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自縄自縛を覚悟の上で「文章」について書きました。 理由はとある「作文屋」のブログを呼んだからです。 まぁ酷い。なにがひどいかって、中学生のメルヘン日記のような支離滅裂さで、家族のことを語っているのですが、登場人物の相関関係が説明されず、使われる比喩は「楽しい場面で使う慣用句」を「怒りの場面」で用います。です。ます。と、である。の混在は校正以前のレベル。 そして「すごい」の多用です。 論旨がずれるので省きましたが、作文で「すごい」と書いた時は本稿を思い出してください。凄いとは絶対値ではなく、相対的な状態を表すもので、相対性に思いを馳せた刹那、文章に「客観性」が宿ります。 すると文章が立体的になるのです。 ただし、私にとっては自縄自縛。考えもなく「すごい」と、マス目を埋める(字数を稼ぐ表現)ことができなくなってしまいました。■心得其の186「嘘くさくならない作文の作法と「すごい」の使い方」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/09/29/8835
Sep 29, 2010
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池上彰さんが大活躍しているところも日本の病理です。 彼の「わかりやすい解説」って、分かることしか伝えていないからで、その分かりやすさが「作為」を隠します。 昨日のフジテレビで「首相の晩飯」のような企画がありました。 森喜朗元首相の「料亭通い」を面白おかしく取り上げ、次に麻生太郎ちゃん(親しみを込めて)のバー通いをあげつらいます。批判を受けて、大学生と居酒屋にいったことを「良い」と持ち上げてそのあと、ホテルのラウンジに行ったことを皮肉ります。 ・・・ちょっとまてや。一国の首相が大学生ごときと戯れていることはパフォーマンスに過ぎず、本気で取り組んでいたとするなら一国の首相としての資質が問われます。みぞゆう(しつこいですね)の経済危機に瀕していた当時(からいまも)、安い居酒屋で大学生の話を聞くより、経済界や海外の用心と会う、あるいは官僚を交えて対策を検討しているべきときだったからです。 と、ここまでは「前振り」。 次に現首相の菅直人さんが持ち出されます。「ごくうらーめん大千元」 で夕食を食べたと伝えます。首相になる前から通った店でと。 ・・・これは虚報ではありませんが、トリミングされた情報です。 この数日前に首相就任後、頻繁に「高級レストラン」に通っていると報じられており、加えて「代表選」直前に「庶民派」をアピールするためだったというのが当時の報道の論調・・・が、一切語られないのはどういうことでしょうか。「庶民派」のアピールは主観から排除したとしても、高級レストランに足繁く通っているのは「事実」です。私は一国の首相がレストランや料亭で食事することには賛成です。やすい居酒屋やラーメン屋は庶民のものであり、国家を代表するリーダーには、その任期中は遠慮していただきたいと、それは自民でも民主でも共産党でも。 ところが池上彰さんは前述の森喜朗さんの料亭通いを語る流れで「官房機密費」を持ち出し、それで払っているかのような暗示をかけます。麻生太郎元首相は「金持ち」だからスルーしたとしても、いま、官房機密費を使える菅直人首相が、高級レストランに通っていることに絡めないのは「偏向」です。 自民党=金満、民主党=清貧というバイアスをかけているのです。 池上彰さんの左利き傾向は本人の思想信条の自由で非難するものではありません。 しかし、「わかりやすさ」ではなく「わかった気にさせる」という話術に耳を傾け、左傾化再教育がバラエティ番組で行われています。 これは穿った見方ですが、メディアに潜り込んでいる「分子」が中道に目覚め始めた日本人に危機感を覚え、活動している気がしてなりません。 ちなみに「国防」や「領土」におて海外では右左で基本姿勢が変わることはありません。
Sep 29, 2010
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マンガ大賞2010、手塚治虫文化賞受賞作。 と、いう栄誉が帯(こしまき)にありますが、不用でしょう。 本書を手に取ったとき帯をとり、ビーナスが失われた両手を取り戻し田中酒店(?)と見られるタオルで脇を拭き、もう一方でドライヤーをかけます。この表紙を楽しんでこその作品だからです。 エピソードを紹介すると、そのまま「オチ」が見えますので避けますが、古代ローマの「お風呂技師」の主人公が、前作に引き続き、「風呂作り」に苦悩し苦闘します。 水に浸かると平たい顔族(日本人)の住む世界に「タイムスリップ」するのは前作と同じ。今回は加えて蛮族との闘いと皇帝の引き継ぎという国難にも立ち向かいます。 作品内で説明されていないのでフォローしておきますと、蛮族が志願すればローマ兵となれるのは、もう少し後の時代で、この当時の蛮族は「補助兵」にしかなれませんでした。補助といっても実際の戦闘に参加しますが、ローマ市民で構成される「正規軍」とわけていたのです。これはつまり「ローマ市民」は特別だったからです。 特別には恩恵がセットです。そして蛮族とはローマ市民でも属州民でもない「野蛮人」・・・ですが、25年間補助兵を務めると晴れて「ローマ市民」になれ、身分を世襲できます。「国防」は古代ローマの頃から人類にとって当然の話で、人類史において「国防」を軽んじているのは現代日本だけです。 作品はしっかりと漫画の骨格があり、テンポも良いのですがどこか「脱力」する秀作です。■テルマエ・ロマエ2http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4047267708
Sep 29, 2010
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尖閣諸島については、先週さらっと触れたことがそのまま現実になりましたので、一応再掲します。「一歩足を引っ込めれば、一歩足を踏み込む」 のが大陸系の交渉術。 公務執行妨害容疑の中国漁船の船長が釈放されるので、フジタの社員が解放されたのかと思いきや、その後の展開を見るに「無策」 で解きはなつところは「らしい」といえばらしく、絶望にも似た暗黒感が先週末より総身を包んでいます。 そして一般常識の視点で報道を読み解く限り、立派な罪人であろう中国人の船長は釈放された上に、人の家に上がり込んで取り押さえられた犯人側が「謝罪と賠償」 を要求する始末です。 別のネタを用意していたのですが、今回は「そもそも論3 異文化コミュニケーション」。 について。 様々な理由がありますが、中国が「調子に乗っている」理由のひとつに「報道」があります。日本国内には数多くの外国人が住んでおり、その中にはスパイが多くいることは諸外国では有名な話しと聞いたことがあります。 そのスパイの重要な諜報活動のひとつに「報道調査」があります。インターネットやテレビ電波の受信で、世界中の情報が入手可能ですが、「産地直送」のほうが鮮度も味も良いのは情報も農作物も同じです。 新聞やテレビに報じていることが大事ではなく、報道により変化する「敵国の世論」を分析して、情報操作や印象操作、また周辺国へのアピール材料を見つけ出す作業です。 一例を挙げれば朝鮮日報新聞・・・と、某掲示板で揶揄される朝日新聞の「教科書書き換え大誤報国辱報道事件(ウィキペディアでは教科書誤報事件)」があります。 さらっとなぞれば、「中国への侵略を侵入に政府圧力で書き換えさせた」 というもので、これは「誤報」でした。 注目すべきは今回、すばやく日本人4人を拉致・・拘束した中国政府が、当時は「1ヶ月後」になって抗議してきたということです。 日本国内の「世論(せろん、主にマスメディアやそこに登場する識者により結論づけられるものは世論の範疇で決して輿論ではない)」を慎重に見守り、噛みついても賛否が分かれる、あるいは一部でも賛成する売国奴が現れることを見極めてから行動するのが大陸の流儀です。いや、インテリジェンス(情報外交)的な視座を持つ国では常識です。 当時の中国はまだ日本が「普通の国」だと思っていたから、慎重だったのであり、いまは恫喝と恐喝に素直に従う国と知っているので、すぐに噛みつくというわけです。 ただし、さしもの中国も今回の日本政府の強硬な姿勢から一転した腰抜け外交には若干の逡巡は会ったのかも知れませんが那覇地検の「外交判断」により釈放が伝えられた直後より、夕方のニュースを経ても「報道特別番組」 としてこの問題に取り組んだ放送局はなく、しばらくすると「異常気象で秋の味覚ピンチ」 と、のどかでお気楽な映像がながれるにいたって、「よし、いける」 と安心して恫喝してきたというのが私の見立ててです。 これが逆の立場なら、報道は過熱しネットは炎上し、デモ隊は日本大使館に火炎瓶を投げ込むかも知れません。それが自分たちの価値観である以上、「小日本」と侮蔑してもネズミが噛みつけば、無傷ではいられず、日本国内にいる「同胞」を、自分たちが小日本人の立場なら必ず危険にさらすと思えば、侮りすぎるのは危険だという心配は報道を見る限り杞憂と知り、心おきなく恐喝を始めたのです。 公共の電波を扱うものが国益を軽んじており、悲しいかな「世論」は報道に誘導されるもので「国土」の危機よりも「秋の味覚」を憂うのであれば、まだまだいけると。 ここで「異文化コミュニケーション」についてのそもそも論です。 コミュニケーションとは「互いに理解できる価値観」があってはじめて成立するものです。フランスのアニメオタクが、コミケで言葉の通じない日本人と笑顔を買わせるのは「アニメ」という共通する価値観があるからです。 コラムニストの勝谷誠彦さんは中国人はヤクザと一緒といいました。 ヤクザにだって理もあれば情もあります。しかし、一般人のそれとは違うものです。 これが「そもそも論」です。 一般人の感覚でヤクザの世界を推測しても理解できません。 一般人の感覚で「情け」をかけた日には逆ギレするかもしれませんし、それに乗じて「旨い汁」をすすりにすることもあるでしょう。軒を貸して母屋を取られるの実例は良くある話しです。 逆に一般人の無防備さ、危機への無頓着さはヤクザにとっては信じられないリスクマネージメントです。 両者を同列に語ることがどちらに失礼かは分かりませんが、「そもそも違う価値観同士が相手の価値観を理解することなど不可能」 ということ。それでは永遠に対立するのかというのは幼すぎる学級委員レベルの発言です。 相手の「価値観」は理解できなくても「行動原理」または「条件反射」なら観察することで理解できます。 ステレオタイプな例えですが、繁華街で「肩がぶつかればどうなるか」 ということです。肩がぶつかっただけで因縁をふっかける価値観は理解せずとも、ぶつかれば因縁が自動的にプレゼントされるという「習慣」を理解しておけば、事前・事後の対策を準備することができ「異文化コミュニケーション」において、これがもっとも大切だということです。 もう少し、平易な例を持ち出せば、「ナイフとフォークの国の客には、ナイフとフォークを用意する」 のです。和食なら「箸」を使うのが日本人の価値観でも、彼らが何を望み、何を期待しているのかをあらかじめ研究し、準備しておくのです。 その上で、懐石料理は箸で食べるものと提示します。 相手が箸を拒否したとします。友好関係が目的なら、準備しておいたナイフとフォークをだし、喧嘩を売るつもりなら、ナイフとフォークをわざわざだしてから「灰皿」のなかにでもつっこんでニヤリと笑えばいいのです。 どうしてもナイフとフォークを使いたがる「価値観」という形のないものは理解できなくても、彼らの「行動様式」ならば形があるものですから、知ることはでき、準備も対応もできるということです。 話を中国に戻します。 いま国内の「識者」のなかにはこんな意見が徐々に増えています。「中国の言い分も聞かなければ膠着状態が続いてしまう」 日本が謝罪も賠償も不用だという国内輿論に水を差す売国奴的発言ですが、これが増えるのは現代日本の「話せば分かる」という病理で、中国の価値観からすればこう考えます。「そもそもこちらの話を聞くということは、過ちだと感じ取って いるからだ。なぜなら、100%間違えていないというのなら 我々の話を聞く必要などないからだ」 ここから真骨頂。「つまり1%でも過ちを認めたのなら、その分の謝罪と賠償が できるはずだ。我々は100%を期待するが、小日本(の政府)が 難しいというのなら1%でも許す度量を我々はもっている」 で、賠償額を100倍にするのが彼らの交渉術です。 そもそも「交渉上手」の国に対して「無策」で挑むのは小学1年生が縦笛を武器にグリーンベレーに挑むようなもの。 ・・・と、実はここまでは昨日の夕方4時頃までに「下書き」したもので、その後の報道で中国はちゃっかり「話し合い」をちらつかせてきました。 あぁぁぁぁあ。だぼはぜのように食い付くんでしょうね。無策な管ちゃん・・・コホン、菅首相は。 そもそも。中国の不法、無法行為なのに。 結論。「価値観の違う国を日本の価値観では計れば国益を損ねる」 そもそも「国家間」で「真の友情」など生まれるわけがないということを誰も口にしない不思議な国です。 もちろん「真の互恵関係」なども存在しません。幻想というか妄想というか狂言です。
Sep 29, 2010
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値引きを「企業努力」という経営者が本当に多くて辟易します。 いま、この台詞が出た時点で私は商談を切り上げます。時に喧嘩もします。「品質向上、廉価販売」 とは特定の業種に一瞬だけ現れる現象で、恒常的に存在するものではないからです。あるいは「搾取」の上になら成立しますが、一部の大陸系国家をのぞき、植民地主義がなりを潜めたのも、永遠に搾取し続ける難しさの表れです。 こんな連中もいます。「儲かってるんでしょ? じゃあ安くやってよ」 両者にトレードオフの必然性はありません。儲かっているのは企業努力で、他社を助けるためのに投じる義務も理由もありません。 以前、別の原稿で書きましたが私が「代理店」の仕事を請けないと決めた理由は、こうした「無理難題」に取られる時間がイヤだから。 かくいう私も下請けを叩いたことがあります。「相場」を知らずにとんでもない価格で発注したのですが、会社員時代のことで、業界の常識が分かるにつれ、他の仕事で必死に「補填」しました。 それが充分だったとは言えないでしょうが、私の在職中はこの下請けさんには「そこそこ」の安定した仕事を出し続けました。 ところがこの春、この下請けさんから別件で電話があり、現況を訊ねると、いまは元の勤務先と取引していないとのこと。本稿の「ネタ」はここの話しではありませんが、やはりどこでも同じ様な結末を辿るのだなぁとコラムにまとめました。■下請けの逆襲。奴隷労働の徒花となる「デフレ0.2」http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/081/index.html
Sep 28, 2010
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「一定のストレスを与えなければ「仲良しごっこ」が、社員にとっての最優先課題になってしまうことがある」 これに気がついたのは会社員時代。「改革」の旗の下に多少の犠牲は仕方がないと、私は新婚生活を犠牲にしました。新婚で初めて迎えたクリスマスは、業務部門の誤配対応で自宅待機。その後、事業が立ち上げる時には追われて妻を会社に呼び出し、仕事を手伝いました。 同僚も先輩も誰も助けてくれません。いや、上長だけが見かねて「小遣い」をくれました。自腹で、晩ご飯でもと。 これを「恩義」に感じて働きました。が、周りはというと会社にそこまで奉仕するものはいません。仕事に人生を切りうることはしません。結論を述べれば「そんなもの」 なのです。だから「使い方」が大事で、「日付」というのはとても大切になります。【第21回】社員を戦力化する「日付」の使い方http://blog.scroll360.jp/ec/keiei/post-525.html
Sep 28, 2010
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先日のこと。 ある案件の打ち合わせに出向きます。 内容はとても簡単なもので「値引き」しても損失は出ないのですが本稿にあるように断りました。「お客様への背信行為」 結果的に10万円ほど損したことになりますが、この10万円のために大切なお客さんを裏切ることなどできません。 お客が業者を選ぶ自由があるのと同等の権利として、業者には客を選ぶ権利があります。どうも、ここを勘違いしている人が、受発注の双方に多いのです。 客が偉いのでも業者が偉いのでもなく「同じ」だというのが私の商売哲学です。 同じですから、感謝に頭を下げますし、よかれと思えば箴言もします。 本稿にも書きましたが、客が見積もりを見て高いと言ったら私はこういいます。「よくいわれます」 高い・・・を「悪」のニュアンスでいうことをシチエーションを換えて考えてみてください。銀座の高級宝飾店に行き、その「値札」をみて「高い!」 といっている姿を。「高い」に理由があれば値引くことなく、堂々としていればよいのです。■心得其の185「値引きはお客様への背信行為。Web屋のための値引き交渉ノウハウ」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/09/22/8800
Sep 22, 2010
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なにを今さらという突っ込みはナシで。 最初に手に取ったのが「文庫版」で、それも20刊を超えると全部文庫で揃えたくなり、文庫版が出るまでまって買って読んでいます。「ローマ人の物語」に、かつてのローマ人は登場しません。 いや、唯一「背教者」と呼ばれるユリアヌスは「法」に従ったローマ人として登場しますが、時代を染め、世界史を塗り上げるキリスト教の前には虚しい抵抗に過ぎません。 敬虔なるクリスチャンにとって、塩野七生さんの「解釈」は、意地悪に過ぎると感じるかも知れません。しかし、八百万の神を漠然と信じ、神も仏も「ちゃんぷるー」することに違和感も罪悪感も覚えない私からすれば、「一神教」が劇薬であると十二分に理解ができます。 そして「暗黒の中世」。私が「歴史」を学んだ昭和において「未来は正しく、過去は過ち」 でした。特に日教組教育も影響したのでしょうが、時代は常に進化発展するベクトルで、非生産階級の武士が闊歩した江戸時代など醜悪で、さらに文明開化で少し、光明が射すも、暗黒の軍国主義へとつながり、終戦により「解放」されたという歴史観です。 そんな私が「暗黒の中世」ときいて想像したのが「オカルト」でした。魔女狩りを筆頭にドラキュラとフリーメーソンなど、まぁ「ムー」の世界観を勝手に妄想で結びつけ、それをもって「暗黒」なのだと。だって、未来に向けて、つまり過去からすれば現在に向けて、人類は進化し続けているのだから! ・・・江戸時代、人類史で希有な「武器の進化が止まった」ことを知ったのは授業ではありません。ここらから、日教組の教える「歴史」に疑問を持ち、士農工商で虐げられた農民のなかに「豪農」がいたことをしり、さらに「苗字帯刀」も銭金で可能だったこと、あるいは「商人」でも許される場合があったことなどなど、「固定された身分階級で夢も希望もなかった江戸時代」 のイメージは完全に崩壊したものです。 西洋の中世において「ルネッサンス」がなぜ起こったのかも不思議でした。授業中の印象では「懐古主義」でした。あぁ西洋人もセピア色のアルバムをめくるように過去を懐かしむんだ。と。 もちろん、根本から違います。「キリスト教価値観」に染められた中世へと繋がるこの時代。 「法の民」だったローマ帝国が崩壊した最後の一撃は・・・あえて記しませんが、今回の副題がすべてを表しています。■ローマ人の物語〈38~40〉キリストの勝利〈上・中・下〉http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4101181888http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4101181896http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=410118190X
Sep 22, 2010
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尖閣諸島については言わずもがなですが、政府のお手並み拝見でこれはもう何年も繰り返していることですが、「一歩足を引っ込めれば、一歩足を踏み込む」 のが大陸系の交渉術で、尖閣諸島は領土問題ではありません。「侵略行為」 は存在しますが。 そして「円高介入」についても「82円になれば介入する予定だった」 と「民主党内紛劇の無策」を否定する方もいるようですが、ならば82円の根拠はなんざんしょうか。もともと92円でひぃひぃいっており、85円が「限界」といわれていたことなど「なかった」ような発言に苛立ちを覚えますが、これも現政権に習って「注意深く様子を見守る」 ことにします。理由はここ1年、民主党政権を見ての仮説が定説になるかもしれないからです。それは「追い詰められたらやる。追い詰められなければ何も手を打たない」 ということ。イレギュラーだったのは八ッ場で普天間ですが、八ッ場は「中止」と明言し、普天間は「最低でも県外移設」 とどちらも「先手」を打ったモノに関しては、「手詰まり」となり結果的には追い詰められて鳩山さんは首相を辞めましたし、八ッ場も早晩追い詰められることでしょう。 平たく言えば「無策」なのですが、こと1点。行動力がキラリと輝く政策があります。それは「現金支給(ばらまき)」。 子ども手当に高校無償化、農家の戸別保証などなど「現金支給」にからむ政策は後先を考えずに実施しています。額に汗した経験のない(と、これは慣用句で選挙活動では汗を流しているというのはなしですよ)政治屋さんには「現金」の意味がよく分かっていない証です。 ちなみにばらまきといえば「本家 自民党」ですが、こちらは土着の民や、這い上がってきた政治屋も多く、現金支給に関しては期間や適用範囲を「限定」する小技を持っていましたが、学級委員や生徒会役員のような顔立ちが並ぶ民主党では公立学校の教えのように「平等」 にばらまきます。 そしてまたばらまきます。今度は「司法修習生」にばらまきます。 詳しくは各種記事を追って欲しいのですが、ザックリと言えばいままで司法修習生に支払われていた給与を、今年の11月を境に打ち切ることになっていたものが、民主党の法務部門会議が突然「待った」をかけたというものです。 司法修習生には国庫から毎月約20万円の「給与」が支払われてきました。根拠としては法律家は「公益性」が高いということで、国が生活資金を援助するという「戦後」より一貫して続いてきたものです。 なるほど、一理あります。法治国家において「法」は命をも左右する重要事です。 しかし、私のように戦後もはるか遠くなってから生まれたものにとって弁護士とは「セレブリティ」で、一部の活動家などを除けば医者と並んで「裕福な職業」の代名詞です。また、法治国家においての法理上最強の武器「法」を手にしている最強プレイヤーです。その為、サラ金に追われて駆け込んだ法律事務所は「金利の引き直し」などで助けてはくれますが、手数料はしっかりと徴収します。もちろん、仕事ですから当然で、それを揶揄するものではありませんが、サラ金苦で一家心中まで考えた家庭に育ったある少年は、過去を振り返りこう述べました。「有料の正義の味方」 また、「敷居が高い」というイメージもあり、そこには「人手が足りない」という理由も叫ばれ、つまり「需要と供給」の関係で、供給不足があげられていたのです。 そこで、供給を増やすために法曹の大幅増を「司法制度改革」として実現することになり、ともなって「給与」を払い続けては国庫負担が増大するので、「貸与制」が生まれたのです。貸与制の仕組みはこうです。 1年間(修習期間中)に月18万~28万円を無利子で貸し、10年間で分割返済。なお、修習終了後、5年間は返済を猶予。 つまり付きに18万円「借りた」場合、修習終了後、つまり弁護士になってから5年という経験を積んでから、毎月「1万8千円」ずつ返せばよいという条件です。ちょっとしたケータイ料金を返せば弁護になれるというと煽りすぎでしょうか。 しかし、これをもって「金持ちしか弁護士になれなくなる」 というのが日弁連の主張で、民主党がこれに同調したのです。 はい、お気づきでしょうか、今回も「そもそも論」です。 戦後、日本全体が貧しい時、志があっても弁護になれない人もいたでしょう。いまでも「苦学生」がいないとはいいません。しかし、正確な統計は締め切りまでに探せませんでしたが、政治屋と医者と弁護士(法曹)と芸能人の世襲は多いと耳にします。 いずれも「裕福」の代名詞のような職業です。そもそも金持ちのボンボンにまで国費を投じて弁護士にして、オヤジの「顧客筋」を相続させる意味があるのでしょうか。現金などの資産には「相続税」が派生しますが、「顧客」や「人脈」に税はかからず、戦後日本に金持ち層(ブルジョア)が誕生した理由のひとつはこうした非課税でかつ、継続的に利益を生み出す「資産」を相続できたからです。 余談ですが、親の人脈をもっている「社長」は、親からの直接的な「援助」だけでなく「オヤジの友人」や「オヤジが面倒を見た人」などなど、圧倒的に有利なポジションからスタートできることが語られることは希で、これは邪推すればそれを報じる立場の機関や組織にもそうした「人脈の世襲」は多く、だから黙っている・・・のではありません。「それが当たり前」 と疑問すら浮かばないからだと、最近、某新聞社の内情を聞いて気がついたことです。 話を戻します。 仮にこれが検事や裁判官になるのに「給与」を支払うというのなら分からなくもありませんが、民事専門、特に商法を「看板商品」としている弁護士まで同じ扱いを受けているところ、そしてそれを疑問とせず、さらには国費を投じないことに不満を漏らす時点で「国民世論と乖離」 しているのがいまの日本の法曹界の病理なのです。 裁判員制度も検察審査会が生まれた理由のひとつでしょう。 ある弁護士のブログにこんなものを見つけました。要約です。「借金を抱えて弁護士になったものは貧乏人の味方になりたくても 借金の返済から金持ちの味方(仕事)をするようになる」 ・・・開いた口がふさがらずに、そのままビールを流し込んでしまいました。 金で心を買えるといったホリエモン氏のように、志を換金する人もいるでしょうが、それは早いか遅いかの問題に過ぎません。そういう人は無借金で弁護士になってもいずれは売ります。人間の性根とはそういうものなのです。 一方、貧乏が「志」を磨くことだってあります。 想像に過ぎませんが、このブログの筆者は小金持ち、あるいは中流でも食うに困る生活はしたことがない人なのでしょう、人間の本質への洞察に不足しており、これも国民世論との乖離の遠因でしょう。 私は貧乏人が美しいとはいいません。概して貧乏はこころを貧しく歪めます。しかし「法の番人」になろうとするものは、そんな脆い心の持ち主がなってはいけないのが「そもそも論」であり、人間的洞察に立てば「金の味」を知っているものは、金持ちでも貧乏人でも寸分の狂いもなく「金持ちの味方」になるものなのです。 ちなみに「年収ラボ」によれば平成20年度の弁護士の平均年収は801.2万円。これで月々1万8千円が返せずに、貧乏が心を歪め、悪事に手を染めるとでもいうのでしょうか。 そもそも論です。 豊かになった現代日本で「弁護士」 は資格のひとつに過ぎません。公的性格を持つ職業ですが、それは「職務上の特権」で還元されており、養うところまで公が背負うものなのでしょうか。「天は自ら助くる者を助く」 とはサミュエルの言葉ですが、仮に法の正義や建前を論じるなら、まず弁護士会を中心とした「弁護士育英基金」 などを作った上で、不足分を「公益性」を理由にねだるのが庶民の私から見た「スジ」です。 もっとも、弁護士が後進を育てることに金を出すと言うことは、「商売敵を育てるのに金を使う」 のと同義となります。ならば「国庫」ならいいのか。 ちなみにというか「弁護士を目指している在日同胞学生」 のための基金はありました。もし、「日本人」の弁護士でこうした基金があるとご存じの方がいたら教えてください。次回、訂正して詳細を掲載しますので。 話を戻せば、公益性を盾に取るなら利益の追求をする弁護士活動への言及がなければ片手オチというものです。ところが「貸与」となると、金儲けに走ると弁護士がブログで憤慨します。 ごめんなさいね。 高邁な精神と怜悧な智慧をもった「法律屋さん」と凡百の民の私ではその精神構造も基礎知識も違うので、間違っているのでしょうから、先に謝ったうえで率直な疑問を呈します。「弁護士に不利な話しは一切拒否していないかい?」 それを「自己弁護」と呼ぶなら座布団をあげますが、弁護士が自らの利益のためだけを考えるというのであれば「公益性」は霞んで消えます。 そもそも論でいえば、公益性を盾に取る時点で自縄自縛に陥るのです。 また、金持ちしか弁護士になれないという主張もおかしな話しで、先ほどの弁護士ブログによれば、大凡500万円ぐらいの個人負担ということですからニートを抱えるぐらいの中流階層なら負担できる金額ですし、国庫が金を貸してくれるというのですから、その「弁護」が破綻しているのは明白でしょう。 そしてそもそも論をここで重ねます。「食うや食わずの貧乏人は未来の夢など見ない」 借金まみれの家庭にいるとね。弁護士どころか「大学」ですら青白く輝く三日月のように遠く、夢で触れることができたとしても、その鋭利な輝きに指がちぎれてしまわないかと手を引っ込めるのが「貧乏人」なのだと、先ほど過去を振り返った少年が頭の中でさみしげにつぶやきます。 つまり、弁護士を目指す人間の大半は、それなりの生活水準の家庭に生まれているということです。一方で、生活もままならないなかで弁護士を目指すものがいるとすれば、それを支援するための国費投入は「別次元」の議論なのです。 最後にもひとつそもそも論。「貧乏を知らない金持ちが貧乏を語るな。そして貧乏人と金持ちを 同列に扱うことは平等ではあっても公平ではない」 これは「子ども手当」や「高校無償化」と同根の民主党の病理です。 苦学生を救うこと、貧乏人を助けること。それに投じると同等の金品を「中流家庭」に投じることは、結果的に「貧乏の固定化」に繋がる・・・これもそもそもの話しです。国民ひとりひとりのすべてに100万円ずつ配った時を想像すれば簡単な話です。
Sep 22, 2010
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本稿、こぼればなし。 原稿に記したように「役員報酬」というのは、簡単に変えられるものではありません。中小企業の場合、実際には臨時株主総会を開いて明日から給料を変えることもできますが、これをやると「税務逃れ」 などの余計なリスクも孕み、こちらのほうが結果的に痛い思いをしかねないからです。しかし、本稿に登場する企業の決算は5月末。 6月末の社員の賞与にあわせて役員報酬を減額することは充分に可能でした(支給はずれるので賞与支給時点での減額はできませんが)。それにだいいち、この数年間「業績悪化」は、社是のように繰り返されており、株式公開企業なら総会屋がスキップしてやってくるような状態だったのです。もちろん「経営責任」を問うためにね。 痛みを経験しなければ、本当の人の痛みは分からないといいます。 これは経営にも通じ、公務員改革や霞ヶ関改革の前に、「国会議員改革」 を持ち出せない政党に、真の改革など妄言や「ツイート」の類と信用してはいけません。■「俺は民主党!」の会社員に見る痛みを伴わない「構造改革0.2」http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/080/index.html
Sep 21, 2010
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たぶん・・・これを読んだWEB屋には異論反論が渦巻くでしょうね。だからそういう人は読まないで結構。 だって、これで食べているんですもの。わたし。 手の内を晒す理由はひとつ。「日本の経済を活性化させる」 ・・・ちょっと大きく出ましたか? 結構本気です。 手に届く範囲、足を伸ばせる範囲での営業が限界になったとしても、国内に手を広げればマーケットは大きくなり、可能性が広がります。 その一助としてホームページを活用して欲しい・・・のですが、ホームページは作って終わりではなく、作ってからの微調整に軌道修正が必ず必要で、その時にこそWEB屋の出番。 ところが、WEB屋は「作りっぱなし」。 あれ、ここで気がついたけど、タイトルが改題されている。原題は「誰にも教えたくない永久保存版。顧問契約を受注する口説き文句」 ま、異論がある方は忘れてくださいな。本当は教えたくなかったことですから。■心得其の184「顧問契約を受注する口説き文句。メンテナンスがもたらすWeb屋と客のメリット」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/09/15/8767
Sep 15, 2010
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議論の終盤でもっともやってはいけないことは「そもそも論」を持ち出すことです。もうすぐ結論が出ると一同が安堵しかけた時に「そもそもこの問題は」 と「ふりだし」に戻ってしまうからです。意見を持たない議論好きによくみられる傾向です。議論を繰り返すことで「存在感」をアピールする狙いですが迷惑です。 また、緊急事態発生にも「そもそも論」はタブーです。「そもそもこのような事態になったのは」 かかる緊急事態に対応すべきときに議論の原点にもどっては時機を逸してしまいます。 しかし、そもそも、そもそも論がでるシチエーションはそもそもの議論がそもそもなされていないからです。すいません、遊びすぎました。 今回はそもそも論。 私は会社員時代「会議好き」でした。意見はあります。ありすぎるから部内の民意を問う場である会議で諮りたくてうずうずしていました。 特に営業部内の「改革」を任されてからは、「そもそも」の見直しが必要で、繁忙期にはできない議論とチャレンジを「平時」に行う必要性を痛感していたからです。 緊急時にはことにあたります。根本を見直すより、薄氷でも駆け抜ける方が正解という場面は多々あります。しかし、毎度走り抜けることができるかはギャンブルです。そこで、平時に迂回路を探し、筏を用意して、橋を架けるために「そもそも」の議論が必要なのです。 これは「国政」でも一緒。民主党の内紛劇もひと段落となったのでいまやるべきことは「そもそも論」をこねくり回す・・・もとい大本の議論を深めるべき時なのです。 まずは「国会議員定数削減問題」。 これを金科玉条に掲げる人がいますがナンセンスです。 日本の国会議員は国民割りでみると、世界比で決して多くありません。 問題は「働かない国会議員の多さ」・・・コホン、間違えました。やり直します。 あ~問題は「選挙のことしか考えていない国会議・・・・」あれ、おかしいなぁ、再度。 問題は「国会議員の給料の高さ」なのです。 国会議員が年収200万円なら誰が文句をいうでしょう。 本会議で居眠りしていても目くじられたてることもないでしょう。 選挙のときだけ挨拶に来ても「大変だねぇ」とお茶の一杯もご馳走します。 国会議員は法律の決めるところで年収約3500万円です。 文書通信交通滞在費は別だという突っ込みに私は答えません。 事務所費でキャミソールを購入する大臣がいて、非公開の文書通信交通滞在費はすべて文書と通信と、交通と滞在費で使われているとは信じるほどお人好しではありません。 仮にこれをさっぴいても年収2300万円です。 200万円とは、少々大袈裟にしても平均年収(これも色んな統計がありますが)の4~500万円、そこに多少「色」をつけて、「国会議員は年俸600万円」 にしてしまえばいいのです。これならひがみもやっかみも生まれません。文書通信交通滞在費、あるいは書籍や取材などにかかる経費は領収書を添えれば「全額支給」、また領収書をとれない事情がある場合は、その旨を報告書にまとめて提出し、第三者委員会で「国益に叶う」となれば全額支給し、報告書は非公開として、20年後に全面公開することにするのです。 いかがでしょうか? 政治屋さん方面からクレームが聞こえてきます。「それでは政治家のなりてがない」 ・・・バカをおっしゃいな。世の中には銭金よりも使命や理念に殉じる人はそれなりにいます。永田町、霞ヶ関の自己保身がなにより優先される世界ばかりではないのです。 食べること、政治活動ができれば充分という「志」をもつものはおり、まして年収600万円もらえれば、飛びつく若者もいるでしょう。 いまの議員歳費3500万円あれば5~6人は「雇える」ので雇用対策として国会議員の定数を増やすという選択肢もあります。 あ、また幻聴が聞こえてきました。「選挙には金がかかる。これでは金持ちしか選挙に出られない」 ・・・金持ちが前首相なので、この主張の説得力はちょっと首をかしげるのですが、そもそも「政党助成金」 はなんのために支払われているのでしょうか。「政治に金がかかりすぎる」 ことの補填だったのではないでしょうか。それこそ「政治と金」の問題をおこさないために。 そもそもです。 政治家の働きぶりに納得していないから、歳費が高すぎ、定数を削減しろと言う議論が持ち上がるのです。 政治に納得していれば、歳費に文句をいう人はいません。支持、不支持で意見が分かれるでしょうが、石原慎太郎東京都知事や、大阪府、宮崎県などの著名知事に対して「給料貰いすぎ」という声は聞こえてきません(自主返納などは別要素なので取り上げません)。 そもそもの問題は人数ではなく「コストパフォーマンス」。 そこへの不満があるのですから、議員へ支払う「コスト」を下げて見合う代金にしたらどうかという提案です。 さらに「政治に金がかかる」というから「政党助成金」でお金をあげているのです。お金をあげて政治と金の問題が浮上しさらに政治に金がかかるといまだに宣う議員が多いと言うことは制度が失敗だったということです。ならば、減らすかなくすのが当然でしょう。 企業経営でいえば「無駄な投資」ということ。 また、経営的視点で言えば「経費削減」は、実際の収入や売上が減ってからしか、真剣に取り組まないものです。 ならばまずは議員歳費を削り、政党助成金を削る「社会実験」 をしてみる価値は充分にあるのではないでしょうか。 ・・・そして、こうした「そもそも論」。選挙が当面ないいまこそ「チャンス」なのです。 定数を削っても働かない議員が残れば同じことです。 そもそも国会議員は国民のために働くものであり、政党や自分の利益のためではありません。 特別なネタが入らない限りしばらく「そもそも論」を続けようかと。
Sep 15, 2010
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エンタープライズ0.2を連載していて良かったと思うのは今回のような記事を書けた時です。 メルマガ「マスコミでは言えないこと」と同じく、社会のゆがみを指摘することは、私が「作文」を発表して以来のテーマだからです。 企業の経費削減「ブーム」は経済停滞の一因であることが語られないのは、貧乏人への気遣いか、ノーパンしゃぶしゃぶの反動か、あるいは「陰に隠れて散財」しているのかは分かりませんが、デフレを克服したいのであれば「緊縮経済」より、「積極経済」ですが、無駄の削減というキャッチフレーズに政権交代は実現しました。 ・・・でもね。「未来」がなければ人の心は動かないのです。 だから「事業仕分け」は虚しいのです。 要不要の二元論でいえば「要」ですよ。でもね、いるか、いらないかだけで判断していいのは、引越の時の荷物整理ぐらいなのです。社会はそんなに単純・・・な論理ではないので。◆頑張ることが虚しくなっていませんか? 「仕分け0.2という未来への絶望」http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/079/index.html
Sep 14, 2010
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バラエティ番組をすっかり録画してみるのが習慣化しました。 時間帯の関係でオンタイムでみられないことや、早送りしてみることで時短ができるのも理由です。 で、ちょっと前にオンエアされた「さんま、くりぃむの芸能人個人情報ファイル(うろ覚え)」 で過去の写真といまを比較するコーナーで、お笑いコンビ「北陽」の虻川美穂子さんの写真が紹介され「足立区立宮城小学校」 とありました。ウィキペディアによれば、彼女は4学年下。 ということは私が6年生の時、彼女は小学2年生。 あのウォークトップの校庭で一緒に遊んでいたかも知れないと思うとなんだか感慨深くしみじみと。 ただ転校生だと「すれ違い」の可能性もなきにしもあらずですが、そんな時は我が愚妹の出番です。彼女は6学年下。 つまり私が卒業した年に入学しており、虻川美穂子さんが3年生の時に、いもうとは1年生。 こうした記憶の中の「接点」など無意味なのですが、結びつけたくなってしまうのはなぜでしょう。不思議です。
Sep 9, 2010
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販促企画をやっていたときからの「結論」です。「客はバカ」 と想定するぐらいでちょうど良いのです。 実例を。「このチラシは●●店限定です」 と大きくいれても「対象外店舗」を訪れる客は跡を絶ちません。 他には「おひとり様3本限り」 とある烏龍茶のペットボトルを「新生児」を指さし、この子の分もという親などすっかり珍しくなくなりました。のむんかいという突っ込みが虚しく響きます。 複雑なことは誤解のもと、混乱の元凶です。「これくらい分かるだろう」 などもってのほか。 そもそも客に考えさせるのは消費意欲の減退を招くので危険です。■心得其の183「客はバカでちょうどいい。販促サービスにおける鉄則」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/09/08/8685
Sep 8, 2010
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折角、民主党政権になったのですから、そのメリットについても考えてみましょう。という企画。 あらかじめお断りしておきますが「暴論」です。 そうそれは「日本は日本人だけのものではない」 というレベルの。 民主党の代表選挙、すなわち「日本国総理大臣」を決める選挙に外国人も参加できるという革命的事件がまもなくおきます。詳しくは各種報道に求めて欲しいのですが、ざっくりと説明すると、民主党の党員やサポーターは党首選挙の投票権を持ち、党員やサポーターになるには「国籍」は関係ないからです。 つまりは中国人でも韓国人でも北朝鮮の人でもOK。もしかしたら宇宙人でも・・・あ、前代表が宇宙人だったのでこれはまったく問題ないでしょう。 とまぁ民主党の「国家観」には国境線も国籍もないようですが、そんな無国籍政党だからできることがあります。それが「沖縄問題」 です。普天間もひっくるめて・・・暴論ですよ。あくまで。 民主党代表選挙という乱痴気騒ぎのさなか、日本円は対米ドルで83円台が定着しみぞゆうの危機を迎えているわけですが、尖閣諸島では中国の漁船が領海侵犯の末、公務執行妨害で連行されました。 発言はこの前ですが、小沢一郎立候補者は尖閣諸島について我が国の領土である根拠に「琉球王朝」 をもちだしました。尖閣諸島は琉球の支配下にあり、琉球が日本になったので、すなわち尖閣は日本固有の領土だと。 これが後の火種にならないことを祈るばかりなのは、琉球国は明、清に「朝貢」しており、彼ら一流の論理展開を許すなら「勝手に日本が自分のモノにしただけで琉球は中国のモノ」 となりかねません。詳しくは述べませんが、台湾とあわせて「琉球」で、「ひとつの中国」からみれば、海峡は地続きになります。 さて、ここからが「暴論」です。 社会実験を重ね、理屈をこね回して事業を仕分けし、普天間にしても八ッ場でも歴史的経緯を無視して議論だけをする民主党だからできることです。 1ドル83円台が定着しても「注意深く見守る」ことしかしないボンクラ・・・もとい、慎重な民主党だからできる議論です。 それが「沖縄独立」 について議論してはどうかということ。小沢一郎さんが琉球王国を持ち出した時点で、遠からずお隣さんが食い付いてくることでしょうから、その前に「理論武装」するための「研究」をしておくのが狙いです。 引いては日米同盟や国防について考えることに繋がります。「沖縄国(仮称)誕生」 により、日米同盟からは外れます(暴論なので細かい突っ込みには対応できませんのであしからず)。民主党的に「言葉の定義・解釈」からすれば、日米同盟は日本国と米国間ですから、沖縄国(仮称)には適用されないと。また、基地には出ていって欲しいと願う、沖縄国国民の声は尊重されなければなりません。 すると日本の防衛線は九州を中心に、日本海側は対馬、太平洋は高知県あたりでしょうか。あるいは東京都の小笠原諸島も強化すべきでしょう。 沖縄国は自主防衛を選ぶも、沖日米同盟を探るかも知れませんし、沖中(ちゅうちゅう)同盟にするも国民の民意によりますので、私の論じるところではありません。 そうそう重要なことを忘れていました。「戦後補償」 です。日韓ではいまのレートに直して2兆円ともいわれるキャッシュと日本だった時代に整備した社会インフラなどもプレゼントしたことを踏まえて、インフラとの「相殺」はせずに6兆円ぐらい支払いましょうか。 インフラとの相殺とは統治時代に日本の資産で構築された建物などの権利を金額換算して「賠償金」から差し引くというものです。 相殺するのが「世界標準」ですが、まぁそれはいいでしょう。 6兆円の根拠は今年度の沖縄県の歳出総額が6055億円で、この10年分ということ。おおよそ1億2千万人から140万人弱の沖縄県民を除外し、また日本全国にすむ「潜在的沖縄国民」が転籍したとして、残された日本国民1億人で割り算するとひとりあたりの負担は6万円。「沖縄の苦しみ」 を考えれば、これぐらいの負担は当然でしょう。 沖縄国国民となれば、ひとりあたり650万円とされる日本国の借金はなくなるので、転籍希望者が跡を絶たないかも知れません。 また、琉球王国時代に回帰して、中国の属国となれば、いまや日の出の勢いの「中国人」として振る舞うこともできるかも知れません。 没落する日本は歴史のツケを払うだけのことです。 ・・・暴論のようですが、今年三十路の人気女優さんも「琉球王国の復活」 を夢見ているとなにかの記事で読んだことがあります。 これが自民党政権なら洒落になりませんが、何もやらない民主党なら安心して議論に参加できるかと。そして中国がふっかける因縁に「理論武装」できるとしたら、民主党政権が生まれた歴史的意義も見いだせるのではないかと。 暴論というより、イヤミでした。 ただ、那覇市県庁前の「パレットくもじ」の地下食品売り場にいくと、飛び交う中国語に・・・真剣に議論すべきタイミングなのではと考えるのです。
Sep 8, 2010
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本書を誰にオススメするかと言えばアラフォーになった、かつてのアニメマニアでしょうか。オタクという言葉が一般化する前、ファンを越えたマニアは互いをそう呼び合い、中学生だった私からすれば「少しお兄さん」たちのイメージが「オタク」にはありました。例の事件が起きる前の話。 しかし、「一般人」にはオススメしません。理由はシンプル。「うぜぇ」 と感じることでしょう。私もそう思いつつ、読了しましたので、新書一冊に約3ヶ月かかりました。途中、他の本に浮気しつつ。 よくもまぁこれほど商売にも生活にも役に立たないことを、それも些末なことを取り上げるさまは、「ナミテントウとナナホシテントウの違いを熱く論じる」 ようでうざいのです。 少し内容にふれます。「セカイ系とは」 と本書を引用するウザイ文書になるので、ザックリとした私流の解説をすれば「エヴァンゲリオンからはじまった“フワッ”として作品群」 幾つかの定義があるようで、興味のある方はそれこそ、本書を紐解くことをオススメしますが、この“フワッ”とした世界の教条のひとつに「僕と彼女の物語」というものがあり、その小さな世界の延長で世界の終わりや、大戦争が起こっているというものがあります。 そして興味深いのが著者の論理展開も、著者とのその周辺、足を伸ばしても「ネットで検索」で得られてしまう“フワッ”とした知識のミルフィーユで、かみ砕こうとすると“フワッ”とする後味のなさです。 これを悪し様ととるでしょうか。私は著者が羨ましいのです。 こうした“フワッ”とした世界で生きられていることが。 騙しあいばかしあいのビジネスの世界で、弱いモノを蹂躙する最下層な世界の引力に負けないように歯を食いしばって生きてきて本書をめくった時にこう思ったのです。「もし、“フワッ”とした世界の住人でいられたとしたら」 人生に「IF」はありませんし望みはしませんが、理屈を楽しめ、アニメや漫画に世界観をもとめた中学2年生1学期の自分がそのまま育っていたら・・・と夢想する自分が著者を羨ましく思い、なんとか読了し、今回紹介します。■セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4797357169
Sep 8, 2010
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いまの若い人は可哀想という論調にイライラします。 それは同い年の「いとうあさこ」さんが感じるものと同じかも知れません。 20年以上ものアンチ自民党キャンペーンの結果に誕生した「迷走する民主党」と地盤沈下した日本経済と重ねての発言ですが、馬鹿馬鹿しい。 と、いうか「若い人」へ。「騙されるな」 いまの若い人が可哀想なのではなく、功成り名を挙げたオジサンやおばさんから見れば、いつの時代の若い人は力も金もなく哀れで愚かなのです。 それが証拠に「佐々木希や佐藤健をみて可哀想といわない」 のです。逆にこういいます。「いまどきの若い人は足がすらっとして長くてうらやましいわ」 とのたまうでしょう。 例えば戦後の混乱期。皇国は見る影もなく「戦後復興」など遠い時代「戦災孤児」は「浮浪児」と呼ばれ、大人が哀れむ余裕すらない時代でした。 そして多少の余裕ができてからは「核開発競争」「環境破壊」「受験戦争」「学歴社会」「安保闘争」などなど。 未来だけはもっている若者を不安にさせる要素に事欠いたことはありません。 1970年生まれの私の記憶を辿るとこうです。 物心ついた頃に「オイルショック」がありました。個人事業主で運送業を営んでいた父の愚痴を覚えております。そして「石油」は21世紀まで持たないといわれていました。 小学校に上がったころ、日航機がハイジャックされ革命を夢見た若者の時代は終わりを告げました・・・が、この夢の残り火を抱えた連中が「マスコミ」に潜り込んだことはいまのゆれてぶれる世論(せろん)形成をもてあそぶ悲劇に繋がります。 そして10才になる年、モスクワ五輪です。 西側諸国がボイコットした平和の祭典です。 まもなく五島勉による「ノストラダムスの大予言」シリーズがベストセラーとなり、「1999年で人類が滅亡するから30才まで生きられない」 と絶望と恐怖が刷り込まれた小学生は100万人(妄想値)はいたことでしょう。同じ頃、私の町では「口避け女」が100mを3秒フラットで走り回っていたと姉の友達が吹いていました。 中学生になる前後で「校内暴力」と「暴走族」、なってからはロス五輪に「浮沈空母発言」などなど、僕たちに安らぎはありませんでした。 振り返れば「懐かしい」とされるバブルへの補助線を引いたのは1985年のプラザ合意です。円高ドル安となれば中小企業が悲鳴を上げるのは昭和から変わらずのこと。 そしてバブルを迎えます。 ここで経験者として事実を述べます。「美味しい思いをしたモノは極わずか」 仕組みはババ抜きで、ちょっと儲かった金をさらにリスクの高い博打に投資して、ババを掴み夜逃げし、一家離散し、この世を去った人が何人もいました。 就職に関してこの頃は「売り手市場」で給料はドンドン上がりましたが、土地と株と物価も同時に上がったので、決して生活は豊かではありません。 ましてゲームのルールは「金持ち勝つ」。 いまと同じく、銀行は金持ちに金を貸し、貧乏人など相手にしません。値上がりする土地や株を買えるのは銀行から融資を受けたひとにぎりの金持ちだけでした。 崩壊は静かに、気がつけばあっと言う間に訪れていました。 バブル期には消費税も導入され、亡父の葬儀の見積もりに「3%」をみつけて脱力したモノです。 長い不況のまま迎えた30才。ノストラダムスが嘘つきか、五島勉が吹かしたのかはすっかり忘れていました。 一応、30才を「若者」の区切りとしたのですが結論を述べると「政府が若者を助けてくれたことなどない」 それなりに支援策はあったのでしょうが、いまのように総理自らが「雇用するぞ、雇用するぞ、雇用するぞ! おもいっきり雇用するぞ 本気で雇用するぞ」 ・・・あ、地下鉄サリン事件は満年齢で24歳の時です。その年の1月末まで日比谷線を使っていたので他人事ではありませんでした。(上記の雇用するぞはあの教団のグル調にお読みください) 厳しい雇用情勢、開けぬ展望、貰えぬであろう年金。 そして「若者は可哀想」となります。 これは今年中学生になった姪との会話。私「昔は携帯電話がなかった」姪「どうやって連絡するの」私「のろし」 こうやって堂々と嘘を教えるのは親戚のオジサンの仕事ですが、携帯電話がない時代を彼女は信じられないと言います。つづけて「ネットで検索」もなかったと教えると、姪「それじゃあどうしていたの」私「昔は町内に“長老”と呼ばれる200年以上生きた・・・」 姪の冷たい視線に彼女の成長を感じて涙が。コホン。図書館で調べ、詳しい大人を訪ねて教えを請うたモノです。 いま、若者に「暇な時間」があれば、携帯電話をいじくることでしょう。ゲームをし、友達とメールをし、ネットで戯れます。 私の20才。バブルでしたが、金遣いも荒く、というか、高卒のひとり暮らしは貧しく、暇だけがありました。することといえばテレビを見るか妄想するかです。いまの可哀想の若者のようにケータイ電話があれば、もっと楽しい若者ライフがまっていたかもしれません。ちなみに電話は有線で3分10円です。データ通信といえばパケットはなく電話の音響カプラー。 ドリンクバーもありません。ファミレスでおかわりできるのはホットコーヒーだけでした。100円マックも280円のすき家の牛丼もなく、国産のビールは定価販売で、100円ショップのような店舗もあるにはありましたが、そこに並ぶのは「粗悪品」でした。 いまの可哀想な若者達にこの生活が堪えられるでしょうか。 だから若者が恵まれていると飛躍するつもりはありません。 どの時代にも幸運と不幸があり、平均化すれば同じぐらいになるのではないかということです。 そして冒頭のオジサンとおばさんに戻ります。「幸せ」には「絶対評価」と「相対評価」の2種類があります。 前者は宗教的なモノや、我が子の誕生、あるいはご来光に感謝する心の内側から湧き出るモノです。問題は後者です。 飢えている国の国民にとって「今日食べるご飯がある」ということが最大の幸福です。一方、我が国のように豊かなら「美味しいご飯」 が幸せの条件となります。あるいは「好きな人と食べるご飯」 などもあるでしょう。しかし、貧しければ口にはいるだけで幸せでお腹がふくれる感覚は至福の喜びなのです。 結論を述べます。「若者を時代のせいにして可哀想という連中は、 自分の生きた時代と比較して幸せを確認している」 平たく言えば、ほくそ笑んでいるんですよ。 だってそういう連中のうち、ひとりでいいですから私財をなげうって若者に施したひとがいるでしょうか。政府や政治屋官僚のせいに・・・あるいは「自民党政治」の責任にしますが、ならば、その「自民党政治」を直接、間接的に支えてきたのはオジサン、おばさんたちで、自分たちの責任は棚上げにしているのです。 もちろん、自省を込めて。私も選挙権を貰って、ことしで20年になるので、「日本史」において20年分の責任を感じています。 最後に「若者よ」。 かつてバブルの時代、金を持ち、土地を持ち、人脈を持つものが権力を握り、私のようなどこかの馬の骨に這い上がるチャンスはありませんでした。そして願っていました。「いまが高度経済成長なら」 いやいや、本音を開陳します。「いまが幕末なら」 ひとかどの男になっちゅうが。(血脈は高知県で2~6才まで育ちました。龍馬伝でかぶれたわけ ではない・・・というより、あそこに流通する広末涼子さん以外の 高知弁がイヤで見ていません) と時代のせいにしていましたが、時代ではなく自分の努力が足りなかっただけのことです。 上手くいかない時、「動乱」を期待しますが、動乱を迎えて「実力」がなければ龍馬になる前に無名の浪人として切り捨てられてしまいます。 不遇は実力を養えという天の采配、メッセージです。 だいたい・・・若者が減少している時代なのですから、それだけで「圧倒的に有利」だということを念頭にビジョンを立てれば、平成日本は若者にとって「みぞゆう(しつこいですね)」のチャンスが広がっています。
Sep 8, 2010
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世の中に走りたくて知らないほうが良いことが沢山あります。 その最たるモノが「あの世」。あってもなくてもイヤです。 だからボンヤリとその周辺をうろつくわけですが、これはもちろん「宗教」とも密接な関係があり、一神教の信徒にとっては疑うことすら罪で、と、いうより、最近まで「進化論」を否定したりします。人は神が作ったのであって、サルが進化したものではないというものです。 そして「人の気持ち」も知ってろくなことはないでしょう。 人間観察を長く続けていると、親しい人のプロファイリングはほぼ完璧にできており、何を考え、どう思っているかは90%以上、読み当てることができます。相手を喜ばせるためにこの能力を使う分には問題ありません。しかし、相手がこちらのことばに「イラッ」としたときまで、見えてしまうと、相手にとっては言葉を飲み隠した感情なのに、ほじくり返して「なんだその態度」 となってしまいます。あぁ、これはわが家の話し。だから必要がなければ、自宅内人間観察はしないようにしているのですが、永年身についた習性から自動追尾していることがあり困ってしまいます。 ましてそれが「部下」ともなれば・・・人間不信に陥ること請け合いです。今回は「文明の利器」によって実現した悲劇、もとい喜劇です。■iPhoneで従業員の仕事の愚痴から休日まで監視する「ツイッター0.2」http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/078/index.html
Sep 7, 2010
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チャリドロ警官が神奈川で捕まりました。 まぁ警官の犯罪が大々的に報じられるのは仕方がないとはいえならば教員の選挙活動や特定思想の洗脳授業も同レベルで報道して欲しいと心より願うのは「自衛隊は意見だからなくさなければならない」 と足立区立宮城小学校6年3組で私に教えてくれた石川先生のおかげです。 それはさておき、事件の概要は通勤途中の警官が、レンタルビデオ店の前に置いてあった自転車乗り逃げしたところ防犯カメラにすべて写っており、見知った顔で会員名簿から自宅に電話したところ、父親が出て「警備会社に勤めているから表沙汰にしないでくれ」とお願いされたのですが、不審に思い通報し御用になったというもの。 犯罪はダメ、絶対ダメと断った上で。 私がレンタルビデオ店店主なら、父親と本人に自転車返却させ謝罪させるところで納めます。盗まれた自転車が帰ってこないなら困ったモノですが、本人を特定できているのですから、返却、あるいは弁償させ、それを断られたときに警察に引き渡せばよいのですから。 犯罪はダメ、絶対ダメと理解しているという前提で。 世知辛い世の中になったなぁと。 レンタルビデオ屋も商売。なら、客を犯罪者にするより、客を客のママに原状回復だけさせれば・・・もちろんこれが店内の「商品」に手をつけたのなら警察沙汰にすることで「威嚇」することも大切ですが。 警察に行った時点で「菓子折」を貰える可能性も低くなりますしね。 犯罪はダメ、絶対ダメですよ。 しかし、昭和の頃は「即、警察」という発想は商売人に馴染まなかったことを報道に触れ思い出しました。 世知辛いですね。こうした「放談」も、断りをいれなければ「おまえは犯罪を認めるのか」 とわめかれてしまう社会も。
Sep 2, 2010
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株価が底を割れています。 政策不況へと突入する中、民主党の三宅雪子衆院議員は元気にツイッターでつぶやいています。 そして笑ったのがこれ、「産経のネットのニュースを見ていたら、総理との懇談会欠席者 リスト!が掲載されていた。私は嫌がらせに慣れているためこ んなことでは動じませんが、目的が透けてみえてうんざり。」http://twitter.com/miyake_yukiko35/status/22117683243 菅直人さん・・・もとい首相の新人懐柔懇談会だか勉強会の出席者を連日掲載していた産経新聞は、最終日に「欠席者」をスクリーニングして掲載したことを捉えてのつぶやきです。 しかし、三宅女史は元フジテレビジョン、つまり、産経新聞というグループ会社の新聞に嫌がらせされるとすれば、所属する政党故か、それとも個人的なモノか、はたまたは「フライング騒動」 同様に「思いこみ」が激しいのか。 これは一般論で述べることですが「お嬢様」のなかには、「自分が認めたくない現実を認めない、敵視する人格」 をもつひとが多々おります。 そして与党の国会議員ならいますべきことは他にもあると思うのですが、これがツイッターやネットの危険なところ。 ポジティブにネットと接していると「自分に都合の良い情報だけ信じるようになる」 ということ。特にツイッターのようにコミュニケーションを主体としたネットツールの場合、「とりまき」に囲まれたマリーアントワネットに陥ったとしても本人はパンがなければお菓子を食べれば良いわとつぶやくことでしょう。 そしてお嬢様につける薬はありません。 さて、株価と円高ですが、いまの政府に講じる策はありません。 いや前政権の「ハトヤマ」からの引き継がれた芸風は、民主党の持ち味なのでしょう。 民主党の政権運営の基本路線は「先送り」。普天間でも八ッ場でも決定はしますが、「先送りすることを決定した」 が持ち味です。子ども手当の財源も、朝鮮学校の無償化も先送りして時が解決してくれることを待ちます。 ここで残酷な結論を述べましょう。「先送りは全てを解決する魔法のツール」 これはかつての与党の議員が内緒話として私に囁いた話しです。 いまから10年以上前のこと。 高齢者の福祉政策で、私はマスコミで聞きかじった問題を議員にぶつけました。それまでの意見交換から、人柄を信じてくれたのでしょう。議員は「本当のこと」と前置きしてこういったのです。「高齢者いつか亡くなる。 つまり“いまの”高齢者問題はそのうちなくなる」 根本解決はしないが、当時のマスコミが問題視したヒューマニズムと老人医療や保険の課題は、時を待てば解決しマスコミが試算するようなとんでもない数字にはならないという意味です。 これだけ捉えると残酷なようですが、「政治家」として未来を見据えての発言で、前後の言葉を私なりにまとめるとこうです。「少子高齢化が進み、日本の国際競争力が本当になくなったと すれば、老人を支えるのに充分な国力がなくなるので、老人を 支えることなど根本的にできない。すると、体力のないモノが 淘汰されることを止めることはできない」 ひとりの働き手で数人の老人を支える社会が喧伝されますが、そこまで進んだ少子高齢化社会「日本」では、老人を支えることがフィクションになるのです。 もちろん、こんなことを「広言」すれば、選挙で落選します。 しかし、これこそが政治のリアリズムです。 そして普天間も八ッ場も、いずれ反対派の「コアな人々」は時の流れに流されてしまうことは避けられません。子ども手当により乱発された国債も解決を求められる前に、発行者は朽ちていくことでしょう。 そう、民主党の党是のような「先送り」とは、究極の政治手法なのです。かつての自民党も得意技としましたが、技の切れ味が違いますし、自民党議員の中には先に述べたような「残酷なリアル」 をイメージする人間もおり、だから「躊躇」することもありました。 それは「北斗神拳」を使うことでおこる「ヒデブ」へのためらいといってもよいでしょう。その点、政権交代によって生まれた民主党様の北斗百烈拳は切れ味が違います。 この状況で新人議員がツイッターで遊んでいられる余裕が、技の切れ味を磨くのでしょうね。
Sep 1, 2010
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同じらせんをぐるぐるとまわるWEB業界。 いまはツイッターですが、主張はホームページの黎明期から変わらず、ある意味においては「一環」しています。「誰でも、手軽に、簡単に」 でもね。140文字の短文どころか、575の17文字でも書けて言われて書けるものではなく、短文ほど難しいのは多少でも文章を知っている人なら常識です。 ところがWEB業界人は、上から下まで無責任を放置します。 ま、そこに私の存在価値が生まれているのですが。 そして物書きでないほうの本職でも、この無責任が私の飯のたねになります。 無責任なWEB屋が放置した物件・・・は、美味しいのです。■心得其の182「小さなWeb屋のビジネスチャンス。CMS物件が放置される近未来」http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2010/09/01/8670
Sep 1, 2010
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