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昨日は今ハワイで人気うなぎ上りのイタリアン料理の店、「Buca di Beppo」に行ってきた。出来てまだ日も浅いのに、もう超人気!情報を聞きつけた家の会社から、突然取材に行ってくれとのお達しが出た。一人で行っても食いきれないからだんなを連れて行けとのご親切。何でもアメリカ本土でも人気爆発らしい。お店は最近ハワイの若者が集まるワード地区にある。新しいシアターやスタバが出来たワード・エンター・テイメント・センターの一階。うわぁーお店の前にはものすごい列。物にこだわるって事を知らない人達の多い、こののんびりムードのハワイでこのような列を作るお店って超めずらしい。一体どういう騒ぎなんだ???結局一時間待ちだった。やっと時間が来てお店に案内される。迷路のような廊下を歩く。壁にはぎっしりとヨーロッパのアート。まるでお登りさんばりにキョロキョロする。えっ?何かの間違い?厨房にどんどん通される。白い背高帽をかぶったシェフ達がじろじろ私達を見る。美味しいそうなピザがどんどん棚に並べられていく。料理を運ぶウェイトレス達と同じ場所に立つ。そう、ここではまずお客様を厨房に通すのだ。驚きぃ!席は満員御礼!熱気と活気で隣のお客さんの赤ちゃんが泣いてもうるさくも感じない。おーーっ!あれは何だ!周りのテーブルを見てびーーーっくり!お皿が枕の大きさ。(適当な例えようがない)とにかく目玉が飛び出そうにでかい。スモールとラージを選べるんだけど二人分だからとラージ頼んだら定員さんにやめとけば?とあっさり言われた。ハイハイ、やめといて良かった。スモールでもでかかった。うーーっ。とかくスパに腰の無いアメリカのイタリアンには珍しくオーダーしたアサリのスパは腰腰腰アリ!めちゃうまし。それにしてもお気に入りだったのが大のガ-リーック好きの私にはたまらないガーリック・ブレッド。大きさがピザ位ある。テーブルに運ばれた時、これはピザか?頼んでないぞ?と思ったほど。上に乗ってるすごい量のガーリックは程よくローストされて口の中でさくさく音がする。美味し~ほとんどは食べ切れなくてお持ち帰りだった。でも今晩も暖めて食べてます。うっ!まだいける。沢山写真撮ったんだけど仕事用なのでひとつだけ内緒で載せてしまおう!うーっ。これだけはどーしても見せたい!まだ日本人観光客は一組も見なかった。ハワイに行ったらイタリアン好きでなくても寄って欲しいお勧めでした。ガーリックブレッド
2002年03月31日
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同じく国際結婚をしているお友達から電話相談を受けた。家をこの度購入したんだけどハワイ市場ちゃんなら“オハライ”してもらう?「へーハワイは日本人多いから、そういうのあるんだ。でも…いくら?」「250ドル位」「それ位なら私もしてもらうかもしれない。ハワイは幽霊の話多いしさぁ。」ハワイは幽霊話めちゃ多い。例えば夜中にハイウェイ3を走ると昔の戦士達の行列を見るとか、その道路にある、同じ場所にはいつも水が滴り、多くの車が滑って事故をおこすとか…夜は絶対そこを走らないという人々も多い。あるコンドミニアムは幽霊が出る事で超有名。どこかって?あまり大きな声で言うとそこの経営に響くのでご希望の方だけに教えよう。ワイキキにも出るので有名なホテルもあるんだよん。でもそれは教えられない。何故って?観光客がそこに泊まらなくなったら旅行社が困るでしょー きゃー意地悪。ハワイの人はどのコンドミニアムに幽霊が出るかちゃーんと知っている。そういう噂は回るのが早い。しかし…日本から来る人達よ…気をつけなされ。そういう事調べてからコンドミニアムは借りましょう。「それでさーだんなが言うのよ。そんな事にお金出すのは信じられないって!」「それで?何て言ったの?」「それで…言い返したのね。あなたが新しい家の家具にお金を使う事が大切だと思う様に私にとってもそれと同じ位、“オハライ”ってぇーのは大切な事なのよって。」そうだよねーアメリカ人にはわからないよね。日本人にとっての“オハライ”の大切さって。まだまだ分からない事もあるみたいだ。「おばあちゃんが亡くなって3回忌に帰ったんだけどお盆、お彼岸と帰れない時お花を贈ったの。それで、その“オハライ”の話の後、だんなが不思議そうに聞くのよね。」「何を?」「日本の死んだ人はいいなぁーそんなに頻繁に思い出してもらえて…おまけに死んでもプレゼントを沢山もらえるのかい?」「???」そうだよねー。アメリカ人の彼にとっちゃー日本人妻の不思議な行動って感じかしら?家のだんなにも“オハライ”をどう思うか聞いてみた。“オハライ”の意味を説明すると…「それはアメリカでもこだわる人がいて神父さんにしてもらう事があるよ。でもお金なんか払わないよ、ディナーをご馳走する位だ。」ふーん。そうなんだ。今日は何か又ひとつ勉強になった。
2002年03月29日
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日本ではお財布の紐は奥さんが握り、だんな様はおこずかい制というのが一般的だと聞いた。しかしアメリカでは夫婦のどちらかが財布を握るという感覚はあまりないと思う。共働きの場合でも専業主婦でも両方が同じ口座のカードを持ち、必要な時にお互いが使う。現金をおこずかいとして渡すというのは滅多に聞かないからどちらが財布の紐を握るというもないと思う。どちらが請求書の管理をするかの決まりがあるくらい。それにアメリカでは現金を持ち歩く習慣がない。ATMでお金を下ろすとき人々は一度に20ドル~60ドルをおろすのが一般的。それくらいの現金しか財布には入れない。強盗にあったら困るから?それも土地によってはあるかもしれないけど、こちらは何でもカードで払えてしまうから現金は必要ない。日本で300円の買い物にカードを出すなんて滅多な事ではしないと思うけど、アメリカは平気。私は5ドル以上だとすべてカードで払う。カードと言ってもクレジットカードではない。銀行のキャッシュカードで預金の分だけ払うやつ。日本でも普及しつつあるそうだ。現金は現金しか使えないファーストフード系に行く時のために取っておく。家の財布の紐は誰も握っていないという事になるけど、お金の事では滅多に喧嘩にはならない。多分どちらも財布の紐は自分が握っていると思い込んでいるので無駄使いは出来ないからではないだろうか?だんだん預金が減ってくると責任のなすり付け合いはまぬがれないけど。夫婦喧嘩の原因はお金の事より誰がごみを出しに行くのか洗濯をするのかで喧嘩になる。これはアメリカ人夫婦全般がそのよう。アメリカ人の離婚の原因はほとんどが性格の不一致。喧嘩の原因になるのは浮気でもなんでもない、家事は誰がするか、昨日のごみが出してないのはなんでだ!みたいな事だ。日本一般の家事は奥さんがする、だんなはお手伝いをするだけという感覚はあまりない。そうここは男女平等の国、というか男が損する国。(だと思う)しかしアメリカ人の男性の中にも日本人の奥様と結婚して、いろいろ身の回りの世話を焼いてもらう事に憧れる人も多い。“芸者”と言う日本語はアメリカ人は結構知っている。古い日本映画を見てそういう感覚(間違った?)がついている。家のだんなもそれに騙された一人と言えよう。在米8年、顔は日本人でも中身はすっかりアメリカ人女性になってしまった私。8年前は英語で喧嘩に勝つなんてとんでもなく、言いたいことの半分しか言わなかったあの大和撫子、あのけなげな日本人女性の妻は一体どこへ行ってしまったんだぁーと思ってるに違いない…かわいそう。(--;)だってここでは強くならないと生きていけないんだもん。
2002年03月27日
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アメリカ人と結婚したら毎日ステーキを食べるのか?私も子供の頃からそう思っていたけど、実際はそうでもなかった。家庭によっても違うのかもしれないけど家の場合は野菜、鶏肉、豚肉、牛肉、その食べる比率は日本での食事とそう変わらない。違うのは料理の盛り付け方。日本の場合は多分小鉢とかにかわいく盛り付けたりするのだろう。サラダはサラダのうつわ、おかずはおかず用に別の皿、漬物は小鉢とか。コロッケと刻みキャベツ位は一緒にのせるとしてもだ。家の場合は一つのお皿に何でものせるあの、プレートランチみたいな方式。ご飯、お肉やお魚と野菜類が毎日一つの皿にのる。お汁がご飯に染みつこうがおかまいなし。ご飯の下の方が汁でびしゃびしゃになる。はしではつかめないからスプーンになる。えっまずそう?それは又それで慣れると以外に美味しい。最近じゃすっかり私もご飯に味がついてないと食が進まない外人の様になってしまいました。しかし、そんな私もはじめからはこうではなかった。長年の月日が私を変えた。皿は一人一枚使う方が一番楽ちん。(皿は機械が洗うのだが…一応入れる前にリンスする必要もある。)理由は色々あるけど一番大きな理由はやっぱり家のアメリカ人だんな。なぜだかどうしてもご飯とおかずを交互には食べる事が出来ない。昔は我が家も日本から持参したご飯茶碗があった。(今は猫の飯皿と化する)それとおかずも2.3品分けて出していた。そうするとだんなはまずおかずを全部食べる。そして次のおかずが入った皿を平らげる。最後にご飯だけが残る。ご飯を途中で食べろと言うと、ご飯をまず全部食べる。次のおかずを全部食べる。最後のおかずへと進む..というようにあれとこれを交互に食べてお口の中で混ぜ合わせるという事がどうしても出来ない。結局、一つの皿に入れた方がいろいろ一緒に食べやすいのかなと思ってこの形に何年も前に収まった。今ですか?一つの皿の中でまずサラダを全部食べる。次におかずを全部食べる。最後にご飯にふりかけをかけて全部食べる。結局同じだった。どうして野菜→おかず→ご飯→おかず→ご飯にならないんだ?全く何度言っても言った瞬間意識している時にだけしか出来ない。まあいいか腹に入れば栄養は同じ。うるさい事を言うだけ疲れるだけだ。
2002年03月26日
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今日は過去日記の再編集。一度読んだ方はすみません。明日又書きます。(-.-)Zzz おやすみなさい(ハワイ12:10Am)++++++++++++++++一ヶ月位前にだんなの友達が家にあるテントを借りに来た。キャンプ用で大きさは多分6畳間位の広さがある。てっきり週末だけのキャンプに使うかと思っていたのに2週間経っても返しに来ない。お気に入りの椅子も一緒に持って行かれたのでいつ戻って来るのかだんなに聞いてみた。「奥さんと喧嘩したからまだ今もテントに住んでるよ。」という返事。何でも奥さんと喧嘩して家を出た?追い出された?らしい。彼はディカプリオの背を高くして筋肉質にしたような人。あの人が奥さん(アメリカ人)と喧嘩してテントで暮らしている姿を想像すると少し笑える。しかし、そんな話しはどこにでも転がってる。アメリカ人のサバイバル精神にはすごいものがあると思う。カルフォルニアに住んでいる時にすごく驚いた事があった。私たちが新婚時代、狭いアパートに住んでいた時の話し。アパートの一階にはそれぞれの住人用にやっと車が一台入る位のぼろっちい、便所虫が自然と集まって来るようなガレージがあった。家はそこを物置きに使っていたんだけど、そこに3ヶ月間も暮らしたすごいサバイバル精神の持ち主がいた。その人はだんなの友達の友達で隣の州のアリゾナから突然来た。やっぱり奥さんと喧嘩して出てきたらしい。カリフォルニアで仕事を探すからしばらく泊めて欲しいという。私は生まれたばかりの赤ちゃんがいたし、知らない人だからそれは困ると言った。意見はだんなと一致した。ある朝、物置きから荷物を取り出そうとしてびっくり。そこに誰かが生活しているような跡があった。だんなに聞いてみた。「ごめん。君が怒ると思ったから言えなかったけど、ここならいいよと言ってあげたんだ」返す言葉もなかった。( ̄。 ̄;)奥さんと仲直りする迄の3ヶ月間そこで寝起きしていた彼のすごさに私は脱帽だった。アパート内にあるプールの鍵を貸してあげてそこで夜はシャワーやトイレも使っていた。彼の枕元に聖書が置いてあった事が記憶に残っている。あの暗闇で聖書を読んで神に何を誓ったんだろうか...?その彼は帰って直ぐ、アリゾナに家を買ったらしい。あの3ヶ月間のお金も私たちのガレージのおかげでしっかり貯金出来たからどうもありがとうとお礼を言われた。すごい!お金が無かった訳じゃなかったんだ。節約してたんだー!いやー本当にすごいな。しかしあの便所虫ガラージに寝ていった男はその後も二人いた。私が狭いから男は泊らせないと言う度に家のだんなは友達にあのガラージを紹介してたらしい。ある晩、なんだか家のだんなの行動がそわそわしていた。それで彼が寝た後こっそりと下に降りて行ってガレージを開けて見た。二人の男性が並んで寝ていたの見て思わずウッと声をあげそうになった。(゜O゜;急に開けられて驚いたのは彼らのほうかもしれない...(O.O;)(oo;)それにしても凄いなぁーと又感心。おい、おい、今回のハワイではテント貸しか?家のだんなも喧嘩したら多分あのテントを持って家を出るんだろーな。旅行の仕方を見てもアメリカ人って寝る場所にはお金かけない民族だと思う。しかし寝てしまえば皆同じ。その分美味しいもの食べたり貯金した方がいいのかもね。
2002年03月24日
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まだ私がだんなのガールフレンド時代からよく言われる言葉がある。“What ever makes you Happy”日本語でそのまま訳すると「何でも君を幸せにする事を...」となる。今日の日記はのろけではない事を前頭に置く。一瞬聞こえがいい映画の中の一こまのような言葉だけど、実は彼らにとっても都合の良い逃げ言葉なのだ。私は週に一体何回この言葉をだんなの口から聞くか数えきれない。今日家に注文していたベッドのマットレスが運ばれてきた。運ばれた後、良く見てみるとマットレスの角に汚れを発見。どうやら運ぶ途中に土の上を引きずって来たみたい。だんなが家に帰って、すぐさまこれは新品に換えてくれと頼むのがいいかそれともディスカウントしろって言うべきか聞いてみた。そしたらいつもの様に“What ever makes you happy”と優しく言ってきた。実際は私の耳に日本語で直訳されて「君の好きな様に決めりゃ-いいだろぅ どーせ俺が決めても結局は君が決めるんだろう?君が幸せな様にやってくれ」と聞こえてきた。まぁ..確かにその通り。結局電話して新しいのに交換してくれと頼んだ。もしくは私の話しさえ聞いてさえいなかったかもしれない。とりあえずこれを言っておきゃー問題ないだろうと言う事か...一般的にアメリカ人の男性達というのはデート中に何かと女性に答えを決めさせる。例えば食事に行く時でも“What ever you like”(君の好きなものなら何でも)とか..行き先を決めるにしても“Where ever you want to go”(君のいきたい所ならどこでも)とか..何でもかんでも決断を迫られて疲れる事さえしばしばある。日本人の感覚じゃ男のくせに何にも決められないのかぁーいい加減にしてよねっとなるかもしれない。しかしこれはアメリカのカルチャーの一つにすぎない。アメリカでは女性の意見がまず尊重される。特にデートなんかではまず相手の女性の意見を聞くのが親切や思いやりを示すという事になる。女性の意見を先に聞かずに勝手に自分の行きたい所は連れて行くような男はまずアメリカでは女性にもてないだろう。昔聞いた事がある。アメリカで彼氏を捜すなら日本人女性と付き合った事のないアメリカ人女性にたっぷり教育された男性を捜せと..その通りだと思う。余談だけど、アメリカ人もデートの時は男性がお金を払う。割り勘をする男はアメリカでもやはりもてない。よく日本人女性がアメリカ人は割り勘だからとデートの時にお金を出したがるけどそれは間違い。自分の彼ならご馳走様と言っておこう。そこは日本と同じである。(注:友人やお互いが学生の場合は別)私もこのようにすっかりと自分に判断が任される事に慣れてしまいましたが、恋人時代は文句を言わずに私の行きたい所に付いてきただんなもさすが8年目となると行きたくない所には行きたくないと言うようになりました。しかし一応毎回“Where ever you want to go”(君の行きたい所なら)とお決まりの様に聞きはするものの...これは多分自然に口から出てしまう様。しかしレディファーストと言うのはアメリカの男達は小さい時から叩き込まれてる。外では私はだんなの先頭を切って歩き、(後ろに回られるから自然と前を歩くはめになる)ドアを開ける瞬間だけはだんなが前にさささっと来て開ける。これだけは喧嘩の最中でも変わらない。多分体が自然に動くのだろう。今朝2歳の小さい息子が覚え立ての言葉で“Mommy open the door for you”と言ってドアを開けてくれようとしたのにはびっくりした。(重くて開けれないんだけど)こういうレディファーストに慣れきっているアメリカの女性達を将来落とすには今から練習しといて丁度いい位なのだろう...
2002年03月23日
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アメリカ人とのお友達やご近所付き合いの中でいつも感じる不思議がある。これはただ単に日本との習慣の違いなのだろうけど8年住んでるこのアメリカで未だになじめない事が私の中にある。例えば日本で...昨晩ご近所さんのお宅に呼ばれてすき焼きをご馳走になったとする。たまたま次の日に近所のスーパーでばったりと会う。そしたらまず昨晩のお礼から会話は始まるだろう。「あっ昨日は美味しいお料理をご馳走になりありがとう」とか、もしくは「昨日はどうも」の一言かもしれない、けど必ず何か一言はあるはず。しかし今までの経験上こういう会話はアメリカ人との付き合いの中で聞いた事はない。例えば昨日アメリカ人のお友達の誕生日だったとする。プレゼントを渡し中を開けずに別れたとする。次の日に会った時、普通なら昨日のプレゼントは好きかどうかの話しから始まるだろう。それもない。もらった事もまるでなかったかのよう。時々思い出して話し始める場合もあるけど、まれだと思う。まるで過ぎ去った日の事は全く振り返らず前だけを見て歩いているアメリカ人独特の性格を現しているかの様...。私も最近はアメリカ人のお友達に対しては一度その場でサンキューと言った後は次に会った時、2度目のお礼を言う事はしなくなりました。アメリカに住んでいる日本人同士の付き合いというのが日本人が非常に多いこのハワイにはある。いくらアメリカに長いからとはいえ、やはり日本人のお宅に呼ばれた場合は日本人のマナーとして後で電話をしてこの間はありがとう。とか、会った時には再度お礼を言うようにしている。でないと今時の人は...とかあの人は礼儀を知らないと言われてしまう。アメリカ式?日本式?はたまたどちらがいいのか悪いのか...。
2002年03月22日
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Don’t push my button.(私のボタンを押さないで)日本語でこれを英訳するとこうなる。英語での喧嘩の最中に相手にこれを言われたらまず黙って引き下がった方が良い。なぜなら日本語での意味合いは自分にとって一番やられるとむかつく事をやめてくれ..と言う意味、雰囲気的にはこうなる。体にいくつかのボタンが付いていてそのボタンは人によってそれぞれ意味合いが違う。その人の一番言われたくない又はされたくない事柄の一つ一つがそのボタンになっている。もし押してしまったらその人は切れる=怒るという反応を示す。私は多分10個いえ30個位ボタンがあってだんなはしょっちゅうそれを押しまくる。それで私が切れる事となる。しかし私のだんなのボタンは今まであまり解からなかった。性格が温厚なので切れる事は滅多にないからだ。しかし昨日“YOU ARE PUSHING MY BUTTON!”と言われてしまいました。理由は私が買い物から帰ってきた時、だんなが子どもをまだ寝せてはいけない時間なのに電気とテレビを消して寝かしつけようとしてた所を発見した所で始まった。コンピューターゲームがしたいから邪魔してくる子どもを寝かしつけようという作戦なのねと言ってしまった。違う!と反抗してきた時に止めとけば良かったんだけど珍しく怒っているのでちょっとしつこく言ってみた。顔が赤くなるほど怒って友達の家に遊びに出かけてしまいました。今朝はもう普通に戻っていたけど。経験上ボタンの少ない人ほどそのボタンの比重は大きいようだ。それに人によってボタンの意味って違うと実感。私ならこんな事では怒らないから...彼のボタンには触らないように気をつけよう。くわばら くわばら
2002年03月21日
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英会話でよく人を惑わすのが日本人のYesとNoの使い分け。これ日本語と全く逆になる。慣れるまで結構時間がかかる。しかし慣れてしまうと日本に帰った時、又日本語での会話で人を戸惑わせる。なんとも厄介。車の運転と全く同じ。左側運転席に慣れると日本に帰った時、指示器を出すつもりがワイパーを動かしてしまう。ついつい右側車線に出て、正面から車。隣に座る母も心臓発作を起こしそうになる。英会話のYesとNoを間違うと会話の中でこんな感じで相手が戸惑う事になる。 ここにラブラブのカップルがいる。彼は英語しか話せないとしよう。この彼の質問に対して首を縦か横に振って返事をしてみよう。あなたは彼が好きだという前提だと多分こうなる。Do you like me?(僕が好き?)あなたは首を縦に振って“Yes”うんYou don’t like me?(僕の事が嫌い?)多分、あなたは首を横に振って“No”ううん違う違う私はあなたが好きなのよぉと訴えたい。彼はあなたの気持ちを確認する為にこのように二度質問を変えてきいてくる。前者は問題無い。Yesの後に続くのはYes, I do.(はい 好きです)となるから。しかし、後者のNoの後に続くのは通常英語ではNo, I don’t.(いいえ 好きじゃない)となる。 No, I do like you.(いいえ 好きなの)という言葉は英語にない。よって、彼は最初にあなたに好きだと言われて、又嫌いと言われて一体どっちなんだよぉと戸惑う事になる。だからYou Don’t like me?と聞かれたらYes,でもいいし、Yes,I doやYes,I do like youと言えば強調されているから彼もさらに喜ぶ事となる。アメリカ人が英語がよくわかってない日本人に質問をする時、同じ質問を言葉を変えて理解しようとする場合が多々ある。しかし答えは更にわからなくなるだろう。上記はラブラブカップルの会話。家の場合は普段の生活の会話でこういう誤解が多かった。例えば明日は一緒に買い物に行く予定だけど、だんなはあんまり行きたくなかったとする。でも私は行って欲しい。Is that ok if I don’t go shopping with you tomorrow?(明日一緒に買い物に行けなくてもいい?)と、聞かれたら私は Is that ok(いいかな?)に対して答える事になるので No, that isn’t ok.(いいえ、それはよくない)と言えば良い。しかし、もし彼がI don’t go shopping with you tomorrow.(僕は明日買い物に行かない。)と言ってきたら?No,(駄目)と答えると相手は戸惑う。いいえ、行かなくてもいいと言う意味にも取れるからだ。Yes,you do (ハイ、あんたは行くの!)で答えは正しい。英語にはイイエ、あんたは行くのという言葉はない。と、言うようにハイとイイエの使い分けには首をかしげてしまう事が多かった。だんなもだんなでしつこいほど聞き返して来る。何故なら答えを聞き間違えて買い物に行かずに遊びに行ってしまうと後で血の雨が降る事になるからだ。くわばらくわばら。前のページ(離婚)
2002年03月19日
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今日はめちゃめちゃ寒かった。風邪がぴゅーぴゅー吹いてまるで日本の10月末位の感じ。思わず皮のジャケットを取り出したくらいだもん。さすがに今日はワイキキで泳いでいる人も少なかったな。昨日はソラ・ボールという焼肉屋に行った。今月のアンアンにも紹介されているけど、ここは本当に人気がある。それにしてもアンアンの今回の情報には脱帽した。それほど情報が正しいという意味だ。焼肉屋は「ソラ・ボール」と「兄弟」が載っていたけど、「兄弟」が載るのはびっくり。どう見ても観光客が行く雰囲気の店ではないけど味は地元では確かに一番人気。この情報提供はきっと地元の会社だよねぇーと友人と話していた。それにしてもエッグスン・シングスはいつオープンするんだろう?毎日、今日はあいてるのかなぁーとチェックするんだけどまだみたい。あれが無くなって寂しい人は沢山いるだろうな。今日はなんだか手抜きな日記になっちゃいました。ハワイはもう真夜中の1時、、おやすみなさい。
2002年03月18日
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結婚カウンセリングってアメリカ人は結構お気楽に利用する。日本ではまだよっぽど精神的に病んでいる人とか離婚前提というイメージがあるかもしれないけど。カルフォルニアに住んでいた頃、アメリカ人の女友達がある日泣きながら家に来て、今から結婚カウンセリングに行くから付いて来て欲しいと言う。カウンセリングなんて精神病の人が行くものだと思っていた私はよっぽど彼女の身に大変な事が起こっているんだと思った。よくよく話しを聞くと彼女のだんなさんがトイレにインターネットでプリントした巨乳の裸の写真を隠していたらしい。それを見つけた彼女が半狂乱になって家にやってきたのだ。彼女は大学院を出た金髪美人の才女。そんなアホな理由でカウンセリングに行くなんて信じられない。しかし、彼女の頼みだから取りあえず行ってあげた。そこで又こんなアホな話しを真剣に聞くカウンセラーにも驚いた。私は彼女のだんなは通常の男だと思ったけどカウンセラーは完全に彼女の見方。だんなが100%悪いみたいな話しぶり。これ以上Hな写真を見続けるようならこちらに連れて来いの勢い。一体どーなってんだこの国は...しかし彼女は帰りは満足そうな微笑みでさっきの涙はどこへやら。次の日は仲良く夫婦で遊びに来た。そう、カウンセラーは立派に仕事を全うしたのです。カウンセラーってのは話しをふんふんと聞くだけで実は問題は直接には解決はしてくれない。ただひたすら聞き、何気にアドバイスをくれる。あんたが悪いとも決して言わない。もし、彼女のだんなの方がカウンセラーに行っていたら全く逆の事を言っていたに違いない。何故こんなに詳しいかって?彼女の次にしょーもない理由でカウンセラーに行ったのは私だから(笑)だんなの脱いだ服は脱ぎっぱなしにも腹が立っていたけど、それだけじゃなかった。あまりの忙しさからのストレスもあり、当時は私自信悩みが多かった。慣れない土地、フルタイムの学生&主婦だった多忙の私は精神的にもかなりまいってたと思う。カウンセラーは人が聞くときっと笑うようなしょーもない悩みを真剣に聞いてくれた。その時私がカウンセラーに言われた一言を今でもよく覚えている。「だんなの脱いだ服はかたずける必要はありません。目にとまってうざいなら彼のクローゼットに全部突っ込んどきなさい。汚れ物ばかりで着るものが無くなれば自分で洗濯しますよ。家もそうです」と男性のカウンセラーに言われた。どう見ても頭のよさそうなこの人も汚れた靴下を奥さんにクローゼットに投げ込まれてるんだと思ったらなんだか胸がすうっーーーとした。まさに目からうろこ状態。結局、私も上機嫌で家に帰り、だんなのそこら辺に脱ぎ捨てた服は時間のある時はかたずける、ないときはクローゼットに投げ込むという方式で問題はあっさりと解決した。忙しいのに全部完璧にこなそうという無理からストレスが重なり、実際は人から見れば大した事でもないのに当人には大袈裟に思える事があるんだと実感。カウンセラーは悩みを聞くプロ。話し手が言って欲しい一言を良く心得てらっしゃる(笑)しかしこうしてカウンセリングが充実していると言う事は良い事だと思います。アンガーマネージメントと言ってすぐ怒るタイプの人への教育のクラスなど気軽にみんな利用しているみたいです。実はアンガーマネージメント受けてみようと密かに思っている。怒らないで人生過ごせたら本当にいいですよね。
2002年03月17日
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昨日食事中だんなと口論になった。理由は昼間私たちが働いている間、どこへ息子を預けるかという事。今、ホーム・デイ・ケアと言って特別教育を受けた主婦の人達がそれぞれの自宅で子どもの世話をするプログラムに参加している。参加といっても無料ではない。月に500ドル近く払っている。今まで預かってくれていた人が急にイタリアに転勤する事になったので今月中に新しい受入先を捜す事になったのだ。良い受入先を捜すのは本当に大変。100人位いる中で捜すんだけどいい人は大抵直ぐに定員オーバーとなる。預かる側にしてみれば結構お金になる仕事なので、子どもを預かるのに向いてない人、例えば基本的に子ども好きでない人もたくさんこの仕事に就いている。自分に赤ちゃんがいて基本的に外に働きに行けないからこの仕事を選んだ人も多い。私が思うにいいデイケアを見つける事は石の山からダイヤの原石を見つける位難しい事だと思う。子ども好きだからこの仕事を選んだという人。そういう人はたいてい子どもからも好かれる。子ども自体がその家に行きたくなければ毎朝、親は本当に辛い思いをする。だからこれは基本。その人が今預かっている子どもの態度を観察するとたいてい良い人はわかる。子どもの笑顔ほど正直なものはない。私が苦労して見つけてきた合格点のデイケアにだんなが文句を付けてきたのが喧嘩のきっかけ。なぜなら私たちがバケーション中、子どもを預けない間も変らずお金を払わなければならない事が契約に書かれていたから。例えばこの夏、日本に一ヶ月行ったとする。それでも月500ドルを払わなければいけないというのがだんなは気にいらない。もちろん私もそれは気に入らない。今までのデイケアには払う必要がなかったんだし。しかしそれでも子どもが良いデイケアにいけるのならそんな事は私にはどうでもよかった。自分も毎朝子どもを送り届ければわかるだろう。喜んで行ってくれるなら多少の出費は大目に見たい気持ち。そのうち、2歳の子どもに“Cut it out!”(いい加減にやめろ!)と言われて反省...しかし一体この言葉どこで覚えてきたんだろう?やっと最近まともに言葉を言えるようになった息子の口から初めて聞いた言葉でした。子どもって頭の中に単語をため込んでるのかな?来月から新しいお家になじめるかなぁ-と息子以上に不安な私です。
2002年03月16日
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あれは6年前ハワイから初めてカルフォル二アに引っ越した時でした。日本とハワイにしか住んだ事の無かった私にとっては本当にカルチャーショック。とにかくアメリカ本土ってすごく恐いイメージが私の中にあった。実際そうだった。テレビのニュースを見ても人殺しは毎日のようにある。直ぐ近くのハイウェイではまるで映画の中の出来事のようなカーチェイスが実況中継されて肝がちぢみあがりそうだった。基本的に治安の良いところに住んでいたけどそれでもやっぱりハワイとは全く比べ物にはならなかった。治安の良い地域とそうでない地域はきっちりわかれている。その地域には近づかない方がいい事は言うまでもないけど、そこを通らなければ行きたい所へたどり着けない時は仕方ない。始めはどこが安全でないのかはっきりわからないから一人で行動するときはどこがあぶない地域なのかを必死に調べたりしていました。けど住んでいると場所を見ただけで自然にわかるようになってくる。周りの建物をまず見る。民家の窓に鉄の柵、周囲のお店のシャッターが鉄製だったらその地域はまず気を付けた方が良い。車からは降りないで車の鍵はしっかり閉める。しかしそういうところで信号で止まると心臓にめちゃめちゃ悪かった。今思うと要所さえ押さえてればそう怖がる事も無かったんだけど。新しい土地の悪い面ばかりが目に入っていた私は何を比べてもハワイが良く見えた。だんなと喧嘩するたび荷物をまとめてもうハワイに帰る!って泣いていた覚えもある。カルフォル二アに引越ししたのは大学に行くという自分の意志もあったけど新しい学期が始まるまでの何ヶ月か家にボーーーっと一人でいる時期があってそれはそれは気が狂いそうだった。カルフォル二アのハイウェイって最低の速度が80キロ近いんだけど100キロ以上のスピードで5車線をすごい勢いでついていかなければいけないから運転が超恐かった。恐ろしいスピードで右から左からどんどん車は入って来る。ここでぶつかったら絶対“おだぶつ”だろーなーって感じで一人で運転するなんて自殺行為だと思った位。そのうち学校に通うようになると一人で車を運転して平気でどこででも行けるようになった。もう恐いものなしっていうか殺られたら殺りかえす勢いの度胸が付いていった。自分の身は自分で守る位の度胸もあったし、何が安全で危険なのかを見極める力、安全な行動の知識が自然に身についていったのかな。ハワイでは今いちだった英語も身についたしあの4年間は人間成長の年でもあったと思う。特に夕方からは周りの状況にはいつも目を配る。怪しい人が駐車場にいたら車に戻るのをやめて店に引き返す。車は出来るだけ店の前に停める。店を出るときは鍵をもう手に持ち、車にさっと乗り込んだら鍵はすぐに閉める。信号待ちで怪しそうな車の真横には止まらない。そういう事がごく自然に出来るようになると生活はどんどんと快適になっていきました。学校内に警察の車が巡回しているのにも驚いた。学校の中にポリスステーションがあるのもびっくり。なんでも校内でレイプなんかもあるらしい。おー恐い!それで夜のクラスがある時は出来るだけ人が帰るときに一緒に車まで戻ったりして気をつけていた。要請すれば学校が車までガードマンをつけてくれるらしい。それも驚いた。日本から来たばかりの男子留学生から一人で夜道を歩いても平気だよって聞いた時には“この人よくわかってない”と思った。普段気をつけている女性達より男性の方がよく殺されてるんだよとは言えなかったけど、ひとりでダウンタウンは歩くのはやめたほうがいいよとは言ってあげた。あーでもハワイはやっぱりいいわぁー!ニュースをあまり見なくなりました。だって毎日驚くようなニュースってないんだもの。平和なんですね。今日が何曜日かも忘れてしまいそうになる所です。ここは楽園ですねぇー。
2002年03月15日
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昨年ハワイの我が家に妹夫婦が遊びに来た。妹には3歳の息子がいる。驚いたのは彼はたった一週間にも満たない滞在中に思い切り英語を覚えた事。子どもの言葉を覚える速さって本当に凄い!と感心させられました。凄いっていうのは発音。何年も外国暮らしの私を追い越す勢いの発音をたった5日間の滞在の幼児がやってのけるのだ。“NO”なんて“ノー”ではない。“ノァウ”だ!日本に帰った今でもたまに出るらしい(笑)家の息子は2歳なんだけど日本語は全然駄目。私が仕事を持っているから1歳からすでに昼間はデイケアで英語。帰るとダディと英語。私が日本語で話そうとすると“What Mommy?”と言われる。毎日今日こそは何を言われても日本語で話そうと決めても“What?”としつこく言われて、結局英語で説明してしまう悪循環が続いている。しかし最近は諦めモードの私。言葉で意志の疎通の出来ない訳わかんない二人の子どもが遊びたい一心で会話をする。これがすごい威力を発揮した。相手が何を言っているのか知りたい!これは大人にも子どもにも共通するんだね。まるで好きな彼や彼女が何を言ってるか知りたくなるみたいに。多分それは学校のお勉強の10倍の勢いで英語が頭にはいるのだろう。8月に日本に一時帰省する予定なのでその時に息子は今度は反対に祖父母やその従兄弟からすごい勢いで日本語を学ぶ事は間違い無い。今心配しなくてもいいんじゃないかと思っている。日本語は日本に行く事になってからでも遅くはないだろうと信じる私。(言い訳)こちらの学校でも発音はすごく重要。ネイティブの子供たちすら発音が悪い子は特別クラスに入れられる場合がある。親が英語以外を話す子どもはそういう特別クラスでお勉強する可能性が高いと聞いた。だから母国語をきちんと頭に入れてもらおう!(又言い訳)実は家と違って(泣)私の周りの日本人の母親とアメリカ人のお父さんの子供たちはちゃーんとバイリンガルになっている。しかぁーし!私の知っているその日本人の母親達は皆、専業主婦だ。昼間家では100%子どもと日本語で接している。ハワイには英語があまり話せない日本人が多いのも確かなんだけど。家では100%日本語、外では英語ときっぱり分けるのが子どもをバイリンガルに育てるコツみたいですね。これは日本人の子どもをバイリンガルにする場合にも使えそうですね。英護圏と日本語圏の子供たちを一緒のクラスに入れて遊びながらお互いの国の言葉を覚える英会話教室は日本にあったらなんて楽しそう!子供たちの英会話は見る見るうちに上達しそう。今日は日本語を話せなくなりつつある息子への言い訳日記になってしまった。今日からは何度“What mommy?”と言われてもめげないぞぉー!
2002年03月12日
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アメリカのスーパーマーケットで始めすごく驚いた事があった。商品をお金を払う前に店の中で開けて食べたりする人が結構いる事。大抵は子ずれの親が買い物途中にぐずる子供の口封じにお菓子を開けて食べさせたりするんだけど、周りの人も別に気にもしないみたい。親の中にはお金を払ってからねと言い聞かせる人もいるみたいだけど。そんな事日本でやったら誰かに通報されそうだよね。でも子供のしつけに関してはアメリカでは少し日本とは事情が違う部分もある。スーパーだけでなく、レストランや公共の場所では子供は走ったり声を上げたりしないように厳しくしつけられる。周りの人もマナーの悪い子供の母親を何を教えてるんだと冷たい目で見る。だから親も必死。アメリカのスーパーやショッピング・センター内では小さい子供が走る姿はまず見たことがない。子供達は公共の場所で声をあげたり走らないように厳しくしつけてあるし、親も決して子供をショッピングカートから降ろしたりしない。もし泣き叫ぶ子供がいたら外であやして又戻る。あたりまえの事かもしれないけど徹底している。だから4歳位の結構大きい子供がベビーカーに乗っている姿をアメリカで見かけたときは始めは不思議だったけど、あれは子供が走り回らないようにしばりつけているのだ。子供がベビーカーから降りたがって泣く姿も滅多に見ない。細胞の出来が違うのだろうかと思えるほど。レストランでもアメリカの子供はおとなしい。どうやってあんなにおとなしく座れるのか信じられないくらい。気を付けなければいけないのはフォーマル系のレストラン。間違って子供を連れて行くと、人々のものすごい冷たい視線を浴びるはめになる可能性がある。他のお客さんは高いベビーシッター代を払ってきてるのにどーして他人の子供と一緒に食事をしなきゃならないの!子供から離れたいのよ!って感じ。別に席が同じ訳でもないのに。横須賀の海軍基地に住む友達からこういうことを聞いた事がある。基地の中にスーパーがあるんだけどそこで走り回る子供の母親はほとんどが日本人なんだそうです。アメリカのお母さんはどんなに泣き叫んでもカートからは子供は降ろさないし、又子供も泣いても降ろしてもらえないことがわかってるからおとなしく座ってるらしい。ハワイはまだ子供に優しい国だと思うけどアメリカ本土旅行の子ずれ旅行は冷たい視線を浴びない様に気をつけて下さいね。知らない人も平気でこちらに注意してくるから怖い。スーパーでは大人ものどが渇くと売ってる水を店内で飲んで空のボトルをレジに持って払う人もいる。これは私もやってみたけどやっぱりどきどきした。
2002年03月11日
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オレゴンの主人の祖父母が「本当に最高の旅行でした」という言葉を残して帰っていきました。いつものごとく早起きも出来なかったけど何ヶ月でもここにいてもらっても良いと思ってました。アメリカ人の滞在スタイルってお互い自分の生活を訪問者の為に特に変えない所が長期に渡って気持ち良く滞在出来る秘訣かなとも思う。私もだんなの実家に行くときは一ヶ月位滞在しますが全然お姑さんと嫁という感覚はない。向こうも気を遣わないしこっちも同じだから。お客様が来ると普段寝ている自分達のベッドを例え自分達が床に寝る事になっても彼らに使ってもらう。これがアメリカ流の親切だと思う。客ぶとんってのはアメリカにはないし。(まぁ今、私の背中と腰は筋肉痛なんだけど)さて、本題に入りますがオレゴンの祖父母の家を訪問したのは6年前。それが私の初めてのアメリカ本土の旅でした。オレゴンは自然が多くて山の幸、海の幸、両方の食べ物が美味しい所です。海からしゃけが上がって来るし、カニがたくさんいる。山にはシカが沢山いて猟のシーズンにはトラックに仕留めたシカを乗せて走る姿もよく見る事が出来る。道路にはシカがいきなり飛び出して来る事もある。なんたって大のカニ好きな私はオレゴンに行ったら絶対に思い切り食べようと心に決めていた。祖父母の家の近くにはカニがうようよ住んでいるの。夏にはつかみ取りも出来るらしい。冬に行った私は夏だけしかつかみ取りがないと知ってがっかりしたけど、だんなに海沿いのレストランに連れて行ってもらって養殖のカニを6匹買った。一匹6ドルだったから激安ぅ-と感動していたんだけどシーズンはもっと安いそうです。うきうきしてそのカニを祖父母の家に持っていくと早速みんなで食べようと言う事になった。カニを暖めてほかほかの状態で甲羅をぱっかり開けると黄色いカニ味噌がたらたら流れてきてそれをちゅるぅーとすすりながら食べる...。うきうきって感じ!鍋にお湯を沸かしだしたらお婆さんが「それは冷たいままで食べれるのよ(英語で)」と言った。その頃はまだ私も思いっきり気を遣う人間だったから自分で「いいえ。私は暖めて食べます」とは自分で言えなくてだんなに横目でいつも合図して自分の言いたい事を言わせていた。それでだんなにいつものごとく頼んだ。だんなは「なんだ?暖めて食べたいのか?」って大きな声で言うもんだから「しーーっ!声が大きい、私がじゃなくてあんたが食べたいって言ってね。お願い!」。とにかくやっと私のカニだけは電子レンジで暖めてもらえる事になった。ほっかほかのカニをお婆さんが取り出して親切に割ってくれた。(あっ。自分で割りたいと少し思ったけど)カニの甲羅の中には美味しそうなカニ味噌が湯気を立てていました。お婆さんが水道の蛇口をひねった時、嫌な予感が...。カニ味噌を奇麗に洗い流し始めました。私はとっさにだんなを捜したけど隣の部屋でお爺さんとテレビを見てたから、とても私の気持ちを伝えてもらう暇もなく、足の付け根に付いた少しの黄身色も真っ白白にしてくれました。( T_T)白くて淡白な味のカニも美味しかったけど...。夜、ベットの中で泣きながらだんなにカニ味噌が食べたかった事をだんなに話した。(今思うと泣く事もなかったけど)次の日は疲れからか歯茎が腫れてきて歯医者で思い切り痛い思いをした。本当に最悪。今思うとあの頃はまだまだ無口な日本人女性だったんだ...。今なら「お婆さん!カニ味噌は私の命だからすすらせて」って迷いもなく言えるのに。私もすっかりはっきり自分を主張出来るアメリカ人に近づいて来たのかな?今度オレゴンに行く時は夏に行こう。そして思い切りカニを採って食べたいと思います。もちろん茹で立て!
2002年03月08日
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【ハレクラニ・ホテル】今日は仕事関係のミーティングでハレクラニ・ホテルのアフタヌーンティーに行った。ここって本当に素晴らしい。つかの間のリッチ気分になれる。アフタヌーンティーは20ドルで飲み物とケーキが付いてくる。がらがらとワゴンに乗って運ばれてくるショーウィンドウから3つ選べる。うっかりすると4つ言ってしまうくらいどれもこれも美味しそう。おまけにこのロケーション。うっとりするくらいリラックス出来る。この中庭ではウェディングも行われる。中庭の向こう側にこのティールームはある。アフタヌーン・ティー・タイム以外は談話室として使われる。ハレクラニ・ホテルのオフィシャルリンク
2002年03月06日
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【ドール・プランテーション・ハワイ】今日のホノルルはお天気が悪くて雨だったけどオレゴンからの祖父母をドール・パイナップル畑へ連れて行きました。ワイキキから車で約30分、ノ-スショアに向かう途中左手にある。今日は日本からの観光客を含めて、お店の中は歩く場所も無い位に人々で一杯でした。実はここには世界一大きいと言われる迷路がある。今日は雨で入れない人々がこの小さなお店に集まり一杯になっているみたい。外には迷路を始めパイナップルの育つ過程が見られる畑がある。お店に入るとハワイのお土産やなぜかドールのマークの付いたキティちゃん製品が置いてあったり。とにかくパイナップル関係の食べ物やお土産がたくさんある。しかし、やはりここのお薦めはやっぱりフレッシュなパイナップル!アイスクリームもお薦め。フレッシュなパイナップルジュースから作られるこのパイナップルのアイスはとっても美味しい!それになんてったって激安なのだ。下の写真で食べてる豪快に半分に割ったパイナップルはなんと2ドル50セント!ちょっと寒かったけど、グランマもグランパも大喜びだった。ドール・プランテーションのオフィシャルサイト
2002年03月03日
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アルバム名:オレゴンからのお客様日時 :2002年2月28日オレゴンから主人の祖父母が10日間の予定でやってきた。ここは私のお料理の腕の見せどころ!今日は私のパシフィック・キュイジーヌ(ハワイ産の新鮮な材料と使い、ヨーロッパとアジアンのテイストをミックスしたお料理)に挑戦した。私のお得意は料理ブックに頼らず自分の感と舌で料理を作る事。★ベイクド・サーモンのホワイト・マンゴソースレシピ:4人分-適当に味を見ながら作るのがコツ。所要時間:約30分で4人分材料はサーモン4人分、ガーリック3かけ、生クリーム(一番小さい箱で十分)、バター、チキンスープの素、塩、砂糖少々、白ワイン、ブロッコリーニ房マンゴ1個(まだ少し青いもの)、粉末ガーリック&ハーブ①フライパンにバターを大さじ2杯ほど溶かす。②あらかじめ塩、粗びき胡椒をまぶし、その上に刻みガーリックを乗せておいた4切れのサーモン(一切れの大きさは適当)を溶けたバターの上で中火でふたをしながら焼く。(途中で一度返す)③その間にソースを作る。刻んだ生のマンゴをバターで炒めてやわらかくなったら白ワインコップ一杯とチキンスープの素ひとかけを入れて、更に生クリームを適当に加えて混ぜる。(煮立ってきたら弱火にして吹き出さないようにする)④最後に味を見て足りないようなら塩や砂糖を少し足す。(天然の塩が美味しい)⑤お好みで粉末ガーリックやハーブをいれる。⑥皿に焼いておいたサーモンをのせ、上からソースをかける。⑦横に電子レンジで少し水をかけてから3分チンしておいたブロッコリーを飾る。注:サーモンは焼きすぎないようにね。後、ソースの塩はサーモンに付いた塩味も計算して入れてね。大成功!!私の株が5段位あがりました!結果は残さず平らげてくれました。ちなみに今日は小麦のビスケット(パンの一種)、そしてデザートは手作りブレッドプリンでした。アメリカ人をもてなす時は食後のデザートと暖かい飲み物は決してはずせない!
2002年03月01日
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