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今年は大きな勘違いから飛び跳ねるような喜びのスタートでした。大阪市浪速区の新世界に借りているエリムキリスト教会(マンション2階フロアー約70坪)の家賃が10年間無償とのメールをもらいました。 最初は85万円でスタートし、左脳内出血で倒れ快癒した2000年に40万円になり、05年から25万円になっていました。家賃分を直接宣教活動に使える!と、教会員ともどもお喜びの元旦礼拝でした。 招かれた神の家族キリスト教会の教団聖会でも、アドナイイルエ(主の山に備えがある)ことの証として、どんなときにも神を第一にするとき、神様は不思議な思いがけないことをなさると証しました。 ところが何と08年からとメールにあったのを今年からと勘違いしていたのです。それに気づいたのは2月11日のことでした。 その勘違いから思いがけない展開が起こり、3月に堺市、4月に門真市にあるマンション内にきれいな教会が完成し、3年間無償提供で開拓伝道スタートになりました。 さらにインターネットのアイデアと必要経費も備えられ、ラジオ放送希望の声と日曜日の礼拝を光ファイバーで配信できるようになりました。スエーデンやアフリカ、イギリスやアメリカ、ブラジルや中国など全世界から、インターネット便りも届くようになっています。 人の思いをはるか越えてすべてのことが展開することを今年も毎日のように体験しました。ただ素直に聖書のことばを信頼してアーメンと応答する毎日です。神のことばは生きていて力があり、心から幼子のような気持ちでアーメン信じます、ありがとうございます。その通りになりました!感謝しますと宣言するとき、何ともいえないような平安と確信が与えられます。すべての思い煩いや心配から解放され、思い切って取り組み集中して達成することができます。 ああでもないこうでもないと議論しなければならないこともたくさんありますが、大切なことは百の議論より一つの実行だと思います。一年間を振り返り反省することも多いけれども、過ぎ去ったことにくよくよするだけでなく、すべてのことが相働いて万事が益になるとの約束を信じ、安心して新しい年へ踏み出したいものです。 第二コリント4:15 に、「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです」とあります。2007年の365日、すべてのことに心から感謝しつつ、しっかり信仰に立って新しい夢と希望、ロマンあふれるビジョンを持って2008年のすばらしい366日を迎えたいものですね。 ヨシュア記1:5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 1:6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。 1:7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。 1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。 1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
2007/12/31
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07年最後のに日曜日です。今日は富雄キリスト教会礼拝説教。午後から大阪エリムキリスト教会。夕方堺エリムキリスト教会です。 一年間52回ほどの日曜日があります。開け放った365日の窓のカーテンに52のリンクがあり、それが一週間(6日働いて一日休む)ごとに礼拝に出ることにより、52すべてがピシッと決まる!キリスト教会の日曜日の礼拝をそのように考えています。50年間ほとんど休むことなく礼拝日を守る幸いを与えられています。 この一年間のすべての感謝し、今日も奈良市、大阪市、堺市と愛する教会員とともに礼拝をささげる恵みをありがとうございます!ハレルヤ。「天の虫けら」(67)・・・ハバロフスク ハバロフスクに到着すると同時に、インツーリスト(ソ連の国営旅行会社)の迎えを受けホテルへ。当時のソ連では、外国からの旅行者はすべて、インツーリストの監視下に置かれることになっていたのだ。しかしそんなことを知らない私は、VIP並の待遇にただ喜んでいた。 すぐ市内観光へ案内される。すべてが丁重であり、きわめて優雅な旅だが、なかなか一人になれなかった。やっと翌日の午後、時間が空いた。案内がいないとのことなので、この町の公認教会を一人で訪ねることにした。何しろロシア語が話せない。何時間も歩き、やっと町はずれのバプテスト教会を見つけた。集会の始まる前に、一人の男性が聖書朗読をしている。涙を流し、声を詰まらせ、熱誠をこめて読んでいる。 出席者は会堂に入るとひざまずいて祈る。少し悲しみを帯びた静かな歌声が会堂いっぱいに満ちた。集会後、主が守ってくれた聖書のうち三冊と日本からのおみやげを渡すことができた。感謝だった。 ハバロフスクでの最終日。近くを流れるアムール川へ行き、無性に船に乗りたくなり、行き先知らずの乗客となった。一時間ほどで終点に着いたが、片道切符で往復乗せてもらった。帰りにレーニン通りでロシア語のトラクトを十数枚配ったのも、良い思いでとなっている。コロサイ人への手紙 3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。 3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。
2007/12/30
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「天の虫けら」(66)・・・税関検査 ナホトカに着岸すると、税関検査が始まる。一人旅はいちばん最後だ。心細くなりかけたころ、税関に通された。もうだれもいない。ふとシベリア鉄道の時間は大丈夫かなと考えた。日本語のできる係官がスーツケースを調べ、変なものは持っていないかと聞く。当然「ニエット(いいえ)」だ。彼はすぐにスーツケースを閉めた。感謝。中には聖書が六冊入っていた。すべてOKに思えた時、税関長が係官に合図した。さあっと数人に囲むようにされ、特別取り調べ室へ連行された。 ポケットの中にある物を出すように言われ、ロシア語の聖書を一冊また一冊と取り出すと、係官たちは驚きの声を上げた。それが終わると、上着を脱ぐように言われた。シベリアの七月は暑い。上着を取ると、今度は全部脱ぐように命令され、上半身裸になった。身体を調べたが、何も身に着けていないのが分かると、ズボンはよいということになり、感謝だった。結局、九冊の聖書を没収され、正直に言わないと強制送還すると脅されたが、入国は許可された。 時間を見ると、ハバロフスク行きの汽車の発車時刻だ。何と二時間も取り調べられていた。ガランとした税関台の上に、私のショルダーバックが一つポツンとある。大きいケースはない。「私のスーツケースがない」と思わず叫んだら、「あなたの荷物は汽車の中です」と言う。「もう発車しているじゃないですか。どうしてくれるんですか」と言うと、係官は「あなたが行くまで汽車は動きません。さあ早く」と私を促し、大型バスが私だけを乗せて駅へ急いだ。係官のことばどおり、シベリア鉄道はゆったりと待っていてくれた。 実は税関台の上にポツンと置かれたバッグの中にも、聖書が十一冊さりげなく入っていたのだ。主の守りと背後の教会員の祈りを強く感じた。後で知ったことだが、私のソビエト宣教のことを聞いた台湾の婦人牧師二人が、二週間の断食までして祈っていてくれた。すべての宣教の背後には、主の御手と聖霊の導きがあり、同時に強力なとりなしの祈りがある。 私が飛び乗ると同時に、次の予定地ハバロフスクに向かって汽車は動きはじめた。十六時間の旅である。 今思っても冷や汗の出る経験でした。ただ聖書以外に問題になる物は、何も持っていなかったので楽観していたが、時間が進むにつれ強制送還かな?と思ったりもしました。映画やテレビでのシーンのような厳しい取調室での経験でした。 一年が終わろうとしています。良いことも辛いこともいろいろあった365日でした。聖書はどんな出来事も益になると宣言しています。今年の出来事を肥料に、新しい年がより豊かな実りある祝福の日々を期待します。明日は日曜日、一年の終わりを高らかなアーメンの祈りで感謝を持って締めくくりましょう!エレミヤ書 31:15 【主】はこう仰せられる。 「聞け。ラマで聞こえる。 苦しみの嘆きと泣き声が。 ラケルがその子らのために泣いている。 慰められることを拒んで。 子らがいなくなったので、 その子らのために泣いている。」 31:16 【主】はこう仰せられる。 「あなたの泣く声をとどめ、 目の涙をとどめよ。 あなたの労苦には報いがあるからだ。 ──【主】の御告げ── 彼らは敵の国から帰って来る。 31:17 あなたの将来には望みがある。 ──【主】の御告げ── あなたの子らは自分の国に帰って来る。エレミヤ書31:12 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、 穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、 羊の子、牛の子とに対する【主】の恵みに喜び輝く。 彼らのたましいは潤った園のようになり、 もう再び、しぼむことはない。 31:13 そのとき、若い女は踊って楽しみ、 若い男も年寄りも共に楽しむ。 「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、 彼らの憂いを慰め、楽しませる。 31:14 また祭司のたましいを髄で飽かせ、 わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。 ──【主】の御告げ──」
2007/12/29
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昨日は朝早くから動き続けでした。新幹線新大阪駅で30分の予定が2時間弱の会談。新幹線乗り口まで見送り、昼食の約束があり生駒駅からタクシーで帰宅し、そのまま車で鹿鳴館(イタリアンレストラン)へ約束の時間ジャストに到着。楽しい語らい・・・・。 夜9時過ぎに帰宅、久しぶりに遅い夕食。ハガキが届いており読んでみると、星原中学1年の時山の中から越境入学し、方言も違い友人もいなかったが親切に優しく教えてくれた先輩の方からだった。10年前上野駅で40年ぶりに再会し、人ごみの中でもお互いの顔がすぐ分かったほど可愛がってもらったお姉様でした。久しぶりに中学生時代の話しに花が咲き時計を見ると10時過ぎになっていました。 ものも言わないで黙っているだけの可愛い少年でしたと、懐かしそうに話してくれる先輩の声を聞きながら、この本を読んだら・・・・とかいろいろ教えてくれた彼女との出会いもまた、すべてのことが働いて益となるひとこまでした。同地域の小学校から中学へと進む少年たちの中で山の中からひとり通ってくるので、それだけでもみんなの記憶に残っていたんだと思うと、今の苦しみや辛さが会ったとしても、それらすべてが益へと変えられいく幸いを感謝します。「天の虫けら」(65)・・・信仰だけでソ連へ 一九七八年は多くの新しいことが続いた。 二月末、林実師がサレルド・ベント兄弟とともに学院を訪れた。ベント兄弟は、スラビック・オリエンタル・ミッションの宣教師で、おもにソ連に聖書を運ぶ仕事をしていた。いつも守られていたが、ある時、国境の検問所で自動車を徹底的に調べられ、聖書が見つかった。すぐKGBに拘留され、取り調べは三ヶ月に及んだ。要点は一つだけで、ソ連国内でだれに聖書を渡したかだけを問われ続けた。彼は沈黙した。脅されたり、懐柔しようとされたり、ありとあらゆる精神的拷問が加えられた。しかし彼はイエス・キリストがともにいることを堅く信じていた。三ヶ月経ったある日、取り調べ官は「もう家に帰れるぞ。お前の仲間が全部告白したから、一人で頑張らなくてよい」と言い、ポケットの中から一枚の写真を取り出すと、「家族に会いたいだろうし、もう全部分かっているから、頑張らなくてもよい」と語った。ベントは仲間が話したのならと、自分が聖書を渡したアナトリの名前を言ってしまった。すべてはKGBの策略だった。ベントといっしょに拘留された仲間は、聖書を渡した相手の名前をだれ一人話してはいなかったのだ。ベントは心理作戦に負けてしまった。アナトリはすぐ連れてこられた。ベントは悔しさと悲しさでいっぱいになり、赦しを求めた。アナトリは静かに、「父親がいなくなる家族の名前で赦します」とだけ言うと、同時に引かれていった。 ベント兄弟はスウェーデン人らしい優しさで、静かに自分の弱さを語った。その話を聞くうちに、私の心に何かが燃えはじめた。彼が学院から帰る時、私は「私があなたの代わりにアナトリに会ってきます」と約束していた。 再び信仰だけで行こうと決心して祈り、信仰を告白した。 ソビエト行きを、スウェーデンやイギリスでの旅程も含めて、七月下旬から一ヶ月と決めた。今度も主はすべての必要を、教会員の祈りと献金とともに、多くの牧師やクリスチャンによって奇跡的に満たされた。 聖書を持ち込むのが目的だから、横浜からナホトカまでバイカル号で行くことにした。五十四時間のナホトカ航路を、五〇〇〇トンの船で行く。二十冊の聖書を持ち、聖画カードや地下教会へのおみやげも持った。コリント人への第二の手紙 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2007/12/28
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長野から深夜バスで来た方と新大阪駅で待ち合わせするので、朝早く生駒駅まで歩いて電車で出かけることになりました。お話を聞ける時間は30分ほどだと思うが、すべての悩みが解決し幸せな新年になるよう祈りながらでかけます。 昨日、「ホッと一息 やすらぎの詩」という詩集を出版した生野太郎と言う詩人と喫茶店で出会いました。元大阪市職員による元気が出る歌の休憩所とあり、仕事の思い出など120編が126ページの刺繍です。 冬があるから春がくる 夜のあとには朝が来る とにかく人生は悪くない 心のひだに刻まれる 色とりどりの花もよう 千変万化の夢もよう・・・・ 喜びも悲しみも 憧れも挫折も 何もかものみ込んでなお美しく咲く 人生という名の花 素敵な詩集の問い合せは、電話03-3568-4946 新風舎へ。「天の虫けら」(63)・・・見よ、わたしは新しい事をする 牧師にとって新年は、大きなチャレンジの時である。教会にビジョンを提示し、教会員の一年間の祝福となるような聖書のことばを説教するからである。一九七八年を迎えようとしていた。聖書を開いても、祈っても、心に響くことばが与えられない。十二月三一日の夜になってもまだない。実はクリスマスごろから、一つのことばが心に留まってはいたのだが、その聖書の箇所は、当時ペンテコステ教会でよく歌われていた歌の歌詞と同じことばだった。私は「だれも知らず、聞くだけで感動するようなことばをください」と祈り求めていた。 元旦の朝がきた。それしかない。語るしかない。「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける」(イザヤ43:19)と聖書を開き、「みなさんの人生に、主は新しいことをしてくださいます。先のことどもを思い出してはいけません。昔のことどもを考えなくてよいのです。古いものは過ぎ去り、見よ。すべてが新しくなったのです。それが新年の意味です。イエス・キリストにある新しさ、聖霊に注がれる新鮮な信仰は、今朝あなたのものです。主に期待しましょう。新鮮な驚きの日々を今年は体験できます」と語ったが、自分の心には何の感激も、期待もなかった。 思い立って、その日から断食をすることにした。 四日目に鹿島牧師から電話が入った。突然だけれども新年聖会のメッセージをしてくれないかとのことだ。断る理由もないし、いつもお世話になっているので出かけることにした。 九日に長女の愛香が誕生した。 十日には松平牧師が訪ねてきた。極東聖書学院を始めるので、副院長として雀子実院長に協力してほしいとの依頼だった。松平牧師は、私が院長になった年に入学し、生駒聖書学院で学んだ牧師である。当時いくつもの会社の社長でありながら、神戸から朝早く通い、若い学生長に命令されながらも従順に仕えた姿を思うと、断ることもできず、引き受けることにした。やがて四月になり極東聖書学院が開校すると、夜間の授業のために神戸まで毎週通うようになった。そこで出会った、目のくるっとしたキューピットのような前田基子姉妹は、やがて生駒聖書学院に入学、卒業後は牧師となり、現在は生駒聖書学院副院長として、また朝日放送ラジオ牧師としても活躍している。 松平牧師が訪ねてきた翌日、吉川姉が五〇〇坪ほどの土地が売りに出ているから見にいこうと誘いに来た。現在教会が建っている場所である。そのうちの七十坪が、後に教会の敷地になったのだ。 ともかく次々と新しいことが起こりはじめた。現金なもので、自分のためではないと拒んだ聖書のことばが実現するのを見ると、新しいことが起こったと誇らしげに講壇から語っていた。イザヤ書43:14 あなたがたを贖われたイスラエルの聖なる方、 【主】はこう仰せられる。 「あなたがたのために、 わたしはバビロンに使いを送り、 彼らの横木をみな突き落とし、 カルデヤ人を喜び歌っている船から突き落とす。 43:15 わたしは【主】、あなたがたの聖なる者、 イスラエルの創造者、あなたがたの王である。」 43:16 海の中に道を、 激しく流れる水の中に通り道を設け、 43:17 戦車と馬、強力な軍勢を連れ出した【主】は こう仰せられる。 「彼らはみな倒れて起き上がれず、 燈心のように消える。 43:18 先の事どもを思い出すな。 昔の事どもを考えるな。 43:19 見よ。わたしは新しい事をする。 今、もうそれが起ころうとしている。 あなたがたは、それを知らないのか。 確かに、わたしは荒野に道を、 荒地に川を設ける。 43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、 わたしをあがめる。 わたしが荒野に水をわき出させ、 荒地に川を流し、 わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。 43:21 わたしのために造ったこの民は わたしの栄誉を宣べ伝えよう。
2007/12/27
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昨日の朝、散歩していたら携帯がなり、結構有名な企業家から電話でした。どうもガンになったらしいとのことで今から検査に行くので、ガン治療を専門にしている教会員の電話を教えて欲しいとのことでした。電話で祈りを約束しつつ急いで帰宅し連絡を取りました。 そんな折メールが入りました。」開いてみるとガンをいやす法とあったので、すごいグッドタイミングだと驚き感謝しました。今日は少し長いけれどもそのまま転載します。 「ガンをいやす法 ・ 問題を解決する法」 「すべてのガンの発生は、ストレスによる免疫機能(免疫力)の低下が原因である。ストレスを克服すれば、免疫力が強化され、末期のガンも退縮し、やがて消滅してしまう」。これは、ガン治療の世界的権威、カール・サイモントン博士の治療法です。 「すべての悩みや苦しみの発生は、問題からくるストレスによる精神的抵抗力(問題解決力)の低下が原因である。問題からくるストレスを克服すれば、問題解決力が強化され、悩みや苦しみも萎縮し、やがて消滅してしまう」。これは自称・問題解決の国際的権威、ささき・アイザック・みつお弁護士の解決法です。 サイモントン博士のガン治療法は、そのまま、ささき弁護士の問題解決法に通じるところがあります。サイモントン博士はガンをいやすために、ささき弁護士は問題を解決するために、それぞれ8つの具体的方法を提案しています。(1) 「ガンは必ず治る」と確信すること。不治の病であるという絶望感が大きなストレスになって、免疫力を低下させる。だから、「ガンは必ず治る」という揺るがない確信を持つこと。 ・「問題は必ず解決する」と静にかつ深く確信することです。解決不可能であるという絶望感が大きなストレスになって、あなたの問題解決力を弱めてしまいます。だから、「問題は必ず解決する」という揺るがない確信を持ちましょう。(2) 朝晩、「自分が最高」に幸せな状態を心に描くこと。(自分が最高に幸せになった状態を心に描くことは、免疫力に大きな力を与える) これはプラシーボ効果(にせ薬効果)などにより証明されている。免疫力や薬がガン細胞を死滅させ、これを体外に排泄している様子をイメージするとよい。 ・「あなたが最高」に幸せである状態を心に思い描くことは、あなたの問題解決力を強化させます。問題から生じる悩みや苦しみを、あなたの精神力によって死滅させ、これを心の外へ追い払っている様子をイメージしましょう。さらに、あなたが問題を完全に解決して、すべての関係者が喜んでいる様子を思い描くことです。(3) 「人を憎まない」こと。憎んでいる人がいたら、その人が幸せになっている姿をイメージすること。人に対してではなく、悪そのものに対する正義の怒りに転化すること。(自己中心的な憎しみは、心の不完全燃焼となり、それがストレスになって免疫力を弱めてしまう) ・問題の相手を憎めば、問題はますます大きなストレスになって、あなたを悩ませ苦しめます。しかし、「相手を許す」努力をして、相手の幸せを願うようになれば、ストレスは減少し、あなたの心が平安になって問題解決力が強まります。(4) 悲しみや絶望感、愚痴や不平を心から徹底的に追い出すこと。強気に「夢と希望」を具体的に心に描き出すこと。(マイナス思考では免疫力はフルに回転しない) ・悲しみにひたったり、絶望に打ちひしがれたり、不平・不満をぶつけたりするのは、問題を悪化させるだけです。「転んでもただでは起きないぞ!この問題から必ず百倍のプラスを引き出してやるんだ!」。このように決心して、暗黒の絶望を輝く希望に、不平や不満を感謝と喜びに、転換していきましょう。そのためには、無理にでも強気に、「大きな夢とすばらしい希望」をできるだけ具体的に思い描くことです。あなたのマイナス思考をプラス思考に逆転して、問題解決力をフルに回転させましょう。(5) 歩いたりして適度に運動すること。「適度な運動」は体内に強い免疫力を持つ細胞を造り出す。 ・運動不足はあなたの気持ちをだらけさせます。「適度な運動」によって精神が引き締まり、問題に真正面から取り組んで解決しようという問題解決力が湧いてきます。(6) 具体的にできるだけ「大きな生きる目標」を掲げ、目標達成に向かって情熱を燃やすこと。(これは末期ガンを奇跡的に完治させた人に共通している) ・あなたを悩ませ、あなたを苦しめている問題を呑み込んでしまうような、「大きなすばらしい目標」を掲げて真剣に取り組むことです。あなたの目の前にある問題など、小さな問題に思えてきます。もはや問題が問題でなくなってしまうのです。(7) 「大きな声」を出すこと。(大脳生理学によると、単調な発声を繰り返すと、ストレスによる抵抗力が強められ、精神が安定する。その結果、免疫力が強化される) ・「私はこの問題を解決した!私はこの問題にすでに勝利した!私にできないことは何もない!」と心に念じて、「大きな声」で繰り返し宣言しているうちに、自信と確信が生まれてきます。賛美歌やゴスペルを歌うと、さらに心がいやされ解放されます。(8) 「歓喜し感謝する」こと。(歓喜した精神状態は最高の免疫力を発揮する。自分が今生きていること、自分の人生に使命感を持っていること、これを感謝し、これに感動すること。これを実践するなら、すべての病を克服することができる) ・聖書には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」と書かれています。いつもあなたが「生きていることに歓喜し、生かされていることに感謝する」なら、あなたはどんな問題も解決していくことができます。・・・あなたの人生は、あなたの心に思い描いたとおりになっていきます。どんなことがあっても、決してあきらめないで、明るい希望と強い確信を持ちつづけましょう。明るい希望と強い確信から生み出される力は、あなたが希望し確信したとおりに肉体を変化させるだけでなく、あなたたが希望し確信したとおりの現実を造り上げていく全知全能の愛の神のいのちなのです。これは「永遠のベスト・セラー、聖書」から導き出された法則です。法則ですから、誰がやっても同じ結果を出せるのです。 ささき・アイザック・みつお (弁護士) 最大の解決の秘訣は、イエス・キリストをアーメンと信じ受け入れることです!ペテロの第一の手紙2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。 2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。 2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
2007/12/26
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クリスマスの行事が全部終わり、25日のクリスマスを静かな落ち着いた気分で迎えました。昼食を孫たちといっしょにする約束。いつのまにか3名(10歳、2歳9ヶ月、生後2ヶ月弱)のじいになりました。あまり肉を食べない長男家族なので、今日はすき焼きが食べたいとのこと。 久しぶりに長男の病の証を天の虫けらより転載します。「天の虫けら」(62)・・・主にゆだねる 義嗣が生後八カ月の時、私は世界救世教の信者に請われて、家庭集会に出かけた。そこに家内から、「息子の様子が変だから、すぐ帰ってほしい」との連絡が入った。 ちょうど集会も終わっていたので、四十分ほどの道のりを急いだ。医者は「風邪だと思うので、今夜もう一晩様子を見ましょう」と言った。一睡もしないまま夜明けを迎え、家内はミルクを与えた。義嗣は飲み終わると同時に全部吐き出した。おむつを換えると、血便だった。その異常さに家内は小児科に走った。「子どもをすぐ連れてきなさい」。義嗣を診察した医者は、「ここにはレントゲンがないから何とも言えないが、腸重積かも知れません。昨日からですから急がないと間に合わないかも・・・」と言う。医者は救急車を呼び、県立奈良中央病院への紹介状を持たせ、「病院に着いたら受付を通らず、直接小児科病棟へ駆け込んでください」と命じた。 義嗣を救急車の中で抱きしめながら、「神様、預言によって十二年目に与えられた子どもです。どうかいやしてください。助けてください。あなたの御手にゆだねます」と祈った。ところが祈った途端、不安になった。 牧師として教会員の相談にのる時、最後には必ず「神様におゆだねしましょう。大丈夫ですよ」とアドバイスし、そのように祈っていた。説教でも、神様にゆだねないで心配したり思いわずらったりするのは、不信仰だからだと強調していた。しかし「この子を御手にゆだねます」というのには、生きることだけではなく、召されることも含むのだ。「ダメです。主よ、助けてください」と必死で祈るうちに、救急車は病院にと着いた。 ちょうど土曜日で、診察は十二時まで。お医者さんたちは、囲碁大会を予定しており、もう白衣を脱いで帰りかけていた。婦長さんは義嗣の真っ赤なほほを軽くたたきながら、「まあ、金時さんみたいな顔をして。元気元気、大丈夫よ」と、慌てふためく私たちを落ち着かせようとしてくれた。それでも普段はもの静かでおとなしい家内は必死だった。 レントゲンで調べると、すでに癒着が始まっていた。緊急の招集で再び白衣をまとった医者たちは、必死で義嗣のお腹をもんだ。結論を言えば、開腹以外に助かる手段はなく、義嗣は手術室に運ばれた。私はいっしょに入ろうとして、「ここから先は私たちにお任せください」と、看護婦にさえぎられた。その時、医者の手に任せる以外に何もでいきないのなら、全能の神にゆだねることはもっと大切だと悟った。今度は「全能の愛の主よ、義嗣をあなたの力ある御手にゆだねます」と、何の迷いもなく祈ることができた。 主にゆだね、医者の手に任せて、平安な心で待つうち、手術室のランプが消えた。一瞬、恐れと不安がよぎり、立ち上がった私たちの前に、医者の笑顔があった。 点滴を受けながら病室に移された義嗣は、スヤスヤと眠っていた。家内はそれから十日間、ほとんど徹夜でつきっきりだった。私は韓国ソウルでの聖会に招かれていたため、二人を主にゆだねて出発した。 二週間後に帰国した父を、元気な足音が迎えてくれた。小さな手を上げながらくるくる回る義嗣を抱き上げ、「高い高い」をすると、キャッキャッと大喜びだ。やっと下に降ろし、カバンを開けて小さな土産を渡すと、声を上げて喜んだ。 そんな義嗣の様子を見ながら、イエス・キリストに救われた神の子たちが賛美する時、愛なる神はさらに私たちを引き上げてくださることを知った。賛美は人生を高め、神をほめたたえることは、天国の喜びである。神はすべての必要を知り、求めない先から満たしてくださるのだ。すべてのことに感謝することは、神がもっとも喜んでくださることだと分かった。「イエスさま、信じます。イエスさま、感謝します。イエスさま、従います」ということばを口癖としたい。 その息子は、今二人の娘と生後2ヶ月の息子の5人家族。幸せに暮らしています。ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。第二コリント人への手紙4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。エレミヤ書29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。伝道者の書3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
2007/12/25
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そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。ルカの福音書2:1-7 世界中に、すばらしい救いと、幸せで美しい人生を与え続けているイエス・キリストの誕生を祝うイブです。歴史的に12月24日が誕生日と言うわけではないと思いますが、イエス・キリストが歴史の中に誕生したことは事実です。そのことを目くじら立てて騒ぎ立てることでもないと思います。 1941年9月2日が誕生日ですが、ほんとうは6月2日生まれたと父に聞いたことがあります。20世紀の日本でさえそのようなミス?がありましたが、66年間正式に9月2日を誕生日としており、何の不思議も不便のありません。 イエス・キリストが誕生した事実は歴史を変え、BC,ADの機転となりました。そして2007年間もその誕生日が祝われているのは、イエス・キリストは今日も生きており存在していからなのです。「イエス・キリストは昨日も、今日もいつまでも変わりません」(ヘブル13:8) クリススマスイブにぜひお近くのキリスト教会で行なわれている、キャンドルサービスへご参加し聖夜のきよらかさに触れてみませんか。富雄キリスト教会は午後6時30分です。奈良市富雄川西1-19-18(近鉄奈良線富雄駅西口より川沿いに北へ100メートル先の信号前の橋を西へ約700メートル)生駒聖書学院チャペルは午後7時です。生駒市俵口951(阪奈道路生駒インターより北へ阪奈病院を100メートル先スーパー万代角左折300メートル先信号左折そのまま1分で生駒聖書学院チャペル。大駐車場があります) より
2007/12/24
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昨日の毎日新聞余禄からです。 今から110年前、米国の「ニューヨーク・サン」紙にのった有名な社説がある。8歳のバージニアという女の子の「サンタクロースはいるの?」という手紙に、社説はこう答えた。「イエス、バージニア。サンタはいるよ」▲サンタは誰にも見えない。けれどと社説は書く。「この世で一番確かなものは、大人にも子供にも見えないんだ。......ただ信仰、想像力、詩、愛、夢だけが、見えないカーテンの向こうの美しい輝きを見せてくれる。本当かって? ああバージニア、それこそが永遠の真実だよ」▲街はクリスマスのイルミネーションで輝き、人それぞれに目に見えぬ大切なものに思いをめぐらすシーズンだ。いつもより優しい気持ちになるのは、サンタのプレゼントだろうか。だがよりによってそんな折に聞きたくないニュースも届く▲悩みを抱える相談者をセラピーなどで誘い、祖先の因縁やら地霊のたたりなどと脅して高額のお札などを売りつけていた会社が詐欺の疑いで家宅捜索を受けた。驚いたのはその霊感商法に神奈川県警の警備課長がかかわっていたというのだ▲目に見えないものに人が抱く畏(おそ)れや聖なる感情。そうした人の魂の一番柔らかなところに食い込んで、金銭をだまし取るのが大方の霊感商法だ。見えるはずもない霊が見えると称し人の不安やコンプレックスにつけこむのは典型的な手口だ▲人の心をもてあそぶこの手の詐欺によって人々から奪われるのは金銭ばかりではなかろう。聖なるものや、善なるもの、永遠なるものへの信仰、想像力、詩、愛、夢もこの世から少しずつかすめ取られていく。むろんサンタクロースはその被害者の一人である。 見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続きます。現代は不安の時代、それに付け込むかのように、霊感セラピーやヒーリングが流行っており、書店のコーナーにはテレビなどで名を売ったくだらない霊感占い師の本が、これでもかと言うほど並べられています。そんなことばに惑わされ人生を委ね始めると、取り返しの付かない迷いの森にさ迷ってしまいます。 しっかりと足元を見つめて、自分の確信で人生を歩まないと、一生だれかの迷わしことばに従い、不幸な人生を歩んでしまう結果になります。 カーナビ着装の車に乗っています。初めて行く町も目的地をちゃんとセットすれば、確実に迷わないで着けるのですごく便利です。 聖書は天からの道しるべです。聖書のガイドにしっかり従えば、霊的迷妄に陥ることはありません。見えない世界を真実に教えてくれ、正しく導いてくれます。クリスマスのこの時期、しっかりと見えないものを見る勇気を持ちたいものです。第二テモテ3:14 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、 3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。119:130 みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。19:7 【主】のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、 【主】のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。 19:8 【主】の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、 【主】の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 19:9 【主】への恐れはきよく、 とこしえまでも変わらない。 【主】のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。 蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 19:11 また、それによって、あなたのしもべは 戒めを受ける。 それを守れば、報いは大きい。コリント人への第二の手紙4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 コリント人への第一の手紙 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。ヘブル人への手紙 13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
2007/12/23
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今年で50回目のクリスマスを迎えます。50年前まではクリスマスのあることも知らず、聖書も読んだこともない田舎の少年でした。16歳の時クリスチャンになり、洗礼を受けて1ヶ月後がクリスマス・イブでした。 イエス様を心にお迎えした日から、すべての恐れは消え、何ものもこわがらない日々が与えられました。 クリスマスに響くメッセージは、今でも変わらずすべての人々に語りかけられています。1.ルカの福音書1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです」リビング訳 1:13 しかし、御使いは言いました。 「ザカリヤよ。 こわがることはありません。 うれしい知らせなのだから。 神様があなたの祈りをかなえてくださったのです」口語訳「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ」 願いがかなえられるから恐れないで生きることができるのです2.ルカの福音書 1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです」口語訳 1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」 神からの恵みをいただいているのです。フジテレビ系ドラマ「まだ見ぬ父へ、母へ~全盲のテノール歌手・新垣勉の軌跡」(21日午後9時)を見ました。盲目で貧しく祖母を母と思い育ちました。自分を捨てたアメリカ兵の父への憎しみを捨てることができず、ただ一枚の父の写真を破り捨てるほどでした。 イエス・キリストを信じ伝道者となりましたが、音楽への思いを捨てることができず学んでいた時、恩師の一言が彼の心を開きました。「君の声は日本人にない明るさと快活さを持っている。その声を生かして歌いなさい!」その時、彼はまだ見ぬ憎しみしかないラテン系アメリカ人の父から賜物を与えられていることに気づきました。 人には様々な不満がありその不満や憎しみが幸せを奪っています。恐れたり、恐がったりの暗い日々です。しかし、クリスマスに響くメッセージは「こわがることはない!恐れることはない。あなたは神から恵みを受けた!」なのです。アーメンと素直に神のことばを受け止める時、奇跡が起こり始めます。3.ルカの福音書 2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。 2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。 2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」 恐れることはありません。喜びの知らせがあります。イエス・キリストが馬小屋で生まれ、飼い葉おけに寝かされているのです。どのような恐れも消えてしまうクリスマスの喜びです。それは神が人となりこの世でもっとも低い場所に生まれ、飼い葉おけに寝かされたということは、どのような心のにも訪れてくださるしるしだからです。 幼子のような素直な心で、「イエス様。私の心にお迎えします。お入りください。信じます。アーメン」と、昨日も、きょうも、いつまでも変わらないイエス様を、クリスマスのすばらしい時にお迎えなさませんか。アーメンと言えば救われるのです。黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 クリスマス礼拝&祝会 12月23日(日)午前10時 生駒聖書学院教会 〃 富雄キリスト教会 12月23日(日)午後2時 大阪エリムキリスト教会 〃 午後5時30分 堺エリムキリスト教会キャンドルサービス 12月24日(祭)午後6時30分 富雄キリスト教会 〃 午後7時 生駒聖書学院教会どの集まりにもお気軽におでかけください。歓迎いたします。何も持たなくても結構です。聖書や賛美歌の用意はありますので・・・・クリスマスの幸せを祈ります。アーメン。
2007/12/22
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昨日は、月一回行なわれているシェラトン大阪都ホテルでの今年最後の集まりだった。午後3時から5時まで、新しい方々も誘われて喫茶室でコーヒーを飲みながら、聖書を開き歓談の集まりです。皆さんお仕事を持ち午後の2時間が自由になる方ばかりですが、さすがに昨日は普段の三分の一の出席。病院理事長と病院長、レストラン経営者ご夫妻と金融関係者と6名。今日は忘年会にしましょうとの提案で、コーヒーとケーキを前に2時間の楽しい交わりでした。 ウエートレスと少しおしゃべり、沖縄へ行ったと話すと、先週はグァムへ4日間出かけ暑くてシュノーケルも楽しめてよかった!と嬉しそうに話してくれました。種子島で生まれてクリスチャンになりと自己紹介をし・・・・。毎日出会う方々にイエス様のことを話せる幸い。 午前中は91歳の病に伏せる方を見舞い、40分間お話を聞くことができました。耳がと遠いので大声で話すと聞こえる。シッカリとした意識を持ち、30年来のラジオ放送希望の声聴取者で、今でも毎週水曜日の朝午前4時35分からの放送をラジオをセットして聞いてくださってる。楽しみに楽しみに水曜朝を待っていると語りかける笑顔を見ながら、身体には痛みがあり起き上がることもできないお身体が守られるよう祈りました。 沖縄へ行った時、ガラス細工で相田みつをの「いのちいっぱい」と、「ありがとう」の2枚をプレゼント。早く行きたいとのことばに、いのちいっぱい生きることが神様のみこころですよと語りかえる。死は必ず訪れます。その死の手からのがれることのできる人は一人もありません。また死を自分で決めたり、死ぬ日を定めることもできません。死の日を直感的に知る人もありますが、死ぬ日を預言することもできません。医学的には余命を宣言することはできるでしょうが・・・・。余命2ヶ月と言われて3年も生きることもあります。20代で死ぬと医者に言われて102歳までの長寿を全うした方もあります。 いのちいっぱい生きるために、十字架に命を捨てて死を引き受けてくださったイエス・キリストをクリスマスの時期、信じて受け入れて永遠の命の平安をすべての人が持って欲しいと祈りながら、今日も新しい思いで一日をスタートしています。 聖書のことばを紹介します。ヨハネの福音書 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。 10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」 ローマ人への手紙6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 ヘブル人への手紙 2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、 2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。黙示録14:13 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」 詩篇23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、 私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖、 それが私の慰めです。
2007/12/21
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出会うなり洗礼を受けます!と嬉しさにこぼれる笑顔で語りかけてくれました。昨日喫茶店で待ち合わせた20代の女性です。アーメン。信じますと祈ってから、毎週日曜礼拝の出席していますが、ゆっくりお話も聞けずに半年が経過し、毎週顔を合わせる度ごとに美しさが輝く姉妹(教会では女性を姉妹、男性を兄弟=天の父の子どもだから)です。 夜の集会までの時間、お話を聞くことができました。その中で自分はわがままで、頑固で自分勝手だから・・・・とのことばに心打たれました。人間は生まれながらに罪人です。でもその事に気づかず、親や兄弟や周りの人のせいにして、自分を正当化し他を裁いてしまいます。その結果のうらみつらみが結局は自分を不幸にしてしまっているのです。 聖書はすべての問題や不幸の原因は、親やまた因縁因果にあるのではなく、本人自身にあると教えています。そのことに気づいた時、親の罪でもない、他人のせいでもない、悪魔のせいでも悪霊の作用でもない、自らの罪(すべての人は罪を犯したので神の栄光を受けることができない)ことに気づきます。 そして十字架の上に全ての罪を背負って死なれ、墓に葬られ三日目に復活され、今も生きているイエス・キリストを仰ぎ信じるとき、救われた喜びと平安を体験できるのです。 信じてバプテスマを受ける者は救われるのですとのイエス・キリストの約束は真実です。 わがままで頑固で自分勝手な人間ですと、素直に語る彼女の美しさと微笑みはさらに輝きを増していました。元旦礼拝が終わった後、文字通り新しい年がスタートする喜びにあふれながら、階上の集会にいっしょに参加しました。 頑固な人ほど素直さもまた豊かなことが多いですね。まことの神の愛に心が包まれる時、その頑固さが聖霊によって純化され、美しい信仰が輝き出すのだと思います。 すべての頑固な人々よ。イエス・キリストを信じることにおいて頑固であれ!と叫びたい思いです。頑固な心で地獄の不幸せを生きるより、すなおな頑固さで天国の幸せを永遠に生きるほうがはるかにすばらしいと思います。幼子の心でイエス様をアーメンと心に迎える、すばらしい幸せのクリスマスを祈ります。12月23日(日)クリスマス礼拝&祝会 生駒聖書学院チャペル 午前10時より 富雄キリスト教会 午前10時より 大阪エリムキリスト教会 午後2時 堺エリムキリスト教会 午後5時30分クリスマスイブ・キャンドルサービス 生駒聖書学院チャペル 午後7時 富雄キリスト教会 午後6時30分 ぜひお気軽におそろいでお出かけ下さい。心から歓迎します。ルカの福音書1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。 1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。 1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。 1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。 1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」 1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」 1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。 1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。 1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」 1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
2007/12/20
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クリスマスのイルミネーションが家々に輝いている12月です。そのイルミネーションはクリスマスツリーが、家の外に拡大されたようなものですね。 クリスマスツリーには常緑の針葉樹(主に幼木)が使われ、ヨーロッパではドイツトウヒだが、日本ではモミが主で、ほかエゾマツ・トドマツが用いられる。常緑樹が使われるのは、冬の間も緑を保つため強い生命力の象徴とされたためである。また、『クリスマスの起源』(O.クルマン著)によれば、中世の聖夜の降誕祭の序幕において行われた、アダムとエヴァの堕罪の舞台劇で使われる「知恵の樹(善悪の知識の樹)」として、冬に葉が落ちてしまうリンゴの木の代用に、常緑樹のモミの木が禁断の木の実を飾るために使用されたのが由来ともされる。ツリーの先端には、キリストの降誕を知らせたとして、多くは星が飾られるが、イギリスなどではクリスマスエンジェルという天使が飾られる。その他にリンゴ(アダムとイヴが食べた知恵の樹の実を象徴したもの)やキャンディーケイン(杖の形をした飴)、ロウソクや、金や銀のモール、ポップコーン(糸でつないで飾る)、また、雪を模した綿など、さまざまなものが飾られる。現代ではロウソクの代わりに、豆電球の飾りを飾る家が多い。豆電球の配線は、以前は直列に配線されたものが多く、1つ切れると探す手間がかかるものが多かったが、近年では並列に配線されているものが一般的である。また、音楽にあわせて点滅するものもある。 プラスチック製のクリスマスツリーも存在しており、常緑樹に似せられた緑色のものが一般的である。また、ホワイトクリスマスを連想させる白いプラスチックで作られたものもある。選ぶ手間を防ぐため、飾りつけもツリーと一緒に販売されていることが多い。 暗闇に輝く星明り、その中でもイエス・キリストの誕生を知らせたベツレヘムの星。この偽りの世に真実の輝くをもたらすイエス・キリストの誕生を祝う幸いなときです。イルミネーションやクリスマスツリーの上に輝く星を見るたびに、あの星のようにイエス・キリストに人々を導くしるべになれるよう祈るのみです。「あなたがたは世界の光です」世界に輝く星です。スターですと言われたイエス様のことばに、クリスチャンはスター(星)であることを自覚して輝きたいものですね。マタイの福音書 2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。 2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」 2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。 2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。 2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。 2:6 『ユダの地、ベツレヘム。 あなたはユダを治める者たちの中で、 決して一番小さくはない。 わたしの民イスラエルを治める支配者が、 あなたから出るのだから。』」 2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。 2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」 2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。 2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。 2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
2007/12/19
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昨夜は誘われて、ホテル阪急インターナショナル4階紫苑の間で開かれた、中村鋭一トークディナーショーでした。中村鋭一がライトに照らされて、満席(500名)のテーブルを回りながら拍手に包まれ登場。演壇で笑顔いっぱい聞きなじみの声で歓迎の挨拶。デイナーのフランス料理が始まり、臨席の恰幅の紳士と名刺交換。何と中村鋭一のお姉様の息子で甥ですと自己紹介され、長浜市議会議員吉田豊さんでした。文泉堂という書店を持ち自分の気に入った本をシッカリ並べている専門店?だとご自慢されていました。長浜市は琵琶湖岸を一周した時以来行っていないので、一度言い気候の時に訪れてみたい。お別れ際に握手して長浜市と文泉堂とご家族の幸せを短く祈りとアーメンと答えてくださった。 ディナーが終わり8時よりトークショーで鋭ちゃん!の掛け声で登壇、政治、経済を含めておしゃべり、チャイムとともに浜村淳を向かえ、映画の歴史を活弁士から、徳川無声の間のすごさなどエピソードを交えて、日本語の七五調のすばらしさ、万葉集を引用して会場をわかせてくれた。キダ・タローが鋭ちゃんと丁々発止の対談。9時を過ぎて吉田義男を迎え、そこから阪神が日本一(85年)になった思い出を実況も含め、思い出の選手のことなど阪神ファンがほとんどの会場が盛り上がりました。吉田さんはすごい監督だった!とのことばに、いや優勝は監督云々ではない!選手がすばらしからだと答え、監督はそのような選手を育て上げるだけですと、謙虚に答える姿に感動しました もう9時半、高らかなトランペットを吹きながら阪神応援団が登場。テーブルの上には風船が配られ、鋭ちゃんが高らかに六甲おろしを3番まで全員も和しての合唱。歌い終わると同時に風船が会場一杯に飛び交い、来年は阪神優勝!の掛け声拍手とともに3時間のトークシューが終了しました。帰宅したのは11時過ぎ、何も考えないでおしゃべりだけを聞いたのは初めてのことかもしれない。招待してくれた教会員との交流もすばらしい時でした。 阪神ファンを始め、幼子の心を持つファン心理を持つすべての人々が、クリスマスのこのときイエス・キリストファンになってくれるよう節に願い祈ります。 ありがとう!良き出会いとくつろぎの時に!感謝します。ハレルヤ!詩篇(リビングバイブル訳) 23:1 主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます。 23:2 -3主は私を牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに連れて行かれます。 傷ついたこの身を立ち直らせ、私が最高に主の栄光を現わす仕事ができるよう、手を貸してくださいます。 23:4 たとい、死の暗い谷間を通ることがあっても、こわがったりしません。 主がすぐそばにいて、道中ずっとお守りくださるからです。 23:5 主は敵の面前で、私のためにおいしいごちそうを備えてくださいます。 たいせつな客としてもてなしてくださったのです。 まるで、あふれんばかりの祝福です。 23:6 生きている限り、主の恵みといつくしみが、私についてきます。やがて、私は主の家に着き、いつまでもおそばで暮らすことでしょう。
2007/12/18
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沖縄へ出かけていたとき携帯が鳴りました。教会員からの電話で今すぐ返事がいるとのこと。何事かと思ったが、中村鋭一トーク・ディナーショーへの招待だった。鋭ちゃんこと中村鋭一さんが政治経済から、タイガースのことまでありとあらゆるジャンルをゆかいな仲間とともにシャベリ倒すという、昨年に続けて二度目のトークシュー。 浜村淳やキダ・タロー、吉田義男さんも加わり、全員70歳を越えていますが、まだまだこれからと張り切っているとのこと。 月曜日のことでもあり、聖書学院も休暇に入っているので、ハイ。喜んでお招きを受けますと即答しました。夕方に迎えがあり久しぶりにホテル阪急インターナショナルへ出かえることになります。外部でのトークショーにはほとんどでたことがない世間知らずですが、楽しいトークと、六甲おろし、おいしいディナー、新しい出会いや、珍しい出会いにも期待しながら・・・・ハレルヤ! 一週間留守にしたので手紙や礼状、年賀状書きなどいっぱいあり、落ち葉もどんどん落ちているので家の回りの掃除も・・・・。平安と感謝の心で一つ一つを片付けながらの朝のスタートです。 詩篇133:1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 133:2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。 それはひげに、アロンのひげに流れて その衣のえりにまで流れしたたる。 133:3 それはまたシオンの山々におりる ヘルモンの露にも似ている。 【主】がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
2007/12/17
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「血よりも濃いきずな」と題して涙と笑いの講演会と言う記事が琉球新報に掲載されました。出典: 琉球新報 - 南城市文化センター・シュガーホールで開かれ、専門里親の砂川竜一さん(36)=同市=が「家族のきずな、そして、地域で見守る子どもたち」と題し、笑いと涙を交え講演。血のつながらない5人のわが子を愛情いっぱいに育ててきた砂川さんの"究極のボランティア体験"に、目頭をハンカチで押さえる人の姿も見られた。砂川さんは、27歳で4歳の女の子の"父親"になって以来「良き父であろう」との思いを胸に、これまで9年間に 施設で一番難しい幼子を引き取り育ててきました。4歳の女の子はもう中学生二なり下の子たちを可愛がり世話もできるようになりました。 新聞記事もですが、中学校でも講演会を依頼され出かけました。子育ての秘訣と言う演題だったので、PTAの父兄たちが集まると思い講堂に案内されてみると驚きました。400名の中学生に2時間も話してほしとのこと。 自分の生い立ちからキリスト教に触れるまでの体験を語り、養父として5人の子どもを育てている生の体験をユーモアを交えながら真剣に話しました。 子どもは引き取られてきた時、様子を伺い ながら良い子にしているそうです。そして安心してなついてきます。それから今度は無意識的か意識的かは別として、本気で愛してくれているかどうかを試す振る舞いをし始めます。それはわがままになったり、いたずらや悪さをしたり、泣き出したり・・・・いろいろだそうです。 そこが親としての岐路になります。そこで怒ったりイライラしたり、言うことを聞かないと施設へ戻すぞと脅したりすると、静かになるが親としては失格になります。もう豊かな愛の関係は終わりです。そのふるまいをしっかり愛をもって受け止め、叱る時は真剣に叱り、ほめる時は本気でほめ可愛がり、悲しい時はいっしょに悲しむ姿を見て、子どもたちはスッキリ安心し、そこが自分の家だと自由に振舞い成長して行くそうです。 車で案内してもらいながら講演の内容を感動と共に話してくれました。子どもたちとも出会い楽しい時を過ごし、普通の家庭が失ったような温かさと愛情を感じ、新聞記事に掲載されたように、血のつながりよりも濃い愛のあふれる家庭に感動しました。 沖縄での出会いの幸いを感謝し、祝福を祈りつつホテルまで送ってもらいました。詩篇 18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」 18:2 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、 18:3 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。 18:4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。 18:5 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。 18:6 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。 18:7 つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。 18:8 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。 18:9 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。 18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。 18:11 〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕 18:12 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。 18:13 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。 18:14 このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。
2007/12/16
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月曜日の朝の便で沖縄へ出かけ、土曜日12時着で関西空港へ。午後1時からはインターネット放送録音でしたが、」空港より電話で午後2時に変更してもらいキリキリで間に合うよう帰宅でした。 2008年1月放送分なので、明けましておめでとうございます!を気分を出して挨拶してくださいとのディレクターのことば。ことばに季節感を乗せて話すようにと言われるが、沖縄の暖かさから生駒の寒さへの感じで、1月4本分を録音。たまったままのメールを必要に応じて返信。ブログは今朝まで頼んでいたが、昨日までで終わっていたみたいで、遅い時間に書き込んでいます。 沖縄ではFM21で4本分のラジオ放送録音。那覇市国際通りのホテルより、浦添市のスタジオまで約12,000歩を歩いて出かけた。皆さんにビックリされたが、毎日ゆとりの一万歩・・・・。さすがにその日は2万歩以上になってしまった。詩篇 5:1 私の言うことを耳に入れてください。【主】よ。 私のうめきを聞き取ってください。 5:2 私の叫びの声を心に留めてください。 私の王、私の神。 私はあなたに祈っています。 5:3 【主】よ。朝明けに、私の声を聞いてください。 朝明けに、私はあなたのために備えをし、 見張りをいたします。 5:4 あなたは悪を喜ぶ神ではなく、 わざわいは、あなたとともに住まないからです。 5:5 誇り高ぶる者たちは 御目の前に立つことはできません。 あなたは不法を行うすべての者を憎まれます。 5:6 あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。 【主】は血を流す者と欺く者とを忌みきらわれます。 5:7 しかし、私は、豊かな恵みによって、 あなたの家に行き、 あなたを恐れつつ、 あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。
2007/12/15
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私は牧師として、色んな人たちに出会う機会が多くあります。最近どこへ行っても、問題がいっぱいあるということを良くお聞きします。政治にも、経済にも、会社にも、家庭にも、宗教にも、問題だらけです。問題のラッシュアワーです。近鉄奈良線のラッシュアワーは200%の乗車率だそうですが、現在の社会は200%以上の問題の山であると言えそうです。しかし、不思議なことですが、同じような問題が、ある人の人生をメチャクチャにし、またある人の人生をよりたくましく、勝利者と変えていくのです。高い山に降った雨粒が、一つは流れて太平洋に注ぎ、もう一つは日本海に注ぐほどに差が出てしまいます。理由は何でしょうか。それは積極的に受け止めるか、消極的に受け止めるかによって、違ってくるのです。積極的な考えを持っている人は、問題をチャンスと考えます。そして問題を正しく管理し、問題に支配されません。また、心配しません。前向きに受け止め、解決していきます。積極的に考える人は、問題を解決するためにあると信じています。そうです。問題は解くためにあると考えるだけでも、気持ちは楽しなります。できないと考えたら、問題に管理され、支配されます。気落ちし、あきらめ、憂うつになり、くじけ、敗北し、失敗者になってしまいます。イエス様は語れました。「できるものなら、と言うのか、信じる者には、どんなことでもできるのです」(マルコ9:23)ケンタッキー州のコービンという町の郊外に、小さなレストランを経営していた夫婦がありました。お客の90%までが旅行者でした。ところが、11キロメートル離れた所に、新しいハイウェイができました。それで商売はすっかり上がったりになったのです。とうとう、店をたたまねばならなくなりました。その時、子男は66歳でした。もう当てにできる収入といえば、わずかの社会保証給付金でした。二人は心を合わせて祈りました。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」(マタイ7:7~8)信仰は力です。信仰は問題解決の鍵です。祈る人はどんな時にも、備えられた道を見出すことができます。二人は手がかりを捜し始めました。どんなときにも、神がともにいますと信じて、チャンスを見つけ始めました。社会保証としてもらった105ドルを元金にして、1台のボロ自動車を買いました。そして以前、お客様に好評だったフライド・チキンを積んで、売って回り始めたのです。二人が直面した問題は大きかった。しかし、問題は二人にとって、惨めな人生を生きる材料ではなくて、チャレンジだったのです。問題は停止信号ではありません。一つの扉が閉じられれば、もう一つの扉が開くのです。これがその後、この老紳士を億万長者にさせたフランチャイズ王国誕生の始まりだったのです。この紳士こそ、かの有名なケンタッキー・フライドチキンのサンダース会長なのです。90歳を越えて亡くなりましたが、問題は彼を支配しませんでした。あなたも今日、勝利者になれるのです。問題が何であれ、乗り越えることも、解決することもできます。イエス・キリストを心の中に迎えることです。祈ることです。前向きに考え、取り組むことです。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです」(マルコ9:23)
2007/12/14
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ある日、イエス様がお弟子たちと道を歩いていました。道の途中で、生まれつきの盲人に出会いました。そこで質問をします。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」(ヨハネ9:2)これは私たちの回りでもよく聞く言葉ですね。誰かが不幸な体験をしたり、様々な人生の出来事に直面するとき、「あれは先祖の祟りだ」とか「前世の因縁だ」とか言います。確かに、人生には、説明のつかない悲しい出来事や不幸がたくさんあります。イエス・キリストはそれにどの様に答えられたのでしょうか。「この人が罪を犯したのでも、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」(ヨハネ9:3)これが答えでした。人間の災い、不幸は、「神様が何ができるか」を示すものです。災い、悲しみ、苦痛、失望、困難、障害、これらは常に「神様は何ができるか」を私たちに見せてくれます。愛なる神を知らない人はきっと挫折し、人を呪い、神を呪ってしまうでしょう。あるいは前世のたたりだとか、色々とわけのわからない説明をして、もがき苦しむことでしょう。しかし、愛なる神を信じ、神と共に生きるとき、それらはかえって人の心の力強さと美しさ、忍耐強さと高貴さを表わすことができるのです。神がそこにおられるからです。星野富弘さんは24歳のとき、体育の教師として、高崎の中学校に赴任して、1ヶ月目に事故にあいました。クラブ活動の指導中、誤って墜落し、手足の自由を失ってしまいました。9年間の病院生活の中で、イエス・キリストを信じるようになりました。彼の心を強く捕らえた聖書のことばは、「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:3~5)でした。そして、どんな重荷も痛みも、十字架の上に背負い救って下さるキリストを信じたのです。その日以来、彼は口に筆をくわえ、多くの人々を感動させる詩と絵を描き続けているのです。星野さんは語っています。「故郷を出て故郷が見え、失って初めてその価値に気付く。苦しみによって苦しみから救われ、悲しみの穴をほじくっていたら喜びが出てきた。生きているって面白いと思う。いいなあと思う。まだまだこれからだ。両手を広げて待っている。あの山のふところで、これから、私にしかできない文字をつづっていこう」不幸と悲しみのどん底が、神のみわざ、神の栄光へと変わる不思議、イエス・キリストはすばらしいお方です。そればかりでなく、悩みと苦痛の中にある人を助けることができるように神様は私たちの苦痛を用いて下さるのです。あなたの苦しみは、神のみわざ、神の栄光のためなのです。そればかりではなく、他の人を助けるために神が与えて下さった賜物です。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)
2007/12/13
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さわやかな、すがすがしい朝をお迎えでしょうか。娘が2歳のとき、朝の目覚めが早い娘は、みことばを大きな声で叫びました。「起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ」(イザヤ60:1)当時は目覚まし時計がありませんでした。「お母さん、起きよ光を放て。お兄ちゃん、起きよ光を放て。お父さん、起きよ光を放て」と小さい目覚まし時計代わりの声が響きました。そして娘が歌い始めたのです。「私は主にふれられて、新しく変えられた。イエスのみ業ほめ歌おう。私は変えられた。イエスの恵み、イエスの愛、何ものにも変えがたい。主を愛して主に仕える、私は変えられた」私も一緒に歌いました。それは娘にはどんな意味か、まだよく分かりませんでした。でもイエス様はとってもステキな、すばらしいものだと言うことは解っていました。目には見えない、手で触れることもできないイエス様です。でも彼女とともにあり、守って下さる、お父さんやお母さんが愛している、仕えているすばらしいものがあることを感じてくれていたと思います。小さい女の子でしたから、可愛い漫画の主人子や、ドラえもんも好きでした。仮面ライダーやウルトラマンの歌も大きな声で歌いました。でも彼女はイエス様が一番好きだったのです。親バカと笑われるかもしれませんが、幼子の心にお教えられました。聖書の中に、「たとい、夜通し泣きあかすことがあろうと、朝には喜びが訪れます」(詩篇30:5)子どもたちは前の日に、どんなに涙を流すことがあっても、辛いことがあっても、たとえ泣き寝入りであっても、朝には喜びとともに目覚めます。人生には確かに、多くの悲しみがあります。苦痛があり、困難があります。子どものようにはいかないでしょう。しかし、イエス・キリストを信じるとき、あなたの心が新しく生まれ変わるとき、夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びを持って起き上がることができるのです。人生が変えられるとき、新しい日が始まるのです。夜は夜もすがら、泣き悲しむとも、朝とともに喜びが訪れる、希望の人生を歩むことができます。現代人の精神を冒している数多くの問題の原因は、「孤独」です。スイスの有名な精神科ポール・トウルニエ博士は、孤独を「人の心を最も荒廃させる現代病」と呼んでいます。私たちを悩ます問題の多くは、「孤独」です。誰にも分かってもらえない、自分の本当の気持ちを理解してくれる人がいない、これが問題なのです。精神分析を受けた患者の80%までが、救いを求めた主な理由は、孤独であることが分かりました。孤独が人々を酔っ払いにします。孤独は年齢、場所、条件を問わず人を襲います。両親が忙しくてかまってくれない幼児の孤独、テレビは子どもの心を慰めません。紛らわせたとしても幼子の心を蝕んでしまいます。ティーンエイジの孤独、先生にも友人にも両親にも分かってもらえない疎外感は、今、世界を覆っています。結婚の中にも、外から見たら、仲良くともに生活していても、あるいは寂しい心で、むなしい気持ちで苛まれている夫婦が実に多いのです。そして何よりも痛ましいのは、恐らく自分などもう、役立たずで無用の存在だと感じる老人の孤独でしょう。酒も快楽も仕事も群衆の中へ紛れ込むことも、テレビやラジオにかじりつくことも、本を読むことも、真の解決にはなりません。真の解決は、イエス・キリストにあります。イエス・キリストを信じるとき、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)という神とともにいます、すばらしい人生が始まります。今日、誰も私の気持ちを分かってくれないと思っていらっしゃる方、イエス・キリストを心にお迎え下さい。新しい人生が始まります。「夜はよもすがら悲しんでも、朝と共に喜びが来る」(詩篇30:5)
2007/12/12
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多くの人が幸せを求めています。そして、人々は幸せでないのは、お金がないからだ、健康がないからだ、学歴がないからだ、恋人がいないからだ、有人がいないからだ、良い仕事についていないからだと言います。ある人は、その人は何一つ不足はないのですが、「幸せではありません」と言う方がいます。多くの人が、今持っているよりももっと多くのものを求め、それがないから自分は幸せでないと思っているようです。あなたは今日、いかがですか。聖書は人が幸せでないのは、実は罪を持っているからだと教えています。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3:23)「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)不幸の原因である罪が取り除かれるとき、幸せは川のように流れ込んでくるのです。罪とはなんでしょうか。私は教会に行き始めて間がない頃、「あなたは罪人ですよ」と言われて、実に嫌な気持ちになったのを覚えています。罪、罪人、犯罪人、嫌な言葉ですよね。しかし、それが人間の現実なのです。どんなに目をふさいでも、罪は厳然として存在しています。罪とは、第一に、犯罪をあげることができます。法律や人間の道徳に反することを行なうのは罪です。罪は不法です。しかし、方も又、絶対的な基準でないことも事実です。時代とともに、道徳感は移っていきます。従って、法もまた、それに従うわけです。第二に、道徳的な罪をあげることができます。嘘をついたり、ねたみや憎しみの心を持ったり、することです。どんなに人を憎み、殺したいと思っても、法律ではそれをどうすることもできません。法は表わされた罪、罪の結果を裁くだけです。しかし、聖書は人の心の中、その動機を神が裁くと教えています。汚れた思いや、憎しみ、ねたみ、嘘偽り、人は多くの罪の思いを持っています。しかし、道徳的な基準もまた、時代とともに移り変わりますと、人間の心、良心は同じことを繰り返すことによってマヒしていくので、これもまた絶対的基準とは言えないのです。第三に、人間はなぜ罪を持つのかということを考えなければなりません。あの汚れのない、つぶらな瞳の赤ん坊が幼稚園に行き、小学、中学と進んでい行くうちに、嘘を平気で言い、上手に自分を弁護し、現在社会に見るような現象を作り出していく。なぜ人は罪を犯し、心に汚れた思いを持つのか、不思議ですね。実はそれが罪の三番目の意味なのです。人間が神と断絶しているから罪があるのです。神と結びついていないから、人は罪の思いに支配され、罪を犯します。神に支配され、神の思いに満たされるべき人間が、罪に支配され、罪に満たされてしまったのは、神と断絶しているからなのです。これが罪なのです。自分中心でわがままな自我が、罪の根となっているのです。神を認めない心、信じない自分中心の考えこそ罪なのです。しかし、聖書のすばらしさは、原因を指摘するだけではなくて、それを取り除く方法を示していることです。イエス・キリストが2000円前、私たちの神への罪、自分への罪、他人への罪を全部身代わりに引き受けて、十字架の上で死んでくださったのです。だから、どんな罪を持っていても、汚れがあっても、イエス・キリストを信じるとき、赦されて、清められ、新しい人間になることができるのです。今日、あなたも十字架の血潮のもとに立ち、すべての罪を赦されて、喜びの日々をともに歩もうではありませんか。すばらしい幸せの日々をお祈りします。「幸いなことよ、そのそむきを赦され、罪を覆われた人は」(詩篇32:1)
2007/12/11
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沖縄へは何回も出かけているが昨年は一度も行けず、2年ぶりの訪問になります。FMラジオ放送や諸教会での集会など。生駒聖書学院卒業生も何人もあり、出会いを楽しみにしています。 最初の沖縄訪問は1989年、マンオブプロミスという自己啓発のテープを作成したとき、沖縄で化粧品会社を設立した女性社長との出会いがありました。化粧は外側だけではなく心の美しさにあるという哲学を持つ社長は、自己啓発のテープを聞いて、自社の化粧品を使えばより美しく輝くと確信して、そのテープの販売を計画してくれました。会社の設立パーティに招かれ最初の沖縄行きでした。 その日以来会社の中にエリムキリスト教会も生まれ、毎年何回となく沖縄へ出かけ、次々と信じてバプテスマを受ける方々が起こされました。メンバーたちは現在、それぞれの地域にあるキリスト教会に所属しながら活躍しています。今回も多く出会いを楽しみにしつつ久しぶりの沖縄です。行ってきます。ハレルヤ!テサロニケ人への第二の手紙2:13 しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。 2:14 ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。 2:15 そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。 2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、 2:17 あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。
2007/12/09
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人にはだれでも、幼い子どもの世界から高齢者に至るまで、男性にお女性にも変身願望があります。ほとんどのビジネスは変身願望を満たす願いに答えようと努力し、それに答えた企業が繁栄し続けています。衣食住すべてが変身願望の実現に答えようとしています。 イエス・キリストを信じるとき、その人は新しく生まれ変わった神の子に変身します。外面的には同じ顔でも、心が新しくなったので顔の表情も変わり、美しく輝きはじめます。語ることばにも変化が起こり、聖書のことばを前向きに告白するようになります。生活も変わりますから仕事にも張り合いが出てきます。心が変われば考えが変わります。考えが変わればことば使いも変わります。考えや言葉が変わると生き方が変わります。人生にマイナスを与えるような悪習慣からも解放されます。 しかし、同時に変わることに対する抵抗も起こります。人の目を気にするとき変身願望はしぼんでしまうこともあります。自分自身の気持ちの中に変身への抵抗も起こります。 今日も天の虫けらはそのような思い出の一こまです。榮義之牧師「天の虫けら」(61)・・・新しい人間 デンバーの教会で、巡回伝道者が説教の後、私に向かって「主は言われる。あなたは新しい人間になった。私は変えられたと自分でも思っている。私はあなたをさらに新しくしよう。あなたが国に帰る時、人々はあなたに言う。あなたは変わりましたと。その時あなたは、いや私は変わっていないと、それを否定してはならない。私の変えていく姿に変わり続けなさい」と預言してくれた。 帰国した翌日、朝日放送のスタジオへ、アメリカで着ていた服装のまま出かけた。ディレクターの志水さんに、「まあ、アメリカ帰りは違いますね。服装のセンスまで良くなって」と言われた。私は翌日から、またどぶネズミスタイルの服装に戻った。ふと預言のことばを思い出し、人間がどんなに人のことばを気にして、神様が変えてくださる姿になるのを恐れているかに気づいた。 息子の成長ぶりを楽しみに帰国し、息子を抱こうとしたら、見慣れない顔に驚き、泣き出してしまった。顔見せ効果が人間関係でもどんなに大切であるかが分かった。二度と人間嫌いだなどと否定的なことを言うまいと決心した。 アメリカは大好きな国の一つだ。それはダイレクトにものを言える国、好きは好き、嫌いは嫌い、自由だからである。のびのびと一ヶ月間を過ごした後、帰路の飛行機がストで乗れなかったり、エンジントラブルで帰りが一日遅れたリもしたが、すべてのことに感謝する時、トラブルは祝福となることを体験した。大きな収穫と祝福のアメリカへの旅だった。 何よりも信じるとおりになる、告白したとおりになることを、強烈に体験した。考えたり告白することとは、信仰によって聖書のことばを思い、告白することである。コリント人への第二の手紙 5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。 5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。 6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。 6:2 神は言われます。 「わたしは、恵みの時にあなたに答え、 救いの日にあなたを助けた。」 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
2007/12/09
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生駒聖書学院は昨日終業式でした。クリスマスと新年に向っての実習期間です。式が終わると冬休みではなく、2学期に学んだことを全国に出て行って実践するときです。その意味で生駒聖書学院は、生駒聖書実践神学校と言えると思います。 私も学院長ですが、エリムキリスト教会の牧師として毎日伝道したり、いろんな相談を受けたり牧師として務めを続けています。車の中にはいつもパワーフォーリビングや、自分の著書を積んで、いつでもどこでもだれにでもイエス・キリストの救いの福音を伝える用意をしています。 お話を聞いて下さる方があれば、いつでもどこでも神の愛と人の罪、イエス・キリストの十字架と復活を話します。悩みを打ち明けて下さる方の話をしっかりお聞きし、イエス・キリストを心にお迎えするようにお勧めします。 10月も心斎橋のステキなお店で五人の店員に出会いました。それぞれお話を聞くことができ、よいコミュニケーションが与えられ、「黙示録 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」の聖書のことばを紹介しました。「アーメンと言えば救われる!」確信でいつも分かれるとき握手をして幸せを祈ります。何々さんの健康と仕事と「人生の幸せを、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメンと言うとみなさんアーメンと応答してくださいました。 アーメンとおっしゃった方々に、今日イエス・キリスト様を心にお迎えなさいませんか?と問うと、全員がハイと答えてくれました。そこでもう一度、「イエス様。私の心にお迎えします。お入りください。今までの自分の思うままの罪の人生をきよめて、新しい心をお与え下さい。信じます。アーメン」と声に出して祈ってもらいます。アーメンとともに、「ありがとうございます。私は救われました。感謝します!」 様々な出会いがありますが、一人でも多くの方々に幸いなクリスマスの時期に、イエス・キリストを信じ迎える気持ちを持ってもらいたいと祈りつつです。ローマ人への手紙 10:1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。 10:2 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。 10:3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。 10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。 10:5 モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いています。 10:6 しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。 10:7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。 10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
2007/12/08
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昨夜は生駒聖書学院院内クリスマス祝会。2学期と07年の感謝を神学生手作りのご馳走や、各学年の出し物で楽しむ幸いなときです。ゼスチャーゲームや交歓プレゼントもあり、家族寮の子どもたちにとっても最高の楽しいクリスマスです。 孫(2歳9ヶ月)もパパと参加。楽しいクリスマスがまさにスタートしようとしたとき、サンタクロースに扮した神学生が近づいて来ました。その瞬間、わぁんと泣き出しパパに泣きついてしましました。190センチを越える大きな神学生です。身体は大きいが心はだれよりも優しく、子どもが大好きなお兄さん! 今朝の電話でママが電話で孫から聞いたとのこと。楽しみに会場に入ると、真っ赤な服を着て、真っ白い髭の人が近づいて顔を寄せてきたので、初めて(孫はサンタクロースをまだ知らなかったみたい?)見た大きな大きな人にビックリして泣いてしまったと話してくれたと笑って報告してくれました。 それから後は、知っている賛美歌を大きな声で歌ったり、ゲームを楽しんだり、寸劇には大笑いしたりで、クリスマスを楽しんでいました。 サンタクロースとは?サンタクロース(英:Santa Claus)は、クリスマスの前の夜に良い子のもとへプレゼントを持って訪れるとされている伝説の人物。日本では親しみを込めて「サンタさん」と呼ばれる。4世紀頃の東ローマ帝国小アジアの司教、キリスト教の教父聖ニコラウスの伝説が起源である。「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ている。その後、1822年にニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーアが病身の子供のために作った詩「聖ニコラウスの訪問」がきっかけとなり、このサンタクロース物語は全米中に広まった。また、ニコラウスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。教会では聖人として列聖されているため、「聖(セント)・ニコラウス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」である。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。正教会系の国では、サンタクロースは厳密にセント・ニコラウスであり、セント・ニコラウスの祝日は12月6日である。(聖名祝日の項目を参照)子供たちがこの日に枕元に靴下を吊るしておくと、翌朝に入っているのはお菓子である。12月25日は礼拝に行く日で、プレゼントはない。ルカの福音書 6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。 6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。 6:29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。 6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。 6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。 6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。 6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。 6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。 6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。 6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。 6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。 6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
2007/12/07
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昨夜の大阪エリムの集会で、29歳の青年がものすごく輝いて話しかけてきました。考えられないような不思議なことが職場で起こったとのこと。仕事のローテーションの紙を広げると、ここです!と指さしたところを見ると、金曜、土曜、日曜と12月がすべて3連休になっています。 彼は小学生から中学生までいじめにいじめられた子ども時代を過ごしました。中学生のとき生まれて好きな女の子ができました。身体に生涯を持つ少女で、彼はその子を幸せにするためにちゃんとした仕事が必要だと考えました。高校進学を希望したのですが、担任の教師はお前に行ける高校なんかないとと取り合ってくれません。塾へ行っても相手にしてもらえないほど学力も低い状態でした。 必死で勉強して工業高校に合格!嬉しい喜びの日に絶交を宣言され、ドン族に落とされましたが、親のために一生懸命働こうと決意しなおし、高校の3年間ひとりの友人もないままでした。お前なんか雇ってくれる会社はないと言われながら建物管理会社に就職。 ところが会社でもいじめと厳しい仕事だけを担当させられ、48時間も勤務させられることも度々でした。もう生きていても仕方がないし、死のうと思いながら通天閣の下を通勤帰りの道をとぼとぼと歩いていました。 突然、声をかけられ顔を上げると、優しい顔の女性が、キリスト教会がすぐそこにあります。今夜の集会のでられませんかとの誘いでした。誘われて初めて入ったエリムキリスト教会で、「よくいらっしゃいましたね」と」歓迎の握手を受け、生まれて初めて自分を歓迎してくれる人々に出会い、いろんなこともありましたが洗礼を受けてクリスチャンになりました。 すべてのことに感謝しなさい!不平不満や泣き言ではなく、何事も人々にして欲しいことを人々にしなさいと、物事を前向きに捉えるようになり、難波シティの職場から抜擢され、新しくできた難波パークスへ移りました。 そして、今年の12月上司に呼ばれ辞令が渡され、38階建てOAPへの移動でした。OAPのオーナーに仕事のの説明を受け、最上階のレストランでご馳走のもてなしを受け、彼を案内した上司も一度もこんな接待を受けたことはないと感動していたそうです。 彼はクリスチャンになってからも陰日なたなく忠実に働きました。ムチャクチャとも思えるような勤務やいじめもありましたが、その都度悔しさも辛さも牧師に打ち明け、「父よ。彼らをお許し下さい。彼らは何をしているのか分からないからです」と、イエス・キリストの名前によって祈り、祝福を与え続けました。 一番の願いは毎週礼拝に休まず出席することでした。今年の指針の聖書のことばを、マタイの福音書6:33 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。に求めました。勇気を出して上司にクリスチャンである旨を伝え、今年は今まで以上に礼拝出席も多く出れる様になっていました。そして12月の辞令とともに与えられた仕事のローテーションは、日曜日がシッカリと休みに定められ、また水曜日も定時になり教会の集まりに参加できるようになりましたと、満面の笑みで話してくれました。ともに手を取り合い仕事と会社の繁栄を祈る昨夜のひとときでした。マタイの福音書6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。 6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。 6:28 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。 6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。 6:30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。 6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
2007/12/06
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最初にアメリカへ行った思い出を、天の虫けらより転載します。榮義之牧師「天の虫けら」(60)・・・宣教のバトン アメリカ旅行は楽しかった。ロサンゼルスからテキサスへ、さらにポートランド、デンバー、サンフランシスコ、サンホゼ、そしてメキシコ、グァダラハラ、ハワイと一人旅があっという間に過ぎ去った。日本で私を知っていた宣教師たちは、私がブロークン・イングリッシュで説教するのを聞いて驚いていた。それでもほとんど通じたと自負している。なぜなら皆が笑ってくれたからだ。 実は生駒聖書学院に入学した時、英語が習えるのを楽しみにしていた。ところがクート師に英語であいさつしたら、「私、日本語ができるだよ。英語はいらない、日本語の聖書を熱心に読むだよ」と、英語を学ぶことを禁じられてしまった。素直だった私は、そのアドバイスに忠実に従った。できない理由をいつまでも人のせいにしていてはいけないが、あの日、「英語は必要だよ。世界中をメッセージして回る牧師になるだよ」とアドバイスされていたら、今ごろはかばん一つで世界の空を飛び回っていたのに、と思わないわけでもない。 サンホゼでは種子島に宣教師として来られ、私を救いに導いたアルビン・ハモンド師を訪ねた。若い時に戦争で破れた鼓膜の手術で入院していた。先生は大きく暖かな愛で、再会を喜んでくれた。キリストの教会のバイブルカレッジで宣教部長の要職にある先生は、それからは来日の度に生駒聖書学院を訪ねたり、電話で話したりしてくれている。先生にとって、種子島時代はとても貧しく、厳しい宣教師生活だった。だから余計に、自分の伝道で救われた私が牧師になり、神学校の院長となっていることを喜び、祝福を祈ってくれた。 いつも宣教師の働きは尊いと思っている。世界宣教のバトンを日本の教会が受け継ぐ時がきたようにも思う。いや受け継がなければ、日本はいつまでも宣教の後進国のままでいることになる。マルコの福音書 16:14 しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。 16:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、 16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」 16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。 16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕
2007/12/05
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12月に入るとすぐスタジオも満杯になるので、ラジオ放送希望の声の録音が昨日午後6時に、朝日放送スタジオで行なわれました。挨拶には、明けましておめでとうございますと、新年の挨拶で聖書のことばを紹介。 創世記 26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。【主】が彼を祝福してくださったのである。 26:13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。 実り豊かな08年になるよう心からメッセージを語りました。1月は5回の水曜日があるので連続録音を終え、帰宅したときは午後8時でした。 昨日は朝から試験提出や、ラジオ放送原稿書き、牧師会クリスマス食事会で1万歩を歩いていなかったので、帰宅して夜の道を少し散歩。動き続けた一日でした。 今日は今学期最後の週で、神学生一同院内清掃日。広い敷地のため枯れ草や落ち葉がいっぱいで、雨上がりの上天気になり院内が見違えるように美しくなるのが楽しみです。掃除をすると幸せになる!と、本やテレビでろんな方が語っています。教会に来ている青年も、仕事がなかなか難しかったけれど、コーポの店長が彼のことをよく理解してくれて、トイレ掃除を仕事にしてくれました。朝7時30分に出勤し、真面目に働いています。車で集会の帰りに一緒に帰りましたが、仕事は楽しい!トイレ掃除と言われたときは、少しイヤだったがきれいに磨き掃除して、お客様に喜んでもらえていることが分かったとき、もっときれいにしようと一生懸命やっていると嬉しそうに話してくれました。 心の掃除が毎日できれば、人生はもっと幸せに輝きはじめます。ハレルヤ!ヨハネの第一の手紙1:5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。 1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。 1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。 1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
2007/12/04
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昨日の日曜日からアドベント=アドベント (Advent) とはキリスト教において、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間のこと。日本語では「待降節(たいこうせつ)」「降臨節(こうりんせつ)」ともいう=にい入りました。クリスマス前の23日まで4回の日曜日です。 イエス・キリストは2000年前に誕生しました。その日を祝い待ち望む待降節です。と同時にイエス・キリストの再臨=再臨(さいりん)とは、キリスト教神学の用語。復活し、天に昇ったとされるイエス・キリストが世界の終わり(ハルマゲドン/終末)の日に、キリスト教徒を天へ導き入れるため、また、世界を義をもってさばくために、再び地上に降りてくること=を待ち望む意味もあります。使徒の働き1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。 1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」と書かれています。 午前中の礼拝を生駒聖書学院教会で説教し(インターネット礼拝)、午後は大阪市浪速区のエリムキリスト教会へ。終わるとすぐ午後5時30分より始まる堺東のエリムキリスト教会で説教です。参加者全員の祝福やいやしを祈り、娘といっしょに車で高速を突っ走り帰宅するともう8時過ぎ。夕食を取りシャワーを使いおやすみなさい!主よ。感謝します。 そしてスカッと目覚めて今朝は雨!新しい力と希望に満たされ、学院今学期最後の朝のチャペルでメッセージ。今日は2教科の試験を終え、昼から牧師たちとクリスマス食事会でレストランへ。夕方6時より新年1月のラジオ録音で朝日放送スタジオへ。最高に楽しく月曜日をスカッとさわやかに迎えています。来週は沖縄行きです。ハレルヤ。イザヤ書40:25 「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、 だれと比べようとするのか」と 聖なる方は仰せられる。 40:26 目を高く上げて、 だれがこれらを創造したかを見よ。 この方は、その万象を数えて呼び出し、 一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。 この方は精力に満ち、その力は強い。 一つももれるものはない。 40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。 イスラエルよ。なぜ言い張るのか。 「私の道は【主】に隠れ、 私の正しい訴えは、 私の神に見過ごしにされている」と。 40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。 40:29 疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。 40:30 若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。 40:31 しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。を待ち望む
2007/12/03
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時間があるときは奈良側の散歩道を山上へ、頂上から大阪側を回って約3時間ほど。昨日は夕方でもあり、約1時間ほど大阪平野を望ながら、サクサクと落ち葉の道を歩きました。 紅葉や楓、銀杏や櫨など全山が紅や黄色に染まり、落葉樹の葉がはらはらと風に吹かれて舞い落ちてきます。散歩道は落ち葉のじゅうたんのようです。行きかう人もほとんどなく、主との交わりと賛美のときです。 金曜日の朝は久留米市でも、櫨並木や鮮やかに彩る紅葉、黄葉の銀杏の道を歩きました。美しき天然を歌いながら・・・・。一 空にさえずる鳥の声 峰より落つる滝の音 大波小波とうとうと 響き絶えせぬ海の音 聞けや人々の面白さ 此の天然の音楽を 調べ自在に弾きたもう 神の御手の尊しや 二 春は桜のあや衣 秋は紅葉の唐錦 夏は涼しき月の絹 冬は真白き雪の布 見よや人々美しき この天然の織物を 手際見事に織りたもう 神のたくみの尊しや三 うす墨ひける四方の山 くれない匂う横がすみ 海辺はるかにうち続く 青松 白砂の美しさ 見よや人々たぐいなき この天然のうつしえの 筆も及ばずかきたもう 神の力の尊しや四 朝に起る雲の殿 夕べにかかる虹の橋 晴れたる空を見渡せば 青天井に似たるかな 仰げば人々珍らしき 此の天然の建築を かく広大にたてたもう 神の御業の尊しや サーカスの歌で知られているワルツですが、美しい自然の中に入ると口ずさみたくなる歌ですね。神様は最高の芸術家です。ハレルヤ! 今日は日曜日、人の心を最高に美しく変えてくださる神の愛を、イエス・キリストの十字架の救いを、聖霊の豊かな臨在と満たしがあふれる礼拝のときです。詩篇19:1 天は神の栄光を語り告げ、 大空は御手のわざを告げ知らせる。 19:2 昼は昼へ、話を伝え、 夜は夜へ、知識を示す。 19:3 話もなく、ことばもなく、 その声も聞かれない。 19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、 そのことばは、地の果てまで届いた。 神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。 19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。 勇士のように、その走路を喜び走る。 19:6 その上るのは、天の果てから、 行き巡るのは、天の果て果てまで。 その熱を、免れるものは何もない。 19:7 【主】のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、 【主】のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。 19:8 【主】の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、 【主】の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 19:9 【主】への恐れはきよく、 とこしえまでも変わらない。 【主】のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。 蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 19:11 また、それによって、あなたのしもべは 戒めを受ける。 それを守れば、報いは大きい。 19:12 だれが自分の数々のあやまちを 悟ることができましょう。 どうか、隠れている私の罪をお赦しください。 19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。 それらが私を支配しませんように。 そうすれば、私は全き者となり、 大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。 19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが 御前に、受け入れられますように。 わが岩、わが贖い主、【主】よ。
2007/12/02
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30日(金)に、キリスト教イエスの家の牧山祐子先生の牧師按手式があり、前日の来てくださいと招きでした。29日(木)に久留米市梅に行く前に八女市を先に訪ねようと思い、毎日一万歩を歩いているので、朝生駒駅まで歩こうと家を出たとたん小雨が降り始めました。 家内に駅まで送ってもらい6時過ぎの電車で新大阪駅へ。7時過ぎの新幹線のぞみで博多へ。すぐ特急有明に乗り換え羽犬塚駅へ午前10時25分着。お迎えの車で八女市へ。 祈りとお話しでお昼になり、美味しいピザの店で昼食をご馳走になり、予定していた眼鏡店を訪問。挨拶もそこそこにご主人がこの絵を見てくださいとのこと。美しい海岸線が描かれており、どこだか分かりますかと問いかけられ、どうも種子島の海岸のように見えたので、種子島ですか?と答えると、大変喜んでくださり、19歳の大学生時代種子島へ旅行に行き、余りに美しいのでホテルの方に紙をもらって描いたという。30年ほど前の思い出とともに話しが弾み、福音を語りからだの調子が悪いとのことで、イエス・キリストのお名前によって癒しと健康を祈り辞しました。 八女から久留米市のイエスの家まで来るまで送ってもらい到着。それからスパリゾートホテルに案内され、ちょうどすぐ近くにある櫨(はぜ)並木通りをゆっくり散歩。ひとりで夕食をとり温泉に入る。普段はシャワーだけの生活だから、久しぶりのお風呂。それでもカラスの行水。部屋で読みかけの「陽令伝」3(北方謙三水滸伝続編)を感動のうちに読了。 30日は予定されていた牧師按手式を無事終了し、二人の方が洗礼を受けて新しくクリスチャンとなり、茶話会は失礼して久留米駅まで送ってもらい、遅い帰宅でした。あわただしく、同時にゆっくりできた2日間の九州への旅。再来週は沖縄へ・・・・。感謝!ローマ人への手紙1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。 1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、 1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。 1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。 1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。 1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。 1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。 1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。 1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
2007/12/01
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