全120件 (120件中 1-50件目)
![]()
手軽な栄養スープとしても。 【ビーバン】おいしいだし500g
February 29, 2016
コメント(0)
![]()
痛くない靴も一足買っておく→【送料無料】毎日履きたいお洒落パンプス!1度履いたらやみつきに!!『走れる5color 』
September 9, 2015
コメント(0)
![]()
いま話題の本、涙なくてしては読み聞かせできないそうですね。ママがおばけになっちゃった!著者:のぶみ価格:1,296円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る
September 7, 2015
コメント(0)
![]()
それかこれ?おばあちゃん、花は鉢で育てたがる。 敬老早割 ポイント10倍 【送料無料】鉢植+ミルク饅頭など選べる4種 紫と白の希少りんどう
September 7, 2015
コメント(0)
![]()
敬老の日は、どうしますか。いま、私は探してる。 [早割&送料無料]敬老の日ギフトセット 選べる和菓子 福重ね 送料無料 京都スイーツ
September 7, 2015
コメント(0)
![]()
#好きなアイスを呟いてアイスTLにする キティちゃんとマイメロちゃんのアイス!【堂島アイスロール ハローキティ&マイメロディセット】…「堂島ロール」のモンシェールから。サンリオ sanrio コラボレーション商品。
September 7, 2015
コメント(0)
![]()
これ、かわいい 【不思議の国のアリス】【新作】ウォレット(長財布)2色(お財布 キャラクター 女性 レディース ふしぎの国のアリス 長財布 財布
September 7, 2015
コメント(0)
![]()
大人も子どもも楽しめる。「ポーランドで人気の絵本作家夫妻が、世界の国々をすみからすみまで調べあげ、まる3年かけて、地図とイラストをかきました」 『マップス』
September 6, 2015
コメント(0)
特別支援学級に通っていますが、障害児としての正式な?認定をうけていないので、愛の手帳を取得することになりました。これを今までとってこなかった意味も、ここでとる意味も、実はよくわかっていません。まったくわからないわけではないけれど、すっきりはわかっていません。情報が、とにかくないです。いろいろ尋ねて、いろいろきいて、いろいろ読んで、意識をひらいて、アンテナを張って、自分も動いて、自分からどうにかすることで、やっと、見えてくる世界だという・・ここが、あいかわらず、なにか辛いと感じています。だいぶ慣れましたが、でも、慣れきってもいけないのだと思っています。違和感を違和感としてもって変えていく動きが必要とされる・・という側面も世の中にはあると思う。診断書がやっとできました。「4」の部分にまるがたくさんついていました。「軽度」の「知的障害」なんだな、と、ここで、改めて思う。当たり前ぐらいの事実だけれど、正式書類の文字でみると、何か気持ちが違います。喜怒哀楽でいうなら、なにか、やっぱり哀しくて小さな怒りも感じる。いらだち、というのか。なんだろう、この気持ちは。「軽度」という中途半端さにも、「障害」という言葉にも、苛立つ。いや、やっぱり哀しいんでしょう。私は息子が愛しいけれど、彼を愛しいと思う気持ちは、イコール「将来が心配」であることが多い。そういうことが、つまりやっぱり今も、哀しくて悔しいんでしょう。
April 2, 2014
コメント(0)
この日記、何年かぶりに再開しようと思います。しばらく、このブログを見に来ることもできませんでした。にんに、中2になりました。卒業後の進路を考えないといけない。子どもたちが大きくなって、あのぜんそくぜんそくだったにんにも、体調が落ち着いたので、なにかいろいろ、おちついているうちに、私は、仕事をしたいと考えました。それをざっと5年ぐらいした。子どもたちは、両親がずいぶんみてくれてきました。子どもたちと、むきあうためにも、また、書こうと思います。
February 28, 2014
コメント(0)
「パパは、学校で、言葉が喋れないって言わなかったんだよ~」と、昨日、末っ子が言いました。就学時健診を夫に頼んだときのことです。仕事が入って、私、行けませんでした。彼は、まだ、自分の言葉に用事発音が残っていることを、自覚しています。兄は言語障害があるので、自分もそんなもんだと、思っているようです。そして、兄は、自分の言葉が話せないのが、弟とはレベルが違うことを知っています。だから、特別支援学級に、週に1度通っているということも。私が弟になんと答えるのか、遠くから、ツメを噛んで見ていました。咄嗟に、「大丈夫だよ。ね?」とお兄ちゃんに言うと、彼は、うん、うん、と笑顔で頷きました。「そばにいる友達が、ちゃんと、何言ってるかわかってくれて、みんなに教えたりしてくれるからね」と優しく弟の頭をなでた。ふたり同時に抱きしめると、お兄ちゃんは、「いいから、いいから」と言って、もがいて逃げていったけど。4年生。大きくなりました。こうして・・こうして、子どもたちは成長し、障がい、病気が産み出す問題も変わって行くんだなあ、と実感する秋です。春になったときに、兄は転校しているだろうと思っていたけれど、就学相談の進みが遅く、間に合わなさそうです。見学してもしても、入れたい学級がない。それは4年前と変わりません。就学相談の人の口のききかた、言葉の選び方に、ひっかかるところがあり、疑問があるのも入学当時と変わらない。だけど、就学相談の担当の先生が、「本人の気持ちを考えてあげてください」「支援級ばかりが道じゃありません」と言った。教育委員会からそんなことを言われたのは初めてです。そして、ものすごく応援してくれた。・・・もう、この問題にはとてもしらけていて、自分なりに何か動きもしなかったけれど、まだ、少し何か動く道が残されているのかもしれない、と思った。「訴えるなら、教育委員会に言ったら良いですか」とある人にきいたら、「いえ、校長先生です」とのこと。そうなの??そういえば、校長先生に、新しい支援級を作ってもらったと、ミク●ィコミュで知り合った人に教えてもらいました。うちの自治体じゃあり得ないと、羨ましく思って終わっていたけど、私、校長先生に、改めて、会いに行こうと思います。地域のお祭りにバザーなど出展した先生方が、おばあちゃんと買い物に言った息子を歓迎し、口々に声をかけてくれたそうで、「ぼく、大人気だった」と息子が私に報告したのですが、いつもは、そういうものいいに厳しい母も、「本当に、あれは、大人気という感じだわ。かわいがってもらってるんだねえ」と言いました。ありがたいです。本当に、本当に、こればっかりは頼んでもやってもらえないし、ご迷惑もかけているだろうに、ありがたいのひとことです。
November 28, 2009
コメント(0)
子どもたちの夏休みが、8月いっぱいで終わります。長い休みが終わるとき、私の方が、だんだん学校生活への「スタンバイ」状態になり、そして、不安定になります。道でばったり会った、通級でいっしょのママも「また、2学期ね」と開口一番に言い、気持ちがふさいで体調も悪いらしくて、暑さで汗をぬぐいながら、「更年期障害かしら、って思うほどがまだ楽なの。普通の女の人に、みんなある悩みだから、人に言うときにも通じるし」って言って、タオルで目頭を押さえてしまった。私が、そこで泣かずにすんだのは、彼女が1人息子さんを自宅に留守番させていてアイスを買ったと言っていたし、さらに、炎天下に帽子もかぶってないので、早く帰宅させなきゃと思ったのと、先に泣いたのが彼女で、日常のなんでもない買い物帰りの時間にも、そんな風に簡単に涙の堰が破られるほどの思いが、胸に差し迫っているのが、あまりに自分と同じで、だから、私はひとりじゃないと思ったら少しほっとしたのと、・・・っていう、そんな理由からだったと思う。「家に帰ろう」って、彼女の向きをかえながら、タオルに顔をうずめる丸めた背中に軽くふれたら、カチカチに硬かった。こんなに力が入ってるの?って、すごくびっくりした。思わず抱きしめても、泣きながら、こんなところでごめんね、ありがとう、って言ってるばかりで、ぜんぜんゆるまない。もともと、大らかな、ほがらかな人なのに、こんなになってしまうなんて、あんまりだ。自閉がある息子さんのことも、根気づよく、愛情深く、丁寧に、そして明るく育てているから、私も、感化されてる。ふだん、彼女のおうちでお茶をごちそうになって、愚痴も悩み話も全開で、でも、笑って話せる時間が、私は大好きだったし。更年期のことも、ああ、そうなのか、と思った。私も、自分の不安定と体調不良を、そういう年代かもと、よく口にする。「まだ、そんな歳じゃないでしょう」と言われるけど、いや、そんな歳だろうとも思っている。私は、自分で、もう出産を終え、長かった授乳期も終えたという安堵感のような、ひと仕事終えたような意識を、わりと強く持っているのでからだも反応すると思う。それと、色々な問題が相まって、こうして涙もろくなってしまっているんでしょう。でも、・・・そう、「一般に通じる言葉」として、「更年期かも」とか、言ってるのかもしれない、とふと思った。あと・・・昨年のゲリラ豪雨に襲われた爪痕が、地域にまだ残っていて、復旧工事もまだぼちぼちしてるし、あの夜、突然、夫がスーツの下半身水に浸かってやっとのことで帰って来たことも忘れられないし、子どもたちの同級生一家の、浸水で二階の部屋で助けを待っていたという、危機一髪のような話も、いまだに顔をみるたび無事で良かったと思うし、私の中に「洪水」というイメージが生まれてしまって、私、洪水のときに、どういうところで、どういう形でいるんだろう、と、よく思ってしまい、万が一のときは、子どもだけは絶対に助けようと、子どもを岸の誰かに渡しさえしたら、自分は笑顔でいよう、それで満足だと、そう思うと、大事な人たちのことが頭にうかび、みんな、ありがとう、しあわせに、と思って、なんだか馬鹿馬鹿しい感傷的な妄想ですが、ひとりになると、これにとらわれて涙が出て来て、本当に、どういう大人かと・・・あやうい不安定さだなあ、と思う。ただ、こういう妄想のなかでも得るものがあって、私、こんな形の人生だけど、大事な人たちを大事にもしきれないままだけど、こんなに泣けるほど好きで大事だと思う人たちに出会えたのでそれは、それだけで、しあわせなんだとも思います。そして、ほんとうはきっと、2学期も、大丈夫。彼女も、また、頑張ると思う。私も、なんだかまた流れにのって、新しい秋を迎えるんだと思う。
August 27, 2009
コメント(0)
すごく久しぶりの投稿です。去年から仕事をすることを考え、今年は実際に仕事をしていて、息子は通常級に今もいますが、すっかり「落ちこぼれ」です。でも、大好きな友達ができて、それから、憧れる友達もいて、かわいがってくれる先生方がいて、毎日、せっせと授業とは別の何かに夢中で、休み時間と放課後を楽しみにしています・・・そして、担任との関係は冷えきっているそうです。(担任が言っていました)私も学校に頻繁に顔を出さなくなり、息子が私が手を出し、口を出すのをいやがるようになり、「潮時」だろうと思うので転校先を探しています。ここと決めて見学にいっても、いろいろ入れない理由があったりして、スムーズではないのですが。「タイミングを逃さないでほしい」と担任が言いました。見学に行った先のことや、家族のこと、私の仕事のことなど、相談したいこと、事実として報告しておきたいことがあったけど、担任は、自分が言えるのは、彼の通常級生活は望ましくないということだけだ、と、私の言葉を、少し笑ってスルーしようという姿勢でした。なるほどね。わざわざ私の打ち明け話と言い訳話は必要ない、と・・ね。「お母さん、大変だと思いますが、お母さんにかかっていると思います」上の子の時から感じているけど、学校って面白い。上の娘も、我が家の状況とか全然詳しいことを知らせないで6年が終わった。一日の昼間の時間ほとんどを過ごすのに家庭のことも知らないでいいんだね・・なんか寂しいけど、そういうものなのか。実は私が子どものときも、私のプライベートを先生がほとんど知らないことが、寂しくて不思議で、あと、理解されていなくて(少しだけ独特な環境だったので。)面倒だった。ほんとに身体ってなんなのかと思うけど、夏休みが始まったその日に、膿でじゅくじゅくしていた息子のアトピーが、さらっとした肌になり、なくなった。彼がストレスを感じていて、担任も彼をストレスに思っているのは、もう、充分わかっている。とぼけて先延ばししてるわけでもない。「歩き回るわけでも、乱暴するわけでも、かんしゃくをおこすわけでもないので、彼が教室に存在することは、迷惑じゃないですよ。でも、このままでいいんですか、ということです」こういう会話しか先生とできなくなっていることに、まず疲れる。「このままでいい」とひとことも言ってないよ、私。転校して、息子や我が家の状況が、こことはまた別の意味で大変になるなら、転校する意味がないじゃん。それでも、1時間以上話して、最後の5分か10分でやっとお互い本音でくつろいだ話ができた。「難しいですよね。いろいろありますよね」とお互い。やっと先生が先生としての言うことを全部言ったらしく、私も親として一応ひととおりきいたので、そのモードを終わらせられた、というか。なんだか私も歳をとったのか、と思うけど。息子が1年生のときなどは、こんな余裕はなかったよね・・転校先としてほとんど決めていた学校を私が見学にいってから拒否したことについて、先生は先生で、ちょっとした裏話を教えてくれた。「だから、おっしゃることはわかるといえばわかります。僕も親の立場だったらお母さんと同じことを言ったかもしれない」と。このひとことで救われる。そして、私は、今、小さな子どもの教室で講師の仕事もして、保護者相手がとても難しいのを実感してるので、その話もちらっとしてみた。「ほんとに、いろいろありますね」と、笑って別れた。実りのある面談でもなかったけど、こんなもんかも。ほんとに「潮時」だなあ、と思う。
August 12, 2009
コメント(10)
いまだに、琴線にふれる問題であることはかわりませんが、学校にあがって3年目。ずいぶん、気持ちに整理がついて、先生方との話し合いなども、理路整然と思うことをいい、おっしゃりたいことをうけとり、できるようになったきたなーと、自分でも思うようになりました。学校のことにつきっきりじゃなくてもよくなって、息子は、毎日、学校が楽しくて、友だちとの関係もいきいき、のびのびとし、日に日にたくましくなってきました。これこそが、私が望んでいたこと、元気な男の子たちの中に、彼の居場所があり、一緒に走って行く・・・とうとう、その姿をみれて、彼から積極的に友だちとかかわれて、肌でその関係を体感したので、もう、・・・もう、満足です。勉強では、ついていけてません。そして、いけていないけれど、彼としては随分できるようになったので、彼は彼の勉強をしっかりした方がいいようにも見えます。そして、勉強が必要だ、というような段階になったのは、彼の成長だと思う。なので、今、このまま普通学級で、小学校を卒業しようとは思ってないです。やはり、普通学級では、彼を細やかにみてもらえないので、もったいないなーっと思うようになってます。普通学級に対する提言や、希望もありますが、現状にあわせて、ふさわしい環境を探し始めました。提言、希望の声をあげることは、私が、一段落したので、そして、また、私の息子には間に合わなかったので、次の世代のためにも、新しい立場から、続けていきたいと思います。このブログも・・いろいろな複雑な私の気持ちの変化から、書けなくなっていましたが、また、あらためて、続けたいとおもいます。よろしくお願いします。
September 16, 2008
コメント(0)
息子、夏休みに入りました。入学して初めて、夏休みの補習もプールもなし。来なくていいという態度。だった。冷たい。もう、出ていく日を決めるばかり、という態度。面談で長いこと話したのに、こちらの気持ちや考えは、組み入れてもらってないことがわかった。教育熱心だとは思う。おかげで、ありがたいこともある。でもね、でも、なんか、独りよがり的なところも。校長先生の話も、鼻につくようになってきてしまった。ああ。。。ダメ、私、いらいらしている。確かに、もともと無理、限界があると言う学校に、入れたのは私。だけど、そのお役所根性的な、やる気のない態度はなんなのさ、そもそもって思ってる。シカトすれすれの、この仕打ち。理解がある、協力的な親だって言われてるらしい。「評価」するの? 面倒じゃない相手、って?さみしすぎる。心開きあって、わかりあいたいのに。「居場所無くされて出たんだよ」春に特別支援学級に移ったお母さんが言った。本当だ。本当に・・・そのとおりの流れだ。うわ・・うちだけの話じゃない。障害児をひとり育てるのに、世の中がそんな・・・親に、そんな形での選択させていいの?保護者の理解がたりないということなら、もっとわかるように教えてくれてもいいのに、学校だって、出てけと言いながら、行き先のこと、全然知らない。今所属してる通級クラスが定員オーバーで、待機してる人もいるという。去年、やっぱり軽度の発達障害の子が、修学旅行で弁償騒ぎ起こして、校長が、もううんざりって態度だったっていう。だから出てけと?今は、まだ、ここの生徒なのに、薄情すぎない?せめて、行き先のこと知って、その選択が子どものためになるっていう気持ちをもって、説得にあたってくれたらいいのに。そこの情報もつようにするのって、世の中じゃ普通の対応でしょうに。こんな仕打ちをされるなんて、あんまり。悔しくて、イライラするのは・・有意義じゃないことが多すぎるから。軽い気持ちで普通学級にいるんじゃない。考えに考えているのに。それを、赤裸々に告げてきたのに。「反対」なのはかまわない。でも、「きくみみもたない」っていうのはやめてほしい。こっちは、そっちの言い分、丁寧にきいて、考えてるんだから。一緒に考えてほしいって言ってるのに。「一緒に」は、拒否らしい。まったくもう。怠慢の自覚ないんだろうなあ。教育者としてどうかなあ、ちょっと、これ、また、ひとつのターニングポイントかも。これだけうちが言ってきても理解しないで、追い出し作戦だけ強化するなら。2学期、もしかして、夏休みから、まっこうから、対決かな・・・まあ、私は、もちろん、喧嘩が目的じゃないし、苦情を言いたいわけじゃない、でも、今まで、どういうつもりか確認したことはなく、こちらの要求をはっきり伝えて、はっきりと 答えをもらったことがない。グレーゾーンが、よい結果を生み出す余地になることがあるから。でも、淡々と指摘して、問題整理して、道を模索したい。私のため、息子のために。一番良い選択をしたい。上の機関も使うことになるのかな、いよいよ。そっちも融通きかないけど、ちょこっとずつ風穴があいているのも見えてきてるから、こっちの方が話が通じる可能性はある。だから、学校も、一般論でかわしたり、マニュアルどおりの指導しないで、(それが、けっこうお粗末なんだし・・もう!)うちの子、うちの考えを見据えてほしい。そのうえで、ダメだと思うなら、それを、ちゃんと本音で伝えてほしい。それを望んでるんだってば。うちの夫は、実は、ここの分野の専門家。もうずっと、苛立っている。苛立ちながら、見守ってきた。私には私のアプローチがあるけど、彼にも彼のやり方があるはず。小さな、一市民でしかないけれど、わたしと夫は、少なくともふたりいて、それに、武器は持ってるかも。相打ちでもいい覚悟も、とっくにしてる。ただ、そんなふうにならなければいいなって、思ってきただけ。私は今、ちょっと、猛々しい気持ちになっている。
July 21, 2008
コメント(0)
末っ子は、クールで、頭使うの大好きで、よく、数字を、いろいろ計算しては自分なりに「発見」している年中さん。情緒の発達が逆に遅いようで、唯物主義的でこわいところもある。しかも、眠いときなど、怒ってキレる。うちの上のふたりにはまるでない特徴が集まってる。「おばけって嘘だよね。みえないもん」とか、「本のお話って。だれかがつくっただけだよね」とか、身も蓋もないような発言をしてきた。「目に見えないお友達」がいて、よく会話していた(真ん中の子などは今もしている)上のふたりと違って、この子には、そんなことありえない。お人形を使わないと、「生き物」役が現れない。その息子が、今日、幼稚園の帰りに、「ここ、小人さんいるかなあ」と藪をのぞき、「見えないなあ。見えないなら・・サンタさんの仲間だ」などと、夢のある発言をした!「こびとさんって合体する(んじゃ)ないの?」(まだ、よく喋れない時がある)「合体? サンタさんと? 」????????「合体してサンタさんになるないの?合体したら、大きくなるから、ぴったりないの?」かわいい!!「そうだねえ。ぴったりだもんね、大きさが」ああ、この子にも、こういう日がきた。
July 14, 2008
コメント(0)
3ヶ月間、学校に通ってました。(ほとんどそれでめいっぱいでした。やる気は湧いてきて、お弁当作って通っている自分がすごいと思ってしまいました。)主婦などの女性のための再就職講座です。働く気になっています。子どもたちは・・・意外と自立してくれているような。同居の母が預かってくれたのですが、母は少々疲れている模様・・・申し訳ないです。しかし、私の就労を応援してくれているのも母です。夫も、その方が好ましいみたいで、少しお金がかかりましたが、快い顔をしてくれていて、学校も楽しく、友達もできて(みんなすごく仲良し)、幸せだなあ、と思います。しかし、そうでもないのか・・・?心配なのは、真ん中の息子のこと・・は当然。入園したての末っ子は意外とけろっとしており、そして、そして、最近、上の娘が、よく熱を出します。今は、マイコプラズマ肺炎で、10日以上休んだところです。「SOSじゃないの?」と、息子の担任から言われてしまいました。連絡帳やおたよりが、娘のクラスから配達されるので、欠席の多さはバレバレ・・・さらに、考えすぎかもしれないけれど、先生同士でも、話題になっているのかもしれない・・・学校内で「障害児」とされる息子への風当たりが多少やわらいだ理由のひとつは、明らかに、上の娘の存在だったと思います。「しっかりしてるお嬢さん」と、あっちこっちの先生が、口をそろえたように言います。あまりに口がそろっているので、「ああ、そういう話が、先生同士であるんだな」と感じます。(これは、思い過ごしじゃない、と思う。確信に近い。)息子を知らない先生はいないくらいです。上級生も、息子とよく遊んでくれます。子犬のように、ちやほやされていた時期は終わり、今は、じゃれあいの胸をかしてくれるような、上級生男子の輪の中にみかけます。娘と同じ学年、同じクラスの6年生男子も遊んでくれて、娘の方のママ友から、「にんに君って、よくうちの子が言ってたんだけど、ねねちゃんの弟だったの~?!」なんて、驚かれたこともあります。その、みなに知られた息子のうしろに、娘もちらちら見え隠れし、このねねちゃんが立派(少なくとも学校の先生の評価では・・・)でいてくれるので、にんにが、「この子の弟なら」「この子がよく面倒みているから」と、思ってもらった気配。そして、今度は、学校としての印象は「最近よく休む子」に変わってるかも。母親が留守がちなのも、伝わってるみたいで、「おかあさんは働いているの?、ときかれた」と、息子が言ってました。乗り越えどころだろうなあ、と思います。このことについて、幾晩か、文字通り眠れずに(娘が肺炎で咳き込んでたので(^^;))考えました。私は、こどもを犠牲にしているのか、と。ちょうど自分の講座で、「今後の自分」を発表しなければいけない時期でもあり、自分に向かいあい続けました。(き、きびしかったです・・でも良い経験でした。)そして、仕事をしよう、と決めました。娘も、息子も、もうひとりの息子も、私の大事な子で、私は母だから、この子たちのしあわせを誰よりも考えて、そして、実現できるように頑張って、同時に、それを励みにして、仕事をしようと、思いました。かっこつけてるだけですが、両方、私は、やろうと思います。費やしてあげられる時間は減り、子どもたちもほかの家族も、負担が増えるかもしれないけど、あきらめたり、延期したりする時期ではないんだと、なぜか強く思います。講座の間、学校から帰ってきた夕方、不思議な空をいくつか見ました。虹を見て、うまれて初めて、虹色の雲を見て、それから、稲光でぴかぴかちかちか音もなくずっと光り続ける黒雲を見ました。私は、郊外にすんでいますが、空と山の自分の町の風景が大好きです。娘も、中学の受験をしたいかたずねたら、この町が好きだと言って、公立の中学を選びました。(お金かからず、ほっ・・)娘は、やっと月曜から登校します。少しやせたけれど、熱が下がったら、きりっとしまったみたい。「ピアノが弾きたかったんだ~、久しぶり~!」と、起きられるようになった途端に弾いてました。この子にはこの子の人生があって、この子の楽しみもあるから、私は、この子のしあわせを信じたいと思っています。もちろん、sosを察知したら、かけつけたいし。私ができるなら、癒して、守ってあげるし。かっこつけてるだけですけど、うふふ(^^;)
July 12, 2008
コメント(4)
この季節・・息子が年長のとき就学問題が本格的に始まった季節だなあ、と思い出す。 そして、この問題は、3年後の今も、依然として、私の前に横たわっている。 息子は現在3年生。「普通級プラス通級」で通学している。 学校から「これでいい」と言われたことはないけど、息子は大変良い調子で成長している。表情がとても明るく、日々しっかりしていく。 今年の担任、今年のクラス(初めてのクラスがえがありました)が、ありがたいことに、とても良い。先生は、本当に、理解があって、熱心にかかわってくれる。息子は、初めてノートやプリントを自分なりにいっぱい書いてくるようになった。「先生が定規を押さえてくれたから、自分でカッターを使えた」「先生が一緒に考えてくれて、書く言葉が決まったの」「○○君が、ここをうつすように教えてくれたから簡単だった」 授業に満足に参加しているかというとそうではない。 でも、参加の仕方は、彼自信の力が出し切れる形にとても近い。 例えば、入学直後に「あんまりだ」と思ったあの状態、「授業開始直後に、ひらくページがわからないまま放置されて、一時間ぼおっとしている」・・・とかいうのとはまるで対照的。(あの時は結局どんどん好転していったので良かったんだけど。) 学校の授業の方を、私は基準にしていない。基準は生徒の方においている。 授業における、ひとりひとりの成長度や関わり方が理想というか目標に近ければそれでいいと思うことにした。ほかの子にも過大な迷惑をかけてもいない(と思う)。息子がとても、学校が好きで、嬉しそうで明らかに輝いている。それでいいと思っている。人生って、そういう体験を多く積み重ねられること、すごく大事だと思うから。 もちろん、他の選択が悪いわけじゃない。せっかくの特別支援学校、特別支援クラスに行けば手厚い教育が受けられるだろう。それは、彼の成長や自立にきっとものすごく有効なのだろう。 学校、クラスによって質の違い、タイプの違いがあるので、自分の考えにあったところ(遠くて人気あって、入りづらいんだよね・・実は)に通えれば、いいことがあるだろう。現に、そっちに移ってから目に見えて「好転」したような子も目の当たりにしている。 それは本当にそうなんだけど、 うちの子は、今、ものすごく学校が楽しくて充実している。あのきらきらした目と満面の笑みを、ほかにどうとらえたらいいだろう。 分類?から言えばこきたなくて幼稚な男の子(ごめんね、息子)だけど、いつもわいわいと男の子たちのグループの中にいる。なぜか、活発な子たちのグループにちゃんと入ってて、走り回ってみんなと一緒に叱られてる。(私も、廊下で走っているのに会えば「こらこらこら~!」と(^^;)) 私が小学校の時に見ていたような光景。私には入れない男の子たちの眩しい世界に彼がいる。(意外と、モテモテのプチイケメン軍団と仲良しなんだよね、勉強できる、サッカーうまい、足は速いし、ギャグは面白い、適度にわんぱく。。。みたいな。そういう子たち、カラッとしてるから、息子を変にいじったりしないし、ほっとする。対等にはなりきってないけど、仲間に入ってるんだよね「大の仲良し」とか言われちゃってるし・・・おもしろいなあ。よかったなあ) うちの子は、たまたま情緒的には穏やかな方で、友達大好き、怒ることが少ない性質(おねえちゃんもなんだよね、末っ子だけは違うけど。)なのが幸いしているかもしれない。「好かれている」「人気がある」と、言われ続けているのは、あまり意識していなかったけど(つまり勉強できないからそういうこと誉めるのかな、と・・)、よく考えたら、本当にありがたいすごいことだ。 でも、親同士仲良くしてる「しつこいちょっかい」出しちゃうタイプの通級のお友達も、なんだか3年生になったら、理解もすすみ人間関係にも落ち着きと深みが出てきた。友達と対等にはしゃいでいるのも見かけるし、授業中、中庭や廊下でふらふらしているのに出くわさなくなった。お母さんが、「ひっ算がわからないみたい」って嘆いていたのに、先月の授業参観では、かけ算の繰り上がりも楽々ひっ算でやってた。もともとご両親が、大事に細やかに育てている。境界域とか軽度とかの障害と診断される子は、学校では「どっちにころぶか」的なところが大きくて、環境に左右されると思うから、すごく良い学年なんじゃないかなーって思う。ラッキー、本当にうれしい。 だから、普通級で冒険してくる良さもある、とあえて私は言いたい。(どっちも良くて、その家庭の考えや、その子の状況にぴったりあう形を選択すればいいんだよね。それが自然に選択できたらいいんだよね。 それでもあえて言うのは、ずっと書いてきたけど、私の住んでいる自治体は、障害のある子を「隔離教育したがる」レベルだから。先生も、それにそって「指導」してくる。お互い意見のくい違う、辛い面談があるわけで・・) だけど、現場から少しずつ変わってきているのは肌で感じる。先生方も変わっている、内容も対応も。そしてね、保護者と本人も変わっているように思う。早期から療育を受けたり、親が「障害」を意識していて。私も、変わったんだと思う。もっと一方的に学校に期待していたし、もっとなんだかわかんなかったから、具体的に学校と話し合えなかったことが、大変な状況を産んじゃったんだとわかる。 今はね・・・少なくとも、「毎日が闘い」みたいな気持ちじゃなくなったのは、とても嬉しい。心が安らぎます。 そして、また、この季節。来年はどうなるか未定なので、特別支援の方の、説明会や公開にもでかけるつもりです。忙しいけど、もともと色んな学校を見るのが好きで良かったし、情報集めが好きで良かった(^o^) 久しぶりの近況報告でした。こちらは、これからほとんど息子の進学、進級について特化させようと思い、普段は、●クシィの方に移行しつつあります。あちらで会える方、良かったら声かけてくださいませ♪
June 30, 2008
コメント(4)
![]()
障害のある子や、すごく優秀な能力を持つ子、国籍の違う子・・・そういうみんなの中で、自分もみんなも同じひとつの大事な存在なんだと知ることができるような学校・・自分の個性的な可能性や自分の苦手に丁寧にむきあってくれる学校・・・そういう学校に、私人も行きたかったと思う。子どもの時の私も、行きたいというと思う。イー・ウーマンというサイトで、インクルーシブ教育についての提言があり会員の意見が集まっています。一般論でなく、自分の考えを述べるコーナーで、長く書いてしまう私は、意見を230字にまとめるのは大変やりがいのあるワークです。自分のスタンスをはっきりさせて、明瞭な言葉で述べるのが、とても勉強になります。ほかの方も簡潔にしっかりと述べていて、読み応えもあります。そして、この教育の問題は、私には、まさに今必要としていることに出会ったという感があります。提言者の関根千佳(ユーディット代表取締役社長)さんによると、インクルーシブ教育は「障害のある子もない子も、天才児も、日本語を母国語としない子も、さまざまな文化や環境の背景をすべて包み込んで、共に育つ教育体制」だそうです。それが導入されれば。せめて、理解や容認の空気が広がれば・・・・だって、私は、今、息子のことで、「学習の理解が悪い、身の回りの整理ができない」→「普通学級にいない方がいい」と言われている。私の中ではこんな式、単純に成り立たない。私の市では、不登校児はどこかへ(!)転校・障害児は障害学級へ転校を一様に促す。会話も噛み合わない。(でも、先生ひとりひとりとの心の通い合いはある。)私の市でも、このインクルーシブ教育の考えを理解すると決めてくれれば、それだけで、不自然な会話でづくしの面談や相談をしなくてすむ。そして絶対、これは素晴らしいことになる。個性の中の良さがある。それを伸ばし、認め合える環境。そして、それぞれの、苦手なところ、あるいは障害の「部分」だけを切り取って、それにむかいあって、対処を模索していく。障害を持つ子を障害児と呼んで、枠から外すなんて、お粗末なことをやらないで。みんなの個性をもっともっと大事にして・・・そういう学校をずっと私は夢みています。それは、私が、子どもの頃から、考えて、見ていた夢です。佐々木かをりの手帳術佐々木かをり氏監修の行動計画ダイアリー2008年版【1月始まり】能率ダイアリータイムデザイナーB6(レッド)イー・ウーマン社長の佐々木かをりさんは、時間管理術、手帳アクティブプランナーで知られています。
March 26, 2008
コメント(2)

STさんから。療育病院の主治医の先生と担当のSTさんが、ふたりとも、それぞれ事情は異なるけれど、この春に、病院を去ることになったとのこと。 うちは、この二人にしかかっていないから、この病院みは知っている先生がいなくなるということになる。学校に上がってからは、数ヶ月に一度しかかかっていないし、病院が遠くなるような・・・。 でも、きざしはあった。先生は多忙も多忙で、診察を受けるのが大変だった。新しい提案はいつも何もなく、私が積極的にたずねて、お願いして、応えていただいていて、なんていうか、新しいつながりをご自分から作らないようにしているような感じがした。診察そのものは、とても丁寧に熱心に的確にしていただいたけれど。STさんの方は、やはり、お話しできた時はたよりになるのだけれど、前から体調が悪そうで、休みも多く、特に差し迫った問題がなければ、と、検査など延び延びになっている。 これから新しい病院にかかるほどさしせまった問題もないし、特別に良い病院の情報もない。療育機関とつながりがなくなるのは、普通学級で過ごしている私たちには不安すぎる。専門家に息子の資質、難しいところ、できるところを見極めてもらって、有効な具体的なフォローを教えていただくことは、いざという時、困ったことが起きたときに必要になる。 病院の経営に不安があることも、前から言われていた。新しくて職員にも活気があって良い病院なのに、確かにどことなくたよりなげな所もあって、もったいないと思っていた。この先、どうなるんだろう・・・。 STさんは退職、主治医はまだ職員さえもどこにいくのかわからないという。もちろん後任はつくから、今後も、その先生方にお世話になれる。 実は、もう一つの大学病院、小児内分泌の主治医も、この春、転任して変わる。眼科も、ある大学病院から別の大学病院に変わったばかり。歯科も、手術のできる大きな病院に紹介状をもらったばかり。学校の通級なじみの先生まで、転任する噂がある。 色んなことが頭を巡る。 わかってくれていた人、支えてくれてきた人を失うというのは、本当に不安で心細い。寒空のした、コートも着ずに立っているような気持ち・・・でも、 でも、・・・気持ちを入れ替えよう。 大丈夫。 新しい春が来る。 なんと、目に入った 一人さんの今日の言葉は、 「来るもの拒まず去るもの追わずバイバイ」・・・おお!「いなくなる人に綺麗にバイバイって言うと次にもっといい人が現れる。それがバイバイの法則と言って、まだ一人さんしか知らない法則ですよ。貴方にだけ内緒で教えますからね。」って(*^_^*) 新しい出会いを、楽しみにします。賢者たちのメッセージ↑一人さんのほか、オーラの泉の美輪さんや江原さんなどからの言葉も。
March 13, 2008
コメント(0)
![]()
在籍級(普通学級)の方で面談があった。2番目の息子は、小2で、発達の遅れがあり、言葉を出す力の弱さや、手の動きの不器用さがあって、週に一回、通級というクラスにいっている。面談での話は、学習、生活の両面で、難しさが出ているとのこと。私の方は、今は、「健常児の同年齢集団からの刺激」を選択することにした。「普通級の中で、いいとこ取りをしましょうよ」と先生。健常児と同じは無理という牽制と同時に、私の意向も汲んでくださっている。去年も今年も、先生方との関係がありがたい。うちの子は、いわゆる「軽度発達障害」とも違う。だから、特別支援教育の実践に賛否両論あったり、十分な予算もくまれず理念だけが浮いていて現場がついていってなかったりとか、そんな話がごちゃごちゃしてる間も、うちの子のタイプの話は、ますます後回しになる。軽度の知的障害だけを持つこどもの、「受け皿」はあっても、そこはただの行き場であって、そこではうちの子にあったカリキュラムや教育目標がかかげられているわけでなく、つまり、うちの子は、制度の谷間にいる。学校での「今ここ」を大事に、先生と信頼関係を築いて、先生に手腕を発揮してもらって、うち子も命に備わった力を発揮できるようにするしかないし、それができれば、結局、何よりも確かで理想だと思う。私の未熟な感情のせいもあって、すれ違いそうに、対立しそうになるたびに、幾晩も夜を過ごす。過ごせば、夜はあける。自分の中のどろどろしたものを全部クリアにできるように。強すぎるこだわった感情・・・それが子どものための望みでも・・・、それを手放すことができるように。朝をむかえる。そして、ものごとは、私の意識や手を離れて、とても善いように配置されて私をむかえてくれる。息子も、笑顔で光を浴びて歩いている。逆風がきたら、逆らわず、また、こだわるものを手放す。この時私は、ちょっと流されていじけたり、愚痴や文句を言ったりしてバランスをとって手放す。それを楽しめたらいいけど、これをしないで、もっと綺麗に手放せたらいいなと思ったりする。どうなんだろう。息子のことでは、綱渡りをしているような、諸刃の剣というような、きわどい道を歩いている。きわどいけれど、日が差している。「不思議な、なんとも言えない、持ち前の、人をひきつけ、人に好かれる個性」・・・息子はよくそんなふうに、あっちでもこっちでも言われ、大事に大事にされている。犬や鳥とまで、息子は仲良くする。赤ちゃんのとき、珍しい目の病気の手術をしたとき、亡くなった山西みな子先生が、母乳育児相談室で、「まあ、あなた、宝くじ買いなさいよ!」と、笑顔で私を元気づけて下さった。私がこの子の母であるなんて、本当に、宝くじにあたるような、すごいすごいことだと思う。もっと自由に母乳育児 -マニュアルより赤ちゃんとの「対話」を-山西先生は、息子の病気を笑い話にして下さった。あの時、息子のことを初めて、あはは、と笑って、私はとっても元気になれました。山西先生ならではの、お人柄でした。
March 11, 2008
コメント(0)
![]()
ライラの映画の券、ペアで当たった!嬉しい翻訳学校の特別講座(無料)この日の講師だったライラの訳者の大久保さんとジャンケンで勝った人がもらえるゲーム。大久保さんにはサインももらえた。(ライラには占い本もある。自分のダイモンは何でしょう・・)『ライラの冒険黄金の羅針盤』公式ダイモン占いbook大学時代のお話は、私の出身大学だったので、なんというか空気がすごくわかって、おかげで、私が手放し、忘れていた自分の中の大事なことも、思い出した。すべてはつながってて、意味のないことなんて、本当にないなあと思った。ジャンケンで勝つとき、チョキをどうして私が出したか。これが、私にとっての、大ご褒美だった。「すべてが最善 すべてが幸せへのプロセス」や自分をクリアな状態にする具体的な方法が書いてありました。↓こころがスーッとらくになる本
March 10, 2008
コメント(2)
![]()
中学の時にとったきりの英検。なんと挑戦してみた。英検2級受かった♪嬉しい。「何かしなさい。手始めに英検から」と、言ってくれた恩師に感謝。一緒に受けて一緒に受かった友達の存在に感謝。学生がほとんどという中で試験を受けたということが、私にとって、すごく大きな一歩になった。申し込んだときは、試験までちょうど一ヶ月、「受けることが大事! action!」と強く先生におされ(日本人です)年末年始はさむし、子どもも自分も風邪ひくし、子ども会と学校の役員の仕事もバタバタだったし、息子は進級心配って、学校から言われるし、うわ~っていう感じだったけど、良かった。受かった。英語っていうより、扱われている内容が、そんなに難しくないので、つまり、高校生か大学1,2年ぐらい向きなので、大人は得だと思う。推測でわかっちゃう。地球温暖化 global warming グローバル・ウォーミングとか温室効果ガス greenhouse gas グリーンハウスガスとか絶対、昔は学ばなかった言葉を知ったのは、けっこう刺激的だった。使った教材は、お馴染みの旺文社の過去問と、それから、これがおすすめです↓速読速聴・英単語(Core 1900)Ver.3
March 8, 2008
コメント(0)

子年がくるので、こどもたちがねずみを書いた。3人三様で本当におもしろい。これを書いた末息子は、今日、4歳の誕生日!
December 30, 2007
コメント(1)
![]()
「冬至祭り」の日のできごとを書いた、冬の夜の時間をとてもとても豊かにしてくれる絵本。大好きです。今年の我が町は、冷え込みがとても厳しく、冴えた空気で満ちています。秋から冬にかけて、年を越す前のこの時期、クリスマスの前のこの時期、そして、冬至を迎えようというこの時期、部屋の中の空気がとっても暖かくて、夢濃くなります。お屋敷の中の長い長いひみつの階段を、夢に漂うように登った少年少女は、次には、現実の中で、光り輝く一幕を演じます。現実の中で夢を失わず、そして、夢の中でも現実を見失わない、確かな質感の輝きをもつこのお話しが、私は大好きです。長いことお休みしてしまったここを整え、また、ゆっくり始めようと思います。よろしくお願いいたします。
December 19, 2007
コメント(0)
私は、本当に揺れ動いてばっかりだ・・「こうだ!」と思って少しすると、「やっぱり、こっちかも」ということがでてくる。それが両方共存できればよくて、バランスをとれればいいんだけど、どっちも中途半端になるようで、あまりに正反対なことのようで、どうしていいか、立ちすくむ。こっちもすごい、あっちもすごい。こっちもあってる、あっちもあってる。こっちもほしい、あっちもほしい。こっちもやりたくて、あっちもやりたい。その時に、残るのは・・・自分。「こっちとあっち」の土俵を、両手で握っている自分。だから、そういう時は、自分自身のフォーカスと手の力がゆるむまで、たとえば1日、ひと晩、待ってみようと思う。☆☆☆♪♪♪☆☆☆♪♪♪☆☆☆♪♪♪☆☆☆♪♪♪迷ったときは、「正しい方」「あってる方」じゃなくて、「楽しい方」とか「好きな方」「わくわくする方」を選ぶといいという話があるけど、これ、私にとっては、意表をつかれて、視点をずらして楽にしてくれた不思議な言葉で、同時に、その意味を考えると、頭に霧がかかって、わかるようなわからないようなになる呪文まで、かかっているみたいな言葉でもある。でも、たぶん、もしかして、「好き」「楽しい」「わくわく」とかは、「自分」に戻ってくる言葉で、そして、すべてのみんなが「自分」をもっている。あっちの人のことば、こっちの人のことば、あっちの本、こっちの本が、急にモザイクのように、ひとつのビジョンを組み立てて、私に見せてくれる時がある。偶然に、次々と、ぴったりの言葉が、色んな人から、色んなきっかけでやってくる。だから、今日の迷いも、きっと、今の私が見据える、お盆のような土俵に、あっちからこっちから、色んなものが関係してありがたいことに、何かどうにかなるんだろう。だから、自分の目の前の仕事をして、(お掃除かな・・(^^;))今日は、待ってみよ・・
May 15, 2007
コメント(0)
ひと月以上も、ブランクを作ってしまっていたことに、自分でもびっくり・・ご無沙汰してしまいました。今年は、子ども会と小学校と、両方の役員をやっていて、4月は何かと忙しかったです。活気があって、新しい出会いで友達が増えたし、今までわからなかった内部事情というか、裏側が少し見えたりするのも新鮮です。1年間なので、大変でも、楽しんで切り抜けたいです(*^_^*)とは言っても、やっぱり色々あって、役員の話し合いのたびに、本当に、色んな考え方、色んな生活の人がいるんだな~・・と、思うことの連続で、正直言うと、呆れたり、むっとしたりしてしまったり、私も言いすぎてしまった、と思うこともあって、家に帰ってきてから、反省したりするのが、なんだか学生時代に戻ったみたい(*^_^*)でも、せっかくの子どものための活動なので、悪口言ったりしないように気をつけたいです。また、一方で、さすがにみんな、親であり大人なんですよね。はっと感心するような一面が、どの人にもあって、それがまた人それぞれ個性のあるすごさで、本当にバラエティに富んでいて、端から、見習って真似してしまおう☆と思います。ラッキー♪あと、これまた色んなタイプの綺麗な人ばっかり♪なんか、最近、綺麗な人多いと思うけど、本当に、役員仲間さんたちも、あっちもこっちも話す相手がみんな綺麗で、私はとってもしあわせ、嬉しいです。目の保養~♪♪じ、自分もね、見苦しくないように・・となると、気になる所がいろいろ出てきて・・思えば末っ子が3歳になり、産後気分もさすがになくなり、しかし、この子を産んだ時から3つ加齢が進んでるわけで(^_^;)まあ、歳は何歳か自分でも(本当に(^^;))忘れちゃうぐらいだから気にしてはいないんだけど、でも、鏡をじっとみると・・・肌もスタイルも・・・なんとかしたい・・☆☆うーん、アンチエイジングがはやるわけですね(^^;)あと、姿勢や立ち居振る舞い、表情、特に笑顔とかに磨きをかけたいな~。それから、言葉っていうか、会話も上手になりたい。子どもの頃からずっと思っていることだけど。何日か前、「笑顔はね、筋肉。筋肉の動きだから。筋肉にその動きさせればいいの。顔の体操なの」って、笑顔のきれいな友達がふざけて教えてくれた。それを、さっき思い出したので、あやしく、ほっぺの筋肉を動かしながら、これ、書きました(*^_^*)子どもたち、にんにも彼なりのペースが、うまく定着しているようで、良い調子で暮らしています。ありがたいです。
May 12, 2007
コメント(0)
今日は、始業式。ねねたんは5年生、にんには2年生になりました。じ~ん・・・。ふたりとも担任がかわり、新たにスタート。通級の副主任や、校長など先生方もかわって、新しい空気・・。最近、就学問題を振り返ってますが、その頃、私がたずねた校長室にいた、あの校長と副校長のお二方は、もうこれで、いなくなってしまいました。それで、またいくつか校長しだいで方針も変わるらところもあるだろうし、私のやりとりもお蔵入り(?)かと思うと、そんなものなのね・・とちょっとあっけなさを感じる。時間をかけて、築くもの、わかることなどが、人との関係にはあるし、教育の成果などは、時間が経たないと結果は出ない。でも、今日、改めて思うことは、その場、その場の問題は、その場その場で、言葉を使って、淡々と誠実に、質問したり伝えたり、さらりさらりと、やっていくことその練習(?)をもっとしようと。・・・・・先生は、いなくなっちゃって、学校はといえば、私たちが、校舎に残る。私たちは、でも、いつかその学校をあとにして、自分の人生を、ただ刻む。うけながす場所・こだわる場所、力抜く場所・力入れる場所・・それを、上手にやりたいな。センスよく。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆これにはまった・・ずっとチョコ食べずに平気だったのに。コープとうきょうの、レジ横の「防災」特集で、いざという時の避難食にのところにあって、つい買ったのが始まり・・・チョコでもキャラメルでもクッキーでもない何かに似てるんだけど・・・なんだっただろう。原料に「岩塩(ドイツ産)」ってまるで目立たなく書いてあるのが謎で、いっそう気になる。
April 6, 2007
コメント(4)
息子の就学話の続きです。前回書いたように、手続きが長引いて、私の精神的負担もつらいものでしたが、息子に負担がかかるのが、また、私の落ち込みに輪をかけました。息子がどこに入学するか決まったのは、もう3学期もなかばでした。だから、学校の準備も遅れました。用意するものが、入学先によって、違うだろうから決定を待っていました。ランドセルは買いました。どんなクラスに入っても、ランドセルはもたせてあげたいと、決めていました。お姉ちゃんと同じ幼稚園のクラスのみんなと同じに、「ランドセルの1年生」に、息子も憧れていました。「ぼくは、年長さんなんだ」「もうすぐ1年生なんだ」その想いが、あまりにおだやかな、ぼんやりと覇気のたりない息子の心に、火をつけて、がんばりやさんにしていることは、私にとって、嬉しい驚きでした。だから、私は、この「火」を消したくなかったし、ともっている間は、この環境を続けさせたかった。でも、見えない「火」のことは、私の直感でしかない・・相手が要求するのは、そんな親の見栄みたいな戯言じゃないわけで・・いくつか、「体験」「面接」などがあり、息子は、卒園にむけて濃厚な時間の流れる、貴重な幼稚園を休んで、初めての学校や会場、初めての先生方のもとで、話したり、検査をうけたりしました。同時に、言語療法や、発達全般の、療育指導もあったので、息子の生活はハードでした。こちらでも、就学にむけて、かなり疲れるような知能検査を、したりしていました。「どこまでできるか」をはかるテストなので、必ずできない問題に行き当たります。それが私には、疑問でした。ペーパー上の「できない問題」には、小さい頃はあまり出会わない方がいいと、私は思っています。それをよりによって、「劣等感をもたせずに自信をつけてあげて」とか「諦めないで頑張る心をそだてて」とか言われている、人より発達の遅い子が、これから学校にいくという時期に、問題を解けない体験、よめない、かけない体験を、するのはどうかと思います。年長さんは、1日1日で、ものすごく成長して、どんどん小学生の顔になっていきます。担任が、また愛情豊かで実力のある、本当に卒園で別れるのが辛い先生・・風邪がはやる時期でもあったりして、休む子もいっぱいいるんだけど、なんかそれでも、たとえば「言葉の学級」に「面接」に行けと言われて行って、まるでこちらが志願して受験でもしたかのように「ここではうけいれられません」みたいなこと言われた日は、本当に無駄足を踏んだ、振り回された、幼稚園休みたくなかった・・と思わざるをえませんでした。そして、正直なところ、入学先の学校に対して、上の子が通っているのが、人質にとられているような気分になりました。一人さんは、人生うまくいかない人とか、それは、・・・それは、自分が許せないんだよ・・と。そう、私は、今だからわかるけど、子どもたちを、こんな目にあわせてしまった、と、わたし自身の無力感、責任、負い目さえ感じていたんです。自分を責めて、自分が辛くなって、そして、また、何か起きる。だから、これは、本当に、階段だった。上行くか、下行くかきめてごらん、って、私の前に出された階段だった。まず、自分を許してがんじがらめになってるマイナスの感情をときほぐして、そして、自分の考えや、意見、要望は、ぱっとひらめいて、整理して、涼やかに淡々と、堂々と誠実に、伝えるようになりたいです。この日記も、実は、書くのにすごく時間かかってます。。(T_T)ぱっぱっとしっかり書けるように、一回一回を練習にしたいです。☆☆☆☆☆☆☆☆☆我が子を守りきれなかった母・・圧巻の海の映像の中の、この親子の場面が、人間でないからなおさら気高く切ないです。☆☆☆☆☆☆☆☆それで、でも、息子本人は、それほど苦でもなかったのかな・・・体験先の学校が楽しそうだったから、また、いきたい、療育のあのプリント、またやってみたい、などと、今でも、不意に思い出して言う。まあ、そんなもんかな。よかったけど(*^_^*)
April 3, 2007
コメント(0)
![]()
改めて振り返ってみます。息子は、発達の遅れをもちながら、「普通学級」に入学しました。この子の就学への道で、「問題」になったことは何だったか。それは、ここにも疲れちゃって泣きながら(>_▽
March 30, 2007
コメント(4)
今日の、一人さんのついてるお言葉は、「困ったことがおきたら 面白いとことがが起きたといってみな 奇跡が起きるから」昨日子どもたちとドラえもんの映画をみにいって、海賊姿のジョニー様の大きいポスターに会えた☆(↑この絵ではないけど)おととい、うーたんが「たいぞく(海賊)をみたいのですから」といって,第一作のdvdパイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たちを見たばかり。そこで、クールな海賊ジャック・スパロウ(ジョニー)様が、げ、やばっというところで、あの独特な表情で言うのです。「これは面白い」そして、勝利はもちろん、こちらに。一人さんがおっしゃるには、困ったことは、成功への階段なんだって。「面白い」というと階段をのぼる、「困った」といえば階段をおりちゃう。ジョニー様・・じゃなくてジャック・スパロウ様はintersetingとおっしゃりましたが、一人さんのページによれば(英訳もある。勉強になる♪)ほかにもfun でも lucky でも enjoyable でもいいらしい。それでね、こういうことをする気になって、っていうか、こういうことしか、もうすること残ってないような時、「言葉を変えてみな」ってひとりさんの言葉にすがったりして、今もまだまだやり切れてないけど、でも、すこしでも言葉変えたら、現実も、本当にかわっていった。不思議なんだけど、気休めとかじゃないのですね、これが。
March 30, 2007
コメント(0)
![]()
これから何日かかるか・・にんにの「就学問題」について、振り返ってまとめてみようと思っています。そのことが、自分の心の整理でもあるし、この日記を始めたそもそもの原点でもあるし、それから、もしかして、誰か読んでくれた人と共有できる何かがあるかもしれないし。そして、にんにや子育てに限ったことでなく、わたし自身のこの人生そのものの、紆余曲折はまだまだ続いているのだけれど、以前のように辛くなくなったのは、本当に本当にありがたいことで、いろいろな人たちのおかげです。この世界は信じるにあたいし、希望を持つにあたいします。もし、信じられなくて明日がこわかったり、希望がもてなくて今日がつらかったりしても、もう何もできることがない、と思ったその時に、信じられる何かが起きて、希望を見いだすことができるのだと、私は、今、感じています。こんな言い方、うさんくさいかもしれないけど(^_^;)もともと、わたしは、この世界も、そして自分も、もう少し、貧弱なものだと思っていて、もっともっと寒い気持ちで、何かと闘って、その闘いに負けてしまったと思ったような時に、ひどく不安で恐ろしい思いをしました。また、反対に、恵まれた境遇の時にも生きることは汚らわしいような気持ちがあったので、幸福を享受することはできませんでした。長い長い思春期の混沌で、そんな気分が極まって体調もひどく悪かった頃、その出口で私を救った大いなる光は、初めての出産。ねねたん・・・あの、お日さまのような小さな人を、自分の身体を使って、自然の大いなる力が育てて私に授けてくれた、とこのために私は生きていたのか、と思いました。身体も食べることも出すことも、今日生きて、明日も生きるだけで、日々が過ぎることも、ねねたんをみていたら、それだけで素晴らしいことだと思いました。(親ばか(^o^))とすると、何のために生きているか、それがわからなくて辛かったのかな、それまでは。神様に見捨てられた寂しい子どものように、自分のことを思っていたのかな・・。(越山雅代さんのお話を知った今では、栄養がすごく偏って、毒もたまっていたんだろうと、思ったりもします。それに、私の整体の先生は「出産って、女に与えられた人生をチャラにするチャンス」って、冗談交じりに言うし。骨盤のズレとかのことかも、だけど。胎児にとってはどうなのか、「親の因果が子に報い」っぽくて辛いけど、出産は、子宮に毒がたまりやすいこと考えれば、(だから生理を使って身体のお掃除できるわけで)ものすごい毒だしにもなるのですよね。)で、次の出産で生まれたのがにんに。私の新しい季節の始まり。そのにんにが、この春、7歳。あの春から7年。私も35歳。人生の7年周期説にあてはめれば、私のサイクルとにんにのサイクルは同じタイミングで転じていきます。そういう意味も感じてしまうほど、にんには、大きな「問題」を作って、私の生活に関わってきました。でも彼が「問題」を体現する時期もこの7年で終わり(^o^)と、私は、決意してます。彼はもう私とべったりで生きてはいないし。彼には、いつのまにか、あっちにもこっちにも、選び抜いたような素晴らしい、いろんな人々がいる。彼の存在は、もちろん、私に「問題」ばかり意味するわけじゃなくて、むしろ、私は彼がかわいくて、彼がおもしろくて、彼が必要で、・・・彼が愛しくてしかたがない。そして、彼の体調がすこぶるよくなって、つきっきりで常に何かの看病やケアをするような、そういうこともなくなっている。あとは、彼がさずかった特質が、彼の人生や存在の意味になるのだろうと、思って、それを大事に、育っていったらいいと思う。だから、単純に、にんにとの人生を楽しもうと思います。ねねたんとうーたんも、面白い子たちで、母として、私はしあわせです☆こういう春・・・ということで、いろんなことのあいまに、徐々に、書いていこうと思います。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆今夜も読んでます。私にとって「鍬(くわ)」のような本。1フレーズ1フレーズが、ざくっ、ざくっ、と、強く重く耕される。☆:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::☆今日の日経新聞のコラム「春秋」に、日本は「大人の科学知識は先進国中、下から3番目だという。」と書いてあった。 最近、翻訳のトライアルを受けたのだけど、その課題文が、アメリカの科学的なエッセイみたいなもので、小難しいことをすごく平易に、多少ユーモラスに書いてある文章だった。ある壮大なテーマの科学的研究についてだったんだけど、それを短期間で、が~っと調べただけで、私も世界がすごく広がった。宗教や哲学、歴史みたいなことも日常の色んなことも、頭の中のこと全部使って考えて理解して、世界を見渡すような気持ちになって、すごく新鮮だった。原文では、ひとつの段落に、最先端の研究の様子がずらりとさらりと書かれる。さらりと書き、さらりと読む(んだろうね)質の高さを思った。 で、夜、「マリア・コード」で、ちょうど「宗教と科学」のことが書いてあった。 科学の可能性、意味、あり方、魅力について、色んな角度からヒントをもらって、掘り進んでいる感じ。
March 27, 2007
コメント(8)
終わったー。いい天気。あったかい。今年は桜ももう咲き始めちゃってる。空がきれい。晴れてる。山もきれい。全部きれい。やった、終わった。1年間が終わった。春休み。子どもたち、どの子もみんな大きくなった。6年生は昨日の卒業式で、もういない。新しい1日。一番最後の日で、一番新しい始まりの日だ。学校脇の道を、にんにが、歩いて返ってきた。去年、4月の空の下で、ランドセル、よたよた背負って私にむかって笑顔でがたがた走ってきたにんにを、同じ場所で何分も前から待ってて出迎えた。今日は、出遅れた私が走っていって、にんには学期末の大荷物を持ってすたすた歩いてて、なんのことはないような表情で、「おかえり」といえば「ただいま」という。日中は暑いので、前をあけたまま、黒い上着をはおるようにして、まっすぐしっかり歩いて、小さくてもそれはそれで小柄な少年らしくなった。「え~」というのを「ごめんごめん」と言って、校門まで逆流して校舎にあがって、担任の先生に御礼のご挨拶。にんには、昨日、「1年の最後にきれいな花を、先生にあげたい。紫の花がいい」と言った。にんには、紫がとても好きで、それから花が大好きで、このあいだの誕生日にも、花屋さんの店頭で見かける紫のパンジーをリクエストした。夕方小さな花束を買って、朝、持たせた。お花屋さんに、ちょうど、先生の印象にぴったりの、ぱっと明るい赤と白のコントラストが印象的なめずらしいガーベラと、それから、やさしい紫のストックがメインになったブーケがあって、先生とにんにみたいに私には見えた。自分でアレンジしようかなとも思ったけれど、そのブーケに決めた。にんにも気に入ったみたいだった。自分でも思ってもいなかった言葉が、「ご無理もさせてしまったと思います」と、なんだか少し大きな声で口から出た。そうだ。本当に。私は学校や教育委員会に、無理を言った形で、普通学級に、にんにを入れたのだ。「にんにには、今、絶対に、こっちの方がいい」という確信、それに相手は賛成してくれなかった。にんにの普通学級在籍に否定的な雰囲気の中、弱みをみせられず、でも、にんにのために頭をさげながら、微妙なかけひきみたいな始めの数ヶ月が辛かった。いつしか、にんにのこと、そして、私のことさえも、先生が認めてくれるようになって、変わっていって、先生のことも好きになって、信頼できて、ありがたく思えて、こちらが強引だったこと、負担をかけたことは確かにあったと、謝れた。これですっきりした。先生、頭の回転のはやい人、子どもの扱いのうまい人で、よくやってくれた。「そんなことない」と先生は、今日もにんにをほめてくれた。照れ屋さんで遊び心もある先生なので、ちゃかして笑ったりして、そして、「このまま頑張ってほしいと思います。ずっとね。6年までね」と、最後、にんにの頭をなでながら、私の目をじっと見て言った。「6年まで・・」私には・・・こんな日がきて、こんな、こんなに、何かが実ったという想いができるなんて!!
March 23, 2007
コメント(0)
1週間も高熱が続き、インフルエンザと思われる風邪から回復した途端、ねねたんが、変身した。(^_^;)すごいのは、長年どうしても消えなかった花粉症が突然消えた。やった(^^)で、しかも、性格が、性格が・・変わった(^_^;)信じられないぐらい、からりと明るく、家族を、大人も子どもも関係なく、からかう、いたずらする、口答えをする、いさめさえする、おかしな替え歌をつくって一人大声で歌い、それで、家中をぱたぱた歩き、スキップし、けらけら笑っている・・・な、なんだ、これは~(>▽▽
March 21, 2007
コメント(0)
にんには、最近よく泣く。こんなことで?って思うこと・・とくに、姉や弟からのことばに泣く。けして泣き虫ではなかったのだけど、なんだかよく泣く。で、きょうは、「ねねが、ぼくのことを、こんにゃくって言った」と言ってしくしく泣いている。「前も言って、今も言った」ねねたん、目を丸くして、「いつ? だれが?なんで、こんにゃくなんて言うの!言ってないでしょ、一回も。どうしたの?」 え、言ってないの?本当に言ってなさそう。じゃ、こんにゃくって言ったのは誰なの?あれ?。。。とにかく、にんにはなんで泣いてるの?にんにって、くにゃくにゃしてるんだよな、確かに。どこかで、誰かに、こんにゃくみたいって言われたことあるのか・・それとも、そんなことじゃないのか。にんには、いつもは穏やかなんだけど、本当に時々、尋常じゃないぐらいの勢いで、急に悲しかったり、悲鳴をあげて怖がったりすることがあって、こっちもすごくびっくりしちゃう・・それは、療育の先生にも言ってある。にんにのカンの良さっていうのか、何かものごとが言ったとおりになるみたいなそういうことが、ここのところ増えてる。この間もふたりで、でかけたとき、「行きにはオレンジ、帰りは青の電車がいいな。バスは赤で行って、帰りのバスは、絵がかいてあるのがいい」と言ったら、全部、その通りのが来て、「ほらね」と言われた。(うちの地域は、ちょうど色んな意味で境目なので、あっちこっちの電車やバスが混ざってて、来たものに乗るっていう感じなのです。)にんにが校庭に出ると、人が寄ってきて、にんにの後ろに上級生の列ができるんだという。「にんにファン」という言葉までできていて、とにかく、本当に、にんには学校中に知られている。「その子のおねえちゃんだっていうのが、自分でもすごいと思うよ」とねねたんは笑う。つい先日、整体の先生に私がにんにの感覚の鈍さを相談したら、「いや、いいんだよ。天使のような、本当の、理想の子どもそのまんまだよ」って言われた。意味するところはわからないんだけど、にんには、うん・・そう。なんだかそうなんだ。・・・最初の話に戻るのだけれど、こんにゃくと言われた、と泣いて来たとき、実は、私はこんにゃくを煮物の鍋に入れた直後だった。????????????よくわかんないな~???
March 8, 2007
コメント(2)
![]()
今、読んでいるのは、クリエイティング・マネーという本と、マリア・コードという本、それから、ようこそ、成功指定席へとあと空へつづく神話。それから、マンガもパラパラ見てるし、子ども達に絵本を読み聞かせる分も読んじゃうから、なんかいっぺんにいくつもが頭に入って夜眠ってる。この間読んだ内なるドクターの教えに従って「夢ノート」をつけ始めたのだけど、なんかまだピンとこなくて、ノートに書かずに味わっている方が楽しい。色の呼吸の練習では、やっぱり「黄色」のイメージが多い。治癒には赤とかピンク、ブルーってちょっと先輩の友だちも教えてくれたんだけど、今の私は黄色の方が喉とか楽になるみたい。と思っていたら、今朝、うーたんが「たんぽぽ、たんぽぽ」って歌った♪
March 8, 2007
コメント(4)

昨日の日記のあと、越山雅代さんのメール講座が届いていて、まさにタイミングピッタリの内容だった。「発達が遅い」子どものことも書いてあった。「子供達の個性を生かし、最高の人生を生きられるようにするためにも、親は、常識とよばれる幻想をドカ~~~ン!ドカ~~~ン!と爆破し、活人ママを目指していきましょう!」「活人ママ」って、「いきいきしたママ」かなって思ったら、「人を活かすママ」っていう意味でした。雅代さんの勢いは、私の周りの私のうだうだも爆破してくれた。そうだ。人を活かすんだ。どんどん実践しなくちゃ。それから、今日、手術をしたばかりの、友だちの娘さんにお花を贈った。花瓶入らずでお手頃価格♪思った以上に喜んでくれて、私もしあわせをもらいました。「斎藤一人さんの今日のことば」の通りだった。「人の心に灯をともすと自分の心に灯がともる愛がないと人間って生きられないねひとり」
March 5, 2007
コメント(0)
![]()
先週、「これでいいじゃんって思っていい」って、にんにのことを、言ってくれた人がいた。「これが個性だし、しあわせじゃん」って。「まるごと受け入れる」って言葉を、その彼女は使った。それから、にんにが最近、きらりと光るものがあると、「天使様が何かぼくに言ってる」と言う。それで、彼の「まるごとを受け入れる」ということをちょっと考え直しながら、学校とかとは別の一面に視点を置いてみたくて、ふと思いついて天使の本を自分の本棚で見たのだけど、どうも・・もう一歩、天使様の声に踏み込んだ本を読みたいな・・・と思っていたところ、なんだかゆうべ、ネットで、天使の本のコーナーに行き着いた。そして、図書館に予約したのは、で、実は、この天使の声を伝える作者は、↑この本の著者でもあって、それで、ああ、そうか・・となんだか、私は自分で納得。今、ちょうど、私は、きっと、この視点でのアドバイスが欲しかったんだ。図書館にはないので、買っててもとにおいたほうがいいということかな。
March 4, 2007
コメント(0)
不思議な話で、「大丈夫、絶対大丈夫。」「絶対大丈夫だからね。」。。と口に出して言うと、ありがたいことに、本当にほんとうに大丈夫になります。知っている人もいっぱいいると思うけれど、やったことのない人は、どうぞやってみてほしいです。ウソみたいに簡単で、確かです。「ことば」をいえばいいんだそうで、それが、本当なので驚きます。そして、「感謝」もことばにすると、さらに大丈夫のききめが、パワーアップします。で。「絶対大丈夫!」、と連発している今夜は、うーたんが、もう何ヶ月ぶりかの本格的な高熱を出してます。体の大掃除、大整体なのだと思えたり、また、不安になったり・・・「いやいや、絶対に大丈夫です! 大丈夫です。ありがとうございます」と・・・繰り返しているわけです(^^;)今朝、メールをくれた昔からの友だちが、娘さんの目の手術や、相次いでの親戚の方々のご逝去に、心を痛めながらも、テロの犠牲者や恵まれない子どもたちに、心を痛めていると書いてくれていました。そして、わが子の前向きな無垢な気持ちに、純粋に感動していると。子どもの入院も、親の苦労も、なんだか、私には、なじみのある話題になり、また、私にはどうしても共有しきれない、その人だけの想いや体験があり、それを尊重すべきということも、この世の摂理のようなものにその人たちを信じてゆだねた気持ちで、この手が届くところにはさしのべたらいいのだとかも、自然にわかるようになり、私も年をとっ。。おっと(^^;)・・・大人になれた部分もあるな~と自分で思って、気持ちが少し落ち着いちゃったりしてます。子どもの病院ネタの共有ばかりで、不幸の連鎖になってしまってはつまらないので、ここを乗り越え、さらに上にのぼるところまで、友人達みんなと心をかよわせあいながら、しなやかに涼やかに、お互いの歩を進めていくつもりです。先日の日記にも書きましたが恩師が、今、過酷な状況にいる子たちに、良質の教育を受けさせるための活動として、絵本を作っているところで、さっそく、この友だち(にとっても恩師なので。)の想いも、先生に伝えました。すべてが幸せにむいているのだと、そう信じて、夜の闇に不安が頭をもたげても、腐った気持ちになりそうになっても、素直に、絶対、大丈夫なのだと、今夜また、繰り返し、宣言しようと思います。
February 27, 2007
コメント(0)
![]()
昨日は黄色の日で、黄色と緑にも変わっていきました。いつもは車で行く、にんにの療育病院に、初めて電車で行ってみたのですが、(私ひとりで行けば良い日でした)そこで・・もう話せば長くなるんですけど、黄色がウソみたいに現れだして、・・、だから、次々と黄色のものが。それで、黄色のものが目印、道しるべになって、楽々、病院に着いたのです。なんかもう、ものすごく主観的で、私だけの感覚の話なんだけど、黄色の日としか思えなくて、それが、後半に、緑が現れだして、黄色と緑の本もってる人とか、鮮やかな緑のコートに黄色く反射した金髪の人とか。「今度は、黄色と緑なんだ」って思ったら、黄色と緑のものが次々・・で、そっちの方にいくと、スムーズなの。って、だから、主観的なうざったい話なんだけど、すごく不思議に自然に納得しちゃって、色を意識したことなんてないんだけど、2,3日前に、10年近く放ってあったもらいもののカラーの呼吸の本読んで実践をしているところなのだけれど、昨日も車内で読んでた越山雅代さんのミラクルな本に、色の呼吸の話が出ててはっとしました。だから、そういうことが下地になって意識しすぎかもしれないんだけど、私には、その本読んだこと自体が何か導かれているようなことに感じられてしまうのです。そして、今日、初めておとずれた、越山さんのもうひとつのブログに、これまたありがたくタイムリーなことに、「奇跡」について書いてありました。私は、シンクロが起きているときは、「この調子でいいよ」っていうメッセージなんだと、そのぐらいしか知らなかったんだけど、越山さんは、もう一歩進んだことを促していた。その「奇跡」の意味を知り、メッセージを、しっかりうけとらなくてはいけない・・と。☆☆感謝します☆☆
February 22, 2007
コメント(0)
今、じんわりとした柔らかい雨が降っています。にんには、通級でクッキーづくり。雨の日の、室内で誰かとクッキーが焼けるのをまっている、その時間の幸せが書いてある、こぶたくんの本のことを思い出します。それから、先日、心に響くお話を知ったのでご紹介します(^^)1本のホウキが生んだ、世界の奇跡」 何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。完全な闇。。。三重苦という重障害をもちながら、アニー・サリバンという最高の教師の力を得て目覚め 成長し、世界中の福祉に貢献した、誰もが知る偉人。彼女の名は ヘレンケラー彼女の力が、どれほど世界中にのひとに 愛の力をおよぼしたか、どれほど多くの人々を救ったか、これは、その ヘレンケラーの話ではなくニュー・イングランドにある精神病院で働く名も知れぬ、普通のお掃除のおばさんのお話です。 彼女のはたらく病院の地下室には、「緊張型精神分裂病」と診断された 10歳の少女の患者がいました。 何に対しても反応を示さず、ただ暗い地下室のベットにうずくまっているだけ。少女は、もう回復の見込みはないと考えられていました。世界から見放され、一言も話すことなく、胎児のように丸まったまま、決して動こうとはしなかったのです。以前はとても可愛らしい少女だったのですが、いまや日々やせ衰えていくばかり。。。彼女は、そんな少女の個室のまわりを、毎日掃除をしにやってきました。そして、ドアの下のすきまから、食事をホウキの柄で中に押し込みます。彼女にも同じくらいの歳の娘がいたせいか、少女を不憫に思いますが。。。そこはただの掃除婦、もちろん何もしてあげることはできません。そこで彼女は、せめてそこを去る前に、うずくまる少女の肩をホウキの先でそっとつついてあげることにしました。「ねえ、あなたはひとりじゃないんだよ!少なくとも、ここにあなたを気にかけている人間がいるんだよ」という思いを伝えたかったのです。掃除のおばさんには、この程度のことしかできませんでした。ほんの小さな愛の実践です。ホウキの先ほどの。。。 そんなことしかできませんでした。でも、その程度のことしかできなくても、ただただ伝えたかったのです。だから、くる日もくる日も、彼女はホウキの先で、その少女を優しくつつき続けました。そして、何週間か経ったある日のこと。小さな変化が起こりました。ただ死を待つばかりだった少女が、なんと自分の手で食事を受け取るようになったのです。さらに時が経つにつれ、少女は座ることもできるようになり、掃除婦のおばさんと話をすることまでできるようになったのです!こんなことって、ありえるのでしょうか? 偉いお医者たちでも、完全にお手上げだったのに??こうして少女は、やがて奇蹟ともいえる回復をとげることができたのです。 それから何年か経った、あるうららかな春の日。その精神病院の院長は、アラバマ州のひとりの紳士から、ある依頼を受けました。その紳士のお子さんが重度の障害児で、世話をしてくれる人を探しているというのです。その頃、あの奇跡的な回復をとげた少女は、 20歳になっていました。院長は、自信をもって、その彼女を紳士に紹介しました。彼女の名は、アニー・サリバン。 そう、ヘレン・ケラーの偉業を生みだした教師です!地下室でただ死を待つしかなかった、 あの少女が、です。 ね・・・・じ~ん・・(^^)kingkaアロマ・テクさんからシェアしていただきましたm(_ _)m感謝です。
February 20, 2007
コメント(4)
ぽつり、ぽつりとですが、書き続けようと思いますm(_ _)m☆☆☆☆☆☆去年の今頃、私は、息子にんにの就学問題がつらくて、とてもつらくて、視野も狭くなっていました。私の視点と教育委員会の言ってることが、まるでかみあってなくて、きちんとしたコミュニケーションが成り立たないまま、意見も対立、普通学級に入れることを反対されているのを、強引に、私が親の権限で希望を通すというやりかた・・「教育」という信頼関係が大事な場なので、とても辛かったです。そして、入学してからは、また、日々是何とか・・という感じで、いつも息子の学校問題の最前線を突っ走って、息もつけない気持ちでした。「こんな状態は不自然だ」「不健全だ」と、心のどこかで思っていましたが、最近、私は、「そういうことをしてもよかった。そういう時間があってもよかったな」と思えるようになりました。そう思えて、「つらさ」がなくなることが、私にとっては、とても大きいことでした。・・楽です(^o^)いつのまにか、一段落ついたんだと思います。今、ありがたいことに、学校の先生方と対立しなくてすんでいるのも、とても大きいと思います。といっても、ちょっと気を抜くと、貧乏神に、すぐにそこを突かれてしまう、という感じで、問題が次々起きます。だから、気が抜けないのですが(^^)、気を引き締めると、また、なんとありがたいことか、解決して、前進していく。ぴったりのタイミングで良い出会いに支えられて・・まるで、できすぎているシナリオのように・・だから、「この世界」とか「人生」とかには、何かの「しくみ」があるんじゃないかという、強い思いが消せません。また、最近、昔よりも、世界の時間が、ぼんやりと夢見がちに過ぎているように感じてしかたがないのですが、・・まあ、この話はおいといて、・・で、今の息子と私の関係というか、私が彼の学校生活に対して、気をぬかずにいることが本当にいいことなのか、それも、もしかして卒業なのか、いや、これを続けるべきなのか・・・・・そんな気持ちのゆらぎを感じ始めて、今、1年生の3学期も、2月に入りました。暖冬も、温暖化への懸念などはありますが、でも、私にとっては、暖かさをたよりに子供部屋を大幅に模様替えし、彼らを私から独立させるという、画期的なチャンスになりました。お陰で夜、夫の傍らで、自分の自由な空間と時間を持つことができるようになりました。自分自身を取り戻すと、地球が、人間が、何に向かっているのか、ついつい想いをはせます。そして、また、わたし自身が、ずっともとから抱いている、「教育」への想いも、ここにきて、手元に戻ってきつつあるように思います。狭くなっていた視野が、自分の本来の所まで広がってくれて・・これもまた、楽になりました。だから、ちょっと余裕ができたので、今、きつい想いをしている人がいたら、(友だちにもいます。話せばすぐに涙で赤くなる目。。。ぎりぎりのところでも頑張っている笑顔に、胸がいっぱいになります。)どうか楽になってほしいと、祈らせてもらおうと思います。みなさんに、良いことが全部、たくさんたくさん起きます!私は、少なくとも、うちの子たちが、どう育てばいいのか、・・・どう育ったら幸せで、どう育ったら、たぶんみんなのためになるのか、・・・ひとりよがりかもしれないけれど・・・なんだかわかる気がします。それを見失わないでいられたらいいです。・・・(*^_^*)にんにが、「こわくて、うるさい魔女の変な夢」を、ここのところ2回見て、強烈な想いをしたようです。母的なものとの葛藤でしょうか。何かの節目を感じます。ところで、2月1日・・私にとっては、中学受験をした日でした。よりによって前日の雪で凍った道を、母に気づかわれながら歩いた、あの特別な朝が、今でも忘れられません。
February 1, 2007
コメント(8)
長いこと、日記書かず、というだけでなく、その間、ほとんどパソコンそのものに触れることがなく、暮らしていました。子ども関係の用事中心に色々びっしりつまって、めまぐるしかった中、ひと月以上もひどい咳の続く風邪をひいてました。(マイコプラズマだったのかな。はやってるっていうし)なんかいろいろ理由は思い当たるけど、とにかく、早寝遅起きで寝てばかりでした。この風邪の意味とか、どうしたらいいのか、とか、期間が長かったので、日々の合間にいろいろ考えては、考えることをやめた方がいいかもと思う・・なんていう堂々めぐりもして、で、そういうことも、ふんわりとなんとなく、解決・・・というのか、頭の中のもやもやにまつわるいろんなことが、頭の中でも現実でも、今思えば綺麗に呼応して、新しい考えに行き着いたり、よくぞと思うありがたい出会いがあったり、ふとしたことで道がひらけたりして、気づけば咳の方も、いつのまにかすっきり治ってしまっていました。それにしても、こういう時間は久しぶりです。私は、なんか、深夜に頭が冴える。この時間、こうして、何か書いているの、好きだな~。そして、日が出ている時間は、今、毎日、空が、ため息が出るほど、美しい。見事で・・何か、・・・わからないんだけど、何かがあるんだ・・って、そう思うような、すごく不思議で奥深くて、意味がありそうな、豊かな光と影と模様と形と色と・・・本当に美しくて、豊かな・・初めて見るような空を、今、毎日見ている。毎日が・・たぶん、・・・このことは、今、いろんな人がいろんな形で感じたり、話伝えたりしているんだろうけど、。。。私には、それを、どうとらえていいのか・・どう信じて良いのか・・とにかく、「予感」としかいえないけど、でも、毎日が、何かに向かって、動いている気配がする。ブランコのような振り子ではなく、すべり台のように、急速に、すべり落ちていくものに、乗っているみたいな気がする。
December 24, 2006
コメント(2)
全校遠足で、子ども達にまざり、息子のつきそいで行きました。全身筋肉痛~!!の数日・・が、ようやく、昨日あたりから、楽に(^o^)1~6年まで混合の班ごとに山登りをする・・何せ6年生の「班長さん」の指示のもとに、子どもだけで動くので、「にんには、ほかの子と同様に自分の班の一員として行動。母は万が一のこと、「脱落」とか「怪我」、「遅れ」に備えて、後ろをついていく」、ということになった。他学年の子の中に入って動くだけでもかなり緊張する「縦割り班活動」の一番の山場イベントがこの「全校遠足」で、しかも、かなりルートはハード。親たちも毎年、無事帰ってくるのを息をつめて待っている。(私がいたせいで、班の子たちは、余計に緊張しただろう・・)本当はきょうだいを同じ班にはしないことと、担任を班の担当にはしないことが、原則なのに、うちはお姉ちゃんが同じ班に組まれていて、お姉ちゃんの担任が担当についているという態勢。(にんにの担任は別の心配のある子についている)学校側も、事故のないように必死なんだと思う。で、当のにんには、「母親がいて、いつでも抜けて良い」的な扱いをされているのが不本意らしく、悔しそうにしていた。だけど、本当に窮屈なのは、にんにの都合に合わせることになったお姉ちゃんだったと思う。穏やかな子で良かった。淡々とにこにこマイペースで静かに歩き、私とお弁当を食べてくれた(^^)。ありがとう。で、最近、負けず嫌いなにんには、なんとか脱落もせず、しかも、遠足後数日のうちに、なんと、身体が、がっちりと一回り大きくなった。(びっくり)でも、やっぱりペースは遅かったので、つまり、ひと言でいえば足手まといになっていた。特に下り階段はまるで追いつかず、(階段がまだ完璧に降りられないことに、初めて気づいた。不覚。そういえば、家でもいつも手すりを持っている)とうとう、班長の判断で、私と二人置いて行かれた。でも、にんには、階段を降りきると、私の制止を聞かず、手をふりほどき(!)超~急な下り坂をつっ走って、班の人みんなぬかして先頭の班長の後ろ(ここが彼の本来の定位置)に、強引に割り込んだと思ったらころんで2,3回転して(>_
November 2, 2006
コメント(0)
本の中の『アシラム』という話に出てくる、修道院での「コニャック入りのコーヒー」というものに、「解説」で原案者の徳永メイさんも言及しているのですが、私は、・・飲んだことないけど勝手に想像して、これが、この作品集のイメージそのもののように、感じています。佐藤史生作、徳永メイ原案作品集の精霊王。表紙には、大きな仮面をつけた、原始的な民族のスタイルの人が、密林にひとり坐っています。全体として、少しレトロできっちりとした、でも、十分、刺激的で洗練された感じ・・それから、独特の、実のつまった言葉・・隠されているどんでん返し・・無言の部分のコマの運び・・が、面白かったです。私が、読みながら、お、と思って、目についた言葉は・・まともなの(?)では、 信じられないほどひどい一ヶ月だったのに、 楽しいときさえ会ったのよ、思い出して (『精霊王』)とか、 「心身ともに小学生なみの発達」? いったいどこに目をつけているのよ 自閉気味ですって 孤立しているだけじゃないの・・・ (『タオピ』)とか。で、もう少しねじれて(!)くると、 女としては さっそうとした 美しい肉体が 男としては なぜ ここまで”できそこない”に転ずるのか (中略) 精神の脆弱(ぜいじゃく)さが 形をなしたような この 無惨な 生き物ーー (『オフィーリア探し」)(-_-)・・・とか。ストーリーが、さあっと展開していく場面です。だから、その物語りの中での雰囲気の話で、障がいのこととか考えてなかったんだけど、書き出してみると、あらら・・なんか関係あるような言葉を選んでしまった・・のかな。びっくり。ちょっとだけ異世界、どことなく都会的・・で、そこで、デリケートで複雑な・・・精神的な倒錯や偏りが、逆に、純粋な意味での健全を彫り上げていく・・・そんな感じの話が集まっていて、とりあえず、今夜の私には許容範囲ですけど、人によっては、精神的にちょっと気持ち悪いかな・・とも思いました。逆に、これじゃ物足りない人も、もちろんいるだろうけど・・食欲も睡眠欲も波の大きな私は、ここのところ、食べたり眠ったりが、あまりいらなくて、日中、ちょっと予定がつまりがちの日が続いて緊張してるのかもしれないけど、夜は、遊んでます。で、今日はマンガでした。(で、仕事や勉強をまるでしてないので・・・・・これから、子どもたちが起きるまでは、やろうと思います。と書いてしまえ。)
October 19, 2006
コメント(1)
末っ子うーたんは、2歳も後半、きかんぼでわんぱくで、こだわりやさんで、そして、しょっちゅう、おばあちゃんやら誰かと留守番。 ↓けろりとしているけど、寂しいかもしれない。私は、上の二人を、小さな頃にきつく叱るというのは数えるほどしかしていないけど、うーたんを叱るのはしょっちゅう。上の子たちの時のように、小さい子用の生活を整えてあげてないので、危ないこと、危ないものが多く、また、時間ひとつにしても制約が多く、幼児の気分にあわせてあげられなくて、こっちの動きにあわせて暮らしてもらわないといけなくなってしまって、ついつい口うるさくしてしまう。 ↓辛い目にあわせていただろう。一方で、早寝早起き、3食規則正しく食べるのとかは、断然うーたんが一番できた。湿疹もぜんそくも、ほかのアレルギーも今のところ、唯一ないし、丈夫な子。手先も器用だし、考え深いし、すごくいい子どもっていうのが(親ばか入ってます♪)、家族には、まず、基本の前提になっている。 ↓これは、本人には嬉しいこととして伝わってなかったらしい。そして、みんなにしょっちゅう、困ったちょっかいを出す。お兄ちゃん、おねえちゃんが、宿題してれば、つまらなくて、わざと闘いをしかける。おもちゃは投げる、障子は破く、しかられると、わざとやるし、「やだ! ばた(バカ)!」と叫ぶのは大得意。こんなタイプの子、初めて・・と、上の二人がいかに穏やかだったかを思う。また、その上の二人でも、この2歳から3歳は、言うこときいてくれないことについては本当に困ったのを、覚えているから、あ~あ、そういう年頃か・・とため息もでる・・・・・・・なんて、上と比べ、今までの育児からの記憶で対処し、うーたんそのものに全身全霊でぶつかる態度が、足りない私。そんな毎日で、だんだん、にんにも、うーたんを粗雑に扱い始めたので、思わず、「うーたんは、ママのお腹にいて生まれてきた、あのかわいい赤ちゃんだった、あの大事な大事な子なんだよ!」と私は、つい感情的に怒鳴りつけてしまった。私の出産に、にんにはつきそった。助産院の畳の部屋で、二人の子達が背中をさすってくれた。生まれてからは、それはそれは、にんに、いろんなこと我慢しながらなのに、かわいがった。金色の光に包まれたような思い出・・。「あのうーたんが毎日育って、嬉しくてかわいいのに、ママの大事な子なのに」(と自分を棚にあげ・・)・・そろそろ、にんにも大事な子なんだということも言わなくちゃと、思った頃、当のにんには満足したように、静かにうんと頷いて、そこらのおもちゃをかたづけ始め兄に粗っぽく叱られ、ぎゃーぎゃー逃げていた(←憎たらしい(^^;))きかんぼうーたんが、なんとなんと、「はいは~い、おかたってで~(オカタヅケでーす)♪」と、踊りながらにこにこと現れ、かわいい良い子になった!!目がぱちくり。にんには、自分が、かわいがられ、心配され、大事にされすぎるのが、最近、うんざり気味みたい。うーたんの方がかばわれて、かえって心地よいらしい。そして、うーたんは、自分がかわいがられている実感が持てていなかったのかな。考えさせられました。本当に子どもに教えられます。それにしても、この良い子が続いてほしいなあ。「かわいい~♪ 大好き~♪」とかはいつも言ってるんだけど、(これが、甘ったれたダメ息子を作るのか)・・それじゃダメだったんだなあ。スナック菓子とかじゃなくて、お米のご飯食べると子どもの動きに芯ができるとか言われるけど、そういうこととにていて、お米のご飯みたいな愛情のかけ方を、してあげなくちゃいけないんだ・・ろうけどね~・・
October 19, 2006
コメント(0)
実は、息子にんにのクラスメートで、一緒に通級をしていたお友達が、精神的に不安定な状態が続き、手のあいた先生が付き添ったり、通級の担当の先生がかけつけたり、とうとうお母さんも何週間か付き添ったあと、とうとう転校を決めたということで、ここのところ、ずっと欠席しています。かんしゃくを起こしてしまうそうですが、普段は穏やかで、優しい子です。今、1年生は3人通級児がいて、3人とも、幼稚園から一緒に頑張ってきた仲なのですが、子どもたちの個性は、まさに三人三様。親が悩む部分も対処の仕方もそれぞれで、結局は、ひとりひとりが自分で悩み動き、でも、それを、うち明け、きいてもらい励ましてもらってきました。一番最初、1学期前半に、「普通級では厳しい」と先生に言われたのは、うちの子でした。ほかの二人は、情緒の揺れがあるものの、うちの子よりも勉強ができるし、うちは逆に、情緒的には落ち着いていても、知的レベルがあまりに低いということなのだったと思います。あけすけな先生なので、わかりやすく(T_T)「喋れない、書けない、でしょ。それじゃあね」とおっしゃいました。通級も、正式名は「情緒障害学級」です。もともと、知的障害児に、通級をさせるというシステムは、ここにはありません。うちの子は、教育委員会から、書類上は(?)「声が小さいから」通常級だけではきついだろう、という判断で通級が認められたと記憶してます。私の方からも、療育の先生などと相談して、言葉がまだ達者ではないのでコミュニケーション上、「精神的に負担」があるだろうから、通級でのフォローをお願いします。という形で申し込みました。人気が高く、他校の子もいて、定員いっぱいのクラスです。はやく出ていってほしいのかな、とさえ、思ってしまったこともあります。うち・・というか少なくとも私のスタンスは、基本的には、このまま今の小学校を卒業させたいということです。きょうだいと同じ、地域の子と同じ、また、私や母をはじめとする身近な親戚もぞろりと通った、一番身近な、近所の学校で、6年を過ごして欲しいです。ただ、何が何でもではなく、状況が悪ければ、進路を変える心の準備はできてます。にんにのために、当たり前にそうしようと思っています。そんなことは、上の子や下の子でも同じです。にんには、今、入学して、話せるようになってきて、いっきに伸びているところです。笑顔で学校に通っている。叩かれたり、「すごく小さいよね」とか「ちゃんと日本語話してみろ」と言われたり、(親としては、心配、傷心 and ムカっ・・)「かわいいって言われたくないのに」無性にかわいがられていたり、いろいろあるけど、今のところ本人は、ありがたいことに、さほど深く気にしていなくて、むしろ日々成長しているのがわかる。通級クラスのお友達にはない、きれのあるこまやかな交流は、やはり、彼にとって、今は、プラスに働いている。勉強も、完全にダメというのではなくて、シッポぐらにはぶらさがって、進歩している。まだまだたどたどしくても、口がきける上に、たしざんや引き算や10になる数がなんとか、とか、読める漢字と読めない漢字がなんとかという話とか、そんなことができるなんて、春のにんにとは、本当に別人のように成長した。そうであるうちは、ここを出ていくということの意味が私にはわからない。それを、1学期に訴えたら、そのことは、わかってもらえたみたいで、「のびているところですからね」「背伸びしないでいきましょうね」「すごく頑張っていますから」などと、言ってもらえて、(いや、それ、私が言ったことそのまんまな気がするけど案外そんなもんなの?)今学期は風当たりが、少し和らいでいる感じがしてます。参観日にみていたら、それでも、やはり理解が鈍く、ひと言、ふとこと、言葉を添えてあげたいところはあって、(先生が添えてくれれば一番いいんだけど(T_T)でも、見ていたら、わんぱくの多いクラスで補助の先生が入っているのに、まったく手一杯だった・・これこそ、本当はどうかしてほしい。)「授業中つきそいましょうか」と言ったら、先生は、「お母さんが心配で来たいんでしょう(^o^)」「大丈夫、自分のペースで頑張ってますから。私、見ますから!(←本当に、お願いします)」来なくていいなら、まあ、楽だわ(^^;)・・・と思ったら、一方で、お友だちが、「どうか学校に来て、お母様が付き添って下さい」と言われ、下の子を預けてつきそって、でも、おちつかなかったみたいで、身障者学級への転校をすすめられ、ママも「子どもも家族も限界」と言って、転校を決めた。落ち着かないクラスだもの。うちの子が行ってる通級に言ったら、もっと心落ち着くし、学校や友だちのことわかるから、行かせてあげたいって思う子が、幾人もいる。でも・・・「あそこ行ったらまるで病気や障害があるみたい」って言ったお母さんもいたし(-_-)、簡単には、行きそうにないか・・・。だから、私も、通級のことと同じように、普通学級から身障学級に移ることが、特別に不幸だとか、まさか、そんなこと思っているわけじゃない。お友達も、我が子のために、よーく考えて決めたわけで、「愛情たっぷりの先生たちなの!」っていういいクラスを見つけて、電車で何駅も先の学校に申し込むと言っているから、ここよりずっといい環境にいけるんだろうと思う。(私も、え、何々? なんてきいちゃったりもしたし。)かなりまいっていたお母さんも、明るい顔になってきた気がして、それは良かった。1学期、しょっちゅう涙ぐんでる私を親身に支えてくれた一人だった。今は「欠席」しているその子の席、別の子に付き添っている先生が、専用に使ってる・・なんだろうね。このクラスは。・・と思います。だから、転校も、それが正解かもね。でも、でも、こういうことがあるなら、まっさきにうちなんだろうって思ってた。なんかとにかく、このクラスじゃダメだったんだなあ、寂しくなるなあ。
October 17, 2006
コメント(2)
ここ何日か、人から謝られてばかりいる。ねねたんが体育の時間にねんざをして、保健室と担任の先生が頭を下げられる。にんにが、友だちに乱暴され、担任の先生が丁寧にお詫びして下さり、当事者の親からも電話が来た。私をからかって隠れて逃げた(^^;)子のママにも「子どもから聞いたんだけど」と謝られた。私は、実は今まで、自分が謝り屋さんで、すぐに大げさにお詫びしてしまうのが、自分で嫌だった。自分が悪い人になりたくて、いい人ぶって謝ってしまって、謝られた人の方がかえって困るぐらいの、ときもあったと思う。へらへらしているのがいやだった。で、今回は、別に苦情を言ったつもりはなく、ねねたんの場合は保険の手続きをお願いし、にんにの場合は、先生に守ってもらおうと思って、言っただけで、謝られるのは意外だったし、「謝るのはいいけど、謝られるのは苦手」な自分に気づいた。こっちがかえって恐縮してしまった。特に、にんにのお腹を叩いた子のママからの電話には、まったくどう応対していいかわからず、何を喋ったのか、長く電話したけど、あんまり覚えてないぐらい。めったにきちんと謝られることがない私が、こんなにぞろぞろといろんなパターンでお詫びされ、(そういえば、ねねたんの病院では、「昨日、間違って、湿布、余分に渡しちゃいました。差額いただきます」と言われたけど、あれ、これも??)・・・親として、大人として、未熟な私が、新しいことを習得する時にいる気がしてます。
October 12, 2006
コメント(4)

友だちが帰国する。ご主人の赴任が終わるらしい。あちらで赤ちゃんを産んだのもあって、日本に帰ってくるのがもったいない、学校のこととかむこうの方がいいって言って、ちょっと残念そう。でも、こどもちゃんに、ヨーロッパの、フランスの空気を吸って育った時期が、身体のなかに根づいているのは、確かなものだと思う。うちの3人の子では唯一、ほんの一ヶ月間だけど、ねねたんが、海外経験をもっている。カリフォルニアで暮らした。2歳になる少し前の体験だったけど、幼児の時代には、時々、その1か月の影響だ、と思う小さなことが見られたから、ばかにできないと思う。まったく遠くの土地にいくのも、おもしろいものだと思った。在米中国人のすごくきれいな女の子が公園で遊んでくれたっけ。外国人にも自然に接する、おおらかな明るい町の雰囲気の中、しなやかで物静かで美しいその子と我が子が手をつないでいるのをみながら、地球という星にいろんな国の人がいるなら、自分たちは自分たちの、日本人の良さが磨かれるように、ねねたんを育てられたらいい、我が家の魅力をのばせたらいい、そうすることこそ、世界の人が国とか個人とかどちらのレベルもこえて、みんな自分の良さをもって、心を許しあって支え合って普通につきあえることになる・・なんてことを、思ったんだった。(↑その当時、一番大好きだった、ラグナ・ビーチ)友だちが暮らしたのは、フランスの郊外で、居心地の良い町だったらしい。言葉の壁があっても。ヨーロッパは、文化でいえば、老成しているという人もいるけど、本当に、確かに、静かに満たされた何かの空気があるよね。今、私は、自分が育った町に住み、子どもたちが通っている小学校は、私や私の母の母校でもある。結婚したばかりの頃に住んでいた町、学生の時に住んだ町・・自分にはこれから、どんな土地と縁があるんだろう。
October 9, 2006
コメント(2)
![]()
運動会でした(^o^)毎年、天気が不安定な時期なのに、この4年間、一度も延期がなく、朝危ない天気でも、晴れ上がったりする。グラウンドに座ってると、バックの山と空がすごくきれいで、毎年、その写真も撮る。雲が織りなす形がすごく美しくて、運動会だけではなく、何かもっと深く大きなお祭りが行われている端に、私たちも座っているような気になる。で、運動会、今年は、ふたり出場者がいるので、親としては忙しい。また、にんにについては、幼稚園から今までで初めて、おろおろせずに、見てられた。幼稚園のときよりも、「彼なり」を受け止めるということでの、慣れもあるのかもしれない。そして、先生の配慮か、集合の時に、並び順が、先頭じゃなかった。だから、体操とかでの動きが目立たなかったのも、私には、心安らかだった。みんなと同じように、きちんと体操をするのは、にんにには、まだ難しい。ラジオ体操は、にんにには速いし、動きが難しい。幼稚園の時の「ディズニー体操」の時、にんには、ただつっ立っていた記憶があって、それが、背の順で一番前にさらされている気分がたまらなかった。保護者の、カメラやビデオの撮影熱も幼稚園の方がすごいから、真ん中あたりの立ち位置の、見えにくい子に申し訳ないのも、たまらなかった。それが、今回は大きい子(にんには極端に小さいので、「次に小さい子」でも、かなり大きい(^^))の後ろで、びろん、びろろ~ん、と自分なりに体操をしている。「ちゃんとやってる~♪」が、彼への嬉しいひとりごと・・ほかの競技もちゃんと彼なりに参加した。私としては、も~、満足だった。ダンスの踊りは先頭だったけど、彼ができる動きのめいっぱいで、ちゃんとやっていた。よく、振りを覚えたと、びっくり。そういえば、幼稚園でも、先生たちは、にんにのこと、ちゃんとできると言っていた。「言っていたのにこれか~(T_T)・・」、と運動会その他晴れ舞台のたびに思ったけど、全体の中ではまるで全然に見えても、一人をみていると、彼なりに習得しているのを、先生は感じ取ってくれていたのかな。いい先生たちだったな~(>_
October 2, 2006
コメント(0)
全120件 (120件中 1-50件目)