論が進んでいた。それだけに、マスコミに煽(あお)られたかたちでの田中首相主導の拙速外交に私は異を唱えたのである。 ≪国威発揚イベント続く中国≫あれから35年、日中関係は緊密化したが、台湾問題の存在とその重要性は変わっていない。この35年間を振り返ってみると、日中国交正常化以来、日本が中国に対してとってきた態度は、日本側が常に低姿勢で中国側に対応するという、まさに「朝貢外交」ともいうべきスタイルだった。このような“対中国位負け外交”から脱することが日中関係の長期的展望においては是非必要だといえようが、安倍前首相の訪中時にも見られたように、このところ日本の対中外交のスタイルには印象的な変化が見えてきている。なぜそれができたのか。その理由のひとつは、従来、対中関係を一手に仕切ってきた外務省のいわゆるチャイナスクールによる関与がなくなってきたからだといえよう。一方、中国側も江沢民時代のように歴史認識の問題や「靖国」の問題でかたくなに突っ張ってばかりいられない様々な事情を、現在の胡政権は抱えている。それは中国国内に噴出する社会問題だ。今、中国で起こっている恐るべき貧富の差、農村・農民の問題、環境問題、エネルギー問題、拝金主義(向銭看)と汚職の問題などは、「改革・開放」体制下の経済成長至上主義による深刻な負の遺産であり、国内の不満も極限的に高まっている。これらの不満は、この10月中旬に開かれる中国共産党第17回大会での「科学的発展観」といった改善策の提示ではとうてい解消しないであろう。当面は2008年の北京オリンピック、09年の三峡ダムと上海-重慶間のスーパーハイウェイの完成、10年の上海万博といった国威発揚の大イベントを次々に成功させる以外にない。それには、地理的、金銭的、技術的と3つの面で、日本の協力を是非必要としているのではないか。だからこそ日中外交は、「靖国」を不問に付して次の新しいステージに入ったとも言えるのだ。 ≪日本の主体的行動が必要≫現在の東アジアの情勢を見るにつけ、北朝鮮問題以上に重要なのが「台湾問題」である。台湾の次期総統選挙は08年3月に行われる。ここが1つのポイントだ。国民党が再び政権を握れば、第3次国共合作ということもありえよう。民進党が選ばれて、中華民国という国名に固執せず台湾のアイデンティティーをさらに強めれば、中国は反国家分裂法をたてに軍事行動を起こすかもしれない。そのような事態を避けるために、日本はどのような外交展開をすべきか、これは極めて重要かつ切実な課題である。最近の中国は、台湾問題についてますます強硬になりつつあり、「台湾は中国の一部」という主張をさらに強めている。一方台湾においては、中華民国ではなく台湾の名称で国連に加盟すべきだという世論も高まっている。潘基文国連事務総長まで「台湾は中国の一部」と発言したことに関しては、日本をはじめ米国やオーストラリアの外交当局が国連決議(2758決議)でさえそんなことは認めていないと国連に申し入れたが、歴史的に固有な関係ばかりか、日本の国益にとってもきわめて重要な台湾の問題に関しては、日本こそが米国やアジア諸国に呼びかけて、主体的な行動をとるべきだと私は考えている。(なかじま みねお)国際教養大学理事長・学長産経新聞【正論】日中国交正常化35年2007.10.8 03:03 より転載
2007.10.12

人生の種(原文は英語:作者不詳)正直さの種を蒔くと、信用をもたらす。やさしさの種を蒔くと、友人をもたらす。謙虚さの種を蒔くと、高貴さをもたらす。忍耐の種を蒔くと、勝利をもたらす。思いやりの種を蒔くと、調和をもたらす。熱心さの種を蒔くと、成功をもたらす。寛容さの種を蒔くと、和解をもたらす。率直さの種を蒔くと、深い関係をもたらす。根気の種を蒔くと、進歩をもたらす。信念の種を蒔くと、奇跡をもたらす。一方、不正直さの種を蒔くと、疑惑をもたらす。わがままの種を蒔くと、孤独をもたらす。高慢さの種を蒔くと、破滅をもたらす。嫉妬の種を蒔くと、災難をもたらす。怠惰の種を蒔くと、沈滞をもたらす。怨恨の種を蒔くと、孤立をもたらす。貪欲さの種を蒔くと、損失をもたらす。陰口の種を蒔くと、敵対者をもたらす。心配の種を蒔くと、皺をもたらす。罪業の種を蒔くと、罪悪感をもたらす。以上、Tweetyさんという方のブログよりとっても素敵な記事がいっぱいありました。皆さんもどうぞ訪問ください。こころに、国境はありませんね。記:とらのこどもps エディタを始めてみました。 使い方がまだ良く分かりません。もしアドバイスいただけたら、うれしいです。 ブログの輪が広がるならうれしいですし、渾身の過去ログも見て欲しい。
2007.10.12
「好きこそものの上手なれ。」好きになればこそ、飽きずに努力するから、遂にはその道の上手になる。以上、広辞苑より。好きこそが最大のモチベーションであり、意欲も、努力も、ひいては成功の道筋も、みんな「好き」であることが、その母体になるということです。「好き」と、「打ち込む」はコインの裏表のようなもので、その因果関係は循環しています。好きだからこそ仕事に打ち込めるし、打ち込むうちに好きになってくるものです。以上、稲盛和夫さん幸福に生きる道は、自分の一番好きなことして生きる。ということに尽きる。以上、大林宣彦さん幸福とは幸福を探すことである。以上、ルナールこの意味は、「過程の楽しさ・しあわせを愉しむ」でしょう。幸せになりたいなら、幸せを求めよ。幸せを求める過程の幸せを愉しむことができれば、確実に幸せになれる。今日も1日がんばって、しあわせになりましょう!!好き。好き。大好き。しあわせっ。記:とらのこども
2007.10.11
長い長い夢を見た後に、目が覚めて時計を見てみたら、たったの1時間ぐらいしか経ってなかったなどということがよくある。それは、夢というものは、実は「時計的な時間」=「クロノス」によって見ているものではなくて、別の極めて個人的な時間=「カイロス」と呼ばれる時間で見ているからなのである。つまりカイロスとは、人間一人一人が思う「意味合い」などによって、いくらにもゆがめられる時間なわけである。小説などで、「そして10年の月日が流れた」と描写される時の感覚に近いものかも知れない。実際の時計的な時間ではない。こちらが「そうだと思う」時間なのである。空間でも同じようなことが考えられる。ではなぜ、夢はカイロスで見るのであろうか。じつは夢というものは、ユングによれば、クロノス的に言って「ほんの一瞬で」見ているものなのである。覚醒の直前か直後かに、無意識からデータだけを与えられ、それを意識において(といっても意識はしないのだからおそらく意識と無意識の境界あたりで)「理性」がその「独自の設計図」に基づいて「夢」を作っていると言うことになるだろう。すなわち、無意識からのデータ、あるいは理性の設計図の中に、何らかの「時間設定」が考慮されていれば、夢はその時間に沿って構築されるというわけである。小説の中での「そして10年の月日が流れた」という説明のようなものである。ちなみに、無意識からのデータは、外的刺激、例えば目覚ましの音などによっても触発されるような形式で出現するとも言われる。結論:夢の中の時間は、覚醒時のいわゆる「現実」の時間とは全く異なるものである。 皆さん、いかがでしょう? ご存知でした?? 夢の中では、本当の人生のような長編もあれば、怖い怖いショートストーリーもある。 できれば、楽しい夢がいいので、毎日、毎日をがんばりましょう。 よくやった、できることはやった。という安心をかかえて安眠したいものです。 以上、ネット発表論文「ユングと宗教心理学」よりご紹介しました。 佛教大学大学院 教育学研究科修士課程 臨床心理学専攻 杉田貴行さんという学生さん の発表論文です。 記:とらのこども(論文の締めくくりは下記のようになってました。)夢の世界と、現実世界の出来事は、奇妙な一致をしている場合もあり、それに気づくことにより、何かしらの深い情動や認識を得ることもある。いずれにせよ、実生活に活かせてこその気づきであり、夢の世界と現実世界の関わり方が重要であることは言うまでもない。
2007.10.10
米国の国内でタカ派チェイニー副大統領とリアリストのライス国務長官の意見が対立していた問題は、ライスが勝ち、ヒル次官補は北朝鮮問題で自由になったと認識した。日本国内の評論家も米国だけを見ているので、日本はこの国際問題から外されると評論している。しかし、中国は日本との信頼関係を構築する必要がある。胡錦涛国家主席は「対日関係を発展させる」と表明し、これを全国民に告知した。米国が北朝鮮、ベトナム両国との関係を修復し始めているが、それは結局のところ、北京を締め付けようとする意図だということを、中国はよく理解している。また、中国全土で暴動が起きるなど、政治的混乱が起きているが、この混乱に拍車をかけているのが、粗悪食品、毒物混入食品類の問題だ。日本でも今、中国製家庭用歯磨き粉から成分表示されていないジエチレングリコールが見つかって騒ぎになっているが、漂白剤を混入したり、家畜肉を混入したりと、中国産食品の異常な粗悪ぶりは、世界から非難を浴びている。この問題の解決手段を持っているのは中国へ進出している日本企業しかない。日本企業もいろいろと品質問題で中国人の行動に対してその防御策を取る必要が長年あった。マツタケの検査ではX線を当てて、釘が隠されていないことを確認している。縫製分野でも長年、そのチェックを行い、高品質企業にしか仕事を出さないようにして品質を確保している。また、品質管理には多くの熟年退職日本人が中国で指導している。このように長い品質との戦いを日本企業は苦しみながらしてきた。このため、日本企業の中国製品には問題がないし、世界に売れている。中国を救うのは、品質問題を乗り越えた日本企業しかない状態である。このため、北朝鮮問題でも、米国に反対して日本の味方をしているのは、現時点では中国である。米国でもなく韓国でもない。もう1つ、中国は米国と違って、北朝鮮問題を解決したくないのである。そのためには日本の拉致問題は、非常に都合がいいのだ。北朝鮮は拉致被害者を渡すと、その先の心配もする必要が出てくる。日本に送り出している朝鮮工作員が分かってしまうことになり、そのようなことはできない。しかし、日本政府は北朝鮮が拉致問題の解決をしないと朝鮮総連を潰している。北朝鮮国家予算の多くを朝鮮総連からの資金に頼ってきた。この資金が途絶しようとしている。これには金正日委員長も耐えられない。23億ドルの資金を得るために米国に折れ、5万トンの石油が欲しくて原子炉を止めることになる。北朝鮮の資金不足は目に見えている。しかし、この資金を米国は出そうとしていない。米国は北朝鮮問題から逃れたいだけで、本当は中国と韓国と日本で解決すればいいと思っている。しかし、過去の経緯があるために、米国はいるだけである。そして、将来の中国のけん制に北朝鮮を使おうとしているだけである。その米国の意図を中国は読んでいる。中国は日本をこの問題に関わらせる必要が米国以上にあり、日本と中国で事態を収拾する方向にもって行くことを希望している。日本は拉致問題を解決したら、2兆円を出すと宣言している。よって、北朝鮮問題は、日本・中国の2者で協議をして進める必要がある。ヒル次官補の役割、米国の役割は終わっている。それを出てきて米国が主流のような顔をするために、日中はいやな顔をするのである。どうして、この問題の真のありかを日本の評論家・政治家は見ないのでしょうね??日本外交は問題の真のありかに気がつけば、いとも簡単に米国や中国を手玉に取れることになる。それだけ、日本の経済的、政治的な実力は世界から秀でている。それを米国に依存して読まないだけだ。国際動向・外交コラムより。 人格ある国際社会というものは無く、水面下にはそれぞれの利害得失だけがある。 アジアの平和と共栄は、アジアの人たちにこそ必要である。 真に南北朝鮮を、真に中国を救えるのは、日本だけだと思えてなりません。 政府には助けて欲しいと、要請が来ているんではないのかなあ、、、。 日本が主導できるならば、半島の休戦は本当の終戦協定になることでしょう。 日本、中国、朝鮮半島の安定が邪魔なのは誰か。そこが問題だ。 とにかく、大きい変化が起きる兆しがあるように思う。 記:とらのこども
2007.10.08
国連憲章文(第53条と第107条)で、日本はかつての敵国と明記されてる。日本政府はこの言葉を何度も削除して欲しいと申し込みしてても無視されてる。この状態は、残念なことに60年間も続いてる。未だに国連がドイツや日本を「国連の敵国」と見なしてるので、安保理の審議無しに、米国か、ロシアか、中国かが日本に対して軍事制裁をしても良い事になる。いかなる理由を、因縁を、あの中共からつけられるかはわからない。何時も中国政府に恐喝されても、内政干渉されても、震えてるしかない。それが日本政府の立場だ。日本は恐怖の爆弾を抱えたままだ。あのイラクでさえ、このような扱いを受けてはいないのに。 日本人はこのことを知っている必要がある。 記:とらのこども
2007.10.08
今日は体育の日。といっても10月10日ではない。こどものとき、祝祭日を覚えるときに、1月1日の元旦とか、3月、5月、10月は、すぐに憶えた記憶がある。次に憶えたのは、たしか11月3日だった。今日は朝から雨。午後から曇りになったが、昔ながらの「体育の日=運動会」を予定した学校、団体さんには残念な天気となった。明日からは晴れるらしい。残念。とはいえ、今日は大安吉日。秋の佳き日に披露宴を、、というカップルには、ちょうど良いタイミングで休日だった。あちらこちらの結婚式場、ホテル宴会場で式を挙げた人は少なくないだろう。というわけで、明日の朝は新婚旅行に出かけるカップルが多いに違いない。そう密かに思っている。とらのこどもは明日の朝、出張のため空港へ行く。もし、そうした雰囲気のカップルを見かければ、声はかけないけれども、「幸多かれ!!」とひとり密かにエールを送りたい。。。なんてことを考えている。というわけで、日本はまたまた三連休。海外に御住まいの同胞の皆様には勤労の日やと思います。どうもすみませ~ん。(故三平師匠のものまね)記:とらのこども
2007.10.08
韓国語を勉強していますと、日本語や、中国語も見えてくるものがあり、面白いものです。国の歴史や、その国で大事にしているこころ(マウム)みたいなものも、透けて見えます。特に、ことわざ、金言のたぐいであれば、端的にそれが出ます。今日は、韓国のことわざというか、お気に入りをひとつご紹介いたします。「もしもお互いを隔てている河があるのなら、その河を渡る人間でありたい。峠があるのなら、その峠を越える人間でありたい。」いいなあと思い、ずっと憶えています。たしか、歌詞じゃなかったかと思うのですが、どこで見たかは失念しました。知っておられる方があれば、教えてください。「カヌンマーリ コワヤ、オヌンマーリ コプタ。」(行く言葉が美しければ、戻る言葉もまた美しいものだ。)これもまた良い言葉です。これは、普通の韓国の金言ですね。記:とらのこども
2007.10.07
10月になった。夏は遠く過ぎたような気も駿河、暖かい昼間にツクツクボウシが鳴いていて驚く。すべてのものは移りかわる。悲しい気持ちは、いつまでもつづくものじゃない。喜びも同じこと。また別のよろこびや、悲しみが、やってきては、消えていく。春は夏に、夏は秋に、秋は冬に、そして冬は春に。すべてのものは移りかわる、それはせつないとか、さびしいとか、言うものではなく、あたりまえのこと。「無常」って虚しいことととらえるようになっているけれど本来は前向きも後ろ向きもない。「無常」とはとだ「常ではない」という意味だけ。つまりどんなものごとも「永遠ではない」ということ。不幸なことも永遠ではないということ。「むじょう」の「じょう」は、「情」ではないし、「むじょうかん」の「かん」は、「感」ではなく、「観」。ものごとを永遠ではなくただ移りゆくものとして観る。ただただ観る。それが「無常観」である。咲く花は必ず散る。また、やまない雨はない。季節はうつりゆく。人生もうつりゆく。以上、小泉吉宏の「ブッタとシッタカブッタ」より。
2007.10.07
日本古代史は中国古代史と繋がっている。中国史は複数民族がいたために民族興亡史でもある。今の中国領土の大きさはEU(欧州連合)と大体同じ大きさであり、そこには複数民族がいたし、今も複数民族で構成されている。中国古代史もこの民族の戦いだった。この民族戦争で負けた方の民族が日本に逃れてきたことが、近年の考古学の調査で分かってきた。1973年・1978年の発掘調査で発見された浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)は紀元前6000年~紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。またそこの稲はジャポニカ米であり、その原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。日本の稲作もここが源流と見られる。今までは稲の原産地は雲南地域を思われていた。中流域の屈家嶺文化(くつかれいぶんか、紀元前3000年 - 紀元前2500年)・下流域の良渚文化(りょうしょぶんか、紀元前3300年 - 紀元前2200年)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化が移植されている。黄河流域の人々により征服された結果と考えられる。ここに住んでいた民族は苗族で、台湾の先住民であり、弥生時代に海を渡って日本に来ることになる。その証拠に、長江の民・苗族の一方は、雲南省などの奥地に追いつめられ、その子孫は今では中国の少数民族となっているが、その村を訪れると高床式の倉庫が立ち並び、まるで日本の弥生時代にタイムスリップしたようだ。苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されている。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主なタンパク源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行われている。日本の縄文の民は森と海から食物を得て、自然との共生する文明を持っていたし、そこにやってきた長江の民も、稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であったことで、両者ともに自然との共生し、戦いを望まない人たちであった。このため、生活環境が違うのと戦いを嫌い民族であったことで、共生と平和が確保されたのでしょうね。河姆渡遺跡が滅亡した時期に日本へ苗族が最初に渡り、日本の岡山県・朝寝鼻貝塚(紀元前4000年)に水田を作り、そこから米の化石が出たことに通じ、長江中流領の馬橋文化は約4千年前から2千7百年前であり、その後、苗族が日本に渡ってきた二陣目が、日本の菜畑遺跡、紀元前700年の水田跡に繋がる。その間の文化も侵略を受けて、徐々に日本に移民したように感じる。ここまでの文明は文字を持たないために、記録がない。そして、その後に呉(紀元前585年頃 - 紀元前473年)が、この地域にあったが、越に負けて滅亡し、この民族も日本に来た事が分かる。日本の漢字の読みは呉音である。逃げるなら海しかない。そして、中国では日本人を「呉の太伯の子孫」とする説がある。このように、中国で負けた民族や王朝は、次々に日本へ来ることになる。古代の船に数家族で来るので、少数であるが重層的な帰化人が日本文明を形作ることになるが、どちらにしても、中国史を見ていないと、日本の古代史は語れない。現代日本人の遺伝子構成は、弥生時代の始まりを契機に流入した遺伝子がほぼ65%を占めていることから、この苗族など帰化人の影響が大きいことは確かだ。しかし一方で、縄文の文化は後世に継承されている、つまり縄文人を駆逐するまでには至らなかった。例えば、帰化人によって営まれた水田をもつ環濠集落においても、水田稲作用の新しい農具や工具が持ち込まれている一方で、土器などその他多くの道具は縄文時代と基本的に変わらないのが実状で、何よりも縄文の婚姻制は戦後に至るまで継承されている。少数の弥生人と縄文人の婚姻もあったように思う。 このことから、帰化人が大挙して押し寄せたのではなく、少数の帰化人がバラバラに各地で水稲耕作という安定した食糧供給を背景に、高い人口増加率(≒寿命の長期化)を保持し、人口増および人口比の逆転をもたらした、とする方が妥当性が高いと思われる。そして、このようなことから日本の古事記や日本書紀を読んでも、日本の古代史は分からないと言うことである。しかし、古代の全体を知ると、なぜそう記述したかが分かるのである。古い神社にある書物には、ある真実が隠されている。これを調べたのが、原田常治である。(参考)大量渡来か少数渡来か(1)http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=24724国際派日本人養成講座 日本のルーツ? 長江文明http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog304.html==============================ミャオ族出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ミャオ族(-ぞく、苗族, 英語: Miao)は中国などに住む少数民族である。モン族(英語: Hmong)ともいう。中国では貴州省に最も多く、他に湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省などに住むほか、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも住む。歴史上移住を繰り返した流浪の民である。伝説中国の伝説によれば、紀元前26世紀ごろ華夏の民族(いわゆる「漢族」の原型)の君主・黄帝が蚩尤(しゆう)の民族の討伐作戦を行い、タク鹿(たくろく、河北省と遼寧省の省境付近)で破ったことがあったという。戦いは黄河の台地で行われた。華夏はその討伐地域の悪条件にも関わらずコンパスを用い正確に蚩尤の民族を破る事ができた。一方で敗れた蚩尤の民族はミャオ族と黎族(リー族)に分裂した。ミャオ族はこの後南東方向にむかって移動を続けたという。ミャオ族は漢民族からは「蛮」と見なされ差別を受けたが、一部は周王朝時代に華夏民族と同化したという。揚子江定住漢人がこの流浪の民を苗(ミャオ)と呼び始めたのはの先秦時代(戦国時代)であった。そのころ苗(ミャオ)族は、苗民(ミャオミン)、尤苗(ヨウミャオ)、三苗(サンミャオ)と呼ばれ、揚子江流域に住んでいたが、またもや中国の攻撃を受け南方へ移住を始めた。六朝時代に揚子江南部を支配していた南朝は北方民族の侵入に苦しめられており、あまりミャオ族を歓迎しなかったが、五胡による揚子江北部の破壊により、ミャオ族が大量に南朝の領域に入ってきた。中には漢民族と同化することもあったという。西南中国へ移住唐王朝時代初頭、六朝時代に同化しなかったミャオ族は貴州・雲南など西南中国へ移動した。その後ミャオ族は雲南に南詔を建国したとする説もある。同化政策と抵抗ミャオ族が最も多く住む貴州・雲南一帯は13世紀の元王朝によって中国の版図に入った。明代になると、この地域への漢族の移住が多くなり、土着のミャオ族との摩擦が増加、大小100回を越えるミャオ族反乱が起こっている。清軍の残酷な討伐や弾圧のため、19世紀には多くのミャオ族が東南アジアのタイ・ビルマ・ラオス・ベトナムに移住していった。言語苗(ミャオ)族は独自の言語をもち、ミャオ・ヤオ語族(別の表現ではモン・ミエン語族)に属している。この語族に属しているのはミャオ語、ヤオ語以外には中国東南沿海部(福建・浙江方面)に残存しているシェ族の言語だけである。住む国によって中国語やタイ語などに通じている場合もある。宗教精霊信仰(アニミズム)である。食文化多くの場合、米を主食とし、野菜、肉類、魚などをトウガラシ、塩、酢などで味付けした副食と共に、1日3食食べる。漢族の料理に似た炒め物や蒸し物、魚の唐揚げなどの揚げ物もある。もち米で餠を作る習慣もあり、揚げ餅も作られる。豆類も重要な食品である。蕎麦も作り、トウガラシと醤油の味付けで食べる。漢族の習慣に合わせて春節を祝い、餅や豚料理などのハレの料理が用意される。北京など、中国の大都市にはミャオ族料理を出す専門店ができている。人口データ全体の人口の内約半数が貴州省に集中している(1990年)。その他以下の省が中国国内のミャオ族の98%が住む地域となっている。貴州省: 3,600,000人 湖南省: 1,550,000人 雲南省: 890,000人 四川省: 530,000人 広西省: 420,000人 湖北省: 200,000人 海南省: 50,000人 ミャオ族の中で何千人単位で北京・広州に移住した者もいる。一方タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどには2000万人のミャオ族が住んでいる。==============================黎族http://japanese.cri.cn/304/2006/12/05/1@80609.htm以上、国際戦略コラム「とてつもない日本の歴史」より転載。
2007.10.07
日本の縄文時代が始まったのは、今から1万5千年前と見られている。BC130世紀のことになる。そこから縄文土器を使用したことになる。日本でのペトログラフ使用は今から6500前のことであり、BC45世紀である。そのペトロクラフは世界の各地で見つかっている。それと共に、日本の縄文土器も各地から見つかっている。北米、ハワイやペルーからも日本の縄文土器が見つかる。このため、この当時、太平洋を横断して行き来していたことが分かるのである。ペトログラフは、メソポタミアのシュメール文字の古形であり、日本から出た文字がメソポタミアに行ったことになる。メソポタミア文明ができたのはBC30世紀である。このシュメール文字がフェニキア文字になり、ローマ字に変化して欧州のアーリア民族に伝わり、今の英語などになっている。また、インドのサンスクリット文字もこのペトログラフによく似ている。アーリア民族全体にアジアの草原で伝えられたようにも感じる。しかし、この日本ではペトログラフは使用していない。ここに大きな疑問がある。謎の神代文字として、数種類の文字があるが、どうも当時から神との交信に使って、一般的ではなかったようである。そして、当然のごとく、この文字は現在でも使用されていない。しかし、どれもローマ字のような構成になっているのが特徴であり、そのため40年以前には、後世に創作したと思われていたが、そうではないことがペトログラフの発見で分かったのである。この神代文字で書かれた歴史書を見ると、古事記や日本書記とは違う日本の古代史が見える。そして、その記述を民俗学も支援している。古代の日本はバラバラであったことや、そのバラバラな民族がアジア大陸と黒曜石などの交易していたことが判明している。民族の交流もあり、日本はいろいろな異民族がいたことが分かる。今のニューヨークのような様相を示していたように感じる。日本から見ると、新羅や百済から来るように見えるが渡来人の最終経由地であったと見る。前2世紀(中国は秦崩壊後の前漢王朝時代)から弥生時代が始まるが、縄文人と弥生人は住み分けがされていて戦争になっていない。縄文人でも畑があったが、労働をしないでも収穫できたのに、後から来た弥生人は洪水がある低地で、しかも朝から晩まで労働している姿を縄文人はバカにしていたようだ。縄文時代の日本の人口は最大30万人程度であり、1つの集落は500人が最大で、それより小さい。阿蘇山の大爆発などで西日本には1万人以下しか住んでいない。95%以上が東日本に住んでいた。弥生人とは、夏王朝の難民や漢王国の華僑や阿蘇山の大爆発で避難した縄文人が中国や朝鮮で混血となって帰ってきた人たちのことで、彼らは、主に西日本に住んで、砂金などを取って輸出し、田畑で麦や米を耕作していた。この弥生人は基本的に漢字文化圏からの人たちであり、歴史が漢字で書かれることになる。融和政策でアマテラスという太陽神として縄文神を取り入れる。初期の移住者は、道教の古形である鬼道派であり、祈祷、呪い、祝詞、お告げなどを持っている。3世紀の邪馬台国の卑弥呼は、道教の巫女で「鬼道に事え能く衆を惑わした。」との記述がある。この卑弥呼のような信仰形式は縄文人にはなかった。次に4世紀に秦氏が新羅から道教の神道派を持ってくる。老子、荘子、易経や、どうも秦氏は仏教、景教の影響も受け、思想体系を確立したようだ。そして、その前の巫はそのまま継続した道教を神道として導入して、神仏融合の八幡神社を宇佐八幡として創設した。これが縄文人が信仰していたアミニズムの宗教に付加されて、今のような神社になったようだ。秦氏一族・2万人以上が移住してきたと想定されている。鉄の製造技術や法隆寺など建築技術も持っていた。秦氏はその後、その技術力を買われて、今の京都、山城に呼ばれたが、そこでは国家の要請で氏寺・太秦寺を作って、ここでは景教の要素を出している。八幡神社としては石清水八幡宮のほうが宇佐八幡宮より有名になるが、今全国に8万社もある八幡神社に成長している。漢東氏、蘇我氏なども百済、新羅から移住してきたが、倭の大乱の後は平和を取り戻す。これは日本が豊かで全員が暮らしていけるからで、その時の日本の人口は200万人であるが、砂金が取れたことが重要であったようだ。鉄は当初、任那からの輸入であったが、これも秦氏の日本移住でできるようになる。しかし、この縄文と弥生が繋がっていないことに疑問を持ちませんか。大和朝廷に果たした秦氏の存在が大きいが、日本に来た時期が遅かったことで、権力機構に入れなかったように思う。しかし、この秦氏がどこから来たかにより、見方が大きく変わる。ペトロ文字は西日本からしか発見されていない。これはBC40世紀の阿蘇山の大爆発で、西日本が住めなくなり、ここに住んでいた日本人がどこかに移住したことを示している。大部分は朝鮮半島や中国などの日本周辺に住んだのだが、一部の縄文人は集団で行動して、それより遠くに行ったことになる。この人たちがメソポタミアまで行く着くことに成る。BC30世紀にメソポタミア文明を作り、この民族全体がBC25世紀、エジプトにその技術力を買われて、その捕虜となる。許されて、神との契約を誓うことになり、ユダヤ人と認識することになる。ユダヤ人はアシケナージとスファラディに割れている。このうち、アシケナージが典型的なユダヤ人とみなすと、それは違う。周辺イスラム教徒のセム族と同じスファラディこそが、本来のユダヤ人である。ユダヤ人の11部族の内10部族が、イスラエル王国を作るが、BC6世紀、アッシリアに負けてバビロンに捕囚される。しかし、そのアッシリアも負け、捕虜は許されてユダヤの地に戻らずに、日本に向かうことになる。BC3世紀に秦を作り、しかし20年足らずで滅びる。秦氏一族2万人は朝鮮に向かい、そして、日本に4世紀に帰還したのだと見ている。1584.縄文時代の再考http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160403.htm415-2.日本の道教についてhttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1301202.htm299-1.古田史観などhttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1209251.htm以上、国際戦略コラム「とてつもない日本の歴史」より転載。 日本・ユダヤ同祖説があるが、日本人がユダヤ人となった後、再び日本に戻ったという 説は初めて聞いた。興奮する古代史説である。秦の始皇帝も日本人だったのだから。 記:とらのこども
2007.10.07
人は、親愛なるものへ対してもこころのヨロイ(鎧)をかぶっている。いや、親愛なるものに対してだからこそ、かぶっていると言ったほうがよいかもしれない。男は、「タテマエ」というヨロイを着て、渡る世間に対している。昨日、会社の同僚たちと飲みにいった。テーブルの半分は男性ばかり。もうひとつのテーブルは女性ばかりが座っていた。遅れてきた者が女性側へ座り、飲み会が始まってから、数人の男が女性のテーブルに行く。男ばかりのテーブルは、当たり障りの無い話題をしつつ、飲み過ぎないように酒を飲む。会社のピラミッドそのままの序列で飲み、相槌を打つ。飲み、かつ笑う。同僚なればこそ、こころのヨロイ(鎧)をかぶっている。肝心な本音に近い話題は、下からは出ない。上からも出ない、ときどき出る。そうしたときに、返しがうまい奴と、下手な奴がいる。面白い。歓送会だったから、最後に花束贈呈と、贈る言葉。退職者の答礼。無事、終了。退職する彼女は、男ばかりのテーブルにあいさつには来なかった。がんばりやで、素直な、からだも笑顔もまんまるの子だった。帰国子女だのに、よくがんばって勉強して、東大ではないが、旧帝大の理科で学んだ。とらのこどもの好きな女性だった。これからの幸せな前途をお祈りしたい。さて、散会後、三々五々に帰っていく。最後の最後に残った6人だけで二次会へ行く。そして大いに語り、飲み、歌った。そして二次会の店が終わり、もう1軒。。。三次会へ繰り出す。とらのこどもは、そこで帰った。彼らは同じ課の上司、部下。積もる話しがありそうだ。外様のとらのこどもは、すこしだけ水に合わない。ひとり、タクシーに乗り込んだ。男は、「タテマエ」というヨロイを着ている。酒とともに、時間とともに、メンバーによって、ヨロイが取れていく。重鋼装の男性もおれば、軽い鎧の者もいる。大きい人、偉い人、役職が上の人などは、比較的重いヨロイを着ている人が多い。酒席で脱ぐにも時間がかかる。脱ぐまで付き合う若者も減った。ほんとは全部、脱ぎたいと思っているのに、脱げないのはつらいものだろうと思う。ところで、女は、「本音」というヨロイを着ていると思っている。しかしながら、心の奥底にはタテマエがある。そしてその「タテマエ」に縛られている。道徳と言ってよい。そしてこの「タテマエ」こそ、父が娘に贈った最大の贈り物だろうなあと思うときがある。 着ているヨロイが違えば、闘い方も違うのが当然だろう。 適当に飲んだり、適当に疲れているときに、話しが合うのは、ヨロイの取れ方が ちょうど好いときなんだろうと思う。 心の鎧の解説はわたしの私見です。科学的心理学に基づくものではありません。 記:とらのこども
2007.10.06
■山道を5時間歩いても郵便物を運ぶ局員■ 増田さんのように、自らの職業の中で人々に感動、感銘を与 える人も少なくない。 平成17年9月、宮崎県の山間部に位置する椎葉村は、台風 14号で村外に通じる道路が寸断され、電気、水道、電話も止 まって孤立した。 日本郵政公社九州支店(熊本市)は職員約40名を宮崎県に 派遣。職員たちは、東隣の南郷村から約2時間半の山道を歩い て、3日分溜まっていた郵便物を同村南部を担当する尾崎郵便 局に届けた。 尾崎郵便局は配達を再開。さらに約20キロ先の大河内簡易 郵便局へ、約5時間歩いて峠を越えて、郵便物を運び、そこか ら6人の配達員が約150世帯に徒歩で配達した。 郵便物を受け取った村民の一人は「郵便受けを見てびっくり。 近所の人と『ヘリで運んだのかな』と話していた。郵便が届い て外とつながった気がしてほっとしました」と喜んでいた。 [1,p134] 何時間も山道を歩いて郵便物を届けた局員たちの使命感には 頭が下がる思いがする。 ■海を越えたまごころ■ 郵便局員に続いて、今度は警察官の話である。平成17 (2005)年5月末、京都御所のすぐ西側にある中立売(なかだち うり)警察署に一通のエアメールが届いた。オーストラリア・ シドニーのジョン・マクニーベンさんという男性からの手紙で、 「4月に家族で京都を訪れた際、娘のキティがショルダーバッ グをタクシーに忘れた。発見に力添え下さい」との依頼であっ た。 さっそく拾得物を調べてみたところ、七条署にそれらしきショ ルダーバックが届けられていた。英語の得意な安藤栄二警部補 (42)が、エアーメールに記載されていた電子メールアドレ ス宛に、バッグが見つかったことを知らせるメールを送信。以 後、返す手順などを含めて8回ほどメールのやりとりをした。 バックは6月初旬に航空便で送り返された。 7月4日、少女から感謝の気持ちを伝える手紙が安藤警部補 に届いた。「このカバンはお気に入りで、貴重なものが入って いました。大変感謝しています」 府警本部長にも父親からお礼の手紙が届けられた。「日本人 がいかに親切か。友人にバッグが返ってきたことを話すとみん な驚いた。府警の皆さんは称賛に値する」 安藤警部補は「丁寧な礼状で逆に恐縮しています。娘さんが 学校でこの体験を披露するというメールももらいました。これ を機会にもっと日本を好きになってほしい。」[1,p76] 遺失物を管理するのは警察の仕事である。しかし、そこに込 められたまごころが人を感動させる。それは国を問わない。 国際派日本人養成講座 Media Watch: 心温まるニュースより転載。
2007.10.04
■心を暖める座布団■ しなの鉄道の大屋駅。明治29(1896)年に開業した際の旧国 鉄時代の木造駅舎がそのまま使われている。その待合室の3つ のベンチに久留米絣(かすり)の座布団12枚が敷いてある。 座布団は25年前に始めて置かれた。駅員もだれが置いていっ てくれたか、知らなかった。翌年の夏、ある女性が座布団を洗 濯のために回収に来て、初めて真相が判明した。駅前で写真館 を営んでいる女性で、冬の夜、冷たい風の吹き込む駅舎に「せ めて座布団を」と置いたのが始まりだった。 大家族だった家には当時、使わなくなった布団がたくさんあっ た。仕事の合間を使って、その布団の綿を、これまた着なくなっ た久留米絣の着物の布地に入れて、座布団を作った。 大屋の駅や町、空気が好き。古くて素朴な大屋駅には、 絣がよく似合うと思いました。 女性は70歳になった今も、年一回の座布団の洗濯と補修を 続けている。今年も座布団を持って行くと、観光客の男性が 「こんな所に住みたいな」とつぶやいた。嬉しかった。 そこに気持ちを置かせてもらっているだけ。どうってこ とない。大屋に来て心が休まればいい。 高校一年の男子生徒は「毎日使うけど、知らなかった。感謝 しないといけませんね」 駅員の山辺真一さん(56)も「木 のいすじゃ冷たくて座れない。今ではあって当たり前になった けど、ありがたいことです」[1,p96] この女性は、新聞記事でも名を明かしていない。 国際派日本人養成講座 Media Watch:心温まるニュースより転載
2007.10.04
北野武さんがこう言っていた。友情というのは、こっちから向こうへ一方的に与えるもので、向こうから得られる何かではない。友情とは、自分の相手への気持ちだ。それで、格言、金言ではどんなのがあるか調べてみると、たくさんあった。そのなかで、ああいいなあと思ったのは、あなたが他人に対して尊敬と、思いやり、そして暖かい空気を抱いていれば、それは気温のように、空気のなかの香りのように、まざまざと相手に伝わります。そしてあなたの人間関係は肯定的なものとなります。R.コンクリン とらのこどもも、かくありたいものだと思った。 あたたかい空気。抱いてますか? ピリピリしてませんか? 記:とらのこども
2007.10.04
知と情。知能と感情。そうした人間の感情を考えたときに、どうしても感情のほうが、理知よりは本質的、根源的、創造的、クリエーティブなものだ。また本能的に、情というものは男性よりも女性が豊かに具えている。理知よりもずっと、、、。末梢的な情。これは男が非常に鋭敏ともいえるけれども、優情というような、床しい情というものになると、これは女性が本具している。本能的に持って生まれておる。知というものにおいてもそうであって、男は理知に長け、論理的な知識に長けるが、女性は直感に富んでいる。だから、女性の女らしさというものは、直感、優しい情、無欲、そういうところにあるわけだ。老子に「玄牝(げんぴん)、嬰児(えいじ)の徳」とあり、玄妙なる女性という存在、「常に静を以って、牡に勝る」と大いに称えている。たとえば最も感覚的、肉体的な点でいえば、痛覚。これは女性が恵まれていて、痛覚は男性よりもずっとずっと少なくなっている由。男だけの痛覚があったなら女は子どもは産めないことになる。だから多少たたかれても「痛い!」っていうのは大仰なことで、本当は男ほどではないらしい。これはみな、陰の徳だ。それだけに女の教育というものは、このせっかくの美しい本質を損なわないように育てなくてはならない。それを誤ると、女性は男よりも自然に近い、本源的存在だから、容易に動物的になる。動物的になると他の動物よりも悪い。だから欲望でも女のほうが多欲になる。理屈でも女のほうが屁理屈が上手になる。感情は激情的になる。だから、一旦、女性が動物的になると残忍、それから理屈っぽくなり、エキセントリックになる。生半可なことでは手に負えなくなる。ところが、武士道というものは武士の妻子を最も道徳的に教育したシステムでもあった。厳しい道徳教育と、歌舞音曲といったものを通じて、女性の床しさを教えた。武士が、男が堕落していっても、だらしなくなっても、武士の娘、妻たちがしっかり支えて、徳川300年をもたせたという。今なお道徳的な女性は、日本の主流であろうと思う。精神的な内面生活、統一原理、これは静を以ってあらわす。「常に静を以って、牡に勝る」これは女性の存在すべてを指している。人間の知と言う面において、人を知るものは智なり。自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力なり。そして、自ら勝つ者は強なり。これが大事だ。人を知り、自分を知る。つまり智、明。そうして自分の煩瑣・煩悩に、欲望に打ち克つ。これが本当の強。この智、明、強が大事。それにはいろいろの問題についての形式的、表面的、作為的なことより、「無為のこと、不言の教え、不争、争わざるの徳」こうした根源的な道徳の根本が大事。そういうものの象徴が、「女性・玄牝(げんぴん)」「嬰児」であると説く。だから、「嬰児」をどのように育てるのか、教えるのか。これが最重要であるという。これが老子の説く徳義の一である。以上、安岡正篤先生の十八史略より。老子の項を抜粋。 女性はすごい。勝てないと思う。 それは、こういった本源的な部分だったろうと、改めて思ったことである。 記:とらのこども
2007.10.03
恋に落ちるのは簡単。でも問題はそれから先です、 ”生活”という現実のなかで生きているから。 恋だけで時間は止まってくれはしません。 知り合ったばかりの新鮮なわくわくする、 そういうフィーリングを持ち続けたいと、誰しも思う。 でも、そうはいかないのが、現実です。 間違いないことは、 どんなカップルでも、心のソコで永遠で色あせない愛を求めている、 これはそのとおりだろうと思います。 そんなことないって人は、建前でしょう。 言い換えれば、人間には心を満たしてくれるもの、 心身ともに元気付け、魂を救ってくれるものが、必ず必要なのです。 それこそが、真実の愛の力であると確信します。 真実の愛とは、単なるうきうきした感情ではありません。 真実の愛とは、 相手に対する行動や態度、正しい認識などによって、 意識的に創り上げ、 そうした行為を持続させるために、 現実的な努力をおこなうことです。 結論 : 愛することは、現実的行為だと思います。以上、ミクシイの過去ログより転載。記:とらのこども
2007.10.02
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