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今日のランチはエンジェルとミキミキとフリフリ13号でカレー・バイキング。ランチの話題は最近世間を騒がせているマンションの強度偽装問題の「渦中の人々」について。「あのH社の社長は平成の大悪人ていう風情が満々だよね。悪人!って感じ」「あれさ~、顔が日本人じゃないっぽくない?ノースコリアっぽいよ」「地震で倒壊するマンションをあちこちに建てるなんてテロだよね」「外国国籍の人なら、この国がどうなろうと金さえ稼げればイイやって考えにもなるかもしれないしね~」「手の込んだテロだよね~、時間をかけてジワジワと~」「おそろし~」「A歯さんは、なんか質問会議を欠席しちゃったんだよね~?」「あたしは、それよりA歯さんのカツラがどんどん横にずれていってるのが気になるわ!」「カツラ?」「カツラじゃ~ん!見たらすぐにわかるよ!最初にこの辺にあった分け目がさ、ちょっとづつコッチにずれてってるも~ん。もう、気になっちゃって~」「よく見てるね~?」「ってことはさ、欠席の理由は、カツラがずれてどうしようもなくなってしまったから、とか?」「あり得るね~」「記者に囲まれてもみくちゃとかされたら、ズル!っととれちゃったりして」「それはそれでスクープだな」「誰か故意に引っ張っちゃったら面白いな」「なるほど、欠席なわけだ」「カツラがバレてしまうのでナーバスになっとるんだな、精神的な理由ってそれか」「それだな」「そうか~」ま、ランチの会話なんてこんなもんです。意外と鋭い視点のようにも思えますが、取るに足らないったらありません。
2005年11月30日
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ウチには冷蔵庫が2つある。ひとつは部屋に備え付けの小さいもので、もうひとつは実用的な一人暮らし向けの冷蔵庫だ。ひとりだし、2つも使わなくてもいいと思って備え付けの方はコンセントを抜いて食料倉庫として使っていたのだった。ところが、先日壊れた電気コンロを取り替えに来た電器屋が、勝手に使っていない冷蔵庫のコンセントを入れて帰っていたことが先程発覚した。あけてみたら、オリーブオイルが真白に変色していて、これはおかしいと思ってコンセントを確認したら、入れてあった。バカヤロウ!そのとなりに新しくつけてもらった電気コンロのコンセントが差し込んである。それは、いいんだ。しかし、はずしてあったまったく関係ない別のコンセントを、なんで勝手に入れるかな?バカヤロウ!おかげで電気代も4日間分損したじゃないか、バカヤロウ!ひとこと聞くなり、言うなりしろよ、バカヤロウ!おそらく、電器屋の衝動的な犯行であったと思われる。こういうヤツが押してはいけないスイッチを押したり、やってはいけないことをやってしまうのだと思うぞ!幸い損害はオリーブオイルが濁ったくらいで済んだけど、いろいろ拡大解釈すると、これはなかなか許せない気がする。バカヤロウ!と、本人に言ってやりたいが、管理会社が派遣してきた人で、会社も名前もわからんし、管理会社に言ったところで、あの会社はさらに輪をかけたバカヤロウ揃いなので、接触するだけで生気を奪われるからやめた方がいい。誰に文句言ったらいいんだ、バカヤロウ!
2005年11月29日
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ミキミキが横浜トリエンナーレに行ってきたそうだ。「現代美術ってどうなの?」という感想とも質問ともつかないをメールしてきた。私なりの意見を言わせてもらうと、現代美術はイケてない。一部の突き抜けたアーチストの作品は素晴らしいものもあるけど、だいたいにおいて人を感動させるパワーに欠けている。そもそも「美」と「驚き」というのはイコールであって、古来から人は「美しいもの」から受ける驚きと感動を表現してきた。けれど現代美術ときたら「驚かせる」ばかりで感動もなければ「美」すらないことが多い。哲学的で難解なものもあるけれど、あまりにわかりにくいのは単なる身勝手な作品といえる。だから往々にして面白くなかったりするのだ。「1800円の入場料とられたでしょ?」「うん」「高いよね」「うん、高~い!あれで1800円はどうかと思う~!」アートだ芸術だと言って、金ばかり取るのもどうかと思う。日本にはアートを人々にひろく浸透させる土壌がない。それゆえなんでも高い金をとる。アートは商売でしかない。銀座で個展を開こうと思ったら、一日30000円くらいが相場だ。6日間やって18万円。それに搬入や運送費などもかかる。そもそも、そういうところで個展ができるというのは、ぬるぬる~っと育ったお金持ちの娘や息子で、貧乏だけど才能があった!なんて人はなかなかいない。ギャラリーがこんなに金をとるのは日本だけだと聞いたことがある。こんな国でアートが育つもんか。今の現代美術はコネの世界だと思う。うまくやった人がアーチストになれる。ひねくれた考えかもしれないけど、くつがえすだけの根拠を探すのは難しいはずだ。あと、環境について意識が高まっている中、アートと称して資源をべらぼうに使ってみたりするのは、もはや犯罪だと思うので、アーチストは自粛してもらいたい。そこに素晴らしい「感動」が生まれるならまだしも、たいがいが「なんじゃこりゃ?」「変わってるな~」「おもしろ~い」くらいの評価しか受けていないのが現実なんだから。見る側も「なんじゃこりゃ?」「変わってるな~」「おもしろ~い」くらいの感性しかなかったりもするんだけどね。とにかく、環境破壊なところも、現代美術はイケてない。イケてないったらイケてない。大学でコンテンポラリー・アートを勉強した私が現代美術を見捨てて今では昔ながらの版画をやっている。共に学んだ友は、仏像の世界にはまっている。結局、昔のアナクロな芸術に傾倒していくのだ。いかに現代美術に力がないか、それだけでも充分説明がつくのではないか?なんて思ってみたりするのであった。ちなみに、ミキミキはその後、私のクドい「現代美術について」を聞かされて、それはそれで、うんざりしたかもしれない。横浜トリエンナーレとやらは、デートなんかには良いかもしれませんね。(ちょっとフォロー)
2005年11月28日
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爪のグロスというものを買った。なかなか良いかも。ハンドクリームも最近はいろいろ高機能なものが多い。いろいろ試してみたいので購入。よっぽど荒れた時には、やはり「桃の花」を塗って手袋して寝るのが一番だね。冬は乾いた枯れ木のようにならないよう、気を付けなくちゃね。最近、忙しすぎて「美」に無関心だったかも。(一所懸命やっててもなかなか反応がないので時々へこたれるのだ)イカン!イカン!明日からは、麗しくあろうと心に決めるフリフリ13号であった。今日はダウンコートを衝動買い。前から買おうと思っていたので、たまたま見たものが気に入ったので即購入。本当ならあっちの店、こっちの店と、商品を検討してまわり、最終的な選択をした後に買うのが私のやり方なんだが、最近の生活から察するに、そんな時間はとれないだろうと判断。ピンときたら110番、じゃない。ピンときたら買え!だ。腹巻きもゲット。ちょっと見えてもわからないように黒いのにした。寒い仕事先での作業はコイツで乗り切ろう。あと必要なのは貼るホッカイロとかホカロンとかだな。私は寒がりなんだ~!お酒がなかなかやめられないので、この際「養命酒」でも買って、毎日の習慣にしようかとも考え中。冷え性にも良いというし。まさに逆転の発想だネ!フフン。しかし「必要!」と言って買っているだけで、なかなかの散財である。そうだ、年末ジャンボも買わなきゃネ!
2005年11月27日
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ひさしぶりに弐千円札がまわってきた。その日、みんなで飲んでお会計の時、5千円だと思って渡したら「これ2千円じゃん!」と言ってつきかえされた。さらに朝まで飲んでグダグダの状態でタクシーに乗った。近くだったので800円くらいの支払いだった。家で一眠りして、確認してみると弐千円札がない。おそらくタクシーの支払に使ったのだろう。でもお釣は1000円で払った分しかもらっていない。しまった~!私もグダグダだったし、運転手はわかってたのか間違えたのか、わからないけど、やられてしまった~。弐千円札を持っているとこんなことばかりである。何らメリットはない!何のために流通しているのだろうか?(流通してるのか?という感じだが)まるでババを引いた気分である。こんなお札は即刻廃止してもらいたい!
2005年11月26日
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たしかに、最近、いろいろぶち壊したいような気持ちにかられて整理整頓したり、古いモノを処分したり、せわしない気分でいるわけだが、昨日の朝は古い皿を割り、今朝はグラスを派手に割ってしまった。手がすべったのであって、決してわざと放り投げているわけではない。これは私の「気」のなせる技なのだろうか。たしかに、私の心の中には「古いものがあるがために新しくできない」という感覚がある。皿なども安物で気をつかってないものの方が割れないで何年もあり続ける。雑貨屋さんをのぞくと、ステキなキッチン小物やら器が目につき、欲しくなるけど、今あるもので満足しておくべきなのだと、手に入れない。そもそも、これがいけないのかもしれません。しかし、意識していないのに、私の深層心理が毎朝既存の食器を破壊するのだろうか?自分、恐るべし。
2005年11月25日
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10月は忙しすぎてスポーツクラブに一度も行けず、11月もそろそろ終るっていうのに一度も行けず。今日は行こうと思って準備したんだけど、なぜかUターンしてしまった。なんだか、行きたくない。なんでだろう?きっと、行けば楽しくなって、「やっぱいいよね~」って気分になる。わかっているんだけど行かない私。どうしちゃったんだろう。もしやプチ鬱?そして家に帰って酒を飲む。ダイエットもなしくずしになりつつあって、イカンです。このイカンと思いつつ悪に走る自分を感じている感覚って、なんあんんだろうな~。最近、こんな感じだから調子出ね~わ!明日、なんとなく仕事を断り切れず出勤することになった。何したいんだろーか?プライオリティーが定まってない自分に苛つく。あうあう!
2005年11月24日
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最近、イケイケ50代に押されて、頭がグルグルのフリフリ13号。50代達は、結婚も出産も子育てもして、旦那への不満も抱えつつ、若いつばめを抱え、なんだかんだ言っても悠々自適な生活を謳歌している。それなりに充実した人生を過ごしている彼女達にとっては、それまでにあった様々な苦難でさえも、今というステキな時間を得るための布石であったことだろう。でもなぁ。私は一応まだ30代で、50代の彼女達とは世代も違う。若い恋人とのラブ・アフェアーが楽しめるのも50代の余裕なのかな~、なんて思ったりして。最近50代の先輩達から、とりあえず結婚して出産して子を育てろ!みたいなことを言われる。それが女としての幸せだと信じて疑わない確信をもった説得にフリフリ13号はグラグラしているのであった。今まで結婚も出産もたいしてしたいとも思わなかったが、それでは幸せになれないのかぁ~?まじで~?って感じである。ちょっと頭の中がグルグルしてきたので、ミキミキに相談してみた。ミキミキは、結婚もしているし、仕事柄、いろいろ我慢もしている偉いヲンナであるので、そこんとこは尊敬できるのである。とりあえず素直に頭のグルグルを出してみると、ミキミキからは、面白い意見が出て来た。「私は自由でいたい!羽をもがれたくはない!」って。な~るほど。なんだかんだいっても、ミキミキは自由に楽しんでいるからな。一人旅はするし。海で素っポンポンになっちゃったりするからな~。それでいて結婚を維持しているんだから、なかなかのものだ。私に結婚や出産の必要性を説く人々は「私だって色々我慢している」と話す人が多い。一見ステキな生活をしている50代の彼女達だって、すごい我慢をしている部分がある。で、結婚生活は破綻寸前でもなんとか保ち、子供を作らないミキミキは「我慢なんてしたくないもん!」とキッパリ言う。もしかしたらコイツが一番スゴイのかもしれない。いろいろ励まされて、やっぱり自分で考えて自分で選んだ道を行こうと思った。それが誰かに「間違いだ」と言われても、ゆるぎない自分でありたいものだ。そんな自分をつくるために、日々考え悩み頑張っている。先輩達を喜ばせる日はまだ遠いのかもしれないな。ミキミキは、今日、よく私の話をきいてくれた。とてもありがたい事である。友達を大事にしなきゃ!と、改めて思ったのでした。
2005年11月23日
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ちょっと意識を飛ばして、20年前の自分にコンタクトしてみました。あの頃は、一生懸命だったのね。今もだけど…。明らかに、確実に、深く、大きくなっている自分を感じる。でも失いかけそうな「何か」。何だろうね?この感じは。意志の方は、むしろ失いかけているソレに断末魔を!と、望んでいる感じだ。いらないものは殺さないと、先に行けないのかもしれない。整理整頓していても、昔のモノがなかなか捨てられない自分。そろそろ思いきってザックリ処分する頃合かもしれないな。
2005年11月22日
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若者に仕事がないという状況は、つまり、年輩者がポジションを空け渡さないって状況ということではかなろうか?昔はみんな寿命が短かったからね~。若者に次の代をゆずったものだ。しかし平均寿命が高齢化した現代では、みんないかに自分の居場所を確保するかに必至でしょう。下の世代に追い上げられるなんて許せないに違いない。出る杭があったら打ちすえて再起不能にしてやろうと思うのではないでしょうか?化粧品のCMでは「美しい50代」なんて言ってますけどね、考え方によっちゃー、おぞましいことです。私の知っている限りで、40代50代の女性で、15~20才年下の男性とおつき合いしている方が4人はいます。そのせいで、とは言いませんが、私なんぞは30代で余っております。トホホ。(ま、これは関係ないかも)年長者が次世代に譲らない時代になったようです。私は30代ですが、すでに50代の女性とも競いあわなくちゃならない状況なのです。先日紹介された50代女性の彼氏は、なんと私と同い年でした。年輩者が協力的なんて時代ではなくて、もう、もしかしたら老人でさえライバルな時代なんです。これが色恋に限らず起きているとすれば、若者の受難はいかばかりか…。若さはメリットですし、武器になる。しかし、そんな若者に「奪われまい」「負けまい」とする人で満ちた社会なら、なんという生きずらい世の中でしょう、若者にとって。「ゆずり葉」の話を子供の頃に聞いたのですが、次の葉のために自ら枝を離れる葉を「ゆずり葉」といって、「次の世代にゆずる」という先達の心を表現していた話でしたが、最近では「ゆずらない葉」ばかりで、つぎの世代はどうやって葉をのばしたらいいのか悩んじゃっているように思えますなぁ…。50代の女性に「私の彼なんかぁ~…」と自慢話されると、わけわかんなくなります。ホント。しまいにゃ「あんたも何とかしなさいよぉ~」「なにやってんの~!」ですからね。そりゃ-、かないません!っちゅーの!なんだか大変な時代になったな~、と痛感してます。ふぅ~。
2005年11月21日
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毎日いろんな事を考える。考えることが忙しいくらいだ。でも考えるという行為には生産性がないので、考えてばっかりいると、喰っていけないから、考えるのはやめて働いたりするんだけど、働くよりも考えることの方が本当は大事なんじゃないか、なんて思ったりもする。先日、人生の先輩から「修行が足りない」と言われた。そーね。考えているばかりで、何もしなければ結局、必要な修行をしていないことになるもんね。でも、なるべく大変にならないようにイロイロ仕組んで楽しているんだな。実際。それって、いいのかな?悪いのかな?「あえて大変な道を選んで、そこから何かを勝ち取れ!」って先輩は言う。楽な道があるのに、大変な道を選ぶのは、それこそ大変な選択だ。でも、このままじゃいけないな、って思うなら、やはり「何かを勝ち取れるかもしれない道」を選ぶべきなんだろうか?私は、我慢とか修行とか嫌いなんだけど、いずれ我慢と修行をした人間に負けるのだろうか?ハッキリよくわからないけど、そういう負けは、いやだな。我慢と修行をしている人達は大変そうに見える。常日頃から、そうならないためにはどうすればいいかを考え、実践してきた私にとって、あえて大変な道を選んでそこを勝ち抜けと言ってくる先輩の言葉には、真実があるような気もするし、単にその先輩が辿った大変な道を「おまえも歩け!」と言われているような気もする。「はい!わかりました!」と、素直に言わない私に先輩が愛想を尽かす日も近いかも。だからといって、安直に答を出すべきなのかにも疑問が残る。人間関係としては複雑な局面だ。年輩の言う事は聞くべきなのか…?自分で真実をつかむべきなのか…?悩んでいるうちに答が出るものなのか…?
2005年11月20日
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だいぶ以前から思っていたことだけど、街中にひょっこりある銅像。裸の女の人の像が多いのだけれど、何の意味があって、そこに立てられているのか理解に苦しむのであります。芸術?でも、そんな裸の銅像を芸術としてとりあげるメディアなんてまったくないでしょう?「あそこの駅前の裸婦の像は素晴らしい」なんて記事を見かけたことはないし、死ぬまで見かけないんじゃないかとも思う。まぁ、どうでもいいんだな、つまりは。むしろ現代美術=コンテンポラリーなアートであれば話題にもなるし、評価も高い。そしてそういうジャンルに裸の銅像はあり得ないのである。なんだって、人々の往来のまっただ中に裸の女性の像を据えるのか?それが「癒し」なんでしょうか?でも、実際に裸の女性が立っていたら、血相変えてお巡りさんが飛んでくるでしょう?真っ裸で歩いたりしてはいけないんです。なのに、公共の場に、真っ裸で散歩している女の子の像なんかが立っているのはおかしいのではないか?ということを誰も考えないのかね?冷静に考えても狂っているでしょう?そのへんにあるわけだから、3才の子供も見るし、小学生だって見ちゃうよ。映画には18禁とかR指定とかしているけど、銅像はオッケー。なんでかしらね~?銅像見て興奮している若造だっているかもしれないのにね。ヨーロッパの絵画には裸婦がよく登場するけど、あれは偉い人が「芸術」の名を借りてエロ絵を描かせていたというのが本当のところ。日本人はアホだからそのまま「芸術」だと思って、何か高尚なモノのようにありがたがって受け入れているけど、頭おかしいんちゃうか~?いいかげん間違いを正そうよ~。横浜でルーブル美術館展があったときなんぞは、街中にアングルの『トルコ風呂』が貼り出され、いやでも目に入るようになっていたけど、あれなんて、女風呂を覗いているような絵でしょうが。アートとか芸術とかいうジャンルに入れば、どんなエロも許されるのだろうか。今日は、古本屋で昔の『芸術新潮』という雑誌を購入。とある記事にロダンの『裸婦』の絵が掲載されていたが、大きく開いた女性の股の間を描いただけの、単なる「アソコの絵」である。これを芸術というのはいかがなものかと思う。アーチストだって、やましい気持ちで筆を走らせることもあるだろうし、なんでもかんでも評価するのはどうなんでしょう?「アソコの絵」は、きっと売りに出されれば何十万、何百万もするのかもしれませんが、私は、いりません。もっと高値で買う人がいるというなら、一枚かんでもいいかもしれませんが、自宅に飾ろうとは思わん。話がそれたけど、つまり、街の中にある裸の銅像には、何の意義も感じないばかりか、ハレンチな気質をそのまま出してるだけのもののように思えるのでそろそろ撤去してはどうかと思うのだ。そういうものをバカみたいに有り難がっていた時代は去ったのだから。秋葉原にメイドの像を建立するとか、日本橋にポケモン像を立てるとかならいーんじゃないの。罪がなくて。裸の銅像は、最近の社会にあっては違和感そのものであることだよ。
2005年11月19日
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最近、留守電にとある男性から電話が入っていることが多い。数えたりしていないけど1~2週間あけて、また電話がある、って感じ。「またかよ」と思う。この男性とは、10年くらい前に一時期、仕事で一緒だったことがある。その時は、親しくお話したりもしたけど、一緒に食事に行ったことはないし、仕事場で休憩時間にしゃべってただけだったと記憶している。その後、私はその会社を去ったが、年に一度の展覧会の知らせなどすると、来てくれたので、会場を一緒に回ったりしたけど、それだって、知合いならば当然のことをしただけ。その後、年賀状だけの関係になっていた。ある時、電話があり、ちょっと長くしゃべった。一回だけね。もともと年に一度の展覧会しか会う理由もないわけだが、何度か彼が来れなかったために、すでに2~3年会ってないことになる。電話もかかってこないし、電話をしてもいないし、どう考えても理由がないのに、最近なぜか、しょっちゅう電話がかかってくる。???タイミングが悪いので、いつも留守電なんだが、彼は居留守されていると思っているらしく、「居留守はやめてください」とか録音している。たしかに、居留守の時もある。だって、出たくないんだもん。話したいと思わないモン。この男、留守電で用件を言ったことが一度もない。目的がわからん。「用事がないなら電話してくんな」と、私は思う。無駄に長話をダラダラする趣味は、ない。「ねぇ、今日何食べた~?」なんて会話には全く興味がないのだ。そして、この男「電話をくれ」とも一度も言わない。「話したいなら、要求すればいいじゃないか、やぶさかでないかもよ」と、私は思う。気分次第だが。何度も何度も何度も何度も何度もしつこく電話してきて、あげくの果てに「居留守はやめてください」とか言っている男と、誰がおしゃべりしたいと思うかね?多分自分の話を聞いてほしいだけなんでしょう。でも、そんなヒマないのよね、私。別の人探してよね。だいたい、私にラブラブな彼氏がいて、部屋でいちゃいちゃしている真っ最中かもしれない!?とか考えないのかなぁ~?居留守も使いますよ!そりゃ~。電話って、一方的なメディアだけど、この男性は輪をかけて一方的。何度も入ってる留守電を聞いてると「アブナイ男」の像が浮かぶ。もう、すでにキモチワルイです~。何年も会ってないのに執念持たないでください~。わけわかりません~。どうか、私のことは忘れてください。っつーか、そんな事いわなきゃいけない程つきあってないし~!あーうざい!
2005年11月18日
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先日のニュース。使われて いない火葬場の焼却炉で2遺体が見つかったという。すわ、殺人事件か!?と思いきや、焼けて白骨となった2遺体は、病気と介護に疲れた老夫婦で、自ら火をつけたということだったようだ。老夫婦は、自分達で焼却炉に入り、自分で点火して死んでいったのだ。火葬場横に、エンジンがかかったままでクラシック音楽が流れている無人の乗用車が止まっているのを不審に思った人が通報したのでわかった。遺体が発見された翌日、役所に死を選んだ男性から「遺産はすべて市に寄付します」という内容の手紙が届いたという。なんだか、想像を絶する事件だ…。「埋葬」という考えを持つことによって人間は動物ではないと言われる。この老夫婦が自分達の死に方をよくよく考えて、そのような行動に至った経緯を思うと心中察するに余りある。人としての生き方を考えさせられる事件だった、と思う。最近、奈良市の小学生女児誘拐・殺害事件から1年ということでニュースになっているが、この事件では、女児の遺体を道の側溝に捨てたという犯人の行為が忘れられない。こうした幼児殺害事件で思うのは、遺体の扱いがまるでモノのようだということ。ゴミのよう、とも言える。こうした事件を起こす人達には「埋葬」という概念が欠落しているのではないだろうか。親しい人が死んでも埋葬しなくては、とは思わないのかもしれない。そういう観点に立つと、猟奇的な事件を起こさないまでも、「人が死んでも、どうでもいい」と思っている人間が増えているのではないか?と背筋が寒くなる。「人間は死んだら生ゴミ」なんていう言葉もかつてシニカルに使われていたことがあるけど、最近の社会ではシャレにならない言葉かもしれない。虫のように殺し、ゴミのように捨てる。許されない行為だけれど、増えている。自ら自分の肉体を葬った老夫婦の行為に、複雑な思いがよぎる。
2005年11月17日
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年末になると「ディナーショー」なんて言葉も聞くようになるけど、今日はテレビで「ワンマン・ステージ」と言っているのが耳にひっかかった。昔から疑問に思っていることがあるのだけど、「コンサート」と「ライブ」と「リサイタル」の違いって何なんだ?ライブハウスからのしあがってきたようなロックバンドは、東京ドームでやっても「ライブ」と言うようだし、「それ、コンサートじゃないの?」という疑問がわくけどまぁ、「ライブ」でいいような気もする。谷村新ニは「リサイタル」らしい。あえて「コンサート」と言わないのには、どういう理由があるのだろう?1人でやってるなら「ワンマン・ステージ」でもいいよね。以前、解明された「バー」と「スナック」と「パブ」のように、実はしっかりと違いがあるのだろうか?
2005年11月16日
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中国で鳥インフルエンザの恐怖からタミフルと同じ成分がふくまれる八角が高騰しているというニュースがあった。中国でちょっとでもブームになると、それは世界の経済を左右するから、あなどれない。さすが大陸なのです。数年前、中国の国民の生活水準が上がって、みんな歯磨きをするようになったから、「ミント」の値段が高騰しているらしい、というニュースをきいた。最近では、石油の高騰が中国の発展ゆえらしい。ものすご~い広いんです、中国。人口もすごいんです中国。彼の国の民が一斉に西欧的な消費生活にはいったら…、あたりまえですが資源が枯渇寸前になることでしょう。いろいろな価格が高騰するでしょう。そうなったら、彼の国にとってただ単に邪魔な国があります。資源にしても農作物にしても輸入に頼りっぱなしの日本という国です。日本がなければ、彼の国はその分潤おうことでしょう。とても単純な構造なので、唐突にミサイルが飛んで来てもおかしくないかも?という恐怖を抱きます。特にタミフルには異常行動を起こさせる成分が入っているらしいですから。ま、八角をいくら食べても意味ないらしいんですがね。それでもニュースになるだけのパワーが恐ろしい。
2005年11月15日
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最近、2億円あったら何するかを書いてみている。案外、一気には思いつかず「あ!そうだ、アレも!」という具合に、あとから「昔から念願だったこと」を思いだして書き加えたりしている。昔からやりたかったことなのに、とっさには出てこない所が不思議。もう、自分の中ですっかり諦めていた事だからか?常に書き加えていけるように、パソコンのデスクトップに常に表示することにした。紙に書いてもいいんだけど、デスク周りがグチャグチャしてくるといつの間にか行方不明になるので、私にはあまりオススメではない。しばらくたってそんな紙が出てこようもんなら、「あぁ、そんなのも書いたね」とゴミ箱行きになってしまう。一時的にでも行方不明期間があると、出て来た情報はもはや古くて使い物にならない。その点、毎日起動させるパソコンに常に表示させて、思いついたら更新するという方法はとても有効に思える。なんといっても楽しい。シムシティというゲームがあったけど、自分の夢がシムシティしていく感じだ。まだ、とてもシンプルな「2億円あったら案」だけど、どんどん具体的になって、デスクトップに表示しきれなくなるなんて日も来るかも?コレは、思いつきでやってみたんだけど、2億円なくても出来ることもたくさんあって、やろうと思えばできそうなこともあったりして、そういう発見が面白い。自分という人間がよくわかる。
2005年11月14日
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なんか、ロト6がキャリーオーバー5億円越えらしいじゃないですか。これは、買うしかない!ってことで、みんなスゴイ買うんじゃなかろーか。アレは、当たった人の数で当選金を割るから、逆にお得じゃなくなるかも?でも、4億円が2人という可能性もあるし。あぁ、やっぱり買うべき?普段よりもたくさんのバリエーションで。しかしロト6の6つの数字の組合せって、可能な組合せ数はどれくらいあるんだろう。単純に考えれば、すべての組合せを買っておけば、必ず当たる。でも、そうはいかないようになっているんだから、きっとすごいバリエーションなんだろうな~?算数、数学、物理、化学がダメな私にはわかりまっせ~ん。こんな私でも、当たりが出るかもしれない!!!そう思って数字を見つめるフリフリ13号であった。
2005年11月13日
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『世界一受けたい授業!! 衝撃日本史スペシャル』あなたが学んだ歴史はもう古い…教科書に載せたい新歴史一挙公開っていうんで、適当にテレビを見ていたら(ってテレビよく見てます~)、日本史もずいぶん変わってしまったようで、私が教わったのとはイロイロ違うことになっていました。学校で教わったことも、時々アップデートしないと使えなくなっているのですね。ところで、マクドナルドで食事すると、トレイに宣伝の入ったペーパーを敷いてくれる。この裏面に「商品のカロリー一覧表」が載っているのだが、どうもフに落ちない。というのも、一番カロリーの高いのがビッグマックで508kcal、フィレオフィッシュが348kcal、となっている。私の記憶が確かなら、20年前のカロリー表示では、ビッグマックは600kcalを越えていたはず。そしてそれ以上にカロリーが高かったのがフィレオフィッシュで、ビッグマック以上か、同じくらいあったはずだ。当時高校生だった私達は、学校帰りにマクドナルドに寄り道して、メニューに記されたカロリー表示を見ておののいたものだったのだ。それが、なぜか今は、かなりカロリーダウンしている。それは、何故?時代が変わったので油のカロリーが変わったりした(?)のかもしれないけど、それにしてもフィレオフィッシュは変わり過ぎなんじゃないだろうか?カロリーなんて、本当のところは目にも見えないし、わからないものだけど、こうまで過去と違うデータを発表されちゃうと、かなり信用できなくなる。ちなみに、私はマクドナルドではダブルチーズバーガーしか頼まない。飲物は判で押したようにコーラ。付け合わせはポテトである。どうせ不健康なんだから、思いっきりジャンクな取り合わせで!という心意気なんだが、最近見た『スーパーサイズ・ミ-』という映画によるとチーズにはモルヒネ成分が入っていて、中毒的になる、とあった。おぉお~、私の判で押したようなダブルチーズバーガー好きはそういうこと?ちなみに『スーパーサイズ・ミ-』という映画はドキュメンタリーで、ひとりの男性が試みた、ずっとマクドナルドの商品だけを食べて過ごすとどうなるのか、という実験の記録となっている。かなりとんでもないことになっていました。食にこだわりのある人は、一度見るべし。
2005年11月12日
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「ゴミ屋敷」というものが話題になっている。異常な量のゴミを自宅の敷地内にためている人が時々いる。近隣住民は主に「悪臭」に苛まされるので苦情が殺到するのだが、個人の敷地内である以上、ゴミをためる行為を法律で罰することは出来ないそうだ。他人が見て「ゴミ」であっても本人は「ゴミじゃない」と言う場合がある。判断の難しい問題となっているようだ。今朝もテレビでゴミをためている本人をインタビューしていた。それに対して、テリ-伊東さんのコメントが面白く、的を得ているように感じた。「彼には一種の使命感があるんだよ。彼は最初本を集めていたでしょ。それは本っていうのは知識を得たりしようとするものだよね。それから電化製品、冷蔵庫を分解してどうにかしようっていうのは、やらなくちゃいけないという気持ちがあってそれで持ってきて…云々」とおいうようなコメントだったと思う。「使命感」という言葉がヒットした。実は、我が父は、以前「プチ・ゴミ屋敷」を形成していたことがあるのだ。私が中学生の時から、父は大ゴミを拾う傾向が出始め、私もそれを手伝ったことがある。一度、家の洗濯機が調子が悪くなった時、大ゴミに出されていた洗濯機を「あれを拾ってくるぞ!きっと使えるはずだ!」と言って拾いに出かけたのだった。そりゃもうけっこうなお仕事です。なにしろ洗濯機ですからね~、重いのでひとりでは家まで運んでこれません。近所のゴミ置き場に置いてあったので、家から直線距離で数十メートル。父は、運ぶために古い木板に車足をネジで止めて即席台車を作った。「これに乗せて、家までころがそう!」(なかなか良いアイディアだ)と、私も思った。そして父と私と妹は、夜の住宅街を出かけて行き、無事に台車に乗せた中古洗濯機をゲットしたのだった。しばらくその洗濯機を使った。それからというもの、父はたまに大ゴミを拾ってくるようになった。毎日、車で移動していたので、運転中によさそうな大ゴミが出ていると積める時はその場でトランクに入れて持ってきてしまうのだった。なにしろ一時は古本屋もやってたくらいだから、あらゆるゴミに価値を見い出すらしい。事業に失敗して、廃虚を乗っ取った時、そこはすでにゴミ屋敷っぽかったが、このことが彼に拍車をかけたかもしれない。(廃虚の話は以前の日記参照してください)その後、ようやくこじんまりしたアパートに移ったが、その玄関周りは、「プチ・ゴミ屋敷」と言えるような有様だった。いろんなモノが置いてあって、目立つものはシャンデリアの残骸とか、キッチンの流し台とか、木材など。家族は、彼の形成したガラクタの山を通らないと玄関を使えないという状況だった。一向に片付ける気がないらしく、私もあきらめていたけど、ある時、置いてあるモノに雨水が溜まり、そこにボウフラがわいていた。私の部屋の窓際だったので、意を決して文句を言い、撤去してもらった。それ以外にも彼は仕事で使う事務所の一画を物置きとして使い、わけのわからないモノをたくさん溜めていて、最終的に大家さんを悩ませていたらしい。さらに親戚の仕事場の一画にも場所を借りていろんなモノを置いていたらしく、今となってはそれも「プチ・ゴミ屋敷」状態で、撤去するためにも30万円かかるらしく、親戚を悩ませているらしい。本人にしてみればそれらはゴミではなく「宝の山」らしい。彼も最初は本を集めていたのだ。それから電化製品。壊れた電化製品は分解して、よさそうな部品はとっておく。別に使い道があるわけではないけど何かの役に立つことがあると思ってとっておくのだ。仕事も不動産関係だったから、いろいろな不要品があると、とっておく。彼は一時、そういうものをとっておくためだけに古い一軒家を借りていたことがある。その家は、近隣からきっと「プチ・ゴミ屋敷」と思われていたかも。そんな父の行動のもとになっていたものは何なのか。「使命感」だと思う。テリ-伊東さんが答をくれた。最後のゴミが片付いたような気分だ。
2005年11月11日
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Q嬢と飲んだ。彼女は力説した。「自分の身は自分で守らないと!」以前、駅の階段で転けた時、膝を折ったまま何段も転げ落ち、相当な身体的ダメージを負った彼女は、立ち上がることもままならなかったという。周囲には大勢の人が行き来しているが、誰ひとりとして彼女に声をかけたり、助けてくれたりする人はいなかったという。「それ以降、階段は必ず手すりの側を通るようにしているわ!転びそうになったら、とっさに掴める位置にいないと、そのまま転んじゃうから。派手に転んでも誰も助けてはくれないのよ」最近、やはり階段で転けて、足に打撲(全治1ヵ月)を負った私は、彼女の言葉に気をひきしめた。そうなんだ、誰も助けてくれないんだ。以前の日記に書いた、顔から転んで前歯を全滅させた女性も、転んだ場所は東京駅の往来のまっただ中だったにも関わらず、口から大量の血を流して倒れている彼女を助けたり、声をかけてくれる人は皆無であったと言っていた。私も昔、銀座の往来で具合が悪くなって視界が真っ暗になって、地べたに座り込んで動けなくなったことがある。声をかけてくれたオバサンがひとりいたけど、私が無反応でいると、そのまま立ち去ってしまった。もう大変辛かったので、なんと受け答えしていいのかわからなかったのだ。でも、そのまま置き去りにするなんて、中途半端な親切心だなぁとちょっと呆れた。結局、自分で人に頼んで救急車を呼んだのだった。今日のニュースでは、東京の町田で女子高生が自宅で殺されていたのが発見されたとか。きけば、前日の夕方に30分にわたって人が争うような音や花瓶の割れる音、そして「助けて」の悲鳴が近所の人に聞こえていたっていうじゃないですか。でも、誰も助けなかった。通報もしなかった。証言をした男性は「親子げんかだと思ったので通報しなかった」と言ったそうだ。でもね、最近では親が子を殺し、子が親を殺す事件が多いのだから、たとえ親子げんかだろうが、異常な事態と思えば警察に通報すべきではないだろうか。この男性は「おおきなものを引きずる音」まで聞いているのにね。おそらく死体をひきずった音だったのだろう。この女子高生はカギを盗まれていたそうだけど、盗まれてから何日もカギを取り替えなかったのはまずかったね。一緒に身元を確認できるものも盗まれているのだから、速攻で取り替えるのが普通だ。これは親が悪い。カギを速攻で取り替えるとなると、その場で1~2万円はかかるからね。女子高生が自分でカギの取り替え業者を頼むというわけにはいかないだろう。親がすぐに手をうっておくべきだった。そういう視点から見れば、この親子は「自分の身を自分で守る」ということがちゃんと出来ていなかったわけだ。そもそも、学校の中で、彼女のカバンだけが盗まれたという。学校の中は安全であって欲しいが、いつ何時侵入者があらわれるかもわからないし、学内に悪い人がいる可能性だって否定はできない。小学生の時に「盗みグセ」のある友達もいたなぁ。親しい人も100%は信用できない。学校には生徒のためのカギ付きのロッカーがあると思うのだけど、この女子高生は利用していなかったのかな?そうだとしたら、それもまた「自分の身を自分で守る」ということができていなかったということになる。日頃から「自分の身を自分で守る」という緊張感を持っていないと、とんでもない目に会うこともあるってことだ。その点を私は昔から主張しているのだけど、よく批判を受ける。「人を信用してないよね~」とか「そんな風にしてると疲れない~?」とかね。それでも「自分の身を自分で守っている」という確信を持って生活している方が、精神衛生的には良いのだ。そうやって私を批判しながら、置き引きされたり、騙されたりしている間の抜けた友人も多い。その程度で済んで良かったよね。と、私は言いたい。ニュースになった女子高生は本当に可哀想だと思う。物音を聞いていて通報しなかった近所の人には、もっと危機意識を高く持ってもらいたいと思う。怪我をしている人を見ても助けない、「助けて」という叫びを聞いても助けない、そんな世の中はイヤだ。ここに書いたような批判が、おそらく証言した男性に向けられることだろう。女子高生の親は、きっとこの男性を責めるだろうな。昔、ハゲタカに狙われる子供の写真を撮ってピュリッツアー賞をとったカメラマンがいたけど、彼が批判を浴びて自殺したのを、ちょっと思いだした。いろいろ、難しい世の中だよね。
2005年11月10日
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そんなわけで、飲んじゃってます。これじゃ痩せないわ。仕事のストレスが色っぽい事でもないし、やっぱ美味しいモノで癒されようとしちゃうのよね。パワーポイントを確実に修得しつつあるフリフリ13号。これなら、どこでも稼いでいけるに違いない。ボスが仕事の成果を見ながら「早い!早い!」と喜んでいる。(そうか、パワポでも私の仕事は早いのか…)などと自分を値踏みする。美しくて早い仕上がり!素晴らしいじゃありませんか!しかし、根っこがアーチストの私にとっては、事務処理的なパワポは、悩ましい。作業しながら(こんなことをしていていいのだろうか?)なんていう人生についての考察も入ってくる。しかし、アーチスト稼業だけでは喰っていける程の稼ぎは見込めない。(と、思っている)人間の「生き方」について、もっと柔軟に受け入れるべきなんだろうかね~?そういう内面の疑問提起がなくなったら、生きることはもっと楽になると思う。悩まず生きたい。それで、てっとりばやく酒など飲んでいるのだろうな~。酒を飲んでいる時間は、何も考えてないもんな。自分が膨らんで行くばかりで、シンプル感がない。引越ししたいな~と思っているけど、狭い部屋はムリそうだ。
2005年11月09日
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また、この季節がやってきました。あぁ、牡蠣が食べたい。身がプリプリ~っとした新鮮な牡蠣が!(牡蠣について妄想中)さて、牡蠣を食べるなら、それなりのモノを出してくれるお店に行かねばなりません。そういう店は、なかなかひとりでは行きずらいものです。かといって、つきあってくれる人もなかなか居ません。う~ん、悩ましい。バーならば、1人でちょこっと行ってもいいのだけれど、ちょっとした小料理や旬の旨いものを食べさせてくれるところに行くとなると、ひとりではねぇ~。そういう店のカウンターで1人で飲み食いなどしていれば、(はて、このヲンナは何なんだろう?)という好奇の視線を浴びてしまう。加えて、フリフリ13号はなかなかの女っぷりなので、スケベなオヤジに絡まれることは必至。そう思うと、なかなかのれんはくぐれない。こんな時、自分が男だったらな~、と、しみじみ思う。男だったら、スケベなおやじにもからまれないし、店主からも見込み客として一人前に扱ってもらえるだろう。女で得することも多々あるけど、こればっかりは、女で損してる気がする。私がエロじじいだったらね~、若い娘を連れて好きな店に行くんじゃがのぉ~。普通にヲンナだと、後輩女性にオゴるのもなんか不自然でイカン。現在、どうやって美味しい牡蠣にありつこうか考え中。牡蠣大好きのミキミキをどうやって巻き込むかとかも思索中。なにしろ仕事中毒で、夜の約束がなかなかできないんだワ、ミキミキってば。良いアイディアがあれば募集中です。スーパーで買った牡蠣は食べない主義のフリフリ13号でした!
2005年11月08日
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若者の恋の相談室をやっていると、ミキミキが茶々を入れてくる。ミキミキは歪んでいるので、応援しているようで、ものごとがこんがらかるような煽りをいれてくる。「そういうのは、なかなかセイジュしないものなのよ」と言うから何のことかと頭をかしげてみた。「あぁ、成就ね」「あぁ!」と一緒に若者。ずっとセイジュだと思っていたらしい。ミキミキ、ちんぼつ。そういえば、思いこんでいる漢字の読み方で有名なのは「月極」。私もご多分に漏れず「げっきょく」と読んでいました。「月極駐車場」の看板があちこちにあるのを見ては、「ゲッキョク・チェーン」はでっかいなぁ、などと思っていたのだ。中学生くらいまで思いこんでいたかな。社会に出てからのヒットは、ある若者にメールをしたところ。「なまぞうってなんですか?」という返事がかえってきた。なんのこっちゃ?と思ったら、「生憎」が読めなかったらしい。これはバカ受けしました。その後、彼は感慨を受けたように「ナマゾウと書いてアイニクと読む」という一文をメールしてきた。ちょっと詩的かもしれない。
2005年11月08日
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13号だが、ファッションは好き。昔、付合っていた男に新しい服を自慢したら「脱いだら一緒じゃん、中身が大事」と言われて、とっても萎えた。凹んだ。そいつの言ったことはもっともだけど、少しは着ているモノにときめいたりして欲しいものだよね。脱いだらそういう評価になるんだと思うと、「ぜってー脱がねー」とかも思う。ところで最近、もうかれこれ2年以上も会ってない男から電話がくる。いつも留守電だが、残っているメッセージがかなりキモイ。何か「用事がある」みたいな感じにすればいいのに、「いないの~?いないの~?元気ぃ~?オレだよ~」って感じしか言ってない。「電話くれ」とも言ってない。ただひたすらアピールして、私が電話に出ないことをちょっと不満に思っている様子。別に付合ったこともないし、ただの知合いなのに、なんでこうもしつこいのか?粉かけたおぼえもないし。申込まれたこともない。あー、キモチワルイ。というわけで、私は電話していないのだけど、そいつが勝手に妄想劇場しているととってもアブナイ気がする。どうして昔何かあったわけでもない相手に、2年以上会っていない相手にそういう風にアピールすることができるんだか、神経を疑う。しかも2年前というのも、年に一度の展覧会にひょっこり来てくれたってだけで、ソレを抜かせば、何年も会っていないのである。あー、うっとおしい。「もう~彼氏とラブラブでぇ~」という撃退方法を考案中のフリフリ13号であった。
2005年11月07日
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前にも書いたかもしれないけど、左利きであることの苦労話など。多分、前とは違う事を書くはず、と、自己分析。いっぱい書いていると、何を書いたか書いてなかったか、記憶があいまい。まぁ、いいや。私は左利きである。特に矯正されずに育ったのでバリバリの左利きだ。そんな私が左利きで「あいや~、困った」と思う場面は数知れず、それこそ資料にまとめたら膨大な苦言の山になる程である。右利きの方には、まったく想像もつかないようなことで困っていたりするのだ。今現在、コレが一番やっかいだと思っているのは、バイキング料理を食べに行く時、大きな鍋から料理をとるためにオタマの先が尖ったような「レードル」というやつがある。スープなどを掬うのだけど、実はこのレードルって、右利き用にできていて、左利きの人が使うと注ぎ口が反対を向いてしまうというやっかいなシロモノ。↑これがレードル。和やかにホテルのバイキングなどを楽しむさなか、左利きだけが緊張を強いられる瞬間がこのレードルによってもたらされる。「馴れたもんさ」と、レードルは右でつかみたいものだが、ちょっと気をぬくとうっかり左でスープを掬ってしまい、器に入れられないという状況に直面するのだ。後ろに「はよせいや~」というオーラを放っている別の客がいるのに、いったん掬った料理を鍋に戻して、右手の皿を左に持ち替えて、あらためてレードルを右でつかんで、などとやらねばならない。左利きはこういう場面に直面する事が多いので、自然と神経も図太くなろうってものだ。あと、コンビニのおにぎり。別に苦労はしないんだけど、ビニールの剥がし方が書いてあって、1、2、3と剥く順番が記してある。左利きとしては1、3、2の順に剥きたいのだが、しっかりと1、2、3と記してあるので、やはりここは従わなければ海苔がうまくまかれないのであろうか?などど考えてしまい、無理に1、2、3と剥いていた。しかし、ある日気が付いた。2と3は、どっちから剥いても同じじゃん。そんなわけで1、3、2の順で剥いている。あらゆる親切も右利き向けなので、左利きはちょっと混乱させられるのだ。すべてが有難いわけではないってことだ。さかしまなのだ。自動販売機のお金を入れる投入口は右でやりにくいし、電車の切符を買うと右端から出てくるのでとりにくいんじゃ!真ん中にしてくれればいいのにな。全ての人に優しい社会を目指すなら。ちなみに電化製品のほぼすべてのスイッチは右側にある。
2005年11月06日
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以前にも書いたけどミキミキはスメルなオジサマに誘われてよく飲みにいく。スメル・オジも最近はあまりスメルでなくなり、ようやく自分のスメルに気が付いたのか、臭わないので、助かる。ま、それはさておき。相変わらずオジサマからの誘いは頻繁なようで「明後日も飲みにいくの」とミキミキは言う。ミキミキは決してその誘いを喜んではいない。(この辺の事情は以前書いた通り)「明後日も飲みにいくの」と良いながら顔は不満気でイヤイヤなんだという意志を見せる。「なんで行くわけ?」と私が聞くと、「仕事でお世話になっている立場でもあり、5回誘われたら1回はおつき合いしないと」などと言う。イヤなら何度誘われても断り続け、誘われなくなるまで断ればいいと思うがミキミキはそうしない。「けっこう楽しんでるんじゃないの?高いお酒をおごられ放題だし」と言うと「でも、だって、そんなことない、云々」と抵抗する。そして「誰もつきあってくれない」とブチブチ言う。私も何度か誘われたが、オジサマにではなく、オジサマと二人っきりがいなたいミキミキに誘われたので、きっぱり断り続けている。そりゃそうだ。なんでオジサマとミキミキのランデブーにわざわざ付いていかなければならんのか。そんなにしつこく誘う超独身オジサマは、ミキミキを狙っているのに間違いない。ミキミキは既婚者だが、常に旦那との冷えた関係を話題にするので、男性としては既婚でもこれならイケルと思わされることしきりであろう。最近のオジサマの会話は、以前にも増して男のフェロモンが溢れているらしい。「ミキミキは、良い耳のカタチをしているね。耳のカタチで女のアソコのカタチがわかるんだよ」なんちゅーオヤジむき出しの会話をするのだそうだ。そんな会話をされておきながら、ミキミキはあくまでも「営業的なおつき合い」だと主張。「ありえない」と私。そんなオヤジにつきあうミキミキは、そうすることで何を得ているのか。お仕事的には、別にオジサマと飲みにいかなくても問題はないはず。結局ミキミキは自分の意志でオジサマの誘いに応じているのだ。「ねぇ、何がしたいの?何でイヤなのに行くの?そして得るものは何?」と、問いつめてみた。ミキミキは、すぐには応えられなかった。そして「私は、誰に対しても、どこまでも“いいひと”でありたい」のだと言った。だからオジサマの誘いも断らないのだ、と。ふぅん。じゃあ、何でオジサマの悪口をこうして陰でブチブチ言うのだ?それが“いいひと”なのか?え?ミキミキはもう何年も相手をしてくれない旦那に意地を張って、自分の生きザマをもって復讐しているようなところがある。「ねぇ、オジサマにさそわれて、耳のカタチが良いねなんて言われて、それを私に愚痴ったりして、そうやって自分のヲンナの部分を確認してるんじゃない?」と核心をついてみた。「そうやって男性に粉かけられている自分を見せたいから私を誘うんでしょ?ほら、私もまだまだ捨てたもんじゃないわよ、って。だってさ、オジサマはミキミキを誘ってるんだよ。私なんか関係ないじゃない。そんな二人の飲み会に誘われてホイホイ行く女なんているわけないじゃん。誰も誘ったって来ないのは当たり前よ。あんたの“私こんなに良くしてもらってるの~、でも困っちゃう~”っていうのを見せられても嬉しくもなんともないしぃ~。結局、そうやってあんたは旦那に復讐していつもりなんだよね、きっと」相当、核心をつかれたみたいだった。「それって、私って、ヤな女じゃない~?」と憤っていたが、否定はできない。ミキミキの歪んだ女のサガ、だな。そして、また、ミキミキはオジサマの誘いにいそいそと付いていくのだった。旦那に可愛がってもらえない女は歪むな…。
2005年11月05日
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わしは、最近、疑問に思っていることがあるんじゃ~。東京圏で見る焼き鳥屋にはなんで「宮川」という名前が多いんじゃろうか~?宮川一族なんじゃろうか~?我が近所にはとり肉を専門に売っている肉屋があるが、それも「宮川」じゃ。宮川の謎じゃ。それとな、刑務所に入っている人っていうのは、年金は払っておるのかのぉ?払えったって働いてるわけじゃないから払えんじゃろーが。しかし、いかにムショに放り込んだからといって、国も老後の面倒は見なきゃならんだろうし、一体どうなっておるんじゃろうかの~?謎じゃ。
2005年11月04日
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デジタルカメラになってから、あまり焼き増しとかしなくなったが、やはり世間の付き合いで、撮った写真を差し上げなければ、なんてこともある。コンパクトフラッシュを持って、写真屋さんの店頭に置いてあるセルフサービスのプリントマシンを使ってみた。前から一度やってみようと思っていたんだけど、初めて触った。操作は簡単ですぐに使えるようになったけど、時間がかかるね。読み込みして、プリント指示のボタンを押すと、一枚につき1分くらいかかるみたい。何枚かプリント指示したら6分という表示が出た。6分間、何してればいーんでしょ~?かなり手持ち無沙汰だわ。出来上がりは、たいして美しいプリントではない。やはり印画紙に焼きつける従来のカメラの仕上がりとは違うんだな。この程度なら家のプリンタでやっても同じかも。普通の手札サイズで1枚50円とは高い気がする。なにより、ひたすら待ちの6分間が辛い。冬なんかは店頭も冷えるしのぉ~。やっぱ、使わないかな~、アレは。みなさん使っているのかしら?私は家のカラリオでいいや~、と、あらためて思いました。
2005年11月03日
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そういえば『オーラの泉』って放送時間変わったのよね~。と、ふと思いだしてネットで調べて確認してみる。『国分太一&美輪明宏&江原啓之のオーラの泉』というのが番組の正式名称らしいなんだか、なぁ。番組の中で一番重要なポジションを占めている人物の名前が最後で、番組の中では一番地位が低そうな人物がトップに名前を書かれている。始まった時からこうだったのかしら?なんか矛盾を感じる。江原啓之さんがいなければ、決して成立しない番組なのにね。やっぱジャニーズの力技なんですかね。もらってるギャラもこの順番なのかしらね?細木数子さんなら、ありえない現象だわね。彼女は一番のギャラでなければ、やらないだろうな~、なんて思う。タッキーよりもらっているのかどうか知りたいね。
2005年11月02日
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ネットで本を買います。宅配サービス付きと思うと便利なので。以前から利用している有名なア●ゾンに、8月に予約注文をしたのだけれど、発売予定日になっても一向に送ってくる気配がない。9月半ばに発売予定のその本は、10月になっても送られてこなかった。いいかげん、どうなっているのか?と思いだした頃、「発送が遅れることになりました、云々」というメールが届いた。私が予約した本は、一部のマニア(?)にとっては、けっこう待望の出版物でようやくこういう本が発売されるなんて、うれしい~♪という思いで、速攻で予約したのだった。発送が遅れることの理由については一切述べていないメール。別に急いではいないし、あぁ、そうなのね、と、軽く受け止めていた。ところが、遅れるというその時期になっても一向に送ってこない。いよいよどうなっているのか?!と思う。なんだかな~、と思っていたら10月も終る頃「ご注文の本は入手できませんでした」とのメールが届いた。8月の発売前から予約していたのに、どういうこと?入手できない理由については、一切述べられていない。「どのルートからも入手できないことが判明しました」とあるが、そんなの理由になるか?店頭に商品をならべておいて、それは売れないって話かよ。しかも、一緒に注文していたものについては送るから、それが1500円に満たない場合は送料を払えとのことだ。冗談でしょ?1500円以上になるように、一緒に買う商品を工夫することもあるのだよ。今回の件は、ア●ゾンに落ち度があるわけで、送料はア●ゾンが負担すべきだろう。幸い1500円以上のものを注文していたので、得に不利益は被らなかったが。だいたい、なんで「入手不可能」なことが、私が「キャンセル」をしたことになるんでしょう?ものすごい大胆な責任転嫁というか、話のすりかえというか、予約していた間に、とっとと買っておかなければ、売り切れてしまうことだってある。私が被った不利益について、どう責任とってくれるんだ?実際、売り切れなのか、販売ルートがないのか、なんだか理由はわからないままだ。ア●ゾンがこんなに無責任なことをするなんて、ショックだな…。以前にもキレたことがあった。それは別のネット本屋で「お!この本がある、買おう!」と思ってクリックしたら一応カートに入れることができたが、初めての利用ということで、名前やら住所やら決済方法やらいろいろ面倒な入力作業をさせられた。登録が済んで、購入の手続きを進めたら、「その商品は在庫がありません」だって。これまた、ふざけるな!って話だ。ないものを並べておくのはやめてくれ!うそつきはドロボウの始まりだぞ!
2005年11月01日
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