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国会の集中審議で見え透いた茶番を演じた自民党議員について、20日の日刊スポーツは次のように批判している; ★19日、参院予算委員会で質問に立った自民党の和田政宗は「『やましいことがあれば国会議員を辞める』という決意は、政治家として肝に銘じておくべきこと。その覚悟が褒められるなら分かるが、批判される意味が分からない」、財務省に対して「書き換えでどれだけ国民を怒らせどれだけ国会を空転させたか」「自民党にも官邸にもうそをつき通した」と攻め上げ、また、理財局長・太田充が民主党政権時代に前首相・野田佳彦の秘書官を務めていたことに触れ「安倍政権をおとしめるために意図的な答弁をしているのではないか」と嫌みで攻めた。 ★さすがに太田も「私は公務員として一生懸命お仕えするのが仕事。それはいくら何でもご容赦ください」と反論した。このやりとりを聞きながら自民党ベテラン秘書がため息をつく。「13日に開かれた参院予算委での中央公聴会で、自民党は過労死自殺事件を過去に起こした居酒屋チェーン『ワタミ』を展開する創業者の参院議員・渡辺美樹を質問者に選び、『働くのは悪いことか』とか『週休7日が幸せなのか』と過労死した労働者のご遺族ら公述人に問うた。なぜ渡辺を充てたのか。渡辺は後日謝罪したものの、もう自民党は壊れてしまっだのではないか」と嘆く。 ★また別の秘書は「自民党は2000年の小泉政権のころから、『いいからやれ』といった高圧的な指示が増えてきた。権限を持てば選挙で勝っているのだから何でもできると勘違いする幹部が増えてきた。こんな党ではなかったはず」と解説する。穏健な保守をひとつの柱としていた自民党はどうしてこうなってしまったのか。どの秘書たちに聞いても「選挙制度」という声が返ってくる。確かに得票以上の議席を取ることが出来ることは政権交代を可能にしたが、選挙区や有権者の関係を壊した部分もある。公認を取るため執行部には頭が上がらず、守ってくれるはずの派閥も壊れた。新人は2世、3世ばかり。与党の人材不足も叫ばれる。どうなる自民党。(K)2018年3月20日 日刊スポーツ 8版 21ページ「政界地獄耳-自民党は壊れたのか」から引用 予算委員会は国会議員が政府に質問する場であるが、和田議員の「首相の覚悟は褒められるなら分かるが、批判される意味が分からない」という「質問」を政府に問いただすのはお門違いである。和田が何故こういう発言をしたのか、その目的は様々な疑惑で窮地に立っている首相に対して助け船を出してポイントを稼ぐことで、国政における疑惑追及の場を私利私欲を追及する場にしてしまったと言える。一昔前の自民党であれば、ここまでひどい人物はいなかった。こういう人材しかいない政党に政権を任せていいのかどうか、国民は真剣に考える必要がある。
2018年03月31日
2015年の慰安婦問題に関する日韓合意を再検証した文大統領を批判する投書が、26日の読売新聞に掲載された;◆慰安婦問題 文氏に疑問 韓国の文在寅大統領が「3・1独立運動」記念式典で演説を行った。日韓両国は慰安婦問題を巡る2015年末の合意で、「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したはずだ。 ところが、文大統領は今回の演説で「日本に特別な処遇を要求しない」と言いながらも、慰安婦問題について、「加害者である日本政府が『終わった』と言ってはいけない」と強調したことは、驚くほかない。 文大統領は再交渉を求めたらいかがだろう。国際常識として通用しないことが分かっているから、韓国の国内向けに日本批判を続けるのではないか。 日本政府としても、北朝鮮の核・ミサイル問題には韓国と共同で対処する必要があり、良好な関係は維持したいはずだ。ただ、このままでは「未来志向の関係」を築くのは困難ではないか。2018年3月26日 読売新聞朝刊 12版 10ページ「気流-慰安婦問題 文氏に疑問」から引用 この投書の筆者は日韓合意が何を目的としたものであったのかという点を見落として、自分の都合のいいように勝手に解釈して相手側である韓国政府を批判しており、いかにも自分勝手であり、こういう態度では相手には何も伝わらないのも当然です。日韓合意は日本軍によって慰安婦にされた被害者の方々を救済することを目的としたものであって、その合意に基づいて行動した結果「最終的で不可逆な解決」が得られればそれにこしたことはなかったのであるが、残念ながらそういう結果には至らなかったわけで、その原因を検証したところ、被害の当事者を蚊帳の外において両国政府が作り上げた救済策では全く不十分であることが分かったというのであるから、加害国である日本はその報告に謙虚に耳を傾けるのが礼儀というものです。上の投書は韓国政府の態度を「国際常識として通用しない」などと言ってるが、これも多くの日本人が誤解しているように、書面を取り交わしたわけでもない「合意」には条約のような「法的な義務」は存在しないのであって、文大統領が日本に対して再交渉の要求はしないと言ってるのは、安倍首相のあの態度では何を言っても無駄であることを見抜いているからである。ただ、この投書が最後に書いている朝鮮の核・ミサイル問題については韓国と共同で対処する必要があるのは、その通りである。ところがこれも、国連が全会一致で朝鮮に対する制裁を決議したからと言って調子に乗り「話し合いはもう意味が無い。制裁あるのみだ」と騒いだのは安倍首相だけで、当のアメリカ大統領でさえ「片手で制裁を実行し」ながらもう片方の手では「話し合いの可能性」も追及していたのであったから、今や朝鮮との対話の機運が高まり、既に中朝首脳会談は実現し、4月は南北会談、5月は米朝会談、その後に朝露会談が終わってからようやく日本の番になるという、安倍政権は完全に「蚊帳の外」状態である。国連の全会一致の制裁決議という厳しい環境下で、このような対話ムードを導き出した文大統領の外交手腕は高く評価されて良いと思います。それにひき換え、安倍首相の場合はトランプ氏が大統領に就任する前から駆けつけて高額のプレゼントを差し出したり、訪日の際はゴルフで遊んだり、散々ご機嫌をとったはずなのに、鉄鋼とアルミに高い関税を掛けられる羽目になり、韓国との未来志向どころか、アメリカとの未来志向も危ういということですから、やはり国民はそろそろ政権交代を考える時期になったと思います。
2018年03月30日
昨日の欄に引用した東京新聞の記事は、その続きで、教育が何故政治から独立していなければならないか、次のように論じている; 渡部さんは退職後、教育現場の問題を講演などで発言し続けた。通常なら招待される元の勤務先の卒業式や行事に一切呼ばれなかった。「君が代」をめぐる教員処分問題で06年2月に都教委の人事委員会審理で証言を求められたときには、「東京の教育は異常だ」と訴えた。 現在も「東京の教育を考える校長・教頭(副校長)経験者の会」のメンバーとして、教育の独立を訴え続けている。 だが、東京から始まった学校現場の締め付けは、第一次安倍政権による06年の教育基本法改正とともに全国に拡散しつつある。渡部さんは「学習指導要領などで、指導内容だけでなく、指導方法まで統一され、信じられないことに統一した生徒像を目指すとまで言われている。生徒をまったく見てない。教師は管理され、生徒一人一人に向き合う余裕がない。学校現場には疲弊と諦めが起きている。学校も教師も問題が起きないようにと萎縮している。今の学校は学校ではない」と訴える。 そもそも教育の独立はなぜ大切なのか。 名古屋大の愛敬浩二教授(憲法学)は、教育基本法が教育への「不当な支配」を禁じている理由について「国家が介入し、国に有用な人材の育成を目的にしていた戦前教育の反省から、戦後は子ども個人の能力をより良く発展させるため、教育の自由が唱えられた」と説明する。文科省による今回の学校現場への報告要請は「子どもの学習権と、講演者の表現の自由とが侵害される大きな問題だ」と指摘。 「今回のような政治的介入がまかり通れば、政治家ににらまれるような人は、どんなに素晴らしいことを言っていたとしても、学校側が萎縮して呼べない。学校が政治を忖度(そんたく)する結果、特定の価値観だけを教えることになる。一方、子どもたちの成長に必要な情報を持っている前川氏のような人からは、伝える機会を奪う。これは民主主義社会全体にとって、大きな不利益だ」と憂慮する。 新潟大の世取山(よとりやま)洋介准教授(教育行政学)は「具体的な教育活動を特定して調査をおこなうこと自体が『不当な支配』に当たる」と断じる。実際、03年には都内の特別支援学校で行われた性教育の授業を都議が議会で問題視し、都教委も厳重注意の処分を下したが、最高裁はこれを「教育への介入で不当な支配」と判断した。(引用者注:当ブログの2010年4月16日の欄参照) 世取山氏は「本来、文科省は政治家の介入から教育を守る大きな役割があるのに、その義務を果たせなかった」と批判。やはり、根底には改正された教育基本法の影響があるとみる。 改正教基法では、教育は「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と、新たな文言が盛り込まれた。「これ以降、文科省自身が法律の根拠さえあれば自由に現場の教育内容まで統制できるという錯覚に陥り、たがが外れた。それが政治家の介入を誘発している。政治家も行政も介入してはならないという当たり前のことを思い出すきっかけにしなければ」と助言する。 改正教基法は、子どもたちの「愛国心」養成を盛り込んでいる。18年度からは小学校、19年度からは中学校で道徳が教科化され、心の内面が点数などで評価されるようになるが、危ぶむ向きは多い。金沢大の石川多加子准教授(憲法学)は「道徳の教科化は、戦前、国民に愛国心をたたき込んだ修身教育のよう。国家に従順な人間をつくるための総仕上げだろう」と語る。 上智大の田島泰彦教授(情報メディア法)は「今回の問題は、聴衆の動員や反応など事細かに調査するもので、思想チェックにほかならない。戦前の特高警察と相通ずるものがあり、ここまできたかという印象だ」と驚きながら、危機感を募らせる。「秘密保護法や共謀罪の創設など、安倍政権は思想や表現の自由を抑圧する制度を作っただけでなく、教育現場にも重きを置き、それらを受け入れるような人間の形成を進めてきた。用意周到で、最終的に目指しているのは憲法改正とそれを受け入れる人間づくりだろう」<デスクメモ> 亡き祖母は女学校を出ただけで教壇に立った代用教員だった。、満州から引き揚げてきた人々の痛々しい姿を思い出すたびに、悔いと怒りではち切れそうだった。戦時下の学校は、国策に従って生徒と家族を満州移民に送り出してきたからだ。戦後教育の原点にある無数の悔いを忘れまい。(洋)2018年3月24日 東京新聞朝刊 11版 28ページ「『不当な支配』で学校萎縮」から引用 戦前の日本政府は国の機関として特高警察を設置して国民の思想の自由を弾圧しました。現代の日本でも右翼はそのような体制の再構築を画策しており、右翼政治家に今回のようなことをやらせて、あたかもそうすることが当たり前であるような空気を醸し出し、教育基本法を改悪して「愛国心教育」を無理矢理ねじ込んだように、特高警察の再建を目論んでいるものと考えられます。しかし、現代は戦後の民主主義教育をまじめに学んだ多くの国民の存在があり、右翼の目論見通りの「戦後レジームの脱却」が進むわけでもないと思います。私たちの民主主義を守る戦いが今後ますます重要になると思います。
2018年03月29日
教育の現場に政治の介入が進んでいる現状について、24日の東京新聞は次のように報道している; 文部科学省が前川喜平前事務次官による名古屋市立中学校での授業内容の報告を求めた問題では、教育基本法が禁じる「不当な支配」に当たる可能性が指摘されている。戦前の国家主義的な教育への反省から教育の独立が重視されてきたはずだが、近年、学校現場への管理強化は進む一方だ。異論を排する教育はいつからまかり通るようになってきたのか。現場への締め付けに異を唱え続ける都立高校の元校長に聞いた。(片山夏子、石井紀代美)「ここまで政治が教育現場に介入するなんて」 文科省が個別の授業内容を細かく照会していたことに、元都立高校長の渡部謙一さん(74)=写真=は驚きを隠せないでいる。 総合学習の講師として前川氏を招いた名古屋市立中学校の授業内容について、文科省は、15項目にわたる質問状を市教育委員会に送付。学校側が拒んだが録画記録の提供すら求めていた。質問状は自民党の国会議員が事前に確認していたが、当初は議員からの問い合わせも隠していた。 質問状を確認し、修正を求めた自民の池田佳隆衆院議員は「質問状への感想を文科省に求められた」と説明。林芳正文科相は「事実確認は文科省の判断。法令に基づき、国が調査することは可能」と説明している。 だが、「東京の『教育改革』は何をもたらしたか」の著作がある渡部さんは「教育の独立を脅かす現場への不当介入以外の何ものでもない。近年、教育現場の締め付けは悪化の一途をたどってきたが、危機的状況がここまできたか」と嘆く。 1999年の石原慎太郎都政発足と同時期に校長になった渡部さんは、まず東京で始まった管理強化の波にいや応なく巻き込まれてきた。 95年に始まった都立高校改革は、現場や保護者の意見も聞かず一方的に進められた。石原知事の登場で学校への締め付けはさらに加速。「校長の権限がどんどん強化され、職員会議は協議の場ではなく、校長の方針を伝える場や諮問機関化していった。校長は経営者で、数値目標と成果を上げろと言われた」 さらに学校内で教員の階級分けが進む。「教育委員会から、校長、教師へと上意下達が徹底された。学校現場で一番大切なのは、教師が生徒たちのことを自由に話し協力し合う『協働性』なのにそれが壊されていった」。実際、学校には物言えぬ空気や諦めがじわじわ広がっていった。 石原都政の誕生した99年に、国旗国歌法もつくられている。国会審議では文相(当時)が「国民に強制するものではない」と答弁していたにもかかわらず、2003年に都は完全実施を求める通達を出し、従わない教員らを次々に処分していった。 03年度は、渡部さんにとって教員人生の最後の年だった。校長として最後の卒業式で、日の丸君が代を強いる職務命令を出さざるを得なかった。都教委には当日の教師の座席表まで提出を求められ、出席した都教委によって、君が代の時に不起立の教師がチェックされた。 中学時代の担任にあこがれ、教師になった渡部さんにとって、戦後の教育は未来への希望そのものだった。「生徒は一人一人状況が違う。生徒にレッテルを貼らず、徹底的に関わり、絶対に放り出さない。それを信条にやってきた」 だが、その教員人生の最後に、異論を認めない上意下達のコマであることを強いられた。「これが教育なのか。この時の贖罪(しょくざい)の思いがあり、教育現場のこの空気払拭のために、退職後は尽力しようと決意した」2018年3月24日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「『前川氏の授業』報告要求の源流」から引用 この記事では自民党の池田佳隆衆院議員は文科省の役人から求められて、名古屋の中学校に送付するメールの文面について感想を述べただけで、名古屋の中学校を調査しようと考えたのは池田議員ではなくて、あくまでも文科省だったことになっているが、多分それは真実ではない。事の起こりは池田議員が「前川が中学校で授業などとんでもない」と考えて文科省にねじ込んだもので、これは明らかに「教育に対する不当な支配」という違法行為であるが、それを文科省として公に認めてしまうととんでもない騒ぎになるので、林文科相はあくまでも文科省として適法と判断して自主的に実施したものだと言い張っている。このように本当のところはだいたい推測がついているのに、うわべだけ子どものような小理屈を並べてとりつくろうやり方は安倍政権で特に多いように思います。森友問題なども、本当は教育勅語を子どもに暗唱させるという極右の教育方針に感動した安倍夫妻が後ろ盾になって、国土交通省や財務省に睨みを効かせたから8億円の値引きが可能になり、籠池理事長(当時)をして「神風が吹いた」と言わせる事態になったのに、これが問題として報道されるやいなや、官邸は一切関与していない、理財局の官僚がかってに文書を改ざんしただけのことで、張本人である安倍首相は「何故こんなことになったのか」などととぼけているが、大方の国民にはだいたい察しがついている。こういう政権は、そろそろ交代させたほうがいい。
2018年03月28日
安倍政権はテレビやラジオ放送を規制する放送法を改正し、種々の規制を撤廃する方向で準備を始めたと、24日の東京新聞が報道している; 安倍政権が放送制度改革で、テレビ、ラジオ番組の政治的公平などを求めた放送法の条文撤廃に加え、放送局への番組基準策定義務付けなど、NHK関連以外の同法の規制をほぼ全廃する方針であることが分かった。 放送という制度を事実上なくし、インターネット通信の規制と一本化して、ネット動画配信サービスなどと民放テレビ局を同列に扱い、新規参入を促す構えだ。しかし、偏った番組などが氾濫する恐れがあり、民放の反発も予想される。 共同通信が入手した政府文書によると、放送局に番組基準の策定や番組審議会の設置を義務付けたり、教養、報道など番組ジャンルの調和を求めたりしている規定を撤廃。一企業による多数のマスメディア所有を禁じた条項や外資規制も廃止する。 また地上放送の組織に関する放送法の例外規定を撤廃。既存局を、番組を供給するソフト部門と、放送設備を運営するハード部門に分離したい意向とみられる。規制改革推進会議が5月ごろにまとめる答申に方針を反映させ、早ければ今年秋の臨時国会に関連法案を提出、2020年以降の施行を目指す。これらの改革により「NHKを除く放送は基本的に不要に」なるとしている。 さらに、放送を電波からネットへ転換させ、空いた電波帯域をオークションで別の事業者に割り当てることも検討するという。 だが放送の内容規制を全廃すれば、党派的な番組やフェイクニュース、差別的なヘイトスピーチ(憎悪表現)などが出回る可能性がある。ソフト・ハード部門を分離すると、緊急時に連携が取りにくくなり、災害報道に支障を来すとの懸念も強い。2018年3月24日 東京新聞朝刊 12版 6ページ 「放送法規制全廃の動き」から引用 私はこの記事を読んで、安倍政権が国連人権委員会の勧告を受け入れて悪名高い放送法第4条を撤廃して、それでもって支持率回復を狙うのかな、と早とちりしましたが、どうも読み返してみるとこの記事には腑に落ちないものがあります。放送法に定められている種々の規制を撤廃すると「偏った番組などが氾濫する恐れがあり、民放の反発も予想される」という記述には、疑問を感じます。現在放送されているテレビやラジオの番組が、放送法が存在するお陰で中立公正な放送になっているというのは変な話で、現実に偏った番組が少ないのは放送事業に従事する人々の職業倫理による部分と、自由な言論が保障された社会における相互批判等によって実現しているのだと、私は思います。また、「偏った番組が氾濫すると民放が反発する」という予想も、話がおかしい。一つ一つの番組が偏っているかどうか、日頃民放が特別に監視する立場をになっているわけでもないと思います。既存の民放が反発する理由は、新規参入が容易になれば「生存競争」が厳しくなるから、現状の放送法を維持して新規参入を許さずに、少数企業で寡占状態を維持したいのが本音ではないのかと思いました。
2018年03月27日
高等学校の授業に新しく「公共」という科目ができたことに関連して、法政大学教授の山口二郎氏は18日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 2022年度から始まる高校の新科目「公共」の内容が先月公表された。このニュースを見たとき、米国の高校で起こった銃乱射事件を契機に、高校生が銃規制の強化を求めて大きな運動を起こしたことが、良い教材になると思った。 公共的なものへの関心や責任感とは、政府の行動や世の中の仕組みが本当に人々のためになっているかどうか自分なりに考え、おかしいと思うことにはおかしいと声を上げることである。 日本も捨てたものではない。公共への責任感が発露、伝播する実例が現れた。言うまでもなく、財務省による文書改ざん、国会に対する虚偽答弁に対する官邸前や各地の抗議行動である。為政者は権力を私物化し、市民は公の道理を守るために声を上げる。分かりやすい対照である。 しかし、教育を所管する文科省の官僚は公共精神を持っていない。名古屋の公立中学校で前川喜平前文科次官が授業を行った際、その内容を事後的に検閲しようとしたことが報じられている。 何とも陰湿な話だ。子どもも親も、前川氏の夜間中学でのボランティアなどから、良い社会をつくるためにどうするかを学び、考えを深めたことだろう。政権に歯向かった前川氏が公立学校で授業をしたのは一大事と騒ぐ御殿女中のような官僚が公共教育を監督するなど、噴飯ものである。(法政大教授)2018年3月18日 東京新聞朝刊 12版 29ページ「本音のコラム-公共教育」から引用 銃の規制強化を求めるアメリカの高校生のデモは百万人単位の大規模なデモになり、デモのスローガンも「ライフル協会の支援を受けている共和党議員は、次の選挙で落選させよう」と堂々と主張しているそうで、頼もしいと思います。昨日は日本でも森友問題の真相究明を求めるデモがありましたが、新聞はアメリカの高校生のデモは報道しても国内の森友問題のデモは東京新聞を除いては一切報道しないという姿勢はおかしいと思います。日本のデモも、アメリカのデモに習って「日本会議と関係をもっている議員は、次の選挙で落選させよう」というスローガンを掲げるべきだと思います。
2018年03月26日
現代の民主主義が何故うまく機能しないのか、哲学者の内山節氏は18日の東京新聞で森友問題を例に挙げながら、次のように述べている; 近代的な政治の世界は、いくつかの病理をもっていた。そのひとつは不完全にしか機能しない民主主義であり、もうひとつは官僚制の問題たった。前者は代議制民主主義を基盤にした「独裁政治」を生み、後者からは官僚たちの自己保身的な行動と利権が、さまざまな不正を生みだしてきた。 この不完全な民主主義と官僚制の問題は、つねに議論されながらも、近代社会では解決できない課題だったのである。社会学者のマックスーウェーバーは政治家や官僚の倫理観に訴え、社会哲学者の八ーバーマスは徹底した情報公開と市民による監視に、解決の糸口をみいだそうとした。 もちろん、それらを主張しつづけることは大事である。そうしなければ、民主主義の名の下の独裁政治や、腐った官僚制が蔓延してしまうかもしれない。だが、それでもなおこの問題は解決がつかなかったのである。その根本的な原因は、中央権力の力があまりにも強すぎるところにあるのだと、私は思っている。 ちょっと、歴史を振り返ってみよう。1789年のフランス革命は、近代社会のかたちを世界に提起したといってもよかった。王制や身分制度は解体され、政治は共和制に移行した。自由、平等、友愛という理念が掲げられ、市民が主体になる自由な社会が出現したかにみえた。 だがこのとき、中央権力の力をどこまでの大きさにするのか、といった検討は加えられなかった。権力の構造としては、司法、行政、立法を分ける三権分立の方向や選挙制度が生まれていったが、絶対王政期に構築された強大な中央権力は、そのまま温存されたのである。国家がもつ権力の強さをそのままにして、権力の構造を民主化すればそれでよい、というところに落ち着いてしまった。 それは国の政治家と官僚に、強大な権力を与えることになった。政治家たちは選挙に勝つための扇動を繰り返し、選挙後はやりたい放題のことをする。その政治家の下で、官僚たちは自己保身と天下り先などをふくめた利権をつくりだそうとする。そんな構造が広かってしまったのである。 それを政治の劣化と言うのはたやすい。確かに、今回の森友問題をみていても、まだ明らかになっていないことも推測しながら、多くの人々は、政治と官僚の腐敗ぶりにあぜんとしたことだろう。 現実の課題としては、国民の公僕である政治家や官僚の倫理観を問いただすことも、徹底的な情報公開を求め、私たちが一人の市民として政治の動きを監視することも大事だろう。しかし、それだけではなく、根本的な問題にメスを入れる努力をしなければ、機能しない民主主義と堕落した官僚制の問題は、解決できないのである。とすると、その方法はどこにあるのか。中央権力の力を縮小させることである。 それは必然的に、地方分権や地域主権を強化することに結びつく。権力を分散させ、ひとつひとつの権力を普通の人々が監視できるところに置く。そういう社会のあり方を考えていかなければ、堕落した民主主義や官僚制の問題は、これからもくり返されることになるだろう。 森友問題として露呈した事柄の奥には、国家の権力の強さを王政時代の延長線上に置いた、近代革命の問題点が横たわっているといってもよいのである。(哲学者)2018年3月18日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-王政が残した『森友』の病理」から引用 わが国の戦後民主主義を実践してきた歴代政権は権力の行使に謙抑的で、上の記事に言われるように、政治家や官僚には一定の倫理観があり、不正や汚職が無かったわけではないが、建前として「不正や汚職」はあってはならないもので、不祥事が噂になった時点で引責辞任するものであったが、昨今では影に日に影響力を最大限に発揮しておきながら記録文書に「首相の指示があったので、ムリに認可した」とういう文言さえ発見されなければ「一切関与していない」と言い張り、組織を統率する責任すらも拒否して、それでまかり通る時代になったのは、大変残念なことです。政治家や官僚に倫理を期待できないということであれば、内山先生が提唱するように、権力を分散させて国民の監視の目が行き届くシステムを創造していく必要があるのかも知れません。
2018年03月25日
名古屋市内の公立中学校が行なった総合学習の授業について文科省から内容を報告するように指示するメールが送られた事件が報じられて間もない17日の東京新聞コラムは、次のように書いている; 教育基本法にはかつて、こういう条文があった。<第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである> ここでいう「不当な支配」とは何か。この法が可決された1947年3月の国会で文部省の局長は、こう答えた。「従来官僚とか一部の政党とか・・・によって教育の内容が随分ゆがめられたことのあることは、申し上げるまでもないことであります」 戦前の極度に国家主義的な教育行政で学びの場はゆがめられ、学校は子どもを戦争の道具に仕立て上げた。そういうゆがみを再び生じさせぬための要石として、「不当な支配に服さず」という文言が置かれたのだ。 この要石の重みを忘れたのか。文部科学省の官僚が、前川喜平・前文科次官を講師に招いた名古屋市立中学校に対して詳細な報告を求めていたことが明らかになった。 教育基本法は第一次安倍政権下で改められたものの、「不当な支配に服さず」との文言は残り、首相は当時「国家管理を強めることにはならない」と国会で明言していた。だが、官僚が個々の授業にまで口を挟むようなまねは「国家管理の強化」だろう。 前川氏は加計学園の学部新設をめぐり「行政がゆがめられた」と国会で証言していたが、こう言いかえた方がいいかもしれぬ。 「行政がゆがめられている」。ゆがみは現在進行形である。2018年3月17日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 この記事が書かれた時点では、文科省の担当者が自民党の右翼議員の圧力で不当なメールを名古屋市教育委員会に送ったという情報はまだなかったので、「官僚や一部の政党によって教育内容が歪められないように」という表現になっているが、この記事のポイントは、教育というものは「国民全体に対し直接に責任を負って行なわれる」ものであって、国やその他の行政機関の命令(または、介入)はあってはならないという点です。したがって、自民党の赤池議員のように「国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しない」などという偏った考え方は、これだけを児童生徒に教えては片手落ちであり、「世の中には、こういう考えもあるが、これは極端な例です」という点を抑えた上で、現実の社会には様々な考え方があるのだということを教える必要があるわけです。
2018年03月24日
「世に倦む日日」という風変わりなユーザー名で日々活発にツイッターに投稿している人物が、安倍昭恵氏の森友学園の用地取得に当たって財務省に口利きをした行為を犯罪として立件できるかどうかを考察した文章が、自身のブログに掲載されている; 安倍昭恵の行為は法的にどのように意味づけできるのだろう。何らか罪に問える法律論を構成することはできるのだろうか。昨日(19日)の国会での共産党の質疑で見事に解説されていたように、森友学園の国有地取得にあたっては、要所要所で安倍昭恵が登場し、財務省側に積極的な働きかけを行っていて、最終的に国が大幅値引きを認めて売却するという結果に至った。特例措置と称して背任が行われている。辰巳孝太郎がパネルで簡潔に総括したとおり、森友学園側には資金がなく、近畿財務局側にとっては最初から話にならず、交渉は打ち切りという進行になっていた。そこに突然現れたのが安倍昭恵で、籠池夫妻とのスリーショットの写真が突きつけられ、近畿財務局が狼狽し、本省にお伺いを立てる政治案件となり、そして、地中ゴミを捏造する不正工作に国が加担し、異例の8億円値引きを許容・決済して売却契約するのである。首相夫人である安倍昭恵が影響力を行使することで、財務官僚たちは背任を行い、森友学園は不当に安く土地を手に入れることができた。安倍昭恵に注目したとき、事件の全体図は法律論としてどう描くことができるのだろうか。 (中間省略)「イデオロギー上の利益」なる考え方を、法的な領域、特に刑事に関わる行為認定に持ち込み、それを政治家が斡旋利得する際の金銭や物品や性的サービスと同列視する思考を試みることは、我ながら若干の躊躇がある。憲法に規定された思想信条の自由と抵触しないかという不安が浮かび、国家権力が「思想犯罪」を捜査の対象とすることに繋がらないかという懸念がある。けれども、犯罪には常に動機があり、犯罪者が犯行をする動機には、金銭や物品や遊興といった即物的な欲得だけでなく、世界観に関わる観念的で思想的な達成や満足が動機となる場合が確かにある。人が追い求めるものは、食欲や性欲や名誉欲の充足だけではない。人はイデオロギーのために殺人を犯す。それは反体制側の過激派がテロでやるし、国家権力を持つ側が権力犯罪で行う場合も多い。今回の森友事件の一連の諸行為が、権力犯罪であることは、ジャーナリズムの視点を持った者には明瞭だろう。(1)刑法247条の背任、(2)刑法104条の証拠隠滅、(3)刑法156条の虚偽公文書作成、そして、ひょっとしたら、邪推かもしれないが、陰謀論と誹られるかもしれないが、(4)刑法199条の殺人まで視野に含んだところの、森友事件は巨大で壮絶な権力犯罪の塊である。 まさに、立花隆が探偵となって分析・推理するべき巨悪の事件だ。森友事件を一括して考察し、巨悪の権力犯罪の体系として概念化したとき、主犯は安倍昭恵・晋三夫妻という断定になるだろう。誰も異論はあるまい。すべての犯行には動機がある。検事は刑事事件を立件するとき、動機を正しく確定して構成要件を完成させないといけない。起訴状に解明した動機を記述し説明しないといけない。森友事件の主犯の動機は何なのか。それは、正しく「イデオロギー上の政治的利益」としか定義できず、客観的説明として他に要素を挙げて立論できないに違いない。私はそう考える。これは極右国家権力者による権力犯罪なのだ。それが森友事件の本質だ。https://critic20.exblog.jp/29381824/ 共産党の辰巳孝太郎議員が今月、国会で説明したとおり、当初は森友学園に十分な資金がないために交渉相手ではないと判断した近畿財務局が、突然態度を変えて「ああしなさい、こうしなさい」と森友学園に有利なアドバイスを始めたのは、籠池氏から安倍昭恵氏と撮った写真を見せられたり昭恵氏やその付け人の谷査惠子氏から電話が来たりしたためであることが判明しました。昭恵氏の行為を刑事事件として立件するかどうかは別としても、国有地を不当に値引きする過程に安倍昭恵氏は十分に関与したことはもはや誰の目にも明らかですから、安倍首相は一年前に宣言したとおり、責任をとって首相も議員も辞めるべきです。
2018年03月23日
文部科学省の小役人が名古屋市の公立中学校で行なわれた全校生徒と地域住民を対象にした総合学習の授業について、その内容を報告するように指示するメールを送った事件について、17日の毎日新聞は社説で文部科学省を次のように批判している; 国による行き過ぎた個別授業への干渉だ。教育への介入と指摘されても仕方がない。 名古屋市の公立中で行われた授業に前川喜平・前文部科学事務次官が講師として出席した。これを知った文科省が内容を詳細に報告するよう求めるメールを市教委に送り、録音データの提供も求めた。 授業は2月中旬、市立中で全校生徒と地域住民が対象の総合学習の時間だった。前川氏と以前から知り合いだった校長が依頼した。 前川氏は、自らの不登校経験や夜間中学のことなどを話したという。 驚くのは、この授業を知った文科省の対応である。 このメールでは、前川氏が天下り問題で引責辞任したことなどを説明し、講師依頼の判断や授業内容を15項目にわたり問いただしている。「授業を行った主たる目的は何だったのか」などと回答を求めている。 学校は授業内容の概略を市教委に報告したが、録音データの提供は拒否したという。当然だろう。 文科省は、学校の個別の授業内容に介入しないことが大原則だ。 文科省の役割は、学習指導要領の策定など全国共通の教育基準作りや教育の条件整備だ。 教育基本法は「教育は不当な支配に服することなく」と定めている。 国が教育内容を統制した戦前の反省からだ。文科省が個別の授業内容を調べれば、現場はそれを圧力と受け止める恐れがある。現場は萎縮し、学校の自主性を損ないかねない。 気になるのは、前川氏が加計学園の問題で安倍政権への批判を強めていたことだ。今回の調査は初等中等教育局長も了解していたという。前川氏の行動を監視していることを、アピールでもしたいのだろうか。 林芳正文科相の対応にも疑問がある。「誤解を招きかねない面があった」と担当局長を注意した。だが「授業の狙いや招いた経緯を確認する必要があった」と調査に問題はないとの認識を示した。 地方教育行政法は、文科省が教委への調査ができると定めている。だが、想定されるのは法令違反やいじめなどの緊急事態だ。今回がそれに当たるとはいえまい。 文科省は改めて経緯を調べ、公表すべきだ。2018年3月17日 毎日新聞朝刊 14新版 5ページ「社説-教育への不適切な介入だ」から引用 この記事が言うように、行政が授業の内容に介入するのは教育基本法に述べるように違法な行為であり、許してはならない。しかし文科省が目を付けた当該中学校の校長は、お上からのメールに臆することなく、授業内容の正当性を堂々と主張し、録音テープの提出も拒否するという立派な対応ができたことは朗報であり、戦後の民主主義教育が我々国民の間にしっかり根を降ろしていることを実証していると思いました。その後の続報によれば、事の起こりは自民党の勉強不足な右翼議員が文科省にねじ込んだ結果、名古屋市の中学校に不当なメールを送ることになったのだそうで、またしても自民党の不祥事である。自民党もトップの座にあのような人物が居座ると、下々のほうにもロクでもない党員が紛れ込んでしまう。自民党支持の皆さんには、もう少しマシな人物を党首に選ぶようにお願いしたいものだ。
2018年03月22日

安倍政権の下では何故こんなに多くの不祥事が発生するのか、17日の毎日新聞読者の投書は次のように述べている; 森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書改ざんで、安倍晋三首相が語った国民への「おわび」を聞き、問題認識の甘さと言葉の軽さに怒りを覚えずにはいられません。麻生太郎副総理兼財務相も同様。部下に責任を押し付けてすまされる問題ではありません。国民を愚弄する前代未聞の大スキャンダルです。 この1年の間、防衛省の国連平和維持活動(PKO)日報の隠蔽(いんぺい)、加計学問題での文部科学省の「総理のご意向」文書問題、さらに働き方改革関連法案を巡る不適切データー。国権の最高機関である国会への虚偽報告が相次いでいます。こんな欺瞞(ぎまん)に満ちた政治が横行したことがあったでしょうか。国民をばかにするのもいいかげんにしろ、と言いたい。 一連の問題の根幹にあるのは、2014年に設置された「内閣人事局」の存在です。首相の意向を反映する官邸主導人事が政権へのそんたくを働かせていることは火を見るより明らか。即刻改めるべきです。2018年3月17日 毎日新聞朝刊 13版 9ページ「みんなの広場-問題の根幹に内閣人事局」から引用 森友学園の問題で決裁文書を改ざんしたのは理財局だから、責任は当時の佐川理財局長にあるというのが、安倍首相と和田某議員が打ち合わせた「筋書き」のようで、和田議員が質問に立つ前の日に安倍首相は和田議員と3時間半も昼食の時間を共にしたというのだから、かなり綿密な打合せをした模様であるが、しかし、この「あらすじ」も国民の目には如何にも作り話であることは見え見えで、結局内閣支持率を低下させる結果になっているだけのようである。決裁文書の改ざんを首相官邸からは指示していないのが本当であれば、理財局側が忖度して改ざんしたということになるが、何故そんな忖度をしたのかと言えば、それくらいの気を利かせないと「内閣人事局」に睨まれて出世の道が閉ざされるのであるから、実にあり得る話である。(写真はツイッターから複写)レイプ容疑で逮捕状が出された元TBS記者の山口敬之の事件なども、捜査を担当した当時の警視庁高輪署の捜査員とその上司は全員他の部署へ移動させられて、高輪署に「事件」を知る捜査員はゼロになっているらしい。内閣人事局が都内の一警察署の人事に介入するということは考えにくいが、警視庁の幹部には官邸の息がかかった人間がいくらでも跋扈していて山口敬之の逮捕状執行を土壇場で止めたのも安倍首相と懇意の官僚であることはつとに有名であり、安倍晋三が官僚を支配して意のままに操ることを可能にしている元凶が「内閣人事局」であることは間違いないと思う。
2018年03月21日
森友関係の公文書が改ざんされたのは理財局長の答弁に合わせる目的だったのか、それとも安倍首相を守るためだったのかという問題について、同志社大学教授の浜矩子氏は、17日の毎日新聞に次のように書いている; 14と300。この二つの数字が、しっかり頭に刻み込まれてしまった。14件の文書に関して、計300ヵ所ほどの削除・書き換えがみられた。学校法人「森友学園」関連決裁文書の改ざん問題である。全く何ということか。「とんでもない」という言葉を何乗すれば、今、我々の目の当たりで繰り広げられているこの醜態劇のふらちさを表現し尽くすことができるか。 役所が記録文書を改ざんする。このこと自体のとんでもなさは言うに及ばない。だが、それもさりながら、問題は、このとんでもない行為が何のために、そして誰のために行われたのかということだ。 勘定奉行が口走ったことと、実際の経緯とのつじつま合わせのために、実際の経緯に関する記述を書き換えたのか。それとも、殿様とその奥方を守るためなのか。「余も奥も関係なし」。殿はそう言う。だが、越後屋は、奥方からお言葉を頂戴したと言っている。疑念は深まる。関連問題として、勘定奉行の直属の上司である御家老様が、どこまで、この有り様について責任を取るべきなのかというテーマもある。 とんでもない劇場が次々と繰り出すとんでもない場面を眺めていたら、またしてもあの記憶がよみがえってきた。 何か「またしても」なのか。「あの記憶」とは、どの記憶なのか。それは、このような政治絡みの珍事や変事が発生した時、ほぼ間違いなく必ず、思い出すテレビ番組があるからだ。本欄でも、拙著のいくつかの中でも、言及したことがある。その番組とは、1980年代の英国で、一世を風靡(ふうび)したBBCテレビのコメディー・シリーズ「イエス・ミニスター」(かしこまりました、大臣)と、その続編「イエスープライムミニスター」(かしこまりました、首相)である。政治家と役人の虚々実々の攻防と、奇妙な互助関係。それが実に見事に活写され、辛辣にやゆされている。抱腹絶倒の中で、視聴者は政官腐れ縁の構図をこれでもかというほどしっかり理解することができてしまう。 「かしこまりました、首相」の方に、「国家機密」というエピソードがある。首相殿が、前任者の回顧録出版を阻止しようとする。その中に、自分が一閣僚たった時の失態の数々が詳述されているからだ。問題の回顧録草稿について、閣内検討会が開かれる。その場で、首相は出版断固阻止の意向を表明する。 ほどなく、この検討会の模様をタブロイド紙がすっぱ抜く。どうも、リーグがあったらしい。慌てた首相は、タブロイド紙の編集長をランチに招待する。そして、自分は出版阻止など求めていない、だから暴露記事は撤回してよとお願いする。編集長は、それなら、例の検討会の議事録をみせろという。驚くべきことに、首相は「いいよ」と言ってしまう。 ここでがくぜんとしたのが、首相秘書官だ。彼は、この議事録を書かなければいけない。彼は、首相が出版阻止を叫んだことを知っている。だが、編集長に対して、首相は「言ってない」と明言してしまった。さあ、どうしよう。 悩める秘書官は、ただちに内閣官房長官の元に駆け込む。そして、苦しい胸の内を吐露する。話を聞いた官房長官は、顔色一つ変えない。さっさと議事録を書け。首相の意向に沿うように取りまとめればいい。まだ書いてないなら大いに結構。書き換える手間が省けるというわけだ。 若き秘書官は、そんなの良心の呵責(かしゃく)に耐えられないという。すると、官房長官は激怒する。役人は、良心の呵責などというぜいたく品に手を出してはいけない。お前がその場で何を聞いて何をどう覚えているかなど、どうでもいい。議事録に記録されていないことは、誰が何をどう記憶していようといまいと、起こらなかったことである。 官房長官いわく、議事録は、起こった出来事を記録するために作成するものではない。議事録は、人々を守るために作成される。首相が変なことを口走ったら、その発言はメモしない。首相の公式発言と矛盾する口走りが出た場合には、特にしかりだ。秘書官は首相の家来だから、それが当然の対応だ。会議時の人々の発言は材料だ。その材料を使い、殿様のお気に召す料理を作るのがあんたの仕事だ。 官房長官さらにいわく、良心とどう付き合うかは政治家の問題だ。役人は職員だ。職員は、民主主義的に選出された政治家の指示に従う。国民の代表者たちが命じた通りにすることの、どこに問題があるの? 日本と異なって、英国の内閣官房長官はお役人である。最も位の高いお役人だ。この頂点に達するため、政治家との攻防のありとあらゆる場面をくぐり抜けてきている。議事録の改ざんくらいの話で、決してうろたえはしない。 「かしこまりました、首相」はあくまでもフィクションだ。だが、そのリアルさにいつも息をのむ。ただ、フィクションと現実には、一つの大きな違いがある。いかに辛辣でも、風刺コメディーの中で、人は自殺しない。だが、現実にはそれが起こる。それが現実の怖さだ。はま・のりこ 同志社大教授。2018年3月17日 毎日新聞朝刊 13版 9ページ「浜矩子の危機の真相-『森友』と重なる英BBCコメディー」から引用 浜矩子先生が紹介するBBCのコメディーは、まるで今日の日本政治をそのまま複写したようなストーリーで、この記事に登場する「官房長官」の考えはそのまま安倍首相や菅官房長官が日頃周りの官僚に言っていることなのではないか、という気がします。こういうコメディが堂々とテレビで放送されるということは、イギリスの社会はこういう政治のスキャンダルを克服した経験があるということではないだろうかと思います。彼らはどのように「困難」を克服したのか、そっちのほうも紹介してほしいものです。
2018年03月20日
幼い子どもが夢中になるテレビ番組について、自らも子育て中の関西学院大学准教授、貴戸理恵氏が11日の東京新聞にユーモラスな論考を寄稿している; 5歳の息子がテレビ番組のスーパー戦隊にのめり込んでいる。赤ん坊と変わらない紅葉のような手で、おもちゃの剣を振り回し「戦いごっこ」にいそしむ姿は「男らしさ」に疑義を呈するジェンダー論を学んでしまった母には、しんどい。もう平成が終わろうというのに、いったいいつまでメディアは「○○レンジャー」を通じて「男=戦士」の刷り込みを続けるのだろう。 そんなふうに初めは批判的だったのだが、よくよく見てみると、事はそれほど単純ではなかった。「戦うこと」の意味や「男らしさ」のあり方が、長い歴史のなかで変わっていたのだ。 変化を一言で表せば「ヒーローの不在と等身大化」である。スーパー戦隊シリーズが始まるのは、1970年代半ば。80年代までは「科学戦隊ダイナマン」「超電子バイオマン」など、科学の力で敵を撃退するものが目立つ。90年代以降「忍者戦隊カクレンジャー」「激走戦隊カーレンジャー」などオタク的なテーマを体現するものや、動物の野性味を打ち出す「百獣戦隊ガオレンジャー」などが現れはじめ2010年代までつづく傾向が示される。 「進歩する未来」が信じられなくなった時代、ヒーローたちは、もはや圧倒的な強さを備えて絶対的な悪と戦うのではない。身近な興味の対象や内に秘めた個性をよりどころに、仲間と協力して敵に立ち向かい、成長していくのだ。 こうした変化は「男らしさ」の描き方にも見られる。 「仮面ライダーシリーズ」の分析をした葛城浩一氏によれば、1970~80年代の「昭和ライダー」では、高学歴でスポーツ万能な文句のつけようのないヒーローが多いが、2000年以降の「平成ライダー」になると、主人公がニートであったり、仮面ライダーなのにバイクの扱いが下手だったり、趣味は料理など「力強さ」を感じさせない人物になるという(「ヒーロー像はどう描かれてきたのか」子ども社会研究18号)。 ところで最近、子どもと一緒にスーパー戦隊の絵本を読みながら、発見をした。最近の仮面ライダーシリーズの新版「ビルド」では、主人公はこれまでどおり敵と戦うのだが、その敵は一枚岩ではなく、敵同士も戦っており三つどもえになっているのだ。まあ複雑な、と見ていたら、なんと新しくスタートしたスーパー戦隊では「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」として、ヒーロー同士が戦っているではないか。 そこにあるのは「ヒーローの不在」を通り越し、「正義VS悪」という構図の不在である。スーパー戦隊が誕生してから40年あまり。ついに「悪と戦う正義」は失効したのだ。今では絶対的な「正しさ」は存在せず、さまざまな背景を持つ人びとが「自分なりの正しさ」を携えて、それぞれの立場で戦うしかない。 ここまできたならば、とフェミニストの母は思わずにいられない。「戦うこと」の自明性それ自体を、解体することはできないのか。イベントのたびに、おもちゃとはいえ剣や銃を買わされるのは、たくさんだ。世界を変えるために「戦うこと」に頼るのは必然ではない。男の子の成長過程における、脱暴力化を。例えば「ペンは剣より強い」を体現するような、新時代のヒーローが、そろそろ現れてよいのではないか。(関西学院大学准教授)2018年3月11日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「時代を読む-新時代の『男らしさ』へ」から引用 そう言えば昔テレビで放送していた「ダイナマン」の頃は、頭脳明晰でスポーツ万能だから強いヒーローだったのに、それが時代に連れて変化してニートとか必ずしもバイクの扱いが得意でない仮面ライダーが登場するとか、価値観の多様化に伴って「正義」も一つではなく、立場によって色々な「正義」があるとか、世の中は変わっていくもので、「勧善懲悪」は世の中の一場面に過ぎないということだと思います。したがって、世界を変える必要に迫られた場合でも、将来は「戦う」という手段よりももっと文化的な手段が用いられる時代が来るであろうことも、私たちは展望していくべきではないかと思います。
2018年03月19日
明治維新の意義と安倍政権の政治姿勢について、法政大学教授の山口二郎氏は11日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 安倍首相が明治維新を称揚するのは、この変革によって日本が近代国家になったからだと推察する。近代国家を成り立たせる本質は何か。それは、君主制であれ民主制であれ、為政者がほしいままに権力を振るうのではなく、人民を支配する為政者といえども憲法や法律にのっとって権力を行使する点にある。明治憲法も、日本が野蛮なサムライ支配の国ではなく、法に基づいて支配が行われる文明国になったことを示すために、首相の尊敬する維新の功臣が必死で作ったものである。 今、安倍政権の下で起こっているのは野蛮国への逆行である。国有地を首相夫人が名誉校長を務める学校法人にタダ同然で譲渡するのは犯罪行為である。この件を「特殊」と表現した公文書を後で改竄(かいざん)したならば、それはもっと悪質な犯罪である。労働法制の立法に当たり、政府の言い分を正当化するように調査データを捏造(ねつぞう)するのも罪である。法への敬意、廉直、客観性の尊重など近代文明を支えてきた徳目が消滅すれば、行きつく果ては専制国家である。 安倍政権こそ、先人が150年かけて築いてきた立憲国家、法治国家を破壊している。首相が日本を愛するというなら、率先して疑惑解明の指揮を執るべきである。このまま法体系の崩壊を放置するなら、首相こそ最大の反日政治家という汚名を着ることになる。(法政大教授)2018年3月11日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本音のコラム-文明対野蛮」から引用 昭恵夫人が名誉校長だった森友学園が国有地を購入したいのだがカネが無いというときに、首相夫人付きの官僚が何度も財務相の担当部局に電話をしたりメールを送ったりしてプレッシャーをかけた、その結果件の国有地はタダ同然になり当時の籠池理事長は「神風が吹いたと思った」と国会で証言もしている。そういう経緯が改ざん前の決裁文書で確認できたのであるから、首相夫人の関与は明らかであり首相は一年前に明言したとおり責任を取って総理も議員も辞職するのがまっとうな道である。このまま居座ったのでは、せっかく同じ長州出身の明治の元勲が努力した国家近代化の道が台無しである。
2018年03月18日
慰安婦問題について日韓両国政府が2015年に解決策について合意したとのニュースが出たときは、「そんなことで解決できるのか」「よく韓国政府がそれで納得したものだ」というような感想を持ちましたが、世の中には私の知らないことも多くあるから、ひょっとして解決するのかも知れないという気持ちもあってその後の様子を見ていると、案の定韓国では政権交代が起きて「合意」の再検証が行なわれ「この『合意』では問題は解決しない」との新政権の見解が発表されました。私が最初に持った感想が的中しましたが、この2015年「合意」は何故問題だったのか、慰安婦問題に対する現代日本人の認識にどのような問題があるか、東京外国語大学名誉教授の中野敏男氏が、2日の「週刊金曜日」で次のように述べています; 日本軍「慰安婦」問題で、またもや日本は誤りを犯した。「被害者を無視していた」と日韓合意の見直しを宣言した韓国に対する日本メディアの攻撃は、加害国としての立場を忘れている。問われているのは、被害者に真摯に向き合おうとしないこの国の姿勢なのだ。 昨年12月27日、韓国政府は日本軍「慰安婦」問題の日韓「合意」に関する検証報告を発表しました。以降、日本のメディアは韓国政府や文在寅大統領に対するバッシングを繰り広げています。 文大統領が同月28日、日韓「合意」について「重大な欠陥があった」とし、「この合意では『慰安婦』問題は解決されない」と表明したのに対し、『朝日』や『毎日』、『読売』の3紙はそろって社説で「済んだことを蒸し返すな」「合意したことは守れ」といった趣旨の批判を繰り返しました。こうした大手メディアも含め、なかには「嫌韓」を露骨に見せて、ヘイトスピーチと見紛う記事も珍しくありません。 しかし「慰安婦」問題については、日本は加害国です。それなのに、この加害国が「最終的な解決」を押しつけるとはどういうことか。明らかに倒錯しており、問題のすり替えがあると思います。 今回の韓国政府の「合意」見直しを考える場合、以下の3点についてまず確認する必要があります。一つは、そもそもこの「合意」では文書が交わされたわけではなく、共同声明の形を取ったわけでもないことです。単に、両国の外務大臣がそれぞれの国の発表を共同で行なっただけにすぎません。 国際法上、合意は条約として文書を取り交わすのが基本で、そうでなければ法的な義務は生じませんし、政権が交代し、前政権の外交的立場を変更するのは珍しいことではありません。トランプ米大統領は当選後、米国も含めて大筋合意したTPP(環太平洋戦略経済連携協定)からの離脱を表明しましたが、トランプ大統領には強く言えず文大統領ばかりバッシングするのは、明らかにダブルスタンダードでしょう。 第二に、文大統領の声明は、国民の民主主義による運動を背景にしていたということ。朴槿恵前大統領は腐敗や権力濫用で国民の怒りを呼び、「ろうそく革命」で倒されましたが、日韓「合意」についても「国民的合意が得られていない」という批判があったのです。その文大統領が「合意」の見直しに動いたのは、当然の成り行きでした。朴前政権を倒した民主主義の前進が、「慰安婦」問題に対する態度の変更を導いたわけです。◆被害者無視の加害国 第三に、「慰安婦」問題とは性奴隷制度という歴史上稀に見る人権侵害である以上、国家間の外交交渉で処理できる問題ではないことです。ここでは何よりも、被害者を中心にしたアプローチが問題解決のために採用される必要がある。だからこそ、文大統領が日本との協議のプロセスを検証し、「被害当事者の意見を聞かなかったということがわかった。問題の処理が、そもそも間違っていた。この合意で慰安婦問題は解決されえない」と語ったのです。 他方で、日本側はどうでしょうか。そうした誤った内容を検証することもなく、「合意で問題は解決されない」と判断した韓国側を批難するだけですが、ではどこまで加害国として「慰安婦」にされた被害女性たちと向き合おうとしているのでしょうか。 そもそもこの「合意」は、協議に元「慰安婦」の被害者を一切かかわらせなかったという点で、彼女たちを消去しているに等しいものでした。しかも日本は10億円を拠出するだけで、実質的に「すべての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業」を韓国側に押し付け、自国の加害責任を曖昧にしています。 これでは、「慰安婦」問題について「歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」とした河野談話(1993年)よりも後退しており、「永く記憶にとどめ」るどころか、単に「終わらせるための合意」にすぎません。 そもそも、加害国が当の被害者を無視して勝手に「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決」などと言う資格があるのか。かりに韓国政府との間で外交上「終わらせる」ことを宣言したとしても、日本は加害国として被害女性に対して真摯な謝罪と補償をする義務を免れることはできません。それなのに日本が不誠実な対応を続けるのであれば、被害者女性に対して安倍首相が「心からおわびと反省の気持ちを表明」したという「合意」にすら反しているわけです。◆「追加要求」などない 実際、杉山晋輔外務審議官(当時)は16年2月に国連のジュネーブ本部で、「強制連行の証拠はなかった」とか、性奴隷という表現は「事実に反する」などと発言し、被害者たちを怒らせています。、日本政府は「カネを出したから、もう問題は消滅した」とでも言いたいのでしょうか。 それに、日本軍により被害を受けた女性がいるのは韓国だけではありません。北朝鮮や中国、東南アジアにも多くの被害者かおり、「合意」からこぼれ落ちたそれら大勢の被害者たちにとってはそれで「最終的かつ不可逆的に解決される」はずがないでしょう。いったい安倍政権は、こうした被害者をどうするつもりなのか。その存在をすら無視しているのは、あまりに不誠実です。 それなのに、『読売新闇』1月15日付によると、日韓「合意」について、韓国政府からの「追加要求」に応じないという安倍政権の姿勢を「支持する」と回答した人々は実に83%にも達しています。支配的なメディアによってこうした「世論」が形成されているわけですが、韓国政府は実は日本に追加要求をしていないし、合意の破棄を求めてもいないのです。 韓国政府としては、現在の安倍政権では「合意」について再交渉したところで良い結果は得られないという見通しがあって、それよりは国際社会に「終わっていない」と宣言して実際に行動し、自国の被害者に対して具体的な措置を提供した方が効果的と思っているのではないでしょうか。韓国政府がこのような態度を維持すれば、いくら日本が「終わった」と言い募っても意味を持たないわけで、こうした判断は賢明だと思います。 ですから、本当に問われているのは「合意」を見直した韓国ではなく日本です。人間の尊厳回復を求めた元「慰安婦」たちの運動は、1991年8月14日、初めて「慰安婦」被害者として名乗りをあげた金学順さんの告発から始まりました。それから4半世紀以上経ち、声を上げられないまま亡くなった被害者たち、声を上げたものの解決を見ないままに亡くなった被害者たちの数は膨大です。こうした人々の存在を、生きている私たちはどう受け止め、向かい合うのか。問題は終わっていないし、未来へ責任は続きます。(談)聞き手・まとめ:成渾宗男(編集部)なかの としお・東京外国語大学名誉教授。2018年3月2日 「週刊金曜日」 1174号 46ページ「評価すべき文大統領の「『慰安婦』合意」見直し」から引用 政府間の合意は条約と同じで法律よりも「権威」があって、これを反故にすることは許されないなどと当ブログに書いてくれた人もいたようですが、2015年の日韓合意は文書として取り交わされたものでもないので、法的拘束力もないし、TPP加入を一方的に取りやめたトランプ大統領に対する批判はゼロで、韓国の「合意見直し」だけを批判するのはダブルスタンダードであるとの指摘は、皮肉も効いてなかなかの文章と思います。やはり、人権侵害を受けた人々を救済しなければならないという問題を解決する相談を、当事者抜きで両国政府が勝手に合意したというのは愚かなやり方であったというほかありません。しかも、そういう安易な「解決策」が破綻しても尚、韓国側の追加要求に応じない安倍政権を支持するという読売新聞読者の83%というのは、あまりにも世間を知らない情けない人たちで、韓国側は追加要求などしないと明言していることくらいは真摯に受け止めないと、とんだ恥をかくことになるのではないでしょうか。慰安婦問題については、私たちは河野談話に立ち返って、基本的なところからやり直さなければならないと思います。
2018年03月17日
フリーライターの辛淑玉氏は、月刊「マスコミ市民」3月号にドイツで体験したことについて、次のように書いている; 20年ほど前、命の次に大事なものは何?と学生に質問したら、答えは携帯電話がトップたった。びっくりしていたら、あっという間に携帯が生活の、いや、体の一部になってしまっていた。 ドイツのデュッセルドルフ空港に降り立って、すぐ向かったのも電話会社。最も早く回線がつなかって契約期間の縛りもない、プリペイド式携帯電話の購入のためだ。 パスポートその他の確認手続きをしてSIMカードをもらった。これを携帯に差し込めば通話が可能なはず。しかし、つながらない。 翌日から毎日店に行って話をしたのたが、対応する人がみな違うことを言う。で、ネットでの問い合わせに数日かかり、その後、やれ郵便局で身元確認をしろとか、どこそこの店に行けとか、2週間待てとか言われ、散々振り回されて最後にたどり着いたのが、トルコの人が店番をしているパソコンショップだった。 私の顔を見るなり、「振り回されて大変たったでしょ」と慰めてくれて、すぐに電話会社と交渉してくれた。そして、この会社は韓国籍の人にはプリペイドの携帯サービスを提供していない、ということがわかった。 彼は「どうして最初からきちんと店員たちに知らせないんだ」と怒ってくれた。そして、すぐ他の会社のSIMカードを入れて、さっさと手続きをしてくれた。ものの15分で開通。携帯のカバーまでくれた。その優しさに泣いてしまった。 思わず、どうして韓国籍ではダメなのか、その会社に聞いて欲しいとお願いした。 答えは「韓国はシリアと同じランクだから」。驚いて、「え?北朝鮮じゃなく韓国ですよ?」と、何度も聞き返した。そう、韓国がどれほど経済発展をしても、朝鮮戦争が今も休戦状態でしかない以上、戦争リスクが高いということなのだ。 昨年末からドイツの日本研究所に来たのは、自分のこと、在日のこと、そして朝鮮半島と日本のことを知りたかったからた。しかし、ここに来て2ヶ月、自分がどれほど無知だったかを思い知らされる日々だ。 朝鮮半島のことは、中東情勢を抜きには語れない。パレスチナを知らないと研究者たちとの会話も成り立たない。そして、日本のことを調べれば調ぺるほど、アメリカを知らないとドツボにはまることを理解した。 日本に、戦後のアメリカによる占領統治について、韓国と沖縄と日本本土の違いを語れる人がどれほどいるだろうか。ドイツの研究者から日本語で、植民地下の作家金史良の話をされたときの、「参りました」感は半端なかった。 私がサポートに入る博士論文の院生は私より美しい韓国語を話すドイツ人で、論文も「在日」がテーマである。しかも日本語で書いている。 もう、めまいがする。私って、バカすぎるじやないか。 彼らは、イスラエルと米国による大義なき大量殺戮は既に始まっており、先日シリアで行われた攻撃は核施設攻撃の事前演習で、次は北朝鮮で本番をやるだろう、という認識だ。そして、米国の核攻撃によって生じる大量の難民とその日本海での遭難状況のシミュレーションをし、どのように難民を保護するかを話し合っている。 そんな中、一枚の写真を見た。パレスチナの16歳の少年が凄まじい暴行の末、目隠しをされて、イスラエル兵に囲まれ引きずられていた。石を投げて抵抗したという容疑たが、少年は体の不自由な父親の代わりに学校をやめて働き、一家を支えていたのた。 いくつかの監獄を経て釈放された少年をトルコが受け入れた。 思えば、ドイツでもトルコ人街には近づかないようにと言われるし、集住地域でヨーロッパ系の人と出会うことはない。 しかし、その街に入ると、ここが自分の居場所だと感じるのだ。1ヵ月も私を振り回した電話会社の人で、一言でも私に謝ってくれた人はいない。なぜか、ドイツで困ったときに、言葉もわからないのに助けてくれるのは、やはり同じ移住者なのだ。 ふと、ドイツ人女性の「国際結婚」で一番多い相手はトルコ人男性だと聞いたこと思い出した。ドイツ女性は目が高い! 携帯電話は、いろんなことを教えてくれる。月刊「マスコミ市民」 2018年3月号 80ページ「山椒のひとつぶ-携帯電話物語」から引用 朝鮮半島情勢は平昌オリンピックを機会に一挙に対話ムードになっているが、過去の経緯からして何かの拍子で何時また緊迫した事態に陥るか、予断は許されないと思います。韓国もEUも対話重視を唱える中、安倍首相だけが圧力一辺倒で対話を否定しアメリカからは大量の高額武器を購入したのであったが、それから半年もしないうちにそのアメリカの大統領が朝鮮の金正恩委員長の対話の提案を歓迎する事態となり、安倍さんとしては完全に梯子をハズされた格好になってます。外交はトランプに盲従し、内政は公文書改ざんで大揺れというお粗末な政権には、そろそろ終止符を打つ時が迫りつつあるのではないかと思います。
2018年03月16日

東京新聞の調査によると、昨年の電力予備率は50数基の原発がフル稼働していた2010年の電力予備率を超えたとのことで、その要因について8日の同紙が次のように報道している; 年間通じて最も電力が必要になる夏の発電状況について、電力の供給余力が昨年、東日本大震災前の2010年を大幅に上回っていたことが明らかになった。再生可能エネルギーが過去最大まで拡大したほか節電が進み、震災前に稼働していた原発の合計分を大きく上回る電力の余裕が生まれたため。東京電力管内では厳寒となった今年1月下旬も、大手電力間で電力を融通し合う仕組みなどで電力不足を回避した。 政府と電力業界は原発再稼働を急ぐが、原発がなくても十分な余力があることが裏付けられた形だ。 電力業界の組織「電力広域的運営推進機関」の数値をもとに本紙が計算した。 電力の余裕は実際の電力消費に対し、供給余力がどの程度あるかを表す「予備率」で示される。例年、冷房で電力が使われる夏に最も低くなる。3%を下回ると停電懸念が生じるとされるが、17年夏は最大需要を記録した瞬間でも供給余力が2100万キロワットあり、1億5千5百万キロワットの需要に対する予備率は約14%と、震災前の約9%を大きく上回った。予備率は16年も約13%あり、供給に大きな余裕がある状況は定着した。 背景にあるのはまず再生エネの拡大。再生エネは震災前までは地熱発電の30万キロワットだけだったが、昨年は太陽光を中心に約2千万キロワットに増加。これは原発20基分(1基100万キロワットとして計算)に相当する。 需要についても夏の最大使用電力は節電の定着で震災前の10年に比べて2千4百万キロワット減っている。再生エネと節電合計で、原発44基分にあたる4千4百万キロワットの余力をつくり出した計算。これは10年当時稼働していた全ての原発が生み出した3千4百万キロワットを1千万キロワット近く上回る。 震災後、電力を融通し合うルールが進んだことも余裕を生んでいる。 今年1月は厳しい寒さで暖房利用が急増。このため震災後に発足した電力広域的運営推進機関を通じ東北電力などが余剰電気を首都圏に供給、東電はさらに事前に契約している企業に電力利用を抑えてもらう「ネガワット(節電)取引」も初めて使い、問題なく乗り切った。◆原発必要論 根拠失う【 解 説 】 福島原発事故から7年がたとうとする中、電力の供給余裕が震災前の水準を超えて拡大、「電力を安く安定的に供給するには原発が必要」としてきた安倍政権や経済産業省の主張は根拠を失っている。 経産省は、国の電力政策の根幹となる「エネルギー基本計画」で、2030年に必要な電力の20~22%を原発でまかなう方針。電力に余裕がある今も「再生エネは天候に左右され不安定」(経産省幹部)として原発再稼働を急ぐ。 しかし、今年1月に死去した九州大大学院の吉岡斉(ひとし)教授は「原発こそ電力が不安定になる原因」と指摘していた。発電量が大きすぎ急に止まると穴を埋められないからだ。実際、東日本大震災時だけでなく、中越沖地震のあった07年にも東京電力の柏崎刈羽原発(新潟県)が停止し、首都圏は電力不足に陥った。 原発が「安い」という根拠も乏しくなっている。 海外では再生エネを安定して利用する技術の開発が進み、発電費用も下がり続ける。一方で原発のコストは放射性廃棄物の処理などがどこまで膨らむか先行きが見えない。政府は「福島のような事故は4千年に1回」との前提で事故処理費を軽く見積もるが、根拠は薄い。 政府が原発に固執するほど、「安く安定した電力」から懸け離れていく構図になっている。(吉田通夫)2018年3月8日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「昨夏の電力余力 震災前の原発分上回る」から引用 50数基ある原発の大部分が稼働を停止しているにも関わらず、フル稼働していた年よりも電力に余裕が出てきたというのは朗報です。いつまた事故が起きるか予測もままならなず、満足な避難計画も策定困難な状況で無理に原発を稼働させる必要はありません。しかも、日本の再生可能エネルギーの発電量は送電設備を貸し出す大手電力の妨害のために生産が抑えられていて、それでも全体の発電量に余裕が出てきているのですから、大手電力の妨害が無くなれば再生可能エネルギーの発電量はもっと伸びる可能性があるわけで、ますます危険な原発は不要になることは間違いありません。
2018年03月15日
朝鮮総連の本部に銃弾が撃ち込まれた事件について、ジャーナリストの成田俊一氏が2日の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のミサイル危機を口実に、北朝鮮の国家の崩壊を平然と口に出し、国内にいる在日朝鮮人の人権弾圧と生活基盤の破綻政策を強化している安倍政権下で、ついに起こるべくして在日朝鮮人を狙ったテロが発生した。 2月23日午前3時50分ごろ、2人の男が在日本朝鮮人総聯合会中央本部(東京都千代田区富士見)の会館正面の通用門に向けて数発の銃弾を撃ち込むという衝撃的な事件が発生した。 犯行に及んだのは過激なヘイト活動歴を持つ桂田智司(56歳)と神戸山口組系に所属していた元暴力団員の川村能教(かわむらよしのり 46歳)の2人。警視庁によると、ワンボックスカーで現場に乗りつけ、川村容疑者が助手席から発砲、警戒中の機動隊員に建造物損壊容疑の現行犯でその場で逮捕されている。また総聯の関係者の話では「発砲した後、拳銃を警察官に自ら差し出してすんなりと逮捕された」という。 事件発生時、著名な右翼関係者に桂田容疑者のこうした行為を聞くと「皇太子殿下の誕生日という日にピストルを撃ち込むなんて、右翼ならば絶対にしないし、皇室に迷惑がかかるようなことはしないよ」と指摘。さらに「元ヤクザが拳銃でかち込みみたいなことをして、しかもその場で逮捕されているけど、元ヤクザとはいえヤクザにとって拳銃まで撃ってその場で逮捕なんて、懲役のことを考えると計算に合わないでしょう。いったいなんのメリットがあったのか不思議な行動に見えます」とはある警察官の見方だった。 被害を受けた総聯本部の南昇祐(ナムスンウ)副議長は、23日午後の記者会見で「私たちは、これまで日本当局に対し、朝鮮総聯に対する政治的弾圧と規制をとりやめ、右翼などの脅迫と嫌がらせを厳しく取り締まるよう重ねて強く求めてきた。にもかかわらず、朝鮮総聯に対する今回のようなテロ行為を未然に防ぐことができなかった日本当局は、その責任を免れることはできない」と激しく批難した。確かに、在日朝鮮人の子どもたちの身辺の危険性が指摘されるようになったのも、特に安倍政権下での特質。それにしても今回の拳銃テロは何を狙ったというのだろうか。◆在日朝鮮人の生命の危機 昨年12月の桂田容疑者のブログに今回の犯行を予告するかのような文面がある。 「『一発の銃声は10万の動員に勝る』とは、正にこの事である。百の正論より一つの行動こそが、国を救う唯一の道なのである。行動なき正論は無力に等しい。若人よ、後に続け!」 ほとんど無差別テロ敢行を意図しているとも読める。さらに桂田容疑者と川村容疑者の2人が朝鮮総聯中央本部前で逮捕され身柄を護送された後に、なぜか別の1台の車が玄関前に数時間も横付けして動こうともしなかったというのだ。その車を運転していた男が桂田容疑者らの仲間か否かは不明だが、その場で警戒に当たっていた警視庁の警備警察官がなぜその車を撤去させようとしなかったのか、これも不思議だという指摘もある。 桂田容疑者のブログは拳銃テロの予告だったと読めないこともないが、ではその標的はいったい誰だというのか。「総聯中央の幹部だろう」と言った知人の記者もいれば、「いや議長を狙うというメッセージだろう」と言った別の記者もいた。少なくとも桂田容疑者自身は今回の逮捕でしばらくは不可能だろうが、桂田容疑者の周辺のネット右翼活動家やヘイト活動家の誰かが、今回の出来事に触発されて行動する可能性も否定できない。 しかし、ここからが深刻な分岐点だ。もしこうした活動家や個人を野放しにしておいたら、やがて在日朝鮮人の命に手をかけるといった悲劇も現実になるだろう。その場合、日本政府はなんと言うのだろうか。今回の拳銃テロに対しても菅義偉官房長官が何かを言っただろうか。一言も言わないではないか。「北朝鮮破壊王義者」の安倍首相のことだ。在日朝鮮人の人権や命の危機については、「我関せず」というのだろうか。(成田俊一・ジャーナリスト)2018年3月2日 「週刊金曜日」 1174号 5ページ「安倍首相が誘発したテロリズム」から引用 朝鮮の核やミサイルの問題については欧米の指導者がいずれも対話による解決を主張している中で一人安倍首相だけは「対話は無意味、圧力あるのみ」と言い続けて、世界中から奇異の目で見られていたが、国内にも在日の人々に対するヘイトクライムを誘発するという悪影響を及ぼしていたことは由々しい事態と言えます。朝鮮総連に対する発砲事件は単なる刑事事件ではなく、放置すれば人種差別を当たり前とみなす社会の到来を許す危険性をはらんでいるもので、政府はこの事件については、はっきりと否定する声明を発表するべきです。
2018年03月14日
歴代の沖縄北方担当大臣が何故次々と問題を起こすのか、文芸評論家の斎藤美奈子氏は7日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 福井照沖縄北方担当相が色丹島を「シャコタン島」と言い間違えて謝罪した。むろん褒められた話ではない。だけど、そこだけ責めてもねえ。 沖縄北方担当相はこのところ鬼門のポストだ。 「歯舞」が読めなかった島尻安伊子氏(2016年2月)。普天間飛行場の辺野古への移設をめぐって「早く片付けてほしい」と語るなど(16年9月)、暴言の山を築いた鶴保庸介氏。就任会見では「しっかりお役所の原稿を読ませていただく。答弁書を朗読かな」と述べ(17年8月)、「北方領土の日」を「沖縄北方の日」と言い間違えた(18年2月)江崎鉄磨氏。それで今度はシャコタン島だ。 なぜこんなことが続くのかというと、沖縄にも北方地域にも何の関心もない人が大臣になるからですよね。その前に、地域性も抱える問題の質も異なる沖縄と北方地域がなぜワンセットなんだろう。せめて2つを分離して、それぞれに集中したらどうなのか。 だが、問題はそこで終わらない。現沖縄北方担当相は他の内閣府特命担当相(消費者及び食品安全・海洋政策)とも領土問題担当相とも兼務だからだ。これだけの役目を一人に兼務させるのは、政府がそれを重要とは考えていない証拠。もしかしてポストのためのポスト? 答弁書の朗読以外に内閣府特命担当相が何をしているのか知りたい。(文芸評論家)2018年3月7日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-鬼門のポスト」から引用 この記事が指摘するように沖縄の問題と北方領土問題はまったく異質であるが、これを一人の大臣に兼任させているのは多分業務の量が一人で十分だからに違いありません。しかも沖縄では基地反対運動の人々の人権が蹂躙されているというのに担当大臣が何か解決のために努力した形跡などは皆無だし、北方領土もロシアとの交渉は外務省の仕事だし、北方担当大臣は毎日何をしてるのだろうという疑問も出てくるというものです。
2018年03月13日
昨日の欄に引用した記事の続きは、公判前の保釈率が上昇傾向にあるが政治がらみの事件の場合はそうもいかないという実態について、次のように説明している; 「検察は、長く勾留していれば自分たちのストーリーに乗ってくると思っている」。公共工事を巡る汚職事件で、戦後最長の437日間勾留された鈴木宗男元衆院議員は語る。 容疑を認めない鈴木元議員に、検察はあの手この手を使ってきた。 勾留中、カナダに留学していた娘の貴子さんが帰国した。取り調べ中、検事は「お嬢さんが帰ってきてますね。ご希望であれば、特別に面会できるように手続きを取ります」。情や子どもに弱いという鈴木元議員への揺さぶりだった。 この時は弁護士を通じて家族から「検察のわなだから乗らないで」と助言され、踏みとどまった。鈴木元議員は「検察の思惑通りにしゃべれば、すぐに出られたが、作り話を認めるわけにはいかなかった。負けてはいけないと自分を必死に鼓舞した」と述懐する。 そんな状況が少しずつ変わってきている。 「否認している被告に、以前は『真実を述べる姿勢がなく証拠を隠滅しかねない』と勾留が認められてきたが、黙秘権を事実上否定するという批判が学説上強くあり、裁判官にも理解が広まりつつある。このため保釈が認められるケースが出てきた」。大阪大の水谷規男教授(刑事訴訟法)は語る。裁判員裁判が影響しているという。 制度導入を議論する中で「被告が勾留中のため腰縄手錠付きで入廷すれば、裁判員へ有罪バイアスをもたらすのではないか」と問題点が指摘され、勾留を慎重に判断する裁判官が増えた。実際、法務省の犯罪白書などによれば、検察官の勾留請求の却下率は02年の0・1%から16年は3・4%に。保釈率も03年の11・74%から16年30・33%と右肩上がりになっている。 水谷教授は「国際水準に見合うとは言えないが、被疑者や被告人の身体拘束の状況は少しずつ改善してきた」と指摘する。 ただ、政冶的なにおいのする事件は例外だ。水谷教授は「裁判所は極めて保守的な対応になる。検察官はこうした事件では、『勾留請求しなければ罪証隠滅の恐れが高く、社会に自由に発信されると訴訟手続きの妨害になる』と強固に主張しがちで、裁判所も同調しやすい」と指摘する。 さらに「龍池被告の場合、補助金不正事件の証拠書類はすべて捜査当局が差し押さえており、証拠隠滅の恐れはないし口裏合わせできる状況でもない。国有地の払い下げ疑惑について話してほしくないから勾留を続けているのではないか、ととられても仕方がない」と語る。 元検事の郷原信郎弁護士は、人質司法を「検察の常とう手段」と説明。「被告としては少しでも早く外に出たいから、意に反することも認めてしまう状況がある。人質司法の問題はますますひどくなっている」 勾留の長期化を元裁判官の木谷明弁護士は別の角度から解説する。今は保釈の判断をするのは、実際にその事件の裁判を行う裁判官ではなく、別の勾留担当の裁判官。「比較的若い人が多く、事件の詳細も知らない。そのため、検察の言いなりになってしまう傾向がある」。裁判官が判断するとはいえ、検察の影響力が極めて強くなる。 木谷弁護士は龍池夫妻の勾留を長すぎると感じている。「森友問題についてぺらぺらしゃべられると、政権にとって都合が悪い。口封じなのだろう。検察と言えども法務省の管轄で、政府とは一体だ。人質司法は虚偽自白を生む温床になる。身柄の拘束は最低限にするよう、制度を改めるべきだ」と警鐘を鳴らした。<デスクメモ> 外部との接触を絶ち、一人で部屋の中にとどめ置く。寂しさ、心細さから顔を合わせる取調官に迎合し、うその自白をする。「人質司法」への批判は強い。勾留の長さが時にえん罪を生むからだ。龍池夫妻の主義主張にはうなずけない。それでも身柄は正しく扱われるべきだと思う。(裕)2018年3月7日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「政治的事件は『例外』」から引用 籠池氏から妙な情報がでないように万全な体制をとっていたにも関わらず、メディアの努力によって安倍政権が森友問題に関する公文書を、実は改ざんして国会に提出していたことが明るみに出てしまい、その事実を安倍首相も認めざるを得ない事態になってしまいましたが、この期に及んでも「改ざんではなく書き換えだ」だの「何故こんなことになったか、調査する」などと言ってるが、公文書の改ざんは犯罪なのだから、調査なら司直に任せるべきであって、官邸の人間に「調査」などとやらせたら引き続いて「証拠の隠蔽」をするだけだから、時間の無駄である。安倍氏は一年前に「自分や妻が関わっていたなら、総理も議員も辞める」と宣言したのだから、その通りに今すぐ総辞職することが愛国心旺盛な政治家のとるべき道というものである。
2018年03月12日
不当に長く続いている詐欺容疑の籠池夫妻の拘留について、7日の東京新聞は次のように書いている; 次々と不可解な話が出る学校法人「森友学園」(大阪市)を巡る問題。キーマンの前理事長龍池泰典被告と妻の譚被告=ともに詐欺罪などで起訴=は、逮捕から200日を超えた今も大阪拘置所の中にいる。逮捕前の言動から、保釈しても2人が逃げ隠れする可能性は低い。それなのに勾留は長期に及んでいる。「政権に忖度した口封じ」という見方が広まっている。(大村歩、石井紀代美) 2人は「工事費を水増しした契約書を使い、国の補助金約5600万円をだまし取った」「幼稚園の人件費など約1億2千万円を大阪市や大阪府からだまし取った」という詐欺罪などで、公判が開かれるのを待つ。逮捕は昨年7月31日。この6日で勾留期間は290日間になった。 龍池前理事長側は11月中旬、保釈を請求したが、却下された。弁護人は本紙の取材に対し、所属事務所を通じて「お話しすることはない」とした。 龍池前理事長の長男佳茂氏はツイッターで長期勾留の不当さを訴える。「こうしている間でも2人は権力者達の犠牲になり続けています。もう6ヶ月目に入りました。1日経過する毎に権力者の罪は重くなっています」「今日も大阪は寒い。拘置所内の2人はどうしているだろうか? 勾留から7ヶ月目に入っている。未だ面会がかなわない」 被告とはいえ、今は無罪と推定される立場。なのに拘束が続くのは、検察の請求を受けた裁判所が「罪を犯したことが疑われ、かつ、証拠を隠滅したり逃亡したりする恐れがある」と判断したため。 その拘束には有罪が確定した受刑者より厳しい側面がある。龍池前理事長の場合、受刑者は面会できる家族に会うことができない。 こんな長期の拘束が、日本ではまかり通ってきた。罪を認めると保釈され、否認すると初公判まで勾留が続くことが多い。身柄を取って捜査当局の意に沿った供述を得ることから、時にそれは「人質司法」と批判される。 「龍池さんが心配でならない」。沖縄平和運動セン夕ーの山城博治議長は案じる。山城議長は2016年10月、沖縄県の米軍北部訓練場の近くで、有刺鉄線をペンチで切るなどの罪で計152日間勾留された。 山城さんが入った留置場は、窓に覆いがされ光が入らなかった。関係者との接見は認められず、外の世界から遮断された。「靴下の差し入れさえも許可されなかった」 室内に時計はない。次第に時間の感覚がなくなっていった。「いつ寝ようか、いつ起きようか、日常のリズムが分からなくなってくる。徐々に人間の精神のバランスも保てなくなり、気持ちかぶさいでしまうことがよくあった」 山城さんがようやく保釈される際、「これはおまえの荷物だ」と言われ、初めて渡されたものがあった。 「山城ガンバレ」などと書いた、5百通にも上る励ましのハガキや手紙だった。山城さんは「家族にも会わせない。当然、激励するような声も届けない。そうやって、こっちの精神が参るのを待っているんだろう」と憤った。2018年3月7日 東京新聞朝刊 11版 26ページ 「籠池夫妻の拘留 長すぎませんか」から引用 籠池氏も加計氏のようにマスコミから逃げまくって、取材の窓口は首相官邸ということで統一しておけば、何も拘置所に入れられることもなかっただろうに、なまじ正義感からかマスコミに対しても、国会の証人喚問にも、知ってることは正直に全部話すものだから、こいつを放っておくとロクなことがないと危機感を募らせた官邸から、急遽詐欺容疑で逮捕して牢屋にぶち込んでおけとの「ご意向」が伝わった可能性は大きいと思います。一部の報道によると、容疑では「補助金を水増し請求した」ことになっているが、申請を受理した行政側が「水増し」を知っていて容認していた疑いがあるとのことですから、ひょっとすると籠池氏は「正直者」であるがために貧乏くじを引かされてしまった可能性もあるのではないか、と思う今日この頃です。
2018年03月11日
裁量労働制を拡大する法案の取り下げに関連して、法政大学教授の山口二郎氏は、4日の東京新聞コラムに次のように書いている; 安倍政権の目玉政策である働き方改革から裁量労働制を取り下げることになった。ずさんなデータに基づく効果不明の政策に対する世論の怒りは無力ではなかった。この際、働き方改革一括法を分解し、高度プロフェッショナル制度や労働時間上限規制など性格の異なる法案は別個に審議すべきである。 そもそも働き方改革の本質は、経済界の長年の悲願である脱時間給制を目指す点にある。政府は、法案は労使代表等からなる労働政策審議会で了承されたというが、それは法案作成の最終段階の話である。基本的な中身は、閣僚のほか経営者と学識者だけが参加する未来投資会議で先取り的に決められていた。働き方改革には働く側の言い分は反映されていない。 折しも、川崎重工業が新幹線の台車製造で多くの不良品を出していたことが発覚した。福島第一原発事故について東京電力幹部の刑事責任を問う裁判では、東電関連会社の技術者が東電から津波の予測値を引き下げるよう依頼されたと証言した。日本の産業の土台が腐食していることを物語る出来事である。 大企業の経営者は、従業員の働かせ方を自分たちの都合のよいように変えることに血道を上げるのではなく、自分たちの仕事の仕方を厳しく点検、改善すべきである。日本経済の衰弱は労働者のせいではない。(法政大教授)2018年3月4日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-改革の本丸」から引用 裁量労働制のほうが普通の働き方よりも労働時間が短くなるケースもあるなどと、ありもしない真っ赤なウソをさも本当であるかのように言っておきながら、それがバレても「何故こんな間違いが生じたのか、データーを精査する」などととぼけたことを言って時間がきたら強行採決のつもりだったのに、とんだ見込み違いで法案取り下げになったのは良かったとしても、ウソのデーターを「ある、ある」と言ってこれまでの長い審議時間の間、国民を欺いてきた責任は安倍首相にある。データーの精査をするまでもなく、自分が指示してデタラメのデーターを捏造させたことを陳謝して首相を辞任するべきだったのに、その脇で、森友関係の公文書偽造の疑いが「炸裂」して、それどころではなくなってしまいました。こうなってしまったからには、身から出た錆、安倍氏が個人的に責任をとるしかないと思います。
2018年03月10日

先週末の東京新聞読書欄「3冊の本棚」は作家の藤沢周氏の担当で、次の3冊が推薦されている; またか。「ない」と言っていた資料が、地下倉庫からワンサカ。労働時間等総合実態調査のデータ、約1万人分の調査票の大った段ボール32箱が、厚労省本庁舎の地下倉庫で見っかった問題である。 何せ国は隠す。「不都合な真実」は、黙って、シレーツとしてれば良し、か。国民を馬鹿にし、人の命よりも、政権の「実績作り」の方が大事ときた。 自衛隊PKO活動における南スーダン日報問題など典型。(1)布施祐仁(ゆうじん)・三浦英之『日報隠蔽』(集英社・1836円)は、実際の「戦闘」現場の詳細報告や情報公開請求後のプロセスとともに、リスクを示さないまま進められる国策の根っこ自体を露わにした。実際に現地で銃弾が飛び交っていた「戦闘」を「衝突」と言い換え、さらにその「戦闘」の実態が書かれていた日報は廃棄したとの虚偽。そして、極めつけは、日報隠蔽の時期に安保法制の新たな任務「駆け付け警護」を、派遣部隊に付与するという恐ろしさ。防衛大臣と事務次官、陸上幕僚長が辞任した前代未聞の顛末のすべてを、日報開示請求をしたジャーナリスト布施と、南スーダンに14回潜入した特派員三浦の2人が連帯して暴き出した。 「戦争でまず犠牲になるのは真実」という言葉があるらしいが、(2)井上寿一(としかず)『戦争調査会』(講談社現代新書・950円)は、幻の政府文書「戦争調査会事務局書類」全15巻を緻密に読み解いた。1945年11月、幣原喜重郎内閣が、なぜ戦争は起き、なぜ負けたのか、なぜ道を誤ったのかを分析・検証するために立ち上げた国家プロジェクトが、戦争調査会。大臣経験者、外交官、軍人、官僚などへのインタビューから現地調査まで厖大な記録である。公文書焼却や戦犯逮捕などの困難な時期に40回を超える会議を続け、開戦敗戦の実態を、「不都合な真実」であれ何であれ、すべて公表するために行ったものだ。この「不戦の誓い」のためのプロジェクト、平成の現政権はどう読むか。日本人の可能性を考える上でも必読の一冊。 そして、(3)内村鑑三『代表的日本人』(鈴木範久訳、岩波文庫・778円)も。キリスト教思想家が英語で著し、世界に示した本。今、NHK大河ドラマで大盛り上がりの西郷隆盛をはじめ、封建領主の上杉鷹山、農民聖者・二宮尊徳、村の先生・中江藤樹、仏僧・日蓮上人の五人の生き方から日本人の優れた精神性を説いた。日本人も捨てたもんではありもはん!藤沢 周(ふじさわ・しゅう)作家。今度はぎっくり背中か。作家業の宿痾(しゅくあ)? いえ、スギ花粉によるクシヤミのせい。2018年3月4日 東京新聞朝刊 8ページ 「3冊の本棚-日本人の可能性 測る」から引用 稲田防衛大臣のときに起きた日報隠蔽事件は、前代未聞の大事件であった割には安倍政権の評価には全く響いておらず、安倍氏としては「トカゲの尻尾切り」作戦が大成功した事例ではないかと思います。上の記事では「ない」と言っていた働き方改革に関わる書類が地下倉庫から大量に出てきたことを書いているが、その2~3日後には森友関係の公文書が偽造された疑いが急浮上して、「働き方」のほうはどうったのか大混乱の様相で、きょうはまた国税庁長官の佐川が辞任するとのことで、安倍政権はまたしても「トカゲの尻尾切り」で逃げ切る算段のようですが、野党は同じ過ちを繰り返すことなく、今回は例え辞任して一般人になっても佐川と昭恵は国会に証人喚問して、森友問題を徹底究明するべきと思います。
2018年03月09日
人口が減少し「ものづくり」の力も衰退する日本は、この先どうしたらいいのか、思想家で神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は3日の東京新聞に次のように書いている; 日本人固有の思考や行動は、その辺境性によって説明できるという『日本辺境論』を、10年近く前に書きました。歴史的にみると、日本は中華帝国の東の辺境でした。しかし、漢民族は「華夷秩序」を守っている限り、日本列島を実効支配しようとはしなかった。今の日本は米国の東の辺境にありますが、この大国は属国に軍を常駐させ、市場をこじ開け、不平等条約を強要している。韓国やフィリピンも米国の同盟国ですが、基地問題や地位協定では要求すべきものは要求し、米国の譲歩を引き出しています。何の抵抗もせず従属一筋なのは日本だけです。 いま日本で起きている社会問題の大半は、国があらわに衰退局面にあることから来ています。人口は減少し、政治家はビジョンを提示できず、「ものづくり」の力も衰退し、学術的発信力は先進国最低レベルにまで劣化しています。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という松浦静山(江戸時代後期の平戸藩主)の言葉のように、敗北には原因があります。だから、敗退局面でこそ慌てず、騒がず、衆知を集めて、被害を最小化するための「後退戦」の適切な方策を講じなければならない。まずは過去四半世紀の失敗を認め、原因を分析し、次の手だてを考える。 ところが日本人はその切り替えができない。敗退局面で「どうやって被害を最小化するかと考える人間は「敗北主義者」と呼ばれ、「おまえたちの悲観論が敗北を呼び込むのだ」と激しく攻撃される。だから、この期に及んでなお五輪とか万博とかカジノとかリニア新幹線とかいう「起死回生の大博打」で劣勢を回復しようとする底の抜けた楽観論が幅を利かせる。大日本帝国戦争指導部の戦争末期の思考停止と驚くほど似ています。 国力が頂点を過ぎたとはいえ、日本の持つ資源は世界有数の厚みと深みを持つものです。それをどう使い延ばして、全国民が幸福に暮らせるかを考えるのがなすべき第一のことです。国際関係では、地政学的利害を共にする韓国、台湾との「合従」的連携を基礎に、中国、米国、ロシアなどの大国の介入に対抗するのが現実的な政策だと私は思っています。人口減と低成長の時代に最適化した社会システムの設計は過去に成功事例がありません。誰も正解を教えてくれない。知力と想像力を挙げて自力で構築するしかありません。(聞き手・出田阿生) うちだ・たつる 1950年、東京都生まれ。神戸女学院大名誉教授。『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など著書多数。近著に『アジア辺境論 これが日本の生きる道』(共著)『街場の天皇論』。2018年3月3日 東京新聞朝刊 4ページ 「考える広場-衰退局面を直視して」から引用 この記事はなかなか鋭い指摘をしていると思います。今さらオリンピックやカジノ、リニア新幹線などで劣勢を挽回しようという発想は、まるで太平洋戦争末期の戦争指導部の思考停止状態だと言われると、なるほどそうかと思います。リニア新幹線の「技術」も中国やアメリカのような広大な面積を有する国に輸出する価値はあると思いますが、この狭い日本の地下に穴を掘ってまで建設する意味があるのかどうか、考えるべきと思います。
2018年03月08日
慰安婦問題に関する朝日新聞の記事が日本人の名誉を傷つけたなどと主張する複数の馬鹿げた裁判では、ことごとく原告側が敗訴する結果になったが、ことの顛末について朝日新聞編集委員の北野隆一氏が、2月23日の「週刊金曜日」に次のように報告してる; 慰安婦問題に関する『朝日新聞』の誤報で「日本人の名誉が傷つけられた」などとして、国内外に住む62人が朝日新聞社に謝罪広告掲載などを求めた訴訟の判決が2月8日、東京高裁で言い渡され、原告側の控訴が棄却された。慰安婦報道をめぐっては3グループが朝日新聞社を相手取って集団訴訟を起こし、判決や最高裁決定が今回を含め計8回出たが、すぺて原告側請求が退けられている。 訴訟のきっかけは2014年8月5日と6日、『朝日新聞』が慰安婦問題で吉田清治氏による「済州島で朝鮮人女性を狩り出した」との証言(吉田証言)を「虚偽」と判断し、記事を取り消すとの検証特集を掲載したことだった。 10月25日には東京で「『朝日新聞を糺す国民会議』結成国民大集会」が開かれ、主催者発表で1300人が参加。「日本文化チャンネル桜」の水島総・社長が事務局長を務める「朝日新聞を糺す国民会議」が呼びかけ、翌15年1月26日、第一の集団訴訟が東京地裁に提訴された。朝日新聞社を相手取り、一人1万円の慰謝料や謝罪広告を求めた。 一審原告は渡部昇一・上智大名誉教授(のちに死去)や小堀桂一郎・東大名誉教授、西尾幹二・電気通信大名誉教授、藤岡信勝・拓殖大客員教授、作曲家・すぎやまこういち氏、外交評論家・加瀬英明氏ら。計2万5722人になった。訴状で「朝日新聞の一連の虚報により日本国及び日本国民の国際的評価は著しく低下し、原告らの国民的人格権・名誉権は著しく毀損せしめられた」と主張した。 16年7月28日の判決で東京地裁の脇博人裁判長は原告らの請求を棄却。「報道・論評の客体は当時の旧日本軍、大日本帝国や日本政府。原告ら特定の個々人が対象ではない」と判示した。原告らの「国民的人格権や名誉権を侵害された」との主張について判決は「旧日本軍の行為について誤った報道がされ、大日本帝国や日本政府への批判的評価が生じても、個々人の人格権侵害と解するには飛躍がある」と否定した。 原告側は控訴。控訴人を56人に絞り込んだ。東京高裁の村田渉裁判長は17年9月29日の判決で控訴を棄却。記事について「旧日本軍の行為や政府の対応を指摘する内容。原告を対象とした記事とはいえず、名誉を侵害したとはいえない」と判示した。上告はなく、判決は10月に確定した。◆「新聞社の自律的判断」 第二の集団訴訟は15年2月9日、「朝日新聞を正す会」の呼びかけで提訴された。『朝日新聞』読者を含むという482人が一人1万円の損害賠償を求め、「吉田証言の信憑性に疑義が生じたのに、その旨を報道せず、原告らの『知る権利』が侵害された」と訴えた。 東京地裁の北沢純一裁判長は16年9月16日の判決で請求を棄却した。「我が国には多数の報道機関が存在し、様々な情報を様々な手段で入手可能。いかなる情報を信頼するかは受け手側の自律的判断」と述べ、「記事は特定の人の名誉やプライバシーを侵害していない」として訴えを退けた。 238人が控訴したが、東京高裁の野山宏裁判長は17年3月1日の判決で控訴を棄却。「記事への疑義を速やかに検証し報道することは、報道機関の倫理規範となり得るが、これを怠ると読者や一般国民に対して違法行為になるというには無理がある」と述べた。28人が上告したが、最高裁は17年10月24日に退け、判決が確定した。 「正す会」はほぼ同内容の訴状で16年8月19日、150人を集めて甲府地裁にも提訴した。峯俊之裁判長は17年11月7日の判決で請求を棄却。「新聞社には報道の自由が保障され、報道内容は新聞社の自律的判断に委ねられている。疑いが生じたことを報じることは読者や一般国民への法的義務とはいえず、報道されないことで法律上の利益が侵害されたとは言えない」と判示した。原告側は控訴せず、判決が確定した。◆影響の具体的特定は困難 第三の訴訟は15年2月18日に提訴。米国や日本など国内外在住の2557人が原告となった。今年2月8日に出たのはこの裁判の控訴審判決だ。 訴状で原告らは「朝日新聞の誤報により誤った事実と見解が世界に広まり、国連における勧告や米下院決議、慰安婦の碑・像となって定着し、多くの日本人・日系人が名誉信用の法益侵害を蒙った」と主張。米カリフォルニア州グレンデール市近郊在住の原告が、市内の公園に慰安婦像が建立される際に反対したところ、公聴会で侮辱されたなどと訴えた。原告は「朝日・グレンデール訴訟」と称している。 提訴翌日の2月19日には、中西輝政・京大名誉教授が委員長を務める「独立検証委員会」が『朝日』の慰安婦報道を独自に検証する報告書を発表。拉致被害者支援団体「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」会長の西岡力・麗沢大客員教授や日本会議政策委員の高橋史朗・明星大特別教授か委員として執筆した。 原告らはこの報告書を法廷で援用し、『朝日新聞』の慰安婦報道が国際的に影響を及ぼしたと主張した。原告支援団体代表には日本会議政策委員の百地章・国士舘大特任教授か就き、日本会議の椛島有三・事務総長や百地氏、高橋氏ら日本会議関係者が毎回のように法廷へ傍聴に訪れた。 東京地裁は17年4月27日の判決で原告らの請求を棄却した。佐久間健吉裁判長は「記事が国際社会における慰安婦問題の認識や見解に何ら事実上の影響も与えなかったということはできない」としつつ「国際社会も多元的で、慰安婦問題の認識や見解は多様に存在する。いかなる要因がどの程度影響をおよぼしたかの具体的特定は極めて困難」と判示。「在米の原告が受けた嫌がらせなどの被害についての責任が記事掲載の結果とは評価できない」として原告らの主張を退けた。 原告らは、慰安婦問題をめぐり1996年に国連に提出された「クマラスワミ報告」や、2007年に米下院が日本に謝罪を求めた決議などにも「朝日新聞」による吉田証言などの報道が影響した、とも主張した。これに対し判決は「クマラスワミ報告での慰安婦強制連行にかかる記述は吉田証言が唯一の証拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠。クマラスワミ氏白身、『朝日新聞が吉田証言記事を取り消したとしても報告を修正する必要はない』との考えを示している」「米下院決議の説明資料には吉田氏の著書は用いられていない」と述べた。 原告らは、『朝日』の慰安婦報道の影響で慰安婦の「強制連行」説や20万人いたとする説、性奴隷説や挺身隊との混同が韓国に広まった-とも主張。 判決は「韓国において『慰安婦の強制連行』は1946年から報じられていた。45年から60年代前半まで『挺身隊の名のもとに連行されて慰安婦にされた』と報道されていた」と判示。『朝日』が報じる前から、韓国社会に慰安婦問題についての報道があったことを認定した。 62人が控訴。東京高裁の阿部潤裁判長は今年2月8日の判決で控訴を棄却した。吉田証言について「国際世論にどう影響を及ぼしたかについては原告らと異なる見方がある」と述べて地裁判決を支持し、「記事が20万人・強制連行・性奴隷説の風聞形成に主要な役割を果たしたと認めるには十分ではない」と認定。「記事と原告らの被害との問の相当因果関係を認めることはできない」として、原告側の主張を退けた。※本稿での慰安婦の表記は、筆者の意向に沿いました。きたの りゅういち・「朝日新聞」報道局編集委員。最近の共著に『祈りの旅 天皇皇后、被災地への想い』(朝日新聞出版)。2018年2月23日 「週刊金曜日」 1173号 38ページ「『朝日新聞』への集団訴訟3件、原告側が8回とも敗訴」から引用 朝日新聞が吉田証言報道を取り消す記事を発表した2014年には、安倍首相が与党議員の質問に応えるような格好で「朝日新聞の捏造記事のせいで慰安婦問題について間違った情報が世界中に伝えられて日本人の名誉が傷ついた」というような発言をしたことがありましたが、一国の首相が公の場であのような間違った発言をするから、右翼がその気になって上の記事が示すような馬鹿げた裁判が始まったものと推定されます。しかし、今回の裁判所は右翼の偏ったものの見方に対し、それは間違いであると明確な根拠のもとにしっかりした裁定を下したのは、世の中の右傾化を少しでも修正する効果が期待できるのではないかと思います。
2018年03月07日
一国の首相という立場にありながら特定の報道機関を非難攻撃する安倍首相を、弁護士の白神優理子氏が2月25日の「しんぶん赤旗」で、次のように批判してる; 安倍晋三首相が国会内外で、「朝日」の森友学園疑惑の報道に異様な批判を繰り返しています。 首相が批判するのは、「朝日」(昨年5月9日付)の記事です。森友学園の龍池泰典・前理事長が近畿財務局に国有地取得の要望書を出した際、添付した設置趣意書に「安倍晋三記念小学校」の名称を書いていたと証言した、と報じました。しかし昨年11月、実際には「開成小学校」と書かれていたことが判明し、「朝日」も伝えました。 もともと財務省が設置趣意書を大部分黒塗りで開示したため、「朝日」は龍池前理事長に確認したというのが経過です。「安倍晋三記念小学校」の名前は、寄付金集めや行政との交渉では実際に使われていました。 しかし首相は、国会で森友問題を追及されると、質問されてもいないのに、「朝日」記事を持ち出し、「真っ赤なウソ」(1月29日)「ウラ取りをしない」(2月5日)と攻撃。「朝日」(6日付)がこの報道について検証記事を出すと、「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳」とフェイスブックで嘲笑。メディアでも「ゴーマン答弁が止まらない」(週刊文春22日号)とあきれられるありさまです。 そもそも森友学園疑惑は、首相の妻・昭恵氏が「名誉校長」(その後辞任)を務めていた小学校建設のため、財務省が国有地を格安で払い下げたのではという、国政私物化の重大疑惑です。 「朝日」(20日付)の世論調査でも、昭恵氏が国会で説明する「必要がある」は57%にのぼります。 「毎日」21日付が、「都合のよい事実を切り取って自身への批判をすり替えている」との識者の声を紹介したように、疑惑逃れの意図が見えます。 国権の最高機関の国会で最高権力者が疑惑追及をそらすため、一方的に特定の報道・言論を繰り返しバッシングするのはあまりにも異常。自由な言論を脅かすもので、民主主義への挑戦です。(しらが・ゆりこ=弁護士)2018年2月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-首相『朝日』攻撃の異常」から引用 この記事にもあるように、元々は政府が開示した資料に黒塗りの部分があって、その部分を籠池氏に確認したところ、あいまいな記憶で「安倍晋三記念小学校」と言われてそのまま記事にして、後日それが記憶違いだったことが判明して訂正報道もしているのですから、今になってこさら「ウソを報道した」などと言われる筋合いではありません。にも関わらず何故、安倍氏が執拗に朝日批判をしたかと言えば、それは安倍氏得意の「印象操作」で森友疑惑に終止符を打つつもりだったのではないかと思います。ところがその目論見が完全に裏目に出て、森友問題に関連して国会に提出した公文書が「改ざん」された疑いが急浮上する事態になってしまいました。すべては安倍氏の「身から出た錆」ですから、疑惑まみれの怪しげな内閣は総辞職して、国政を刷新するべきと思います。
2018年03月06日
右翼が朝鮮総連の建物に拳銃を撃ち込んだ事件に関連して、法政大学教授の山口二郎氏は2月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 先日、赤報隊事件を発掘するNHKスペシャルを見た。一つ気になったのは、反日という言葉である。これは昔、極左過激派が自称していた。日本の問題点を批判する自由な言論に対してこの言葉を当てはめたのは、赤報隊が初めだった。そして、あの事件から30年たって、小学館の雑誌や産経新聞も右派の政治家も頻繁に使うようになった。 今、反日という言葉を使う人々は、赤報隊と同じく、日本を批判する者には暴力を振るってもよいと考えているのだろうか。もちろん、そんなことはないだろう。しかし、反日征伐の名のもとに暴力を振るっている者にはっきりした非難をあげないなら、暴力を黙認していることになる。 朝鮮総連の建物に右翼活動家が銃撃を加え、逮捕された。犯人は韓国・朝鮮人に対するヘイトデモでも活発に行動し、その世界では有名だった。この種の活動家の大半は自民党と安倍政権を支持している。安倍首相は、暴力を肯定するヘイト運動をどう思っているのか。自由と民主主義を擁護する政治家として名誉を保ちたいなら、暴力と差別を断固否定する具体的な発言をすべきである。「大阪には北朝鮮の工作員が大勢いる」と発言した「国際政治学者」が産経新聞から賞をもらった時にエールを送っているのを見ると、そんな覚悟があるとは思えないが。(法政大教授)2018年2月25日 東京新聞朝刊 11版 29ページ 「本音のコラム-反日狩りの時代」から引用 暴力団同士の抗争と違って、在特会が朝鮮総連の建物に銃撃を加えたというのは、人種差別を目的にした特異な犯罪ですから、犯人を逮捕したらそれで終わりというのではなく、人権蹂躙は許されないということを政府ははっきりと声明するべきです。そのように国民に注意を喚起しないと、朝鮮総連だから銃撃されても仕方ないだろうという雰囲気が産まれかねない、それが私たちの社会の実態だと思います。
2018年03月05日
アメリカの社会心理学者、ジョナサン・ハイトが唱える道徳基盤理論について、評論家で専修大学教授の武田徹氏は2月26日の読売新聞コラムに次のように書いている; 人間は舌で感じた味の5要素、つまり甘味、酸味、塩味、苦味、うま味を脳で総合して味を判断する。 同じように私たちは道徳の基盤となる要素を感じ取り、それを元に道徳的判断をしているのではないか。そんな仮説を立てるのが道徳心理学者ジョナサン・ハイトの唱える道徳基盤理論だ。 ハイトが示す道徳の基盤要素は6つ。すなわち(1)弱者は守られるべき(「ケア」と略す。以下同様)、(2)公平・平等が大事(公正)、(3)所属集団を裏切らない(忠誠)、(4)伝統や権威に従うべき(権威)、(5)宗教的に潔癖であれ(神聖)、(6)抑圧を憎む(自由)だ。 著書『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(紀伊国屋書店)でハイトはこうした道徳基盤への感受性次第で政治的志向にいかなる相違が生じるか調べた。すると米国の共和党支持の保守層は6つの基盤の全てを偏りなく重視するが、民主党支持のリベラル層は「ケア」を重視し、「忠誠」や「権威」を軽視する偏りが認められたという。 日本ではどうか。『中央公論』1月号「あいまいな日本のリベラル」特集内の論文「『ネット世論』で保守に叩かれる理由」で木村忠正・立教大教授も道徳基盤理論を踏まえた調査を試みた。それによれば日本でも保守は依拠する道徳基盤に偏りが少なく、リベラルは「権威」への服従や帰属集団への「忠誠」を嫌う、米国と同じ傾向がうかがえたという。 日本の場合、そこに世代的な偏りが重なる点が特徴的だ。「権威」への服従や帰属集団への「忠誠」を嫌う傾向は第2次世界大戦の惨禍を経験した世代ほど強く、世代を下るにつれ弱まって保守回帰が進む。 たとえば自国の歴史や与党現政権には厳しいが、弱者少数者に優しいダブルスタンダードを非難するコメントが日本のネット上では多く書かれる。それはデジタルネイティブ世代の若者が得意のPCやスマホを駆使して年長リベラル世代の道徳的な偏りを告発していると考えれば整合的に説明できる。 広く共感を得るうえでは複数の道徳基盤を偏りなく踏まえる保守が有利だ。にもかかわらず米国のリベラルはあえて「ケア」重視の構えを取り、二大政党制を確立してオバマのような大統領を誕生させるまで社会に定着した。日本ではリベラルの構えが第2次世界大戦の歴史的経験と強く紐づけられているので、時とともに弱体化が避けられない。もしリベラルの水脈を守りたければ特定の歴史的事実を超えて自らの道徳観の普遍性を伝え、説得してゆく必要がある。 こうして道徳基盤理論は保守の強さとリベラルの課題を共に浮き彫りにするのだ。(評論家・専修大教授)2018年2月26日 読売新聞朝刊 12版 11ページ「論壇キーワード-【道徳基盤理論】政治的志向示す6要素」から引用 この記事は大変興味深く思います。何もしないで放置すれば、若者が何故右傾化するのか、この記事は説得力があると思います。明治維新から150年の間に、我々日本人は権威に弱く、所属集団への忠誠心が異様に強い、そのために国が滅ぶところまで行き着いてしまったという苦い経験をしましたので、これからはより一層「忠誠」や「権威」に注意を払い、バランスのとれた民主主義を発展させていきたいものです。
2018年03月04日
現職自衛官が戦争法の違憲性を訴えた裁判の二審が一審の決定を覆し審理を地裁に差し戻した事件について、憲法学者で日本体育大学教授の清水雅彦氏は2月9日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 現職自衛官が、戦争法(安全保障関連法)の「存立危機事態」(解説参照)による防衛出動命令を違憲とし、命令に従う義務がないとの確認を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(杉原則彦裁判長)は1月31日、控訴人の自衛官に「防衛出動命令が発令される具体的・現実的可能性」がなく、訴えは確認の利益がないとした一審判決を取り消し、審理を地裁に差し戻しました。 判決では、控訴人には戦争法の一つとして改正された自衛隊法76条1項2号による「防衛出動命令に基づく本件職務命令が発令される具体的かつ現実的な可能性がある」との観点から、一審と正反対の判断が示されています。しかし、この東京高裁判決には評価すべき点と、冷静に見るべき点がそれぞれあるように思います。 まず、評価すべき点は行政訴訟ではこれまで国側勝訴判決が大変多かったなか、控訴人の主張を認めたこと。これは画期的でしょう。しかも行政訴訟では、裁判所が簡単に門前払いする例が多いのですが、今回の判決では確認の利益等の要件を判断し、門前払いにしなかったのは注目されるべきです。◆「訴えの利益はある」 しかも、判決では「全ての現職の自衛官は、(控訴人のように)後方業務を担う部隊等に所属するものを含めて、いずれも本件職務命令の対象となる可能性が非常に高いというべきである」とし、自衛隊員に「戦争法は人ごとの法律ではないんだ」と注意を喚起しています。このように訴えの利益を認めたということは、一審に戻ったら戦争法の中身について議論していく必要性が出てくるのではないかと思います。 次に、冷静に見るべき点としては、一審は戦争法の違憲性についての憲法判断を避け、形式論で「訴えは確認の利益がない」と退けています。二審でもやはり憲法判断を避けていますが、差し戻しの後にどういう議論になるのかまだわかりません。ですから現時点では、高裁判決の評価は慎重であるべきでしょう。 ただ、今回の高裁判決では、戦争法の危険性を臭わせているともとれます。しかも今回、自衛官の訴えの利益が認められたのだから、差し戻し審において中身の戦争法の議論になっていく可能性があります。 そこで考えられるのは、(1)自衛官の主張を認めて、戦争法の一つとして改正された自衛隊法自体が違憲だから、防衛出動命令に従う義務はないと判断する(2)訴えの利益は認めるが、国家機関の行為のうち極めて高度の政治性を有するものについては審査の対象とならないとする「統治行為論」で逃げ、憲法判断を回避する(3)正面から戦争法は合憲と判断し、したがって自衛官は防衛出動命令に従う義務があると判断する-の3つでしょう。一番怖いのは(3)ですが、無論、現時点ではどこまで裁判所が踏み込んで判断するか、予想がつきません。◆改めて戦争法を問え いずれにせよ差し戻し審では、改めて戦争法の違憲性を問う運動が広がる機会にもなるでしょう。すでに全国ではこれまで、戦争法の違憲訴訟が21の地裁で起こされ、24の裁判が進行中でまだ判決は出ていません。今回の裁判については、この自衛官の方がどう考えるかという問題がありますが、全国の違憲訴訟の弁護団と連携すれば、強力な支援体制ができるのではないか。 しかもこうした違憲訴訟では、原告は当事者というより戦争法が直接対象としない市民の方々で、裁判所にとっては門前払いしやすい対象です。しかしこちらは現職の自衛官で、直接の当事者ですから、国側か正面から向き合わなければならない裁判になる可能性があり、これからが注目されます。そしてそのことが、政府に対して何らかの歯止め、制約を課すことにもなると考えられます。 これまで国民審査で罷免された最高裁裁判官が一人もいないように、国民も一般に司法については無関心になりがちですが、今回は憲法に密接に関わる裁判になります。多くの人々がこの裁判に注目していただきたいと思います。(談)聞き手・まとめ/成澤宗男(編集部)しみず まさひこ・日本体育大学教授(憲法学)。2018年2月9日 「週刊金曜日」 1171号 10ページ「自衛官の『予防訴訟』を認めた東京高裁」から引用 本件裁判では、政府は裁判所に「現在の国際情勢から判断して今すぐ安全保障関連法を適用して自衛隊に防衛出動を命令する可能性はほとんど無いから、当該自衛官には訴えの利益がない」というような内容の正式書面を提出しております。その一方で、政府は各地方自治体に指示を出してJアラートの避難訓練などを実施しており、このような政府の態度を立憲民主党の枝野代表は「二枚舌」だと批判しました。もし本当に国が自衛隊に集団的自衛権行使を伴う防衛出動を命令する必要姓を感じていれば、国は裁判所に見え透いたウソの書面を提出するわけがありませんから、ここはやはり、Jアラートの避難訓練のほうが「やらせ」であろうと思われます。いずれにしても、自衛隊員が安全保障関連法に基づく防衛出動命令に従う義務を負うのか否か、法廷で十分に審理をつくしてほしいと思います。
2018年03月03日
現職の自衛官が起こした憲法違反の安保法制には従う義務がないことを確認する裁判で、門前払いだった一審判決を高裁が覆したと2月1日の毎日新聞が報道した; 安全保障関連法に基づく防衛出動命令は憲法9条などに反するとして、現役陸上自衛官の男性が国を相手に命令に従う義務がないことの確認を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は31日、原告に訴えの利益がないとして却下した1審・東京地裁判決(昨年3月)を取り消し、審理を東京地裁に差し戻した。杉原則彦裁判長は「出動命令に従わない場合、刑事罰や懲戒処分を受ける可能性があり、訴えの利益はある」などと述べた。【近松仁太郎】 安保関連法を巡って現役自衛官の「訴えの利益」を認め、裁判で争えるとした判断は初めてとみられる。 関東の補給部門に所属する原告男性は2016年、「入隊時、集団的自衛権の行使となる命令に従うことに同意していない。命令に従うと、生命に重大な損害が生じるおそれがある」として提訴した。 これに対し、地裁判決は「原告に出動命令が発令される具体的・現実的な可能性があるとは言えず、命令に従わないで刑事罰を科されるなどの不安は抽象的なものにとどまる」として、裁判で争えないと判断した。 高裁判決は「原告が命令に従わない場合、重大な刑事罰や免職などの懲戒処分を受けることが容易に想定できる」と指摘。懲戒処分を受けた後の取り消し請求訴訟など他の手段での救済は困難として、1審を覆した。防衛省は「内容を精査し、適切に対応していく」とのコメントを出した。◆形式的門前払い認めず 安全保障関連法を巡っては、市民らが憲法9条などに反するとして精神的慰謝料を求める国家賠償や自衛隊出動の差し止めを求めた訴訟が相次いでいる。弁護士らでつくる「安保法制違憲訴訟の会」によると、安保関連法に関する集団訴訟は1月24日時点で全国21地裁に計24件起こされており、原告総数は7152人に上る。 これらの訴訟でも、国側は「原告は法律上、訴えの利益がないので裁判を争うことはできない」と「門前払い」を求める主張をしている。現役自衛官が防衛出動命令に従わないことの確認を求めた訴訟は、今回高裁判決が出た1件だけだが、この判決が他の訴訟に影響する可能性もある。 独協大の右崎(うさき)正博・名誉教授(憲法学)は「今回の判決は、単なる形式的な法律論による門前払いは認めないと明確にメッセージを発した。裁判の場で中身の議論をきちんと進める展望が開けたと言えるのではないか」と話している。2018年2月1日 毎日新聞朝刊 14版 30ページ 「自衛官に『訴えの利益』」から引用 70年代には現職自衛官が職場に「戦争反対」のビラを貼って処分されるという事件があったが、今回は戦争法が憲法違反であることを裁判所に認めさせるために立ち上がったもので、勇気ある行動と思います。元々の事の起こりは、政府が勝手に憲法解釈をねじ曲げても国民は黙って手をこまねいているしかないというわが国の法政の欠陥であり、本来であれば国会が可決した法律が合憲であるかどうかを逐一審査する憲法裁判所があれば、こういう回りくどい手段を執らなくても済むものと思います。
2018年03月02日
新しい時代の到来を告げるかのようなソウル市の行政改革について、弁護士の宇都宮健児氏は2月16日の「週刊金曜日」に、次のように書いている;「自己責任が声高に叫ばれる時代に終止符を打ち、共同体を回復させて社会的連帯と友情の時代を切り拓いてまいります」 「かつて、ソウルは人間ではなく土建に投資をしていたこともありました。かつて、ソウルは福祉を浪費とみなしていたこともありました。しかし、2011年を境に、ソウル市民はそれとは異なる道を選びました」 「私は都市を優先して人をないがしろにしていた『失われた10年』に終止符を打ち、人のために存在する都市をつくることを皆様にお約束いたしました。まず、『市民の暮らしを変える最初の市長』になると、お約束いたしました」 「この6年間、ソウルは市民の暮らしに投資してきました。この6年間、ソウルは、人という財産に投資してきました。この6年間、ソウルは債務を半分に減らし、福祉予算を2倍に増やしました。普遍的福祉の時代が始まり、必要とする人のもとへこちらから訪ねていく福祉制度へと、パラダイムシフトを成し遂げました」 「ソウル市がこの6年間、孤独に戦って始めた変化は、今では新しい政府とともにつくっていく巨大なものとなりました。ソウルの政策は、いまや新しい政府の政策です」 「新年も『市民の暮らしを変える幸せな旅路』の一歩を踏み出し、ともに歩んでいきましょう」 これは、隣国韓国の首都ソウル市の朴元淳(パクウォンスン)市長の「2018新年の挨拶」からの抜粋である。 わが国にこのような新年の挨拶ができる首相や知事、市長がいるだろうか。 朴市長は2011年10月に行なわれたソウル市長選挙で勝利し、以後6年間余、ソウル市長を務め、さまざまな改革を行なってきている。 無償給食の実施、ソウル市立大学の授業料の半額化、ソウル市で働く非正規労働者約8800人の正規化、出前型福祉ともいうべき「チャットン」と呼ばれる福祉制度の創設、就職活動をしている青年に毎月5万円を半年間支給する「青年手当」の創設、市民が予算の使い方を提案し、市民の代表が予算の使い方を決定する市民参与予算制度の創設、市民団体の活動を支援する「ソウル革新パーク」の取り組みなどなど、数えあげたらきりがない。 朴槿恵政権を倒した「ろうそく市民革命」の中でも、ソウル市は重要な役割を果たしている。 それまでは警察が放水をしてデモ隊を鎮圧してきたが、ろうそく市民革命の際はソウル市が水の供給をストップしたので、警察は放水車を使うことができなかった。 また、ソウル市は多数のトイレを確保して集会に参加した市民に開放したり、市民が集会終了後安心して自宅に帰れるよう地下鉄の終電の時刻を遅くした。さらに、集会終了後ソウル市の職員や清掃車両を動員して広場や道路の清掃も行なっている。 このようなことが日本の自治体、たとえば東京都で考えられるだろうか。 ソウルでできた改革は、東京でもできるはずだと私は確信している。。2018年2月16日 「週刊金曜日」 1172号 47ページ 「ソウル市の改革に学べ」から引用 韓国の朴槿恵政権の腐敗を許さない韓国市民の闘いは素晴らしいと思いました。連日の抗議デモの様子をテレビで見ましたが、あの闘いの裏では市当局が水道を止めて警官隊のデモ妨害を未然に防いだり、デモ参加者用に市当局がトイレを確保したり集会の後の清掃をしたり、いろいろなサポートがあったとは驚きです。一方の日本でも、似たような「政治の私物化」がまかり通っているのに、抗議に立ち上がる市民はごく少数でメディアも無視するありさまですから、日本の民主主義は韓国に大きく立ち後れたのではないか、との思いは否定できません。
2018年03月01日
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