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貴方はどういった理由で仕事をして(働いて)いますか?生きていくため、生活のため、お金のためあたりが良く出てくる答えだと思います。しかしそれだけで仕事をしていたら仕事は楽しくありません。それこそ嫌々仕事をしていたら会社にとっては「そんなに嫌ならいつでも辞めてくれていいよ、代わりは沢山いるから」って事になりかねません。ですからそれ以外の働く理由を見つけましょう。一番は仕事をするのが楽しいから、と言えることですがそれが難しい人が沢山いるのも事実です。ではそういうことが難しいのは何故でしょうか。それは貴方が会社内での自分の役割とどう役に立っているかを知らないからです。自分の役割を知りましょう。次に自分が楽しくて会社にも嬉しくて顧客にも嬉しいと感じる事を考えましょう。そんな三者三特な事ある訳無い?いいえ、あります。貴方が考えないから「分からない」だけです。答えはそこら辺に転がっているわけではありません。また「正解」と言う答えもありません。その時その場で一番合致しているか、それがその時の答えです。それは自分で導き出すしかないのです。最後に仕事を通して叶えられる夢を持ちましょう。貴方が実際に実現できそうで、でも今は手が届かないくらいの夢がいいでしょう。人は夢を実現するためには多少の困難や大変な事でも踏みとどまる事が出来ます。困難や大変な事に踏みとどまって自分から向かっていけば、解決能力も上がりますし自分自身も成長できます。そして夢に近づく事が出来るのです。ただし現実が夢に追いついたといって満足していたら貴方はそこまでの人です。追いついた時に更なる夢を見ることと忘れないようにしてください。明日こそ「自分を変えたい」です。
2006.04.30
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誕生日の翌日からちょっとスピリチュアルっぽい事が続いたためか、ちょっと「自分」があやふやでちゃんと地に付いていない感じで少し『ヤバイ!』って感じでした。ブログを書いていても言葉が自分から出ると言うよりは宙に浮いた感じでしか書けなくてちょっと気持ち悪かったです。と言うわけで今週の分は「自分らしい自分の言葉」から少しずれています。でもブログをやっているお陰でそこのとこに早く気付く事が出来たのはラッキーでしょう。昔からスピリチュアルな事と現実ときちんとバランスととってきた人はともかく、そういった能力がほとんどない一般市民である私があまりスピリチュアルな事に重きを置くと、そちらに引きずられて現実世界で生きていけなくなります。特に自分より高いレベルのエネルギーに接すると上手く調和が取れなくなる事があります。そんな感じで、とにかくちょっとスピリチュアルのエネルギーに接する機会があり、そのためちょっとそちらに引きずられていたようで私の中で上手く現実の把握とスピリチュアル世界のバランスが崩れてしまっていました。今日は大分マシになりました。ちゃんと日経新聞の記事を読んで経営者人材的に物事を考えるトレーニングが出来ました。昨日までちょっと何か薄布一枚隔てているような変な感覚あったけど。あ、私はスピリチュアルなことが悪い、と言っているわけではありません。そういったことが悪いと思っていたら「オーラの泉」とかNLPとかに興味を持っていたりしませんので。ただそちらの世界に重きを置いて現実世界で生きられなくなる事はまずいと言いたいのです。特に何の準備や基礎知識も無くそういったことに下手にどっぷり嵌ると危ないです。向こうのエネルギーが強くなりすぎると現実をちゃんと把握できなくなりますし、何より自分をきちんとつなぎとめることさえ知らないと変なものも呼び寄せたりします。なので私はいい加減な気持ちでそういったことに首を突っ込む事は反対します。閑話休題。スピリチュアルに関係して仕事をしている方は特に現実をきちんと把握する事に重きを置いているような気がするのもあながち間違いではないのかもしれません。今は現実のこの世界で生きていく事が大切であって、スピリチュアルなことはその為の補佐に過ぎないのかもしれません。ただそのバランスを上手く取れば、目先の事だけに囚われるのでなく、長期的に物事を考え、行動する事がより行い易くなると思います。物事の本質を見極めようとすると何故かスピリチュアルな事も宗教も現実に生きていく事も全てに共通する真理があるような気がするのは気のせいでないのかも知れません。明日は「自分を変えたい」の予定です。
2006.04.28
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「出会いは必然?」貴方は人との出会いは偶然と思いますか?それとも必然でしょうか?人に限らずモノとの出会いも偶然でしょうか、必然でしょうか。最近ハマッて見ている「オーラの泉」によると出会いは全て「偶然でなく必然です」と言う事になります。別の言い方をすれば貴方が全て必然と思う事でその出会いは意味があるように思い、得るものが必ず何か有ると言う事になります。逆にいえば貴方が偶然と思い、特に何も意識しなければ貴方は何も得るものがないのです。それこそ「目の前にある壁」を意識するかどうかというのと同じ問題です。目の前にあるものを課題と思わずに意識せずに過ごせば、別に何も大変な事はない代わりに貴方自信の成長もありえません。目の前にあるものを課題と思い乗り越えようとすれば、大変な目に合いますが貴方には前の貴方より成長した貴方になれるのです。人やものとの出会いも貴方が何気なく過ごせば良いことは良い、悪い事は悪いで終わってしまいます。しかし何か意味があると思えば、それは良い事も悪い事も貴方を成長させる糧になるのです。「こう言う出会い方をしなければ良かったのに」と言う事も実は貴方の成長のために必要だからそういう出会い方をしたのかもしれません。偶然出会ったとしたら、それは本当に出会うべくして出会ったのだと思います。偶然と言うつもりでもそのように用意されていたのかもしれません。そして例え、人との関係が不幸な終わり方をしても、それは何か意味があるのかもしれません。貴方が何かを気付かなくてはいけないためにそれがあるハズなのです。同時に貴方がどんなに望んでも「縁」が無ければ貴方はその人・モノに出会うことは出来ないのです。また時期が来ないために出遭えない事もあります。貴方の成長を待っている事もあります。もし縁があるハズで時期も来ているはずなのに出会えないのであれば、貴方の成長がまだ足らないのかもしれません。貴方がその出会いにふさわしい人になれば、自然とその出会いはやってくるのです。それこそ「必然的に」そうなります。人の『質』によって「出会い」のレベルも変わってきます。ですから今ある出会いを「不幸」と思うよりは良い出会いを求めて自分自身に磨きをかけるようにしましょう。次回は「反省する事と自己否定」です。
2006.04.27
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エクササイズと基礎練習重視です。火・水と始めの10~15分、内転筋と腸腰筋、骨盤底筋を鍛えるエクササイズをやってから練習にはいてます。踊っている時にお腹が緩んだり、身体が上手くキープするために必要なインナーマッスルを鍛えると言う事なのですが、これが結構きます。いかに身体をきちんと使えてないかが分かりますね。その後身体の使うべき筋肉を意識して行うトレーニング。ちゃんと身体の芯とインナーマッスルが使えればなんて事ない事なのですが、これが結構大変。使うように意識し始めたばかりの場所はどうしても「抜け」易いので一回事に意識しないとおかしくなってしまいます。先生曰く、「直ぐに出来なくても、意識し続ければ出来るようになるから気をつけなさい」と言う事なのですが、これがまた難しい。身体をきちんと維持するのって大変です。特に変なクセがついていると直すのが一苦労。それからパソをやりました。アレグリアスの最初のエスコビージャ、というかそういうところ。って言うか、このパソ「アリグリアス」だったのね、と火曜日に知りました(笑)みんなが「アレグリ」やりたいって言ったから先生が振りつけてくれるようです。しかし、このまま本当に「アレグリアス」になるのか途中で変えられてしまうのかは分かりません。たまに途中で変更ってことあるので安心できません。しかし此処で先生にみんなが最初にやったエクササイズの箇所を意識して使っていないと指摘。やはり踊るとまだまだ上手く行かないようです。火曜日はこの後パルマに。裏打ちが失敗してしまいました。先週からどうもイマイチ間隔がずれているのでこれは修正しないと。水曜は何故かセビジャーナス。時々やらないとダメね。と言うので今後何時出てくるか分からないのが不安。3番がちょっといい加減なのよね~。チェックしておかないと。先生が言うには「こう言う踊りこそ本当に上手いか下手かが分かるわよね。みんなまだ全然ダメ」と酷評されました。というかなかなか昔の悪い癖で覚えた踊りは逆に直りにくいんです。しかしそこを抑えて踊らなくてはいけない、ということなんでしょうね。来週はGWのためお休み。その間に自主練しなくては。出来るかしら。
2006.04.26
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自分の考えている事をメモする貴方は今の自分がどんな考えをもっているのか知っていますか?知っていると思っても色々な局面で考えている事は一貫性がありそうで実は自分本位なだけの事も少なくありません。まず自分を変えたいなら今の自分を知る必要もあります。ですから自分の考えている事をメモしてみましょう。そうは言っても仕事中や、勉強中にメモするわけにはいきませんからそれは辞めてください。しかし何かの合間に感じた事、考えた事をメモする時間は有ると思います。例えば通勤・通学の途中、ふと出来た空白時間、寝る前のひとときなどなどメモをしようと思えが幾らでも刷る時間はあります。あとはどれだけ貴方がそれに実際に取り組むかです。ちなみにメモは自分の感情の赴くままに書いても構いませんし、簡潔に要点だけ書いても構いません。自分の書きやすいように、自分が書けばいいだけです。そして1週間か2週間、または自分の時間が有る時に一度見直してください。そうすると以外に自分の事が客観視して見る事が出来る用になります。自分を客観視すると矛盾点やちょっと困った自分と言うものを知る事になったりします。此処で大切なのは矛盾した自分や困った自分から目をそらしてはいけない、ということです。矛盾した自分や困った自分から目をそらしていては自分を変える事は出来ません。そうした自分を受け入れる事で初めて自分が変わる事が出来るのです。もし貴方が自分の何かを変えたくてイライラしていたら一度試してみてはいかがですか?明々後日は「自分のこと好きですか?」の予定です。
2006.04.24
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仕事をしていて忘れがちなのが仕事の事後報告。これは上司だけでなく、相談に乗ってくれた先輩や同僚、仕事を引き継いだ後輩にも必要な事。そうでないとその人たちは「あの仕事どうなったんだろう。無事終わったのかな、それともまた別のトラブル発生したのかな」と心配する事になります。また相談に乗ってもらって解決したなら尚更事後報告を兼ねてお礼の一つも言う必要があります。それを怠ると貴方は「礼儀知らず」という評価が下ります。そうなるとちょっとした相談にもあまりいいアドバイスを貰えなかったり、動いてもらえなかったりします。すると貴方の仕事も滞りがちになり、貴方の評価も芳しくないものになります。貴方がもし会社で一花咲かせたいのであればなおさら周囲への気配りと報告は大切な事です。とてもささやかな事でも報告とお礼を欠かさなければ、周囲の人はまた何かあったら、少しくらい自分が大変でも力になってやろうとするものです。自分の為にも、会社のためにも、周囲のためにも事後報告とお礼は忘れないようにしましょう。明日は「自分を変えたい」の予定です。
2006.04.23
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「幸せと言うもの」はどういったことだと思いますか?心が満たされる事ですか?気持ちが高揚することですか?本当の「幸せと言うもの」はとても静かな事だと私は思います。そしてある日ふっと感じるものなのです。つまり私たちが今ここで生きていること。それ自体が幸せなのではないでしょうか?生きていくと嫌な事やつらい事、哀しいこと、苦しい事などがたくさんあります。しかし私たちは本来幸せな存在である事を忘れずにいればそれは貴方の糧になり、貴方を本当に不幸せにするものではないのです。しかし貴方が本来自分は幸せな存在である事を忘れるとその嫌な事やツライこと、哀しい、苦しい事に心奪われて不幸せを感じてしまうのです。そして自分で自分を更なる不幸せを呼び込んでしまい、自分を余計につらい目に合わせてしまうのです。自分が本来幸せなことを思い出してください。今ある不幸は本当の不幸ではありません。貴方がより幸せになるための大事な勉強なのです。貴方が自分を幸せな存在だと今は感じれなくても構いません。でも信じてください。そうすれば貴方幸せだと気付くはずです。人は幸せな状態が続くとそれに慣れてしまい、その幸せを感じられなくなってしまうものです。でも、ゆっくりとリラックスして自分のことを見つめ直せば自分が本当はどんなに幸せな状態か分かるはずです。もう一度ゆっくりと自分を見つめなおして見ませんか?次回は「出会いは必然?」です。
2006.04.22
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「自分のスペースを変える」いわゆる模様替えをするのが一番いいのですが、親兄弟と共有している場合は大型家具などを動かすのは大変難しい事です。ですからまず「自分のスペースを変える」ようにしてみましょう。誰でもここからここまでは自分のスペースと言うものを持っているものです。そこに一体何があるのでしょう?そこに有るものは自分の好きなものだけでしょうか?とりあえず、なんとなく持っているものもありませんか?そういったものは出来るだけ捨ててしまいましょう。そして出来るだけ自分が好きなものだけを置くようにしましょう。自分が持っていたくないものを持っていると、自分の好きなものが入ってくるスペースが無くなり、自然と自分にとってのいいことも少なくなります。中には親兄弟によって強制的に持たされているモノ(捨てたくても捨てると叱られるもの)もあるかもしれません。そういったものは無理に捨てずに、でも必要ないというアピールをするといいでしょう。それでもダメな場合は自分のお気に入りの箱に見えないように放り込んでおいてほとぼりが冷めるまで持っておき、その後こっそり捨てましょう。好きではないけど必要なものも有るかもしれません。そういったものは自分が好きになるように改造してしまいましょう。例えば自分の好きなシールを貼りまくる。色を塗り替える。カバーをかける。それだけでかなり気分は変わらないでしょうか?出来ればその作業をしている時は嫌な事を考えず、自分が楽しくなるイメージでやるといいでしょう。そうやって自分のスペースを自分の好きなものだけで埋め尽くしましょう。自分のスペースが自分の好きなもので埋め尽くされると、人はそれだけで満足するものです。そして心になんとなく余裕が出てきます。ただし、もしかしたら貴方の価値観が途中で変わって、今まで好きだったものも気に入らなくなるかもしれません。その時はどうしても思い出があるもの以外は思い切って捨てるようにしてください。勿体無い、かもしれませんが自分が幸せに過ごせない時間を作るほうが勿体無くないでしょうか?もちろん再生できるものは出来るだけ再生、リ・ユースするようにしてください。資源の無駄遣いは避けるようにする事が望ましいのは当たり前です。外が変わると中身も変わる事が多いのです。以前に「服装を変える」を書きましたが、服をまるっきり代えられない人は自分のスペースを変えて見るといいでしょう。明日は「自分のこと好きですか?」です。
2006.04.21
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私が通常テーマとして書いていることはどちらかといえば「綺麗事」になってしまうんだろうなぁと最近思います。ですから余計にそれだけでは終わらないようには気をつけてはいるんです。同時に私のブログに訪れてくださる人に私と言う人間がある種完璧な人だとは思って欲しくないです。色々書かせて貰っていますが、私もそれが全て完璧に出来ているわけではありません。というか完璧に出来ている人はいないと思います。いたら逆にこう言うテーマは当たり前すぎて書かないと思う。上手くいかなくて、でも上がっていきたくて、それでも思うように進めないなりにある程度進めて「ああ、こう言うことだったんだ」と分かった事を書いていっているのです。人が向上しようとするための言葉はとにかく奇麗事になりやすいと私は思っています。ただの奇麗事だとマイナスのことは一切受け付けない感じがするので私は嫌なんです。人は完璧ではないし、心弱くなる時もあれば、どうしても上に進んでいけない日もある。一時的に道を見失ってしまって変なところにはまり込んで抜け出せなくなってしまう事もある。それを否定してしまったらそれこそ人はそんな完璧な事は出来ないし、やる気もなくなってしまいます。なのでそういうのもあるよね~ってことを前提にして書くことを気をつけています。実際に私もそれこそ3歩進んで2歩半下がるようなこともたくさんあります。でも一年間トータルで見ると去年よりは進んでいるよね、って感じです。とにかく上があるんだよ、あそこを目指そうね。時には転んでも滑り落ちてもいいからあそこまで行くのを諦めないで一緒にいこうよ。そんな奇麗事だけで終わらないキレイゴト、を書いているわけです。人はいつでもやろうと本気で思えば何でも出来ると信じています。だからこそ、今、貴方がどんな状態でも諦めずに向上していこうとして欲しいと思います。明日は「自分を変えたい」の予定です。
2006.04.20
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基礎練習の日々です。火曜日は身体を作るエクササイズでシェネをしながら動く、というもの。言葉で説明しようとすると難しいなぁ。シェネをすると悪い癖が出て肩とか首とかにすごく力が入ってしまい、それを抜くのに一苦労。体の真をしっかり持てば肩とかに力が入らなくても軽く回れるはずなのに、やっていると何時の間にか方に力が入って軸がぶれてしまいます。課題ですね。それと宿題のジャマーダから人パターン踊った後のレマーテを個人で考えてくるのをやりました。私はすっごくシンプルにレマーテするはずが途中でコンパス見失い、パニックに。もっと冷静に耳を開いて、という課題を改めて認識。ううう~、もっとフツーにレマーテしたいよう。先生の前になると妙な所に力が入るクセを何とかしないとどうしようもないかもしれない。水曜はエクササイズ。仕事でちょっと遅れてしまったため一つ目のエクササイズが分からないけど、内転筋と骨盤腸筋と腹筋を使うエクササイズを4つやりました。めっちゃ腹筋に来て大変でした。腹筋、と言っても表面とかに現われる六つに割れる奴でなくて、インナーマッスルの方の腹筋。弱いのは分かっていたけどマジに大変でした。内転筋と骨盤腸筋の方が意識しやすいから使っているみたいでまだ楽でした。その後パソ。ゴルペとドブレとタコンの組み合わせのやや早めのパソをやったのですが、エクササイズで意識した筋肉が全くつかえなくて一苦労。パソがちゃんと地面に届いていない、と指摘を受けました。「もっと足の裏を使ってコントロールして。パソのコントロールされるんじゃなくて、自分がパソをコントロールするのよ」と言われました。パソのリズムが早いと、パソに気を取られてきちんと足が打てていないということがどういうことか今回身体で理解しました。きちんとしたゴルペも。もっとゆっくりの速さから自習しないと上手く行かないかも。きちんとリズムを感じて、きちんとゴルペとドブレが打てないとこのパソを自分の物にはできないみたいです。同時に自分の体が崩れていくのもようやく自覚できました。発表会が終わって基礎練習ばかりですが、実は私、こういった基礎練習はとても好きです。自分の体と向き合ってしっかり踊るための積み重ねがとても大事だと実感し始めているため、重要さも良く分かってきたのもあるかもしれない。下手に曲目決めて振りつけやってしまうと振り付けにだけ気を取られて基礎がおろそかになりやすいんですよね。ですので実は大変ですがとても楽しかったりします。とりあえず来週までにちょっと複雑なこのパソを習得しなくては!がんばろーっと。あ、映画「イベリア」も見に行かなきゃ。
2006.04.19
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「覚悟を決める」と言うとまるで自決でもしそうですが、そうではありません。肝が据わった状態と言えばいいのかもしれません。人間、何かを気にしてあがいている時ほどみっともない事はありません。そんな時ほどその人の良く無い面が出るものです。下心、打算、利己的な部分、そういったものが全て出ます。同時に人の器の小ささをも映し出すのです。そしてそれは相手または周りの人に伝わり、あまり良い印象を与えません。ですから下手にあがけばあがくほど人からの誠意も引き出せずに悪い方に転がっていくのです。一方で「覚悟を決める」とその人の良い部分が出てきます。信念や情熱、動じなさが現われます。人の器の大きささえも感じさせるのです。そうすればその人の誠意が伝わり周りもそれに応えてくれます。よく大きなトラブルが発生した時にその人の器が分かる、というのはこんな事からきているのだと思います。責任の重さを恐れて逃げれば、余計なトラブルに発展します。逆にその重さを恐れずに立ち向かえば思った以上に早く解決する事が出来るのです。ですから何処で「覚悟を決める」かが大切になってきます。出来るだけ早く「覚悟を決め」肝を据えてことに立ち向かえば大変ではありますが解決は早いのです。もちろんだからと言って不用意に自分に関係の無いことまで全てを背負い込めと言うのではありません。その責任の所在はちゃんと確かめるようにして下さい。物事の解決には多大な労力が掛かります。だからと言って覚悟を決めずに先延ばしの言い訳だけしていると余計にこじれてしまいます。出来るだけ早く「覚悟を決め」て解決をし、残りの時間を自分をよりよくするために使ってはいかがでしょうか?次回は「幸せというもの」です。
2006.04.17
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ものすごく当たり前の話ですが、仕事に行き詰まったら上司、同僚、友人に相談をしましょう。出来れば「そんな事を気にしてても仕方ないよ」と慰める人には相談はしないで下さい。意味がありません。同時に「こうしなきゃダメ!」と自分のやり方を押し付ける人も辞めましょう。そのとおりにしないと貴方が悪者扱いされてしまいます。ところで何故仕事に行き詰まるのでしょう。一番の理由に「方向性が間違っている」と言うことがあります。ちなみに最初から間違えている場合と途中から間違ってしまった場合とあります。どちらも方向性の確認を怠った貴方自身の問題です。不安になったら勝手に判断しないで、一度上司に方向性の確認をする事によりその行き詰まりを避ける事が出来ます。仕事には方向性があります。何処に向かってどんな目的でその仕事が位置付けされているのかを明確にしてください。ここが誤っていなければあまり行き詰まると言う事はありません。二番目に自分の見方が偏って狭くなっている事が有ります。一つの方法しか無いと思い込んでいる場合にも仕事に行き詰まりを感じます。一度その仕事を遠くから眺めたり、角度を変えてみてください。そうすれば脱出するヒントが得られるでしょう。三番目に仕事相手が納得してくれない、という場合もあります。しかしこれも二番目と同様自分の見え方、考え方を変えてアプローチ方法を変える事によって解決する事が出来るものです。仕事の行き詰まりの多くは自分自身の思い込みや視野が狭くなっていることから発生する事が多いのです。一度別の角度からしっかりと方向性を見定めてその仕事を位置付けてみてはいかがでしょうか?明日は「自分のこと好きですか?」の予定です。
2006.04.16
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「思い立ったら行動をする」を実行する。何を当たり前な・・・と思った人は普段から思い立ったら行動してきた人です。ところが世の中には自分を含め思い立っても直ぐに行動に移せない人がいます。その理由は様々です。未知のものに対する恐怖。以前の失敗に囚われてしまっている。考えすぎて身動きが取れなくなってしまっている。ただ単に面倒くさい。一番大切なのは実際に自分が「やりたいか、やりたくないか」です。実際にやりたいと思えば貴方は万難を排して実行するし、やりたくないと思えば何かと理由をつけて言い訳をするのです。だけど厄介な事に人は時に「やりたい」のに言い訳をして「やらない」選択をします。そして後で後悔するのです。これをしないためにはとにかく何も深く考えず「思い立ったら行動する」様にする事が一番の処方箋です。完全に最後までやれなくてもとにかく取り掛かったと言う事実が大切なのです。実際に「思い立ったら行動する」をすれば、何故やろうとしなかったのかが自分でも不思議に思う事がたくさんあります。また実行さえしてしまえば後で何時までたっても「やれなかった」事にどこか心を奪われたまま、ということは有りません。とにかくまず「やりたい」と思ったら何が何でもやろうとしましょう。どうしても日程や都合が悪くて出来ない、という以外は実行するように心がけましょう。次に「でもなぁ~」と思ったらその事を全て紙に書き出しましょう。そしてその言い訳をやる気にさせる事を全て書いていきましょう。何時までも言い訳をして、それに逃げていては自分自身は変えれません。言い訳が出来ない状態に自分を置けば自然と実行せざる終えなくなり、実行してしまうものです。そしてどうすれば自分は実行するのかを把握しておきましょう。どうしても言い訳して逃げようとしてしまう時、その方法で実行するようにするのです。そうすれば言い訳自体をしなくなっていきます。物事は実行しないと意味が無いのです。つい言い訳して自分が何もしないままだと自分を堕落させてしまいます。そうならないためにも「思い立ったら行動」をするようにしましょう。明日は「ビジネス村のルール」です。
2006.04.15
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今日同じ派遣元の同じ会社に勤めている派遣仲間の女の子が交通事故で腰の骨を骨折、自宅療養しているという話を聞きました。最近見ないなぁと思ったら・・・。(フロアが違うので話があまり伝わってこないのです)私が先週の水曜日に事故をやった前後で事故をしているそうです。車を避けようとしてぶつかったとか。それに比べたら自転車が潰されたとは言えども、あざ2箇所と腰と股関節の挫傷で済んだ私って運が良かったと思いました。下手すれば今ごろ病院のベッドの上だったかもしれない。とにかく自由に動けるということは幸せなことだなぁと思ったのです。他人の手を借りずに行きたい場所に行きたいときにいけると言う事。動きたいように動けると言う事。それは他の何にも代えられない幸せな事だと言うのをしみじみと感じました。幸せと言うのは日常生活が普通に出来ることも入るんですよね。当たり前すぎて私たちが忘れてしまっている事こそ幸せの基本と言えるのかもしれない。それ以上の「幸せ」と言うのは「至福」と言うのかもしれない。もちろん色々な事で心が満たされる事は「幸せ」です。でもその自分を満たす幸せになるためには自由に動くことが出来るという前提があってなる幸せでもありますよね。「幸せになりたい」とみんなが言うけれど、本当はみんな既に幸せな状態になっている。慣れてしまっているから幸せを感じなくなっているだけ。今ある幸せにも感謝しないと更に幸せになる事は難しいのかもしれない。というような事をつらつらと思った一日でした。明日は「自分を変えたい」の予定です。
2006.04.14
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「相手の事を考えると言う事」はどういうことか分かっていますか?「相手の事を考える」とはその人にとって何が良いことなのかを類推して実行する事で有るのは間違いないと思います。ただその行動の仕方が大切なのです。相手の事を考えたうえでの行動が時には逆にとられたり、まるっきり違う方にとられる事はありませんか?その時貴方はどう思いましたか?「そうか、この人はこう言う風に捕らえて考える人なんだ」「おや?何でこの人は今回はこう言う風に捉えたんだろう?何かあったのかな」と思いましたか?または「ひどいわ!貴方の為にやったのにどうしてそんな風に曲がって取るの?どうして分かってくれないの」と思いましたか?もし貴方が本当に相手のことを考えていたならば、前者のように思うでしょう。人を一人理解するのは時間がかかります。また仕事とプライベートではその人の対応はまるっきり違ってきます。状況や時間帯、その他諸々の要素が入った場合も人の対応は変わってくるのです。ですから相手のことを考えた行動をした時に前回と同じとか完璧なものと言うのはありえないのです。もし貴方が後者のように考えたなら、貴方は無意識に相手に「相手の事を考えて行動できる自分」をアピールしたいと思っているのです。こうなると本当に相手の事を考えると言うのとは違ってきます。相手がどう思うか、どうしたら喜ぶかと言う事より「相手からの自分への評価」にこだわってしまい、本当に相手のことを考える事が出来なくなっているのです。自分のやったことは相手のことを考えているのだから、自分の評価はそう出てこないとおかしい。相手は自分に感謝するのが当たり前。という風に考えていたら要注意です。相手の事を考える、というのは結局相手が心から満足して感動しないと「相手の事を考える」とは言えないのです。そこに貴方への評価は関係有りません。自分への感謝が無くても相手が満足した事に満足した時に、貴方は本当に相手のことを考えて行動したと言えるでしょう。もし貴方が打算や自己アピールを考えて行動すればそれは相手に伝わります。無意識に「ほら、私ってあなたのことを考えているでしょう?良い人でしょう?」と言うことが伝わるのです。ある程度の人は騙せても少なくても人を見る目がある人には必ず伝わります。また下手に出るのも相手の事を考えると言うのとは違いますので気を付けて下さい。相手ことを考えて行動すると言う事と下手に出る(へりくだる)と言うことは天と地ほどに違います。たまに勘違いされている人がいるので念のため。相手の事を考えて行動するなら自分への見返りを期待するは辞めましょう。本当に相手の事を考えて行動した時は相手が満足した事に満足出来るものなのです。そうできる自分になりませんか?次回は「覚悟を決める」です。
2006.04.13
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火曜日のレッスンは先生がお休みでした。先週のプランタ・タコンのコンビネーションのパソをやって、パルマの練習をして、ジャマーダからレマーテまでの個々のものを代教の方に見てもらいました。何故かパルマの裏打ちが出来なくなってしまっていて「あれ~??」って感じでした。うーん、生理前になると基本的にリズム感が狂うのでそのせいかとは思うけどちょっとショック。ジャマーダからのはまた首でリズムを取る悪癖が出ているのを指摘されました。やばいです。水曜はジャマーダからレマーテの流れが何時の間にか「一通りの個々のブレリア」になっていました。出てくるところから帰るとこまで全部、って言われてないから考えてないです先生!!とは言えず結局発表会でやったハレオ(ブレリア)を使う事に。お願いですから即興はまだまだできないのですから勘弁してください~。でも去年もそんな感じだったから考えておかなかった方が悪いんですけどね。プラス、ジャマーダからレマーテまでのちょっとしたパソを教えてもらって、それを来週までにオリジナルのレマーテをつけてきて欲しいと言う宿題も出ました。今回指摘された事で印象に残ったのは「ブレリアをクルシージョで習ってくるのはいいけれど、習ったとおり一通りをだらだらやるのは辞めて」と言う事でした。気に入った振り付けを教室でやるのは構わないけど、ただの発表の場にするのは辞めて欲しい。ちゃんとコンパスをわかって、アクセント出して「フラメンコ」を踊るようにして。長さとか色々考えて、切ったり、増やしたりしながら応用力をつけて自分のブレリアをみせて欲しいと仰ってました。これは教室の人が二人ばかり習ってきたのをやったのはいいけど思いっきりコンパスを外してしまっていた為の指摘だと思います。やっている最中に「あれ」と思うことがあることに対してあまり厳しく怒らないけど、ずれているのに無視してやり続けている事がとても不愉快なんだと思います。確かに決まった型みたいなものは有るけど、個々の力で幾らでも自由になるのがフラメンコだから余計習ったとおり、習ったまま、しかもコンパス感が無いままなのは先生にとっては我慢できないのでしょう。その先生が求めるような本当にフラメンコを理解した踊りを踊りたいなぁと今回の指摘では思いました。さて、来週までに宿題何とかしないと・・・。
2006.04.13
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服装を変える。手っ取り早く自分を変えたいと思うのなら、見た目を変えるのも一つの方法です。例えば服装をきちんとしたスーツを着てみる。すごく男性受けの良い人の格好をしてみる。セレブの服のデザインに近いものを揃える。ここで大切なのは上から下までキッチリと揃えてしまう事。何処か一つでもいい加減なことをしてはいけません。そうしてそういう人になりきってみる。これが意外と大切。恥ずかしがっていてはいけません。自分で自分に魔法をかけてしまいましょう。いわゆる日常着のコスプレ状態ですが、意外とこれが効き目あります。形に拘れば所作にも拘りたくなります。所作に拘れば行動も拘りたくなります。行動に拘れば物の見方も自然とその形のものになるのです。そうなれば周りの扱いもその形とおりの扱いになり、尚更中身のその形に近くなるのです。形にこだわれば自然と本質も理解されていく。と言うのは日本の歌舞伎とかの文化に元からあるものです。もし貴方が経済的に厳しいと言うのであれば、別に全ての服を変える必要はありません。一とおりだけでもキッチリ揃えればいいのです。兼用・応用は最初は考えなくても大丈夫です。それを考えると逆に自分を変えれなくなります。そのうち日常の思考回路もその形になるため自然と服装が入れ替わり、思考も入れ替わります。もし何をやっても自分を変えれない、というのであれば一度試してみてください。明後日は「自分のこと好きですか?」の予定です。
2006.04.10
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新年度が始まりました。新しい部署に異動になった人、新しく転職した人、新社会人など色々いると思います。また同じ部署にいながら新しい仕事を任されて人もいるのではないでしょうか?新しい仕事をしていくと最初のうちは勝手が分からず右往左往するものです。ですが勝手に解釈して勝手に仕事を進めると後でとんでもない事になったりします。ですから仕事がよく分からなかったら訊く事を徹底しましょう。もちろん訊き方にも礼儀が必要です。物事がわからずイチから訊いていいのは3回までと心得てください。5回も6回もイチから訊かれると教えるほうは「いい加減覚えやがれ!!」という心の中で叫んでしまいます。同時に「この人は仕事を覚えようとしない使えない人材だ」と思われかねません。しかし初めての仕事を3回聞いただけで完全にこなす事は出来ないものです。その時は自分が何が分からないか、を明確にしてください。一度に幾つモノ仕事を説明されるとごっちゃになってどれがどれだか分からなくなっているのか、本当に1から分からない(教えてもらってない)のか、最初の出だしがわからなくなっているのか、最初の手順しか覚えていないのか、教えてもらったのに思い出せないのか。それによって訊き方を変えればみんな快く教えてくれます。「あの先輩、すごく意地悪で全然教えてくれない」と言う人がたまにいます。本当に意地悪で教えない人もいますけど(特に女性)、そういう場合意外と本人の訊き方が悪かったりするんです。会社の先輩、上司は貴方に仕事を手取り足とり教えてくれる先生ではありません。貴方を教える事だけが仕事ではなく、忙しい仕事の合間に貴方を教えているのだと言う事を心得ましょう。忙しい仕事の合間に何回も何回も同じ事を1から教えていたらまいってしまいます。もし幾つモノ仕事を教えられごっちゃになってしまっていたら「この仕事は××の手順でよろしかったでした?」と訊けば親切に教えてくれるでしょう。1から分からないのであればまず「この仕事説明して頂いてましたか?」と訊き、一度訊いた事であれば素直に覚えていない事を謝って訊けばいいのです。覚えていない事をはっきり認める人のほうが、訊いていないと言い張る人より余程良い印象をもつものです。同時に仕事の説明を聞いたときにその仕事の仕方そのものを「え~っ、そんなのおかしい」と真っ向から否定をするのは辞めましょう。おかしいと思った事はメモしておいて、自分が改革できる権限が出来た時に変えればいいのです。仕事と言うものはチームワークが大事です。無理に「お友達」になる必要はありませんが、良好な関係は必要です。先輩・上司と良好な関係を持つためにも仕事の訊き方にも注意を払いましょう。明日は「自分を変えたい」の予定です。
2006.04.09
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生きていく中で大切なのは何でしょうか?愛・お金・健康・友達・家族・希望・夢・・・などなどたくさんあるでしょう。でも失敗しても「やり直す勇気」も必要ではないかと思います。「やり直す勇気」こう書くとすごく簡単な事にも思えますが、実はある意味とても大変な事なんです。特に一度大きな失敗してしまった後、もう一度同じチャレンジをしようとすると身体より何よりまず心が怯えてしまいます。「また、同じ失敗をするんではないか」という不安で心が一杯になって動けなくなってしまう事があります。次に周りからの圧力があります。「どうせまた同じところで失敗するんだから止めておきなさい」そういった圧力に負けたことの無い人もいるかもしれません。しかし失敗した後にそういった強い圧力を受けてしまった場合、心がなえてしまう事があります。ここで言いたいのは不安で心が一杯になったり心が萎えてしまう事が悪いわけでは無い、ということです。どうしても失敗が続いてしまうと余計に物事が上手くいかなくなる傾向があります。いわゆるマイナススパイラル。失敗→萎縮→消極的になる→失敗に怯える→失敗する(最初に戻る)私も経験ありますがこれに入ってしまったらなかなか抜け出せません。でも「自分なんて」なんて思わないで下さい。それでも「その先に行くために」「やり直す勇気」をもってください。まずはそこが第一歩です。また失敗したらと言う不安があるのは分かります。周囲の圧力がつらいのも分かります。しかし別の角度からみればそこまで「失敗するパターン」が出尽くせば、それをやらない様に計画を立てれば次には「失敗しないパターン」が見えてくるモノです。「失敗するパターン」にはまったのは貴方に失敗しないパターンを教えるための贈り物だったかも知れません。もし貴方が「失敗するパターン」にはまったまま「やり直す勇気」をもたずに辞めてしまったらそれこそ勿体無い事です。失敗したら何処で失敗したのかを考え、それを改善して実行する「やり直す勇気」を持ってください。特に女性は失敗すると引きずってマイナススパイラルにはまる傾向があるので特に気をつけましょう。もし自分ひとりでは浮上・やり直す勇気がもてない時はとにかく前向きパワーの強い人に相談するといいでしょう。失敗したからと言ってそこから逃げ出していたら自分らしい生き方は出来ません。自分らしい生き方を自分に与えるためにも「やり直す勇気」を忘れないで下さい。次回は「相手の事を考えると言う事」です。
2006.04.07
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昨日のフラメンコの帰り道で車に轢かれました。自転車が車の下敷きになりヘシャゲました。とりあえず私は左足の打撲で左ふくらはぎの少し下の足首の上に大きなあざが出来たくらいですみました。理由は車の前方不注意。細い路地から幹線道路へ合流したくて右ばかり見ていたために左からきた私(自転車)に気付かなかった事。会社があり、その前が注射スペースになっていて、ぎりぎりまで車が止まっていたから少し見通しが悪かったんですよね。車が出てきたのに気付いて私がギリギリで止まったのに関わらず、向こうは合流する事ばかり気に取られて全然前見てなかったから、そのまま徐行して左折してきたんです。こちらはギリギリで止まったのとレッスンの帰りの大荷物のため身動きが出来ず、逃げられず前輪が巻き込まれました。それなのに相手の人最初何事も無かったかのように逃げようとしたので、思わず車の前に立ちはだかって思わずボンネットに足を乗せてしまいました。(パンツルックだったから・・・)それでようやく降りてきたんですよね。その人。50代の女性。それまで自転車を巻き込んだ事さえも気付いてなかったみたい。自転車の弁償どうするかで始まって結局警察へ。最初事情徴収でちゃんと前方見ていたとか言い張ったおばさん。私が睨んで「じゃあなんで前方や左を見ていたのに自転車轢いたの?普通きちんと見ていたら気付くでしょう?」ととても冷たい叱り口調でいったら反論できずに黙ってしまいました。結局交通かに来てもらって現場検証。自転車を見た警察の人は「これは確実に前方不注意だね。見たいたらこんなふうになるように轢かないもの」と言っていました。そしたらおばさんは「車とか止まっていて見通しが悪くて・・・」と抗弁。しかし警察は「立ったら余計に良く見て気をつけていないといけないでしょ」と諭していました。とりあえず自転車は弁償して貰いましたが、おばさんは最初「病院へ行くと保険が、いかないなら示談で・・・」とばかり行っていました。つーか気になるのは分かるけど(車持ってますから)相手への気遣いは一切無いのかおばはん!!というが第一印象でした。これで歯科衛生士だというのだから困ったもんだ。皆さんも保険とか色々気になるとは思いますが、相手への気遣いをちゃんと忘れずにしてくださいね。まあ、結局左の股関節がそれからおかしいので病院へは行こうと思います。来週のフラメンコのレッスンできるのかしら。診断書取ってこなきゃ・・・。
2006.04.06
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発表会終わってようやくまとも(?)な練習です。今年の課題も一人一人の踊りの質を上げる、です。火曜日はパルマのレッスンとジャマーダから抜けるまでの練習。(一人づつ)今までやったブレリアの中のジャマーダをやって一人一人の踊りの質を上げるためにどうしたらいいかをアドバイスされました。見ているだけで一人一人課題が違うのですごく勉強になりました。先生のアドバイスを聞いていると「なるほど!」と思う事ばかりでした。しかし他人へのアドバイスだけどそれはある意味自分のアドバイスにも取れる事がほとんどで、ただまだのアドバイスされるまでに至ってない事にも気付きました。水曜はパソの強化の為にプランタタコンの練習。ただしコンパスを感じながらやると言うもの。思ったより難しい。特にタコンが弱いのが分かっているから余計大変でした。プラス・ジャマーダの続き。私の番が来て一人で真ん中に立ったら、以上に緊張して身体が固くなるのが自分でもわかりましたね。 音をきちんと聞きながらやろうとしてたら、「考えながら踊らないで」と先生から指摘を受けました。後、アクセントがきちんと出ていないと言う指摘。自分でも気付かないうちに平坦にやってしまっていたみたい。気をつけなければ。来週もそれぞれの課題をもう少しまともにやれるようにと言う所で今週は終わりました。今週の先生のお話で一番印象に残ったのは「身体をきちんと作らないで自分をちゃんと持ってスペインに行かなければ幾ら長期間行っても意味が無い」ということでした。確かにスペインに行くのは大事だけどそのニュアンスとかをその場で取ってなんとなくそんな気になっても結局日本に戻ってきたら同じ。元々スペインと日本では生活習慣が元から違うから、起伏の激しいスペインの習慣とそれを表現しようとする私たちは、日本の起伏の無い生活をしているなら尚更気をつけないとフラメンコにならない。同時に自分がどうありたいかをちゃんと持っていないと何をやってもそれっぽいもので終わってしまう。現在は昔と違って日本人がうじゃうじゃ留学しているけどはっきり行って行くだけだったら何年いても変わらない。 という話でした。これは一人ウチのクラスで留学を考えている人がいるのを知っていていった事ですが確かにそのとおりなんですよね。目的なしに何かやってもそれっぽくはなるけど、自分がどうしたいかがはっきり分かっていない限りそれをちゃんと理解し、自分なりに消化して物にする事は難しいのです。それは普段の生活でも同じですよね。また一つ勉強になりました。
2006.04.06
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「上の人の視点」と言うのを知りましょう。ここで「そんなもの知りたくない」と言う人もいるかもしれませんが、人はみんな自分の人生の経営者。上の人の視点は知らないより知っていたほうがより良いです。例えば「長期的・将来的視点」。これがないということは羅針盤もなく地図も無く船で航海に出るようなものです。あっち行ったりこっち行ったりさまよった挙句、何にもならないことがあるのはこの視点に欠けるからです。仕事とか勉強などで時折「何でこんな事必要なんだろう」と思ったときにこの視点を思い出してください。「こんなもの」が長期的に見ると「とても大切な事」だったりします。次に「全体的・マクロ的視点」。以前に「ビジネス村のルール」の中で自分の役割を知ると言うことを書きましたが、それがこの視点によるものです。三つ目が「本質的・根本的視点」。表面的な事象の奥に隠された本質を見抜こうとする視点、と言っていいかもしれません。学生でも社会人でも先生(上司)にむちゃくちゃに言われて腹が立ってそれを発奮材料にして頑張ったら良い成績を修められた、ということは無いでしょうか。ここで本質的視点で見ると先生(上司)がむちゃくちゃ言ったのは貴方がやれば出来るのにやらないのを本気を出させるためと言う見方が出来ます。最後が「多角的多面的視点」になります。これは自分とは違う立場を受け入れてその人と立場で考えてみたり、と言った視点です。これがあればたとえ教師や上司が無茶を言ったとしてもどうしてそういう無茶を言うか、自分がどんな立場ならそういうことを言うかというのを考えると解決しやすいでしょう。もちろん、今上にたっている人たちが全てこの視点があるとは限りませんが、どれかひとつくらいそういう視点を持っているのです。そして貴方もその視点で仕事だけでなくこれから先の人生設計もこの進展で考えたらあっちこっち迷わなくて済むようになるかもしれません。この四つの視点について詳しく知りたい方は「稼ぎ力ルネッサンスプロジェクト/渋井真帆著/ダイヤモンド社刊」を読んでみてください。ちなみに私もこれで3歩進んで2歩半下がるを繰り返しながら勉強中。少しずつ変わってきてますのでぜひ実践してみてくださいね。明々後日は「自分のこと好きですか?」の予定です。
2006.04.03
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ベストセラーになっているので、今更といえば今更なのですがようようやく手に入れて読みました。というより読んでいる最中です。まず感じたのは「ああ、今だからこれ読んでとっても為になるなぁ。ちょっと前や一番話題の頃なら一度読んでそれっきりだったなぁ」という事。人生の必要な時に必要なものが与えられる、ということはこう言うことでは?と思わず思ってしまいました。同時に「どれだけの人がここに書いてある事を実践するんだろう」と言う事でした。読んで読み物としても面白いけどこれは実践して意味のある本です。でも中に書いてあるように「本田さんだから出来たんだよね。例えどんなにいわれようと自分には無理」と思ってやらない人も多いのかもしれません。「同じような事が私にも訪れたら本田さんみたいに慣れるのに」と勘違いしている人もいるかもしれません。またやり始めても最初の1週間だけで終わる人もいるかもしれません。結局本棚の隅に追いやられて忘れられ、挙句の果てブックオフに持っていく人もいるでしょう。自分以外の何らかのせいにして。結局これは人生の真理のお話なので目先のお金の事にこだわる人にはまるっきり役に立たない本だといえるでしょう。そもそも資本主義経済とはどういうものかを知らずに読んで為になるのは学生ぐらいでは?とも思いました。逆にいうと一般社会人で資本主義経済や株式会社を理解していればこれはすごく為になる本です。私も呼んでいる最中「そうよね、そのとおりだわ」「うーん、この視点は私には足らないわ。いい事に気付かせてくれてありがとう」と思いましたが、もし私が経済の勉強(経済学の勉強ではありません。気を付けて下さい)してなければただの読み物で終わっていたかも、という恐怖心が起こりました。良いものも悪いものも人のバックボーンによって捉え方が違う。と言うのは聞いていましたがまさか一冊の本でそれを実感するとは思わなかったです。さて貴方はこの本を良い教科書にしますか?それともただの読み物で終わらせますか?
2006.04.02
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仕事をしていると使われる人と使う人がいます。その違いは何だと思いますか?役職でしょうか?立場でしょうか?年齢でしょうか?係長・課長・部長といった役職についても上の言う事をそのまま下に言うだけの人や、責任を下になすりつける人は結局は人に使われているだけと思いませんか?経営者と言う立場にいても結局は取引先の力関係の上の人にいいように使われている人もいますよね。年齢がある程度行っていても年下の上司にいいように使われている人もいます。一体何が違うのでしょう。実は一番は自分の意識の差なのです。使われている人は自分が「使われている」という意識がまるっきりありません。そして志も低く、あまり働く事に喜びを感じていません。また「働くと言う事」がどういうことなのかも考えた事がありません。ですから使う人にいいように使われるのです。一方使う人は自分がどうありたいかをちゃんと胸に秘めています。また「使われている」時にそのことに気付いています。同時に何処まで使われていいか、何処からは拒否するかをちゃんと持っています。ですから相手のいいように使われないのです。よく「仕事に魂を囚われるな」と言うのもそういう事だと言えるでしょう。ビジネスに置いて使われる人は報われず、私利私欲で使う人も報われず、全ての利益を考えて使う人は報われます。貴方はどれになりたいか一度じっくり考えてはいかがでしょうか。明日は「自分を変えたい」の予定です。
2006.04.02
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