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斜めからインドネシアを眺める 834 06:30まだ日の出前にいえから出て、菊川インターからホロンゴルフへ向かった。忘年会ゴルフである。クラブハウスまでの導入道路が三月なら満開の桜吹雪を通過するのだが、枝だけの空間だらけの殺風景な道を通過して行く。 今月、22日にインドネシアで話をしたばかりの方で、とにかく、大変な勢いの方です。インドネシアで一緒の時はそんなことはないが、日本では、ゴルフで “いきます、キャヂューさんいきます”と大声で、打つ前に叫んでくれる。ちょっと、普段の雰囲気と違って大変面白い。この会社へは、インドネシアで影から日向から、技術的な手伝いは続ける。出入り自由のお墨付きを貰ったので、来年、一年間は、手伝いをすることを約束させられた。ボランティアである。 日本の場合は、前半後半続けてプレーをすることは殆ど無い。11:00頃でも、昼食休憩ということで、一時間ほど、後半までの時間を開けられる。その食事の時に、22日に話したことの再確認したが、今回は、行き違いは無かった。2012年1月から、その方の会社の開発部門の責任者になる、それまでの一年半は、私の自由にさせていただく、ただし、この会社のインドネシア工場の側面的援助をする。顧問でも、相談役でもなってくれればいいと言って頂いたが、そんな必要はない、無くても、インドネシア工場から、私の方に色々な相談は入ってくる。インドネシア人スタッフ、技術者は当然、何かあれば私に相談や報告はしてくる。そのことについて、日本人スタッフにも私から報告をする。知っていてもらわなければならない。 ホロンゴルフ場
2010.12.31
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斜めからインドネシアを眺める 833日本へ戻って、始めて一日のんびり、休養日だったが、ちょっと外出してゴルフシューズを買ってきた。これも高い、インドネシアで使っているのはベトナムメイドのナイキをフランクフルトで買った。ユーロ安もあって、5000円(税込)位だったと記憶している。その時のブログを確認すればはっきりするがそれなしていない。今回日本で買ったのはチャイナメイドのアディダス1万円(税込)でした。是が一番安かった。平均では1.5万円、最高は2.2万円というのが在った。チェックしたわけではないが、日本製を見つけるのは難しいだろうし、であったとしても、最高値より高いでしょうね、きっと。 色々、紆余曲折あったが、製造の仕事ではなく、人事、総務の責任者というか、参謀役を一年契約でやることにした。憧れの作戦参謀役である。まだ現地大将にはお目に掛っていないが、本社の社長からのお墨付きを受け取ったと同じことなので、経理や営業などにも口出しして先導をしようと思う。 射出の小型精密成形の会社だが、決まった会社の仕事を引き受けることになっているらしい。この会社では押出成形には絶対、手を出さない。というのも、今、書けないが、大きな理由がある。インドネシアの押出成形については、私がインドネシアにいることに意味がある。 それと、私の仕事はインドネシア人に殆どの事務的な仕事は任せることが出来るようにすることです。成形担当のマネージャーはこの会社の本社から赴任することになっているので、彼も、インドネシア人に製造を任せることが出来るよう、そういう考えで指導するように導こうと思っている。射出だからそう難しくないはずである。 家の回りをブラブラ散歩してみた。サザンカ、サザンカ咲いた道、サザンカの垣根、我が家を囲っている冬の色彩、隠居場所としては雰囲気極上だと思う。が、いつになることやら、動けなくなってからの話です。金柑や花梨、ゆずも、なっている。今日から年末休暇に入った会社が多いと思う。私のフォト アルバムでインドネシアの旅をしたつもりになれるかもしれません。 http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
2010.12.30
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斜めからインドネシアを眺める 832ガソリン価格はリッター135円位になっている。びっくりするくらい高く感じる。インドネシアは4500Rp(約40円)日本に比べれば唯みたいに感じる。大変ですね日本は、軽油の価格もしかりなので、運送費用も高くなる。全ての商品が高くなるということに繋がる。なのに、デフレ?是も勿論一年ぶり、静岡県立総合病院、総合診療科の袴田医に会ってきた。パニック障害が一夜にして治ってしまったのは、2006年6月に突然症状がいろいろ出てその三カ月後でした。総合診療医にたどり着いたから治った。それまで総合診療科という科があることも知らなかったし、勿論、その意味も知らなかった。色々な症状を聞きだし、病名を特定する科であり医師です。先日、インドネシアのNHKで総合診療科の若い医師三人がある女性の色々な症状から病名を当てる番組を見た。ベテラン医師がさまざまなアドバイスをしていたので、その、ベテラン医師は、当然、病名を特定できているわけで、そういう、医者を紹介する番組であり、若い医師に、病名を特定するための道筋のヒントを与える番組で、素晴らしいと思った。分けの分からない複合的症状がでて、それぞれの専門科で検査しても、異常ないと言われている、そして、症状の原因と病名をはっきりさせてもらえない人、また、病名を特定されて、薬を処方され飲んだり、治療を進めたりしても、一向に改善しない人は、総合診療科へ行って相談することをお勧めしまう。専門家医師が、総合診療科へ行った方が良いですよ、と紹介することは殆ど無いと思います。ぜひ、総合診療科を覚えておいた方が良いですよ。 今日も、パニック障害の薬は処方してもらったが、ついでなので、二時間くらいで尿を我慢できなくなる。と言ったら、前立腺肥大の可能性がるから、血液検査とエコーで膀胱をチェックしましょう、ということになった。前立腺肥大は微小、血液は異常なし、エコーで膀胱の内側に出っ張りが写っていて、腫瘍の疑いありの所見が書かれていたので、今度は尿検査をした。血液に混じりはなく、これも、問題なしという結果が出た。ただ、それで一安心だが、頻尿についての原因ははっきりしなかった。試しに五つある頻尿解消の薬の内、一つを試しに二週間飲むことにした。効く可能性20%だそうで、一般的には時間があれば、五種類を試して行けば必ず頻尿を無くす薬に当たると言っていたが、私は一種類しか日本では試すことが出来ない。他の四種類はインドネシアで試すしかない。なんとなく、何がなんか分からないが、今年の荷物を一旦下ろすことが出来たような気がした。 静岡県立大学の大学院学生のヤント君と会って、インドネシアからの食料品などの土産を渡した。彼は既に7年近く日本で勉強をしているが、勉強だけでなく、インドネシアと静岡県の間で色々な世話役をしているし、インドネシア人のリーダーになっている。私が彼の保証人を6年していたことはひそかな自己満足になっている。静岡の駅ビルにインドネシア料理店が開店したというので、“東京ナシゴレン”という名前の店でした。料理人はスマランからのインドネシア人、カンクンの味付けはインドネシア内と同じだった。メニューにビーフンゴレンはあったが、ミーゴレンは無かった。どうしてでしょうか。高い、インドネシア人は自分で払って食べることはできないでしょう。ヤント君は二月から一年間中国へ留学することになっている。世話役の後継者についてと彼の結婚について親のように話をした。
2010.12.29
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斜めからインドネシアを眺める 831ホテルの中の乾燥もそうだが、寒い以外に乾燥には参った。部屋に加湿器が備えてあるが、それでも乾燥している。一歩、部屋から出れば、たちまち、乾燥空気と寒さで口の回りが空からになってしまう。インドネシアで仕事をしていて一年ぶりに日本へ帰ってきている自分がこんなことに遭遇するとは、世の中、何があるか分からないものだ。上田のプラットホームの椅子の上に、この場所は鳩の糞が落ちてくるので注意と書いてあった。それには気が付いて、あ、この椅子の辺りは注意しようと納得して上を見たら、電線を這わせている金網の棚がホーム全長に吊り下げてあった。そのあたりに鳩の糞が引っ掛かっていた。その場から離れて、別の場所に立って新幹線が入るのを待っていたら、掃除のおばさんがにこにこしながら近づいてきて、“お客さん、そこは鳩の糞が降ってくるよ“と注意してくれた。と、頭の上を見ると、鳩が留っていた。金網ではなく、屋根を支えている張りに、だった。どこにいれば安全なの?と聞いたら、どこにいても、上に注意だよと言っていた。このホームを知っている人は注意するだろうが、知らない人は上など見ない。きっと、糞が頭に直撃した人は多いのでしょう。六文銭の真田幸村と真田十勇士で有名な土地柄、町のあちこち、勿論、駅にも六文銭が町のシンボルマークのように、書かれてあるし、飾られてあった。いつごろからか知らないが、新幹線ホームの鳩の糞はまずいんじゃない。ガラッと変わって、昼過ぎに静岡へ戻り、太田化工へ挨拶に行ってきた。細かい、難しそうな仕事だけを、相変わらずやっていた。是が、太田化工の生きる道ということです。難燃、耐熱、艶消し、光遮断着色、耐候性、耐衝撃性というPCの材料を使ってプロファイルを作っていた。グロメットは相変わらず独占生産で、息が長い。私が27歳の時、40年前に日本で初めて作った製品が今でも続いている。夜遅くまでの話と上田までの往復と会社訪問で一日があっという間に過ぎてしまう。今日は何日で何曜日だっけ、と、ふと、思ってしまう。今朝の上田の駅前、軽井沢駅前のほんの一部。
2010.12.28
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斜めからインドネシアを眺める 830 長野新幹線の上田という駅の前のホテルにいる。なぜ、この場所にいるのでしょうか、インドネシアで仕事をしようとする会社の社長さんと面接のためでした。全く初めての場所で、静岡から行くのに、若干心配だった。東京での乗り継ぎがどうなるのか全く知らなかったからである。何のことはなかった。隣のホームだった。上越、長野新幹線は同じホームということを知ったし、東北新幹線も同じホームの反対側?だということも知った。一番の印象は、東京からの乗客は少ない、次の上野からが其の三倍以上だった、また、大宮からは上野と同じくらいだった。新幹線のホームも上野は東北や信越方面の臭いがし東京駅と人種が違うような気がして面白い。東京から約一時間半の上田駅で降りて、食事の場に連れて行かれた。S社の社長さんとインドネシアの担当の方、二人とお話をさせていただいた。話は、人事、総務の仕事をしてほしいという事でした。製造の方はそれなりの人が行っているらしいということと、親会社が面倒を見てくれるということらしいので、ジェネラルマネージャーを筆頭にアカウント、パーソナリア、PPI,マーケティング、パーチャシングなどのポジションのトップ、など、リーダー的存在の従業員集めに期待をしていることが分かる。私からの条件は一年契約であることと、押出成形はやらない事を上げた。射出成型が主で進出するらしいが、どうも、マーケティングのチェックが甘いような気がするし、各種手続きの進行が遅いので、本格生産が、予定通り行かないのではないかという心配をさせられた。大丈夫かなと。実行担当者が同席していたので、話す内容で、その人に気を使った。 インドネシアはGDPの顕著な上昇を示しているが、業種によってはバブル状態に近いものもあり、何とかなるだろうといった安易な気持ちでは成功しないでしょう、ということを強調しておいた。それと、エージェントの話です。ここも例の会社を頼りにしていた。しょうがないなと思うが、区切りがつくまで、そのことも話をしなかった。ただ、二社以上から情報を入手した方が良いし、確認は頻繁にした方が良いし、信頼しすぎて、なにもかもお任せというのは大怪我のもとだということも強調しておいた。連絡は、年内にあるらしい。私を使うかどうかの結論を、である。私は、この会社で仕事をすることにこだわっていない。どうも、気にいられたように思うが、条件がどうなるかだと思う。 今朝の安倍川橋から、笠雲を被った富士山、東京駅の電光掲示板。
2010.12.27
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斜めからインドネシアを眺める 829 予定通り、09:00に成田到着、やはり寒い。成田エクスプレスから建設中の何とかおという、NHK プレミュームでしか見たことがかった塔が見えた。あんなものかと去思っただけだが。 ところで、今回のガルーダの価格は勿論往復で約8万円でした。静岡へ到着して直ぐ、明日の長野行きのチケット往復と1月7日成田行きの切符を買った。今日の成田から静岡までのキップを会わせて4万円でした。比較するのは意味が無いと思うが、デフレ日本と聞いていますが、まだまだ、高いものが沢山あると思った、 静岡駅前の元、日興会館が、静岡にしては高層ビルの内に入る、新しいビルになっていたのが印象深かったが、相変わらず、北口駅前で何の工事なのか知らないが、立ち入りできない区域がある。工事をしているということは、お金をつぎ込んでいるということだから、何十年もお金をつぎ込んでいて、いつまでつぎ込むのでしょうか。家康の立ち姿の銅像の意味も良く分からない。中途半端な大きさだし、なぜここなの?という気もする、どんな人のセンスでこうなっているのでしょうか。変!!建設中の塔と成田エクスプレスの中で買ったチーッバッグの熱いお茶、美味しかった。それはそれでいのですが、PSの蓋が付いていた、私にしては、その蓋のデザインです。上は平らでなく、色々な凹凸が付いているし、何やら記号と文字が彫り込まれている。リサイクルの記号以外、10以上に関して、何のことだろう、どうしろというのか、お茶の蓋以外に何か効果的に使う方法が示されているのか、30分くらい考えたが、思い当たらない。参った。一年ぶりに日本でした、静岡でした。
2010.12.26
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斜めからインドネシアを眺める 828 今回はブラックリストから消されていて、問題なく出国が出来た。ブラックリストの記載は誤りだという文書を持っているがそれを出す必要もなかった。今、スカルノハッタ空港からです。ワイアレスランのラウンジで書いている。23:50ガルーダで成田行きです。結局1月15日辺りまで、今の会社から席を外さないことにした。だから、昨日送別会をしてもらったが、来年は取りあえず20日位までは申し送りなどで、今の会社に出勤のようなことになるらしい。その間に次の会社のワーキングビザの申請手続きをする。その後も出入り自由で、あたかも、本社のテクノセンターの人間が主張してきたような役割をすることになる。早朝からお別れゴルフ?来年1月8日にはまた、殆ど同じメンバー?でやることになっている。午後からは、例によって買い物、静岡にいるインドネシア人のためにインドネシアならではの食料品やお菓子を届けるためである。膨らむ前のクルプックとかインドミーなどである。 今年のインドネシアでもいろいろあったが、何と言ってもPPプロファイルの立ち上げの事でした。この歳になって、何日も徹夜のトライや修正をして、なんとか、やっと、本生産にたどり着くことが出来た。客先の対応にも助けられた。出来るはずの製品がなかなかできない、誰に相談するわけにもいかない、とにかく、インドネシアだけから手に入るものを使わなければならない。また、インドネシア人にある程度任せながらやらなければならない。本生産をしながらオペレーターに作業をポイントを覚えてもらわなければならない。とにかく、今は、ほっとしている。 そして、自己満足をしている。今は、これからも、やらなければならないことが山ほどあるが、なにも、心配になることはないし、追い詰められていることはない。今年末も安穏な内に経過するでしょう。Gitu de インドネシアを象徴する風景、ヤシの木と大雨の状態。
2010.12.25
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斜めからインドネシアを眺める 827 この会社最期の日でした。昼食は特別食、ほかほか弁当の出前だった。そこで従業員の皆さんに別れの挨拶をした。勿論、インドネシア語で。長い人は14年以上前からの付き合いだし、短い人は今日初めて顔を見た人もいる。私の趣味について話した。どう受け止めてもらえたのでしょうか。 結局、インドネシアのほかの会社で仕事をするため、この会社を止めることはやめるが、、出入り自由なよそ者という存在になるので、送別会がその意味をなさなくなるのだが、そんなことは皆さんに言えない。どうでしょうか。技術的バックアップを必要とされればいつでもすぐに駆けつける、新しく赴任してくる押出担当営業と密に接することを頼まれたし、定期的にコンタクトをとることも約束をした。どうもその人の手腕を頼りにするようだ。私も期待する。色々な意味で、考え方が違うので、私の思いと違うのでそういうやり方で上手くいくのかどうか疑問だが、この会社の役割分担があって其の組織を生かそうとするやり方で上手くいく、ということなので、なにも言えない。私一人がやってしまうことを三人以上で場所も日本とインドネシア共同で進めようということですから、考えただけでも大変だと思うが、その方がいいのでしょうね、きっと。 会社の方針というか、目標が語られた。かなり、きつい目標だと思うが、不可能ではないと思う。あちこちから集まったその道の専門家達です。それぞれの部署で精いっぱいの成果を上げることを期待する。 そういう私は、一年の猶予を貰ったので、この一年を有効活用しなければならないと思っている。この歳になって新たな経験を積む仕事に係わるかもしれない。求められているだろう事に直ぐに答えられない自分がいるが、もう一か所からもどうしてもと求められそうなので、御免なさいというしかない。いつか見たことがある応接セット?会議室セット。今日の送別会の特別弁当を受け取る列。
2010.12.24
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斜めからインドネシアを眺める 826 中部ジャワのムラピ山の噴火による火山灰で唐辛子が不作になり二倍以上の化買うになっている。また、東部ジャワの東端バニュワンギ付近では、天候が不順で強風による稲の不作、海では漁に出る機会が少なく,不漁になっていて魚の価格が二倍とか。インドネシアもなんだかんだと大変です。 どうしようか、困ってしまうことになった。26日の夜、なんと、長野県で打合せがある。昼ごろ、東京経由で今まで一度も乗ったことが無い長野の方へ行く新幹線で軽井沢へ行かなければならなくなった。雪だろうな、寒いだろうな、何新幹線というのでしょうか、長野の方行く新幹線はどこから乗るのでしょうか。軽井沢プリンスってまだあるのだろうか、泊ってスキーをしたいが、27日夕方には静岡にいなければならない。てな具合で、ひょんなことから、ひょんな方向が現れてしまった。それも、押出成形の仕事ではなく、射出成型絡みの会社の手伝いに係わるかもしれないという話である。このことを置いておいて。ある方と話をする機会があって、一つのゲートを通り過ぎた。それでも、まだ決断の段階ではない。場合によっては掛け持ちで仕事をしなければならなくなるかもしれない。そうなると、コンサルタント的な仕事というのが、現実味を帯びてくる。本当に迷わされる。実をいうと、自信がそれほどあるわけではない。何社から期待を掛けられているのですが、私自身、押出成形技術以外は、そんなに期待を掛けられる程の能力はないと思っている。勿論、体力的にも、自身、歯がゆく思うくらい、落ちている。期待通りの働きが出来ないのではないかという心配がある。結論らしい話として、完全にこの会社から出て他の会社の手伝いをするが、一年を限度にして、日本の本社直轄の開発センターかインドネシアのこの会社に入るということで了解らしきものを得た。その間、技術的な手伝いは、頼まれればすることも約束した。 日本の大手メーカーの方から電話が入った。その会社、今、ちょっと厄介な問題を抱えていて、その方も、心労が絶えない中、私のことで、心配してくれていてありがたく思っています。何とかこの会社の仕事の手伝いもしてあげなければならないと思っているのですが、そういうことが出来る状態になれる場所を作ることも含めて、迷いの中から抜け出せない。いつまた、会えるのでしょうか。彼女達と。
2010.12.23
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斜めからインドネシアを眺める 825 受注生産の会社、工場は、なかなか、スタートが大変である。多くの会社の下請けになろうとする会社なので、それなりの準備が必要だし、客先からの厳しい監査をくぐり抜け、任せても大丈夫だというお墨付きを貰わなければ、なにも始まらない。社長を始め、第一工場、第二工場、押出、射出、塗装、真空蒸着、営業、経理などなど、日本人の着任が揃ってきている。既に10人以上の日本人が赴任してきている。来年初めにもう二人増えるらしい。私ともう一人が出るが、それにしても、一般的に百人に一人と言われている日本人が今は二十人に一人以上の割です。これから、どんどん装置を入れて、人も入れて、急激に生産量を拡大する予定になっている。順調に予定通りに伸びることを祈る。 押出のISOは既に取ってあったが、会社全体としてもISOの認定を受けた。来年から、いよいよ、インドネシアで目立った動きを開始するでしょう。 会社に申請できずに自腹で金型の修繕を頼んでいたものが多かったが、今日、其の最後の支払いを終えて、未払いは無くした。勿論,会社へ寄付する部分が多いが、自身の研究や勉強になっているので、普通だと思っている。その他には身辺整理はなにもなし、また、すぐ、インドネシアへ出てくるので、現在の会社関係以外は全て継続である。切る物は何もない。 会社から出るが、今回は自分から望んだ道だから、円満退社ということになるだろうし、この会社との縁が全くなくなるとは考えていないので、また、いずれかの機会に潜り込むかもしれないし、外部からお手伝いすることになるかもしれない。とにかく、先ほど到着したVIPとの話が残っているし、日本でも年末年始で二日に渡って顔を突き合わせることになっているので、縁は切ることはできないし、切る必要もないし、切られてしまうこともあり得ない。お付き合いは続く。 AFFスズキカップの決勝はマレーシアと26日マレーシア29日インドネシアで行われるらしい。 チアトル付近の道の様子。登り下りに右往左往の連続である。
2010.12.22
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斜めからインドネシアを眺める 824 ジャカルタからここまで、3時間半~4時間で着くと思う。眼下に広い深い火口が広がる。始めて訪れた人にとっては大変印象深い景色だと思う。こんな景色はちょっとジャワ島西部にはない。お鉢回りのコースもあって、もっと、もっと景色が良いところを通るが、最低三時間はかかるし、アップダウンが激しいので、体力に自信がある人に限ります。 二年ほど前に火山活動の活発化の傾向があるということで、近づくことが禁止された時期があった、ということで、現在、ジャワ島ではムラピやブロモの例もあるし、観測体制を充実してきているようです。また、場所によって硫黄のガスが濃いことがある。臭いがきつくなるので分かるが、急に風向きが変わると思わず強いガスを吸い込んでしまう。注意です。フローレスのクリムトゥのような危険が潜んでいる。カワ ドマスへ下りる場合は国立公園管理者の許可を得なければならないと言っているが、管理者がいないので、自由に行くことが出来る。Photo Albumの修理が終わりました。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.html タンクバンプラフの最新写真を追加しました。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page005.htmlサッカーのアセアンカップ的な大会です。昨日、ジャカルタのブンカルノスタディアムでフリピンとの試合が行われていた。準決勝だと言っていた。ホームアンドアウェーで競技をすると言っていたが、どういうわけか、前回も今回もインドネシアの同じスタディアムで行われた。不思議ですね。テレビ中継を見たが、大変な熱気で応援をしていた。十万人収容と言われているスタンドが超満員、立見席もびっしり埋まっていた。SBY大統領夫妻も観戦していて、先制点が入ったときには万歳して喜んでいた。結局、前回も今回も1-0でインドネシアが勝って、合計2-0で決勝にコマを進めた。決勝に相手はどことどこの勝者なのか、いつどこで試合をするのかの報道が無い。ススキカップと言っていた。サッカーはスパックボーラと言って、インドネシアの国技です。バドミントンの方が世界的には通用しているし、何人かの一流選手の人気も高いが、やはり、サッカーが大衆の国技です。どんな田舎へ行っても、裸足で子供がボールを蹴っているし、ちょっとした海岸へ行けば、浜辺で、やはり裸足でサッカーをやっている。今回も、国中が大騒ぎになっていて、競技場の周囲では入場できない観衆の騒ぎも半端じゃないという感じだった。言っちゃ悪いが、その割に、素人目にでも、上手いと思えない。凡ミスが多い割に、ラフプレーや乱闘は一人前にやっている。 自然の造形、露出した根っこにコケが張り付いている。何に見えますか。怪しい温泉卵、売られている卵はゆで卵のような感じがする。黄身が半熟ではなく、しっかり固まっていた。
2010.12.21
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斜めからインドネシアを眺める 823雨季で朝から雨が降ることが普通でしたが、例外的に朝から快晴でした。其の中で、腰の痛みが完全には消えていない状態でのゴルフでした。久しぶりに爽快な気分でした。タンクバンプラフへはジャカルタからなら、チカンペックへ向かう、カラワン ティムールを過ぎて、チカンペック手前数キロmのところにバンドゥン方面は左車線という看板が出てくる。左車線に入り、すぐ、右カーブになり高速道路をまたいで南に向かう。一つ目の出口サダン、スバン方面で出る。直進(東向き)でサダンの町を過ぎスバンを目指す。いくつかのゴムのプランテーションを通り過ぎる、道は狭いが交通量は多く、遅いトラックが多いので、盛んに無理な追い越しを掛けてくる車が前方から来るし、こちらも、次々と追い越しをかける、追い越しを掛けないと後ろの車から、催促のクラクションを鳴らされる。かなり、危険な道だと思う。順調なら、サダンまで一時間、スバンまでまた一時間くらい。スバンの町へ入る前に一方通行になり大きく迂回して街へ入る、看板に従ってバンドゥン方面を目指す。間違いないかどうかは、スバンの町を出てすぐ(南向き500mくらい)のところから急な上りになり中央分離帯のある登り下りとも二車線の道になる。道なりに登り下り右往左往した道を進むと間もなく道の両側が広大な茶畑になる。木の高さは日本と同じだが、平らである。この近くではジャカルタから南のボゴール方面のプンチャックの茶畑も有名だが、ここの方がはるかに広い。茶畑ばかりかと思って見ているとパナップル畑も混じっている、道の両脇にパイナップルの直売所が並び出す。その店の後ろ側に近い方がパイナップル畑で、その向こうが茶畑という分布になっている。カカオの木も茶畑の中に植えられている。間もなく、右側にチアトルの入り口になる。温泉で有名な観光地で、多くの人が服を着たまま温泉に浸かっている。遊園地のようなものもあり家族ずれでにぎわう。この辺りに馬事公苑もあり、そこから馬に揺られて周囲を散策することも出来る。滝を眺めたり、茶畑の中を進んだりで、天気が良ければ、お勧めです。爽快な気分になるでしょう。こことセットで観光する人もおおいタンクバンプラフへはなおバンドン方面へ向かいレンバンの直前(峠)までかなり急な上りが続く、両側の景色は言いが運転者は見ていられない。危険な道である。登りきったところで右折し、タンクバンプラフの入り口になる。車と人数分で内訳は分からないが、49000Rp払った。急な上りがなお続く、途中、バスの駐車場が左なってバスできた人たちはここからミニバスに乗り換えて火口へ向かう、一般の車は火口の回りの駐車場まで直接行く、駐車場で車から出ると数歩で火口を見下ろせる場所になる。今朝のチカランの空
2010.12.20
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斜めからインドネシアを眺める 822 この会社の社員のまま日本へ帰ってインドネシアへ戻るため、この会社の在籍を半月ほど伸ばして、1月15日ごろまでとしてもらった。エポはそのころ、そうすれば一月末までに次に場所のビザをとれば、シンガポールへ出るだけで、インドネシアに居続けることが出来るという段取りです。 出勤日でした。バンドンのインフレーション成形工場から招待があって、どんなものかと見学に行ってみた。バンドンの南のバイパス的高速道路に沿って工業団地があり、その中のローカル企業です。押出機の口径が40~65mmφで15ラインあった。創業は15年前ほどだというから、インドネシアでは草分け的なプラスチック袋のメーカーです。最初は日本から装置を輸入したが今では全て中国製を輸入している。経営者も中国系インドネシア人です。スカルノハッタ空港付近に沢山のプラスチック袋のメーカーがあるが、気にしていないようで、あそこは皆リサイクル原料を使って、低級品を作っているから、問題にしていないと言っていた。かなり、食に安全な原料を使っていることを強調していて、自信があるようだった。私に見せたかった理由は、そういう工場と、ポリシーを知ってほしかったからと受け取った。この会社を手伝うという思いは一番大きい。 帰る途中レンバンからタンクバンプラフへ寄ってみた。9年ぶりでした。今回は御はち回りをする時間は無かったので、下へ歩いて、カワ ドマスという硫黄ガスが噴出している場所まで行ってみた。ここの売りは温泉卵と足湯です。火口回りの駐車場へ駐車し、1.2km下ります。25円とちょっと高いが卵を買うとザルに入れて、噴出しているお湯の中へ浸けてくれて15分後位に塩を添えて持ってきてくれる。黒くはならないが、インドネシアの卵は薄茶色でその色には変化が無い。大変おいしかった。写真にあるように丸くお湯をためる場所が作られていて、回りは平たい石で囲ってありそれに坐ることになる。42~3℃と調度いい。膝くらいまでの深さなので歩いて中心の方へ行ってみたら、ぼこぼこお湯を噴き出している場所を踏んでしまい、あわてて逃げた。照れ笑いをしていた。 インドネシア人は足湯に浸からないようだ。眺めているだけである。スバンはチムベダックの産地、ちょうどシーズンで道端でパイナップルと共に売っていた。一個250円位です。ドリアンと同じくらい大好き。
2010.12.19
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斜めからインドネシアを眺める 821 別工場でこの会社の押出工場としてやっていれば、既に利益は上がっているし、次の仕事の準備もしている。ということを横に置いて。引き渡しの状況はほとんど完璧に近いと思うが、私なら、こうするということがある。その一つは、製品の出荷で何点かの工程を通らなければならないものがあって、その工程の中で、速度を遅らせてしまっている工程がる。その工程の速度が全体の速度を決めてしまっている。それを早くするようにすれば、全体が早くなるし、人も少なくて済む。そのことにどうも気が付いていないようだ。あるいは気が付いていても、金型の修正と試作に係わってくるので出来ないのかもしれない。 もう一つは、今、次の新しい仕事の話すらない。私なら、現状、仕事が安定してしまっている二か月以上前には新しい仕事をするための試作を始めている。そして、それをいちいち出すか出さないかは別の話として、装置稼働率を上げるためと、客先の期待に答えるための途中工程に入っているはずです。 その二点が無いので、何のために、何が目的でここにこの部門があるのか、仕事の内容の焦点がぼけているというより焦点が外れていると感じる。 ゴルフ仲間のY社のKさんの肺の手術が無事終わって、今は日本で自宅療養となっている。時間をもてあましているのが、伝わってくる。私より5才ほど年上の方ですが、まだまだ、色々な意味で意欲満々で、自宅にじっとしてなどいられない人で、肺の手術は、私の胃の摘出と同じで、単なるお腹の怪我のようなもので、開いた傷がある程度治ってしまえば、元のままの動きに戻るでしょう。多分、今年一杯とまでは日本で辛抱できないのではないかと思う。インドネシアの方が住み心地は良いに決まっているし、一か月もすれば、棒振りも始めるのではないかと思う。まずは、元気な声を聞いて一安心です。仲間もキャディーも待っています。 ゴルフプレー後の食事の時にサラダを頼むのですが、この方の差し入れのドレッシングいつもキープしてあって、それを混ぜて皆で突っつく。しかし、もう使ってしまって、今は無いので、サラダを頼まない。Kさんスペシャルドレッシングを欲しいのも早くインドネシアへ復帰して欲しい理由の一つです。 MM2100のルコの中に昨日、新装開店したミニ屋台村、カキリマ村、インドネシアのお祝い事の花輪、花飾りの典型です。と、家の前のミニガーデンに咲いている可憐な花。下向きです。
2010.12.18
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斜めからインドネシアを眺める 820今朝のニュースでも、名古屋の署名運動無効の原因と有効に変わった理由に触れていなかった。変ですね。 先日私の家に家族で遊びに来たかつての会社の部下がいる。押出成形に関して彼はインドネシア人で5本の指に入る高度な技術を持っている。私に熱心に質問してきていた。今でも時々電話で質問をしてくる。POMのチューブがまだできないらしくて盛んに聞いてくる。実際にやって見せられないのが残念だ。ハイレックスが未だに日本から輸入しているチューブです。私が、二年前にサンプルをその会社の時に提出してあってOKを貰ってあったが、再度求められて、今は、出来ない。彼は何とかしたいと思っているが、こればかりは、口で説明しても、幾らかれでも再現はできない。POMは厄介な原料である。 会社の現状について詳しく話してくれた。仕事は大変忙しいそうだが、利益に繋がっていない。というのも、見積価格が変だという。収率が見込み通りに上がっていないので、殆どの製品が赤字になっているとか。それは、理解できる。もともと、どう考え違いしたのか、どう見ても、原料価格と製品価格が同じという製品もあるらしい。 年末、年始の日本での予定がほぼ決まった。かなりの過密スケジュールになる。インドネシアへは1月10日以内には復帰するが、どこの会社へ復帰するかはまだ確定していない。この22日から28日の間に何人かの日本人とお会いし、確定する。これも予定である。10日前ほどに決定したつもりのインドネシア企業への手伝いを優先と考えているが、まだ、迷いは消えていない。お会いする日本人の方の話を聞き終えるまでは決めかねる。 日本での滞在で静岡にいるなら比較的暖かくていいが、寒い地域へ行かなければならないので、相当、着こんでいかなければならないと思う。 太田化工のK.S君から写真が届いた。彼は山好き、写真撮影好き、ギター演奏とボーカルはプロ並み、仕事は勿論プロです。懐かしい。静岡県最北端、山梨県堺(今は静岡市でもある?)の南アルプスの主峰、富士山の次、日本で二番目に高い北岳(3193m)の頂き。昔、学生時代に白根三山を縦走したことがあった。ヤントと北岳、間ノ岳に行ったときです。北岳からの富士山。
2010.12.17
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斜めからインドネシアを眺める 819Photo AlbumのURLを変更しました。http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage229.htmlこの会社も、いま他の会社と同じような状態になることは予測できます。現在の仕事は勿論私が全部お客さんの要望に答えたものです。原料にしろ、金型にしろ、すべて私が決めたものです。作ったものです。それに従って価格も日本価格の60%以下で提供しています。今の製品だけなら既に安定期に入っています。私は何もすることがありません。登場する必要がありません。こういう状態で私の後の人は引き継ぐのです。システムは整い、製品も安定して出来ていて利益を上げている。予備の機械や金型も新しい製品の試作を出来るように準備もしてある。何が、不足だろうか、不足している物は何もない。この後は、何をすればいいのか、分かり切っています。客先からやってほしいと依頼された製品を作ってあげることです。本当は、安定してからでは遅いのです。安定する以前に新しい話が始まり、安定前に金型や原料の準備をし、試作が始まっていなければならないのです。それを、次々と繰り返し、会社は成長するのです。もし、それが出来るなら、止める必要などありません。そうすればいいのです。もし、新しい製品の試作が無くなってしまって、成長計画が止まってしまった押出成形会社は、技術がないし、挑戦心が無いのです。そこで終わりです。インドネシア人が技術を持っていて挑戦心があっても、日本人が持っていなければ、同じことです。既に書いたように、私が手伝った会社の全てがそうでした。冒頭に書いたが、何もないところへ来てゼロから始めた私に比べれば、環境は雲泥の差です。私の時ゼロだったものが、私がいなくなるときには、至れり尽くせりの、規模は別にして100になっているのです。バランスの良いた多角形になっているのです。後は、その多角形を相似形で大きくして行くだけです。その多角形の一つの頂点が技術力です。技術さえ持っていれば、ほかの頂点は自然についてきて綺麗な多角形を保ったまま大きくなります。こんな簡単な仕事は無いはずだと思うのですが。他のことは何もしなくていいのですから。ご健闘をお祈りしたい。名古屋市長が議会解散の署名運動したその署名が、何故無効されたのか、それが、簡単に再審査をすることになり、何故有効になったのか、そのことについてNHKのニュースの中で全く触れていない。NHKの人はそのことに無関心なのでしょうか、知りたいと思わないので、知らせたいと思わないのでしょうか。私は、そのことが一番重要だと思う。
2010.12.16
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斜めからインドネシアを眺める 818 日本からのお客さんに久しぶりにお会いした十何年か前からのインドネシアでの知り合いで、この7~8年前に日本の本社の経営に参加し、中国を中心に忙しく駆けずり回っている人ですが、今回、インドネシア工場に立ち寄ったそうです。私から久しぶりに電話をしたところ、今、インドネシアにいるから会いましょうということになった。パンガンダランなどにも一緒に出かけた方です。ムラピ山の麓、ムラピゴルフでも一緒にプレーさせて貰ったこともありました。 新展開が生まれるかもしれない。私がその場から消えた後のこと、なぜ消えるかというと、その場に、消えてもらいたいという空気が漂うからです。私がいにくくなるのです。私がいることをよしとしない雰囲気になるからです。多くの皆様にとって、考え方や行動が違う上に、部下に対する影響力が大きいことも認めざるを得なくなり、自分たちの立場が無くなると危機感を感じるのです。私が、仕事をやり過ぎるのです。部下の面倒を見過ぎるのです。それに、同調できないからです。 東洋プラスチック精工、フジプラ精工、PT,KITAGAWA,PT.AFMIなど、私が手伝った会社は全てそうでした。最初はよくやってくれると認めてくれますが、そのうち、深入り過ぎて、厄介者になるのです。存在が煙たがられるのです。やっていることは私が正しいし、皆さんより多くの点で能力が高いし、スピードも早い。使って重宝なのですが、逆に私に批判されているような被害者感覚になり、逆に、私を攻撃するようになる。大げさに言うと、戦国時代の武将がキリスト教を最初は情報を得たり、支配するのに便利に使っていたが、そのうち、自分に従わなくなるという危機感に落ちいり、排除した、迫害したのと同じ理屈です。 私は、その攻撃に対し、反論はしない。理屈ではなく、感情的になってしまっている相手に反論すれば、ギャフンと言わせるか、強力な陰湿ないじめに発展してしまうかどちらかである。そういうことが、何回かあった。 私は、その場から遠ざかる方法を取る。その後のその場所はどうなったかというと、私が作り上げた仕事を継続してやるのだが、それ以上にはならない。現状維持がやっとの上に、収率が悪化するので、私がいた時のような儲けにもならなくなる。そして、その後は私がやっていた部門については全く発展しませんでした。新しい仕事を取れないし、従来からの仕事が終われば、萎むばかりでした。例外は私が太田化工をやっていた時の私の意志で採用して、技術や経営を教えた二つの会社、静岡の太田化工と沼津のセピックという会社は大きくはならないが、堅実に後をひきついでもらっている。利益も、客先も無償で与えた。完全に自立している。地道な技術開発が彼らの武器だからである。この会社の射出成型大型と中型射出成型機。
2010.12.15
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斜めからインドネシアを眺める 817 そこで、新しい製品の話が舞い込んでくるたびに既成の装置では出来ないことが分かるようになってきたことをきっかっけに、それぞれの樹脂、製品の形状に毎の成形方法を編み出さなければならないことに着目した。押出成形をはじめてから、一年以内には、新しい仕事の開発に取り組んだ、というより、新しい仕事が次々と舞い込んできていたので、それぞれの製品の製造方法を開発しなければならないようになった。私の仕事は自身、やりがいを感じるようになっていた。それはサラリーマン時代のことだったが、新しい製品を作って客先のOKを貰い、量産に差し掛かった頃、私は、その製品について関心が無くなった。というより、また、新しい製品に取り組まなければならないので、以後のことは、上司やQCや検査の専門家に頼み、作業標準書以降の手順書、標準書についてはお任せをした。そういうところまで、私は口をはさむことは無かった。それらのことについても、私がやればもっと早く確実にできると思うが、それは、他の人の立場を尊重した。私にとっては、どちらかというと、どうでもいいことでもあった。 書いたように、私が作った装置や製品についての改善、改良についても、とやかく言わずに、お任せをして、それらの人なりに満足感を味わってもらうようにした。また、そういう余地を残してあげたと言ってもいい。そうとは知らずに私が作って製品にした装置にいろいろ欠点を指摘し、改善をして、提案などを出して、検証されたりした人も多かった。 技術を伝える相手の内インドネシア人は選べるし、だめだと思えば選び直すことが出来るが、日本人については選ぶことはできず、派遣された人を対象にするしかないが、これが、どうにもならない人ばかり、私に選ばせてほしいと頼んでも受け入れられない。結局、日本人に技術を伝えることはできない。そして、その人たちは、私が空虚だと思う、手直し形の仕事しかできないし、効率も悪い、場合によっては、仕事が出来るインドネシア人の足を引っ張ることになる。自らは出来ないことをインドネシア人にやるように命令する。そして、それに、気がつかない状態を引きずり、出来ない人間がインドネシア人の評価をすることになる。滑稽な状態になってしまう。そういう人たちの新規の製品の引受ける勇気も自信もないので、その職場では現状維持である。部下に任せる容量もない、部下に任せて出来なかったとき、尻拭いをする自信が無ければ、部下が出来ると言っても、断ることになる。 ソロの東方向の山の中のヒンドゥー遺跡チャンディスクーの像、その時の人が、真面目に何かの目的で作ったのでしょうが、目的は何だったのでしょうか。
2010.12.14
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私が赴任した時は、工場はまだない、従業員もいない、装置もない、仕事のあてもない、インドネシアには何もない、その世界の中で私の仕事は始まった。エンプラの押出成形の技術をインドネシア人に伝える仕事です。 振り返って、私が、押出成形に出会ったのは、ドイツから輸入した装置に出会ったときからでした。大学を卒業したばかりの張り切っていた時でした。それを使いやすく改造することから始まった。それは、私の各転機、その場での仕事が終わろうとしているときに、後を継ぐ人がやることと同じだと、今は、思う。 他人が作ってしまった装置で他人が作ってしまった製品を、その装置の不足点、その製品の不満足点を見つけ出し、改善を加えるのです。創造的ではない、ただ、一種の荒捜しような感じがした。収率を上げても、使いやすくしても、寿命を長くしても、作業を単純化しても、所詮、後追いですし、借り物の装置や製品をいじっているだけであり、独創的なものが何もない。 こういうことは、私がやらなくても、時期が来れば誰でもやることで、誰もが、そうしたいと思うし、ちょっと、手柄を主張したい人が思いつくことです。嬉しくもなんともなかった。充実感が得られないどころか、空虚な感じがした。 ギックリ腰がまだ尾を引いている状態でゴルフでした。オリンピックは一人負け、意気消沈しながら帰る途中、いつも通る果物屋でドリアンを仕入れた。タイからの輸入ドリアンです。手前のカートンケースの中身です。
2010.12.13
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斜めからインドネシアを眺める 815 この会社の押出部門は既に利益が出ている。環境も整っている。人材も組織もISO体制も生産品目も整っていて、私以外の日本人がいなければ、かなりの利益を上げ出している。私が間もなく抜けるので、その分も利益になる。インドネシア人だけで、運営できるようになっているし、他のものは必要無いようになっている。 話は、前日からの続きですが、仕事を増やすことです。そのための人は必要です。私がいればそれをしますが、キタガワの時もアフミの時もそうでしたが、私がいなくなってからは殆ど新しい仕事は増やせなかったし、増やせても、とんでもなく安い見積もりでしか取れていなかった。日系企業でもローカルでも、押出製品を輸入して使っている会社はまだまだ、沢山あります。私が頼まれたことがあった製品だけでも数社、二十品目以上あります。新製品の立ち上げが出来るかどうか、それが、できるかできないかが自立のポイントです。 日本で作っている製品を丸ごとこちらへ移して、安いコストで、生産するという、親会社のおんぶにだっこを頼るなら、それはそれで、会社の考え方として、あると思うが、もし、押出の技術者なら、インドネシアのお客さんを獲得してほしいものです。それも、客先の希望価格で出来て、なお且つ、こちらも十分な利益を上げるようにしなければならないと思う。 それは、新しい押出製品製造の作業手順書、作業標準書を書けることまた書きかえることが出来る、それが必須条件です。私は、10年以上前から様々なお客様の要望にお応えしてきた。それも、すべての製品でしっかり利益を上げて会社に貢献したし、客先にも日本からの輸入価格の60%位で提供してきた。何よりも、インドネシア人に、それらの新しい製品を通して、新しい製造技術を伝えてきた。そういうことが出来て始めて自立だとおもう。インドネシア語でMandiriです。この会社は一年未満といる期間は短かったが、既に部門は黒字になっているし、価格的にも客先に貢献している。 充実した押出ラインで生産中、簡単な金型なら作ってしまうことが出来る金型製作コーナー
2010.12.12
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斜めからインドネシアを眺める 814フラッシュの接続が出来なくなって三日目になる。以前も同じことがあった。その時は、電話会社のコンピュターが、私が接続し続けていると認識し、200時間近く使用し続けたことになってしまっていた。今回も、同じことが考えられるので、電話会社へ行って、確認してもらうことにした。接続できなくなって既に三日ですから80時間ほど、使いっぱなしということになっている可能性が高い。何千円もの消失である。いかにもインドネシアらしい。 これに懲りて、モデムを変えることにした。TELKOMSEL Flash 3G HSDPA USB Modemこれで、APN IM2を選ぶと一か月に二千円弱でネット接続使い放題になる。是の方がはるかに経済的だし、私の住みかではこの方がローディングも早いこともわかった。結局、今まで使っていたフラッシュはキャンセルすることにした。今日キャンセルしないと、自動的に延長されてしまって八千円ほどの無駄な支払いをしなければならなくなる。今までも残り時間は消えてしまうが、もう、いらない。今までは事務所にいるより現場にいてトライをしたり、作業手順を教えたり、オペレーターと雑談したり、仕上げの仕事を手伝ったり、とにかく、立って仕事をしていることが多かったが、今は、出来るだけ、現場へは出ていかないようにしている。私が現場にいるより、いない方が諸々のためにいいかなと思うからである。事務所で坐って、計算機をいじったりモニターに向かって独り言を言ったりしているより、私がいない現場に出ていってオペレーターに直接指導をしてほしいからです。データより、見て、触って、直接話をして、判断をしてほしいのでが、どうも、違うらしい。出来てしまっている物をいじっても新しい仕事は増えない。全く新しい仕事に取り組まなければ仕事は増えない。自立は遠のくでしょう。頑張ってほしい。再びオーストリアのインスブルックの町中と日本食レストラン
2010.12.11
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斜めからインドネシアを眺める 813 日本での年末、年始のゴルフの日程が決まった。ここ十年以上、毎年繰り返されている催しである。その時、また、いろいろ話を聞かせてもらえる。楽しみである。二回の予定だが、三回になるのが通例である。現実から離れてゴルフを楽しむストレス解消の一助になるといい。 私の居場所が決まったことは書いたが、それが、実は、95%位の確かさで、5%は変わる可能性も残されている。来年の一月初旬までに、まだ、何人かの日本人とお話をして了解を取らなければならない。其の、成り行きによっては、方向が変わる余地がある。はっきりさせたいが、人間関係というか、しがらみというか、いろいろあるのです。迷いはふっ切ったつもりでいるのだが・・・どうなることでしょう。 この会社とは二週間を残すだけ、私の電話、ハンドホーンは私が買ったものだし、電話代も私が払っているが、なぜか、電話の所有者を会社にしてしまった。多分、総務が会社で電話代を負担しやすいように名義を変えてしまったのでしょう。それに気が付いたのが今月初めでした。その名義を私に戻してもらう、といいたいが、どうも、外国人が個人で月払いの契約は出来ないらしい。そういえば以前もマリアさんの名義になっていた。そこで、総務の女性の名義に変えてもらって、料金の請求を私に住所にしてもらうことにした。電話番号を大変気に入っているので、ずっと、この電話を使い続けたい。それとは別の話で、その他に会社とのかかわりは何もない。会社から与えられている物、使わせてもらっている物、給料以外に支払ってもらっているものはないので、返還する物は無い。返すのは作業服くらいのものか。逆に返してもらうものはある。車はタダで会社へ貸しているし、プリンターやラップトップは返してもらうが、沢山の工具類、金型類は返してもらっても仕方が無いので、そのまま、寄付をする。どの会社の時も離れるときはそのようにした。書類も書物もそのまま置いておく。すっきりしたものである。そして、そのまま、インドネシアに残るにしても、何も困らない。余計なものもないし、足りないものは何もないのです。どういうわけか山の中のヒンドゥー寺院に大亀のテーブル風の彫刻置物。
2010.12.10
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斜めからインドネシアを眺める 812 昨日の医者のやり方では土曜日までになおりそうもないので、ジャカルタのタケノコへ行った。グロドックで買い物があったので途中で寄った形になった。 これは、得意だよ、注射すれば直ぐ治る、と、待ってました、と言わんばかりの対応だった。直ぐ横になっていたいところはここですか、すぐ注射します。私もその方法が一番早く治るということは知っていた。日本でもインドンネシアでも、ギックリ腰を直す、その道の名医はすぐい注射で治そうとする人だと決めているので、私としも、望むところでした。腰のちょっと上に一番痛いところの背骨の両側に一回ずつ注射した。そこへ温風をかけて、塗り薬を塗ってお終い。10分くらいだったでしょう。直ぐにずいぶん軽くなった。その後、私はいらないと思ったが、コルセットを念のためといい、巻かれた。 膏薬と塗り薬を受け取って出てきた。 その足で、グロドックに向かい、何点かの買い物をして、グロドックを出たのが、14:30くらいだった。ポンドックグデティムールの手前10kmくらいからひどい渋滞にぶつかった。それから延々とブカシバラットを過ぎるまで大渋滞、抜けたのが17:30だった。ポンドックグデティムールの料金所で火事が原因だということは知った。何の火事かは分からなかったが、現場はこちら側(ジャカルタから遠ざかる方)ではなく、むかい車線(ジャカルタ方面)のそれも路肩の外側の草が燃えたようだった。薄い煙が出ているだけで消防車やパトカーが何台も止まっていなければ、何かあるとは思えない状態になっていた。こちらは見物渋滞だった。向こう側はと言えば、こちらの何倍もひどい渋滞になっている。MM2100へ戻ってきたら、本戦へ入れない車の渋滞が工業団地の中の奥の方まで延々と続いていた。チビトゥン側からも勿論入れない。おそらく、ジャカルタ方面はチカランを通り越してカラワンで既に渋滞になっていると思われた。 私が変える方向は、渋滞とは無縁だが、会社を出て直ぐ団地内の渋滞にはまってしまい、高速道路へ入るのに多分三十分以上かかるでしょう。 結局、渋滞が長すぎて会社へ戻ったときには腰の痛みは完全に取れていた。次の土日のゴルフが出来る。“ほ“会社を出るのを21:00過ぎにした。完全に団地内の渋滞は無くなっていたが、本線のジャカルタ方面はまだ、車が一杯溢れていた。http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0016.htmlジャカルタへ行った証拠と火事の証拠の消防車。
2010.12.09
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斜めからインドネシアを眺める 811 今回の旅はかなり厳しかった。パンクが二回、一回目はバンドンの高速道路で大きな石を跳ねてしまった。路肩で交換、高速道路を出た処のタンバルバンで修理をした。二回目はどこで、刺さったのか分からないが、チレボンの高速道路でハンドルに異常を感じて、止めて見おたら、釘のようなものが刺さっていて徐々に空気が抜けたらしい。 その二回目の交換の時にギックリ腰になってしまった。次第にひどくなり、今朝は起きるのもつらかったが、出勤日なので出社し、抜け出して近くの病院へ行ってきた。日本なら、注射一本で二三時間すれば直ぐ治るが、こちらの其の病院では注射はしてなどの治療はせず。お痛み止めの薬を処方してくれただけである。それで、痛みが無くなればいいが、薬を飲んでも痛みは引かない。しばらく、こらえるしかないようだ。 スイスの病院といい、こちらの病院といい。直すための処置はしないで、症状を散らす薬しかくれない。数値的に異常が無くて、ほっておけば自然に治るなら薬は使わないという主張らしい。 写真アルバム(Photo Album)に追加しました。http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0014.html Candi Pranbananhttp://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0013.html Candi Sukuh http://otaindoesiaextrusion.web.fc2.com/newpage0015.html Borobudur それにしても、インドネシアの道事情は非常に悪い。舗装がいい加減なのです。雨期明けに何度も上塗り舗装をするのですが、次の雨季には必ず沢山のか所で舗装が禿げる、はげ始めればどんどん深くなる、以前の舗装も掘られる、その前も掘られる、地層ならぬ舗装層が見えるようになる。ドカンドカンと車が落ちる、バイクはこける、お陰で私も、それかどうかは分からないが二回もパンクをした。本当に、本当にインドネシアの道路はひどい状態である。無駄が多い。夜のジャランマリオボロ ジョクジャカルタのメイン繁華街です。この通りの突き当たりの王様、スルタンの屋敷がある。
2010.12.08
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斜めからインドネシアを眺める 810無事に家へ戻ったが、疲労困憊、家に着くなり横になったら眠ってしまった。ボロブドゥールから07:30に出発して17:30に戻った。これがまた、10時間しかかからなかった、マリオボロからの時間を足すと、11時間30分くらい、南からの時間とほぼ、同じになった。というのは、チレボンのバイパス高速道路が20km以上延長されていたことと、インドラマユ辺りのバイパスも延長されていて街の中を通らなくなったことが大きい。三日間で30時間以上運転していたが、知らなかった道は二日目のソロとスクー間だけだったので緊張して運転しているつもりは無かったが、やはり、疲れた超だった、帰りテガル、チレボン辺りは二時間ほど半分、眠りながら運転していたように思う。危ない、危ない。サンライズとムラピ山を見ることが目的でした。ボロブドゥールへは何回目でしょうか、忘れた。今回は、ムラピの火山灰が降り注いだ結果、それを洗い落とす作業をしている関係で、寺院に登ることは禁止されていた。目的達成は全くできなかった。ムラピ山は雲の中、三日間とも、雨模様でムラピ山の東、南、西を巡ってみたが、どちらからもムラピ山を見ることはできなかった。残念!!!ボロブドゥールへ行く途中ムラピ山からの泥流の被災地を何箇所も通過、また、広い範囲でヤシの木の歯が下向きに垂れ下がった状態になっていた、降灰によって、傘が閉じてしまったようになっていた。ボロブイドゥール周辺のヤシの木の葉も同様でした。チャンディ プランバナンへの降灰は無かったのに比べ、風向きにせいなのでしょう。ボロブドゥール方面(ムラピ山から西)の降灰はひどかったようです。ボロブドゥールがムラピ山からの降灰で埋もれてしまっていたという話、納得できます。立ち入り禁止になっている登り口、ヤシの木に葉が傘が閉じたように垂れ下がっているし、葉の色が緑では無く灰色に変わってしまっている。川には灰の泥が堆積している。
2010.12.07
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斜めからインドネシアを眺める 809旅の二日目です。それでもゆっくり出発をした。7:30発で、北東に進み、ソロを目指した。目的地はソロから35Kmほどなお東にあるチャンディ スクーだった。かなり山の奥で、こんなところに石の芸術的なお寺があろうとは、昔の人はすごいと思う。彫刻が面白い。到着したのが11:00を回っていた。一番、厄介だったのはソロを通り抜けてどの道を行けば到着するか、だった。何度訪ねたたことでしょうか、皆さん、親切に教えてくれたが、遠い場所から聞き始めたので、知らない人も多く、知っていて丁寧に教えてくれた人も、最期までを私が記憶できず、せっかくの教えを無にするように分からなくなるたびに道端の人に聞いた。生憎の小雨模様だったが、十分、建造物を堪能した。流れはチャンディプランバナンやラトゥボコなどと同じだと推測する。イスラムの仕業だと思うが顔が無い動物や人物像が多いのは残念、ボロブドゥールの仏像の顔が無いものが多いのと同じ理由だと思う。帰りにチャンディ プランバナンにも寄った。2006年の地震でかなり崩壊したと聞いていたが、殆ど地震前に戻っているようだ。ただし、まだ、立体クルスワードパズルは続くでしょう。プランバナンの雰囲気は好きだ。わびさびを知る日本人なら歴史の深さを感じるでしょう。マリオボロ通りの歩道レストラン、私が始めて来たことがある十数年前には既にあった。よく公共が許すなと思う。清潔ではないし、邪魔だと思うが、開業の権利を黙認してるのでしょう。誰からも、クレームがつかないのでしょう。
2010.12.05
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斜めからインドネシアを眺める 808 昨日ペーテーパラマウントベッドの2011年のカレンダーを頂きに上がった。20部とTシャツを頂いた。言うまでも無く、このカレンダーの毎月の写真の内8カ月以上は私が提供した写真が使われている。来年のカレンダーにも数多く使われている。その中で私が一番気に入っているのは、ロンボクのヤシの木です。一人で運転しロンボクまで行きリンジャニ山へ登った後、帰路に就き途中、北の海岸へ山から下りてギリ三島を右に眺めスンギギを通り過ぎたあたりのヤシの林でした。http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/page0406.htmlタイマーで自分を一緒に撮った写真もあります。何の変哲もないヤシの林ですが、私にとっては貴重な思い出の写真です。一応、やっておかなければならないこと殆どが終わった。私が今直ぐやらなければならないことは無くなった。そこで、三連休を利用し、旅先にいる。予ねて計画していたこと実行している。早朝04;00に出発した。去年のムディックに便乗してロンボクまで行った時以来、一年三カ月ぶりに、一路東に向かいバンドン、タシク、チアミス経由でジョクジャカルタ方面に入った。何度も通った、知っている道である。北回りでなく、南に下ってからジョクジャの西側から入った。いつもの逆回りをしてみた。こちらの方がはるかいに早く到着する。15:30にマリオボロのムティアラホテルへ着いてしまった。 山の中の道が多いし、雨季の真っ最中で陥没したアスファルトも多く、何箇所かで地滑りの後、応急修復した場所もありの、結構、徐行運転を余儀なくさせられた場所もあったが、パンク修理15分、ガソリン給油やトイレ休憩30分を含めて、11時間30分でついた。北回りだと順調に来て13時間である。 今いるホテルは、マリオボロの道に面した高級ホテルです。私のウェブサイトhttp://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/の表紙の右側に昔の写真を載せてあります。今も同じです。 一人でブッ続けの運転で流石に疲れた。 先ほど、ほかホカのマリオボロとジャカルタへ入る手前の道案内板、チラチャップやソロ、プロワカルト、バンジャルネガラなどの町の名前がある。 旅 運転 慣れ
2010.12.05
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斜めからインドネシアを眺める 807 来年、1月10日ごろから仕事をする場所が決まった。契約はまだだが、契約書の記入内容で合意したので、契約書を作るように依頼した。また、導入する装置についても合意した。3月には最初の製品を生み出す予定になっている。純粋にインドネシア人資本の会社の手伝いをやっとできるようになる。これが、本来、最終的に求めていたインドネシアへの手伝いになるでしょう。インドネシア資本の押出工場で、エンプラの押出成形品の受注生産ができる唯一の会社になります。私の技術を使って受注生産をしている日系企業も安閑としていられなくなると思う。この部門でも、先日のプラスチック見本市のように日本の影が段々薄くなるでしょう。 私がインドネシアに留まる理由の最大のものは、純粋にインドネシア企業に私の技術を使って自立できる会社を育てたいことです。二番目は、私がインドネシアに居た方が今まで、私が製品を作って国内調達のお手伝いをした客先に対する責任があるからです。もし、私がいなくなった会社で私がいた当時の製品が出来なくなってしまった場合、困るのは、私に頼って仕事を出していただいたお客様です。その保険として、私が暫くは残らなければならないと思っています。事実、「何か問題があった時、太田さんが居なくなったら、どうなっちゃうの?」と心配する方もいます。インドネシアに居れば、コンサルタントとしてアドバイスできるし、場合によっては、新製品の現地調達の後押しも出来ます。踏切の手前の様子、ベチャが左に写っている、その上の黄色い看板は、“踏切がある、注意”と書いてある。 踏切を渡りながら近くの駅を撮った。話は飛ぶ、オジェック(バイクタクシー)の利用、私は知らない街のどこかを訪問する時、勿論、住所は確認して書いたものを持って行く。道の名前や街の名前を確認しながら近づくが、時として、迷ってしまって、あらぬ方向へ行ってしまうことがある。そういう場合、電話で場所を訪ねても、今どこにいるかが分からないので、聞きようが無い。そんな時、利用するのは、オジェックです。大体、至る所にオジェックの溜まり場があります。そこへ行って、場所を話し、オジェックに先導してもらいます。今まで、何回もそうしていますが、いずれも、しっかり後ろの私の車を確認しながら案内してくれた。これからも、機会があれば使うでしょう。分からなくなってしまっただけで、距離は殆ど二三キロ以内なので、料金は百円とか二百円です。
2010.12.04
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斜めからインドネシアを眺める 806 再び来年から仕事を手伝うであろう会社の見聞をしてきた。その会社が何を作って売りたいのか、そして、私自身が作りたい、売りたいと思っている製品などの話し合いが行われた。若いオーナーの意欲がよく感じられた。 しかし、いずれの事も、投資が必要になる。その資金をどうするのか、最初は私にどの程度まかせることが出来るのか、彼の決断に依る。 完全に全権を後継者に渡した。今月末、私はこの会社を離れる、何かと、口出しをしたり、客先との応対をしたりすると、本人が知らないことで何かが動きだしてしまっては困るので、100%何も知らないことにします。心配事は山ほどありますが、何があっても、私は、登場しません。 ローカル相手も原料調達は大変難しい、原料切れで生産が出来ないなどということがあればメーカーの恥です。その恥が、結構あるのです。なれない日本人は、念には念を押す念の押し方の程度が自分が考えているより遥かに念を押さなければならないということに気が付くには相当時間がかかります。原料が入らない場合、それを、自分の念の押し方が間違っていたとは思いません。 私は、必ず、予備の原料を準備します。通常使う原料が入らなくなってしまった場合、代替えの原料に切り替えます。客先の了解を取っておくことは当然です。通常の原料がどうも手に入りにくくなったという情報が入ったら、サンプルを直ぐに出せるように、試作を済ませてある。そして予備の原料を在庫します。私の部門で使っている原料は全てそうしてあります。ですから、原料が入手できないということは100%無いはずです。もし、原料が無くて生産できない事態になったなら、それは。手配する人のミスです。そしてそれはトップのミスです。 エスチャンプル、掻き氷の一種です。
2010.12.03
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斜めからインドネシアを眺める 805 最後に行ったのはいつごろでしょうか、もう、忘れました。それほど、興味が無かったインドネシアのプラスチック見本市へ行ってきた。目的はたったの一つ、その為に行ったのです。インドネシアで手に入るかどうか確認したかったのでした。行った甲斐あって、手に入れることが出来ることを確認した。 それはさておき、久しぶりの見物で感じたことは、プラスチックの原料、製造装置、製品の全てで日本の姿は殆ど無く中国ばかりである。漢字の看板ばかりである。その中にシンガポールが若干混じっている。インドネシアもちょっと頑張っている。10年ほど前は、日系企業が出展しなければ、80%くらいは開いてしまうだろうと思われたが、今回は、日本企業は必要無いという感じだった。 そして、なぜか、製造装置ではインフレーションがほとんどだった。それも、金型の直径が300mm程度の小型のものばかり、スーパーの買い物袋までの大きさしかできないものばかりでした。なぜでしょうか、インドネシア国内に袋作りの会社は嫌というくらい、至る所にある、一番、全国的に広がって分布していると言っていい産業です。その、買い換え、更新を狙っているのだろうとおもう。それほど、袋産業は成熟に達している。 製品の展示を見ると、押出製品はシートやフィルムくらいのもので、相変わらず、PPやPEなどオレフィンにしても、ナイロン、ボリカーボネート、アクリルなどエンプラに属する樹脂のフロファイルを会社の展示は一社も無かった。金型も無かった。その技術を売る装置屋も無かった。要するに、私がやっているような仕事をやっていて、それを売りものにできるような会社が無いということです。 少なくとも、インドネシアではまだまだ、私が指導する部分が大いに残っていることを確認した。現に、現在台湾やタイから輸入して販売している押出製品があるが、それらをインドネシアで作ることが出来るようにしてほしいと頼まれている物が二点ある。それで、インドネシアマーケットに割り込もうとしている若い実業家がいるのです。気持ちは十分理解できるので手伝うことになるし、インドネシアへの手伝いになれると思う。 見本市の看板、もう一枚は、危うい状況です。川の水面は横の道より1m以上は高い、それも、あと、10cm上昇すればあふれ出てしまいそう。しかし、そのあたりの人々はなにも心配していないようです。
2010.12.02
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斜めからインドネシアを眺める 804坂の上の雲、第三部を見た。私が二十八の時、全巻一気に読んで大感動し、直後、会社に辞表を出した。という思い出がある。下調べをしません。私の旅の仕方は全くいい加減と言っていいと思う。だから、他人を誘うことはできない。どういう旅をする予定なのか、分からなくて、他人を誘えない。景色と人との出会いを求めて旅に出るのです。行く場所をどこにするかは、今となっては、殆ど行ったことがあるので、決めるのが大変です。車で行ける範囲は殆ど全て言っているので、二回目以上になります。その目的地で、前に行っていない場所を探します。エアーを使うならまだまだ残っていると思いますが、情報が殆ど無いので、どこか決めかねます。テレビの旅情報番組をたまたま見た時に、そこが、行っていない場所なら、そこにします。旅先が決まれば、エアーチケットだけ手配します。目的地の空港へ着いたら、タクシーの運転手に、その土地の見どころを聞きます。海でも山でも景色が良いところ、遺跡や伝統的な建物の集落があるか、農作物一大産地や鉱物資源が取れる場所があるか、その近くに宿泊場所があるか、そこら辺に行くには何時間程度かかるか、それと、肝心なことは、タクシーを一日チャーターしていくらくらい掛るか、などを確認します。それらを聞いて、其の旅の最終日、空港へ戻るまでの行動予定を決めてしまいます。決めてしまえば、後は、気楽なもの、それぞれの目的地を楽しむだけです。インドネシアのどこの島へ行っても、何百年か前からの伝統的な集落があります。建物はかなりユニークなデザインになっていて、合理的なのか、不合理なのか良く分からない、不思議なデザインが多い。タナロラジャ辺りの屋根がそっくりかえっているようなデザインにはあまりびっくりしない。ニアスの住宅、これにはびっくりである。こんな頑丈な建物を誰が提案して、材料をどういう方法で集めてきて、どんな方法で組み合わせて家に作り上げたのか、全く、想像が出来ない。無駄が多くて、過剰品質で、近代建築のデザイナーでは全く思い付かない建築部いつだと思う。ニアスの大地震の時もこの家屋群だけはびくともしなかった。そりゃそうでしょう。地面が陥没しない限り、マグニチュード8や9でもびくともしないと思う。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.htmlてなわけで、思いもよらない出会いがある。その土地の人々との接触が面白い。インドネシア語を普通に喋る変な日本人が突然現れるのですから、そこの、人たちにとっても、興味深々、多くの人々が集まってくる、子供は特に人懐こく付きまとってくる。彼らをからかいながら、こちらがからかわれているかのような錯覚をする。こういう状態は一種の酔いの心地でドラッグ中毒はかくやと思う感覚もする。MM2100の片隅のベアチュカイ(税務、税関)の建物と隣接するインドネシア料理のフードコート、この反対側の並びにファミリーという自動車修理、点検会社と郵便局がある。
2010.12.01
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