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昨日、駅前ショッピングセンターの中にある産直で、ジャガイモを買おうとしていた時に。やはりショッピング中の60歳前後と思われるおばさんが話しかけてきた。柿が、並んでいて、渋柿一袋200円。彼女の庭にも柿の木があるらしく、高い!と思ったらしい。『これ、10個で200円すか?』と 隣の私に問いかける。ざっと見てそれよりは多かったので、「12個はあるんでねすか。」と答えた。(おばさんモードの時は地元言葉をつかう。私は岩手と東京言葉のバイリンガルなのだ!)はあ、12個ね。今こんなのも売られてるんだなっす。ところで、おめさん どごかで見た顔だな。どごから来たのす?K町す。町場すか。近くていいなっす。そちらはどっからだす?K郷がらなのす。バスで来たのすか。銀行に用あってなす。 こういう会話がしばらく続き、ジャガイモの話となり、それから紅玉を分け合って買わないかという話にもなった。(量が多すぎなので、それは断ったのだったが)おばさんご本人も、初めて会った人にこんな話してなす~。って照れ笑いしていたが、私はすごく面白かった。 多分半年前の私だったら、こういう風に人とかかわりもつことはなかっただろうとわかっているので。 普通の人は、自分の行動を意識し、検証したりすることはほとんどない。しかし、いかに相手の雰囲気を察知し、関わる場があるか、ないかを瞬時に判断し、わかっていることか!そこは無意識のことなんだけど、たいていあまり間違わないのだ。私は今 他者への防御壁をだいぶ崩してしまったので、初めて会った人にも普通に自分の姿で気持ちで話せる。そうすると、相手も安心して地の姿で会話ができるのだった。 私は今、自分の運~不運も ある程度(いやかなりの部分か?)自分で左右できるんじゃないかと思っているけれど。それは、占いとか縁起物とかの理由ではなく、無意識に自分がどう行動するか。やってくる出来事を受け入れる用意があるかないかによるもんなんだろうと考えている。 本当に人は面白い。私は 今までためて来たあれこれをもう一度、振り返り検証し直したいと思っておるのです。
2009年10月31日
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な~んて、大げさなタイトルつけるほどの内容は全然ないのですが。(爆)この頃、自分の脳細胞刺激のために、なるべく目新しいものを生活に取り入れることを意識しています。内容は本当にしょぼくて。おやつに食べるものを、今までとは違ったものにする、とかね。新しいお菓子を買ってみる。それから、今晩の夕飯の魚の切り身を買ったことがないものを選び、新しい調理に挑戦!とか、その程度のことです。まぁ、しかし今まではそんなことさえしなかった。自分の好みは安定していて、それがあれば別に不自由は感じなかったもので。私は飽きっぽい人間ではないのです。 でも、人間というのは常に新しい世界に対応しそこを生き延びるために、脳内ではもう全力をつくして頑張っているらしい。だから、なるべく新しい情報に自分をさらしたほうが生き生きすることになる。若い人ほど、新しいものが好きで流行ものに飛びつく。それって軽薄ぽいよなぁ、と 私は昔から年寄りで冷淡に見てたけど、新しいものが好まれる理由はちゃんとあったのですねぇ。人間30までは、情報収集の時期なんだそうです。(池谷裕二さんの本より)だから、私は30歳までの人はどんなどたばたしていても、転んでも寝転んでいても、情報集めているんだからしょうがないや。と、認めることにしました。今の時代だから、30過ぎてもそれやってる人だっているかもしれない。事実私だって、今の年までそれやっていたのかもしれないし。 ま、それやこれやで。 今更ですが、私も新しい情報を拒否しないで積極的に取り入れるって姿勢で行くことにしたのでした。果たして 私の灰色の脳細胞にも効果があるか? ところで、先日、新聞の読書欄に97歳で毎月本の感想文を送ってくるおばあさんの記事が載っていた。その方は、本当に本が好きで、『最近面白かった本は?』という問いに、村上春樹の「1Q84」と答えられたそうなんです。すごいなあ!村上春樹を理解する97歳ですよ!!私も頑張らねば~~~。
2009年10月30日
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この頃ニュースに取り上げられている、結婚詐欺連続殺人事件疑惑の女性について。私は前からニュースマニアでこういった犯罪の裏側に見え隠れする人間の心理も面白いと思っていて、注目することが多かったのだけれど。今回、自分の視野が変わったせいで、今までとはちょっと違った感想を持ったようなのです。今の私に見える彼女は、人に羨ましいと思われる生活をしたくてしょうがない女性。たとえば、有名女優やお金持ちのような生活をして、贅沢をして、それが幸せなんだと信じ込んでしまった女性。幸せになるために、本当に必死に毎日をもがきつつ生きている、哀しい女性の姿です。どんなに贅沢をしても、それは他者に見せるための贅沢で・・・それを楽しむ余裕や 安心や、幸福なんて感じる余裕もなかったんじゃないかな。幸福を探していたのは、彼女の犠牲者になった男性たちも同じ。幸せになりたくて、彼女とコンタクトをとって、彼女の作り出した幸福な未来の幻想に向けて頑張ったんでしょうね・・・。頑張ったあげくに被害者の場所におちてしまった。。。。現実には、彼女は限りなく犯人に近い場所にいるというだけで、事件としてはまだ疑惑段階なので、こんな風に犯人扱いで書いてはいけないかもしれないですが。でも、人間の犯す犯罪というものを見つめてゆくと、悪い人間がそこにいる・・・というのではなく、そういう行為の裏には誰しも持っている負の面が極端な現れ方をした・・・というように感じられるのです。全てそうではないかもしれないが、だいたいにおいてはそう感じられる。 今回の事件にからめて人間の幸せについて考えてみました。例えば、私たちがまだ1歳の幼児だったとしますよね。まだ1歳ころの赤ちゃんなら、やさしいお母さんがそこにいて、満腹で、お部屋があったかくて、服が清潔なら。すご~く幸せでしょ?その部屋が億万長者の大豪邸でも、東京の下町のアパートの一室でも。その条件が同じなら、赤ちゃんの幸せの質は全然違わないでしょ?1歳の赤ちゃんは、ここは大豪邸じゃないから、あたちは幸福が足りない!なんて言うわけないですよね~。どっちも同じくらいにこにこして、ほかほかと幸せなはず。本当のところ、大人の幸せもそうなんじゃないかな~、と今の私は思うわけなのです。ただ、大人の私を完璧に守ってくれるお母さんは、もういないので、その代わりに自分をまもるのが、ちゃんと自分でいいんだよとOKを出してくれる自分自身。それさえあれば、美味しい食べ物と清潔で着心地のいい服と、居心地のいい部屋。楽しい家族や友達が少々いればもう最高。大豪邸でも、安アパートでも。 問題は、大人になるにつれて、幸せってのは足し算で増えてゆく・・・と、余計な雑音が心にこびりついてしまうことなんですよねぇ。それは、心の汚れであり垢であり、いらないもんなんだけど、それがいらないって誰も教えてくれないんだなぁ。で、あれこれのいらん情報で、あれがあればこれがあれば、私は~なって。なんてねぇ。幸せな赤ちゃんが、目が小さいから、鼻が低いからあたちは不幸だ!なんて思わないでしょう。幸せな人はなんであろうが、幸せなんです!そして、『幸せな私』は誰の中にもちゃんといるのですよお。だから、自分を大切に「おお、かわいい♪よしよし♪」してあげましょう。うむ、説教じみたことは嫌いなんだが、それっぽいかも。いかんいかん、ですね。へへ。
2009年10月29日
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いつもおじゃましている『くるねこ大和』さんのサイトです。ここはいつも楽しいのだけれど、マンガの後のコメントに大笑い。悲劇だけど、おっかしいなぁ~~~。それを投稿しちゃう勇気にも敬服だ!!(爆)くるねこ大和
2009年10月28日
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父が逝ったのは、私が34の年です。看病の期間がかなり身体にも精神にもきつくて、そのあとこちらも半病人のようで元気になれない時間がかなり長くありました。その時期、自分を元気にするために、食事の健康法なんかに凝って(アンドルー・ワイルや丸元淑生やら)いい食事ってのを食べてみたり、ビタミン剤を飲んでみたりしてたわけです。そのうちにまあまあ元気になって。厳格にそういう食事を守っているわけじゃないけど、基本的には自分の家で調理した、なるべく自然のものを食べるという生活が続いてます。でも、元気じゃなかったのだ。どんどんエネルギー減少が続いていたのです。それは、年のせいとか更年期の障害がでておるのだとか、自分にも周りにも納得させやすい概念がころがっていて、そうだと言ってたのですが。本当はそうじゃなかったんでしょうねぇ。食べ物の改善で、私のプチ鬱は治るものではなかった。頭の中に滞りができてしまっていて、そこらの水流をスムーズにしない限り、身体も元気に動けるもんじゃなかったのです。そうは言っても、今頭の中の水門を何個か開けた状態。水路のお掃除もまだまだ。長年積もった泥やコケや水草があちこちで流れを滞らせていて、油断をするとまたすぐに詰りが起きます。何度も何度も同じお掃除繰り返さなきゃいけないのでしょうねぇ。 外見的には、まだあまり変わってないですよ。まだ、身体がよく動けていないし・・・ね。でも、ちょっと動いただけで疲れ果てて、コーヒー抱えて1時間・・・ってことはほとんどなくなってきた。用事を立て続けにこなしても平気でいられる。 今朝はとても美しい朝でした。朝の光を受けて、その一日の恵みを感じる・・・その光を見るだけで幸福感がやってくるようになりました。さあ、今日も頑張りましょう♪
2009年10月28日
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私が読んでいる新聞の人生相談欄に 時々明川哲也って人が出てくる。この人は昔、ドリアン助川の名前で 詩を叫んでいたり、ロックをがなったり、それから本を書いたり、テレビの深夜枠で先生みたいなことをしていたり、ふと気がつけば名前が変わっていたりで、正体のよくわからん人なのであるが。テレビでの発言を見ていたり、人生相談の答えを読んだりすると、ああこの人は、私の考えととても近いところにいる人なのかも・・・と感じるのだ。先日の回答では、私たちの存在を生み出した神のご意志はどこにあるのか?という女子大生の疑問に、明川氏はこう答えている。「自分にとって神という言葉は使いにくいが、私の中では宇宙がその位置にある。そして宇宙は、私たちに宇宙を見ること、聴くこと、感じることを課したのだと。」たぶん私も、ずーっとそう思って来て。生物が生まれて進化して、いずれ知性が生まれるのは必然のように思えるのだが。その知性が生まれる理由は、認識できる存在を宇宙が求めたのではないかと。そう考えていたのだ。ただ、私は人間至上主義ではなくて、人間もいずれ淘汰の対象であろうし、人間が失敗してもまた別の認識体が生まれるだろうよね。なんて思っているけれどね。(↑SF人間の典型?) まあ、そんなこんなはどうでもよろしいことではあるのですが。とりあえずは、お昼ご飯にいたしましょうか。今年は大根がかなり上手にできたので、(葉大根と根の短い家庭菜園用の大根だ)このごろは大根づくしのご飯が続きます。人間どんなに形而上の存在であっても、日常をおろそかにしちゃいかんのです。ハイホー
2009年10月27日
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このごろ、私自分のわがままをきいてあげておりましてねぇ、それがねえ、笑っちゃうくらいささやかなわがままなんですよ!例えば、夜の9時過ぎにおせんべいが食べたい!おやつのチョコレートが食べたい!とかね。昨日は、汚れが取れなくなってきたなくなってしまっていた台所のテーブルクロスを新調しましたし。振り返ると、私は本当に自分を粗末に扱ってきたなぁ・・・って感ずるところ大なのでありました。 ストイックがいいことなのだと思っていたのです。で、自分の生活でも贅沢はなるべくしない、いらないものは手に入れない、買わない。そういったものを欲しいと思う人間であってはならない。ほれ、ここでも~してはいけない私が頑張っておったのですねぇ。 そういったところは、なるべく解いてしまうことにしました。なぁに、本当にささいなことで、やってしまえば満足してしまうことなんです。でも、逆に我慢することで自分にため込むマイナスエネルギーはチリも積もって山状態だったんですねぇ。今までそうだったんだろうと思うのです。 多分ね、罪悪感ってのがポイントなんじゃないか・・・とこの頃思っているのです。例えば、前にブログに書いたダイエットに挑戦していたタレントさんのことをつらつら思っていたんだけれど。彼女の場合も、心が不安定だから食べる、食べて満足を得る・・・ってのは問題ない。それは人間の機能としてそなわったものだから否定すべきじゃない。でも、そこに『またこんなに食べてしまった!』とかね『こんなに食べるのはやめなくちゃ!』なんて思いがあると、心からは満足できない。そこで、おいしい!!お腹いっぱいだあ!幸せ♪うふふふふ♪♪なんて 思う事ができたら あんなには食べ過ぎることは逆にないんじゃないかと。 まぁ、私は心理学の専門家ではないし、カウンセラーでもないし、ただず~っと長い事、自分の心を掘り続けてある程度見えたと思っている場所から発言しているだけですから。間違ったことも たくさん書いているかもしれません。それでもね。やっぱ伝えたいことはあるので。う~ん、みんな自分にやさしくしてくださいね。みんな 自分で思っている以上に、自分はすごい力のある存在なんですよ~、しんどくもあるけれど、本当に変わろうと思ったら、その力は確実に出てきますよ。うむ。
2009年10月26日
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自分の意識がかなり変わって、自分への対応が変わると他者への対応も変わるのだということ。自分にやさしいというのは、他の人にもやさしくできるということなんだなぁ・・・ってのは、何度も文章で読んだりはしてたのですが。その時には、『ふ~ん、へ~、そうなんっすか~~~~。』てな、感じでしてね。ほとんどわかっていなかったんだなぁ。 「自己愛の強い若者 」みたいな言い方をされる、若い人たちがいて、まぁ、実際そう言われてしまうような人も、何人か知っているわけですが。今の視点で言うと、彼らは本当は自分が価値があるとは 思えてないのね。自分の土台がしっかりしてないことを、無意識かもしれないけれど、知っているのですよ。だから、他者の視線を怖れ、評価を怖れ、自分の壁を厚く高くして、他の人の言葉を受け入れない。とにかく跳ね返してしまうのね。それが、他の人から見れば、堅固な自己でわがままで、自己愛が強いように見える。実際は逆なんだけど。 ああ、でもそれは、おばさんもおじさんも同じかな?おばさんで、押しが強くて、自分の意見が通らないととにかく嫌!人には命令口調で場の中心に居たがる人もいるけど、彼女たちも結局は根本の安定したところがないのですよ。だから、人が自分を認めてくれないと、不安になってしまうのね。自分が自分を認めてないと、なぜか人に自分を認めるよう 求めてしまう。終わりのない永久運動。みんな、本当に怯えて怖がって生きている。失敗したっていいし、駄目な自分でもいいし、外見なんてどうでもいい。 今日一日元気に楽しんで生きる事ができれば。それだけで いいことなんだけど。 あのね、本当に自己愛を持っていて、自分にOK出している人は、けして他者に否定的ではありません。ちゃんと相手を認めて意見を聞いて、そして自分の意見を言います。それは、相手が目上でも目下でも同じ。もし、自分がどこかの場で嫌でたまらない人がいたら、その人そのものが原因ではなく、自分の中にその人を怯えさせている、なにかの理由があるからだ・・・ということを覚えておいてくださいね。根本に怯えや悲しみがあるのですよ。そういう自分が駄目なのではなく、大変な自分を認めて、できたら解放してあげられたらいいんだけどなぁ。大変なことだけど、でもそうできたらいいと思います。
2009年10月25日
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昨日、午後畑に出て、残っていたインゲンを全部取り除いて、除草~耕して、堆肥を投入。ウネを作っておきました。そして、今さっきその新しいウネにニンニクを植え付けてきたのです。本当なら、これは9月中に終えておかねばならない作業で、来年本当にちゃんとニンニク収穫できるかどうかわからないのですが。まあ、失敗しても産直で安く売っていたバラニンニクを種にしたので、駄目モトでいいや~なのです。前は教科書通りやんなくちゃ、時期を逃したら、今度は来年!のような態度だったけど、まあ、失敗したらそれはそれで・・・少しでも出来たら儲け物ですしね。気楽にいきましょう。それにしても、そろそろ画像を入れたくなってきたな。 絵もタマには出したいし・・・、む~そろそろPCのことなんとかせにゃならんすねぇ。
2009年10月24日
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ゆうべは、寝る前にちょっと本を読みすぎてしまい(コニー・ウィリスの「犬は勘定にいれません」だ)寝たのが1時を過ぎていたので、今日の朝起きたのが8時ちょっと前でした。この頃なるべく目覚ましを使わないので、自然覚醒です。睡眠時間は7時間・・・本当は7時前に起きていたいけど、まあこんなもんでしょうね。早く起きるためには、早く寝付けばいいことなんですが。 朝起きると、『さあ!今日も頑張らねば!』って気持ちが(まだ声は小さいけど)やってくるようになりました。革命的です。ちょっと前まではねぇ、朝起きて 今日やるべき事を考えて「あれとこれとそれを片付ける。。。。。。。はぁ。。。。。。」って気持ちでした。やる気は起きない、起きないけど、やらねばならないからやらねば・・・・ふぅ・・・だったのです。精神的なエネルギー欠乏症だったのでしょうねぇ。今考えると、身体も頭の中も 柔らかい泥色の水の中につかって動きが制限されている・・・って感じだったのかなぁ。。。。とにかく身動きが取れない状態がず~っと続いておりました。今はね、身体はまだあまり動けてないのですが、頭の中がすっきりと非常にクリアになってきています。去年あたりモノが覚えられなくて苦しんでいたんですが、その気配も全然なし。今の私は鋭いぞ。私は身体より頭!の人間なので、頭がクリアであることが何より嬉しい。今日は晴れ。午後は 外作業も少しやっておきたいが・・・できればいいなぁ。
2009年10月23日
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昨日、私は成熟した人間めざしていたので、他者の気持ちをわかる人間になろうと努力していた・・・と書いたけれど。そして、それはけしてウソではないのだけれど、その実私は他人の気持ちがよくわからない人間であったというのが事実ではないだろうか、とも思うのです。日本では、周りに気を配って用意周到、毛ほども隙を見せない完璧な女性が、そうあるべき理想の姿・・・みたいに語られていると思うけど。そんなのやってられね~よ!って思うぞ。少なくとも私はごめんだね~ってね。それは前から思っていたのです。『お察しする』という言葉のあやうさですがね。じっと他者を観察して、その望むところを相手が動く先に差し出す・・・ってイメージがあるのです。これは、自分を他者の望むところに常に待機させておくってことでしょう。精神と身体にものすご~く負担をかけることですよ。私は、前々からこういう姿勢が全然できてなかったのです。田舎の人の人付き合いって、まあ、所作が決まっていて、それに慣れてしまうと割と自然に出来てしまうのかもしれないけれど、私は親からの田舎流人付き合いの教育もされないまま外地に出て、それから親が死んでひょっこり田舎にもどったもので、田舎流儀がよくわからないままここに住んでいるのです。だから、結局異分子なんだろうなぁ。ジモティなんだけど、ジモティならずみたいな存在でしてね。(ジモティ=地元民)浮いてる、浮いてる。(爆)で、この田舎の人たちのお付き合いの基本の姿勢が、『お察し』のような気がするんですよね、なんか。ふう。 私は、大学で竹内先生のレッスンを受けて、それから太極拳を習ったりしているもので、ほかの人たちがどのような姿勢でどこに力を入れて過ごしているのか、見る気になれば かなり正確に見取ることができます。普通、そこいらにいる人たちが、いかにほかの人たちの思いを受け取るために、神経を張りつめて緊張しているか・・・みんな 知らないと思う。それは 本当にもう、すごいものなんですよ。太極拳の練習の中で、みんな全然できないのが、リラックスする。緊張を解くということなんです。なにせ 緊張してるのが 普段の姿勢なもので、どうすれば緊張しないことなのかわからないのだ!自分の緊張を解いたなかで、リラックスしてしかも集中する。そうすると、身体も精神も楽です。ん~、多分私が太極拳 上達したがっているのは、そういうことを伝えられるようになりたいって気持ちもあるんだなぁ。きっとね。
2009年10月22日
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相手の心を、きちん慮って(おもんばかって)思いやりのある人間が、大人というものという思い込みがあったのだった。私は20歳になったころ、さあ、きちんとした大人にならねば!と決意して、それ以来 成熟した人間になること・大人になることが ゴールの一つになっていた。でもねぇ、これがすごく難しくて、なかなか先に進まない・・・という思いを抱えたまま、気がつけばこの年に至っていたわけですが。 denshinbashiraさんから、私は相手の心をいつも深読みしている傾向があるので、それは止めなさい。相手は別の人間で、そこに何があるかは到底わからないものです。と指摘されてびっくらこいたのだった。ええっ、人の心を読まなくていいの?相手をわかろうとする努力はしなくていいの?って思ったのだったが。振り返ってみると、相手のことをきちんとわかって行動してたつもりが、後になって相手の思いと違う事をしていたということは、いくつも思い当たって。なるほど~、と とにかくわかんなかったら、相手に言葉で聞く。聞けない場合はほっておく!って風に 私の側のパターンを変えた。日常の場面では、それで全然問題なしでした。な~んだ!だったのです。 人間ってのは、パラドックスだなぁ・・・と 最近つくづく感じます。人と上手く付き合いたいと、相手の顔色を伺っている限り 相手の場に引き込まれてけっきょく バランスがとても難しくなる。私はここよ!と、自分の居場所を立ち上げて、孤立してもとにかく自分で立っていると、やがて相手とのバランスが決まり付き合いも定まってくる。人の心を理解しよう、わかってあげようという努力を捨てて、別個の心と考えを持った他者と線引きしたところから、他者の底にあるものがわかってきたように感じるところさえあったりします。 日常に起きる問題も、それはその人にとってとても意味のあることなんでしょう。逃げないできちんと向き合うと、そこに自分の抱えている、なにがしかが見えてくる。相手が悪い、私が被害者・・・と 向き合わない限り、どんなに相手を変えても、場所を変えても、繰り返し同じ問題が起きるはず。でも、問題がそこにあるということは、その人がそれを解決できる力があるから・・・と、確か河合隼雄さんも書いておられたような・・・。 このごろ、私が今まで溜め込んで来た あれこれが ほぐれて収まるべき場所に収まり、ものごとの意味が 自分で納得できるようになってきました。世界が 自分なりに解釈できるようになってきた・・・というか。そういうわけで、すごくわくわくしている自分があります。
2009年10月21日
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今日は朝から雨なので、外作業はなしで家の中で 石を広げてブレスレットやらストラップやらを制作中です。これでいて、不思議な事に石を扱う時にはこちらのエネルギーが充実してないと、駄目なんですよねぇ。イメージがぴったり決まらないとか、悩んでしまうとか、疲れ果ててしまうとか。今日は充実して頑張ってます。キャーさん、fukkymamaさん、すっかり遅れてしまってごめんなさい。近いうちに届きますからね~♪(って、ここで連絡してどうするか、へへ) しかし、石は不思議ですねぇ。その時々で気になる石、使いたい石が変わるのです。世界は結局自分の心象を投影したものなんだということなんだけど、世界がこちらに影響してくる部分だってあるよな。多分。いや、自分が敏感になってる所に自然や外界が影響してくるのかな。。。。私ウソじゃなく本当に最近、他者の全体のありようがかなり鮮明にわかってくるように思うのですが(これは思い込みって可能性もあります)これがもう少し進むと、自然からの情報にももっと敏感に反応できるようになるのかもな・・・と思ったりもするのです。 それはそれとして、今まだMacなので、画像載っけられないのが残念ですが、ほい 私の石趣味に協力したい皆様!遠慮なくアクセ注文ください!!値段は安いです。そこらのスーパーのアクセサリー並みの値段です。アクセサリーを売って、次の石を買っているので、アクセが売れないと石が買えないのですぅ。しくしくしく。欲しいもの、ご要望等ありましたらメール欄より ご連絡くださいね。パワーストーンってのは、結局自己暗示なんだろうと私は思っているのですが、自分の気に入った石といっしょにいるのはけっこう楽しくもありますよ♪
2009年10月20日
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私は、前々からあまり感情を表さないぼーっとした人間に見えるんじゃないかと・・・そう思っていた。自分の中では感情が少ないと感じたことはなかったのだけど、それを表に出す事を押さえていた部分があったのだった。でも、この春からの精神リストラクションを行う中で、自分の中の不安や怖れをかなりの部分取り除いてきたのだが。そうしたら、イライラすること、むかつく事、怒る事といった感情が本当に少なくなったのですよ。当初は、あれ?私なんか変だ、感情がどんどん薄くなっている、このまま感情のない冷たい人間化するんだろうか?って 不安な面があったのだけれど、このごろはそういった状態に慣れて、慣れたらすご~く楽なことがわかってきたのだった。別に冷たい人間化はしていないです。うれしい事は嬉しいし、楽しいし、悲しかったりもします。ただ、不安や怖れに捕われてないので、重い感情が居座る事がないのだとわかってきた。おまけにマイナスな負担が脳にないので、今の集中すべき事にちゃんと意識を向けてぶれない。そういう状態でいると、ただここにいるだけで楽しい。周りの人間とも、気持ちが落ち着いた状態で向き合う事ができる。ああ、でも、怖れず他者に向き合って話す・・・ということは、遠慮もしない自分の意見を話すので、他者にとってはすごく痛かったりきつかったりすることもあるかもしれないなぁ。。。。ま、それはそれで。もう少し先に進まないとわからないこともあるかも・・・と 思いつつ。この探訪は続いていきます。
2009年10月19日
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実は、今日は月一である 初段受験者向け1日講習会が花巻市であって、それに出かけてきました。昨日書いたTさんも それに来るはずで、昨日のそれは対決に向けての私の姿勢の確認のため・・・って意味合いが 自分の中であったようなのですが。今日 Tさんは来なかったのですよ。欠席でした。聞いたら木曜日に一輪車とぶつかって(?どういうことなんざんしょ?)膝を痛めたとのこと。しばらく太極拳はお休みするらしい。そりゃ 膝が痛いまま太極拳したら、ますます痛めますからねぇ。ま、というわけで 直接対決は延期、もしくは自然縮小?の方向のようです。そういうことならと、・・・一方的な勝利宣言をいたします!えっへん! 今日もまた丸一日太極拳漬けで、いささか疲れましたが・・・。でもこれも前ほどじゃない。ずいぶん元気になってきましたねぇ。精神的にもタフになってきたし、さあさあもう少し元気になっていろんなことをやってゆきたいと思う昨今です。
2009年10月18日
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私がこの町で太極拳を始めたのは、5年前のことなのだが、ほぼ同時期にほかの教室でも太極拳を始めた人たちがいて その中から上位に上がって 一級~初段にたどり着いているのが大体8名くらいかな。その中で 中心となって活動とか練習に励んでいるのが大体6名。この順調に練習を重ねて上達の早い人たち、退職して時間をもてあましたおばさん方が多いわけだが、例外なく自我が強い。練習に打ち込むとか集中力があるとかいう背景に、自我の強さとかエネルギーレベルの高さとかあるのだなぁ・・・とそこは納得できるのだが。自我の強さと同時に、精神的な大きさとか強さも作られているかというと 実はそういうわけでもなくてですねえ。(爆皆が集まると、下手すると自己主張や支配欲故のモヤモヤが場を支配しちゃったりしているのでありました。 あまりこういう場面に遭遇してこなかった私にとっては、人間観察できて面白い場といえないこともない。 今直接人の感情を受け止めることが少ないので、客観的に見ていられる。そうすると 皆がほんとうに縛られた中で感情に支配されていることがよく見える。まぁ、それはいいのだが。その中の、今まであちこちでトラブルの種を蒔いて来たTさん、この人がどうやら私に喧嘩を仕掛けつつあるらしいのだ。な~んか、彼女の勘にさわることあったんだろうなぁ。無理ないか、私このごろ自分の制限取り払っちゃったので、他者への遠慮とか配慮も 必要以上のことはやめちゃったしな。彼女はとにかく自分がお大切にされないと不愉快な人なのはわかっていたんだけれど。だが、しかし、今の私はかなり難攻不落の人間なんですが。 まぁ、お手並み拝見といきましょうか。言っとくけど今の私と喧嘩すると怖いっすからね。ふっふっふ・・・・
2009年10月17日
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大学時代に竹内敏晴さんの「からだとことばのレッスン」を受けてから、人の声に少し敏感になった部分があるんだと思う。人の体もそうなんだけれど、声もその人の相を表しているというかねぇ、聞く人が聞けば相手のことが相当わかるものなのだ。いや、私はさほどわからないけれど、わかる人にはわかることは知っている。回りくどくて、いい文章じゃないね!(苦笑) ここ最近というか、しばらく気になっていること。このごろ、とみにニュースのキャスターをしている人たちの声がよくないのだ。 私は昔からニュースマニアで、今はだいぶそこ抜けたとはいえ、テレビをつけてバラエティやドラマの隣にニュースがあると、ついついニュースにしてしまう傾向がある。。。。。が、最近あまりニュースを見たくないのだ。たぶん、声が素直に自分の中に入ってこないせいもあるんじゃないかなぁ。特にね、某公共放送の9時のニュースの方の声がよくない。ここは声に対して敏感な人が多いだろうに、なぜこの人をメインキャスターの場所に置いたままにしているんだろうか・・・?って疑問が見るたびに浮かぶ。すご~くねぇ、うわっすべりな声なんですよ。で、浅いところから出ているようで、こちらにも浅い場所を通り過ぎるだけ。腑に落ちるところがまったくない。彼が批判的なことを言っても、事件に同情的な意見を述べても「あっそ?」って 気持ちしか浮かんでこないのだよねぇ。これって私だけ?って思うが・・・どうなんだろう、ほかの人の意見聞いたことないからなぁ。それから、ニュース23のキャスターの人にも同じ傾向を感じる。いや、これはね、その人の認識力とか、意見の立場とかを言ってるんじゃなく、声のみへの私の個人的な感想ですからね~。でもしかし・・・。声はその人の存在を表すという 竹内先生の教えから見ると・・・う~~ん???と思ってしまう部分は、多々あるのでした。
2009年10月16日
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このごろの岩手はよ~く冷えておりましてねぇ。特にわが町なんかは、山の中で標高高いもんで寒いさむ~い。先日は朝の気温2度だったらしいし、今日だって最低気温4度くらいなんじゃないか・・・。朝起きて台所に行って、一番最初にすることがストーブつけることなんですよぉ。ぶるぶるぶる。今年は秋が早いなぁ、と思いつつ 思い返せば夏だってさほど暑くなかったし。そういえば・・・と また考える。いっつも声高にマスコミで言ってる地球温暖化ってフレーズ 今年はあまり聞かなかったような・・・。寒い雨だらけの夏に温暖化って叫んでもうそっぽさ満載だもんねぇ。地球温暖化だって、それは一部の学者の主張であって、長い地球の気候変動の一部にすぎず、それを政治とか自分たちの利権に利用したい政治家たちに踊らされてはいけない・・・って説もあるのです。私の狭い知見では、なにが本当か真実かは わからないんだけれど、そういう見方もあるってことくらいは 知っていてもよかろうな。で、マスコミの傾向として 一つの流れに乗るとそれに反する意見や見方が出にくくなるようだ。そのくせ、1~2年経つと前に言ってたこと すべて忘れたみたいな流れになってしまってることもよくあるんだけれどね。人間変化を恐れてはいけない、新しいことに向き合ってそれに対応し成長するのが人間のあるべき姿・・・ってのは本当なんだけど。無意味に自分を確認せず、流されるままってのもよくないと思うのです。きちんと過去をふまえた上の変化をめざしましょう。ハイホー
2009年10月15日
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夕べ、出かける用があったので、ほんの少ししか見られなかったのだがテレビの番組で タレントさんが太りすぎて危険領域にあり、そのためのダイエットに挑戦する・・・ってのをやっていた。もともとふっくらした人だったけど、ここまで食べ過ぎるのはなんか精神的な問題がありそうだなぁ・・・と思いつつ見てたら、きっかけが12年前お母さんを亡くしたストレスから・・・と言う。ああ、やっぱりねぇ。と思ったのだった。親を亡くして、嘆きがものすごく大きかったり、精神的に大ダメージを受けたりする人けっこういるけれど。それって、親がよくできた人だから、子どもが立ち直れないほどのダメージ受けるのだ・・・って 私前はそんな捉え方してたように思う。 でも、それって逆だったのです。親が子どもを他者として、ちゃんと一人で立てるように育てる精神構造を持っていないから、子どもは親に取り込まれて親の世界観を自分の世界観と勘違いしたまま成長する。そういった人間が親を亡くすと、その自分のよりどころというか土台をなくしてしまい、すご~く不安定になる。それが彼女の場合は、食べることに出たのだろうと思う。 実は私も、親を亡くしてから 活動的にも仕事のキャリアもどんどん領域が狭く、ダウンサイジングを続けてしまっていた。自分では苦しいけれど、どうやって生きることを広げてゆけるかわからなくなってしまっていたんだけれど。denshinbashiraさんから、私もまた母親に取り込まれたアダルトチャイルドであり、親を亡くしてよりどころにしていた世界観を失ってしまった・・・と指摘されて、ようよう自分の立ち位置が見えたところがあったのだった。 でもねぇ。日本人、きちんと自立して他者を他者と分離できるこころ持っている人あまりいないように見えます。 ほとんどの人が親の意識を無意識に受けとり、無意識に負の遺産を抱えたまま生活しているような・・・。そこに気づくだけで、相当別な世界への扉が開くように思います。 日常にいろいろなヒントはあるので。気づく人が増えてきてくれるといいなぁ、と思うわけです。
2009年10月14日
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朝、ぼんやりとテレビのニュースショーを見ていたら、全国知事会議ってのを話題にしておりましてね。そこに出てきた、某千葉県の知事・・・これがねぇ、なかなかに見物でした。ご本人は、精一杯虚勢を張って自己主張し、存在感を示そうとしているのだけれど、いやあ内部のお粗末さを見事に表していて、唸りたい思いがしたほどでした。声にね、威圧感を入れようと頑張っているのです。でも、それがポーズとしての威圧感にすぎないので、逆に本人の空虚さを見事に表現する結果になっている。いや、普通の人はそこまで分析したりしないとは思いますよ。でも、たぶんコイツうわべだけのハリボテ強面だ・・・くらいはなんとなくわかっているんじゃないかなぁ。少なくとも、他者に怯えがひどくない人は・・・ね。私の観察するところ、高校の番長レベルの人間っすね、彼は。・・・番長に失礼かな。 このごろ、人に怯えることが私はなくなってきました。いや、内部にはまだ怯えている部分は残っているのですが、前に比べたら格段に落ち着いて他者と相対できるようになっています。でね、こちらが落ち着いていると相手の様子がよ~く見える。これは、今まで気づかなかったことです。つまり、落ち着いているということは、自分の視点と視野で世界に向き合うってことなんですよね。だから、人の言葉やうわさで左右されない。今こうして、あらためて人に会い、人と会話しても、私はずいぶん楽に過ごせるようになっていますが・・・。なんとまぁ、みんな本当に 怯えを抱えて暮らし、人と話している人が多いことか・・・。 これは、訪問販売の人や電話セールスの人も同じです。人に会ってモノを売るにしても、怯えていては相手がどんな人間か、今何を欲しているか、何を話せば相手の許容空間に入り込めるか・・・そんなことを全然わからない。そしてわからないまま会話を進めようとするのですよ。・・・難しいけどねぇ。なんとか、そばにいる人たちにだけでも楽に暮らせるノウハウ伝えることのできる人間になれればと思います。。。。できるかなぁ。
2009年10月12日
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時々、ぼん化する私です。(知ってる人にしか通じませんがな~) やっは~!私は元々、パソコンを始めるときiMacを購入し、Mac人間でありました。しかし、某所に仕事に入り、当然そこではWinを事務処理に使わねばならんかったわけですね。その後、とある事情で家にWinのノートパソコンがやってきて、そちらは持ち運びもできて扱いが楽でした故、ついついお窓生活が続いておったわけです。 最初に買ったiMacは年数を経て、活動停止なされたが、Mac根性を発揮して知り合いから使わなくなったMac機を入手し、それは元々の場所に設置しておりました。で、ここ3年以上、ほぼMacには触ってなかったのですが・・・。今回ノートパソコン故障で、Macを起動してびっくり!!すっかり世界が変わってしまっている~~~。 このMacはOS10.3.9ですが、(Macを知らない人には通じないと思います。スマン)ブラウザ立ち上げたら、ネットが使いづらい使いづらい。文字入力もできないページがあるし、youtubeも見られないし。ブラウザが古いせいだ新しいブラウザをダウンロードしよう・・・と思ったらですねぇ。なんとOSが古くて、新しいブラウザのバージョンが使えない!もおお、四苦八苦状態ですよぉ。IEもサファリも駄目だったんです!友人からfirefoxの古いバージョンを分けてもらって、なんとか今普通に使えるブラウザ設置できました。日記のページでもようやく高機能エディタを使えるようになったです。ふう、やっと一息だ。。。。。しかし、ネットの世界は本当に2~3年一昔・・・なんですね。。。。・・・ついて行くのが大変っす。。。。
2009年10月11日
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一般的に常識と思われているものと、事実は違うのだ・・・と最近色々の発見がありました。(主に池谷裕二さんの著作から・ですが)年を取ると頭は悪くなる一方である・・・って、私なんとなく思い込まされていたんだけれど、それも事実ではないそうで。年を取ることで物覚えが悪くなるというのはウソだそうですよ。記憶と感情をつかさどる場所はごく近くにあるのだそうです。だから、強い感情をもっていた場面は、皆さん年をとってからでもよく覚えているでしょ?例えば 旅行に行ったときとか、お子さんが怪我したときとか、自分が事故をおこしたときとかね。子どもがものごとをよく覚えているのは、世界に対して、新鮮な驚きをもって生き生きとした感情で生きているからなのだそうです。だから、年をとっても子どものように生き生きと楽しんで生きていれば、いろんなことを覚えることができるのだそうですよ。で、もう一つ。人間はだいたい30までは、物事を頭に蓄えるデータ収集の期間なのだそうです。30過ぎると、今度はそのデータを使ってモノとモノとを結びつける機能がよく働くようになってくるのだそうな。そこをうまくできるようになると、物事の見極めや判断がとても的確にできるようになる。すなわち頭がよくなるのだ・・・と。これも目からうろこでした。そういえば、何ヶ月か前に ネットでできるIQテストを見つけて、ここにアップしたことあったけど。あれね、私正直言うとかなり成績よかったのです。小学校のころより15くらい成績上がっていたな。私はもともと視覚的人間で、図形に強い傾向があり、IQは悪くなかったのですがね。でも、これは資質として有利って面があった。今回、成績があがったのは、物事の結びつきを見つける能力が確実についている証拠なんじゃないか・・・と思いあたったのでした。人間は、なんとなく自己検証しないまま 常識を当たり前として生きているけれど。人間本来の力はすごいものなんじゃないかと思います。だからね、みんな自分のストッパーが何か、きちんと内部を探ってそれを外す努力を続けると。本当に能力上がりますよ。それはウソじゃないです。先に進む覚悟があれば、確実に力のある自分がそこにありますよ。
2009年10月09日
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いや、働いたと言っても 庭の草取りを朝10時から 夕方の5時まで(お昼休みを除く)しただけですが。でも、これだけでも、たいしたもんです。つい ちょっと前までは、1時間外作業をしては、30分~1時間の休憩を取りそれでも夕方には疲れ果ててぐったりしていた。今日はそれだけ働いて、一応疲れはしましたが、ぐったりするほどじゃありません。やっと、本来の体力とエネルギーが出てきたかな?つい最近まで私はウツ状態だったんだろうなぁ・・・と 思う理由のひとつが とても疲れやすく、そしてやる気が起きない。何を優先すべきかわからない・・・って風だったこと。いやぁ、つらかったのです。私は、本当に《気》の力が強い。気の力がこれだけあるってことは、本来なら 相当エネルギーを持っている人間なんだということなのだろうと思うのです。でも、今まで生きてきて ほかの人よりエネルギッシュだったことって 多分一度もないんじゃないか。自分のストッパーが強すぎたんだろうと思うんですよねぇ。今 ほんの少し 自分を自由にしてストッパーがはずれかかってきている所なんだろうと 思っています。さて、この先どうなるか。我ながら、ちょっと楽しみに進みましょう。
2009年10月06日
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奇しくも、花の食欲がなくて・・・と、書いたのが、先月の3日だったのですが。あれから、やはり花の食欲がもどることはなく、どんどん弱ってきていました。あの後、もう一回動物病院にも行って診察してもらったおり、子宮の具合が悪いのでは・・・というので、お薬をもらい飲ませてはいたのですが、それもはや遅かった・・・ようです。やはり年のせいで免疫が落ちていて、あちこちの機能も衰えていたのでは・・・と感じます。今朝、花は虹の橋を渡って行きました。実は、私はここ数ヶ月の精神再構築のせいで、感情が非常に希薄化しているのです。前はすぐに動揺したり、腹を立てたり、イライラしたりおちこんだり・・・があったのですが、最近はそれらがあまりない。あったとしても、割とあっさりと通り過ぎてゆく。でもねぇ・・・やはり、花が行ってしまい、心が非常にぽっかりというか、エネルギーレベルが非常におちております。で、時々悲しみの大波がやってくるな。悲しみはそんなに大きく続きはしないだろうけど、寂しさはしばらく居座るだろうなぁ・・・。このブログはMacで入力しています。古いMacなもので、ブラウザも昔のバージョンしか使えず、画像も入れられない。。。。美人だったころの写りのいい花の写真をアップしたいけど、残念。友人のところに、壊れたノートパソコン・ハードディスクの中身救出を頼んでいるけど、うまく画像が出てきてくれるといいけどなぁ。
2009年10月03日
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昨日、朝のニュースショーで、片付けられない人のために片付けの指南をしてくれる仕事があるというのを取り上げていた。それに出てきた片付けられない女性は、立派な一軒家に住み、働きながら子育て中とかで。多分シングルマザーなのかなぁ。ご主人の気配がまったくなかったから。営業職とかで、外回りに服が必要で買い込んでしまい、しかも忙しくて片付ける暇がないのが、家の中が散らかり放題になっている理由とか。居間も隣の和室も書類や雑誌や衣類が積み重なり、床がほとんど見えない。なかなかすさまじい状態なのだ。それを見ながら、コメンテーターの鳥越俊太郎さんが、過去を捨てる気持ちを持たないと、物は片付けられない…のようなことを言っていて、それはまったくそのとおり!と思ったのだった。私はあまり物を買い込む生活ではないが、なにせ捨てられない症候群にかかっていた人間で、とにかく片付けが苦手なのだった。もともとそういう傾向がある上に、最近は生きるエネルギーレベルが落ち込んでいたし、頭も中も家の中も散らかり放題!という生活をしていた。自分でなんとかせねば…という 気持ちはあったのですよ。でも、動くためのエネルギーが自分になく、頭も鈍って判断ができない。もう、現状維持がせいいっぱいの状態が続いていた。このごろ、だいぶ頭の整理がついてきて、自分の生命エネルギーも回復しつつあるようで。そうすると、視野もだいぶクリアになり、周りも見えてきた。ずいぶん無駄なものを くっつけたまま生きておるなぁ、というのが、今の正直な感想なのです。さぁ、まだ少しよろよろしてて まだ本当には動けてはいないけど、私はこれからちゃんと動けるようになるぞ。もう一回 生き始めるぞ。(この項、続きます)
2009年10月02日
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