『穴沢ジョージのアナザー・ホームページ』
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“La Plus Belle Pour Aller Dancer” by Sylvie Vartan (1964) しばらく書かないうちにお盆も過ぎて、吹く風が秋です。 いろいろあった夏でしたけど、驚いたのは甲子園。慶応が出てきたね。2年前には早実のおかげで『都の西北』を何度も聞いたけど、甲子園で『塾歌』が聞けるとは夢にも思わなかった。ありゃ名曲だね。♪ ああっ我が義塾、慶応 慶応 慶応・・・ってね。一方『都の西北』は、♪ 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田 早稲田・・・7回も連呼しているのか。 ♪ 白雲なびく駿河台 ~ おお明治・・・とか、♪ 若き我らが命の限り ~ 法政っおお我が母校~・・・とか、六大学の校歌はなかなかいいですが、すみません、東大と立教がわからない。 甲子園の慶応高校で何が一番うれしかったかって言えば、頭髪だね。坊主頭が一人もいない!昔からだけどね。こういう伝統を頑なに守ってくるのもなかなか大変だったろうね。なにしろ、お寺と無関係の普通の高校や中学でも、野球部といえばたいていが全員坊主頭の集団で、それをおかしいとも思わない人の方が多いような国だからね、ここは。ベスト8は上出来だと思うけど、できれば、炎天下に光る若い黒々とした頭髪をもっと見せつけてやって欲しかったね。 そういえば、赤塚不二夫が亡くなったね。テレビで知ったんだけど、一瞬、あれ?まだ生きてたんだっけ・・・などと、大変不謹慎な、失礼なことを思ってしまった。 赤塚漫画にはずいぶん世話になったから、やっぽりさびしいなあ。 初めて少年サンデーで『おそ松くん』を読んだのが中1の時だった。おそ松、チョロ松、カラ松、トド松、一松、十四松ってすぐに暗記して言えるようになったのが自慢だった。しかし六つ子を主人公にするとは、大胆な発想だったねえ。 それまでも比較的すぐ読めて1話で完結するギャグマンガが好きだったけど、『おそ松くん』のおかげで、それ以降の漫画はずいぶんおもしろくなったっけ。 少年サンデーはその後もけっこう読み続けたが、レコードを買うようになって、あまり買わなくなった。両方買えるほど小遣いをもらっていなかったからだ。 レコードといえば、それまではもっぱら、上京した5つ年上の兄が置いていったプレスリーやレイ・チャールズを聴いていたが、中2の時初めて自分の小遣いで買った。『大脱走のマーチ (サントラ盤)』だった。いや、それ以前にもソノシートは何枚か買った記憶があるが、肝心の中身を覚えていない。 なぜ『大脱走のマーチ』かって?・・・それはつまり、ちょうど中1の終わり頃にブラスバンド部に入ったからですよ。でも、欲しかったレコードはほかにたくさんあったのになあ、どうして『大脱走』なんか買っちゃったんだろうって、ずいぶん後悔もしたのを覚えている。 中2から中3にかけて買ったレコードは1枚も残っていないけれど、全てシングル盤と4曲入りのコンパクト盤だったことは間違いない。30センチのLPは高校生になるまで買えなかった。 一番買ったのはビートルズで、それでも4枚ぐらいだったか。あとはキングストン・トリオの『花は何処へ行った』とか・・・。他にも何枚かあったけど、あまり覚えていないなあ。もしかするとそれくらいだったのかなあ。 けど、絶対忘れられないのが1枚ある。シルヴィ・バルタンの『アイドルを探せ』だ。発売日にわざわざ電車に乗って県庁所在地まで買いに行ったからね。中3の秋だった。 初回のジャケットは、その後良く目にした上目遣いの正面を向いた青っぽいやつと違って、バルタンが横向きのやつで、この世のものとも思えないその美しさに魅せられて、四六時中眺めていたもんだ。 宝物のように大事にしていたはずなんだけど、あのレコードも何処へ行ってしまったんだろうか。 そんな時代だったが、同級生の T沢の家に遊びに行くと、文字通りレコードが山のように積んであった。主に歌謡曲だったが、その中にクレイジー・キャッツやポールとポーラなんかがあったのは、とてもうらやましかった。 T沢の家は洋服屋で、といっても洋品店ではなく、テーラーだから、いつ行っても父親は頭に手ぬぐいを巻いてミシンを踏んでいた。もしかすると仕事の合間に父親が聴いていたレコードもあったかもしれない。 ブラスバンド部にはT沢と二人で入って、後に彼は部長に、僕が副部長になった。トランペット吹きで、家にはギターもあって、音楽は好きだったから、僕にはとても良い仲間だったわけだが、彼はいわゆる「悪ガキ」で、しょっちゅうちょっとした暴力騒ぎを起こしたり喧嘩をしたりしてばかりいて、いつも先生に叱られていた。が、ブラスバンド部では最後まで部長としてしっかりみんなをまとめていて、トラブルはなかった。 クラスにはもう一人 N島という典型的な「悪ガキ」がいて、この二人で時々ちょっとした授業妨害みたいなことも起こしたりしたが、N島もT沢も、授業中はかなりおとなしかったという記憶がある。あれはたぶん、放課後に備えてエネルギーを蓄えていたのだろう。 3年前の正月に、行方不明扱いになっていた僕を捜し当ててくれたおかげで、同級会(クラス会)に出ることができたとき目にした光景は、衝撃的だった。 40年ぶりに見たこの二人、あろうことか、さんざん叱られた先生をガードするように両側から挟んで、ニコニコしているではないか。それを見ただけでも出席した甲斐があったと思ったものだったが、意地悪な僕は「信じられない光景だなあ」とからかうと、二人は異口同音に「さんざん迷惑かけたからなぁ」と、真顔で言っていた。 お盆にまた中学校の同級会があったので、3年半ぶりに出席した。 今回も N島・先生・T沢のスリー・ショットを期待して行ったのだが、出席者が12人と少な目で、先生は入院中とのことだった。すっかり好々爺になってしまった N島の隣に座って「T沢は?」と聞いたのとほぼ同時に、幹事から報告があった。「残念ながらT沢君が喉頭ガンで亡くなりました」・・・。 3年前に会ったとき、たしかにT沢は「老けたなあ」という印象だったけど、死んでしまうなどということは考えてもいなかった。「音楽はやってるのか」と聞いたら、「楽器は大変だからなぁ、やってないよ」と答えるので、「ギターなら今からでもいいんじゃないのか。中学の時『禁じられた遊び』を弾いてくれたじゃないか」と言ったら、懐かしそうな目をしながら「そんなこともあったなあ」と言っていたT沢が・・・。 40年ぶりに会っても、酔っぱらってあいかわらず悪態吐いている姿は、中学校時代のT沢そのもので、誰の目にもほほえましく、ただただ懐かしかったっけ。 ☆同級会関連日記:歌い初め:ルイジアナ・ママ ☆バルタン関連日記:アイドルを捜せ
2008.08.21
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