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10年振りくらいだろうか、きょう眼科に行った。飛蚊症(といっても、蚊は飛んでいなくて、模様が見える)が進んだなと思ったのと、朝が多いのだが、心臓の鼓動に呼応して視界が変わるのが気持ち悪いというのが主な理由。それくらいで?と思われるかもしれないが、目の異常はわかりにくいし、年齢的に何かあってもおかしくないので、10年放置したこと自体が問題だと思う。加齢とともに心配になるのが「緑内障」「黄斑変性」「白内障」だ。眼球が出てくるほど眼圧が高くなったら、もう遅いかもしれない。少しでも早く発見できれば、発症を抑える薬もあるようだし、最近は「正常眼圧緑内障」も増えているそうなので、体に大きな不具合がわかったタイミングで、目も検査してもらおうと思ったのだ。私が行った病院は、20年以上前からかかっているのだが、最近改装したり、先生が大幅に変わったりしたので何か嫌な感じがしていたのだが、危惧してしたことが大当たりだった。過去5年に受診していない患者のカルテは廃棄したとのこと。以前は、5年以上振りに受診しても、昔のカルテが付いていた。廃棄するのなら、電子化する必要があるだろう。総合病院ではないが、大学病院の分院なので、5つの科がある。「内科」「眼科」「皮膚科」「耳鼻咽喉科」にかかった経験がある。耳鼻咽喉科は何でかかったのかすっかり記憶にないのだが、眼科は少なくとも5回はかかっている。以前の受診歴はすっかり消されているので、今回の検査結果は全て私からの申告になった。最初は視力検査。失敗した。診察室に入る直前までスマホを見ていた。SNSをチェックしたり、ゲームをしたり。長時間スマホを見ると、遠くに焦点が合わなくなる。当然視力検査に影響を与える。前回受診したときは1.5と2.0の間だった。その前は2.0。中学以降、ずっと2.0だったので、前回は少し悪くなっていたことになる。今回は、0.8と言われた。スマホ……失敗だった。それと、目がいい人は老化すると乱視になると言われている。乱視補正すると、1.2らしい。乱視か…。年を取るのは怖いなぁ。年齢のこともあるので、眼底検査もしてもらった。眼圧正常硝子体の濁りは正常範囲眼底異常なし白内障なし(20歳と比べるとあるかな程度)との診断。「大変恵まれた目でいらっしゃいます」らしい。老眼になるまでは、目にストレスを感じたことがなかっただけに、見えないストレス、眼鏡のストレス、目が乾くとか、しばしばする、疲れると行った違和感がとても不快だったのだが、大変恵まれていると言われて、人間は、ないものねだりをする生き物だとつくづく感じた。目に異常がないのなら、脳の問題を疑わなければならないが…。実は、脳の検査は一度も受けたことがない。生まれてこの方、「頭痛」がほとんどない。歯痛からくる頭痛は経験したことがあるが、肩こりからとか、寝不足からとか、疲労からとか、何かの理由がわかっている頭痛は多少あっても、長く続く、突然痛くなる、動けないほど痛い、といった頭痛は経験したことがない。強打した、こけた、殴られたといった外科的な問題もなかったので、脳関係の病院に行ったことがない。が、連れ合いの介護のストレスからか、閃輝暗点を19年に発症してから、何度か起こっている。今年の入院までに、10回ほど起きているかもしれない。これを機に、脳の検査も行ってくるか。え、どこに行ったらいいの?全くわからない。突然総合病院や大学病院に行けないので、紹介状がいるはずだ。どこに書いてもらおう。大変だ。そこにもお金を払わねばならない。ややこしいシステムだなぁ。
2023.10.17
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以前はテレビの中だけだったように思うが、いまはネットの世界(動画、文章共)でも変な接続詞や接続助詞が跋扈していて、気持ちが悪い。最初は、ホリエモンがテレビ局買収だか、国会議員立候補だかでテレビに盛んに出始めたときに感じた。「思っていて」という表現。多分、このブログでも以前に書いたと思う。若い人が言うのは容認できたのだが、最近は、年寄りも使う。きちんとした政治家や言論人も使う。市民権を得たのかと思うが、未だに気持ちが悪い。「思います」と締めればいい。「いて」をつけると「意志」感が弱まるし、周囲の人の同意を乞うているような感じにも聞こえる。昔は、「思う」に「いて」はつけなかった。「思う」「思っている」で何が問題か。「ただ」というのも、耳につく。正式には、「ただし」という言葉だろう。しかし、「ただ」は、軽く、極めて軽く使われる。「ただし」は、前言(前文)を半分否定したり、前提を提示することで、前言の範囲を限定したり、規定したりという厳密な意味を含むのだが、「ただ」になると、単なる接続詞のような使われ方をする。間合いやオチを重視する関西人ならまだしも、素人は接続詞で時間稼ぎする必要はない。しかし、「ただ」を使うと、次の話が何か重みがあるような錯覚を与える。別に大した話ではなくても、耳目を惹きつけるのにはいい言葉なのかもしれない。が、次の話に繋がらなければ、何の意味もない。大抵がこれだ。「とは思う」は、気持ち悪さがこみ上げる。「は」は、他者が提示したことや、論評したことについて「自分はそうだと思うが、しかし」という否定の意味や、肯定の範囲を限定するという含みを持たせる表現だ。問題なのは、そういう意味合いを理解しないのに無駄に「は」を使う人が多いこと。要らないだろうと思う。自意識が強いのか、評論家を気取りたいのか、自己顕示欲を表明したいのかと、勘違いしてしまう。他人に要らぬ神経を使わせる言葉遣いは気をつけるべきだ。昔の私なら、「本を読みなさい」と言ったかもしれない。が、いまのジャーナリストや作家の文章は、上記以上のおかしな表現を使っている。「本物の文豪の文章を読みなさい」というしかない。「言葉遣いや語彙は、時代によって変化する」と言われるが、その過渡期には、文章を書く者、正式に発言する者は細心の注意を払わねばならない。日本語の最低限の格式やルールを曲げてはならぬ。日本語ほど精度の高い言語はないと信じている。まだまだ発展できると思うのだが、退化させてはならない。アメリカのような、崩れた言語には優れた文学も、歌詞も、心の表現も実現しないのだから。「大辞林」は、私が最も嫌う辞書である。
2023.10.15
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少し前、8歳(いまは12歳)の天才バイオリニストの話を書き、同い年のときの私は、他人のレンゲ畑に踏み入って、花の蜜をチューチューしていたと暴露した。哀しいなぁ…と思いながら、小学2年生のときのことを思い返してみた。一つ、自慢させてほしいエピソードがあった。こたつを修理した話を恥ずかしながら披瀝した。そして…、もう一つあった!残念ながら、前のエピソードより哀しい話だが、懸命に生きていた幼き清貧一家の次女の記録として書き記しておきたい(大袈裟)。8歳当時は、父の勤務する会社の社宅に住んでいた。薄給なことはどの家庭も同じだが、入社時期や役職のせいで給与や立場に多少の優劣があった。その中で、我が家は最低ランクだった。新参者の上、お嬢様体質の母が周辺とうまく付き合えないので、社宅内のさまざまな動きについていけず、右往左往していた。その一つが「内職」。役職付きの奥様や、乳飲み児がいて時間がない若妻を除き、皆が内職をすることになっていた。しかし、母は尋常ではないほど不器用だし、根気がない。内職に全く向かない生態なのだ。が、「付き合い」がある。内職屋のおっさんは、否応なく商材を母にも押し付けて帰る。一週間に一度、出来上がりを確認するためと、商材の追加のためにおっさんがやってくる。母の割り当ては全く進んでいない。ところが、一階の東端の薮下さんは、すっかり出来上がっていて、追加を要請している。結果、薮下さんはいつも1万円前後の稼ぎに達する。ほかの奥さんも、5千円以上稼ぐ。母は…、2〜3千円がいいところか。それも、必死のパッチである。内職屋のおっさんは、「奥さん、もうちょっとたくさんできませんか?」といつも言っていた。あるとき私が、「お母ちゃん、私がするからもっと持ってきてもろて」と言った。「ほんまか?」とすっかり安心して、おっさんに「いつもより多めに」と言った。おっさんは訝しながら、「それなら」といつもの1.5倍の量の商材を置いて言った。母の作業を見ていて、その効率の悪さにイライラし、「私なら倍できる」と思っていた。私は作業に取り掛かった。部屋の片隅に内職の陣地を作り、効率よく作業が進む配置に商材を置いて無心に作業をする。※グリコのおまけたち(グリコのサイトより)グリコのおまけを作ることも多かったが、女の子用のビーズなどをパッケージする作業があり、端数の商材をおっさんがくれるので、私にとってとてもありがたい内職だった。私の作業時間は、学校から帰ってくる2時過ぎから食事前の4時過ぎまでと、食事後、布団を敷く前のほんのわずかな時間。日曜日はもう少し励んだ。薮下さんは、上二人は小学生で、末っ子は幼児だったが、専業主婦だったので、私より作業時間があったように思う。一週間たってやってきたおっさんに全て仕上がった商材を渡すと鳩豆の顔をして、追加の商材を置いて行った。1ヵ月後、結果、薮下さんはいつもどおり1万円。うちは、1万5千円以上だった。薮下さんがびっくりして、「どうしはったん? 奥さん」と聞いてきた。母はしらぁっと「うち、娘が二人いてますので」と言っている。不良の姉が手伝うわけない。母に至っては、私に全てを任せ、テレビを観たり、昼寝をしたり、週刊誌を読んだりしてのんびり過ごしていた。内職屋のおっさんは、「これから、配送を倍にしますわ。頑張っておくれやす」と言った。清貧一家の次女の内職生活は、その後、一年以上続くのだった。もちろん、小遣いの増額も、礼も何もない。アホの兄も、あさっての母も、不良の姉も当たり前のような顔をして、1万5千円の恩恵に浴している。自慢にならない…か。哀しさ募るエピソードである。※その頃の親父の給料は10万円あったかなかったという記憶。どこかに給与明細(年金の支払い実績)があったので、判明したら追記したい。
2023.10.12
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宅配便を頻繁に利用している。スーパー、ドラッグストア、100円ショップ、300円ショップ、外食店以外、ほとんどの買い物はネットで済ませていると言ってもいい。しかし、いまの居住環境は宅配便に不向きだ。オートロックではないので、「置き配」は少々心配だし、宅配ボックスもない。おまけに郵便受けが激しく小さいので、メール便が入らないことも多い。これまでの自宅は、真逆の環境だったので、重いもの以外は直接宅配業者から受け取れなくても余り気を使う必要がなかったし、重いものは配送日時を指定して確実に在宅していた。物流業界は24年問題がある。突然の話で申し訳ない。物流が逼迫することは確実だ。宅配ボックスや置き配を選ぶとポイントがもらえるという何とも馬鹿げたシステムを官僚が考案したらしいが、そのポイントとやらは、どこからもらえるのか?結局は税金だろう。省益(一つの利権)を物流問題で得ようとするどこまでも姑息な奴らだ。それはさておき、いまの家に引っ越してから、宅配業者にはこれまでもとても気を使っていたが、来年の物流業界がどうなるか不安だし、もっともっと気を使わなければならないかもしれないと思うと気が重い。ここ3ヶ月弱は夜の営業だけにしているので、午前中の配送を指定しておけば、必ずと言っていいほど確実に受け取れた。しかし、昼の営業をスタートさせると、受け取れるのが土曜か日曜(両日は無理。週に一度ということ)。もっと早く欲しいときは、店に配送してもらうか、コンビニでの受け取りなどを選択しないといけない。重いもの、大きいものは難しい。先週、急に寒くなった。夏の間は薄い冷感ケットのみで就寝していたが、それでは寒い。手持ちの寝具といえば、毛布か冬用の羽毛布団のみ。引越しのときに、他の寝具は全て廃棄した。これでは風邪を引くと、慌ててもう少し暖かな寝具を探した。春夏秋で使用できると銘打った布団を見つけた。楽天の「あす楽」システムのある店だったので、1日〜2日で届く(オーダーした時間による)。「土曜日お届け予定」となっている。いかん。土曜日は昼前から出かけて、帰りは夜になる予定。朝なら受け取れるが、時間指定はできない。日時指定ができるのが、翌週の水曜日からとなっている。それまで(一週間ほど)、寒い思いをし続けるのか…。もう一つ手がある。土曜日に配送してもらい、不在連絡票をゲットしたら、日時指定して、日曜に届けてもらうという方法。これはこちらにとっては便利だが、配送業者に2度来てもらうことになる。それは申し訳ない。というわけで、きょうの午前中に配送指定した布団がまだ来ない、まだ来ないと待ちわびている。今朝は少し喉がおかしかった。マヌカハニーを舐めてしのいだ。配送業者に配慮するというのは、とても寒い思いをするということだ。
2023.10.11
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ここのところ、死ぬまでに会わねばならぬ人に会いに行くため、幾度となく鉄道を利用している。30歳くらいから自家用車(会社の)に乗っていたので、余り頻繁に利用することはないけれど、車の距離ではないところに出張に行くときや、雪の時期は鉄道を利用していた。しかしそれも、店を始める10年以上前までのことで、父が亡くなって実家(三重県志摩市)に帰ることもなくなり、前職もやめたので、出張生活も終了。唯一あったのが、連れ合いの親戚に会うときや法事のときに新幹線を使うくらいだった。大阪だからか、日本全国どこでもそうなのかは知らないが、鉄道を使うのが激しく便利になっている。●地下鉄(大阪メトロ)、私鉄各線、JR(近畿圏。範囲あり)ICカード「PiTaPa」で入退場。私の場合はポストペイを利用しているので、チャージの面倒もない。カード利用割引がある。私鉄各線、JRにも割引が適用される。●近鉄ネットで会員登録し、特急券を予約。支払いはクレジットカード。以前は予約票を出力して窓口に持っていき、チケットと交換すると同時に乗車券を購入するシステムだったが、いまは携帯の画面に予約状況を提示できれば窓口に行く必要もない。検札もないし、「クレジットカードの携行を」と指示されるが、提示したこともない。入退場は「PiTaPa」。乗車費用はポストペイで支払い。「PiTaPa」入場は名古屋でも可能。車内でのフリーWi-Fiはアカウント登録で利用可能。※大阪ー名古屋 特急 ひのとり●JR(新幹線)ネットで会員登録し(スマートEX)、乗車券つき指定席券を購入する。支払いはクレジットカード。入退場はICカード「ICOCA」。ネットでの予約時に入退場のカードとして使用登録の必要あり。私のカードはチャージ型なので、新幹線以外のJRを使う場合はそこから支払い。以前の新幹線のチケットは「大阪市内」というおまけがついていたが、それはない。携帯にインストールするタイプのアプリもあるが、これを使うと決めたら、現物としての「ICOCA」カードは無効化する。解約するのが面倒なので、私はカードを使用している。新幹線の改札口に入るとき、「EX利用票」というのが出力される。特に利用する方法がないが、座席の確認はできる。車内でのフリーWi-Fiはアカウント登録で利用可能。近鉄特急も新幹線(S Works車両なら必ず)も座席にコンセントが付いていて、携帯に充電することができるので助かる。事前に予約でき、全席指定の列車でも安心して乗車できるのがいい。ネット予約の客は支払いが確実なので、検札の必要もなく、寝ているところを起こされることもない。実に便利だ。が、携帯を忘れたら終わり。ま、何にしても、携帯ありきの世の中だが。これからも、あちこちに行くので、鉄道利用が便利になるのはありがたい。
2023.10.10
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前回、8歳(いまは12歳)の天才バイオリニストの話を書き、同い年のときの私は、他人のレンゲ畑に踏み入って、花の蜜をチューチューしていたと暴露した。哀しいなぁ…と思いながら、小学2年生のときのことを思い返してみた。あった!私にも、少々自慢させてほしい話が。寒い日の夕刻。19時を少し回ったくらいだっただろうか。こたつの温もりが消えた!安普請の隙間風ピープーの社宅の我が家にある唯一の暖房器具のこたつが壊れた!母が匂いを嫌うので、石油ストーブがなく、そのころは、電気ストーブやファンヒーターがあったかなかったかわからないが、一般的な暖房器具ではなかったので、清貧一家に暖房器具として存在していたのはこたつのみだった。アホの兄は「すぐに買(こ)うてこい!」と貧乏人にあるまじきことをのたまい、母は「もう店開いてない」とあさってのことを言う。たとえ店が開いていたとて、買う金がないではないか。私は早速修理に取りかかった。兄も母も、いつも父に注意されているにもかかわらず、コネクタを持たず、コードを引っ張ってコンセントからコネクタを抜くクセがある。きっと、コネクタ内の銅線が切れているのだろうと踏んだ。※昔のこたつコードはこんな形状。いまと違って修理可能だった。ドライバーを持ってきて、コネクタを開ける。!!!銅線は切れていない。これは厄介なことになった。コネクタ内の問題ではないとしたら、コードか。どこが切れているのかコードをグニグニしながら、切れているところを探る。すっと、軽くなるところがあった。すかさずペンチでそこをざっくりカットした。「な、なにすんねん!」と兄が叫ぶ。『うるさい。修理しとるんや』と心で返しながらコードを包む布を剥がし、カバーを切って銅線をむき出しにする。銅線は数本が二本の束になっていて、それぞれをつないで絶縁テープを巻く。二本の束を一つにしてテープを巻き、布を戻してコネクタをコンセントに入れる。ついた!こたつが再びオレンジの光を放ち、温もりを発している。が、アホの兄もあさっての母も礼も言わず、当たり前のようにこたつに入ってテレビを観ている。なんと不義理な家族だろうか。しかし、絶縁テープの巻き方や処理の仕方が不安で、父が帰ってくる深夜2時くらいまで起きて待っていた。父に事の顛末を話したら父は「よう直したな。直し方、なんでわかったんや」と、褒めてくれ、私は「お父ちゃんがやってたの見てたから」と答えた。父は、私が不安だった絶縁テープを巻き直してくれた。「よっしゃ、これでいける」と言って、頭をぽんぽんしてくれた。8歳の女の子にしては、よくやったと思う。決して、天才バイオリニストと比較してはいない。貧乏人にも、できることはあるということだ。ふん。それくらいしかできませんよーだ。
2023.10.04
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「天才」を見るといつも思う。まず、この人を天才と定義する。『吉村妃鞠』さん。8歳(2019年)で出場したロシアの音楽コンクールの映像がたまたまYouTubeのおすすめに上がったので観てみた。驚くべき演奏だった。https://youtu.be/4H6BitFb9zw?si=TxLwsBhj45G7iIL_※YouTubeのスクリーンショットです。問題があれば削除します。すみません。名だたる審査員を陶酔させる演奏って、素人にはわからないが、それだけですごいことは理解できる。その上、演奏している彼女の表情や仕草が到底8歳とは思えないそれだ。私が8歳のとき……ひもじさの余り、他人の畑に踏み入って、土壌を肥やすために植えられたレンゲの花を引きちぎり、蜜をチューチューしていた。なんという違い!片や世界の音楽コンクールでトップ賞を取りまくり、片やネズミとゴキブリに悩まされる悪環境で足掻く貧乏人。時代が違うのはもちろんだが、才能が違うのだから致し方ない。以前は辻井伸行さんにそれを見た。ルチアーノパバロッティもそうかもしれない。これは、その人一人の才能ではないと考える。(これが「天才を見るといつも思う」につながる)30年以上前、劇団の芝居のシナリオを書いた。テーマは「セルフィッシュジーン」日本語訳は「利己的遺伝子」だ。生命は、遺伝子が司っていて、肉体は、遺伝子が再生するための単なる器に過ぎないという学説。「天才」は、そうしたシステムから生まれると考える。「秀才」は、普通の人間が努力して到達できる最高レベル。「天才」は、「神が宿っている」などと例えられるが、まさに、音楽なら音楽、数学なら数学の天才の遺伝子が、ちょうどよいと見定めた「器」に入ったということ。知能も記憶も技術も持ったまま。妃鞠さんの演奏を聴いてみればわかる。大変師の教えを守る人だったとしても、専門家(審査員)を陶酔させるほどの演奏はできない。なぜなら、曲の解釈や演奏者の感情が入るからだ。8歳の少女が曲(作曲家の心情)が理解できるだろうか。感情を演奏に移入することができるだろうか。彼女はとてもいい表情で演奏する。大人のそれだ。仕草も天才的。無駄のない、美しい仕草は必要最小限だから、パフォーマンスを考慮した、あざとい大人のそれとは全く別物。演奏者にフィジカルな問題があっては、実現しないこともある。幸いなことに妃鞠さんは、8歳なのに、とても俊敏に指や弓を動かせるし、細かな動作を可能にする筋力や運動神経も持ち合わせている。そして何より、おうちが裕福だ。海外のコンクールに出場できる財力がある。バイオリンという高価な楽器を与えてもらえる環境なのだ。うちの話をして恐縮だが、母方の祖母が三味線師なので、姉のために購入されたが放置されていたオルガンで「おばあちゃんが歌う歌、弾いてみて」と言われた時、即座に祖母が歌った歌の音程を鍵盤で弾いた。もちろん習ったことはない。が、幼稚園で先生が弾くピアノくらいは弾けた。両手を使って弾いていた。祖母が母に「この子に、オルガンかピアノを習わせてあげて」と言ってくれたが、母が父に進言したところ「あかん。金がない」が答えだった。貧乏人はそういうことだ。私は、音や音楽に割と関わりがある。連れ合いはギター弾きだし、音楽関係の仕事を長年してきた。その中で私と知り合ったのだが、私の耳の確かさは認めてくれていた。音程のズレを即座に聞き分けるし、歌マネをするときの音程も完全に再現できた。さらに、耳がいい。耳鳴りが一切ないので、小さな音がかなりの精度で聞こえる。もちろん、モスキート音もまだ聞こえると思う。もし私が金持ちの家に生まれていたら、ピアノとバイオリンくらいは弾けるだろう。もちろん、天才とはいかないが、「ちょっとやってた」くらいの遺伝子が入っているのではないかと思う。妃鞠さんは「モーツァルトの再来」と言われているそうだが、本人は大変努力家で、「5〜6時間練習した後に先生と練習します」と言った強者。モーツァルトのようなルーズさがないので、さらにすごい天才だと言えるかもしれない。そうそう、モーツァルトは1/8音のズレが聞き分けられると言われていたそうだが、若い時の私は「私にもできる」と思っていた。半音の半音は確実にわかっていたし、それ以上もわかると思っていた。というくらい、音に敏感だったので、辻井さんにも、パバロッティにも、妃鞠さんにもハマった。ま、一度聴いてみてほしい。私は100回くらい聴いているが、まだ聴きたい。聴いてみれば、私の言っていることがおわかりいただけるだろう。
2023.10.01
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