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私の特技をひとつ紹介します。それは「物忘れ」 激しいです。記憶力は多分、いい方なのですが、同時に「忘却力」も強く、忘却力がもう少し弱ければ、多分、東大どころか「クイズ王」 になっていたことでしょう。 小学校4年生の頃は廊下で正座しながら給食をとるという体罰を受けるほど物忘れが酷く、「班」のメンバーには悪いことしたものですが、これは編成も悪く、クラス1番の物忘れ王の私と、2番の女王が同じ班にいたので、残りの4人にとっては・・・ごめんなさい。 で、教科書はすべて丸暗記するのですから、扱いづらい生徒だったのでしょう。 物忘れのお陰で、新しい案件の度に「フレッシュ」な気持ちで挑めるのが「特技」たる由縁です。ときどき、自分の作ったサイトだとわすれて「上手いねぇ」と自画自賛することもしばしば。 同時に「ダメだよ、これ」と自分殺しをすることも。 物忘れという特技が与えてくれる最大のギフトが「初心」。 もうすっかり「あの映像」ではどきどきしなくなった汚れちまった心をリフレッシュするには、明日はピッタリの新年度。その前に本稿を。■心得其の161「ヤフーが思い起こさせてくれた初心。登録と送信のあいだに年度末のサイトチェック」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/03/31/7627
Mar 31, 2010
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風邪からの立ち直りが悪く、難儀しております。 足首が痛くなり、肩こりが悪化し、その立ち居振る舞いは「こわれかけのロボット」 とはいえ、この商売、「頭」がいきていれば、どうにかなるのでその点においては本当に助かっています。 で不健康記念の今回。「タバコ」 について。年度末の最終日を記念して、今日までを総括し、明日からを思うか否かは読者にお任せしますが。 世界的(主に欧米文化圏)な「禁煙包囲網」が襲っております。 今回の病にひざまずき、うっかりして1週間以上タバコを吸い忘れていたぐらいのニコチン依存症の私です。 だから本音を吐露すればこう。「タバコの所持も使用も犯罪になったら吸わない」 こういう反論もあるでしょう。「法律で決めなければやめられないのか!」 意志薄弱というニュアンスを含んだ言葉に私はこう答えます。 だからやめる気ないし。 あくまで法に触れてまでは吸うつもりはなく、今後何かの理由で吸わなくなっても、私は言い続けます。「やめたのではなく、休憩中」 タバコは嗜好品です。その嗜好までお上に制限されたくないという個人の意思表明です。 産経新聞によればこうあります。「ドイツでは2007年に規制を適用した飲食店15%で 売り上げが50%減った」 この不景気の折にタバコを規制するなどと・・・とすると「景気と健康のどっちが大事だ!」 と金切り声が聞こえてきそうですが、わたしゃ「どっちも大切」と即座に答えることでしょう。これって排泄物味のあのメニューと、あのメニュー味の排泄物のどっちが良いかという設問に似た、平たく言えば「暴論」だからです。 排泄物に足並みを揃えて暴論を吐けばこうです。「健康だけど食うものに困る生活と 豊かだけど病気がちな身体のどちらを選ぶ」 どっちもイヤです。 ここで日和ってみます。 もちろん、吸わない人のための配慮は吸うものの責任としてあります。タバコによる健康被害も取り沙汰され、かかる医療費も吸わない人にご迷惑を・・・と、ここでも少し気になることが。 ここから先は医学的根拠はまったくありません。 それは「タバコを吸った人の肺の写真は真っ黒」なみに。 何度も繰り返していますが、解剖学者の養老孟司先生に曰く解剖した人間の肺は喫煙習慣に拘わらず、あんなものだと何かで語っていました。 で、気になるのは「鬱病との相関関係」です。 いわゆる精神疾患の「抑止」としてタバコが役立っているのではないかと。だとすれば「タバコ由来」とされている呼吸器疾患による社会的損失、あるいは医療費と、精神疾患を発症することで生じるそれとどちらが上かの議論こそ「科学的態度」 ではないかと。 これはネットで拾った鬱病患者の推移を表したグラフです。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2150.html 99年からの10年間で2.5倍に増えています。 そしてこちらは喫煙者数を追ったグラフ。http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.html 99年 男性54.0% 女性14.5% 08年 男性39.5% 女性12.9% と、半分にはなっていませんが激減しています。 私の技術(笑)を持ってすれば、両者のグラフを重ねていかにも「相関関係」があるようなグラフを創作するのは造作もありませが、フェアではないのでそれはしません。 ただ、時折、タバコを吹かした瞬間「何も考えていない自分」 をみつけて、メンタルヘルスにおいては某かの助けにはなっているのではないかと思いをくゆらせるのです。 実際のところ私は「鬱病」経験者です。心療内科にも通い原因と対処法が分かり自主的に卒業できたほど、軽度なものでしたが、精神疾患の特徴のひとつが「考えすぎる」ことです。 一本、数分。あるいは最初の一口だけの「空白」かもしれませんが、考えない時間が救ってくれた事実だけは私のなかに残っています。「嫌煙派」にとってはすべてが「暴論」に映ることでしょう。 健康という錦の御旗、被害という大義名分を振りかざし、そこから外れるものを一刀両断にしたうえで、石臼でひき水で溶かし練り硬め、焼きがまで焼成した後に、ハンマーで砕き、DNAレベルまで喫煙者を粉砕したい人にとっては許し難いことでしょう。 が、しかし。その「許容度の低さ」は社会全般を支配し、タバコの煙以上の息苦しさをもたらしていないでしょうか。 もちろん健康は大切です。しかし、その健康が「生き様」 すら否定するものでしょうか。するとやはり「切腹」もただの「自殺」にしか見えないのでしょうか。 最近、「非実在青少年」を巡り、ネット界ではエキセントリックな議論が過剰に走っています。 主に「表現の自由」を巡ってであることは、以前述べましたが趣味嗜好など、その「表現の自由」に重なるのではというのが私の立場ですが、こちらに絡めて語るものなし。 つまり「タバコを吸う、一個の存在たる自分がすでに表現作品」 という表現者がでてこないことが不思議です。 エロやロリは表現者の守るべき権利で、ヤニは規制に任せるままというのは・・・と、いうか今でも少年誌で「非実在青少年」 の喫煙シーンは野放しにされており、喫煙者としても眉根を寄せることがありますが。 すこし、あっちこっちに議論がふれましたので、ここでまとめます。 議論が大上段に構えて「正しい!」とするものしか認めない社会こそ異常・・・と、私は考えるのです。 そのひずみが精神疾患の増加にも現れているのではないかとも。 タバコを吹かす、その一瞬。脳みそが文字通り思考停止する。 この時、ストレスすらも忘れていることを、いま、先進国は忘れているのではないでしょうか。 とうぜん、「健康」という旗の下に規制をするのも「自由」。 ただ、その反動というか「喫煙特区」 なるものがでてこないことは健全な民主主義、自由主義ではない気がするのです。 こういう反論が聞こえてくるのは鬱病の副作用ではなく、物書きとしての創造力がそうさせるのですが「受動喫煙こそが問題だ」 なるほど。ならばこれはどうでしょう?「喫煙者のみ入店下のバー、パチンコ屋、居酒屋 当店では犬猫子供、非喫煙者の入店をお断りしています」 ・・・いまの「規制」ではこれなど論外と振り返ることもない、押しつけに意義を唱えないことのおぞましさを私は危惧するのです。 そしてそれを許さないほど「有害」なのであるならば、「ご禁制」 にしろと繰り返し述べます。 ちなみに私の鬱病は「出世」したことが引き金で発症しました。 やめる方向で心が固まっていたところに、昇進し、責任と相応の「恩義」を感じたことで板挟みになったのです。 そして自主根治とした理由は簡単。「これもキャラ」 と割り切ったこと。考えすぎるのも個性のひとつ。思い悩むのも特徴のひとつ。それが理由で不眠になれば、寝られないと嘆くのではなく「寝なくていいんだ」 と開き直る。変わり者は変わり者で生きてもいい世の中・・・なんですよ。と、私は考え、表現の自由同様に「生き様の自由」 も大切にして欲しいと願うばかりです。
Mar 31, 2010
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オフィシャルサイトがなんぼのもんじゃい。 ネット黎明期からこの業界・・・というよりネットに親しんでいるとこうした悔しい思いをした人も少なくないのではないでしょうか。 一方的な規約変更、情報更新の遅れ、あるいは本人のコメントしていない「オフィシャルメッセージ」 などなど。 ブログが広まってからは少なくなりましたが、以前は「ファンサイト」のほうが最新情報にキャッチアップしていることも少なくありません。 懐かしいのが「公認ファンサイト」と呼ばれるものです。「公式」ではなく「公認」。 公認サイトのなかには事務所の息がかかったものもありますが、基本的には純粋にファンとして応援する気持ちが昂じて運営されているものが多く、タレントや事務所もニンマリとしながら見ていることも少なくありません。 しかし・・・なかにはファンは金を運んでくる奴隷と勘違いしている「やから」もおり、するとファンが離れていくのは当然です。 本稿を執筆し、当該サイトを「ネットで検索」して痕跡を探してみると「閉鎖」を受けて、残されたコメントに感涙。「掲示板はいつも熱かった」 ・・・関係各所にご迷惑がかかるので個人・団体を特定できないようにしていますが、あの掲示板には関係者各位からカリスマまで書き込みをして、一緒に盛り上げようという気持ちがあったことだけは添えておきます。■ファンを搾取するオフィシャルサイト0.2。ファンの思いを無視したツケ(マイコミジャーナル)http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/056/index.html
Mar 30, 2010
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知り合いの経営者に365日採用活動をしている人がいます。 急成長企業ならともかく、ここ7年ほどは新規出店も新事業も行っておらず、つまりは「離職率」の高さから、常に募集をかけていないと「成立」できないということです。 恋愛とビジネスはとても似ています。 雇用も同じ。 いつも振られる男と、捨てまくる男は対極のようでいてとても似ています。どちらも「自分」しかないのです。 今回は「人材育成」がメインテーマ。 そして裏テーマが、「自分を見つめる」です。 本稿では触れていませんが、私の最期の勤務先はその点「人材育成」に定評があり、辞めてから活躍した人が何人も。【第15回】辞めた社員はいまなにしてますか?(通販支援コラム)http://blog.scroll360.jp/ec/keiei/post-490.html
Mar 30, 2010
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営業現場では「謝罪」が下手な人ばかりでした。 大別するとふたつ。「謝らない」 これは責任逃れを狙ってのことでしょうが、その後の取引を考えたら愚策中の愚策。日本が米国ならこれで正解かも知れませんが、日本国では馴染まない手法です。 もちろん「モンスターコンシューマ」なる連中にも同じ。 つづいて「タイミングが悪い」 逃げ回ったり、追い詰められたりしてからなので、相手の感情は別次元にいっていてフォローできなくなっているのです。 本稿に詳しいのですが「謝罪は営業チャンス」です。 少なくとも私はそうして「焼け太り」してきました。 モンスターコンシューマ相手でも一緒。「いやいや謝ったら最後、図に乗って・・・」 という反論にはこう答えます。「そこまでなら追い返せばいい。だって客神様じゃなく取引先」 これもお客さんから教わったこと。■心得其の160「Webマーケッター瞳に捧ぐ。焼け太りする謝罪の極意」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/03/24/7552
Mar 26, 2010
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今回、紹介するのは「漫画」。 いやぁ目の付け所で「ネタ」ってあるのだなぁと唸ってしまいました。そして面白い。 読後、専務に渡したら仕事そっちのけで読みはじめ、気がついたら「二度読み」していました。 そう「ローマ人の物語」を読んでいて気になったのが、「古代ローマ」と「日本」の共通項です。その度に落胆もしたのはせおの政治の違いについて。 ローマ人の物語は塩野七生さんの「小説」である点を差し引いても、ローマ人はローマ人たろうとして「政治」と向き合っていたのに日本はといえば、突きつめれば他人事で、どこかで誰かがやってくれることを期待しています。与えられた民主主義との違いだといえばそれまでですが・・・話を戻します。 いくつかあるうち代表的な点をみっつあげれば以下となります。・多神教・勤勉性・風呂好き 多神教はキリストに挿し替わり、それが国家の生命に終止符をうったとも言えますが、ローマがローマだった頃は多神教で宗教には寛容で、皇帝の死後はみな神となりました。現世的な理由から。 勤勉性。日の出と共に働き、午後1時まで毎日働きました。 日の出を4時とすれば夜9時間労働。なかなかです。 そしていざ鎌倉、もとい戦争となると、この勤勉性をいかんなく発揮して、何万という軍団が整然と活動しパックスロマーナを実現したのです。 午後1時以降は何をしたか? お風呂です。 江戸前の銭湯と同じく、風呂場でノンビリと過ごすのがローマ人の嗜みで、歴代皇帝の中には庶民と同じ「銭湯」で汗を流した人も少なくありません。 どこかの国の首相夫人のように前任者の使った浴槽がイヤだからと付け替えさせることはあっても「自費」が基本のローマでしたしなにより「銭湯」にいけば、誰が使ったのかなど気にすることはありません。 比較すればするほど溜息が出るのですが、「テルマエ・ロマエ」に話を戻します。 主人公の建築技師は才能の限界にあたります。 前述したほどローマ人にとって「風呂」は大切なものですが、新しいアイデアが浮かばず、若くして「ロートル」の扱いを受けようとしていたその時、彼は「タイムスリップ」して現代日本の「風呂場」へ。 主人公はそこでみた我々をどう呼ぶか? ここから爆笑の連続なので割愛しますが、次々とおこる難問をタイムスリップで解決しつつも誇り高きローマ人として揺れ動く心模様も・・・笑えます。■テルマエ・ロマエhttp://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4047261270
Mar 26, 2010
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仕事中もテレビを「消音」にしてつけっぱなしにしています。 以前はラジオだったのですが、関東AMラジオ文化放送の人気番組「吉田照美のやる気マンマン」が終了したときのいきさつというか「切り方」から、ほとんど聞かなくなり、ラジオテイストをもったテレビ番組日本テレビ「ラジかる」を偶然みて乗り換えたのです。 ながら視聴以下の集中力ですから、まともに見ていないのですが流れる映像と「普通の発言にもテロップをいれる過剰演出」 のお陰で、さらに「デ・ジャビューと錯覚するほど繰り返し流される同じ内容」 により、垂れ流しておけば大まかなニュースはつかめます。 新聞も読みますし、ネットニュースもそれなりに追いますが、やはりテレビで流れると「コンセンサス」となるので、ネタを切り出すタイミングを計るにはもってこいです。 ちなみに「ツイッター」ネタもテレビで取り上げたからです。 久しぶりに「音声付きワイドショー」をみました。 内容は・・・まぁそれ相応で変化も進化もなく偉大なるマンネリとはこういうものだとしみじみと思います。正しくは時代に合わせて「パッケージ」だけは替えていますがね。 そんななか時代の寵児を「室井佑月」さん。と、同時に思い出したのが「倉田真由美」さん。 まぁご発言がなんと申しましょうかライト、いやモスキート、自走しないホバークラフト、飛ばない風船。いやいや、個人としての思想信条はあるのでしょう。それはそれで結構なことで、作品として消化されているのでしょうから、素晴らしいことです。 で、これはメディア批判です。「彼女らに政治を語らせて面白い?」 読売新聞は社会面でも識者として語らせており、私の記憶が確かなら「自民か民主か」的な設定で、「どちらに投票しますか」という問いかけに「最後は勘」 と答えていましたが、それなら近所のダイエーやマルエツで主婦を捕まえて訊ねれば、記念品のボールペンで済む言葉ではないかと。 室井氏は今回の「暴れる静香ちゃん」をみて、支離滅裂なコメントの末に「よくわかんない」 とあきらかに混乱している言葉しか吐けませんでした。 これはTBSのお昼のワイドショー。 発言の要旨をかいつまんで勝手にフォローするなら、「自民党が悪者の時代は分かりやすかったのに」 ・・・で、これ、今のコメンテーター、特に民主党シンパやアンチ自民党芸人にも見られる混乱です。 ただ政治屋芸人たちは腐ってもプロですから、それぞれの立場から今の政治の状況を分かりやすく整理して伝えようとしています。アンチ自民党芸人の鳥越俊太郎師匠だけは「独自視点」で、番組構成を無視して時に放置されるのが可哀想で仕方がありませんが。その姿は大神楽をさせてもらえな「お染めブラザース」のようで。 話を戻します。 それではいつから彼女たちのような「政治の素人」が登場するようになったのでしょうか。もちろん、以前から「茶の間目線」というのは存在しましたが、それは「街角取材」で補っていました。 私の結論はこうです。「小泉劇場」 そうよばれた政治ショーがワイドショーに「はまり」、茶の間の視線を釘付けにし、さらに不況がそこに襲いかかります。「コメンテーターの発言は編集がいらない」 素材によりますが、編集は撮影の3倍時間がかかるときいたことがあります。実際、私が資料用の映像を簡単に編集した時もそれに近い時間がかかり、学生時代につくった3分ほどのショート映像には一晩かかりました。 ところがコメンテーターなら編集が不用です。人手が省ければ予算が削減できるのは日雇い派遣でも明らかな経済原則です。 世間の声を集めたければ「インターネット世論」で数字だけ集めるのは至極簡単なので、あとは「声」をあてるだけ。 彼女たちの「本業(この場合は世に出た時のを指して)」を否定しているものではありません。しかし、「小泉劇場」がなければこれほど長い期間、彼女たちが公共の電波で政治を語ることはなかったのではないかということです。 そして面白いのがどちらも小泉さんに否定的であるところ。 どちらの筋かと言えば「アンチ自民党芸人」一門。 すると輝きを失い、発言が迷走するのも致し方なし。 ・・・ながらく「言えないこと」をお読みの方ならすでにお気づきでしょうが、ここまでが前置きです。 えぇ、この一門。筋が悪いというか、芸能とお芸術を勘違いしているどこかの話芸にも似て、いや、もちろん話芸にも一級品があることは認めますが、しかし、自らが言うのは「野暮」ということをすっかり忘れまったかのようで残念至極でござんすが、コホン、えぇまぁ歌でも漫画でも芸人でもアナウンサーでも、本域に達していない素人に毛が生えた、時には個性的な素人に過ぎない輩がそれと称して登場する「なんちゃって一門」。 なんちゃってコメンテーターはもともとの「コメンテーター」がそもそも何者かがわからないので棚に上げたとしても、いま、永田町を仕切っているのが「なんちゃって政治屋」 一門の名前は「アンチ自民党」 で、自民党がいなくなったら自らの存在意義が分からなくなり浮揚する方法も、自らのモラルすらなくなる体たらく。 そして最近見つけたのは「アンチ小泉劇場」。もっともやっていることはその亜流のカーボンコピー。しかもそのスタンプ台は、さらに古い自民党。たしかに迷走するのは自明です。依って立つ足場も浮かび上がらせる風もなくなったのですから。 しかし、お忘れなく。それを選んだのは私たち。私は投じてなくても勝たせてしまった責任は敗者も背負うもの。 民主党「体たらく」は予言通りでしたが、「政治と金」「閣内不一致」「政治と女」などなど。「ここまで」とはさすがに、わたしも笑ってしまいました。
Mar 26, 2010
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どの世界にも「怪しい人」というのはいます。 不動産業界は多く、非合法な人から、右から左の人もおり、真っ当な職人までいるなかに溶け込むので素人は騙されます。 よくみる肩書きが「プロデューサー」や「プランナー」。 IT業界にも多数おります。 胡散臭いなぁ。と、他業界でいわれるひとが「エバンジェリスト」と呼ばれていることも多く、実際に何をやっているかを拾い上げると何もしていない人もいます。同じく「評論家」がやたらいる業界でそれも9割が「礼賛派」です。ほぼ盲目的に新技術や米国発祥のサービスを持ち上げます。 これは「産業構造」といってもいいでしょう。 新しい何か、に、商品価値があるようにみせることで、お金が廻る仕組みができているのです。これについてはいずれ機会があれば。 で、これら怪しい人にとっても「IT」は漁場です。 なぜなら怪しい人のターゲットは「ITに疎いお金を持っている人」 でもね。人の心は金で買えない・・・販売している人もいるようですが・・・もので、ファン心ももちろん買えません。 まぁ本稿から外れるので割愛しましたが、この「プランナー」。 逃げ足だけは速かったと添えておきます。■マニアの良心と弱みにつけこむプランナー0.2(マイコミジャーナル)http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/055/index.html
Mar 23, 2010
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原稿でダメ出しされました。それはタイトル。原文では「ラミアスの剣」 としたところ、編集部内リサーチで「わからない」とのこと。 ドラクエの伝説の剣なのですが却下されましたが、これは本旨とは無関係なので“さびたつるぎ”と。 ネット通販。誰もが簡単に考えます。 でもね。リアルで売れないものネットで売るのは、リアルの何倍も大変なのです。 ネット通販の成功例の大半は「都市伝説」・・・というか、特殊事例を「成功物語」として記事する際に「読者の共感」を得るために、加工しているのです。 良くある例では「普通の主婦が」「街角の中小企業が」と書き出し特殊技能があることはアクセントとして触れるだけです。 もちろん「努力」すれば道は開けます。 これはリアルと同じ。 だから挑戦には反対しませんが、その前に本稿をお読みください。■心得其の159「ネット通販とは“さびたつるぎ”。通販をはじめる前の一歩」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/03/17/7547
Mar 17, 2010
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「非実在青少年」が一部で話題になっています。 特に「ネット」では局所的にこの話題で持ちきりとなり、よくでた主張はこうです。「静香ちゃんの入浴シーンがなくなる」 騒動のあらましは東京都が東京都青少年健全育成条例改正案の改正で「非実在青少年」にも規制をかけようとしたことに、ネット(一部)から反対の声が上がり、漫画家が同調しました。 非実在青少年とは漫画やアニメに登場する18歳未満の人物。 つまり、静香ちゃんとは亀井さんではなく源静香、つまりドラえもんの風呂好きヒロインのことで、彼女たち実在しないキャラクターの「性的描写」への規制に反対ということです。 原作者の藤本先生(藤子・F・不二雄 故人)が許可するわけないじゃん。という冷静な突っ込みはこの議論とは無関係なのでおいておきますが、まぁパロディなども含めて規制するのは表現の自由を阻害するとんでもない条例だという主張です。 静香ちゃんのセックスシーンを見たい気持ちなどさらさらありませんが、表現の自由に関しては私も物書きの端くれ、規制などまっぴらゴメンです。 そしてこの条例の最大の問題は「線引き」が曖昧なこと。 だから為政者が恣意的な運用をすれば、特定の作家や表現を狙い撃ちすることもできなくはありません。 反対派の理由もここに求めるものが少なくありません。 しかし、表現の自由はどこまで認められるものでしょうか。 と、いう議論はここではしません。 規制反対派の「論」への違和感が今回のテーマです。 著名漫画家の集まった集会を「ネット中継」で見ていたのですが同じ表現者として首をひねります。 別の作業をしながらみていたので誰の発言かは失念しましたが、こういう主張がありました。「何でもみせろ」 見た上で、要不要を判断するのは読者だということです。 この何でもとは年齢制限なしを意味します。 すこし言葉を足しておきますと、つまり作品の良し悪しはその表現も含めて、規制や条例で縛るものではなく、表現者と読者との対話により決まるものだ・・・というような意味に私は解釈しました上で述べれば、これは「表現者の傲慢」 です。 ウチに子供はいませんが、少なくとも小学生にいまのH漫画は読ませるどころか目に触れさせたくありません。 すごいですよ。画力のレベルが上がっており、いまメジャーな「マガジン」あたりで描いている作家さんが、くんずほぐれずを描写するにあたっては、安物のAVより凄く、掛け値なしに「凄い」と思います。 規制反対派の人は是非一度、書店の「エロ漫画」コーナーに足を運んでみてください。あるいはブックオフなどの古本屋でもOK。アニメ絵、オタクネタ、叙情派などなど。内容は妄想系など可愛いもので、(この箇所、楽天日記の表現規制により自由が束縛されています。メルマガ版、あるいはIza!版にてご覧ください)とまぁそのバラエティの多さにだけは感心します。 で、問います。子供が見ても大丈夫ですか? と。 あえて「表現」に限定して問うならこうです。「少年ジャンプにセックスシーンは必要か」 もちろん、サンデーやマガジン(は、すでにやっており卑猥・・・ただし是は主観・・・ではありませんがヒロインが妊娠するというおまけ付き)でも同じです。 漫画・アニメということなので少年誌とカテゴライズしているものに「性表現」が必要か否か。 反対を表明する表現者は「表現の一部」とします。 はてさて「一般の皆さん」はどう思うでしょうか。 かつて「少年ビッグコミック」という少年誌がありました。 それが「ヤング・サンデー」にリニューアルしました。 途端に「エッチ」なシーンが花盛りで「これが青年誌だ」 と感動したのは20年以上前のことです。 かつては自主規制していた「たが」が外れたことは棚上げにしてはいないでしょうか。 ルールや規制は「守らない人」が作りだすのです。 その「規制」について。反対派の論旨を聞いているとそこに見え隠れするのが「戦中の弾圧」です。思想統制というか、動員体制と同列に語ります。 なるほど・・と私は頷けません。だってざっくりといえば「エロ本」 と扱われるだけのことですから。条例が曖昧なので「暴走」は確かに恐怖するのでですが、規制の対象になってもコンビニで「封印」されて売られるだけのことで「BUBUKA」などと同じ扱いになるだけならば購入もできますし、同時に表現だってできます。 もちろん販売ルートは限定されますし、立ち読みも制限されることから売り上げ減少があるかも知れません。しかし、「表現の自由」 と大上段に構えるならこれを持ち出すのはどうでしょう?「好きなことを好きなやり方でやって、同じチャンスを与えろ」 私の耳にはこう届きました。日雇い派遣村の主張と重なって見えたのは私だけでしょうか。 そして「規制=戦争」という短絡思考にも閉口します。 これは「落胆」を含めてですがあり得ません。 まず、海外=欧米で唱えられる「表現の自由」には宗教的素養が前提としてあります。 海外の表現者が「神」と対峙する時には、つねにタブーへの挑戦があり、神との対話があるのです。 翻り日本国にはありません。 かつて海外の「神」の教え(から逸脱するとしての)である「タブー」のようにこの国には「道徳」がありましたが今や昔です。 戦時下において「国家への奉仕」は道徳に刻まれたものです。 平成日本にはその「道徳」という概念がありません。 つまりどれだけ「エロ」を規制しても「戦争」に辿り着くことなどあり得ないのです。だいいち、その前に「選挙」などの手段もありますし、それよりも「自分が死地に赴くかも知れない戦争」 を決断できる日本国民は超マイノリティーです。 公より私を大事にするのが平成日本です。 余談ですが米軍は日本人のために血を流すのではなく、米国のためになるときだけ日本を助けるのですよ。 規制に関しての議論は必要です。何より曖昧すぎます。 しかし、アニメや漫画は日本の誇る文化ではありますが文化とは社会制約の中で存在するものであり、「表現者の傲慢」が優先されることは本末転倒です。
Mar 17, 2010
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ツイッターへの警鐘ファイナル。 部屋の片付けをしながらおもちゃ箱をひっくり返しているようなもの。 これはツイッターにはまっているとある新聞記者のツイートを見ての感想です。違う表現をするなら「酔っていないという酔っぱらい」 ツイッターに嵌っている人は冷静を装いながら、依存していることを認めません。これはミクシィやセカンドライフを挙げるまでもなく、インターネットが登場した頃からあったことで、まぁ私の本音は「またか」 もっとも「デイトレ」「ヤフオク」「アフェ」に主語を置き換えても同じですから初恋のような熱病とみれば微笑ましいのかも知れません。 富士通総研の調べで「ツイッターの知っている人 70%」という記事も彼らを興奮させたことでしょう。しかし、これをよく見ると「インターネット調査」 釣具店 上州屋で「友釣りしってますか?」と訊ねるのに似ています。 結論は本稿に譲るとして、私は仕事をしている時はツイッターを見られないようにしています。理由はおもちゃ箱と同じ。そして仕事においてツイッターから入る情報は、即時的に役立つことはありません。 それは最新情報をパブロフの犬のように反応して、我先にと「2げっと」 する種の職務内容ではないからです。原稿書きですが、流行ものをもてはやすのは私に与えられた役割ではありませんし、なによりお客さんを儲けさせるのにほとんど役立ちませんので。■Twitterから生まれる0.2。実は難しいツールだという特別編http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/054/index.html
Mar 16, 2010
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「龍馬研究」が進んだ現在では数々の指摘がありますが、どれも「へへん、俺の方が龍馬をしっているんだぜ」 的な臭いを感じてしまうのは私だけでしょうか。 踏み込んでいえば司馬遼太郎の「龍馬がゆく」を中心に、その周辺を巡る惑星や衛星です。 いや「書類」などを揃えて並べたモノが「歴史」だという前提ならば司馬遼太郎こそ夜空に浮かんだ三日月でしょう。 あえていいます。「だから歴史嫌いができる」 歴史とは人の営みを重ねた地層で、後生の人間が顕わになった断面を見て関東ローム層のように時代に目印を付けて分類することはできますが、しかし、時代を生きた人の心の動きまでは断層をみるだけでは分からないのです。 平易な言葉にすればこう。「龍馬の気持ちが分かるか」 年号はわからなくても「人の気持ち」なら、時を越え、平成JKにも草食系男子にも理解できることでしょう。すると歴史は退屈な授業から「物語」というエンターテーメントに変わります。 司馬遼太郎「翻訳」の龍馬の心に触れることで、幕末という混乱期にも目を輝かせて「日本国」を作ろうとした若者達が蘇り、そんな国に生まれたことを少し自慢したくなります。 ただし、一つだけ問題が。 いま、文庫本版で最終刊を呼んでいるのですが、龍馬はついに大政奉還を成し「近江屋」に泊まってしまいました。歴史の難点は結論がでてしまっていることで、ページをめくる手が最近ストライキをしています。■竜馬がゆくhttp://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4167105675
Mar 12, 2010
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いま注目のお笑いコンビは「Wコロン」。 と、いっても足立区民にはお馴染みのと・・・いってよいのか微妙ですが、地元の「ケーブルテレビあだち」の情報番組でキャスターを務めています。 正直に申せば、誰だ? こいつら。 と呟いていましたが、関東AMラジオの文化放送「寺島尚正 ラジオパンチ」で中継の声に聞き覚えがあるなぁとある日気がついたのがWコロンでした。 Wコロンの快進撃を私が発見したのはテレビ朝日の深夜番組「アメトーーク」から。 「雨上がり決死隊」が司会を務め、毎回様々テーマに沿った芸人がまつわるエピソードを紹介する番組で「家電芸人」「ガンダム芸人」などのヒット企画が次々と生まれています。 「町工場芸人」という企画でWコロンの片割れ「ねずっち」が登場しました。 テンポもトークもエピソードも好意的に表現しても「ぬるい」のですが、鋭く切れる「なぞかけ」は圧巻です。 「○○とかけて××ととく、そのこころは?」というあれです。 次に見たのは日本テレビ「ミリオンダイス」。 企画は「なぞかけ100連発」。見事クリア。 同じく「おもいっきりDON!」にも出演。 すべての「なぞかけ」は水準以上の品質で答え、私の見立てでは林家正蔵(旧こぶ平)のレベルは軽く超えています。 そして我が町足立区では、ようやくブレイクした彼らを応援しようという空気がありません。 これは中小企業にも通じます。 身内を低く査定するのです。 日本人的な謙遜ではなく、不当に低く評価されている社員は沢山います。 社員はいずれチャンスを掴み会社を離れていきます。 その後も「目下」として軽く見下し、失った物の大きさに永遠に気づきません。 退社した社員はいま何していますか? そこに成長のヒントが眠っているかもしれません。 Wコロンは「一発屋」っぽいのですが、それでも「0」よりマシ。 ガンバレなぞかけ芸人。■伸びる会社は知っているより転載(アズモード発行メルマガ)http://www.as-mode.com/faxmagazine/faxmagazine213.html
Mar 12, 2010
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いわゆる「ラーメン通」が絶賛するラーメン屋は苦手です。 濃いかくどいかにしか感じず、最近では「あっさり●●」というのもありますが、ひとつの店でひとつの味しか楽しめないのがイヤ。 仮に「臨時休業」なら徒労に終わりますし、あっさりを求めて移動中にガッツリが欲しくなることだってあるのは人間だもの。 だから昔ながらのというか、ラーメンもあればチャーハンも広東麺も湯麺あるラーメン屋が好きで、99%そういう店しかはいりません。 で、車でクルマで30分。東浦和(正しくは川口柳崎かな)にある「銀の水」。オススメはラーメン、あるいはチャーハン、人によっては広東麺。今日の私はあんかけタンメン。さらに滋味深い五目ラーメンなどなど。まぁ美味い。 さすがに多忙の中を生きており、食事だけ足を運ぶのは困難ですが、古くからのクライアントが近所にあり、そのついでに足を運ぶのですが美味し。 しかし残念なことが。厨房と給仕が一人ずつの計ふたりで営んでおりお昼時の混雑時はオーダーが飛ばされることは多々あり、本日はそのなかでも最悪のパターン。 完全に後ろふた組が後注文、先提供となりそこまでは我慢しましょう。会社員時代から通っているので10年、多分、オープンした直後から通っているので、こんな日もあらあなと。 ようやく、実は後ろ3組目にもとばされてからでてきたのが私のあんかけタンメン。スープはぬるく麺がのびています。あんが熱いので気にならないと言えば気にならないのでしょうが、あつあつを命がけで食べるのが好きな私にとっては、ジェットコースターに乗ったつもりが観覧者だったような低刺激。 ま、我慢しましょうか。ところが同行した我が社の専務のオーダーはさらに2組飛ばされたあとにようやく登場します。 彼女は猫舌。よせばいいのに広東麺。こちらはできたて。 麺にはバッチリ腰があり、奪って先に食べるとやっぱり美味し。 私は文句をいいつつ、半分まで食べましたが、途端に食欲を失い「基本完食」をモットーにしているのですが、4分の1ほどのこしてギブアップ。不味いとは言いませんが、日頃の美味さを知っていると「クオリティ」に納得できず食欲のシャッターが降りたのです。 厳しいようですが、それだけ美味い店ということです。 そしてそれだけに残念と。 結局、専務が食べ終わるまで混雑している店内で「週刊ダイヤモンド」を読みふけることに。迷惑なのは分かっていますが、オーダーは私たちが飛ばしてくれとお願いしたわけではありませんし、女性を一人店内に残してでていくことはできませんので。 年に何度かこんな日があるのですが、こちらへは年間20回は最低でもいっています。仕事のついでがない時は「浦和方面市場調査」と無理矢理仕事をつくって。 味は間違いないです。ただ、初めての方はお昼のピーク時を少しずらすと「間違いない味」を楽しめることでしょう。 最後に「ラーメン通系」の店が嫌い・・・コホン、苦手な理由は「券売機」。あれが許されるのは立ち食いそばと高速道路のサービスエリアのレストランだけというの私見ですがあれを導入する理由を知っているとなんだか世知辛くなるのとやはり美味しいものを食べて「ご馳走様」とお金を払う瞬間「ありがとう」の気持ちを込めて手渡すお金が誇らしく感じるからで、先払いで紙切れがでて、それを渡して食して不味かった日にはそりゃあ・・・プライスレスにガッカリします。
Mar 11, 2010
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ツイッターをビジネスに! えっと必勝法は簡単です。ネットの住民向けの商材を用意して、彼らが喜ぶ「ネタ」を投下するだけ。 揶揄しているのではなく、事実を述べれば「ツイッター」という主語を「Web2.0」に「ブログ」、あるいは「セカンドライフ」「SNS」と置き換えれば古より語り継がれるネット販促の基本技だからです。「ツイッター」というツールを「情報の共有化」や「リアルタイム」とするムキもありますが、いやはやこれは微苦笑を禁じ得ません。 どちらも前提条件がすっぽり抜け落ちています。 それは「常時接続」 ネットへの技術的なことではありません。携帯回線でもADSLでも結構ですが、正しく書けばこうなります。「常時ツイッターに接続している人」 まぁ・・・業種も人種も限られます。少なくともコックや美容師には難しいでしょう。 で、秒単位での情報共有やリアルタイムを求めないのなら、ブログやメールで不足はありません。 こういう反論もあるでしょう。「つながる力」 勝間和代さんの書籍じゃありませんが、これもまぁ我田引水的な礼賛論で、ツイッターの際だった特徴と言うよりは蜘蛛の糸のように張り巡らされたインターネットの「本質」で、これまた先の主語の入れ替えで以下同文。 そしてここら辺から「ビジネス」から脱線して「自己啓発」へと流れる危険性があります。それは論理のすり替え。ビジネスの話しを自己啓発にすり替えて儲かるのは教祖や講師。一般のビジネスでは使えません。 これらを冷静に見極めるための「数字の見方」が今回のテーマ。 こちらは全てのビジネスで使えます。■心得其の158「ツイッター成功事例の裏を読む。デルの成功事例はたった2千円」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/03/10/7513
Mar 10, 2010
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今日は「東京大虐殺記念日」、もとい「東京大空襲の日」。 対等な日米関係。なるものが存在するなら、まず、この民主党が大好きな「社会実験」の謝罪を迫ってみてはいかがでしょうか。 米国はご丁寧に「紙と木でできた住宅(木造、襖、障子)」に焼夷弾を円形に落として・・・まぁ巨大なキャンプファイアーした時の実験をした・・・と、されています。帝都東京で。 時が経っても忘れてはならないことがあります。 そのひとつが今日です。 過去を恨めとは言いませんが、行われた「事実」と「被害」の検証は「密約」を暴くことより重要かと、私は考えます。
Mar 10, 2010
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世界第2位の経済大国を誇っていた我がニッポン。 の、凋落が止まりません。日本経済の「底」はどこなのか。 冬季五輪は全体的な底上げと見るか、トップを獲れない戦略性のなさを嘆くべきが微妙ですが、すくなくスピードスケートの高木選手を除けば、「次世代」の希望が見えてきません。 また、長野五輪で貯め込んだ金も「計画通り」に使い、底をつきました。 そして「世界のトヨタ」は信頼をなくしました。 同じく「家電ジャパン」はすでに過去の栄光で、太陽光発電の一位は雲の影どころか雪雲にかき消されています。 政治は言わずもがな。昭和の自民党のような民主党に期待できずまた「若手」も去勢されたようなおとなしさで、いや、臥薪嘗胆チャンスを待っているというのなら、民主党ってなんなのだい?と突っ込みをいれてしまいます。そのまま自民党にも以下同文と。 誇れるのは世界的大ヒットの「iPod」の鏡面仕上げぐらいでしょうか。すると日本に待っているのは「世界の下請け」。なんだか懐かしい言葉です。 株式格言に「もうはまだ、まだはもう(諸説あり)」があります。「もうこれ以上、上がらない(下がらない)」「まだ上がる(下がる)」 と、つい自分に有利なほうに情報を捉えてしまうことへの戒めです。 平成ジャパンに置き換えれば、始まりのバブル期はこう「まだ上がる」 はじけた後はこう「もう下がらない」 バブルだったと気づいてからは「まだ下がる」 と右往左往している間に、冷静な外資に美味しいところをもっていかれたということです。 しかし、100年、いや10年単位ならともかく、1年2年のスパンでで考えれば、下がり続けるということは古代ローマの「ボンベイ」や、「カルタゴ」のように滅亡しない、されない限りは起こらないことは歴史が証明しています。 すると今はどうか? 楽観的に「上がる」とは残念ながらいえません。 突然、話題を変えます。「週刊少年ジャンプの黄金期はいつでしょうか?」 ジャンプに興味がない人のために説明すると、かつての60年代から70年(昭和40年代)、「ハレンチ学園」「男一匹ガキ大将」「ど根性ガエル」 こんな漫画作品が連載されていました。 私が覚えているのは1970年代後半、つまりは昭和50年代で「リングにかけろ」「すすめ!!パイレーツ」「サーキットの狼」 アラフォーなら名前ぐらいは知っている作品となると80年代に突入してからの「キャプテン翼」「キャッツアイ」「北斗の拳」 といったところでしょうか。 ジャンプの代表作を挙げたらキリがありません。 そして1994年の年末特大号で653万部の世界一の歴代最高部数を達成しました。 と、いうことはここが「黄金期」でしょうか? それに対する私の答えはノー。 私見ですのでご意見には感謝しますが自説の押しつけは、ご自分のツイッターやブログでどうぞ(いや、それもジャンプ愛としてわかるのですが返答しきれないので)。 黄金期は80年代と考えます。 もちろん異論があるでしょう。「ワンピース」や「ハンター×ハンター」「ナルト」などは90年代後半ですし、2000年代にはいってからも一部海外で社会問題になるほど広まった「デスノート」もあります。 しかし、何を以て「黄金期」とするかいえば、目安のひとつに「部数」があり、ならば、「ピーク」の94年末ではなく、その前とするのは「ピークは結論に過ぎず、ピークを生み出した蓄積こそ もっとも輝いている時代」 と・・・まぁこれももちろん私見ですが。 94年のピークを代表する作品に「スラムダンク」や「幽☆遊☆白書」があり、これらは90年に始まっており、90年代・・・とすることに違和感を覚えるのは、私も、ものを書く生業をしている故。「作品」の「仕込み」はそれぞれとはいえ、連載のはじまる前からで「スラムダンク」においては、その前に「読み切り」がありました。そこから辿ると80年代に辿り着く・・・と、些末な時の勘定をしているのではありません。ピークへと向かうエネルギーは80年代に仕込まれていたとみるのです。 80年代に突入して「ジャンプ」は300万部を突破しました。 この時代の連載作品を以下に挙げます。「Dr.スランプ」「3年奇面組」「ストップ!! ひばりくん!」「ウイングマン」「ブラック・エンジェルズ」「風魔の小次郎」「よろしくメカドック」「銀牙 -流れ星 銀-」 「Dr.スランプ」はあの「アラレちゃん」ですが、原作では頻繁に「う○ち」が登場し、一歩引けば下品です。「3年奇面組」は「ぶさいく」を「奇面」と称していますが、現代ならあちらこちらからクレームがはいり連載は困難でしょう。「ストップ!! ひばりくん!」はヤクザとオカマ(これも今なら性同一性障害として扱われるのでしょうか)、「ブラック・エンジェルズ」は暗殺屋さんで「風魔の小次郎」は木刀で宇宙を破壊します。「よろしくメカドック」は自動車修理工によるロータリーエンジンの解説が差し込まれ、「銀牙」は犬が会話をして集団闘争を繰り広げます。 ひとことで総括すれば「無茶苦茶」で、約30年前を大人になり振り返り、このジャンプの作品群、とくに80年代のそれらの「多様性」 に唸ってしまいます。 ちなみに同時期、マガジンの名作はこんな感じ。「翔んだカップル」「あした天気になあれ」「1・2の三四郎」「コータローまかりとおる!」「バリバリ伝説」 それと斉藤由貴さんを排出した「ミスマガジン」。もっとも東宝シンデレラガールの準グランプリが先ですが。 コホン。同サンデー。「タッチ」「ふたり鷹」「究極超人あ~る」「トーイ」等々。 ・・・ジャンプのぶさいくから自動車修理工までの幅の広さから比べると「多様性」において見劣りします。作品それぞれの評価ではなく一冊の漫画雑誌としての評価です。 この「多様性」が大きな資産として、花開いたのが94年末の記録だというのが見立てで、「黄金期」を現象として捉えるか、背景からみてもっとも「金の鉱脈」を掘り出した時期とするのかの違いで、私は次々と鉱脈を発見した80年代とするのです。 もっと平易な例えをすればこうです。「成り上がりの親と、その資産と人脈で成功した二代目」 二代目を否定する者ではありませんが、その「土台」を築いた成り上がりに軍配を挙げるということです。94年以降も大躍進し、あるいは600万部という記録に届かずとも近い数字を叩き出しているなら、評価は少し異なります。 ところが今の週刊少年ジャンプの発行部数はだいたい300万部。 つまり、80年代初頭並です。 インターネットに携帯電話、そしてテレビゲームと時間争奪戦が激しくなっている状況と80年を単純比較するのはフェアではないでしょうし、「健闘」していると思います。また、一時は陥落した「玉座(少年漫画誌発行部数)」へ復帰したことへは心からの賞賛を惜しみませんが「黄金期」として評価するなら80年代とみるのです。 ここで強引に話を戻します。 さて、日本の黄金期はいつだったでしょうか。 そして「多様性」はどこにいったのでしょうか。「多様性」を「貯金」と言い換えてもいいでしょう。 結論を述べれば、いまの日本は昭和、あるいは戦前から貯蓄してきた「貯金」を食い潰してしまいました。 多様性はそのひとつ。 ビジネスは世相を映す鏡で、ひとつの成功をみなが飛びつき多様化は置き去りにされ画一化へとひた走ります。 街が画一化されます。 ファストフード、ファミレス、チェーン店。 100円ショップにデフレファッション。 一見、バリエーションが豊かなようですが、すべて規格品です。 商店街は扉を閉ざし、街の洋食屋は鍋を洗います。 タバコの議論もそう。「健康」というひとつの価値観の前に「趣味や嗜好」は議論すらできなくなります。暴論と覚悟すれば武士の腹切りと健康など相容れませんが、かつては存在した価値観のひとつです。 個性もそう。個性の多様性と無分別は次元が異なる議論ですが「生き方(あるいは自分探し)」なるものまえに膝を折ります。 エコなど最たる例。地球に優しいという金科玉条の前に、数値の改竄が行われていたことはさらりと流され、振り返られることは希です。 ちなみに現代日本が食い潰してしまった過去の貯金にはこんなものも「勤勉性」「上昇志向」「競争心」 あ、あの組合の嫌っているものばかりだ。 多様性とは種の保存のリスクヘッジ。と、考えるやはり日本の未来へ投げかける「もう」を告ぐ言葉は「だめ」・・・としたら切ないですね。
Mar 10, 2010
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先生についての問題点はなんども指摘しましたが、やはり「特殊な環境」に置かれていることが最大の問題ではないでしょうか。 北海道での「事件」も一般常識に照らして異常だということを気がついていないと・・というよりは、気がついてもそういう「業界」だと諦観していたのではないでしょうか。 組合だけではなく構造が「特殊な環境」なのです。 分かり易い「特殊」は2点。 大学をでたばかりの若者が「先生」と呼ばれ、以後、死ぬまで「先生」と扱われるのが当然な特殊さ。 一般人は大学を出てもぞうきん掛けからスタートです。 そして重なるように次の理由が「学校以外の世界を知らない」 ということ。 不公平も不条理も隣り合わせの社会を知らずに先生と呼ばれ先生の世界の常識に染まり生徒を指導します。良くも悪くも「先生」をヒエラルキーの頂点とした世界。 だから無礼も非礼もありません。■学校という特殊な空間が生み出す「先生0.2」(マイコミジャーナル)http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/053/index.html
Mar 9, 2010
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代理店のビジネスモデルの本質を突いていると自画自賛。 意外と代理店について述べている記事がないのは「御世話様」。 一般的なメディアや企業で、広告代理店の世話になっていないところは皆無に等しいのです。 大きいところでは電通や博報堂などなどから、雑誌広告も代理店があり、新聞に折り込まれる「チラシ」も代理店を経由します。 すると代理店の機嫌を損ねると広告が入らなくなるリスクに直面します。 それだけではありません。メディア自身も下請け企業に「丸投げ」することが多く、また「フリーランス」へ仕事を振る場合なども含めるとメディア自身が「代理店機能」を有しているのです。 つまり、代理店のビジネスモデルの暴露は自分へと返ってくる危険性もあり、つまりは「触らぬ神に祟りなし」とあいなります。 今回は「ホームページ屋」へ向けた特別編です。■心得其の157「絶対秘密の広告代理店のホンネ。ステータスメリットか本能的デメリットか」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/03/03/7402
Mar 3, 2010
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祝日が減ります。 特に民主党が夏の参院選で勝利するようなことがあれば。 まず春から初夏をゴールデンウイーク、秋はシルバーウイークとしてそれぞれ土日を含めた5連休を用意します。 つづけて「北海道・東北・北関東」「南関東」「中部・北陸信越」「近畿」「中国・四国・九州・沖縄」の全国を5つのブロックに分けます。 そして、時期をずらして「連休」をとるように法律で強制しようというものです。 狙いは交通機関の混雑を緩和し、「繁忙期価格」といった旅行費用の引き下げなどで国民の観光需要を喚起し、観光地にとっては従来の閑散期にも集客できるので雇用創出ができ内需拡大へと。 それでは「財源」、もとい「休日」はばらまくのか? いや、以前指摘したように「イタリアより多い祝日」の日本ではこれ以上休みを増やすことは現実的ではありません。 そこで5月3日の憲法記念日、4日のみどりの日、5日の子供の日、そして7月20日(便宜上旧祝日、以下同様)の海の日、9月15日の敬老の日、10月10日の体育の日を法律上の休日ではなく「記念日」に格下げするというものです。 これにはみっつの無理があります。 ひとつは「エリア」。この区割りは地図を広げて決めたのでしょうが、日本は南北に長く、北海道と北関東では気候や風土が異なり種蒔きも収穫時期も異なります。これはそのまま中国地方と沖縄諸島でも問題となるでしょう。そもそも農業や漁業に休日などないとお叱りを受けるかもしれませんが。 次に「現代日本」でエリアごとに「集団休暇」をとることは産業界、実業界からみて無理というより不可能です。 北海道支社は今週休みで、東京本社は来週、関西営業所は再来週に休み・・・となるということです。日本全国が繋がって仕事をしているご時世に近視眼的発想、あるいは思いつきとしか評しようがありません。 または強制的に法律で休みだと決めても、「休まない大企業」が現れれば、中小規模の企業など春と秋に顧客を奪われるか、休日をとらない消耗戦を余儀なくされます。 休みを分散することでレジャーの活性化をとありますが、産業は観光業界だけではありませんし、繁忙期をずらすことで旅行費用の引き下げをというのは、甘い見積もり。「繁忙期」が長くなり、全体的に薄く値上げとなるのは便乗値上げではありません。「だらだらと続く繁忙期に対応する人件費を上乗せ」 一度に訪れる繁忙期は処理能力の限界が上限で、人員もそこに合わせればいいのですが、年に2回だらだらと続く繁忙期に配置するとなれば費用を上乗せしなければなりません。 さらに交通機関の混雑緩和も微妙です。区分けされたエリアからの「出入国」は限られたルートしかなく、高速道路や鉄道網の混雑はいまさして変わらないことでしょう。 はてさて何の意味があるのかと最後の無理へ。 記念日本来の意味へという狙いもあるとされ、これだけは評価します。しかし「祝日」とは、海外にもありますが、日本には「ハレ」と「ケ」という概念があり、その「ハレ」を祝う日から転じての祝日です。 「晴れの日」「晴れ舞台」「晴れ着」の「ハレ」です。 ぶっつりと「5月の第2週は休み」として、それ以外の平日を「記念日」としても、本日3月3日が「オーディオブックの日」である程度に無関心となることでしょう。 5月5日の端午の節句を記念日化しようという動きに「ジェンダーフリー」 の影を見つけるのは穿ちすぎでしょうが、記念日本来の意味を取り戻すのであれば、祝日とはセットでなければ意味を為しません。 そしてこの話を「選挙応援に出向くほどの民主党支持者」はこう吐き捨てました。「また、どうせいうだけだろ」 ちなみに故大平首相は本日の「桃の節句」を祝日にしようという最中に病に倒れました。残念。
Mar 3, 2010
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2位ではだめなのか。 この台詞をバンクーバー五輪、女子フィギュアの銀メダリスト浅田真央選手に問いかけたらなんと答えるでしょうか。 ご存じ、今夏再選を目指すであろう蓮舫参議院議員が事業仕分けで世界一のスパコンの是非を文科省の役人に問いました。 後に民主党の「仕分け人」は様々な言い訳・・もとい説明を述べそのなかで「理由」や「使い道」について質すことが目的だったといいますが、「1位」を目指すのはどの分野にも通じる原理原則で、公然の場でそれを臆面もなく、ややもすれば演技過剰に述べるのは「無知の告白」か、結論ありきの「見せ物」と私は断じます。 誰だって悔しい思いなどしたくありません。2位とは負けることを意味します。そしてマーケティングの視点に立てば、1位と2位は雲泥の差が開くことは常識以前の話しです。 はてさて蓮舫さんは敗者の苦い涙も知らず、マーケティングの初歩の初歩もしらない「無知」なのか、それとも女優やタレントとしては花開かなかった演技力を駆使しただけなのか。 蓮舫さんはさておきます。彼女を選ぶのは選挙民、今夏も圧勝するようならそれを国民が認めたということ。 一番気になったのは文科省の役人の答えです。 私なら「2位ではダメです」と答え、その理由を尋ねられたらこう答えます。「誇り」 技術立国、知財立国を目指す国家の官僚として、世界一が国民に、また若者や子供に与える「誇り」はプライスレスだと正論をぶつけその上でこう締めくくります。「国家戦略として不用だと政治判断されたならそれに従うのが官僚 の仕事です。ご命令を」 誇り、面子、プライド。 かつては命と等しく、あるいは命より大切にされていたものがデフレの並に推されて低価格競争に巻き込まれています。 役人の誇りも政治屋の誇りも今や昔です。 予算委員会を見ていると「大臣様」が国民におもねる発言、言葉遣いを「恥ずかしい」という自覚もなく使っています。「させていただく」 連呼される度に「ダメ」と言いたくなります。「させていただく」は相手の許可を取る言葉で、選挙で国民の総意として付託したのですから、度々の国民の許可は不用です。 フジテレビアナウンサー松尾翠さんが立川談志師匠が病気を発表し、年内には復帰するという内容のニュースを伝える際に「復帰してくださる」 と表現したときに「弟子かおまえは」 とブラウン管、もとい液晶画面に突っ込みをいれたことを思い出すほどおかしな、または大臣としての誇りを忘れた卑屈な、または無責任な表現です。付託を受けてもいちいち「ご裁可を仰ぐ」というのは無責任すぎます。 「誇り」というのは無料ではありません。日本銀行券で買うことは難しい(と、いうのは簡単に売る人もいるので)のですが、別の価値からの「対価」が求められます。 分かりやすいところでは「我慢」。古い表現では「武士は喰わねど高楊枝」 がこれにあたります。誇りを守るためには空腹に耐え、時に犠牲も厭いません。 同じくこんな言葉もあります。「武士に二言はない」 これも誇りのためです。約束を違わぬという意味よりも、違えることが誇りを傷つけることを嫌う性質が「担保」となることで成立している言葉です。 嘘つきと罵られても気にしない人には通じません。 で、誇りのない人々。 旧政権時代。地方自治体の首長選挙で当時の与党系の候補者が敗北する度にこう叫んでいたことを思い出します。「民意は決した」 私はいまでも「地方は地方、国政は国政」という立場です。 だから「国政」の場に「国民の生活が一番」という阿呆なスローガンに呆れるのですが、長崎知事選でも町田市長選での民主党系候補者敗北も「地方の民意」であって、政権政党がどうだとは考えていません。無関係ではありませんが、直結するのは強引だと。 しかし、物言えば唇寒しというか、自公政権に吐いた唾がいま自分の顔にべったりと張り付いた民主党の皆様は過去の言葉を振り返ることがありません。鏡で自分の顔を見ないのでしょうか。 些末な庶民の私が国会議員様のお気持ちを忖度するのは非礼と存じておりますが、私なら恥ずかしくて街を歩けません。 言動不一致は私の誇りを大きく傷つけるからです。 もちろん「政治と金」も同じく。 現首相が野党時代に秘書の責任に触れた件は周知の通り。 現与党幹事長の発言もしかり。 そして「2位では」と問うた某参議院議員はこの1月に週刊ポストで「事務所経費」の疑惑について報じられました。 覚えている方もいると思いますが、野党時代のこのかた、自民党の事務所費問題を追及していました。 誇り。 いま、もっともこの国に不足しているのは経済対策よりも「誇り」ではないかとクライアント相手に持論を展開しているとお茶を持ってきた我が社の専務がしてきます。「叩いてでるホコリは沢山あるのにね」
Mar 3, 2010
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「子供手当」についての結論を本稿の結びに記しております。 そして私はこんな場面になんども遭遇しています。「こんな日本に誰がした」 という嘆きへの私の結論は「平和の副産物」。 高度経済成長も、世界の危機感を棚上げにして享受できた平和によりますし、前後の人口増加も平和のお陰で、自民党長期政権も、優等生とお坊ちゃんが集う学級委員会のような民主党政権もすべて「平和」の恩恵と考えます。 言葉を極めて言えば「平和」は階層を固定化します。 現状に不満がなければ人は現状を追認する生き物で、特に日本人はその傾向が強いのです。実際には対立するものではありませんが「戦争」により、人が死に、価値観の変化を迫られれば「階層」も安穏としてはいられません。 あるいは、自主的な子供手当で財産や地位を引き継ぐ前に親が倒れることもあるでしょう。ところが戦後の日本は平和でした。 親が子供を思う気持ちは年齢とは関係ありません。 長生きした親が金と地盤、人脈を引き継がせるのは愛情の発露です。 そして「こんな日本」が生まれました。 臆面もなく「我が子」を守る社長を何度も見ています。 彼らの口から「政治」への憤懣を耳にするたびに微苦笑を禁じ得ず、「政治は国民を写す鏡」という言葉を飲み込み原稿で公開しています。■私腹を肥やすのは政治家だけじゃない。公私混同0.2(マイコミジャーナル)http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/052/index.html
Mar 2, 2010
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