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牛丼に山椒をかけるとおいしいですよChikirinの日記「下から7割の人のための理科&算数教育」http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225このエントリーの趣旨は「全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」という一文によくまとめられていますリテラシー(英: literacy)とは、 もともとは書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力、しかし、現実には日本語の識字率と同じ意味で使われている。 なお、Japanese Englishでは何らかの表現されたものを、適切に理解・解釈し、分析し、また記述・表現する様な意味に使われている。(wikipediaより)だそうで、科学的に関する情報を、正しいかトンデモかを見抜く技術のことなのだと思います理科分野に関して、ボクは彼女…女性ですよね、彼女のいう理系3割に入っている人間だと思っていますどのくらい理系3割かというと、2・3・7・8テトラクロロジベンゾフランと聞けば、ああダイオキシンだなと分かり、ヒガンバナと聞けば別名マンジュシャゲorヒガンバナorシビトバナなどの別名があり、日本のものは染色体が3倍体で不稔性(種ができない)、根っこにはリコリンという毒(アルカロイド、だっけ?)を持つが江戸時代には救荒植物として食用にもしたということを覚えていて、シセンレッサーパンダとネパールレッサーパンダを見分けられるレベルですカンニングしないで書いたので、間違っているかもしれませんが理系バンザイ無理なんじゃないでしょうか、トンデモ説をトンデモと見抜く技術を義務教育で教えるのはトンデモ説は、正しい新説と共に絶えず発生していますコンピューターウィルスみたいなもので、ワクチンソフトがウィルスパターンを更新しないと危険なのと同じで、絶えず知識の更新が必要ですで、情報の更新をどうしますかって話なんですけど、政府広報、その情報、信用できますか?大学教授や専門家、そしてマスメディア、信用できますか?まあ全く信用できないとはいいませんが、鵜呑みにはできませんかといって、自分でその実験・観察を行うのは、まず無理ですそこでボクのおすすめは、本です本って、本の著者は信用できるの?そうでしょそうでしょうともごひいきの著者は別として、よく知らない著者の場合、信用の質(しち)とするのは著者ではなく、数ですまず3冊、知りたい分野について3冊読みますたとえば放射線の危険性について知りたいとしますと、東北地方太平洋沖地震より以前に書かれたものがいいです「原発はいらない」みたいな、あるいは「これからは原発だ」みたいなタイトルの本は避けますそういう本を3冊読んで、3冊とも同じことを書いてあれば、まずまあそういうものだろうと、思ってもいいと思うんですその中に1冊、違う説を唱える本があれば、もう2冊最初の2冊+追加の2冊が同じ説であれば、まあそんなものかと追加の2冊でも結論がぶれるなら、世間では定説が定まっていないんだなとそんな感じで情報を入手・更新していますこれがボクの科学リテラシーですリテラシーのリテラシー、科学情報の真贋を見極める方法の方法です先に「そんなものかと」と書きましたが、「一応」納得する、その情報の正誤について意見は持つけど態度は決めないという姿勢が大事です情報を固定しないで、柔軟に更新していく科学の情報に関しては、そういうことが大事なんじゃないかと思いますだってね、ボクが子供の頃には、恐竜ってでっかい爬虫類だって教えられたんですよ今じゃ鳥類だってのが定説だと思いますよ卵と一緒に見つかったオビラピトルは「卵泥棒」っていう意味で名づけられたのに、あれは抱卵をしていたというのが現在の主流の説です科学に限らず、情報の真贋を見極めるには、近道はないと思います近道をしないで、地道に自分の中の情報を更新し、蓄積することが必要なんじゃないでしょうか義務教育でその技術を獲得するのは、無理です以下、余談ながらもし、義務教育でそれが習得可能なら、江戸時代の人でもその教育を受ければ、習得できるはずじゃないですか、科学リテラシーでも江戸時代の人が、原子炉事故の情報を正しく評価できるわけないです科学リテラシーは、1回勉強しただけでは習得できませんただ、情報が正しいことを見抜くことではなく、これは眉唾ものだぞと、疑う方法はありまして、その1:話に矛盾があるたとえば「低カロリーでヘルシー」です健康のために必要なのは、第一に「生きている」ためのカロリーですこれをいう人は、健康というものを理解していない人ですその2:定量的でない定量的というのは、数値と単位のことだと思ってくださいその扱いが雑だったり、そういう話をしない人は、疑うべきです忘れません東海地方太平洋沖地震のとき、政府発表で管直人さんだったと思います放射線量の単位を、正しくは「マイクロシーベルト」というべきところをね、「ミリシーベルト」と言ったんですねボクの体重が60キログラムならなんでもありませんが、60トンだったら怪獣です総理自身が理系でないのはともかく、それをその場で訂正する人もいない、つまり主要なスタッフにも理系がいない内閣であることを露呈したわけで、その話は眉唾だと思いましたということで道草、銀座の路地銀座はね、表の華やいだ道もいいんですが、路地や建物の隙間にも抜け道があって、いいです一方最近、八重洲界隈は再開発がゴリゴリと進んでいて、こういう空間が失われています経済活動の結果として失われるのは、仕方ないと思いますが、都市計画として失われるのは、残念です素敵なのになあ牛丼に山椒をかけるとおいしいですよChikirinの日記「下から7割の人のための理科&算数教育」http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225このエントリーの趣旨は「全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」という一文によくまとめられていますリテラシー(英: literacy)とは、 もともとは書き言葉を正しく読んだり書いたりできる能力、しかし、現実には日本語の識字率と同じ意味で使われている。 なお、Japanese Englishでは何らかの表現されたものを、適切に理解・解釈し、分析し、また記述・表現する様な意味に使われている。(wikipediaより)だそうで、科学的に関する情報を、正しいかトンデモかを見抜く技術のことなのだと思います理科分野に関して、ボクは彼女…女性ですよね、彼女のいう理系3割に入っている人間だと思っていますどのくらい理系3割かというと、2・3・7・8テトラクロロジベンゾフランと聞けば、ああダイオキシンだなと分かり、ヒガンバナと聞けば別名マンジュシャゲorヒガンバナorシビトバナなどの別名があり、日本のものは染色体が3倍体で不稔性(種ができない)、根っこにはリコリンという毒(アルカロイド、だっけ?)を持つが江戸時代には救荒植物として食用にもしたということを覚えていて、シセンレッサーパンダとネパールレッサーパンダを見分けられるレベルですカンニングしないで書いたので、間違っているかもしれませんが理系バンザイ無理なんじゃないでしょうか、トンデモ説をトンデモと見抜く技術を義務教育で教えるのはトンデモ説は、正しい新説と共に絶えず発生していますコンピューターウィルスみたいなもので、ワクチンソフトがウィルスパターンを更新しないと危険なのと同じで、絶えず知識の更新が必要ですで、情報の更新をどうしますかって話なんですけど、政府広報、その情報、信用できますか?大学教授や専門家、そしてマスメディア、信用できますか?まあ全く信用できないとはいいませんが、鵜呑みにはできませんかといって、自分でその実験・観察を行うのは、まず無理ですそこでボクのおすすめは、本です本って、本の著者は信用できるの?そうでしょそうでしょうともごひいきの著者は別として、よく知らない著者の場合、信用の質(しち)とするのは著者ではなく、数ですまず3冊、知りたい分野について3冊読みますたとえば放射線の危険性について知りたいとしますと、東北地方太平洋沖地震より以前に書かれたものがいいです「原発はいらない」みたいな、あるいは「これからは原発だ」みたいなタイトルの本は避けますそういう本を3冊読んで、3冊とも同じことを書いてあれば、まずまあそういうものだろうと、思ってもいいと思うんですその中に1冊、違う説を唱える本があれば、もう2冊最初の2冊+追加の2冊が同じ説であれば、まあそんなものかと追加の2冊でも結論がぶれるなら、世間では定説が定まっていないんだなとそんな感じで情報を入手・更新していますこれがボクの科学リテラシーですリテラシーのリテラシー、科学情報の真贋を見極める方法の方法です先に「そんなものかと」と書きましたが、「一応」納得する、その情報の正誤について意見は持つけど態度は決めないという姿勢が大事です情報を固定しないで、柔軟に更新していく科学の情報に関しては、そういうことが大事なんじゃないかと思いますだってね、ボクが子供の頃には、恐竜ってでっかい爬虫類だって教えられたんですよ今じゃ鳥類だってのが定説だと思いますよ卵と一緒に見つかったオビラピトルは「卵泥棒」っていう意味で名づけられたのに、あれは抱卵をしていたというのが現在の主流の説です科学に限らず、情報の真贋を見極めるには、近道はないと思います近道をしないで、地道に自分の中の情報を更新し、蓄積することが必要なんじゃないでしょうか義務教育でその技術を獲得するのは、無理です以下、余談ながらもし、義務教育でそれが習得可能なら、江戸時代の人でもその教育を受ければ、習得できるはずじゃないですか、科学リテラシーでも江戸時代の人が、原子炉事故の情報を正しく評価できるわけないです科学リテラシーは、1回勉強しただけでは習得できませんただ、情報が正しいことを見抜くことではなく、これは眉唾ものだぞと、疑う方法はありまして、その1:話に矛盾があるたとえば「低カロリーでヘルシー」です健康のために必要なのは、第一に「生きている」ためのカロリーですこれをいう人は、健康というものを理解していない人ですその2:定量的でない定量的というのは、数値と単位のことだと思ってくださいその扱いが雑だったり、そういう話をしない人は、疑うべきです忘れません東海地方太平洋沖地震のとき、政府発表で管直人さんだったと思います放射線量の単位を、正しくは「マイクロシーベルト」というべきところをね、「ミリシーベルト」と言ったんですねボクの体重が60キログラムならなんでもありませんが、60トンだったら怪獣です総理自身が理系でないのはともかく、それをその場で訂正する人もいない、つまり主要なスタッフにも理系がいない内閣であることを露呈したわけで、その話は眉唾だと思いましたということで道草、銀座の路地銀座はね、表の華やいだ道もいいんですが、路地や建物の隙間にも抜け道があって、いいです一方最近、八重洲界隈は再開発がゴリゴリと進んでいて、こういう空間が失われています経済活動の結果として失われるのは、仕方ないと思いますが、都市計画として失われるのは、残念です素敵なのになあ
2014.02.26
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村の誕生による右利き躍進仮説えー、肝心要の出典を忘れてしまったのですが、確か石器の研究に関する本を読んでまして、さらには記憶もあいまいなのですが、1万年前の石器、旧石器ですね、それを研究した結果、約9割が右利きだったらしいです右利きマジョリティの歴史は長いですそれで、3万年前のものを調べると、右利き6割で左利き4割だったそうです著者はその理由を言葉の発達にあるのではないかと推測してましたうん、そうかもしれないというのは、体を動かす脳の部分は、左右反転しているんですね右手右足を動かすのは、左脳なんですそして言葉を操る、つまり書く・話すを司るのは左脳の運動野(大脳の特定部位を「野」といいます)の内のブローカ野という部分ですなので、言葉の発達によって、右利き優位になったのではないかという推測ですでもボクはこのアイデアに対して、もう一案、追加したいですそれは「村の誕生による右利き躍進」仮説ですそのシナリオはこうですまず旧石器が誕生します旧石器とは、石を割っただけの石器ですが、ヒトが肉食動物の牙と爪、草食動物の臼歯を手に入れるに等しい革新だったのだと思います素手での狩猟採取の生活であれば、人々はある程度離れて暮らした方が、得られるものも多いので、幸せです家族>村、家族生活の方が生産性が高い状態ですそこに石器によって、大型の獲物を仕留められるようになったり、あるいはドングリをすり潰して食べるようになったりできるようになる石器の出来にも出来不出来があったと思います大型の獲物を仕留めるのに適したもの、皮を裂くのに適したもの、穀物を割るのに、すり潰すのに適したもの出来にも、そういう違いがあったと思いますそこで、獲物を仕留めるのに適した石器を持つ山田さんと、穀物をすり潰すのに適した石器を持つ田中さんが出会ったとします山田さん(全裸):いいだろ、これ鹿も一撃で仕留められるぜ田中さん(全裸、以下略):お、いいなあ、うらやましいなあでもさ、オレのこれ、ドングリもクルミも一撃で割れるよ?こんどさ、これ、貸すから、それ、貸してくんない?山田さん:いいねそれじゃさ、うちの近所に越してこない?貸したり借りたり、その方がべりだからさ田中さん:いいねえそんなことがあって、仲良しと血縁関係で緩やかに結ばれた「村」が誕生したのではないかと思いますそこで先に述べた右利き6割左利き4割がね、効いてくるんですよそのものは打製石器で、右利き用として作ろうとして作れるものではないですでも徐々に、じわ~っとね、それが効いてきまして、右利き躍進の原動力になったのではないかというのが、ボクの村の誕生による右利き躍進仮説ですどうか道草、犬禁止in銀座 出入口につき 此の場所に 自転車バイク 犬 禁止ですって犬の方、注意されたし
2014.02.16
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タクシーの運転手さんは、 おめーなんて昔ぁは、河原もんじゃねーかと、言い返せばよかったんじゃないかと思います横山やすしさんが運転手さんに、駕籠かき雲助じゃないかといった事件の話です大雪警報の中、大田区の我が家から六本木の新美術館に行きました目当てはメディア芸術祭ですなんといっても警報じゃないですかこれが台風だったらね、ボクも大人しく家で布団の端をくわえてその解除を待ちますでもね、ボクの生まれは雪の積もらない大阪です雪、嬉しいですで、東京って数年に一度は大雪で積もることが分かっているのに、慣れないでしょあ、今回はね、かなり慣れたみたいですけどまあそれでも、大雪警報の中出かけるからには、お出かけ自己責任です出かけるには、帰宅できなくても文句を言わない程度の覚悟は必要です六本木の新美術館から大田区のボクんちまでなら、まず全線地下の都営浅草線と大江戸線が使えますそれも運行停止したとしても歩けば、晴れていたなら3時間くらいまあ雪道でも、5時間歩けば帰宅できるかなと、出発です装備は、上下で1万2千円もするMIZUNOの本格防寒アンダー、防水加工の防寒コート、ポンチョ、それにゴアテックスの防水トレッキングシューズですたまたま最近、植村直己さんの「青春を山に賭けて」を読みましてね、彼が五大陸最高峰制覇+アマゾン河下りを描いたものですがね特に帰り道は植村さんの気分ですぜったい、生きて帰るんだでまあ、当たり前に電車で帰ったんですが、横殴りの風雪がけっこう強かったです眼鏡男子、視界不良ですゴーグルを持って行くべきでしたあと、徒歩帰宅をするなら懐中電灯も要ると思います明日は雪が上がって、かつ、都内は雪景色だと思いますどこかでスキー、したいなあ道草、犬on手押し車in銀座ボクが街歩きをして、なるだけ欠かさず撮影をしている物件の一つとして、ご主人を待つ犬がありますご主人とお出かけといううれしいイベントの最中に、そのご主人を待つという瞬間そのときの犬の不安な表情このまま捨てられるんじゃないという不安もあると思います思えば、実家の犬バーニーズってでっかい犬(♀)なんですが、弟がする彼女の散歩に付き合って、人にいない公園で首輪とリードを離したんですね え ご主人 ひも、持ってくれないの そのときの彼女の不安そうな表情を思い出します犬って、リードを飼い主に引っ張られていることに安心してるんですかね異性とキャッキャウフフしていても嫉妬をしない恋人に対する不満、不安感でしょうかもう少しワタシを拘束して欲しい感ですこのとき、そういう状況下と思われる彼(彼女)と目が合いました ん?なんですか?みたいな、ねその表情には、余裕を感じます彼(彼女)は、もう待たされることに慣れている言い換えれば、飼い主さんとの絶対の信頼関係があるんでしょうか
2014.02.08
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新説(妄想)本能寺の真実先日NHKで本能寺の変をやってまして、あー漫画家の江川達也さんの説は却下です明智光秀が嫉妬したとすれば、ボクは豊臣秀吉だと思いますしかしなんでですかね、テレビに出る漫画家の漫画が残念なのはテレビタレントとしてのやくみつるさんは嫌いではないんですけど、その漫画はかなり残念な部類ですテレビに出てないで、漫画を描けといいたいですでそのNHKですが、光秀が居城亀岡を発ったのが午後6時頃で、真っ直ぐ本能寺に向かったとすると遅くとも午前0時くらいには着いていたそうですところが公家の日記に残る本能寺襲撃の時刻は午前5時NHKの仮説は、光秀は信長に面談してついカッとなって切っちゃったというものですこの仮説、支持します光秀といえば、知将といっていいと思いますが、この人が後先考えずに、このとき、盟友である細川藤高にさえそっぽを向かれましたからね、後先考えずに謀反を起こしたのはなぜかと考えると、衝動的にやったとしか思えないんですだとすると、軍勢をそろえて「敵は本能寺にあり!」というのはどうもしっくりこなくて、信長と面談中についカッと説に説得力があると思いますここからはボクの推測と妄想です光秀が信長に会いに行ったとすると、なぜ軍勢を連れていたのかそれは、信長とその長男・信忠が秀吉が待つ備中高松城に向かうのを護衛するためではないかと思います<妄想開始>その日光秀は、夜の明ける前から本能寺の庭に控えていた。近習に光秀の来訪を知らされた信長は縁側まで大またに歩き、無言で光秀を足蹴にした。彼は仰向けざまに転びながら、信長に向かって言った光秀:殿っ、何をなさいます信長:たわけが、分からぬかだからうぬは浅慮じゃというのじゃ光秀:浅慮…浅慮とは信長:今日うぬを召したのは誰じゃ織田の頭領は誰じゃ光秀:信忠さまにございますが…はっ!信長:なぜ筑前(秀吉)がほぼ勝利を手中に収めながら、救援を乞うたかそれは信忠に、対毛利の緒戦を手柄としてやり、かつ織田の頭領としての披露の場を与えんがためじゃそれをお前がわしの所にいては、未だにわしが頭領だというて回るようなものじゃそれを浅慮だというのじゃ光秀:し、しかし…信長:もうよい、下がれ早よう妙覚寺(信忠の宿所)に行かんかまったく、使えん信長はきびすを返した光秀はようやく立ち上がったその手には抜き放たれた太刀が握られていた光秀:使えぬ…使えぬじゃと…わしは、われらはうぬの道具ではないわっそして縁側を飛び越え、その刃をきらめかせた<妄想終わり>秀吉が備中高松城攻めにおいて、ほぼ勝利しながら信長or信忠に救援を求めたのは手柄を挙げすぎることを嫌ったのではないかというのは、子母沢寛さんも司馬遼太郎さんも指摘するところですが、さらに本能寺の変のとき、織田の頭領は信長ではなく、その子信忠なんですねであれば、秀吉の目的は次の4つが推測されます・手柄を挙げすぎないこと・手柄を信忠に奉じること・信忠の前でひざまづき、信長の後継者であることをお披露目すること・信忠に忠誠を示すこといかがでしょうか道草、あなたの郷里の娘をin銀座紳士の社交場・白い薔薇の続編です日本地図です横に座ってお酌をしてくれる女性の出身地がプロットされています あなたの郷里の娘を呼んでやってください故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く、という啄木の俳句がありますが、この句の停車場は上野駅ですかねでも今、上野駅始発の長距離列車、あるのでしょうか上野発の夜行列車降りたときから…もね、ひと昔前の話ですでも大丈夫白い薔薇にお任せです故郷の訛り懐かし白い薔薇のお姉さんにそを聞きに行く、です
2014.02.04
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