全16件 (16件中 1-16件目)
1
やっと晴れて登下校、雨の心配がなくなった・・・。 日が短くなって、部活動の時間も少し短縮。今、ぶうは五時半に家に帰ってきて、洗腸のある日は6時頃からお風呂(今はシャワー、おとうが休みの時だけ湯船)、そして洗腸。およそ一時間トイレにこもる。800CCくらい、ごくごくぬるい湯を専用のパックに入れて処置。今はおかあが入れてるけど、側わん手術前はぶうが自分で入れて押さえるとこまでやってた。 一時間トイレに座るので、前に手を置いて支えたいのと時間がもったいないので、市販の金属パイプの棚の小さいのを机にして体の前に置き、宿題をする。洗腸の時間は唯一のぶうの勉強時間かも。 7時半頃終わって、夕食。テレビ・・。宿題。一応ピアノも練習することになってる。一回しかさらわない。よって進歩超遅! 九時半頃から「寝」準備。歯磨き。うまく歯ブラシに力が入らなかったのと細かい磨き残しがいつもあるので必ず親が仕上げ。歯並びを幼稚園の頃から注意されてて、矯正器具を小3から使っている。あごを広げるもので上、下2ピース、寝る時に付ける。乳歯が全部抜けたので来月から本格矯正に入る予定。 カテで排尿するが、だいたい一日5~6回。洩れるタイプで、涼しくなると介護用の厚タイプのおむつ(ライフリーリハビリパンツ)に厚パットをしても3時間を過ぎるとドピャ~っとあふれる。だから学校には換えのズボンも置いてある。 ここのところ寝付くのが遅い。ラジオが面白いと知ってしまったため。寝る時、ラジオを抱えてニッポン放送の「ラジベガス」(今度タイトルが変わるらしい)を聞いてる。もっともっと聞きたくて努力して起きてる。きのうは11時過ぎまで起きてた。朝、起きられないだろ!! 朝は6時半。部活の朝練の時は6時。カテしてバップフォーを飲んで出掛ける。途中お友達の家をピンポン。二人から三人で登校するのは小学校の時と変わらない。 立位は全くとれないので、外はもっぱら車いす。家の中は側わん手術前はハイハイ。お風呂もトイレも二階に上がるのもOKだった・・・。今は家の中も車いす・・・。 これが、二分脊椎の中学一年生ぶうたろうの一日です。
2006年09月28日
コメント(0)
今日は午後から大雨。時に波打つくらいの激しい降りで、風も強かった。それに寒い。今までとはさすがに季節が変わったんだと思い知らされた・・・そんな一日。 ぶうはここのところ、登下校は一人で行っている。でも中学生の持ち物は多くて重い。朝、見送るときはいつも後ろにすっころぶんじゃないかと心配してる。 帰りは部活があるので、今は五時半。今日は天気もあって迎えに出る時にはもう暗くなりかけてた。中学に着くとたくさんの生徒が出てくるところで、車が進められず駐車するのに手間取った。急いでぶうの靴箱を見るとすでに上履きが入れてあって外に出た形跡。「?」と昇降口あちこち見てもいない、そこにいた先生に聞いてもわからない。先生もあちこちのぞいてくれている。「!!まさか」と今日たまたま休みで家にいるおとうに電話すると「帰ってきたぞ!!びしょぬれだよ」って。 もうもうもうもう!!!!なんでそんなことするのよ!! あわてて先生に謝って、よろよろ生徒をひきそうになりながら帰る。ぶうの通学路と車で行く道はちょっとずれてる・・・。行き違い・・・。 なんだって傘もコートもないのに帰ったのよ。迎えに行くのは分かってるでしょ。頭も制服もリュックも水浸しじゃないか・・・。おとうがいたから門のチャイムに気づいたけど、普段の日だったらずぶぬれのまま道路にいるしかなかったんだぞ。学校ではまさかこの雨の中、車いすで帰るとは思わないから、いないいないで大騒ぎになるところだったじゃないか!! ぶうは「だって部活終わったらすぐ帰らないと、停部になっちゃうんだよ。早めに終わったから急いで学校から出たんだよ」と、おかあの剣幕にすでに涙目になりながら訴える。「いないし忘れてると思ったんだ」。おとうは「おまえさあ、おかあが忘れるわけないだろ。ぶうのことしか考えてないんだよ。頭の中どこ切ったってぶうのことばっかりだぞ」と言う。 そうだよ、おかあがこんな冷たい雨にぶうを打たせるわけないじゃないか。 だけどよく、豪雨ぶっちぎりで水しぶきシャーシャーいわせて帰ってきたよね。小学校の時は考えられなかった。少したくましくなったんだ・・・。 とにかく雨が降っててコートもない時は、学校で電話を貸してもらうことと約束した。 でも、もしかしたら本当はそういうことを職員室なり事務室に頼みに行くのも恥ずかしいのかもしれない。みんな雨のなか駆けて下校するときにはぶうも「こんなもん、なんでもねぇよ」って駆け出したいのかもしれない・・・。
2006年09月26日
コメント(0)
風が止んだ。そっれ、畑だ、庭だ! とにかく地面を覆ってる雑草を抜くべし!抜くべし!抜くべし!そして熊手で集める、集める、集める。乾かして枯れ葉と一緒に落ち葉たきの予定。柿の葉が随分落ちた。5本ある柿の木、みんな実が腐って落ちる。裏年というのでなく、おじいちゃんが亡くなってからがたっと実を付けるのをやめたって感じ。苔もひどく着いてる。実も葉も落ちて庭の中でいち早く丸裸になってしまった。ミョウガも冬支度。黄色になってへたりこんだ。 畑はおとうがマメトラでうねって、次の準備。春に向けて玉ネギやソラマメは必須アイテム。ダイコンの種を蒔きたいけど成功した試しがない。おじいちゃんは、とても簡単にダイコンでも青梗菜でも春菊でも作ってた。うちでやると、この間はダイコンは本当に「大きな根っこ」を持ってきれいな花を咲かせた。その根っこは最初から筋が入ってて人間が食べる隙はなかったなあ。 ぶうは残念ながらうちの中でお留守番。障子に映る影が変化するのを観察?
2006年09月24日
コメント(0)
銚子沖を台風14号通過につき、お彼岸は大風の一日。徹底的に夏を追い払うつもり。ぶうの一家は、お彼岸はお墓参りで田舎へ行くって決まってる。親戚も来るしね。風のうねりが空を渡って,隣の神社のケヤキが大きく首を振ったら次はうちの木々の番。次から次へとハヤテがやってくる。本当は秋植えの畑の準備やさんざん茂った夏草・ツタの刈り取りもしたいけど、とても外にいられない。線香上げさせてちょうだいね、といつもやってくる親戚のばあちゃんも今日は来なかった・・・。風と海鳴りだけの一日。
2006年09月23日
コメント(0)
おとうは、趣味は本当はテニスとマラソン。田舎の農作業があるので、誰ともテニスができなくなった・・・ので唯一マラソンが目下の趣味。でも仕事と田舎のことで、早々走り込みできない、らしい。走るとなると、家から30キロ圏内縦横無尽に野山を駆けめぐっている。ここのところ走ってない、と思ったのかどうか、前から考えていたのかどうか、家族には分からないけど、突然会社から走って帰ってくると言った。テレビでひょろひょろした青年たちが24時間100キロ走った(歩いた?)のを見て自分は軽くできる、と思ったのかなあ。うちまで70キロくらいある。まあ、災害の時の帰宅難民になったときのことを思えば、道を確認しとくのはいいかも、とほっといた。夜、仕事が終わって夜中12時、東京を出発してうちまで12時間、着いたのはお昼の12時だった・・・。絡まれたり事故が心配だったけど平日だったせいかバリバリいって走るお兄ちゃんたちはいなかったそうだ。東京は明かりも人もいっぱいで夜中恐いようなことはなかったって。小さな繁華街の方がいろいろいたみたいだったけど、とにかくみんな酔っぱらいだったそうな。途中丑三つ時、水の飲み過ぎで気分が悪くなって道ばたで休んだり、公園のベンチに横になったり、もうだめか、と言う時もあったらしい。三分の二はやっぱり歩いたって。東京は大きな川が多いから、どの橋を渡るのか、人も通れるのか、川を越えるコース選択が距離を微妙に長くすると言ってた。まあとにかく時間も予想通りで、無事帰ってきた。おとうの姉さんは「ばかじゃないの。もう二度とそういうことしないで。今は何があるか分からないんだから危ない!!」と怒ったよ。ぶうに「一緒に東京から走って帰ろう!」と言ったら、即「やだよ!」と言われていた。
2006年09月22日
コメント(0)
ぶうの定期試験の結果が返された。すごく低いお点。国語などはとてもきれいな答案だった、白くて。「選択問題だったらどれでもいいから選ぶんだよ。当たるかもしれない、空欄はもったいないよ」と言っても、問題見ると動転するらしい。爪をかじる癖から抜け出られないでいるけど、今回は特にひどくて、両手の親指が赤紫になる程かじった。 2週間、ぶうは一生懸命準備したんだ。理科の光の進む道も一生懸命覚えた。作図も練習した。でも求められてること・・・光の道筋を描くのか見える像の位置を描くのかがどうも理解できない。だから立派な光の図が描けても×。数学も数式は解けても、「その式はどうしてそうなるか?」なんて聞かれたらパニック。 家庭教師の先生が、「授業を受けてない範囲を2週間でやったんだから上出来」と 言ってくれるのでありがたい。この方は、本当に褒めるのがうまい。「おばちゃん」って感じで、つっかけはいてエプロンで来てちょいと見てくれる感じ。こちらも「そうかな」と思えてくる。 コルセットのぶうにも、やっと秋風でいい季節になった。明日は吹奏楽部の朝練。7時に登校。ものすごく張り切って、車いすをカランカラン鳴らしてすっ飛ばしていく。6時起床だ。
2006年09月21日
コメント(0)
側わん外来に行ってきました。退院後二度目。コルセットなしで26度。ドクターは「特に異常はないけど、体は元に戻りたがってるかなあ。少し歪んできてるね・・・。手術前のように、と言う訳じゃないけど」とのこと。 確かに、油断するとすぐ肩が傾いてる・・・。腰回りを固定させるようオーダーした車いすはまだまだ先。早く手にしたいなあ・・・。(ずっとオーエックスだったけど、腰回りが自由すぎてNG。8年間、3台使ったOX。しばしのお別れ?) ぶうは背骨の金属がとれちゃうんじゃないか、と心配。おかあは歪みがなんと言っても心配。頼みの綱はコルセットだけど、腰、骨盤自体が歪んでる・・・。それにずっと車いすに座ってるから体が固まって、足が伸びなくなってる・・・。足の付け根の筋が引っ張って固まってる感じ。伸ばそうとすると痛いと言う。まずいのかなぁ。次の時に聞いてみよーっと。
2006年09月21日
コメント(0)
今日は、夏の最後の輝く一日。空の青の深さ、雲の白の純白度、日差しの鋭さと日陰のコントラストもみごと。完璧。こんな気持ちのいい「夏日」は五月から六月最初、または今ぐらいの九月半ば過ぎに現れる。もう、たぶん今日のような「輝く夏」は終了。来年までお預けだ・・・。 ところで、おかあの頭が危ない・・・。前から言葉がスムーズに出にくくなっている。「あれ、それ」はまだしも、直前まで、今の会話を始めた時にはちゃんと覚えていたのに、話そうとしたら内容を忘れている。苦しいほど言いたいのに、伝えたい単語やものごとは、手から砂が落ちるようにするりと脳から去っていく。 庭の消毒を定期的に近所の何軒かと一緒に、業者さんに頼んでいる。隣の方が「みんな今週にするって言ってるけどどうする?今業者さんが来てるよ」と言ってくれた。うちも頼むべく、消毒の打ち合わせをしているところに近寄っていって、出た言葉は「しょ・く・ど・う」。みんな目がまるまる・・・。フォローもできない・・・。呆然としたまま、うちも「しょうどく」を頼み、犬を連れてる隣の方に「これからお散歩? いってらっしゃい!」と言ったら「今帰ってきたとこってさっき言ったよ」と言われてしまった・・・。生活に自信がなくなった・・・。 ところで、先日新聞に「小学生が学校で暴れる、先生に暴力を振るう事件が急増」と出ていた。んーー。ぶうたろうの周りではなかったなあ・・・。先生に暴力なんて、イメージ湧かない。 ぶうの小学校の同じ学年には、ぶうが車いす、ダウン症の子、自閉の子などがいた。低学年の時は、教室出て行ったりパニクッたり子供たちも大変だったと思う。でも3年生くらいからそういう生活にも慣れてきたように感じた。そのせいかどうか分からないけど、6年間不登校の子もひどいいじめも流行の先生への暴力もなかった。 不登校になりかけたり、生徒同士の小競り合い、ああ言われたこう言われたと言って泣いたり、というシーンは何度か目撃した。でも、次の日も学校へはやってきたし、「暴力」という形にまではならずに過ごした。 障害児を普通学級に通わせている親の自画自賛で言わせてもらえば、うちの子たちがいたからよ。思いやりとか優しい心が・・・とか美しいものじゃなくて、ただ「認める」、違うものもめんどうなことも「有りだ」と知ったということなんじゃないのかな。 説明しようのない行動やなんとしても立てない、歩けない存在。それも含めて同じ学年として六年間やってきた。暴力振るったってどうしようもない。 六年の時の学年主任のベテランのゴットマザー先生は「この学年の子供たちはハンディのある子たちと一緒に暮らしてきた。それは本当に豊かな経験なんですよ。一緒にいたら勉強のじゃまだとか校外学習の課題が時間内にこなせないとか、そういうイライラでさえ貴重な体験なんですよ。これはね、後になって大人になったらしみじみ分かることなんだなあ」と言って下さった。これぞ公立の醍醐味。いろんな子がいっしょ。 でも、最近の政治家ってみんなおぼちゃんの私立育ちのせいか、公立を目の敵にしてる。やがて地域で育つなんて言うのは昔語りになりそう。ぶうのすむ町も、次の「長」はタレント崩れの右系らしいともっぱらの噂。教科書も変わるだろう。公立の学校も「郵便局」のように民営化されるのかもしれない、そしてリストラされていくのかも。その前に義務教育を抜け出るぶうは幸せかもしれない。
2006年09月20日
コメント(0)
ぶうたろうの定期試験が終わって、ごほうびに大好きな電車を見に行ってもいいと言ったら、「特急クラスの始発駅で下りたことのない新宿に行ってみたい」と言う。新宿はずっとエレベーターがなくて、車いす親子にはかすりはしても下りたことのない、下りられない遠い駅だった・・・、けど、改装なっていよいよ文明の利器が入ったらしい。退院してから電車には乗ってないし、車でも病院以上遠くには行ってない。もうそろそろ遠出もいいかな、と朝から東京への電車に乗った。おかあはすぐに爆睡だけど、ぶうはいろいろ観察することがある。今一番注目してるのは懐中時計。それをいつ入れて取り出すか、それから運転手が替わって乗り込んできたら何から指さし確認するのか、運転台に差し込むレバーをどうやって交替するのか、速度の変化、ブレーキのかけ具合等々ローカル線から山手線まで休む暇なく観察している。新宿は本当にエレベーターがあった!出来てた!南口の方が改装されて新しいようなので南口に上がって車いす用トイレも見つける。開かなくてあせったら、インターホンで使いたいと申告したら「開」のボタンが作動するものだった。秋葉原駅もそうだったな。ぶうの新宿駅での目的は、写真。今まで見たことのなかった「かいじ」と「あずさ」、それからだんだん廃車になっていくオレンジ色の中央快速を撮ること。「あずさ」の停まってるホームはエレベーターがなくて、中央線ホームからしか写せなかったけど、ぶうたろうには十分感激の対面だったらしい。だって、今まではこのホームにだって山手線ホームから移動できなかったんだから。そうそう、ぶうは新宿駅の電車の発着を知らせる電光掲示板にも感心してた。電車のイメージカラーで分けられてたから。ぶうによれば「これは東京駅にもないよ。ただの電光掲示板だもの」とか。山手線も行きと帰り、どちらも外回りに乗って東京まで一回りした。途中、声をかけてくれた親切なおばさまに、懐中時計や速度計の話しをして褒められたり、うれしい電車の旅だったと思うな。帰りの電車にはばったり同級生が乗ってて、彼は一人博物館に行ったという。夢中になってるものがあるらしい。ぶうの電車話にも大乗気で、各駅の発車音で盛り上がってた。なんか、おかあには、チェックのシャツ着てリュック持って秋葉原に立ってる二人の姿が見えるようだ・・・。ぶうや周辺の男の子見てると、同じ臭いを持つ同士、惹かれ合うって感じ。ぶうとこの少年も、どうも同じ臭いを感じてしまったな?と、思うおかあでした。
2006年09月17日
コメント(0)
突然、夏が終わりましたね・・・。 毎日雨で、学校の行き帰り、車にするか、レインコートを着るか毎回迷っています。朝は車で行くことが多く、帰りは昨日はレインコートを自分で着て帰宅、今日は小雨を突いて帰ってきました。 明日は前期の期末試験です。一生懸命勉強しています。こういうところ、偉いんだなあ。 一番苦手は国語。読み込み問題。Q芥川龍之介「蜘蛛の糸」からの問題。なぜ、蜘蛛の糸は切れてしまったのでしょう? ぶう:これは絶対自信ある。重量オーバー。Q「竹取物語」(今昔物語より)からの問題。なぜ、かぐや姫は求婚者たちに無理難題を吹きかけたでしょう? ぶう:やっぱりさ、いろいろ珍しい物が欲しかったんじゃない?と、こんな感じ。まじめにやってるぶうにこれ以上「勉強しなさい」とは言えないんだなあ。やっても出来ないってこういう感じなんだなあ、と親も体験中です。 明日のことを考えて今日は早く就寝するよう、昨日洗腸もやりました。昨晩は「寒い」と言うので今出ている寝具をすべてぶうにかけて(夏がけと薄い毛布)やったら、おかあの分がない。仕方ないので、しぶしぶ押入の下から毛布を引っ張り出したら、やっぱりカビ臭いよぉ~。 急に10度以上気温が下がると、何を着ていいのやら・・・。やっぱり鼻水出ても半袖で押し通す不精者でーす。
2006年09月14日
コメント(0)
☆退院してからの生活 ぶうが退院後の生活で注意されたのは、著しい前屈みやひねったりはだめ、はいはいもあんまり・・・。可能なら車いすがいいでしょう、とのこと。それから、 尿が感染しないよう水をたくさん飲むこと。 ぶうの寝相を考えて、寝る時もコルセットは付けていることに。 うちは二階建ての小さな建て売りの家。今までぶうは二階に学習机を置いていた。寝るのも二階で、畳の上に布団だった。階段はすばやく手で登っていた。家の中の移動はもっぱらハイハイ。洗面もお風呂もトイレも一人で済ませていた・・・ 。 ぶうたろうの退院後の生活は慎重にしたいし、本人も手術後がとてもつらかったらしく、先生の言うことは忠実以上に気にして守ろうとする。 また、術後2,3週間でもやっぱり傷の周りは痛いし、移動に持ち上げようとしてもやり方によっては「痛い!痛い!」となる。とても畳の上の布団から車いすに乗るよう介助はおかあには出来ない。 とにかく出来る範囲で生活させなければ・・・。車いすは3月まで使っていたのがあるのでそれを家の中で使うようにする。一階の10畳ほどのリビングからコタツ兼用のロウテーブルと車いすに引っかかるので敷きっぱなしのホットカーペットをどかし、ソファーと15年前に拾ってきて二階で使ってた長いすと食事用のイスを組み合わせて急ごしらえのベッドを作り、学習机を下ろした。夜中、やっぱり寝返りが自由に出来ず「おかあ、動かして」と起きるので、おかあは床に布団を敷いて寝ることに。 リビングには、学習机、ピアノ、移動棚付き本棚、ぶうの物入れのカラーボックス2つ、ソファー仕立てベッド、カップボード、食事用テーブル、テレビ、イスが食事用4つにピアノ用1つ・・・。お陰で二階はすかすかになった。おとうだけが風通しの良い二階で寝てる・・・。 ぶうは、このリビングのクランク型に空いた隙間を車いすで移動する。朝起きたら、「タロウ」というニックネームのシビンを用意してカテでおしっこ。濁ってないか確認。パンツ型おむつも足に入れるのにかがむのが恐いので、おかあがはかせる。おしりを入れるのに体を横にするのも最初は痛くて、ぶうの体を持ち上げるのも大変・・・。コルセットの下にパンツをセットする時には傷に触れると悲鳴になる。 起こして着替えるのに、バランスが取れなくて座ってられない・・・。 ズボンはパンツ同様足を自分では入れられないし、引き上げてお尻をいれる作業が困難。靴下はひざを曲げて脱ぐが、はく時はまたバランスが取れない騒ぎ。 ベッドから車いすに移る時にまた、痛い。よって介助。リビングを出ると廊下は車いすぎりぎり。ドアにこすりながら移動。洗面は車いすのまま、タオルを濡らして拭く。車いすで洗面台まで行ったら帰りはバック。車いすの脇は人は通れないから、洗面台の水を出すことやタオルの用意や出る時のことを考えて まずおかあが先に洗面台の前に行って、いろいろ介助して、最後に車いすをバックで押す、それが洗面の一連の流れだ。 お風呂ももちろん介助。お風呂場の洗い場には置くのも持ち上げるのも、とても出来ない。湯船もおかあでは入れられない。湯船はおとうが休みの日にして、いつもは風呂のふたに座らせて シャワー。しばらくはシャワーのお湯が当たるのも体をなでるのも「痛い!」というのでぬるいのをトロトロ・・・石鹸をつけたタオルで体をポンポン軽く触るだけ 。終わったらだっこして車いすに戻して壁にゴンゴン当たりながら戻る・・・。 トイレは、車いすでは入れないので入り口でだっこして座らせる。衣類、紙パンツ着脱もカテも出来ないから、今は洗腸の時だけ。いつもはベッドでタロウ君の世話になる。 外に出歩けるようになったら、行き帰り、普通の高さの玄関上がり口に置いた家用車いすと外用車いす、移動介助が大変。特に帰ってきて下から上の車いすに持ち上げるのは「えーーーっい!!」というかけ声が必要。 この状態は少なくとも半年は続くし、その後もどこまで元の生活に出来るのか、体も大きくなっている。おかあは、覚悟を決めてぶう様にお仕えしてるか、かいがいしくてきぱきこなしているか・・・。NO!!! 気が狂いそう。頭をかきむしってじたばたしてる。ぶうは落ちた鉛筆一つ拾えない。狭くて身動き取れないからテレビのコントローラー、CD,ゲームのあれこれ「おかあ、とって」とくる。洗濯してても料理してても何してても「おかあ!!」と呼ぶ。「いい加減にして!!これ以上お前につきあったら今日、食べるものは出来ないんだよ!!」と夕飯作り途中には怒号。ぶうは涙目。 尿が濁って薬をもらったのを気にして「たくさん水分採るように」を守って、麦茶をがばがば飲む。もちろんそれはいいし必要なことなんだけれども、夏休みの間は、睡眠をたっぷりとる、排尿が遅れる・・・おむつからあふれる・・・大洪水・・・。これが何度も。下着、タオルケット、薄がけ、シーツ・・・布団は押せばしみ出す程の尿・・・。裏側ぎりぎりの時もあった。以前はだまって「気にするな」って、明るく処理していたけど、だめだ・・。イライラいらいら・・「さっさとどけよ!!」と叫んだりする。「これもだ、これもだ、これも濡れてる!!」「気をつけろよ!おしっこに手突っ込むぞ!」なんて、最低・・・。 トイレとお風呂周りは以前から気にしていた。裸で廊下を往き来するし、今は介助が大変。これからも狭いトイレではズボンの脱ぎ着が大変だ。リフォームしたい!!でも、おとうが却下。今一時のことだ、と言うのといかにも障害者用というトイレをこれからずーっと使うのは嫌だという。 リフォームのとてもいい設計士さんを教えてもらったけど、名刺は頭来て捨てた。 学校が始まって、何回も学校に行く、町内をくるくるリスの運動状態。ぶうは「なんか退院してきてからおかあは冷たいよね」だって。「なんだとぉ!!」 すごくひどい精神状態・・・。修行が足りない・・・。 以上、退院一ヶ月現在の近況報告・・・でした。 ☆追伸 ぶうはこの間退院して初めて診察を受けた。レントゲン25度くらい。まあまあ。 コルセットで通学してるので、アセモがひどく、「かゆいかゆい」。細い棒を見つけてコルセットの間につっこんでごしごし、かきかき。そこに垢がつくのを手柄のように観察しているぶうたろう。
2006年09月12日
コメント(0)
☆一番うれしかったことは・・・ お見舞い。ぶうがこんなに喜ぶなんて思わなかった・・・。学校の先生はもちろん、幼なじみ、二脊仲間、おかあの友達、おとうの友達、おじさんおばさんじいちゃんばあちゃんいとこ・・・。ものすごく喜んだ。おかあがちょっと伏せった時は誰にも会いたくなかったけど、ぶうは「誰か来ないかなあ」といつも言ってた。 特に、先生がクラスメイトが作ってくれた千羽鶴を持ってきてくれた時は、超嬉喜!!。「これがあの千羽鶴というものか・・・」って。 今回、いつもおなじみの小児高度医療専門病院ではなく大人高度医療専門病院だったので、まわりは大人、しかもお年寄りが多くてぶうはちょっと参ってた。最初、夜はイビキの大合唱で眠れなかったらしい。昼間、ラウンジでおじいさまたちは「終戦の時をどこで迎えたか」「軍事教練はどんなに大変だったか」で盛り上がる。さすがにおかあもついてけない・・・。 前に同じように入院した子に付き添ったママから「一度聞くと、毎日、毎回同じ話しを聞かされるよ」と経験談を聞いていたので、なんとなく遠巻き。向こうもかわいそうな車いすの子を遠巻き。おかあも遠巻き・・。 こどもの病院とおとなの病院の違いは、こどもの病院では食事は動ける子は(食事制限の子に悪いというのもあって)、病棟のかわいい小さな食堂に集まって「いただきまーす」で食べた。おとな病院はカーテンをそれぞれ引いて、ベッドの上でもそもそ食べる。こども病院はどんな子も食べ物、持ち込み厳禁、子供の残したものに親が手を出すなんてもってのほか。おとな病院、食事制限のない患者ならなんでもOK。外食もOK。持ち込みしてぶうが食べておかあが病院食だってOK。 こどもの病院は、テレビは共同だから好きな番組は見られない、おとな病院はテレビカードで好きなだけOK。よってテレビがお友達・・・。こども病院、電源を自分のために使うなんて言語道断。おとな病院、機材用があいてれば別に。よってラジオ、MD充電、DVD、パソコン使える。 こども病院は子供は子供の友達、大人は大人の知り合いが出来る。おとな病院の子供は・・・孤独。若い30才くらいまでだと、ぶうに声かけてくれる。 こども病院は、病棟に入れるのは親だけ。先生も親戚も友達もだめ。兄弟もドアの外で泣こうがわめこうが事故ろうが連れ去られようが何しようが中には入れない。(これだけはちょっとひどいと思う。患者の子供も孤独。普通の生活から離れて戻る自信がなくなるように思うな) おとな病院は誰でも、ベッドのすぐ脇まで行ける。ぶうが「退院したい」と強い気持ちを持ったのは、たくさん外の世界からお見舞いに来てくれたから。 親は気軽なのでおとな病院がまあ良かったけど、ぶうはテレビが見られなくてもこども病院がいいのだとか。はじめいやだったイビキも、じいさんが一人去り二人去り(お空じゃないよ、おうちだよ)4人部屋に静かなお兄さんと二人になった時には寂しくて(お兄さんは治療のためベッド留守勝ちだった)、だれでもいい、いびきじいさんでも夜泣きの赤ちゃんでもいいから来て欲しいと思ったそうな。 というわけで、ぶうを心配してくれたみんなに、感謝なので~す。少し大人になった? じいさんくさくなった?
2006年09月08日
コメント(0)
今日は俄雨の一日。 学校が始まって、一週間は心配で学校の登下校にもつきあいました。特に朝、今までなんでもなかった、「坂」とも言えないような学校への緩い上がり勾配が上れなくなってしまったんです。一緒に行く友達に頼めたらいいんだけど、またこの友達がぶうたろうとどっこいどっこいの生暖かい少年で、「え~、押すってどこを~?」というようなやつ。(だからぶうといい友達なんだけど) それと、靴をはき替えるのにすごく前屈みになるので、若様のお履きものを替えるべく・・玄関まで。そのため。おかあが中学生群にまじって登校しました。 でも、それも大丈夫だというので登下校は任せることにしました。でも、おしっこが不安。コルセットをして下を向いてカテを入れられるか、最初は両手を離して座るのさえ力がなくなっててできなかったんです。部活もあるので、2限か3限終わったところ、昼休み、部活の前と3回行きます。 雨の時は登下校、車で送ります。よって、学校に5回行く!!! 昨日は帰り、雨が止んでたけどびみょう~。それで一応車で行ったら「止んでるからいい。自分で帰る。おかあ、車で先帰って」だって。うれしいような、でも無駄足、このやろ~。 今日。俄雨何度もあったけど、下校時は薄日。やれやれ、今日は一人で帰ってくるわい。と、帰ってきたら「あーーー!!!、やばい! 制服着てねぇ~! 体操服から着替えるの忘れた。学校置いてきた・・・」。「ぶぁかぁ!!」(「バカ」の爆発音)で、やっぱりおかあはチャリで出動。学校にそ~っと行って、無事ぶうの制服を回収してきたのでした。 こうして、おかあは小さな町のなか、学校と家とをリスの運動みたいにクルクルくるくる回って、一日が終わるのでした・・・。 中学生だから、今まで一人で出来た排泄を学校の誰か(先生とか)に頼むのは恥ずかしいかなあ、とかいつまでもでなく今だけだからと思ってやってるけど、あ~、どうにかしたい・・・。
2006年09月07日
コメント(0)
手術の結果、体の形が変わったのと、いい形を維持したいというので車いすを作り替えることにしました。10月制度改正前にと申請が多くて、納品は遅れるようです・・・。 そんな申請にお役所に行ったら、ダウン症のお子さんを持つ知り合いのママにばったり。「制度が変わって、装具も医療費も大変」となげいたら、そのうちのお子さんもこれから成長とともに何度か心臓の手術を受けるそうで、100万から200万用意しとかなきゃならないんだとか。「若い両親がこういう子供を授かったて、すぐ手術が必要、○百万円必要、って言われたら、躊躇するよね~」「手術して生き残りたければ百万や二百万の端金、用意しとけっていう感覚なんだろうね」 大人の場合、大きな手術という場合、支払いできるか証明してからでないと受け付けてくれない私大病院もあるとか。 とにかく、強いものだけが生き残る社会になってるんだわぁ・・・。 とはいえ、負け組だって迷惑だって生きてやるわい。あ~、でも紙おむつもものすごく減らされたんだよね。それだけでも年何万円負担が増えたかわからない・・・。なんか国を出てけといわれてる少数民族のような気がしてきた・・・。
2006年09月06日
コメント(0)
☆「入院費精算は凄惨だった」の報告。 ぶうが今回、側わん症の手術で入院した費用は、いくらかかったか。 月をまたいだので、二回に分けて払いました。 総額85万円です。それに、コルセット代約6万円もあります。 入院してから育成医療は使えないことが分かりました。それから、事務の方がわざわざ医療の点数表一覧を抱えて見えて「この4月から制度が変わって子供の場合、検査は幾つ受けても一件だったのがすべてに支払いが生じることになりました。承知しておいて下さい。変更になったことをお一人お一人に説明して回ってるんです」とのこと。MRI、CT、レントゲン、採血・・・手術につきものの検査はたくさんあるだよぉ・・・。 うんざり。目の前の人に言っても何にもならない。これはお役所で経験済み。すべて国が方向転換したから、のような気がする。 一度目の請求は6万円近く。それでもクラクラきましたよ。カードが使えると言うのでカード支払い。だって現金て、持ってて2万円くらいだから。(いつもは5千円くらい) そして、そして来ました、二度目の請求。約790、000円。窓口で聞いたら、高額医療費として保険組合から還ってくるとのこと。負担は8万弱だそうな。いつもだったら8万円なんて目が飛び出る金額だけど、79万円のあとなので やたら、お安く感じましたね。3ヶ月程度後だというので、アイディア!カードの分割で支払えば、定期預金などから持ち出さなくても組合から入ってきた分で残高精算が出来る、とふんだ!なんて賢いわ・た・し。 ぶうたろうは、身体障害一級の手帳を持っているので、後でかかった医療費は還ってきます。でも 自費負担分を申請して助成を受けるので、いったん支払うのです。健康保険の高額医療と手帳で負担は結局ないにしても、80万円のまとまったお金は、うちの普通口座にはないんです。だから分割にしようと・・・。 ところが、窓口で自慢げにクレジットカードを出したら、「使えませんと表示が出てます」とおっしゃる。「それではこれ、えっ、これも? じゃ、これは?」と、銀行系、車会社系、スーパー系などなど出して全部だめ。窓口の方からクレジットカード会社に電話をかけてくれて、話したところ(話すのは自分でなければだめ)なんと利用最高額を越えているんですって。超納得・・・。こんな買い物したことないもん。 一回だけ、電話でことわれば今使おうとしている病院の支払いを受け付けてくれるというんです。でも、分割はだめ。会計の方も心配して「窓口で何度かに分けて払ってもいいんですよ」と言ってくれるんだけど、それだって一回ににつき何万、何十万円て持ってくるわけで、いやだ。振込も手数料がもったいないわい。 それで、結局うだうだ考えた末、一括カード支払いじゃ!!「えいっ」とカード精算。79万円の明細書を手に持ちながらよろよろ病棟にもどって、看護士さんに「支払ってきましたぁ~」と報告したら、「えらい!!」と褒められました・・・。うれしくない~。 とにかく定期預金を解約しなきゃ。カード支払いと助成の間の3,4ヶ月もたせなきゃ。 以前、金額を気にすることなく手術、治療を受けてきたから「ひどい!!」と思うけど、もともと家族に一人でも病人がいたら大変なことだったんです。病気や障害があっても何ら負担なく育てられるということ自体が幻想だったんです。これを思い知らせる国の方針なんです。二分脊椎は脳外、整形、泌尿と複数の診察科にお世話になって、よくて経過観察、ほどほどで薬処方・生活補助具(カテ、装具、車いす等)、これは参ったで手術、と、ずーーーーっと医療費を払い続ける障害の一つです。やっぱり、お金かかるんです。 たくさん税金がかかるということで、発症率の 高かった英国では二分脊椎と分かれば中絶いつでもOKなんだとか。宗教的にも許されるんだそうな。だから二分脊椎の子なんか産んだ日には、反社会的行動、表も歩けない? 生まれないようにしたので今の「結核患者」のように、二分脊椎を診る医者も減ってると何年か前のドキュメンタリーでやってました。出生前診断はもともと、二分脊椎児を選ぶために研究され、その副産物としてダウン症がわかるようになったんだとか。 目の前の分かってる苦労は、やっぱり避けたいのは当たり前だと思います。個人もそうだし、社会もそうだし、国もそうでしょう。でもそうやって選ばれた人間のみ生きる権利があるって、突き詰めればあなたも、あなたも、あなたも 生きる権利なんてないって事になると思う。算数が苦手?国語が苦手?あ、それはもうだめ。生きる権利なし。話すの苦手?もってのほか。健康で明るく頭脳明晰の子供しか認められないってことではないでしょうか。 やっぱり、障害持つ子を持って思うのは、いろんな子がいて、いろんな人がいて「社会」だと思うんです。でこぼこあって、超弱い人間から超強い人間までいるのが健康な社会だと思うんです。強かった人が、ある時病気に伏しても生きていくんです、OKなんです。ぎりぎり生きてる、OKなんです。 いいとこばかり選ぶと言うことは、結局自分の首を絞める、社会の首を絞める、国の首を絞める事になると思うな・・・。 で、今選ばれない側になったので、たくさん支払うんです。これから車いすも作り直すんです。 でもでも、ぶうたろうは元気です、全然参ってません。ひゃっほ~と車いすこいで学校行きました。
2006年09月06日
コメント(0)
一日雨かと思ったら、夕方になって虹が! 久しぶりにきりっとはっきりした虹でした。 学校が始まりました。二学期制なので「新学期」ではありません。ぶうたろうは、夏休み前から休んでいたのでちょっとどきどき。 夏休みの課題は出来る限りやらせました。中学の夏休みの課題は、「提出」指定のものは点数化されるので、できたら0点はさけたいのです。中身は0でも提出点だけども・・・というあさはかな親心です。ぶうは、「これをやろう」という気持ちまでは行くけど、資料を図書館やパソコンから引っ張り出すとか、さらに資料から必要な所を抜き出す、まとめるなんてことはさらさらできない。それが、LDといわれるポイントでもあるし。出来ないのが真実なんだから、視点大はずれでもわけわからなくても出せばいい、という気持ちと、少しでも形にしないと恥ずかしい・・・という気持ちと・・・小学校の時から揺れ動いているのです。 では、手伝うとなると、資料一つ一つそろえるのもおかあ、提出の形式を考えるのも書くところを指定するのもおかあ、何で書くか、ボールペンかロットリングか鉛筆か・・・しまいに怒りで頭爆発!!が毎年のこと。中学になってやっぱり「恥ずかしい」という見栄と実際、間に合わないからおかあが手を出した・・・。でもおかあも自由研究は大嫌い。ひどい出来。先生は、「自分でやった」と思っただろうな。 入院してたぶうに、先生たちはさかんに「無理しないで。出来る範囲でいいんですよ」と言ってくれたけど、やっぱりお子さんが中学時代、入院を何度かした知り合いは「先生はそういうけど、でもどんどん試験はあるし、手加減はないのよ。安心して何もやらなくて低い点とっても『無理しないで、あせらないで』っていうけど、そのあとのことに何かしてくれる訳じゃないのよ。もちろん、体の回復が一番なんだけど、どんな状態でも出来る限りの努力はしなきゃ、と感じたよ」。 というわけでまあ、課題の表向きだけはそろえて登校。 入院中、千羽鶴をみんなからもらったからお礼を言うように、と言って送り出したら「千羽鶴もらったのぶうたろうだけじゃなかった・・・。その子と集会でお礼言ったの。他にも病気になって大変だった子もいた」。夏休み終わってみたら、大怪我した子、日常生活に制限が必要な病気になってしまった子等々いて、ぶうのようにコルセットの子もやっぱりいて、先生は学年集会で「みんな、この子たちに気をつけて、学校生活をサポートしてあげましょう」と言ったとか。ぶうはぜんぜん特別でなく、スタートしたのでした。 そうして、やっぱり情け容赦なくのっけからテスト。できない。ぶうたろうは追試組。『無理しなくていいけど追試よ』ってさ。 夏休みのだらだらのせいで、毎年のこと、夜寝ない、朝起きない・・・。しばらく体が戻るまで大変。しかーし、もう前期期末テストの範囲発表があり、勉強の計画表を提出しなければならない、しかーも、ぶうは英語の追試あーり。死ぬ程嫌いな「自分が読んだ良書、発表」の宿題あーり。本と名の付くものは、小学校2年か3年の時読んだ「いやいやえん」が最後。あわててこういう時の「芥川先生」だのみ。「蜘蛛の糸」買ってきましたよ。 9月、ビターにスタートです。 でも、部活にまた行けたのがうれしかったり、友達とおしゃべりしながら登校したり、楽しいこともまた復活。いろいろあるのが学校のいいところね。
2006年09月01日
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1

![]()
![]()