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歴史上にあったことをテレビドラマで忠実に表現すると「日本人を貶めようとする表現だ」とクレームを言い出す者がわが国にいることについて、27日の毎日新聞夕刊は、次のように書いている; 先日、NHKの連続ドラマ「まんぷく」を巡り、ネット上でちょっとした騒動があった。旧日本軍の憲兵がヒロインの夫になる男性に暴行する場面で「優しい日本兵が出てこない。日本人をおとしめるのか」といった批判があがり、論争になったのだ。憲兵と「歴史の忘却」について、専門家に聞きつつ、史料を渉猟して考えた。【吉井理記】 昨今話題の本と言えば、「日本通史」をうたう作家・百田尚樹氏の「日本国紀」だろう。 不思議な本だ。特に戦前の日本、治安維持法や特別高等警察(特高)憲兵など治安当局による言論・思想弾圧が一切存在しなかった国のように描かれ、1923年の関東大震災の時、東京憲兵隊麹町分隊の甘粕正彦大尉らが、無政府主義者・大杉栄ら3人を連行し、絞め殺した著名な事件にももちろん言及しない。 だから、というワケでもないだろうが先日、NHK朝の連続ドラマ「まんぷく」で、憲兵がヒロインの夫になる男性に拷問まがいの暴力を振るうシーンに「日本人をおとしめる描き方だ」といった批判の声がネットであがった。 「論語」に「過ちて改めざる、これを過ちという」とある。負の歴史に光を当てることは「自虐」ではない。専門家によると、憲兵は現代の私たちと無関係ではない、というのだ。 実は「まんぷく」と似たような論争、かの国民的朝ドラ「おしん」(1983年4月~84年3月放映)でもあった。教えてくれたのは小樽商科大名誉教授、荻野富士夫さん。戦前の思想弾圧に詳しく、防衛省防衛研究所などの史料をもとにした大著「日本憲兵史」(日本経済評論社)を著したばかりだ。 国会図書館で、東京憲兵隊のOBで作る「東京憲友会」の機関誌「東憲」を読んでみた。なるほど、83年の第174号に「おしん」の作中で、憲兵が主人公・おしんが尊敬していた脱走兵を射殺する場面に対し、あるOBが「射殺は考えられず、憲兵を侮辱している」「戦前の反軍反戦運動は自由で憲兵の弾圧はあり得ない」と、NHKに抗議文を送った、とある。 35年後の「まんぷく」はどうか。ドラマはインスタントラーメン生みの親・安藤百福さん夫妻をモデルにした立花万平・福子夫妻の物語だが、問題の場面は、戦時中、根菜切断機の製造会社を共同経営していた万平が、資材横流しの容疑で連行され、憲兵に拷問を受けるシーンだ。 放映されると、ツイッター上に「日本兵=悪者という印象操作。NHKの悪意を感じる」「韓国人が作っているのか」といった投稿が相次いだのだ。 ドラマは安藤氏の自伝に基づいているから、不当な批判というほかはない。荻野さんの著書に詳しいが、日中戦争前にも「反軍思想」の監視が憲兵の任務で、学者や議員の言動も抑圧された。作家の菊池寛も、関東大震災の時に無政府主義者・大杉栄と婦人解放運動家の伊藤野枝、6歳のおいの3人を虐殺したことで有名な東京憲兵隊麹町分隊に連行され、取り調べを受けた(38年11月10日付読売新聞)。「弾圧はあり得ない」ということ自体、あり得ないのだ。 荻野さんは「憲兵がさまざまな暴力を国民や日本軍占領地の民衆に振るったことは、憲兵教習で使われた内部資料などで明らかです。戦時中はキリスト教宣教師が獄死もしている。小説やドラマなどでそんな憲兵が描かれましたが、それだけ民衆にとっても、憲兵の記憶は生々しかった。でも現在はそんな民衆の共通認識が、忘れられつつあるのでしょうか。憲兵は遠い過去の出来事ではないんです。今、安倍晋三政権は改憲に乗りだそうとしていますね。かつてのような憲兵が復活する恐れすらあるのですが・・・」 なぜ、現代に憲兵が復活すると考えるのか? 後ほど聞くとして、もう少しかつての憲兵の実相を見ていこう。 憲友会の全国組織「全国憲友会連合会」が編んだ「日本憲兵正史」(76年、以下「正史」)には、戦時中の中国を含むアジア各地での憲兵による残虐行為が、当事者である憲兵OBによってつづられている。もちろん「責任逃れ」や事実の矮小(わいしょう)化に見える筆致は多いが、「歴史修正」としか呼べないような書籍や言説があふれる現代からみれば、驚くほど率直である。 例えば、旧満州(現中国東北部)にあった関東軍防疫給水部、通称「731部隊」(指揮官・石井四郎大佐の名から石井部隊と呼ばれた)による中国での人体実験。昨年8月、やはりNHKが特集番組を放映した時は「そんな事実はない」「731部隊は感心」といった声がネット上にあふれた。 だが「正史」には、「人体実験の問題が巷間噂され、現在も多くの出版物に面白く描かれているが、これは事実で、チチハル憲兵隊などから、ハルピン憲兵隊宛て『丸太一本送る』と連絡があると、これは死刑囚を石井部隊へ送ることであった。(中略)この死刑囚にペスト菌をもつノミをくわせ、健康な人間かペスト病になっていく経過を記録研究する」と明記されている。「丸太」とは、人体実験の被害者を指す隠語である。 荻野さんは「死刑囚とは、反満・抗日活動の容疑で捕まえた中国人のことで、日本軍が使う『逆スパイ』にならないような人は、何人かずつ憲兵が引率し、731部隊に送っていたことが憲兵側の記録に残っています。『正史』には、まだそれなりに過去と向き合おうとする姿勢がうかがえます」と解説する。 実際、同書は731部隊のほか▽シンガポール占領中(42~45年)、憲兵らが華僑を虐殺した事実(シンガポール側の見解では被害者約5万人)▽シンガポールで42年2月、窃盗の疑いを持たれたインド人3人を射殺し「さらし首」にした事件▽44年11月、フィリピン・マニラで現地住民約460人を地下留置場で窒息死させた事件――などについて、直接・間接の憲兵の関与を認めている。 「国内よりも、植民地や満州国のようなかいらい国家、日本軍占領地のほうが憲兵や日本軍の『恐怖政治』は過酷でした。ケンペイ、という日本語は、現地徴用された労働者を指す『ロームシャ』(労務者)という言葉とともに、東南アジアでは戦後も人々の間で生々しく生きていました」と荻野さん。 文献を探すと、例えば42年11月から43年5月まで、日本占領下の現在の東南アジアを視察した元中央公論編集長、黒田秀俊氏は著書「軍政」(52年)で、ジャカルタの街で住民と「ケンペイ」という日本語を交えた会話をした経験に触れ「占領地の住民たちが憲兵をおそれることは非常なものであった。(中略)シンガポールでは、多少の誇張はあるにしても、憲兵隊の窓から中国人の呻(うめ)き声のきこえない日はなかったとさえいわれた」と回想している。 余談だが、作家・百田尚樹氏が近著「日本国紀」で「大虐殺はなかった」と主張する「南京事件」について「正史」には「確かに事実であり、戦史の上からも日本軍最大の汚点として、まことに恥ずべき行為であった」とある。 書店を歩けば、当事者たちですら認めていることに触れない、あるいは「なかった」と主張する「歴史書」があふれている。ネットの世界はもっとすさまじい。 「『優しい憲兵』はいたかもしれませんが、それは問題の本質ではありません。憲兵自体、民衆を抑えつける存在だったからです」と荻野さん。では、現代との関わりは何か? 自民党が2012年に公表した改憲草案では、自衛隊の「国防軍化」に伴い「国防軍に審判所を置く」(草案9条の2の5項)とある。つまり裁判所とは別に「軍法会議」を設置する、ということだ。 荻野さんがまとめた。「軍法会議が置かれれば、かつてと同じように、捜査権だけでなく、起訴権を持つ憲兵が必ず必要になります。現在ですら、例えば07年には自衛隊の情報保全隊がイラクへの自衛隊派遣に反対する市民や報道関係者らを違法に監視していたことが明らかになった。かつての日本は共産主義はもちろん、民主主義や自由主義、個人の権利や市民生活までも、弾圧・監視され、戦争に動員されました。その役割を担ったものの一つが憲兵です。憲兵が復活するのは、決してあり得ない話ではないんです」2018年11月27日 毎日新聞夕刊 1ページ 「憲兵と歴史修正主義」から引用 NHKテレビが「おしん」を放送したときも似たようなクレームがあったとは知りませんでした。我々が子どもの頃は、軍人や憲兵や特高の暴力的体質を実際に見たり聞いたり体験した大人が大勢いましたから、映画やテレビでそのようなシーンを見ても「昔はそういうものだった」と思うだけで、「おしん」や「まんぷく」を見てクレームを言う人間というのは、何を考えているのか、まったく理解できません。戦前の実話に基づいたドラマを演じる中で、「こんな優しい兵隊さんがいました」などというシーンを挿入しても、あらすじとして意味をなさないわけですが、クレームを言い出す人たちというのは、ありもしない作り話をテレビで放送すれば喜んで受信料を払って視聴する、まったく理解不能です。しかも、百田某が書いたありもしない作り話の本が40万部も売れたというのですから、私たちの社会は今、かなり歪んできているのではないかと思われます。
2018年11月30日
元徴用工損害賠償裁判に関する安倍首相の自国政府見解とも矛盾する発言に追随した日本のメディアについて、16日の「週刊金曜日」は次のような論評を掲載している; 10月30日の韓国大法院(最高裁)による、新日鉄住金に元徴用工4人への損害賠償を命じた判決に対し、大手5紙は翌31日朝刊で一斉に「社説」や「主張」で批判を加えた。各紙の論説で最も共通する欠陥は、元徴用工の問題が「1965年の日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決している」という、安倍晋三首相の発言を何も疑っていない点だろう。 『朝日』も「日本政府や企業側は、1965年の国交正常化に伴う請求権協定で元徴用工への補償問題は解決済みとし、日本の司法判断もその考えを踏襲してきた」とする。「完全かつ最終的に解決している」から元徴用工の訴えを認めた韓国最高裁はおかしいという理屈だ。しかし、日本が韓国と請求権協定を取り決めても、個人が請求する実体的権利をすべて消滅させることにはならない。 実際、政府は日韓請求権協定があっても個人の損害賠償請求権を認めてきた。1991年8月27日の参議院予算委員会において、外務省の柳井俊二条約局長(当時)は次のように答弁している。 「いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが(中略)日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」 この「外交保護権」とは、個人が外国からその身体や財産を侵害され、損害を受けた場合、その個人が所属する国家がそうした侵害を自国に対する侵害と見なし、相手の国家の責任を追及する権利のこと。日韓請求権協定で双方の「外交保護権」は消滅したが、個人の請求権は存在するということだ。 従って、「日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決している」という首相の言い分は政府見解に照らしても不正確で、「国際法に照らしてあり得ない」と述べているが、具体的に何の「国際法」を指すのか。ところが『毎日』は、「徴用工については、協定の合意議事録で補償金の支払いなどに関し、いかなる主張もなしえないと確認している」と指摘。にもかかわらず、韓国最高裁が一請求権協定に徴用工に対する賠償問題は含まれていないとの見解を示した」ことが、一方的に条約や協定の解釈を変更する」ことになると書く。◆「言われなき要求」? だが、行政府の締結した協定を最高法規の憲法に照らし、問題が生じた際に最終的に解釈するのは司法の役割だ。司法の解釈が行政府の解釈と違う結果になっても、三権分立の原則ではおかしくはない。司法が、政府解釈と異なる解釈をするのは憲法上許される。 今回の判決では、「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」を認め、日韓請求権協定の対象には含まれないとした。「いかなる主張もなしえない」ということではなく、「反人道的な不法行為」の被害者は、慰謝料を請求することができるという判断だ。これは韓国最高裁の判決であり、被告の新日鉄住金はこれに従う法的義務がある。 ところが『産経』は、「政府は前面に立ち、いわれなき要求に拒否を貫く明確な行動を取るべきだ」などと書いている。この民事事件の被告は新日鉄住金という民間会社で、日本政府ではない。当然ながら、当事者でもない日本政府が法的に「要求」を突きつけられているわけでもない。いったい『産経』は、日本政府が他国の民事事件の最高裁判決に対し、どうやって「拒否を貫く」だの、「明確な行動を取る」だのといったことを可能にできると思っているのか。 この点、『日経』も同様だ。同紙によると、「新日鉄住金は『日本政府の対応状況等もふまえ、適切に対応』するという。日韓関係の土台にかかわる問題だけに政府と緊密に連携しつつ対処していくべきだろう」という。民事事件の裁判での争いではなく、国家同士の争いごとのような図式に持ち込もうとしているようだ。民事事件の最終審で被告が有罪判決を下されたら、まずやるべきことは命じられた金額を原告に支払う以外あるはずがない。今になって「日本政府の対応状況等もふまえ」などと新日鉄住金が考えていたら、どんどん遅延損害金がかさむだけだ。 それとも『日経』も、他国の民事事件の最高裁判決に日本政府が被告の新日鉄住金と「緊密に連携」すれば、何かできることがあるとでも本気で考えているのか。韓国政府ですら、司法判断に介入などできないにもかかわらずだ。◆問われているのは日本だ 『読売』は、今回の判決を「反日ナショナリズムに迎合」したなどと決め付けている。韓国の最高裁が、「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為」を認定して、被害者である原告の元徴用工に慰謝料請求権があるのを認めたことが、なぜ「反日ナショナリズム」なのか。 自国の植民地支配や侵略の歴史的責任すら認めようとしない安倍晋三首相や自民党、およびそうした勢力を支える『読売』や『産経』こそ、自身の偏狭な「ナショナリズム」を反省すべきだろう。常に隣国の民衆から不信の眼差しがこの国に注がれているのは、「反日ナショナリズム」が理由ではない。安倍首相の「完全かつ最終的に解決している」という発言に象徴される、日本の過去の政策がもたらしたおびただしい被害者の痛みに無頓着な姿勢こそが元凶なのだ。 しかも、『読売』は、「日韓併合条約が合法かどうかは、国交正常化交渉でも決着しなかった。両国がこの問題を棚上げして、和解の道を進んだ経緯について、韓国司法が無視したのは理解できない」などと書いている。日本がこの交渉で植民地責任を頑なに認めず、当時の韓国の軍事政権も「政治決着」を急いだことが、後に人権侵害を受けた被害者の救済が後回しにされる様々な悲劇を生んだ。今回の元徴用工の問題もその一部である以上、韓国の司法が原告の救済のために「不法な植民支配および侵略戦争の遂行」に踏み込んだのは一つの見識として評価されるべきであって、「理解できない」と批判するのは、元徴用工の人権侵害の実態に関心などないからだ。 だが、『産経』は、韓国最高裁判決が「『植民地支配や侵略戦争遂行と直結した反人道的な不法行為』などと決めつけ、個人の請求権を認めた」のは、「史実を歪め」るものだと批判する。新日鉄住金の前身の旧日本製鉄に対する韓国人原告2人の未払い賃金、慰謝料等をめぐる訴訟で大阪高裁は02年11月19日、請求は認めなかったが、「日本製鉄の監視下に置かれて、労務からの離脱もままならず、食事を十分には与えられず、劣悪な住環境の下、過酷で危険極まりのない作業に半ば自由を奪われた状態で相当期間にわたって従事させられ」たと事実認定し、「違法」と断じた。『産経』は、これも「史実を歪め」たと見なすのか。 各紙に言えることだが、「主体的に問題解決を図るべきは韓国政府だ」(『毎日』)などと主張するのは論外だ。まず当事者の新日鉄住金が判決に従い、被害者に誠意ある謝罪を示すことが先決だ。同時に今回の判決を契機に改めて植民地支配の負の歴史に向かい合い、日韓条約を含めそれを未だに清算できていない現実を克服する日本側の努力が問われている。それを無視して韓国側に責任をなすりつける各紙の論調は、有害無益だろう。2018年11月16日 「週刊金曜日」 1209号 16ページ 「元徴用工韓国最高裁判決報道はここがおかしい」から引用 この記事にも書いているように、「日韓請求権協定によって、完全かつ最終的に解決している」から、今となっては日本も韓国も戦前の植民地時代の問題に関しては外交保護権を消滅させているのであり、今さら日本企業が当時の労働者に訴えられて賠償金を請求されたからといっても、もはや日本政府には外交保護権は無いのであるから、訴えられた新日鉄住金を日本政府が保護する権限は「完全かつ最終的に」消滅しており、日本政府のチカラでなんとかするというのは、どう頑張ってもムリということのようです。したがって、新日鉄住金は安倍首相の妙な口車に乗ることなく、速やかに命じられた賠償金を支払うのが賢い対応ということになるわけです。
2018年11月29日
韓国大法院が新日鉄住金に対し、元徴用工に損害賠償金を支払うように命じた判決について、不勉強な安倍首相が「国際法に照らしてあり得ない」とうっかり間違った発言したところ、日本の新聞が一斉に追随して韓国大法院を批判したことについて、ジャーナリズム研究家の丸山重威氏は18日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 原告に1人当たり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた、元徴用工をめぐる韓国大法院の判決(10月30日)が注目されています。 日本の新聞各紙は、安倍晋三首相の「国際法に照らしてあり得ない」、河野太郎外相の「判決は暴挙」との発言に乗り「反韓」をあおっています。 31日の各社社説は-。「日本政府が『断じて受け入れられない』と表明したのは当然」(「毎日」)、「国家間の協定や約束事を軽視し、ほごにする」(「日経」)、「史実を歪(ゆが)め、国同士の約束を無視」「戦時徴用は当時の法令(国民徴用令)に基づき合法的」(「産経」)と、横ならびで判決を攻撃。「朝日」ですら「韓国政府は・・・適切な行動を」と、なんとも及び腰です。 1965年、日韓基本条約とともに、日韓請求権協定が結ばれました。安倍政権は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決している」として韓国を非難しています。しかしこの対応は問題。たとえ国家間で請求権の問題が解決しても、個人の請求権を消滅させることはない-。この立場は、日韓両国の政府、最高裁で共通しています。 個人請求権と国の請求権を意識的に混同させて、世論誘導をはかる安倍政権に、メディアは追随しているのではないか。 日本共産党の志位和夫委員長は11月1日、「『被害者個人の請求権は消滅していない』という一致点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合っていく」ことを呼びかけました。弁護士有志も5日、政府の対応を批判する声明を出しましたが、ほとんど報道されていません。 「日経」は韓国では「政権や世論に左右され、司法の判断が揺れた」(31日付)ともいいます。しかし、安倍政権と同じ理屈で判決を批判する日本のメディアこそ、「政権」に左右されているのではないでしょうか。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2018年11月18日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ 「メディアをよむ-『徴用工』報道の政権追随」から引用 この記事は安倍晋三という政治家を過大に評価している。それは、「個人請求権と国の請求権を意識的に混同させて、世論誘導をはかる安倍政権」と表現している点に表れている。しかし、私が見るところ、安倍晋三という政治家はそんな「高級」な政治理論を理解する人物であるとは到底考えられません。彼のアタマには個人請求権と国の請求権と2つある、などという「複雑」な観念など無いのであって、単に「65年の日韓基本条約を締結したときに、相応の金品を渡したのであるから、後は韓国の中でどんな問題が起ころうと一切合切、そのカネの中で韓国政府がやりくりする義務があるのであって、日本は一切タッチする必要はない。それが最終的で不可逆な解決なのだ」という独り善がりの勝手な屁理屈である。そんな理屈を国際法廷に持ち込んでも誰も聞く耳を持たないことでしょう。安倍政権を除く歴代自民党政権は韓国政府や日韓両国の裁判所と同様の、日韓基本条約で政府間の請求権は消滅したが個人請求権まで消滅させるものではないとの「共通認識」を持っている。したがって、今回の判決については被告の新日鉄住金は判決に従う以外に「道」はないのであり、安倍政権をあてにして待っていると延滞遅延のペナルティが加算されるだけである。
2018年11月28日

今年は明治元年から数えて150年目に当たるというので、安倍政権は数年前から記念式典を実施すると公言し予算も確保してきており、そのような式典で一層の右傾化を懸念するあちこちの歴史学者のグループでは、それぞれの立場からの「明治150年」というタイトルの研究会を立ち上げる動きがあり、政府も地方自治体に150年記念式典の実施を呼びかけたようですが、明治150年をお祝いしようという機運は一向に盛り上がらず、東京で開いた政府主催の式典も開始から一時間もしないうちにあっさり終了するという「盛り下がりよう」だったらしい。その「明治150年」について、佛教大学歴史学部教授の原田敬一氏は18日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 10月23日に小規模な「式典」が行われた、という記事が先日の新聞にあった。「明治150年」を寿ぐ集まりである。「明治150年」を祝えという政府の指示に、各地の取り組みは「維新150年」もあれば「戊辰150年」もあり、歴史観も歴史像もさまざまである。 こうした状況や歴史学界の批判を気にしたのか、安倍晋三首相のメッセージは、「光と影、様々な側面を貴重な経験」としようと柔軟な姿を見せた。しかし、歴史観や歴史像が多様であることは当然のことであり、それを「寿ぐ」一面だけを見せるのは政治のミスリードだろう。◆軍事紛争32年史 明治維新で誕生した「明治元年」を起点とすると、今年は「明治150年」だという官邸の言い方に従うと、1945年は「明治78年」となる。その間に日本が関わった海外の軍事紛争があった年を数えてみよう。1874年 台湾出兵1882年 壬午軍乱1884年 甲申事変1894~96年 日清戦争(通説は95年まで、後述)1900年 義和団戦争1904~05年 日露戦争1914~18年 第1次世界大戦1918~25年 シベリア・樺太戦争(シベリア出兵)1927~28年 山東戦争(山東出兵)1931~32年 満洲事変・第1次上海事変1937~45年 日中全面戦争1841~45年 アジア太平洋戦争(第2次世界大戦) 重複を整理して、戦争のあった年を数えると32年になる。78年間の半分近くが、海外で日本の軍隊が関わった軍事紛争や戦争があった年だった。受動的だった1882年の壬午軍乱(注1)以外は、日本軍が作戦を立て、積極的に仕掛けていった軍事紛争である。また日清戦争からアジア太平洋戦争までは、一貫して中国における権益の維持・拡大を戦争目的としているから、私たちは「50年戦争」と呼んでいる。◆海外常駐軍62年史 日本の軍隊が海外に常駐するようになったのは、壬午軍乱の後で、朝鮮政府と結んだ済物浦条約(1882年)によるものである。この条約で、漢城(現在のソウル)に置いた日本公使館守備のため「若干の兵」を置くことが決められた。交渉では「若干」とされたが、日本政府は拡大解釈して一個大隊(500人)を置いた。義和団戦争(注2)のあと連合国軍と清国が結んだ講和条約(1901年調印、辛丑(しんちゅう)和約、北京議定書)により、連合国軍が黄村(北京郊外)-山海関間の鉄道拠点警備を認めたが、それに日本も参加し小部隊を置いた。それをいつまでも撤兵させず、1937年に一挙に旅団規模に拡大させたのが、同年7月盧溝橋事件が起きる前の日本軍だった。◆植民地支配50年史 日清戦争の結果、台湾を新領土として清国から割譲を受ける。台湾には山岳民族が先住民として住んでおり、そこに中国大陸から漢族が移住してきていた。 彼ら台湾住民の反対は強く、上陸した日本軍は、当初は元清国官僚らのつくった台湾民主国の抵抗を、その後は先住民の強い抵抗を受け、樺山資紀(かばやますけのり)初代台湾総督の「平定宣言」(11月)まででも6ヵ月、大本営の解散(1896年4月)まで1年間、陸軍海軍共同作戦で抵抗をつぶす戦争をしなければならなかった。私はこの台湾征服戦争も入れて日清戦争と呼ぶべきだと考えている(1896年日清戦争終了説の根拠)。台湾から日本の植民地支配が始まり、50年続いた。◆軍隊のない4年間 「明治150年」のうち、戦争も軍隊もなかった年が4年間だけある。1946年から49年までである。この4年間は、日本の軍隊はどこにもなく、戦争もなかった。厳密に言えば、中国大陸で軍司令部から残留して蒋介石軍と共に戦えと命じられた約2600人の兵士たちや、終戦を知らされず戦っていた沖縄や南方戦場(ペリリュー島など)の兵士たちがいるが、国家の制度としての軍隊はなくなっていた。 その日本は輝いていた。占領期だということで屈辱的だった一面を強調する人もいるが、新しい理想を掲げて輝いていた。そのことが戦後の出発点だったことを忘れるべきではない。(寄稿) 注1・壬午軍乱=朝鮮軍兵士が政府に反乱を起こし、日本公使館も襲撃。公使館員らは応戦・退避し、日本人死者も出た。 注2・義和団戦争=義和団の暴動をきっかけとした、中国清朝と日欧米8力国連合軍の戦争。連合軍が北京を制圧した。はらだ・けいいち=1948年生まれ。専門は日本近現代史。『日清・日露戦争』(岩波新書)『「戦争」の終わらせ方』(新日本出版社)ほか2018年11月18日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ 「戦争ばかりだった日本」から引用 この記事の末尾には朝鮮戦争が始まって警察予備隊が設立されるまでの4年間は日本に軍隊が存在しない「輝いていた」期間だったと書かれてますが、輝いていると感じたのは、それまでに戦争遂行のために窮乏生活を強いられた一般国民であって、戦争指導をしてきていた政府高官や戦争で不当に利益を上げた大企業経営者などは、軍隊を持つことを禁止されてこの先どうやって生きていくのか暗澹たる気分だったのではないかと思います。しかし、この72年間は、念のために設置した自衛隊も安保条約に基づいた米軍基地も、実際に日本の防衛のために使用するようなケースは一件もなかったという実績に、私たちは大いに自信を深めて良いと思います。これからは、互いにどの国とも脅威にならないことを確認して、やがては核兵器禁止に留まらず一般の武器の製造も禁止する時代が来るように努力していくべきだと思います。
2018年11月27日

北方領土返還交渉について、18日の東京新聞は次のように報道している; 日ロ首脳会談で合意した日ソ共同寡言を基礎とした平和条約交渉の加速を巡り、両国の意見の対立が早くも表面化している。日本に引き渡すと明記された歯舞、色丹2島について、日本が主権を主張するのに対して、ロシアは今後の交渉でどちらの主権に属するか決める、との立場を崩していないからだ。さらに、在日米軍配備の取り扱いが交渉を難航させそうだ。(ポートモレスビー・妹尾聡太) 日ソ共同宣言では、平和条約締結後、歯舞、色丹を日本に「引き渡す」と書かれているが、2島の主権がどちらにあるかは明記されていない。 菅義偉(すがよしひで)官房長官は16日の記者会見で2島について「返還されれば当然、日本の主権も確認される」と指摘した。日本政府は、北方領土について法的、歴史的にも日本固有の領土との立場を堅持。旧ソ連が先の大戦で中立条約を破って占領して現在も不法占拠しているとし、返還を求めている。 一方、ロシアも北方領土の主権を主張。「引き渡し」については、自国領土を善意で日本に渡すとの立場だ。渡した後の主権が日本にあると認めたわけではない。プーチン氏は15日の記者会見で「2島の主権はどちらになるのかは書かれていない。本格的な検討が必要」と語り、今後の日ロ交渉で決まるとの考えを示した。 2島の主権を巡る交渉をさらに難しくするのが在日米軍の問題だ。 プーチン氏は昨年6月、北方領土の引き渡しに関し「米軍基地やミサイル防衛(MD)システムが設置されることは絶対に受け入れられない」と語った。米軍は日米安保条約と日米地位協定に基き、日本の防衛義務を理由に、日本国内ならどこでも米軍基地の設置を求めることができることを意識した発言だ。 日本政府はプーチン氏の懸念を払拭するため、2島に米軍基地を設けないと確約する必要がある。同時に、日ロの接近を嫌う米国の理解も得なければならない。◆他国に干渉されず統治 北方領土問題で焦点になっている「主権」とは、どういうものなのか。 学習院大学の阿部克則教授(国際法)は「他の国から干渉されることなく、領土や領土内の人を統治する権利」と説明。主権があると「国の法律や決定、命令に従うことを要求できる」とする。警察がその主な例だ。「帰属」とは、どの国が主権を持つかを指す。 主権を失うと、その国の法律は原則として、失った領土やそこに住む人に適用できなくなる。例えば、土地の所有権にしても、主権が及ぶ国の法律に基づいて承認される。阿部氏は主権をどの国が持つかについて「住民にとっても、あらゆることが変わってくる」と指摘する。2018年11月18日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「日ロ 2島主権巡り溝」から引用 日頃から私は東京新聞を左に変更しているなどと批判する立場とは一線を画しているつもりであるが、この記事は少しおかしいと思います。正確に言うと、東京新聞に限らず日本のジャーナリズム全体がおかしいと、私は感じます。何がおかしいか、具体的に言うと「日ソ共同宣言では、平和条約締結後、歯舞、色丹を日本に『引き渡す』と書かれているが、2島の主権がどちらにあるかは明記されていない」と書いている点です。これは、正確に表現すれば、「2島の主権を明示する単語は書かれていない」だけのことで、「2島を返還する」との文言には「主権の返還」も当然含まれているのは常識なのであって、そういう認識で当時の日ソ両国政府が共同宣言を発表したものであって、それは「世界の常識」です。アメリカが沖縄を日本に返還するときも、「島は返すが主権については別途交渉だ」などと馬鹿げた議論はしませんでした。したがって「島は返すが主権は別途交渉」などと言うのは、プーチン氏が自身の支持率低下を恐れて思いついた「言い掛かり」にすぎないもので、そういう言い分は「日ソ共同宣言」の主旨に反すると、日本政府は抗議するべきだと私は思います。その昔、日露戦争に勝利したのに日本政府のロシアに対する態度が弱腰であることを問題視した民衆が、暴動を起こして日比谷公園にあったレストランを焼き討ちしたものでしたが、今は安倍政権がどこまで馬鹿にされても、メディアも民衆もおとなしくしているのは不思議です。
2018年11月26日
安倍首相が何をしにロシアに行くのかと思っていたら、急に北方領土の4島のうち2島が先に返還されるかもしれないというようなニュースが流れ、間もなくロシア側はそんなことは一言も発言していないことなども知れ渡り、日本のメディアは相も変わらず安倍首相のちょうちん記事を書いて利益を上げる路線であることが暴露されただけのようですが、その領土問題について、法政大学教授の山口二郎氏は18日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 安倍首相が北方領土問題について大きな方針転換を図っているようである。私は、四島一括返還という従来の方針には懐疑的だった。 今の日本国は、北海道でさえ持て余している。JR北海道や北海道電力の惨状を見よ。中央政府はそっちにやる金はないと言い張り、北海道のインフラは劣化の一途だ。この上に四島が領土として編入されたら、その維持、経営にいくらが必要か、想像もつかない。 「未解決の領土問題」は、実体的な国益にかかわるものではなく、国民の間にナショナリズムを高めるための便利な道具である。安倍首相が、この便利な道具を放棄し、現実的、合理的に国境線の画定を行うというのは、一つの見識である。 ただし、なぜ方針を変更するのか、国民に対して十分に説明してほしいと思う。昔、高校の政治経済の教科書を書いた時、北方四島、竹島、尖閣諸島は日本の領土だと書かなければ、検定は通らないとされた。今では、内閣官房が設置した領土・主権展示館で日本の主権を主張しているのは竹島と尖閣だけである。国の主権の中身というのはそれほどいい加減に変えられるものなのか。 領土問題についてのメンツを捨てて、資源開発や漁業について関係国と合理的に利益を追求するという新しい発想を安倍政権が打ち出すのかどうか、注目したい。(法政大教授)2018年11月18日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-領土問題とは」から引用 過去には何度か北方4島のうちの2島を先行返還などという話が持ち上がると、必ず自民党内から4島一括でなければダメだという声が出るものでしたが、最近は内閣官房が設置した領土・主権展示館で主権を主張するのは竹島と尖閣だけとのことですから、政府はかなり以前から「2島先行」に舵を切ったということのようです。それならそうと、国民に何故方針を変えるのか、一言説明があってしかるべきです。私が思うに、国民の間にナショナリズムを高めるための道具として北方領土を利用するよりも、現実的に国境線を画定するほうが合理的であるなどと、現政権がそのような高度な政治判断に基づいて行動しているなどとは到底考えられません。安倍氏は多分、何も考えずにロシアに行って、取りあえず領土問題を口にしたら、プーチン大統領からそういう返事が返ってきたというだけのことで、この先どういう展開になるのか、日本としてどう対処していくのか、多分何も決まっていないのではないかと思います。
2018年11月25日
不足する労働力を外国人労働者を受け入れることによって補おうとする安倍政権の政策は、実はフランスでは60年代に実施したもので、外国人労働者の差別など様々な問題があったと、哲学者の内山節氏が18日の東京新聞に書いている; すべてのことには、それを実現するために必要な時間量があると思っている。たとえば米を作ろうと思えば、種籾(たねもみ)をまいてから収穫するまでにおよそ半年の時聞か必要である。品種改良によって多少短縮することはできても、ひと月で米を収穫することはできない。子どもが大人になるためにも、地域社会が生まれるためにも、必要な時間量がある。だから何かをはじめようとするときには、必要な時間量を保証する覚悟をもたなくてはならない。 ところが今日の社会では、必要な時間を大事にするという精神がなくなってきた。インターネットを使えば、瞬時に情報が飛び交っていく。グローバル化した社会では、たえず競争のための改革をしつづけなければならなくなった。こうして、いつの間にか、必要な時間量という発想をもたない時代が生まれてしまった。 だがそういう社会になっても、自然や人間は、変化を受け入れていくのに必要な時間量があることに変わりはない。それを無視すれば、自然も人間もストレスにさらされ、最終的には自然や社会の荒廃につながっていく。今日の政治や経済の問題点のひとつは、このことにある。憲法を改正するのなら、国民の合意が高まっていくために必要な時間量を保証する意志をもたなければならない。 現在議論されはじめた外国人労働者の導入問題でも、同じことが指摘できる。外国人労働者を日本に大量に入れるのなら、たえず外国人が働きにきて、その何割かは定住する社会へと日本を変える覚悟が必要だ。そのためには、外国から来た人たちとともに働き、ともに暮らす社会へと日本を変えていく時間量が保証されなければならない。人手が足りないから安い労働力として入れるというだけでは、来た人たちにも日本の社会にも、ストレスばかりが高まってしまうだろう。 現在の日本の政権は、次々に「○○改革」という旗を掲げて、頑張っている政権を演出しているかのようだ。だが改革に必要な時間量、自然や人間、社会が、変化に対応するのに必要な時間を保証しない改革はうまくいかないし、強行すれば問題点の方が多くなってしまう。単に「改革」のスピードを競うようなやり方は「善」ではないのである。 ヨーロッパの多くの国は、19660年代以降にたくさんの外国人労働者を入れた。私が幾度か足を運んだフランスでは、人口の10%くらいがそういう人々になっている。この外国人労働者を待ち受けていたのは、低賃金、劣悪な労働環境、差別的な社会だった。帰国しようと思っても、次第にそれも困難になっていった。なぜなら、仮に10年間働きにきていたとすれば、10年間分、母国での仕事や暮らしの基盤を失っているのである。つまり母国では根無し草なのであり、帰国すればもっと基盤のない人間になってしまう。 外国人労働者たちは、集団をつくって助け合うしかなかった。そうやって生まれた集団を、多くのフランスの人たちは、犯罪やテロの温床のようにみなし、社会の対立が激化していった。それは、人手不足を補うことしか考えなかった政策の失敗だった。外国人が働きにくる社会をつくるのなら、そういう社会へと自分たちの社会を変える決意と、そのために必要な時間量を保証しなければならなかったのである。(哲学者)2018年11月18日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-外国人労働者の導入問題」から引用 外国人労働者の受け入れという問題は、安倍首相のコアな支持層が忌み嫌う政策だから、安倍氏自身もあまり乗り気ではないのではないかと推測しますが、財界からの要求ともなると好き嫌いは言っていられないわけで、安倍政権は「移民ではない」と必至で説得する方針のようです。あのフランスでも外国人労働者を差別したというのですから、これからの日本もこれは大変な事態を迎えるのかと思います。くれぐれも労働者の人権が損なわれることのないように、外国人も含めた労働組合運動の充実が大事になると思います。
2018年11月24日
内閣改造があると必ず閣僚のスキャンダルが問題になるのが安倍政権の特徴であるが、今回の問題について文芸評論家の斎藤美奈子氏は、14日の東京新聞コラムに次のように書いている; 桜田義孝五輪相と片山さつき地方創生担当相の話題が沸騰中である。 桜田氏の場合はペーパーも正確に読めないシドロモドロの答弁が、片山氏は口利き疑惑に加えて書籍看板やカレンダーが注目の的になってるが、もともと彼らは問題含みの国会議員だった。 桜田氏は河野談話の見直しを求める集会に出席したり、「慰安婦は職業としての売春婦」と発言したり、何かと粗忽(そこつ)な言動が目立つ方だった。 片山氏については、生活保護見直し論者としての顔が思い出される。この件は著書にもなっている。「正直者にやる気をなくさせる!? 福祉依存のインモラル」 (2012年)という本だ。 書名もすごいが、中身もすごい。この本で彼女は民主党政権時代に生活保護受給者が増えたことを問題にし、被保護者が「権利ばかりを主張して義務を果たさない理由」のひとつは憲法25条だと述べている。 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」 この条文の「健康で文化的」の部分が働けるのに働かない怠け者の生活を保障する結果になった、だから家族の絆を基本とする憲法に改正すべきだと。 国民の生存権まで否定する政治家って何? 根本的に資質を問われるべきはそこよね。(文芸評論家)2018年11月14日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-大臣の資質」から引用 野党議員から質問されても何を聞かれたのか理解できず、答えるべき文言を紙に書いてやってもよく読めないという、こういう人はもっと別の、本人の適性を活かした職業に就くほうが本人のためであり社会のためでもあるが、何故か国会議員になってしまい後戻りもできないという社会は不幸です。千葉県民は、よく考えるべきではないかと思います。その点、片山議員は勉強が得意で東大を出ているのでそつなくこなしていけるかと思いきや、テストが得意で成績が良いといっても、国民の生存権とか人権というものに対する理解がかなり怪しいことが明らかになっています。安倍氏も初めての組閣でもないのに、何故こんなにも毎回マスコミを賑わすことになるのか。私はふと思いついたのですが、こうしてマスコミを賑わしていると、いつの間にかみんなモリカケを忘れてしまって、こういう閣僚に比べれば、なんとなく安倍首相はまともに見えてくる、そういう効果を狙った人選だったのかと疑いたくなります。
2018年11月23日
真実の報道という面で大きな問題を抱えている日本の新聞について、ルポライターの篠田悠三氏は月刊「マスコミ市民」11月号に、次のように書いている; 森友学園の籠池前理事長夫妻逮捕を伝える新聞報道(2017年8月1日)を「朝日」「読売」「毎日」「東京」の各紙で読み比べてみた。いずれも第一面で夫妻の逮捕を伝えている。解説面では「毎日」[読売]「東京」が、土地取引に関わる疑念を指摘している。その中で、「読売」が数行、寵池泰典氏と教育の関わり、森友学園が経営する塚本幼稚園で「園児に軍歌を歌わせて、教育勅語を暗唱させ」でいたことに触れているが、中心は土地取引の疑念である。 この点、異彩を放っているのが「朝日」。社会面のほぼ一面を使い、泰典氏の思想的変遷、教育との関わり、塚本幼稚園で実践してきた「教育勅語の奉唱」「軍歌・戦時歌謡の斉唱」「伊勢神宮参拝旅行」等を詳述している他、泰典氏が「保守」系の政治家、評論家だちとのパイプ作りに腐心していたことが述べられている。籠池泰典氏の思想的背景は森友問題を語る上で欠かせない。園児たちによる教育勅語奉唱や外国から日本を守っている「安倍首相への感謝の言葉」に感涙し、夫である安倍首相に繋いだのが昭恵夫人。安倍首相は籠池氏の考え方や教育に共鳴、肩入れを始めた(と思われる)。 「朝日」は読者に対し欠くべからざる情報を提供したといえる。しかし、「朝日」はこの異様な「教育」をどう受けとめるべきか、という点て、読者をミスリードしかねないくくり方をしてしまった。「保守に傾倒 人脈渇望」という見出しで総括してしまったのである。しかし右にあげたような「教育」は「保守」と呼べるものでは全くない。「極右思想」、もしくは「復古主義」と呼ぶべきものだろう。「あんなのはコスプレ右翼、本物の右翼ではない」と言ったところで始まらない。問題は「保守」が誤用されているということなのだ。 今回、各紙を読み比べてみると、自民党政治家の思想的背景についてしばしば取り上げている点でも「朝日」は際立っていることが解る。それは大変重要なことなのだが、いかんせん、ことごとく「保守」でくくっているため、読者に対し「警鐘を鳴らす」までに至っていない。むしろ、「これは保守です。まっとうな政治家たちです」というメッセージを送ることにもなりかねない。たとえば、安倍晋三は首相になる前、故中川昭一と共に「創生『日本』」を立ち上げた。「朝日」はこれを「保守系政治家の集まり」としたが、奇妙な表現だ。保守政治家が集うだのが自民党。故に、保守党とも呼ばれた。従来の「保守」に飽き足らない右翼政治家たちが結集したのが「創生『日本』」だろう。 また「朝日」は「保守」ではさすがに収まり切れぬと見た(?)ときは「安倍カラー」と表現する。2017年の終戦記念日。首相の式辞を伝える紙面(8月16日)の見出し。「加害言及なし 安倍カラー定着」。これを見ても首相は何の痛痒も感じないだろう。むしろ「これでよし」と思うかもしれない。一方、読者としては「安倍カラー」に、判ったような判らないような気分にさせられる。せめて「歴史を直視せず」とでもすべきだろう。 加計学園問題に関連した記事「首相側近に相次ぐ疑惑」(17年6月30日)。下村文科相、稲出防衛相、荻生田官房副長官(いずれも当時の役職者)の3者を取り上げているのだが「3氏はいずれも・・・思想信条が首相に近く保守的なことでも知られ」「下村氏は・・・主に教育分野で安倍カラーを発揮することに尽力」「稲田氏は首相が『保守のスター』などと評価」。「保守」とは現状を維持しつつ「微調整を加える」(中島広志)こと。しかし安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を唱えて戦後民主主義のシステムを次々と切り崩してきた。「保守」ではあり得ない。極右革命政権と呼ぶべきだ。右の記事は「3氏は・・・右翼的言動で知られ」「下村氏は・・・安倍首相の目論む国家主義的教育に尽力」とすべきところ。稲田氏を(右翼といわず)「保守」と呼ぶ首相のひそみに倣う必要はないのである。 自国の政治家を「右翼」と呼ばないのは、「朝日」をはじめ、すべての大手メディアに共通していることだ(何か申し合わせでもあるのだろうか)。その一方、EUで移民や難民規制を唱える政治家、政党ははばかることかく「右翼」「極右」と呼ぶ。TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」(9月25日)で、毎日新聞の伊藤芳明氏と森本氏がしきりにEUの「右翼」「極右」を連発していた。これは研究者も同様で、(ほんの一例だが)「Voters」36号(17年2月)「特集 ポピュリスムを考える」で北海道大学の吉田徹教授が「フランス極右」「西欧の極右政党は」「極右ポピュリスト」などと言って西欧政治を論じている。 しかし、こうした言葉の使い方はある意味、現在の日本の政治を擁護することにもなりかねない。つまり、世界中で「極右」が跋扈している(アメリカはトランプ大統領だし)、日本だけはまともだ、という印象を俘えるからだ。事実、そのようなことを言う評論家(キャノングローバル戦略研究所宮家邦彦氏)やラジオのニュース番組(NHK「先読み夕方ラジオ」<現「Nラジ」>)もある。しかしこうした見方は次の事実から全くの誤りであることが解る。即ち、EUの「右翼」「極有」やトランプ氏の支持者たちがあこがれ、お手本にしている国が日本であるという事実である。 日本のメディアや研究者がEUの一部の政党・政治家を「右翼」「極右」と呼ぶのは、EUのメディアに倣っているだけのこと。EUのジャーナリズムはナチスへの反省から少しでも排外的な傾向に対しては、「右翼」のレッテルを貼って警鐘を鳴らす。字面をまねるのではなく、彼らのそうした姿勢にこそ学ぶべきなのだが。日本の政治家を「右翼」とは決して呼ばない大手メディアのやり方は、間もなく厳しい判断を迫られることになる。来年の統一地方選挙で、在特会系のレイシスト団体が各地で候補者を擁立するからだ。彼らレイシストさえ「朝日」を始めとする大手メディアは「保守」と呼ぶのだろうか。それはもはや、ジャーナリズムの自殺でしかない。月刊「マスコミ市民」2018年11月号 59ページ「安倍政権を『極右』と呼べぬ大手メディアの限界」から引用 この記事が主張するように、新聞は安倍政権をはっきり「極右政権」と呼ぶべきだと思います。教育基本法を改悪して「愛国心教育」を盛り込んだり、夏の戦没者追悼式では首相式辞から「アジアへの加害」の言及を削除したり、閣僚の大半は日本会議のメンバーになっているし、先日も稲田議員が「わが国には聖徳太子の昔から民主主義の伝統がある」などと、右翼特有の発想を披瀝していたし、閣僚にもこのような失言が、これまでにも枚挙にいとまがないほどであり、このような現象からみてもこの政権は極右政権であるということを国民に周知して警鐘を鳴らすのが本来の新聞の役目だと思います。
2018年11月22日
首相が憲法改正の発言をするという違法な事態に対するメディアの姿勢について、ジャーナリズム研究家の丸山重威氏は10月21日の「しんぶん赤旗」で、次のように批判している; 安倍晋三首相は14日、自衛隊観閲式の訓示で「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整えるのは政治家の責任」とのべ、事実上9条に自衛隊を明記する改憲案に意欲を示しました。 14日昼のテレビのほか、15日付「産経」が3面トップで「首相、自衛隊明記『果たす』観閲式で改憲決意」と報じたのをはじめ、各紙とも「自衛隊9条明記へ首相意欲」(「毎日」)、「自衛隊明記の憲法改正意欲」(「読売」)、「9条に自衛隊明記意欲」(「東京」)、「『『自衛隊、誇り持てる環境を』観閲式首相、改憲に意欲」(「朝日」)と首相の「意欲」に焦点を当てただけの報道です。 メディアとしては、繰り返される首相の改憲発言は、伝えないわけにはいかない、しかし報道すると首相の宣伝になる、という微妙な問題です。本来ここで報じられるべきは、首相という立場を利用して、自らの改憲意欲を表明することへの批判です。 憲法99条は、閣僚や国会議員、公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負うと規定しています。首相として改憲を口にすること自体、憲法違反。メディアにその批判がないから「発言垂れ流し」の宣伝になってしまうのです。 安倍首相は、自民党改憲推進本部長に腹心の下村博文元文科相を起用するなど、新体制で改憲案を国会の憲法審査会に提出しようと躍起です。2日の会見でも、改憲について聞かれ「公明党と協議したい」との意向を示しました。 5日付「読売」は「改憲案自民単独で提示与党協議見送りへ」と大きく報じました。創価学会の影響もあって、改憲論議に”慎重”な公明党への揺さぶりとも読めます。 首相と自民党は、メディアを計算し利用しながら、憲法審査会に改憲案をとにかく出すことに執念を見せています。その策略を見抜く視点が問われます。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者) この記事は正論を述べていると思います。総理大臣がどのような考えをもっているかを国民に伝えるのは、メディアの大事な仕事と言えますが、その意向が法律どころが憲法に違反しているともなれば、これは私たちの社会にとって重大な問題です。それを、ことを荒立てないように配慮するというのは、権力の違法行為を容認することになりメディアの背信であると言わざるを得ません。メディアはこのような態度を改めるべきです。 この記事が書かれた当時は、安倍政権は党の改憲推進本部長に下村博文元文科相を起用して万全の態勢を整えたのでしたが、その後下村氏は安倍首相からのプレッシャーに煽られて不用意な失言をしてしまい、要職から降ろされる羽目になりました。これで安倍改憲路線は一歩退いた形ですが、安倍氏側はこの事態への反撃として、どのような暴挙にでるか、メディアはしっかり監視して違法な暴挙の一部始終を国民に報道する義務があると思います。
2018年11月21日
下院で野党が第一党になったアメリカの中間選挙について、法政大学教授の山口二郎氏は11日の東京新聞コラムに、次のように書いている; アメリカの中間選挙では、女性や多様な文化的背景を持った議員が大幅に増えた。特に印象的だったのは、最年少の下院議員となったオカシオコルテス氏である。彼女はつい1年前まではウエートレスをしていたが、トランプ大統領の女性蔑視の姿勢や貧困格差の拡大に憤りを感じ、議員を目指して当選した。 アメリカでは政党の予備選挙という仕組みがある。一般市民も党員の登録をすれば予備選挙に参加できる。市民の熱心な運動が広がれば知名度の高い現職ではなく、市民の仲間を党の公認候補に押し上げることも可能である。オカシオコルテス氏もこのような仕組みを通して民主党の候補となり、議員の座を勝ち取った。 アメリカを見ていると、民主政治とは「見る」ものではなく、「する」ものだと痛感させられる。自ら立候補して議員になることは普通の人には難しい。しかし、高い志をもって世の中のために働きたいという優れた政治家志望者を応援することはだれにもできる。トランプ大統領が民主政治を破壊しているという危機感をもてば、普通の人々が立ち上がる。それこそアメリカ民主主義の底力である。 日本でも統一地方選挙と参議院選挙が近づいている。野党側は人材払底のようである。広く市民のエネルギーを引き出すことが求められている。(法政大教授)2018年11月11日 東京新聞朝刊 11版 29ページ 「本音のコラム-アメリカ民主主義の底力」から引用 この記事には野党側の人材が払底と書かれているが、最近の国会中継を見ていると与党側の人材もかなりヒドイ状況のように見えます。しかし、選挙ともなれば自民党側は商工会議所のような強力なスポンサーがいて、それなりにカネをかければ見かけ上はいっぱしの政治家のように見えるので、票が集めやすいわけで、民主政治の伝統が長いアメリカに比べると日本はまだまだ道程が長いように思われます。
2018年11月20日
1965年の日韓請求権協定によって個人の請求権は消滅したのかと国会で質問された河野外相は「消滅していない」と答弁したと、15日の「しんぶん赤旗」が報道している; 河野太郎外相は14日の衆院外務委員会で、韓国の元徴用工4人による新日鉄住金に対する損害賠償の求めに韓国大法院(最高裁)が賠償を命じた判決(10月30日)をめぐり、1965年の日韓請求権協定によって個人の請求権は「消滅していない」と認めました。日本共産党の穀田恵二議員への答弁。大法院判決について「日韓請求権協定に明らかに反する」としてきた安倍政権の姿勢が根本から揺らぎました。 穀田氏は外務省が日韓請求権協定第2条について「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」(柳井俊二条約局長1991年8月27日、参院予算委)と答弁したことを示し、河野氏の認識をただしました。河野氏は「個人の請求権が消滅したと申し上げるわけではございません」と明言しました。 また穀田氏は、大法院判決で原告が求めているのは、未払い賃金の請求ではなく、朝鮮半島への日本の植民地支配と侵略戦争に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員への慰謝料だとしていると指摘。これに関し柳井条約局長が、92年3月9日の衆院予算委員会で日韓請求権協定により「消滅」した韓国人の「財産、権利及び利益」の中に、「いわゆる慰謝料請求というものが入っていたとは記憶していない」としたことをあげ、「慰謝料請求権は消滅していないということではないか」とただしました。 外務省の三上正裕国際法局長は「柳井局長の答弁を否定するつもりはない」。「権利自体は消滅していない」と答弁しました。 穀田氏は、「個人の請求権は消滅していない」と強調。「日韓双方が被害者の尊厳と名誉を回復するという立場で冷静で真剣な話し合いをすることがきわめて大切だ」と求めました。2018年11月15日 「しんぶん赤旗」 1ページ 「徴用工個人の請求権 外相『消滅してない』」から引用 河野外相は今月3日に街頭演説で「日本政府は一人一人の個人を補償するのではなく、韓国政府にその分のお金を経済協力として渡した」と発言したことは、当ブログの15日の欄に引用したところであるが、通りすがりの通行人にはテキトーな例え話をしても、国会では過去の政府答弁の例なども示されればあまりいい加減なことも言えず、つい真面目に応える以外にないというところかも知れませんが、このように状況によって言うことが異なるというのでは人間的にも信用されないことになるという重大な問題を自覚してほしいものです。
2018年11月19日
安倍首相訪中3日目の中国紙「環球時報」は、日中関係とこれからの東アジアについて社説で次のように述べている; 安倍首相の中国公式訪問は中日関係改善に新たな動力を注入した。両国指導者は会見の中で等しく中日が「協力パートナーとなり、互いに脅威とならない」という願望と共通認識を表明し、さらに第三国市場でインフラ投資を行うなどの多くの協定に署名した。これらの成果は今後の中日関係にとって重要かつ積極的な蓄積となる。 中日は今回の関係改善を新たな起点として、不断に協力を拡大し、これを不可逆にする趨勢を作り出すことができるだろうか。そのような判断を下すのはなお難しいが、そういう可能性は明らかに存在しており、両国が共同で獲得するべく努力する価値がある。 中日対立は過去の一期間中に高度に先鋭な対外的衝突にまでなったが、仔細に見れば、中日関係の基礎はそれほどひどいものではなく、衝突を引き起こした原因の中には両国外交の他の分野でも存在するものである。 例えば、釣魚島問題は長い間中日関係で不断に噴火する活火山だったが、中国は他の多くの国々とも領土紛争を抱えているし、関係する面積及び複雑さは遙かに大きく、日本とロシアとの領土係争面積も釣魚島よりも遙かに大きい。 歴史問題についていえば、日本の右翼は戦争の罪行を反省することを拒否し、アジア全体ひいては世界に挑戦してきたが、昨今では主に中国を対象としている。日本の一部の連中は、歴史問題を利用して中国に対する別の感情を表明し、それを以て日本の国家的及び民族的なアイデンティティを強固にしようとしているようだ。 道理からいえば、中日関係はそのように悪化するべきではなく、まして日本社会としては中国を忌み嫌う理由はない。なぜならば、第一に、明朝の時代から中国が日本に災いをもたらしたことは一度もなく、すべては日本が中国に騒ぎを起こし、侵略したのだ。第二に、中日間の貿易額は大きく、中国は日本の貿易パートナーとして第一位である。中国の台頭がアジアにおけるパワー・パラダイムに変化を引き起こしたことは日本に自失感を引き起こし、安全保障における不安感を生ぜしめたが、中日関係が中国の台頭によって受けた衝撃が他の分野で受けた衝撃よりも大きいというのは明らかに合理的ではない。 我々は、過去における中日関係の深刻な動揺の原因をいずれか一方の国に帰することはできないのであって、両国間のインタラクションが適当ではなかったことの結果とみるべきだと考える。また我々は、アメリカというファクターが中日関係に対して長期にわたる戦略的なマイナスの影響を及ぼしたのであり、その影響たるや、時にはオープンな干渉であり、時には人知れずのものであった。アメリカの東アジア政策における一つの目標は、中日がアメリカのこの地域における政治的軍事的プレゼンスの強化にとって不利になるほど歩み寄ることを防止することにある。 中国の台頭が中日間のパワー・パラダイムを再構成するという問題はすでに大体において完了しており、中国の台頭に対する日本の適応性も次第にできつつある。以上のことは中日関係における不安定要因を減らし、中日関係の長期的安定のための条件を強化し、増加させることを促しているのであって、両国が関係の激動を収束し、安定協力の時代を実現する可能性が正に到来しつつある。 さらに長期的な角度から見ると、今後さらに面倒を引き起こすのは米日関係だろう。米日同盟の不平等性はアメリカと他の同盟国との関係と比較して突出しており、アメリカの日本における駐留軍は今日に至るまで占領軍の趣であり、このことは日本の国家主権を大きく抑え込んでいる。米日間の潜在的矛盾は中日間でオープンになっている矛盾よりも遙かに深刻だ。 日本が「普通の国家」になる上での最大の障害は間違いなくアメリカである。今、日本はこの問題に関する最大の阻止力は中国だと見ているが、中国の現実の態度がどうであれ、日本のこの認識は客観的ではない。日本のナショナリズムのはけ口のほとんどが中国に向けられているが、このような状況は続けるべきではない。 今、日米を衝突させるということは非現実的だ。アメリカは相変わらず世界最強最大の国家であり、アメリカに押さえつけられている日本にはワシントンと対立するだけの勇気はあり得ない。しかし、中日間の対立を収束させる根拠はますます十分になっており、日本の中国に対する不満がアメリカに対するよりも大きいというのは、一定の勢力が意識的にそうさせた結果であり、事柄の本質によって決定されたものではないことは間違いない。 以上をまとめると、我々は中日関係改善の流れを好ましく見ており、双方が外交的消耗を停止し、ウィン・ウィンを獲得することは両国が力の限り行うべき戦略的軌道修正であると考える。以上の分析が空振りに終わらないことを願うものだ。10月27日付「環球時報」社説「中日のわだかまりを解く 難しさはあるが不可能にはあらず」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2018/1074.html から引用 この社説も、なかなか機知に富んで適度に風刺も効いていて、読んで面白い。「過去における中日関係の深刻な動揺の原因をいずれか一方の国に帰するべきではなく、両国間のインタラクションが適当ではなかったことの結果とみるべきだ」という言葉には経済的に発展した大国としての自信がにじみ出ているように思います。また、日米安保条約に過度に依存したために国家主権が蔑ろにされている日本の現状を正確に分析し、このまま放置しておくことは東アジアの将来に有益ではないという示唆は一考に値すると思います。
2018年11月18日
安倍首相が訪中した2日目の「環球時報」は次のような社説を掲載し、これからの日中関係の在り方を論じている; 中日関係改善の動力は主にワシントンによる貿易戦争の圧力によるものだろうか。安倍首相が中国を正式訪問するに当たり、多くの国際メディアはこのような角度から論じている。 ワシントンは対中貿易戦争を極端に進めているが、同時に日本に対しても遠慮がないということは、中日が協力拡大の気持ちを増加させるだろうことはその通りだ。しかし、アメリカというファクターが中日関係において極めて影響力を持っているにしても、それによる変化は限られている。北京と東京がワシントンの態度如何で両国関係改善のプロセスを設計するとなれば、必ずや方向性を見失うに違いない。 中日関係改善の長期的な動力は両国の中において探し求めなければならず、双方が安定した戦略互恵関係を樹立することは両国にとって益することはあっても害になることは何もない。日米関係に関しても、良好な日中関係は日米同盟における日本の主動性を増加させるだろうし、米中間で「バランス外交」という一種の優位を獲得することにもなるのであって、ワシントンにもたれかかることで米中双方から戦略的受け身によって制約されるということもなくなる。 隣国はもめ事も多いが、協力する機会もまた多いだろう。世界を通観しても、隣国間でもめ事が多いということは、双方が大量の外交資源を消費し、良いところは他の国に持って行かれてしまうものだ。いわゆる「遠交近攻」はゆとりあるスマートな戦略プランでも何でもなく、往々にして迫られてやむを得ず行う選択である。経済競争がますます突出してきている今日、遠交近攻は環境を改善し資源を発展させることについて自ら苦しみを招く浪費ですらある。 過去数年間における中日関係の悪化が両国の利益を消耗させたことは双方の社会に深刻な影響を残しており、両国関係が正常な軌道に回復することのメリットは極めてはっきりしている。中日が「和」を保ちさえすれば自然と収益が生まれる。逆に互いに「闘う」となれば、ありとあらゆる計略をめぐらせて得られるメリットは同日に論じることはできない。 日本はアメリカの同盟国で、アメリカは日本に軍隊を駐留させている。日本の外交上の独立性を高めることは日本の核心的利益の一つであることは疑う余地のないところだ。中国を防遏しようというアメリカの思考が不断に台頭するに従い、東京が対中圧力に沿うようにしたいというアメリカの意志は高まるであろう。日本がその対中政策においてワシントンの影響を減らし、ひいてはその影響を脱することができるか否かは、日本の外交上の独立性にとっての試金石となるだろう。 日本の対中姿勢がこの2年で熱心になったのはトランプの強硬な政策に対応するという考慮にもよるものであり、中日関係改善をワシントンに対する牽制カードにしようとするものだと心配するものもいる。こうした論者は、東京の対中思考が短期的で不安定なものであり、アメリカというファクターに変化が生じれば東京の姿勢もそれに伴って変化するのではないかと疑っている。 外交における「三角関係」はどこにでもあり、懐疑論者の指摘するような影響があることは部分的には真実だが、それが絶対的であるということは極めて少ない。中日関係にとって必要なことは積極的なインタラクションによって不断に関係を作り上げていくということであり、相互関係に対する中日両国の決定力がアメリカの影響力を凌駕するということは十二分に現実的なことであり、そうした局面は双方にとってもっとも有利であり、したがって両国が共同で獲得していく価値があることである。我々としては日本側が今後さらなる政治的な知恵と勇気を示すことを期待している。 中日間のイデオロギー上の争いは中米間のように先鋭ではなく、中日間の疎通は中米間の疎通より遙かに容易であることを見るべきである。中日間の距離は短いが、両国の安全保障に関わる心配は、長期的に見れば真っ向から対立するものではなく、双方の安全保障上の関心は協調的アレンジメントを通じて同じ目標に向かって進むことができる。21世紀という大勢から見れば、中日が戦略的パートナーとなるための条件は多い。 過去2、30年の間、中日間では不断に摩擦を通じて相互理解を深めあってきたし、両国関係には大きな起伏もあり、相互の認識は幾たびの洗礼を経て、経験及び教訓には蓄積ができてきた。両国は、今回の関係改善を力にして中日の長期的な友好協力がさらに安定する上での心理的及びメカニズムの枠組みを構築し、両国関係におけるいくつかの「解けない結び目」を時間の中で徐々に解いていくべきだ。10月26日付「環球時報」社説「安倍訪中 中日の内発的動力は外的推進力より遙かに大きい」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2018/1074.html から引用 2日目の社説も教訓に富んでおり説得力があると思います。日米関係では沖縄だけではなく、首都圏の制空権も米軍に支配されているような有様で、本来、日本は自主独立の国家としてもっと主権を発揮して当然ですが、そのような行動が可能になるための環境作りとして健全で友好的な日中関係を構築することは大変重要であることは、この社説が説いている通りだと思います。
2018年11月17日
中国の環球時報という新聞は、安倍首相が訪中した10月25日から27日にかけて連日、日本と中国の間柄に関する社説を掲載したのであったが、大阪経法大学客員教授の浅井基文氏のブログにはその邦訳が掲載されており、25日の社説は次のように述べている; 安倍首相が25日から27日まで中国を公式訪問するが、これは中日関係が正常軌道に回帰する今ひとつのシンボル的出来事だ。中日関係は両国にとって最重要にしてもっとも複雑な二国関係の一つである。両国は隣国であり、互いを必要としかつ互いに警戒するという状況が不断に様々な方向から双方の関係に影響を及ぼし、加うるに、現実の摩擦とアメリカによるリモコン作用もあって、中日関係はいわば進まざれば退くというのが長期的様相だ。 今回の中日関係における温度向上は数年間にわたる、厳しい挫折を経た後に実現したものだ。この間に中日はともに損失を被った。だからこそ、双方がともに努力して安倍首相訪中を成功させ、中日関係修復のために不断にエネルギーを加えることは中日の共通の利益に合致する。 両国社会は、互いに対する視線を調整し、心理面から中日関係に対する再定義を行い、関係悪化によって生じたマイナス面から徹底的に抜け出して積極的に将来に向き合う努力をする必要がある。 そのためにはまず、中日社会は互いを尊重し、相手の長所を肯定し、受け入れ、自らの短所に虚心坦懐に向き合う必要がある。中日が絶対にやってはいけないことは、互いに軽蔑し合い、意地の張り合いをすることであり、互いに「遠交近攻」することである。そうすることの結果は、元々は単なる衝突に過ぎないことを深刻な対決とさせ、すべてのことが国家の運命及び尊厳の高みにまでエスカレートしてしまうのだ。 しかし、互いを尊重し共存共栄するという大原則を確立しさえすれば、中日は容易に和して同ぜずの関係になることができる。そうなれば、中国人は、技術革新から精密管理にいたるまで、日本には中国が長期にわたって学ぶべき優れた点があることを見いだすだろう。中国の身近に、規模は必ずしも大きくはないが、洗練度においては極めて高い日本という国家が存在することは非常に素晴らしいことである。 日本人からすれば、中国の現代化というメカニズムがいったん起動すれば、その規模の効果たるや日本としても驚嘆せずにはすまないことが分かるだろう。また、一定の技術領域では、中国が次第に追いついてくることは不可避なことでもある。日本としては中国の台頭を問題視するべきではない。そのようなことは自分を苦しめるだけのことだ。日本は台頭する中国と真正の互恵関係を作り上げるべきであって、中国の力が増大することを妨げるためにあらん限りのことをするということであってはならないのだ。 なかんずく中日両国は、誇大視され、次第にホントとウソが見極められなくなる安全上の競争に落ち込むべきではない。中国が強大化するや、日本は瞬く間に歴史的な原因に基づく中国からの報復に見舞われることを心配している。その緊張たるや、インドや韓国が中国に対して抱く心配のほどを遙かに超えている。日本としてはこのような心理状態から抜け出す必要がある。 中国社会について言えば、日本が軍国主義を復活させるという想像をコントロールし、日本が核大国となって再び中国を侵略するというリスクを持ち出して自らを縮みあげるべきではない。中日両国は、潜在的可能性を実際のリスクと見なし、それを以て戦略的相互認識をリードさせるべきではない。 両国間には釣魚島(尖閣)の主権や東海(東シナ海)などの紛争があるが、両国のそれら問題に対する管理制御能力は世界最高レベルであるべきで、最低レベルであってはならない。中日が釣魚島紛争で関係を全面的に悪化させたことは極めて滑稽なことと言わざるを得ず、二つの成熟した国家がやるべきことではない。 歴史問題が一直線であのように先鋭で敏感にまでなったことも正常ではない。日本の右翼が下心あって事を挑発したのは極めて悪辣であることは疑問の余地がない。しかし、あの連中が勢いづき、「闘志をたぎらせる」あの意気込みがどこから来るのかについて、中日社会はともに振り返って考える必要がある(浅井注:この下りの問題は、「右翼」の頂点に立っているのが安倍首相であり、安倍首相が自らの思想を180度転換することは”木によって魚を求める”の類いであることです)。歴史問題は徐々に薄めていくべきであり、日中双方は薄めることに資するような相互の行動を徐々に形成していくべきである。 合すれば即ち共に利し、戦えば即ち共に傷つくという道理は中日間では特に正しいことだ。日本が絶えることなく動き回り、過激な行動を取ってきたことが、中日関係が過去数年間に悪化してきた主要かつ直接の変数だった。双方は両国関係の過去数年の曲折を総括し、戦略的心理のレベルで互いを近づけ、互いの疑念を減らし、相互の理解と適応性を増やし、両国関係を改善させるために不断に運動エネルギーを注入していくべきである。10月25日付「環球時報」社説「中日社会は相互認識を再構築するべく心理状態を調整する要あり」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2018/1074.html から引用 私は先月の安倍訪中を、いつもの「都合が悪くなると海外に逃げ出す」行動の一環に過ぎないと思い今後の日中関係にそれほど重要な意義を持つものではないだろうくらいの認識でおりましたが、この度浅井基文先生のブログを読んで、日中関係がそんな軽々しいものではないことがよく分かりました。また、日頃から中国には報道の自由がないというような情報に接していた者としては、上記のような教訓に富んだ文章を社説として掲載する中国の報道機関の見識の高さは尊敬に値すると思いました。日本社会の状況の把握も適切かつ冷静で、深い洞察力は尊敬に値すると思います。
2018年11月16日
戦時中に日本企業で徴用工として働いた人たちが保障を求めて裁判を起こし勝訴した事案について、河野外務大臣が保証責任は「韓国にある」と発言したことを、4日の東京新聞は次のように報道している; 河野太郎外相は3日、神奈川県茅ヶ崎市で街頭演説し、日本企業に賠償を命じた韓国人元徴用工訴訟判決に関し、韓国国民への補償は韓国政府が責任を持つ取り決めになっているとの考えを示した。1965年の日韓請求権協定に言及し「日本政府は一人一人の個人を補償するのではなく、韓国政府にその分のお金を経済協力として渡した」と強調した。2018年11月4日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「河野氏『韓国に補償責任ある』」から引用 戦時中に労働者を動員する法律を作って実施したのは日本政府であって、大韓民国政府はその時まだ存在していなかったのであるから、保証責任が韓国にあるという河野大臣の認識は、基本的に間違っている。彼がそのような発言をする根拠は1965年に締結された日韓基本条約であると考えられるが、この条約を締結することによって日韓両国政府は徴用工問題を含む両国間のあらゆる問題を解決するつもりで、実際にその通り行動してきたわけであるが、結果として65年に合意したその方法では救済されずに取り残された人々が存在することが、今回の裁判で明らかになったからには、日韓両国政府は改めてこの問題にどう対処するべきか協議を開始するのが常識というものである。例え合意文書に「最終的で不可逆な約束である」と書かれていても、不幸にしてそのような理想的だったはずの約束が実は今になって瑕疵を含んでいることが明らかになったのであるから、やり直しは当然である。とかく日本人は、自国の裁判所が政府に楯突くことができない現状を「当たり前」と思っているから、隣国が三権分立を実現して司法が正常に機能を発揮している状態を理解できず、韓国の裁判所はおかしいなどと考えるから、上記の河野大臣のような発言になるものと考えられる。かつての自民党政権が「日韓基本条約を締結しても、両国における個人の請求権を消滅させるものではない」との見解を、よく学習するべきである。
2018年11月15日
去年の7月から今年の5月まで不当に長い間拘留されていた森友学園を経営する籠池夫妻は、東京新聞のインタビューに応えて次のように述べている; 学校法人「森友学園」を巡る事件で、ともに詐欺罪などで起訴され、約300日の拘束後に保釈された龍池泰典被告(65)と妻の諒子被告(60)が本紙のインタビューに応じた。首相夫人の安倍昭恵氏に対し「事件のことはどうかと言われると、ちょっとひどいよなというのはありますけど・・・」と述べ、真実を語るよう求めた。(石井紀代美) 「公明正大。認めるところがあれば認め、間違っていれば間違っていると言う。決してうそはつかない」 泰典被告はまだ期日の決まっていない初公判に臨む心境をこう語る。 事件の舞台となったのは大阪府豊中市の国有地。夫妻は払い下げてもらった土地で小学校を開こうとした。そして建設費などの水増しで国や大阪府、大阪市から補助金計1億8千万円弱をだまし取ったとして罪に問われた。 その小学校の名誉校長が昭恵氏だった。保釈後、夫妻は昭恵氏と連絡をとっていないという。諒子被告は昭恵氏に対して「何も思ってないです」と言うが、言葉の端々から昭恵氏、そして安倍晋三首相への思いがにじみ出る。 昭恵氏側は、国有地の売買について関与を否定している。夫妻はそれは、違うと主張する。 「昭恵夫人が土地を見に来た時の写真を近畿財務局の担当職員に見せた後、ざーっと動き始めた。写真の効果は絶大ですよ。一気に動いていった」(泰典被告) 難航していた国有地払い下げの話が一気に進んだのは、単に担当職員が「忖度(そんたく)」したから、というわけではない。「昭恵夫人の秘書を使った積極的な働き掛けがあった」と、泰典被告は主張する。だから、事件について「安倍夫妻もうそをつくな」と求める。 また、昭恵氏が名誉校長でなくなった経緯について、泰典被告は「私の携帯電話に、安倍首相の秘書から電話がかかってきて『(名誉校長の役職を)取れ』と言われた」と証言。安倍首相側が、自分に火の粉が及ぶのを避けるために必死だったと強調する。 この事件の捜査で夫妻は昨年7月末に逮捕され、今年5月の保釈まで身体を拘束された。諒子被告は、担当の浦功弁護士に約400通の手紙を出した。 「誰ともしゃべれなかったのでさみしくて。胸の内を聞いてもらおうと思って」。うち約100通分をまとめた「許せないを許してみる」を双葉社(東京都新宿区)から出版した。 350ページを超える本には、拘置所での生活や食事、取り調べで検事が言った言葉が記録されている。 諒子被告は勾留中、そういったことを「被疑者ノート」に書き留めていた。A4判で、表紙には「勝手に見るな」の文字がある。刑務官が了承もなく読んでいたからだという。開くと、どのページも余白がないくらい、小さな字で埋め尽くされていた。 今回の事件を諒子被告は「ちょうど人生の分岐点だったんじゃないか」と振り返る。宗教法人「生長の家」の信者で、勾留中は夜中に2回起きて祈りをささげていた。インタビュー前にも額の前で両手を合わせていた。 「自分は変わりたいと思ったから、神様が酷だけれども私の願いをかなえるために(拘置所に)入れてくださったんじゃないかな」。こう笑顔で拘置所での生活を振り返った。2018年11月4日 東京新聞朝刊 11版 24ページ 「安倍夫妻 うそつくな」から引用 籠池夫妻が罪に問われているのは大阪府と大阪市から1億8千万円を騙し取ったとされる事件である。籠池氏夫妻が10カ月も拘留されて、保釈されてからも半年近くになるというのに、いまだ公判の期日が決まらないのは、下手に裁判を始めて安倍首相夫妻の関与が分かるような証言が飛び出すと、国会の予算審議に影響するという裁判所の忖度(?)があるからではないかと思います。それにしても、籠池夫妻は1億8千万円の詐欺容疑で10カ月も拘留されたというのに、加計学園のほうは、学園職員が県に対して「うちの理事長が首相に面会して、その獣医学部は大変よろしいと言っていただいた」とデタラメを言って愛媛県から数十億円も騙し取ったと、理事長の加計孝太郎氏が証言しているにも関わらず、加計氏が安倍首相の友人だからという理由でまったく罪に問われず批判されることもない。こういうありさまではとても民主主義の法治国家とは言えない。
2018年11月14日
民主党政権がアメリカの戦闘機を輸入することを決めたとき、野党の自民党は「考え直すべきだ」と政権の責任を追及したのであったが、その時自民党を代表して質問に立った議員が、この度の安倍政権の内閣改造で防衛大臣になり、共産党議員から「あの時の思いを実現するべきだ」と「激励」されたと4日の東京新聞が報道している; 2日に行われた衆院予算委員会。共産党の宮本徹氏は、新しく防衛相になった自民党の岩屋毅氏に呼び掛けた。「自らの思いを生かせる立場になった。米国製兵器の爆買いはやめるべきだ、と安倍首相に言ってください」 自民党が野党だった2012年、岩屋氏は衆院安全保障委員会で、米国の対外有償軍事援助(FMS)を利用した最新鋭戦闘機「F35A」の輸入を決めた民主党政権を追及していた。 「よその国がつくったものを言い値で買う、ブラックボックスつきで買う、いつできるかわからない、価格がどうなるかもわからない調達は、やはり将来に向けては考え直すべきだ」 岩屋氏は、FMSの問題点を鋭く突いていた。 攻守ところを変えたこの日。「FMSを全部否定したわけではない。日本の防衛のため、米国でしかつくれない高性能の装備を導入する必要はある」と答弁した。 FMSで米国製兵器をどんどん輸入する安倍政権の一員となったからか、トーンは随分変わっていた。6年前と今、政治家の信念はどこにあるのか。(鷲野史彦)2018年11月4日 東京新聞朝刊 12版 26ページ 「6年前の信念どこへ」から引用 岩屋氏の発言が野党時代と現在で180度変わってしまったのは、安倍政権の一員になったことが理由ではないと思います。もともと自民党も民主党も安保政策には大した差異はなかったのであって、野党時代の岩屋氏の発言は彼の政治信念から発せられたものではなく、単に与党を攻撃する材料として取り上げて世間に対して格好を付けてみただけのことだったから、立場が変わるとまるっきり逆のことを言い出した、ということだと思います。したがって、大局的に見れば自民党政権も民主党政権もそんなに大きな違いはないのであって、ネット右翼の諸君が言うような民主党政権を否定しなければならない理由は存在しないわけです。ただし、安倍政権は別です。安倍政権はこれまでの歴代自民党政権とは明らかに異質で、立憲主義を理解せずこれを逸脱した悪政を強行して日本の民主主義を機能不全にしているという大問題があり、私たちは可及的速やかにこの政権を退陣に追い込むべきです。
2018年11月13日
韓国と違って司法がまともに機能しない日本の問題について、法政大学教授の山口二郎氏は、4日の東京新聞コラムに次のように書いている; 安倍政治の特徴は、人の支配である。近代国家の大原則は法の支配である。この原理は、われわれ人民がおとなしく法を遵守するのではなく、権力者が法に基づいて統治をおこなうことを意味する。権力者が己の欲望のままに、反対者を力ずくで弾圧したり、公共財産を私物化したりすることを防ぐために、法の支配は確立された。 森友・加計問題に表れているのは、最高権力者による権力の私物化である。沖縄県知事による名護市辺野古の埋め立て許可の撤回に対しては、防衛省が私人の立場に成り代わり、行政不服審査という人権救済の仕組みを悪用して撤回の効力を停止し、埋め立て再開を実現した。 法の支配を回復するためには、司法が法の番人としての役割を果たすことが必要である。しかし、原発、辺野古埋め立てなど政府がかかわる案件では、裁判所は政府を勝たせ続けている。最高裁判所判事の人事権を内閣が握っているので、巨大な官僚機構である裁判所は内閣の意向を忖度する。政治的な案件は多数者の意思に任せるというのがその理屈である。 そもそも裁判とは、多数者が憲法や法律を無視した意思決定を下す可能性を前提とし、多数者の誤りを正すためにある。裁判所が多数意思をチェックするという本来の役割を果たすよう、監視が必要である。(法政大教授)2018年11月4日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-法の支配と裁判所」から引用 行政不服審査の制度は、主権者である国民が行政の決定で不当に不利益を被ったときに救済を求める制度であって、この国の主権者ではない防衛省にはこの制度を利用する資格がない。したがって、防衛省が私人になりすまして行政不服審査を申し出た際は、裁判所はそのような不正な申請は門前払いするのが正しい対処法である。ところが、安倍政権の下ではそのような法律を遵守する立場をとると政権に不利益をもたらすので、首相官邸から最高裁、福岡高裁、那覇地裁というルートで厳しく報復される危険があるために、取りあえず個人的な保身を優先させた那覇地裁は、防衛省の違法な「行政不服審査」を受理し、沖縄県の正当な「埋め立て許可の撤回」という決定を違法に覆すという悪事に加担した。私たちは安倍政権のこのような悪事を忘れてはならない。やがて来る正義の政権が樹立されたアカツキには、安倍政権の諸悪事を断罪しなければならない。
2018年11月12日
欧米のポピュリズムに支配された政治が、この先どうなるのか、慶応大学教授の竹森俊平氏は2日の読売新聞に、次のように書いている; トランプ政権の審判となる中間選挙を控えた米国と、欧州連合(EU)離脱が来年に迫る英国で、ポピュリスム(大衆迎合主義)のうねりが続く。国民が政治を「代理人」に託すシステムは機能するのか。国際経済学者の竹森俊平・慶応大教授が解説する。◆迫る悪夢 機能する民主政治では、国民は政策を直接に決めるのではなく、専門知識を備えて政策を決める「代理人」を選ぶ権利を行使する。英国のEU離脱(BREXIT)交渉で、最大の難関に浮上したのはアイルランドの国境措置だ。もし英国が関税同盟に残らなければ、EU加盟国アイルランドと北アイルランド(英国)の間に税関が必要となる。そうなるとアイルランドとの分離を嫌う北アイルランド勢力が独立闘争を再開するだろう。他方、税関をアイルランド島内ではなく、英国本島との間の海域に設ければ、英国との一体化を望む「連合派」が反発する。 妙案が浮かばないため、解決策が見つかるまで無期限に英国が関税同盟に残留する「移行措置」を英政府は検討しているようだ。この案には保守党のEU離脱派が猛反発しており、議案に掛けても通過しそうにない。結局、下院で何もまとまらず、移行措置も、EUとの将来の取り決めもなしに英国が離脱する悪夢のシナリオの危険が迫る。 EU離脱を決めたのは2016年の国民投票だが、アイルランドの国境問題を認識してこの時投票した国民が一体どれだけいたか。専門知識を持つはずの「代理人=英国議員」も、この問題を認識したのはようやく最近になってからだ。しかし、離脱問題が国民による直接の決定ではなく、代理人による議会審議に委ねられていたなら、まず審議を通じ問題が発見され、次にその問題の解決策が検討されて、拙速な決断は防がれたはずだ。◆ルール崩壊 「ポピュリスム政治」には「大衆迎合」といった説明語が充てられるが、「代理人を軽視した政治」と解釈すれば、その本質がはっきりする。代理人である「議員」もまた、「官僚」という代理人を必要とする。主要先進国は、国際協定や条約が定めたルールの下で行動するが、こうしたルールは、世界に広がる官僚ネットワー・クが準備交渉を重ね、生み出したものだ。 ポピュリスム政治の代表というべき米トランプ政権は、こうした国際ルールを無視して行動する。立法、司法が強い米国では、大統領が独自に動ける領域は限定されているのだが、外交、防衛、通商の領域だけは大統領の権限が強いために、大統領の専断行動がそこに集中する。とくに通商では、安全保障を口実にした米国の一方的関税攻撃が続き、世界貿易機関(WTO)のルールは崩壊寸前だ。 政権発足以来の閣僚辞任者の異例な件数は、「代理人軽視」というトランプ政治の本質の反映だ。ルールの尊重、パートナーへの配慮、道徳的行動に立つ「良識派」は、トランプ政権で行き場を失うのだ。9月5日(電子版)のニューヨークータイムズ紙が掲載したトランプ政権の「重要閣僚」の匿名の寄稿は、政権内の多くの閣僚が、「トランプ大統領が政策目的を実現するのを防ぐために努力している」と告白する。異常事態だ。◆米中間選 トランプ流代理人軽視の政治が成功を収めるかは、11月6日の米中間選挙の結果に依存する。この選挙で、もし上下院とも共和党が支配すれば、最高裁で共和党任命の判事が過半数を占めることになった展開と相まって、すべての政策分野でトランプ氏が専断を進める地盤が整う。 だが、この選挙で下院では民主党が過半数を獲得するという予想が強い。その場合、強引な通商戦略は見直しを迫られる。相手国を自動車関税引き上げで脅した上で、米国に有利な自由貿易協定(FTA)を迫るのが現在の戦略だが、民主党が下院を支配した場合、同党は自由貿易協定の審議を遅らせ、独自の注文も付けるだろう。当然、協定締結は遅れ、これまでの戦略では未完の協定の山が築かれるだけで、成果は上がらない。 最近中国との関税戦争の悪影響が、世界の株価にも表れており、通商政策はいずれにしろ見直しの潮時だ。トランプ氏は、株安の原因は金融政策の引き締めだと主張するが、対中関税が一層引き上げられる年初にかけ株が下がれば、言い訳の余地はない。◆左派の台頭 代理人無視のポピュリスム政治が失敗しても、ルールを尊重する代理人型政治がすぐに復活するとは限らない。英国の場合、メイ政権が提示するEU離脱案が下院で否決されたなら、解散総選挙となる可能性が高い。その場合、極左の立場のコービン氏率いる労働党が政権を取るという見方が有力だ。 米国の場合も、民主党の大統領候補として名前が挙がるのは左派が多い。左派は、英保守党のEU離脱派やトランプ政権ほど、国際ルール無視の姿勢を出していないが、経済成長の恩恵から漏れた国民の生活水準引き上げのため、企業活動の規制や社会保障充実など政策の大転換を訴えている。◆続く混迷 そもそもBREXITや、トランプ政権誕生をもたらした根底には、英国、米国における地域格差、教育格差があった。「格差問題解消」のためにナショナリズムをあおったり、移民排斥を訴えたりするのはまったく非生産的だが、それに比べて、社会保障費を増やすのは方向性として間違ってはいない。ポピュリスムの現在の流れが一段落した後には、ルール重視の政治に戻る代わりに、左派の解決法が模索されるかもしれない。 もっとも、現在の先進国の財政状態を考えると、社会保障政策にも限界があり、分配重視の政策が成長を阻む危険もある。左派の台頭で、安定がもたらされるかは疑問で、政治の混迷は当分続くかもしれない。 たけもり・しゅんぺい 慶応大教授。慶大、米ロチェスター大を経て、1997年から現職。専門は国際経済学。主な著書に「経済論戦は甦る」(読売・吉野作造賞)、「世界デフレは三度来る」、「欧州統合、ギリシヤに死す」など。62歳。2018年11月2日 読売新聞朝刊 12版6ページ 「竹森俊平の世界潮流-『代理人軽視』政治の末路」から引用 イギリスのEU離脱は議会での議論を十分にしないうちに国民投票にかけたのは失敗だったという説明は分かりやすい。トランプ大統領のルールを無視する政治も、この先あまり長くは続かないような論調だから、安倍政権もそのうち少し早めに終わることになるのではないかと思います。ポスト安倍政権では、経済成長の恩恵から漏れた国民の生活水準引き上げのために企業活動を規制し社会保障を充実させる、そういうビジョンを持った政権の登場が待たれます。
2018年11月11日

昨日眺めたツイッターで特に気に入ったツイートは、次のように述べている; 権力に媚びることがジャーナリストの仕事ではないというのは当然であるが、どっちつかずの姿勢をとることも間違いだという指摘は重要です。私は常日頃から「中立・公正」と言う言葉に胡散臭さを感じておりましたが、特に、数年前の総選挙の前に自民党幹部が報道各社を回って「中立公正な報道をお願いします」などと言う文書を配布したのは、今から思うと明らかな「報道の自由」への抑圧であったと思います。彼らは、口では「中立公正な報道」と言っていても、その意味するところは「自分たちを批判する報道は止めてくれ」ということであったわけで、これは明らかな言論妨害です。報道機関は、与党であれ野党であれ、批判すべき点があれば批判し、賞賛する部分があれば賞賛するのであって、そういう言論活動がたまたま選挙活動と時期が重なったから、与野党どちらが有利になるか、そんなことは普段の政治姿勢から出てくるものであって、報道機関が作り上げるものではないのだから、国民の審判を受ける立場の政治家が報道機関の活動に口出しして良いわけがありません。 やはり権力者は勝手に自分たちの税金を減らして庶民の税金を増やすことができる立場にいるわけですから、こういう社会に公平や平等を実現するには、ジャーナリズムは少数者、弱者、権力にアンチのつぶてを投げる人たちの側に軸足を置く必要がある! これは名言だと思います。
2018年11月10日
サウジアラビアのジャーナリストが国家権力によって殺害された事件に関連して、東京大学教授の宇野重規氏は10月28日の東京新聞に、次のように書いている; ドイツの哲学者イマヌエル・カントの著作に『永遠平和のために』という著作がある。18世紀の作品だが、常備軍の撤廃や他国への武力干渉の禁止、さらにはのちの国際連盟・国際連合の創設につながる理念を提唱したことなどで知られている。 というと、何かしら抽象的で空想的な平和論を想像するかもしれない。どうせ昔の、理想主義的で現実を知らない哲学者が考えた夢物語に違いない。現実の国際政治はそんな生易しいものではない。生々しい力、もっといえは暴力が渦巻くなかで、現実の政治は動いている。永遠平和など、夢の先のまた夢だ、というわけである。 ところが、実際にこの本を読んでみると、なかなか興味深い内容が書いてある。例えばカントは次のように言う。 道徳的に善き人間が望ましいが、現実にはそうでない人もいる。だとすれば、人々を道徳的に改善するよりは、その利己心を利用すればいい。個人と個人、民族と民族の敵対的な心情すら、うまく導けば相互に牽制して、結果的に法と平和を実現する。「悪魔たちであっても、知性さえ備えていれば国家を樹立できる」(中山元訳、光文社古典新訳文庫) なぜ、このような話をするかといえば、トルコにおけるサウジアラビア人記者の殺害事件についての報道を聞けば聞くほど、ため息しか出てこないからだ。 自国の政府への厳しい批判で知られるカショギ氏がイスタンブールのサウジ総領事館で死亡したという。最初は事故との説明もあったが、次第に証拠が出てきて「計画的殺人」であることが明らかになった。サウジアラビアのムハンマド皇太子の関与も指摘される。結果として同国の評判は大きく低下し、主催する会議への欠席が相次いでいる。とはいえ、事件が嘆かわしいのはそれだけではない。殺害の証拠が次々と出てくる背景には、事件が起きたトルコのエルドアン大統領の狙いがあるとの説もある。ライバル関係にあるサウジアラビアに対する優位を得るために、今回の事件は絶好の機会であったというわけだ。真相はわからないが、そのエルドアン大統領にしても、国内で自らを批判するジャーナリストを抑圧・投獄してきた。ある意味でどちらもどちらといえる。 米国のトランプ大統領の事件に対する姿勢も微妙だ。「歴史上最悪の隠蔽だ」と批判する一方で、真相究明に向けて主導的役割を果たすつもりはなさそうだ。重要な同盟国であり、武器輸出先でもあるサウジアラビアの政治体制の不安定化は米国の望むところではない。国際世論の手前、批判はするものの、どうも本気度が疑われる印象が強い。他の欧州諸国の姿勢も米国と大きく違うわけではない。 そこでカントである。なるほど、各国は互いの利己心や敵対心から、衝突したり、牽制したりする。それ自体はまったく道徳的でないが、歴史の妙味は、このような各国の対立が結果的には相互を規制する法を整備し、長い目で見れば平和の実現につながることにある。肝心なのはそのような仕組みを少しずつであれ、整備していくことだ、とカントはいう。 はたして今回の事件がそのような帰結につながるかわからない。が、理想主義的でありながら、同時に現実主義者の顔を持つカントを信じたくもなるのが、今回の事件のお粗末さであった。(東大教授)2018年10月28日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-記者殺害事件の嘆かわしさ」から引用 18世紀の哲学者が説いた理論が現代の社会にも有効性を発揮する可能性があるとは驚きです。確かに、人類は悲惨な戦争を繰り返すうちに国際連合を作って平和を実現するなど、カントが唱えるような方向に発展してきたようにも見えますから、この方向で努力を積み重ねることで理想的な平和の社会を実現するかも知れません。考えて見れば、現代社会の科学的発展の基礎となる数学も、ギリシャ文明の時代に発展した学問だったわけで、古いからといって馬鹿にするのは間違いということのようです。
2018年11月09日
サウジアラビアの皇太子がジャーナリスト殺害に関与している疑いが濃厚であるにもかかわらず、世界中が腫れ物に触るような態度になっていることについて、武蔵大学教授の永田浩三氏は10月28日の東京新聞に、次のように書いている; アラブ世界の著名なジャーナリストの殺害。この1ヵ月、われわれは毎日のようにスパイ小説まがいの情報戦に付き合わされてきた。 トルコのエルドアン大統領は演説のなかで、事件は計画的だったと述べた。それを受けて、24日朝刊3面は、大きく「殺害」断定・サウジ窮地という表題を掲げたが、どうだろうか。エルドアン氏は皇太子の関与に直接触れず、サウジアラビアは致命傷を回避し、トランプ米大統領も中間選挙を控えて一息ついたのかもしれない。しかし、これで終わってよいはずはない。東京新聞は見過ごせない問題にきっちり光を当てている。 21日の朝刊2面では、カショギ氏の業績を紹介している。故ウサマ・ビンラディン容疑者のインタビューに複数回成功、皇太子の政策を激しく批判し、まさに「表現の自由」の体現者であった。今年9月、カショギ氏は「イエメンでの無慈悲な戦争を終わらせ、自国の尊厳を取り戻さねばならない」と指摘していた。 23日の朝刊10面は、サウジ国外から、いまの人権弾圧に警鐘を鳴らす活動家たちに広がる不安を伝えている。8年前からアイルランドで暮らす反政府活動家アブド・モアイヤット氏は訴える。「欧米や海外企業が(サウジとの)関係を見直さない限り、皇太子は力を維持する」 さて、カショギ氏が指摘した「イエメンでの無慈悲な戦争」とはなにか。ヒントは20日の朝刊25面、師岡カリーマさんの「本音のコラム」のなかにある。師岡さんは書く。 「サウジと親密な欧米諸国も今度ばかりは動揺が見られ、まずは民間企業でサウジとの投資関係を見直す動きが報道されている。・・・いまさら? サウジ率いるアラブ同盟の軍事介入で不要に拡大した内戦により、過去100年で世界に類を見ない飢餓に直面するイエメン。援助団体によれば昨年は、毎日130人の子どもが死んだ」。欧米はサウジの闇を見て見ないふりをしてきただけでなく、飢餓をもたらす張本人でもあった。 事件を受けて、サウジヘの投資を促す「砂漠のダボス会議」には欠席者が相次いだ。ソフトバンクの孫氏も講演を取りやめた。だが各国が巨大なオイルマネーに群がり、闇に目をつぶる現実に変化はない。みんな沈黙してきたから、皇太子は今回の凶行も許されると誤解したのかもしれない。他の国々の手も汚れていないだろうか。 21日2面の隅に日本政府の対応が小さく載っていた。最大の原油輸入先サウジとの関係は引き続き重視し、サウジ当局による真相究明の動きを注視すると。安倍首相の口から、記者殺害という最悪の言論弾圧をいさめる言葉はない。さすが報道の自由度ランキング67位の国。(武蔵大学社会学部教授)2018年10月28日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-サウジの闇 見ぬふり」から引用 トランプ大統領でさえ、サウジアラビアのやってることはおかしいと一度は常識的な見解を述べたのに、わが国の首相は日本から遠い場所の事件であるのをいいことに知らん顔をしています。それもそのはず、森友、加計学園、火炎瓶と数々の疑惑にまみれている立場上、とても「他人の頭のハエ」を追ってる場合じゃないと言うわけです。ここはやはり、早めに退陣していただいて政界を浄化するべきではないでしょうか。
2018年11月08日
イエメンの内戦に軍事介入するサウジアラビアを批判していたジャーナリストがサウジ当局によって殺害された事件について、文筆家の師岡カリーマ氏は10月20日の東京新聞に、次のように書いている; 政権批判で知られるサウジ人ジャーナリストのジャマル・ハショクジ氏(日本の報道ではカショギ)が、トルコで自国の領事館に入ったまま失踪した事件。中で殺害されたことはもはや確実らしい。凄惨なギャング映画とずっこけスパイ喜劇が合体したような奇怪な展開が、全世界の注目を集めるのも仕方がない。 サウジアラビアと親密な欧米諸国も今度ばかりは動揺が見られ、まずは民間企業で、サウジとの投資関係を見直す動きが報道されている。来週サウジで予定される投資会議「砂漠のダボス」も、出席取り消しが相次ぐ。 いまさら? 少なくともハショクジ事件は一応まだ謎が残る。一方、イエメンの惨状には謎もイチジクの葉もない。 サウジ率いるアラブ同盟の軍事介入で不要に拡大した「内戦」により、過去百年で世界に類を見ない飢餓に直面するイエメン。援助団体によれば昨年は、毎日130人の子どもが死んだ。8月には米英仏が支援する同盟軍がスクールバスを「誤爆」、死者には40人の子どもが含まれていた。 飢えて瀕死(ひんし)の幼児の映像を見て、投資を見直した大企業はあったか。「サウジは一千億ドル相当の武器を買ってくれる。失踪事件関与を否定する国王と皇太子を信じよう」と言う米大統領を筆頭に、利益至上主義世界全体が、ハショクジ氏の「死」に加担したのではないか。(文筆家)2018年10月20日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-『死』に加担したのは」から引用 この事件が報道され始めた頃は、トランプ大統領は「これが事実であればサウジアラビアには厳罰をもって望む」などとかなり厳しい発言をしたのであったが、その後誰かに忠告されたのか、急に態度が変わって、上の記事で皮肉られるような事態になっている。軍需産業の成否に経済が左右されるような社会にはしないほうが、世の中の平和のためであり、安倍政権が破壊した「武器輸出三原則」なども、ポスト安倍では元に戻すべきである。
2018年11月07日
韓国の元徴用工に日本企業が訴えられて敗訴した事件について、東京大学名誉教授の醍醐聡(だいごさとし)氏は、4日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 日本企業に対して、徴用工への賠償を命じた韓国最高裁の判決で、日本政府は「国と国との関係では決着がついている」といっています。しかしこれは、自国民が他国に対する請求について、政府が後押しすることはしないということです。 今回の徴用工問題は、裁判でも大きな争点になったように、韓国の個人による日本企業への請求という個人の請求権の問題です。この点で、日本の外務省もかつて国会で、「個人の請求権そのものを消滅させたものではない」と、何度か答弁しており、非常に確信的な発言をしています。 それにもかかわらず、日本政府は韓国で訴訟を受けている日本企業に対して、賠償・和解に応じないよう圧力をかけています。加害者の政府が、戦時中の問題に触れることもなく、外交的に解決したとして被害者の申し立てに対抗するというのは、極めて恥ずかしい態度だと思います。また、日本のマスコミも政府の背中を後押しするような論調が目立ち、恐ろしさを感じます。 日本国内で正論が出されない中で、日本共産党の見解は、非常に立派な内容だと思います。これを通じて、国会や日本の世論に一石を投じてほしい。 国会では、これまでの外務省の見解をしっかりただしてもらいたい。そうした事実と道理にもとづく理性的な議論を通じて、世論をつくっていくことが、問題の解決にむかう大事なステップになるのではないでしょうか。2018年11月4日 「しんぶん赤旗」 3ページ 「『徴用工』判決と志位委員長見解 識者はどう見る」から一部を引用 この記事は理にかなった常識的な意見だと思います。国と国との関係では決着していても個人の請求権を消滅させるものではないという「日韓合意」を確認した上で、このような事案は法廷で争うことなく「和解」で決着するのが妥当であり、これまでにも複数の企業がそういう方法で解決してきているのですから、安倍政権が余分な介入をしたのは返って日本企業の負担を大きくしたと言えます。
2018年11月06日
政府高官や大企業経営者の責任は問わず、貧困層や政府の言うことに関係なく職業倫理を貫徹する者には「自己責任」を武器に攻撃するという、日本人社会に特有な現象について、法政大学教授の山口二郎氏は、10月28日の東京新聞コラムに次のように書いている; 24日の新聞に、原子力損害賠償法の改正案がまとまったが、基本的な骨格は現行法のままで、事故の際の政府の責任もあいまいにされたという記事があった。 福島第一原発事故の教訓は忘れ去られ、政府と電力会社は事故の際の補償について展望のないままに、再稼働を進めようとしている。 25日のテレビニュースは、森友学園に対する国有地売却をめぐる公文書の改ざんについて、現場の近畿財務局のOBが野党議員のヒアリングに応じ、実態を話したことを伝えた。改ざんに手を染めた職員は自殺し、それを指示した側はのうのうと生き延びている。 日本は無責任国家である。公権力を行使する為政者とその近くで影響を持つ経済人などは、犯罪的なことをしでかしても、多くの人々を苦しめても、罪に問われることはなく、地位を失うこともまれである。 折しも、安田純平氏が解放され、無事帰国した。案の定というべきか、一部からは「自己責任」という非難が吹き荒れている。そう、日本では責任という言葉は、貧困状態にある弱者や、政府の勧告を無視して取材を敢行した独立心に富むジャーナリストを攻撃する武器なのである。 自己責任という意味不明な言葉で他人を攻撃する者は、権力者の無責任に目をつぶり、自己満足を求めているだけである。(法政大教授)2018年10月28日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-責任のアンバランス」から引用 原子力損害賠償法の改正案がまとまったとは言うものの、基本的な骨子はそのままで、政府の責任はあいまい、再度の事故が起きたときの保障については展望がないまま、これでは結局「改正しようと思ったが、できませんでした」ということだから、これで再稼働を進めれば最悪の場合は同じ悲劇が繰り返されることになります。まともな理屈から言えば、十分な改正案がまとまるまでは再稼働は見合わせるのが道理というものでしょう。 自己責任という意味不明な言葉で他人を攻撃する者は、根拠も無く権力者との一体感を楽しんでいる人たちですから、こういう人たちというのは「権力批判」を自分への攻撃と思い込むであろうことは容易に想像が付きます。そういう理屈から、朝日新聞や東京新聞が社会的弱者の問題を取り上げたり権力批判をしたりすると「反日」というレッテル貼りが始まるわけです。
2018年11月05日

戦時中に日本の工場に動員された韓国人の元徴用工4人が、新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、韓国大法院が一人当たり1千万円を支払うように命じた件について、2日の読売新聞は国会の予算委員会における自民党岸田議員と安倍首相の質疑応答を次のように報道している;■日韓関係 岸田氏 最近の日韓関係は好ましくない事態が立て続けに起こっている。 首相 未来志向の日韓関係構築に向けて協力していくことを確認してきたにもかかわらず、韓国主催の国際観艦式での自衛艦旗掲揚の問題や、韓国国会議員の竹島上陸、韓国大法院(最高裁)の判決など、それに逆行する動きが続いていることは大変遺憾だ。 今般の判決は、国際法に照らせば、あり得ない判断だ。国際裁判を含め、あらゆる選択肢を視野に入れヽ毅然(きぜん)と対応していく。政府としては徴用工という表現ではなく、旧朝鮮半島出身労働者の問題と言っている。当時の国家総動員法下の国民徴用令には募集と官斡旋(あっせん)と徴用があったが、裁判の原告4名はいずれも、募集に応じたものだ。判決に対する韓国政府の前向きな対応を強く期待している。2018年11月2日 読売新聞朝刊 12版 12ページ 「徴用工判決『毅然と対応』首相」から一部を引用 このたびの裁判では、当初被告の新日鉄住金は前例にならって原告側と「和解」するつもりだったのに、首相官邸から横やりが入って和解を拒んだために、大法院から強硬な判決を出させてしまったとの報道もありました。 上の記事で安倍首相は、国際法に照らしてあり得ない判断だと言っておりますが、これは1965年の日韓基本条約によって韓国側の一切の「請求権」が消滅しているから、との意味と思われます。しかし、そういう考えが正しいのかどうか、翌日の共産党・志位委員長は次のようにツイートしました;では、かつて日本政府は徴用工問題の個人の請求権について、どのように答弁していたのか、「本と雑誌のニュースサイト/リテラ」は次のように書いている;(前半省略) しかしだ。徴用工問題をめぐる今回の韓国司法の判断は、本当に、日本政府や国内メディアが一斉に批判するようなものなのか。 そもそも、今回の判決内容は、日本の不法な植民地支配に直結した日本企業による強制動員に対し、その反人道的な不法行為を前提とした慰謝料請求権を認めるもの。これまで日韓両政府が徴用工問題について「解決済み」とする根拠とした日韓請求権協定について、個人の請求権は消滅していないとした。 そのうえで指摘しておこう。日本のメディアは「請求権協定で個人の請求権も解決済み」と報じているが、実は、これまで日本の外務省もまた、国会で何度も「日韓請求権協定は、個人の請求権そのものを消滅させたものではない」と明言しているのだ。たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会では、当時の柳井俊二・外務省条約局長(のちの外務次官)が“両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した”(日韓請求権協定第二条)の「意味」について、「日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということ」として、「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と答弁している。 その意味で言うと、今回の韓国大法院の判断は実のところ、協定の解釈的にも極めて突飛ということではない。(後半も省略)「徴用工判決ヒステリーの日本マスコミが触れない事実…安倍政権が新日鉄住金に圧力をかけ“和解”を潰していた!」から一部を引用https://lite-ra.com/2018/11/post-4345.html 戦後の自民党政権の憲法解釈を一存で勝手に変更してしまう安倍首相ですから、条約の解釈変更も「得意」なのかも知れませんが、そういうやり方が国際社会に通用するのかどうか、大きな問題です。「慰安婦問題」のときのように、世界に恥をさらす羽目にならないようにお願いしたいものです。
2018年11月04日
内閣府が実施した世論調査によると、夫婦別姓に賛成する意見は反対を大きく上回ったにもかかわらず、法務省のホームページにはそれが表示されず、相変わらず昔の調査結果(反対のほうが多い)を表示されている問題について、10月17日の東京新聞は次のように書いている; 選択的夫婦別姓制度を巡って内閣府が2月に公表した世論調査では、導入賛成派が過去最多の42・5%となり、反対派の29・3%を大きく上回った。それから8ヵ月。制度設計を担うはずの法務省のホームページ(HP)はなぜか、反対派が多い前回分を掲載し続けている。「制度導入に否定的な現政権に忖度した結果では」と疑う声が上かっている。(榊原崇仁) 選択的夫婦別姓制度は、結婚後も夫婦それぞれが結婚前の姓を名乗ることを認める制度。ただ現在の民法に基づくと、結婚に際して夫婦いずれか一方が必ず姓を改めなければならず、現実的には女性が姓を改める例が圧倒的に多い状況だ。 夫婦別姓を巡る世論調査は1996年からほぼ5年に1回のペースで行っている。今回は法務省の依頼を受けた内閣府の政府広報室が昨年11~12月、全国の男女5千人を対象に実施した。全体でみると導入に対する賛否の差は13・2ポイントだったが、際立ったのは年代別の状況だ。 18~59歳は「選択的夫婦別姓制度のために法律を改めても構わない」という賛成派がほぼ半数を占め、反対派は1割台。反対派が賛成派を上回ったのは70歳以上のみで、5割強が「法改正は不要」と答えた。 内閣府の政府広報室によると調査結果は関係省庁に送りずみだというが、法務省が設ける選択的夫婦別姓制度のHPは、2012年末に実施した前回分を今も掲載している。当時は反対派が36・4%で、賛成派の35・5%を上回った。 NPO法人「mネット・民法改正情報ネットワーク」の坂本洋子理事長は「安倍政権下で政府の教育再生実行会議や男女共同参画会議などに夫婦別姓反対派が起用されたことでも明らかなように、首相自身が反対派。首相の意見と異なる調査結果が出たにもかかわらず法務省が忖度を働かせ、結果をHPに載せずにいるのではないかと疑ってしまう」と述べる。 一方、同省民事局の山口敦士参事官は取材に「HPの改定作業に時間がかかっている。見やすさを含めて改善しようと考えている。参事官室の職員が作業しているが、マンパワーの問題もある」と釈明する。 首相自身は「国民の間にさまざまな意見がある」と導入に慎重な発言を繰り返しており、山口参事官は二月公表分についても「国民の意見はまだ分かれている」と語る。ただ「どういう回答状況になれば『意見が分かれていない』と言えるか」という問いには「私の口からは何とも申し上げられない」と言葉を濁す。 過去の経緯をたどると、法務省自体は制度導入について決して否定的ではなかったことが分かる。 法相の諮問機関の法制審議会は1996年2月に答申した民法改正要綱で、女性に差別的な法の見直しが必要だとして選択的夫婦別姓制度を盛り込んだ。前年9月の中間報告では「女性の社会進出が進むに伴い、婚姻で姓を改めることが社会生活上、不都合をもたらす」「多様な価値観を許容する観点から道を開いてよい」といった積極意見を挙げている。 同省は民法改正案までまとめたが、自民党内で「夫婦は同姓を名乗ってこそ一体感が得られる」など強硬意見が幅を利かせ、国会提出に至らなかった。民主党政権時代にも同省は法案を準備したが、連立を組む国民新党の反対で頓挫した。 国連の女性差別撤廃委員会は再三にわたって是正を勧告しているほか、今年2月には野田聖子総務相(当時)が選択的夫婦別姓の導入について「速やかに答えを出すべきだ」と述べるなど、閣内でも前向きな声が上がった。しかし首相は改正に動こうとはしない。 前出の坂本氏は、「別姓の選択は人権の問題で多数決の話ではない」と断りつつ訴える。「最新の調査結果からは『導入賛成』が多数なのは明らか。法改正に慎重になる理由はもうないことを伝えるべきだ」2018年10月17日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「法務省HPに載せず」から引用 法務省のホームページの世論調査の結果を示す数値を書き換えるのは大した作業ではなく、8か月もかかってまだ作業が終わらないなどということはあり得ないのだから、これは法務省官僚が自民党に遠慮して国民に本当の「調査結果」を見せないようにしていると考えるのが妥当である。ここでも、自民党の横暴で行政が歪められている。国連の女性差別撤廃委員会が再三に渡って勧告し、法務省も検討を進めているのは「選択的夫婦別姓制」であるから、「夫婦は同姓を名乗ってこそ一体感が得られる」と思い込んでいる人にまで「別姓」を強要するものではないのであって、同姓を名乗らないと一体感があっという間に消滅してしまう自民党系の諸君は、今まで通り「同姓」を名乗っていればいいのであって、「別姓」を希望する人にまで「同姓」を強要する権限はないはずだ。法務省が行動を起こしにくいのであれば、野党議員が協力して民法改正案を共同提案するのが良いと思います。
2018年11月03日
沖縄県が過大な負担を背負っている米軍基地問題について、琉球大学教授の我部政明氏は10月21日の朝日新聞に、次のように書いている; 米国が海外に置く軍隊の中で、在日米軍基地は制約が少なく、米国の思い通りに使えるのが特徴です。 たとえば在韓米軍は韓国防衛上、駐留部隊を自由に減らしたりはできない。しかし、沖縄の海兵隊の一部は年の半分ぐらいは海外に出ているし、9千人の要員をグアムなどに移転することが決まっています。「地政学的位置」はあとからつけた理屈であって、都合に合わせて使えるのが米国のメリットなのです。 日米同盟の「絆」とは何か。米国にその意思さえあれば、有事には日本を支援するでしょう。でも「意思」は目には見えない。意思を確実にするために日本政府は米軍基地を置いてほしい。総じて日本人は日本が攻撃される蓋然性は高いと思っているので、米軍にいてほしい。逆に米国はその蓋然性は低いと思うので、在日米軍を日本の外へ自由に動かせる。基地が減らない理由には、そのギャップもあるのでは。 海兵隊は沖縄にいるべきではありません。沖縄は基地負担を十分に負っている。しかも沖縄以外にも自由に動ける米軍がおり、日本防衛のための自衛隊がいます。 沖縄県知事選の結果で、辺野古の基地建設を見直すべきだという意見は「本土」でも出ていますが、国政選挙で争点になったわけではなく、このままでは政府が方針を変えることはないでしょう。 大事なことは、そもそも米軍基地とは何なのか、を日本国民が問うこと。そして個々の基地をどう使わせるかを議論することです。基地を引き受ける自治体は、その使用方法を検討し、日米両政府に求めるべきでしょう。国民が基地のあり方、使い方の議論を始めれば、沖縄の過剰負担はなくなります。2018年10月21日 朝日新聞朝刊 12版 7ページ 「フォーラム-沖縄の米軍基地」から一部を引用 この記事は国防とか米軍基地などいろいろ考えさせてくれる。そもそも軍事の専門家が「ここは防衛のために軍の駐留が必要」と判断すれば、そこに置かれた兵員を勝手に増減したりはできないのが普通。しかし、沖縄に置かれた海兵隊基地は常時、兵隊が世界のあちこちに出かけていて留守のことが多い。つまり沖縄の海兵隊基地は日本防衛のためにあるものではないということです。そもそも米軍の専門家の目で見ても、日本が近隣諸国から武力攻撃を受ける蓋然性はまったく無い。その上、過去の72年間にも米軍はおろか自衛隊すら防衛出動を実施した実績は無いのであるから、このような実績を踏まえて、私たちはこれからの「防衛力」がどの程度必要なのか、米軍基地はどの程度で間に合うのか、具体的な議論をすることで沖縄の負担を軽減することができるのであれば、積極的に取り組むべきと思います。
2018年11月02日
先の大戦では多くの大学生が学業を途中で中断させられて戦地に送られた。その学徒出陣について、法政大学教授の山口二郎氏は10月21日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 75年前の今日、雨中の明治神宮外苑で出陣学徒壮行会が催された。学業を中断させられ、戦場に向かって行進した学生の中でどれだけの人が生還できなかったのだろう。 戦争における死は、兵士にとっても民間人にとってもすべて非業の死である。天皇のため、国のためという理由は、避けられない死を受け入れるために苦悩の中からあえて作り出したものだと、私は想像する。 10月18日、靖国神社の秋の例大祭に多くの国会議員が参拝。安倍首相も真榊(まさかき)を奉納した。戦没兵士を国のために忠誠を尽くした英霊と神聖化するのは、宗教法人としての靖国神社の自由である。しかし、政治家がこの教説を賛美することには、断固として異を唱えたい。 公権力は有為の若者を死地に追いやることもできる。戦後日本の権力者の最大の責務は、戦争による非業の死を繰り返さないことである。そのためには、平和を祈るだけではだめである。戦争は天災ではなく、権力者の政策決定の帰結である。これを繰り返さないためには、誤った政策決定を積み重ねた無能な指導者の責任を明らかにし、そこから教訓を引き出すという冷静な作業が必要である。 戦死者を英霊と賛美する感傷主義が好きな政治家には、冷静、合理的な政策決定はできない。(法政大教授)2018年10月21日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-学徒出陣75年」から引用 戦争犠牲者を英霊と呼んで美化するのは、彼らを死地に向かわせた政府の加害責任をあいまいにする効果があるので、私たちはそういう欺瞞に満ちた言葉遣いを批判していかなければならないと思います。いつも右翼思想にかぶれた自民党の政治家は「みんなで参拝する」会などと称して団体参拝しているが、これも実にみっともない行動だ。国会議員がこれ見よがしに神社参拝をするのは政教分離原則に反する行為である。議員であっても信仰は自由だというなら、そう主張して堂々と個人的に参拝すれば良いものを、そこはやはり、曰く付きの神社なので何かと後ろめたさがあって一人では行けず徒党を組んで行動している。政治家のこういう愚行を止めさせるには、やはり無宗教で国立の追悼施設を建設するのが最善の解決方法である。
2018年11月01日
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