全9件 (9件中 1-9件目)
1

レッドロビンを枯らすカミキリ。前回につづき、ルリカミキリの被害の続編です。よろしかったら。 ↓レッドロビンを隣地との境い目の境界の生け垣にしようと、画策する話のつづきです。春先に事務所にやってきたベテラン農家さんが、ようやく生け垣に見えはじめた二年目のレッドロビンを見るなり この赤い葉の樹にはテッポウ[こちら]がはいってくるからなぁ と呟かれた言葉を耳にしたとき、わたくしは まさかレッドロビンにカミキリムシが憑くなんて[果樹やセンダンの樹ではあるまいし]そんなことってあろうはずない・・と思ってしまったのですけれどそのつぶやきを聞いたその年の秋、順調に育っているとおもっていたレッドロビンが 被害を受けているのに気づきました。 ↓取り木のときに使う環状剥皮をするときのような状態にも似た樹皮の被害が こちら ↓ 。 アップで見ると、 こんなかんじ。樹皮の下を[映画ハムナプトラにでてくるムシに]這いまわられたような そんな被害の状況です。這いまわられ食べられたのだとおもえる食害あとには まるで ヤシガラのような繊維質だけが貼りついているというようなひどい状況です。しょうじきいって 果樹にはいるゴマダラカミキリ[こちらは樹皮の下を這いまわったりはしませんものね]よりもひどい食害痕・加害痕だと思わされました。樹体の広範囲にわたってこんなひどい食痕を残すカミキリムシ は こちら。 ルリカミキリ です。大きさが2センチくらいの大きさの 黄色くてかわいいかんじのする虫であり、頼りなげにふわふわと飛行する飛行している虫だけに、まさかこのカミキリが犯人であるとは意外なかんじがしたものです。九州では[ここ4・5年のあいだに生息範囲をひろげているかんじなので]これから被害が目立ってくるのかもしれませんから、街路樹にとっては要注意の虫だといえそうです。ということで今回は宮崎にもたくさん植栽されているレッドロビンの害虫についての、お宅のレッドロビンにも要注意というおはなしでした。 ミノムシにハマキに、今回のルリカミキリに加えて、新芽 には もちろんアブラムシもついてきますから、ご用心。「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
2022.05.30

前回の “瑠璃鐫花娘子/るりちゅうれんじ”と、おなじ瑠璃色つながりの庭の難敵ということで、ここのところ私が3年ばかり対峙格闘しているルリカミキリの回の採録です。レッドロビンが最近なんだか弱っちゃって・・といわれる方、いまが成虫が侵入してくる時期ということで、よろしかったらご参考に。 ⇩『ルリカミキリ。準絶滅危惧種とはいうけれど。』頼りなさげにふわりふわりと空中を飛ぶ、黄色いボディの小型のかわいいカミキリムシ。ルリカミキリです。体長は2センチほど。 隣地との境い目の境界の生け垣にしようと育てているレッドロビンの近辺で よく見かけるなあとは思っていましたが、まさかこの虫が 手塩にかけて育てていたたレッドロビンに害をなしていたなんて・・・びっくりです。そんな ルリカミキリの被害が こちら ↓ 。 レットロビンの皮の下に潜り込み、まるで環状剥皮をしたかのような状態になるまで食していきます。そして こちらが食された跡の患部にのこる繊維質。指で触るとズルっと剥げてしまいます。 食された跡、この感触は まるでココナッツの繊維にも似て。で、この食痕あとの繊維質をとったら、表皮がすっかりなくなって幹がまるでサルスベリの樹の幹みたいに つるつるになってしまうという怖ろしさ。これでは表皮の下にある維管束などが被害を受けて、樹上まで水が上がらなくなって当然です。こんな被害にあったら、レッドロビンもかわいそう。一頭ならまだしも、複数頭に同時に食されたとしたら、あっというまに枯れてしまいそうですよ。さて そこで防除法なのですが、これがなかなかに難しい。樹皮の下にいるわけですから、農薬を散布したとしても薬液が直接かからないし、そもそも樹皮を食べすすんでいってしまうので、繊維質のトンネルのいまどこにいるのかもなかなかわからないという厄介さなんです[防除したい身としてはじつにくやしい]。そこで・・・しかたがないので食べた跡の繊維質を剝がしていって捕獲するという、非効率な手作業的な方法をとっています。したの写真が、運よく捕獲できた幼虫です。頭には鋭い牙があったり。 大きさ、体長は 2センチほどです。 ということで今回は、町中の植え込みにたいへんよく利用されているレッドロビン/アカメガシに憑りついて枯らしてしまう虫についてのおはなしでした。最近庭のレッドロビンが弱ってきたなぁと、心当たりの方はご注意くださいね。 それにしてもの ルリカミキリ。それでいて高知県な どでは 準絶滅危惧種にも指定されてるというのですか ら、なんとも摩訶不思議なはなしです。なにか高知土着 の強力な天敵でも かの地にはいるのかしらん。「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
2022.05.27

早期水稲は 中干しの時期にはいります。本年は目立った遅霜の被害もなく、例年よりもおとなしめの生育をしているかんじのイネの生育でした。が、連休すぎからの雨天曇天が続いている影響で、葉が伸び気味となって垂れ込んできた田んぼが多くなってきているかんじがします。 と、いうことで恒例の中干し。 天気が晴れぬままに梅雨にはいることも予想されますので、とくに地力のある水田などでは 早めに実施されるとよいでしょう。以下は その中干しについての定番の溝切りの回の再掲載です。ご参考に。↓『イネつくりといえば みすみはんさく。』田植えから約60日が経過するころ、この時期は、身体づくりにおわれていたイネの生長が、実をつくる生長に切り替えられていく時期なんですよ。田植してひと月後の話しは こちら。 〔4月1日前後に田植したイネでは〕そんな季節のはじまりです。そしてイネの生育の転換期を助けるのが、田んぼの水管理です。この時期に、“ためっぱなし”であった田の水も、抜いてしっかり干すんです。これを 「中干し」といいます。このような管理をするのには、もちろん理由があります。 ■ 土中の有機物の分解に伴い発生する硫化水素やメタンガス を抜く ■ 遅れて発生しようとする、イネの生長〔分けつ〕をおさえる ■ イネミズゾウムシ・シャンボタニシなどの水棲害虫の駆除 ■ 田の表面を硬くしていくことで、来るべきイネ刈りをやりやすくなるといったところ。 そうそう、田んぼが見られる環境にお住まいで、田を見る機会がある・・・といわれる方は、就農希望者でなくとも、ぜひぜひ田の水の有無を観察されてください。面白いものですよ。あ、そして タイトルの “みすみはんさく” さんです。 三角半作さん? 水見範作さん?じつはこの方、日本のイネつくりコンクールで、長年にわたって優勝してこられた方なんです・・・なんていったら信用していただけるかもしれませんが〔無理か/笑〕、ほんとはイネつくりに関する格言です。正確には 「水見半作」となります。これは 水の管理は、稲つくりの半分を占めるほど大切な作業である という意味なんですね。。頼りになるんですよね、みずみはんさく/笑。土の栄養状態や病害虫のことばかり、あるいは大型機械での大規模農業が注目されがちなイネつくりですが、じつは イネつくりには、田んぼという生育環境をコントロールするための〔ある意味ローテクともいえる〕水管理技術も必要不可欠です・・・ということですね。 中干しの時期の。田のライムグリーン色のなかにたたずむのは、 凄く気持ちがいいんです。そう、これすなわち アマガエル気分 ↓/笑。 「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜」
2022.05.24

瑠璃鐫花娘子が でたっ。ミノムシにやられたサツキを せっせと世話して やっとのことでなんとか葉っぱを揃えられるまでに回復させた とおもっていたら、 サツキの葉の中心の 太い葉脈だけを残して 左右の葉の部分を食して、見た目でいえば 一枚の葉を一本の線状に齧りたおしていくという そんな信じがたい食性をした虫がいるんです。 枝で見たときのその虫の被害が こちら。⇩。 大人の手の平くらいの面積が 順に食害されていき、しまいには手にもっている枝全部の葉が上記の棒状に食害されてしまいます。そしてこちらが 現場のツキの被害状況です ⇩ 。中央にいる犯人のまわりにある 棒状のものが かつては葉であった部分。 イモムシ類の特徴として この虫も集団で発生しますから、数がおおくなれば サツキはいっきに丸坊主の状態にされていきます。 こいつの名前は 瑠璃鐫花娘子。 るりちゅうれんじ と読むハチの幼虫です。昨年も サツキのお花が 咲くころの時期に出現しましたので、 むむっ、なんだかサツキの葉が急に寂しくなってきたぞなんて感じた方は、早急な観察&点検&駆除をお願いします。 それにしてもの 瑠璃鐫花娘子。その字面に はむかしなつかしの夜露死苦や、キョンシーの額に貼っ てあった おまじないの文字など連想しませんか笑。「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜」
2022.05.22

安徳帝は壇ノ浦で入水されたとされていますが。5月08日に放送された「鎌倉殿の13人」の壇ノ浦の合戦にて、二位の尼に抱かれて入水される安徳帝のシーンがありました。名場面ですよね。今回にかぎらず、どのようなドラマをみても胸を打つシーンだと思います。 個人的には やはり大河ドラマの「平清盛」にて、深キョン演じる二位の尼/平時子に抱かれて入水される帝の、祖母でもある時子とお二人で会話するシーンが思い起こされます。とはいうことなのですが・・・そこで鹿児島県の垂水です。ここ数回宇喜多秀家公つながりでご紹介してきたのですが、じつはこの地に、壇ノ浦で入水されたはずの、その安徳帝をお祀りする神社があるのです。神社の名前は 居世神社[こせ神社]。案内板には つぎのような説明が記されていますよ。なお神社のなまえである居世/こせですが、これは いせ/伊勢とも読める。伊勢神宮を崇拝し権威を誇ってきた平家ではありますが、都を追われ戦に敗れた身ゆえ、公に伊勢とはなのれなかったので、いせともよめる当て字を用いたのではないか・・といわれているそうです。 前回ご紹介した七人塚の平家ゆかりの平野家もあることですし、また宇喜多秀家も匿われていた土地柄でもあります。 壇ノ浦合戦時には七歳といわれている安徳帝におかれましては隠遁生活ではあるとはいえ、自然豊かな錦江湾沿いのこの地にてお健やかな生活をおくられていたとしたら いいことだよなあ・・などと、神社にお参りするたびに 思いめぐらし。。初春の神社の裏手には、特産のマメ畑&袋かけされたビワ畑がひろがります。この日はなんだか、優しげに見える桜島。。 屋敷から3kmの道のりを歩いて居世神社にお参りする ことを日課とされていたという宇喜多秀家公。うたた ねの夢は牛根の里にさえ都忘れの菊は咲きけり と歌 を詠まれています。居世神社の紋章は菊の御紋。。 「夢で終らせない農業起業」 「本当は危ない有機野菜」
2022.05.17

七人塚。その後。関ケ原合戦のあと薩摩に匿われた宇喜多秀家。その屋敷あとが垂水にあるという話関連の後編です。その屋敷跡を訪ねてに行く途中でみた七人塚。その塚が源平合戦に関連するということで、資料として2015年11月分の内容を変更して再録してみました。ご参考までに よろしかったら。 ⇩『源平合戦、その後。七人塚。』壇の浦の海戦で源氏に敗れた平家の残党たち。 四国や九州などの各地へ散り散りとなって逃れ、そのうちの現在の垂水市の牛根辺田に土着したのが平野家一族です。その平野家はもともと平家の水軍であったことから操船術はもとより、造船技術にも優れていたので次第にこの土地での有力者になっていったといわれています。そこで、薩摩に匿われていた宇喜多秀家です。この秀家公がこの地にいるあいだ、毎日のように日参されていたというのが、この七人塚[こちら]だったということ。その七人塚の案内解説板にはそんな秀家公の日常の話と併せて、じつはこの塚が平家残党であったその平野一族と関係するものであったことが記されてありました。 ののいわく・・・「源平合戦に勝利した後、源頼朝による平氏一族・平氏残党の探索は厳しく続きます。しばらくして山伏に姿を変えた源氏の追手7人が、平野家一族を暗殺にやってきますが、平野家随一の剣客が夜陰に乗じて追手7人を倒したと伝えられています。その七人の追手の亡骸が祀られている場所、それがこの七人塚です」 と。いやー、すごいはなしですよね、七人ですよ、しかも追手で選ばれたであろう刺客の人達をいっきに豪快にですもの。ものすごい手練れ・剣の名手ではないですか。切られた追手も、大活劇/大立ち回りしながら 敵ながらあっぱれ・・なんておもったのではないでしょうか。などとついついかってに想像してしまったのです。しかし、しかし。実際に七人塚に行ってみて感じたことなのですが、なぜか七人塚の印象が暗い。塚がアコウの樹に覆われているからなのか、入口のキンギギドラの首が這っているかのようなヤマモモの枝がそう感じさせるのかはわかりませんが、晴天の南九州しかも桜島のある錦江湾の陽光が照り付けているというのに、なぜか人を拒むかのような暗い感じがするのです。不思議な話ではあるのですが。 ののそうかんじて、垂水からかえってきて、しばらくしてのこと。垂水のある鹿児島の大隅出身の方とお会いする機会があったので、これはしたりと、その方に七人塚の話をお伺いしたのです。すると、あの七人塚にあった説明板の解説とは異なる塚の由来を聞くことができたのです。それは・・・いまの鹿児島県の垂水に根付いた平家の落人である平野氏一族が、ある日訪れてきた七人の侍たちを”平家落人を追ってきた源氏”だと勘違いして一人づつ刺殺してしまい[その後追っ手ではないという事実が判明したあとに]その七人をお祀りした。 七人塚はその塚なのだと。なんのことはない無実の方々を間違って殺めちゃってしまったという、討たれた方々にとっては無念このうえない話であるとおっしゃったのです。その話をきいたときに、おもわずわたくし、それだっ 800年の時が過ぎても塚が訴えたかったのは、それだったのかもっ と、おはなしを聞かせていただいた[もちろん前後の事情など知る由もない]その方に対して ついつい大声出して驚かせてしまって ただただ申し訳なし/笑。ということで今回は、平家とか、宇喜田秀家とか、豊臣秀頼とか幸村とかが 逃れてきたという伝説の残る鹿児島県垂水市のお話でした。次回へとつづく・・。 それにしてもの源平合戦の、戦いがすんでからの平家に 対しての鎌倉幕府の執拗な残党狩り。霊媒師でもない 私にさえのそんな“暗い気配”をこの地に感じてしまったのは、 その陰湿さのせいなのかもしれません。 「夢で終らせない農業起業」 「本当は危ない有機野菜」
2022.05.16

宇喜多秀家が日参されたという七人塚。関ケ原合戦のあと薩摩に匿われた宇喜多秀家。その屋敷跡が垂水にあるという話関連です。その屋敷跡を訪ねてに行く途中にでっかいヤマモモの巨樹があり、その根元にあったのが七人塚。源平合戦に関連する資料として2015年11月分ですが、よろしかったら。 ⇩「亜熱帯雨林のなかで見た七人塚。」秋晴れの午後だ というのに、誰もみかけない山道。のの [垂水の豪族である平野家に匿われていた]宇喜多秀家公が住まわれていたという屋敷あと を 訪ねようと、その山道をのぼっていくと、 二股の分かれ道。その標識の示す左手には・・・のの歩道の上に覆いかぶさるようなかたちで[龍か大蛇を連想させられましたよ]巨樹/ヤマモモの枝が空中に大きく張り出しており、その枝をくぐったところにのの“七人塚” の解説板が ありました。その解説を読み、案内の矢印どうりに左手に回り込んでいった先にあったのが こちら。 七人塚 です。のの[失礼とは知りつつ]いっけんすると巨樹の根元に見えますが、こちらは南九州に多いアコウという樹。いろいろな鳥たちが実を食べることによって運ばれ、その種子がもともと生えていた樹木の上に落ちて発芽し、成長していく過程で気根を伸ばし最終的にもともとあった木を覆い尽くし枯らしてしまうアコウの樹です。そのアコウの樹[大人七人の両手を繋いでも抱えきれないような]に、いまや飲み込まれてしまったかのようにしておられるのが、 この “七人塚” なのでしょう。よくよく拝見すれば、そのうねった気根のなかに、飲み込まれた石塚の一部が見える気もします。それにしてもの、この光景。秀家公の屋敷あとが、天に向かってまっすぐ延びたスギの木が点在していただけに[曲線と直線・暗と明・無機と有機・未分解と分解といったような]なんとも対照的なたたずまいでありました。そして静寂です。南国の明るい亜熱帯の林のなかにいるはずなのに、トリの声ひとつしない静けさ。平野家の子孫の方々のお家も点在するはずだというのに、ちょっとした別世界の観あり。 ちなみにこちらは秀家公家臣のお墓 → この地にかくまわれているあいだ、七人塚に毎日御参り されていたという宇喜多秀家公。そのときの塚の近辺は いったいどんな風景だったのでしょうね。 「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
2022.05.07

宇喜多秀家も、見てていたのかホトトギス。大坂夏の陣のあとに流行ったという、“花のようなる秀頼さまを 鬼のようなる真田がつれて 退きも退いたり加護島へ” という俗謡。それに惹かれての鹿児島県垂水へ。次回の資料として、 2015年10月25日分再掲載です。 ↓『宇喜多秀家も、見てていたのかホトトギス。』錦江湾をはさんで鹿児島市の向かい側にある垂水市。その垂水市の巨大なヘゴシダが自生しているような亜熱帯ともいえる牛根地区の樹林の中で、の ← 3mはありそう まだまだ暑い気候のなか、 元気に開花しているホトドスのお花をみました。ののの ホトトギスのお花の花言葉、それは『秘めた意志』『永遠の若さ』。お花が咲いていたこの場所が、関ヶ原の合戦のあと薩摩に匿われていた 宇喜多秀家の住まわれていた場所であっただけに[なんだか秀家の心情をあらわしているようで]とっても感慨深かったです。の家康の当時の年齢を考えれば、戦に負けたとはいえまだ20代後半であった秀家だけに、心中期するものがあったにちがいない・・・なんてことを勝手に思わずにはおられませんでした。 垂水市側から見た桜島 ↓のの元気の象徴ともいえる、あの錦江湾に浮かぶ活火山である桜島の姿を朝な夕なに見ていれば、だれでもきっとさう思う気がして。 関ヶ原から時代がくだって、大坂夏の陣のあとに流行っ たという、“花のようなる秀頼さまを 鬼のようなる真田 がつれて 退きも退いたり加護島へ” という俗謡。 この謡は、秀家の鹿児島滞在も踏まえての希望的観測だ ったのでしょうね、きっと。 「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
2022.05.04

ヤケド虫の罠。。掃除などしているときに気づく、一本の草。あれれ、あんなに大きかったっけ・・・などと思いつつ、身体がついつい勝手に動いちゃって抜いたのはいいんだけれど、あとになって 指のあいだなどが腫れてくるなんてことが多々あります。そんな腫れをもたらす一見アリのような、そんな虫被害のおはなしです。[抜いた草の種類がちがうにもかかわらず]昨日もやられちゃったもので昨年分を掲載しつつ おおいに反省中。↓事務所でお祀りしている地主神さまの碑の周りに植えているジャノヒゲ[リュウノヒゲ]のなかから、 花穂のついた草が伸びて着ていたので、 素手だったのだけれど、ついつい反射的に手が伸びて、その草を抜いた まさにそのとき、花穂に触れた右手の そこかしこに感じたにピリリと走った感触。。花穂にアリでもいたのだろうと考えて、いつもどうりのアリ対策として、熱さを感じている部分に ガムテープを貼り付けては剥がすという アリの針を抜く作業を繰り返したのち、水道の水で手首を洗ってアリ被害にあったときの薬を塗布したところその後しばらくして 患部がヤケドでも負ったように腫れてきました。で、一週間経過した本日の右手の様子がこちら。 薬剤を塗り続け、一週間経過してもこんなかんじですからね。35度ちかい気温のなかの、ただでさえ汗ばむ季節のなかであるのに加え、患部のピリビリとし、しかも肌が突っ張るような感触には おおいに閉口させられましたよ。そうですこの症状はアリではなくアオバアリガタハネカクシ通称ヤケド虫[宮崎では毒虫とも]による被害だったのです。アリだとおもって対処[アリ被害はこちら]したのも、回復が遅れた要因でしょうけれど、あの花を抜くとき花のなかにはいなかったと思ったのですけれど、まだ小さい個体がいた・・ということなのでしょうね~。成虫でも6ミリほどの細い体で、網戸をすり抜けて、戸内に侵入し、電灯の明かりを飛び回って、落ちてきて、灯りのしたにいるヒトの 首元やら胸元やらに侵入して刺したり、 戸外の自販機の明かりに集まり、飲料を求めてやってきたヒトの素肌の部分を刺したりすることのおおいアオバアリガタハネカクシが、昼間に ひょっと抜いたお花にいたとは まったく注意不足なことで ありました。 ちなみに そのとき抜いた お花が こちら。 本日も 痒みをかんじるたびにお薬を塗布しているのですが、完治するのには、あと10日ほどはかかりそうです。ということで今回は、 気になる場所に生えていてひょっと抜きたくなる草であっても注意が必要な場合もある・・・というおはなしでした。それにしてものアリガタハネカクシ。ぜんぜんありがたくないのに、この名まえはないだろぉぉぉぉぉ。 ちょっと調べただけでも・・・ やけど虫は、卵・幼虫・蛹・成虫のいずれも「ペデリン」 という有害物質を体内に持っており、人の体に止まった ときに払い落としたりすると、体液が糸のように付着し、 そこが数時間後に発赤し水ぶくれになる。症状はかゆみ を感じた後、やけどしたときのような痛みに変わる。 目に入ると激しい痛みがあり、結膜炎、角膜炎、虹彩炎 を起こす・・などとありますから、夏のいまの時期には とくに注意が必要なようですね。「夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」
2022.05.02
全9件 (9件中 1-9件目)
1