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裁量労働制を拡大する法改正を説明する上で安倍首相が度々引用してきたデーターが実は捏造だったことがバレた国会審議について、法政大学教授の山口二郎氏は18日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 平昌オリンピックで最も恩恵を受けているのは、安倍晋三首相だろう。日本勢の活躍もあって、テレビのニュースはオリンピック関連の情報に大きな時間を割いている。そうなると、政治の動きに関するニュースはどうしても手薄になる。 オリンピックの陰で、日本の国会ではとんでもないことが次々と起こっている。政府は「働き方改革」の柱として裁量労働制の拡大を内容とする法改正を準備している。 それを正当化するための根拠として、裁量労働制の下で働く人の方が、始業・終業時間を定めた働き方をする人よりも労働時間が短いと安倍首相が述べた。 研究者が不審に思い、野党が国会で追及した結果、そのようなデータは存在しないことが明らかとなり、首相は答弁の撤回に追い込まれた。 オリンピックがなけれはこれは新聞各紙―面に載る大ニュースである。この通常国会の最大目玉法案について、首相が架空の数字を使って売り込みを図ったのである。 朝日新聞の捏造体質はけしからんと国会審議で攻撃を加えた安倍首相は、自分自身の捏造についてどう責任を取るのだろうか。答弁資料を用意した役人が悪いと言い逃れをするのかもしれないが、捏造に踊らされた政治指導者は、悪意はなくても、愚かである。働き方改革については、一度出直すべきである。(法政大教授)2018年2月18日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-まやかしの政治」から引用 ありもしないデーターを例に挙げて、こういうケースもあるのだから野党の主張は一面的だという論法で政府は裁量労働制の拡大の正当性を主張したのであるから、今その「データー」はでっち上げで、実際には存在しないことが明らかになったのであるから、これまでの議論は無かったものとなるのであって、審議は最初からやり直すのが常識というものである。ところが、安倍内閣の場合は、財界に首根っこを押さえられているため、そういう常識的な振る舞いが出来ず、答弁は撤回するがデーターは撤回したわけではなく、現在精査している、などといって議論は中断した状態になっており、このまま無駄に時間が過ぎたら、後は予定通り「強行採決」になるはずだ。要するに、最初から「法案を審議するつもり」はカケラもなくて、テキトーに時間を潰したら「採決」が予定されているわけで、議会制民主主義は既に終わっていると考えるほかない。
2018年02月28日
地質学や岩石学の専門家が沖縄県辺野古沿岸部の海底に存在する活断層の危険性を訴えたことについて、18日の東京新聞は次のように報道した; 沖縄県名護(なご)市辺野古(へのこ)沿岸部の海底に活断層が存在する可能性があるとして米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設の危険性を学者が指摘している。政府は活断層の存在を否定するが、学者は「移設は無謀。直ちにやめるべきだ」と警鐘を鳴らす。 活断層は、過去に繰り返し動いた跡があり、将来も動くと予測される断層。動くと地震を起こす。 辺野古移設に反対する「オール沖縄会議」が14日に開いた討論会。琉球大の加藤祐三名誉教授(岩石学)は、2000年に当時の防衛庁が作成した海底地層断面図で明らかになった50メートル以上の沈下を挙げ「間違いなく活断層だ」と強調した。 加藤氏は、この地点は陸上で確認されている二つの断層の延長線上にあり、地震を繰り返して層のずれが大きくなったとの見解を説明。「燃料タンクや弾薬庫がある基地の直下で地震が起きれば危険だ」と問題視した。 登壇した新潟大の立石雅昭名誉教授(地質学)は、活断層周辺の土地利用を規制する徳島県条例を紹介し、沖縄県でも制定するよう提案した。 政府は答弁書で「文献には辺野古沿岸に活断層の存在を示す記載はなく、存在するとは認識していない。安全性は問題ない」と主張する。ただ、これまで実施したボーリング調査や音波探査の結果は示していない。加藤氏は「安全と言うのなら、国は詳細なデータを公表すべきだ」と訴えた。2018年2月18日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「辺野古海底に活断層」から引用 専門家が活断層の存在とその危険性を指摘しても、政府はそんなものは存在しないと言い、安全性の問題はないと言っているが、しかし、自分で調べたデーターを見せるわけでもなく、ただ「問題はない」と言い張っているだけであるから、これもまた、そのうちに「実は調査の結果はこれだった」と後になってから出てくる可能性は非常に大きいと思います。大惨事になる前に、確認できるデーターが出されればいいと思いますが、どうも安倍政権はやることなすこと一事が万事この調子で、こういう政権がこのまま安泰で長く続くとは到底考えられません。
2018年02月27日
元外務官僚の佐藤優氏は、経済学者の鎌倉孝夫先生との過日の対談について、16日の東京新聞コラムに次のように書いている; 13日、八重洲ブックセンターで行われた出版社「金曜日」主催のトークイベントで久しぶりに鎌倉孝夫先生(83)と率直な意見交換をした。日本社会の現状分析がテーマで、筆者が「現段階の日本資本主義については、国家独占資本主義と見るのが妥当ですか」と尋ねた。国家独占資本主義とは、国家がシステムとしての資本主義を守るために経済過程に介入し、資本に譲歩を迫って福祉政策を行うことを指す。 鎌倉先生は、「国家独占資本主義は、社会主義革命を防ぐことが主な目的だったので、ソ連体制が崩壊した現段階ではあてはまらないと思う。むしろ多国籍資本という形で、個別資本が国家の壁を越えてひたすら利潤を追求する帝国主義、すなわち、レーニンが『帝国主義論』で規定した金融資本主導の資本主義と見るべきだ」と答えた。 アカデミズムでも論壇でも、マルクス経済学はほとんど影響を失っているが、社会の構造をダイナミックにつかむには現在も「資本論」の論理を発展させた存在論的な見方が重要と鎌倉先生と話していて感じた。 今から41年前、埼玉県立浦和高校2年の時に筆者は、当時、埼玉大学助教授たった鎌倉先生が主催する資本論研究会のメンバーに加えてもらった。あのとき「資本論」に触れたことが筆者のその後の人生に大きな影響を与えた。(作家・元外務省主任分析官)2018年2月16日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-日本資本主義の現段階」から引用 安倍政権には資本主義を守るために財界に譲歩を迫って福祉政策を行なうなどという「崇高な」意識は微塵もありません。資本主義を守る気概もなければ財界に譲歩を迫る覚悟もなく、左翼にヤジを飛ばして財界の言いなりになっていれば、それで資本主義が守られるという勘違いをしており、したがって甚だ志の低い政治になっているのは国民にとって大きな不幸と言えるのではないでしょうか。今問題になっている働き方改革法案も、裁量労働制を拡大すればそれによって労働者の権利が剥奪されるだけで、喜ぶのは企業経営者だけ。労働者の生活は益々困窮することになるのは明らかで、安倍政権は財界の利益追求のために国民の命を犠牲にする亡国政権であると言うほかありません。
2018年02月26日
政府が発行した大量の国債を日銀が買い続けると、最後はどうなるか。日本総研上席主任研究員の河村小百合氏は、15日の東京新聞コラムに次のように書いている; 今から72年前、1946年2月16日夕、渋沢敬三蔵相はラジオ放送でこう演説した。手元の円が通用するのは本日限り。翌日から通用するのは預金から新たに引き出し、証紙を貼った新円だけ。引き出せるのは世帯主月300円、それ以外月100円に限る。翌日からの預金封鎖と新円切り替えを突然、通告した。 この預金封鎖、渋沢蔵相は悪性インフレーションを抑えるためと演説したが、実はもう一つの隠れた真の狙いがあった。 敗戦時の国の借金残高の国民所得比は約260%。国債の大半は日銀と預金部(後の資金運用部、今の財政融資資金)が引き受けていた。いずれも今に通ずる状況だ。 敗戦で財政運営は完全に行き詰まり、当時の政権と大蔵省は「取るものは取る、返すものは返す」という道を選んだ。内国債の債務不履行は回避しつつも、それに匹敵する過酷な負担を戦後の焼け野原で疲弊した国民に貧富を問わず、財産税で負わせることを決めた。他に方法はなかった。 それに先立ち、課税資産を預金封鎖で差し押さえ、タンス預金の抜け道も完全にふさぐという荒業に出た。約半年後、財産税課税が断行され、封鎖預金も充当された。 「昭和財政史 終戦から講和まで」が語る財政ファイナンスに手を染めた国の末路だ。昨年からは財務省HPに全巻がアップされている。(日本総研上席主任研究員)2018年2月15日 東京新聞朝刊 11版 29ページ 「本音のコラム-預金封鎖の真の狙い」から引用 「皆さんの手元のお札が使えるのは今日限りです」とは、うまい手を考えたものです。明日以降に流通するお札は明日以降に銀行から下ろす、しかし下ろす上限が決まっているから全部は出せない。そして残った預金に課税する。将来、日本政府がまたしもこの手を使うのか、もっと穏やかな政策があり得るのか、専門家の意見を聞きたいものです。
2018年02月25日
安倍首相が国会答弁で執拗に朝日新聞を攻撃したことについて、15日の東京新聞は次のように報道している; 「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳」とフェイスブック(FB)に書き込み、13日の国会答弁でも朝日新聞批判を展開した安倍首相==写真。いくら自身にかかわる問題だとはいえ、最高権力者の姿勢として品がなく、資質を疑わせる物言いだが、批判の声もまた、あまり大きくならない。一体なぜなのか。(大村歩) 問題の書き込みは、6日の和田政宗参院議員(自民)のFBにされていた。 朝日新聞は昨年5月、森友学園の龍池泰典・前理事長の証言として、同学園が財務省に対し、小学校の設置趣意書に「安倍晋三記念小学校」と書いて提出したと報道。だが同11月、実際には「開成小学校」と書かれていたことが、財務省の開示資料で判明した。 この件について、朝日新聞は6日、事実を認めて検証記事を掲載したが、首相は批判を繰り返している。 13日の衆院予算委で、首相はFBの書き込みは自分がしたとした上、同新聞がサンゴ礁に傷を付けた問題や、福島原発事故の「吉田調書問題」などを並べ立て、今回の問題に「あきれたわけです」と答弁。とはいえ、森友学園問題の焦点は国有地の格安の払い下げにあり、首相の批判は焦点からかけ離れている。 首相の権力は絶大だ。それゆえ抑制的な振る舞いが求められるが、ここまで特定のメディアを目の敵にして、それを公言する首相は過去にいたのだろうか。 政治評論家の森田実氏は「前代未聞ですよ」と目をむく。「歴代首相はみなメディアに批判された。田中角栄もぼろくそに言われたけど、権力者というのはそういうものだ、有名税だからと割り切っていた。その点では安倍首相の祖父の岸信介も、佐藤栄作もそう。それが首相というものだ」 森田氏は安倍首相を「お子さま総理」と評する。やじや自らへの批判を異常に気にして、子どもっぽく他者を攻撃する。「長期政権化したことで、その性質がはっきりしてきた。傲慢やおごりが背景にあり、メディアの向こうに国民がいることを忘れている」 ただ、そんな常識外れの首相なら、国民から「おかしい」の大合唱が上がってもいいはずだが、現実にはそうはなっていない。内閣支持率も依然、高い。 駒沢大の山崎望教授(政治理論)は「これまで政府とメディア、あるいは政府と国民の間には緊張感のあるタテの関係があった。しかしいまやタテではなく、安倍首相とそれに同調する人々と、そうではない人々がヨコの関係にあり、首相側の人々はヨコにいる人々を共存不可能で妥協すべきでない敵、異物と考えている。あたかも内戦のような状態だ」と指摘する。 山崎教授によれば、首相の書き込みや国会での朝日新聞批判は言論の萎縮や弾圧につながりかねない。だから深刻な問題なのだが、首相の同調者層はそうした批判を「敵による攻撃」としかみなさないという。 どうして、そうした心性に陥るのか。山崎教授は国家が国民を保護できず、自己責任という価値観が浸透した結果、「自分だけは国に見捨てられたくない」という心理が強まっているとみる。「自分だけは」という感情は「他者を排除したい」「見下したい」という感情に横滑りしがちだ。 一方、会員制交流サイト(SNS)の登場で為政者と対等だと勘違いしたり、一体感を持ちやすくなった人々が、タテ関係を忘れて「統治者目線の被統治者」になったと解説する。 山崎教授は「自分で自分の首を絞めている人がたくさんいるのに、気づけていないのではないか。敵にされるのは次は自分かもしれないのに」と懸念した。2018年2月15日 東京新聞朝刊 11版 28ページ「敵か味方か 国民分断」から引用 この記事は安倍晋三という政治家が一国の首相に相応しい人物かという問題を提起しているが、メディアがこのような問題提起をするべき事象は過去に何度も起きており、ここに来てようやく東京新聞が取り上げたのであるが、あまりにも遅かったと思います。初めから逐一取り上げて問題にしていれば、だいたい3年目くらいで「やっぱり、こういう人はそろそろ引き取っていただいたほうがいいのでは・・・」という声も出てきたはずですが、引き取っていただくのが今から3年後では、少し遅すぎるような気がします。
2018年02月24日

文芸評論家の斎藤美奈子氏が筑摩書房から出した「学校が教えない本当の政治の話」(ちくまプライマリー新書)では、国家権力と国民の権利について、次のように説明している;◆国と住民の対立はよく起こる 成田、諌早湾、辺野古と、3つの例を見ましたが、大型公共事業にともなう国と住民の対立は、どんな場所でも大なり小なり起こります。ゴミ処理場、葬儀場、県道など、相手が地方自治体の場合でも、構図は同じです。 もちろん、ひとつひとつケースはちがっているので、一概にどちらの言い分か正しいとはいえません。また、こうした住民運動は、個別の案件についての争いですから、反対運動に参加している人はみんな反体制派である、ともいえません(国の対応があまりにひどいと、反体制派になっちゃう人もいますけど)。 では、ここであらためで質問です。 大型公共事業と住民運動の対立を目にしたとき、あなたはどちらにつくか。国側と住民側のどちらに肩入れしたくなりますか。 なんかよくわかんねーし、自分には関係ねーし、どっちでもいいや、って? ダメです。どっちでもいいは許されません。何度もいいますが、政治に「中立」はないのです。どちらかに決めてください。 よろしいですか。では、診断です。 どちらかといえば国側を支持するという人は「全体の利益のためには、ある程度個人が犠牲になるのは仕方がない」という考え方ですから、「国益優先派」。住民側を支持するという人は「いくら全休にとって有益な事業でも、個人の生活を犠牲にしたらダメだろ」という考え方ですから、「人権優先派」です。 そして、もうすこし強めの表現を使いますと、「国益優先派」と「人権優先派」には、すでにちゃんとした名前もついているのです。 国益優先派は「全体主義」。人権優先派は「個人主義」です。 とかいうと、「ちがう」といわれるかもしれません。でも、これはほんとの話。辞書を引いてみてください。全体主義と個人主義は「反対語」として載っていますから。◆国益優先は全体主義、人権優先は個人主義 「個人主義」というと、自分の利益だけを追求する利己主義者、みたいですが、それはまちがい。「個人主義」と「利己主義」は別ものです。 個人主義とは、ヨーロッパのルネサンスや宗教改革の時代(6世紀ですから、ずいぶん古い話です)に意識されるようになり、近代市民社会の根幹となった思想。個人の自由と権利がいちばん大事だ!という考え方です。 一方、「全体主義」は、「個人の自由や権利? そんなものは後回しだよ、後回し」という考え方です。個人個人の暮らしより、国家とか民族とかの「全体」の利益を優先させるので「全体」主義と呼ぶのです。 国家とは何かということについても、個人主義者と全体主義者の考えはちがいます。 個人主義者はいいます。国よりも民族よりも、大切なのは個人の自由と権利なんだよ。国家は個人を幸福にするためにあるんだよ。 全休主義者はいいます。バ力だな。国家のおかけで国民があるんだろ。そんなに国家が嫌いなら、国を出ていきゃいいじゃないか。国籍なしで暮らせるのかよ。 さて、あなたはどちらの考え方に近いでしょう。 と、いちおう質問してみましたが、この問いの答えはほんとはとっくに出ています。国家と個人のどちらが大切かという問いの答えも、だから決まっているのです。 国益より人権のほうが上。国家より個人のほうが大切。 これが近代国家の原則であり、国際社会の常識なのです。 では、「全体主義」とは何だったのかというと、戦時中の日本、ヒトラー政権下のナチスドイツ、ムッソリーニ政権下のイタリア、スターリン政権下の旧ソ連などがこれに該当します。つまり、全体主義は化石みたいな思想なのです。 ですので「やっぱ、国があっての国民じやん? 国民は国に従うべきじやねーの?」なんていうことをいう人がいたら、あきれてもいいのです。斎藤美奈子著「学校が教えないほんとうの政治の話」(筑摩書房 ちくまプライマリー新書)の132~135ページを引用 日本人が国民主権の憲法の下で暮らすようになって72年も経つのに、未だに「国家のおかげで国民がある」などと言う人がいるというのは、民主主義の普及という事業の困難さを表しているのかも知れません。しかも、国民の一部に全体主義の呪縛から解放されていない人たちがいるという程度ならまだしも、そういう人たちが与党の主流派になって「国民の権利を法律で制限する」ことが可能な憲法に変えようとしているのですから、事態は深刻と言っていいのではないかと思います。斎藤氏の著作が多くの若者に読まれるように希望します。
2018年02月23日
昨日の欄に引用した強制労働被害者の追悼碑に関わる裁判の記事には、次のような解説記事が付記されていた; 朝鮮人追悼碑を巡る訴訟では、戦時中の朝鮮人動員を「強制連行」と表現したことの是非が焦点となった。「強制性」に触れた文言を批判され、碑や説明板を撤去・修正する動きは各地で相次いでいる。 「労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する」。群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある追悼碑には、こう刻まれている。 設置した市民団体は「強制連行」を碑文に盛り込む考えだったが、県が難色を示し「労務動員」の表現で決着した。後継団体が毎年開いてきた追悼式で強制連行への言及があり、県は式典が碑の設置条件に違反する「政治的行事」と結論付け14年、更新を不許可に。県の担当者は「強制連行は政府見解でなく、政治的発言に当たる」と話す。 奈良県天理市では14年4月、飛行場建設で強制連行があったと記載した説明板を市が撤去。「強制連行の根拠がない」との指摘があり、市は「国全体で議論がある中で、市の公式見解と解される掲示は適当でないと判断した」という。 長野市の「松代(まつしろ)大本営」象山(ぞうざん)地下壕(ごう)入り口の説明板は14年11月、強制的だったとの見解と、必ずしも全てが強制的ではなかったとの見解を併記する形に変更。福岡県飯塚市の市営霊園に市民団体が建てた追悼碑も、強制連行の文言や動員人数に関して外部から抗議があり、市が碑文の修正を求めている。 「在日コリア大牟田」の萬根(ウハングン)代表(79)は、福岡県大牟田市の旧三井三池炭鉱などで犠牲になった徴用工の慰霊碑を市内の公園に建立したが、15年10月、黒い塗料で「うそ!」などと落書きされた。生存者から強制的な労働実態を聴いてきた禹代表は「碑を否定する声が強まらないか危機感があるが、事実を伝えていきたい」と訴える。 新潟国際情報大の吉沢文寿教授(朝鮮現代史)は「研究者の多くは朝鮮人労働者が意に反して働かされた『強制連行』だったと認めている」とし、ナショナリズムの高まりや日本政府が見解をはっきりさせないことが背景にあると説明。「追悼碑があることで戦争がもたらしたものを記憶できる。自治体は歴史修正主義的な言説を容認しないとの意思を表明すべきだ」と話した。2018年2月15日 東京新聞朝刊 12版 31ページ 「碑、説明板各地で修正」から引用 この記事によれば、群馬県が自主的に判断して「市民団体が約束を反故にして政治的な集会を開いた」との認識になったかのように書いているが、それは事実に反する。市民団体は05年にも06年にも、追悼式典で「強制連行の被害者」を追悼すると発言しており、その時点では県当局もそれを問題視してはいかなったのであって、2012年に右翼にそそのかされた自民党議員が県当局を恫喝するような演説をぶったことが切っ掛けで急に右翼に迎合するような言動をし始めたというのが実態である。声の大きい勢力に迎合して行政を歪める群馬県当局の体質を批判するべきだと、私は思います。
2018年02月22日
群馬県が朝鮮人追悼碑の設置許可を更新しないというのは裁量権の逸脱であるとの判決が出たと、15日の東京新聞が報道している; 群馬県高崎市の県立公園内にある朝鮮人強制連行犠牲者の追悼碑を巡り、県が設置期間の更新を許可しなかったのは違法として、碑を管理する市民団体が不許可処分の取り消しを求めた訴訟の判決が14日、前橋地裁であった。塩田直也裁判長は「裁量権の逸脱があった」と認め、処分を取り消した。 碑は2004年、市民団体「『記憶反省そして友好』の追悼碑を守る会」(前橋市)の前身が、県に10年間の設置許可を受けて県立公園「群馬の森」に建立。団体側が碑の前で開いた慰霊行事で、「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などの発言があったことが、県が許可条件とした「政治的行事をしない」との規定に違反するとして、14年7月に設置期間の更新を不許可にしていた。 判決では、建立の際に行われた県と団体側との交渉で、碑文案から「強制連行」の文言が削除されたことを挙げ、団体側が慰霊行事で「強制連行」に触れたことに対し、「政治性を帯びることは否定できない」と条件違反を認定。 一方で違反があったとしても、団体側が碑の敷地部分を買い取るなどの代替案も示していたとして、県の判断が「当然考慮すべき事項を十分しておらず、裁量権行使の選択に合理性を欠いている」と指摘した。 また、政治的行事を規制した設置条件や設置更新の不許可処分に対し、団体側は「表現の自由を侵害している」と主張したが、判決は「表現の自由といえども絶対無制約のものではない」などとして退けた。 県が定めた設置期間や許可条件に関しては「県知事の裁量にゆだねられている」とした。地裁判決が確定すれば、県は更新への対応を検討する。(菅原洋)2018年2月15日 東京新聞朝刊 12版 31ページ 「県の不許可取り消し」から引用 一審判決で群馬県が設置許可の更新を拒むのは違法であるとの判決を得たことは一定の成果と言えるかも知れないが、私はこの判決は偏向していると思います。戦時中に朝鮮半島から労働者が強制連行されたというのは、歴史学的には明らかな史実であって、それを追悼碑に書き込むことが「政治的だからダメ」という考えは間違っていると思います。追悼碑を設置した市民団体は、碑を設置するに当たって、群馬県と「政治的な活動はしない」との約束を交わしただけなのだから、そのことを以て「政治性を帯びる表現」まで否定されるという前橋地裁の考えは誤りです。追悼碑の前で式典をした際に、特定の党派を批難したり別の党派が有利になるような発言があったのであれば、それは「政治的な活動」として否定されるべきかも知れませんが、歴史上の事実を述べることが「政治的だ」という前橋地裁の考え方は、「表現の自由といえども絶対無制約のものではない」という条件をつけても尚、偏向していると思います。
2018年02月21日
心理学の世界で言われる「公正世界信念」について、看護師でエッセイストの宮子あずさ氏が、12日の東京新聞コラムに興味深い記事を書いている; 患者さんは病状が悪くなると、なぜそれを医療者のせいにするのか。最近この疑問に答える心理学の論文を読んだ。 キーワードは、公正世界信念という概念。わかりやすく言えば、「世の中は公正にできていて、悪いことをしなければひどい目に遭わない」と信じること。これを成立させるには、無理にでも原因を探さねばならない。 これを病気にあてはめてみると、まず患者さん自身が不摂生を周囲から過剰に責められる。これは節制していれば病気にならない、との公正世界信念。そして、患者さん自身も、適正な治療がされていれば悪くならないと信じたい公正世界信念があり、病状が悪くなるとそれを医療者の落ち度として責めるのだ。 また、本来なら同情されるはずの犯罪被害者や、独裁者に迫害される抵抗者も責められる。通り魔に襲われるのは人通りのない道を歩いたせい。偏った思想を持つから、罰せられて当然。落ち度がなければ安全と信じたい人が、被害者を責める構図がある。 実際の社会は、温かい人柄の人が病に苦しんだり、時に通り魔に襲われる理不尽に満ちている。 公正世界信念には無理がある。ほどほどに諦め、誰が悪くなくても悲しいことは起こると認められたら。不安と引き換えに、私たちはもっと互いに優しくなれるのではないだろうか。(看護師)2018年2月12日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-公正世界信念」から引用 本来ならば同情されるはずの被害者が責められるというケースは、よくあるように思います。いじめられるほうにも問題があるとか、露出度の高い服装をしていたから痴漢に遭ったのだとか、こういう発言をする人の意識の裏には「自分には落ち度がないから、安全だ」と信じたい気持ちがあるということのようです。安倍一強のせいで正当な主張が通らずに苦闘している野党議員が罵倒されるというケースでは、どのような「公正世界信念」が存在するのか、大変興味深く思います。
2018年02月20日
沖縄県宮古島市に弾薬庫を建設する計画に関連して、12日の東京新聞は昨年都心のど真ん中に建設されたミサイル保管庫について、次のように論評している; 陸上自衛隊のミサイル部隊配備が計画されている沖縄県宮古島市で、住民の間で新たに建設される予定の弾薬庫への不安が高まっている。集落との距離は2百メートルと近く、「万一の場合、安全を確保できるのか」と問うても防衛省の説明はあいまいだというのだ。 この話で思い出した。東京にできた弾薬庫のことである。一昨年8月、当時の稲田朋美防衛相は北朝鮮の弾道ミサイル落下に備え、自衛隊に破壊措置命令を出した。これを受け、防衛省のグラウンドに地対空迎撃ミサイル「PAC3」が2基並べて置かれた。 命令は出たままとなり、防衛省はPAC3を運用するための高射隊分遣班を昨年3月、省内の敷地に発足させ、同時に弾薬庫を新設した。防衛省があるのは都心の新宿区である。ここに弾薬庫が造られた事実を知る住民はどれほどいるだろうか。 防衛省に弾薬庫の詳細について聴いた。「弾薬の保有量や種類は事柄の性質上、回答を控える」とのことで、宮古島市の住民への説明と変わりなかった。新宿区役所には「ミサイル保管庫」と説明しているのでPAC3弾が備蓄されているのだろう。 住民の不安をあおるのが本稿の趣旨ではない。首都の真ん中に弾薬庫を置かなければならないほど危機が迫っているのだとすれば、その危機と対応策について政府の説明がないのはなぜなのか。(半田滋)2018年2月12日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「私説論説室から-首都に新設された弾薬庫」から引用 新宿区の防衛省グランドに地対空迎撃ミサイル保管庫を作って、どのような有事に対応するつもりなのか、疑問です。都心をめがけて飛んできたミサイルを迎撃するといっても、実験でもなかなか当たらないのに、いきなり本番では命中しない確率のほうが大きいのですから、外れた場合の被害予測とか、迎撃のつもりで外れた自衛隊のミサイルはその後埼玉県のどの辺に落ちて、どれくらいの被害になりそうなのか、政府は説明するべきではないでしょうか。また、そもそもそんな議論が必要なほど事態は切迫しているのか、という点についても政府は国民に説明する必要があります。漏れ聞こえるところでは、現職自衛官が国を相手に起こした裁判では、国は「自衛隊が安保法制の適用で武力行使することになる可能性は存在しない」との書面を法廷に出したというニュースもあり、どうも政府の言動はちぐはぐのようです。
2018年02月19日
政府が腐敗すると国民にどのような影響を及ぼすか。法政大学教授の山口二郎氏は、11日の東京新聞コラムに英米の行動科学研究者の興味深い実験を紹介している; 通常国会序盤の与野党論戦について、日本政治史の学者が他紙で、今の野党はスキャンダル追及に偏りすぎだが、安倍首相が感情的になるのも問題と書いていた。 この種の相対主義は問題の本質を覆い隠す。野党が疑惑の追及をやめられないのは、政権が情報公開を拒否し、誠実な答弁をしないからである。 権力者の腐敗は、国をむしばむ疫病である。英米の行動科学研究者が、23力国、2千5百人余りの若者を対象とした実験を行った。2回サイコロを振り、1回目に出た数に比例して賞金がもらえる。しかし、6が出たら賞金はゼロで、2回目の数字は賞金に無関係である。結果はすべて自己申告であり、うそをついて高い賞金をもらうことも可能である。すると、独裁者が腐敗政治を継続している国の人々の申告値の平均は、西欧諸国の人々のそれよりも高いことが明らかとなった。 権力者による政治の私物化が当たり前となれば、国民の方もごまかし、インチキを当たり前と思うようになる。近代社会は人間が正直であることを前提に成り立っているので、一般人が不正直になれば、社会運営のコストは上昇する。 安倍政権の腐敗と野党の追及についてどっちもどっちなどと利いた風なことを言っている場合ではない。為政者の公私混同は社会を内側から腐らせる大罪である。(法政大教授)2018年2月11日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-腐敗という疫病」から引用 テレビは視聴者が飽きないように、絶えず目先を変えて人々の関心を引こうとするので、森友・加計問題についても、一定の時間内に決着しないときは、例え疑惑が残っていても次の話題に移ってしまうという致命的な欠点を持っている。安倍政権はその辺の事情を察知しているので、野党の追及にはのらりくらりとはぐらかすような答弁を重ねて時間を稼げば逃げ切れると考えている。しかし、野党には真面目な性格の人物が多いため、少しでも疑惑が残るのであれば、これは放置しないで追及するべきと考えているようなので、頼りがいがある。安倍さんのああいう姿勢を見て「あれでいいんだ」などと勘違いする国民が出ないように、野党議員は疑惑を徹底的に追及してほしい。
2018年02月18日
安倍政権が進める改憲論議を、10日の東京新聞社説は次のように批判している; なぜ憲法9条改正が必要なのか、その切迫性は、やはり感じられない。それでも強引に改正しようとするのなら、内容ではなく、改正の実績づくりを優先した「改憲ありき」と批判されて当然だ。 憲法改正を「党是」としてきた自民党の近年の議論を振り返る。 野党当時の2012年、現行憲法を全面改正する改憲草案を発表し、9条に関しては戦力不保持の2項を削除し、国防軍の保持を明記した。政権復帰を目指して支持層固めを意識した内容だ。 政権復帰後の安倍晋三首相は昨年5月、1項の戦争放棄と2項を残しつつ、自衛隊の存在を明記する案を提唱。東京五輪が行われる20年を「新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。 党憲法改正推進本部は首相の意向を受け、衆参両院の憲法審査会に提示する党の改憲案を、3月25日の党大会までに取りまとめるよう議論を進めている。 石破茂元幹事長らは改憲草案通りの2項削除を主張しているが、2項を維持して自衛隊の存在を明記する首相案が優勢だという。 国会議員は憲法について大いに議論すべきではあるが、9条を改正しなければならない切迫した事情がどこにあるのか。 首相は「命を賭して任務を遂行する者の正当性を明確化することは国の安全の根幹に関わる」と主張するが、それだけでは改正を要する十分な理由にはなるまい。 歴代内閣は自衛隊を合憲とし、安倍内閣でも変わらない。「直ちに憲法改正しないと日本の安全保障が成り立たないという状況ではない」(井上義久公明党幹事長)との主張には説得力がある。 首相は、憲法に自衛隊の存在を明記しても「任務や権限に変更は生じない」と述べた。自衛隊を明記する改憲案が否決されても、合憲とする「政府の一貫した立場は変わらない」とも答弁している。 自衛隊の存在を憲法に明記してもしなくても、明記した改憲案が国民投票で承認されてもされなくても何も変わらないのなら、改憲案を発議し、国民投票にかける意味がどこにあるのか。 憲法は主権者たる国民が権力を律するためにある。改正しなければ国民に著しい不利益が生じる恐れがあり、国民から改正を求める意見が湧き上がる状況なら、国会は堂々と改憲論議をすればよい。 そうした状況でないにもかかわらず、権力の座にあるものが、やみくもに進めようとする改憲論議は、あまりにも空疎である。2018年2月10日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「社説-切迫性欠く自衛隊明記」から引用 この社説は概ね正論を述べている。命を賭して任務を遂行する者を一々憲法に明記しなければならないのであれば、海上保安庁や消防署に勤務する者も憲法に書けという話になるわけで、これほど馬鹿げた話はない。この社説が述べるように、国民に著しい不利益が生じる恐れがあるというなら、改憲も必要という議論が出てくるわけであるが、そういう話は自民党からも出てきてはいないのだから、憲法を改正する必要はまったく存在しないということである。
2018年02月17日
政府が黒田日銀総裁の再任を決めたことに関連して、10日の東京新聞は次のような解説記事を掲載した; 【解説】2期目の黒田総裁が取り組まざるを得ないのは、やり過ぎた金融緩和を終える「出口戦略」だ。就任時、大規模な金融緩和をすれば日本経済の問題が解決するかのような期待は消え、自らが招いた厳しい現実と向き合う5年間になる。 黒田総裁は安倍政権の意志を忠実に実行する形で、前例のない規模で世の中にお金を供給した。円安への誘導による企業収益の拡大など「効果」の裏側で、当初から危惧されていたのが出口の問題だった。 お金の供給は、日銀が民間銀行から国債を買って代金を渡す。政府の借金である国債を大量に買うため、財政の規律はすっかり緩んだ。日銀自身も割高な値段で買い続けたツケで損失が発生する見通しで、穴埋めの国民負担が懸念される。 今や抱える国債は全体の4割。出口で購入を減らしていくとき、投資家たちが「財政がもたないかも」と不安に陥れば、金利の急騰など市場の混乱は避けられない。さらに世界の主要な中央銀行がやっていない「株買い」を大規模に進めており、出口で株価が急落しないよう売却するのも極めて難しい。 黒田総裁は政策の効果には冗舌な一方、出口戦略は全く語らない。日銀OBの早川英男氏は「今の総裁の仕事は何よりも国民に出口の厳しさを説明すること」と強調する。実際に出口で国債や株買いを減らせば、政府の利害と衝突する。日銀はこのまま政府の代理機関にとどまるのか、中央銀行としての覚悟が試される。(渥美龍太)2018年2月10日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「出口戦略に向き合う5年」から引用 金融緩和を行なえば市中に現金がふんだんに流れて生産、販売活動が活発になって景気が回復してデフレを脱却できるはずという筋書きは全くの外れで、わずかに円安が誘導されて大企業が潤うだけに終わり、労働者の所得が増えるなどということは全く起きなかったため、デフレはそのまま継続することになってしまった。しかも、金融緩和を継続するには日銀はもう弾切れのため、しこたま買い込んだ国債や株を売らなければならないわけで、これまで日銀が買い支えることで維持されていた株価も、これで高値安定というわけには行かなくなる。というようなことは素人にも想像できるが、一体、二期目の日銀総裁は「出口の厳しさ」をどのように説明してくるのか、興味深い。
2018年02月16日
米軍基地建設推進派の候補が勝利した名護市長選挙について、元外務官僚の佐藤優氏は、9日の東京新聞コラムに次のように書いている; 4日に投開票が行われた沖縄県名護市長選で、前市議で新顔の渡具知武豊氏(56)=自民、公明、維新推薦=が、現職の稲嶺進氏(72)=民進、共産、自由、社民、沖縄社大推薦、立民支持=を破り、初当選を果たした。日本では、これで辺野古新基地建設に反対するオール沖縄の一角が崩れ、沖縄の民意が新基地建設容認に傾き始めているとの見方が強いが、それは間違いだ。実は渡具知氏は、辺野古新基地建設について態度を表明していない。当選後も「(移設を)容認するかについては、今は答えられない」(6日『琉球新報』)と述べている。 大民族である日本人には、少数派である沖縄人の複雑な心情がよくわからない。母親が沖縄・久米島の出身で、沖縄人と日本人の複合アイデンティティーを持っている筆者には、名護市の有権者の心情が皮膚感覚でわかる。沖縄人にとって、ヤマト(日本)は怖い国なのだ。中央政府と与党幹部が、目立たないように名護市に入って、地元の業界を締め付ける。司法は、沖縄の民意に耳を傾けない。日本人の大多数も沖縄の米軍基地過重負担を解消しようとしない。こういう状況でヤマトと表だったいさかいを起こすことはとても怖い。沖縄では、我慢することも抵抗の一形態なのである。恫喝政治に対して、われわれは粘り強く沖縄流の抵抗を貫く。(作家・元外務省主任分析官)2018年2月9日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-我慢と抵抗」から引用 この記事は、基地建設反対を主張する現職市長が選挙に負けたからといって沖縄の民意が「基地反対」から「容認」に転換したわけではないと言っているが、正にその通りだと思います。政府や与党の要人が地元に来て「我々が推す候補を当選させてくれれば、予算はいくらでも出すし仕事も必ず増える。基地反対の現職がまた勝ったら、仕事はなくなるぞ。それでいいのか」と恫喝されたのでは、背に腹は替えられないと思うのが人情ですから、取りあえず言いなりにはなったが、しかし、できれば基地は無いにこしたことはありません。これからも、基地反対運動を応援していきたいと思います。
2018年02月15日
与党が推薦する候補が勝利した名護市長選挙について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は7日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 4日の沖縄県名護市長選で与党推薦の渡具知武豊氏が当選。止まっていた米軍再編交付金を政府は再開する方針という。 なんじゃそりゃ。あんたは鳥取城を兵糧攻めで落とした秀吉か! あまりに露骨な対応に頭から湯気が出そうになったが、頭を冷やして過去に遡ってみた。 そうだった。普天間飛行場の辺野古移設に反対する稲嶺進氏が市長選で初当選したのは2010年1月。直後に再編交付金は止められた。菅直人政権の時代。民主党よオマエもか、である。 しかし、さらに遡ると07年、第一次安倍政権の時代に行き着く。この年の5月に成立した「在日米軍再編特別措置法」が諸悪の根源で、以来、政府案をのむか否かで交付金支給の是非が決定されてきた。 この措置で、冲縄県の金武(きん)町、恩納(おんな)村、宜野座(ぎのざ)村は次々降伏。住民投票で空母艦載機の移駐に反対の民意が示された山口県岩国市も、米陸軍司令部の新設に反対してきた神奈川県座間市も、市長が苦渋の決断の末に寝返った。それでも名護市は交付金に頼らない行政を貫いて、全学校への冷房設置や校舎の耐震化、小中学生の医療費無料化まで実現させたのよ。 選挙中、自民党は交付金の再開を当然ちらつかせただろう。札束の力で自治体をねじ伏せ、住民を分断させる恫喝政治。これ、民主主義なんですか。(文芸評論家)2018年2月7日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ 「本音のコラム-兵糧攻め」から引用 この記事が述べるように、市長選挙の期間中は当然自民党は交付金の再開をちらつかせたはずで、これは「在日米軍再編特別措置法」という安倍政権が作った法律が存在するわけだから、それに言及することは違法でも不当でもないのだが、しかし、その法律の主旨が「政府は言いなりになる自治体には交付金を出すが、そうでない場合は交付を止めることができる」などという法律そのものが、民主主義の観点から如何なものかという問題を提起している。
2018年02月14日
慰安婦問題について日韓両国政府が合意した2015年12月の時点では、両国政府ともこれで「最終的で不可逆な」解決策のつもりでいたのだったが、今では何の解決策にもなっていないことが明らかになってしまっている。何故こんなことになったのか、その原因について、7日の東京新聞は、次のような読者の投書を掲載している; ヨーロッパの哲学を学んでいる身として意見を述べさせてもらいます。 人権は個人の聖域で、政府が掌握するものではありません。韓国との慰安婦問題は個人の人権を日本政府が侵害したもので、謝罪しなければならない相手は、その政府ではなく、あくまでも被害者個人です。 戦時中、米国でも日系人が強制収容されるなどの人権侵害を受けましたが、米国は日本政府ではなく当事者(団体代表者)を議会に呼んで謝罪しました。正しい対処だったと思います。 慰安婦問題は日本政府が韓国政府に謝罪、合意しても何の解決にもならないしむしろ、この行動自体が度重なる人権侵害に当たります。なぜなら、政府を交渉相手にして被害者個人を相手にしないことは、人権の無視そのものだからです。2018年2月7日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-慰安婦問題は個人に謝罪を」から引用 この投書は理路整然としていて説得力がある。2015年暮れに日韓合意が発表されたときは、漠然と変な話だと思ったものであったが、何故変だと感じたのか、この投書がしっかり説明してくれている。そもそもは慰安婦問題は日本軍が起こした問題なのだから、その責任は日本政府にあるのであって、その解決に日本政府はカネだけ出して、被害者にそのカネを渡す仕事は韓国政府がやるというのは、いかにも他人任せな態度で、果たしてそんな態度で問題が解決するのかと思ったのであったが、結局今日のような状態になっている。それにしても、アメリカ合衆国はさすがに民主主義先進国だけあって、人権侵害に対してはどのような「謝罪」が必要なのか良く理解ができている。わが国政府も、問題が発覚した90年代に、被害者たちをわが国国会に呼んで、政府が正式に謝罪していれば、今ごろ慰安婦像が世界中に設置されて「不名誉なことだ」などと焦らずに済んだはずだった。しかし、今となっては、我々日本人も世界中の平和と人権を重んずる人々の一員として、慰安婦像を見守っていくべきだと思います。
2018年02月13日
福島第一原発が外部電源を喪失してメルトダウンする危険性については、事故が起きる数年前に共産党議員が指摘していたことで、第一次安倍政権がその指摘を無視したために事故が起きたということは、当ブログにも度々取り上げたのであったが、今月の予算委員会で、安倍首相はついにその責任を認めたと7日の東京新聞が報道してる; 安倍晋三首相は6日の衆院予算委員会で、原発の全電源が喪失し、炉心溶融(メルトダウン)に至る深刻な事故は想定していないとの見解を2006年に示したことについて、反省を表明した。立憲民主党の菅直人元首相の質問に答えた。 第一次安倍政権は06年12月、全電源が喪失する事故について「発生するとは考えられない」とする答弁書を閣議決定していた。菅氏はこの答弁書に触れ、「東京電力福島第一原発事故の発生を抑えられなかった理由は自民党政権にもある」と指摘した。 これに対し、首相は「その通りだ。政府、原子力事業者が安全神話に陥り、あのような悲惨な事態を招いたことは片時も忘れず、真摯に反省し、教訓を踏まえつつ、二度と事故を起こさない決意で今後とも政策を進めたい」と話した。安倍政権は06年の答弁書では「原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期している」と説明していた。共産党衆院議員が巨大地震の発生に伴う原発事故への対応をただす質問主意書を提出していた。2018年2月7日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「首相06年見解を『反省』」から引用 この記事では、質問をした菅直人議員は「事故の発生を抑えられなかった理由は自民党政権にも」という表現になっており、それ以外にも理由が複数あるかのような口ぶりになっているが、少なくとも事故の数年前の指摘に従って外部電源を高台に移動して、原発施設が丸ごと津波に呑まれても外部電源さえ機能していれば炉心のメルトダウンは避けられたはずだから、菅議員はもっと強くその点を指摘するべきだったのではないかと思います。事故のために郷里を捨てて避難生活をしている人々は、去年の3月から、それまで福島県が負担していた部屋代の支援を打ち切られ、自己負担できない人々は立ち退きを迫られる事態になっているのだから、安倍首相の責任は単に「反省している」だけでは済まないはずだ。今なお避難生活を余儀なくされている人々は、安倍首相を相手取って損害賠償の民事訴訟を起こすべきであり、安倍首相はせめてもの罪滅ぼしに個人資産を処分して、これらの人々の生活を支援する、それくらいのことは実行して当然ではないかと、私は思います。
2018年02月12日
前の国会では政府が森友・加計問題の追及を封じるために大急ぎで閉会した後に、安倍首相が「今後は丁寧に説明していく」などと神妙な面持ちで頭を下げたものだったが、野党の臨時国会要求を無視するという憲法違反行為の挙げ句にようやく開かれた今国会では、首相の言行不一致、意味不明発言、印象操作など相変わらずだと、6日の東京新聞が報道している; 現在開会中の通常国会が召集されて2週間。序盤の国会を見る限り、安倍首相の発言からは「相も変わらず」の印象を受ける。改憲に前のめりだが「言行不一致」「意味不明」「印象操作」など、これまで指摘されてきたような悪弊があらたまったとは、とても思えない。懸念されるのは、そうした言葉に私たちが慣らされてしまうことだ。備忘録として、今国会の首相発言をまとめてみた。(安藤恭子、橋本誠) 首相の言行不一致は沖縄をめぐる発言に端的だ。 「沖縄県民の気持ちを真摯に受け止める。地域住民の安全確保を最優先課題として日米で協力して・・・」 昨年12月に沖縄県宜野湾市の小学校に窓を落とすなど、米軍のヘリコプターによる事故が相次ぐ中、首相は先月24日の衆院本会議でこう答弁した。 しかし、同日午後には前日に同県渡名喜村に不時着した米軍攻撃ヘリの同型機が、普天間飛行場(宜野湾市)を離陸。政府が米側に求めていた飛行停止はあっさりと無視された。 沖縄国際大の照屋寛之教授(政治学)は「その場限りの答弁で、何ら解決策を示していない。米国が再開と言ったら再開させてしまう状態。これで主権国家と言えるのか」と憤る。 首相の本音は、今月2日の衆院予算委員会で垣間見えた。名護市辺野古の新基地建設を含む沖縄の基地負担について問われ、「日米間の調整が難航したり、移設先となる本土の理解が得られないなど、さまざまな事情で目に見える成果が出なかった」と答えた。 照屋教授は「本土に基地を持っていけば反対運動が起きるのでできないという本音が出た。沖縄軽視、沖縄差別だ」と非難した。(以下、省略)2018年2月6日 東京新聞朝刊 11版 26ページ「国会開幕から2週間」から一部を引用 国会で首相が「住民の安全確保を最優先課題として・・・」と発言したその日のうちに事故を起こしたヘリの同型機が、日本政府の要請を無視して飛行を再開するという、正に「舌の根も乾かぬうちに」こういうことが起きているのだから、首相の発言には何の信憑性もないことが明らかです。こういうことは、今までに何十回もあって枚挙にいとまが無い状態ですが、私たちはこういう事態を放置しないで、こういういい加減な内閣ではダメなのだという声を上げていくべきだと思います。
2018年02月11日
自民公明が推す新人候補が勝利した沖縄県名護市の市長選挙について、ルポライターの鎌田慧氏は、6日の東京新聞コラムに次のように書いている; 沖縄県名護市の市長選で現職稲嶺進氏が敗退した。残念ながら、自民党、公明党、維新の会による、寄ってたかっての、沖縄の未来と海への総攻撃を防衛しきれなかった。「国政選挙並みの総力戦」と報道されたが辺野古の海に、ジュゴンがやってくる北限の海に、米軍の新しい巨大基地を建設するために投入される、無残な砕石の轟(ごう)音があたかも勝ち誇ったかのような選挙結果たった。 新市長は、これまでの「閉塞(へいそく)感」を批判し、安倍首相は「これからは落ち着いた政治を行ってもらいたい」と注文をつけた。これで市民の基地反対運動など消えてしまう、との期待感を示す。 「あとは市長の公約を国としても責任もって応援する」とも語った。政策に抵抗すれば補助金を削り、屈服すれば増額する。 露骨な支配とそれへの迎合、忖度と報償の関係をもっぱらとする政治手法が安倍政治の特徴。これは基本的人権と平等を大事にする民主主義政治などではまったくない。市長選挙は終わったがこれで反対行動が弱まるわけではない。埋め立て工事の進捗率は、まだ1%にも満たない。 安倍内閣の暴政にたいする翁長雄志県知事の抵抗は、県民に支えられている。秋に予定されている県知事選に備えて、東京に住むわたしたちになにができるのか。沖縄の思いを受けて、話し合いをはじめよう。(ルポライター)2018年2月6日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-秋に備えて」から引用 名護市長選挙の年代別投票行動を分析した結果によると、10代20代30代は圧倒的に自民党候補に投票し、50代60代70代は現職候補に投票したとのことでした。自民党候補を応援した弁士で若年層にもっとも人気があった人物は小泉進次郎議員で、彼の演説は「沖縄に来て食べたそばが美味い。本土は今冬だが、ここは暖かで空も海もきれいだ。観光開発に力を入れれば雇用も増えて名護は発展する。これからは若者の時代だ。がんばろう」というようなものだったそうで、これに気をよくした若年層が自民党候補に投票したということのようです。基地問題への言及をを極力避けた選挙活動が若者票を集めたという現実をよく見極めて、秋の県知事選挙の作戦を考える必要があると思います。
2018年02月10日
国民が疑問に思っていることを代弁して質問している野党議員に対し、安倍首相は真摯に応えようとせず、聞かれてもいないことを延々と述べて無駄に質疑の時間を潰したと、6日の東京新聞が報道している; 安倍晋三首相は5日の衆院予算委員会で、学校法人「森友学園」の問題に関し、延々と報道批判を繰り返し、質問された内容になかなか答えなかった。場内のやじに反応し、いらだつ場面もあった。 立憲民主党の逢坂誠二氏は、学園の小学校の名誉校長を務めていた首相の妻昭恵氏が最近の活動で「私も真実を知りたい。何も関わっていないんです」と語っていたと指摘。「真実を知りたいのは国民だ」として首相に感想を求めた。 首相は、質問と関係ない報道への批判を展開。学園が設置予定だった小学校名を「安倍晋三記念小学校」と申請したとの籠池泰典前理事長の証言を報じた昨年の朝日新聞報道を取り上げ「事実かのごとく報道されたが、(校名は)実は開成小学校たった」と語った。 ほかにも小学校の棟上げ式に昭恵氏が出席予定だったとしたり、国有地売却の件で財務省と交渉していた時に昭恵氏から電話をもらったりした-と籠池氏が話したとの報道に言及。「うその報道の繰り返しだ」などと、質問をはさんで計十分以上も批判を続け、「丁寧に説明させてもらった」と語った。 逢坂氏は「私は棟上げ式のことも学校名のことも聞いてない。質問してないことを答えている」と反発した。 これらの質疑中、首相は委員室での野党のやじを指しながら「うるさいので答えにくい」と不快感を示し、河村建夫予算委員長に注意するよう繰り返し促した。(中根政人)2018年2月6日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「森友問題 首相、質問に答えず」から引用 安倍首相がこの記事が伝えるような非常識な行動を取る理由は、野党の質問が次第に核心に近づいてきていることに対する危機感があるからで、野党はこの調子で更に追及を続けていくべきと思います。もし本当に安倍氏が潔白で、野党の質問が的を外したものであれば、安倍氏はもっと余裕をもって、如何なる質問にもお答えしますというような余裕の表情を見せてもおかしくないが、あの苛立ちの表情や振る舞いからは、野党の追及はかなり核心に迫っているように見えます。
2018年02月09日

慰安婦問題に関する日韓合意が発表された後も慰安婦像の設置が進められているという奇妙な記事が、4日の東京新聞に掲載された; 日韓両政府が慰安婦問題の最終的解決で合意した2015年12月以降、韓国国外で新たに6ヵ所に朝鮮半島出身者の慰安婦像・碑が建てられたことが外務省の調査で3日までに判明した。日本側は、合意に反する動きだとして各地域で撤去へ働き掛けを強めているが、歯止めがかからない状況に焦りも広がっている。 外務省によると、15年末以降に設置された朝鮮半島出身の慰安婦に関する像や碑は、米国が最多で、カリフォルニア州サンフランシスコ市やニューヨーク市など4ヵ所。ドイツとオーストラリアがそれぞれ1ヵ所となっている。 日韓合意の前には、米国8ヵ所とカナダ1カ所の計9ヵ所に慰安婦像・碑が設置されており、合わせて15ヵ所で設置が確認された。このほか米国では連邦議会下院や、3州と4市の議会で設置を促すなどの慰安婦関連決議が採択された。韓国系米国人の団体が主導する動きが目立つという。 日本政府は日系人団体と連携して、謝罪や元慰安婦に「償い金」を支給した過去の取り組みについて、地元の有力政治家らに説明。設置阻止を働き掛けてきたものの、効果が十分に出ているとは言い難い。自民党の中曽根弘文元外相は先月の党会合で「もぐらたたきのように、出てくるものをたたいても間に合わない」と話し、危機感を募らせた。2018年2月4日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「日韓合意後慰安婦像や碑6ヵ所」から引用 この記事には複数の問題が含まれているように思います。2015年12月の日韓合意は、元慰安婦の方々への救済・保障について日韓両国政府が合意したものであって、「今後慰安婦像の設置は行なわない」などという文言は一切盛り込まれておらず、単に「韓国政府は慰安婦像を撤去する方向で努力する」となっているに過ぎません。慰安婦像の設置運動は民間団体が行なっているのであって、政府の事業ではないし、韓国政府に民間団体の表現の自由を制限する権限がないのだから、当然のことです。それを、産経新聞ならまだしも、東京新聞ほどのメディアが、「合意」の後も慰安婦像を設置し続けるのはけしからんという論調で、まるで日本政府のお先棒を担ぐかのような記事を掲載するのは問題です。また、この記事では日本政府が、過去に謝罪をして「償い金」を支給してきたことを説明しているとのことですが、その誠意に欠ける形ばかりの「謝罪」では、納得しない被害者もいるという現実を、我々は認めざるを得ません。「償い金」を支給したなどと言っても、15年の「合意」以前は65年の日韓条約を理由に、国庫からの支払いを一切拒否してきた過去を考えれば、あまり偉そうに言うことはできないのではないでしょうか。別の報道によれば、慰安婦像の設置を推進する団体の意図は、日本を批難することが目的ではなく、二度と人権侵害の事件を繰り返さないようにとの願いからの事業であるとのことですから、そういう主旨であれば、これは韓国の人々に限らず広く日本人を含めた世界の人々の願いにほかなりません。したがって、本来であれば日本政府こそが慰安婦像を積極的に設置して、世界から人権侵害の事件が一掃されるように努力するべきところ、韓国の民間団体が代わりにそれを実行してくれているのですから、日本政府は感謝することがあっても「焦り」を感じる必要はまったくありません。それを自民党の中曽根弘文元外相は「もぐらたたきのように出てくる」などと暴言を吐くのは、あまりにも勉強不足というもので、家に帰って自分の親に、戦時中の慰安所がどのように運営されていたか、よく聞いて勉強するべきだと思います。
2018年02月08日

木内登英著「異次元緩和の真実」(日本経済新聞出版社刊)について、同志社大学教授の服部茂幸氏は、4日の東京新聞に次のように書評を書いている; 現在、日銀は年率2%の物価上昇を目標として異次元緩和を実施しているが、目標達成の目処は全く立たない。元日銀審議委員として、現在の日銀の政策を批判したのが本書である。 異次元緩和は主に長期国債を購入することによって、実行されている。目標が達成できない現状では、購入量をさらに増やせということになろう。ところが、年80兆円を超えていた購入量は、今では60兆円を切っている。 政府が発行した国債の全てを、持ち主が日銀に売却することはないであろう。こうして異次元緩和の弾切れが近づいてきた。審議委員として、木内氏がこれを早くから指摘し、購入量を年45兆円に引き下げることを提案していたことは本書に書く通りである。 さらなる緩和策として、財政政策と金融政策を一体化させた「ヘリコプター・マネー」も議論されている。財政刺激を行っても、国債には利子を支払わなければなりない。けれども、日銀の利益は最終的に政府の利益となるから、日銀に国債を保有させれば、利子負担は実質的にゼロとなる。このような方法で財政政策を支援することができる。広い意味ではヘリコプター・マネーは既に実施されているのである。 それでも、返済期限がくれば、政府は増税し、日銀に元本を返済しなければならない。けれども、永久債を発行し、日銀に保有させれば、政府は元本の支払いも回避できる。 しかし、目標達成の後には、財政引き締めと、日銀の国債売却が予定されている。本書はこの論理矛盾を突く。デフレ脱却のための、例外的で一時的な措置の恒久化が論理矛盾であることは明らかであろう。 将来、金融政策を正常化させる時、日銀は国債を売却しなければならない。この出口の過程で日銀は多額の損失を被ると本書は述べる。結局、異次元緩和は目標を達成できるかという問題以前に、持続可能かどうかという段階で行き詰まっているのである。(評者服部茂幸=同志社大教授)木内登英著「異次元緩和の真実」(日本経済新聞出版社・2376円)きうち・たかひで エコノミスト。日銀審議委員を昨年7月まで5年間務める。2018年2月4日 東京新聞朝刊 9ページ 「読む人-楽観できないデータ積む」から引用 安倍政権が黒田氏を日銀総裁にした頃は、2年後には2%の物価上昇を達成するという目標だったが、もう5年経っても目標を達成する目処は立っていないようで、その上異次元緩和の弾切れが近づいてきたなどと言われると、この先はどうなるのかと不安になります。政府が発行する国債は返済期限が来ても永久債を発行して日銀に持たせれば元本支払いを回避できる。これまた便利な話ですが、こういうことをやってどうにか2%上昇を達成したときは、今度は財政の引き締めが始まるというのですから、じゃあ当分はこのまま「達成」を先送りしたほうが楽かな、と思ったりします。しかし、異次元緩和は持続可能かどうかという点で行き詰まっているということですから、これが世の中に顕在化してくるのは何時頃になるのか、興味津々です。
2018年02月07日
朝鮮のミサイル危機に便乗して役に立つ見込みのない武器の購入をする安倍政権を、法政大学教授の山口二郎氏は4日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージスーアショア」に搭載予定の新型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の迎撃実験が2年連続で失敗したという記事を読んだ。 この迎撃システムは北朝鮮のミサイルの脅威から日本を守るために必要だと政府が主張して、導入を決めたものである。これに限らず、長距離巡航ミサイルや護衛艦の事実上の空母への転用など、北朝鮮の脅威を奇貨とした防衛装備の拡張が続いている。 一連の軍拡は憲法の専守防衛原則を崩すものだと私は考える。憲法上の論点だけでなく、本当に日本の防衛に役立つのかどうか、費用と効果を吟味する必要がある。軍事ジャーナリストの田岡俊次氏は、「ミサイル防衛に当たる4隻のイージス艦は各8発の迎撃用ミサイル『SM3』しか搭載しておらず、仮に全弾が命中したとしても最大8目標にしか対処できない」と指摘している。また、巡航ミサイルで敵基地を先制攻撃しても、すべてを破壊することは不可能で、反撃を招くだけだ。 米国の武器産業のために高価な装備を買い込み、それが国民を欺く気休めでしかないならば、何のための防衛政策なのか。納税者・国民を代表する国会議員は、シビリアンとしての気概を持って防衛予算を検証し、真に国民を守るための政策を論じてほしい。(法政大教授)2018年2月4日 東京新聞朝刊 12版 27ページ「本音のコラム-シビリアン・コントロール」から引用 朝鮮のミサイルへの対策は、世界最強のアメリカ軍も手をこまねいているくらいだから、日本が必死で武器を買い増したところで、それが有効な手段になるわけがないのは当然だ。この問題の解決策は、世界中の指導者が言っている通り「話し合いあるのみ」なのであって、日本としては先ず初めに米韓合同軍事演習を止めるように、米韓に提案するべきだ。武力にカネを注ぎ込んでも戦争勃発のリスクを高めるだけで、国民を守ることにつながる可能性は皆無である。
2018年02月06日
キリスト教メノナイト派について、元外務官僚の佐藤優氏は2日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 大学で教壇に立っていると、学生から教えられることが多々ある。私が教えている同志社大学神学部の二回生にメノナイト派に属する女子学生がいる。メノナイト派とは、スイスの宗教改革急進派に起源を持つ絶対平和主義教団だ。防衛の場合にも武器をとらない。それだから、かつてはルター派、改革派(カルバン派)などの主流派プロテスタント教団から激しい弾圧を受け、北米や口シアなどに移住した。この女子学生は、インターナショナルスクール出身なので英語も堪能だ。 同志社大学神学部は総合大学の一学部であるとともに日本のプロテスタント最大教派である日本基督教団の認可神学校である。同志社の神学教育の特徴は、特定の学派の枠組みにとらわれないところにあるが、基調は主流派だ。筆者は、ルター派神学者ペールマンの『現代教義学総説』(新教出版社)を用いながら、カルバン主義の視座から軌道修正しつつ講義をしている。メノナイト派の女子学生からすれば、自分の信仰と合致しない講義であるにもかかわらず一生懸命に勉強している。彼女は、主流派神学を徹底的に勉強した上でメノナイト派の歴史や教義を日本語できちんと表現したいという明確な目的を持っている。彼女を通じて日本に土着化した絶対平和主義の神学が生まれることを筆者は楽しみにしている。(作家・元外務省主任分析官)2018年2月2日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-絶対平和主義」から引用 私は宗教に関して全くの門外漢で興味もないが、この記事には心引かれる。自分が所属する宗派とは異なる、世の中の主流派からみた神学を徹底的に勉強した上で自分の宗派が如何なるものかを表現したいと決意した若者には、何か期待できるものがあるような気がする。
2018年02月05日
今から95年前の関東大震災の時に、朝鮮人が暴動を起こすという流言飛語が飛び交い多くの朝鮮人が自警団や警察、軍隊などによって虐殺されたのであったが、あれから95年経って再び流言飛語が復活しつつあると、ライターの加藤直樹氏が1月26日の「週刊金曜日」に書いている; 1923年の関東大震災時に虐殺された朝鮮人を追悼する式典に、歴代の東京都知事が追悼文を送ってきたにもかかわらず、小池百合子都知事は昨年、これを取りやめた。そのきっかけとなったのが、自民党の古賀俊昭都議による都議会での一般質問だったことを、『東京新聞』(2017年8月24日付)が報じている。古賀都議が、追悼碑の碑文にある「6千余名」の朝鮮人が殺されたという数字が「根拠が希薄」だと批判し、小池都知事に「追悼の辞の発信を再考すべきだ」と求めたというのだ。 だが都議会の会議録を読むと、古賀質問のもっとも異様な部分はそこではない。彼は、朝鮮人たちは「不法行為を働いた朝鮮独立運動家と、彼らに煽動されて追従したために殺害された」のだという特異な認識を語っているのだ。そしてその根拠を、1冊の本に求めている。「私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』であります」。 工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』は、小学館の雑誌『SAPI0』での連載をまとめたもので、09年に産経新聞出版から刊行された。工藤氏は、何の罪もない朝鮮人が殺されたというこれまでの認識は「途方もない謀略宣伝」であり、真相は「震災に乗じて朝鮮の民族独立運動家たちが計画した不穏な行動」への自衛反撃だった、と主張する。つまり、「朝鮮人暴動」は流言輩語ではなく事実だったというのだ。 もちろん、そんな馬鹿げたことを主張する歴史学者は1人もいない。内閣府中央防災会議の専門調査会が08年にまとめた「1923関東大震災報告書【第2編】でも、自警団や軍による虐殺が詳細に記述されている。◆直後の流言記事が根拠 工藤氏の主張を成り立たせているのは、紛れ込ませた多くのトリックだ。 「朝鮮人暴動」が事実だったという証拠として工藤氏が挙げるのは、震災直後の新聞記事である。「不逞鮮人2千が腕を組んで横行」「2百人の鮮人抜刀して警官隊と衝突」といった記事が無数にあるというのだ。 なるほど、震災直後にこうした記事が氾濫したのは事実である。だがそれは、在京の新聞社の多くが壊滅し、機能していた社もまともな取材を行なえない中で流言を垂れ流す報道が行なわれた結果であった。当時の報道の混乱はひどいもので、「名古屋も壊滅」「伊豆大島沈下」「山本首相暗殺」といった記事も残っている。「朝鮮人暴動」も「伊豆大島沈下」も全て虚報であったことは、震災のしばらく後には常識となる。内務省が1926年に出した震災総括『大正震災志』では当時の流言記事の氾濫を振り返り、「朝鮮人暴動」記事を含むいくつかの記事を例として挙げている。 そもそも、こうした記事はそれ自体が流言研究の対象となってきた。工藤氏がそれでも、これらの記事は実は事実を伝えていたのだと主張したいのであれば、何らかの形でそれを論証しなければならないはずだ。だが工藤氏は何の論証もせず、「書いてあるから事実」とばかりに列挙していくだけだ。 そもそも、工藤氏が主張する朝鮮人独立運動家による「不穏な行動」なるものは、内務省、警視庁などによって否定されている。司法省は「(朝鮮人が)一定の計画の下に脈絡ある非行を為したる事跡を認め難し」と報告した。ところが、工藤氏はこの矛盾を「日本政府が朝鮮人暴動を隠蔽したのだ」という主張によって解決する。 彼女が示す唯一の証拠は、後藤新平内務大臣が「朝鮮人暴動」隠蔽を告白したという「証言」だ。それは、後藤自らが書き残したわけではなく、当時は警視庁官房主事であった正力松太郎が、後藤からそう聞いたものだという。さらに正力が書き残したのでもない。正力からそれを聞いたある人物が、工藤氏に教えてくれたというのである。ベースボールーマガジン社の創業者、池田恒雄氏だ。では池田氏とは誰か。何と工藤美代子氏の実の父である。だが彼女は、この本の中で、そのことに一言も触れていない。そんな話が「証拠」になるだろうか。◆呆れた”トリック”の数々 この本にはこのほかにもあきれるようなトリックが散りばめられている。たとえば「テロ集団」の東京テロ計画の全貌を語り、その典拠として朝鮮総督府の治安官僚が書いた『朝鮮民族独立運動秘史』を掲げるのだが、同書にはそんな記述は全く存在しない。あるいは”横浜市内は朝鮮人暴動が起きて危険だから行くな、と言われたが、振り切って行ってみたところ実際に目撃したのは朝鮮人暴動ではなくて自警団の暴力だった”という内容の手記から、前半だけを引用して”横浜市内で朝鮮人暴動が起きていた”証拠にする。その上、新聞記事や手記の引用でも、都合の悪い部分は(略)と示すこともせずにこっそり切り刻む。詳細は、私と友人たちでつくるチームが開設した二つのウェブサイト「『朝鮮人虐殺はなかった』はなぜデタラメか」(URL http://01sep1923.tokyo/)、「工藤美代子/加藤康男『虐殺否定本』を検証する」(URL http://kudokenshou.bigspot.jp/)をご覧いただきたい。 この本をめぐっては、刊行後も驚くべき展開が続いた。14年にWACから『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』と改題して再刊されたのだが、なんと著者が別の人間に交替したのだ。”新しい著者”は加藤康男氏。工藤美代子氏の夫である。 再刊に際してタイトルが変わるのは珍しいことではない。著者のペンネームが代わることもなくはない。だが、著者自体が交替するなど前代未聞である。その理由を加藤康男氏は「取材・執筆を共同で行ってきた」し、自分が「大幅に加筆、修止した」からだとあとがきで書いている。奇妙な主張だが、新版373ページのうち、加筆されたのは7ページだけだ。 こうして見てくれば、この本が「ジンギスカンは源義経だった」レベルのトンデモ本であることが分かるだろう。だがトンデモ本であっても、この本は状況の中で悪質な役割を果たしてきた。今やネットには、震災直後の流言記事の画像を貼り付けては「これが真実だ!」とデマを流すネトウヨがあふれている。90数年後の日本に「朝鮮人暴動」の流言を復活させてしまったのだ。また、横浜市の中学生用副読本の朝鮮人虐殺についての記述を自民党市議が問題にして全て回収させた13年の事件の際は、『産経新聞』は「(虐殺事件を)再検証したノンフィクション作家」として工藤氏を登場させ、コメントさせている。 小池都知事の追悼文送付取りやめ問題については先述したとおりだが、小池都知事自身が、虐殺はあったかどうか分からないという趣旨の発言を繰り返している。『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』が09年末に刊行されてからたった8年で、都道府県レベルの首長がそんな荒唐無稽なことを言うところまできてしまったのである。かとう なおき・ライター、編集者。著書に「九月、東京の路上で-1923年関東大震災ジェノサイドの残響」(ころから)など。2018年1月26日 「週刊金曜日」 1169号 42ページ「工藤美代子著『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』の真実」から引用 この記事は工藤美代子著『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』がデタラメばかりで構成された、箸にも棒にもかからない馬鹿げた著作であることを完璧に証明している。こういうくだらない本を根拠に都知事に追悼式への文書送付を中止させた古賀俊昭都議は恥を知るべきであり、都議会は都知事の追悼文送付を支持する決議を行なうべきだ。それでも小池知事がイヤだと言うときは、知事に代わって都議会議長が追悼文を送って朝鮮人犠牲者に対する追悼の意を表明するべきだ。
2018年02月04日
年が改まってから開かれた国会でも前年から引き続いて森友問題が取りざたされていると、2日の東京新聞が報道している; 森友学園への国有地売却問題に関し、財務省の田村嘉啓(よしひろ)国有財産審理室長(当時)が2016年3月に学園側から便宜を図るように迫られた際、安倍晋三首相の妻昭恵氏が小学校の名誉校長であることを認識していたことが1日、分かった。共産党は同日の参院予算委員会で、学園の籠池泰典前理事長が、昭恵氏から電話をもらい励まされたと財務省側に語りながら値引きを迫る新たな音声データの存在も明らかにした。 共産党の辰巳孝太郎氏は参院予算委で、昭恵氏が学園に深く関わっていることを財務省側か認識し、国有地の大幅値引きに応じたのではないかとの見方を示した。財務省側は否定した。 財務省の太田充理財局長によると、田村氏は16年3月15日に籠池夫妻と財務省本省で面会。昭恵氏が学園の小学校の名誉校長であることは「(学園の)ホームページなどで確認し知っていた」という。 田村氏はこの4ヵ月前にも、昭恵氏付き政府職員から同じ国有地に関する照会を受け、回答していた。 辰巳氏が入手した音声データによると、籠池夫妻は田村氏との面会翌日の16日、近畿財務局の担当者と交渉。新たに見つかったとする国有地のごみへの対応を協議する中で「昨日、財務省から出たとたんに、安倍夫人から電話があり『どうなりました? 頑張ってください』と言っていた」と唐突に持ち出した。 首相は予算委で「籠池氏は言っていることをころころ変えている。そういう人物の証言だ」とし、信ぴょう性はないと指摘した。 同じデータでは、近畿財務局側は交渉冒頭で「本省から指示を受けている」と籠池氏に説明している。(金杉貴雄)2018年2月2日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「昭恵氏が名誉校長 学園のHPで確認」から引用 森友問題については、昨年の国会で資料は捨てたし記憶は無いということであったが、今年になってから無いはずの資料が出てきたり、重要な録音テープが出てきたりしており、昨年の安倍政権の答弁の中には少なからず虚偽答弁が含まれていたのではないかという疑念が浮上している。この問題については、政治の私物化を許さないためにも徹底追及するべきである。
2018年02月03日
今回の国会では与党の横暴がまかり通って、野党の質問時間を削って与党の質問時間を増やすという愚策が実施されている。しかし、質問時間が長くなってもそれを有効に利用できない与党議員が、途中で質問を切り上げようとしため野党からヤジが飛んだと、30日の読売新聞が報道している; 29日の衆院予算委員会で、自民党の堀内詔子氏が予定の質問時間(45分)を数分残して切り上げようとしたため、野党側のヤジで場内が騒然となる場面があった。堀内氏は「申し訳ありません。質問を続けさせていただく」と述べた上で、「私自身の質問時間を超えてしまうという思いから(予定していた)質問を削除した」と釈明し、持ち時間を使い切った。 同委の質問時間配分は与党の要求で「与党20%・野党80%」から「与党33%・野党67%」に変更されたばかり。時間を削られた野党からは、堀内氏が質問時間を無駄にしていると見えたようだ。堀内氏の後で質問に立った立憲民主党の逢坂誠二氏は「与党の質問を聞いていると台本読みのような印象を受けた」と皮肉った。2018年1月30日 読売新聞朝刊 13S版 4ページ「与党の時間配分増えたのに…」から引用 政府と与党は元々政治思想や政策に対する考えが同じなのであるから、いちいち国会で質問をしなければならないような問題が多く存在するわけがないのであって、「与党20,野党80」という時間配分は妥当であると考えられる。しかも、この時間配分が決まったのは民主党政権下で、野党である自民党の意見を民主党が容れたものであった。それが、この度は与党である自民党が野党の質問時間を削ったのであるから、自民党の横暴極まれり、である。国会の議論は、異なる立場からの異論を戦わせる点に価値があり国民に益するものであるから、質問時間の配分は民主党政権下の決定に戻すべきである。
2018年02月02日
経済的にも政治的にも超大国としての地位が確立されつつある中国について、東京大学名誉教授の大沼保昭氏は、1月30日の読売新聞に次のように書いている; 2018年の日本にとって最も重要な国際政治上の課題は北朝鮮の核ミサイル開発を食い止めることにある。だが課題はそれだけではない。超大国化しつつある中国との関係の再構築は、長期的な観点から見たときさらに重要な問題である。超大国・中国は米国中心の世界秩序に巨大な変容をもたらしうるからである。 私は1980年代に「経済摩擦の歴史的定位」(中央公論86年9月号)でこうした認識に基づき、「和魂洋才」ならぬ「中式洋才」をもって強大化した中国が世界に巨大な重圧感を与えるだろうと予測した。それから30年。予測が外れなかったのは学者としてうれしいことだが、実際に強大化した中国の行動は国際秩序に暗雲を投げかけている。 国際秩序は時代の力と理念を反映する。20世紀、世界の力と理念は欧米にあった。21世紀、力は中国を中心とするアジアに移るだろう。だが、理念、ソフトパワーはどうだろう。 19世紀までの中国は、諸国民から畏敬の念をもって見られる文明大国だった。露骨に力の外交を繰り広げ、観光客の所業が世界中でひんしゅくを買う現在の中国にそうした魅力はない。 他方、理念に無関心で諸国から侮蔑(ぶべつ)の念を抱かれているトランプ大統領の下で理念的指導力が激減した米国との対比で中国の指導部は自信を強め、「中式」の普遍的価値・利益論を掲げ始めている。「一帯一路」もアジアインフラ投資銀行も、それがカバーする広い地域の人々が共有できる価値と利益をうたっている。 それらは中国の鎧(軍事的強圧や経済的圧力)を隠す美しい衣(建前)ではある。しかし、そうした衣と鎧の二重性は、20世紀の米国主導の国際通貨基金(IMF)、世界銀行や、19世紀の大英帝国の政策にも常に存在したのである。 重要なのは、強国が鎧をむき出しにするか、衣をより美しくしようと努めるかである。そしてその選択は、強国の指導者や国民だけでなく、その国を見守る諸国民の見方や政策にも依存する。 1920年代、新興の強国・日本が英米本位の国際秩序に刃向かおうとした時、中国の孫文は日本国民に武に訴える覇道をとるか正義公道で人を感化する王道を歩むかと問うた。日本国内にも石橋湛山などの「王道」派はいたが、欧米の黄禍論や排日移民法はそうした国際協調派の居場所をなくし、対外強硬派が政軍を支配した。日本は結局武力で国際秩序に挑戦する覇道をたどり、国を滅ぼした。 この歴史は示唆的である。共産党政権下の中国にも美しい建前を実現しようという人々はいる。中国に軍事的に「対峙する」だけでなく、中国の人々に「私たちがかつて尊敬してやまなかったのは貴国の優れた思想、芸術、礼節です。強大な軍事力ではありません。それを思い起こし、覇道でなく王道を歩んでください」と根気強く説き続けることはきわめて重要である。 超大国・中国と敵対するとき、日本の安全も繁栄もあり得ないのだから。大沼保昭(おおぬま やすあき)東京大学名誉教授。著書に「人権、国家、文明」「東亜の構想」「国際社会における法と力」「『歴史認識』とは何か」など。71歳。2018年1月30日 読売新聞朝刊 12版 13ページ「論点-中国に『王道』説くべき時代」から引用 この記事は、書いてあることが一々当たっているので、実に「我が意を得たり」という感想を持ってしまう。元々中国は、東アジアの文化と道徳の中心となっていた大国であり、日本を初めとする周辺の諸国はその影響の下で繁栄したのであった。それが近代化への転換で西欧に遅れを取ったために、先走った日本に侵略されるという失態を演じたが、今ではその遅れを取り戻して、東アジアは本来あるべき姿に戻ろうとしているのではないかと思います。したがって、上の記事が指摘するように、国際秩序への挑戦に武力を使って失敗した日本の例を参考にして、中国にはしっかりした「王道」を歩んでほしいものだと思います。
2018年02月01日
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