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今月西東京市で開かれた韓国人元戦犯に対する救済を求める集会について、23日の東京新聞は、次のように報道している; 第2次大戦中、日本軍属として捕虜監視員に従事した韓国人の元BC級戦犯、李鶴来(イハンネ)さん(93)が16日、地元の東京都西東京市で開かれた集会に出席した。「日本人」として裁かれながら援護の対象から外された李さん。以後、60年以上、日本政府に謝罪と補償を求める運動をしてきたが、まだ実現していない。元戦犯や遺族への特別給付金の支給を柱とした救済法案の国会提出は今年も見送られた。李さんは「亡くなった仲間の名誉回復が、生き残った者の務め」と声を振り絞った。(安藤恭子) 朝鮮半島出身の元BC級戦犯をテーマとした写真パネル展が行われた、同市の公民館。元戦犯や遺族でつくる「同進会」の会長を務める李さんが車いすに乗って登場すると、約30人の支援者らが温かな拍手で出迎えた。 会員は多い時は70人を数えたが、今、当事者で活動できるのは李さんだけ。その李さんも、先月頭にたまった血を摘出する手術を受けた直後で、体調は万全ではない。 「特別な対応を求めているわけじゃない。日本人戦犯と同じ、当たり前の補償を求めているだけ」「これは不条理ではないですか。差別をなくしてほしい」。語り口は次第に熱を帯び、30分近く話し続けた。 李さんは1925年、日本統治下の朝鮮南部の小作農家に生まれた。17歳で日本軍属の捕虜監視員の募集に応じ、タイの泰緬(たいめん)鉄道の建設工事に従事した。全長約400キロに及ぶこの工事はのちに「死の鉄路」と呼ばれ、捕虜約5万5千人のうち1万人余りが過酷な労働や伝染病で死亡した。 李さんは戦後、捕虜虐待の罪に問われ、連合国側の軍事裁判にかけられた。「病気の捕虜を強制的に作業させた」として絞首刑の判決を受けたが、のちに刑期20年に減刑され、巣鴨プリズン(東京)に移送された。李さんのように有罪とされた朝鮮半島出身のBC級戦犯は140人。うち23人が処刑された。 52年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本国籍を失った李さん。56年に釈放されたが、住まいもなく異国の地に放り出された。軍人軍属を対象とした日本の恩給法や遺族援護法でも、援護制度の対象外に置かれた。 「日本人」として裁かれながら、「外国人」として切り捨てられる矛盾。仲間とタクシー会社を起こし、日本で生計を立てる場をつくった。 「祖国からは『対日協力者』と冷たく見られ、釈放された後、自殺した友人もいた。私たちには民族的な負い目がある。日本人の戦犯とも違い、せめて祖国のために尽くした、という心の慰めもない」。李さんはこう嘆いた。 李さんら元BC級戦犯が国に謝罪と補償を求めた訴訟は99年に敗訴が確定したが、最高裁判決は「適切な立法を講じることが期待される」と国会に促した。民主党(当時)が2008年提出した救済法案は廃案となり、今は超党派の「日韓議員連盟」(会長・額賀福志郎元財務相)が新たな法案の提出を目指す。 ただ、日本企業に韓国人元徴用エヘの賠償支払いを命じた韓国大法院(最高裁)判決、慰安婦問題を巡る15年の日韓合意に基づいて設立された財団の解散と、戦後補償問題における日韓関係の悪化もあり、議員立法の見通しは不確かだ。李さんは「すべての当事者がいなくなる前に、立法の実現を」と訴える。 この日、李さんに付き添った同進会副会長の朴来洪(パクネホン)さん(62)は「戦後73年たってもなお、高齢の李さんがこうして闘わないといけない状況は、悔しくて寂しい。日本の若い人たちにもこの問題を知ってもらい、両国の相互理解の中で解決を望みたい」と話した。2018年12月23日 東京新聞朝刊 11版 24ページ 「韓国人元戦犯 見えぬ救済」から引用 戦争が終わって72年も経って、まだ未解決の問題が残っていたとは呆れた話です。軍属の募集に応募したときは「日本人」として採用されて勤務し、戦犯の罪に問われて収監されて刑期を終えて出てきたら日本国籍を失っていたというのは、本人の「自己責任」ではなく、明らかに日本政府の都合でそうなってしまったわけですから、これは政府の責任で救済するべきです。これから国家公務員になろうとする若者も、祖先がやり残したこういう仕事もあるということを念頭に置く必要があると思います。
2018年12月31日

政府が国会に無断で勝手に国際捕鯨委員会を脱退したことについて、早稲田大学の水島朝穂教授が批判したことを、27日の東京新聞は次のように報道している; 日本政府のIWC脱退決定について、水島朝穂・早大法学学術院教授(憲法学)は、憲法の観点から問題点を指摘する。 × × × 国際機関への加盟の根拠となる条約の締結について、憲法73条は、事前もしくは事後の国会承認が必要としている。その趣旨からすれば、条約や国際機関からの脱退も国政の重大な変更であり、国会での議論抜きにはあり得ない。 だが、安倍政権はIWCからの脱退について、野党や国民にきちんとした説明をしないまま、臨時国会閉会後に決めてしまった。 国際機関からの脱退を内閣が勝手に行い、国会にも説明せず、記者会見もすぐに開かない。この「聞く耳を持たない」姿勢は一貫しており、安倍政権の「国会無視」「憲法軽視」の姿勢の到達点ともいえる。 (憲法66条が定める)内閣が国会に連帯して責任を負うという意味は、国民にきちっと説明するということだ。 IWCからの一方的な脱退は、憲法98条が掲げる「国際協調主義」を捨て去る最初の一歩になりかねないと警鐘を鳴らしたい。http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201812/CK2018122702000147.html東京新聞Web「国会に説明なく、憲法軽視 IWC脱退 早大・水島朝穂教授」から引用 安倍政権が国会を無視し憲法を軽視するのは以前からのことではあるが、問題が国内に限定されているうちは海外のメディアは静観であったが、国際機関から脱退となると欧米のメディアも注目するし、安倍首相や与党幹事長の選挙区は沿岸捕鯨の拠点であることと関連があると報じる海外メディアもあるらしい。安倍政権の軽挙妄動が国際社会における日本の地位を低下させている。
2018年12月30日
日本政府が国際捕鯨委員会を脱退することについて、21日の日本経済新聞は次のように報道している; 政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退方針を固めた。IWCに残留しても商業捕鯨の再開に理解が得られないと判断し、捕鯨戦略を大きく転換する。(1面参照) 科学調査を含めいっさいの捕鯨を認めようとしない反捕鯨国が増え、議論が先に進まないいらだちは分かる。しかし、今なぜ、IWCという国際組織から脱退しなければならないのか。理解に苦しむ。「自分の意見が通らないなら国際的な枠組みから抜ける」というやり方は、米トランプ政権となんら変わらない振る舞いに映るだろう。 IWCを脱退し、日本が商業捕鯨の再開を強行すれば欧米やオセアニア諸国の反発は避けられない。日本が議長国となり、2019年に大阪で開く20力国・地域(G20)首脳会議や20年に開催する東京五輪の運営にも影響しかねない。 日本に対するイメージは悪くなり、輸出拡大どころか、日本食品の不買運動などにつながる可能性さえ否定できない。 IWCを脱退すれば、これまで継続してきた南極海などでの調査捕鯨はできなくなる。失うものが多い判断と言わざるを得ない。 IWCを脱退することで政府がめざす日本の排他的経済水域(EEZ)内での商業捕鯨が、本当に国際的に認められるかどうかも疑問だ。 日本が締約する国連海洋法条約は捕鯨について「保存、管理および研究のために適当な国際機関を通じて活動する」ことを規定している。 地域に根付くクジラ類の食文化を残すことは重要だ。だが、商業捕鯨を再開し、捕獲数を増やしてもそれに見合うだけの国内需要かあるかどうかも疑問だ。1960年代に年20万トンを超えた鯨肉消費量は今や5千トンほど。1万トン強の需要がある馬肉と比べても半分程度に減つた。牛肉や豚肉が身近になり、消費者の選択肢が豊富になったからだ。 「持続可能な開発目標(SDGs)」などに取り組む企業が増える中で、流通大手が再び鯨肉製品を店頭に並べるようになるとは考えにくい。販売先確保がままならず、補助金頼みでは商業捕鯨再開といっても事業の持続可能性に疑問符が付く。 政府がIWCの脱退を決め、商業捕鯨を再開するというのであれば、こうした疑問について国民に分かりやすく説明してほしい。(編集委員 志田富雄)2018年12月21日 日本経済新聞朝刊 13版 2ページ 「IWC脱退 代償大きく」から引用 日本が国際捕鯨委員会を脱退するのは戦前に国際連盟を脱退したのと同じくらい愚かな行為というべきです。商業捕鯨の話が先に進まないから脱退するというのも取って付けたような話で、まったく説得力がない。元々IWCに所属して南氷洋で調査捕鯨を行なって、それで得られた鯨肉を調査船が国内に持ち帰っているが市場には出回ることもなく、恐らく廃棄処分されているものと考えられる。食糧事情が厳しかった大昔はいざ知らず、現在の日本には牛、豚、鶏が十分に流通しており、その上にトランプのご機嫌伺いばかりしている安倍首相のせいで、アメリカからもっと牛肉を輸入させられかねない情勢になっているのであるから、もはや鯨肉の出番はないと言って過言ではありません。食文化を大切に、などともっともらしいことを言う人もいますが、そんなものは何かの本に「昔、日本人は鯨を食べてました」と一言書いておけば事足りるというものでしょう。それでも安倍政権が鯨肉にこだわってIWCを脱退する本当の理由は何か? それは多分、水産庁の「利権」であろうと考えられます。政治の私物化が国際社会と摩擦を起こすレベルにまでなったことの意味を、国民は考えるべきだと思います。
2018年12月29日
先の国会で自民党が改憲案の提示に失敗した経緯について、ジャーナリズム研究者の丸山重威氏が16日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 安倍晋三首相の改憲スケジュールを狂わせた力は、何だったのでしょうか-。 自民党は6日に予定していた衆院憲法審査会の開会を断念しました。首相がもくろんだ臨時国会中での自民党改憲案の説明が挫折し、メディアは「首相『改憲シフト』裏目」(「朝日」6日付)などと解説。この背景には3000万署名を初めとする国民の運動と、院内での野党の共闘がありました。 安倍首相は10月の内閣改造と併せ、中谷元・元防衛相らを改憲推進本部幹事から外し、本部長には側近の下村博文元文科相をあてました。側近・強行派らの「改憲シフト」で憲法審査会への改憲案提出を狙いました。 下村本部長は自民党の小選挙区の全支部に改憲推進本部を組織し運動を進めるよう指示し、全国行脚を開始。同時に「安倍政権の下では議論したくない人が多い。自民党全体でしっかり対応し『安倍色』の払拭(ふっしょく)が必要」(「読売」11月4日付など)と、「安倍隠し改憲」を表明。同9日のCS-TBSでは審査会開催反対の野党を「国会議員の職場放棄だ」と非難しました。 問題は、改憲反対の運動を、一般紙がほとんど書かず、書いても短信扱いだということです。 「自民党改憲案の国会提出に反対する」と緊急声明を出したのは「改憲問題対策法律家6団体連絡会」(10月26日)。11月28日には市民連合がシンポジウムを開き、6野党・会派が勢ぞろいしました。しかし、各紙は無視かぺ夕扱いです。 自民党は同29日、審査会の開催を強行。12月6日の改憲案説明を狙いましたが、これには「総がかり行動実行委員会」が早朝緊急行動。審査会は開けませんでした。 いま民衆の力は政治を動かし始めています。「運動を書くこと」はメディアの重要な責任。来年も改憲策動は続きます。運動を見つめる姿勢が求められています。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2018年12月16日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-国民の運動を書くこと」から引用 国民の間の改憲反対の運動についてメディアが無関心であるということは、問題です。報道機関として政権の意向をいち早く「報道」することだけが価値ある行動だと考えるのでは、戦前の失敗を繰り返すことになり、そういう報道姿勢は問題だと思います。それにしても、下村博文議員は急に党改憲推進本部幹事に抜擢され、いきなり全国行脚を始めて全国の県連に改憲推進本部を組織したからといって、1か月足らずで急に改憲論議が始まるわけがありませんから、先の国会中の「改憲案提示」が如何に無理筋であったか、冷静に考えればわかりそうなものですが、そういう「無理」をゴリ推しするのが安倍政権の特徴であることを、国民は自覚する必要があると思います。
2018年12月28日
安倍政権の最大の罪について、法政大学教授の山口二郎氏は23日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 今日は平成最後の天皇誕生日である。このところ天皇家と政府の関係が不安定になっていることがうかがえる。 19世紀イギリスの批評家ウォルター・バジョツトは、『イギリス憲政論』の中で国家機構を、尊厳的部分と機能的部分に分けている。機能的部分とは実際に社会を統治する政府、尊厳的部分とは人々から服従や忠誠を引き出す権威とされる。そして、国王に代表される尊厳的部分が安定的統治の秘訣であるとした。 安倍政権の最大の罪は、尊厳的部分、つまり明文化されていない権威を軽んじている点にある。機能的部分の中にも尊厳的部分のような役割を果たす公的機関がある。従来であれば、法秩序の安定性のために内閣法制局が自立した権威を持ち、通貨の信用維持のために日本銀行が中立的権威を持ってきた。しかし、この6年間、安倍政権はこれらの公的機関の人事を壟断(ろうだん)し、政治的道具とした。 2013年4月28日に、講和条約から沖縄が取り残されたことに心を痛めていた天皇に主権回復記念式典への臨席を求めたことから始まり、安倍政権は君主制にまで自らの政治的意思を押し付けようとしてきた。 平成の終わりに当たって、ためにする改憲議論を終わらせ、戦後憲法体制の正統性を広く確認、共有することが日本の秩序のために必要である。(法政大教授)2018年12月23日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-尊厳的部分」から引用 内閣法制局長官や日銀総裁は形式上、内閣総理大臣が任命することになっているとはいえ、その立場は一党一派に偏ることのないように「中立公正」が望まれる性質のものであるため、歴代総理大臣も任命に当たっては個人的都合を排除して、誰が見ても「中立公正」な人選になるように配慮したものであったが、安倍首相の場合はそのような伝統的手法を止めて、自分に対するイエスマンを法制局長官に任命して伝統的憲法解釈をねじ曲げ、同じくイエスマンを日銀総裁にしてアベノミクスと称する問題含みの経済政策を無理矢理実行してきている。その上、皇室までも自らのイデオロギー演出に利用しようとしたのは問題であった。賢明な明仁氏は早い時期から安倍首相の怪しげな言動を察知したのか、ここ数年は政権批判とも取れるようなコメントを出すことが度々あったのは国民にとって幸福なことではなかったと思う。
2018年12月27日
現在は大阪日日新聞の記者である相澤冬樹氏は「終わっていない森友問題」について、16日の「しんぶん赤旗」で次のように話している; 学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却をめぐり、スクープを報じていた元NHK大阪放送局記者の相澤冬樹さん(56)が8月、NHKを退職しました。現在、大阪日日新聞の記者です。相澤さんに森友問題や退職の経緯、NHKの姿勢などについて聞きました。安川崇記者 私は、森友学園問題は終わっていないと思っています。なぜ、大阪府は認可基準を満たすか疑わしい小学校設立を認めようとしたのか。なぜ財務省は国有地の代金を8億円も値引きしたのか。 誰が見てもおかしいことをやっているのに、安倍(晋三)首相も財務省も、「適切だ」と繰り返すばかり。行政文書を求めても「もう廃棄した」と。ところが後から「ありました」と出てくる。改ざんまでしていたのですから、あきれます。 2つの「なぜ」が解明されるまで私は取材を続けます。 私はNHK大阪放送局記者時代、森友学園問題で2つのスクープを報じました。 1つは国有地売却に関する2017年7月の二ユースです。財務省近畿財務局は学園側に国有地を売却する際、事前に「いくらまでなら支払えるのか」と聞き、提示額を下回る額で国有地を学園側に売却していた、というものです。 もう1つは、ごみの撤去費の名目で鑑定額から8億円以上も値引きされて国有地が売却された問題にかかわる今年4月のニュースです。財務省側が学園に「何千台ものトラックを使って敷地内のゴミを撤去したことにしてほしい」と”口裏合わせ”を求めていた、というものです。 いずれも事実だったことは国が認めています。◆局長から電話が 私が1つ目のスクープを報じた直後から、NHKでは動きがありました。 東京の報道局長が大阪の報道部長の携帯に電話をかけてきました。大きな声だったので、そばにいた私にも漏れ聞こえました。「聞いてないぞ」「(ニュースを)なぜ出したんだ」・・・。 大阪の部長は「『君の将来はないと思え』と言われたよ」と苦笑していました。私は「自分のことだ」と直感しました。 2つ目のスクープを報じる際には放送直前に、野党議員に特ダネ情報が漏れているという理由であやうく放送が出せなくなるところでした。結局放送はされましたが、夜のニュースの最後という扱いでした。 5月、大阪放送局最上階にある局長応接室に呼ばれ、「(番組を講評する)考査部に行ってもらう」と言われました。記者職から外すというのです。「今後は考査に専念してもらう」と言われた時、NHKは二度と私を取材現場に出さないつもりだと確信しました。 「記者を辞めるくらいならNHKを辞める」と迷わず決めました。 森友学園問題と加計(かけ)学園問題は、どちらも首相と首相に近い人物でつくる「安倍ファミリー」が深く関与し、行政がゆがめられたという点では同じ構図です。 でも一つ、大きな違いがある。森友学園は小学校が開校できず、龍池泰典前理事長夫妻は逮捕されました。他方、加計学園の獣医学部は新設されました。 この違いは、安倍首相との距離の違いだと思います。 首相と極めて親しい加計孝太郎理事長は、「ファミリ-」の一員だったので守られました。しかし龍池氏は、ファミリーに近づきつつあったけれど、そこまで近い存在ではなかったのでしょう。 NHKについてはこれまでも「政権寄り」という批判がありました。しかし近年は、明らかにバランスを失しています。私のスクープにみられるように、政権にとって都合の悪いニュースにはブレーキをかけるという構図がはっきり見えてきました。◆信頼を取り戻す 現在、NHKだけでなく、「プロの記者が取材して書いた報道」が、信用されなくなっています。ネットで「フェイクだ」と言われると、それを頭から信じ込む人がたくさんいる。「信じたいものだけを信じる」傾向です。報道の危機です。民主主義の危機でもあります。 そういう人たちから信頼を取り戻すのはメディアおよびメディア側にいる者の責任です。 その一つの策として、私は森友問題の本質や取材経過、報道の裏側を本にまとめました。題は『安倍官邸 vs NHK森友事件をスクープした私が辞めた理由(わけ)』まじめで深刻な内容を面白い話になるよう努めました。首相を支持する人にこそ、この本を読んでほしいと思っています。2018年12月16日 「しんぶん赤旗」日曜版 32ページ 「『政権寄り』強まるNHK」から引用 何故8億円も値引きすることになったのか、経緯を説明する文書を出せと野党が国会で追及したとき、政府は「文書は廃棄したから無い」と言っていたのですが、今から思い返すと、あの時政府が正直に答弁すると「現在、公文書を書き換え中なので、すぐには出せない」ということになっていたワケです。野党が「公文書をそんなに短時日のうちに廃棄するのはおかしい」と、更に追及すると「よく探したら、ありました」と言って、改ざんし終わったばかりの偽公文書を国会に提出し、その後一年近くに渡って国民を騙し続けたということです。このような悪事は、一介の理財局長の発案で出来ることではありません。そのような無理なことをしても、理財局長には何のメリットもない。彼にそんなことをやらせるチカラをもつのは首相官邸のみであり、官邸の誰が佐川理財局長に命令したにせよ、責任は安倍首相にあることは議論の余地がありません。
2018年12月26日

森友問題で特ダネをスクープしたNHKの記者が、功労を評価されるどころか「余分なことをした」と左遷された挙げ句退職に追い込まれた事件について、19日の東京新聞は次のように書いている; 森友学園問題でスクープを連発した元NHK大阪放送局記者の相沢冬樹さん(56)が書いた「安倍官邸 vs NHK」(文芸春秋)=写真=が13日に発売された。政権に不都合な特ダネを抑えようとする上層部とのせめぎ合いを描くノンフィクションだ。記者職を外されたとして、現在は地方紙「大阪日日新聞」に転職。「本当に今、視聴者の方を向いた報道ができていますか」と、31年間在籍した古巣に問い掛ける。(安藤恭子) 「森友問題では、かつてないような局内の圧力にさらされた」 そう話す相沢さんが指摘するのが、昨年7月26日、司法キャップとして書いた特ダネヘの反応だ。財務省近畿財務局が森友学園に国有地を格安で売却する際、学園が支払える上限額を事前に聞き出していたとの内容。夜の「ニュース7」で報じると、「私は聞いてない。なぜ出したんだ!」と大阪放送局の報道部長の携帯電話に何度も電話がかかった。 電話の主は全国の報道部門トップにいる報道局長で、怒号がその場にいた相沢さんらに漏れ聞こえたという。局長は政治部畑を歩み、官邸とも太いパイプがあるとされる。報道内容に細かく指示を出し、現場は萎縮していた。 「電話を受けた部長は『あなたの将来はないと思え、と言われちゃいました』と苦笑いした。取材した私にも、いずれ人事で跳ね返るとピンときた」。翌朝の続報は書き直され。 「おはよう日本」での放映時間も目立たない後ろの時間帯に移った。 今年3月、朝日新聞が「財務省が公文書書き換え」と報じた後にも「圧力」があった。「クローズアップ現代十」で取り上げることになり、相沢さんは「問題発覚直後、財務省側か『トラック何千台もごみを搬出したことにしてほしい』と学園側に電話をかけていた」という特ダネを打つ。役所がうその「口裏合わせ」を求めていたという内容だ。 ところが、午後7時と9時のニュースでは報じられたものの、看板番組のクロ現での放送は見送られた。放送当日の4月4日、東京の社会部デスクが電話でこう話したという。「野党議員が『今日NHKが森友の特ダネを出すから見ろ』と言い回っている。報道局長に伝わり『情報が漏れた』と激怒している」 相沢さんは「なんで出さないんですか!」と抗議したが、覆らなかった。このニュースはNHK内の賞も受けたが、6月の異動で記者職を外され、番組の評価などをする考査部へ。8月末にNHKを退職した。 「私たちの取材費は受信料から出ている。だからこそ公共放送として高水準の報道が求められる。NHKの政治報道は国会に人事と金を握られる放送法の仕組みの中で、偏らないように折り合いを付けてきた」 それが近年変わってきたとみる。クロ現のキャスターが変更されたころから、「政権べったり」と言われるようになった。自民党総裁選直前の9月の北海道地震では、死者数などを「首相発表」と強調するニュースが繰り返され、PRのようだと批判された。 NHK広報局は「報道機関としての自律的な編集判断に基づいて放送しており、報道局長の意向で報道内容を恣意(しい)的に歪(ゆが)めた事実はありません」としている。相沢さんは「メディアに忖度と自己保身がはびこっていないか」と警告する。今後も「大阪日日」の紙面などで強く発信するつもりだ。 「森友問題は終わっていない。ライフワークとして大阪で記者を続けていきたい」2018年12月19日 東京新聞朝刊 11版S 22ページ 「暗雲メディアに警鐘」から引用 この記事に描かれた報道局長の言動は、安倍晋三が一介の議員に過ぎなかったころに起こした「慰安婦」番組介入事件のときのNHK側責任者の言動によく似ている。この記事ではクロ現のキャスターが変更された頃からNHKはおかしくなったと書いているが、こういう体質は以前からあったのではないかと思います。「朝日、岩波、NHKが戦後民主主義の旗手」と言われた時代が懐かしい。
2018年12月25日
沖縄県名護市辺野古の埋め立てについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は19日の東京新聞に、次のように書いている; 2013年12月27日がひとつのターニングポイントだった。その日、当時の仲井真弘多知事が、政府が提出していた沖縄県名護市辺野古の埋め立て申請を正式に承認したのである。「普天間飛行場の県外移設」を公約にして当選した知事の、裏切り行為というべき承認だった(そして翌14年11月の知事選で仲井真氏は落選した)。 次の翁長雄志知事による埋め立ての承認取り消し(15年10月13日)を巡り、県を相手に国が起こした違法確認訴訟で、最高裁が国の請求を認め、承認取り消しは違法だとする判決が確定したのは16年12月20日だった(翌17年4月25日、国は埋め立ての第一段階となる護岸工事に着手した)。 そして今度は、12月14日の土砂の投入である。なんだってこう沖縄では県民感情を逆なでするような暴挙が12月に集中するのか。まあ、脅しですよね。「もう抵抗しても無駄」「おとなしく観念しな」「年内に決着させてしまおうぜ」という。それに呼応するようにメディアも「政府の基地建設 後戻り困難に」(朝日新聞・15日)とか書くしさあ。 何が後戻り困難さ。今までにも工事は何度も中断してきたのだ。すでに工期は延び、工費は膨れ上がり、当初の計画は破綻している。土砂の投入量はまだわずかである。後戻りはできるさ、まだまだ。(文芸評論家)2018年12月19日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-12月の変」から引用 「すでに後期は延び、工費は膨れあがり、当初の計画は破綻している」というのは、政府が辺野古に建設中の米軍基地に限らず、青森県に建設中の核燃料再処理工場や、一度も本格稼働しなかった「もんじゅ」、福島原発の廃炉費用など枚挙に暇がない。どれもこれも安倍政権下のことだから、これはやはり考えなければならない。
2018年12月24日
安倍政権が沖縄県民の民意を無視して違法に辺野古沿岸を埋め立てていることについて、法政大学教授の山口二郎氏は16日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 安倍政権はついに辺野古への土砂の投入を始めた。沖縄県民の身を切られるような痛みを想像しながら、暴挙を傍観するしかないのが情けない。 民主主義国家において、力による直接行動は弱者、被治者が強者、権力者に異議申し立てをするとき、一つの方法として是認されている。黒人の政治参加の権利を求めたワシントン大行進から、最近のフランスにおける黄色いベストの運動に至るまで、市民が街頭に出て声を上げることで、強者が己の間違いに気づかされることがある。 日本では、正反対に権力者が少数者、被治者に対してむき出しの力を振るっている。政府は合法的手続きを取ったと言い張るが、それは防衛省幹部が私人のふりをして行政不服審査に訴えたという茶番に由来する偽の合法性である。 権力者の力ずくがまかり通るのは野蛮国である。スペインの思想家、オルテガは『大衆の反逆』の中で野蛮人の特徴として、他人の話を聞かない、手続き、規範、礼節を無視することを挙げている。日本の権力者にもそのまま当てはまる。「敵とともに生きる! 反対者とともに統治する! こんな気持ちのやさしさは、もう理解しがたくなりはじめ」たとオルテガは書いた。 私たちにも、野蛮を拒絶し、文明の側に立つという決意を固めることくらいはできる。(法政大教授)2018年12月16日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ 「本音のコラム-野蛮の国」から引用 日本の政府が文明国の政府であれば、野党の主張に耳を傾け、法的手続きを尊重し、規範・礼節を守るはずであるが、この国では誰もが知る通り、安倍政権は野党の主張に耳を傾けず、質問をされても関係のない話で時間を潰して、結局の質問には答えないのであるから、国会審議は無いに等しい。手続きを尊重しない態度も、一般国民が行政に不服があるときに使用する制度を「国」の一機関が一般国民になりすまして「不服」を申し立てるというデタラメに現れている。公文書を改ざんしたり、国会で偽証をしても、誰も責任を取らず、退職した部下の責任にしているのは規範も規律も無視した態度で、どこからどう見ても文明国の政府のやることではない。こういう野蛮な政府を倒すには実力行使が最適であることを、そろそろ国民は自覚するべきである。
2018年12月23日
すでに250万人の外国人が生活している日本で、政府はその数をさらに増やすための法案を強行採決して成立させたのであるが、このことについて一般市民も無関係ではないことを、関西学院大学准教授の貴戸理恵氏が16日の東京新聞で、次のように説明している; 「労働力を呼んだら、来たのは人間であった」。外国人労働者と受け入れ国の課題を巡って、しばしば言及されるスイス人小説家の言葉である。 今月8日、外国人労働者の受け入れ拡大を図る改正入管難民法が成立した。一方で、日本に住む人の多くは「自分の暮らしに大きく関わる」とは思っていないのが現状ではないか。だがこれは、政治家だけが考える問題ではない。 やってくるのは「人間」である。いや、すでに250万人を超える外国人がこの国で生活している。人間は働き、学び、子どもを産み育て、地域と交わる。異文化の人間の増加は、隣人である私たちが、日常のなかで変化を迫られることを意味する。 あえて卑近なところから考えたい。例えば、日本の小学校のPTAには「任意参加だが、必ず何かの役を務めねばならない」という、日本人でも理解不能な慣例が少なくない。それを外国人の保護者にどう説明するのか。共生を目指すなら、まずは日本人保護者たちがPTAとは何かを考え、分かりやすいルールづくりをするしかないだろう。 個々の多様性を認め合うためには、制度は「暗黙の了解」に頼らず、明確なルールを持つ必要がある。それを実感したのは、2010年代の半ばに、家族を連れて豪州に留学したときだった。1990年代以降の新自由主義の流れのなかで、リベラルな多文化主義は退潮し、移民の選別や国家統合の強化が進んだとされる豪州。それでも「多文化主義とはこういうことか」と、はっとさせられることが多かった。 印象的だったのは、私か住んだ南オーストラリア州では、子どもと関わる仕事をするためには、たとえボランティアであろうと、児童虐待防止のための研修を受けなければならなかったことだ。 育児や保育の価値観は、文化的多様性が大きい。例えば子どもの髪に触れるしぐさが、「なぐさめ」「侮辱」「セクハラ」いずれの象徴にもなりうる。上記の研修では「子どもに関わる際に身体に触れない」ことがマニュアル化されていた。私のような、子どもが泣いていればつい「どうしたの」と頭をなでたくなる日本の女には、共感できないルールであったが、とにかく分かりやすかった。 「何がだめか」はすべて平易な英語で明文化されていたのだから。 生活者としての外国人を受け入れるなら、先に挙げたPTAのような日本社会の「暗黙の了解」を見直し、「明確なルール」にしていくことが求められる。そしてそれは、受け入れる側が「何のためのルールなのか」を丁寧に話し合い、言葉にすることを通じてやっていくしかない。 さらに、相手に対するルールの設定は、共生に向けて自らが変わることとセットでなければならないだろう。例えば、野放しにされている「○○人は民度が低い」などといった発言を、明確に「差別」だと認識し、少なくとも公的な場からは完全になくす合意形成と啓発が必要だ。 差別が消えることはないだろう。豪州でも、外国人労働者の3分の1が最低賃金の半額以下で働くなど、移民に対する差別は根強い。だが重要なのは、それを差別だと認識し、是正に向けて尽力することだ。「人間」としての外国人との共生は、私たち自身の変化を抜きにしては達成されないのだから。(関西学院大学准教授)2018年12月16日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-日常から考える外国人問題」から引用 この記事は外国人労働者を受け入れることについて、説得力のある明快な文章になっていると思いますが、先の国会で聞かれた政府側の答弁からはかなり乖離しているように感じられます。この記事の冒頭に引用されているように、労働力を呼び込む積もりでも実際にやってくるのは「人間」だという欧米の教訓を、日本政府はまったく学んでおらず、「5年間滞在したら帰国してもらう」とか「特例を設けて、試験に合格した者は更に5年の滞在を認める」などと言って、あくまでも永住はさせないという「人権無視」をやろうとしているのは、今後是正しなければならない問題だと思います。人口減少に合わせて社会を少しずつ変えていくことを拒否し、現状を維持するために外国人のチカラに頼るのであれば、我々日本人は「先住民」としての自覚を持って、新たにやってくる「新住民」を受け入れるために、上の記事が示唆するような受け入れ態勢を整えるべきだと思います。
2018年12月22日
外国人労働者を故意に労働基準法の適用外にしようとする悪質な日本人経営者の実態について、16日の東京新聞は次のように書いている; 「日本に移民はいない」。政府はそう言い張る。だが、外国人はもう長いこと日本で働き、暮らしている。彼らの労働相談に30年取り組む、東京東部地域ユニオン協議会(下町ユニオン)の加瀬純二事務局長(57)は「外国人労働者の受け入れ拡大の前に、すでに受け入れている現状を認め、きちんと処遇するべきだ」と、政府のまやかしをとがめる。(中沢佳子) 下町ユニオンの結成は、1988年9月。江戸川、江東、墨田の各区で、1人でも加盟できる労働組合として活動する3つの地域ユニオンでつくり、外国人の労働相談にも応じた。 当時、出稼ぎで働くオーバーステイ(不法残留)の外国人が目立つようになっていた。「下町は人手不足に悩む零細の製造業が多く、たくさん外国人を雇っていた。彼らは日本人が働こうとしない3K(きつい、汚い、危険)職場を底辺で支えていた」と振り返る。 最初、相談はそう多くなかった。だが、93年には不法残留は30万人に迫った。バブル崩壊で不況に陥った94年ごろから相談は増え、やがて年100件を超えた。解雇を巡る内容が多かった。 この時期は、不法残留者の犯罪や不法就労の取り締まりも強化されていた。「摘発を逃れようと勤務先を逃げ出し、給料を受け取れないままクビになるケースが多かった」。不払い分を払うよう交渉すると、企業は「不法就労者に払う必要はない」と拒んだ。 90年の入管難民法改正で、定住や自由な就労が認められたブラジルやペルーなどの日系人も、都合よく扱われた。企業は合法で安価な労働力として飛びついたのに、2008年のリーマン・ショツクでは手のひらを返して解雇した。 ただ、加瀬さんの予想よりも相談は少なかった。「日系人の後ろには派遣会社がいる。集団で入国させて寮に入れ、郊外や地方の工場で働かせて囲い込んでいた。日本語が上手でなく、暮らしに関する手続きも派遣会社に頼りがちになる。『次の仕事を紹介しない』と脅されると、逆らえない」と説明する。 何より問題は、外国人技能実習制度だという。「国際貢献」を掲げても、実態は技能のいらない単純作業。低賃金やひどい待遇も横行している。 加瀬さんが相談を受けた20代のベトナム人男性は、建設会社で足場の解体作業をした際、上から落とされるパイプを地上で受け取る作業をやらされた。そのパイプが足を直撃し、男性は大けが。会社は治療費のみ出し、休業補償は渋った。「この作業の何が『技能』だ」。加瀬さんは憤る。 日本の受け入れ窓口になる監理団体も見直しが必要だ。クリーニング会社で働く20代のミャンマー人女性は結核を患い、会社との通訳をした監理団体の担当者に「治療にお金がかかり、休み中は給料も出ない」と帰国を勧められた。 加瀬さんは「休業補償を受けて休めばいいし、結核の治療費は公費の助成がある。監理団体はそういうことも教えず、企業の言いなりだった」と語る。 実習生の多くは来日前に渡航費や研修費の名目で借金を背負わされ、立場も弱い。「無用な搾取を防ぐためにも、送り出す国と日本のやりとりは、民間でなく政府同士がやったほうがいい。チェック機能を働かせ、いざという時に駆け込める第三者機関も必要だ」 合法、非合法を問わず、外国人はずっと都合のいい労働力と扱われてきた。だからこそ、加瀬さんは受け入れ拡大の流れにくぎを刺す。「人間を『商品』とみなすことを、許しちゃいけない」2018年12月16日 東京新聞朝刊 11版S 28ページ 「外国人 30年間『商品』扱い」から引用 外国人技能実習制度は問題があります。「実習生」などという名称にして、あたかも労働者ではないかのように見せかけて、しかしやらせることは単純労働で、普通の労働者のような賃金は支払わないでこき使うことができて、残業代もナシでとおる。こういう「まやかし」にメスを入れて、正常な労働環境を整えるべきです。取組みも、小規模のユニオンに任せるだけではなく、連合が組織的に取り組むべきだと思います。
2018年12月21日
鳴り物入りの大宣伝が功を奏してベストセラーになったと言われる百田尚樹「日本国紀」について、アマゾンの「カスタマーレビュー」には、次のような批判的なコメントが掲載された。それぞれの文の頭に「・」がついたものが「日本国紀」からの引用文で、その下に書かれたのが評者のコメントである;2018年11月12日形式: 単行本まず最初に触れておかねばならないのは、本書に参考文献が全く記載されていない事だ。どの資料を参考にしたか分からず、「~かもしれない」「~であろう」という著者の推測が非常に多い事などから考えて、本書を歴史書と呼ぶのは難しい。500ページ以上の日本通史とは言っても、本書の重点はどう見ても幕末以降の近現代史に置かれており、それ以前の歴史に関しては浅くて薄い記述に留まっている。以下、本書で気になった箇所を取り上げる。・十七条憲法が日本の民主主義の起源であった。十七条憲法は単なる掟のようなものであり、本来の憲法(英語ではconstitution)とは別物である。民主主義の起源とはとても呼べない。ちなみに「和を以って貴しとなす」は元々孔子の『論語』にある一節であり、日本独自のものではない。・日本の過去の女性天皇は、8人全員が男系である。つまり、父親が天皇である。著者最大のミス。男系とは、父親が天皇である、という意味ではない。しかも、女性天皇の中で父親が天皇なのは6人であり、全員ではない。・継体天皇の時に皇位簒奪が行われたのではないか。「天皇は万世一系でなければならない」という不文律があり、このため『日本書紀』に不自然な記述をする必要があったと考えられる。保守派の著者らしからぬリベラルな発言である。万世一系自体に無理があるから仕方がないかもしれないが。・日本が鎖国をしていなければ、やがて東南アジアを征服し、欧米諸国にも勝てていたかもしれない。夢を見るのは自由だが、根拠がなさすぎる。ライトノベルたる所以である。・日本には元々虐殺の文化はない。それはヨーロッパの文化である。これについても根拠がない。日本にも、後に見るような虐殺事件が存在する。・関東大震災の際の朝鮮人虐殺には虚偽が含まれている。中には震災に乗じた朝鮮人のテロリストグループによる犯行もあった。犠牲者が6000人というのは正しくなく、司法省の記録では233人である。朝鮮人も悪い、と責任転嫁するだけでなく、犠牲者数まで意図的に低く見積もっている。司法省の記録は最少の人数であり、歴史研究によってより多くの犠牲者が出た事は確実と見られている。・客観的に見れば、南京大虐殺がなかったと考えるのがきわめて自然である。大虐殺否定の根拠は、虐殺を報じた外国人記者の記事は伝聞を元にしたものに過ぎない、南京の人口は20万であり、占領後1ヵ月で25万に増えている、などの使い古されたものばかりである。これらはすでに歴史家によって論破されている。著者でさえ、民間人が虐殺された事は認めている。また、通州事件を元に、日本も被害を受けた、と印象操作しているが、犠牲者は200人強であり、先程著者が意図的に少なく見積もった関東大震災の朝鮮人虐殺の犠牲者と同じくらいではないか。都合の悪い事実は過小評価し、都合の良い事実は過大評価しているのではないか、と見られても仕方がない。・朝鮮人慰安婦に関しては、日本軍による強制の証拠は見つかっていない。著者が知らないだけで、証拠はいくらでも存在するが・・・。「朝鮮人慰安婦に関しては」とわざわざ断りを入れている点から見て、日本人、台湾人、オランダ人などに対しては、軍の強制があったと認めているのだろうか。・日本はアジアの人々と戦争はしていない。日本が戦った相手は、アジアを植民地にしていたアメリカ、イギリス、フランス、オランダである。中華民国を忘れていませんか?アジアの人々と戦争はしていないからアジアに対する侵略ではないという主張のようだが、それだとアジア人国家の中華民国との戦いについては、日本の侵略と認めていいのだろうか。あと、フランスに対して日本は宣戦布告した事はない。以上、ざっと見ただけでも間違いが多かった。特に男系の記述については致命的なミスである。本書を元に歴史を語るのは控えた方が良さそうだ。追記何度か読み返した結果、ミスをまた発見した。本書の486ページで、「日本の歴史には大虐殺もなければ宗教による悲惨な争いもない」と書いておきながら、141ページには「信長は(略)延暦寺との戦いでは寺を焼き尽くし、僧だけでなく女性や子供まで数千人を皆殺しにした。一向一揆鎮圧の際も女性や子供を含む2万人を皆殺しにしている。これは日本の歴史上かつてない大虐殺である」と書いている。果たして同じ人物が書いたのかどうか、また、校閲はどうなっているのか非常に疑問に思う。追記その2致命的なミスと指摘した男系についての記述が、第4刷でいつの間にか修正されたようだ。修正するのは構わないが、その前に読者に説明なり何なりするのが筋ではないだろうか。誤りを認めたという事になるからである。第1刷の記述「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である。」第4刷の記述「日本には過去八人(十代)の女性天皇がいたが、すべて男系である。つまり父親を辿ると必ず天皇に行き着く。」比較対照しやすいように、並置してみた。違いが一目瞭然ではないだろうか。(後半は省略)https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1OFSAWY4DN9SS/ref=cm_cr_arp_d_viewpnt?ie=UTF8&ASIN=434403385X#R1OFSAWY4DN9SSアマゾン・カスタマーレビュー「ミスター・ディグ」の欄から引用 このカスタマーレビューにも書いてあるとおり、「日本国紀」は過去に右翼が何度も南京大虐殺や慰安婦問題に関わる日本側の責任を否定しようとして持ちだしては論破された「言説」を蒸し返しただけのシロモノで、学術的な検討はなされておらず、とても歴史書と呼べるレベルの書物ではないことは明らかです。このようなものを購入して読むなどという行為は、お金と時間の無駄以外の何ものでもないと言えます。
2018年12月20日
会計検査院が調査して先月国会に報告した森友学園問題について、元放送記者の藤田文知氏は9日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; テレビニュースはこの1ヵ月、「入管法」をめぐる与党の横暴や日産カルロスーゴーン容疑者の逮捕などに集中しています。同時に忘れてはならないのは、自殺者まで出した財務省の文書改ざんです。 森友学園への国有地売却問題で会計検査院は11月22日、今年春から進めてきた追加検査の結果をまとめ、改めて国会に報告書を提出しました。再報告書では、文書改ざんや記録を隠していたことは違法と認めました。しかし国有地をなぜ、8億2千万円も値引きして売ったのか、決裁文書を改ざんしたのは誰をかばうためだったのかなど、根幹に触れる部分は依然明らかにはなっていません。 同日の「NEWS23」(TBS)は、公文書を改ざんした当時の責任者である佐川宣寿元理財局長について、「会計検査院は、すでに退職しているなどの理由で同氏の懲戒処分は要求していない」と報じました。 これについて、星浩キャスターは、こうコメントしました。「会計検査院法には、国家公務員が国に損害を与えたと認められた時には懲戒処分を求めることができると書いてある。今回、佐川氏がやったことは、明らかに国に損害を与えている。これでは(会計検査院の)役割をまったく果たしていない」 再報告書について、NHKは短いニュースでは扱っていましたが、「ニュース7」や「ニュースウォッチ9」などメインニュースでは放送していません。これまで「森友・加計問題」を比較的放送してきた「報道ステーション」(テレビ朝日)もノーマークでした。 森友問題では公文書が改ざんされ、国会ではうその答弁が繰り返され、世論調査では今でも国民の7割以上が納得していません。なぜそんなことがまかり通ったのか、核心に迫らないまま解明がおろそかになっています。すべてのメディアに奮起を期待したいところです。(ふじた・ふみとも=元放送記者)2018年12月9日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ 「メディアをよむ-森友疑惑 解明忘れるな」から引用 会計検査院法には、国家公務員が国に損害を与えたと認められた時には懲戒処分を求めることができると明記されており、佐川宣寿は理財局長として不当な値引きを行なって、その証拠を隠滅したことは、今では誰も目にも明らかで、これは麻生財務大臣も認めている。それを本人が退職しているという理由で罪を問わないというのは、会計検査院の職務怠慢である。次の国会では、この問題を最重要課題として追及していくべきである。
2018年12月19日
最近気になった書籍について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は12日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 書店には「当代一のストーリーテラーが、平成最後の年に送り出す、日本通史の決定版!」を謳(うた)う歴史の本がもっか山積み。発売されてまだ1ヵ月なのに、アマゾンには早くも500件近いレビューがついていた。 でも、この本のことは別の媒体(さっき原稿を送ったばかり)に書いたので、これ以上はふれない。それよりも、右の本といっしょに買った別の歴史の本が予想以上に素晴らしく、ちょっと感動してしまったのだ。 『ともに学ぶ人間の歴史』(学び舎)。じつはこれ、中学校の歴史分野の教科書である。 まず驚いたのが巻末の年表で、日本史の時代区分は「北海道など」「本州など」「沖縄など」の3本立て。17世紀を例にとれぱ、北海道は「アイヌ文化の時代」、本州は「江戸時代」、沖縄は「琉球王国」だ。この年表で学んだ子どもは日本の多様性を知り、北の先住民にも沖縄の基地にも目が向くだろう。 受験向きではないこともあり、採択しているのは国立や私立の一貫校が中心。昨夏、この教科書を選んだ灘中学に大量の抗議文が送りつけられたことでも注目された。抗議は慰安婦に関するものだったが、そんなのは枝葉の問題。このような教科書で学んでいる中学生がいると考えるだけでも嬉しい。唯一の難点は、少部数のためか入手しにくいこと。なんとかならない?(文芸評論家)2018年12月12日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-正しい年表」から引用 百田尚樹著「日本国紀」と「ともに学ぶ人間の歴史」(学び舎)は現代日本の対極にある本と言えるのではないか。前者は戦後民主主義になじむことが出来ずに戦前に回帰しようとする人たちのバイブルで、後者は戦後民主主義を正しく継承して発展させようという人々の努力の結果だと思います。この2つの勢力がこの先どうなるかは、支持勢力の多い少ないで決まる問題ではなく、一定時間の中でウソや偽りの多い方が先に消滅するものであろうと、私は思います。
2018年12月18日
自民党・萩生田幹事長代行が来年の通常国会で改憲案を示したいと発言したことを、12日の東京新聞は次のように報道している; 自民党の萩生田光一幹事長代行は11日の記者会見で、同党がまとめた改憲4項目の条文案について「来年の通常国会の中で、憲法審査会の定例日を有効に使って提示したい」との方針を示した。 萩生田氏は「自民党案を審査してくれということではなく、各党の思いや考え方を示しながら意見交換し、充実した議論をお願いしたい」と各党に憲法論議を呼びかけた。 安倍晋三首相が10日の記者会見で2020年の新憲法施行を目指す考えを改めて示したことについては「あらかじめ時間的日程を区切って審議をしてほしいと言うつもりはない」と話すにとどめた。(清水俊介)2018年12月12日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「改憲案の提示『来年通常国会で』」から引用 この度の国会の前に、安倍政権は改憲推進のために盤石の体制を組んで臨んだのであったが、親分から子分へのプレッシャーがあまりにも強すぎて、焦った子分の舌禍が原因で遂に今国会では憲法審査会が全然進まずに終わってしまった。もともと憲法改正の議論は国民が始めるものであって、首相や国会議員のような行政や立法の権力側にある者が推進するのは邪道であり違法である。安倍晋三氏は10日に、首相という立場で記者会見しながら2020年に新憲法の施行を目指すなどという不謹慎な発言をし、憲法遵守義務を定めた現行憲法に明確に違反する行為を行なったのであったが、メディアがこれを厳しく批判しないのは異常な事態である。私たちの社会がまだ健全性を失っていなかった時代では、自民党内に改憲論が持ち上がると必ず次の選挙で議席を減らすのが普通であったが、今はそのブレーキが効かなくなったために権力者が平気で憲法違反の発言をするようになっている。由々しい事態が進行しいてることを、我々は自覚するべきだ。
2018年12月17日
法務省が秘匿していた調査結果を野党議員が調べたところ、外国人技能実習生が3年間で69人も死亡していたことが明らかになった。この事実についてコメントを求められた安倍首相が「(その資料を)見ていないから答えようがない」と答弁したことについて、法政大学教授の山口二郎氏は9日の東京新聞コラムで、次のように厳しく糾弾している; 入管法改正案の審議の中で、外国人技能実習生が3年間で69人も死亡していたことが明らかになった。現在の技能実習制度は奴隷的労働の温床となっていることは明らかである。この事実についての見解を問われた安倍首相は、「見ていないから答えようがない」と答えた。これだけ多くの人命が失われているのだから、答えようがないはないだろう。審議の前日、「ややこしい質問を受ける」と軽口をたたいた揚げ句がこれか。 沖縄では辺野古埋め立てのための土砂搬入の準備が進められている。土砂を積みだす施設はカミソリ付きの鉄条網で囲われたというニュースもあった。このまがまがしい鉄線は、あたかも県民を強制収容所の囚人とみなしているようで、沖縄を見下す国家権力の象徴である。 敢えて言う。今の政府は人でなしの集まりである。外国人労働者は人間ではなく単なる労働力であり、死に追いやられる人権侵害があっても平気の平左。沖縄で県民が民主的手続きを通して新基地建設について再考を求めても、一切聞く耳を持たず、力ずくで工事を始めようとする。沖縄県民は主権を持つ国民の範躊には入れられていない。 人間の尊厳に対してここまで無関心さらには敵意をたぎらせるのは、あの権力者たちが人間として欠陥を抱えているからとしか思えない。(法政大教授)2018年12月9日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-人間破壊の国」から引用 安倍首相の誠意に欠ける答弁は今に始まる話ではないが、外国人技能実習生の死亡事案に関する首相答弁は政権側の複数の不手際が重なっている。第一に法務省は外国人技能実習生の中に死者が出ていることを隠蔽してきており、野党の追及で実は法務省はそのことについて調査を実施しており結果も出ていることを認めざるを得なくなったものである。野党議員が要求して資料を公開する羽目になっても、資料をコピーすることを認めず野党議員に手作業で書き写すことを強要している。このようにして明らかになった事実についてコメントを求められた首相は、本来であるならば開口一番、行政府の長として法務省の不手際を国民に謝罪するべきであったのだが、主権者である国民を「下々の民」として軽蔑している普段の性格からして望むべくもないことであった。「見ていないから答えようがない」との答弁も、本人は当たり前であるかのように言ってのけたが、これもとんでもない非常識である。国会議員が質問の前に事前に通告するのは、専門的で細かいデーターを示す必要があるというような事態に配慮して「事前通告」する場合はあるが、必ずしなければならないという規則はないし、事前通告のない質問には答弁する義務がないなどというルールも存在しないのに、安倍氏は勝手に自分のアタマの中でそういうルールをでっち上げて勝手に満足している。まして、今回の質問は野党が独自に調査したもので世間では誰も知らない情報というものならいざ知らず、安倍政権下の法務省が長年国民に秘匿していた情報なのであるから、安倍首相としてコメントできないわけがない。百歩譲って情報の真偽の確認が必要であるとしても、遅まきながらこのような事実が判明したことについて、行政府の長としてどう考えるのか、コメントするのが常識のある人間のすることだ。それが出来なかった者は「人間として欠陥を抱えている」とレッテルを貼られても致し方の無いところである。
2018年12月16日
中身のない法案は与党も野党も議論のしようが無いのだから、そういう法案は廃案にするのが常識であるが、今回の国会では与党の横暴で勝手に審議を打ち切り強行採決を行なった。ろくに審議もしないで強行採決をしようと画策する与党を、新聞各紙はどのようの報道したか、弁護士の白神優理子氏は、2日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改定案を、安倍政権与党が国会で強行しようとしています。 「国会の自殺行為ではないか」という社説を掲げたのは「朝日」(11月23日付)。「従来の政策を大きく転換するのだから、相応の覚悟と国内の態勢の整備が当然求められる。・・・ところが与党は、月末から安倍首相が外遊するので、とにかく急がなければならないと繰り返す。国会は首相の都合で動く下請け機関なのか」と批判します。 「毎日」(同20日付)は財界の動向を指摘します。「経団連の中西宏明会長は・・・『審議を急いで早く実施してほしい』」「日本商工会議所の三村明夫会頭は・・・国会が早く本格論議に入るよう求めている」。審議についても「経済の論理だけを先行させ、『移民ではない』と矮小(わいしょう)化を図っている」(同5日付)といいます。 地方紙も-。「またも数でごり押しか」(「北海道」電子版同23日付社説)、「議論の材料が足りない」(「京都」同15日付社説)、「外国人技能実習 存廃含め抜本的に見直せ」(西日本新聞同14日付)、「失踪実習生誤データ 国会審議の前提崩れた」(沖縄タイムス同19日付)など批判が殺到しています。 注目は、いつも安倍政権に同調する「産経」「日経」。「産経」は、学者の推進論を載せつつも「主張」(同15日付)で「法案の土台から築き直せ」「今国会での法案成立にこだわらず・・・」と指摘しています。「日経」(同13日付社説)も「新しい制度の全体像がみえない」といいます。 他方「読売」(23日付社説)は、一定の問題は示しつつも、結局は「外国人が、より長く働ける環境を整える。新制度の意義は小さくない」と推進です。 労働者の命と人権にかかわる重大問題でもある同法案の審議。民主主義を否定する横暴な暴走が続いています。これに正面から向き合うことこそメディアの役割ではないでしょうか。(しらが・ゆりこ=弁護士)2018年12月2日 「しんぶん赤旗」日曜版 「メディアをよむ-入管法改定に批判噴出」から引用 外国人労働者の問題については、現在法務省が保管している「失踪実習生」のリストなどを徹底的に調査する必要があります。法務省は本人が悪意をもって勝手に失踪したかのような表現をしてますが、実態は悪質な労働環境に耐えられなくなって脱走したもので、責任は雇用した企業側にあります。その辺を誤魔化すことなく、今後は実習生が失踪した企業の名前を公表して、企業に反省を求め労働環境の改善に努力するように促す必要があると思います。
2018年12月15日
国会が存在する意味をまったく無くした入管法改正案の審議とその結果について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、5日の東京新聞コラムに次のように書いている; 「審議が長引くと法案のアラが目立つから、ここはさっさと通してしまおうぜ」「そだねー」。以上がおそらく政府与党の本音だろう。今にはじまったことではない。 彼らの下で働く官僚諸氏の本音はどうか。部下「こんな適当なデータの取り方でいいんですか」。上司「いいんだよ。法案に不利な数字でも出してみろ。上に怒鳴られるのがオチだぞ」。部下「そだねー」 ってなやりとりをしているとしか思えない。 失踪した外国人技能実習生で失踪理由が「最低賃金以下」だった人は0・8%(22人)と法務省は公表していた。しかし野党が調べた結果は67・6%(1939人)が最低賃金割れだった。当初は87%が「より高い賃金を求めて」失踪したとも発表していた法務省。そうまでして入管法改正案を通したい?そだねー。 水道法改正案も同様である。海外では民営化の失敗例が相次ぎ、再公営化した事例は35力国180件ともいう。が、公営に戻した海外の事例を厚労省は3例しか調べていなかった。調査はアリバイ? そだねー。 「忖度」が流行語大賞に選ばれたのは昨年だったが、文書改ざんも虚偽答弁もOKの政治風土では、そりゃあやる気もなくすわね。かくて「そだねー」なる人畜無害な流行語を後目に人畜有害な法案が可決される。笑えないよ。(文芸評論家)2018年12月5日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-人畜有害法案」から引用 最低賃金以下で労働を強要されたために行方をくらました実習生は、法務省の発表では0・8%(22人)となっていたのに、野党議員が法務省にデーターを出させて独自に数えたら67・6%(1939人)であることが判明した。法務省は虚偽の発表をしていたことになるが、その責任は誰がどのようにとったのか、現場の担当者はどのような処分を受けたのか、メディアはそのようなことに関心がないのか、何も報道がないのはおかしい。政府がデタラメのデーターを発表し公文書は改ざんし、国会答弁ではウソ八百を並べるのは、安倍政権では日常茶飯事であるため、メディアはもうニュースバリューがないと思ってるのかも知れないが、こういうことを放置しているために、国会は存在意義を失い、日本はファシズム再現に向かって邁進するばかりである。このような政治の状況を静観はしていられない。
2018年12月14日

文部科学省が調べたところでは、全国の小中学校の31%で太陽光発電の設備が導入されていると、5日の東京新聞が報道している; 文部科学省は4日、太陽光発電設備がある公立小中学校は、5月1日時点で全体の31・0%に当たる9022校だったと発表した。2015年度の前回調査から6・4ポイント増加した。風力発電なども含めた再生可能エネルギー設備を持つのは1万063校で、このうち停電時も校内に電気を供給できる割合は14・1ポイント増の58・6%に上った。 文科省は「学校が避難所に指定されていることを踏まえ、災害時でも空調などを利用できるよう、再生エネ設備の設置が進んでいるのではないか」と分析している。 太陽光以外では、風力発電設備を設置しているのが587校、間伐材で作った燃料などを使うバイオマス熱が169校、太陽熱155校、地中熱107校などだった。 国は、温暖化対策の推進につながるとして、太陽光や風力発電設備などの設置にかかる費用の半額を補助している。東日本大震災の影響もあり、太陽光発電の設置校数は調査を始めた09年度から7倍以上に増えている。2018年12月5日 東京新聞朝刊 12版 6ページ 「小中学校31%で太陽光発電」から引用 全国の小中学校の31%に太陽光発電設備が導入されているとは驚きです。私の地元の災害時避難所に指定されている小学校は、太陽光発電はおろか、体育館に空調設備すら未設置ですから、何年かに一度行なわれる選挙の投票日ともなると、冬は大型の石油ストーブで暖を取れるのですが、真夏の酷暑の投票日は、投票立会人のボランティアにとっては、正に「試練の一日」になります。今年の秋もその小学校の体育館と校庭を借りて防災訓練を行ないましたが、体育館には大きな段ボールで間仕切りして仮設の避難所にして、参加した住民のみなさんに実際にその間仕切りの中に座ってもらって、避難所体験をしてもらいました。説明員は「避難所というのは、このように窮屈でプライバシーは守られず、あまり長くはいたくない場所なのですから、イザ災害が起こったときも、自宅がそれほど大きな損傷がないときは、避難所よりは自宅に寝泊まりするほうがいいということもありますから、慎重に判断する必要があります」と説明してました。本当の災害が発生するまでには、行政に働きかけて、あの小学校の体育館にエアコンを設置させて太陽光発電を導入したいものだと思います。
2018年12月13日
入管法改正案の強行採決を批判する投書が、5日の東京新聞に掲載された; ニュースでまた国会の採決強行シーンを見ました。入管難民法改正案を審議する衆院法務委員会。何ともやるせない気持ちです。 外国人技能実習生や留学生の過酷な実態が野党の追及でやっと明らかになり、失踪原因について「より高賃金を求めて」との政府答弁が嘘(うそ)だったことも明らかになったばかり。これから議論をというところで採決するのが、正しい姿でしようか。十分に議論が深まったというのでしょうか。 今後5年間で政府の言う34万人の外国人がこの日本に入ってくるということに対し、これからの国の在り方や私たち国民の意識改革を含めた熟議を国会の議論で期待したのですが、見事に裏切られました。これでは国会は不要です。何のための国会なのか。国民は政府与党に全権委任したわけではありません。2018年12月5日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「発言-入管法の改正 議論が不十分」から引用 入管法改正案は議論に値する内容がまったく無い法案で、野党議員が質問すると政府側は一応答えるが、「そういうことが、法案のどの部分に書いてあるのか」と追及すると「実は、法案には書いてありません。法の成立後に省令で定めることになっている」と、こういう意味のない答弁が数回繰り返されたように思います。これでは法案としての形をなしていないわけで、そんな法案は国会としては門前払いするべきところ、数に頼んだ与党の横暴でゴリ推しされました。これでは国会が存在する意味がないわけで、新聞読者が「何のための国会なのか」と嘆くのも無理ありません。安倍政権下で日本は独裁政治体制になったということになります。韓国では、朴槿恵政権で似たような状況になりかけたところ、韓国の市民は立ち上がり朴政権を打倒しました。フランスでも人々が立ち上がり、不当な増税を止めさせました。日本でも、人々が実力行使に立ち上がらないかぎり、安倍政権の「独裁化」を防ぐ方法はないと思います。
2018年12月12日
政府が巨額の武器をアメリカから輸入して、支払いは年度をまたいで分割払いになることについて、法政大学教授の山口二郎氏は2日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 憲法86条は、予算は毎年度国会が審議し、「議決を経なければならない」と規定している。 この条文が毎年度と明記していることには意味がある。多年度にわたる予算を許せば、それだけ国会の吟味がおろそかになり、国民にとって長期にわたる負担や拘束が押し付けられる危険があるからである。 しかし、今の日本ではこの財政民主主義が危うくなっている。本紙の「税を追う」という特集が明らかにしている通り、防衛費において値の張る装備品が分割払いで発注され、将来にわたって防衛費を押し上げる構造を作っている。しかも、その装備品が本当に日本の防衛に必要かどうかの吟味は不十分で、米国の言うままに、トランプ政権のご機嫌を取るために高価な買い物をしているのが実態である。 社会保障費の増加、災害の多発など、国の予算を必要としている問題は広がり続ける。歳出の優先順位を考えることは国民的課題である。第2次世界大戦の英雄で後に米国大統領を務めたアイゼンハワーは、退任に当たって軍産複合体が民主主義の脅威になることを警告した。そして、「警戒心を持ち見識ある市民のみが、巨大な軍産マシンを平和的な手段と目的に適合するように強いることができる」と述べた。今こそこの言葉をかみしめなければならない。(法政大教授)2018年12月2日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-財政民主主義」から引用 私もサラリーマン時代には国立病院や自衛隊に機材を納品する仕事を担当したことがあって、その時はどこの担当者も「納品と支払いが年度内に終了すること」が絶対条件で「年度をまたいだ分割払いは不可」と厳しく言われたもので、当時の私はてっきり国の予算は分割払いを許していないのであって、そのように規定した法律があるのだろうくらいに思っておりましたが、昨今の新聞を読んでいると、安倍政権はアメリカからの武器輸入を年度をまたいで契約したなどと書かれており、それを野党が問題として取り上げたという話は聞かないし、おかしいなと思ってました。その謎を解くのがこの記事で、昔私がお世話になった国立病院や自衛隊の担当者は、憲法86条に「予算は毎年国会が審議し議決を経なければならない」と書いてあることが根拠で出入りの業者に「納品と支払いは年度内に」「年度をまたいだ分割払いは不可」と言っていたのだということが分かりました。それと同時に判明したのは、安倍政権の考え方です。安倍政権の場合は、憲法にも法律にも「年度をまたいだ納品や支払いは禁止」という条文がないから、そういう契約も違法ではないという考え方のようです。だから、政府のトップがそういう姿勢になると、国立病院や自衛隊の現場の担当者は日常の出入りの業者にどのような説明をしているのか、気になるところです。いずれにしても、安倍政権はこれまでの自民党政権とはかなり異質であるという点に、国民は留意が必要と思います。
2018年12月11日
先月末、衆議院会館で開かれた「徴用工問題」の解決を訴える市民団体の集会について、1日の東京新聞は次のように報道している; 第2次大戦中に動員され強制労働をさせられたとして、韓国の元徴用工の遺族らが三菱重工業に賠償を求めた訴訟をめぐり、原告の1人の証言映像が先月30日、衆院第一議員会館で開かれた集会で紹介された。前日に韓国の大法院(最高裁)が同社の上告を棄却し賠償命令が確定したばかり。原告男性は日本企業に「自発的に和解の道を模索してほしい」と訴えた。(皆川剛) 証言したのは「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」の李国彦(イグクォン)代表。映像は、判決前日の28日に韓国・光州市で撮影された。上告棄却を前提に、約4分間にわたり韓国語で訴訟への思いを語っている。市民団体「アジアと日本の連帯実行委員会」が主催する集会で上映され、日本語の翻訳付きで約150人が聞き入った。 李氏はまず、同じく大戦中に強制連行され過酷な労働を強いられたと訴えた中国人に対し、2007年に日本の最高裁が裁判上の賠償請求権を退ける一方、企業に裁判外での救済を促した判決に触れた。「韓国大法院の判決は、この最高裁の判断をあらためて確認したにすぎない」と主張した。 07年判決を受け、被告の西松建設は解決金の支払いや記念碑の建立などを原告と約束し、09年に和解が成立。16年には、強制連行された中国人と三菱マテリアル(旧三菱鉱業)が同様に和解した。「1965年の日韓請求権協定により賠償問題は解決済み」との立場を日本政府が崩していない中でも、企業主導で歴史的責任を認めた和解の取り組みが進んできた。 李氏はこうした経緯を念頭に「日本企業は、大法院の最終判断が出るまで引き延ばすのではなく、早期に被害者と和解する道を模索してほしい。関係者は90歳を超えており、個別の訴訟を通じて救済を受けさせるのは道理に反する」と訴えた。 また、米朝両国や韓国と北朝鮮の歩み寄りの動きを引き合いにして、「今は和解の時代。日本と韓国が平和の新時代を切り開くためにも、日本政府に最終列車に同乗してほしい」とも述べた。 原告を支援する「太平洋戦争被害者補償推進協議会」幹事の金鎮英(キムジニョン)氏もソウルから電話で参加し、「大法院判決は賠償を命じたが、『お金で解決しなさい』という意味ではない。謝罪のために、日本企業は何か起きたのかを調べ、理解してほしい」と話した。 2人の発言に先立ち、戦後賠償問題に取り組んできた恵泉女学園大の内海愛子名誉教授が徴用工問題の背景を解説した。 内海氏は、冷戦下に結ばれた65年の日韓基本条約で、10年の日韓併合条約を「もはや無効(already null and voil」と合意した際の「もはや」という文言のあいまいさが問題だと指摘。朝鮮半島の併合がかつては適法だったとする日本と、そもそも不法だったとの立場の韓国とが折り合わないまま、両国に異なる解釈を許してきた経緯に言及し、薇用工の問題も歴史の中で問い直していく必要がある」と述べた。 元徴用工の遺族や元朝鮮女子勤労挺身隊員に対し、三菱重工業に賠償を命じた確定判決のほか、韓国では10月にも新日鉄住金(旧新日本製鉄)に賠償を命じる判決が確定。日本企業計約70社を相手取った訴訟がさらに12件控えており、追加提訴の動きもある。2018年12月1日 東京新聞朝刊 11版S 26ページ 「日本企業は和解の道 模索を」から引用 戦時中に動員された労働者の問題については、この記事が示すように2009年、2016年と企業の自主的な調査と努力によって和解する実績が積み上げられつつありました。それを、この度日本政府が訴えられた当事者でもないのに勝手に民間の裁判に介入し「和解」を妨害した罪は重いと言えます。被告企業は安倍政権の軽挙妄動に惑わされることなく、判決を謙虚に受け入れて自主的に解決することを考えるべきです。
2018年12月10日
今年の春は現職自衛官が国会議員に「国民の敵だ」などと暴言を吐くという事件があり、雑誌「通販生活」はシビリアン・コントロールの特集を掲載しました。その中で、元防衛大学校長、五百旗頭真氏が、自らの経験を元に次のように述べています;◆防衛大学初代校長が学生たちに説いた「服従の誇り」という考え。 シビリアンーコントロール(文民統制)とは、国民によって選ばれた政治家(政府)に軍人が服し、政府の判断に従って行動することですが、日本の過去の歴史を振り返れば文民統制の重要性を顕著に示す事例がたくさんあります。 たとえば、1928年に満州で起きた張作霖爆殺事件です。関東軍の河本大作参謀が独自の判断で現地政府のトップを爆殺したのですが、軍部も政府も公的に処罰しませんでした。これが「軍人が国のためを思って行なう下剋上と独断専行はお咎めなし」という先例となり、その後は軍部に対するブレーキは弱まり、日本は戦争と破滅の道を突き進んで行ったのです。 社会における最大の実力組織である軍隊が、自らの思い込みや信念によって行動することはきわめて危険なため、民主主義国家では文民統制が求められています。こうした過去の過ちへの反省の下、52年に防衛大学校(当初の名称は保安大学校)が設立されました。吉田茂首相(当時)は学校設立にあたって、文民統制の徹底した「下剋上のない自衛隊」の幹部を育成することを求めました。 これを受けて、政治思想史家でもあった槇智雄・初代防衛大学校長が学生たちに向かって説いたのが「服従の誇り」という考え方です。通常、服従とは奴隷的で屈辱的なものですが、自衛隊の国民と政府への「服従」が自発性に基づく積極的なものであるのなら、それはむしろ「誇り」となる。つまり、文民統制を自らの信条として内面化することを求めた考え方と言えます。 同時に、槇校長は「広い視野、科学的思考力、豊かな人間性」という3つの教育方針を掲げました。これもまた、旧日本軍が国際的視野を見失った過去への反省から生まれたものです。 私は2006年から12年まで防衛大学校長を務めましたが、この教育方針を引き継ぎながら様々な改革を進めました。以前は理工系だけだった博士課程を人文社会系にも設置し、世界の主要な文化のほぼ全てをカバーできる教授陣を揃えるなど、地域研究にも力を入れました。私自身も、月1回は教壇に立って、全学生に向けて「世界の中の日本」といったテーマで講義をしました。また、海外の士官学校との人的交流を拡充することで、学生たちに広い視野を持つ愛国者に育ってもらいたいと考えました。◆防衛大学の教育内容に疑念が持たれるきっかけとなった「田母神事件」。 校長就任翌々年の08年に、田母神俊雄・航空幕僚長(当時)が、政府見解と異なる歴史認識を記した論文を無断で発表し、更迭される事件が起きました。当然彼の出身校である防衛大学の教育に疑念を抱く声が一部メディアからあがりました。 私はあの論文を見て「防衛大学卒業生ともあろう者が、こんな程度の低い歴史観を公表するのか」とがっかりしたこともあり、防衛大学の歴史教育の内容を改めて調査してみたのです。結果は、資料根拠に忠実な事実主義が貫かれており、過去の戦争の賛美も糾弾もない淡々とした記述が基調でした。防衛大学の教育においては創設時より文民統制の考え方が貫かれており、学生たちや卒業生である自衛隊員には、それが内面化されているというのが私の観察です。 もちろん、そこから逸脱した考えを抱く人も自衛隊内にはいます。たとえば戦後平和主義の時代より自衛隊が「税金ドロボー」などと社会から冷たく報ぜられたことを恨む人です。田母神氏は統合幕僚学校の校長時代に右の論客を講師陣に揃えていました。また、現在も海上自衛隊の幹部学校では偏った歴史教育が行なわれているとの批判も聞きます。 今回の3等空佐による暴言事件は1人の自衛隊員によるものですが、その背景には時流の変化が感じられます。平和主義の時代に自衛隊員にツバするのと同じく、今国民の共感を得た自衛隊員が意見を異にする反対派を罵倒するのは恥ずべき振る舞いです。 戦後しばらくは、社会から厳しい目を向けられていた自衛隊ですが、阪神・淡路大震災(95年)や東日本大震災(11年)などの被災地での救援活動によって国民からの支持は高まりました(下図参照)。それをいいことに、調子に乗った者が今回のような暴言事件を起こす――。戦前の軍部の威丈高だった時代から何も成長していない。恥ずべきことだと思います。 こうした「逸脱」を広げないためには、上に立つ「文民」の態度や質も重要です。文民統制とは、統制される側の意識だけでうまく回るものではありません。コントロールする側の国民と政治(家)の質もまた問われます。「逸脱」があったときに「そんなことをやっていたら国民の信頼を失って、国を守るどころではなくなる」と、きちんと叱責できるようでなければならないのです。 防衛省・自衛隊においては日報隠しの問題も明らかになりましたが、そこには自衛隊内部の問題だけではなく、公文書を私物化する日本の官僚機構共通の後進性は別としても、自衛隊という実力組織を統御する力量が政治家の側になければ話になりません。安全保障問題への理解と人としての器量がなくて、どうしてコントロールするのでしょうか。 軍事とは、国を守るために非常に重要なものですが、同時に一つ間違えば危険なものです。その両面性を理解し、文民統制の重要性をしっかりと認識している政治家が防衛大臣であること、それが、文民統制が正しく機能するための必須条件だと思います。いおきべ・まこと●1943年、兵庫県生まれ。広島大学、神戸大学の教授などを歴任し、2006年~12年まで防衛省防衛大学校の校長を務める。今年4月より現職。『激動のアジア太平洋を生きる』(熊本日日新聞社)、『日本は衰退するのか』(千倉書房)ほか著書多数。「通販生活」2018春号 74ページ 「文民統制が正しく機能するためには、コントロールする側の国民と政治家の質も問われます」から引用 文民統制が適切に機能するには、統制する側の政治家の資質が問われるというのは重要な指摘だと思います。滑舌がおぼつかなくて官僚が書いた原稿がないと国会答弁もうまくいかない政治家が最高責任者だったり、現場が「戦闘行為」と報告しているのに国会には「武力衝突」と報告してごまかしたりするようでは、優秀な制服組は「文民」の足下を見ているでしょうから、文民統制が機能しないのは当然です。このような観点からも、一日も早い政権交代が必要であることは明らかというものでしょう。
2018年12月09日
最近の新聞を読んだ感想について、武蔵大学教授の永田浩三氏は11月25日の東京新聞に、次のように書いている; 新聞の効用って何だろう。物事にはさまざまな見方があることを伝え、問題解決のための奥行きのある知恵を提供してくれることだろう。 10月31日の東京新聞は1面で、元徴用工が損害賠償を求めた裁判で、韓国最高裁は新日鉄住金に、一人当たり約1千万円の支払いを命じたことを報じた。同じ1面で、安倍首相の「国際法に照らしてあり得ない」という見解は掲載したが、扱いは他紙に比べて小さかった。 この日から、日本のメディアには、1965年の日韓請求権協定で解決済みだったものをくつがえした「韓国の非常識」という論調があふれかえっていく。いつもは冷静なTBSサンデーモーニングの関口宏キャスターも「残念だ」とコメントした。 だが東京新聞はそれとは一線を画した記事を数多く掲載した。11月2日26面の「こちら特報部」では、人権補償の観点から、戦時下の被害に各国はどのように向き合ってきたのかを考えた。「戦後補償ネットワーク」世話人代表の有光健さんは語る。「日本の植民地支配を『不法』とする韓国の立場からすれば、予想された判決だった。この間の日韓両政府の不作為こそ問われるべきだ。元徴用工の心情をくまず『あり得ない』と突っぱねれば、国内の嫌韓感情をあおるだけだ」。27面では、植民地時代の宗主国の責任を「法的に解決ずみ」とするのは、日本だけでなく英国なども同じだと、英国帝国史が専門の前川一郎さんがコメントした。一筋縄ではいかないのだ。 そんな中、13日の24面では、日本政府が「徴用工」から「労働者」と言い換え始めたことへの懸念を指摘した。原告らは自らすすんで募集に応じたのであって、強制性はないということを言いたいようだ。が、この問題に長年取り組んできた田中宏さんは厳しく批判する。「『労働者』という言葉は、企業と個人の自由な労働契約をイメージさせる。だが、このケースは違う。国の政策の一環だ」 日本政府と韓国最高裁の見解の違いはあまりに大きい。どうすればよいのか。18日の24面には、韓国で一連の徴用工裁判を担ってきた崔鳳泰弁護士への分厚いインタビューが紹介された。崔氏は1994年から3年間、留学した東京大大学院で労働法を学んだ。戦後補償訴訟に取り組んだのは、「日本への恩返し」だったという。恩返しって奥深いなあ。崔氏は、韓国人被爆者は日本の法律ですでに救済されているではないかと指摘する。たしかに、被爆者への救済は、日韓の市民や報道人、法律家の努力で実現した。だから今度もお互いが戦争の傷に向きあい、東アジアの平和のために協働していこうではないかと。示唆に富んだ記事だと思う。(武蔵大学社会学部教授)2018年11月25日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-『韓国非常識』論に一線」から引用 1965年の日韓基本条約は日韓両国の話し合いが十分に尽くされていないにも関わらず、冷戦に対応する必要があったアメリカの圧力があって「締結」を急がされたもので、未解決の要素を含んでいるにも関わらず「最終的で完全に解決した」などと書き込んだのは重大な瑕疵であったと言えます。未解決の要素とは韓国側が同意しなかった「韓国併合は合法的に行なわれた」という日本側の主張であり、この問題は冷静に見れば、法律的にどのように体裁を整えようと、日本は朝鮮を植民地とすることで朝鮮の主権を踏みにじったという事実は否定できないのであり「あれは合法的な併合であった」などと今さら言ってみても正当な主張とは言えない。そういう道義的に大きな問題を含んだ日韓基本条約を根拠にして「韓国大法院の判断はあり得ない」などと言ってみても説得力は皆無である。
2018年12月08日
韓国の元徴用工裁判で原告側の弁護士を務めた人物に東京新聞がインタビューを行ない、その様子を11月18日の紙面で次のように報道している; 韓国人元徴用工に強制労働をさせたとして、韓国大法院(最高裁)が新日鉄住金に賠償を命じた。「判決は暴挙」(河野太郎外相)といった日本政府の度重なる批判に、韓国側も懸念を表明し、波紋が広がる。韓国で元徴用工らの裁判を担ってきた崔鳳泰(チェポンテ)弁護士(56)は「長年の戦後補償裁判の積み重ねから生まれた判決だ。司法の判断を尊重すれば、平和的な解決が見えてくる」ととらえる。(安藤恭子) 崔氏は、韓国の弁護士団体で日本戦争被害者人権特別委員会の委員長を務める。1997年から韓国政府や日本企業を相手に、元徴用工らの損害賠償や、65年の日韓基本条約の会談文書の開示を求める訴訟を手掛けてきた。講演で来日中の12日、「こちら特報部」の取材に応じた。 大法院判決のポイントは、元徴用工の個人請求権を認めたことだ。同条約に伴う日韓請求権協定は、財産や権利に関する問題で「完全かつ最終的に解決」と明記。同協定に基づき、日本側は無償3億ドル、有償2億ドルなどを韓国に供与。これが事実上の「戦後賠償」とされてきた。 これに対し、崔氏は「法律家の視点で見れば、個人と国家は別人格で、請求権は認められて当然だ。日本が一貫して『協定により解決済み』とする立場を取ってきたというのも、『フェイクニュース』。日本の外務省や裁判所で、これまでも個人の請求権は認められてきた」と指摘する。 どういうことか。1990年代の韓国人被害者による提訴を背景に、日本の国会では「個人の請求権そのものを消滅させたものではない」(91年8月、柳井俊二・外務省条約局長)といった答弁が繰り返しなされ、今も踏襲されている。 最高裁は、2007年の中国人強制連行訴訟の判決で、「日中友好声明で中国国民の賠償請求権は失われた」としつつ、個人の請求権自体を消滅させるものではなく、裁判で訴求する権能を失わせる、とした。勝訴した被告の西松建設はその後、和解に応じた。 「つまり日韓の司法判断は矛盾していない。それに同じ戦争被害者でありながら、韓国人被爆者は日本の法で救済され、徴用工や慰安婦は認められない。おかしくないですか」と崔氏は問い掛ける。 今回の判決の衝撃は、両国関係が和らぐ「鎮痛へのプロセス」と受け止める。日本政府が「徴用工」を強制的だった労働実態を覆い隠すように「労働者」と言い換え始めたことにも「本音が分かりやすくなって良かった」と言う。「被害者と認めないのは問題の根源だから」 日韓請求権協定は紛争があれば外交で解決し、できなければ第三国を交えた仲裁委員会への付託を定める。「条約が結ばれた当時は冷戦下にあった。国交正常化か迫られる中、日韓併合の有効性を巡る歴史認識の違いも棚上げにされた。紛争が起きるのは必然で、協定にならい、外交で解決するべきだ」と提案する。 具体的には日韓の政府と企業が共同で基金を設ける「2プラス2」方式で、元徴用工への補償に充てる解決法を挙げ、基金の目的に「若者の平和交流」を含めることを提案する。「個人補償も大事だが、歴史認識が一致していないから、日韓の平和基盤はとても弱い。意見の違いは一歩ずつ解決していこう」と述べる。 崔氏は1994年から3年間、留学した東大大学院で労働法を学んだ。戦後補償訴訟を担ってきたのは「日本への恩返し」との思いからだ。「日本は大切な隣国だ。日韓で手を取り合ってこの問題に向き合うことで、東アジアの平和インフラの構築や核兵器廃絶の協働へとつながれば良い」と願う。2018年11月18日 東京新聞朝刊 11版 24ページ 「平和インフラ構築の契機に」から引用 先月、韓国大法院で日本企業に賠償を命ずる判決がでたときの日本政府やメディアの反応はヒステリックで、またもや日韓関係は混乱するのかと思われましたが、共産党の冷静な声明や東京新聞の理性的な論調に、上記の原告側弁護士の考え方などを総合すると、私たちは円満な解決への道が存在することに気づくと思います。過去の戦争や植民地政策について、私たちは加害者・被害者の垣根を越えて、愚かな悲劇を二度と繰り返さないために連携する必要があるという認識を共有するべきだと思います。
2018年12月07日
かつてアジア・アフリカ地域に植民地を保有していた西欧諸国は、独立国となった元植民地にどのように対応しているか、昨日の欄に引用した東京新聞の記事の続きは、次のように書いている; ナチス・ドイツと日本はともに第二次世界大戦の敗戦国であり、植民地支配の責任も問われてきた。しかし、植民地帝国主義を世界的に展開したのはむしろ戦勝国の側だ。「大英帝国」と呼ばれた英国などで、植民地支配の責任はどう考えられているか。 創価大の前川一郎教授(英国帝国史)は「英国は一貫して植民地支配したことの責任を認めるということはない。謝罪は一切していない。未開国に対する文明化の責任を果たすという植民地観が根強くある」とする。 近年では、英国の女王や首相がインドを訪問する際、1919年に英国側軍隊が発砲し1500人の死傷者を出した「アムリットサル事件」について謝罪するかどうかが注目されている。「記念碑の前で、靴を脱いで頭を下げても謝罪という形にはしない」と前川氏は言う。 ただし、「植民地が独立していく過程で独立運動に対して行った残虐行為は、近年、訴訟が頻発して大きな問題になっている」という。典型例は、1952~61年に英国統治下にあったケニアで起きた「マウマウ団事件」だ。独立運動に対して英国側か行った虐殺や拷問などに対し、被害者側が2009年に英国の裁判所に賠償を求め提訴。英国政府は約30億円を支払うことを表明した。 インドネシアを植民地支配していたオランダでは、近年、意識に変化がみられるという。 福岡女子大の吉田信准教授(国際関係論)は「オランダでは10年ほど前までは、過去の植民地支配への反省といった姿勢はなかった。謝罪や賠償などはせずに経済協力を過去の植民地支配の代償として支払うという形をとってきた。韓国に対する日本政府の立場と似ている」とする。 変化の契機となったのは、1947年12月にインドネシア・西ジャワで起きた「ラワグデ事件」に関する調査が2000年代になって進んだことだという。遺族がオランダ政府に対して補償を求めた訴訟で、2011年に原告勝訴の判決が出た。 ラワグデ事件とは、日本敗戦後に起きたインドネシア独立運動に対し、オランダ軍が行った鎮圧作戦。西ジャワのラワグデ村の全男性431人(インドネシア側の主張)が殺害されたとされる。 2005年にラワグデ事件で虐殺された遺族や生存者を支援する民間団体がオランダで発足。政府に対し補償を行うよう活動し、09年に遺族らは政府を相手取って訴訟を行った。 吉田氏は「オランダ政府は当初、虐殺の事実は認めるが補償は認めないという姿勢だったが、判決が出てからは控訴せず、遺族側と交渉して補償金を支払った。植民地支配に対する宗主国としての責任を認めるべきではないか、との議論は学会などで盛り上がっている」と解説する。 個人の権利補償の立場から、植民地支配の責任を問う声が世界的に噴出していることは間違いない。 筑波大名誉教授の千本秀樹氏(現代史)は「1965年の日韓基本条約と日韓請求権協定は、日本の植民地支配の責任についての認識が正しく反映されたものとは言えない」と指摘する。 当時の冷戦下で日韓、さらに両者の背後にあった米国の3カ国間で、妥協的に決定されたためだという。「請求権協定の締結時、軍政下の韓国で被害申告できなかったような人たちが、訴えを起こすようになったことは大きな状況の変化。かたくなに『協定で解決済み』という立場をとり続けるのはおかしい」とする。 前出の前川教授はこう語る。「英国など植民地帝国にとっては、条約など国際法によって決着したことがすべてであり、。その後に解決すべき問題が発生しても『法的に解決ずみ』と突っぱねる。今の日本の立場もそうだ。ただ、そういう国際法主義自体が植民地を肯定する西欧発祥のものであり、それ自体が問い直されている。そのことを日本も考えなければならない」2018年11月2日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ 「植民地支配 世界で責任問う声」から引用 65年の日韓基本条約の締結を協議する際に、過去の植民地化が合法だったのか違法だったのかという対立を棚上げして締結を急いだのは、冷戦に対応する必要があったアメリカの意向があったから、というのは以前から言われていることです。日本側が言う「合法的な植民地化であったから、謝罪の必要はない」という理屈は、当時の西欧諸国の植民地に対する態度の模倣と思われますが、近年では西欧のそのような態度も、人権意識の高まりによって是正される方向のようですから、65年の基本条約にこだわる安倍政権の姿勢も早晩訂正を余儀なくされるのは世の中の趨勢と思われます。
2018年12月06日
韓国の元徴用工裁判で日本企業に賠償命令が確定したとき、日本のメディアは一斉に安倍首相の発言に追随する姿勢を示した中で、東京新聞だけは事実を冷静に受け止める論評を掲載した; 戦時中に新日鉄住金(旧新日本製鉄)で強制労働をさせられたとして、韓国人の元徴用工4人が賠償を求めた裁判は、加害国が植民地支配の罪にどう向き合うのかという重たい問いを投げかけた。個人の請求権を認めて賠償を命じた韓国大法院(最高裁)の判決に、安倍首相は「1965年に締結した日韓請求権協定で解決済み」と繰り返す。だが強硬な姿勢だけでいいのか。人権補償の観点で戦時中の被害救済が進んできた世界の潮流から取り残されるばかりではないか。(安藤恭子、大村歩) 韓国の元徴用工の強制労働を巡る訴訟で新日鉄住金への賠償命令が確定した先月30日、日本政府に激震が走った。安倍晋三首相は「国際法に照らしあり得ない判断」と、他国の司法判断に対して異例とも言える強い批判を表明。河野太郎外相も「両国の友好関係の法的基盤を根本から覆す」と、外務省に韓国の駐日大使を呼んで抗議した。 なぜか。1965年の日韓請求権協定は、財産や権利に関する問題が「完全かつ最終的に解決された」ことを確認しているためだ。協定に基づき、日本から経済協力として当時の約1080億円に当たる3億ドルの無償供与や2億ドルの長期低利貸し付けが行われた。 ただ、韓国の最高裁は2012年、「個人請求権は消滅していない」とする判断を示している。「日本の植民地支配を『不法』とする韓国の立場からすれば、予想された判決だった。この間の日韓両政府の不作為こそ問われるべきだ」。市民団体「戦後補償ネットワーク」世話人代表の有光健さん(67)は指摘する。 原告の李春植(イチュンシク)さん(94)は1943~45年、当時の日本製鉄釜石製鉄所で働いた。「技術を学べる」と言われたが、1日12時間石炭を運ぶ単純労働をさせられ、賃金ももらえなかった。熱い鉄材の上に転んでできた傷痕が今も腹に残る。 有光さんは「動員による加害の事実は消えない。戦後70年以上たっても訴え続ける元徴用工の心情をくまず『あり得ない』と突っぱねれば、国内の嫌韓感情をあおるだけだ」と日本政府の強硬な対応を懸念する。 問題の背景にあるのは、植民地支配下の人権を巡る国際世論の変化だ。1990年代以降、歴史を支配者の視点ではなく、弱者の人権を尊重する立場から問い直す動きが広がった。同ネットワークによると、日本でも90年以降、韓国や中国の元徴用工による同様の未払い賃金訴訟など、戦時中の被害補償を求める裁判が続いた。だが、被爆訴訟など一部を除き2000年代までに敗訴が確定した。 「日本の経済協力は韓国のインフラ整備に回され、被害者には行き届いていない。時間がたてば、当時積み残した問題も出てくる」と有光さんは指摘する。 ナチス・ドイツによる強制労働を巡っては戦後補償の枠から漏れながら、東西冷戦の終結で救済が可能になった人々を対象に00年、「記憶・責任・未来」基金が設立。約100力国の166万人に約44億ユール(約7200億円)が支払われ、その資金はドイツ政府と企業が拠出した。 今回の判決を受け、新たに賠償請求が相次ぐ恐れがある。有光さんは日韓請求権協定の枠組みを維持しつつ、日韓の政府と企業が共同で基金をつくり、元徴用工ヘの補償に充てるのも解決の一つと考える。「日韓がやるべきことは、大使の召還などで交流を閉じることではなく、他国の戦後処理も参考に外交交渉を行うことだ。日韓の歴史認識の差異を埋めるのは容易ではないが、文在寅大統領は早期に来日し、日本の市民に直接、問題解決への協力を訴えてはどうか」と話す。<デスクメモ> 大阪の製鉄工場に20歳で動員された元徴用エの男性を韓国で取材した。技術者になれると期待したが、窓に鉄格子のはまった工場で溶鉱炉の前に立ち、ふんどし一枚で働いたそうだ。つらかった日本の生活。なのに、男性が口ずさんだのは田端義夫の懐メロ。青春だったと涙した。(直)2018年11月2日 東京新聞朝刊 11版S 26ページ 「日韓政府の不作為こそ問題」から引用 この記事では2012年に韓国大法院が「個人請求権は消滅していない」との判断を示したときに、日韓両国政府が対応策を準備するべきであったと述べているが、2012年以前の安倍政権より前の政権では、日本政府も同様の判断を国会答弁で述べているわけで、取り立てて「新しい判断への対応」が必要という事態ではなかったように思います。しかし、今から思えば、司法が改めて言及したからには、その後に何が続くか、予測して対策を考える必要はあったのかも知れませんが、実際問題としては裁判所が提案する和解案を受け入れるという路線が妥当であり、今回は、敢えて介入して騒ぎを大きくした安倍政権の責任は重大であると言えます。
2018年12月05日
韓国の大法院が元徴用工の訴えを認める判決を出したことについて、日本共産党は11月1日に志位和夫委員長名で、次のような声明を出しました;徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について2018年11月1日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫 (1) 10月30日、韓国の最高裁判所は、日本がアジア・太平洋地域を侵略した太平洋戦争中に、「徴用工として日本で強制的に働かされた」として、韓国人4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判で、賠償を命じる判決を言い渡した。 安倍首相は、元徴用工の請求権について、「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とのべ、「判決は国際法に照らしてありえない判断だ」として、全面的に拒否し、韓国を非難する姿勢を示した。 こうした日本政府の対応には、重大な問題がある。 (2) 日韓請求権協定によって、日韓両国間での請求権の問題が解決されたとしても、被害にあった個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府が国会答弁などで公式に繰り返し表明してきたことである。 たとえば、1991年8月27日の参院予算委員会で、当時の柳井俊二外務省条約局長は、日韓請求権協定の第2条で両国間の請求権の問題が「完全かつ最終的に解決」されたとのべていることの意味について、「これは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ」であり、「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」と明言している。 強制連行による被害者の請求権の問題は、中国との関係でも問題になってきたが、2007年4月27日、日本の最高裁は、中国の強制連行被害者が西松建設を相手におこした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復にむけた自発的対応を促した。この判決が手掛かりとなって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われた。 たとえ国家間で請求権の問題が解決されたとしても、個人の請求権を消滅させることはない――このことは、日本政府自身が繰り返し言明してきたことであり、日本の最高裁判決でも明示されてきたことである。 日本政府と該当企業は、この立場にたって、被害者の名誉と尊厳を回復し、公正な解決をはかるために努力をつくすべきである。 (3) 韓国の最高裁判決は、原告が求めているのは、未払い賃金や補償金ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為――強制動員に対する慰謝料を請求したものだとしている。そして、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したと指摘し、このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が請求権協定の適用対象に含まれると見なすことはできないと述べている。 1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は植民地支配の不法性について一切認めようとせず、謝罪も反省も行わなかったことは、動かすことのできない歴史の事実である。 徴用工の問題――強制動員の問題は、戦時下、朝鮮半島や中国などから、多数の人々を日本本土に動員し、日本企業の工場や炭鉱などで強制的に働かせ、劣悪な環境、重労働、虐待などによって少なくない人々の命を奪ったという、侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府や該当企業がこれらの被害者に対して明確な謝罪や反省を表明してこなかったことも事実である。 今年は、「日本の韓国への植民地支配への反省」を日韓両国の公式文書で初めて明記した「日韓パートナーシップ宣言」(1998年、小渕恵三首相と金大中大統領による宣言)がかわされてから、20周年の節目の年である。 日本政府と該当企業が、過去の植民地支配と侵略戦争への真摯で痛切な反省を基礎にし、この問題の公正な解決方向を見いだす努力を行うことを求める。https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html日本共産党のホームページの中の「徴用工問題の公正な解決を求める――韓国の最高裁判決について」から引用 韓国では元徴用工が日本企業を訴えた別の裁判が、この後も10数件次々と判決を出す予定になっているそうで、どれも同じ内容の判決になるものと予想されます。日本政府は65年の日韓基本条約を盾にすれば今回の判決に対抗できると考えているのかも知れませんが、そのような理屈では韓国大法院の判決に対する反論にはなり得ませんから、上記の共産党の声明を基本に据えて誠意ある対応を考える必要があると思います。
2018年12月04日
同志社大学教授の浜矩子氏は自身のユニークな授業風景について、11月25日の東京新聞に、次のように書いている; 大学でのわが授業では、必ず最終回をコント大会にしている。お題は筆者が出す。当該授業の内容に則していて、今日性のあるテーマを考えるのである。学生さんたちには一組2~4人のチームに分かれてもらう。各チームに、お題を自分たち流に受け止めて台本を書き、演じてもらう。 首尾よく笑いを取れれば、それだけ、テーマに関する理解が鋭く深いということだ。むろん、テーマとは無関係におかしいだけではダメである。笑わせ力と理解力。この黄金の出会いが成立した時、感動の名調子が生まれる。 先週終わった直近の授業は、「グローバル時代をどう読むか」という授業だ。こうしてみれば、何やら本欄の名前とよく似ている。だが、決して筆者が本紙のまねをしたわけではない。フィーリングの一致というところだろう。 それはともかく、今回のこの授業は留学生を対象とする英語の授業だった。同じ内容の授業を日本人学生向けに日本語でもやっている。コント大会方式は日本語コースの方で始めた試みである。だが、何しろ大学が関西にある。お笑いの本場だ。そうなれば、留学生だからといって、コント大会を免除するのはおかしい。留学生の皆さんにも、コント方式にお付き合いいただくことにした。 今回提示したお題は「進めるべきか、止めるべきか:グローバル対ディグローバル」とした。ディグローバライゼーション(deglobalization)という言葉が急にむやみとはやり始めた。誰にも止められないと思われてきたグローバル化の進行が、一国主義者たちの登場で止まるかもしれない。そのことをどう受け止めるか。ここを彼らに考えてみてもらいたかったのである。 7組のコントチームが次々と芸を披露した。超高級レストランにおけるお客さんへの差別話あり。「チキンキング」を自負するアフリカ大陸の焼き鳥屋のオヤジが、グローバル競争に敗北して落ち込む話あり。グローバル化耐性を強化するための怪しげな妙薬を売る魔性の薬屋の話あり。多彩なコントのラインアップになった。 華麗なるパフォーマンスの数々を見終わったところで、実に面白い発見に至った。7組中、5組がグローバル化に対して厳しい見方を提示していた。ローカル産業を破壊する。弱い者いじめにつながる。賃金の競争的低下につながっていく。グローバル化がもつ排他性にさまざまな角度からメスが入れられた。 残る2組が、国々によるグローバルな共同体への積極参画を強く訴えていた。そして、設定が酷似していた。かたや、トランプ大統領対マスコミ陣。そしてかたや、トランプ大統領対その他の国々。いずれのコントでも、ひたすらわが道を爆走しようとするトランプ氏に対して、誰もがグローバルな人の輪へ仲間入りを呼びかける。 一緒に行こうよ。一緒にやろうよ。みんな一緒の方がいいことあるよ。グローバリストたちの声かけは明るくて良識的で理にかなっている。それに引き換え、トランプおやじのなんと理不尽で、何とかたくなで、何と何も分かっていないことか。 かくして、グローバル化という現象のいいところを知りたければ、トランプ大統領の言動に注目するのが手っ取り早い。コント大会を通じて、この悟りを得た。これぞ完璧な反面教師だ。(同志社大教授)2018年11月25日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-コント大会に学ぶ」から引用 私は、グローバル化というものはローカル産業を破壊し競争による賃金の低下をもたらすもので労働者にとって何も良いことはないのだから、労働組合に支持された政党や経済学者はこういう政策をとる政府を批判するべきだと考えて、その割には誰もそのような行動を起こさないのは何故なのか、不思議に思っておりました。しかし、浜矩子氏ほどの学者であっても単純に否定する立場ではない様子を見ると、なかなかこれは奥が深い事象なのかなと思いました。
2018年12月03日
消費税を上げることによって消費が落ち込むことのないように5%分のポイントを還元するという政府のアイデアは本末転倒、支離滅裂であると、法政大学教授の山口二郎氏が11月25日の東京新聞に書いている; 消費税率引き上げと同時に中小小売店でのクレジットカードやスマホを使った決済に対しては5%分のポイントを還元すると安倍晋三首相は明言した。安さを売り物にする家電量販店のブラックフライデーセールを思わせる気前の良さ。さすがアベちゃんと庶民が喜ぶと思っているのだろうか。この手の人気取りに編されるほど、国民は馬鹿ではない。 政府は、新年度予算の編成方針の中で、増税による消費減を防ぐために「あらゆる施策を総動員する」と明記する一方で、高齢化に伴い増加する社会保障費は「歳出改革の取り組みを継続する」とも宣言した。 手間がかかり、効果が均等に行き渡らないポイント還元のために国の予算を使い、消費増税が本来目指していたはずの社会保障給付の確保は削減の対象になる。本末転倒、支離滅裂である。 安倍首相は、韓国政府の徴用工や慰安婦への政策の転換について、約束が守られないのなら国家間の関係は成り立たないと厳しく非難した。その言葉は首相自身にお返ししたい。野田政権時代に、民主(当時)、自民、公明の三党間で税社会保障改革の合意を結んだはずである。 増税への非難が怖くて、でたらめなバラマキをする一方、社会保障は切り刻む。これでは、政府と国民との間の信頼関係は成り立たない。(法政大教授)2018年11月25日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-支離滅裂」から引用 5%分のポイント還元というアイデアは普段からカードで買い物をする都会暮らしの人には受けるかもしれませんが、実際には、個人商店などがポイント還元の9か月間のためにカード決裁のシステムを導入するのは大きな負担になるから、そういう負担に耐えられない小売店は店をたたむことにもなりかねません。無理して頑張って導入しても、カード決済での売り上げは当月末日に締めて翌月末の支払いとなると、店としては売上金が1か月寝てしまうという負担も出て来るし、カード会社に手数料を抜き取られるという不利益も出てきますから、小規模小売店にしてみれば、踏んだり蹴ったりということにもなりかねません。商工会議所は自民党にとって大事な票田のはずですが、小規模小売業者をこのように粗末に扱っていいのでしょうか。他人事ながら心配になります。
2018年12月02日
安倍政権は多様な働き方を希望する労働者の声があると称して「高度プロフェッショナル制度」を導入する法案を国会に提出したのであったが、その法案の審議中に、実はそんな声など皆無であり国会に提出したデーターは法案提出後ににわか作りででっち上げたデタラメであることがバレてしまったのであったが、安倍政権はそれでもなりふり構わず強行採決で、労働者をただ働きさせることが可能な悪法を通してしまったのであったが、ここにきて安倍政権は、またしても同じ手口で、デタラメなニュースを流して、外国人を差別する制度を始めようとしていると、NPO法人「移住者と連帯する全国ネットワーク」の理事、大川昭博氏が、11月26日の神奈川新聞に次のように書いている; 入管難民法改正をにらんで、医療や社会保障に関しては外国人に差別的な施策が進みつつあり、教育や雇用などで現存する制度の壁も解消されそうにない。同法改正の問題点を考えるNPO法人「移住者と連帯する全国ネットワーク」(移住連)主催の集会では、そうした指摘も上がった。(構成・柏尾 安希子) 週刊誌などのメディアでこういう報道を目にしないか。外国人が日本の高度な医療制度を狙い、医療目的で入国してくると。しかも不正な在留資格で入国し、高額療養費や出産給付金などを受け取っていると。目にする機会があれば、よく読んでほしい。何の根拠もないと分かるだろう。 報道の基底に流れるのは、外国人は健康保険などの日本の制度を不正に利用してやろうという連中だ、という差別に満ちた発想だ。だが、厚生労働省は報道を根拠に、市区町村役場の国民健康保険の窓口に、(国保加入後間もないなどで)怪しいと思える在留資格の外国人が高額療養費などを受け取りに来たら、在留資格や実態を聞き取り、問題がありそうなら入国管理局に報告するという調査制度を始めた。これは個人情報保護法での目的外使用のルールに反する。 国保の窓口職員は在留資格のことを知らない人がほとんどだろうが、その人が聞き取った中身を勝手に問題がありそうと推測して入管に連絡し、調査が入る。重大な人権侵害ではないか。厚労省が1千万件近い外国人のレセプトをすべて調べたが、怪しかったのはわずか2件だった。市町村窓口での調査でも、現在までに在留資格取り消しに至った例はない。外国人移住者がまっとうに健康保険を使っていることは証明されたことになる。 (外国人労働者受け入れ拡大を契機に)国保の扶養家族への給付について国内居住者に限る、また国民年金の給付金受け取りも国内に住んでいるときに限るという話も出てきた。外国人には健康保険に入る義務があり、保険料も払っている。日本に長く住む人と違う給付になるのは、明らかにおかしい。むしろ外国人労働者、移住者に平等に公的医療保険に入ってもらえば財政は助かるだろう。 極め付きは、受診時の顔写真付き身分証の提示の方針が決まったことだ。顔写真付き証明書を持つ日本人は少なく、混雑する病院の窓口ももたないだろう。とすると、おそらく外国人のみに運用されるだろう。どれだけプレッシャーになるだろうか。こんなことを許していいのか。 こうした一連の動きは、外国人労働者、移住者を労働力としか見ない、そして生活や健康を維持するための制度利用をコストとしか見ない政府の姿勢を反映している。もし、在留資格の適正化を保つためにいろいろな窓口が入管に情報提供をしたらどうなるか。これは戦前の内務省だ。そういったものが移民受け入れを口実に、外国人限定で復活するとすれば、まさに日本社会の危機だ。絶対に許してはいけない。 日本の社会保障制度は、日本に長くいる日本人を想定してつくられているが、人の移動、移住を前提とした制度設計にこれから変えねばならない。新たな受け入れ論議と社会保障制度のあり方の議論は、いったん切り離すぺきだ。窓口での調査や保険給付の居住要件の新設、受診時の本人確認の検討などは、ただちに中止してほしい。その上で、だれもが公平平等に生きる権利が保障される制度設計に向けた論議を進めたい。2018年11月26日 神奈川新聞朝刊 A版 15ページ 「時代の正体-公平に生きる権利保障」から引用 高度プロフェッショナル制度の法案審議では、野党議員の質問に政府側はまともな応答をせず、故意に論点をずらして応答を一般論でごまかすというやり方でムダに時間を潰して最後は強行採決で押し通すというデタラメぶりで、国会は機能不全になっている。今の国会でも、入管法改正案は審議時間17時間でほとんど何も審議しないうちに衆議院を通過しており、もはや国会は存在理由も無いかのような状態だ。これでは安倍政権のやりたい放題になってしまうので、野党はこのような状態を傍観しないで、国会の機能を復活させるために、強行採決を目的にする与党議員の委員会室への入室を物理的に阻止する直接行動を考える段階にきたと判断するべきだ。
2018年12月01日
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