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来日した外国の方が、日本に慣れ親しんで、その後に日本を去る、、、そのときに、「ああ~っ、残念だ。」と思う理由が、いくつかあるらしく、そのひとつが、清潔な新しい畳のうえで、湯上りに、浴衣で寝転がること。だそうだ。もちろん、今の世であれば、少し違うかもしれないが、、、。本畳の心地よさは、本物だ。新品のいぐさ香る畳であれば、なおだろう。さてさて、本題。「畳と女房は新しいほどよい。」本義を知り、結婚式のスピーチでおっしゃった大先生がいる。十八史略を著した安岡 正篤先生だ。結婚披露宴だから、みなが驚く。普通は、女房の新しいのがいいのだから、若い後妻の勧めだと思っている。ところが、この言葉の本義は、汚れて、かぐわしくなくなった、畳のようにならず、生活に苦しみ、その美しさを失った女房にならぬように、いつまでも美しくあるように、心から大事にしなさい。という本義らしい。であればこそ、結婚式のスピーチにふさわしい。畳も、ガラスも、レンジも、磨き上げて新品のようにいつまでも使いたいし、妻もそうあるように、磨いて、磨いて、大事にしたいものだ。玉も何もせずとも輝く、のではなく、輝くための条件があろうというものだろう。以上、安岡 正篤先生の十八史略より転載。 さてさて、皆様のご家庭の宝玉の状況は、いかがでしょうか? 記:とらのこども 参考 : http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4569663230.html 十八史略〈上〉激動に生きる強さの活学―現代活学講話選集
2007.06.30
真実とは誠の姿であり、根本である。誰しもその姿を知りたい、という欲求がある。果たして、その「真実」というのは、ひとつの姿なのだろうか。見方によっては、その形、姿を変えることは無いのか。見まちがえることはないのか。と、どうでも良い前置きはこのへんにします。今日のことば。「真実には科学的真実と、宗教的真実がある。」これがわかれば、大人です。とらのこどもは、まだまだ。Aさん、Tさんなら分かりそう。教えてください。ペコリ。(へへ)
2007.06.28
毎日、忙しくて目が回る。あれもして、これもして、それからあれも、、、。全部、急ぎばかりだ。まともに考えると、できそうにない。そう思いつつ、あれをやり、これをやる。誰かにパスできるものはパスする。納期を切られていても、今日中にできないものもいっぱいある。明日でいいもの、今週中でいいもの、週末で間に合うものをチェックする。トップがらみは最優先。万全の構えで、これを乗り切る。顧客がらみも当然、優先処理だ。遅らすことはできない。助けてくれ!を連発する。家族がらみも絶対、落とすことはできない。こどもが楽しみに待っているもの。毎日、忙しくて目が回る。あれもして、これもして、それからあれも、、、。なのに、予定変更とか、、、ダメでした、、、とか連絡が入ってくる。一体、全体、どうなってるんだ!?それでも、最期にはちゃんとなるのが不思議だ。なんとかしているから、なんとかなるのではあるけれども。「なんとかなる。」一休禅師の遺言である。記:とらのこども
2007.06.27
クライン孝子の日記を転載。するべき仕事を組織ぐるみでサボった自治労の組合運動。労働強化反対なのだろうけど、しないといけないことをしないなら、それは、公務員(公僕)とは言えないのではないか?国民から、そうした運動の理解を得ることは到底できないと思う。記:とらのこども■2007/06/25 (月) 国家の基本政策を見据えた安倍首相,頑張って!小泉前総理路線の延長線上にある安倍首相ですが、安倍首相カラーで少しずつ日本の政治が変わりつつあります。国民はその息吹をしっかり受け止めているようですね。これにはネットが少なからず、いえ大いに、貢献しているようです。これまでのように「井の蛙」ではいられなくなった日本の政治!世界の政治にがっちりと組み込まれていることが、日本の国民にも伝えられるようになってきたからです。そこで村中 新氏より、<<先日の孝子様のご意見と、ご紹介戴きました野村かつよし氏(6・23)や奥中正之氏(6・24)のご意見を拝読し我が意を得たりの思いから、愚見を申し上げます。重要法案可決を目指して国会の会期が延長となり、野党やマスコミはますます安倍政権の横暴と指弾して既に参議院選挙の前哨戦を展開しています。自民党議員の中にも参議院選が不利になると首相批判をしていますし、扇参議院議長まで政争を参議院へ持ち込むと批判的のようです。国民にとっての重要法案を審議未了で廃案とすることを回避するための会期延長を批判する国会議員は議員の使命をなんと心得ているのでしょうか。年金問題と関連する公務員制度改革に取り組む安倍首相の今回の決断は「全ての責任は私にある」とまさに正面から政治に取り組んでいる潔い姿勢と受け止められます。センセーショナルな「消えた年金5000万件」とは民主党が安倍政権を窮地に追い込む狙いから作為的に掲げた標語でしたが、論議を通じて原因は安倍政権のみならず、現野党も含む歴代政権に及ぶものであるとともに、根本原因は自治労の組合運動に起因していることが国民に明らかとなり、仕掛けた民主党は「策士、策に溺れる」有様となりつつあります。憲法改正、教育改革など国家の基本政策を見据えた安倍首相の政治姿勢は国の現状を憂うる多くの国民の理解を得ていると思います。この首相の決意を恐れ、阻止しようとする政治家、マスコミ、そして間接侵略を企図する外国勢力は選挙を間近に各種の安倍政権のネガティブ・キャンペーンを展開するでしょう。しかし、多くの国民は真偽を見分ける鋭い堪を備えています。安倍首相はこれらの雑音に惑わされることなく、正々堂々と正面から国民に自己の信念を訴えて、国民の支持を得て政策を遂行して欲しいと思っています。「頑張れ、安倍さん!」です>>◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_21世紀を迎えた今世界は混沌としています。日本もその渦て政治経済ともに、国際的視点に立脚し欧州からの情報収集が不可欠になってきています。欧州の国際情勢を日記風にまとめドイツ滞在歴30余年の経験を生かし、現地よりレポートします。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_・クライン孝子名抜きのメルマガの転載は固くお断りいたします。・このメルマガは下記のホームページからの登録も可能です。・このメルマガは下記のホームページの孝子日記でもご覧になれます。 「クライン孝子のホームページ」 http://www.takakoklein.de メールはこちらへ E-mail: mail@takakoklein.de メルマガ発行者: クライン孝子 (フランクフルト在住 )◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◎クライン孝子の日記 のバックナンバー・配信停止はこちら⇒ http://blog.mag2.com/m/log/0000098767/
2007.06.26
自立とは何者か?究極的には「運命からの自立」ということだ。自分の場所、自分の環境、そうしたものは千差万別ではあろうけれども、自立とは、なにものにも頼らず、自分の居場所を楽しめる精神の快活さのことだ。例えば、ナチスの強制収用所に閉じ込められた人のなかでさえ、過酷な現実のもとにあってなお、有刺鉄線の下に咲く美しい花に心を寄せ、曇りガラスをほの明るくする光を愛でた人がいた。延命という観点で言えば、将来を絶望視した人たちより、はるかに多く、このタイプは生き残った。運命が過酷になるのは、希望を持たなくなったときからだろう。希望さえ、抱き続けることができたなら、人生で起こる大多数のできごとは、ちょっとだけ憂鬱なことに過ぎない。まして不況とか、将来の不安なんてのは、強制収用所の過酷さとは比較にならない。戦時というものは、厳しく、残酷なものだ。自立は人生のうちで何度も訪れる。最初は親からの自立。帰属するものからの自立もある。学歴を鼻にかけるタイプなら、肩書きも含め、一切のラベルから自立していない。会社に己のすべてをかけてきた人なら、組織依存から自立していない人がほとんどではないか?流行をうらやましがる人、他人の成功をうらやましく思う人は、精神の幼稚さから自立していない。今、問われているのは、現実がどうなろうと、それに左右されないですっきり自分だけで立ち続けられるかどうかだ。換言すると、一切の外的要因から自由になることだ。運命からの自立とは、自分の人生の主役は、あらゆる意味で自分だと腹をくくることである。変化する環境に左右されず、自適になることだ。悠々自適の自適だが、悠々でなくてもよい。そう思えれば、ギャップなんてなんでもない。環境の変化に伴い、不安になったり、落ち込んでしまうのは、まったく自分が人生の主役になり得ていないということでなのだから。運命に翻弄されない自分であれば、老後の人生であってもゆるぎない確信のもとに生きてゆけるはずだ。透明なひかりのなかに、立っていられるはずだ。弘兼憲史「俺たちの老いじたく」より。 ときどき、はだかの自分の立場で、言葉をきちんと紡いで語るひとがいる。 光り輝いて見える。自分もかくありたいものだと希求している。 はだかには、なかなかなれないひともいる。 そうした人も、一生懸命やってらっしゃるのがわかる。偉いなと思う。 記:とらのこども
2007.06.24
本当の愛を感じてほしい。意識して感じてほしい。そして感謝して、次は意識して実践してほしい。それこそが幸せへの唯一の方法だと思う。私の大切な友達。キムさんに捧ぐ。誰しも、心の底で愛を求めている。しかし、愛という言葉で総称される感情には、大きく二種類ある。例えば、誰かを好きになったときに、胸がときめいて、気持ちが高まる気持ち。”恋愛の愛”ともいうべき感情だろうと思います。普通(特に女性)は、愛といえば、この感情を想定していると思います。それから、深く理解され、受け入れられ、気遣ってもらううちに、自然と湧き出てくる心のやすらぎ。深い結びつきを実感するときに得られる深淵なる感情が、”慈愛の愛”ともいうべき感情だろうと思います。大人のいう愛は、この感情を想定していると思います。前者の愛を経験するのは、そんな難しいことではありません。特定の相手に魅惑され、ひきつけられる衝動とともに、感情が湧き起こり、燃え上がる。後者の愛は、たやすくは得られることはできないと思います。恋に落ちるのは簡単。でも問題はそれから先です、”生活”という現実のなかで生きているから。恋だけで時間は止まってくれはしません。知り合ったばかりの新鮮なわくわくするフィーリングを持ち続けたいと、誰しも思うことと思います。でも、そうはいかないのが、現実です。間違いないことは、どんなカップルでも、心のソコで永遠で色あせない愛を求めている、これはそのとおりだろうと思います。そんなことないって人は、建前でしょう。言い換えれば、人間には心を満たしてくれるもの、心身ともに元気付け、魂を救ってくれるものが、必ず必要なのです。それこそが、真実の愛の力であると確信します。真実の愛とは、単なるうきうきした感情ではありません。真実の愛とは、相手に対する行動や態度、正しい認識などによって、意識的に創り上げ、そうした行為を持続させるために、現実的な努力をおこなうことです。その結果、得られる愛は、人のこころを満たします。その人を支え、癒す力を持っています。努力しないのに、愛されない、、、というセリフを言う人はたくさんいます。愛することが大事というのは、その愛するという努力、作業こそが大事だということ。愛さないのに、愛されるはずもない。そんな簡単なことが、わからない人が大勢いる。そのほうが不思議でなりません。本当の愛の実践のためには、幸せをもたらすと同時に要求があります。仕事をしないお父さん、食事を作らないお母さん、という意味もありますし、親切な人間になること、現実的になること、他人の気持ちがわかるようになること、注意深く、思いやりのある、思慮深い人間になること、直観力に優れ、意思の強い人になること、、、、。これらは全て、たくさん愛するための要求事項に他なりません。大きい、深みのある人間であることを求められているのです。あなたが何をしようと、どんなことを達成しようと、なにになろうと、それよりも人間の大きさを決定するのは、あなた自身の愛情のキャパシテイの大きさにほかなりません。わたしたちが一生のあいだに何かをしたり、言ったりすることは、他の人たちとどれほど愛し合うことができるかということに較べれば、最終的にはそれほど重要ではないことですから。「好きな人と最高にうまく行く本」より紹介。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/458439122X.htmlダフニー・ローズ・キングマ ただし、笑顔も、愛もすり減ってしまうので、 砥石のような人には、近づかないのが1番。結構おられます。くわばらくわばら。 TIPAには、愛がいっぱいあります。感じてくださいね。 僕は、KIMさんの笑顔のそばにいるのが大好きです。 記:とらのこども
2007.06.23
「剣道が『弱くなるため』の7ヶ条」 1.ためらいながら、疑いながら剣道をする。2.常に相手の間合いで剣道をする。3.ずっと一つのことにこだわる。4.相手に対して過度な恐怖心を持つ。5.負けた原因を相手や周りに求める。6.礼儀を忘れ、自分勝手でいる。7.稽古時は楽をすることを考えようとする。 剣道六段の人から聞きました。このことは剣道に限らず、人生や仕事で、ついやってしまっていることだと思いましたので、メールいたしました。 自分がついついやってしまっている事がありました。でも、前はしてしまっていたけど今はもう直った事もあります。こういう事で人の成長って分かるんだなと思いながら、まだまだだなと思うこともあり・・・。皆さんには何か響きましたか??http://plaza.rakuten.co.jp/librelibre/以上、株式会社坂井建設さまのプログより転載。 マンションよりも、素敵なマイホームが欲しいとろのこどもです。
2007.06.23
今日は、ついでにもうひとつ。星の王子様で有名なサン・テクジュべりが、いいことをいっぱい書いている。星の王子様という名前で、、、そういうイメージしている人が多いと思うけど、とても厳格な、うるさい説教親父であったのではないかと思っている。さて、そのサン・テクジュべりがこう言っている。わかるだろうか、、、人生には解決なんてないのだ。ただ進んでいくエネルギーがあるばかりだ。そういうエネルギーを作り出さねばならない。解決はその後で出てくる。また、別の人の言葉をもうひとつ。幸福な人生の処方箋は、解決しなくてはならない以外の問題には、手を触れないことだ。ラッセル・ベイカー(米) さてさて、ビールを飲みに行こうかな。 明日は、たくさんの人に会いに行こう。そしてその中のあの人と話しをしたい。 男だけど、ときどき鏡を見る。いい目してるな、と思う。100点満点。 記:とらのこども
2007.06.22
ウエイン・ダイヤーというアメリカの心理学者さんがいらっしゃって、この人が、「自分のための人生」という本を書いています。参考:http://www.din.or.jp/~honda/diary6-31.htmそのなかに、こう書いています。「過去のせい、誰かのせいを捨てたときから、人生は好転する。」また、すべては自分で選択することができるということもおっしゃっています。だから、今の自分は、今までの自分の選択の結果といえます。また、良人がどう言おうが、自分は自分であるし、自分のすることもまた自分の責任です。また、他の人のことばでこんなのもあります。誰かを責めても、仕返ししても、罰を下しても、幸せにはなれません。許さなければ、求めているものは得られません。ジャンボ留守キー言い訳することをやめた途端、あなたは頂点へ立つ道に立つことになる。自分自身に対する責任を、完全に引き受けたからだ。懲りん・ターナー というわけで、何かを実行できない理由ではなく、 実行できる理由を探しましょう。 何かを禁止するのではなく、何かをしましょう。 そのほうが気持ちいいと思います。 記:とらのこども
2007.06.22
うつくしいものを見て育った子供は、うつくしさがわかるようになる。花の美しさ、山の美しさ、海の美しさ。本物を見て育った子供は、本物がわかるようになる。演劇の面白さ、マジック・手品の面白さ、映画もそう、動物もそう。いとおしい気持ちをもった大人に混じれば、おとおしさがわかるようになる。父母だけでなく、おじいさん、おばあさん、先輩、後輩、そして赤ちゃん。苦しさ、痛みを経験すれば、苦しさも、痛みもわかるようになる。登山や、水泳、楽しいだけでない苦しさを感じて欲しい。天にありては星、地にありては花、人にありては愛。この世に美しきものの最たらずや。高山樗牛 いわく、子育ては楽しい。なぜなら自分をも育つている実感がある。 くわえて言うと、友人との交りもまた根っこは同じである。だから楽しい。 ウンヌン オルグリ チンチャ エッポヨ。 クルンデ~、カッチ イッコ シッポヨ。と言いたい、言われたい。 記:とらのこども
2007.06.20
バービー人形。中国工場の付加価値は……中国製のバービー人形(リカちゃん人形の元祖)。米国企業が中国の工場で仕上げさせる。 アメリカでの小売価格が9.99ドルだ。 そのうち中国の取り分は、何ドルでしょう。■ 完成品価格の65%は輸入部品の価額分 ■ 正解は、0.35ドルなのだそうだ。 35セントである。 ラベルは Made in China なのに、中国による付加価値は全体のわずか3.5%なり。 極端な例なのだろうけど。 広東省(カントンしょう)東莞(とうかん)市で取材した Nicholas D. Kristof 氏が5月24日付『ニューヨーク・タイムズ』紙に書いていた。 このテのものはアイデア勝負、ブランド勝負だ。 米国メーカーは企画料・ブランド料で稼ぐ。 米国の広告業者の広告料。 米国の流通業者の流通マージン。 米国の運送業者の運送料、保険料。 それに加えて、バービー人形の部品も中国国外から持ち込まれる。 そういう部品代も削ぎ落として、いくらのお金が中国に落ちるか計算したもの。≪中国は部品を輸入し、低賃金で組み立て、完成品を米国へ輸出する。 そういう完成品価格が、米中貿易における中国側の黒字の計算根拠になるわけだが、 じつは平均すると完成品価格の65%相当は、中国が輸入する部品相当額なのだ。≫続きは、こちらでどうぞ。国際派時事コラム「商社マンに技あり!」 http://blog.mag2.com/m/log/0000063858/108594368.html?c=pol 怖い中国。かわいそうな中国。 その中国と、韓国と、日本が仲良くしないことで喜ぶ国はどこだろうか? それに気づいたときに、アジアの新しい夜明けがあると思うのだが。 記:とらのこども
2007.06.19
日曜日は父の日だった。 我が家では「おとうさんありがとう」というプレートの付いた アイスクリームケーキをみんなで食べた。 プレゼントは、長期の出張中でも淋しくないように、 手作りの家族の人形だ。 お父さんは、感謝、感激、雨あられ。だった。 毎年、こんな父の日ならいいなと思ったことだった。 父の日、初体験。とらのこども。
2007.06.18
人間は「人の間」と書く。だれかの文章で、「間(あいだ)とは、会うことだ。会うことがないと人になれぬ。」とあり、印象の強い忘れられない言葉だ。広辞苑で「間」の意味のなかにも、「機会、めぐり合い」という意味が載っている。事実として、「人はめぐり合いによって、人間となる」と思うのだが、「人間」という漢字の熟語によって、はっきり表されているのは不思議である。日本語のめぐりあい、出あい、ふれあい、、、、この「あい」を漢字で表すと「会、合、逢、遭」などの漢字になり、同音の「愛」に通じるとされる。何れの出会いも、愛があって初めて出会い・邂逅と呼ぶのが日本語だろうと思います。中国の漢字も、同様の意味があるかどうかは分かりません。詩人、坂村真民さんの「詩国」より抜粋。 子を抱いていると 行く末のことが案じられる よい人にめぐり合ってくれと おのずから涙がにじんでくる子どもの成長、結婚、孫の誕生までは大丈夫だと思うが、おそらく孫たちが成長して、恋を知り、結婚するまでは生きていられるかどうか、、。一期一会のこころが、石州流の茶の湯の心得「茶湯一会集」に見える。「そもそも茶の交会(こうえ)は、一期一会といいて、たとえば幾たび同じ主客と交会するも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の会なり」先に邂逅(かいこう)・出会いと書いた。邂逅とは、辞書には「偶然の出会い」とある。本当に偶然だろうか。遭うべき人に、会うべき時期に邂逅するのではないか。「偶然」の出会いは、次第に「必然」になっていくのではないだろうか。人の認識の範囲外のことを偶然と呼んでいるだけで、むしろ「不思議」と呼ぶべき。そして、不思議な出会いを喜んで、我々は何をかを為すのである。不思議とは、人間の発想のまだ届かない領域への、見えない必然の因果律への、謙虚な科学的態度であり、表現だから。以上、禅宗臨済宗の故松原泰道先生の著書より 自分の意識・持つもの・運命の元などが因(可能性や運命みたいなもの) 自分の出会った知人、環境、などが縁 (太陽の光、恵みの雨、動機みたいなもの) 因縁の結果、自分の為す仕事が果 (大きい仕事、芽が出て実る作物など) 因果律で全てが決まっているのではなく、 縁でどんどん変わっていく。勉強で、転勤で、出会いで運命が変わっていく。 まるで、作物の品種改良のように。 今の世の中であるから、チャレンジはいくらでも可能だから、 営業も、技術も、事務も、管理も、都会も、田舎も、外国も、試せばよいと思う。 必ずご縁はあるものだ。そしてそれは、偶然ではない。 記:とらのこども
2007.06.17
今このとき、長崎の五島で、友人のKがフルマラソンを走っている。現在は約500位、おそらくは、20キロ地点だろうと思う。タダのフルマラソンではない。もう今朝から、3.8kmの遠泳を泳ぎきり、180kmのバイク(自転車)を走りぬいている。公認アイアンマンレースなのだ。大会HP:http://www.ironmanjapan.com/ご家族も親しい友人たちも、公式ホームページでのフィニッシュ記載を待っている。とにかく、無事に走りぬいて欲しい。そして、喜びの電話が自宅の家族に、かかってきますように!!帰ってきたら、近所のみんなで祝杯だ。今から楽しみにしている。 友人のKは、45歳の普通の会社員。誕生日も2ヶ月違いだけれども、 身体はぜんぜん違う。一緒にバレーをしたり、キャンプに行ったりしている。 「砂漠に水をまくようだ~、はははっ。」といいながらビールを飲む。 今も頑張っているのは、かっこいいお父さんじゃなきゃいや。という娘のセリフ。 ありがたいような、困るような、可愛い娘には勝てないということか。 俺もがんばらなきゃ!と、改めて思う。 記:とらのこども
2007.06.17
ゆうちゃんは、子どもらしく、めっちゃめちゃ元気。別の言い方では、やんちゃ。悪い。でも、お母さん大好きで、とてもよい子だ。お母さんの弟さんが京都にいる。このおじさんがゆうちゃんをとても可愛がっている。それで、京都に遊びに行かせることになった。去年の冬。ゆうちゃんは、小学1年生。ゆうちゃんちは、自宅から名古屋までは地下鉄、バスを乗り継いで1時間ほどかかる。それで、お母さんがJR名古屋駅まで送り、「のぞみ○○号の○両目に乗ったよ。よろしく。」と弟さんへ電話する。京都に無事、到着。新幹線ホームにおじさんや従兄弟たちが迎えに来ていて、楽しい正月の休日が始まる。ひとりきりの新幹線旅行だ。ひとりで新幹線に乗って大丈夫だった?寂しくなかった?と、みんなが聞くけれども、「ぜんぜん、大丈夫ぅ~。」とゆうちゃんは平気。子どもはたくましい。さて、楽しかった休みも終わって、帰る日になった。京都駅のホームで、おじさんちのみんなが手を振って見送る。「ゆうちゃん、またおいでね~。」「次は、名古屋に遊びに行くからね~。」名古屋駅の新幹線ホームでは、お母さんが待っていた。ゆうちゃんの乗った新幹線が無事に到着。降りてくるゆうちゃんを、待っているのだ。おかしい。乗ったはずの車両から降りてこない。新幹線から、もう降りてくる人はいない。他の号車へ探しに行くけれども、やっぱりいない。弟さんへ電話する。間違いなく、のぞみ○○号に乗ったという。○号車も間違っていない。でも、どこにもいない。ホームをかけずって探す。改札にも行って見る。も一度、ホームを探す。いない。別の改札へも探しに行く。いない。駅員に相談。もうすでに、おかあさんは取り乱し始めている。駅員は冷静に聞き取りをしてくれて、まずは呼び出しをしてくれた。でもいない。手分けして在来線ホーム、名古屋駅コンコース内も探してくれた。時間はどんどん過ぎていく。10分、20分、30分、、、。警察に行き、捜索願いを出す。おかあさんは、もうぼろぼろに泣き崩れている。もしかすると、誘拐かも。もしかすると、何か事故か。とにもかくにも、ゆうちゃんはどこにもいない。おじさんが名古屋まで駆けつける。実はゆうちゃんちは、母ひとり、子ひとりの母子家庭なのだ。お姉さん、大丈夫だからと肩を抱く。お母さんはおお泣きで、おめいている。ところで、ゆうちゃんはといえば、、、。実は、家にひとりでちゃんと帰っていた。途中、親切な人がいっぱいいたらしい。名古屋駅でどうしてもママに会えず、仕方ない。自分で帰ろうと心に決めた。地下鉄の乗り方も、切符の買い方も、乗り換えも、、、、途中、途中で出会ったおじさんや、おばさん、お兄ちゃんや、お姉さんが教えてくれた。バスに乗るまでも、知らないおじさんが案内してくれた。事情を言って「お願いしますね。」バスの運転手さんに託してくれた。それで、ゆうちゃんは無事に自宅に帰った。鍵を持ってなかったから、そのままお母さんの帰宅を待っていた。ゆうちゃんは、今日も元気で、悪くて、やんちゃだけど、お母さんのこと大好きだ。お母さんも、ゆうちゃんをすごく可愛がっている。小学2年生になって、去年とは見違えるほどまた成長したようだ。ただし、次から京都に行くときは、ゆうちゃんもMY携帯を持っていくらしい。 子どもは大人が思っている以上に、たくましい。立派だ。大人だと思う。 男の子であればなおさらだ。ちなみに、とらのこどもも小学6年生くらいからは、 成長していないなあ、と思っている。身体は成長した、もちろん、経験も積んだ。 でも、精神的な部分はあの頃と変わりない気がする。 記:とらのこども
2007.06.17
たかひろくんちは、とっても清潔好き。それに仲良しで有名だ。幼稚園に通うたかひろくんにも、マイタオルがある。そう、洗面台には、家族それぞれのタオル、足拭きが別々に用意されているのだ。すごい。我が家からは考えられない!(注:パパは別になっている)一人っ子のうちの子からすれば、仲良しの兄弟は垂涎の的でもある。ところで、ある日。たかひろくんのお兄ちゃんが、お風呂あがりに、「たかひろのタオルで、ちんちんパンパンだあっ!!」と言って、両足を拡げておちんちんをパンパンした。それも貴裕君のタオルで!!「うわあ~っ!」たかひろくんは、お兄ちゃんに飛び掛る。盛大なけんかが今日も始まる。たかひろくんちは、とっても清潔好き。それに仲良しで有名だ。一人っ子のうちの子からすれば、仲良しの兄弟は垂涎の的だ。今日も新しい事件が起こり、今日も盛大にけんかしているらしい。めでたし。記:とらのこどもps けんかをさせない母親が増えている昨今の日本であるが、 たかひろくんのお母さんは、昔ながらの肝っ玉かあさんである。なかなかエライ。
2007.06.16
なぜ、仕事がうまくいかないのか?これで悩む人は、古今東西、掃いて捨てるほどだろうと思います。なぜ、仕事がうまくいかないか。禅問答的な答えは、「うまくいかないように仕事をしているから」です。どうやったら、仕事がうまくいくか。禅問答的な答えは、「うまくいくように仕事をすれば良い」です。具体的な理由が知りたい。それこそが、誰しも知りたい。この答えは、ケースバイケースだからお答えできません。だろうと思います。でも、うまくいかない理由ははっきりしています。「目標か、手段か、やる気」この3つのうちのひとつに問題がある。その他には理由は無いみたいです。これで解決したのと同じ。だから、来週も頑張りましょう。必ず成功します。記:とらのこども
2007.06.16
真剣に恋愛をしようと思う気持ちが強くなればなるほど、男と女がどうこうというより、人間としてのつながりが大切になってくる。 というわけで、同じ人と、以前とは違った恋愛もできるし、 お父さん、お母さんとの感情も変わってくるというものでしょうね。 ご夫婦で、何回も恋愛を繰り返しているような、 もめたり、仲良くしたり、一緒に新しいことに挑戦したりするような、 愛だけが、二人を繋いでいるのだ。他には無いと言い切れるような、 そんなご夫婦がいいなと思います。 三木清さんいわく、「幸せとは人格である。」と。 恋愛も同じことで、高めあうお互いの人格があればこその恋愛。だと思う。 夢や、目標や、恋愛を、楽しんで生きたい。 そして、そこに連れ合いがいる幸せが加わるのだ。 それこそが、最大の幸せだと私は思うのである。 記:とらのこども
2007.06.15
知りたいことは、聞くのが1番。Sよ。どうして、わからないことを、そのままするめるの?Oよ。どうして、わからないことを、言い続けるの?Sよ。知っている人に聞くのがいいと思うよ。同じことを言うのも仕事だけど、言い続けるのはたいへんだ。って、わかってないのは、もしかして俺か?ゆっくり寝て、明日、元気に頑張ろう!!記:とらのこども
2007.06.14
今日の言葉は、またまた本田宗一郎さんのお言葉から。人生は、見たり、聞いたり、試したり、という3つの知恵でまとまっているが、世の中の人(技術者)たちは、見たり、聞いたりだけで、1番重要な”試したり”を殆どしない。ありふれたことだが、失敗と成功は、裏腹になっている。みんな失敗を厭う(いとう)もんだから、成功のチャンスも少ない。需要があるから作るというのでは、メーカーではない。メーカーはパイオニアである以上は、需要を作り出すものである。人間は機械ではない。恋愛したことのある人とない人じゃ情けの面がまるで違う。芸術でも、技術でも、いい仕事をするには、女のことがわかってないとダメだ。 本田さんの有名な口癖で「やってみもせんで。」というのがある。 仕事の上で、いろいろ難しいことが多いけれども、 やってみもせんで、ダメです。できません。 というセリフは吐きたくないものだ。 記:とらのこども
2007.06.13
「裏ことわざ」たとえば、「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざの裏は、「大海の鯨、井の中を知らず」。もっと市井のつましい暮らしも知ってもらいたいものだという意味。でもやけにちゃんとした教訓めいた意味がこめられちゃってるのが気にくわない。 で、次に単純に前と後ろの言葉を入れ替えたことわざってのを考えた。たとえばこんなの。 「一円に泣くものは一円に笑う」 これ、「一円に笑うものは一円に泣く」とあんまり変わらないけど、やっぱり笑ってハッピーエンドがいいなあってこと。 「まことから出た嘘」 だからはじめはホントだったんだってばぁ~。 「子の心、親知らず」 子どものうちに親知らずは抜いておいたほうがいいという心。 裏ことわざ参考:http://slapdash55.blog43.fc2.com/category1-1.html1番上のもの以外は、裏ことわざの作者の創作。ばかばかしくって、結構に面白い。
2007.06.12
言わずと知れた、「井の中のかわず」。これ、続きがある。案外、知らない人が多い。「井の中のかわず、大海を知らず。」いかがでした? ご存知でしたか?これ、まだ続きがあります。「井の中のかわず、大海を知らず。されど、空の青さを知る。」この言葉。類似の成句もある。それはご自分で探してみてください。言葉というものは、短い文章でも奥深い。記:とらのこども
2007.06.11

日本の美しい写真を紹介します。「湿原の朝もや」です。東アジアの美しさは、水の多さと、雨、靄(もや)、霞(かすみ)など、水と太陽の織り成す景色だと思います。ほんとうに美しい。韓国でも、雨にけぶる山々を飛行機から見ることがありますが、、、美しい景色です。もうすぐ梅雨入り。今から、雨と霧と山々の美しさが楽しみです。帰省途中、車を止めて、傘をさして山肌を霧が下っていく流れを見たことがあります。そうした美しさは、一期一会。今年もそうした出会いがありますように。記:とらのこども
2007.06.10
「話すこと」と、「書くこと」はどう違うか? 学生時代、一部の学生の間で教祖的な人気を博していた評論家に吉本隆明がいた。ほんとうは「たかあき」と読むのだが、みんな「りゅうめい」と呼んでいた。若い世代には吉本ばななの父親というほうが通じがいいだろう。吉本の人気の秘密は、論敵を論破するときの歯切れよさ、小気味よさにあったのだが、一度だけ講演を聴いて意外に思った。話はあまり上手ではなく、むしろ口下手な印象だった。「民衆」と「知識人」という二分法は、今日すっかり境界がぼやけてしまった感があるが、当時はまだ実感をもって受け止められていた。吉本は、その違いを次のように説明していた。「民衆は話す。しかし書くことはしない」と。人間は書くことをはじめるよりずっと古くから話すことを始めた。話すことは生活に密着し、喜怒哀楽を伝え合うことで人と人をつないだり、切り離したりしてきた。しかし、書くことは、生活から一定の距離を置き、喜怒哀楽を排除するところに成立する。話す人は生活に密着していないことは話さない。しかし、書く人はあらゆることについて書きたがる。話す人にとって、書く人は別世界の人間であった。それが自分たちの世界に現われて「書くように話す」ときには、うっとうしい存在であった。同じころ学生に人気のあった「つげ義春」の漫画に、いろいろなことに興味を示し質問したり感想を述べたりする都会の若者にうんざりした宿の主人が、「あんたはよくしゃべるねえ」といって、ごろんと寝てしまう場面があったのを覚えている。この場合、「しゃべる」とは、「書くように話す」ということであろう。知ったところで、どうにもならないことに興味を示す人種に、宿の主人はつきあいきれなかったのである。(注:議論好きな人は、この類型に近いのではないか。)明治時代に「言文一致」の運動があった。「言文一致」というと、「話すように書く」ことであり、その結果なくなったのは古い書き言葉としての文語だと普通は考えられている。しかし、「言文一致」の実態は、書き言葉が基準とされた東京の山の手の中流の人の話し言葉に似せて姿を変え、こうして出来た新しい書き言葉のとおりに話すことを多くの人が強いられたということであった。その結果消えたのは、地域や階層により極めて多様であった話し言葉のほうだったのである。しかし、映像と音響が誰にでも手軽に利用できるようになった今日、状況にはいささかの違いが生じている。若者は、字ばかりの本よりは漫画を選ぶ。漫画をそのまま小説にしたような小説も多い。ネットの中では、ケータイ感覚の掲示板にいくらでも出会うことができる。このような状況が、書き言葉に新風を吹き込むことになる面も多いとは思うが、やはり、話すことと書くことは別のことなのだから、若者たちには、書き言葉の勉強もきちんとしてほしいと思っている。以上、「ことばの散歩道」より転載。(注: )は、とらのこどもの追記である。http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/kotoba.htm
2007.06.10
例えば、友達5人で魚屋を始めた。僕は、店頭でお客さんといろいろな話しをしながら、良い魚を、たきには勉強したりして、笑顔で売りたい。お客さんの喜ぶ笑顔が好きだ。。。とする。でも、誰かが魚の仕入れに行かなきゃならないし、目利きが大事だ。また、誰かが魚をさばかなきゃならないし、包丁を使えないとならない。もし、それができるのがあなただけなら?生まれたときは、当然赤ちゃん。長じて、わんぱく小僧や、女らしい少女になる。でも、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんを雇ってくるわけではない。とすれば、期待される役割りって当然あるはずだ。会社で仕事をしていると、そういうことが分かる人間と、わからない人間に出会う。分かる人間は、経営者に可愛がられるし、人事の意見を求められることもある。わからない奴は、どうしようもない奴だ。と思うけれども、かたくなに自分の仕事を守り、やり続ける。結果、素晴らしいレベルに行く者が多い。木々の葉っぱは、日の光に当たろうときれいに並ぶ。他の葉っぱの下になった葉っぱは、茎のところから水分補給を絞られて枝ごと落ちる。銀行強盗のグループですら、役割分担をちゃあんとするのだ。まれにそれを気づかないひと、放棄するひとがいる。そうすると、一緒に魚屋もできないし、銀行強盗のグループもできなくなる。ひとりでは生きていけないのが人間というものだから、気がつけば、おかげさまの中で生かされているのが人間というものだから、どうしたらよいのか、よくよく考えたいと思います。記:とらのこども ps 15年後は、南の島で過ごす予定です。 一緒に行きたい人を大募集中。ときどき遊びに来られる人も、大歓迎です。 まじめに考えて、それなりに準備をすれば、手の届く夢ですから。 大工のできる人、農作業のできる人、釣りのできる人など、優遇します。 音楽のできる人、歌って、踊れる人、笑顔の素敵な人も、ばっちりです。
2007.06.10
実りの秋。稲を刈り取る。そして、収穫の喜びを神様に感謝する。収穫したばかりの稲をうずたかく山にする。山にした稲の1番上には、棒を立てる。これを鈴木という。例えば、門松は年の神様をお迎えする依代(よりしろ)。そして、鈴木は収穫の喜びを神様に伝え、お迎えする依代なのだ。転じて、この鈴木を立てる人物も鈴木といい、世話役であるから村長(むらおさ)である。今も、鈴木さんは日本中にたくさんいらっしゃるけれども、元の意味はこのような説が有力であるとのこと。鈴木さん、良い名前です。でも、どうして関東にばかり多いのか?西日本には少ないですよね。雨の日曜日。天気も悪いみたいだし、暇つぶしに自分の名前のルーツをいろいろと探して、ネットサーフィンも悪くない。 参考HP:「たのしい人名歴史年表」 http://jinmei.hp.infoseek.co.jp/roomofdata.htm
2007.06.10
動物には動物のSEX戦略がある。当然、ヒトの女性にも戦略がある。オスたちは、その戦略のわなに落ちる。落ちなければ、子孫は残すことができない。そういう意味で、SEX戦略は真剣勝負でもある。さて、普通にテレビで見る動物たちは、強い雄が、複数の雌と子どもたちというコロニーを作っている。強い雄だけが子孫を残すように見える。ところが多様性の維持という観点から一定比率の雌は、コロニー内外のNO.1以外の雄とも性交渉を持ち、子孫を残す。ところで、群れで狩をする犬などの動物においては、単独の強い雄と雌たちだけよりさらに数多くの群れを構成したほうが、食料獲得性があがるなどの理由で、他の動物たちとは別のSEX戦略を取っている。それは彼女たちは雄とのSEXを一切拒否しているのだ。それにより群れを維持している。基本的に雌が発情しなければ、SEXはできないし、子孫も残さない。ただし、犬の雌たちは、春の一時期に一斉に発情し、フリーSEXの期間を設けている。誰でもOKと聞けばうらやましくもあり、いつもはNGだからうらやましさも半減かな。猫たちも発情期を迎えるが、春先に「ナオーッ、ナオーッ、、、」鳴き続ける雌猫たちは、性交するまで鳴き続けている。なお、何度性交すれば鳴き止むのかは小生は知らない。ある種類のドブネズミは射精するまでの性交を担保するため、性器内に骨があり、さらに指のように関節があって、性交中は折れ曲がり、抜けないようになっているものもある。ヒトの場合、射精までの性交を担保するために、雌の性交快感が大きくなっているらしい。また、女性ホルモンとして卵胞ホルモン(エストロゲン)と、黄体ホルモン(プロゲステロン)を併用して、妊娠中には多くの黄体ホルモンの分泌があり、これが結果として発情を維持している。つまり、妊娠中の性交を可能としている。「四六時中も好きーと言ってー、夢のなかで、、、」と言えば、サザンオールスターズの真夏の果実だけれども、ヒトの雌は年中発情して、妊娠中でさえも性交を可能としている。これで雄を確保し、新生児を成人に育て上げるのだ。前置きが長くなったが、この動物や、ヒトの性戦略を長時間、詳細に説明したことがある。そして、ヒトの雌として「いつでもOK・SEX戦略」を妻に勧めたのであるが、、、彼女はその戦略は取っていないらしく、二人の気持ちが合致したときだけOKとのこと。ヒトとしての戦略が優先か、はたまた個人の気持ち優先か。これは重い問題でありながら、その国の文化の成熟度のものさしかもしれない。その結果として、手間ひまかけて、数ヶ月もかけて、旅行などのイベントも交えつつ、一生懸命に妻を口説くことになる。これが結構楽しいので、悪くはない。記:とらのこども 解説:以上の説明は、今までに読んだ各種の文献から記述したものだが、医学的な 正確性には欠ける部分があるかもしれない。鵜呑みなきようお願いしたい。
2007.06.09
米ソのアジア戦略と大東亜戦争 椛島有三/著 戦後の中国処理の問題については、昭和二十年(一九四五)二月に行なわれたヤルタ会談で決定された。この会談にはルーズベルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・スターリン(ソ連)の三首脳が集まったが、ソ連の対日参戦とそれにともなう秘密協定はルーズベルトおよびスータリンの両者によって結ばれた。--------------------------------------------------------------------------1)大連を「国際的商業港」とし、ソ連の利権が優先的に保証されること。 2)ソ連は旅順を租借して海軍基地として復興させること。 3)大連まで至る「東清鉄道」と「南満洲鉄道」はソ連と中国の合弁会社で、共同で操業すること。 4)ソ連は日露戦争敗北で割譲した南樺太を取り戻し、さらに千島列島を領有する。 ※以上を換言すれば、日露戦争前の権益をソ連が回復したということである。 5)ソ連は、満州の主権も含めて中国の唯一の政府として国民党政府を承認すること。 6)ソ連は、共産党支援を停止して国民党による中国統一を容認すること。 ※以上を換言すれば、アメリカが国民党政府を通じて中国本土を支配すると、ソ連が承認すること。 よって、ヤルタ密約は、ソ連が満州を、アメリカが中国本土をそれぞれ分割支配することで合意したことを意味する。しかもこれほど重大な権益の分割合意が、当事者である蒋介石にはまったく秘密のまま決定されたのである。 このルーズベルト大統領の決定は、重大な問題を内包していた。それは、満州には、日本が百億ドルを越える資金を投資し十四年にわたって開発した重工業設備、炭鉱などの鉱物資源、さらには日本軍が備蓄していた十年は戦争が続けられるといわれた膨大な軍需品、日本軍が満州国軍として長年訓練していた人員があったからである。 ソ連は、満州に進撃して占領するやいなや、これらすべてを接収した上で、中国共産党を支援しない、とした約束を反故にし、中国共産党側に引き渡した。この結果、共産党軍はそれまでの貧弱なゲリラ部隊から一転して、近代装備と訓練十分な兵員を持つ強大な軍事勢力と変貌を遂げることとなった。 一方、アメリカは、共産党側の宣伝工作によって、中国安定化のためには国民党政府のなかに共産党を合流させるべきだとする主張が強まり、そのことを国民党政府に飲ませるために、一時は、国民党政府に対する支援打ち切りまでなされた。 アメリカのジョン・F・ケネディー大統領が、下院議員時代の昭和二十四年(一九四九)一月、「一九四一年十一月、米国は極東政策の目標が中国の統一を実現し、国民政府と強固な関係を維持することにあることを、明確に宣示していた。 ところが、戦後、国民政府を支持すべきか、それとも対華援助を代償に国民政府に中共を受け入れさせるかで、国論は二つにわかれた。 その結果、米国の対華政策は自ら悪い報いを招いた。もし米国が連合政府に固執しなかったならば、国民政府がこのような悲惨な打撃を受けることはなかったであろう。 中国の赤化を防げなかったのは、米国の利害に重大な影響を与えた。われわれは自由中国を維持するために一戦を惜しんではいけない。米国の外交家と大統領が、すべてを『無』にしたのである」と指摘している。 ケネディー大統領は、アメリカの当初の戦争目的が国民党によって統一された中国をアメリカが獲得することであったのが、共産中国誕生への道をアメリカ自身がつくってしまったとして反省しているのである。戦後の共産中国の誕生は、アメリカにとっては予想外の悪夢の事態であった。 蒋介石は、「この『ヤルタ密約』によって、中国は共産主義者の手に売り渡されたのである」と指摘している。米ソの提携と中国分割支配構想、すなわちアジアのヤルタ体制を推進したことが、反共アジアの防衛を図ろうとした日本の主張を無視し、支那事変の泥沼化を招き、共産中国の誕生をもたらしたのである。 ブッシュ大統領は、前号でとりあげた平成十七年五月のリガ演説において、「ヤル夕協定は、安定のために自由とデモクラシーを犠牲にした邪悪な協定であり、その点において、独ソ不可侵条約やミュンへン宥和の不正の伝統に連なるものである。この安定という目的のために自由を犠牲にしようという企ては、しかし、結局、ヨーロツパ大陸を分裂させ、不安定なものにしただけであった」と述べている。 かつて東ヨーロッパに共産主義国家が誕生したことを反省した内容であるが、この歴史認識は、今こそ、アジアのヤルタ体制に向けられるべきである。日本が中国を侵略した、という歴史観では昭和史の真実は見えてこない。米ソ両国によるヤルタ密約に視点を定めたとき、昭和史の真実は明らかになってくるのである。 以上、「草莽崛起」より転載した。http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-737.html 個人的感想としては、「戦前の日本は、そこまでひどいことをされたのか、、」と いうほどの、世界列強からの差別的、屈辱的な扱いを、耐えて、耐えて、耐えて、 そして最後に戦争に立ち上がった。と理解している。 個人的には平和こそが大好きで、地球上から戦争は無くなればよいと思っている。 それでも、いろいろと大きい非難は承知のうえで、それでも敢えて言うならば、 「よくぞ乾坤一擲の戦争に立ち上がった。本当に日本のご先祖様は偉い。」と思う。 もしそうでなければ、もし不当な扱いに耐えて、戦争をしなければ、今の日本の誇り高さ は有り得ないと確信する。日本の誇り高さ、そして今の日本が世界の畏敬を集めるのは、 あのとき、開戦に立ち、戦い抜いて破れ、また再び立ち上がった日本だからこそと思う。 最後に、日中争わず。和してこそ、世界平和があると考えています。 日中が争って、一体、誰が得をするのか。そこから思考があるべき。 中国三千年の復活も、要諦はそこにある。半島のこともその文脈上に規定あるべし。 日本人が思っている何倍も、何十倍も、日本とは大きい存在である。 この本は、絶対にお勧めです。 記:とらのこども
2007.06.08
頂門の一針 読者投稿より転載(読者の声1) まずは下記サイトを御覧ください。凄い内容です。 http://dogma.at.webry.info/200705/article_10.html「土井たか子と北鮮の共同謀議…亡命20年謎の男帰国へ」読んでみて、ほんとうに凄いことが書いてあると思いました。昨日の「よど号事件」関連の人物逮捕というニュースだけでは、ことの重大性が何もわかりませんでした。テロ・拉致・反核運動など、日本に対する「戦争」のかくれた実態、それに深く関与していた国会議員の反日工作の全貌こそ、徹底的にあぶり出すことが不可欠ですね。「戦後民主主義」の時代に一貫して展開されてきた間接侵略の真相を体系的、実証的に明らかにした啓蒙書の出版が待ち望まれます。 (YI生、品川区)(宮崎正弘のコメント)早速、拝読しました。うぅーっ。唸りますね。すべてが本当であるとすれば。。。
2007.06.07
「思い出す森の中におそれあり感じるままに立ちすくんでいる」森の中や、廃屋の中に入ると、あのきゅーっと、おしっこしたくなるあの感じです。ボーイスカウト活動で行った岐阜の山のなかで。(来月からはリーダーに就任予定)「雲間より百日の夏差し来たりすずめの遊ぶ水たまり光る」夏はちょうど100日くらい。夏の象徴は、ぎらぎら光る日のひかり。家族で、東山公園に遊びに行ったときのもの。「詩を詠みてつなぐものあり大自然日本のこころ世界に届け」森や、木々、水の流れ、そうしたものを擬人化してとらえる感性は日本人特有らしい。というか、日本語が母国語の人に特有の感性とのこと。そう聞くと、不思議な感じ。詩歌を通じて、日本のこころ(大自然のこころ)が世界の人に届けばいいなと思う。「とはいえど言葉はなべて届かざりき追憶にゆれやがて沈みき」親子であれ、恋人同士であれ、言葉というものは、気持ちというものは、本当のところは、なかなか届かない。できれば、届いて欲しいものだと思う。そしてちゃんと受け取りたいものだ。記:とらのこども
2007.06.07
咳き込んでいたら、会社の女の子から風邪薬をもらった。「PANPYRIN-F」という内服液だった。「MOMOさん、この薬飲んでみてください。私が飲んでいる薬なんですけど、よく効きますから。咳、止まると思います、、」「でも、ちょっときつい薬なんで、気をつけてくださいね。寝る前とかがいいと思います。お大事になさってください、、、」もうかれこれ2週間も、風邪をひいて、咳き込んで、苦しい思いをしていたから、ありがたくもらった。顔はにっこり笑いながら、風邪薬を持っている手は、あげよかな、でもどうしようかな、ってすこし揺れているような気がした。それにしても、もらってすぐ飲んで、ふらふらと夜の街へ飲みに出かけるとでも思われてるんだろうか。薬で多少ふらふらしつつ、車の運転をすると思ってるのかなあ。国際免許もないし、自動車も持ってないのに。むむ、む、考えすぎ。別れた後、自宅に帰った。帰りの地下鉄で、すぐにも飲もうかと思ったが止めて、自宅まで帰る。部屋の明かりをつけ、薬をダイニングの棚のところにおいた。しばし考えて、自分の風邪薬を飲んで寝る。「カゼグスリ」は、お守りにしたのだ。ときどき、「カゼグスリ」を見る。たまに手に取る。もらったときのことを思い出す。禁煙しなきゃな~、、、と思う。彼女はタバコのこと、何もいわないけど、好きじゃないだろうし。というわけで、彼女からもらった「カゼグスリ」は、今もダイニングの棚のなか。まるで写真立てのように、鎮座しているけれども、ぼく以外の人には、風邪薬にしか見えない。彼女からもらった風邪薬のことは、とりたてて誰にも言わない。お守りにしている「カゼグスリ」のことは、彼女にも言わない。ぼくだけの秘密だ。大人には大人の小さな秘密がたくさんある。記:とらのこどもpsこのプログ、小さなウソがある。だから、詩歌のようなもの。 ときどき、詩歌のようなものをアップしていきたい。 そのなかに、願望や、大事にしたいちょっとしたことを書きたいからだ。 それを見破っていただければ、幸いである。 幸せのための小さなウソ、小さな秘密は、どこにでもあるもの。 それは、人生の小さな花のようなものかもしれない。
2007.06.06
皆さん、こんばんは。今度は本当のオイドに行った話しです。まずは、下記のオイド海岸日記をご参照ください。写真を見ると、臨場感があります。参考プログ:山ちゃんの日記: 烏耳島(オイド)海岸 http://yama-taka.at.webry.info/200607/article_3.htmlソウルナビ:オイドhttp://www.seoulnavi.com/miru/miru_r_article.php?id=361烏耳島(オイド)は、むかしは島だった。とその友人は言ってました。とはいえ、今は昔。島の面影は全くなかった。オイド駅周辺に、すこし小高い山があって、ブドウ畑になっていた。もしかすると、あれが島のなごりかもしれない。今のオイド。これは埋立地の先端の、堤防沿いにある海岸団地とか言っていたけど、堤防沿いの一角の、チョゲクイ屋通りを、観光地としての「オイド」と言う由。その海岸を歩く。堤防の上を歩くだけだが、もし、美しい女性と二人だけなら、、、映画の1シーンのようで良いかも。セカチュウ(世界の中心で愛を叫ぶ)でも、堤防沿いで、「たくちゃん、、、」なんて、やってたなあと思ってみたりする。実際は、うじゃうじゃとアジョシ、アジュンマ、子どもたちが歩く堤防である。セカチュウの世界ではない。場所によっては、南大門とか、東大門あたりと変わらない。特に赤い灯台のような展望台あたりは、その様相を呈していた。このあたりが中心地のようだ。人も多いし、露店もたくさん出ている。なにより、堰堤があり、港になっている。そして、見渡す限りのどろの海だ。韓国・西海の干潟がひろがっている。とにかく、広い。遠くに子どもたちが泥の中を走り回っている。うにょこん、うにょこんと、ドロにはまりながらなので、人形劇の追いかけっこのようだ。あっちに数人。遠くに7,8人。こっちには、また4,5人、また5,6人。ドロの上を、数百人もの人が歩いているし、たちずさんでいる。そもそも、磯や干潟の果たす役割は大きい。生き物に不可欠な酸素は海から発生する。植物も貢献してはいるが、問題にならないらしい。酸素の供給も、水質の浄化も、海藻や植物プランクトンからの発生が大半を占める。そのプランクトンを養う栄養分を、川を経由して野山の植物が賄っている。太陽光の届く浅瀬や干潟は海藻の宝庫でもあり、微小生物の棲みかでもある。川の在りかたが見直おされているように、干潟は海の浄化を受け持つ清掃工場とも言える。日本の有明海のノリの問題の記憶は新しいが、「これくらい」と思うほどの干潟の消失が全域に影響を及ぼすことも在り得る。すでに名古屋での伊勢湾の大半は自浄能力を失いつつある。堀川もくさい、くさい。堅苦しくなったので、こんな話しはこのへんで止める。さてオイド。大潮だったんだろうと思うが、引いていた潮がみるみる満ちてくる。堤防や、船の位置を見ると、3M以上は潮が満ちそうに見える。そして、話しの本番、チョゲクイ屋。たぶん、100軒以上あるだろう。見渡す限りのチョゲクイ屋だらけである。堤防ですれ違った若いカップル。「何を食べよう、ソコギ?」などと言って歩いてた。「馬鹿かお前は、ここに来ればチョゲクイだろう」と、私が言うと、韓国人の友人が、あれはたぶん、このあたりの高校生ですよ。チョゲクイは嫌というほど食べているんですよ、と解説をしてくれた。海岸を歩いているだけだろうと言う。そうか、と素直に反省。(話しは逸れるが、SUNAOというグリコのビスケットはすごくうまい。バター味最高)チョゲクイ屋は最高だった。西日がまだまだ高いけれども、海が満ちてきて、日の光にキラキラ、さわざわと、海が光って、ゆれている。何が良いといって、ビールが冷たく冷えていたのが良かった。店のアジュンマに、一杯どうだと言うと、きゅーっと飲んだ。食事を終わった女子高校生が化粧直しをしている。なにげなく目が合って、笑った。お互い、食べ終わって、満ち足りた感じで、つい笑顔を交す。いけないおじさんだ。このように素敵なオイド海岸だが、この海も、厳重なフェンスがあり、夜間は歩哨が各所に立つと、ネット情報にあった。民間人が遊べるのは日の出から日没まで。この国の厳しさを、忘れてはいけない。記:とらのこどもPS 次回は日本人の友人と行きたいです。きっと気に入っていただけると思います。 海にあまり期待はしないでください。チョゲクイだけ期待してください。 きっと喜んでいただけると思います。家族と一緒でも楽しそうです。 なお、潮干狩りもOKだが、お金を取られるらしい。
2007.06.04
「土日は閑でしょう?」と、韓国人の友人が誘ってくれて、週末にオイドに行った。実によかった。チョゲクイ(貝焼き)とビールが最高にうまかった。さて、ひねくれものの「とらのこども」なので、認知的不協和の話しからオイドを語る。認知的不協和とは、何か。それは、これで良いのだろうか???と悩み、そしてその悩みを解消する方法である。現代人が持つ「心の不協和」のメカニズムと,その解消に関するものだ。例えば、自動車の新車性能などを、一番一生懸命に調べている人は誰か?新車を買おうとしている人か? 否。新車を買ったばかりの人なんである。 オレの判断は良かったのか?という思いがあって買ったあとに、買う前に増して調べてしまうらしい。とすれば、最高のセールスマンでありたいのならば、認知不協和の解消のために、「本当に良い買い物をされましたよ。」と言う事、そしてその説明を、売った後にこそしなくてはならないのだ。このことを知らない営業は多い。そしてせっかくの新しい客を失うのだ。新しい客を、繋ぎ止めるための、認知不協和対策。これは営業トップのツボのひとつだ。参考HP:認知的不協和論http://www.fml.t.u-tokyo.ac.jp/Dame/Dame_2nd_report.htmというわけで、オイドに行ってから、オイドについて調べているとらのこどもである。説明がくどかった。ごめんなさい。オイド訪問説明は次回にします。記:とらのこども
2007.06.04
【恋人バトン】 正直に書いています!! 1.今付き合っている恋人はいますか? 実は3人います。2人は日本人で、1人は会社の子です。 あともう1人は韓国人です。出張のときだけ会います。 2.その恋人と付き合ってどれくらい経ちますか? 結構、長いです。1人は5年。会社のコは2年前からかな。 韓国のコは出張時だけだし、正確には僕のものじゃない。 3.この恋人と付き合ったキッカケは? 1番長い子は、お金がかからなかったから! お金のすっごくかかる子はNG。 もう二人は、会社の縁としか言えません。 4.この恋人以外に過去にどれくらい恋人いました? 覚えてないけど10人は超えてると思います。 5.一番長く続いた恋人とはどれくらいですか?それはいつ頃? 5年弱かな…今の子が1番、長いほうかも。 6.逆に一番短かった恋人とはどれくらい? 3ヶ月くらい。ゴルフに一緒に行ったとき、別れちゃった。後で、探したけど、、、。 でも、一晩だけっていう子は、今までにはいません。 7.恋人を色に例えるなら何色ですか? メタリックシルバー 8.恋人との思い出があればどうぞ! 女房と畳と、恋人は新しいほうがいいです。 ごめん。9.浮気願望はある? 日本と韓国の彼女。操縦方法が違うから大変。 でも、その国ごとに彼女がいるのがいいかな。日本から連れて行くと高くつく。10.今の恋人に一言!! 長い間、本当にありがとう。これからもよろしくねっ♪ 11.まわす人 好きにして♪ !!!!!!!!注意!!!!!!!!!! 注:この恋人とは、携帯電話のことです!!(笑 )いかにも人間のようにバトンは書いてみてください!!!! 以上、後輩のサイトで見つけた。面白いっと思い、転載しました。
2007.06.03
著名な東山魁夷(ひがしやまかいい)画伯。東山先生の画集に「ドイツ オーストリア 東山魁夷 小画集」というのがあり、そのなかに、ある城門のうえに書かれてあるラテン語を紹介している。それがあの有名な名文句。「歩み入る者に やすらぎを、 去り行く人に しあわせを」、である。この名文句。東山先生の名訳。この文章は知っていたが、東山先生とは知らなかった。 ドイツ・ローデンブルグ・シュピタール門 :写真 http://members.jcom.home.ne.jp/t-migi/newmigi/020304.htm とても美しい写真です。どうぞご覧ください。なお、原文は、『Rothenburg ob Der Tauber / SPITALTOR 』である。上記ご紹介の参考HPにその写真がある。ドイツほかの詩歌で、日本語訳の名訳がいっぱいある。山の彼方の空遠く・・・ もそう。本当の翻訳とは、原文のこころを翻訳して伝えるものであろう。そしてときに、原文よりも素晴らしい訳本を生む。仕事においても、人生でも、多くの先達の事跡、そして書籍にある多くの素晴らしいこと、会社の先輩たちの取組み、去年取り組んだこと、今取り組んでいるもの。これが原文。それらを私たちがまた取組み、真似をする。そして、先輩たちのこころを汲み取り、昇華して、新しいものを作っていくのだ。これが、訳本だ。新しい時代の事跡となり、そして地層のように積み重なる。なにかしら古き良きものを見るために、旅に出たくなってきた。ヨーロッパに行ってみたい。日本でも、アジアでも、もっと史跡を巡りたいと思う。ところで、東山魁夷先生が没後、ご夫人の監修によって、「東山魁夷への旅」という画集があるよし。その画集の冒頭にはこう書かれている。旅と言うものは、縁(えにし)の糸に 導かれて行なわれる。縁がありますように祈るとらのこどもである。皆様、良い週末を!!!記:とらのこども
2007.06.02
間違いだらけの健康常識より転載(再掲)==============================玄米食でなぜミネラル不足になるか??http://www.global-clean.com/html/akude-minerarubusoku_01.html玄米には胚芽の部分にミネラルがたくさん含んでいるのに何故ミネラル不足になるのか?という質問をよく受けます。それは玄米の胚芽や表皮にフィチン酸という強力な排泄作用を持つ物質が多くあり、毒素を出して病気を治していく作用がありますが同時にミネラルも出していくのです。体内毒素とミネラルは別々の所に存在しているのではなく、毒素とミネラルはいっしょに存在しているのです。玄米食で体内毒素を出す時にミネラルも出ていくのです。毒素が出ていけば病気の症状は消えていき、玄米を食べたから病気が治ったと確信し、これからもずっと続けていこうと思う人が多いのです。玄米を長く続けて体がおかしくなった人や短命になった人をたくさん見てきました。フィチン酸の排出作用は強力なものです。だから病気の症状が消え、ガンさえ治るのです。玄米にミネラルが多いから病気が治るのではないのです。玄米のアクが毒素を引っ張って出すのです。本来、玄米の胚芽の部分は次の新しい生命の芽を出すための栄養として存在しているのです。胚芽がないと芽が出ません。小鳥などに種籾を食べ過ぎられないように強いアクを持っているのです。小鳥達は決して食べ過ぎません。アクの強さ、分量を本能的によく知っているからです。雀がたくさん飛んできても稲を食べ尽くすことはありません。雀は害虫も食べてくれ、分を心得て共存しているのです。雀は籾を何粒かしか食べないのに人間はアクの強い玄米を茶碗一杯も食べるのです。玄米に含まれるフィチン酸は殆ど消化されず、体内の毒素とミネラルをたくさん引っ張り出していきます。病気の時には短期間で効果がでますが、せいぜい数ヶ月から半年くらいで止めるのが理想です。玄米でも発芽玄米にするとフィチン酸が発芽部分にはなくなりますから、少しにいいということは言えます。参考メルマガ:「間違いだらけの健康常識」 発行者 (株)グローバルクリーン 体内毒素排泄指導本部 浅井敏雄氏http://blog.mag2.com/m/log/0000060758/ 上記でメルマガのバックナンバーが公開されている。 健康に興味のある方はどうぞご覧ください。結構に面白い。 記:とらのこども
2007.06.02
サミュエル・スマイルズ(SAMUEL SMILS・英)の「自助論」を読んでいる。明治の初めに「西国立志編」(中村正直訳)として発刊され、福沢諭吉の「学問のすすめ」と並んで明治の青年たちに広く読まれたようだ。当時の日本で総計100万部ほど売れたというからすごい。「天は自ら助ける者を助く」, という有名な独立自尊のスローガンが、明治の青年たちを奮い立たせた。一説によると、スマイルズのころと較べて、現在のイギリスの勢いが衰えたのは、イギリスの政治家たちが自助の心のない人たちを助けたからではないかと、云われている。この本の原題となっている自助とは、勤勉に働いて、自分で、自分の運命を、切り拓くことである。つまり、他人や、国や、ましてや他国の助けを借りない独立自尊のこころである。現代流にいうと、自己実現ということになるのだろう。では、自己実現とは何なのか。それはまず、 1)自分の好きなことをやり、2)十分に食うことができて、3)さらに、それだけに止まらず、その結果が他人によって高く評価されること。これを以って、自己実現という。本当に素晴らしい。その方法論としては、勤勉、正直、感謝 以外にはない。 というのが結論である。この中では、「勤勉」がもっとも重要だと思う。とにもかくにも大きい夢を抱き、その夢の実現に向けて倦まず、たゆまず働くことだ。働いて、働いて、働いて、夢を掴むのだ。「天は自ら助ける者を助く」、、、こういう人を天は助ける。彼の夢はいつの間にか実現する。世の中にこれほど確かなことはない。そういう意味では、この世は、因果応報、善因善果、悪因悪果の世界なのだと思う。天は見ている。ところで日本では、新しい横綱白鵬関が、今日、明治神宮で土俵入り披露をする。襲名あいさつでは「「謹んでお受けいたします。横綱の地位を汚さぬよう、精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」と力強く口上を述べた。とのこと。まっこと、精神一到、何事かならざらん。である。記:とらのこども
2007.06.01
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