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今年の2月、朝刊を眺めていたところ(読むというほどの集中力を費やしていない)茨木のり子さんの死亡が伝えられていて、はっとさせられました。申し訳ないことですが、女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家と、その広い活動の幅と深みを、私は、それほど深く存じ上げていたわけではありません。しかし、私の拙い文章は、紛れもなく、茨木さんの「はじめての町」に触発され、始まったものです。初めて訪れる町、目にする景色、人々の話し声、新しい街、新しい施設、新しい店をたずねるときの期待はいかばかりだったのでしょう。「変りばえしない町 それでもわたしは十分ときめく」今、かつて、それぞれに個性的であったそれぞれの町は、「変わりばえしない」どころか、同じものが同じように並ぶ場所となってしまっています。人々がそれを望んだから?たぶんにその可能性は高い。考えないこと、考えが足りないこと、まではしょうがない。でも、気がついたあとで反省して直さないことの罪は重い。茨木さんなら「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ(「自分の感受性くらい」から)」と、お叱りになるか?しかし、一方で何十年かの時間をかけて出来上がったこと、には、いいとか悪いとかは別に、個人ひとりひとりの力では、太刀打ちできない重み(強さ)があることも確かだ。だが、全国を同じような街並みにしてしまった元凶のチェーン店たちにも栄枯盛衰があり、マック、セブン・イレブンにしても、消費者金融にしても、世間の批判にさらされたり昔日の勢いはないようです。そこにチェーンの栄枯盛衰だけでなく、個性の復権を見るか、淡い期待。***「はじめての町」 茨木のり子はじめての町に入ってゆくときわたしの心はかすかにときめくそば屋があって寿司屋があってデニムのズボンがぶらさがり砂ぼこりがあって自転車がのりすてられてあって変わりばえしない町それでもわたしは十分ときめく見なれぬ山が迫っていて見なれぬ川が流れていていくつかの伝説が眠っているわたしはすぐに見つけてしまうその町のほくろをその町の秘密をその町の悲鳴をはじめて町に入ってゆくときわたしはポケットに手を入れて風来坊のように歩くたとえ用事でやってきてもさお天気の日なら町の空にはきれいないろの淡い風船が漂うその町の人たちは気づかないけれどはじめてやってきたわたしにはよく見えるなぜって あれはその町に生れ その町に育ち けれど遠くで死ななければならなかった者たちの魂なのだそそくさと流れていったのは遠くに嫁いだ女のひとりがふるさとをなつかしむあまり遊びにやってきたのだ魂だけで うかうかとそうしてわたしは好きになる日本のささやかな町たちを水のきれいな町 ちゃちな町とろろ汁のおいしい町 がんこな町雪深い町 菜の花にかこまれた町目をつりあげた町 海のみえる町男どものいばる町 女たちのはりきる町
September 28, 2006
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かねてよりの約束で、9月のある土曜日、小学校の同級生「Tサン」と、日帰り旅行に出かけた。最初予定していた温泉はスキップしたけれども、それでもヘヴィーな一日。以前一緒したとき偶然に訪れた滝がよほど印象に残り、日ごろ何がやりたいなどと自己主張することのまずないTサンが、珍しく「もう一度行きたい」と言い出し、滝と温泉をテーマに小旅行となった次第。本当に観光を楽しむためには、同じ場所を2度以上訪れるのが、正しいんじゃないだろうか。1回目は偶然の発見を楽しみ、2回目以降は何をどう見るか良く準備をして、深く味わう。6時45分、Tサンが迎えに来る予定が、雑用とかで15分ほど遅刻。関東は台風がらみで未明まで雨が残り、重い雲に覆われた曇天。中央高速に乗り、小仏トンネル手前で土曜日朝の混雑を抜けた。笹子トンネルへ入るあたりから明るさが増し、甲府盆地は夏空の様相。しかし、南アルプスは、霞越しにわずかに見える程度。長坂で高速を降り、そこから一般道路を清里方面へ。渋滞の後はまったく順調で、「予定より30分は早い」とTサン。途中見ものは、八ヶ岳高原大橋から眺める川俣渓谷。南側、北杜市内を一望する景色も壮快だが、ここはやはり川俣川の川筋を八ヶ岳に向かってはるかに眺めるのが一番。渡り終えた先の駐車場に車を止めて橋まで戻り、しばし景色を堪能する。橋の欄干から川筋まで高さ100mはある。しかし、斜め上からでは、木の葉に隠れて川筋が見えない。ようやく見えるところまで歩くと、谷を流れる渓流の音に比べ、川筋が細いことに驚かされる。上から見れば平坦でも流れの勾配は急なのだろう。Tサン曰く、「川に鉄橋をかける金も時間もなかったんだろうね。小海線は川俣渓谷を大きく北へ迂回して建設されている。ここに鉄道を作ったのは、新潟の石油を関東とか名古屋へ運ぶなど軍事的要請があったかもしれない。」八ヶ岳高原大橋から、渓谷東岸の長い坂を北へ上り、そこから左へ細い旧道を下っていくと、吐竜の滝の駐車場。そこで車を降りて、林の中をしばらく歩く。すれ違う人々が、子供たちからお年よりまで、「おはようございます」と声をかけあう。ところどころに大きな岩が転がっている。噴火で飛ばされたか、山を転げ下ったか、或いは、増水した川に運ばれたか?沢沿いを10分弱歩くと、5mほど上を小海線の鉄橋が走っている。その向こう側から涼しい風がわたってきて、そこがもう吐竜の滝。10時までにつければ、と言っていたのが、高原大橋で過ごしたひとときがあっても、まだ10時前。先客は、カメラを構える二人の男性だけ。お1人のカメラにふと見入ると、Mamiyaの67だった。しばらくすると、人が増え、Mamiyaではないカメラをご使用の方は、狙った構図に人が入ったか、不機嫌そうな顔が目に入る。 そのまま30分ほどたたずむTサン「好きなだけ居て大丈夫だから、十分堪能して」鉄橋を通過する列車の音に、ようやく声をかけると、「好きなだけって言われると一週間でも居そうだ」Tサンだけじゃない。自分だって本当は、こういう場所で、しばらく過ごしてみたいと思う。だけど、もう9月。高原の夜は冷える。気が付けば、先ほどまでの喧騒が嘘のように、滝の前にはわれわれ二人だけ。11時が近く、ようやく腰を上げて車へ戻る。Tサンは「小諸まで行って、そこから関越だな」と言いつつ、清里駅を抜け、JR最高駅碑を一巡りして、さらに国道141号を北へ向かう。 野辺山駅を過ぎてしばらく、早めの昼ごはんを思い立ち、海ノ口方面へ分け入った。途中、千ヶ滝という渓谷から少し上がったヘアピンカーブのあたりで、揃いのジャージー姿の高校生と思しき150人ぐらいの集団とすれ違う。ヘアピンカーブから3kmほど、林の中を走る気持ちの良い直線道路を登ると、右手に八ヶ岳高原ロッジ。レストラン「花暦」のオープンエアーテラスで、お昼ご飯。二人でピルスナ―タイプの地ビール小瓶1本を分け合って、とても美味。男山、天狗山を借景に、素晴らしい彩りの高原野菜のサラダバイキングが、同じく野菜柄のお皿に冴える。 しっかりのお昼ご飯のあとは、バーで香りの高いコーヒーを一服。別荘地の中を一巡し、八ヶ岳高原を後に、海ノ口から141号線へ向かう途中、午前中にすれ違った高校生とおぼしき集団が、右手の牧場で農作業しているのを横目で見ながら、北へ向かい始めた。
September 28, 2006
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9月のある日、連れ合いを誘って、芸大美術館で開催中の「NHK日曜美術館30年展」を見に上野まで出かけた。http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2006/nichiyo/nichiyo_ja.htmhttp://www.nhk-p.co.jp/tenran/nichiyou/index.html小粒でピリリとして好感がもてる美術館。出展作品は、よくセレクトされ、適度に緊張感が持続できる数に留まっている。しかし、30年にわたり放送されてきた厚い視聴者層の来館に果たして耐えうるか。3階と地下2階に分断された展示会場をつなぐ来館者導線はエレベーターがメイン。週末、会期末などの混雑時にはボトルネックになってしまいそう。狭い通路の両側に作品が展示されているレイアウトが多く、少し混みあうと、心地よい鑑賞は難しい。とはいえ、普段はなかなか目にすることの出来ない名作ばかり。素人目には、濱田庄司と高島野十郎に、特に、他にはない迫力を感じた。会場を出て、めぼしをつけておいた、近くのEnglish Tea Houseと銘打つPekoeなる喫茶店へ。純和風というか、おそらく戦前、昭和初期の木造住宅を転用して、1年ほど前に開店。東京都台東区池之端4-22-912:30- 定休:月、火硝子引戸の玄関を開けると、予想通りか、予想に反しか.....三和土があって、靴を脱ぐかどうか躊躇「ごめんください」遠慮がちに声をかけると「そのままおあがりください」心得たもんだ。和室に多少手を加え、古いミシンを転用したテーブルとか、アンティークな照明、ガス暖炉、不思議な空間。雰囲気とお茶、ケーキを楽しみ、2人で2000円。店を出て、何年ぶりかで谷中へ出た。昔は良く子供たちを連れて、散歩がてら家族で上野公園、谷中、根津、千駄木、日暮里と歩いたものだ。時間が止まったような、それでいて、「今日はどのような新しい出会いが?」「角を曲がると何か違う楽しみが?」いつでもわくわくさせられる懐かしく楽しい場所。展覧会の緊張のあと、しばしのそぞろ歩きを楽しみ、家路につく。
September 27, 2006
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小学校同級で書道と語学を教えている知人があります。長年乗りなれた車を廃車して、家の前の駐車場が空いたので、何か良い使い方があれば、といろいろ考え、プラスティック製の椅子と、炬燵机で、青空教室を始めたのです。それまでも、天気の良い日は、道行く人々から中が見えるように教室の窓を開けたりしていたようです。それが青空教室になって「いろいろな人から声をかけられたりするようになったの。たったこれだけの距離、道に近くなっただけで、全然違うんだね」部屋の中に居るだけでは、自然の微妙な変化を知らずに過ごしてしまうことも多いでしょう。都会の生活は、ともすると、自然から人間を隔離する方向に働く場合も多い。でも、わずか、駐車場だった場所に椅子と机を用意するわずかな工夫で、風と空を感じ、道行く人々ともお話しができるようになる。教室の生徒さんたちも、空の下で勉強が出来て、ひとやすみには、お茶が楽しめるかもしれない。そして、緑があれば、もっとうれしい。わざわざどこかまで出かけてStarbucksへ行っても、この素晴らしさは味わえないでしょう。自分もいつか、そういう空間を用意してみることにします。そのときは、是非、その場所を見つけてください。お待ちしています。
September 27, 2006
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