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斜めからインドネシアを眺める 743 また、また、もとキタガワの社員を入社させた。勿論、彼らは皆、私を有力なコネとして入社できることを期待し、申請してくるのです。別に私が強力に推薦しているわけではないし、総務には何も話をしていない。しかし、もう、いないだろう、と思っても、次々と入ってくる。私がキタガワを離れた後に入って、私を知らない人まで、知っているかのように入ってくるらしい。もっとも、この会社の総務の重要な役割を果たしている人たちは、私が推薦して入社してもらったのですから、彼らの知り合いが申請して来れば必要な部門から入ってもらうことは当然な成り行きでしょう。 そんなこんなで、かなりの重要なポストは元キタガワの人たちが占めるようになっている。経理、人事総務、税関に対するトップ、第二工場のトップ、蒸着部門のトップ(日本で訓練中)、勿論押出のトップ以下全員、皆さん、日本人からの評価は、最初は良くなかった。この人たちは能力が今一だという話がわたしにもあった。しかし、その人たちの上の立場になれる人を人材紹介の会社などから、推薦してもらい、面接したところ、今いる人たちより遥かに高い給料を要求する上に、能力も今いる人たちより低い評価だし、紹介料も半端ではない。そこで、結局、採用をしないことにして、今では、全員がその部門のトップとして役立っているし、彼らのアシスタントを入社させるようになっている。ベアチュカイとの関係トップの人も私の紹介だがコンサルタントのJA社(日本人人)から、彼女では能力不足だと言われたらしい。彼女は、もう、十数年の付き合いで、MM2100担当の税関職員とは顔なじみで、能力が低いはずがない、おそらく、その日本人の知識や能力が低いのだろうと思う、そのコンサルタントは、私は信頼していないので、ビザの更新などでは使わないようにしている。費用が、手数料が高い上に、申請も遠回りだし、シンガポールへ行くときも、なぜか、一泊するスケジュールを組んでしまう。 この意見を真に受けて、他の人を採用し、彼女の上に付けるのか、難しいところです。税務署や税関とつるむような人を採用してしまうと、禍根を残す。せっかく、JA社の担当者より能力が高い人を潰してしまうことになる。それよりも、彼女が、彼女の意見を言いやすいような環境を作ってやることが肝心です。何か言ったら、余計なことをいうな、というような雰囲気はだめです。こういう状態を見ていると、この会社の立ち上げを助ける役割とインドネシア人の子供たちを救う役割は一段落ついたような気がする。どちらも、私を必要としなくなるのは分かっている。自分の決心が変かわらないように書いておいている。私の技術的なことはhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%202.htmlhttp://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0007.htmlPPプロファイル成形の開発をしたが、壁にぶち当たった状態が長く続いて客先に大変、迷惑を掛けてしまった。その記録です。まだ、十分ではないが、開発はこの仕事が最後になるでしょう。押出の開発仕事は体力勝負です。若いころにはその体力をフルに使ってどんどん、新しい仕事に挑戦したが、もう、今は出来ない。気持ちだけではどうにもならない。間違いなく、メイドインインドネシアの縫いぐるみです。日本ではもうとっくの昔にこの種の縫いぐるみは、メイドインジャパンは無くなっていましね。先日、ドイツのニュールンベルグで買ったおひざ元ドイツ企業ナイキのスニーカーがメイドインベトナムでした。遠い旅をしても安いのです。ISOの認定証です。苦節4カ月でした。担当の人たちはご苦労様でした。
2010.09.30
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斜めからインドネシアを眺める 742 ISO9001と14001のCERTIFICATEを受け取った。T?V NORDからである。スタッフのインドネシア人には十分な感謝の意をあらわした。よく、やってくれたと思う。早速、フレームを買って会社へ寄付をした。インドネシア人スタッフだけで獲得した成果なので私も大変うれしい。今後は会社全体のISO収得のリーダーを引き継ぐことになろうかと思うが、そちらの方でも頑張ってほしい。どこかで書きましたが、ISOは日本のものと異質です。というか、私は日本でのISOの収得プロセスを知らない。インドネシアのやり方は熟知している。日本人がどこの段階、どこの時点でもちょっかいを出すことはプロジェクトにとって邪魔者、厄介者に過ぎない。コンサルタントもエージェントもインドネシア語で今までの指導の仕方で、ISOを取らせてくれるのです。インドネシア人はそれに従っていれば期限内にセーティフィケートは受け取れるのです。その行程の中に、日本でISOの収得で中心的役割をしていたからといって、張り切ってインドネシア人を指導しにきて、割り込んで入ったとすれば、考え方の違いや何より、コミュニケーション不足で何を言いたいのか分からない、混乱状態に、陥れてしまい、本人のストレスがたまる以上にコンサルタントやインドネシア人スタッフ悩ませてしまうばかりです。雰囲気が悪くなる上に収得の期間も長引いてしまう。もし、QCやISOの専門家と言われる人が日本から派遣されるなら、ISOを収得した後、落ち着いて、状態や内容を確認して、何か指導したいことがあればそれから指導した方が良い。ISO収得トレーにンブ中に何もすることは無いし、何かしたら、邪魔なだけです。規模にもよるが、平均的に60JUTAでこれも平均4~5カ月後には収得します。インドネシア人スタッフの人数は一概に言えませんが、コンサルタントとミーティングするのは4~5人で十分です。会社ぐるみでISO収得に向けて一丸となって走り、協力するという考えは同じですが、その濃さは非常に薄い。担当者だけでなにもかもやってしまいます。それが一番簡単な方法ですから。会社からいちばん近い集合レストラン、インドネシア人しかここへ来ない。ファミリーカラオケ、イヌルフィスタ、リッポチカランのハイパーマートの駐車場の一角にある。ダンドゥットゥ歌手のイヌルが展開している全国チェーンで人気が大変ある。システムは日本にあるカラオケを参考にしています。100%健全です。いわゆる、インドネシアで日本人が行くブロックMのカラオケとは全く別物です。
2010.09.29
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斜めからインドネシアを眺める 741 この会社の押出部門が順調かどうかは私の判断によれば、若干の滞りはあったが、おおむね大変順調に推移していると思っている。しかし、見る人によっては、もたもたしていると評価する人がいてもそれはそれで基準の違いなのであることだと思う。小さい所帯で安定して確実の徐々に利益を上げてゆくやり方が私にとっては一番望ましい。大きなプレッシャーを回りに掛けなくても、私の力量で出来る範囲までに収めたいと常に思っている。売り上げも利益もほどほどでいいと思っている。それ以上の事は必要無いし、求めない。実際、私がいた全ての場所で利益を常に上げていた。そして、客先にも満足していただいていた。そして、部下たちにも相当の配分をしていた。特に私が太田化工として経営していた沼津(現S社)の時と静岡の時には無借金経営で、自分の手形を切ることは無かった。こじんまりした規模にもかかわらず、常に高額納税をしていた。インドネシアへ来てからも、私の部門は本社や他の日本人の手助けを必要としないで、最初から利益を上げていた。だから、私のやり方なら、大きくはならないが、確実に儲かるし、従業員も明るく仕事ができるのです。私が手伝って、主に射出成形をしていた同じ会社の中でも押出は確実に利益を上げていた。東プラ精工、PT.KITAGAWAの中で、勿論、間違いなく利益を上げていた。扱われ方はどうしても押出部門に不利な状況でした。そんなことで、大量生産、大量利益と大きく拡張しようとする今の会社には、方針は正しいと思うし、成功もしてほしいと思うが、私の考え方は全く馴染まない。私が、それに、協力することは能力的にも年齢的にも無理である。近い将来邪魔者になる可能性すらあると思う。これまでの私の役割は何であったのだろうか分からないが、役割は終わったと思う。出来るだけ早い時期に次の手を探らなければならない。迷惑を掛けないように引き際を探ることになる。技術者としての次の一手であって、何もしないで日本へ帰って隠居という一手は100%ないが。ドイツ、ニュールンベルグのベンツのミニバス、外観と内部、インドネシアのミニバス、コアシとは別物のように綺麗でこれが普通だと思う。
2010.09.28
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斜めからインドネシアを眺める 740 今日は06:00頃テーオフ予定だったので、目覚ましを04:00にセットしてその通り目が覚めた。大雨が降っていた。その後も降り続きスタート時間になっても小降りにならず待機して07:00ころやっとスタートした。その後はみるみる天気が回復し、南国の空と雲の雰囲気になっていった。 昼食の時に話の成り行きで、私の今後の予定について重要なことを社長に打ち明けた。この考えは、変わることはないと前にも書いている。私が近い将来、どこかの組織の中で埋もれてしまうことはあり得ない。人の思い込みのままにはならない。 既に赴任をしてきている二人は来週早いうちにシンガポールのインドネシア大使館でワーキングビザを発行してもらう段取りになっている。それまでは、仕事を出来ないが、それ以降は仕事を出来るようになる。10月から、押出のお客さんを回って、紹介をしようと思っている。現在まだ取引のない会社へは、私が連れていったり紹介したりしないで、自分で訪問してもらうことにする。私は外部的には、出来るだけ新しい仕事に係わらない様にし、私の影響を少なくしたいと思う。内部的にはあらゆる手伝いをするのは当然である。私の影を早く消して新しい人がやりやすいようにしてやることが私の責任です。 会社が本人のために準備が遅れている物については私が個人的に私の所有物を使ってもらったり、私が余分に持っている物をその人に与えてしまったりして、仕事のスタートダッシュを、“あれがない、これがまだ、”という理由で遅れてしまわないようにすることも私の義務だと思う。これ等の事は、現在の客先に対する最低の責任だと思っている。 その後、間を置かずに営業活動が始められると思う。それも、私でなく、新しい人がするはずである。 目にした魅力的対象、色の鮮やかでインドネシアらしい。
2010.09.27
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斜めからインドネシアを眺める 739やっと何とか、仕事が流れ始めた状態で、振替え出勤日でしたが、朝出勤、直ぐに会社を後にしてゴルフ場へ、コンペに参加するためでした。重要なそして今、迷惑をおかけしているお客様の主催のコンペで、本当は出にくいにですが、それでも、そろそろ、参加をしておかないと、今後の事情で、参加できなくなる可能性があることを考慮して、今回、参加させていただこうと急遽決めた。 プレー費用が高いので、安くなる午後からのスタートでした。ジャバベカのプレー日はジャカルタ、チカンペック高速道路沿線のゴルフ場ではいちばん高い上に、メンバーになっている日本人の数が他のゴルフ場に比べて少ない、そんな理由で、コンペを開きにくいゴルフ場という印象が強くなってしまっている。というわけで、話はそれるが、NHK朝ドラの最終回を始めて見ることが出来た。ゲゲゲの女房、というのも、最終回は必ず土曜日の朝、6時ですが、その時間にはゴルフをやるために、もう、家にいないし、ゴルフをやらない時には自分の家以外の場所に出かけてしまっている、NHKを受信出来ない場所にいるからです。 それはさておき、参加して良かったと思う。お得意さんだし、お付き合いは10年以上になるし、カレンダーの写真の事もあるし、先方の担当者は交代しているが、これからも、我が社とのお付き合いは続くだろうし、より重要性が増してくると思う。私が今の会社からいなくなったとしても、後任者は私以上にお付き合いを深めていただきたいと思っている。 私が品物を購入して、会社の名前で、賞品の一部に充ててもらった。その賞品を4位と6位の人に渡してもらった。というのも、四位と六位は良いところへ来ているのに賞品、賞金はもらえない。5位は飛賞であるし、7位はラッキーセブンということで賞品を受け取れる場合が多いが、4.6位は何ももらえないからである。表彰の最後に余った品物を、“まだ、何も貰っていない人“といって、配るのが通例だが、シャツをそういう配り方はしにくいので、私からお願いした。そのことが結構皆さんから好評だった。賞品はジャバベカゴルフのプレー用のシャツだった。 ところで、私といえば、ハンデキャップの多さもあって二位に入った.平行賞も貰った。一二位を的中させる戦勝複式の馬券でも的中させた。また、オリンピックでも20ポイントを取った。寄付した賞品、参加費用と馬券費用の合計を大きく上回る収入があった。かなり、目立った存在になってしまっていた。悪くない。 参加して良かった、お互いに。今後とも迷惑を掛けないようにお客さんのためにより品質が高い製品を提供して行かなければならないと再確認した。そして、今の会社を離れた後でも、求められれば、影で、援助をし続けなければならないと思っている。イタリアのティラノの旧市街の中で、ピノキオアイスクリームとメープルリーフの落ち葉を集めている。
2010.09.26
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斜めからインドネシアを眺める 738 もうしばらくこの調子が続くと思うが、少しずつ改善をしている。新しい金型のトライも始まっていて、形の安定度は良くなったと思う。若干の手直しをして、来週から最新の金型で生産に入ろうと思う。はめ込みも新しい金型ではスムーズにいくことを確認してある。 一人、ひそかに喜んでいることがある。一週間に三回ほっとする時間を確実に持てるようになっている。この時間の内容は明らかに出来ない。 今日の昼食、アクアの小さなボトルを含めて240円です。タフゴレン、チャプチャイ、アヤムゴレンなどが乗っている。昨日ジャカルタグロドックで食べた物より高いが、清潔そうで、場所は明るいし、広い、そして臭くない。もう一つの写真は果物売りのカキリマ。お皿に乗っている状態で売ってくれるが、これで100円です。一週間に二回ほど会社のキャンティン以外で食事をしている。 今日も夕方にはしっかり雨が降っていた。ところで、家の裏に壺庭のようなものがある。回りが塀や家で囲まれている。その一角に洗たく機を置いてあって排水口に水は流すようになっている。それが、洗濯した水を流すくらいなら何の問題もないが、大雨が降った時が大問題になる。水はその排水パイプに入って家の下を通って、表の排水溝に流れる。そのパイプの径が小さい、排水が間に合わない。家の中に水があふれて入ってきてしまう。床上浸水である。その状態を知らないでいると、1cmくらいの水の層が部屋全体に広がりつつ、タイルの床の上を水が流れて玄関から出ていって表の排水溝にそそがれるという風景になってしまっている。早期発見をしていれば、タオルなどで堰を作って流れを変え、カマールマンディの排水口に導くことができる。私が家で起きていれば、そういう作業をする。今年はすでに5回やっている。私が家にいない時に床下浸水した形跡も5回以上ある。
2010.09.25
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斜めからインドネシアを眺める 737射出の方で緊急に手に入れなければならない部品が有ってグロドックへ行ってきた。朝9時過ぎにでて、帰ってきたのが18:00ちょっと前、買い物に時間がかかったことと、やはり大雨が原因だったと思うが大渋滞に巻き込まれたからです。何故私かというと、会社に車が二台しかない。その二台を使ってしまっていて、私の車しかないからでした。私以外の日本人が5人で車が2台。それも、営業や経理などがそこへ出かけるときにも使うわけだから、どんなにうまくやりくりしても、どうしようも無くなると思う。それが、今日のようなことだった。私が、運転手になって、5時間以上インドネシア人を乗せて走らなければならない。今日が初めてことではないし、例外的なことではない。間もなく、日本人がもう二人増える。車と運転手をどうするのでしょうか。もっとも、押出の交代の人が、押出の事を全部見てもらえるなら、私は運転手専任としても働けるが、そうはならないでしょう。昨日の写真とはあまりにも違う雰囲気で申し訳ない。薄暗い三階の片隅にかなり年季が入った設備を使って料理をしているインドネシアンレストラン。お客が腰掛ける場所がない。行くと、急ごしらえでテーブルといすを並べた。ナシゴレンやミーアヤムやミーバソなどの定番の10種類ぐらいのメニューしかない。イフミーがあるというので、頼んだら、普通のミーゴレンが出てきた。どうも、各お店へデリバリーをするのが主な売り上げで、その場所へ来て食べる人はほとんどいないようだ。一般の買い物客が食べるのではなく。店の人が、注文をして、店の方で食べるのです。ちなみに私たちが四人で食べた金額は55000Rpでした。約550円、一人当たり、飲み物(テータワール)も含めて、140円位だった。ガジャマダ通りに面したビルの奥、いちばん最初に建てられたグロドックのビルで中に入ると異様な臭いと妙な重苦しい空気が漂っている。写真は電気関係のパーツやケーブルを売っている店、棚を含めて5平方メートルくらいの広さしかない。これが標準の広さである。その中が狭い区画に仕切られ、電気部品、各種工具、細かく言うと、ホース、ニップル、ボルト、Oリング、プラスチックの丸棒や板、はたまた、ハンコ、鋸の歯、永久磁石のブロック、などなどが、規則なしにバラバラに売られている。インドネシアのたくましさを感じる。非常に汚くて臭くて煩くて狭苦しい。それでも、多くの人が買出しに来ている。ここに来れば何でも手に入れることができるからです。臭い
2010.09.24
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斜めからインドネシアを眺める 736昨日も今日も強烈な雷交じりの雨が降っていた。車の汚れはひどくなるばかりで、洗う気になれない。車をいつでも綺麗に磨いて使っている多くのインドネシア人の車も汚れているので、自分の車の汚れが目立たないような気がして、気分は悪くない。洗濯ものは部屋のかなでほしている。帰宅するまでに雨が降らないという確率は非常に少ない。それにしても、間もなく10月、通常の年ならそろそろ雨季に入る時期である。今年はついに乾季らしい乾季は無かったことになる。だから、ますます大きく掘りさげられ、深きなった道路の穴を修理しなかった。家の近くの道中央分離帯があるそれぞれ二車線道路の片側は完全に使いものにならなくなって、もう、三カ月過ぎる、修理ができず再開することができず、片方の二車線を往復路して使っている。こちらの方もかなり傷んできているが、使えなくなるほどひどくなるまで、このままになるでしょう。修理は来年の乾季になってから、つまり、来年三月ころ始めるしかない。雨季に田舎の道路を補修しても一週間もすれが補修前以上の崩れになってしまうのが通例である。昨日、ドイツからメールでお礼の文章が入った。お礼を言うのはこっちの方である。まるで違う世界に入り込んで、おおいに、楽しんだ。命の洗濯をさせてもらった。意識をしているわけではないが、自然に、なんとなく、何年もの間、普段は遠く離れているが、一年に一回かそれ以上の頻度で、日本かドイツで皆と集まることにしている。皆と言っても6人である。次は来年の三月末に日本で集合する予定になっている。それを続けることが出来るということは、全員、精神的にも健康的にも経済的にも恵まれているからだと、誰にと言うことなく感謝をしている。皆でインドネシアに集合してもらうことが夢である。それは孫たちが小学生以上になってからの事、数年以上過ぎてからのことになる。私や妻が健康で長旅に耐えられる体力を維持していること、ぎりぎりで良いから経済的にも余裕があること、何より、皆で会おうという意識を持っていることなどの条件が揃っていなければならない。その時インドネシアで私が仕事をしているということは条件にならない。こういうことが一種の生甲斐というのでしょう。そういうものを持てること自体が幸せなのかもしれない。
2010.09.23
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斜めからインドネシアを眺めよう 735先ほど空港へ行って、私に代わって押出部門の面倒を見てもらうK氏を迎えた。ジャルタ大雨のために大渋滞になって、空港からMM2100まで三時間以上かかってしまった。家に戻ったのが22:30を過ぎていた。疲れた。私が早くと望んでいた事でした。明日から彼主導の押出部門になる、そして私はその補佐役をする。出来るだけ早く、私を必要としない状態にしてほしいし、そういう気持ちになって欲しい。私は、その間に引き際を模索する。ある程度の期間を過ぎれば、自動的に去ろうと思っている。人を使うならまだ出来るが、自分でやらなければならない仕事なので、思考力、体力ともに衰えを意識している今、本当にもうそろそろ責任を負う立場はもう限界かなと思う。今度迎えた人は、南部の押出成形工場である大井川工場から派遣されたベテラン技術者で、53歳、私が初めてインドネシアで技術指導を始めた時と同じ年です。30年以上押出に係わっている人で、会社生え抜きの人だそうです。インドネシア語の勉強も独自でやっているようで、意欲も見られる。当時の私の心境を思い起こせば、体力の気力も今と比べれば格段にあった。これから最低数年はこの地でベストを尽くせるという自信があった。それと、同じと考えれば、10年以上先に来ている私ですが、今の私が超えている部分は殆ど無いと思う。あるのは、インドネシア語の力とインドネシアの社会を知っているということだけです。その部分で暫くの間、手伝いをするというだけで、仕事、技術に関しては、内容が違うでしょうから口出しをしない、余計な迷いを与えるようなことはしない。そして、私が全く持っていないもので、大いに使えることは、本社との人脈を大いに利用できることと、会社の方針、姿勢、考え方を熟知し、体に染み込んでいることでしょう。この二点については、私は全く、持ち合わせていない。いわゆる、よそ者ですから、それを求められれば、困るだけである。これで、常駐の日本人は6人になった。10月には二人増えるという話だ。ベルニナ地方の地図を見てどこへ行くのか私に聞いている5才の孫、サンモリッツ、バッドのちょっとした広場に置かれているエンジェルとデーモンというタイトルの像、見たのは三体だったが他にもあるかもしれない。天使と悪魔。いくつかの像が組み立て前のパーツに分解されて、郊外の広場に置かれていた。もっと、設置の数を増やすのでしょう。交代 委任 早期
2010.09.22
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斜めからインドネシアを眺めよう 734私としても、雰囲気として今日から、仕事が始まったような感覚である。ジャカルタからの出勤車の数も、ブカシ県庁へ出勤の車もラマダン前の渋滞に戻っていた。各種生活関連の経費の支払いは毎月の中ごろすることにしている。水道代は例外でした。電気代、インドビジョン(NHKなどを視聴するための通信会社)、携帯電話通話料(ネットのパケット)などを銀行のATMで振り込む。ちなみにインドビジョンが3千5百円位、電気代が2千円位である。インドビジョンは毎月20日ごろまでに払わないと、通信をブロックされてしまう。先日書いたが水は三カ月、電気も三カ月滞納で切られてしまう。電話は二か月である。多くの経費はATMで振り込み支払いが出来るが、日本で一般的になっている預金から自動的に支払われるシステムはまだインドネシアには無いようである。出来れば、いちいち、払いに行く必要はないし、忘れてしまう心配もないのに、それだけ、個人が、信用されていないのでしょう。各会社からの最終オーディット(監査)が始まる。生産量は多くないが、納品客先の数が増えることになる。ISOの9001と14000の承認証が間もなく頂けることになっている。既に、T?V外部監査の結果全てがOKになっていて、記述内容に間違いがないか確認の原稿が届いている。ラマダン休暇が長かったので、今週末か、来週初めには受け取ることになっている。会社全体の獲得については10月から準備が始められる。実際に生産活動をしていなければ、コンサルタントに来てもらってのトレーニングをしにくいが、射出の方も一か月ほど前から数台の稼働になっているので、生産が少ないうちに取ってしまおうということである。インドネシアのISO収得は一種のセレモニーのようなもので、取引が始まる時に持っているか持っていないかでは受け取られる印象がかなり違うようである。ま、とっておいて損は無いという程度ですが、持っているかいないかは、先ず、聞かれることで、持っていなければ、持つ予定はいつかを聞かれる。インドネシア人QC担当者にとってはそれが重要なことのようです。 前の会社の時には押出成形部門(私の部門)以外はいちはやくISOを収得した。何が目的だったのでしょうか、結局、その効果を使うという場面はなかった、というのも、殆ど、全量、日本の本社に製品を送っているだけで、インドネシア国内売りはゼロに近かった。逆にISOを取らなかった押出部門はインドネシア国内売りを主体に多くの会社の手伝いをした。それにはISOを持っているか否かは全く重要ではなかった。製品を作ることが出来ることが重要で、品質管理についてはISO相当の管理が出来ていればいいのです。額縁に入ったサーティフケートを受け取る必要は無いのでした。 前の会社で、ISOを持っていても意味がないことが分かったのでしょう。四,五年後に更新を止めてしまった。新しいく、インドネシア国内売りの営業強化のための社長に交代した時、なぜ、ISOを継続していなかったのかと怒った。そして、新たにISOを収得した。しかし、その社長さん、国内からの新規受注は出来なかった。というより、営業を出来るような人ではなかった。そして、撤退したのでした。結局、ISOは飾りとして必要で、重要なことは、技術と営業力です。社長の椅子でふんぞり返っていて、動かざること山の如しでは、なんの仕事も取れない。こまめに売り込みに回らなければ何の成果も出ない。ISOを収得したかしないかではない。初歩中の初歩である。 仕事売りと商品売りの会社の形態の違いでしょうか、この会社は営業に力を注ぐように、仕向けられているように感じるので、それはそれで、大変よいことだと思う。ドイツとは大きくちがう風景、16番ロング小川超えの手前、17番ショートのティーグランドから。
2010.09.21
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733プチ感動がいくつかあった。三週間ぶりのゴルフ。やはり、南国で明るい雰囲気のゴルフは気分を爽快にしてくれる。久しぶりにしては調子が良かった。車が新車のようになった。私が留守中に修理を頼んであった。塗装も全体にやってもらうと言うことで、出かける前に修理屋に予約をしてあった。保険を使える部分とそうでない部分があるので、保険を使えない部分は私が個人で支払うことになっている。日本人の大部分が苦手とするドリアン。スーパーでドリアンアイスクリームを買った時のこと、いつものように引きガラスカバーを開けて、アイスクリームを冷蔵庫から取り出して、閉じようとした時、後ろから可愛い女性が、閉じるのを止めながら、氷を入れますかと訪ねてくれた。思わず、入れてください、と頼んだら、扉を開けて済みに積んであった氷が入った袋を取り出し、私が取りだしたアイスクリームと一緒にポリ袋に入れてくれた。最期にどうぞと言いながらカートの中へ置いた。インドネシアでは初めての事で、ジャカルタの日系スーパーでは日本と同じようにレジで肉や魚やアイスクリームには氷を添えてくれるのは当たり前だが、日系以外では初めてのことだった。しかし、レジで氷を入れてくれるスーパーにであったことはまだない。そのドリアンアイスクリームを夕方食べ始めた。他のメーカーのドリアンアイスより、黄色が濃いことと、ドリアンの香りが大きかった。しばらく食べているとドリアンの実の本物が舌にあたった。これも感激、味や臭いはドリアンでも本物がそのまま混ぜられてあるものに当たったのは初だった。その舌触りに、おや、っと思い、ちょっと感激。この時、同時にドリアンも買っていた。そのドリアンはまだ食べていないので、部屋の中にドリアンの臭いが充満している。大変爽やかで心地が良い。スイスの山の牛とインドネシアの牛ですが、一目瞭然、違いが分かる。牛の種類については知らないが、どちらも、それぞれの地で良くみられる代表的な種類です。
2010.09.20
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732出勤、土曜日だが、振替出勤日になっている。16日から会社は再開している。しかし、インドネシアはまだ仕事が本格的になっていない。月曜日からそろそろ公務員の仕事が始まるでしょう。今朝のジャカルタ方向は故郷からUターンの車で込んでいた。明日まで続くでしょう。この機会に、ムディックで故郷へ帰った人達が都会の仕事場に戻る、それと一緒に、都会で仕事を探したい家族や親族、知り合いも連れてきてしまう。また、一挙に都会や近郊の人口が増える。実は今回出国の時にイミグレでちょっとしたトラブルがあった。私のモニターを開いて、「あなたは出国できない状態になっている」と言いながら、画面の上から二番目の欄を指し、「ここが赤くなっている、ブラックリストにあなたは乗っている」と言うのです。「そんなわけはない、何かの間違いだろうから、理由の知りたい」と言ったら、あっちの方へ行って話を聞くが、時間がかかるし、複雑になって出国できなくなるかもしれないから、ここで幾らか払えば通してやる」という。「しょうがないな、THRと思って払うよ、50万Rp(5千円)」そこで払って通してもらった。 入国するときには、担当者は黙っていたが、明らかに、私のモニターを見ながら、メモを書いていた。多分、ブラックリストの人間が入国したということを報告するためだと思う。「その、赤くなっているのは、何か問題があることを示しているのか」と、私から聞いた。「なにか、分からないが、あなたには問題があることを示している」と言いながら、入国スタンプを押した。問題があるなら、直ぐに、警察なり、ベアチュカイなりイミグレの人間が来て私を拘束すればいいと思うのだが、何事もなく、外へ出た。どうも、腑に落ちない。 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、 会社へ戻って、総務の担当者に、一部始終を話し、なぜ、ブラックリストに乗っているか確認を頼んだ。直ぐ、返事がきた。同じ名前の人がいて、その人と間違えたと言う。どこの誰が間違えたのか、どんな理由なのか、詳しく効いてはいないがとんだとばっちりだった。直ぐにブラックリストから消すと言っていたが、次に出国する時に同じことにならないように願いたい。 私だから、何事もなかったように、済ますことができたが、他の日本人だったら、かなり、面倒なことになったと思う。 仕事が忙しいので明日も出勤してもらう。私も午後から出勤になる。Corvatsch Station Sils1797からFurtschellas la Chudera2312へ、そこから二つの湖 Lej da Segl 下にSegl Mariaの街。 Lej da Silvaplana 真ん中にSilvaplanaの街が見える。 http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page227.html 旅行記http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.html 写真アルバムhttp://www.flipclip.net/users/enplaind/ ビデオ
2010.09.19
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731今朝、11:00頃ジャカルタへ到着した。そのまま、出勤で12:30頃会社着でした。まだ、ジャカルタは仕事が始まっていないのでしょう。渋滞は全くなし、いつもこうなら良いと思う。迎えに来てくれた運転手は不合格、危なっかしい上に、気が効かない。機内はどうしてこうも寒いのでしょうか、いつ、どの会社の飛行機に乗っても寒い。寒い国から出発する便も寒い。その為に、暑い国から乗る時も長袖の下着と長袖のシャツを必ず、着る。それでも寒い。私だけではないと思うが、中には、半そで半ズボンで平気の人もいるので、不思議である。今回のフライトも寒くて眠れなかった。ともあれ、無事にインドネシアの自宅に着いた。シンガポールの早朝の気温は27℃ジャカルタの11:00頃の気温は30℃でした。やはり、この方が良い。やはり、雰囲気はインドネシアの方が好きだ。暑い、明るい、人がごちゃごちゃいる。活気と言うか、賑やかさというか、何かが有りそうなというか、とにかく私には合っている。と言うことだが、早速お出迎えと言う感じ。家に着いて、トイレに入ったら水が出ない。どこを開けても出ない、外へ出て、メーターを見たら、その前のコックを針金で縛ってあって、水を止められていた。直ぐに、この分譲地の水道料金を納める場所へ行って払ってきた。なんと、6カ月(約1万2千円)払っていなかった。9月2日私が出発直後に閉めたそうです。ごもっとも。今までは半年だったが、今後は三カ月未納で止めると言われてしまった。今日は支払って家に戻ってきたら、もう、水道屋が来て開いていた。ホッとして、やれやれと、体を洗っていたら、今度は、いきなり停電した。暑い。停電は二時間後に回復した。シンガポールでのアナウンスメントを聞いていると日本語の案内が非常に多かった。それも、SQや日本の航空会社の案内で無く、それ以外の国の航空会社の便で成田行きと言うのが多かった。シンガポールは航空便の特に旅客便のハブになっていることがはっきりわかる。東南アジアの玄関口になっているのです。一つエピソード、50S$を持っていたので、使いきろうと土産物屋へ入った。そこのレジの女性、英語、中国語、マレー語と様々な言葉でお客さんに対応していた。私の番である。私の顔を見るなり、マレー語でフライトナンバーは?と話しかけられた。その後も、最期までマレー語で通されてしまった。グラティスと言いながら買ったチョコレートがキャンペーン中でオマケだと言いながら、小さい同じものをくれた。こちらもマレー語で通した。なぜ、私をインドネシア人あるいはマレーシア人と見たのでしょうか。その前に、ドイツで受け取ったボーディングパスにゲートナンバーが入っていなかったので、インフォメーションで英語で聞いた。鉛筆で書きながら、「いーのにじゅうろく、あちらへまっすぐいってください」と日本語で言われたのに、である。シンガポール(チャンギ空港)のコンコース、ジャカルタ空港とえらい違い。ターミナル3からターミナル2を望む。スカイライナーで大通りをまたいで行き来する。
2010.09.18
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730 ミュンヘン発13:35SQ327でドイツから離れた。シンガポール経由で、17日10:40ジャカルタ着の予定だ。北のメルヘン国から南の竜宮城へ移動。ヨーロッパの国とインドネシアを比較することは出来ない。全く、違う国、社会だから、比較しても意味が無い。どちらが好きかと言えば、インドネシアの方が私に合っていると思うから、好きである。今回、ヨーロッパのどこでも、食べ物には満足できなかった。基本的にパン食なので、米文化に育った私にとっては、不満である。パンは私のお腹にも合わない、インドネシアでもパンはおいしくないし、お腹の具合にも良くない。腹の中で団子状にかたまってしまう。歳を取るとやはり寒いより温かな方が良い。やはり、Tシャツ、半ズボンが良い。30℃前後の世界から、いきなり平均5℃の世界に入って長袖に厚着で縮こまっていた。天候の具合が曇ると、いかにも、曇天と言う感じ、気分も落ち込んでしまいそうで、長くはいられないと思う。南の地中海地方や東南アジアへ旅行したがる気持ちがわかる。9月始めだから、冬の対策が取られていないので、住環境を温かくする手段が取られていない。パソコンのバッテリーチャージのトランスを足の裏に当てて暖を取った。鼻水を流しながらの散歩だった。日本の自宅の自分の部屋なら、自分の思うように部屋の温度を調整できる。ドイツの家ではそうはいかない。インドネシアも自分の家なので調整は自分好みで出来る。ミュンヘンからシンガポールに向かう日本人も目につく、小さな子ども連れの家族や定年退職後まだ海外で仕事をしているような私のような人、老夫婦二人連れの人たちなど、シンガポールで出てしまう人は少ないと思う。日本へ行く人、その他東南アジアへ散る人が多いようだ。日本人だけでなく、ドイツ人も同じような行動だと思う。ミュンヘン空港への高速道路とのったSQとコントロールタワー
2010.09.17
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729 姉妹の間で争い事が絶えない。見ていてお姉さんの方に同情する。例えば、妹は手伝ってほしい、手伝ってくれなければやらないと言って、手伝わせるまで、動こうおとしない。そのすぐ後に、同じことをするときに、手伝うと、今度は、自分でやりたかったのに、手伝ったから、もう、やないという。どうすればいいの?それの繰り返しだから、大人は閉口する。同じようなことが姉妹の間にはもっと頻繁に起きている。妹は、自分の思うようにならないと、親に姉のしたことを告げる。親は姉を叱る。かなり、姉の方はストレスがたまっていることに両親は気を使ってやれない。言って聞かせれば、間違いは間違いとして認めてもらえると思って、確信をもって、叱ったり、こんこんと言い聞かせたりしているが、本人のストレスはたまる一方だと思う。ストレスがたまっていれば、何かの拍子に手が出たり、言ってはいけない悪口をたたいたりするのは、小さい子供では当然なことだと思う。 お爺さんとしても、妹の方と係わるのは御免こうむりたい。親に何を告げ口されるか分からないからである。こちらへ来て二三日で、妹の方と係わるのは辞めた。おじいちゃんと言って、近づいてきても、空返事しかしない。なお近づいてきたら、逃げることにした。 今日がドイツ最後の夜である。孫たちがとにかく可愛いと思うのは、どうも、二三歳の頃までかもしれない。今回、彼女達と接して、もう、おじいちゃんとして付き合うのがメンドクサイと感じるようになってきた。今回が、おじいちゃんとして接するのは最期にしたいと思う。来年の三月にまた会うことになると思うが、その時は、自分の孫という感じでなく、小さい子供達という意識でだけでせっすることになるだろう。普通のおじいちゃんと違うかもしれない。プレーランドという遊園地へ行って最期のおじいちゃんをやってきた。日本のアメージングパークと違い、素朴な遊具が多く、電動で動く物は無い、自分で遊ぶものばかり、積み木の大がかりなもの、滑り台の10m程度のもの、吊り橋渡りや梯子乗りなどは、子供たちの能力だけで遊ぶものです。こんな公園がインドネシアにあればはやると思う。 ニュールンベルグの町中にある染料の会社、1700年代からの企業だとか。プレーランドの入り口前。
2010.09.16
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06:30頃起きてしまったので、一人、朝の散歩に出かけた。気温は5℃前後、清々しい。この地方は田舎の農園地方である。トウモロコシ(家畜の餌用)の畑が広がっている。小麦畑もその中にあるが収穫されたばかりだろう。トウモロコシはニメートル以上の高さが有り、大きな実が一本の木?に沢山付いている。沢山過ぎて、中には、腐っているようなものもある。人間が感じる味より量が重要なのでしょう。木も密集していて、間を人間が通り抜けることは出来ない。 朝焼けが見事だったが、それと背中合わせに、虹が現れた。それも二重だった。トウモロコシ畑の向こう側である。5分ほどで消えてしまったが。早起きして三文の徳をしたようでした。 ひんがし(東)の野に日の出“かぎろい”の立つ見えて、返り見すれば虹“月”かたぶき(傾き)ぬ、(借り作) 旅の一つのお勧めは、夜明け前に外へ出て、そこらへん界隈を歩いてみることです。旅先で夜遅くまで騒いで遊んで午前様で寝て、朝食時間に起きてこないというなら、旅に出る必要はありません。勤め先界隈でやっていれば良いことです。親睦と言う目的なら旅に出ることは無い。旅先ならば普段付き合えない人とも付き合うことができると言うのは詭弁に過ぎない。 旅先を楽しむなら、旅先でなければ出来ないこと、見ることができないことを楽しんだ方が良い。それには、早寝早起きです。旅先の早朝の風景や雰囲気は、必ず新鮮に映るはずです。日常的には接することができない地元ならではの何かに接するからです。これはインドネシアでも同じことです。皆がまだ眠っているときに外へ出て見れば、既に、人の外での生活は始まっています。仕事も始まっています。それは早朝だけにしか見られない風景です。 昼間は、殆ど、横になって寝て過ごした。撮った写真の編集とドイツへ残しておく映像をDVD-RWにコピーをした。明日一日を残すのみである。
2010.09.15
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727 午前中は何もせず寝転がっていた。二時過ぎの孫たちを保育園へ迎えに行って、その足で、ニュールンベルグの街へ出かけて行った。目的は、ブラブラすることである。バスと電車と地下鉄でニュールンベルグの中心の地下に着く、階段を上がれば、そこは、中世の騎士時代の風景が目の前に広がる。車は入って来ない石畳の街なので孫たちは、鳩を追いかけて走り出す。道の真ん中のベンチへ座って、ソーセージを挟んだパンを頬張る。目の前をファッションショウから抜け出してきたような、服装をし、アクセサリーで飾った、男女が行き交う。なるほどと思うが、ここも、ご多分に漏れず、ベンチの下や回りを見ると、タバコのフィルターや紙コップ、その他のゴミが投げ捨てられていた。この状態は、地元の人も、一週間に一度たりとも掃除をしていない様子である。今まで訪れた街は、いずれも、画竜点睛を欠く、の状態である。二年ぶりにニュールンベルグの街でした。ついでに、運動具店へ行ってスニーカーとゴルフシューズを手に入れようとした。流石にドイツと言うことで、スポーツ店やスポーツコーナーへ行っても大半はウインタースポーツの道具で占められていた。アディダス、プーマはドイツ人の兄弟がそれぞれ別の世界的有名ブランドシューズ、運動具のメーカーとして知られている。スキーやスノボーに始まり、アイスホッケーやカーリングのコーナーもある。ゴルフ用品のコーナーは無いスポーツ店が多かった。あるデパートのスポーツコーナーの奥の方の一角に目立たないようにあった。売れていないようで、値段が50%引きに書き換えてある品物が多かった。ユーロ安もあって、ゴルフシューズの価格は平均で四千円位でした。スニーカーもそんな値段でした。インドネシアより安いと思う。インドネシアの有名ブランドシューズはスニーカーで6~7千円するし、ゴルフシューズに至っては、一万円を軽くこす。 ニュールンベルグの街を孫や娘とぶらぶら歩きながら、なぜか、思う浮かべたことは、つい一年前ほど知り合って、二三か月前まで一緒にゴルフをやっていて、賑やかで、人を持ち上げるのがうまかったMさんの事でした。その他の事や仕事では関係なかったが、なぜか、気楽に話せる人だった。まだ、50半ばだと思う。先日も書いたがその人が、日本の会社へ帰って、間もなく、脳内出血で倒れ、意識を取り戻すこともなく無くなってしまった。人の命は儚い物で、私だって、パニック障害になったときには、もう、駄目だと思ったことが何度もあった。その前の状態には戻りそうにないが、一応パニックが無くなった今、自分がやらなければならないこと、やり残してはならないと思っていることは、早いうちにやっておこうと思う。そのための手段は自分で納得いく方法で取る必要があるだろう。今の環境では出来そうもなければ、環境を変える必要がるし、他人から求められても、その環境や条件を受けることをお断りして、自分が求める環境を作らなければならないと思う。そしてこのことは決定した。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.htmlフォトアルバム(写真集)です。 ニュールンベルグの歩行者と教会、フランクフルトではなくてもドイツと言えばソーセージ。
2010.09.14
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726 日曜日なので、昼過ぎからNurnbergの郊外へ案内をしてもらう。孫たちと遊園地で遊ぶ、その前に、Fujiという名前の回転すしレストランで昼食。実を言うと回転すしレストランで回転している寿司を取って食べたのは今日が初めてである。二十年くらい前に現れたと思うが、日本でもインドネシアでもどこでも、回転すしを食べたことはなかった。昨日のインスブルックの回転すしでも離れた席に座って、セットメニューを食べたのでした。日本でも一度入ったことがあるがそこもセットメニューだった。 食べ放題で9.5ユーロ(約千円)握り鮨はサーモンだけ、その他は沢庵やキュウリのノリ巻き寿司らしいのはその程度、野菜サラダ、ダックの焼き鳥、春巻き、プリン、イカ焼き、甘いレモン、シウマイ、そして、卵焼きなどが回っている。ガリとワサビも回っている。極め付きはピサンゴレンやクルプックである。そういえば、昨日のレストランのメニューにナシゴレンがあった。 この店も、この価格、このメニューで結構繁盛しているようで、男女二人のカップルの客で回転すしの回りは満席になっていた。経営者はどうか知らないが、店員は全部中国人でした日本から、持ち込んだのでしょう。日本の有名歌謡曲のカラオケが流れ、壁には富士山やサクラの大きな写真、壁際には、日本人形が配されている。おでんなどと書かれた赤ちょうちんもあった。待たないで、直ぐ、食べられるのと、決まった料金と言うことがはやる理由らしい。夜は倍の価格16ユーロになるが、握り鮨が主なメニューになるらしい。 昨日と同じように、サーモンの握りをことごとく取ってしまって、孫が上の刺身を食べ、私がご飯だけを食べた。格別おいしいわけではないが、他の物を食べるよりはましである。 今日は完全休養日である。こちらは、インドネシアのような100~150ccのバイクは一台も見かけなかった。国によってこうも違うのかと思うくらい、田舎でも全く見かけない。自転車はレジャー用が主だが、実用にも使われている。バイクはおそらく最低でも250cc一般的には500cc平均だと思う。アウトバーンにも普通に現れる。ところで、ライダーの服装である。上から下まで真っ黒に決まっているらしい。女性のライダーも多いが、すべて、革製の黒である。彼らが集団でツーリングしている姿やパーキングエリアで纏まって休んでいる姿は、ちょっと、近づきがたく異様な感じがする。赤とか黄色などの服装があった方が良いと思うが。一つの例、Audi専門店の看板、流石、ドイツ、フォルクスワーゲンやメルセデスなどの専門店も広いし、状態が洗練されている。
2010.09.13
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725現在、21:30、ニュールンベルグの家に戻っている。10:00頃スイスのLa.Puntを出発、快晴、雲ひとつない、もったいないくらいの天気なので、通過道のオーストリアのインスブルックへちょっと遠回りして寄ってもらうことにした。人影が無い方が、スイスからオーストリアへの出るチェックポイント、もう一枚、車を止めてチェックしているのが、スイスからオーストリア(EU)へ入るチェックポイント。私たちは、パスポートを手元に準備しておいたのに、いずれも、止められることなく素通りだった。Innsbrukインスブルックは全くの初めて、冬季オリンピックが開催された場所と言うことと、イン川をセンターラインとして発展した街ということだけ知っていた。かなりの大都市で、ポプラの大木があったり、メープルの大木の並木道があったりで、札幌と何となく似ているような感じがした。洗練された大通りやオリンピックを開催したという点でも共通している。旧市街地は中世のお伽の世界、娘が、ヨーロッパ関連のツアコンを仕事としていたので、このインスブルックへは、何度も、来ていたそうで、イン川の橋の中央が写真撮影スポットだと教えてもらったり、金の屋根の家が有名だろか、そのあたりのホテルだかレストランの前に来店した有名人の名前を彫った石板が貼り付けられていて、なぜか、モールアルトの名前が一番上にあって、石板が新しいように見えた。余計なことだが、1999年にジョクジャカルタのスルタン(王様)の名前もあった。オマケに婿殿が気を利かせたのでしょう、中国人が経営する回転すしへ連れて行ってくれた。実際に回転すしは人気があるようで、行列ができていて一時間待ちだという、しかたが無いので、回転から離れたテーブルに付き、セットメニューを注文した。私は“ニギリ弁当“でした。9.5ユーロ(約千円)お茶が2.5ユーロ。高い、と思うが、お客さんは満員以上でした。味は本物のすし職人は何と評価するか知りませんが、私にとっては美味しかった。この町も、タバコの歩行喫煙者が多い、投げ捨ては一般的、おそらく、雪の下に大量にフィルターが捨てられたのでしょう、道の脇の背が低い草の中に無数に見える、サンモリッツと同じで一つ一つ摘まんで拾うか、草の下の土ごとはぎ取ってしまうかどちらかしかない。インドネシアならタバコのゴミも多いがその他のゴミの方がはるかに多いし、臭いので、タバコのフィルターは目立たないが、こちらの街は綺麗で清潔なので、タバコのフィルターが目につくし、他の臭いが無いので、歩行喫煙の臭いもすれ違った時、より臭く感じる。残念。オマケがもう一つ、夏休みをイタリアやスイスやオーストリアで過ごしたドイツ人が、帰省し始めているのでしょう。今までになく、車の数が多くて、時々、徐行運転になるほど、詰まっていた。そんな中で、初めてアウトバーンで交通事故の現場に出会った。2kmほど手前の路肩にパトカーが止まっていて、屋根の上の電子版にクラッシュ事故と表示されていた。そのあたりから、渋滞が始まっていた。そのパトカーは渋滞になる手前へ移動していた。先を見ると、大きな矢印が見える。その矢印まで近づくと四車線から中央寄り一車線になっていたが、通行止めにはなっていなかった。なぜか、消防自動車も付いていた。渋滞の様子はインドネシアとは様変わり、路肩を走る車は一台もない。その上、四から一になる状態に争いと言う感じが全くなく、譲り合いだけである。これほどまでという感じがするほど、お先にどうぞ、である。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.html いずれのことも、Photo Albumを確認してください。ともあれ、無事にニュールンベルグへ着いた。ここに後5日間である。
2010.09.12
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724天候に恵まれて、澄み切った青空がまぶしい。しかし、昨日の夜も岩山になっている2500m以上には雪が降りたようだ。St,Moritz Dorfから水色の平行四辺形の登山電車で、Chantarella経由Corvigliaまで行き、ゴンドラに乗り換え、Piz,Nairまで行ってきた。昨日上ったSignalまでのゴンドラの景色を倍以上の高さから眺めたと同じだと思う。そこからもっと高い山へ向かう人、逆に下り始める人、帰りのゴンドラは使わない人が半分以上なのでかなり空いている。 降りてきて、St.Moritz Badの町を散策した。San Murexxan湖の湖畔まで歩いたが、上からはっきり見えた陸上競技場の脇を通った。象徴的に古い教会の中は、意外にモダンで抽象的なキリスト像が中央に掲げられていたのには少々、びっくりした。 土産物を買ったが、総じて、スイスの他の観光地よりも高価なような印象を受けた。多くを買わないで、明日、帰りの途中のスーパーへ寄って買おうと思う。 言語によってそれぞれの場所の固有名詞が違う場合が多いので、場所の名前を聞いても地図にその名前で載っていない場合がある。また、私が書いた場所の名前は違っていると思われる可能性もある。スイスは本日をもって終了、多分、サンモリッツ辺りへ再び来ることはないでしょう、また、スイスの他の場所へも訪れることはないでしょう。この雰囲気、この状況をしっかりと記憶に残し、明日、10:00前にはドイツ方面へ向かう。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.htmlhttp://www.flipclip.net/users/enplaind/http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html今回のスイス総集編は上のWeb Siteから眺めてください。スイスよ、さようならである。再びエーデルワイズと名前が分からない花。明日から、ブログの送信やウェブサイトの更新が難しくなると思う。
2010.09.11
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723 昨日夜中に2500mくらい以上の山に雪が積もった。三日前に利用したDiavolezzaまでのゴンドラ途中駅Mittle Diavolezzaは雪に覆われているのが下からも見えた。 昼過ぎには、晴天ながら、どこからかSt.Moritzの街にもみぞれの様なものがパラついていた。 いくつかある湖の一番南側でSt.Moritzから離れた湖で小型ボートに乗り遊覧をした。湖の周囲には遊歩道が整備され、三々五々、何人かのお年寄りがぶらぶらしていた。どこから来てどこまで行くのか、何もない。船着き場が湖の周囲に何箇所もあり、小型ボートはそれらに立ち寄る、そのたびにお年寄りが下り、お年寄りが乗る、そしてまた降りる。どうも、歩きたいところだけを歩いているようだ。小舟や岸辺から釣り糸を垂れているお年寄りもいる。何十人も見たが、魚を釣り上げている様子は見ることができなかった。ただ、じっと、ひたすら、糸を垂れている。湖の周囲、町の郊外全部が老人ホームのように感じる。 そのあたりから、ゴンドラに乗って、一挙に500~1000m上がれば、そこら辺りは、老人ホームではなく、中年ホームという感じ、見かけ、私ぐらいかそれよりも若い人たちが、スキーのストックを必ず杖代わりにして歩いている。ゴンドラに乗る多くに人はそのためである。少ないが、マウンテンバイクを持ち込み、中には下りだけ、楽しむ人もいる。昨日のタイトルと矛盾するが、こういう状況を見ていると、自分には出来ないと思う。やるなら、一日二日で十分である。こういうことをするには辛抱が必要だと思う。ひたすら、単純な、誰でも出来る何かをし続けることはできない。人がやらないことをやろうと考えてしまう。Corvatsch Station Sils(1797m)から Furtschellas La Chudera(2312m)までと、St,Moritz Bad(1772m)からSignal(2130m)まで、それぞれ、谷から、東側と西側へ登ってみた。多分それぞれ、30人以上は乗れそうなゴンドラだが、乗客は10人以下、30分ごとに出発する。どうでもいいことだが、この時期そうとうな赤字運転をしていると思う。ところで、今回の乗り物の代金だが、一週間ベルニナ地方の乗り物全てのフリーパスを購入した。一人200SFである。約、17000円である。ちょっとしたゴンドラでも往復二千円以上する、コルバッチは六千円以上する。氷河特急も自由席ならフリーだし、Tiranoまで行くには、Bernina地方から外れるHospiz(氷河特急最高地駅)からのチケットを購入する必要があっただけだった。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html明日、登る予定にしているPiz.Nairも登山電車二回、ゴンドラ、その往復がフリーである。もし、行きあたりばったり個人で購入すれば、七千円以上になるはずである。孫の二人は全てグラティス(インドネシア語と同じ、無料)である。湖が映っている方がSt.Moritz Badで、牛が映っている方がSt,Moritz Dorf。
2010.09.10
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722 ガスを大量に放出して、異常に膨らんでいたお腹もほぼ正常に戻り、痛みも完全に治まったようだ。昨日は23時ころから、途中、起きることが無く06:00過ぎまで熟睡できた。腸閉塞を疑ったくらいの、原因不明の強烈な痛みだった。これで、OK。今日も天気は悪いようだが、殆ど電車の中なので、St.Moritz dorf,からTiranoまで往復のGlacier Express(氷河特急)を楽しむことにしていた。道中は二時間半である。青空は全く出てこなかった上に、頭上は霧の中という場所が多かったが、この道中の見どころは見上げるよりも見下ろす方が圧倒的に多い。だから、天気には左右されないと思う。事実、写真は上よりした方向を取ったものが多い。 急勾配と急カーブが多く、また、崖の上をぎりぎりに走る場所も多い。ゆっくり走るがそれでも、私としてはかなり、緊張させられた。景色は予想以上に素晴らしかった。ただし、売り物のループ線路はちょうど人工物を作っていて、景色は台無しになっていたと思う。売り物にしては貧弱で、宣伝の勝利か。 流石に事故も何のその、日本人の団体さんも多かったが、日本人以外の国からの団体さんの方がもっと多かった。Tiranoの街はイタリア、小さな町だが、この、グレッシャエックスプレスによって、多いに観光地として潤っていると思う。 普通席だがゆったりとしていて、窓も広く、特別高い料金を払ってパノラマ車両に乗り必要はないような気がする。事実、日本人の団体さん、普通車を予約していたようです。節約ツアーなのでしょう。一つ注文を付けるとすれば、窓ガラスが鏡になって車内を写してしまい、写真を取る時に車内が薄く映ってしまう。自動フォーカスのカメラはその車内に焦点が合ってしまい、肝心な、外に景色はピンボケになってしまう。何か工夫があったらいいと思う。 箱根登山鉄道との姉妹鉄道提携を結んでいるらしく、カタカナでサンモリッツとティラノのホームに看板が出ていた。 12:00頃Titanoに着き、街を散策、完全にイタリア語ばかり、チャオの世界である、しかし、景色や建物はスイスのたたずまい、全く、雰囲気は変わらない、落ち着つきだった。各事務所は12:00~15:00まで昼休みで閉まっていた。14:50Tirano出発、16:15St,moritz着、スーパーで買い物してLa Puntの家へ戻ったのが、17:15、日本時間では既に9日になっている。 ところで、脱線事故の場所を特定できなかった。この区間ではないのかもしれない、前もって、場所の確認をしていなかった。今回、思ったことは、原因の一つに乗客が、車輛の片側に集中してしまったのではないか、というのがある。Sn.Moritzから出発する時、どちら側に座ったら、より景色を楽しめるかを駅員に聞いて、右側が良いということを確認し、自由席だったので右に座った。なるほど、確かに右側の方が谷の下を見やすいし、ループ今日も右回りになるので内側を見ることができた。その、景色が良いところの旅に日本人の団体さんなら、左側の席の人は全員立って、右に来てしまったという可能性は十分ある。車体はかなり傾き、方輪だけに全重量がかかった可能性は否定できない。その点、自由席の個人客はやりたくてもしない。日本人団体さんの車輛が後ろ側なら加速時になお振られやすいし、景色が良い場所では最徐行し、終わるころ急加速をする。そのタイミングが急カーブの位置と関係がると思う、加速をする場所を早すぎて間違えた可能性も付け加えれば、それらの車両だけが脱線したのも分かるような気がする。 いられるものなら、このまま、ずっと、ここら辺に居たいような気もする。
2010.09.09
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St.Moritz dorf,からTiranoまで往復のGlacier Express(氷河特急)を楽しむことにしていたが、残念ながら、こちらへ来て初めての雨模様。中止にしようか強行しようか迷っている内にお腹が痛くなってきた。次第に痛くなって、氷河特急どころではなくなってきた。もう我慢が出来なくなって、09:00頃、ラ、プントゥからサンモリッツ方向の途中の街Samedanのオーバーエンガディン名前の総合病院の救急受付に飛び込んだ。点滴や痛み止めの薬を注射され、血液検査、エコー検査もした。全て正常だが、小腸に炎症が見られるという診断。何もしない、点滴と痛み止めだけで終わり。痛み止めの薬を三錠出された。その間、二時間ほど、料金は800SF(約7万円)でした。病院を出るときのも痛みは治っていなかった。 宿泊場所に戻って様子を見ることにしたが、12:00過ぎドンドン痛みが増してきて、我慢の限界になってきて、痛み止めを飲んだが、一向に収まらない。13:00頃、再び、同じ病院の救急へ戻ってしまった。今度は、痛み止めの飲み薬を二種類、錠剤を一種類その場で処方され飲んだ。次第に痛みは治まった。完全ではないが、痛みはかなり和らいだ。Rindaさんという、金髪美人のドクターの言うには、炎症を起こし、空気が溜まっている、圧迫されて痛むのだ、と。それじゃ、その空気を出す治療をしてほしいと頼んだら、それはしない、二三日後には自然に治ると言う。「水を飲み、食事も普通に十分するように」と言いながら、写真のような乾燥パンを持ってきて、「これを食べてください。様子を見たい」と付け加えた。ジャスミンティーのようなお茶も持ってきた。 痛みはやっと和らぎ、乾パンを平らげてもなんともなかった。 家に戻ったのが、16:15頃だった。一日、棒に振ってしまい、皆さんに迷惑をかけてしまった。しかし、終日雨だったし、多分、毎日あちこち歩き回るより、彼らにとっては一日良い休憩になったのではないだろうか。孫たちも、宿で、となりのトトロを見たり、ドラえもんを見たりで、おじいさんに付き合わされて、氷河を見に行くより、楽しんだと思う。17:30の今、痛みは再発していない。このまま治ってほしい。二回目の費用は4千円ほどだった。こんな小さな村にも立派な総合病院があるとは流石赤十字の国である。診察は先ずしつこいほどの問診、“医者なら早く診察して様子を見てほしい、こちらは痛みで苦しんでいるのだから、早く痛み止めを駐車してほしい”と思っているのに、なかなか、始まらない。お腹に指をあてながら、「痛いのはこの場所だけで、他は痛くない」と説明しているのに、お腹をあけて触診をしながら、痛くないと言ってあるところばかりを押して、痛くないか、痛くないか、と聞く。答えは、ことごとく痛くないに決まっているのに、である。病院はガラガラ、日本やインドネシアの病院とえらい違いだ。病院関係者の人の数の方がはるかに多い。費用は高いはずである。そして、最初の時は、結局、帰って良いと言ったが、痛みは治らなかった。ロマンシュ語のOTAは上という意味で、この地方のあちこちにOTAという表示がある。上町、下町と言う意味で書いてあるらしい。病院の名前もEngiandin OTAだった。いわゆる、ナイチンゲール風の看護婦スタイルの看護婦は見当たらない、すべてが看護師なのでしょう、帽子はない、白の上着にグレーのズボンというスタイル。最初、医者かと思った。血圧計や脈の検出器の器具を付けたり、点滴や注射用の針を刺してセットしたりする。日本の看護婦看護師と同じである。愛想がいい。言葉は5種類飛び交っている。それにも対応している。ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語、ロマンシュ語、そして今日は日本語も特別参加した。
2010.09.08
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720 連日 朝は5℃以下、寒いがもう慣れてきた。清々しい。転送先フォルダーは記入する必要が無いと案内されていたホームページの転送方法で、今まで、一つずつしか送れなかった問題があって、写真などいちいち、一枚ずつ転送手続きをしなければならなかった。いくつかの転送先フォルダーを指定されている場合は連続で転送できるので、何百でも最期まで自動的に送ることができていた。 今日、その必要無いと説明されていた転送先フォルダーを見つけることができて、転送の手間を省くことができるようになった。大発見の六葉のクローバー。孫たちとブランコの前で、四葉のクローバーを探していたら、私が見つけた。何年か前に日本で貰った四葉のクローバーの葉がばらばらになってしまっていたので、交代を考えていた。シンガポールのチャンギで四葉のクローバーをガラスの中に封じ込めた置きものの土産品を孫たちにプレゼントしたばかりの出来事だった。Bernina-Diavolezza(2093m)から大型ゴンドラでDiavolezza(2978m)へPiz Paru(3905m)をバックに広がる氷河は雄大だが、ここも、多分、何年か前は、万年雪に覆われていたに違いないと思う。その溶けかかった雪を保存するために大がかりなシートの覆いをかける作業をしていた。相当な危機を感じているに違いない。 景色は雄大で素晴らしい。良いところへ来たと思う。http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.htmlスイスにいる間、毎日追加している写真です。ここでも、昨日とは別の老夫婦にあった。かなり、海外なれした感じがし、子供はアメリカに住んでいるという。やはり、日本の現状を嘆いていた。その後、サンモリッツ ドルフ(St.Moritz dorf,1856m,ここが、氷河特急の発着駅)の町を散策、高級ブランドの店が軒を連ね、日本語の案内も多い。やはり、庶民は近づきがたい街のように感じた。殆ど、石畳の急な坂道で、孫たちを肩車したりおぶったりで、疲れた。ふくらはぎが痛くなった。その高級感あふれる街に沿っていくつかの湖があり、散策や自転車道も整備され、多くの人が訪れているが、残念なことに、くわえ煙草の人は多いし、たばこの吸い殻が道の脇の短い草の上に大量に落ちている。ゴミ箱は置いてあるが、タバコの吸い側入れは道の脇にない。フィルター部分は一つ一つ拾わなければ消えない、増える一方だと思う。一斉に掃除をしたり、タバコの投げ捨て禁止の運動をしたりしないのでしょうか。これだけ落ちていれば誰かが声を上げそうなものだと思う。
2010.09.07
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719インターネットのプロトコルバージョンのプルパティーから詳細設定が、“IPアドレスを自動的に収得する。DNSサーバーのアドレスを自動的に収得する。”になっていなくて、ワイヤレスランに接続できなかったことが分かった。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page228.htmlhttp://nanbuindonesia.web.fc2.com/page227.html 夜明けが06:00頃で、日が沈んで暗くなるのは21:00ちょっと前、サマータイムということもあって、太陽が出ている間の中間点が12:00になっていないで14:00頃になっているようだ。 活動が始まる時間は08:00過ぎになってしまう。Surlej(1809m)-Corvatsch Station Surle- Corvatsch Mittelstation- Corvatsch Bergstation(3303m)の50人乗りくらいのゴンドラコースとCelerina(1720m)-Marguns(2278m)6人乗りゴンドラコースを利用し、景色を堪能した。Piz.Murtelからの氷河が殆ど無くなっていた。 St.moritzは通過したにすぎないが、日本人観光客を見かけることはなかった。車はドイツ製の高級車が多く、高級バイクでのツーリング、スポーツサイクリングで湖畔を巡る人が多かった。滞在型の高級リゾート地という場所でしょう。ヨットやボートも楽しんでいる。ゴンドラの上の駅から下りを歩く人も多いようだ。私の孫たちに突然飴玉を私に来て知ったが、Corvatsch Bergstationの外のテラスで弁当らしきものを広げて二人で仲良く食べている日本人夫婦にあった。きくと、ツアーから分かれたというのでなく、全く、最初から、夫婦二人きりで、スイスの山々を巡ってきたそうで、明日日本へ帰る前に、ここへ来て見たと言っていた。大黒さんと戎さんのような顔をしていた。多分二人で合計160才くらいではないかと思う。旦那さんの方が力に困らない程度の英語が出来て、ネパールの山歩きは10回以上で、そこらのガイドより自分の方が詳しいと言っていた。余裕の二人旅のように見えて、頼もしくも、羨ましくも思った。孫たちと握手をしながら、あなたたちの力を貰って、長生きしてまた二人で旅ができるようにと言っていた。氷河の名残と老夫婦。
2010.09.06
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718 行く末について考える期間にしたいとも思っている。そんなに長く行動できない状態を考慮し、バッサリ、仕事から離れてしまうか、まだ、仕事を続けるか、続けるなら、いつまでか、そして、どこでか、今の場所と地位で仕事が二三年続くということは100%無いと思っている。今の状態は最長で、来年三月中旬までと決めている。早ければ今年末までである。その後の話であるが、今から、考えておく必要があるし、関係者にはその考えを伝えておく必要がある。 婿殿が遅い休暇を取ってくれて一週間、私に付き合ってくれることになっていた。既に、スイスの山歩きも四回目になるので、今回は、サンモリッツ近くを拠点にして、いくつかの氷河を見ることと、各種ゴンドラ、登山鉄道を利用して、景色と澄んだ空気を堪能しようと思う。 午前中近所のスーパーで自炊のための食料材料を仕入れた。スイスの物価はドイツ人にとっては驚くべき高さという先入観がある、事実、私もスイスの物価は高いと思う。スイスフランが安定的に強いからでしょう。ガソリンはオーストリアを通過するときに満タンにする。スイスでは出来るだけ買い物をしないようにするためである。12:00ちょっと前に家を出発し、ミュンヘン空港で、孫たちが抱きついてなかなか放さない。妻をいつまでも手を振って見送った。14:30ミュンヘン空港から出発、ほぼ、予定通り19:00過ぎにベルニナ地方のサンモリッツの手前、ラ、プントという町のホテル兼フィラに到着した。オーストリアを通過し、スイスへ入ったが、チェックポイントは開かれていてしまって、スタンプを押して欲しかったが、通過するだけだった。 居心地抜群、低価格、大変気に行った。ワイラレスランが使える。至れり尽くせりで、前回、ベルナーオーバーランドのヒラより格段上と評価したい。もう、22:00を、回っている。孫たちは興奮してまだ寝ていない。この建物の最上階をすべて占有する。屋根裏に寝室がある。この地方の地図。
2010.09.05
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717 寒い、とにかく寒い。冬の準備をしてきていないので、スイスへ行く前に買わなければならないと思う。縮まっている。太陽が見えない。彼女達の保育園へ送って行ってみた。さすが、ドイツという感じ。中は明るく、色々な設備に工夫の跡が見られた。町の様子は、インドネシアとは別世界。清潔、整備、挨拶、何をどこから切って中身を見ても正反対というか、両極端というか、足して二で割ったら、私としては一番居心地がいいかなという気がする。彼女達のドイツ語の進歩は早すぎる。当たり前だが、もう、私にとってはどうにもならない。姉妹の間でも、ドイツ語が殆どで、たまに日本語を聞くことがある程度。私と会話をするときに彼女達が気を使って日本語で話をしてくれているようで、なんだか、三歳と五歳が66歳の爺さんに気を使っているようで、変な気持である。ニュールンベルグの市内観光やその他ドイツの名所観光をするつもりはないので、終日のんびりしている。スイスへ出発は明日11:00頃と聞いている。妻を13:00ミュンヘン空港でおろして見送りそのままスイスへ向かう。スイスベルニナには一週間同じフィラを借り切って滞在し、そこをベースにトレッキングを楽しむ予定。ネットとも決別する。 ニュールンベルグの町並み
2010.09.03
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716 ヨーロッパタイム06:00頃ミュンヘン到着、婿殿が迎えに来てくれていた。着いて外に出たら寒い。ミュンヘンの早朝の気温は5℃でした。ニュールンベルグは7℃でした。車は暖房を掛けていた。天気は曇り、日が全く差していない。流石にヨーロッパという感じ。機内が寒いのでいつも長袖の下着を着ているが、そのままで、着替える必要はなかった。 家についた時、まだ、孫たちは眠っていたが、起こされたとたんに私の存在に気が付いて、二人とも飛びかってきた。以前来た時に持ってきた大きな縫いぐるみを持ってきて、おじいちゃんが前にくれた人形だよといって差し出した。 彼女達ふたりとも、同じ、キンダーガーデンへ行っているので、09:00には幼稚園のバスで出かけて行った。妻とは9か月ぶりの出会い、多くの会話はないが、とにかく久しぶりである。キンダーガーデンへ一緒に出掛けて行った。シンガポールのコンセントはアース付きの三本足なので、インドネシアとまた違う、コンコースの電気店で、5シンドルで買った。差し込みの場所は待ち時間休憩所なら、沢山あるので、ジャカルタのように捜しまわる必要はない。インドネシアで使っているソニーエリクソン3Gのハンドホンはどこでも使える。シンガポールでもミュンヘンでもニュールンベルグでも使える。インドネシアからの電話はインドネシアの国内に掛けると同じ番号でいい。その国の国番号は必要ない。こちらからインドネシアへ掛ける場合は、国外電話と国番号と前に付けなければならないが、その地域に掛ける場合は、そのまま、国内と同じ番号で、何もつける必要はない。娘のパソコンから登校である。久しぶりに対面の孫たち。
2010.09.02
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斜めからインドネシアを眺めよう 715 緊急連絡先を書きおいて、仕事のことはインドネシア人スタッフに任せて、孫たちへの土産をトランクに詰め込み、いよいよ、出発です。スカルノハッタ空港からの投稿です。なにもかも、現実を消して、空っぽにして、二週間を楽しんできたいと思う。今から、(Suraga)へ出発するような心地です。 パランカラヤ大学の植物保護事務所の案内で自然公園へ出かけた。普通の水だが、緑の葉が水に入ると真っ赤になる。
2010.09.01
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斜めからインドネシアを眺めよう 714 明日の夜はシンガポール経由でミュンヘンへ出発です。しばらく、ブログ投稿は休みになるでしょう。予定では17日にインドネシアへ戻ります。向こうでも、接続の手段を探してみようと思うが、今のところ出来るという確信はない。マネージメント インタビューから始まって、本格的なインターナルオーディットの日でした。前に書いたようにインドネシアのISOと日本のISOとは別物で、私に対するインタビューの内容も一週間前ほどから示せれ、応対は通訳を入れて、日本語でできる。自分の考え方と知っていることを答えるだけです。エージェント、コサルタント、オーディトリアンの皆さんとは顔なじみになっているので、普段の会話とほとんど同じでした。日本人に関して、彼らにとっては、どうでもいいのです。インドネシア人スタッフとすべてを納得し合えばそれでいいのです。 子供のころから変わらない、私の基本姿勢は、強い者にこびるのではなく、弱い者の味方になることです。インドネシアへ来た目的もインドネシア人に私の技術を伝えることです。副産物として、席を置いている会社の収益の手伝いになるし、客先の利益にもなる。事実、多くの会社のお役に立てたと思っている。私がいた会社は私の技術で利益を上げたし、継続している会社もある。そして、私から受け取った技術と仕事を大変大事に守ってくれていて、手放そうとはしない。そうです、その会社にとっては貴重な財産になっているからです。最優先は技術の伝達です。ですから、その他のことは、ほどほどでいいのです。損害を与えなければいいのです。強い方をより強くするための手伝いはしない。下の立場の人や会社を持ち上げるのが、私の主義です。そして、縛られたくない、自由にしたいという気持ちも変わっていないので、そのつもりで、自由を感じなくなれば、その場から去ることになるでしょう。 小規模でも構わないから、新しい仕事を探して、インドネシア人に私の技術と製品にするまでのプロセスをもっと伝えたいと思う、この意識は、かわらない、インドネシアからいなくなっても、必要であれば何度でもインドネシアへ訪問する。 クニンガン マンパンの出口付近、高速道路から、クニンガンは右、マンパンは左。ジャカルタからの夕日は晴れた日でもスモッグのフィルターで真っ赤な丸になる。
2010.09.01
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