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安倍首相は外交が得意という風評について、22日の西日本新聞が次のような考察を行なっている; 安倍晋三首相の政権運営を巡って「外交が得意」という評価をしばしば耳にする。新聞やテレビでも「不祥事で苦境の安倍首相が、得意の外交で挽回を図る」などの解説を見かける。 共同通信社が6月中旬に実施した世論調査では「安倍政権を支持する理由」で「ほかに適当な人がいない」がトップだが、「外交に期待できる」が2位につけている。「外交が得意」のイメージは広く世間に共有されているようだ。 外交担当記者としては、首をかしげてしまうのだ。本当に安倍首相はそれほどの外交上手なのか。 ◇ ◇ 安倍氏が首相に返り咲いてから5年半。第1次政権時代も合わせれば、首相在任期間は戦後3位だ。 外交問題は一朝一夕に動かせないとはいえ、すでに十分な時間を与えられたと考えるべきだろう。 しかし安倍首相自身が最大の課題に掲げる「拉致問題の解決」は現時点まで全く進んでいない。残念なことに、これが事実である。 トランプ米大統領と金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の首脳会談で、楽観はできないにしろ、北朝鮮が非核化へ動く可能性が出てきた。同時に拉致問題解決のチャンスも訪れている。ただし、米朝会談実現の功労者は韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領であり、安倍首相ではない。 もう一つの日本外交の大きな課題は北方領土問題だ。安倍首相はロシアのプーチン大統領とすでに20回以上も会談を重ねているが、経済協力を求められるばかりで、領土問題解決や平和条約締結への道筋は、ほとんど見えてこない。 在任の長さを考えれば、拉致問題や北方領土で一定の成果を上げない限り「外交が得意」などの評価はできないのではないか。アジア外交も停滞している。目立った実績といえるのは、オバマ米大統領(当時)の広島訪問ぐらいだろう。 ◇ ◇ ではなぜ「外交が得意」のイメージが広がるのか。私はそこに興味を持つ。 会社勤めを長くしていると「仕事をしているふりがうまい人」がいるのに気付くものだ。読者の皆さん、今、うなずいたでしょ。 安倍首相もこれと同じで「外交で実績を上げてるふり」がうまいだけではないのか、というのが、失礼ながら私の仮説である。 「仕事をしているふり」がうまい人には、いくつかの特徴がある。「得意先の誰々と会った」など途中経過をやたら報告する。小さな成果をアピールする(大きな成果は上がらない)。誰かが大きな仕事をすると「実は自分も関わっていた」と便乗する-などなど。 安倍首相は国会答弁で、北朝鮮が米朝会談に応じた理由について「日米韓が最大限の圧力をかけた成果」と強調している。間違ってはいないだろうが、このうち日本の圧力がどれだけ効果があったかは不明だ。 ◇ ◇ 会社という世界では、人事担当者の目が節穴なのか、意外と「仕事をしているふりがうまい人」が高く評価されてあぜんとすることがある。読者の皆さん、また、うなずきましたね。 ただ、これが政権となると、査定するのは人事部ではない。われわれ国民である。間違った査定をしないよう、イメージに惑わされず、事実を吟味して正確に評価する目を持ちたい。(論説副委員長) https://www.nishinippon.co.jp/nnp/reading_oblique/article/434834/=2018/07/22付 西日本新聞朝刊=「時代ななめ読み-『してるふり』にご注意を」から引用 この記事が分析するように、安倍外交はやってるふりをしているだけであって中身を見れば何も成果があがっていないのは一目瞭然である。安倍首相のやることは外交に限らず、一事が万事この調子と考えて間違いないのではないかと思います。先日の党首討論でも、気に入らないツッコミに腹を立てたのかどうか知りませんが、話題に直接関係ない話を長々と続けて議長の静止も無視して時間を潰した挙げ句、討論会が終わってすぐに相手の岡田議員に対し「岡田さん、やっぱりルールは守らなくちゃ」と、ルールを破ったのは岡田だという見事な「印象操作」をやってのけた。こういうことをする人物が総理大臣をやってる国というのは、いかがなものかと一抹の寂寥感を覚えた国民は少なくなったのではないかと思います。
2018年07月31日
安倍政権の国会対応について、法政大学教授の山口二郎氏は22日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 通常国会が終わった。この国会は、野党が言うように憲政史上最悪のものだった。憲法41条の「国権の最高機関」という国会の本質を、政府と与党が踏みにじった。 しかし、為政者は国民からどんな批判を浴びても、蛙の面に水である。政府は公文書改ざんの再発防止策として、文書管理の改革案を決めた。文書改ざんに対しては懲戒免職も含む厳しい処分を科すとのこと。これでは泥縄にもなっていない。しつこいようだが、再発防止のためには、森友、加計問題を究明し、誰がどのように文書を改ざんしたか明らかにすることこそ必要である。首相以下、官僚の虚偽、捏造(ねつぞう)はすべて人ごとと思っている。 自民党の人気者、小泉進次郎氏は国会がスキャンダル追及に躍起になって、重要な政策課題について議論ができないとして、独自の国会改革案を発表した。政府首脳が野党を見下した態度を取り、国会での論議がすべて崩壊していることはすべて人ごとのようだ。小泉氏も自民党の次代のホープとして、為政者をいさめる義務を負うはずだが、それを棚上げにしていい格好をするばかりである。 日本の議会制民主主義を崩壊させた張本人が自らの責任を逃れて、平然と改革を主張する。為政者の責任を問う機会が来るまで、この破廉恥な開き直りを記憶するしかない。(法政大教授)2018年7月22日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-破廉恥な政治」から引用 この記事が言う「国権の最高機関としての国会の本質を政府与党が踏みにじった」とは、政府与党が官僚に命令して公文書を改ざんさせて国会に提出し、一年間もその偽文書を元に議論を続けた果てに、「実は改ざんした文書でした」と悪事を認めたものの、その責任は一官僚に無理矢理押しつけて、誰も責任を取らないことを指している。また、政府は公文書改ざんの再発防止策を決めたが、首相も財務大臣も「公文書改ざん」は他人事と思っていると批判しているが、首相や財務大臣が他人事と思っているかどうかはビミョウである。もし安倍首相がまともな精神活動をしている人間であれば、彼は心底「他人事」と思っているのではなく、ここは演技で「他人事と思っている」ように見せかけて逃げ切らないと、実は安倍氏自身が部下を通じて財務省に圧力をかけて改ざんさせたという「事実」がバレてしまうのだから、端から見て安倍氏が「公文書改ざんなんて他人事」と思い込んでいるように振る舞うのは当然の成り行きだ。メディアはそこまで見抜いた上で、真相究明に取り組むべきだと思います。
2018年07月30日
安倍政権の国会対応について、法政大学教授の山口二郎氏は22日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 通常国会が終わった。この国会は、野党が言うように憲政史上最悪のものだった。憲法41条の「国権の最高機関」という国会の本質を、政府と与党が踏みにじった。 しかし、為政者は国民からどんな批判を浴びても、蛙の面に水である。政府は公文書改ざんの再発防止策として、文書管理の改革案を決めた。文書改ざんに対しては懲戒免職も含む厳しい処分を科すとのこと。これでは泥縄にもなっていない。しつこいようだが、再発防止のためには、森友、加計問題を究明し、誰がどのように文書を改ざんしたか明らかにすることこそ必要である。首相以下、官僚の虚偽、捏造(ねつぞう)はすべて人ごとと思っている。 自民党の人気者、小泉進次郎氏は国会がスキャンダル追及に躍起になって、重要な政策課題について議論ができないとして、独自の国会改革案を発表した。政府首脳が野党を見下した態度を取り、国会での論議がすべて崩壊していることはすべて人ごとのようだ。小泉氏も自民党の次代のホープとして、為政者をいさめる義務を負うはずだが、それを棚上げにしていい格好をするばかりである。 日本の議会制民主主義を崩壊させた張本人が自らの責任を逃れて、平然と改革を主張する。為政者の責任を問う機会が来るまで、この破廉恥な開き直りを記憶するしかない。(法政大教授)2018年7月22日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-破廉恥な政治」から引用 この記事が言う「国権の最高機関としての国会の本質を政府与党が踏みにじった」とは、政府与党が官僚に命令して公文書を改ざんさせて国会に提出し、一年間もその偽文書を元に議論を続けた果てに、「実は改ざんした文書でした」と悪事を認めたものの、その責任は一官僚に無理矢理押しつけて、誰も責任を取らないことを指している。また、政府は公文書改ざんの再発防止策を決めたが、首相も財務大臣も「公文書改ざん」は他人事と思っていると批判しているが、首相や財務大臣が他人事と思っているかどうかはビミョウである。もし安倍首相がまともな精神活動をしている人間であれば、彼は心底「他人事」と思っているのではなく、ここは演技で「他人事と思っている」ように見せかけて逃げ切らないと、実は安倍氏自身が部下を通じて財務省に圧力をかけて改ざんさせたという「事実」がバレてしまうのだから、端から見て安倍氏が「公文書改ざんなんて他人事」と思い込んでいるように振る舞うのは当然の成り行きだ。メディアはそこまで見抜いた上で、真相究明に取り組むべきだと思います。
2018年07月30日

中西光雄、他著「唱歌の社会史」(メディアイランド社刊)について、詩人の佐々木幹郎氏が22日の熊本日日新聞に、次のような書評を書いている; もう10年ほど前のことだが、アイルランドの小さな村で、日本の唱歌を村人たちと一緒に歌う機会があった。アイルランド一周の詩の朗読会に招かれたときのことだ。打ち上げのパーティーで、日本の唱歌の話をした。日本の近代初めの小学校の音楽教育では、アイルランド民謡をメロディーにした歌が作られ、現在も子どもたちは歌っている。そんな話をすると、じゃあ一緒に歌おう、ということになったのだ。 最初に日本から参加した数人で「庭の千種」を歌った。この歌はアイルランド民謡「夏の名残のバラ」をメロディーにしている。村人たちは英語で歌い、わたしたちは日本語で歌った。その次に。「蛍の光」を歌った。うっかりしていたのだが、この歌はスコットランド民謡「オールド・ラング・ザイン」をメロディーにしている。彼らは歌い終わった後、口々に「これはスコットランドだ、嫌だな」といった。スコットランドとアイルランドは同じケルト民族の血でつなかっているが、スコットランドは現在もイギリス連邦下にあり、イギリスから長く植民地として抑圧を受けてきたアイルランド人にとっては、敵対的な感情が強く残っている。 というようなことを経験して以降、明治期から大正期にかけて文部省が制定した小学生用の唱歌には、日本語の歌詞もそうだが、メロディーにも、複雑な政治状況が背後にあリ、たんに昔の歌ではないのだ、ということを知った。 いまや第二の国歌とも言われるようになった唱歌「故郷(ふるさと)」は、「兎(うさぎ)追いしかの山 小鮒釣りしかの川」と始まるが、よく考えるとこれは中年の男の歌であって、故郷に帰りたくても帰れない、望郷の思いを歌いあげたものだと、本書で中西光雄は言う。立身出世を夢見て故郷を出たが、誰もが成功するわけではない。多くは都会に住んでサラリーマンとして過ごす。そういう故郷を喪失した都市生活者を生み出しだのが大正期であった。その時期に唱歌「故郷」は誕生している。だから、反作用のように、理想郷としての「故郷」が描かれた。しかも学校で歌われ続けることによって、故郷という「国艮共通の心性」が形づくられた。それは郷土愛が愛国心(パトリオティズム)につなかっていく道筋を作り、日本近代が「国民国家」というイメージを作り上げるための装置として、きわめて優秀な磯能を担ったのである。 唱歌には、どの地方の出身者でも歌える、ということが求められた。だから「故郷」の歌詞には地名がない。それは「国民としての同一性を刷り込むためのメディアないし装置として唱歌が磯能した」からだと山室信一は言う。 「蛍の光」の初期の歌詞には、いまは歌われていない3番と4番の歌詞があった。特に4番は「千島のおくもおきなわも やしまのうちの まもりなリ」と歌われた。唱歌には珍しくあえて地名が入っている。明治期の大日本帝国に沖縄と北千島という領土が編入されたとき、それを「やしま(日本)のうち」と呼ぶことで、国家の輪郭を国民に意識させようとしたのである。 後に台湾や朝鮮や満州や中国でも、その土地の言葉に翻訳されて日本の唱歌は歌われた。そこには植民地の人間に日本人が強要しただけではない側面もあったと山室氏は言う。「唱歌を容器として、そこに自らの想いや思想を自国語で歌詞をつけ、それによって自立性を保とうとした人々が少なくなかった」のだと、歌わせる側と歌う側と、そのどちらの側面から読み取っても、唱歌という「歌の力」が持つ「なつかしさとあやうさ」は、今後もさまざまな角度から究明していく必要がありそうだ。 ささき・みきろう 1947年奈良県生まれ。詩人。2002~07年、東京芸大音楽学部非常勤講師。詩集「明日」で萩原朔太郎賞。2018年7月22日 熊本日日新聞朝刊 「読書-『国民国家』刷り込んだ装置」から引用 私たちが子どもの頃から慣れ親しんだ「唱歌」がどのようにして生まれ、近代国家の形成に重要な役割を果たしたという指摘は、大変興味深く思います。唱歌の不思議に関連して想起されるのは、明治維新までは琴や三味線、尺八といった伝統的な楽器にはそぐわない西洋音階の楽曲が、ヨーロッパの民謡をお手本にしたとは言え、明治から大正にかけて日本人の手で次々と作曲されたのも、そんなに早く異文化への対応が可能だったのかと、いつも不思議に思います。
2018年07月29日
昨日の欄に引用した武田悠氏の記事の隣には、原子力資料情報室事務局長の松久保肇氏のインタビュー記事が掲載されており、次のように述べている;――自動延長の影響は。「今後は日米のどちらかがその気になればいつでも協定を終了でき、河野太郎外相が評するように『不安定な状態』になった。原子力政策を変えやすい流動的な状況になったと前向きに捉えることもできる。日米両政府に脱原発を求める市民の声をさらに届けていくべきだ」――米国はどう動くか。「米国の国会議員に働き掛けるため訪米を重ねているが、共和党、民主党を問わず、日本の核燃料サイクルを問題視する見方が徐々に広がっている手応えがある。米国は核拡散のリスクがあり、経済性にも欠けるとして核燃料サイクルから1970年代に撤退した。日本の状況を説明すると『まだそんなことをやっているのか』という反応だ」「核兵器につながる技術の拡散を恐れる米国は、『なぜ日本にはプルトニウム抽出を認めて、わが国には認めないのか』と他国に言われたくない。北朝鮮の非核化交渉への影響も懸念される。日本にプルトニウムの削減を一層、求めてくるだろう」――日本はどうすれば。「コストばかりかかるプルトニウムを生み出す核燃料サイクルから撤退すべきだ。多額のコストは私たちの電気料金に跳ね返ってくる。抽出したプルトニウムは核兵器にも転用できるため、他国から『日本は潜在的な核保有国だ』と言われ続けている。国内的にも国際的にも説明が付かない。英米はプルトニウムを使うことを諦め、処分する研究を始めた。こうした取り組みに日本も加わればいい」 まつくぼ はじめ 兵庫県生まれ。2003年国際基督教大卒、16年法政大大学院修士課程修了。金融機関勤務を経て12年から原子力資料情報室勤務。17年から事務局長。国際問題を担当。共著に「検証 福島第一原発事故」(七つ森書館)など。2018年7月22日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「核燃サイクルは撤退」から引用 アメリカが50年前に撤退した核燃サイクルを日本が諦めない理由は、青森県六ヶ所村との契約で再処理工場の稼働を断念するときは既に持ち込んだ使用済み核燃料を、それぞれ元の原発に返す約束になっているためであり、どの原発施設にも戻された使用済み核燃料を保管するスペースなどないから、工場が稼働しないときは持ち込んだ使用済み核燃料を元に戻すという約束は実行不可能だという事情がある。このような難しい問題に対処するには、第一に、これ以上使用済み核燃料を増やさないことが肝心です。次に、使用済み核燃料の安全な廃棄処理方法の確立と廃棄場所の選定という順番になるのではないかと思います。いずれにしても、これ以上プルトニウムを増やす必要はないのですから、核燃サイクルからは撤退するべきと思います。
2018年07月28日
日米原子力協定が締結から30年の満期を迎え、今月17日から自動延長になったことに関連して、広島市立大学講師の武田悠氏は22日の東京新聞で、次のように述べている;――協定はいつでも破棄できる「不安定な状態」になったと言われる。「合理的に考えて米国が破棄する動機はない。1988年の改定時と違い、中国やロシアという核不拡散規制が比較的緩い原子力供給国が現れ、不拡散上の問題がある国にも原子力技術を売っている。米国は日本に再処理を認める見返りに、さまざまな核不拡散規制の協力を取り付けており、米国にとって極めて得の多い協定だ。『無期限延長』と捉えた方がよい」――それではなぜ米国からプルトニウム削減の要求が強まっているのか。「米国には核不拡散を重視し、日本のプルトニウム利用に批判的な勢力もいる。日本では(プルトニウムを燃料に使う)高速増殖原型炉もんじゅの廃炉が決まった。日本政府は(通常の原発でプルトニウムを燃やす)プルサーマルを進める方針だが、すぐに大量のプルトニウムを消費するのは難しく、米国の核不拡散派を説得できていない。少なくとも今ある原発は、建設中のものも含めてプルトニウム消費のために活用するべきだ。だが3・11後の原子力政策の混乱もあり、長期的な計画を示せずにいる」――プルトニウム保有が北朝鮮の非核化交渉に悪影響があるとの指摘もある。「あまり説得力のある主張ではない。日本は日米協定による規制のほか、国際原子力機関(IAEA)の厳格な査察を受け入れ、プルトニウムに関する詳細な報告書を毎年公表している。核不拡散のために努力していると、もっと国際社会にアピールする必要はある」 たけだ ゆう 岡山県生まれ。2011年筑波大大学院博士課程修了。日本原子力研究開発機構、外務省外交史料館などを経て、18年から広島市立大講師。専門は日米外交史。著書に『日本の原子力外交 資源小国70年の苦闘』(中央公論新社)など。2018年7月22日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「原発を活用して消費」から引用 この記事で武田先生はプルトニウムをMOX燃料にして「消費する」と言っていて、消費すれば消えて無くなるかのような言い方をしているが、実際には別の放射性物質に変化するだけで、高濃度放射性廃棄物になることには変わりがないのであるから、経費をかけてMOX燃料に加工するよりは、同じ経費でそのまま廃棄処分するほうが、手間も経費も節約できて、しかも稼働中の事故リスクも避けることができて一石二鳥というものである。ただ、問題は廃棄処分をどの場所に行なうかという所に行き着いてしまう点である。
2018年07月27日
米朝首脳会談が開かれた先月12日頃に日本政府は朝鮮民主主義人民共和国に連絡を取り拉致問題について情報を得た、と22日の東京新聞が報道している; 日本人拉致問題を巡り、北朝鮮が日本側との最近の接触で、4年前に入国を認めた神戸市の元ラーメン店員田中実さん=失踪当時(28)=と、同じ店の元店員金田龍光さん=同(26)=以外に「新たな入国者はいない」と伝えていたことが21日分かった。日本政府関係者が明らかにした。伝達時期は、米朝首脳会談が開かれた6月12日前後とみられる。 北朝鮮は米国や韓国と対話姿勢に転じた後も、拉致問題については再三「解決済み」と訴えているが、具体的な主張内容が明らかになったのは初めて。拉致問題の進展は現時点では厳しい情勢で、日朝首脳会談を目指す安倍晋三首相は難しいかじ取りを迫られる。 日本の外務省幹部は共同通信の取材に「コメントできない」と答えた。 政府は、田中さんを拉致被害者と認定、金田さんを拉致の可能性が排除できない行方不明者としている。 北朝鮮は、拉致問題の再調査などを盛り込んだ2014年5月のストックホルム合意後の同年秋ごろ、田中さんと金田さんの入国情報を、再調査の「中間報告」として示していたことも新たに判明した。 北朝鮮は02年の日朝首脳会談で、横田めぐみさん=同(13)=ら13人の拉致を認めた。日本政府が被害者に認定した計17人のうち5人が帰国。残る12人について北朝鮮は「8人が死亡、4人が未入国」と主張していた。田中さんは未入国とされた1人だった。 北朝鮮は、ストックホルム合意を交わす直前に、それまでの主張を一転し水面下の協議で田中さんの入国を認めた。この際、金田さんについても「入国していた」と初めて伝えてきた。 田中さんは1987年6月に日本を出国後、消息を絶った。元工作員とされる男性(故人)が告白して発覚した。田中さんと同じ養護施設出身で在日韓国人の金田さんは79年11月ごろ、欧州訪問の打ち合わせのため「東京に行く」と周囲に語ったまま、神戸を離れ行方不明になった。2018年7月22日 東京新聞朝刊 12版 26ページ 「北『新たな入国者ない』」から引用 この記事によれば、朝鮮政府は2014年の時点で神戸市在住だった田中、金田の両氏の拉致を認めていたのであったが、日本政府が4年間もこの情報を伏せていたのは何故だったのか、不思議である。また、この記事には「拉致問題の進展は現時点では厳しい情勢」だとも書いているが、これもまた不思議な表現である。拉致問題は過去にあった事件なのだから、これは進展したり後退したりするものではなく、何時どこで何人が被害にあったのか、今現在も救済が可能な被害者が何人いるのかいないのかを調査し、その事実を認め、再発防止のために何が必要なのか、日朝両国政府が協議するべきである。朝鮮政府がそのために2014年に「中間報告」を提出しているのに、日本政府がそれを放置したのは何故なのか。安倍首相が敬愛するトランプ大統領は朝鮮の核施設の撤去費用の一部を日本にも負担させる意向なのだから、そういう話が具体化する前に日本政府は朝鮮民主主義人民共和国との国交を正常化し、拉致問題も解決させなければならないのではないだろうか。
2018年07月26日
麻生財務大臣が「新聞を読まない若い人は自民党支持」と発言したことに関連して、フェリス女学院大学教授の藤巻光浩氏が22日の東京新聞に、次のように書いている; 新聞を避け、ネット言葉や芸人言葉を駆使するデジタルネーティブの大学生に日々、囲まれていると、新聞が書き言葉の文化の中にあることを改めて実感する。漢字を駆使してスペースを節約し、校閲部が言葉の誤りがないか目を光らせているのが、朝刊メトロポリタン面の連載「知りたいコトバ」でもわかる。 7月11日朝刊発言面の投稿「ミラー」は、新聞の書き言葉文化に苦言を呈した。麻生太郎副総理の「新聞を読まない若い人は自民党支持」という発言に反応し、若者の新聞離れの原因を新聞の側に求めた。読者層を広げるため、短い文章で誰にでもわかりやすく、論理の通った文章にするよう提案。文筆業の方だ。書き言葉文化の内側からの提言であることに意義がある。 同日のメトロポリタン面「学校と新聞」欄は、読者部デスクが小学校へ赴き、記事の書き方を伝授したことを報じた。小学生に「できるだけ・・・分かりやすく、短い文で」「大事なことを最初に」「見出しは一番大切なことの要約」と、未来の読者となる子供たちに説いた。やはり、新聞は読みやすさが身上だ。 私は斎藤美奈子氏の「本音のコラム」(朝刊特報面)の日本語のファンだ。飛び石をぴょんぴょんと渡っていくような軽快さが楽しい。書き言葉の厳格さや鈍重さを意図的に避けている。例えば「サラマンダーはしかし、全国で唯一、愛知県・・・にしか配備されていない。・・・んもう全国に10台くらい置いとけよ」(11日)と書く。話し言葉だが、論旨は明確だ(しかも痛快)。 前出の投稿に「中学生にもわかる言葉・文章を心掛ける」という提案もあった。先日、近所で雑談していた時、「子供が購読している小学生新聞が私にはちょうどいい」と言う方がいた。その場にいた全員が大きくうなずいた。 一方、新聞は「難しいから面白い」(4日メトロポリタン面「学校と新聞」)と考える人もいる。小中学校のNIE(教育に新聞を)担当教諭の研修会で出た意見だが、それは新聞に慣れ親しんだ人たちの意見でしかない。平易な言葉で書かれた記事でも、他の教諭が話したように「深い話ができた」のではないか。 書き言葉の文化はデジタル文字の席巻で大きな変化にさらされている。「いまや世界のEmoji」(6月27日T発)は、日本発の絵文字は漢字に似ているという考察も紹介し、絵文字と漢字の境界線が決壊してしまうかもしれない予兆も暗示していた。実際、絵文字はパソコンの日本語変換ソフトにすでに入っている。 新聞が書き言葉の文化をけん引してきたことは疑いようもないが、間口を少し広げてもいいのかなと感じている。読者を増やし、副総理にあんな放言をさせないために。(フェリス女学院大教授)2018年7月22日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-書き言葉の間口を広げて」から引用 若い人が新聞を読まないというのは、新聞の記事が読みやすいかどうかではなくて、情報源として接触しやすいかどうかという問題ではないかと思います。明治維新の頃のように、それ以外に情報源が無いということになれば難解な候文でも、人々は競って手に入れようとするわけであり、現代はわざわざ売店で購入した新聞を開かなくても、インターネットなどを利用した音声や映像で情報を得ることが可能です。新聞を読まない若者が自民党を支持するというのは、音声や映像のメディアが「権力監視」というメディア本来の使命を果たしていないという問題なのではないかと、私は思います。
2018年07月25日
与党と野党の二人の若手政治家について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は18日の東京新聞コラムに次のように書いている; K君は人気者だ。評論家よろしく身内の批判もするので、メディアはK君の発言に群がる。 Y君は一部を除いて不人気だ。政権批判を臆せずするので、メディアはY君を煙たがる。 12日、Y君は参院内閣委員会で西日本豪雨災害の被害が深刻であることを取り上げ、国会審議を一時中止し、行政の力を災害対応に注ぐべきだと訴えた。「ばくち解禁法案の成立が秋の臨時国会に先延ばしになっても被災者は困りません」 同じ12日、K君は自身が事務局長を務める会で、かねて提案していた国会改革の具体策を提示した。夜間の党首討論の定例開催、タブレット端末の活用による国会審議のIT化推進、などだそうである。「平成のうちに、一つでも実現できるように議論したい」 同日、Y君は災害の状況を説明し、土砂を除去する小型重機を配備できないかと要望した。石井国交相は検討を約束。翌日、100台の小型油圧ショベルが緊急派遣された。Y君の金星である。 他方、K君は豪雨災害を見て気象予報を含めた衛星の力を再認識したといい、宇宙ゴミ除去に向けた提言をした。災害ゴミより宇宙ゴミ!? Y君は常にド真ん中狙いだが、K君はズレまくりだ。K君とは小泉進次郎氏、Y君とは山本太郎氏。一目瞭然、与党のK君より少数野党のY君のほうがずっと頼りになるやん。(文芸評論家)2018年7月18日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-K君とY君」から引用 この記事は短い文章の中に与野党二人の政治家のどちらが頼りになるのか具体例を挙げて判定しており、中々面白い。小泉議員と山本議員では明らかに山本議員のほうが世の中の役に立つ仕事をしているのに、メディアは「臆せず政府批判をする」山本議員を敬遠しがちで、あまり役に立たない小泉議員のほうが人気があるというのも、野党がいくら努力しても自民党支配が揺るがない「仕掛け」を示しているように思われます。
2018年07月24日
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教幹部が死刑になったことに関連して、18日の東京新聞には次のような投書が掲載された; 私は浄土真宗の大学の卒業生である。若い日、かけがえのない親鸞聖人の教えに出会った。その頃、同年代の若者のごく一部が、宗教を騙(かた)るオウム真理教に入信したことを思うと、オウムの事件は人ごととは思えない。心を満たそうとして出会った「教え」が、宗教であったか、宗教を騙るまがいものであったかの違いであり、紙一重である。 オウム事件で私が最も残念に思うのは、国民の多くに宗教についての決定的な誤解が生じたことである。現在でも、正しい知識もなく宗教を何か怪しげなものとして見る風潮がありはしないか。 本来、宗教とは、人間にとって欠くことのできないものである。それは単に教義(ドグマ)に基づくものだけではない。人間以上のはたらきに祈りを捧げ、自然の恵みに感謝し、食前に「いただきます」と一礼するのも、他ならぬ宗教心である。 学問としての宗教学は、教派の教学ではなく、そのような人類普遍の宗教心を客観的に考究する学問である。そこに触れていくと、人間の幸福は決して物質や経済だけでは満たされないことが、身に迫って理解されてくる。 高度成長期以降の日本の不幸せは、宗教を白眼視し遺棄したことであろう。「私は無宗教」と言って憚(はばか)らない精神の拙さは、世界の嘲笑の的になっているように感じられ、そうした中で真面目な若者がオウムという「教団」に捕らえられてしまった。事件の教訓は、偽物の宗教に騙(だま)されず、本来の宗教心を呼び覚まし、再び日本人が真実の宗教を獲得する必要性を問うたことだろうと思う。2018年7月18日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-宗教への偏見正すべき」から引用 宗教への偏見を正すべきというタイトルには賛成ですが、投書の中身を見ると独善的な持論を述べているだけのように感じられて、賛成するわけにはいかないと思いました。オウム真理教は無差別殺人事件を起こして、今は名前を変えた団体になってますが、そのことをもってオウム真理教は偽宗教と断定することはできないのではないかと思います。キリスト教や仏教にも時の権力と対立して断罪された例があるのですから、2000年後のオウム真理教が発足当初の十数年前の過ちを乗り越えて大きな宗教団体になっている可能性が、絶対ゼロだとは誰にも断言はできないのではないかと思います。 私が「宗教への偏見正すべき」というタイトルに惹かれた理由は、私も含めた現代人の多くが「宗教」に対して偏見を持っていると常々思っていたからです。それがどのような偏見かというと、「人間以上のはたらきに祈りを捧げ、自然の恵みに感謝し、食前にいただきますと一礼する」こういうことが宗教の本質だと思い込んでいる、これが「偏見」だと、私は思います。現実の宗教団体は何をやっているかと言えば、「人間以上のはたらきに祈りを捧げる」ふりをして信者からカネを集める、そのカネを元にさらに信者を増やして政党まで組織して社会の支配階級にまで上り詰めようとする、これが宗教団体の実際の姿ではないかと思います。そのような観点から見れば公明党の、安倍政権が国会でウソまでついて政治を私物化したり、大規模洪水が発生しても平気で宴会を続けてもそれでも自民党を支持し続けるという姿勢も、合点がいくというものです。 また、この投書は「高度成長期以降の日本の不幸せは、宗教を白眼視し遺棄したことであろう」とも書いています。戦後の日本人が宗教を白眼視したとまで言えるかどうか疑問ですが、仮にそうであったとしても、私はそれは人間として健全な反応だったと思います。戦前の日本人には学校教育を通して、天皇が神様で国民は神様のために命を捨てて戦うのだと叩き込まれて二百数十万人の国民が犠牲になったという経験に照らせば、二度と宗教には騙されまいという姿勢を示した日本人は立派だと思います。「人間の幸福は決して物質や経済だけでは満たされない」などと言うきれい事は、一億総中流時代のような誰もが衣食住に困らない社会で言われて初めて説得力を持つものであって、現代のように非正規社員という不安定な身分で生活費もままならい時代にあっては、貧乏でも文句を言うなという、待遇改善を訴える労働組合活動を封じ込める殺し文句のようなもので、嫌われるのは当然です。
2018年07月23日

米国ニューヨークの人口密集地から50キロの位置で稼働していた原発が当初の予定より14年も前倒しして閉鎖されることになった事情について、15日の東京新聞は次のように報道している; 米ニューヨーク・マンハッタンの西を流れるハドソン川。摩天楼の足もとから50キロほどさかのぽると、景勝地として名高い渓谷に2基の原子炉が並ぶ。電力会社エンタジーが計画を14年前倒しし、2021年までに閉鎖することで二ユーヨーク州と合意したインディアンポイント原発だ。 「ニューヨーカーの安全と健康を守るためだ」。17年1月に合意を発表したクオモ州知事は、世界有数の人口過密都市に近い同原発の危険性を「時限爆弾」と表現していた。 ただ、エンタジーが危険性を認めて折れたわけではない。合意の理由は「卸価格の低迷と操業コストの上昇」と同社広報担当のジェリー・ナッピさん(46)は語る。 シェールガス革命による安価な天然ガス発電に押されたうえ、原発は維持管理に必要な安全対策や老朽化対策の費用がかさむ。結果として採算が合わなくなった。 ハドソン川の環境を守るためにエンタジーと法廷闘争を続けた地元NPOリバーキーパーのリチャードーウェブスター弁護士(55)は振り返る。「ガスが原子力と張り合えるとは、かつて予想だにしなかった」 インディアンポイントだけではない。世界全体の25%に当たる99基が稼働する米国で、原発の地位低下に歯止めがかからない。 16年に一基が20年ぶりに新たに稼働した一方、07年以降だけで5原発の計6基が閉鎖。さらにインディアンポイントを含む9原発計12基が運転停止を前倒ししたり、運転延長を見送ったりする計画だ。 米投資銀行ラザードの推計で、17年の電源別発電コストは、1メガワット時当たり原子力の148ドルに対し天然ガスは60ドル。11年と比べ、原子力は福島の事故を受けた新たな安全対策や老朽化対策で5割増。天然ガスは3割安くなった。 シェールガス依存には、ガス価格の上昇や地球温暖化対策の後退という懸念が付きまとう。原発擁護論の根拠の一つだ。が、原発を脅かしているのは、シェールガスだけではない。 米国でも太陽光や風力といった再生可能エネルギーの普及が進み、発電コストは天然ガスを下回っている。米エネルギー情報局(EIA)によると、全米の17年3月の月間発電量で、再生エネが原子力を初めて超えた。 米NPO「憂慮する科学者連盟」でエネルギー研究部門を統括するスティーブ・クレマーさん(51)は「再生エネは天然ガスとの競争にも耐え、市場原理の中で着実に成長を遂げてきた」と指摘した。 原発の閉鎖が相次ぐ中、排ガス抑制や雇用対策のためとして、原発を暫定的に延命させる公的支援の動きもある。それは、もはや独力では立ち行かない原発の脆(もろ)さを表している。(ニューヨーク・赤川肇、写真も)2018年7月15日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「金食い虫 企業も見切り」から引用この記事は中々興味深い。ニューヨーク州知事は市民の安全のために電力会社に原発の操業中止を求め、電力会社は経済的な理由が動機になって州知事の要請を受け入れたようである。これは企業経営者として経済原則に則り健全な判断をしたように思われます。日本の電力会社はコストが嵩む上に危険な放射能事故のリスクがつきまとう原発を無理に稼働させようとするし、そのために政府・与党が原発の危険性に無頓着な人物を県知事候補に祭り上げて一生懸命応援する。上の記事を読むにつけても、日本の政府と電力会社の行動は異常です。
2018年07月22日
大水害が発生していても平気で宴会を続行した安倍自民党について、法政大学教授の山口二郎氏は15日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 西日本を襲った大水害は、我が国の政治の底知れぬ堕落をもあぶり出している。 7月5日夜、気象庁が今までに経験したことのない集中豪雨について警告を発しているさなかに、総理大臣、防衛大臣、官房副長官が大勢の自民党議員と議員宿舎で酒宴を催した。多くの議員がこの宴会の写真を会員制交流サイト(SNS)にあげた。 この件について官房副長官は国会で野党議員から追及され、謝罪し、情報発信には今後気を付けると述べたとNHKニュースは報じた。百人以上の人命を奪う大災害が起ころうとしている時に危機管理の責任者が能天気に酒宴を催したことを反省するのではなく、情報発信について反省しているとはどういうことか。指導者の軽さには耐えられない思いである。 おそらく、安倍首相の最大の関心事は9月の自民党総裁選挙で3選を果たすことであろう。そのために、自民党の議員を手なずけ、パリ祭の行事に参加する可能性を最後まで追求した。 虚偽、捏造(ねつぞう)の内閣は、国民の生命に対する責任感まで捨て去った。このことに国民が怒らないならば、危機感を持たないならば、日本は安倍政権もろとも滅びの道を進むしかない。山体の崩壊は、政治の崩壊を暗示している。異常気象だけでなく、政治の劣化に対しても緊急警報を鳴らすべき時である。(法政大教授)2018年7月15日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-耐えられない軽さ」から引用 水害発生を無視して宴会を続けたことについて謝罪するのかと思いきや、その責任には一切触れず「あのような写真をSNSに公開したことは軽率だった」と述べて、それで謝罪したつもりになっており、そういう会見の場にいた記者からも疑問は発せられず、ニュース番組で一部の識者がそのことを批判してもテレビの視聴者はただ聞き流して終わり。山口教授は「安倍政権もろとも滅びの道を進むしかない」と言ってるが、既に我々は「滅びの道」をかなり進んできており、果たして今から「逆戻り」が可能かどうか、かなり怪しいと思います。
2018年07月21日
日本の政治では消費税率の引き上げや国債増発など国民に負担をかける政策を実施するにあたって、国会も自ら身を切る改革、すなわち定数削減をするのだと国民に約束をしてきたのであったが、安倍政権はこの約束を踏みにじって参議院の定数を6議席増やす法案を、十分な時間も掛けずにいきなり強行採決した。しかし、今回の強行採決では自民党内でただ一人、船田元議員は棄権し、その理由を自らのブログに次のように書いている;この度の参議院議員選挙制度改正で定数を6増やす措置について、今日まで熟慮して参りましたが、これに賛成することは難しく、私は同改正法案の衆議院本会議採決を、やむなく棄権することとしました。 その第一の理由は、選挙制度は全ての政党や候補者にとって共通の土俵作りですから、その改正にはできるだけ多くの政党の賛同が望ましいのです。しかし今回の改正では多くの政党が反対する中での採決であり、また他の政党が提案した対案についての議論がほとんどないままの採決であり、拙速のそしりを免れません。 第二に、これまでの衆参の選挙制度改革においては、一貫して定数を削減する方向で行ってきており、消費税率引き上げや国債増発などの際には、国会自らが「身を切る改革」を前提に国民に理解を求めてきた経緯があります。理由の如何を問わず定数増は国民に理解されるものではありません。 合区により県を代表する参議院議員が選出されないことで、地域振興の遅れや政治離れを起こすことを阻止したいとの訴えは、痛いほどよく理解出来ます。だからこそ、憲法改正の一項目に合区解消を盛り込みました。しかし残念ながら憲法改正の議論が国会においてほとんど進まず、来年の参院選には間に合いません。申し訳ないことだと反省しています。 しかしながら例え緊急避難であろうとも、定数増や拙速な手続きは避けるべきです。今後は憲法改正や他の抜本的手段により、参議院選挙制度のあるべき姿を取り戻す努力がされることを切望します。https://www.facebook.com/notes/船田-元/この度の参議院選挙制度改革についてのコメント/1785527081542548/から引用 船田議員の棄権理由は実に明快で正論を述べている。選挙制度や憲法のように民主政治の土台となるようなことがらについては、単なる多数決では決められないものであって、憲法の場合は総議席数の3分の2以上の賛成が必要という規定があるが、選挙制度もそれに準ずるものであるから、できるだけ多くの政党が賛同する法案にするべきである。その上、今まで「定数削減」の方向で議論されてきているのに、何の説明もなく6議席増やすというのは「暴挙」である。法案が提案された当初は小泉進次郎議員が否定的な発言をしたのであったが、いざ採決となると「賛成」票を投じている。自浄機能を失ってしまった政党をいつまでも与党にしておいたのでは国は衰退するばかりである。
2018年07月20日
米国政府元高官が東京新聞の取材に応じて「日本は核燃サイクルから撤退するべきだ」と発言したことを、2日の同紙が次のように報道している; 米オバマ政権で昨年一月まで国務次官補を務めたトーマス・カントリーマン氏が都内で本紙の取材に応じ、日本が核燃料サイクルの一環でプルトニウムを大量に保有していることについて、「国際安全保障上の懸念となっている。特に核不拡散を目指す北朝鮮に核兵器を所有する理由を与える心配がある」と指摘。核燃料サイクルからの撤退が必要との考えを示した。現トランプ政権も「同様の懸念を共有している」としており、日本は今後、核燃料サイクルの見直し策を求められる可能性がある。 日本は原発の使用済み核燃料の全てからプルトニウムを取り出し燃料として再利用する核燃料サイクル政策を進めているが、技術開発の難航などで再利用は停滞。この結果、国内外に核爆弾5千発以上に相当するプルトニウム約47トンを抱えている。 カントリーマン氏は米朝交渉に関連し、「北朝鮮に核兵器保有を断念させようとしている時に、同国から『近隣他国(日本)はプルトニウム抽出を続けている』と言われかねない」と強調。「プルトニウムの削減と、核燃料サイクルからの撤退が必要」と指摘した。 その上で、日本が「中国、北朝鮮、韓国に呼び掛け東アジアでの再処理(プルトニウムの抽出など)凍結を呼び掛けるべきだ。核不拡散のリーダーとして信頼が高まり、北朝鮮の非核化検証でも重要な役割を果たせる」と提言した。 同氏は核燃料サイクルの費用についても「管理や安全対策が巨額で採算に合わない。日本は費用を客観的に調査すべきだ」と述べた。 トランプ政権については「日本の余剰プルトニウムに懸念を持っている点ではオバマ政権と同じ」と話した。 日本は米国との日米原子力協定の下、プルトニウム抽出を行うことを米国に認められてきた。協定は7月16日で30年の期限を迎え、自動延長が決まっているが、延長後は日米いずれかが通知すれば破棄できる。米国の立場が実質的に強まり、同国の意向次第で、核燃料サイクル政策が見直しを迫られることになる。◆日本の政策 核保持の口実に【解説】 日本の持つ大量のプルトニウムに国際社会の警戒が強まっている。米国は以前から保有量を抑制するよう求めているが、北朝鮮の非核化が重要課題に浮上する中、国際社会の懸念はさらに深まる。大量のプルトニウムは被爆国の立場から核不拡散を掲げる日本の理想とも反し、核燃料サイクル廃止を真剣に追求することが求められている。 日米原子力協定では日本は取り出したプルトニウムは燃料として再利用する目的だけに使うと約束している。だが、プルトニウムを燃料とする高速増殖炉は、原型炉「もんじゅ」の廃炉が決まり、実用化は見えない。従来原発で使う方式もあるが、特定原発に限られ、東日本大震災以降、再利用は停滞する。 大量のプルトニウムをため続けていることが核拡散につながる心配があるというのがカントリーマン氏の主張。北朝鮮が米国との非核化交渉でカードとして切ってくる可能性があるというのだ。 政府はエネルギー資源の海外依存を減らすとして国民から徴収した電気代や税など13兆円近い費用を投じ核燃料サイクルを進めてきた。だが、現在は国内にある太陽光や風などを使う再生可能エネルギーも台頭しており、その大義名分もない。政府は近くプルトニウムを現状に抑える指針を発表するといわれるが、弥縫(びほう)策を超えた抜本対策が急務だ。(伊藤弘喜)2018年7月2日 東京新聞朝刊 12版 1ページ 「北非核化に『悪影響』」から引用 使用済み核燃料をリサイクルする工場は何年経っても完成の目処が立たないし、リサイクルした燃料を燃やすはずの「もんじゅ」は一度も稼働しないまま廃炉が決まったし、そもそも原子力発電は管理や安全対策に巨額の費用がかかり、経済的に採算が合わないことは今では誰の目にも明らかです。したがって、カントリーマン氏が提言するように、日本は直ちに核燃料リサイクル政策を断念し中国、朝鮮、韓国に東アジアでの再処理凍結を呼び掛けて、国際社会における信頼を取り戻すべきだと思います。
2018年07月19日
米朝首脳会談が実現しアメリカの朝鮮敵視政策が転換されようとしている今日、日本政府はどうするべきか、立教大学准教授の石坂浩一氏は6日の「週刊金曜日」で次のように述べている; 安倍晋三首相は6月16日、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の問題、拉致問題は私自身の責任で解決しなければいけないという強い使命感を持っている」と述べ、自民党総裁選3選に向けて出馬の意欲を示しました。 しかし、拉致被害者家族の蓮池透氏が述べているように、安倍首相がこれまでやってきたのは、政権獲得や延命のためいろいろな問題を利用することでした。今回も同じで、拉致問題を利用しようとしているようです。 6月12日にシンガポールで行なわれた米朝首脳会談の共同声明では、朝鮮半島の完全な非核化と平和体制構築がうたわれました。トランプ大統領は朝鮮半島に本気で取り組んでおり、北朝鮮も歴史的な転換点を生み出すために大胆な妥協を決意したと思われます。 トランプ大統領は昨年の9月から10月以降、北朝鮮と水面下で交渉し、最後はCIAの長官だったポンペオ現国務長官が動いて話を詰めました。トランプ大統領は、目に見える形で北朝鮮の非核化を実現する成果が必要です。今の勢いが保たれれば、共同声明から後退することはないでしょう。 北朝鮮もこの9月で、建国70年を迎えます。韓国に文在寅大統領の民主的政権が誕生し、米国にも前例にとらわれない大統領が出てきた今こそ、金正恩国務委員長は勝負を賭けてきています。◆「お願いする」だけの醜態 安倍首相はこれまでさんざん「北の脅威」を煽り、そのおかげで選挙にも勝ってきました。北朝鮮への対応では、無自覚に米国に追従するだけでした。しかし、これまでのように北朝鮮に対する「圧力一辺倒」だけではすまなくなっています。 今ごろになって、急激に進んでいる米朝接近の流れに乗り遅れないようにと日朝首脳会談の開催を言い出しています。しかし、首相はもともと「そのうちあの国は崩壊する」といった発想にとらわれていました。さんざん北朝鮮を悪く言い脅威を煽ることで、朝鮮民族への差別感情を高め、排外的世論を増幅したわけですが、今になると、そうした世論がかえって足かせになり身動きがつかなくなっている面があります。 マスコミにも大きな責任があります。いまだに米朝首脳会談を通じた歴史的転換の実践方向を探るより、北朝鮮が約束を守らないというあら探しに必死です。 米朝の動きがどうあれ、日本が対北朝鮮外交でなすべきことは明確です。まず「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め」、「国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」と誓った2002年の平壌宣言を出発点とし、その具体化に向けた案を提示することにほかなりません。 日本は、今の情勢を積極的に生かすべきなのです。しかし、これまでにしたことといえば拉致問題をトランプ大統領にお願いすることだけです。これまで安倍首相は、「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」といってきました。けれども、拉致問題は国交回復を前提とした交渉のなかでしか解決できません。今までの日朝交渉中断の一番の責任者が安倍首相ですから、関係改善にふさわしくない人物です。彼に代わる政治家がリーダーシップをとるべきです。日本は朝鮮戦争の公式の交戦国ではないのです。すぐ国交を正常化してもおかしくありません。 北朝鮮にいる日本人配偶者や在日朝鮮人の往来を認め、在朝被爆者を支援するなど、目に見える対応をして信頼関係を再構築するしかありません。日本政府は独自制裁を重ねてきましたが、いまこそ在日朝鮮人に対する圧迫を止め、独自制裁を解除することで、真剣さを見せる時です。(談)<聞き手・まとめ 成澤宗男(編集部)>いしざか こういち・立教大学准教授。2018年7月6日 「週刊金曜日」 1191号 27ページ「安倍首相に対北朝鮮外交は無理だ」から引用 安倍首相は9月の自民党総裁選挙が近づいたと思って「自分の責任で拉致問題を解決」などと急に言い出しているが、安倍氏の場合は過去の5年間、この問題について何もしないできてしまったことの責任を取るべきだと思います。朝鮮政府は日本政府の要請に基づいて拉致問題の再調査を行ない、その報告書を提出すると言っているのに、安倍政権は何が気に入らないのか受け取りを拒否して今日に至っている。宇宙空間を通過するだけのロケットが危ないなどといって、つい最近までJアラートだなどと国民に不安を煽り続けた安倍氏ですから、今さら受け取りますとも言いにくいでしょうから、ここは潔く退陣して次世代のリーダーに託すのが最善の策と言えるでしょう。
2018年07月18日
労働者の権利を守る労働法制を破壊する「働き方改革法」が強行採決されたことに関連して、武蔵大学社会学部教授の永田浩三氏は8日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 昨夜の悔しさ。翌日配達される朝刊はその気持ちを共有してくれるだけでなく、多角的な視点を提供して冷静にさせてくれ、不貞腐れることなくわたしを職場に送り出してくれる。新聞の効用はそこにあるとずっと思ってきた。 6月29日夜、高度プロフェッショナル法(高プロ法)が成立した。労働時間・休日・休憩・深夜業務の規制がなくなり、割増賃金は支払われない。なんだか危険がいっぱいの法律だ。どの新聞も怒り心頭だろうと思いながら各紙を見て驚いた。日経は「無駄な残業をなくし、時間ではなく成果を評価する働き方の第一歩」と歓迎。読売も「脱時間給制度」と位置づけていた。 東京新聞の1面には、参議院本会議を見守る過労死遺族の写真。記事は、どの政党が反対したのかから始まっていた。安倍首相のこんな言葉が引用される。「これからも働く人の目線に立つて改革を進めたい」。「これからも」とはどういう意味なのだろう。首相は国会で「適用を望む企業や従業員が多いから導入するというものではなく…」と答弁し、この法律が労働者の要望と関係がないことを認めていた。首相は言葉を変テコに使うことで、新しい国語を創造しようとしているのだろうか。 東京新聞は「働き方改革法」という言葉を使わない。「『働き方』法」と呼ぶ。これは見識だと思う。1面には、元労働基準監督官のコメントも載った。違法な働かせ方を取り締まるには、時間で縛るしかない。しかし、高プロではそれができない。会社側が設定する業務量の規制もできない。これではずるずると長時間労働が増えていく。 2面の「核心」では、批判はさらに具体的に展開する。政府は高プロの運用には本人の合意が必要であり、対象者は年収が高く会社との交渉力も高いと説明した。だがそれにも疑問がある。年収が高いからといって交渉力も高いとは言えないのではないか。 批判は一本調子ではない。佐藤正明さんの4コマ漫画が色を添える。サッカーW杯ポーランド戦での日本の戦法への批判と重ねて、法案がただ通過すればいいということだったのではないかと笑いに包んでやゆしていた。 声を上げた遺族のなかにNHK記者で過労死した佐戸未和さんの母・恵美子さんもいた。法案が成立した夜の国会前にわたしもいて撮影した。目の前で恵美子さんは血の流れるような訴えをした。かつてわたしも同じ職場のプロデューサーだった。とてもひとごとではない。東京新聞の一連の記事は自分たちの日々の仕事に直結するという危機感があふれていた。 1日の朝刊27面には、民放キー局での違法残業の実態が載っていた。今後もしぶとい批判を大切にしてほしい。(武蔵大学社会学部教授)2018年7月8日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「新聞を読んで-『働き方』法の危機感直視」から引用 今回強行採決された「働き方を改悪する法律」は法案として国会に提案された当初は労働の現場に「裁量労働制」や「高度プロフェッショナル制度」の導入を希望する声があるので必要な法律の案であるということで議論が始まったのであった。ところが、野党の追及によって労働の現場にそのような声があるというのはウソであることが暴露されたため、政府は「裁量労働制」の法案は撤回したのである。しかし、その後の審議でも野党が追及して「高度プロフェッショナル制度」を望む声が労働の現場にあるということもウソであることが明らかになったために、安倍首相は「適用を望む企業や従業員が多いから導入するというものではなく・・・」と「言い訳」をせざるを得ない状況になったのであった。本来は首相がこのような発言をすれば、立法事実が存在しないことを政府が認めたわけであるから提案された法案は自動的に廃案となるのが、これまでの慣例であったが、今回はそのような慣例を破って自民党が数のチカラで押し切った「横暴」そのものであり、そういう暴挙を批判するどころか、これで働き方改革が進むなどと「歓迎」した日本経済新聞や読売新聞の論調は犯罪的といって過言ではないと思います。
2018年07月17日
昨日の欄に引用したペジー社スパコン詐欺の記事の続きは、国が助成金を出しておきながら助成対象の製品が完成したのかどうか確認を怠っていたことなど、色々な問題が内包されていたことを、次のように報道している; ペジー社などは2014~15年に、高エネルギー加速器研究機構(KEK)にスパコン「睡蓮(すいれん)」「睡蓮Blue」の2機を、理化学研究所に同「菖蒲(しょうぶ)」1機を設置。これら3機は設置後まもなく、国際的なスパコンの省エネ性能ランキング「Green500」の」1~3位を獲得した。これが官民での資金集めに貢献したことは間違いない。 だが、不審点は多い。まず、この3機に搭載されているプロセッサーだ。NEDOの助成金を受けた「PEZY-SC」プロセッサーは助成期限の14年3月完成とされてきた。だが。一連の詐欺事件の検察側冒頭陳述によれば、この時点では「PEZY-SC」は完成しておらず、ペジー社側はNEDOへの成果報告書に「試作品が完成」とウソを書いた。完成できなかったのは資金繰りが苦しかったからだが、同社はこの後のNEDO助成金もだまし取っており、資金繰りが好転したとは考えにくい。 結局、このプロセッサーは完成し、実在するのか。驚くべきは「完成しているという認識だったので、実在するかどうかの確認はしていない」という経産省担当者の言葉だ。 Green500への申請で、計測に立ち会ったという理研もKEKも「プロセッサーが完成していたか否か、確認する立場にない」と口をそろえる。 さらにこの3機の詳細データ、特に冷却システムを含めた全体を動かす電力が非公表なことも疑問だ。 大電力を使うスパコンは熱を持つが、熱はスパコンの処理能力を落とすため、効率的な冷却が必須だ。斉藤被告側は、スパコン全体を液体フロンの入ったタンク内で冷却する手法を開発し、それにより省電力性能が向上し、世界一を達成したとPRしていた。 ただ、計算性能を使用電力で割った値でランク付けするGreen500は、使用電力に冷却電力を含めなくてよい。このため、実際には冷却電力を膨大に使う「非省エネ」のスパコンが上位になり得る「欠陥」がある。ベジー社側は、この欠陥を突いて「世界一」を獲得したのではないか。 本来、国費で研究開発する以上、国はきちんと成果物の内容や意義を精査すべきだ。しかし「モノを確認するにもコストがかかる」(経産省担当者)と及び腰ではどうしようもない。 「スパコンとは何か」の著書もある東京大名誉教授の金田康正氏(計算科学)は「プロセッサーなどスパコンのハード開発は米インテル社などの世界企業の寡占状態にあり、勝ち目がほとんどない。そこで世界一を競うなど、ベジー社は無理な勝負をしていた印象だし、その無理になぜ百億円もの国費が投じられたのか分からない」と指摘する。 金田氏も参加した民主党政権下での事業仕分けでは、千百億円かかった理研のスパコン「京」をめぐって、「世界一」の価値が問われた。いわゆる「二位じやだめなんですか」(蓮肪参院議員)論争だ。 当時、事業仕分けを仕切ったシンクタンク「構想日本」の加藤秀樹代表理事は「あのとき、京を推進していた文科省は『国民に夢を』などと情に訴え、国威発揚のためといった話を持ち出してきた。斉藤被告も『このままでは中国に負ける』などとあおっていたそうだが、まさに同じ構造。およそ科学や費用対効果の議論と関係ないナショナリズム的な色彩が、スパコン開発にはある」と話す。 金田氏はこう強調した。 「スパコンはしょせん、道具にすぎない。その道具を使って何ができるかはソフトウエア、つまりは人間業次第だ。百億円もあったら、モノであるスパコンに無駄に資金を投入するよりも、人に投資していれば、ずっと効果的だったろう」<デスクメモ> 現実逃避のための国威発揚。その材料にスパコン開発も浮かんでいる。もっと向き合うべき課題は多い。少子高齢化、原発問題、東アジアでの共存・・・。どれひとつ、まともに議論できず「日本スゴイ」で思考停止。事態は悪化するばかりだ。まずは「スゴくない」現実を受け入れよう。(牧)2018年7月8日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「モノ確認せず国費100億円」から引用 ペジー社スパコン詐欺は不思議な事件だ。スーパーコンピュータの国際的な省エネコンクールで1位になったというのに、実はそのプロセッサは本当に完成していたのかどうか確認されていないとか、「省エネ」のコンクールなのに冷却に使った電力は計算に入れないとか、素人目には「詐欺師が活躍できる環境が整っていた」ようにしか見えません。国庫から助成金を出すからには、事前の審査もさることながら、適正に使用されたかどうかもしっかり監督してほしいものです。
2018年07月16日
ペジーコンピューティング詐欺事件について、8日の東京新聞は次のように報道している; 世界一のスーパーコンピューター(スパコン)をつくるとして、国から計100億円もの助成金や融資を受け、一部を詐取したとされる「ペジーコンピューティング(ベジー社)詐欺事件」。斉藤元章同社前社長(50)=詐欺罪などで公判中=は天才などと称賛される裏で、危ないカネ集めに奔走していた。背景には「世界一」を絶対視する国を挙げてのスパコン開発のひずみがありそうだ。(大村歩) 「本年中に2回の大きな株価上昇機会が御座います」「何よりも、世界一スパコンに対する旺盛な官民需要を、最大限に活用した成長が見込まれます」 これらは「こちら特報部」が入手した斉藤被告らによる出資募集の資料にあった口上だ。関係者によると、昨年5月ごろに資金を集めようと、投資家向けに配布されたものだという。 人工知能(AI)の発達によるSF的未来社会を構想する「特異点論者」――。資料の冒頭部分にある斉藤被告の紹介だ。続いて同被告の案内を受けて、ペジー社製スパコンを視察する麻生太郎財務相の写真がデカデカと載っている。 資料では、斉藤被告が関わる新規法人2社に「安定した研究開発のため」として計10億円の出資を要請。出資後の株式時価総額は計200億円以上になるとしていた。一方、同被告が会長のスパコン製作会社「エクサスケーラー」には、25億円分の出資を求めた。 株式上場の予定もないのに時価総額をうたったり、25億円の詳細な使途が書かれていないなど怪しげな部分も多いが、麻生財務相との写真が効いたのか。「一部の投資家は出資に応じたようだ」(関係者)。 しかし、斉藤被告はその7ヵ月後の昨年12月、東京地検特捜部に詐欺容疑で逮捕、起訴された。起訴状などによると、スパコン用の新型プロセッサー(処理装置)とメモリー(記憶装置)の開発費用として、経済産業省から助成金計6億5300万円をだまし取ったとされる。同被告は今年5月の初公判で、詐欺罪の起訴内容を認めている。 ペジー社など斉藤被告が率いるグループ企業は、経産省から新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)を通じ、2010~17年度の間に、5つの研究開発で助成金計約48億円の交付決定を受ける一方、文部科学省から科学技術振興機構(JST)を通じ52億円の融資を受けていた。しめて100億円だ。 斉藤被告の逮捕後、JSTは融資全額の返還を求め、経産省も起訴事実となった2つの研究開発について約9億4千万円の返還を求めた。これらは返還済みだが、15~17年度の経産省分の助成金約35億円については、返還のメドはたっていない。同省の担当者は「本来は今年3月末に出るはずの成果報告書が出ておらず、費用を精算できていない。詐欺事件を起こした会社なので精算は厳正に行い、問題があれば返還を求める」と話す。 いずれにせよ、斉藤被告らは国や民間から旺盛にカネを集めていた。その殺し文句は「世界一のスパコンをつくる」。実際、それは達成されたため、一部には「詐欺はいけないが、ペジー社の技術力は素晴らしい」と擁護する声もある。 しかし、その技術力のアピールにも「だましのテクニック」が使われていた可能性はないのか。2018年7月8日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「スパコン開発 透ける危うさ」から引用 事業を立ち上げるために出資を募るときは如何に有望な事業であるかを懇切丁寧に説明して出資者を納得させるものであるが、その説明が虚構であれば罪に問われるのは当然だ。株式を上場する予定があるのか、集めた金は何に使うのか、出資を検討する者は慎重に確認するべきであるが、財務大臣が視察するほどの企業なのだという「視覚情報」に騙された可能性は大きい。
2018年07月15日
現代の日本が陥っている全体主義の兆候について、法政大学教授の山口二郎氏は、8日の東京新聞コラムに次のように書いている; 政冶学の講義の中で、ジョージーオーウェルの小説『1984年』を紹介しながら、全体主義について解説している。 全体主義という概念は、あの国は全体主義、この国は民主主義と分類するためのレッテルではない。自分たちがいま生きているこの社会の中に、全体主義的な要素が兆しているかどうかを検証する物差しである。 オーウェルは、2+2が4か5か不確かで、支配者が5と言ったら、みんな5だと心から信じなければならない体制が全体主義だと言った。その時に2+2が4だと言い張れば、反逆者として処断される。 昨年、安倍首相は森友学園への国有地廉売に自分や妻が関わっていたら辞めると啖呵を切った。だが、今年、関わったというのは賄賂のやりとりという意味だと自分の発言内容をすり替えた。 つまり、今の日本は為政者の都合で、2十2か4になったり、5になったりする点で全体主義に近い。 ただ、今の日本では4だと言い張る人間も存在を許される。その点では完全な全体主義ではない。しかし、いくつかのメディアも多くの国民も為政者が5だと言ったらそうかもしれない、いつまでも4とこだわるのはカッコ悪いと思っているようだ。真実に固執する人間を社会から遊離させるのが、21世紀型のソフトな全体主義なのだろう。(法政大教授)2018年7月8日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-新たな全体主義」から引用 この記事では「関わっていたなら辞める」を「賄賂のやりとりがあったら辞める」にすり替えて平然と居直り、誰もそのことを咎めないことを全体主義の兆候ととらえているが、国会審議が安倍政権によって空洞化されている点にも、私たちは全体主義の兆候を見なければならないと思います。本来、国会に提案された法案は与野党それぞれの立場からの話し合いを通してより良い法律に仕上げるという作業が必要であるにも関わらず、安倍政権のやり方は、野党の質問に対してまともな答弁をせず、質問をはぐらかす答弁や関係ない発言で時間をつぶし、一定の時間が経ったら数のチカラで強行採決をする。これでは国会は本来の機能を発揮できず、何でも政府与党が提案したものがそのまま法律になってしまう、れっきとしたファシズムです。こういう政治のやり方に国民は異議を唱え、政権を交代させるべきです。
2018年07月14日
安倍政権の政治姿勢について、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏は6月17日の「しんぶん赤旗」で、次のように述べている; 「81年前の日本人と同じような無自覚さで、われわれは新しい『戦前』を迎えつつあるのではないか」。『1937年の日本人』(朝日新聞出版)を上梓(じょうし)した戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんに聞きました。<田中倫夫記者> 日中戦争の始まりは、1937年7月7日に中国の北京郊外で起きた日中両軍の衝突、盧溝橋事件だ、と学校で教わります。 しかし7月7日を境に、社会がいきなり平和から戦争に変わったわけではありません。そこで、1937年の日本がどんなふうに変化していったのかを知りたいと思い、この本の執筆に着手しました。 当時の日本人になった感覚で「時代の空気の変化」を理解するため、1937年の元日から大みそかまでとその前後の新聞縮刷版を隅々まで読み、『中央公論』『文藝春秋』『改造』『週刊朝日』などの雑誌にも目を通しました。 最初のうち、国民は「戦争が始まった」とは思っていませんでした。「悪い中国人を懲らしめるだけだ」と説明する政府に従う中、日々の生活に少しずつ戦争が入り込み、気が付いたらそれに乗っ取られていた。 当時のメディアを見ると「挙国一致」という言葉が頻繁に登場します。国を挙げ一致団結して”国難”に立ち向かう。一見立派な態度ですが、とりあえず政府に従うという盲目的な服従がどれほど危険かは、その後の破滅的戦争と悲惨な敗戦を見ればよくわかります。 無能で判断力がない政府指導部に国民が一致団結して従うと、国はどんどん破滅に突進していく。当時の社会の流れを観察し、”政府に黙って従うことの危険性”を思い起こす必要があると思いました。 そして、当時のメディアは、国民に伝えるべき事実をきちんと伝えていなかった。それでは今の日本のメディアはどうか。◆男尊女卑の体質 たとえば、安倍政権と、戦前・戦中の価値観を継承する「日本会議」や「神道政治連盟」との深い関係。閣僚のほとんどはこれらの団体の議連メンバーです。日本国憲法の理念を否定し、戦後の価値観を認めず、男尊女卑の差別思想も戦前・戦中と同様。だから安倍内閣は、財務省のセクハラ問題が出た時も、加害者側の事務次官をかばい続けたのです。 伊勢志摩サミット(2016年)では安倍首相が各国首脳を伊勢神宮に案内し、神社本庁とつながりのある同神社を「日本の精神性を感じられる場所」と宣伝しましたが、これは憲法の政教分離の原則と相いれません。改憲に賛同する署名を神社本庁が集めたのも大きな問題です。しかし「赤旗」を除くと、大半の日本のメディアはこれらの問題を伝えていません。 安倍首相の総理大臣としての資質を疑わせる事実も次々と出ています。 「森友・加計(かけ)」疑惑では、安倍首相夫妻の権力私物化か疑われていますが、公的事業をめぐるグレーの部分をシロにする責任は首相にあると理解していない。 公的記録が全て保存され、それが全部開示された状況で「不正を示す記録がない」のであれば、「不正はなかった」という結論になります。しかし公的記録が恣意(しい)的に廃棄・改ざんされ、核心部分が空白なら、「不正を示す記録がないから不正はなかった」という理屈は成立しません。 これは「日本会議」などが行う歴史否認のやり方と同じです。「慰安婦の強制連行や南京大虐殺を裏付ける文書はない。だから無かった」という言い方をします。しかし、日本は敗戦時に公的記録を大量焼却したのですから何の証明にもならない。欺瞞(ぎまん)的トリックというべきものです。◆今は新しい戦前 安倍政権下の日本では、戦前・戦中と同じような「権威への服従」の傾向がまた強まっています。上位の人間の理不尽な意向に下の者が服従して破滅する例が続発しています。 日本が最も権威主義的になったのは、1935年からの10年間です。あの時ほど人命や人権が軽視された時代はありません。 安倍首相や日本会議があの時代に執着するのは、もっとも権威主義的だった時代の日本こそが、あるべき姿だと思っているからです。そんな価値観の行きついた先が前回の戦争です。その意味で今私たちは「新しい戦前」に直面しつつあるのではないか。あの時代の過ちを繰り返さないために、私たちは「黙って従うこと」をやめる必要があります。やまざき・まさひろ=1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。『[増補版]戦前回帰』『「天皇機関説」事件』など著書多数2018年6月17日 「しんぶん赤旗」日曜版 10ページ 「新著『1937年の日本人』が問うもの」から引用 安倍首相の総理大臣としての資質を疑わせる事実が次々と明るみに出ているのに、メディアはこれを問題にしないのは遺憾です。森友学園問題や加計学園問題でも、「(不正が)ないことを証明するというのは悪魔の証明だ」などという意見を時折見かけますが、これも間違いであり、政治家は「李下に冠を正さず」が信条であり不正が疑われた時点で責任を取るのが「政治責任」の本来の意味です。それが仮に「ためにするイチャモン」であれば、誰の目にも明らかな「証拠」を示して反論できるはずで、疑惑を指摘されて出した「文書」が実は改ざんしたものであったことが明らかになったのでは、もはや反論の余地はないのであって、引責辞任するのが普通です。
2018年07月13日
最近の国際社会や国内政治の動向について、哲学者の内山節氏は1日の東京新聞コラムに次のように書いている; 最近では、安定とは何を意味しているのだろうかと考えるようになった。私は高度成長期の世代だから、この時代の人間にとっては、安定した企業や役所に勤めることが、安定した人生を送る一番確かな方法だった。 ところがいまでは、そういう道に不安定なものを感じる若者もふえている。大きな企業などに入っても、システムのなかで駒のように使われていくだけで、やりがいのある人生を歩めないのではないか、それでは収入は安定しても、人生としては不安定だという感覚が少しずつ広かっている。だから自分のスキル(仕事能力)を身につけるために就職しても、たえず転職や起業、移住などを考えるというタイプの若者も多くなった。 そういう人たちにとっては、やりがいのある人生を送るという安定を手に入れるには、ある種の不安定さの甘受が必要だと感じられているのである。 戦後の日本の社会は、さまざまな安定したシステムに包まれていると思われてきた。1991年にソ連が崩壊するまでは、米ソの対立と共存が、世界の基盤として機能していた。そういうかたちで、世界は安定していたのだといってもよい。日本の政治の世界では、自民党と社会党がおよそ2対1の勢力図をつくっていた。そういうかたちで安定していたのである。安定した企業に就職することが、安定した人生を送る軸だという雰囲気も、戦後的な安定の一つだったといってもよい。 ところが現在では、そのすべてが壊れてきている。アメリカの力も以前より弱まり、世界は不安定な時代を迎えた。国内の政治勢力も多党化や扇動政治の時代に入っている。とすると、現在の私たちは、不安定下の安定を模索しなければならないのだろう。国際的にも、日米同盟の下にいれば安定をえられるという時代は終わり、たえず揺れ動くアジアや世界のなかでの安定をつくりだすには、どうしたらよいのかを考えなければいけないのかもしれない。 中国が世界の大国になりたいという野望をあからさまに示し、北朝鮮のような国が存在感をだそうと挑戦してくる。これからはもっと多くの国が独自の主張を繰り広げていくかもしれない。そういう状況下では、おそらく、軍事的な力や均衡が安定をつくるという戦後的な発想も、有効性を低下させていくだろう。じっさい、圧倒的な軍事力をもっているはずのアメリカが、朝鮮半島でも中東でも、翻弄されているのである。 そういう不安定な世界のなかで、平和を貫くにはどうしたらよいのか。おそらくそれは、たえず正確な情報を集め、さまざまな交渉チャンネルをもつことや、平和への強い意志と理念をもちつづけることなのだろうと思う。 国内政治でも、2大政党時代をつくろうという発想自体が、時代遅れなのかもしれない。不安定な状況のなかで何を実現させていくのかという発想が、これからは必要なのかもしれない。そういう時代には、いま何を実現させなければいけないのかという強い意志が必要なのである。 これまでの基準に従えば不安定な人生かもしれないけれど、それを甘受してこそ、やりがいのある人生という安定がえられる。そう考える人たちが生まれてきていること自体が、さまざまなところで戦後的な安定が崩れていく時代を表しているのかもしれない。(哲学者)2018年7月1日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-不安定な世界の生き方」から引用 いつも斬新なものの見方を提供してくれる内山先生であるが、今回の記事には賛同しがたい部分があります。確かにこの記事が指摘するように、我々が就職する時代は大企業や役所に勤めることが安定の道であったのは事実ですが、現代の社会ではそれが必ずしも「安定の道」でなくなったのは、若者が大組織の中の歯車になることを拒否するようになったからではなくて、大企業に就職してもかつてのような「安定」した身分の保障がなくなったことが「理由」なのであり、その原因は労働組合の弱体化であると私は考えます。大企業でも中小企業でも、人々が希望をもって働くには、健全な労働組合運動が欠かせないと思います。また、この記事では「世界の大国になりたいという中国の野望」とか「存在感を出そうと挑戦してくる北朝鮮」などという表現もありますが、これもまた、今日に至るまでの「世界の歴史」という観点が抜け落ちた興味本位の表現で読む者を失望させます。元々「野望」は欧米帝国主義が持っていたものであって、現在の中国は、アヘン戦争以来不当に蹂躙された立場から立ち直って、本来あるべき地位に戻りつつあると解釈するのが妥当と思います。また、核ミサイルの開発やそれを断念する代わりにアメリカを交渉のテーブルに着かせることに成功した朝鮮民主主義人民共和国は、単に「存在感」を演出するためにそんなことをしていたのではなく、アメリカのよる不当な敵視施策とそれによる経済的困難を克服するために必要な努力をしたのであったことは、世界の誰もが認めざるを得ない事実です。かつて米ソが武力を競って対峙した時代は安定しているように見えて絶えず「核戦争勃発」の不安に晒されていましたが、そのような「不安」が消滅した現在は、日本ももはやアメリカの軍事力に頼る必要がなくなったと言えます。世界最強の軍事力を持っていても世界を指導することはできなくなっているというアメリカ合衆国の現実が、そのことを証明していると言えます。
2018年07月12日
国土交通省が安倍昭恵氏付職員、谷査恵子氏から国有地の大幅な値引きを要求された経緯を記録した文書を、共産党が独自のルートから入手し政府を追及したことを、6月18日の毎日新聞は次のように報道した;森友問題 昭恵氏付職員「賃料値下げ要望」 共産党が追及共産党の辰巳孝太郎氏は18日の参院決算委員会で、学校法人「森友学園」への国有地売却問題を巡って、国土交通省が作成したとされる二つの文書を示し、情報開示に後ろ向きだと政府を批判した。森友・加計学園問題を早期に幕引きしたい安倍政権に対し、野党は延長国会でも追及を続ける構えだ。 辰巳氏が示した文書の一つは、安倍晋三首相の妻昭恵氏付だった政府職員の谷査恵子氏が2015年11月、国有地の賃料を引き下げる優遇措置をとれないかと財務省理財局に問い合わせたことに関するもの。財務省が谷氏に回答した同月12日、同省近畿財務局から情報提供を受けた国交省大阪航空局が作成したとされる。 文書には、森友学園が建設を予定していた小学校の名誉校長に昭恵氏が就任していると記されていたため、辰巳氏は決算委で「その日のうちに大阪航空局まで情報が共有された。名誉校長だとわざわざ書き入れている」と指摘。昭恵氏の存在が交渉に影響した証拠ではないかと迫った。 もう一つは、森友学園との交渉記録の公表について、財務省と国交省が今年5月に意見交換した内容を記録したとみられる文書。 それによると、財務省側は「近畿財務局と理財局のやり取りについては、最高裁まで争う覚悟で非公表とするのだろう」と述べる一方で、「近畿財務局と大阪航空局のやり取りについては(公表の)メリットもあり得る。(森友学園から)いろいろとひどいことを言われたことが明らかになる」と国交省側に伝えた。 ただ、「公表するかどうかは、中身にもよるだろう。国交省として、出すのが得策かどうか検討してほしい」と国交省に慎重な対応を促した。 また、財務省の内部調査報告書の公表時期を大阪地検の刑事処分と合わせるため、「官邸も早くということで、法務省に何度も巻き(催促)を入れている」と現状を説明した。 辰巳氏は「最高裁で争ってまで隠したいものは何か」と追及。首相は文書の真偽が不明だとして「今の段階では架空の状況だから答えようがない」とかわしたが、辰巳氏は「『安倍案件』だからこそ公表を拒んでいると疑われても仕方がない」と納得しなかった。 (後半は省略)2108年6月18日 毎日新聞Web版 「森友問題 昭恵氏付職員『賃料値下げ要望』 共産党が追及」から引用https://mainichi.jp/articles/20180619/k00/00m/010/117000cこの記事が示すように、共産党が入手した文書について安倍首相は偽物であることを前提に「架空の質問には答えようがない」などと答弁したのであったが、今月に入って国土交通省は共産党が入手した文書に書かれた内容は「真実である」ことを認めた。7月6日の「しんぶん赤旗」電子版は、次のように報道している;共産党公表の森友内部文書 国交省、大筋認める 国土交通省は4日、森友学園問題をめぐり日本共産党国会議員団が入手し公表した内部文書の内容を大筋で認めました。野党合同ヒアリングで答えました。6月18日の公表以降、文書の「提出もコメントも控える」としてきた態度を改めたもの。他方で文書そのものの提出は拒んでおり、真相解明には背を向けたままです。 問題の文書は、国土交通省大阪航空局作成とみられる2015年11月12日の電話の記録。安倍晋三首相の妻・昭恵氏付職員だった谷査恵子氏から財務省本省への照会の内容を、大阪航空局が財務省近畿財務局から聞き取ったもの。谷氏の照会が森友学園「優遇」の依頼で、財務省が谷氏に回答した当日に大阪航空局まで情報共有されるほど照会が重視されていたことを示しています。 国交省航空局の飯嶋康弘部長は「当時の担当者に公表された文書で確認した結果、近畿財務局より電話があったことは覚えている。(日にちも)たぶんその日。記載のような話を言った覚えはあるという回答だった」と説明しました。文書の提出は拒否しました。 日本共産党の辰巳孝太郎参院議員は、同省は共産党公表の文書と同じ文書を持っているはずだとして「『担当者に確認』などと回りくどいことをせず、『同じものがある』と認めるべきだ」と、文書の提出を拒み続ける同省の隠ぺい体質を批判しました。「しんぶん赤旗」電子版 「共産党公表の森友内部文書 国交省、大筋認める」から引用http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-07-06/2018070602_04_1.html 今回も、「政府がないと言った文書は実は存在する」という「法則」が実証されました。安倍昭恵氏が名誉校長であることやその名誉校長付きの官僚から「値引き」をするようにねじ込まれて、値引きはするがその経緯を記録した文書は最高裁まで争う覚悟で隠蔽することを財務省と国土交通省が打合せをしている、しかも、首相官邸までが法務省を通じて捜査に介入している。ここまで明らかになったからには、安倍政権は潔く事実を洗いざらい明らかにし責任をとって総辞職するのが自民党延命の道ではないかと思います。
2018年07月11日
先頃の国会で法案採決のときに野党の足並みが乱れた状況について、法政大学教授の山口二郎氏は1日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 働き方改革法案への対応をめぐって、野党の足並みが乱れた。ただでさえ少数の野党が分裂しては、政府与党の思いのままに国会を動かすことができる。これまでの安倍政権の動きを踏まえて、野党としての戦い方についてイメージを共有しておかなければならない。 国会は多数決で物事を決める場なので、政府与党が何としても実現したいと考える法案の成立を野党が阻止することは不可能である。法案の成立については、野党は最初から負ける運命である。しかし、国会審議の中で野党が反対することには意味がある。 一つの考え方は、国民民主党の路線で、国会での審議を通して問題点を指摘し、付帯決議などの譲歩を引き出すというやり方である。この方法は、法律を所管する官庁に少しでも圧力をかけることを目指す。もう一つは、数の力で押し切られることは覚悟のうえで、政府与党の無理非道を明らかにするために徹底的に戦うという路線である。これは国民に訴え、政府与党への批判を高めることを目指す。 結論から言えば、審議を通してわずかばかりの譲歩を得るという方法は、現状では実効性がないと考える。働き方改革法案自体が捏造(ねつぞう)データに基づく欠陥品であり、今の政府与党が道理を踏まえて行動することなど期待する方が愚かである。 戦え、野党。(法政大教授)2018年7月1日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-野党の戦い方」から引用 働き方改革とは名ばかりの悪法を採決するときに国民民主党だけが他の野党とは異なる態度を示したのは、傍目には与党側に寝返ったようにしか見えず、国民民主党は第二の維新になったかのようであった。大塚共同代表はその後、しきりに「野党を裏切ったのではなく、徹底抗戦で全滅するよりは一つでも付帯決議を付けて後々に改善する手立てを残しておきたかった」とツイッターで弁明していたが、そういう発想が有効な状況でなかったことは、上の記事が示す通りであった。
2018年07月10日

日本政府が4年ぶりに「エネルギー基本計画」を改訂したと、3日の東京新聞が報道している; 政府は3日、エネルギー政策の枠組みを決める「エネルギー基本計画」を4年ぶりに改定し、閣議決定した。太陽光や風力などの再生可能エネルギーを「主力電源化」すると明記。2030年度の発電割合を22~24%にする目標は維持し、実現に向け政策を結集する。原発は依存度を可能な限り低減させるが、エネルギー供給の安定性に寄与する「ベースロード電源」との位置付けは変えなかった。 原発の使用済み核燃料から取り出すプルトニウムは「保有量の削減に取り組む」と明示し、大量保有に懸念を示す米国に配慮した。 再生エネルギーは、火力発電などと比べた割高さが解消されつつあると分析した。(共同)2018年7月3日 東京新聞Web 「再生エネルギーを『主力電源化』 政府、基本計画を4年ぶり改定」から引用 これまでの日本政府は財界の意向を忖度するあまりに再生可能エネルギーを過小評価してきていたが、ここまでくるとさすがに世の中の趨勢を無視するわけには行かなくなって、遂に「主力電源」と明記せざるを得なくなったようです。そして、一応財界にも配慮して引き続き「原発もベースロード電源としての位置づけは変わらない」などと言ってますが、これも4年後には訂正することになるだろうと私は予測します。その理由は、現存の原発の大部分が2030年には廃炉の時期になるので、それでも「ベースロード電源」とするには新規に原発を設置しなければならないが、恐らく、今となっては原発の新設を容認する自治体はどこにもないだろうと予測するからです。また、それ以前にも、現存の原発を再稼働すれば3年後には使用済み核燃料の保管場所がなくなるので、自動的に全原発の稼働を停止しなければならないと、こういう事情も抱えているだですから、もうこれは、どう考えても原発は止める以外に方法はないのではないかと思います。
2018年07月09日
国連決議を無視して違法な「ジェノサイド」を実行している「ならず者国家」イスラエルについて、千葉大学教授の栗田禎子氏が6月8日の「週刊金曜日」に次のように書いている; 国際会議で数回会ったことのあるパレスチナの知人(ガザ在住のビジネスマン)から、「今回のイスラエルの弾圧で甥2人が死んでしまった」というメールが届いて、愕然とした。ともに大学生のサミール・シヤワとアフマド・シヤワ。親類全体では、9人の負傷者が出たという。 イスラエル支配領域との境界線近くでデモに参加していたところを実弾で撃たれたが、別にイスラエル側に越境したわけではなく、ガザ地区内で抗議行動をしていただけである。要は「フェンスに近づいた」だけで撃ち殺されたわけだが、これはガザの人々がイスラエルによって文字通り監獄の囚人扱いされていることを示している。また、この人々は(たとえばこの私の知人の家族は)別にハマスの支持者というわけでもない。 私たち日本の市民と変わらないごぐ普通の人間であり、彼らがなぜ殺されなければならなかったかと言えば、それは「パレスチナ人だから」ということに尽きるであろう。ごぐ普通の市民が「~人だから」という理由だけで無差別に殺戮されている現実は、今、パレスチナ人が直面しているのがまさしく特定の人間集団の絶滅をめざす「ジェノサイド」、あるいは「民族浄化」政策であることを示している。 だがパレスチナ人に対するこのような殺戮・迫害は、実は今に始まったものではない。1948年の「イスラエル建国」-パレスチナ側は「ナクバ」(アラビア語で「大破局」の意)と呼ぶ-以来、一貫して続いているプロセスであり、現在はその最終局面とも言える。◆現代版「満洲国」 パレスチナ問題とは基本的に、中東心臓部に欧米から送り込まれた人々による入植者国家が建設されてしまい、この入植者国家によって現地の人々が土地を奪われ、殺戮されているという問題である。「ユダヤ人国家」建設運動(シオニズム)という外見をとり、「ユダヤ人の故郷への帰還」といったスローガンでカモフラージュされたため、「聖書の時代に遡る問題」、あるいは「宗教絡みの問題」というイメージが流布しているが、実は19世紀末以来の帝国主義の展開と欧米の対外進出、植民地支配拡大のなかで生み出されてきた問題なのだ。 国家建設候補地としては当初はアルゼンチンやウガンダも検討されたが、最終的にはシオニストの利害と中東への介入・支配拡大をめざす欧米列強(特に英国)の思惑が合致する形で中東に標的が定められ、第1次大戦中の1917年、英国政府が発した「バルフォア宣言」によって、将来パレスチナ(当時はまだオスマン帝国の一部)に、「ユダヤ人の民族的郷土」を建設する方針が打ち出された。 第1次大戦後、国際連盟による「委任統治」という形式で英国統治下に置かれたパレスチナには、英「委任統治」当局の監督のもと、シオニズムに基づぐ欧米からの移民の受け入れが始まる。こうして準備された入植者国家は、最終的には第2次大戦後の48年、その後援者を英国から米国に換える形で、正式にイスラエルとして建国宣言するに至った。なお、イスラエル建国に先立つ47年に、国連総会でパレスチナを「ユダヤ人国家」と「アラブ人国家」に分割する「パレスチナ分割決議」が採択されているが、イスラエルは建国に伴う48~49年のパレスチナ戦争(第1次史東戦争)の過程で、同「決議」で「ユダヤ人国家」として定められた領域のI・5倍の面積を占領して今に至っており、「分割決議」すら遵守していないことに注意する必要がある。 入植者国家イスラエルはパレスチナ人の大量殺戮・追放を行なうと同時に、建国後は中東における欧米のエージェント、言わば中東内部に埋め込まれた帝国主義の「前哨基地」としての役割を果たすようになり、域内に革命や先進諸国からの政治的・経済的自立をめざすような動きがあれば、これを軍事的に潰しにいく「突撃隊」として活躍するようになった。 56年のスエズ戦争(第2次中東戦争)、67年の第3次中東戦争は、いずれもこのような戦争であり、当時の中東における革命陣営の中心だったエジプト・ナセル体制の打倒を目指した。67年戦争でイスラエルは、48年には占領できなかったヨルダン川西岸・ガザ地区をも占領し、これにより旧英国委任統治領パレスチナ全域がイスラエルの支配下に入ることになった。 このように見てくるとイスラエルは、植民地主義帝国によって作り出された入植者国家であり、かつて日本帝国主義による中国大陸侵略の過程で作られた「満洲国」などと似た性格の存在であると言える。「満洲国」が偶然第2次大戦後も温存されてしまい(!)、現地の民衆に対する抑圧や周辺地域への侵略を続けていたら、などと想像してみると、現在中東が置かれている状況の不条理さが分かるかもしれない。 入植者国家による現地住民に対する抑圧・差別という点では、イスラエルのありようはかつての南アフリカにおけるアパルトヘイトとも共通する。75年には国連総会で「シオニズムは人種主義の一形態」だとする決議が採択された。◆パレスチナ国家の承認を 1990年代以降、冷戦構造の終焉に伴って、米国をはじめとする先進資本王義諸国が湾岸戦争やイラク戦争のように中東に直接大規模な軍事介入をしかける段階が到来すると、イスラエルはこうした米国による対中東侵略の動きと連動・協調し、時にはその「露払い」的役割を果たすようになった。2001年の「9・11」事件を契機に米国主導の「対テロ戦争」が開始されると、イスラエルはこれと連動する形でパレスチナ人への弾圧強化に乗り出し、93年のオスロ合意以降の「中東和平プロセス」でいったんは「自治」を与えたはずのパレスチナ自治区に対する攻撃や、再占領を行なった。 「テロ対策」を口実に、ヨルダン川西岸占領地には「分離壁」が建設され、ガザ地区については、いったん軍が「撤退」した上で必要に応じて適宜空爆等の形で軍事介入し、厳しい封鎖下に置いて住民を抑圧する政策がとられるようになった。また、米国が中東介入の口実として「イスラエルの安全」を持ち出す傾向が強まっており、特に最近はイスラエルに対する「イランの脅威」を宣伝して緊張を煽り、新たな戦争を準備する動きも見られる。米国の「イラン核合意」離脱は、その伏線である。 トランプ政権は発足以降、一貫してイスラエル重視の姿勢を強調し、この5月14日には米大使館のエルサレム移設を断行した。イスラエルは48年に西エルサレム、67年には東エルサレムを占領し、80年に「エルサレム首都化」宣言を行なっているが、占領地を一方的に併合して「首都化」することは明らかに国際法違反なので、国際社会はこれを認めていない。 にもかかわらず米トランプ政権が今回、こうした行動に出た真の狙いは、挑発によって中東の民衆・諸政府の反発を引き出し、域内に緊張や混乱を作り出すことである可能性が高い。それにより、イスラエルと米国がイラン等を標的とする次なる戦争に乗り出す糸口をつかもうとしているのではないか。同時にイスラエルにとって、現在ガザ等で行なっている殺戮は、48年以来パレスチナ人に対して行なってきたジェノサイドの最終局面、民族殲滅作戦の「仕上げ」としての意味も持っていると思われる。 このような状況に対し、何をなすべきなのだろうか。イスラエルにとっては皮肉な結果かもしれないが、悲劇的現状を前にして現在国際社会で共有されつつあるのは、無防備な状況でなすすべもなく殺されていくパレスチナ人を保護するためには、やはり彼ら自身の国家、パレスチナ国家の建設を実現するしかない、という今さらながらの真実である。日本もすみやかに、パレスチナ国家を承認することが求められる。くりた よしこ・千葉大学教授(中東現代史)。2018年6月8日 「週刊金曜日」 1187号 28ページ「帝国主義国が作り出したイスラエルの役割」から引用 元々パレスチナ人が住んでいた場所に勝手に自分たちの国を作ったイスラエルは、どう考えても「ならず者国家」である。しかも、誰もいない荒野に自力で家を建てて町を作ったというならまだしも、パレスチナ人が居住していた家屋から暴力的に住人を追い出して、家も町もパレスチナ人から略奪したものであるから、これはどこからどう見ても正真正銘の犯罪者国家である。私は常々、何故欧米諸国がこういうイスラエルの暴虐を止めようとしないのか、不思議に思っていたのであったが、この記事を読んで目からウロコが落ちた。要するに、欧米諸国は中東を侵略する意図があったのだったが、直接やったのでは世間体が悪いので、代わりにやってくれる国として「イスラエル」という「国」をでっち上げたわけだ。アメリカは南米にリベラルな政権が出来るとCIAを使って転覆したこともあったが、南米のCIAのような役割を中東で「イスラエル」が担っている。日本帝国主義は1945年8月に滅亡したが、欧米帝国主義はいまだに暴虐を続けていることを私たちはしっかり認識しなければならない。
2018年07月08日
安倍政権の政治姿勢について、成蹊大学名誉教授(政治哲学)加藤節氏は3日の「しんぶん赤旗」のインタビューに応えて、次のように述べている; 安倍晋三首相の学生時代の教員の一人で、安倍政権を舌鋒鋭く批判してきた成蹊大学名誉教授の加藤節さん(政治哲学)に現代日本の政治状況について聞きました。(松田繁郎)――「卒業生」の安倍首相を叱つていますね。 僕は、安倍晋三氏を「無知」(ignorant)と「無恥」(shameless)という厳しい言葉で呼んで物議を醸したのですが、安倍氏は本当に歴史を知らない。一国の首相としてうそつきと呼ばれても恥じない。国会で森友学園問題を野党から追及されて「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と言いましたが、もはや、国政を混乱させ、政治不信を招いたことへの結果責任を取って政治家を辞める決断力もない。 現実を論じるときに、僕は主語と述語という言い方をします。「現代日本」を主語としたときに、もっとも的確にそれを示す述語は何か? それは「非合法性」(illegality)だと思います。現代日本には「非合法性」が瀰漫(びまん)しているからです。 安倍政権は憲法も伝統的な憲法解釈も無視する。官僚の世界では文章が改ざんされ隠蔽される。大企業は法令順守をしないでデータを改ざんして隠す。「働き方改革」を含めて非常にまずい状況です。 近代政治思想を原理的に探究し、民主主義の基礎を築いたジョン・ロック(16322~17044年)は「法が終わるところ、暴政が始まる」といいました。つまり、政治にとって法を守ることが重要なのです。人間が人間であることの証しである「固有権」(property=生命・健康・自由・資産)を法的に守らないのが彼のいう「暴政」です。 ただ、「法の支配」といっても、結局は「人の支配」なのです。最高裁長官や内閣法制局長官の人事も事実上、内閣が決めています。立憲主義には、安倍首相のように法を信頼しない人が出てきたら、立憲主義が簡単に無に帰する脆弱さがあることに注意する必要があります。法を無視したり、法の解釈を勝手に変更したりしたら立憲主義が成り立たなくなる。そのとき、どうするか。 権力が法を破って暴走するときに、ロックが唯一の歯止めにしたのが「抵抗権」「革命権」です。結局、民主主義(リペラル・デモクラシー)による歯止めしかない。「法の支配」が「人の支配」に転化したとき、それを乗り越える運動としての民主主義が重要になります。「憲法守れ」「法を守れ」と国民の多数が声を上げて「不法な権力」を乗り越えていく方法しかないのです。それによって野党をわれわれが支えていかなければ力にならない。立憲主義を強化していくには「抵抗権」や「革命権」を極致とする民主主義が重要だというのがロックからのメッセージなのです。――加藤さんが大学院3年のとき、著作集の校正・編集を通じて交流した南原繁・元東大総長は、吉田茂首相から、空論をもてあそぶ「曲学阿世(きょくがくあせい)」の徒とまで言われながらも、戦後日本がすべての連合国と平和条約を結ぶ「全面講和」を主張しました。 南原繁は非常に面白い意見の持ち主でした。彼は1946年、東大総長時代に第90回帝国議会の貴族院の勅撰議員として、GHQ(連合国軍総司令郡)の憲法案の審議に参加し、吉田首相と丁々発止のやりとりをしました。 安保政策について南原は当初、憲法9条に賛成せず、必要最小限の自衛のための兵力は必要だとしていました。その際、南原は、「自衛権」だけではなくて、日本の国際社会への復帰を考えたわけです。つまり、主権国家の論理と、国際社会に復帰して国連軍の一員として平和を破る勢力に対処する論理との二段構えで、必要最小限の自衛のための兵力と言ったのです。 南原は、政治の目的は何か、政治が仕えるべき価値は何かというときに、永久平和を実質的な内容とする「正義」を重視しました。その際、南原は、「正義」は一つであり、それが支配する世界も一つでなければならないと考えました。 そこから南原は、普遍的な「正義」が支配すべき一つの世界を分断する「冷戦」やそれを助長する動きに加担する日本の方向はまずいと考えて「全面講和」を主張し、「冷戦」の一方の陣営にくみする「片面講和」を進める吉田首相と対決しました。 その後、南原は同じ論理に立って日米安保条約に反対し、再軍備にも反対しました。また南原自身は晩年、核時代における憲法9条の人類史的意義を認める立場から、それを変えるべきではないと主張しました。 僕も南原に連なる護憲派として、日米安保を解消して多元的な平和条約をあらゆる国と結ぶ、まさに「全面講和」で中立を守るべきだというのが憲法9条の精神だと思っています。――そうした観点から、米朝首脳会談後、「在韓米軍の縮小」を「望ましくない動き」(「日経」6月13日付1面)と、朝鮮半島における平和の構築を歓迎しないような論調をどう見ますか。 米朝首脳会談については曖昧だとか抽象的だとか、いろいろな批判があることは承知していますが、核戦争の危機が遠のいたことは大事に考えなければならないと思います。その点で韓国の文在寅大統領が果たした役割は大きいですね。民主化に命をかけてきた人で、理想と現実感覚とを兼ね備えた、世界でもっとも優れた政治家の一人だと思います。 日本の戦後政治の最大のねじれは、憲法9条と日米安保とのねじれです。マスコミの論調を見ると、日米安保条約が第二の「国体」(国家体制)で、手をつけてはいけない”神聖不可侵”のようにされています。日米安保のような既成事実が圧倒的な拘束力をもつ政治の世界だからこそ、逆に、何かを始める人間の能力に賭けて制度を変えていく、政治をつくりかえていくことが重要になってきます。 未来を予測して現在の生き方を決め、人間にふさわしい善き生の条件を考える能力としての知性を復権させて、政治をつくりかえ、組みかえていくべきだと思います。 敵を味方にし、中立にし、中立者を味方にしていくというかたちで、言葉によって相手を説得し、相手の変化を引き出していく。人間は変わりうるという人間の「可変性」を信じ、人間は何かを始めることができるとの人間観に立って交渉を積み重ね、現状を変革していくことが大切です。 かとう・たかし 1944年長野県生まれ。東京大学法学部卒業。成蹊大学名誉教授。著書『近代政治哲学と宗教』『南原繁』『ジョン・ロック』、訳書『完訳 統治二論』『寛容についての手紙』ほか多数。2018年7月3日 「しんぶん赤旗」 3ページ「安倍晋三首相を”叱る”」から引用 この記事は大変示唆に富んでいる。普通に常識を持った政治家であれば、これだけ国政を混乱させれば責任を取って辞めるものであったが、安倍晋三の場合は、そういう常識を持ち合わせた人物ではない。加藤先生は、安倍氏は責任を取って辞めるという決断力を持っていないと「批判」してますが、私が思うには、安倍氏は決断力がないために辞めないのではないと思います。そうではなくて、多分彼は、国政がどんなに混乱しようがそれは自分の責任では無くて、勝手に騒いでる野党が悪いと考えているはずです。恐らく彼は、警察が逮捕状を持ってくるのでなければ辞める必要はないと、そういうふうに考えている人物だと思います。こういう具合に立憲主義を蹂躙する人物が行政のトップに居座った場合、国民はどうするべきか。加藤先生は的確なアドバイスをしている。こういう場合は、多くの国民が団結して「憲法守れ」「法を守れ」と声を上げて、不法な政権を乗り越えなければならないと言っている。実際に、韓国の人々はそれを成し遂げました。日本人は、果たしてこの民主主義の危機を乗り越えられるのでしょうか。
2018年07月07日
ロックバンドが昔の軍国主義を彷彿とさせるような新曲を発表して物議を醸したことについて、東京工業大学教授の中島岳志氏は6月28日の東京新聞夕刊に、次のように書いている; 人気ロックバンド「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」の新曲「HINOMARU」が波紋を広げている。ボーカル・野田洋次郎が書いた歌詞が「軍歌のようだ」「愛国心を高揚させる」と指摘され、賛否両論を巻き起こしているのだ。 「この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊(みたま)」 「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」 確かに古語調の歌詞は、軍歌を思わせる。愛国ソングであることは間違いない。 湧き上がった批判の声に対して、野田はツイッターで見解を発表し、軍歌を書こうという意図は「1ミリもありません」と釈明。「戦時中のことと結びつけて考えられる可能性がある」との指摘については、「腑(ふ)に落ちる部分もありました」としたうえで「傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪した。 多くの論者が指摘するのは、歌詞に登場する古語の不自然さだ。辻田真佐憲は「WEB版現代ビジネス」(6月11日)に掲載した「RADWIMPS衝撃の愛国ソング『HINOMARU』を徹底解剖する」で、愛国ソングとしての完成度の低さを論じている。歌詞は「古めかしい言葉づかいと、現代的な言葉づかいが微妙に混ざり合っていて、どうしても違和感をぬぐえない」。しかも、古語にこだわりを見せているわりには「日本語の使い方が雑すぎる」。言葉の使い方の失敗により、この愛国ソングが「フェイクであり、空洞であることを」露呈してしまっている。 小田嶋隆も「日経ビジネスオンライン」(6月15日)掲載の「HINOMARUに詫(わ)びる理由なし」で、「古語風の言い回しの不徹底さ」を指摘し、その誤用を論じている。 たしかに野田の歌詞は、古文としての完成度を欠いている。日本語としての居心地の悪さがつきまとう。しかし、野田があえて古語にこだわり、愛国ソングを発表した内在的動機については、議論が進んでいない。 問題なのは、この曲が生み出された背景である。野田は、なぜ愛国を歌うのか。なぜ、擬古文なのか。 野田は2015年に『ラリルレ論』(文芸春秋)を出版しているが、この本には彼の率直な思いや考えが、日記として綴(つづ)られている。 彼が子供のころの思い出として言及するのは、約4年間をアメリカで過ごしたことと、父親からの抑圧である。父は怒ると手が出る人で、「黙れ」「死ね」「寝ろ」「クソが」「てめぇ」という「親子とは思えないような言葉」を吐いたという。彼は父に脅(おび)えながら、毎日を暮らした。 野田は日本に帰りたかった。日本では親戚が「よく帰ってきたね」と温かく歓迎してくれる。ぬくもりがある。 彼は「日本の街が大好きだった」。特に東京が好きだった。「東京という街に憧れていた」 アメリカは銃社会。暮らしていたロサンゼルスでは、子供が一人で遊びに行くことは難しい。それに対して日本は安全で、ちょっとした冒険をしても、問題は起こらない。特に商店街が好きで、「アメリカで暮らす僕からすると、なんだかジブリの映画にでも出てくるようなまったくの異世界がキラキラと光っていた」。 そして、帰国。楽しみにしていた日本の小学校に通うことになった。 しかし、いじめられた。日本の子供たちは、幼稚に見えた。ここで野田は悟る。「僕にホームなんかない」 青年になっても、この思いは消えない。憧れた日本。帰りたかった日本。しかし、この国の政治家は国民のことを考えずに、政争にあけくれる。震災があっても、復興がままならない。不正がはびこる。 彼の思いは、純粋化された幻影の日本へと向かう。魂で結びついた平和でスピリチュアルな日本へと回帰していく。 彼の論理は、ネット右翼とは大きく異なる。彼は韓国を愛し、隣国との和解を望む。憎しみ合うことは「戦いを望む者たちの思うツボ」であり、「戦争を望む者たちの勝利なのだ」。だから言う。「俺は愛し合いたい。抱きしめ合いたい。それしかないじゃないか」 ここに表れているのは、神秘的な一体感を希求するロマン主義である。彼にとっての日本は、あらかじめ失われている。その喪失による渇望が、古語となって表出する。 「HINOMARU」には「ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを」という歌詞がある。「あなた」は、いまここにはない「幻影の日本」だ。そして、繰り返し使われる「御霊」という言葉。彼は、スピリチュアルな次元で永遠の日本と繋(つな)がろうとする。 「HINOMARU」の歌詞は、そのロマン主義的傾向こそが問題とされなければならない。これは戦前・戦中期の国粋主義の特質と重なる。「HINOMARU」は、稚拙な愛国ソングとして揶揄(やゆ)される以上の射程を含んでいる。戦争を憎み、平和を愛し、霊的なつながりを求める心性が、ロマン主義的ナショナリズムと接続する。戦前の国粋主義も、絶対平和を希求する宗教的潮流から、日本原理が称揚され、民族の一体化が鼓吹された。 スピリチュアリティと愛国が結びつく現代日本の潮流を捉える必要がある。2018年6月28日 東京新聞夕刊 8ページ 「論壇時評-日本語論より動機考察を」から引用 いくら「軍歌を書こうという意図は1ミリもありません」と言っても、歌詞に「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」などとあるのでは、これはどう見ても戦前の軍国主義の復活であり、本人にその意図がなくても世間にはこれを軍国主義復活に利用しようとする者はいると思います。したがって、この楽曲が批判されるのは当然で、作曲者はこの楽曲を廃盤とするのが妥当と思います。アメリカに移住したときに父親から家庭内暴力を振るわれて「日本に帰りたい」と思ったが、帰ってきた日本では級友にいじめられて絶望し、理想の「日本」像を胸に秘めるようになったという経緯のようですが、その「理想の日本」が昔の軍国主義の手垢にまみれた言葉で表現されたのは、つくづく不幸なことだったと思います。
2018年07月06日
働く人の37%が非正規雇用になっている問題について、関西学院大学准教授の貴戸理恵氏は6月24日の東京新聞に、次のように書いている; 不安定な雇用形態で働く人が多い。労働力調査によれば、非正規の従業員は2017年度では37%である。私自身の職場である大学は、この問題がより先鋭的に表れる現場だ。データを見てみたい。 教員では、学校基本調査によると51・5%が非常勤である。専任であっても約4分の1が任期付き(朝日新聞と河合塾による調査)。職員も、半数以上が非常勤であるケースは少なくない。私か勤める関西学院大でも、全職員のうち専任以外で働く職員は54%を占める。 大学において広がる、少人数教育や、外部資金に基づくプロジェクト型の教育・研究活動、時代とともに変化するニーズへの対応。これらは不安定な雇用形態にある人たちの存在によって実現されているのが現状であり、彼ら・彼女らは、現代の大学の中核を担っているといっても過言ではない。 にもかかわらず、不安定な働き方をする人は、さまざまな不利益にさらされている。給与や雇用の保障における差が大きいのはもちろんのこと、日常業務の場面でも、職場ミーティングや飲み会の出席、文書の閲覧など、職場における細かな差別を受けやすい。契約更新の決定権を握っている上司からセクハラやパワハラを受けることもまれではない。 また、これらの問題に対して意見を言おうにも、連帯がくじかれる要素が大きい。大学の事務組織を例に取ると、非正規職員であっても、派遣、嘱託、契約、アルバイトなどさまざまな立場があり、直接雇用か間接雇用か、契約更新に「3回まで」などの回数制限を設けているかどうか、などによって分断されている。こうした背景の下では、ハラスメントに対して同じ職場の非常勤職員が声を上げても、連帯するより「自分は口をつぐもう」となってしまいがちだ。これはある面では当然といえる。 大切なのは、不安定な働き方をする人の収入と雇用を安定させ、労働者としての権利を保障することである。 学卒時に就職氷河期に見舞われ、非正規で働いてきた世代が40代半ばとなる現在、非正規の仕事には生活が懸かっているケースが少なくない。組織の都合で物品のように使い捨てられることを、黙ってはいられない切羽詰まった現実がある。こうした問題を放置すれば、配慮を欠く組織は、雇用契約を巡るトラブルや法的紛争を抱えることになるだろう。そして社会は、その世代が高齢化したとき、多くの生活保護受給者や野宿者に向き合うことになるだろう。 これは非正規で働く個人の問題ではなく、社会の問題であり、個々の職場の問題である。 大学でも、日々さまざまな雇い止め問題・ハラスメント問題が起こっている。まずそのことを、私自身を含む専任の教員・職員は知っているだろうか。非正規同士の連帯が、その雇用の不安定さゆえに難しいとすれば、この問題に向けて動くことは、雇用保障された者の務めともいえる。 「正規職の自分には関係ない」ではなく、「あのとき、何かの弾みで自分も非正規雇用だったかもしれない」という想像力を持つことができたら、職場を変える一歩を踏み出せるのではないか。社会を変えることは、目の前の現実を少し変えるところから始まるのだ。(関西学院大学准教授)2018年6月24日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ 「時代を読む-非正社員に権利を」から引用 この記事は正論を述べている。元々非正規雇用は自動車工場などで短期間働く人々のための制度で、主に農村などで暇になる季節だけ工場で働くというようなケースに適用され、「農業」という本業がある労働者だったので正規雇用の労働者のような「保障」がないと困るというような事情はなかったから良かったが、これを「規制緩和」と称してあらゆる業種で「非正規」で雇用しても良いという制度に改悪したのが自民党政治である。非正規を拡大するときの政府与党の言い分は「多様な働き方を可能にする」などと美辞麗句を並べ、働き手の中には必ずしも生活に追われている人たちばかりではなく、短時間でも才能を活かしてみたいという人に働く場を提供するのが目的などと言っていたが、これは全くのペテンで、一度スタートすると企業経営者はこの制度を逆手に取って、正規雇用の人数を故意に削減し、その分を非正規雇用で穴埋めする事態になってしまって、その結果が「非正規雇用37%」である。この37%の労働者がきちんと国民年金を納めていれば将来は少額とはいえ年金を受給できるが、そうではない場合は生活保護受給者や野宿者が増えるという問題に直面することになる。上の記事の筆者は、雇用保障された労働者がこの問題に取り組むべきだと言っているが、「連合」がどこまで本気で取り組むか、疑問だと思う。
2018年07月05日
加計学園理事長の形ばかりの記者会見や自民党議員の不祥事について、法政大学教授の山口二郎氏は6月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 先週も政治の堕落を物語る出来事がいろいろと起こった。加計学園理事長が開いた記者会見らしきもの。自民党議員が委員会の受動喫煙の制限を求めたがん患者でもある参考人に暴言を吐いたこと。今や、不祥事は安倍政権の日替わりメニューとなった。 しかし、私自身が安倍政治の毒気にあたったようだ。デモや集会で話をするのも、われながらマンネリだと思う。けしからんことを次々あげつらっても、どうせ高度プロフェッショナル制度もカジノも淡々と進むのだろう。安倍首相はやすやすと自民党総裁三選を決めると思うと、批判の筆を執る気力が起こらない。ぼんやりしているうちに土曜の午後になり、編集部から督促の電話を受ける羽目になった。 政権批判の先鋒(せんぽう)を任じてきた私がこの体たらくでは、まさに向こうの思うつぼである。ここは同じことの繰り返しと言われようとも、おかしいことをおかしいと言わなければならない。 同時代の読者だけに読まれると思うから、マンネリだと感じるのだろう。80年前、石橋湛山(たんざん)や清沢冽(きよし)のような勇気あるジャーナリストは過酷な環境で政権批判を繰り返していた。今われわれはそれを読み、勇気を得る。ならばわれわれも、2010年代の日本の愚かさを書き残すことが同時代のみならず、後世の日本人に対する責務となる。(法政大教授)2018年6月24日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-うまずたゆまず」から引用 山口二郎氏と同様に、私も石橋湛山や清沢冽の書いたものを読むと軍人が世の中を牛耳っていた社会でよくこのような言論活動ができたものだとつくづく思います。しかし、石橋や清沢が戦後の社会でどう評価されてきたかと言えば、この二人を高く評価するのは少数派で国民の大部分は戦前とあまり変わらない気分でいるのではないかと思われます。そういう状況だから、国民主権や人権などというものを憲法から削除しないと本当の自主憲法とは言えないなどと発言する者が堂々と自民党国会議員として活動できている。現在はそういう状況であるという認識を踏まえた上で、今後の活動を考える必要があるのではないかと思います。石橋湛山の政権がもう少し長く続けば、日本人の心にも少しは民主主義が定着したのではなかったかと思う今日この頃です。
2018年07月04日
昨日の欄に引用した神奈川新聞の記事の続きは、沖縄戦体験者の戦後の困難について次のように書いている; 沖縄戦は凄惨を極めた。本土決戦を遅らせるための「捨て石」にされ、米軍の戦史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれるほどである。 米軍による空襲や艦砲射撃は「鉄の暴風」と形容されるほどにすさまじく、生活の場が戦地となった住民は戦闘に巻き込まれた。 住民の命を脅かしたのは米軍だけではない。日本軍もまた、住民を「スパイ」として処刑し、壕から艦砲射撃の中に追い出した。県民の4人に1人が命を落とし、戦火が激しかった本島南部ではさらに死亡率が跳ね上がる。自治体別で軒並み4割を超え、全滅した集落もあった。 蟻塚さんが語る。 「国内唯一の地上戦となった沖縄戦は、本土の空襲と様相が大きく異なります。武装した米兵が目の前を動き回り、見つかれば殺される状況でした。友軍であるはずの日本軍に恐怖心を抱き、集団自決も起きた。本土のような救援はなく、生き延びても収容所に押し込められました」 戦後、つらすぎる過去から逃れるため、多くの人々が口を閉ざした。日々の暮らしに追われ、やがて沖縄戦の記憶は脳の奥にしまわれた。 しかし、年齢を重ね、人生を振り返る時期になると、近親者の死や退職などをきっかけに「寝たふりをしていた記憶」が「熱い記憶」として呼び起こされ、さまざまな心身の不調を引き起こすようになった。 特に認知症は、記憶は全般的に脱落するが、痛みを伴う記憶はこぼれ落ちることなく、むしろ突出し、先鋭化するという。4人の子どもが犠牲となった98歳の女性が、唯一人生き残った娘に付き添われて来院したことがある。潜在化していた記憶が表面化したのだろう。子どもたちのつもりでおもちゃの赤ちゃんを背負っていた。 蟻塚さんらが戦後67年の2012年度に戦争を体験した高齢者約400人を対象に行った調査では、39%がPTSD発症の可能性が高いとされた。阪神淡路大震災の5年後の調査では22%だったという。 ■■■ 沖縄では、今なお戦時の記憶が島を覆う。 苛烈な戦火をようやく逃れた後も、平和を享受することはかなわなかった。米軍による土地の強制接収が続き、巨大な基地群が造られた。以来、「沖縄に基地があるのではなく、基地の中に沖縄がある」と言われる状況を強いられてきた。本土復帰後も基地の重圧に苦しみ、沖縄戦と現在が地続きにつながっている。 蟻塚さんが語気を強める。 「相次ぐ米兵の事件事故に戦慄し、早朝から深夜に及ぶ米軍機の轟音におびえる。戦時のトラウマが癒やされる暇はなく、傷口が今も生々しく開いています」 沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日の「慰霊の日」が近づくと、不眠を訴える人は少なくない。沖縄戦関連の報道が戦時の記憶を呼び覚ます。「この夏、本土では『戦後73年』という言葉が飛び交うでしょう。でもね、沖縄には『戦後』はありません。戦争は過去の歴史ではなく、現在進行形の問題なんです」 夏祭りの最後を飾る花火大会になると、お年寄りを帰宅させる地域もある。音や火薬の臭いで戦時の記憶が呼び起こされ、恐怖心を抱かないようにとの心遣いだ。報道におののき、花火にさえ身をすくめるお年寄りたち。その頭上を、きょうも米軍機が飛び続ける。(田中大樹)2018年6月23日 神奈川新聞朝刊 A版 21ページ 「時代の正体-戦争の記憶 風化せず」から後半を引用 毎日の米軍基地の騒音に相次ぐ米兵の犯罪、米軍機の事故などが70数年前の戦争体験を思い出させるというのは辛い話です。同じ日本にいながら、こういう思いで生活している人たちもいるのだということを認識することは大事だと思います。
2018年07月03日
精神科医の蟻塚亮二氏は沖縄戦の体験者が戦後PTSDに苦しむ様子について、6月23日の神奈川新聞で次のように述べている; 梅雨の晴れ間、西日傾く羽田空港。精神科医の蟻塚亮二さん(71)は大ぷりな黒のナップサックを肩に掛け、キャップに青いTシャツというラフな装いで待ち合わた喫茶店に現れた。 福島県相馬市でメンタルクリニックの院長を務める。被災者と向き合い、沖縄戦の「心の傷」を各地で語る多忙な日々。この日も都内での催しに参加した後、那覇へと向かう道中だった。ソファに腰を下ろし、一息つくと穏やかな眼差しは一転、眼光鋭く語り始めた。「戦争の記憶は風化しない。沖縄に『戦後』は訪れていません」 ■■■ 「奇妙な不眠」。それが沖縄戦のトラウマ(心的外傷)と関わるきっかけだった。 2004年、青森の病院に勤めていたが、過労でうつ病を患い、沖縄に移り住んだ。6年後、那覇の総合病院に勤務していた時、「奇妙な不眠」を訴える患者が相次いだ。「夜中に何度も目が覚めるんです」。うつ病を疑ったが、診察すると違っていた。 その4力月前、沖縄戦の集団自決を生き残った牧師から体験談を聞く機会があった。衝撃を受けた。 「集団自決は『忠君愛国』をすり込んだ皇民化教育と『生きて虜囚の辱めを受けず』と強制した日本軍による住民虐殺だと言っていい。まだ見ぬ米軍に殺されるかもしれない。一方で、生き残れば日本軍に殺されかねない。雨降る夜の暗闇の中、住民は選択肢のない極限状態に追い込まれ、視野狭窄に陥っていました」 精神医学的な現象でもあると感じ、以来、戦争で受けたトラウマ関連の文献を読み進めていた。その中に「奇妙な不眠」と酷似した症状があった。第2次世界大戦中、ナチスドイツがユダヤ人を虐殺したアウシュビッツ収容所を生き延びた人々について、その精神症状を調査した論文だった。 「沖縄戦の時、どこにおいででしたか?」。患者に尋ねると「米軍の攻撃で家族を目の前で殺された」「日本兵に壕から追い出された」「死体を踏みながら逃げた」と、苛烈な体験があふれ出てきた。運転中どこにいるか分からなくなる解離性障害、戦場の光景がよみがえるフラッシュバックなど症例は1年ほどで100を超えた。 脳に刻み込まれた生物学的な記憶は風化しない。年月を経て発症することから「晩発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と名付けた。 ■■■ 「掃除機を使えない。急降下してくる戦闘機の音を連想してしまう」「梅雨になると壕の臭いやかぴ臭さを思い出す」「壕の中で爆発した火薬の臭いを連想するのでマッチを擦れない」「大相撲中継で日の丸が掲げられているのを見ると体が震える」「クリスマスといった米国を連想させる言葉を聞くと気持ちがざわつく」「収容所で米軍から与えられたカルキの強い水を思い起こし、塩素系の漂白剤を使えない」 蟻塚さんは戦時のトラウマ記憶に苦しむ人々の声を聞き続けた。 「足の裏が痛い」と来院した高齢の女性は、50代で足の裏が焼けるような激痛に襲われ、20年以上足の痛みに苦しんでいた。 戦時中、両親や妹と壕の中に身を寄せていると、数人の日本兵が現れ、「お前たちは出て行け」と恫喝(どうかつ)した。父は頭を地面にこすりつけ、「どうか夕方までおいてください」と懇願したが、日本兵は日本刀をガチャガチヤと鳴らしながら言い放った。「天皇陛下の命に背くのか。非国民め、たたき切ってやろうか」 当時、女性は軍国少女だった。それがいきなり日本兵に「非国民」と罵(ののし)られ、壕から追い払われた。その屈辱感は「優秀な皇国臣民たらん」と培ってきた10代の自負心を打ち砕いた。 トラウマは世界観が壊されたり、他人への信頼が崩れたりするような人為的な出来事による場合の方が天災よりも深刻だという。尊厳を踏みにじられた女性の屈辱感は心に刻まれ、50代になってから父の死や職場のストレスをきっかけに足の痛みとなって噴き出していた。(後半省略)2018年6月23日 神奈川新聞朝刊 A版 21ページ 「時代の正体-戦争の記憶 風化せず」から一部を引用 この記事でインタビューに応じた精神科医は戦後生まれの方ですが、このような形の戦争体験の伝承も大切と思います。昭和天皇は軍人に向けた声明で「上官の命令は朕の命令と思って精励努力するように」と発言し、その発言を錦の御旗に軍隊の中では上官から部下への暴力が横行し、軍人から民間人への暴力も普通に行なわれる世の中だったことがよく分かります。
2018年07月02日
国債を買い続け株式市場にも投資を続けてきたために債務超過になっている日本銀行について、日本総研上席主任研究員の河村小百合氏は21日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 今月13日、米国の中央銀行である連邦準備制度(Fed)は政策金利であるFFレートの上限を2%に引き上げた。 同じく先週、日銀はまたも異次元緩和の続行を決め込んだ。黒田総裁は15日の記者会見でも「出口の課題は、短期の政策金利をどうするかと拡大した日銀のバランスシートをどうするかの2つ」と繰り返した。しかし、日銀の最大の問題はFedとは異なり、日銀単独では出口から出られない点にある。 中央銀行が巨額の国債等を長期間買い入れ、誰もがカネ余り状態にあるなかで政策金利を引き上げるには、民間銀行に余剰資金を中銀に預けてもらい、それに支払う金利を上げていくしかない。現にそうしているFedの連邦財務省への納付金は減少。それでも買い入れた国債は日本よりずっと高金利だったうえ、早めに買い入れを止めたため、赤字転落なしで乗り切れそうな見通しだ。 他方、日銀が買った国債の加重平均利回りは0・3%にも満たないのに資産規模はGDP比ですでにFedの4倍。金利引き上げとなれば途端に逆ザヤ転落で、毎年度数兆円規模の赤字は必至。債務超過長期化の回避には税金投入しかない。 このままでは私たち国民に、あらかじめ十分に説明しないままで、巨額の「後出しの請求書」が有無を言わさず突きつけられることになる。(日本総研上席主任研究員)2018年6月21日 東京新聞朝刊 11版 25ページ 「本音のコラム-中央銀行の債務超過」から引用 黒田総裁が始めた異次元緩和政策は普通の経済人ならやらない非常識な手段だったから、そういう非常識な政策はまともな人事では担当する人材がいなかったため、安倍首相はそれまでの慣行を破って畑違いの分野から黒田氏を総裁に抜擢したのであったが、結局当初は2年で達成すると言っていた2%の物価上昇は実現できず、日銀は安倍内閣の支持率を維持するために株式市場に投資をしたようなもので、この先何年も継続するわけには行かず、いつかは「出口」に行き着くことになります。日銀が株の購入を止めれば、株価はどうなるのか。黒田総裁は任期中は株の購入を継続するのか。しかし、日銀が赤字でいいのか。よく考えるべきではないかと思います。
2018年07月01日
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