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♪ 梅雨晴れの五月つごもり朝九時の重機の音が未来を告げる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ブログ日記の毎日のアクセスレポートには、アクセス数の順にページ名が表示されるので、そこに表示された過去のページに飛んで、読み返してみることがある。おお、10年前はこんな事を考えていたのかとか、こんな事が有ったのかとか、貴重な記述も結構あって、忘れてしまっている自分の過去に驚いたり感心したりする。 また、そこに載っている短歌を読むと、その時の情景や心情がありありと浮かんでくる。 書いて置いてよかったと思うと同時に、鮮度を失いつつある自分が今しなければならないことを再認識するきっかけにもなる。「歌を詠むというのは過去へ流れ去って行く時間に錘を付け、無意識のうちに自分の外側を過ぎてゆく時間に楔を打ち込むことだ」永田和宏 文章だけではこうはいかないだろう。何をテーマにしてどう詠むか。その日の材料をテーブルに並べ、そのどれを使ってどんな料理を作るか。それを決める過程において思いめぐらす様々なことがらが、心と言葉のやり取りの中で磨かれ、シェイプアップされながら薄紙を重ねるように記憶されていく。「過去をより遠くまで振り返る事ができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せる」チャーチル 歴史を知ることは未来を知る事でもあるけれど、自分という歴史を振り返ることも時には必要だと思わせられる。死んだ子の歳を数えるようなことではなく、その時々の地層や年輪に刻まれている貴重な体験の意味を客観的に眺めてみる。瑕疵と悔恨、無念と未練とかの負の層をしっかりと包み込んでいる、薄くも意味あるたくさんの層が見える。 生き越しのすべてが愛おしいと思えてくると同時に、メビウスの輪のように自分の近未来を見通すことに繋がっていく。「いっそ『記録』は過去ではなく未来に属していると考えたらどうだろう」畠山直哉(写真家) シャッターを押すことは何かに導かれていて、必然性を感じるという。現在を撮ってその瞬間に過去になっていく写真は、はからずも未来が関わっているのではないかと写真家は考える。「現在」にはすでに未来が内包されていて、それが写真に写し込まれるというのです。 小説の世界でも後になって、その時に起こっていることにあまりにも似通っている内容に、未来を予見していたのではないかと言われることがある。「前だけを見て生きて行こう」なんてことを思う今日この頃ですが、過去があってこその思いであって、過去を捨て去ることは出来ないしそんなことは出来はしない。 こんな事を書き出したら短歌なんか詠めそうになくなってきたけれど、永田和宏の言葉に従って、流れ去っていく時間に楔を打ち込んでみよう。それは決して無意味な行為ではないはずです。この5月最後というの日に・・ 目の前の更地の境界に造成工事用の杭が打たれ、道路となる位置がはっきりして来た。 今朝は下水の配管の位置を調べるために重機が入り、いよいよ工事が本格化する前触れの音が響いている。
2021.05.31
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♪ かろやかにシテのうぐいす晴れ舞台今朝は囃子の小綬鶏の声 5時に目が覚めたので久し振りに朝のウォーキングをする気になった。夏至も近いことだし夜が明けるのが早く、5時にはもうしっかりと朝日が射している。準備運動をして5時40分頃に家を出た。半袖のTシャツで十分な暖かさ。膝の具合も上々。 最近、腰が凝っていて痛だるい感じが有って、走るとそれが軽減されることを思い出していた。以前はできていたのをずっと中断していたので、坂に差し掛かったので走って上がった。これこれ、この感じ。 梅雨の晴れ間といってもまだ5月だ。カラッとして気持ちがいい。 開発された住宅街の外れ、調整池でオオヨシキリが頻りに鋭い声をあげている。 立ち寄るところがあって、脇道を抜けていくと今度は鶯の声が迎えてくれた。こんなに何羽もの鶯が頻りに啼いているのに居合わせるのは初めてのこと。幸せな気分に浸っていると、今度は小綬鶏が長鳴きを始めた。こっちの方が声が大きいので、ウグイスの声は霞んでしまう。 小綬鶏がいた。そっと近づいていくと相手がいたらしく、一緒になって歩いて逃げていった。恋路の邪魔をしてしまったようだ。 以前、冬に出会った養蜂箱の置いてある場所へ行ってみた。今の時期なら蜂が働いているはずで、その様子を見てみたいと思った。案の定、たくさんのミツバチが箱を出入りし、帰巣した蜂や出て行く蜂が空中で交錯していて見応えがある。働きバチは朝から精力的だ。暖かいので活性が良いのだろう。 そういえば、この事は以前にも書いたのを思い出した。ブログ内検索をしたら、あった。3年前の4月21日で、時期は今よりひと月以上前だ。そのブログからすると今はもう蜜を搾り終えているようだ。もう一度搾れるのかな? この日は、最後に面白い出会いがあった。色の濃い夏みかんらしき実が木に生っていて、この時期にまだ採らないのはどうしてなのか気になった。それで、畑に人がいるようだったので聞いてみようと細い草道を入って行った。入り口にあった柑橘類。 左の奥は袋掛けした枇杷。「あれはダイダイで、夏みかんじゃないんですよ」 食べてもおいしくないけど、絞り汁をドレッシングとか調味料として使うととてもおいしいのだと、後から聞いた。「地主のお婆さんのものなので、勝手に採ると怒られるんです」 両側にブルーベリーの苗がたくさん植わっていて、実も沢山生っている。色づいているのやら青いのやらいろいろだ。 登山が好きでカメラにも凝っていて、20kgの荷物を担いでしょっちゅう山登りしていただ、奥さんが腰を痛めてしまい、登山が出来なくなったとか。それで体力はあり余っているので何かしたいと思っていたところ、たまたまこの場所を見つけて借りることにした。篠竹が生えていたのを取り除き、孫にブルーベリーを食べさせてやりたいと思って植えたのが始まりらしい。 最初は分からないので適当な苗を買って植えたものの、美味しくなかったりたくさん生らなかったりした。取れる時期も一斉に採れるので具合が悪い。それで色々品種を変えて植えてみたり、収穫の時期もずらして採れるようにと試行錯誤の連続だったとか。 害敵が色々いて、モグラが根を切って年に何本かが枯れてしまう。すぐ傍にはため池があるため、亀がネットの下を潜って冬眠しやって来るらしい。その開いた隙間からは雀が入って来るんだとか。ネットを張る前には通りすがりの人が、勝手に実を採って行くので困ったらしい。「山間部では猿や猪、鹿などが作物を荒らしてこまるけど、それほどではないんですね」とはさすがに言えなかった。 どこかに出荷しているらしいが、「内緒です」といって教えてくれない。 やりかけると休憩なしでぶっ続けでやってしまうので、奥さんが心配しているらしい。梅が丘に住んでいるというのでそう遠くはなく、奥さんが見計らってやって来て、休憩を取らされるんだと笑っていた。「熱中症に気を付けて下さいよと」言うと、「新日鉄務めていて、熱い職場で慣れているので」と、余裕の表情。 話好きらしく、聞かない事まで喋ってくれるので気持ちがいいし、気も合うので話が弾んだ。「話好きそうですね。私も知らない人と話するのが好きでね、知ってる人よりも楽しいんですよ」 「うん、そうそうだよね」 「今日はいい出会いでした。この入り口の蜜柑をキッカケに入って来なかったら、出会えなかったでね」「いつもとちょっと違うことをすると、何か良いことに出会える」 歳を聞かれたので、72歳と答えると「一緒だねぇ」と。そうか同級生か。奥さんが俳句でもやろうかと言っていて、実際に作ったりしているらしい。それを見て、やれ季語がないとか、二つもあるとかついつい言ってしまうらしい。 「俳句よりも川柳の方が良いんじゃないですか?」季語もいらないし。 「サラリーマン川柳っていうの、あるねぇ」 そうなんです、うちの旦那はちっとも休憩しないので困る、とかを5・7・5にしてね・・ ♪ うぐいすに誘われ来たる里の辺のブルーベリーにロックオンせり♪ 同い年の明るく語る来し方や登山靴から長ぐつまでの 楽しいひと時だった。団塊の最後の世代はずっと揉まれて生きてきたから、みんな懐が深い。 「今度、いい短歌が出来たら入り口の八朔の木に掛けといてください」 「分かりました」「お邪魔しました、じゃぁまた・・・」 こちらは、チラホラと枯れた葉が混じっていて、間もなく「竹の秋」を迎えるようだ。 5時40分に出て、戻ったのが9時半ごろ。4時間もの間いったい何をしていたのか? って、カミさんは思っているだろう。自分でもこんなに遅くなるつもりはなかったので、鍵を持って出なかった。買い物に出かける時間になっても帰って来ないんじゃ、そりゃそう思うわなぁ。 14,400歩ほど。前日に、病気を克服して毎日1万歩歩いている人の講演を聞いたばかりなので、これしきの数は大したことじゃないと思う。でも膝にかなり負担がかかっているので、しっかりアイシングしておいた。
2021.05.30
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♪ おさな児は楽しからずや一つずつ文字を拾ってことば生みゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 複合プリンターの用紙トレイを、カミさんが棒雑巾を当てて折っちまった。その前は布団を干す時に端が当たって折れたので、これで婆さまが折るのは二度目。ちょっと前には、アランが乘って折ったこともあった。安いプリンターで究極のコスパ商品だから、簡単に壊れる。 その度に、爺さまが万能接着剤で引っ付けて直していたけど、今回は折れた爪が本体の下に入ってしまって取れなくなった。でも、試しにプリントしたら出来たので「まあ良いか」と、そのままになっていた。 孫ちゃんが来る日だった。位置の変わったパソコンに興味を持ったらしく、「僕もやりたーい」となった。ローマ字入力をひらがな入力に替え、左手で操作しているマウスを右手に替えて・・・。最初っから教えなくちゃならないけど、爺さまは嫌がりもせず手取り足取りで教えてやっている。 何を書こうかから始まって、小さい文字の入れ方や濁点の付け方を教えてやる。ひらがな入力なんてやった事がないので、「これかな?」とか試しながらの「お遊びパソコン教室」の始まりだ。カーソルの動かし方や、入れた文字の確定の仕方、文字を消す方法とか移動させる方法など、教えることはいっぱいある。 一つ覚えて「おもしろ~い!」と言いながら、もうパソコンに首ったけの孫ちゃんです。何とか書けるようになったので、起きて寝るまでを想像してそれに合った言葉を考えて書いてみようということに。あんまりしつこく教えるのも何だし、自分で適当にやって覚えるのが一番と思って、爺さまは自分の部屋へ。自分の事をやりながら、呼ばれたらその都度説明するってことに・・・ 爺さま、「出来たらプリントしてあげるね」と、折れたトレイの代わりにテープでアクリル板を貼り付けている。二度応急処置をしたけれど、今回は中に入った爪が取れないのでどうしようもない。 孫ちゃんなりに考えて、たくさん書いた。前後を入れ替えたりして、なかなかのものです。感心しちゃいます。本人も、とってもとっても満足そうです。 それで、爺さまさっそくプリンとしてあげる。とととと・・・、何と! 紙が何かに引っ掛かって、破れながら出てきた。「ありゃりゃ~、こりゃあ拙いなぁ」 折れた爪が当たってるらしい。 逆さにしても、振ってみても出て来ないので、どうしようもない。持って帰って父さん母さんに見せてやりたいのに、孫ちゃんが残念がっているけどしょうがない。何とも不如意な爺さんと婆さんです。 翌日、ネジを外して爪を取り出せないか、やってみるも肝心な部分が開けられない。保証期間中だけれどネットで買ったので「メーカー送り」というのも面倒だ。原因が原因だけにどんなものかとも思うし、第一こんな事で修理に出すのも癪に障る。 “買い替え” なんてことも頭を過ぎる爺さまだけど、今すぐにプリントしたいものがある事が頭に引っ掛かっている。 何とかならんかなぁと、先日拾っきたカラスの羽根でチョイチョイと探ってみると・・何と、爪が出てきたじゃないですか。1.5×1cmほども小さな爪を、失敗しながら何とかピンセットで摘まみ出すことに成功した爺さま。「おお~取れた!」これでちゃんと動いてくれればバンバンザイだー。 試してみると・・・「動いた!」 紙がちゃんと送られてプリント出来ている。ホッ! ほほほほの、ホ~の恵比須顔。 一年生になってひらがなを覚えている最中の孫ちゃん、書けると読めるとは別なんだけど、短くてもことばを文字にできた感動は、爺さまにも良~く分かる。最初はキーボードの文字の配列を知らず、「あいうえお」順で探そうとすると、何が何だか分からずに混乱する。なまじっか知らない孫ちゃんは、案外抵抗が無かったのかも知れない。 パソコンを使う前、ワープロを初めて使った時は爺さまもまごついたらしいけど、操作を覚える度に「おお、こんな事も出来るんだ~!」「凄!いす!ご~い!」って感動していたのを今でも覚えてるらしい。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.05.29
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♪ 引っ越し魔に憧れたりはせぬ吾は部屋を移ればこころ安けし‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ あの「魔女の宅急便」の創作エピソードが面白いので取り上げてみました。「魔女って何なのかだろう?」という疑問から調べていって、「母親」に行きつく・・・ 魔法は何でもかなえてくれるものじゃない。自分の願いを「発見」し、その願いを育てる「努力」を続ける。そこには苦しさもあるけど、「喜び」があって、そういうものから魔法は生まれると思った。「だから魔法は誰にでもある」 長年『魔女の宅急便』を書いてきて、あるとき「これがテーマだったんだな」と思った。 作家はこういう事をよく言いますね。「自分って、こんなことを思っていたんだ!」と、思いもよらないものが内側から出て来て驚くことがあるって。これこそ作家冥利に尽きる事じゃないでしょうか。彫刻家は「素材の中に眠っているものを彫り出していく作業だ」と言うし、音楽家は「降ってきた音を音符に書く作業をしているだけ」とか言う。 「無から有を生み出す」というのは、こういう事を意味しているのでしょう。天啓とか啓示とかにも似て、目に見えない何かがそうさせる。そういう境地とかゾーンに到達するには何が必要なのか、あるいは何が無い方が良いのか。スピリチュアルな世界に入ること事と関係があるのでしょうか。 「創造する」ことは「想像する」こととつながっていて、すべては「想像する」ことが出来るか否かに掛っている。思慮深くして森羅万象にこころを向けることこそ、「創造する」ことなのでしょう。★ 二日前にPC机を隣の部屋に移して以来、すごく落ち着いた気分でいる。外の景色も変わったけれど、部屋そのものが落ち着いた雰囲気なのです。すぐ右の壁には大きな鏡があって、時どき自分の姿をみては、「俺っていつもこんな顔をしてるんだ」と再認識したりしている。 葛飾北斎やベートーベン、江戸川乱歩や志賀直哉、ゴッホもよく引っ越しをしたらしい。確かに気分は変るだろうけど、実際に引っ越しをするとなると結構めんどうだ。考えただけで気が萎えてしまう。「引っ越し貧乏」なんて言葉もある。 部屋を変えるだけでこんなに効果があるなら、たまにはした方が良いのかな。そういえば吾がカミさんは、部屋の模様替えが好きでいつも「どうしようかなぁ」と考えているなぁ。TVの位置が今まで何度変わったか。その度に配線のやり直しをする羽目になる。確かに気分は変るし、より良い方へと変えるわけだからそれなりの効果はあるわけだ。
2021.05.28
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♪ 安全を神話に託し実際は神を信じぬホモサピエンス‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日の夕方からネットが繋がらなくなり、PCが使えなくなってしまった。インターネットが使えないというのがどれだけ不便なことか。情報の発信は勿論のこと検索も調べものも出来ないし、メールもSNSも出来ないわけだからね。 これがもしスマホだったら、こんなもんじゃ済まない。何でもかんでもスマホで出来るのは確かに便利だけれど、故障したり通信の不具合は起る可能性はあるし、万一紛失したりしたらどんな問題が起こるか想像しただけでも恐ろしい。それどころか想像できない事の方が多いだろから、スマホにすべてを依存する社会は、このコロナ騒動をはるかに超えた問題を潜在的に抱え持っている。 インターネットに依存することは、もはや避けられないことではあるけれど、どんなものにも不具合というものはついて回る。機械は故障するものだし、不慮の事故や想定外のことだって起こらないとも限らない。フェールセーフが建前としても、「事故は必ず起きる」ゆえに「絶対安全はあり得ない」という前提のうえに成り立っている以上、そのフェールセーフそのものが完全だとは言い切れない。 ネットは知多メディアスを使っているので、電話で問い合わせた。それで、担当者とやり取りをしながらモデムとルーターをごそごそやっているうちに、おやおや「繋がったようです」ってことに。どうやらルーターが古いので信号がうまく繋がらない事があるらしい。そのため、買い替える必要があるようだ。無線でやる必要はないので事は簡単だし、機種もその分安く済む。 そうなんだよね。故障という言葉の中には老朽化というものがあって、エントロピーの増大が為せるこれらは防ぐことは出来ない。機械は定期的に交換する必要があるものが沢山あって、電子機器のパーツはデリケートなので思いのほか脆かったりする。部品にも当たりはずれがあって長持ちするものも有れば短命のものも有るというのが、何とも悲しい事実なんだよね。 高級品になればなるほどその可能性は低くなるわけで、安全性は値段に比例して上がるとは言うものの、先に書いたように不慮の、想定外のものは避けようがない。システムの異常とか設計ミスとか、人為的なものはいつか必ず起こるものだ。 最近、運河を運搬船が塞いでしまったり、電車が正面衝突したり、想定外のものに衝突してトンネル内で脱線転覆したりと、世界で大きな事故が相次いでいる。これらは不慮の事故と一蹴することは出来ない、人間が関わっている以上必ずついて回るものだ。万に一つだって、起こってはならないことが、実際には起こってしまうのだから。また、天変地異と重なったり、ウィルスというやっかいなものが関わる事だってある。 誰かが犠牲になってようやくその不完全さに気付くということを、人類はこれからも続けていくのだろうね。
2021.05.27
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♪ 里山に赤い卵の光るころ不如帰の声耳に染みおり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 梅雨の晴れ間の昨日、地鎮祭ってやつが始まったので、いよいよ工事が始まるんだなぁ。開発会社のスタッフ総出で、工事を請け負った業者が2人来ていて1人は神主さんのサポートをしている。 敷地の角々でお祓いをして回っている。 ちょうど同じころ、電気のメーター交換の人が来ていた。10年にごとbに交換するらしい。この時、爺さまはマイナンバーカードの受け取りに、すぐ傍の受け取り場所(市役所)行っていて留守だった。戻ってきたら工事をやっていて、じきに終わって説明のチラシを置いて帰っていった。 ああ、また五月蠅くなるなぁ。殺風景なこの景色が良くなるのはいいんだけど、当分は外に出るのが怖くてちょっとなる。 側溝の位置とか境界線のブロック垣の位置とかが気になっている爺さま、開発の担当者と工事の人に確認している。説明によると路地の高さは今のままで拡幅され、側溝もその高さに合わせるので現状と違和感はなさそうで一安心し、駐車場にする入り口部分までの傾斜は4㎝ほどの差で、誤差のうちだからどうにでもなりそうだと聞いて、ちょっとホッとしている。 向こうの道路と同じレベルに均され、こんな高さにはならないらしい。 東の境界、ブロック5段積の部分は4㎝控えて設置するらしい。それはブロックから染み出た雨水を逃がすための配慮なんだって。この程度じゃほとんど境界一杯に設置するのと変わらない。今までよりも庭が狭くなるし、5段積んだ高さはそこそこあるので、日陰になって植物を植えることはもう無理だなあと、担当者にぼやいている。ぼやいたってどうにもなりゃしない。 シンボルツリーの姫沙羅が境界上にあるので当然ながら邪魔になる。どうにか生かしたいんだけどねぇ、と言うと、「移植することは出来ますよ」と気安い返事が返ってきた。「でも、時期が悪いので折角移植しても枯れてしまう恐れがありますねぇ」もしそうなっても責任は負えない、というような口ぶりだ。 確かになぁ、もっと早い段階でこの開発の詳細が事が分かっていれば、早めに移植することも出来たんだけど、あまりにも急だったからねえ。と、ここでも爺さまのぼやきが収まらない。 実際、隣に移植したところで借りている土地だし、いずれ更地にする時は処分することになるからねぇ。10年先にはもっと大きな木になることを考えたら、今のうちに処分した方が良いのかも知れないと諦め半分の、断捨離のような気分でいるご主人様だ。★ 6月は平年より暑いと、気象庁の予想が出ている。7,8月は平年並みというけど、平年値が基準になる年を今までより10年ずらしているので、暑いということに変わりがない。夏の工事は、今までと違って風も南風に変わるし、暑いのに窓も開けられない。クーラー嫌いなので2階にはクーラーなんか無い。となると南の角にあるPC机を、隣の部屋に移動した方が良さそうだなぁと天啓のように閃いた爺さま。 思い立ったらすぐにやらないと気が済まない人だ。隣の東の角にもL字に壁がある。お誂え向きの場所へさっそく移動を始めている。LANコードも問題にし、条件もおんなじなので作業はわけなく終わったみたいだ。おお良いねえ、落ちつくねぇ。 今までとは眺める景色が違うので、気分も随分変わるようです。電車が正面に見える他は、路地も見えないので何ら気になる様なものがないんです。真夏の日中のカンカン照りも避けられるし・・・。 ぼくの命の恩人の次男さんが使ってた部屋なので、何となくですけどぼくも嬉しいんです。それにしても、今年になって色んなものが変わっていくので随分と戸惑っています。すべてが初めての体験になるわけですから、安定を好む猫にとってはストレスも大きいんです。 最近、「カワラヒワ」を頻繁に見るようになった。 でもこれが生きてるってことなんですから、素直に受け入れて変化にも慣れて行かないとね。「未来は過去にある」なんて言うけど、「今」しか存在しないんでしょう?分からんけど。 ぼくもアランも外に出られない日が続いていて、一日中寝てばっかりだからネェ。いい思い出を作るなんてことも出来ないでいる。それで一年が過ぎて行くって、淋しいことだよね。 コロナ禍で巣ごもり、自粛の毎日で苦しんでる人間様の気持ちがよーく分かります。来年こそはもう少しましな年になってほしいものですが、未来の事なんか誰にも分かんないからね。「今」をどう楽しく過ごすかだけを考えていた方が良さそうですね。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.05.26
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♪ 狂騒のウィルスそして四季狂い諸星めぐり巡ぐりゆく空‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 朝からいい天気で、吾が地域では27度になる予報が出ている。6時ごろの北西の空 10分後には雲散霧消していった 30分後には同じ様な雲が浮かび、その下を大型の鳥が西に向かって飛んでいった。 梅雨の晴れ間は殊のほか嬉しい。昨日から、家の前の更地の造成工事が着手されて、夕方小雨がぱらつく中でテントを準備して帰って行った。 地鎮祭の準備らしい。絶好の梅雨の晴れ間になったわけだけれど工事は梅雨の間中やらなければならず、業者はもう一カ月早くやりたかったとぼやいていた。順調に行けば7月末には終わるはずなんだけど、そうもいかないからと・・・。★ 三年振りの皆既月食が、明日5月26日、全国各地で見られるらしい。それが、この夜は満月である上に今年最も地球に近いスーパームーン。「スーパームーンの皆既月食」そんな特別なもの、見逃せないよね。 月食が始まるのは6時44分ごろで、8時9分頃に皆既になり20分ほど続く。月がすべて太陽に隠れれば見えなくなるはずだけど、実際には地球の大気を通って回り込む光で薄暗く照らされる。地球から見た夕陽が赤いように、大気を長く通った光は赤みが強まるため、皆既中の月は赤黒い赤銅色に見えるという。 今回は、ようやく空が暗くなった頃に皆既が始まり、それも南東の空の高さ約15度(手を伸ばして拳一つ半)と、かなり低くい。なので南東の空が開けた場所で観る方が良いらしい。 地上の近くの月食なので風景と一緒に赤い月が観られ、写真に撮るにも都合がいいらしい。場所を確認しておく必要があるようですね。 朝日新聞宇宙部では、ハワイのマウナケア山のすばる望遠鏡に設置している「星空カメラ」の向きを変えて、最初から最後まで「YouTubeで生中継」することになっている。天の川と皆既月食が一緒に撮影できるというので、カメラ関係者は期待しているらしい。東京大学木曽観測所からもライブ配信される。クリックでYouTubeへ 次に国内で皆既月食が観られるのは22年11月で、スーパームーンが皆既月食になるのは33年10月だとか。
2021.05.25
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♪ 増えすぎた人類がいま喘ぐのは死なないためで死ぬためじゃない‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 遅まきながらようやく65歳以上の私にも、コロナワクチン(ファイザー社製)の接種券が来た。さてどこで接種してもらおうか。 電話予約(予約センター)はかなり混雑して、何度も何度も掛け直さないと繋がらず、繋がっても大分待たされたと、すでに1回目を終えた知人の後期高齢者が言っていた。 直接予約ができる医院にすぐ近所の内科医院が載っていたのでそこが良いと思うが、「掛かり付け」の人に限定と書いてある。「掛かり付け」ではないが、以前に他の予防接種は2度受けているし、知らない者でも無いのだから頼めばやってくれるんじゃないかと思う。取りあえず、電話して聞いてみる事にする。 ワクチンについて、様々な憶測やデマまがいの情報が沢山出ている。しっかりしたデータを示さずに不安を煽る医学博士などもいるのは頂けない。副作用を心配し接種拒否運動までしている団体さえある。 トランプが選挙は盗まれていると言っているのとはわけが違うのだ。世の中を撹乱して自分の信奉者を増やそうとするのはオウム真理教と何ら変わらないし、デマを真に受ける族はある割合で必ず存在する。マスコミも偏った報道しかしないので、不安が解消されないのも問題だ。 私もこんなサイトを紹介したことがあります。「グローバルリサーチ(CDCは、COVIDワクチン接種後に報告された死亡、負傷者数の増加に関する問い合わせを無視しています)」 この記事には副作用で亡くなった人の既往症には触れておらず、ただ現象のみを挙げているだけなので、本当のところは良く分らない。★ 日本記者クラブで、宮坂昌之・大阪大学名誉教授が「『新型コロナウイルス』 変異ウイルスとワクチン」について、リモートで行った講演がYouTubeにアップされています。(2021.5.11)YouTubeへ 図面を多用してとても分かり易く解説していて、『新型コロナウイルス』についての情報は全て網羅されていると言っても過言ではないでしょう。アルコールでせっせと拭いてることは、あまり意味がないらしい。免疫についても、とても詳しく述べられている。ベネフィットとは「利益」「恩恵」のこと 分かり易い画像をピックアップしてみましたが、ウィルスそのものの仕組みと働きが一体どんなものなのが丁寧に解説されています。ワクチンを接種する意味と効果、必要性が良く分かります。 最後には偏ったマスコミ報道に対し、「何故、同じ事ばかり流してこういう重要なことを報道しないのか」と、記者に向けて苦言を述べています。 1時間半ほどの長いものですが、是非観てください。目から鱗が3枚ほど落ちますよ。安心してワクチン接種を受けるためには必見の講演です。
2021.05.24
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♪ 巣ごもりに飽いた人らが列をなすウィークエンドのホームセンター‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 何の変哲もない更地にもよく見ていると、野生の生きものにとってはそれなりの意味がある事が分かる。色んな鳥がやって来ては何かしらやっていて、それを眺めるのも結構楽しい。カラスが番でやって来て、巣の材料を物色していたりする。 カワラヒワやムクドリ、キジバトなども草の実を食べに来る。ムクドリの群れに釣られてやって来た雀(手前)は、単独でも来るようになった。 雨が降って水たまりが出来れば、ムクドリが水浴びをしているし、少し前にはツバメが巣の材料を採りに来ていた。雀が水ではなく、砂浴びをしていることもある。 野鳥は命の糧を得るのに必死でどんな状況になってもそれは変らず、日常の変化にもすぐに対応して強かに生きている。 植物にとっても、この時期はもっとも輝いて見える時でもある。その内面に秘めていたものを誇らしげに披露して、人の眼を楽しませてくれる。 バイカウツギにコバノランタナ カクテルにミニバラ モモイロヒルザキツキミソウにヤマアジサイ ユキノシタにハエトリグサ 周囲が更地になってしまって丸裸という、何とも情けない殺風景な庭に精いっぱいの個性で眼を楽しませてくれている。東側の境界に5段のブロックが設置されたあとをどうするか。今までとは違う植物で「立体的に飾ってやろうか」と考えながら、雨に濡れる庭を眺めている。 テイカカズラ、コバノランタナ、ツルバラ、カロライナジャスミン、ミツバアケビなどの蔓性の植物を高い位置から垂れ下げ或いは立ち上がらせたりして、柔らかに目隠しになるようにと考えている。 最初は良いが管理で出来なくなって放っておくと、間違いなくジャングルになるだろうなぁ。★ 昨日、ウォーキング中に見た黄色いバラの咲いているお宅に行って、「通りがかりのものです。先日、黄色い薔薇を見てあまりに美しかったので挿し木にしたいのですが、一枝いただけませんか?」と図々しくお願いしてみた。 出て来た70代後半と思しきお婆さんが快諾してくれ、もう花は終わって花殻が付いている若い枝を2枝切ってくれた。お礼に、用意していった手製の小さなメモ帳を差し上げ、帰って早々に挿し木しておいた。 植える場所があまりないのに、ナニワイバラも挿し木してあるし昨年挿したミニバラも花を付けている。原種に近い薔薇は手入れも簡単ということで気は楽だけれど、どんな風に配置してやろうか。 葡萄の棚が無くなったので、その空間を生かした設えに出来ないかと思っているのだが・・・
2021.05.23
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♪ 純白の丸き花びら散る時にああという声 雨の夕暮れ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ スウェーデンは、「就学前の保育園から民主主義を教え、日々、水をのむように民主主義に接する国」だそうだ。政治を身近なものにする施策がなされていて、多くの若者が社会への高い参画意識を持っているという。 スウェーデンの学校には「民主主義を教えるミッション(使命)」があり、教員はその役割を果たす義務があると明確に定められているという。模擬選挙や、地域の政治家を招いた討論会が実施され、選挙期間中は、近くの広場に「選挙小屋」が設置されて、候補者や党員が選挙キャンペーンを実施しているんだとか。学校は生徒にここへ足を運んでもらって、主義主張をインタビューする宿題を課すなどして、未成年であってもできるだけ実際の政治に触れることを積極的に指導しているという。比較 年齢別投票率 しかし昨今では、この国でもソーシャルメディアの利用が加速しフェイクニュースが飛び交い、政治に関する報道や情報が錯綜しているという。 過激な主義主張を掲げる政党が躍進していて、そのような政党が模擬選挙の討論会のために来校した際に、生徒が来校を阻止するというような事件も実際に起きているという。 学校としては、 ★そのような政党を学校に招かないという判断をしていいのか? ★その様な騒動が起きないようにするには、どうしたらよいのか? ★起きた場合にはどの様な対応をすれば良いのか? ★過激な「民主主義」ではない、熟議を基盤とした民主主義を教えるにはどうしたらよいのか? そんな疑問を模索する状況に置かれているらしい。 そのため、政治や民主主義について知り、学校を越えた社会への若者の影響力を高めるように努めているんだとか。それで、生まれたのが「Prata Politik! 政治について話そう!」という冊子というわけだ。「スウェーデン若者市民社会庁」が主催者教育の指南書として作ったものだとか。 ●どのような方法で教えればよいのか。どんな準備が必要で、評価やフォローをすればよいのか。 ●どのようにすれば生徒に政治に関心を持ってもらえるか。授業でどうすれば発言がしやすくなるか。 ●特定の政党に偏ることなく中立を保ちながら、どのようにして政治を教えれば良いのか。 ●そもそも中立とはどのような学校教育や民主主義の理念に基づけば判断できることなのか。 ●政治家を招いた討論会をするにあたって、どんな質問をしたらいいか。 ●そもそも学校が教える「政治」や「民主主義」とは何か。 スウェーデンでは、「他人に無関心で、お節介をしない。でも、助けを求めると手を差し伸べてくれる」。それは「一人一人に“自分か自分”という軸があるからだ」と気付いたのだという。「まず自分がどうしたいのかを考える。」だからこそ、他の人もそうする権利があると考える。 これらの記述は「グレタだけじゃない?政治に参加するスウェーデンの若者」日本語版 翻訳プロジェクトの記事から引用しています。「 政治について話そう!」が無料でダウンロードできるようになっています。 そう、国連であの怒りのスピーチ「あなたたちの裏切りに気づき始めています」をしたグレタ・トゥーンベリは、スウェーデン人なんですね。彼女が世界の大人たちに訴えた行動の背景には、こういう教育が有っての事なんです。政治に対する関心度 スウェーデン現政権において、22歳の国会議員が2名いて全国会議員の約10%が30歳以下だそうです。 スウェーデンは、大航海時代(ポルトガルやスペインが航路で世界中へ向かった)より遥かに遡った、9世紀から11世紀半ばまで「ヴァイキング」(北欧一帯に暮らす民族集団)が、船で世界各国へ向かい交易や侵略を行っていたという歴史があった。そういう民族的な特徴が根底にあって、新進気鋭の前向きな意識を持った人物が生まれやすいのかも知れない。 護送船団方式で発展させて来た日本との違いは、覇権の歴史の深さと個人の意見が尊重されるということでしょうか。日本は、極東という豊かな国に甘んじてきたものがある日、他所の世界を知ってその世界(世間)知らずを恥じてしまった。それ以来、国を挙げて短い期間に富国強兵、殖産興業を目指して突っ走ってきた。その時の組織的仕組みから、未だに抜けきれないでいる。 洞の中にキノコが生えているような政治がいつになったら変わるのか。まんまと政治家の思うつぼに嵌められて生活に喘いでいる若者が、政治を勉強する機会さえ与えられず縮こまっている。それを打破するために、少しでも政治への関心を高めるためにも、この本を活用して欲しいと思う。 それにしても1冊3,000円は高い。幻冬舎あたりが出版して、広く若者たちにも手の届きやすいものにしてほしいものだ。 立憲民主党代表・枝野幸男が、何らかの方法で広めたらいいと思う。そうすればもう少し彼の評価が上がるかも知れない。
2021.05.22
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♪ 何ものか襲いしものは見えざりしPTSD雨に濡れゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜は、腹立たしいのと奇怪なことが重なった妙な夜だった。床に就いてもなかなか寝付かれず、色んな事が頭に浮かんでは思いめぐらして眠くなるのを待っていた。うつらうつらしたころに1匹の蚊が羽音を立てながら、顔の周りを飛び回って顎やら額やらに止る。手で打ち殺そうとするも正確な位置が分からず、なかなか仕留められない。その内、手やら頬を刺し、その痒さに一層腹が立ってくる。 それでもいつの間にか寝付いたのか、再びの羽音に気付いて目が覚め、同じことの繰り返しが始まった。布団から出ていつのは手と顔と首だけなので、どうしたってあの悍ましい羽音が耳に入る。いくら叩いても殺せず、やったかと思うとしばらくしてまたあの羽音が顔に近づいてくる。 もう完全に目が覚めてしまった。このままでは寝られるはずはないので、電子香取を点けようと思うもどこに仕舞ってあるのか分からない。 2階の押し入れの小抽斗とか細々したものが入れてありそうなところを、思いつくまま探すが見つからない。良く眠っているカミさんを起こして訊こうとも思うが、不機嫌な声を聞きたくない。 そうか、1階か。たぶんあそこだろうと台所の押し入れの箱の中に、有った。見つけたぞ。これで寝られるようになるが、目が覚めてしまっているのでどうせすぐには眠れないだろう。酒を少し飲んで、リビングへ行ってテレビを点けてみる。 深夜の2時、誰が観ているのか知らないが、地上波もBSも全部のチャンネルが何かしらを放送している。10分ほど観てから寝室へ行き、電子香取をセット。やっと安眠の夜を過ごせることを喜びながら床に就いた。 うつらうつらしていると、遠くで猫の叫び声の様なものが聞こえた気がした。と、間もなく、ものすごい勢いで1階の猫用出入り口を駆け抜ける音がして、アランが2階へ駆け上がってきた。寝室の窓の外にでようと突進して来てガラス戸が閉まっているのに気づき、すんでのところでUターン。隣の部屋に駆け込んで、箪笥の上にダダっと跳び乗った。 一体何が有ったのか。暗い中で覗き込むと、体を上下させて息が上がっているのが見えた。怯えている。ちょっと見たところ別条はなさそうだ。苦手な寝不足になるのも困るので、一先ず布団に入った。一度だけ、蚊が耳元で今までとは違う大きな羽音を立てたが、それ以降は来なくなった。やれやれ。 朝になって、先に起きたカミさんが「あれ見た!?」と言う。ベッドの横に何が飛び散っているのを不思議がっていた。それがまさか血だとは思わず、猫のものとも思っていない。言われて、改めて見に行くと、血痕らしきものがしぶきの様に散っている。「何だこれは!?」PCの椅子に移動して寝ていたアランを調べてみても、どこかに怪我をしている様子はうかがえない。痛いところがあるような素振りも無いが、怯えている様子が見て取れる。箪笥の上にも血痕らしきものが付いている。 一体、何があって、どうしたというのだろう。あの時間はかなり雨が降っていた。そんな中で猫同士の喧嘩でもしたのか? 猫同士なら威嚇し合って唸り声を上げるのが普通だが、雨という事もあって聞えなかったのか。もし猫以外だったら、何に襲われたのか。ひょっとして、ハクビシンに突然襲いかかられたのか? あの血痕らしきものはどこから出たものか? 今日一日は、幸い雨も降っているし外に出る気にもならないだろう。改めて見てみると、どうやら耳を怪我しているらしい。大した傷ではないようだが、やたらに毛が抜ける。今後、PTSDのような他の症状が出なければいいのだが、先ずは安静にしている必要がありそうだ。
2021.05.21
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♪ 窓あれば仕切るガラスの内と外 ノマドは時(じ)・場(ば)に身を解き放つ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 月曜は小学生になったばっかりの孫ちゃんがやって来る日。でもこの日は、なんだか元気がなかったみたい。精神的にちょっと疲れていたらしく、「静かにしていようか」ということになって、だら~と過ごすことになったみたい。 ふと目が止まり、「ギターをやりたい」というので、好き勝手にいじらせてやっている。爺さまも手持ちぶたさで間が持てず、即興で歌を作る遊びを思い付いて、一緒に歌詞など考えてみたりしている。それに曲らしきものを付けて、歌って見せたりしている。孫ちゃんはギターで伴奏の真似事なんかをして、歌の伴奏ごっこ。爺さまが歌うたびにメロディーが変わって、しっちゃかめっちゃかなのに、大真面目でがしゃがしゃやっている。 そんなこんなで、爺さまは何となく時間稼ぎをしているって感じ。 「そうそう、来年の歌会始のお題が『窓』で、そろそろアイデアをラフスケッチをしておく必要があるんだ。」と言いながら、どんな窓があるかなぁと、窓のあるものを紙に書いていく。いつも締め切り間際になって慌てて作るもんだからロクなものが出来ないのでね。 それで、窓のあるものを思いつくまま、ことば遊びみたいにつぎつぎに言っていくいくことに。 〈電車の窓〉に〈トイレの窓〉、〈車の窓〉。「あっ、じゃぁ〈新幹線の窓〉」いいねえ、じゃあ〈教室の窓〉。「〈お寺の窓〉はどう?」おおいいねぇ、〈病院の窓〉、〈レストランの窓〉。「それじゃあ〈建物の窓〉とかは?」それだったら〈ビルの窓〉が良いんじゃない?「そうだね〈お城の窓〉ってどう?」 お城と来たか。〈お屋敷の窓〉〈洋館の窓〉。「だったら〈アパートの窓〉、それから〈バスの窓〉。」〈パトカーの窓〉はどう?「いいねぇ〈救急車の窓〉は?〈消防車の窓〉とか」そう来たか、じゃぁ〈船の窓〉〈潜水艦の窓〉。〈飛行機の窓〉とか〈飛行船の窓〉もある。「それなら、ぼく行ったことある、あのぐるーと見える飛行機の操縦席の・・」〈コックピットの窓〉か、なるほど。「セントレアで父さんとコックピットに座ったよ。」シュミレーションするやつだね。〈こころの窓〉っていうのもあるね。「ふーん、じゃぁ〈魚屋の窓〉」こっちは〈トーフ屋の窓〉、それから〈汽車の窓〉いいだろぅ?「料理をしたり食事したりするあの~」あぁキッチンね、〈キッチンの窓〉もいいね。〈勉強部屋の窓〉。「じゃぁ、〈屋根裏の窓〉。」屋根裏かぁ、だったら〈二階の窓〉それから〈風呂場の窓〉。〈喫茶店の窓〉もいいんじゃない?「〈小屋裏の窓〉ってどう?」おお小屋裏と来たか、渋いねぇ・・ 窓のある情景を紙に書いていったら、全部で33もあったみたい。窓のイメージを自由に膨らませて物語みたいなのを考えて、それを短歌にするってけっこう楽しそうだねぇ。普通の発想じゃ浮かばないものも何個かあったし、面白いユニークな歌ができたらそれは孫ちゃんのお陰ってことにもなるねぇ。 「窓」を思いつくままあげて、「窓辺」「車窓」、「同窓」「学窓」「同窓会」とか、「獄窓」「窓ガラス」、「窓口」「飾り窓」、「窓枠」「窓際」「出窓」「天窓」「明かり窓」とか、「窓明り」「フランス窓」「覗き窓」、「窓ふき」「掃出し窓」ああ幾らでもあるねぇ・・。あんまり広げすぎると、イメージが散漫になっちゃうよ。「歌会始」の締め切りは9月30日だから、まだ十分に時間はあるようだけど、これをやっただけで爺さま、満足しちゃわないかちょっと心配になってきた。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.05.20
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♪ 「本当にオオカミ少年がやって来た」眼を輝かしつつ声を震わす‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ “神とは、「水」のような存在なんじゃないか” という思いが、啓示のごとく降りてきた。一定の姿かたちがあるわけではなく、感じる側にどう見えるかはその人のスタンスや状況によって大きく変わってくる。 固体になったり液体になったり、蒸発して雲にもなれば、雨にも雪や雹にもなる。高きから低きに流れ、ほとばしることもあれ飛び跳ねたり荒れ狂うこともある。小さな器にも湖や大海にまでにも、どんな形のものにも身を委ねる事ができ、常に水平を保って頑として揺るぎず、静止を保ちつづけもする。「神に仕えるということは、その自由奔放な有様を受け入れて、自らも同調していくことを喜びとし、心を委ねて安寧を得ながら、無条件に精神を解放してゆくこと」というようなイメージ。 そんなことを思ったのは、敬虔なクリスチャンの古い友人(一回りほど若い)女性が作品展の喫茶ギャラリーに来てくれ、身辺に起こっている新しい展開を眼を輝かせながら話してくれたことにある。その必然的な何かを、自分の意志とは違うものに導かれていると自覚し、神の力に頼るというのではなくどうしたら神が喜ぶかを考え、真摯にそして謙虚にこころを震わせている。 その様子を見ていて、無信仰の私に「信仰っていいなぁ」と思わせてくれる。新しいその事業計画書作成に心血を注ぎながら、未来の夢の実現に向けて無防備なほどに可能性を信じて疑わない。 思いのほどを話すピュアな眼差しの奥で、きらきらと輝いている神への揺るぎない奉仕のこころがとても愛おしかった。 あまねく偏在するであろう神は向こうからやって来るものではなく、ある人の心に突如現れて「ああやっぱり神は存在したんだ」と思わせてくれる。縋り求めんと思う人には現れず、ある境地に至った人の前に初めてそれらしき姿を現す。しかし、曖昧模糊としたそれは留まることなく、いつの間にか雲散霧消してしまう。 辛酸をなめ辛苦にあえぎ艱難を乗り越えた人の身体は、それに耐えるべく自己免疫を高める作用が働くようです。脳内ホルモンが活発に働き、ある物質が分泌しやすくなっていく。幸せホルモンといわれるオキシトシンもその一つでしょうか。苦労を重ねた後に、生まれ変わったように明るくなる人がいるのはそのことを物語っているような気がします。 彼女にもそんな経緯を辿って来ていてようやく平穏が訪れた日々の中で、今、オキシトシンがたくさん出ている状態のようだ。 神はそんな人の所に現れる。「ユニバーサルは神を意味する言葉である」といったのは・・・
2021.05.19
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♪ おさな児に作ってやりし「空の歌」聞かせるごとにメロディー変わる ここのところほぼ毎日、平均7000歩ちょっと歩いている。そのせいか(あるいは酒を控えているせいか)、体調も良くてよく腹が減る。久し振りに体重を計って、そのついでにヘルスメーターのデーターをチェックしてみた。ほとんど変化がないのは健康な証拠と思うものの、何だか手ごたえがない感じ。 筋トレも気が乗らないとやらないので筋肉レベルも上がらないし、骨レベルだってそのままだ。体重は減ったままで戻ることもないようで、ズボンがぶかぶかのままだ。 体重 57.4㎏ 体組成年齢 62歳 体脂肪率 14.3% 内臓脂肪率 7% BMI 20.3 皮下脂肪率 11.0% 筋肉レベル 5 骨レベル 5 基礎代謝 1338kal バランス年齢 58歳 気まぐれ筋トレをやってみた。腕立て伏せがどうにかこうにか30回、スクワットは(たまにやっているので)試しに100回連読でやって見たら、難なくできた。背筋は鉄アレイ(4.5㎏)を両手に持って50回(多分インターバルを取れば100回は問題なくできる)。やっぱり目的がないと中途半端で切り上げてしまうので、あまり意味がない。 歩いているとは言え、心拍数が上がるような運動も全くしていないので、負荷をかけた有酸素運動をやる必要も感じている。 アメリカで流行して、日本でも話題となったとかいう「スクワットチャレンジ」というのがある。30日間スクワットをするもので、体を変えたり自信を得たりしようという人のためのトレーニングらしい。 ルールは、・1日50回からスタート ・30日後に250回できることを目指す ・1日ごとに増やしていい回数は5〜10回 ・3日行ったら必ず1日休む ☆どのタイミングでやっても良いが、1日50回スクワットを行わないといけない。 ☆連続して行えない場合は、複数回に分けてOK。決められた回数を1日の中で行う。 ☆初日の50回が厳しければ、20回から始めてもいい。 間を空けていいのなら、午前に100回やり午後100回+50回でいいわけだから、今すぐにでも出来そうな気がする。250回を500回にグレードアップしたとして、週5~6回やるのを継続できるかどうかの方が問題だなぁ。 スクワットは、簡単なのに脂肪燃焼効果が高く、お腹の脂肪を落とすのに非常に効果があるという。その理由は、 ・下半身に全身の筋肉の6〜7割が集まっている ・内臓脂肪を落とす効果が高い ・成長ホルモンが大量に分泌される ということらしい。 筋肉量を同じだけ増やすために必要な運動は、スクワットなら15回。腹筋ではなんと500回とか。「腹筋500回=スクワット15回」って本当か? 痩せることを目的とするなら、筋トレにはスクワットこそがふさわしいとか。上半身や腹筋が疲れるトレーニングをして鍛え上げても、消費カロリー量も基礎代謝増も期待できない。元々強い下半身をさらに鍛えるのが、やせやすい身体作りにはいちばん効率が良いということらしい。
2021.05.18
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♪ 先走る季節にまどい巣ごもりに人人たりてものを生みおる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 旧い親友悦ちゃんが名古屋から、雨の中を作品展に来てくれた。感性と価値観、生き方がよく似たもの同士なのでマスクするのも忘れてあれこれと話しが弾んで、とても楽しかった。 何でも自分でやって見ようとする英語と料理が得意な前向きな女性で、同じ歳ながらずっとお姉さん的な貫禄と実力をもっている魅力的な人。健康志向がとても強くて添加物の入ったものは一切口にしないし、身体に良いものは進んで摂るようにしている。心も体も健康美人だね。 そんな彼女が、手作りのパンを持参してくれた。レシピが添えられていて、グローバルな聞いたこともない食材だけで作られているその徹底的な内容を見て驚かない人はいないでしょう。 小麦粉、米粉、ふすま粉、全粒粉の生地で、割合はオリジナルなんでしょうか。初体験のパンであることは間違いない。 焼くまえに少し食べてみてて充分美味しかったけれど、オーブントースターで軽く焼いて食べることにした。 バターなど付けないで、そのままで食べた。 うま~~~~~い!!! ムッチムッチのなかにレーズンの甘みが効いて、イチジクの歯触りと胡桃の食感が心地よく味が濃厚でボリュームたっぷり。ホテルの朝食なんか場外にぶっ飛ばし、栄養満点の大谷翔平級の特大ホームランといったところ。何と贅沢で豪勢なパンだこと。ブランチに食べてもよさそうだ。 こんなの食べたら、大手の工場生産の添加物だらけのパンなんか(比べるのも失礼)食べる気がしなくなっちまう。カミさんが、パンドミが好きでよく買って来るけど、それだってコスパを考えて作ってあるわけで・・。 先日、東海市に新しいパン屋が出来たらしいので、どんなもんかとウォーキングのついでに買って帰ったことがあった。2種類の食パンのうち、シンプルな方「ひらめき伝説」を選んでみた。これが何と1斤800円もする。「究極のぶどう」の方は1,000円以上の値段が付いていた。これで不味いはずはないだろうと、期待は膨らんだものだ。 画像は拡大します。パンの材料に「他」と付いているのは何を意味しているのか? ちょっとばかり気になる。 翌朝に食べたわけだけれど、肌理が細かくフワフワ感はまだ十分あって焼かずにそのまま、何も点けずに食べてもみた。“厚切りにして表面だけかりッと焼いて、真ん中を十字に切ってバターを落とす” なんて食べ方を勧められていた。けれど、いかにも甘い、甘すぎる。これじゃあ菓子パンじゃないか。 蜂蜜を付けて食べることを考えれば、その手間が省けるのかも知れないが、夫婦そろって甘さの強い食パンは苦手なのだ。結局、パン好きのお嫁さんに半分あげてしまった。 悦ちゃんのパンには値段が付けられないだろうね。手作りというところが良いわけで、金に糸目をつけ付けず徹底して自分の納得できるものを作る。そのことに意味があるし、喜びがある。無添加のものは本当の味がする。それは自分で作るしかない。 そういえば、カミさんが以前勤めていた歯科医の奥さんが悦ちゃんとよく似た人だった。最高の材料で作るケーキを何度か頂いたことがあるけど、そりゃあもう文句なしに美味しかった。 味を追求すれば当然オーガニックと無添加に行きつくわけで、決して健康志向だけではないんですね。本物を追求することは生き方にも通じていて、自分軸をしっかり持って周囲に惑わされない。 人間の本物の味をクロスオーバーしながら作りゆき、相乗効果が全体を包み込むように広がっていく・・・
2021.05.17
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♪ 動くこと許されぬまま空に向かい堂々として生きゆくものら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 先日、デベロッパーが工事業者をつれて造成工事が始まるという挨拶に来た。それで、境界線上に植えてあった宮城野萩を移植することにした。この時期にやるのは良くないと分かっているけれど、お気に入りの木なので何とか残したい。救ってやりたい一心で、ダメ元でチャレンジしてみようというわけだ。境界線のロープの支柱のところに植えてあったもの。 ラインを張って境界線が分かるようにしておいて、以前よりもかなり手前に植えた。それで、ずいぶん庭が狭くなってしまった。掘ってみると、意外にも萩の根は上の方にあって、竹のように横に張り出している。細かい根が無くその太い根をブチブチと切ってしまったので、果たして根付くかどうかちょっと心もとない。去年は最高の艶姿を見せてくれたのに・・・ すぐ側にある姫沙羅も境界線上にあって、救ってやりたいがかなり幹も太くなっているのでもう移植は無理だろう。 境界にはブロックを5段に積むという。少し控えたところに設置してくれれば助かるが・・。25日から工事が始まる予定で、その最初の段階で工事業者が相談に乗るとかで、多少の融通はきかしてくれるような口ぶりだった。だとしても、ほんの数センチ程度の事なんじゃないか。だとすると、姫沙羅は諦めるしかないかも知れない。シンボルツリー的な存在として、やっと沢山の花を付ける様になったところなのに、残念でならない。 テイカカズラは結局枯れてしまった。隣家が解体されて更地になるなんてことを思いもしなかった前年に、あまりにもボリュームが大きくなったので剪定してやっていた。それがこんな事になって、結局枯れてしまう羽目になるなんて。その前年には葡萄の木を整理している。何かがそうさせたとしか思えないこのタイミング。2018年10月 いい目隠しになっていたのに、駐車場にするたまにこの庇を移動する必要があって、取り外して移植したのが運の尽き。丸裸を一層上塗りする結果になってしまった。 このラインの境界に5段のブロックが積まれたら、これらの鉢植は日陰となって何処へも行き場を失うことになる。狭いながらも庭があってささやかな土との触れ合いと、季節の移ろいを楽しんできたけれど、それももう無くなってしまうのかと思うと、悲しくなる。 9月までの造成工事は、真夏のカンカン照りの中で行われるわけで、砂ぼこりが南の風に吹かれて我が家に向かって来る。網戸にするわけにもいかず、クーラーを点けっぱなしにすることになる。早々と30℃を超す日が有ったりして、猛暑を想像したりする。嗚呼、最悪の夏だ! 気象庁は、昨年夏から続いているラニーニャ現象は春の間に終息する可能性が高く(80%)、夏から秋にかけては平常の状態である可能性が高い(70%)と見込んでいるらしいので、極端な猛暑はないかも知れない。しかし、温暖化の問題は別にあるわけで、どうなるか分かったもんじゃない。★ 昨日、総アクセスの数字がきれいに並んでいるところを首尾よくキャッチできた。212121212になったのが2月の19日で、その後、春の不順な気温と同じように乱高下しながら高いところを維持していた。1日2000を超える日が2回も有ったりしたが、年度が替わって一カ月経った頃からは急に、1000を切って安定している。 このグラフを見る度に(何か世相が反映しているにしても)、どうしてこうなるのか不思議でしょうがない。日々のブログの内容にはまったく関係がないのだからねぇ。
2021.05.16
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♪ 神さまを信じることも知るもなくせめて自分を信じてやらん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今の社会には哲学がない。すべての分野において言えることで、そこには信じるという最も重要なものが生まれ得ない。信じられないから何も信用できない。宗教にさえ哲学がない。そのため、無為で空疎なことばが呪文のように繰り返されるだけ。医学にしても、根本に哲学が無ければ恐ろしいことになる。政治の世界も言うに及ばない。「信じるということは仮定形の上では成り立たない」。今まさにこのことが、政治と政治家に付きつけられている。信じるに値しないという諦念が国民の心に蔓延っていて、心と心がつながらずにカオスのような状態のまま時間だけがいたずらに過ぎてゆく。 哲学のない政治ほど国民にとって不幸なことは無く、また恐ろしいものはない。新型コロナがリトマス試験紙のように現実社会を色分けして、その実態があぶりだされている。何が一番重要かが追いやられ目先の事だけに囚われて、小手先だけで誤魔化そうとするのを、嫌がおうにも見せつけられている。 今この日本で、神の存在を信じている人が何人いるだろうか。信仰としての伝統行事は形がい化し、心を満たすためのものにはなり得ずこころの拠り所でさえなくなっている。 神は願いなんか聞いてはくれない。脳内のオキシトシンみたいな存在で、自分の内面を磨いて醸成させていく他はない。それは、言ってみれば哲学を持つということに他ならないのではないか。 心をピュアにしていないと「神」は現れない。必要とする人には見えず、必要と思っていない状況の中に突如現れて、「神」は本当はいるのですよと語りかけて来る。
2021.05.15
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♪ 咲く花に心趣(こころおもむけ)匂わせる黄色いばらの咲く家のひと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ カズオ・イシグロのノーベル賞受賞第一作「クララとお日さま」を読んだ。近未来のSF小説で、主人公はAF( Artificial Friend 人工親友)と呼ばれる人型ロボットのクララ。都市の雑貨店で売られ、召使として使われる。娘ジョジーのために買われていった家の日々の生活が丁寧に描かれていく。そのクララ特有の感性と学習能力でジョジ―の日常の様子を観察することで、よき理解者として、より人間を理解できるようになっていくクララ。幼馴染とのやりとりにおいても、間に入ってよき相談者となり援助していく。 AIがつかさどるクララの脳は、見るものすべてを変化し続ける「ボックス」に分割して再構成することで理解するように出来ている。心も持っていて、人間を理解しようとながらそれなりの良し悪しの判断もする。 太陽の光から「栄養」を得ているクララは、店にいたときも自分の立ち位置から、空を動くお日さまを見ており、迷信的ともいえるほどお日さまにすがろうとするところがある。ジョジーが困惑する状況に巻き込まれと神に似た力を求め、祈る姿が愛おしい。人間とロボットの中間に位置し、着かず離れずの様子がていねいに描かれている。 現在と同じ格差社会で、裕福な家の子どもは遺伝子編集を通じて知性の「向上処置」を受ける機会に恵まれ、処置を受けられない子には優れた大学へ進む道が閉ざされている世界。人工知能が日常的なものになる中で、人間の本質は何ら変わない様子が悲しい。 機械は人間と同じ前提に基づいて動くわけではなく、人間の欲望や都合をAIに投影することは危険だし間違っているということが、最後のところで提示される。テーマは、臓器提供者として育てられるクローン人間の生を描いた『わたしを離さないで』に近いものがあるようだ。 ちょっと冗長な感じがして最終章で、命の尊厳とは、人間らしさとは何かを突き付けてくるまで耐えきれない読者も居るのではないだろうか。 Knopf(アメリカ)出版 Faber & Faber(イギリス)出版 この赤い表紙から受ける印象はどうでしょう。日本の装丁と比べると、如何にも売るための脚色が顕著で、メルヘンチックな絵がイシグロのイメージとマッチしておらず、ちょっとやり過ぎの感がある。「時空を超えて伝わる『感情』を描き出す」『WIRED』VOL.19より転載されたもの上のインタビュー記事から抜粋 ここ数年、文学や映画が、単なる気晴らしである以上の役割を見出しづらくなっているように感じもしますが、わたしの作品は、「あなたがもし同じような状況にあったら、同じように感じますか?」という問いを、読者のみなさんに投げかけるものだと思っています。その問いを投げかけることがわたしの仕事なのです。そして、人びとがそうやって感情や想いを分かち合うことはとても大事なことだと思っています。 小説の主題となっている「感情」が適切に伝わることが、わたしには大事なのです。わたしが小説を通してやりたいのは、時代や空間を超えて伝わる「感情」を描き出すことです。それは、普遍的で、変わることのない感情です。それができていると自惚れるつもりはありません。むしろ、野心と言うべきもので、それがわたしが最初からやりたかったことなのです。 また、映像とくらべて小説は「記憶」を記述することに長けていると思います。記憶の曖昧さ、不合理さ、そのリアリティを、ことばは、むしろ映像よりも的確に捉えることができるように思います。小説においては特定の時代や空間が設定されますが、そうした設定自体が重要なわけではありません。そこで描かれる感情や記憶といった心の作用こそが大事で、そこにこそ普遍性があるのです。
2021.05.14
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♪ 不在時を狙うがごとく友の来ぬ時の割れ目に落ちた心地す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥♪ 会場への5キロを歩く楽しみが齢をかさねて片道となり♪ 老人とはもはや呼べない二人連れ茶房に今日の歩数を語る♪ 前だけを見て歩きゆくTシャツの絵柄に意気が触れ合いにくる♪ 常連の明るき声がドアを開け急に華やぎだす喫茶店♪ 「死ぬときは死ぬがよろしい」コロナ禍に無駄に長生きせぬを語らう
2021.05.13
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♪ 何ものにも邪魔はされたくないはずの邪魔をしに行く人恋しくて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 作品展をやっている喫茶ギャラリーに、例のごとく歩いていった。朝一番にと思っていたが、ブログを書いたりしていて遅くなり、9時半頃にいてを出た。 カミさんがお世話になっている歯科医の両親が来てくれ、近所なので更地になった我が家の周辺の話などし、内科医のご主人と(マスクなしで)話しが出来て楽しかった。 常連のお婆さんが元気に入って来て、すっと心がシンクロした。気の強い一過言もつその人は私と同じ歳と聞いて親近感がわき、独断と偏見が妙に清々しい。気が合う感じがしてついつい割り込んでしまって楽しくやり合った。明け透けで自意識満々(過剰?)のこの婆さんに「またお会いましょう」と言って、迎えに来たカミさんと昼に戻ってきた。黄色のバラは珍しく欲しいと思った。近いうちに小枝を貰いに行こう。 シャリンバイとトベラが植栽されているところがある。大田川でシジミを採てっいる人がいる(離れた場所にもう一人、夫婦かな)。決してきれいとは言えないこの川のシジミ。たくさん採れるが地元では誰も食べない。製薬会社に納められるんだそうだ。毒を以て毒を制す?コロナ自粛で、当面は16時までの営業 知人のお客さんが来ればよもやま話に花が咲き、誰もいない時にはオーナーから面白い話が聞ける。出会った人とのやり取りや交流の話、進展ののちの紆余曲折とその顛末など。ゴシップはご法度だと心得ているし、どんなお客にも同じように接する術を持って、おべんちゃらは言わず、見栄も虚勢も張らない。 自分というものを持ちながら、自由にならない時間とルーチンの中で、ニュートラルで居続けることは並大抵のことではないと思う。聡明でありながら馬鹿にもなって淡々と、その刹那刹那をウィンドサーフィンを楽しむように過ごしていく。多くのファンに支えられ、長く続けていられることを誰よりも喜んでいる。 お孫さんがユニークな個性を持って生まれ、とても絵が上手で料理もダンスもなんでも、一生懸命に打ち込んでいる話を聞いて、将来どんな人になっていくのかとても楽しみに思えた。明るい海という名の18歳。
2021.05.12
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♪ 日常に非日常の刺激あり乾いた喉を潤すように‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 斜向かいの隣家が更地になったが、かはり同じ業者が購入することになっているらしい。なので、前の土地と同時に売りに出されることになる様だ。 浄化槽がなく、昔のままのものが埋まっていたらしいのと、土が悪くて入れ替える必要があったんだとか。また、路地を勝手に変更してあった部分は、話し合いでそのまま拡幅することになっているらしい。 壁を撤去し始めるのと同じタイミングで、路地の寸法調査している姿があった。図面で確かめながら写真を撮ったり、手押しの距離計で測ったりしていて、いよいよ始まるのかと期待が膨らんでいく。 測量士が、解体整地で杭が移動したりしていないかを確認に来ていた。わが家は昔の家なので庇が越境している。持ち主が変わってから問題が起きないようにと、譲渡前に今の持ち主と覚書を交わすことになっているらしい。 その手続きのために家に来た測量士に、どんな進捗状況なのかを聞いてみた。どうも名鉄電車の線路の横に細かく分筆されている土地があって、国が管理してるものと名鉄の土地と入り組んでいて、すんなりと事が運ばなかったらしい。最初に動いたのは名鉄の方なのに、結論を出すのがやたらに遅かった。そのせいで遅れているというような事をいっていた。 先日、中電から電話があり、電柱の移動計画があるということと、工事は7月だという話。ずいぶん先の話なので、一体どうなってるのか気になっていた。土地の売買契約は今月の末で、その段階で漸く引き渡しが済むという事。なので、造成工事は6月に入ってからのことになるようだ。電柱と道路の設置は、どんな手順の行われるのか。早く土地の境界部分の工事を済ませて、道路を設置してほしいものだ。 この状態のままでは、クーラーは使えないだろう。越境してるし・・ 今からクーラーの室外機に、砂ぼこりが入るのを防ぐために板を立てたりしている。南風が吹くこれからは、騒音もこちら向きの風に圧されて喧しくなるし、網戸も使えなくなる。そのために嫌いなクーラーを毎日点けるのはとても辛い。 梅雨の雨の中でやってくれれば砂ぼこりも立たないのに、真夏となれば最悪だ。
2021.05.11
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♪ 下戸だったはずの息子と飲むビール夏日ははの日煙立つ庭 日曜の朝、「母の日だからバーベキューやるよ~」って、孫から弾んだ声で誘いの電話があった。この日は作品展会場の喫茶ギャラリーに行くつもりだったのでちょっと迷ったが、朝一で行って昼に戻るということにした。コロナまん延防止の自粛期間でもあるし、日曜はどうせお客が少ないだろうから・・・ 広い庭に自分で設置したオープンデッキがあり、その上に日よけのテントが張ってあった。火おこしが始まっていて、邪魔されないように小次郎をこれも自作の小屋につないで・・・。 テントのピンクに染められて、BBQの雰囲気が一層盛り上がる。26℃になる予報だ。美味しい肉がつぎつぎに焼きあがって、太陽も笑ってる。特大のマシュマロを焼いて・・母の日 覚えたてのセブンブリッジがやりたくてしょうがない孫。さっそく始まった。暑くなったので、部屋に移動・・ウララはじーじが大好きで、こんな優しい目を向けて来る。 孫は、パパ、ママと呼んでいたのを、小1になって自分から、「父さん、母さんと呼ぶ」と言い出したらしい。友達に影響されたか、従兄弟の様子を見てその気になったのか。結構ませたところがあって頼もしい。 広い庭で走り回っている小次郎。最高の環境の中で、幸せなやつだ。 愛情いっぱいの息子一家。楽しい一日を有難う。そして美味しい肉とビールをごちそうさまでした!
2021.05.10
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♪ ありのままの無邪気な鳥が眩しくて二枚重ねのマスクを外す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ みんなが中流だと思っていたのは昔の話で、今は格差が広がってごく限られた人だけのための社会になっている。コロナ禍がそれに拍車をかけ、ますます貧富の差を広げつつある。 この記事にもあるように、全世帯の2.5%に過ぎない富裕層のためのビジネスが幅を聞かしているのはTVのCMを観ていても分かる。一体だれが住むのかと思うような広くて高級を謳った住宅とかマンション、高級車や資産運用の案内などなど、経済界のお偉方のためのものと思われるようなCMが目につく。拡大します。 そしてその裏で、政府と大企業が結託して大多数の弱者から、少額と思わせる巧妙な手法で搾取しようとする。通勤時間によって電車賃を変えるというのは、まさしくそれに当たる。大義名分は分散乗車を促すためというが、企業が簡単にそれに合わせて勤務体制を変えるとも思えない。大勢の客が今まで通りに利用すれば値上げされたのと同じ事だ。空いてる時間帯は料金を下げるてバランスを取るみたいなことを言うが、空いてる時間帯に利用する人はごく少数のわけで、懐を痛めずに濡れ手に粟というわけだ。 コロナ対策にしたってそうだ。底辺で必死に生きている庶民を対象にして、捨て駒にしながら、金持ちには何一つ負担をかけない。それどころか、上昇する株価に便乗し、別世界でのうのうと生きている。まさに弱肉強食のヒエラルキーそのものだ。これが高度な文明社会の姿だろうか。スリランカのシーギリヤ シーギリヤの遺跡は、5世紀にカッサパ1世(在位477〜495年)によって建造された。要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなる。 国家公務員であるところの自民党総裁・総理大臣とその取り巻き人は、天上人になったつもりで下界を睥睨し、自分たちは別世界に生きているのだと錯覚している。 昔の王族はその権力で築き上げたものが、後々に文化遺産となって金を生むようになる。皮肉なことだが、この税金で生きている人々にはそんな力も甲斐性もない。ブチハイエナの様な嗅覚で甘い汁が出る部分を嗅ぎつけ、権力を行使してしゃぶりついていく。 山の上に無理やり押し上げられ、その足元にしがみつかれるのも大変だろうが、その人の身から出た錆がそうさせているのだからしょうがない。高いところに上がってしまって足がガクガク、しどろもどろの姿を見ているとやはり(目的は別としても)、実力で勝ち取ったものでないとどうしようもないというのが良く分かる。担ぎ上げた本人が今、一番後悔しているだろう。拡大します。 長期にわたった前政権が作り上げた王国の横暴がその権力をひけらかし、自殺者まで出しても尚押し通そうとするこの醜さはどうだ。歴史がどう判断するか知らないが、この情報社会の中でこんな隠蔽工作がまかり通るこの国の陳腐さ。次の総裁選にも担ぎ出そうとか言っている「ゆでガエル予備軍」が、ウジャウジャ生息している霞が関という泥屋敷。 あのウマヅラをした、都合が悪い時になって墨を吐いて(仮病を使って)トンずらして岩に擬態する生物。舌が何枚あるか分からない、メンツと虚勢、意地と強欲の、思い出しても胸糞悪いあの顔はもう絶対に見たくない。
2021.05.09
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♪ 危機感の日々に薄らいでゆくさ中コロナ死者数万人を超す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 夜中の4時半に起こされたって、爺さまが欠伸を連発している。今日中に返さなくちゃいけない本を読みながら、「あいつが悪い、アランのせいだ! ちっとも本が先に進まんわぃ」ってボヤいている。 以前は2階から出入りさせてもらっていた夜の生活。東側の空き部屋の窓をネコが通れるほどに開けたままにしてくれていた。その前は、西側の寝室の窓のところで、「いれて」って、小さな声で鳴いて開けてもらっていたことがあったんだ。 隣家が更地になって塀が無くなってからは2階に上がれなくなっちまった。それで爺さまがキッチンの掃き出し窓に、猫用のスウィング式小窓を作ってくれたの。だから今は、夜もそこから自由に出入りできるんだ。 それなのに、アランはどういうわけか2階に上がって、爺婆さまの寝ている窓の下へ行って開けてもらおうとする。それもだ、何故かあいつは声を出さないの。どうしてか知らないけど、鳴いて訴えることをしないんだ。戸をカリカリやって、その音で目を覚ました爺さまが開けてやってる。婆さまは、耳が悪いのでその微かなアランのシグナルに全く反応しない。それでいっつも爺さまが起きる羽目になる。その時間がいつも4時過ぎと決まっているからねぇ、爺さまには嫌な時間帯だろうと思うよ。 アランはどうやって屋根に上がっているのか、爺さまは不思議でしょうがない。婆さまが以前、アランがこっちの屋根から斜向かいの隣家に飛び移ったのを見たことがあるらしい。僕にはできないけど、あいつならできそうだ。どうもそれしか考えられない。 いつも爺さまが作ったキャットピラーで鍛えていて脚力はあるし、高いところから飛び降りるのもへっちゃらだからねぇ。屋根を飛び移るぐらい朝飯前だろう。 それで爺さま、本当にそうなのか確かめに行った。下から眺めると「なるほど近いなぁ、アランならこの程度の距離は訳ないわ」。 上から見ればこんな感じか。あの向こうの塀をささッと上って屋根に乗り、こっちに飛び移って来るって寸法だな。謎は解けたぞ。だけど、これを防ぐ方法はなさそうだねぇ。 しかし、なんでわざわざそんなことをするのか、僕もアランの気持ちになって考えてみよう。とにかくやつは甘えん坊で寂しがり屋なので、いつも誰かのそばに居たがる。そういうやつだから、たまたま夜の外出から直ぐに爺婆さまのそばに行きたくなる日があるのかも知れないなぁ。誰もいない台所から入れることを無視して、2階に直行しようとするのかも知れないな。 寝不足が苦手な爺さまが、まあ、滅多にないことなので大目にみるけど、たまたま本を読まなくちゃならないなんて日にはご免こうむりたいって。恨めしそうに屋根を見上げていました。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.05.08
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♪ 肉体は既成の枠に属しても心は水のごとく自由に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥21年(第93回)のアカデミー賞で、作品、監督、主演女優賞の3部門を受賞した「ノマドランド」を観てきた。いつものように予備知識や内容の情報を入れずに、素の状態で観るのスタイルを取った。「ノマド」が流浪の生活者を指す言葉だという事だけが知っている唯一の情報だった。 特別に映画好きでもないので監督の名前も主演女優の事もロクに知らないまま、そのアメリカ大陸という粗削りで広大な大地を生活拠点として生きている人達が、今でもそこここにいるということに驚き乍ら、その世界に誘われるように見入っていった感じ。クロエ・ジャオ監督(右)と主演のフランシス・マクドーマンド もちろん、アカデミー賞受賞監督が初の中国系(アジア系女性として史上初、女性監督としても史上2人目)で、中国ではその事に全く触れず報道もされていないというニュースは知っている。でもそんなことはどうでもいい事です。監督が誰であろうと主演が誰であろうと、良いものは良いし良くないものはそれだけのこと。 冒頭、中古のキャンピングカー(バンを自分で改造)と共に登場し、何かを食べている主人公がとても自然でそれでいてなんとも存在感があるので、最初から首根っこを掴まれてしまった。主役は「フランシス・マクドーマンド」という女優で、「ファーゴ」「スリー・ビルボード」で2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いている女優だと後から知って、やっぱりなぁと納得した次第。 このノマド達と自分が、心情的に非常にクロスする部分があって仲間を見るような心持ちで観ていた。様々なものに束縛されるのを好まず、金のために魂を消耗させて自己を蔑ろにしながら生きることを拒否する。思っていてもアウトサイダーになる度胸は無く、周りに迎合することでしか居場所が見つけられない人からすると、憧れの対象でもあったりする。 主人公の姉もそんなことを言っているものの、ノマド達がそんな思いを口にすることもなく、ごく自然に大自然の中に溶け込みながら、緩いけれども確かなつながりを持って生活している。その様子は、確かにアメリカの伝統の根幹にあるものかも知れない。収入はどうしているのかと思ったら、季節労働者として毎年同じところへ行って働いている。なので顔見知りや仲間がいる。社会を拒絶しているわけでもなく、生活のために最低限の繋がりを維持している。 珍しくエンドロールを観ていて、ノマドの名前がすべて本人であることが分かって驚いてしまった。堂々としかし自然に振舞っていてとても素人とは思えず、日本でのマスコミ試写でもエンドロールでその事実を知らなかった場内がどよめいたというのも良く分かる。その自然な演技は、ノマド達が生き方に誇りと信念を持っている証しだと思わせられる。 女優はマクドーマンドとストラザーン(スワンスキー役)の二人だけだという。監督クロエ・ジャオが取った手法にしても、本物のノマドのなかに違和感なく馴染んでいるその演技力と、監督の手腕はさすがだと思う。 どの程度の距離を移動しながら生活しているのか分からないが、あの荒涼とした広大な大地を移動しながら生活するなんて、日本の様な小さな国に住んでいる者にはあまりにも無謀な感じがしてしまう。日本中を放浪した経験があるだけに、あの風景と共に尚更そのワイルドさと底知れぬ強さを感じた109分だった。 固定した家に住まず、特定の仕事にも就かず、命令されることも、特定の責任を負うこともなく生きられたどんなにか人間らしい生活が出来るだろう。そう思う人が実際どれくらいいるのだろうか。(映画で主人公が、「私はホームレスじゃない。ハウスレスなだけ。」と言うシーンがある。) コロナ禍が続くにつれて、ずいぶん価値観の変化が見られるようになってきましたし、既成概念を疑う人も増えてきている。経済成長がなぜそんなに必要なのか、何のために自己を殺してまで働いているのか、当たり前と思われてきたものさえい疑い始めてきている。(映画では象徴的に、ネット小売り大手アマゾンの巨大な配送センターで働く主人公の姿が映し出されている。)アーミッシュは車を使わない アメリカのアーミッシュは今、高齢化が進んでいて存続も危うくなってきているらしい。そういう独自の生活集団を作って治外法権的に生きることもあまり意味が無くなりつつあるのかも知れない。 コスモポリタンなんていう言葉を聞くことはほとんどなくなり、排他的な傾向が強くなっている今の世界は、両極端の分断社会になりつつある。 そんな状況だからこそ「ニュートラルという生き方」に大きな意味があるように思う。★「ノマドランド」原作者・ジェシカ・ブルーダーへのインタビュー記事
2021.05.07
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♪ 五月晴れの空に重機の音高く内耳ぎゃたぎゃたぎゃたぎゃと泣く‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 例のごとく野次馬根性のある爺さまは、別の隣家の解体工事の様子を観察している。暇って言えば暇なんだろうけど、目の前でやっているのが嫌でも目に入るから無視することも出来ないらしい。 僕たちが隠れ家にしていた家が壊されていくのを、「エントロピーの仕業だ」なんて言ってるくせに、やっぱり気になるんだねぇ。 孫ちゃんが「ぶんかいが好き」なんて言ってるので、家に来た時にそばに連れて行って見せてやっていた。だいぶ作業が進んでいてほとんど家の形が無くなっていたんで、あんまり感動しなかったみたい。自分ちの近くでも家を壊してたらしく、毎日学校に行く時に見ていたので重機が珍しくもなかったようだ。 爺さまは、ちょっとガッカリしたみたい。ああだこうだ知ったかぶりの説明をしてやりたかったんだろうね。 何だかしらないけど、業者が奥さんを呼んで説明していた。この日はやたらに深く掘り下げていて、目盛りの付いた棒で深さを測ったり、写真を撮ったりしていた。 昔を知っている近所のお婆さんが「地下道みたいなのがあった記憶がある」なんて言ってたらしいけど、子どもの時の事なのでねぇ。大したものじゃなくても、やけに大きく感じるもんだから、それが何だったのか、正確なことは分かんない。 連休に入った金・土の二日間で大方の工事は済んだ様だようで、ナンキンハゼの大きな木も姿を消し、瓦礫の山だけが残されている。 やはり路地側のブロック塀は残される様子。すでに買い手が決まっていて、その買い手の希望で残すことになってるんだろうと、爺さまの想像していた通りになりそうだ。 連休中は、生憎というか自粛には好都合だったとも言えそうな不順な天気だったけど、連休が終わった途端にいい天気になった。夏日になるっていう予報の今朝、さっそく最後の片付け作業が始まっていて、重機がやかましい騒音をまき散らしている。 爺さまの傍でまったりしていた僕は、ウロウロするばかり。このどうにも避けられない一日をどう過ごせばいいのか。もう、ウンザリです。あのバケットで瓦礫をすくって、混じっている細かい土砂をガタガタガタガタ揺すってふるい落とす、あの大きな金属音と重低音がもう、大っ嫌いです。 隣の部屋に移動して、ただじっと耐えてるしかないんです。「耐えるからこそ、その後の静寂が宝物のように思えるんだよ」って、爺さまの言うことは抹香臭。そんなのを聞く耳も持ってないしなぁ。 耳の良い猫にとって騒音はとっても苦手なの。手で顔を隠すことは出来ても耳をふさぐことなんかできないし、まして耳栓なんかもってないし。今日一日で終わるのかもう一日かかるのかどうか分かんないけど、とにかく早く終わって欲しいってただただ願うばかりです。 な~んて言ってたけれど、昼ごろに外を見たら塀を壊し始めているじゃないですか。爺さまの言うことはあんまり当てになんないねぇ。 外出から帰って来た爺さまが、塀がなくなっているのでビックリしてた。「な~んだ結局はこうなったのか」なんて、すっとぼけたことを言っている。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.05.06
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♪ こそこそと見られぬように名も知らぬ路傍の花を摘みて帰りぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 作品展の搬入に行き、少し時間があったので「季刊 銀化」を読んだりする。この喫茶ギャラリーは、何時も店内のそこここにに気の利いた花が飾られていて、植物に対する愛情を感じさせていて心地いい。 作品の展示はオーナーに任せることにしていて、そのセンスのいい飾りつけには感心させられている。銀花の記事に刺激されたこともあって、よく通る抜け道に咲いている可愛らしい雑草を活けてみることを思いついた。雑草を摘んでいる爺さんの姿は、傍目にどう映るのだろうか。慣れない事なので、誰も見てはいないとは思いつつも妙に意識してしまう。 名前も知らないその小さな花は、花材としてはちょっと弱いので他の花と組み合わせて飾るのがいいと思い、他の花もついでに摘んで持ち帰った。普段、生け花なんてあまりしないので気の利いた花瓶がないのが悲しい。ただ花瓶に挿しただけでバランスもくそもないけど、全体で見るならいいかと・・。家の前の更地にカラスが舞い降りた。 昨日の午前中のことだ。降りたカラスはしばらくじっとしている。他の小鳥のように餌をさがしに来たのではなさそうだ。きょろきょろと頭を巡らして、ひょこりひょこりと歩き出した。何かを探しているようで、時どき大きな鳴き声を出して何かを訴えている。 と、そこへもう一羽やって来た。どうやら番らしく、営巣のための材料を探しに来たらしい。 ちょっと咥えてみては放し、また次も同じことを繰り返している。気に入った小枝が見つからないらしい。そりゃそうだろう、ここは整地したばかりのところで落ちているのは草の根っこぐらいなものだ。針金ハンガーを集めて電柱に巣作りしたりするカラスの巣に使えそうなものなんか落ちてない。 これはと思うものが見つかったのかと思ったが、これもやっぱり気に入らず、結局は何も成果がなかったようだ。近くに緑地帯があるものの市役所の近くということもあって、市の担当課がマメに手入れしているので木の枝なんか落ちてはいない。 どこに巣をつくるつもりか知らないが、今朝もやって来て同じことをやっている。他に探す場所は無いのか? 初めての巣作りかも知れないなぁ。 こうして眺めているとカラスも案外カワイイんです。頭が良いことで定評があるんだから、黒くなければもっと好かれるんだろうに・・。鳩なんかよりよっぽど魅力があるよ。 ノアの箱舟から洪水の様子を見に行った鳩が最初は降りる大地がないため戻ってた。しかし、7日後に行った時はオリーブの小枝を咥えて戻ったために洪水が収まっていることを知る。そして再び7日後に出掛けた鳩は戻って来ず、水が引いていることが分かったという。それで、白い鳩が平和のシンボルとして大事にされているんだとか。同時にカラスも偵察に行っていて、戻ってこなかったというんだね。 (煙草のピースのデザインは、レイモンド・ローウィ) 黒いカラスは凶で白いハトは吉という、単に色だけで役割を決めているのだろう? 旧約聖書といっても、やっぱり人間が作ったものだと思いたくなる。
2021.05.05
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♪ 立ち止まり地に足を付くコビッドに時間の拾い方を教わる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥「えっ? ウェ~!?」 せっかく書いた記事をウッカリ消してしちまったぁぁぁぁ~。ああ、もう立ち上がれない。一息入れて、書き直す気にはなったが、前の様な丁寧なものにはなりそうもない。 新聞の「ひと」欄に掲載された、SDGs、環境問題にかかわるこれら素晴らしい若者3人の記事を紹介したかったんです。(記事はすべて拡大できます)情熱と行動力があれば、世界は変えられる〜20歳の環境活動家「露木志奈」〜|THE FLINTSTONE|bayfm 78.0MHz ベイエフエム「唯一の武器は講演スキル、露木志奈さんの戦い方」 SDGsをボトムアップ ★ 露木志奈さんのYouTube「プロギングとは?」スウェーデン語で拾い上げるという意味の"plocka upp"と"jogging"を組み合わせた言葉であり、ヨーロッパを中心に大流行しているらしい。ジョギング+ゴミ拾いの新感覚SDGsスポーツを紹介 ★ Twitter ときた【プロギングジャパン代表】日本の難民のイメージを変えたい。「エシカルPC」で環境問題に挑む/ピープルポート代表・青山明弘さん どうですか? 刺激を受けた人も多いんじゃないかな。 日本の政治は三流だけど、今の若者には期待できそうです。 情報が入りやすくなっているし、様々なハードルも越えられやすくなってきているも事実。腐った政治の世界なんか無視して、どんどん前に向かって日本を、そして世界を変えて行ってほしいものです。
2021.05.04
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♪ 白と黒に振り分けられる心地にてモノクロ週間始まっており‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥朝日新聞(2月5日) G20諸国は、2020年4月から2021年6月まで、最貧国に一時的な債務返済の猶予を認める債務支払猶予イニシアチブ(DSSI)に合意しましたが、参加したのは対象国の3カ国に1カ国のみでした。これまで本イニシアティブは、参加した46カ国の保健医療および社会保護への支出の維持に役立ってきました。しかし、教育費は過去1年間ですでに縮小し、負債のある国では、子どもの保護、栄養、水と衛生サービスへの支出が削減されたと報告されています。大和総研(2月24日)♪ 二週間の緊急事態宣言は尾身に短く総理に長し♪ 使わずに放ってあった安倍マスク コロナ遺産として取っておく♪ 始発から密でスタートして今日も団塊列車は満員のまま♪ 取り込まれてDNAになるまでの歴史を今さら知ったところで♪ ITやテクノロジーは進歩して砂漠ばかりが広がってゆく 国際宇宙ステーション(ISS)に約5カ月半滞在した野口聡一さん(56)ら4人が乗る米民間宇宙船クルードラゴン運用初号機が、2日午後4時(日本時間)ごろ、米フロリダ州沖のメキシコ湾に着水し、地球に無事帰還した。「クルードラゴン」は米宇宙企業スペースXが開発した再利用可能なカプセル型宇宙船。星出さんら乗員を乗せてISSに到着し、野口さんと入れ替わって宇宙から帰還する。昨年8月の試験機以来2回目となる。機体は整備した上で、年内にも打ち上げられる民間人4人による地球周回飛行に用いられる予定。♪ もう半年遅らせたかった野口さん変異株待つ地に帰還せり地球帰還を前に宇宙服の最終チェックを終えた野口聡一さん(右)と、笑顔で握手する星出彰彦さん=日本時間2日午前(NASAテレビより)クルードラゴンの地球帰還(JIJI.comより)
2021.05.03
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♪ 束の間のアルカンシエルうぐいすの朝鳴く寺の裏山あたり ★アルカンシエルは仏語で虹のこと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 小雨が降り雷鳴が遠くに響いていた夕近く。雨がやんで薄暗い空の西の方に明かりがさしてきた。その自然現象が見せる動的平衡的空の様子が何となくこころに響いたので、その様子を写真に撮った。午後4時を過ぎて、西の空がわずかに明るくなった。 そして、ふと東の方を見ると、何と虹がかかっているじゃないですか。夕暮れにはまだ間がある時間帯だけれど、空はまだ雲に覆われていて薄暗い中に遠慮がちにアーチが浮かんでいる。東の方から差し込んできた光が東側の空に充ちている水蒸気に当たって生まれた虹。 短い時間。まさにほんの束の間の出来事で、数分の後には消えてしまった。 この真新しい竹が伸びている小山から、毎日のようにウグイスの声が聞こえてくる。少し高い位置にあるために遠くまで聞こえているように思うが、カミさんには聞こえないらしい。その声は大空に吸われてしまって、思ったほどには届いていないのかも知れない。 虹の出た翌日は晴れるんだとか。その言い伝えの通りに今朝は、やや冷たい風吹いているものの爽やかな空が広がっている。小山までは直線距離で160mくらい 更地には時々野鳥がやって来て何やらついばんでいる。先日からツバメがやって来て、今朝はもう無い水たまりの周りを行ったり来たりしていた。 晴れていた空には雲が流れてきている。午後2時前後には小雨が降るらしく、気温の低めだ。 連休中も曇りがちのはっきりしない天気のようだ。自粛を強いられているのだから晴天で外出をそそられるより、返ってその方がいいでしょう。
2021.05.02
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♪ 残酷と思う束の間大好きな親子丼など食べたくなりぬ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 最近、環境が変わってしまったので、僕ら猫2匹は森から草原に出てきた猿のように心もとない気分なんです。身を隠すところが無くなったので、なんだか落ち着かない毎日を送っています。 でも、逆に良くなったこともあるというか、楽しみ方をいろいろ工夫してみたりしています。 今、アランも僕も一番のお気に入りは、アドレナリンが出て気分高揚する「狩猟ごっこ」だね。 更地になった前庭で、草原で狩りをするチーターになった気分で身を伏せて、獲物を狙ってみたりしています。ピピはまだ子供なので何でもかんでも興味がある。屋根の上からカラスを狙ったり、更地のずいぶん先の方にいる野鳥を狙ったり・・。 小さな獲物しか捕まえられず、先日はトカゲを捕まえてきた。遊ぶ相手になってほしいばかりで、家の中に放しては追いかけて押さえつけ、また放しては追いかけている。そのうち冷蔵庫の下に逃げ込んで、そのまま出て来なくなった。しばらく待っていたけど出て来ないので、諦めてしまったようです。 (今はもう塀だけになってる)空き家からネズミが逃げ出した? どこで捕まえるのか、また小ネズミを銜えて来て玄関に放すもんだから大変だ。ドタンバタンと大騒ぎして、派手に追いかけ回している。まだ子供のネズミらしく抵抗することもなく、しばらくやっているうちに死んでしまったようだ。 爺婆さまは、かわいそうだけど仕方がないなぁと見守っている。家ネコが野生の本能を持ちつづけるのは難しいだろうから、大目に見てやろうかって、人間が介入しないほうがいいと思っているようだ。 そういえば、去年の12月にもそんなことがあったっけ。この時はまだ家の前が更地になる前だったはずで、環境が変わったからとか何とかはあんまり関係がなさそうだねぇ。確かその時は、親ネズミだったらしいので爺さまが捕まえて逃がしてやったんじゃなかったっけ。人間のやることはあんまり一貫性がないよなあ。 ちょっと前の夜、やってきたアランが急に絨毯を引っ掻き始めた。何かと思って捲ってみるとなんと!先日逃げたトカゲが隠れていたんだねぇ。何も食べずにずっとここにいたのかと意地らしく思った爺さまが、さっと身柄を確保して庭に逃がしてやった。本当はやさしいんだよ。 そんなこんながあった翌々日、今度は僕が小鳥の雛を銜えて帰って来た。銜えたまま鳴くので何て言ったのか分からなかった婆さまが、覗き込んできてやっと気付いたの。「何、なにぃ? コウモリ? 違う?」 どうも良く分かんないけど、「何かの雛らしいなぁ」って結論をだして様子を見守っている。僕はもう中年のオッサンだから、アランの様にドタンバタンしたりはしない。静かにおごそかに弄って猫の猫たる様を示して見せるだけです。その内雛は死んでしまったのでそのまま放っておいた。 そういえば僕も、去年の10月に、キジバトの幼鳥を銜えて帰ったことがあったっけ。もっと若いころにはキジバトの親も捕まえたことがあったなぁ。 次の日の朝、見つけた婆さまが外に放り出して「カラスのエサにでもなれば、それはそれでいいんじゃない?」なんて。一体何の味方なのか分かんないことを言っている。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.05.01
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