2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全14件 (14件中 1-14件目)
1
謹んで新年のご挨拶を申し上げます本年も皆さま方にとりまして、良き年でありますよう心よりお祈り申し上げます2007年亥年元旦
December 31, 2006
コメント(0)
日本のお正月は1月1日が元旦。昔、祖父が旧正月に軽い祝いごとをやっていた記憶があるが、もはや一般日本人家庭には旧正月は縁がない。最近は、元旦から営業する店も多くなり、なんとなく正月らしさは少なくなってきた。中国人のお正月は、圧倒的に旧正月。日本でも各所の中華街でのお正月は旧である。西暦カレンダーの日取りとは関係なく、1月から2月にかけて、1週間ほどの休みとなる。この時期、中国、台湾、シンガポールといったところに居ると、習俗としての面白さを楽しむどころではなく、どこで食事ができるか?という切実な問題に行き当たる。しばらく前までの日本と一緒で、公共交通機関はともかく、町じゅうのお店のほとんどが休みなのだ。里帰りというのがあるかどうか?少なくとも、海外旅行に行く人たちが多いのは事実。だから、旧正月の日に東京DaisneyLandへ行くと、日本人には理由もわからず、ものすごい入場者数ということが起きる。一部の行楽地に1月から2月にかけてお越しの節は、中国正月にご注意。韓国は、1月1日と旧正月が半々ぐらい。あと、クリスマスも非常に重要とのこと。マレーシアで工場長をやっていらっしゃった先輩によると。「1月1日は、なーにも関係ありません。なんでその日休むのか?って従業員に聞かれて、とまどったことも」中国正月(旧正月)なんですか?とお尋ねすると「華僑はそうですけど、大部分はイスラム正月」しかも「いつから始まるのか、はっきり決まっていなかった」とおっしゃる。???「どこそこの山に月がかかるとき、それが正月だという決め方なので、かなり近くにならないといつが正月なのかわからない」本当?それじゃ困るのじゃあないかな。でも、先輩は「つい、この間までそうだった」とおっしゃる。正月は文化の一部であり、文化はそれぞれの民族、地域、時代で異なる。イスラム暦、大陰暦の世界からみると、太陽暦は、不合理に見えるものなのかもしれぬ。
December 31, 2006
コメント(0)
一年最後の日行きつけのお店で、お客さまは、ほかのお客さまの皆さんと「ありがとうございました」「よいお年を」と言い交わしながらひとりひとり握手をして、お帰りになります。2006年に現れた兆しは、2007年には具体的な動きへと変化していくことでしょう。一年の後は、どちらで、どのように過ごすことになるのか?変わることには怖さとともに期待もあります。これからも、より、強く、やさしく、やわらかく変わることで、私たちは続いていく。2006年一年間の御礼と、来年のご健勝を心より祈念申し上げます
December 31, 2006
コメント(0)
正月用の買い物で、29日の午後、下高井戸まで行った。 下高井戸といっても、いろいろ買うわけではなく、目的は駅前市場の長谷川商店一つだけ。 予想に反し比較的空いているので、あれ、変わったなーと思ったが、残念ながらお目当ての商品が無い。 男の子に尋ねると、売り切れとのこと、明日の朝また売るから、10時くらいに来てくれと言われ、30日朝、再び電車に乗って下高井戸まで。 踏み切りのところから列が出来ている。 悪い予感がしたが、昨日の午後は空いていた、宝くじか、福引か、と思って長谷川商店のほうへ。 ところが、残念ながら、お客の列も、長谷川商店へ! これほどの行列は、年末でも見たことが無い。 昨日お目当てが売切れだったからなのか、と恨めしく思いつつ、列の後ろにならんだ。
December 30, 2006
コメント(0)
年齢的にはだいぶん先輩のお知り合いに、長らく薬品関係のお仕事に携わられ、現在は社団法人老人病研究会で評議員をなさっていらっしゃる湧口さんとおっしゃる方がいらっしゃる。今般は、その方のマラソン体験をご紹介していくことにしたい。 *** 厚生労働省は医療財政の破綻を見越して、種々の施策を打ち出している。健康日本21の主眼は「生活習慣病の予防」である。”ぴんぴん・ころり”で、元気な老人が増え、長期間にわたる入院や介護を受ける人たちを減少させることを運動方針の一つとしている。その具現化の一環として、早足の散歩。軽いジョギングを勧めている。当社団法人老人病研究会でも佐久間淳理事・武藤三千代助教授が地域住民を巻き込み、体力測定や正しいウォーキングの啓発を行っている。 一方、東京国際マラソンは、女子は27回目、男子は第25回となり、数々の記録やドラマが生まれてきた。男子では瀬古・宗兄弟・谷口・高岡など日本人選手の優勝や活躍があったが、最近はメキシコ・イタリー・ケニア・エチオピアなどの選手が優勝をさらっている。2月中旬東京都庁をスタートし平和島を折り返すコースで世界各国の選手が競う。 従来の東京国際マラソンは日本陸上連盟に登録しているランナーと外国の招待選手が記録を争っている。しかし、この冬(註:2005-06年の冬)、石原東京都知事が「来年から東京マラソンは市民マラソンにする。スタートは東京都庁とし、都心の品川・浅草を回って、ゴールはシーフロントのビッグサイトである」との計画が発表された。言わばボストン・ロッテルダム・ロンドン・ハワイマラソンのように市民マラソンにする。招待選手以外の一般参加のランナーの登録は3万人で打ち切り、それらのランナーの登録費(参加費用)は10,000円である。東京では青梅マラソンが市民マラソンとして有名であるが、距離はハーフマラソンである。 私は現在64歳で、日頃はゴルフ・毎週のテニススクール・世田谷区民農園での畑仕事、多摩川での鮎釣りなどを趣味としているので、それなりに運動をしているつもりであった。昨年秋、地域の酒場で同じ歳(昭和17年の早生まれ)の3人の飲み友達が大いに盛り上がっていた。堀氏は20年来の市民ランナーで、フルマラソンに挑戦している。彼曰く、3月19日に荒川市民マラソンがあるので、同年のお前らも参加せよ。フルマラソンが無理なら、5kmもあるよとのこと。大森氏は日頃昼過ぎでもビールととんかつ、うな重を食べる肥満体だが、週に3-4回トレーニングジムで40分ほど走っている。彼はフルマラソンに挑戦する(初めてなので無謀??)。お鉢が小生に回ってきて「3月21日の誕生日を記念して5kmに挑戦する」と酔った勢いで約束してしまった。 その後が大変である。昨年12月に2,000円を振り込んで、登録(フルマラソンは6,500円)。今年に入り、先ずは2kmのランニングから始めたが、翌日太もも・足首が痛い痛い。階段を登る時より、降りる方が辛い事を始めて知った。それでも、3,4,5kmと次第に距離を伸ばし、約10回の自己トレーニングをして、本番に備えた。 3月19日8時に埼京線浮間舟渡駅を下車。ピストンバスで荒川河川敷に到着。広い広い広場が人とテントでうめ尽くされている。主催は東京荒川市民マラソン実行委員会であるが、この委員会は国土交通省荒川事務所・板橋区・(社)東京陸上競技協会・読売新聞社からなる。今年で第9回とか。キッズラン:小学1-3年生の500m、小学4-6年生の1km、ジュニア:中学生男女の3km、高校生以上の男女5km、それにフルマラソンである。驚きは42.195kmのフルマラソンの盛況である。スタートは埼京線の下、折り返し点は地下鉄東西線のガード下。フルマラソンの距離は都心から八王子までなので、歩くだけでも半端な距離で無い。昨年の8回目はフルマラソンだけで15,000人が参加したとか。ところが今年はフルだけで21,371人である。北海道・東北地区から456名、九州から79名を始め、全国から集まってくるが、さすが東京は9,510、埼玉3,711、神奈川3,566、千葉206人と首都圏が多い。9:00スタート、折り返し点で3時間半を越えたらバスに乗せられてスタート地点に強制的に戻される。7時間を経て、16時までにゴールしたランナーが完走者としてタイムを後日自宅に送られてくるという。陸連登録の選手1,500名は第一次スタートであったが、壮観であった。20,000番以降のゼッケンをつけた人達がスタート線を越えて行った時間は9:22分であった。11:25頃、男子選手が、11:45頃女子選手のトップがゴール。その後続々と選手が戻ってくる。皆が一生懸命に挑戦しており、ゴールをすると達成感に満足している様子。5時間を越え、6時間、7時間近く・・・若い人達も入るが、70歳を越える男女市民ランナーが歯を食いしばって帰ってくる姿は感動的であった。中には、中年女性が真っ白いウェディング姿や白鳥の帽子を冠って走って楽しむ姿もあった(毎年そのコスチュームで走っている名物ランナーとか)。 これらのご長寿を見ていると、「自分の健康は自分で作る自己責任の強さが感じられる」と共に益々中高年への運動の普及が大切であると思った。 ちなみに堀氏は5時間50分で9,250番目(7時間迄の完走者は11,075名)、大森氏は21kmでリタイアー、小生の男子5kmは37分54秒で、600人の完走者中582番目であり、私の後ろはわずか8人しかいなかったことになる。夕方帰宅途中、赤羽の焼き鳥屋で3人で楽しくお酒を飲んだ。この一日の想い出は今後も忘れないであろう。***「自分の健康は自分で作る自己責任」ずしりと来るお言葉。2008年は時期尚早。2009年の荒川を走れるように努力しよう...かな?湧口さんありがとうございました。
December 30, 2006
コメント(0)
東京でタクシーの運転手さんに、「東京中でどこが一番道が分かりにくいか?」と質問をすれば、10人中9人までが、世田谷を挙げるのではないか? 分かりにくいのは「田んぼのあぜ道がそのまま道路になったから」という説が一般に流布し、長く信じられてきているが、実際の道のなりわいからみると、それは原因の一部でしかない。 世田谷の住宅地は、先に丘の上が開発され、その後低地へと展開していった。 行政区画である世田谷区の土地の大部分は、同区仙川あたりを要とする「西端が、国分寺崖線」「北側を烏山用水/北沢用水水系(=世田谷北部)と、善福寺川水系(杉並南部)の分水嶺をなす甲州街道/玉川上水」に挟まれた扇状に広がる「東京西部に広がる武蔵野台地の南端」で形成されている。標高30m-40mの間で台地の伏流水が湧き水として地上に現れ、そこから流れる水が台地を削って作り出した水路が、谷あるいは沢となる。これが、世田谷元来の自然地形。 この自然地形の上に、江戸末期までの古道が開ける。 甲州街道、滝坂道(渋谷=>仙川 ほぼ淡島通り、若林から経堂にかけての部分は分かりにくいが、経堂からはすずらん通り、千歳台、榎を抜けて仙川から甲州街道滝坂にいたる)、品川道(つつじヶ丘から調布市役所の南を抜けるところは分かっているが、世田谷区内の経路は不明)、大山道(世田谷通り)・登戸道、厚木街道(246号線)あたりが主要幹線で、これらは、一般に東西方向に走る尾根道である。 主要道路が「東西方向の尾根道」である事情は、この地域の沢から流れ出す川筋が西から東に向かっているため、その起伏を避け、さらに増水時の交通切断を嫌ったためと推測される。戦後から1970年前後にかけて環状7、8号が整備されるが、それ以前のこのあたりでは南北方向に走る道路はほとんど未整備であった。江戸初期に開拓された玉川上水は、世田谷、特に、その北部の農地開墾に大きく寄与した。仙川、烏山、北沢、三田(飲料水)の各用水は、その源流の一部を玉川上水に求めることができる。もっとも、田圃で稲を作ると、当時は年貢を納めに、八王子のほうまで自分で運搬せねばならず、それがいやで、田圃を無償で隣村へ渡したとの記録が、烏山のほうにはあるそうだ。今日では考えられないことだ。ということは、当時、ここいらの住民は税金を払っていなかったということか?古道のところどころには集落があり、あるいは、その集落と集落を結ぶために新たな道が開拓されていった。集落間を結ぶ道は、沢筋を走る場合も多く、その場合の道筋は、川の流れに沿った自然地形をたどることになる。往々にしてこれらの道は、地主の所有地の境界に位置することが多い。地主にとって、公共の用に供される道路用地は、自分の地所を横断するのではなく、地所の縁を縫う形で作られたのだ。 ここまでで、自然地形に準拠した道ができあがった。この時代に成立した道は、現在でもほぼそのほとんどが道路として使用されている。 これらは、尾根筋を走り起伏の少ない幹線(古道)と、同じく起伏が少ない川筋を走る村落内の幹線、及び、それらを結ぶ道(どこで結ぶかは自然地形との兼ね合いで決まった)から形成される。すなわち、幾何学的整合性をもって「分かりやすい」とするならば、既にこの段階で、分かりにくさの萌芽がある。この自然地形準拠型道路の世界に、大正から昭和の初期にかけて都市勤労者のための宅地開発がはじまる。通勤、あるいは、資材運搬のための鉄道=京王線、井の頭線、小田急線、玉川線(東急世田谷線+田園都市線)、大井町線の各線が順次敷設されたが、これらも、一部例外はあるものの、大体は、高低差・トンネル・橋梁を極力避けるべく、自然地形に準拠して、東西方向へ走っている。 この時期分譲された住宅地は、農地改革前の大地主から、ディベロッパーが主要駅近傍に平方キロのオーダーで取得した土地が主流をなす。 桜新町、用賀、弦巻、桜丘、赤堤、成城学園、経堂、代田、上北沢……これらの町名を地図で見ると、町の中はきちんと駅を軸とする同心円、シンメトリー、あるいは碁盤の目状に通っている場合が少なくない。しかも、これらの町名を地形図と重ね合わせてみると、これらの町が例外なく、丘(台地)上に形成されていることが見て取れる。この時期、平均的な住宅分譲区画一つあたりの面積は200-300坪程度であった。 幾何学的に整備された道路は、丘の斜面に至ると、そこでは、斜面の等高線をなぞる=丘の外周をたどる道路が現れ、そこでその幾何学性は終了する。 なぜ、この時期の住宅開発は、台地の上が主流なのか? まず思いつくのは、世田谷の農業は畑主体とはいえ、水利に乏しいところなので、台地の上はだいたい雑木林のようなもので、農地として価値が低かった。このあたりの古い地主さんのご本宅というのは、意外と台地の上ではなく、川筋に近い斜面(増水時にも冠水しないことは必須条件)にある場合が多い。それは、多分、水の便も地主さんの権益だったことなのだろう。(台地の上では、井戸を深くほらねば、水が確保できない)次に、まだまだ河川改修が進まぬ中、沢あるいは谷は湿気が多く、また、豪雨、台風時の増水=>浸水といった事態が避けられなかったことが挙げられる。さらに、公共インフラ、特に上下水道の整備に対するディベロッパーの負担が、尾根筋に上水道を配備し、沢あるいは谷へ生活排水を放流することが、一番コストが安かったことがあるだろう。 ここに、宅地化とともに、世田谷の川が一気にどぶ川化してしまった原因がある。
December 28, 2006
コメント(0)
家人に「珠玉のような思い出」と言って、小学校時代のスカートめくり(自分はスカートまくりだとおもっていた)の話しをしたところ、同じ共学校出身と心を許したのが間違い、「そんなことは自分の小学校時代は聞いたことがない」と、人間性を疑われるハメに。「女の子はみんなやられるの?」「やられる子とやられない子が居る」「どういう子がやられるの?」「今思えば、自分たちが興味のある女の子、人気のある女の子がやられたんだろうな」「じゃ、可愛い子がやられるんだ」「可愛くても、やられなかった子も居るよ」「どこで区別するの?」「反応する子...かなぁ」「泣いちゃったり?」「泣かせちゃあだめだ。面白くない」「きゃーっとか言うのもあるけど、口惜しいのを我慢するのが一番楽しい」「意地悪いんだ。ひでえ奴!」「反応しなきゃいいんだ!」「今分かったって手遅れ」「ブルマーはいたりして防衛策をこうじればいいじゃん」「そいつはつまらないなぁ」「なぜか、ブルマーにはならなかったな。毛糸のパンツだった」....「やる子はどんな子?」「僕もやったけど、身長の大きな連中はやらなかった。手が届かないし、サマにならない」「だいたい小さくってすばしっこい連中だったね」「見てるのも居るの?」「たぶんね。でも、そういうのはやらなきゃ面白くない」「女の子同士でやったりしたじゃない」「それは中学校になってから」「××○○子のブルマー見たことある。損したような気がした」「失礼な人!」「中学校にもなると、男女関係もある程度ちゃんとしてきて、人の彼女には手を出さないとか、女は守ってやらなきゃ男じゃない、みたいなところが出てくるんだろうな」小学校同級生との、今となればたわいのないお話し。でも、中には、それをイジメと受け取る子も居て、それとは違うが、同性同士にもイジメがあって、高いところから飛び降りようとした子も居たと聞き、まだまだ表現が不器用な子供の時期といえども、コミュニケーションは難しい。「最近の子どもたちはスカートめくりするのかな?」「ウチの子供たちからは、そういうことを聞いたことがない」「学校で、スカートめくりが問題になったことは知らないなあ」「自分たちはスカートめくりは健全な行為だと今でも信じてるけど、それもやらない連中というのは、大丈夫なのか?」「やるべきときにやっておかないから、高級官僚にもなってノーパンしゃぶしゃぶ行く奴になる」「今の子供たちは、もっと陰にこもってるんじゃないかな?」「それはそれで問題じゃないのか?」「今でもやるの?」「俺は、やるべきときにちゃんとやったから、やるわけがない。だけど、その頃やんなかった連中は、チャンスがあればやるんじゃない?」「女子高生なんか興味ないの?」「娘は、共学だけど、女子高生だった。そんなものに興味があるわけがない」もう、その時代には戻れない。いい年して、そんなことやる気にはならない。でも、たとえ家人に「だからー..君は」と言われようとも、それはそれで珠玉の思い出
December 28, 2006
コメント(0)
ひと月前の11月19日、駅南口中国茶のお店「月和茶(ユエフゥチャ)」で5人で会ったときに、出ていたお話しで、緑中バレー部顧問だった日食先生ご勇退記念の会が盛会のうちに開かれ、バレー部OB、OGの名簿が整備され 平成13年以来、日食杯なる交流会も、継続して開催されている。 幹事役の檜山さん、お疲れさまです。 その関連をWebで検索してみたら、以下の2件を発見した。 http://6614.teacup.com/ecg/bbs http://homepage2.nifty.com/ishiji/Old%20Friends%20Contents.htm 同じ頃、緑中バスケット部を指導していらっしゃった佐々木先生の、ご勇退を、お世話になったバスケット部関係者で開催していないのでは、と思い立った平石君。 ご自身は、函館在住で、なかなか思うにまかせぬところ、昔のお仲間と、まずは連絡をとりたいということで、 ようやく、今朝、岩井君をお見かけし、声をかけ、E-mailアドレスを仲介した。 果たしてうまくつながっていくといいですね。
December 19, 2006
コメント(0)
なんか調子が悪いと感じるが熱もなく、咳も鼻水もなしという状態が2-3日。突然、夜中に目が覚めてトイレに行ったら、おなかも痛くないのに下痢。ふとんに戻り、悪寒に震え、つれあいのふとんにもぐりこもうとして嫌がられて、凍えながら朝を迎えた。医者に行くと、「ああこれね」で済まされ、会社へ行くと言ったら、伝染性が強いから休めと厳命されて、家に戻ってふとんにもぐりこみ、気がついたらもうこの時間。まったく食欲もない。医者の言いつけにしたがって、水分だけはしっかり採って、また寝ます。気をつけましょう。ノロウィルス
December 14, 2006
コメント(0)
雑誌の世界では、一足お先に2007年新年号が発売されている。中央公論は、「学び直す人のための教養案内」と銘打って、連続企画を開始した。教養とは何であるか、は措いといて2007年1月号に「日本史を学び直すための130冊」なる専門家、評論家がそれぞれ10冊ずつを選んだコーナーがある。その中に、氏家幹人という人が「江戸の爛熟」と題し、江戸時代の文化、世相、風俗に関する10冊を挙げている。中身は、雑誌をご覧になっていただき、この氏家幹人氏が「先生」の息子さん。江戸時代の文化研究で、堅いものから、少々エンターテインメント性のあるものまで、何冊かの著書もおありになる。過日、先生のご自宅に伺った際、2冊お預かりし、皆で回覧するよう言われたが、ようやく1冊を読み終わったところ。すみません、もう少々お待ちください。
December 12, 2006
コメント(0)
暫く前に、大学で教えている知人の招きで、社会人対象の講座を聴講する学生諸君としゃべる機会を得た。少人数でゼミ形式の授業なのだが、「インターネットは街をどう変えてきたか」という設問に対する学生の答えに、昨今の経済動向が頭を過った。曰く「街が個性化してきた。」???!自分は、ここ何十年間か、街は一貫して没個性化の途を歩み続けてきたと思っている。別に古いものが良いとは思わぬが、跡継ぎの居ない商店街は、軒並み賃貸に走り、そこそこの街にはチェーンオペレーションの店ばかりが並ぶ、どこに行っても同じものの繰り返しばかりになってきたと思っていた。それが、「個性化」してきたとはどういうことか?彼らがここで言う「街」とは、秋葉原、恵比寿、中目黒、六本木、吉祥寺、中華街、関内といった”city in the city” =「東京、大阪、横浜、名古屋など、大都市の中に内包される、ターミナル駅その他の機能のことであって、札幌、横浜、松本、金沢、京都というような行政単位的な都市のことではない。東京の学校でのお話しであるから、これらはさしずめ、関西でいえば祇園、北山、居留地、芦屋、南堀江東海でいえば、大津通、本山、おはらい町といったイメージ「インターネットの発達、携帯もそうですけど、同じテイストを持つ仲間の間の連絡がものすごくとりやすくなった。そうすると、連絡のスピードが速いから、こういう趣味の連中とはこの街へ、っていう棲み分けが出来やすくなる。ある街の特定の店に、そういう連中が集まるってことが始まると、あっという間に周りもそうなっていく。気がついたら、街全体の色が決まっていた…みたいな。」そういう形で、街は急速に「個性化」してきたわけだ。「(インターネットでは)わざわざ会うために出かけなくとも、コスト安く、毎日コミュニケーションできる。だから、2年間会ってなくても、お互いのことを何でも知っている親友ということが成立する。共通の友人がどうした、家族がどうだ、ペットがどうした、どこへ行って、何がどうだった…そういう連中が、久しぶりに、或いは、もしかしたら、初めて、さあ実際に会おうとなると、これは、***の2階で、とはならないわけですよ。特別の機会なんだから。」「人と会うことは特別な機会」とは、自分にとって非常に新鮮に感じる表現だ。団塊からポスト団塊、私たちの世代は街で過ごすとは、「なんとなく時間つぶしに友達とだべって」だと思い込んでいた。しかし、彼ら団塊ジュニア以下の世代はそれほど暇じゃない。友達とのコミュニケーションでも、お買い物でも、インターネットで手間・暇・コストをかけずにやれることは、さっさとそちらで終わらせて、本当に自分に大事なことのために時間を使う。彼らにとって、「会うということ」は、そういう中で、「わざわざ時間をとって」プラス「往復の時間をかけて」プラス「店の飲食代までかけて」という特別な行為なのだ。会うために使う場所も、会う仲間の間に何か共通して趣味の合うところでなければならない。自分は、都市とはコミュニケーションにかかるコスト(時間も含め)を最小にするべく人間が集まった機能であると理解し、信じてきた。しかし、インターネットは、都市の概念を根底から変えようとしている。郵便システムとか、電話もコミュニケーションツールではある。しかし、E-mail、CHATそしてSNS...単位時間内にやりとりできる情報量が圧倒的に違う。自分の日常でも、実際に人と会うより、Displayの前に座ってやりとりする情報量のほうが多い。その意味で、都市=街は、物理的な存在からコンピューターネットワークの中のヴァーチャルな世界に足場を移したといえるのかもしれぬ。気がつくと、昔と異なり、会社社内の連中と飲み食いすることが少なくなった。自分だけでなく、周りも、中よりは、外の人たちと飲む機会のほうが多そう。日本の組織は、仕事とか技術を覚えるというより、その集団独自のプロトコルの習得に時間を要するところだったような気がする。集団独自のプロトコルを維持し継承していくために、人々は、就業時間の範囲を超えても、群れ、同じ臭いを共有し合っていることを毎日のように確認した。インターネットは、そのような手続きを不要にして、自分の組織内はもちろん、電話交換も何も通さず、コミュニケーションしたい相手の目の前に、自分のメッセージを運んでくれる。それぞれの組織の書式、コミュニケーション手法が、ストレートに相手の目に触れ、否応なしにプロトコルはすざまじい勢いで平準化されていった。群れてプロトコルの共有を確認することが不要になり、人と会うことが特別な機会になった社会では、従来型コミュニケーションの場であった、喫茶店、酒場、飲み屋などの在り方は著しく変化してきている。Starbucksとドトールコーヒーが喫茶店を駆逐したのではない。コミュニケーションのあり方が変わったことによっても、店のあり方が変わってきているのだ。***「なんで、街の名前として秋葉原、恵比寿、中目黒あたりが挙がるのに、銀座、新宿とか六本木、渋谷とかとはならないの?」「大きすぎて、特徴がないんですよ」あと何年かすると、街のあり方も根本から変わることになりそうだ。
December 10, 2006
コメント(0)

節目になると、歳時記という言葉を思い出す。 それぞれに季節の話題なのだが、どうも毎年、歳末という言葉と対になって、思い出すせいか、それとも、師走以外に季節感が乏しくなったせいか、とんと、覚えが悪い。 12月。この月は、飛行機と縁が深い。 1903年12月17日。ライト兄弟が初めて空を飛んだ日。 場所は、ノースカロライナ州キティホークの Kill Devil Hill砂丘。使用した機は「ライトフライヤー号」。 「ライト兄弟」と呼ばれ、名前を知る人は、半分も居ないのでは? 兄は、ウィルバー・ライト(Wilbur Wright、1867年4月16日生まれ)、 弟は、オーヴィル・ライト(Orville Wright、1871年8月19日 生まれ)。 それから7年後の1910年12月19日、東京は代々木(現代々木公園)で、 徳川好敏陸軍大尉がアンリ・フォルマン式複葉機を駆って、日本初飛行に成功。ついで、日野熊蔵陸軍大尉も、グラーデ式単葉機で続いた。 そこで、この12月19日が、わが国においては「空の日」と定められている。 1935年(昭和10年)に陸軍が撮影した空中写真には、はっきり滑走路の形が認められ、その頃まで飛行場があったことが分かる。 12月8日(日本時間、米国時間では12月7日)は、いわずと知れた、日本海軍航空部隊による真珠湾攻撃の日。日米開戦60年をすぎ、ようやくこの日が静かに過ごせるようになった。そのとき、既に日本は、中国とは事実上の交戦状態にあり、この日は、対米、対英、(対蘭もか?)開戦の日である。 さて、22日は冬至。 春分、夏至、秋分、冬至は酒風呂の日。 普通の家庭の湯船ならば、三合(500ml)ぐらいの日本酒を風呂に入れて、愉しむ。別に高価なお酒でなくて十分。浴用酒も販売されているとか。 アルコール分が毛穴の脂肪や老廃物などを溶かしだす働きがある。 風呂で酒の香りに惹かれ、ついもう一杯とならぬようご用心。
December 10, 2006
コメント(0)
6年3組同級生のひとり「まっちゃん」が、徳談会と銘打ち、人生の先輩方をお招きしてお話しを伺う会を始めた。第1回目は、元新聞記者でエッセイストの村尾さんという方がゲストで、先日12月3日にご自宅で開催。20人以上の方にお越しいただき盛会だった模様。詳しくはこちらへhttp://skyalley.exblog.jp/高齢化が進むといっても、戦後生まれが過半数を占めるようになって久しい。次の時代に向けていかに生きるか?ノスタルジーではなく、異なる時代からの変遷を身をもって体験されてきた諸先輩の知恵に学ぼうということ。次回以降のご参加希望は、上記彼女のホームページを定期的にごらんください。そのうち第1回目のお話し概要も載せていただけるのではないか?
December 7, 2006
コメント(0)
そう銘打って月間現代1月号に東京市区別町丁目別全犯罪ランキングなる記事が掲載されている。あらゆる種類の犯罪を町丁目別に網羅しているわけでは当然ないのだが、わが世田谷、経堂はどうなっているかというと、正直、かなり悪い。2006年1月―9月末の累計、全刑法犯の東京都内市区町村別で、世田谷区は第1位。全国1位ではないのだが、この9ヶ月で、9,747件と言われると、いい気持ちはしない。ちなみに、2位は足立区、3位江戸川区、4位練馬区、5位新宿区と続く。6位が大田区で7360件。当然、このようなもの、東京都の全市町村の中で、一番人口の多い世田谷区が確率上不利であるのは当然。人口割にすれば、第1位の汚名は着ずともすんだのに。区内の町丁目。経堂1丁目が8位141件1位は北沢2丁目297件、2位玉川丁目225件、3位用賀4丁目183件、4位南烏山6丁目175件、5位松原2丁目160件。一応繁華街のほうが一般的に刑法犯罪は多いのだろう。同じ記事の中に、電車内における卑猥行為の路線別検挙状況(平成17年)というのがあり、小田急線は71件、10位。京王線の146件、JR中央線217件、埼京線164件に次ぐ「私鉄NO1」のありがたくないタイトルよりはいい。井の頭線は61件で11位だが、輸送量からするとかなり悪い。小田急は、混み過ぎて、それどころではない?都市化と犯罪がある程度比例することはやむを得ない。幸い、世田谷の犯罪件数は、減少傾向。(前年同期比はマイナス1165件)犯罪多発の背景には、人通りの少ない夜道が増えたことも。お店が少なくなることは、こういうところにも影響があるのだ。
December 4, 2006
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1


![]()