2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全14件 (14件中 1-14件目)
1
☆祝!200号!!プレゼント開催決定!前号にてお約束しました200号突破!記念特別レポートプレゼントを開催します!その名も「超リアル版人生ゲーム攻略法(特製レポート)」です。「働くこと」や「超税金時代がやってくる」、そして「人生の攻略法」と3分野に分けて、これからを生き抜くための「ゲームのルール」をレポートしておりますこれからの混迷の時代を生き抜くための「ヒント」を凝縮しておりますので、年末年始の「箸休め」としても「新年からの決意」にもお役に立つモノと自負しております。特に新社会人や、学生、また「生き方探し」をしていたり、「起業家」予備軍の方には超オススメです。■超リアル版人生ゲーム攻略法(特製レポート)http://www.as-mode.com/freereport/index200.htmlお申し込みいただくと、ご記入いただいたメールアドレスにパスワードが届きますので、ダウンロードしてからお読みください。もちろん、感謝の気持ちですので無料です!!!200号記念無料プレゼント。何とか間に合いました。さて、特製レポートに追われて年末準備が疎かになっていたため、午前中に「アメ横」までいき「買い出し」をしてきました。「アメ横」行きは毎年恒例の行事ですが、相変わらずの「人混み」です。そして年々「親子連れ率」が上がっていくのが気になります。テレビなどで見たことがあると思いますが、年末の「アメ横」はもの凄い人混みとなります。しかもテレビで映っているところは「テレビカメラが入る余裕」があるところですので、実際の混雑はテレビの倍ぐらいと思っていただいて良いでしょう。あまりの混雑に自分の進みたい方向には動けず、ただ押されるままにただ流されるだけの状態です。押しつぶされたり、転んだりしそうになりますが、転ぶことも許されない程の人混みです。そんな中に子供連れです。・・・モチロン、危険です。中にはベビーカーで突入する猛者もおります。そして津波のような人混みがやってくる・・・というより人混みに自ら突っ込んでいるのですが・・・・と、「アブねぇだろ!子供がいるんだよ!」・・・オイオイです。子供は水戸黄門の印籠ではありません。そもそも子供の安全を考えたら、人混みの中に連れていく方が間違っていると思うのですが・・・皆さんはいかがお考えでしょうか? ちなみに本日見た「最強」は、だっこ紐で乳児をくくりつけた妊婦さん。6ヶ月の乳児をパチンコ店の駐車場に置き去りにするのは論外ですが、子供をどこでも連れ歩くことも愛情ではないと思うのですが。さて、この年末に来て悲しい事件が一応「解決」されました。奈良の「小一女児略取殺害事件」です。犯人逮捕されて地元の方はホッとしているでしょうし、ご家族の方も釈然としない思いを抱えながらも、とりあえずは落ち着かれるのではないかと思っております。そしてこの「犯罪者」が、「再犯」だったことや頻発する少女への性を含めた暴力事件に様々な議論が上がってきております。特に「前歴公開」は前々から話題になっていたモノで、性犯罪者の「前歴」を公開して事前に不審者に対して警戒しておこうというモノです。アメリカや韓国ではもう既に行われており、賛否はそれぞれですが、一定の抑止効果が見込まれています。とはいえ、「前歴公開」は「人権」に引っ掛かります。それは刑務所などの「懲罰」を「受刑」して、「刑期満了」となれば「罪はチャラ」というのが前提条件だからです。※厳密な単語の用法とは違いますがご容赦を。人身売買に対する処罰規定がない我が国日本ですが、なぜか犯罪者の人権には敏感です。その為「前歴公開」には「人権」の解釈が争点となることでしょう。しかし、頻発する「性(倒錯)犯罪」の場合は「前歴公開」をするべきではないでしょうか?それは見過ごせない「再犯率」の高さが証明しています。何故、「再犯率」が高いかというと、「性(倒錯)犯罪」が「癖(へき:くせ)」によりおこされているからです。「癖」とは「好み」と言い換えて良いでしょう。人にはそれぞれ「好み」があります。「好み」は環境によってもつくられますが、家族みんなが嫌いな食べ物を「好き」になる子供もでるように、その「好き」になる理由は千差万別です。そしてその「好き」を「キライ」になるのは大変なことです。女性好き、男性好き、オッパイ好き、オシリ好き、年下好き、年上好き、細目が好き、太めが好き、マッチョ好き、ヤサ男好き等々。「幼女趣味」もその中の一つです。誉められたモノかどうかは人様がとやかくいうことではなく、あくまで嗜好の問題ですから。但し、「好き」だからといって「法を犯してよい」理由もなく、また、「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは当たり前のことです。しかしそこで難しいなってくるのが「好きは止められない」と、いうことです。常識的な人間ならいくら好きでも「ヤッテハイケナイコト」はやらないという「常識」を持っています。これは「心のブレーキ」といっても良いでしょう。しかし、「犯罪者」はこの「心のブレーキ」が「リコール対象」となっている「欠陥品」です。そこに「好き」という「アクセル」が働くのです。つまり町中に「ブレーキの利かない暴走車」がウロウロしているということなのです。今の仕組みの中では、「暴走車」をどうにもできないのであれば、「このクルマは暴走車ですよ」というステッカーを貼るしかないのではということです。だって「犯罪者」に人権があるように、「被害者」や「一般市民」にだって「人権」があるのですから、私達にも「安全に暮らせる権利」があって当然です。でも、先ほども触れましたが、この国では「犯罪者」の「人権」ばかりが優遇されています。そして最近進められている「被害者の心理カウンセリング」はとても良いことだと思うのですが、それと同時に「犯罪者の心理カウンセリング」も必要だと思うのです。それは「犯罪者へのケア」ではなく「心のブレーキ」を「修理」して町中から「暴走車」をなくすためにです。また、この「暴走車」への抑止力としてテレビも新聞も「事件」だけを報道するのではなく「判決」を報道して、「こんなことすると○○年、別荘(刑務所)暮らしですよ~♪」と、「しらしめる」使命があるのです。年の締めくくりにあまり相応しくないネタですが、おめでたムードの時に「マスコミでは言えないこと」お送りしました。皆さん、よいお年をお迎えください!
Dec 31, 2004
コメント(0)
そんな訳で200号です。プレゼントするレポート用に原稿を書き下ろしていたら、こちらのメルマガにまでたどり着けませんでした。本末転倒ですね。すいません。それでは今日は早速の本題です。今日は「大納会」ということもあり、過去の「マスコミではいえないこと」の中でも反響が多かった「株」についてです。実は「株式」ってモノ凄く重要なことなのに、マスコミでも学校でも正しく教わったことがありません。本日は「大納会」といって、株式市場の「締め」の日で取引も今日の午前中で終わってしまいました。さて、世間を騒がせた売名行為のライブドアの株価はいくらになったでしょうか? 387円です。これがどれくらいかというと、「ライブドア近鉄買収」で大騒ぎになった頃の株価の半分以下です。このころライブドアの株は「急騰」したので、「株価の吊り上げ」と揶揄されたのですが、この「急騰」は「株式分割」による流通株の「希少化」と、堀江社長の「株価刺激期待」による「利食い」が目的の「急騰」でしたので、近鉄買収表明とは無関係だったのです。「株式分割」とは、一つの株を何個かに分けるというモノで、この場合、分割した産まれるほかの株はある一定の期間市場には出てこないルールとなっています。そしてその期間に出回る株は、分割した元の株だけになるのです。ザックリと説明するとライブドアの場合は、「10分割」でしたので市場に出回る株式は10分の1になったのです。これによりライブドア株は「レア」になり急騰したのです。「株式分割」したからと言って、必ず上がるわけではありませんが、その当時の「株式市場」では「分割株は上がる」という一つの「相場」がありましたので、その為の「利食い(利益をとる)」で、値があがったのです。ちなみに「売名行為」を取り上げるのなら、楽天もソフトバンクもチーム名に「社名」を入れる行為は何と呼ぶのでしょうか?また、暴君ナベツネが院政を引く、選手の気持ちを踏みにじることに痛みを感じないと思われる某球団は長らく続いた伝統の「TOKYO」というロゴを「社名」に変えたのは「売名」ではないのでしょうか?結局、日本のプロ野球はみんな「売名行為」なんですよね。株の話しに戻します。今年は「西武鉄道」の無茶苦茶なインチキが発覚しましたし、株の売買代金や取引高が「バブル期以上」となったりと「株式」が注目されていますが、いまだに「怪しげ」な印象を持っている方もおおいのはないでしょうか? 「株式の仕組み」が分かると「西武」と「堤」さんがどれだけ無茶苦茶なことをしていたことが分かりますが、一方、ライブドアの堀江さんやソフトバンクのブラックキューピー孫正義さんのやってることはとても当たり前のことだとわかります。語弊を怖れずに、モノスゴク平たくいうと「株式」というのは、「会社の所有権」を売ることであり、「会社の所有権」を売ることにより「資金調達」する方法なのですから、「株価」を気にすることは「企業価値」だけではなく、「資金力」もあらわすので、とても重要なことなのです。とかく「株式取引」の「ギャンブル性」が注目されますが、その本質は全く別のモノなのです。また、「株式取引」の「ギャンブル性」でも結構間違った常識がまかり通っており、それをメディアで堂々と言い垂れる「評論家」の存在も「誤解」がまかり通っている理由でもありますのでご注意ください。例えば先日あるテレビでしたり顔の「コメンテーター」様が、「株は上がるも下がるも50%で博打みたいなモノだから気を付け ろ」と。確かに「期待値」からすればその通りですが、これは無茶苦茶な発言です。株式取引が「丁半博打」であるなら、東京証券取引所は「賭場」ということになります。確かにそんな側面もありますが、「博打」か「投資」かはその参加者の心構え一つです。しかし、「博打」だとしたら「株式運用」というものは「運任せ」ということなのでしょうか?ぜんぜん、違います。いわゆる「ファンド」と呼ばれる「株式運用」には色んな性格のものがありますが「運任せ」の運用は一つもありません。基本的には複数の会社の株をもつことにより、「リスク分散」して「勝率」をあげているのです。トクにテレビに出てくる、経済アナリストや経済評論家の多くは的を射ない発言をしています。そしてそんな「知らない単語を羅列する人」のことを「なるほど」と、阿吽の呼吸でフォローする司会者がいます。こうしてメディアによって「誤解」が「蔓延」していきます。また、相場(株式市場全体)が下がっている時にでも、「利益」を取る方法はいくらでもあります。それなのに、一時期の銀行の不良債権や、保険会社の○月危機説は「株安になったから」と「嘘情報」が流されます。「株安」になって損をしたのは、「相場を間違えた」か、「バカ」だったのかのどちらかです。でも、そこを取り上げるメディアは皆無でした。私は皆さんに「株を買え」といっているのではありません。しかし、「株式」を知ることにより経済ニュースが「活きて」くることも事実なのです。ところで「大銀行み○ほ」関連のアナリストのお方が、11月中旬「日経平均は年末に向けて1万円を割り込む」と「予言」していました。本日、1万1488円、前日比107円高で引けております。まぁ相場はカンタンではありませんが、だからといって「博打」呼ばわりする「銀行系アナリスト」の発言はメモを取っておくと楽しめますよ。まるで「ノストラダムスの大予言」を、2004年12月30日の今日、読むようで。
Dec 30, 2004
コメント(2)
ところで「メリクリ」「アケオメ」「コトヨロ」を許せなくなったらオジサンなんでしょうか?そこまで言葉を省略しなくても・・・と思いますが、でも自分達の頃も結構「造語」や「略語」を作って楽しんでいましたので順繰りなんでしょうね。また、日本人にとって「四文字」というのは非常に納まりの良い言葉なんですね。例えば木村拓哉さんの「キムタク」、松平健さんの「マツケン」。「ガングロ」何かもそうですし、「パンピー」何かもそうですね。「グレフル(グレ?プフルーツ)」「ピングレ」(ピンクグレープフルーツ)までいくと、「ヤリスギ」という気もしますし、売り手の仕掛けが煤けて見えるのですが・・・。さて、とかく標的にされる「靖国神社」ですが、「ヤスクニ」と、表現することにより「敷居が低く」なっているように感じるのは私だけでしょうか?この「ヤスクニ」が海外からとやく言われるのは、彼の国々の内情による「アピール」が多分に含まれているのですが、国内からも、この「ヤスクニ」への批判が高まるのはイカガナモノカと思っております。私は一般的な日本人の緩やかな宗教観が好きです。何より「八百万」も神様がいるというアバウトさが大好きです。だから、クリスマスを祝えば正月を祝い、最近ではハロウィンも、何でも理由を見つけちゃ祝っているのでしょう。そしてこのいい加減さが救いになってる部分って多いんですよ。キリスト教徒が国民の8割を占める、あの「保守系ブッシュ勝利」のアメリカ合衆国では、ニューヨークを始めクリスマスに湧いている報道が日本には伝わってきています。しかし、アメリカには「12月のジレンマ」と呼ばれる議論があり、「脱、クリスマス」が進んでいるのです。それは、「政教分離」と「信教の自由」から、政府庁舎や公共施設では、キリスト教のイベントである「クリスマス」の飾り付けは、タブーとなっているのです。「クリスマスツリー」についても州によっては条例で禁止しているというのです。簡単にいうと「キリスト教徒以外もいるのに・・・」というものです。確かに少数に配慮しなければ多数の横暴に飲み込まれてしまうというのは解ります。しかし、「日本人的大らかさ」からすると、理解しがたいものではないでしょうか?権利を保護しすぎるがあまり、他方の権利を侵害するという状態になっているのではないでしょうか?「良いじゃないの。めでたいのだから。」は通じないのです。日本人は「YesとNo」をハッキリ言わないだとか、ジョークが下手だとか特定の状況下においての「卑下」がまかり通っていますが、私は「YesとNo」以外の「答え」があることを知っている日本人はスゴイと思いますし、日本人ほど「大らか」で「良い加減(イイカゲン)」を知っている国民は少ないのです。私の愛する足立区でも「光の祭典」といって、(中途半端な)イルミネーションで飾り立てて「クリスマス」を祝っております。サスガに最近では「クリスマス色」を減らしているみたいですが、最初の年は思いっきり「サンタパレード」をやっていましたからね。この「光の祭典」は足立区関係者からは「好評」の声を聞きますが、地域住民からも地域商店からもあまり「好評」の声は聞こえてきません。やり方が中途半場ですし、「意図」も「メリット」も見えてこないんですよね。だいたい「京都議定書」に反旗を翻すような「光のイベント」でエコロジーに真っ向勝負しておきながら、電車一本で行ける「東京ルミナリオ」の足元にも及ばない演出で、その開催期間もイベントのスケジュールも「お役所仕事」の範疇ですから。まぁそれでも何かイベントをして盛り上げようという「意識」だけは買います・・・が・・・ね。「メリクリ」から「アケオメ」、そして「コトヨロ」へ。「フィンランドの妖精」、「キリストの生誕」、そして、「太陽節」まで受け入れてしまう。クリスマスイルミネーションを見るたびに、この「良い加減」さを誇って良いと思う年の瀬です。
Dec 24, 2004
コメント(0)
以前より、このブログではたびたび「大増税時代がやってくる」と伝えてきました。■11/24号「公平さを追求するといつも増税」http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200411241200000000125990000■11/9号「引いて2で割って足した」http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200411091220000000125990000しかし、ここにきてのなりふり構わずの「増税」にはあいた口が塞がりません。「恒久『的』減税」であるはずの定率減税も、いとも簡単に廃止したかと思えば今度は「自賠責」まで値上げされます。この「自賠責」は自動車を持っている人の「義務」で「なにか」が起こったときの最低限の「保証」に当てられる保険のことです。※ザックリと説明しています。この自賠責には国からの「補助金」が使われて「援助」しています。国も実は細かなことで良いことをしてくれているのですが「義務」に対しての「援助」ですから「マッチポンプ」ですね。このマッチポンプを誤解を恐れずに分かりやすくいうと「1万円カツアゲして交通費だと千円返す」みたいなものです。とはいえ、この自賠責は交通事故被害者の最低限の防波堤ですのでありがたい「義務」でもあるんですが。そして今回、この「援助」を減らして結果的に「増税(保険料負担分ですので違いますが)」となりました。やれやれ。でも我が日本国の借金が秒単位で増え続けていますので、ある程度の国民負担は仕方がありません。■見ると溜息のでるサイト 日本の借金時計http://www.takarabe-hrj.co.jp/takarabe/clock/ところが、その一方「収益の不透明」な「新幹線」が作られることになりました。特に「福井駅」に関しては、まだ新幹線が通ると決まったわけでもないのに「駅」を整備して、そこに10億円です。国交省としてはその他の工事(えちぜん鉄道高架化)と同時にやった方がコストが安く済むといっております。これは無茶苦茶な論理です。そりゃぁまとめて一気に工事をした方が安く済むのは当たり前です。しかし、その工事がそもそも必要かという議論に答えは出ていません。でも、作ります。新幹線。通します。おらが街に。新幹線。そして「未納三兄弟」を産みだし、「解体的出直し」に取り組む「社会保険庁」がこれまたスゴイ。私達の「国民年金保険料」を流用して「プロ野球観戦」などしていたり、巨額の赤字をだした「グリーンぴあ」はやめることになりました。当然、批判の多い「国民年金保険料」の流用は「遠慮」します。その為「国民年金保険料」からの「事務費」は156億円減らして、923億円になりました。なんと14%もの削減です。エライ!ぱちぱち!一方、幹部用公用車や職員の研修施設でのゴルフボール代や、マッサージ器に化けていた福利厚生費などは「国庫負担」で補うことになりました。「国庫負担」とは税金です。その額、161億円『増額』されて1870億円。『増額』とはいえ、『わずか9.4%』の増額ですから、14%の削減努力から言っても「頑張っている」と・・・口が裂けても言えません。あえてパーセントを持ち出したのは、お役人様の論理を使ってみたからです。お役人様の常套手段なんですが、本来比較対照の「基準」が違うものを都合の良い部分だけを抜き出して、それを「証拠」とするのです。はい。イヤミをやめて分かりやすく言うと156億円減らして、161億円増やしたのですから、「解体的出直し」に取り組んでいる社会保険庁の「福利厚生費」は5億円の増額です。これでは「焼け太り」です。増税でいえば「年金保険料」は今年の秋からしばらく上げ続けられます。高齢化は容赦なく訪れます。そして今年あれだけ「叩かれた」のに「増額」です。それでも12/20の読売新聞夕刊に載っていた社会保険庁幹部のコメントは「我慢できることは我慢していくということ」とのたまっています。私には「えっ?まだまだ銭は欲しいんだよ?でも、イロイロうるせぇから片手(5億円)で我慢しているんだよ。」と聞こえました。いかがですか?街では一年を振り返る企画や、クリスマス、そして師走の慌ただしさの中、静かに進行している増税と止まらない無駄遣いのジャジャ漏れの音が気になって仕方がありません。
Dec 22, 2004
コメント(0)
私は小学校1年生の時に東京にやってくるまで、高知県の山の中でサンタクロースがいると信じておりました。借家でしたが広い縁側があり、そこに学習机をおけるような昔の造りでしたので当然、「煙突」なんかありませんでしたが、その縁側の「ガラス」に外に見えるように「お願い」を紙に書いて「張りだす」と、それを見た「サンタさん」が願いを叶えてくれると、当時トラック野郎だった父親に言われ信じていたのです。また、この話をすると結構驚かれるのですが、私が住んでいた地域は通称「耳切れ」と言い、雪が結構降る地区だったことも、父親の言う「サンタ伝説」に信憑性を持たせておりました。「いいか、あつし。雪が降るからソリが滑れる。 だからサンタさんもやってくるがじゃき」無茶苦茶な理由です。でも、父親が絶対君主制を引いていた我が家では、その力強い発言は子供達を洗脳するに充分なものでした。後年、父から聞いたのですが「窓ガラスに張りだす」といのは、自分たちが見やすいためにやらせた「作戦」だったようです。東京に来て「洗練された同級生(に見えるのですよ田舎出身者は)」から「え~!サンタなんていないんだゼ!」と言われ、一日も早く「東京風」に馴染みたかった私は反論することもなく「サンタはいないが東京ぜよ。」と、「常識」を受け入れておりました。「常識」といのは地域や環境により変わることを知らない頃の話しです。当時、今では全くしゃべれない「土佐弁」しか使えませんでしたので、「日本全国標準語を喋っている」という当時の小学生の「常識」から外れていたらしく、「言葉の壁」で虐められておりました。今でこそ「お国言葉」がメディアで溢れていますが、当時は「関西弁は漫才師の言葉」ぐらいの認識でしたからね。もっとも「イジメ」られたといっても、しっかりやり返していましたので、悲観的なものではありませんが「一対多数」での「暴力」も日常茶飯事でした。小学校3年生に標準語を覚えるまでの話しです。「子供は残酷」なんです。自分たちに馴染まないものを排除しようとする「本能」に忠実ですから。ところで、クリスマスの常識として「サンタクロース」の衣裳が赤いのは、実は「コカ・コーラ」の回し者だということをご存じでしょうか?結構有名なことなのでご存じの方も多いと思いますが、1931年12月『ナショナル・ジオグラフィック』誌の裏表紙に描かれたコカコーラの広告に登場したサンタクロースが赤と白の服を着ていたことが、今のサンタクロースのイメージを定着させました。それ以前のサンタクロースは色んな色の服を着ていて、小人さんのイメージもあったそうです。まぁ「妖精」ですからね。最近では宅配ピザ屋でアルバイトをする一時停止を守らないサンタさんや、パチンコ屋さんの看板持ちなど、サンタクロースのインフレ傾向に歯止めが掛かりまません。これも近年日本の「常識」となっております。「常識」というものは一つの「ボーダーライン」でもありますが、意外と頼りのない根拠の上に立っているものだということは、サンタカラーからも見て取れます。また、サンタカラーは「メディア」と「広告」が絡んでいることも見過ごせないことです。「ドンキ悪し!」はメディアでの「常識」となっています。この週末、「ドンキ養護発言」をしたのは、「サンデージャポン(TBS)」での「テリー伊藤」さんの発言ぐらいでした。それ以外は「圧縮陳列」と「近隣とのトラブル」ばかりです。そして「被害者ドンキ」をクローズアップすることもなく、「別件逮捕」を非難することもありません。確かに取り調べを受けている「買い物かごを万引きした女性」は、「普通」に考えれば限りなく「クロ」と見ることができるのですがそれでもメディアは「慎重」にならなければなりません。そうでなければ「松本サリン」という「経験」が活かされていないということですから。近頃はメディアの「意図」によって「常識」が創り出されます。とても危険なことです。「残念!」が流行語になりました。これも先物買いの大好きなメディアが過剰に反応した結果で、芸の力ではないと見ておりますが、本当に今年を表すキーワードは「自己責任」ではないでしょうか?ドンキの「圧縮陳列」にしても、それを「恐い」と思うなら行かなきゃよいですし、それを踏まえても「行きたい」と思うのならそれは「自己責任」ですし、お店の魅力というものです。もちろん、お店側には充分な「安全対策」をとる必要がありますが、それもいきすぎれば「無個性な店」になります。入店時に金属探知器を通って、一人一台体制で「防犯カメラ」で追いかけ、ブロック毎の「警備員」と、隙間を埋める「覆面捜査官」。これはヤリスギですが「安全対策の常識」をどこにするかの問題です。ましてや今回の「ドンキ」は犯罪被害者ですから。例えば想像してみてください。某○○○の○○型ジェット○○○○○に乗り込み「ペット○○○に入った○○を持ち込み○を○○○」という、「非常識な犯罪者」がいたら?※ゴメンナサイ、なにが犯罪のキッカケになるかわからない時代な ので伏せ字だらけです。私の常識では「放火」なんてもってのほかです。「犯罪者が悪い」も常識です。そして、そこが安全から危険かを「常識の範囲で判断」して、その後は「自己責任」となります。「ドンキ悪し」は「非常識な犯罪者」を棚上げにした「非常識な論調」です。だって「犯罪にあう」前提で買い物に行きますか?春におきた「イラク拘束ゴレンジャー」に対して、「自己責任」論を支持したメディアもあったのに・・・ねぇ。「残念。」ちなみに今夜テレビ東京で「高遠菜穂子」さんの特番が組まれております。その一方で、イラクに行った自衛官の講演を「教祖組合有志」によって「潰された」そうです。これまた、「残念。」この「流行語」は「ギター侍」さんといより、この国全体の閉塞感と理不尽さからなのかもしれませんね。
Dec 20, 2004
コメント(0)
前号の「ドンキ」では沢山の「そうだ!そうだ!」というメールを頂きました。お返事ができていませんが、本当にありがとうございます。メディアは強気ものを叩く・・・フリをするのが大好きですので、「急成長企業」のポカは、勿怪の幸いとばかりに大騒ぎします。昨日のTBSお昼の「インサイト」で、あのサブカルチャーに造詣の深い「山田五郎」さんまで、「圧縮陳列は放火(火事?)に弱いことがわかったから何とかしないと」という発言をされていました。それは「放火」を前提に店を作ると言うことでしょうか?確かに「防災」や「安全」は追求されなければイケマセンが、犯罪者を非難することを殆どせずに、「ドンキに問題アリ」というともすれば「ねつ造」にも近い番組構成に怒りすら覚えました。TBSは石原東京都知事の発言を全く逆の発言にする局ですから、「やっぱりな」とうがった見方をしたくなるほどです。「ドンキ」についての著書がある方がゲストだったのですが、その方に「防犯上の問題点がなかったのか?」と訊ねます。「ドンキは他の小売業よりよくやっていた」という趣旨の発言に、『それでも問題はなかったのか?』『取引上でのトラブルは?』『近隣住民とのトラブル?』と、「おいてめぇ、番組に呼んでやったんだからこっちの『欲しいコメント』だせよ!ゴルァ!」と言わんばかりです。ちなみに本日は反騰(下がっていたものが上がること)しているドンキの株価ですが、事件を受けて1000円以上下がりました。単純計算ですが発行済み株式が20,846,029株ありますので、20,846,029,000円以上の「企業価値」がぶっ飛んだことになります。一人の『犯罪者』によって、尊い3人の命と200億円の「企業価値」がなくなったのです。そして「圧縮陳列」という、お店の「個性」までやり玉にあげます。私が何よりハラダタシイのは、こういうことを「したり顔」でいう人が「日本には個性的な店がない」なんて平気な顔して言うとことです。個性的な店がないのは個性を許容(受け入れる)する土壌が、客がいないからです。そしてその「個性」という花開くはずの芽を、悪意もなくやる人が入ると言うことです。この「悪意もなく」が最大のポイントでしょう。長所は短所になり、短所はまた長所につながります。ドンキにとっての「圧縮陳列」はまさしくその通りなのですが、しかし、「個性的」を尊重する発言を喜んでしている「連中」が手のひらを返していることに私達はもう少し慎重にならなければなりません。「加害者養護、被害者軽視」と「個性を伸ばす教育(社会)」どちらもこの国の今後に重要な影響を与えることでしょう。・・・ところで、「容疑者」が捉えられていますが、あれは完全に『別件逮捕』です。これもモノスゴク危険なんですがね。
Dec 17, 2004
コメント(0)
整備新幹線についてひとこと。「とにかく作ってしまおう。どうにかなるさ!それに結局は『国民(地元有権者)』の為になるものなんだから、最後は税金を使えば良いんだ!そもそもインフラなんだから税金で作るのが当然なんだ。それを我々与党の政治家達が、苦心して税金を使わないように考えていることに『感謝』して欲しいものだ!・・・それに整備新幹線の『真価』が出るときには、我々はもういないしね。結局、政治は結果責任だから今の時点で何を言われても困るんだよ。我々は今の時点で『最善』と思うことを粛々と進めているだけだからね。」・・・これは、私の『妄想』です。日本の火事を・・・基(もとい)、舵を取られる政府与党(自民党&公明党&無所属の仮面をかぶった自民系議員)の皆さんが、そんな『イキアタリバッタリ』を考えているなんて・・・。イヤミですよ♪そんな「イキアタリバッタリ」の一方で「大増税路線」を展開しております。JRの前身『国鉄』の赤字の穴埋めに、タバコ税が増税されました。ちなみにJR構内は全面禁煙です。吸う人が赤字を補ってあげているのに、何のサービスもありません。ま、嫌煙権もあるので公共の場での禁煙はわかりますが理不尽です。この「整備新幹線」をしつこく取り上げたのには理由があります。単純に赤字の危険性のある施設を作ることにではありません。それは「作れば良い」という「昭和のベクトル」から、いい加減脱却しなければならないのではないか?という問題提起なのです。この日本では『完璧』ではないにしろ、それなりのインフラが整備されております。それらの『活用』が為されないまま、「作ろう」とすることが結局無駄の垂れ流しになっているのです。地元、足立区も「第2東京タワー」に名乗りを上げております。よせばよいのに、足立区内で2箇所も。利益該当者達は盛り上がります。「東京タワーができれば観光客が来て盛り上がる」と。でもね。私の目から見て我が愛すべき足立区には、今でも充分に魅力的な観光スポットがあります。ただ、それらを「活用」していないだけなのです。私も「インディーズ」として活動している「桜中学存続運動」にしてもそうです。私のスタンスは「TBSが今まで放送した金八先生を『資産』として考えたら売却してマンションにするより『美味しい』んじゃないの?」というものです。そして霞を喰って生きるわけにいかないので「株式会社」として、区民にも応分の負担と責任を負って貰いましょうよ。というもの。これも『活かす』の発想です。地元の方と異業種交流会の方達が中心となった「公式」な保存運動もありますが、もっともこの活動も、利益該当者達(金儲けだけに限らず)での調整がされておらず難航しているようです。こちらが私のインディーズの活動■株式会社 桜中学校http://www.adachiseikatsu.com/kinpachi/こちらが「オフィシャルページ」だそうです。■金八記念館推進委員会のオフィシャルページhttp://www.adachionlyone.com/kinpachi/「本家」「分家」争いみたいなものはキライですので私のは「インディーズ」で結構です(笑)。広告企画の人間が「非営利」って想像もつかない世界ですしね。ただ、目的のために手段があるのに、手段のために目的が疎かになっているような面もあります。これは「新幹線」も同じことです。何故?そこに「新幹線」が必要なのか?密やかに、そして大胆に進行しているこの計画。「昭和のベクトル」を冷静に見直す時期なんですよ。ホントに。
Dec 16, 2004
コメント(0)
これだけ「ネタ」が溢れている歳末にお休みしてすいませんでした。ほぼ、日刊を目指しておりますがクリスマス号、正月号のチラシとある準公共団体のWEBサイトの年内公開とバタついており、発行できませんでした。近頃「チラシ」を請け負うことは殆どないのですが、こちらのお客さんは独立以前からのお付き合いで、しかもこちらの広告・販促企画の全てを取り仕切らせていただいているので「別格」扱いにて、掲載イラストから全て私自身でゼロから仕上げまで行っております。コンピュータによるデザインですので「肉体労働」ではないのですが、それでも「モノヅクリ」の部分では「物理的時間」が確実に要求されるので時間のやりくりに追われておりました。さて、このお店は埼玉県南部で複数の店舗を営業しており、その店舗の売り上げ状況や地域性に合わせて、近隣の競合店との差別化が最大の販促効果を生み出します。平たく言うと「他店に真似される店作り」ということです。いつも「何か」を仕掛けて、その「仕掛け」を同業者がパクるという図式です。お客さんがその「仕掛け」に「付加価値」を感じてくれれば成功。何も考えていないお店というのは常に「猿まね」を繰り返しますが、これではいつも「後手」に廻って、最後は「値引き」に頼ってしまいます。しかし、「他店に真似される」ようなお店にできると「値引き」は選択肢の一つになるのです。「価格競争力」は重要な戦力ですが、武器は多いに越したことはありませんし、同じ「価格」なら「付加価値」を持っている方が有利になります。もっともこの「付加価値」づくりは「楽しい」のですが「ラク」ではありません。そんなわけで、いつもこちらとの打ち合わせは長時間に及びます。今回の歳末セールの打ち合わせを、先月末におこないました。その際に、ある店舗の売り上げが「急上昇」しておりました。あまりにも「異常な伸び」に理由を尋ねたところ、何とも「微妙な」表情です。「実は・・・競合店が全焼になって・・・。」『・・・・・』売上が伸びたことは嬉しいことなのですが人様の不幸の上では、笑うに笑えません。死傷者ゼロだったことが唯一の救いです。この競合店はいわゆる「何でも屋」で、ゲームから古本、古着など何でも販売していました。そして、店舗の奥の方で売っていた「古着」についている「万引き防止タグ」を「ライター」で「焼き切る」時に、服に引火して、それが燃え広がり、結果的に「全焼」となりました。それでも幸いだった・・・と言えなくもないのが、その全焼店舗の隣が「ガソリンスタンド」だったことでしょう。犯人は逃げ出して、掴まっておりません。実はこのお客さんの「本部」は、死者が出た「ドンキホーテ」の近くにあり、何度か行ったことがあります。こちらも「放火」です。「火付け」は重罪です。許し難い犯罪です。そこにはどんな「言い訳」も通じません。だって無関係の人も、ものも一瞬で無差別に被害を受けるんです。「犯罪」は往々にして理不尽なものですが「放火」はその中でもグンを抜いております。ところがどうでしょう?昨日からマスコミの報道が「ドンキホーテ」に対して批判的です。「圧縮陳列」これにより延焼が拡がり、迷路のような店内で逃げ遅れた。と。この「圧縮陳列」は私は大嫌いです。でも、この「圧縮陳列」が「ドンキホーテ」の魅力の一つです。これは単位面積当たりの陳列数を増やして、お客さんに商品を選ぶ楽しみや「探す楽しみ」を与えようという「差別化」の一つです。そして今回の「被害」にあうまで「マスコミ」はこぞって賞賛しておりました。芸能人もキャスターもコメンテーターも「渋谷のドンキにね・・・」や「歌舞伎町のお店は利用したことありますよ」などと言っていた人まで、「いつも、行くたびに『危ない』と思っていた。」と言いだす始末。確かに今回被害者がでて、全国の「ドンキ」に消防署から「指導」がでております。その点からも「万全」だったとは言えないでしょう。しかし、少なくとも当該の店舗では受けた「指導」は「改善」していたといいます。もし本当にそうであるならば消防署の「指導内容」に問題があったのではないでしょうか?とはいえ「指導内容」を「強化」していくと、「差別化」のない、「お役所」みたいな店舗ばかりになります。だって「絶対安全(もっともそんなものも幻想ですが)」で、「平均点」をとると「無難の中の無難」しか残りません。まして、この被害に遭われた方が「客」ではなく「店員」で、断片的に伝わってきている話しでは「お客様誘導」をしていての悲劇と聞いております。「課題」があったとはいえ一連の報道には偏りを感じます。大体、お亡くなりになった方もおりますが「ドンキ」も被害者です。最も許し難いのは「火付け」の「犯罪者」です。この憎むべき犯罪者が火を付けなければ誰も死なずにすんだのです。いつもは執拗に「犯人探し」を「喜ぶ」メディアが、「被害者」である「ドンキ」を「責める」報道に違和感を覚えております。悪いのは犯罪者。だけど泣くのは被害者。そして犯人は一連の報道を受けて、「ほら、悪いのはやっぱり『ドンキ』なんだ!正義の鉄槌を喰らわしたんだ!」なんて思っていないことを心より願っています。悪いのは火を付けたアンタ。なんですがね。
Dec 15, 2004
コメント(0)
さて、延長ありきの我らがリーダー。まるで大物ミュージシャンの「追加公演」のようです。「最初から決まっていたんでしょ?」下司の勘ぐりはイケマセン。これは、「経済制裁」を「発動」したときに、「暴発」する某国との「来るべき決断」の為に、ブッシュのオモチャを貸して貰うための「儀式」なのです。そう、我らがヒツジ目のリーダーの「戦略」と私は見ました。そのご慧眼に「感動した!」です。・・・・・・・ふぅ。イヤミです。今日のネタはイラクでも「嘘骨」でもありません。以前、予告した「ゆとり教育」と「学力低下」についてです。今週の火曜日に日本の15才は「世界トップレベル」から転落したという「衝撃の事実」が日本中を駆けめぐりました。「読解力の低下」を嘆く声が聞こえてきます。その理由としては「ゲーム」「テレビ」「携帯電話」が挙げられます。ちょっと前なら「ケータイ」の代わりに「マンガ」でしたね。そして、改善策として「もっと本を読め」「考える力を身につけるにはじっくりと『考えさせる授業が』」「『ゆとり』を正しい方向に」などなど、「識者」のいうことはそれぞれごもっともです。しかし、これは「ゆとり教育」の弊害が顕著に表れた影響です。今回のテストは「バッチリゆとり世代」です。まぁこれに対して「30人学級の実現ができていない」なんて、技術論は棚上げさせていただきますが、わたしが指摘したい「ゆとりの弊害」ですが、ズバリ「週休二日」です。私の甥や姪の話ですが、「完全週休二日」の体制になり授業可能時間が減りました。その結果、夏休み明けからバッチリ授業が入り、小学生から「6時間授業」がほぼ毎日で、「放課後の楽しみ」が少なくなりました。私達が子供の頃は「詰め込み教育」はまだ残っていましたが、それでも充分な「放課後」があり、私はその「放課後」を利用して、図書館に通ったものです。モチロン、友達との遊び、駄菓子屋巡り、「ピー」と言えないような小悪もやりました。振り返れば、人生の深みのタネは全て「放課後」にあったような気がします。一方、今の子供には「土日」という「休み」はタップリあります。ぶっ通しで遊ぶ時間は、今の子供の方が圧倒的に多いでしょう。この「時間」は、「ゲーム」や「レジャー施設」で遊ぶには充分な時間かも知れません。しかし、子供達の世界だけでの遊びには長すぎるのではないでしょうか?「昭和」の話しで恐縮ですが、放課後から夕日がくれるまでの時間にどれだけ「楽しむか」が私達の日課でした。小学生の私達にとって「時間がたっぷりある」なんて嘘です。小学生の人生において最も大事な時間は、「帰りのホームルーム」が終わってから、日が暮れるまでの数時間しかないのです。だから、毎日一所懸命に遊んだのです。キャッチボールでボールが後ろに行くと、走って取りにいったのも常に時間が足りなかったからです。家に帰ってまず宿題してから遊びに行くなんて、悠長なことはできません。何せ時間がありませんから。そこで「親との駆け引き」を学びました。そして「土曜日」は一週間で一番好きな「半ドン」の日です。「半ドン♪」なんて魅惑的な響きでしょう。土曜日の午後は「パラダイスタイム」です。お昼御飯を食べてから夕方まではちょっとした「冒険」ができる時間があるのです。近所の工場に忍び込んだり、秘密の公園に大人の雑誌を拾いに行ったりとあまり誉められたことではありませんが様々な「冒険」を楽しみました。・・・脱線しました。が、これは「考える力」を養うにはとても重要なことです。自分たち子供だけの世界で、子供の「浅知恵」を駆使して、時間を楽しむのです。「学習面」でも、週休二日は大変危険です。「知る」という「行為」は本来楽しい行動です。しかし、「学習」においては苦痛に感じる子供が多くおります。これは私は学者ではないので推測ですが学校での「学習」って、「知るための準備」を要求されるからではないでしょうか?まず「文字」を「知る」必要があります。読書になると「漢字」も「文法(てにをは等のお約束)」も知らないと「理解」することはできません。平たく言うと「面倒くさい」ということです。このことは大人を見るとある程度立証できるのですが、パソコンやITなどの「マニュアル」を毛嫌いする人がいます。また、「見たけど分からなかった」という人も沢山おります。IT系のマニュアルはそのマニュアルを読むためのマニュアルが必要なくらい「専門用語」という「予備知識」を要求されるからです。このことが「遠ざける」理由となっているのです。そんな面倒くさい「苦痛」を甘んじて受ける人は多くありません。だから、いまだに「メール」と「インターネット」以外は解らないという方が多くいるのです。ま、それで十分という声もありますが。子供にとって、文字を覚える作業も「苦痛」です。しかし、「苦痛」に感じていたものでもそれが「日常」になると、人間は「当たり前」と受け止めるようになります。これが人間の強さと鈍感さの素晴らしいところです。恒常的に与えられる適度なストレスに対しては人間は馴染んでしまうんです。しかし、バレリーナやピアニストのように「間が空く」と、それを取り戻すのは「エライコッチャ」になります。子供の「学習習慣」も同じです。週に二日も・・・一週間の28%、約3割が「無学習日」となるのです。それでも自分を律して子供が学習意欲を保ち続けるでしょうか?モチロン、土日に勉強をしても良いのです。しかし、自発的にやります?子供が?「学習熱心」な親御さんは子供に「学習の機会」を与えます。そして「格差」が産まれます。一週間に85~100%学習し、学習が習慣化している子供と、71%だけ学習し、習慣になっていない子供とでは、その後の学力成長に差がでて当然です。親の問題かも知れません。しかし、「義務教育」の習熟度が「家庭環境」にもっとも左右されるとしたらどうでしょうか?「ゆとり教育」を学校の先生が休むためだと「揶揄」する人がいます。何を隠そう私も「揶揄」している一人です。そこで提案です。「週休二日やめません?」その分、毎日の労働時間を「削って」、「土曜日」に授業されては?月曜日から土曜日まで「午前授業」で「半ドン」でも良いのでは?労働基準法的には一週間を通じて一日以上休みがあり、通算労働40時間でしたっけ?基準は?月~土なら毎日7時間弱ですから、朝8時から午後3時まで。お昼休みは先生同士のローテーションで廻して。どうでしょう?良いことも悪いことも全て「習慣」ですからね。「読書」も「学習」も毎日「コツコツ」が実は秘訣なのです。・・・私の小学校の時の図書館来館理由は「手塚治虫全集」と、「まんが日本歴史&世界史」を読むためでした。
Dec 10, 2004
コメント(0)
我らがヒツジの目を持つ首相、小泉さんはきっと「骨壺」を開けてみたんでしょうね。そして「二度焼き」の後を見て「感動した!」ので、それを持って「努力の跡が見られる」なんて御発言されたのでしょうかね。・・・もちろん、イヤミですよ。今回は久しぶりに本題のみです。やっぱり、あの「骨」は「無縁仏」で、横田めぐみさんのものではありませんでした。「共和国」に対する「感情」は、「怒り」以外ありません。なめんなよ。さて、ところでこの「大嘘」に対して、首相も官房長官も「遺憾」とコメントをしております。日本語的には「遺憾」という言葉には様々な意味が含まれており、分かりやすいところでは「残念」。ギター侍の決め台詞と同じです。まぁ確かに「残念」という気持ちも分からなくはないのですが、この「遺憾」とは、相手に対する「非難」でも使えれば、自分の不手際をわびる場合にも使える非常に便利な言葉なのです。我らがリーダー、首相&官房長官のツートップはどういった意味でこの「遺憾」を使われたのでしょうか?まさかとは思いますが、「将軍様、あばいちゃってゴメンね」ではないことを祈りたいものです。と、いうのもこの期に及んで「対話と圧力」ですからね。果たして「対話」が通じる相手でしょうか?「それでも話し合わなければ・・・」話し合うことは重要です。しかし、時と場合によります。このメルマガでも何度か触れていますが拉致は「犯罪」です。しかも「国家犯罪」です。「拉致」の解決に向けて「話し合う」ということは、「誘拐犯」との交渉を意味します。過ぎたことは確かに取り戻せません。しかし、相手がその「アヤマチ」に対して「償おう」とする真摯な気持ちがあるのであれば、「話し合い」の余地はわずかにでも残っているのかもしれません。「盗人にも三分の利」という寛大なことわざからするとですが。しかし、その「誘拐犯」はまったく「償おう」という気持ちもなければ今でも「現在進行形」で、そこに「存在」する犯罪を解決しようという気持ちもありません。今の状況は「誘拐犯の言い訳」と「誘拐犯の都合」によって全てが進められております。皆さんは「それでも話し合わなければ・・・」と思います?「慎重論」では「効果がなかったら」といわれます。「それより、今後も対話を続けて・・・」「交渉のチャンネルがなくなる・・・・」「北朝鮮が態度を硬化させたら・・・・」はい、私達はこの件に関しての解決例をもう既に経験しています。それは「拉致被害者5人」の時です。あの時、「北の監視下」に置かれていた蓮池さん達「被害者」も、田中均さんをはじめとする「政府関係者」は「一時帰国」とのたまっていました。そして2週間ぐらいの「滞日後」、子供達のいる共和国へ「帰る」というものです。さて、あの時「5人」を共和国へ返していたら、今、どうなっていたでしょうか?田中均さんと「ミスターX」との「信頼関係」を優先していたら、どうなっていたでしょうか?将軍様の肖像画入りの真っ赤なカーテンに幕引きされて、「拉致された人たちは共和国で幸せに暮らしましたとさ♪」って、オチが待っていたということを私達は知っています。当時「危険な賭け」と言われ、今は「制裁」に対して危惧する人がおります。しかし、世界中の唯一で、宗教以上の共通認識は「ノーリスク・ノーリターン」ということです。相手の「いいなり」は、何一つ「リスク」をとっていない状態で、それはハッキリいうと「ゲームに参加していない」ことを意味します。今回、将軍様は「拉致犯罪解明ゲーム(不謹慎ですいません)」において、「ルール違反」をしました。しかも、将軍様は「ルール違反」の常習者です。万引きでも薬物でもアルコールでも、常習者とまともに会話はできません。そこら辺はよく理解している「警察」が今回は本気を見せたのです。あとは、我らがヒツジ目のリーダーの出番です。イラクに「兵隊さん」を送り込んだのは「親分ジョージ」に「イザ」という時、「協力」してもらうことも理由の一つだったのです。ならばピザーラのスーパーナポリを注文するように、「ジョージ」に「第七艦隊一丁!」と日本海へ出張して貰えば良いのです。最近ラーメン屋さんの出前が日本の海に出没しているので一石二鳥です。「協力はすれどお願いはせず」では・・・ね。もちろん、「制裁」と同時に「対話」をすることは当然ですよ。ところで、IBMが中国企業のレノボに「買収」されたと大騒ぎしていますが、IBMの「パソコン事業」だけのことです。それだけでも大きな出来事ですが、「買収」されたいうと「傘下」に入ったというイメージもありますが、今回はそうではありません。買収金額の「代金」は、レノボの株式で「支払」われ、IBMは、レノボの2割弱の「株式」を手に入れるのです。「株式」とは、極論すると「経営権」のことです。しかも、レノボのCEOにIBMの上級副社長が就任すると言うことです。さて、IBMとレノボ。どちらが「勝った」のでしょうか?我らがリーダーは「恥辱の再訪朝」で勝ったのでしょうか?それとも・・・。
Dec 9, 2004
コメント(0)
このあいだの日曜日、銀座で行列ができている場所が2箇所。一つは福家書店でこちらは「坂口憲二」さんのイベントでした。年齢層はOLさんぐらいでしょうか。そしてもう一つは「シャネル」です。私自身が装飾品に全く興味がないもので、気持ちが全く分かりませんので、これに関してはノーコメント。とはいえ「ブランド」というのはそれなりに「価値」のあるものだということは分かります。スーツや靴なんかでも「しっかり」としたものを選んでいくと「ブランド」ものだったりします。それに「ブランド」という「鎧」に守られているとちょっとホッとする気持ちは「DCブーム」の時に体験したことがありますからね。少なくとも私にとって「DCブーム」の時の「ブランド」って、中身が薄く底も浅く、財布の中身にはすきま風が吹いていた、当時の私にとっての「拠り所」でした。それは「○○」と名前が入っているスーツを着ているだけで、自分が田舎ものだと・・・薄っぺらな小僧だとバレないためのお守りのようでもありました。でも、結局、借りてきた「拠り所」では限界があるんですよね。それに「○○」って、ブランド名も結局「○○」って人か会社が素敵なものを作っているだけであって自分の価値とは違うんですよ。それを買える「財力」があるというのは確かに「自分の価値」の一つではありますが、「財力」と「センス」は別のもの。気づいたときには本当に恥ずかしかったですね。自分を持っていて、自分に見合う「ブランド」を「チョイス」する。これができなければ「ブランド鎧」をまとったドン・キホーテなんですよ。ちなみにその昔、越野姉妹のロンドンブランドが「フクスケ」で製造されていることを知ったときには愕然としました。今は「カリスマバイヤー」が社長に座り、イメージと経営再建中の「フクスケ」ですが、当時は「足袋とパンツ」というイメージがありましたからね。品質ではなく「ブランド名」だけが価値だったんですね。浅薄な私でした。ちなみに「DCブランド」のDCとはデザイナーズとキャラクターの頭文字のことです。さて、ブランドはファッション関係の他にも、様々業種で「ブランド」があります。「ブランド」には「商標」の他に、「品質」という意味もあり、まさしく「品質」が「ブランド」を裏付けているということです。例えば私が「公認サポーター」として、ホームページとメルマガ発行でお手伝いしている「焼肉 スタミナ苑」さんは、その店名がブランドと化しております。検索エンジンからスタミナ苑のホームページに辿り着いた人の殆どが「スタミナ苑」というキーワードで検索しているのです。その評価には賛否がありますが、14年以上のスタミナ苑歴の私にとってはその「味」は、ブランドに見合ったものです。「あの行列はテレビに出ているからだ」という方もいますが、お店の繁盛は今みたいに、テレビに露出する前からですからね。例えば、私の近所のある焼肉店は「肉の卸」がやっている為、各地の「銘柄牛」が卸値でというのが「ウリ」になっており、テレビにも時々出ております。また「広告活動」も積極的で、足立区広報誌や地域広告紙に「記事広告」をだしたりと一所懸命ですが・・・行列はできていませんし「ブランド」にもなっていません。こちらのお店は竹の塚駅から徒歩3分。スタミナ苑は・・・最寄り駅からバス移動です。■スタミナ苑メルマガhttp://www.mag2.com/m/0000139932.htm■スタミナ苑WEBhttp://www.mode-web.jp/sutamina/これは私の「評価」ですが、悪くはないですが何も残らない味で、サービスも普通でした。料金も普通・・・よりちょい高めでした。あくまで私の「評価」です。好きずきがありますからね。しかし、「ブランド」というのはそうやって「裏付け」があって始めて生きるものだと思うのです。UFJ、三井物産、NHK、各種お役所・・・。本来なら立派な「ブランド」です。しかし、この「裏付け」が剥がれ落ちてきています。やっぱり「ブランド」は自分の目で、「商標」ではなく「品質」を重視して選ばなければ・・・って、選びようがないレベルで裏切ってくれていますからね。私にとっては「韓流」より衝撃的でダイナミックな展開です。だって「え?そんなことしてたの?」という「常識」では考えられないことばかりです。三井物産の「嘘申請」にも驚きましたが、それをチェックしにいったお役人様が「釣り馬鹿日誌」だったんですもんね。NHKの海老様・・・エビジョンイルのあの「人相の悪さ」も秀逸ですし。もう忘れてますが、UFJは「破談騒動」もありましたよね。ドラマティックです。エキサイティングです。でも事実です。やれやれ。また、いずれネタにしますが、「15才学力低下」。これも「勤勉で優秀」な「日本人」という「ブランド」に影を落としています。
Dec 8, 2004
コメント(0)
昨日の東京はもの凄い暑さでした。銀座を歩いていたのですが、小躍りしたくなるようなポカポカ陽気・・・からちょっと「暑」かったのですが、街並みに目をやると、サンタクロースが大量生産されております。なんだか違和感ありますよね。タダでさえここ数年の「クリスマスインフレ」に、タメイキを覚えるというのに、昨日の陽気で「厚着」しているサンタクロースを見ると辟易してしまいます。ま、イレギュラーな陽気はどうしようもありませんが。しかし、今回驚いたのが、天気予報が正確だったことです。当たらない当たらないと、このメルマガではよく「喧伝」していたのですが、機能に関しては「良くやった!感動した!」という気持ちで一杯です。・・・だからどうしたという訳ではありませんが、気象庁も気象予報士の方にも当たったときぐらいは「誉めて」あげたいと思うのです。それというのもこの国ではいつの頃から「誉める」ことが、少なくなったように感じるからです。単純に「誉め」られると嬉しくありませんか?例えば普通に「仕事」をしていても、「上手いね」や「スゴイね」「頑張ってるね」と声をかけられると、「そんなことないですよ」と言いつつもイヤな気はしません。だから、普段ハズレまくりの天気予報(だと思ってるのですが)でも「バッチリ」当てたときは「誉め」てあげないとと思うのです。これを私は「是々非々論」と呼んでおります。それは「良い物は良く、悪いものは悪い」ということで、実は「当たり前」のことなのですが、最近では「原理主義」的に、どちらか一方のポジションをとらないといけないような空気があります。でも世の中「YES」と「NO」なんて絶対ではないのですがね。さて、この「当たり前」のことが、「当たり前」にできなくなると世の中おかしなことになります。「今がそうだ」というご意見もあるでしょうが、最近「おかしな」事件が次々と表沙汰になっております。例えば、UFJ銀行の検査妨害事件なんて天下の大銀行の起こす事件ではありません。元副頭取の岡崎(容疑者)さんが「対策会議」で、「余計なものは隠しておけ」「ヤバイものは隠せ」と、御発言されていたそうです。事件をザックリと説明すると、銀行は「免許事業」です。それは、やはり「お金」を扱う会社ですので、それなりの「基準」を満たしていないとやれないということです。この「基準」に足りなくなる危険性の高かったUFJは、その「基準」を嘘で塗り固めて誤魔化そうとしたのです。そして前述の「隠せ」発言です。銀行に基準があることは、誤解を恐れずに言えば、浪費家で借金癖があり、責任感も倫理観もない人に、スーパーのレジ係をやらせられないことと同じで、ある程度の「基準」が必要になるということです。永らく、銀行のその「基準」は「グレーゾーン」でした。しかし、その「グレーゾーン」が今の不況を生みだした側面もあり、近頃では「グレー」から「白黒」をつけるように変わってきております。※もちろん不況の理由はそれだけではありませんが。その「白黒」で判断すると、UFJは「アウト!」でした。そこで「隠す」ことによって「先送り」しようとしたわけです。・・・いい大人の、大銀行の・・・ちょっと前なら「エリート」といわれる人たちが集まっているのに、こんな「おかしな」ことになりました。それも昨年の話しです。これだけ「銀行」に対して、厳しい視線が注がれている中、少なくともUFJの幹部達は「自分たちは特別」と思っていたということです。まぁ、以前に読んだ雑誌である都市銀行マンの「再生」にかける様子を追いかけた記事の中で、「給料も減ったんで、最近ではすっかり(愛妻)弁当ですよ。」とありました。・・・中身によりますが、ダンナさんだけの為の「弁当代」を知っているのでしょうか?結構高いんですよ。お弁当って。それとも「愛妻弁当よりも高い昼食代を使っていた僕チンが」と言いたかったのでしょうか?スーパーマーケット巡りが「趣味」の私からすると、ちょっと信じられない発言です。大きなお金を扱っていると、弁当代や手間賃や正義感なんてものはどうでも良くなるのかも知れません。ところでこのUFJ元副頭取の岡崎(容疑者)さんが全てを指示したと「ゾクゾク」と証拠が見つかってきました。会議の「正規の議事録」は残っていなかったそうですが、出席した行員が「幹部」らの発言を詳細にメモしていて、そこから「バレ」たそうです。しかし「幹部会」にでる「行員」が、とった「メモ」がこのタイミングででてくることに「裏」を感じてしまうのです。もちろん、岡崎(容疑者)さんは「犯罪」の首謀者ですから、追求されて当然ですが、それこそ「ヤバイ発言メモ」を後生大事にとってあったことに違和感を感じるのです。ちょっと気の利いた行員なら「隠す」か「捨てる」かします。自分の「保身」を考えれば「隠し」て「取引材料」にしますし、会社に忠誠心があれば「捨てる」でしょう。また、「社会正義」に則ってなら、とっくの昔に「捜査協力」しているはずです。それが「押収」されるなんて・・・。これは、その行員が「マヌケ」だったのかも知れません。でも、そんな「マヌケ」が「幹部会」にでるでしょうか?・・・そんな「当たり前」のことができないから、今回の「犯罪」につながったとしたら・・・なんて皮肉なんでしょう。
Dec 6, 2004
コメント(0)
前回の「同性愛者」の下りで言葉足らずでしたので、最初に付け加えておきます。「同性愛者の病気だから気持ちが悪い」と。それ自体が当時の自分自身の勘違いであり、「同性愛」に関しての間違った発想からのモノでした。さて、昨日はIT関連の展示会に行って来ました。あの業界はまだまだ元気なんですね。沢山のモデルさんが鍛えられた「笑顔筋肉」でお出迎えです。その昔、バブル絶頂期の頃の「ビジネスショー」を知っていると、若干物足りなさはありますが、展示会の元気さはその業界の動向を反映しております。私の本業は「中小企業の営業戦略構築」と、漢字で並べると厳ついのですが、「こういう売り方でこう発展させるとこういう儲け方ができるよ。」と、いうことのレクチャーから、チラシやDM、店内POPといったツール作りまで請け負っております。そして最近ではIT支援でのお付き合いのお客さんが増えており、中には「ホームページ屋さん」と勘違いされていることがあります。もちろん、ホームページも作っておりますので間違いではありませんが・・・ホームページ制作代行業と思われるのは残念です。だって「作るだけ」なら、結構誰でもできますからね。肝心なのはその「活かし方」何ですよ。ところで、「IT屋」さんて何をやっている職業でしょうか?杓子定規に直訳すると「情報技術屋さん」となるのでしょうが、あまりにも広範囲に使われている言葉ですね。そんな「IT」を巡って、読売新聞の社会面で「公費の行方~IT調達の闇~」という特集が連日組まれております。例えば、●天下り財団~不透明請求で利益~ (11月30日朝刊)●民間なら300万円、財団2500万円で応札 (12月 1日朝刊)●社保庁契約業務に106億円 必要性は「検証不能」 (12月 2日朝刊)そして今朝の朝刊では●文具会社元請け15年?国税庁巨額システム受注?~入札でも無競争 業務、大半は外部委託~と、遂に「国税庁」にまで「不透明な契約」が見つかりました。怪しげな「随意契約」による、「既得権益の確保」が裏側にあると推察できますが、ふざけた話しです。ここら辺の「既得権益」による「ただれた関係」は、マスコミに正義があるのなら、これから表沙汰になることでしょう・・・。どうなんでしょう?また国会議員の告発からでしょうか?ま、どちらでも良いのですが、読売新聞のこの一連の特集からではこの問題は解決しないと見ております。もちろんその仕組みは、「法に則った賄賂」何でしょうが、これらをその単純な「法に則った賄賂」で追いかけていくと最後は煙に巻かれることでしょう。これが「技術情報屋さん」が胡散臭さを増している理由でもあります。・・・誤解のないようにフォローしておきますが、技術現場や開発現場、またその販売を手がけている「技術情報屋さん」達が胡散臭いわけではありませんよ。その「技術情報屋さん風」を装った「錬金術師」達のことです。この「錬金術師」達は、「情報技術」に色んなパッケージを与えていきます。それは「独自性」や「専門性」、「機密性」などなど・・・といった「さも、もっともらしい理由」です。とはいえ、この「錬金術師」は時に民間企業にも現れますが、一般的に民間企業の場合は、その「錬金術師」の創り出した「金」が、本物の金かどうかをチェックします。そうして、「錬金術師」か「詐欺師」だったかをふるいにかけていくのです。「独自性」「専門性」「機密性」等々がどれだけ、立派でも「利益」に結びつかないモノにお金は出せませんよね。趣味じゃないんだから。それでは・・・というともう「答え」が出ています。お役所仕事には「利益の追求」という概念がありません。お題目としては「国民の利益」という漠然としたモノはありますが、仕組みや制度と「公僕」という性質から行って、「利益の追求」に結びつきにくいのです。だって「国民の利益」といっても「ドコの誰が国民」とするかによって利益の中身が変わっていきますからね。お金持ち相手なのか、一般庶民なのか、沖縄の人か、北海道なのか?だからあえてお役人様を弁護すると、「公」が基準になると「利益」がぼやけてきてしまう性質があるということです。もちろん、それは「疑惑」の言い訳にはなりませんよ。また、「IT」と言われておりますが、一連の「疑惑」の中身を見ると、その実態は「IT」というより、一昔前の「OA」にホームページと電子メールがひっついて、持ち歩きができるようになった程度のものばかりです。「OA」とは事務作業の自動化や効率化のことです。そして自動化や効率化を求める目的は、「利益の追求」や「利益の最大化」です。「利益」を求めにくい「産業」で「利益の追求」をする「技術」を「産業側」の人間が判断する。この「構造」自体が最大の「疑惑の温床」なのではないでしょうか?もっと分かりやすく言うと、現場の人間はともかく、「決裁」を下す立場の「エライ」さんが、日本語しか知らないのに、ドイツ語の書類に決裁するようなモノです。つまり、全く違う常識をもった人が、他国のことをとやかく言う構図と同じです。それは「良い」「悪い」というより「無理」なことなんです。このことこそが、「お役所IT」の最大の問題点でしょう。とはいえ近頃はだいぶ「脱、お役所仕事」の機運は高まっていますが・・・決裁権を持った人間の意識が変わらないと・・・。そしてこの問題を解決するために、今、この国で一番求められているのは、この異なった「常識」までも含めて「通訳」できる人です。昨日の展覧会でも宇宙人のような専門用語で説明される方は、掃いて捨てるほどいましたが「日本語」で説明できた方は一人もいませんでした。もっとも最先端の現場で「わかりやすい日本語」を使っていると、小馬鹿にされることがあるので、その「常識」がまかり通っているんでしょうが・・・。今度は技術者と一般利用者との「通訳者」も・・・。って、種子島の鉄砲伝来みたいになりそうですね。・・・ちなみに中小企業も「錬金術師」に食い荒らされてますのでご用心ください。このネタは近日触れます。
Dec 3, 2004
コメント(0)
今日は私の誕生日。しかし、2年前から自分の誕生日の度に疎外感を受けます。それは、朝からテレビでは「おめでとう!」が相次ぐのですが、その対象は「愛子様」。私の方が30年以上も前に12月1日に産まれたんですが・・・。皇室と比べるのは不遜なのあかも知れませんが、やっぱり自分の誕生日は特別なものでありたいと思うのですよ。もっとも愛らしいお子さんと30過ぎのオジサンとでは比べるべくもないんですが、「俺も誕生日」と、呟いてしまいます。ところで、愛子「様」って不自然な気がするのは私だけでしょうか?皇太子殿下の時は確か「ナルちゃん」と呼ばれていましたし、皇后様は「ミッチー」、今、話題の紀宮様は「サーヤ」と。マスコミはとかく、開かれた皇室をアピールします。それならやっぱり「愛ちゃん」や「愛子ちゃん」の方が、親近感を感じると思うのです。そうして、しかるべき年齢になったときに、しかるべき尊称で呼ぶ方が、「らしい」のではないでしょうか?近頃この「らしさ」の喪失が、全ての混乱の原因ではないかと睨んでおりますが、この話はまた別の機会に。ま、朝から幼子の微笑ましい映像が流れるのは良いものですが。そんな映像を見ていて、子供の頃、毎年自分の誕生日にテレビで、「今日から師走(しわす)ですね。」と、キャスターが言うたびに、「違う。今日は僕の誕生日だ」と、呟いていたことを思い出しました。そんな本日、12月1日は「世界エイズデー」。この世界エイズデーが自分の誕生日である12月1日に制定されたときには、あまり気持ちの良い物ではありませんでした。それは「エイズ」というのが「同性愛者の病気」という間違ったイメージがあったからです。あまりにもディープな話しになるので控えますが、特に粘膜感染と薬物使用者の感染者の多さにイメージが、当時の「同性愛者の病気」というイメージに結びついたようです。そんな「世界エイズデー」生まれの私が、いち早くこの「同性愛者の病気」という誤解を解けたのは友人のお陰です。私の高校時代の友人に「血友病患者」がいました。彼とは「下手くそなロックバンド(謙遜ではありません。掛け値為しに下手くそでした)」を組んでいたときのバンドメンバーでもあります。彼の許可を得ていないので詳しくは話せませんが、一緒に肩を組みジュースを回しのみした仲です。彼が「血友病患者」だと知ったのは、丁度「薬害エイズ」が話題になりはじめた頃でした。もっとも他の友人は知っていたらしいのですが、私は人の出所来歴にあまり興味がないので聞いていなかっただけかも知れません。ニュースを見ていて彼が、「いやぁ~、俺も気になって検査受けたんだよね。」『何の?』「エイズ検査。」『マジ?マジ?』「マジ?・・・焦ったよぉ。届いたときさぁ・・・陰性って書いて あるんだよ。」『陰性って・・・まずいんじゃないの?ツベルクリンとか?』「陰性で良いんだって。あるとでるから陽性だとエイズだってさ」『へぇ~。良かったジャン。』と、その場は終わったのですが、やはり「同性愛者の病気」という勘違いから色んな恐怖心が湧いてきました。そして本音を暴露すると、彼とのつき合いもちょっと引いてしまったのです。・・・そんな自分がイヤでした。でも、病気は正直恐い。そして「エイズ」について、勉強したのです。結果、色んな誤解が解けました。そして「異性間交渉の危険性」を知りました。「血友病」に関しては・・・彼とツルんでいるうちに忘れてしまいました。その後、彼がバンドから離脱して以来、だんだんと疎遠になりましたが、彼のお陰でエイズやHIVに対する正しい常識をもてたことも「世界エイズデー」生まれの私の縁かも知れませんね。そんな「エイズ」が今、感染爆発の危険水域に入りつつあります。この日本で、です。特に「若年層」の「異性間交渉」によるものでです。私が子供の頃でも「コーラ避妊」などといった間違った性知識が、蔓延していましたが、今でも状況はそんなに変わっていないとききます。■青少年の性意識と性行動(びっくりしました)http://www.21human.jp/katei/katei14/14sei.htmそんな流れを受けて、近頃では「避妊」を「性教育」でしっかりとという声も聞きますが、私達の時でも「保健体育」で習いました。でも・・・「避妊」を教えるのは少しどうなんでしょう?という気持ちもあります。私が「保健体育」で「避妊」を教わったときには、授業中でも私の脳味噌には「よからぬ妄想」が拡がっていました。確かに「常識」の範疇での教育は必要だとは思うのですが、行きすぎた性教育って「火に油を注ぐ」ような気がするのです。「性教育」も「避妊方法」も「技術論」でしかありません。でも、若年層の性感染症予防にとって、一番必要なことは「精神論」ではないでしょうか?それは「ポルシェ」に乗っていれば、アクセルを踏めばスピードは簡単に出ます。しかし、「ポルシェ」に乗っているからと言って、アクセルを踏み込むかどうかは「気持ち(倫理や常識)」一つの問題です。ある時期を過ぎたら人は性を行動に移す「能力」が芽生えます。しかし、「能力」には常にそれに見合った「責任」がつきまとうということを子供達に伝える必要があると思うのです。精神論とか能力とか・・・小難しい表現をしましたが、ちょっと前までこの国には素敵な言葉がありました。「らしさ」ふさわしい様子やそうであって欲しい願望という意味の言葉です。訳知り顔のコメンテーター達は「子供はやりたくなったらやっちゃうよなぁ(性交渉に限らず)」と言いますが、それをダメというのも本当は大人の責任です。ダメという以上、自分も襟を正してと。襟を正した大人を見て、子供も言うことを聞こうと。大人が「大人らしさ」を捨てて、先に「言い訳」をするようになったことも・・・そしてそれを容認する社会になったことも・・・。「自分のことを棚に上げて」も「大人らしさ」の一つです。人間なんて不完全なものなんですからね。大人になっても不完全なのに、子供のウチはもっと不完全です。それならば、多少の強権を発動しても子供を危険から守るのは立派な「大人らしさ」だと思うのです。■エイズ性感染症についてhttp://www.jfshm.org/std/diseases/7.aids.htm■エイズ予防財団http://www.jfap.or.jp/
Dec 1, 2004
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1