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「大阪都構想は住民投票で否決されたが、僕は衝撃を受けたんだ」「賛否は殆ど拮抗してましたからね」 「個人的には僕は神奈川県民で大阪市民じゃないから、大阪都構想には特段の関心はない。確かに開票結果だけを見れば賛否拮抗なんだが、出口調査の分析で、反対が賛成を上回ったのは、70歳以上だけなんだ。それ以外の年代ではすべて、賛成が反対を上回っている。30代では、なんと賛成が7割、反対が3割だったわけで、あと、何年か先に同じ内容で住民投票が行われるならば、大阪都構想は可決される可能性が高い」「それは、高齢者パスの廃止など、大阪都構想により大阪市が廃止となった場合に、今、大阪市の高齢者が享受しているさまざまな住民サービスが廃止なり、縮小されるという、制度上の設計ミスが、高齢者を多く反対にまわしたんですよね。そこを、もう少し、緩和しておけば、もっと多くの高齢者が賛成したんじゃないんですか?」「君は今、制度上の設計ミスと言ったが、 国から都道府県、市町村に至る、殆どの自治体の財政状況を考えるならば、それは、設計ミスでなく、大阪都構想の、というか、大阪都構想に限らず、今の高齢者が享受している住民サービスのかなりの部分は、大阪に限らず、いやおうなく、全国的に廃止、縮小されていかざるを得ない。その意味で、今回の住民投票は、大阪都構想については否決という結果が示された一方、通常の選挙では表に出てこない世代間の温度差がここまで明白に表現されたことに、僕は衝撃を受けたんだ」「そこまで衝撃的でした?」「君らはまだ若いから、若い世代の高齢者に対する反感をVividに感じないで済むが、僕みたいに70を超えた人間にとっては、衝撃だね」「先輩方は年金も僕らより多いし、70まで働かれてたくわえも十分。衝撃といわれても、ピンと来ませんよ」「なんやかや言ってこの20年、世界の景気を事実上牽引してきた中国経済が、いよいよやばい。日本の新聞は、株価が2万円の大台を超え、新卒の就職率もリーマンショック以前のレベルに回復して、昨年春の消費増税で腰折れした景気が回復基調とか言ってるけど、アベノミクスがいいか悪いかなどという瑣末な問題じゃあなく、下手すれば、90年近く前以来の大恐慌が、そこに迫っているかもしれない。現実となれば、若い世代は容赦なく、我々高齢者から既得権を剥奪するだろう。それが、大阪都構想の住民投票が意味するところだ。こないだ、10年勤めた大学を辞めて、いよいよ年金暮らし。もう稼ぐ手段がない中で、これからは剥ぎ取られる一方。君らみたいに、まだ稼げる連中は、しがみついてでも働き続けねばダメだ。65でも70でも、働けるならば、懸命に働き口を確保しなさい。雇ってくれるところがないときのために、それでもどうやって食ってくか、ちゃんと考えとかなきゃいかん。日本の人口は減り始めた。少子化対策とか言っても、あと何年か、人口減少は避けられない。深刻なのは、生産年齢人口の減少。かつて総人口に占める生産人口の割合は70%を超えていた。それが60%をきるところまできている。デフレで苦しんだ日本だが、近未来的に、これがインフレに転ずるのは確定している」「まさか。もちろん政府はインフレへの転換を目指してますけど成功してるとは言いがたい」「インフレとデフレは、総需要すなわち名目GDPと、本来の供給能力すなわち潜在GDPのギャップにより生ずる。政府の努力.....努力というべきかどうか、政府の政策にもかかわらず、インフレ基調が定着しない理由は、原油安にある。円安が進んでいる。金融緩和、日銀による国債の際限なき引き受けは、生産性向上なき、根拠なき株高をもたらしたが、一方で、円安を招いている。食料と資源を自給できない日本経済にとり、長期的に円安は、日本人の生産価値を貶め、物価上昇へとつながっていく。これも、当然インフレ要因だ」「先輩のおっしゃる意味が分からないんですが。人口が減るから需要も減る。だからデフレ基調は変わらない。それが常識じゃないですか」「この場合、人口には二種類あって、それは総人口と生産年齢人口だ。現在、生産年齢人口の減少が総人口の減少を上回る中で、需給ギャップは次第に、今のデフレギャップからインフレギャップへと急速に変化しつつある。この変化の中で、デフレギャップが維持されるには、生産性を向上させる以外にない。あと、労働力として移民を受け入れるというのもあるか。移民はともかく、現代において、劇的に生産性向上が期待できる分野は次第にせばまりつつあり、特に、労働における需給ギャップは既にインフレに転じていることを、多くの人は認識していない」「大卒の就職率は若干の改善を見ていますが、それでも賃金はなかなか上昇しないじゃないですか」「マクロではそう見える。だけど、君らは、インフレというのは、世の中全体が一斉にインフレになると思っているようだが、そうは限らない。現に、労働の需給ギャップは既に高齢者を直撃しつつある」「どういうことですか?」「介護保険の自己負担率が引き上げられるのは知っているかい」「年収の多い人はこの8月から1割から2割へ引き上げですよね」「夫と専業主婦の夫婦の場合、年金収入が359万円以上の世帯は2割負担になる。介護業界の人手不足は深刻さを増している。インドネシア人とかを入れようとしているが、うまくいかない。文化の違いを無視して、移民入れれば、労働の需給ギャップが解消するなどと考えは無駄なトラブルを生み出すだけだ。ヨーロッパを見てみろ。明快じゃないか。労働集約型しかも3Kのこの業界では、インフレが生じていて、今後も加速していくことは間違いない」「インフレにも業種別、年代別跛行性があるんですか」「当たり前だ。インフレが国民を平等に襲うなどというのは、誰もインフレを体験したことのない我々世代の幻想に過ぎない。破綻というのは、弱いところ、ひずみの生じているところに負担が集中して、そこから全体に破壊が波及し、やがて、次の平衡に到達していく現象である。日本の場合、ひずみは、生産することをしない世代が急増している、ぞこにまず集中しているんだ。生産することをせず、既得権益を享受し、さらなる優遇までを求めようとする高齢者に、若い世代が、冷淡であることは、極めて当然なのさ。こないだあるテレビ番組に出たとき、60から70ぐらいのゲスト連中に、いくらあったら安心な老後が過ごせるかって聞いたら、なんとなく一人当たり6千万ぐらいのところにまとまったんだな。もちろん、それなりに収入のある連中だから、それ以上は持ってるんだろうが、それでも、本格的な不況となれば僕のように夫婦二人で1億程度の貯蓄、5-6百万の年金なんかでは、10年はおろか5年ももつまい。生産者としての人生を終えたのは、僕にとって判断ミスだった。僕より若い君らは、間に合う限り、生産者として生き延びることを考えたまえ。シルバーデモクラシーへの反感は、一人一人はそれほどのものでなくとも、それが集まることによって巨大な力を生ずる。我々は若い世代を搾取し、これからも搾取しようとシステムをつくってきた。システムの牙城が既存自治体、議会であり、大阪都構想とは、都構想に名を借りた既存秩序への挑戦、ないし、既存秩序の破壊を目指すものと思えば、若い世代は、それに正しく反応したといえる」「橋下さんは、住民投票が否決されたことに伴ない、政界引退を表明しました。彼は将来的に政治に復帰すると思いますか?」「僕には分からない。橋下君は、自らが政治家、首長ならずとも、既存秩序の変更、破壊を目指す都構想は実現できると思っているんじゃないか」「首長、政治家たらずして、既存秩序の変更ないし、破壊が可能なのでしょうか。革命ですか?」「革命たらずしても、いろんな可能性はあるのでは?現に、都構想は、住民投票で、実現寸前まで行った。ほかにも誰も発想したことのない方法があるのかもしれないよ。時間っていうのもひとつ大事な要素だ。実現は、今でなく、10年先でもいいとすればどうだろう?彼は次の世代の人だからね。 彼は、政治家たること、 都構想の住民投票に勝つことを、かならずしも、自己実現の手段、目的においていない。確かに住民投票で都構想は否決されたが、逆に、彼は、近未来的に、都構想の意味するところは次世代に受け入れられたと判断しているだろう。高齢者世代の抹殺へとつながっていく都構想を、紙一重のところで、寸止めした。ここまでしておけば、意図するところは、もはや自分が関与することなく実現される。政治家として非常に有能、優秀ではあるが、彼は、もともとは政治家志望ではない。維新とはすなわち橋下、橋下あっての維新、橋下=都構想だと僕らは思っているが、彼は、期間限定でおみこしを演じただけなのかも。寸止めまでで自分の役割は十分果たした。あとは熟柿が落ちるのを待てばいい。最後の鉄槌を下し、多くの高齢者からうらみを買って10年20年過ごすのは迷惑面倒 かな?彼の引退を聞いて、僕は、僕より一世代前の人だが、庄司薫を思い出した。ああいう人たちのことは、僕らには分からないのさ」
May 27, 2015
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父は、読みやすく几帳面な、きれいな字を書く人であった。自署(サイン)も、なかなかに味があって、悪筆の僕は、必要があって契約書に署名する際、相手方のものがそれなりにサマになっているときなど、ひそかに、オヤジのような自署ができたら、と、うらやましく思うことも。今でも、父の署名を必要とすることがときどきあり、少なくとも、先月は署名をもらえた。(ボケた父ではあるが、なぜに署名が必要であるか、は、こちらもきちんと説明し、いい加減な説明だと、署名をもらえないので、ある程度のことは分かっていると、こちらも理解している)過日、父の入居する高齢者施設で、父の署名をもらいに事情を説明していた。署名が必要な事情を、何度か丁寧に繰り返す「還付金の請求を口座に振り込んでもらうんだが、そのためには、オヤジさんの署名が必要なんだ」言い草が、まるでオレオレ詐欺。つきそいのスタッフなど、まわりに人も居る中、おそろしく、居心地が悪い。最後に署名をもらおうとペンを渡したのだが.....「眼鏡がないと署名ができないな」おかしいな、いつもは眼鏡などいらない人なのに?「部屋に行ってとってくる」つきそいの人に尋ねる「最近、眼鏡使うようになったんですか?」「いえ、眼鏡はお持ちじゃないです」おやおや?テーブルの上に、新聞がのっていて、それは父が読んでいるものである新聞の見出しを指して「ここには、何が書いてあるんだい?」と聞いてみると、声を出して読んだ。さらに、小さい見出しそれも声を出して読んだ。いちばん細かい記事の中身それも読んだ。「眼鏡がないと、書けないな。部屋行ってとってくるよ」何度か繰り返す父。「いや。もういいよ。また今度ね」事情が分かってきた。つきそいの人に尋ねる。「お習字は最近やりますか?」「お習字は前からおやりになりませんけれど」そうなんだよね。父は、高齢者施設でのお遊戯とか、お絵かき、お習字など全部大嫌いで、そういう活動には参加しない。「もう暗いからな。暗いと、よく分からないんだ」何を尋ねたわけでもないのにあぁ、そうか、これは、署名できないことを説明しているんだ。眼鏡がないからでも、暗いからでもない父は、自分がもはや字をかけないことを知っているそのことを認めたくないのだ「そうだね。もう暗いから、今度で大丈夫だから」しばらく、ほかの話をしたあと「休むかい?」「あぁ、そうする」車椅子を持ってこようとするスタッフを制止し、両手で父の両手を引いて、部屋まで誘導する。「後ろ向きで歩けるのかい?」「あぁ、この程度の速さならね」「器用なもんだな」「ゆっくりだからね」「トイレ行くかい?」「今はいいや」「横になって、どこに眼鏡置いたか考えてみる」「うん、そうしてくれると助かる」横になった父に「また来る」と言って部屋を出た。
May 27, 2015
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個人的には、東京都議会さえあれば、今日的には、公選制の区長、区議会はいらないと思っている。大阪市がちゃんとあるのに、それを分割して、東京23区みたいな非効率なものを作ろうという大阪都構想は「あほとちゃう?」結局、住民投票の結果は、構想否決で、橋下さんは人気満了で引退するという。:::::::::::::::でもねぇ、辞めるっていっても、それからどうするの?任期満了で辞めるんだから、それはそれでしょうがないけれど、レームダック化した市長、府知事の下で、大阪市政、大阪府政の運営はどうなる?しかも、大阪市傘下の各区区政を司る区長は、橋下さんの肝いりで人選された人たち、同じように外部から登用された学校長とか、そういう政治任用された人たちからすれば、「はしごをはずされる」ことになるが、組織運営は、ちゃんとできるの?この何年間かの大阪市政、大阪府政とは、いったいなんのための期間だったのか?(維新なんちゃらという政党についても、これからどうなるの?ということはある)辞めていく、橋下さん、松井さん(府知事)の責任を問うべきだという人がいるかもしれないしかし....おいおい、それが、民主主義で、決めたのは、市民なんだよ都構想に反対した人たちは、そういう状態になるのを分かっていて反対したんだから、これからどうするのか の責任は、市民と反対を主張した人たちにある:::::::::::::::政治任用で、第三セクターの役員とか、やったことがあるこういうとき、むなしいんだよなぁオヤブン(首長)がクビになるんだから、政治任用された僕もクビ はしょうがない。だけど、そもそも改革、改善が必要だということでオヤブンが選ばれ、それで、そのオヤブンの任期の間、組織全体がそういう方向で動くのに、オヤブンがクビになると、やろうとしていたこと全部が、坊主憎けりゃで、全否定されることも多い。オヤブンが一期だけでクビになるとき、それがとくに顕著だ。そういう意味では、世田谷区長選で保坂さんが勝ったのは、悪いこっちゃない。最初の頃は、反原発のテレビ出演したりで(反原発を言うのは構わないが、世田谷区長の役割は世田谷区長であって反原発ではない)、どうなることかと思ったが、かなりの差で再選されたということは、区政として評価されたということなんだろう。慢心してテレビ出たりせず、善政に徹せられん。:::::::::::::::本当に考えなきゃいかんのは、日本の地方自治って、たぶん、政治制度としてはほとんど機能してないってこと。地方自治は民主主義の学校 っていうけど、ひでぇ学校だよなぁ。批判はあれど、公務員さんたち、議員さんたち、首長さんたちの中に、一生懸命やってくれる人たちがあるから、どうにかなってるけど、投票率みても、明らかに崩壊寸前。あんだけコストかけて、議会、首長の両方を選んで、中には、そいつらが不毛の対立して、その人たちに給料払って昔のように、交通が不便な時代だったら、意味ありえたけれど、今日的に、「首長と議会の両方を選挙で選ぶ地方自治体」が、これだけ細かく必要だとは、思えない。その意味で、大阪都構想と、橋下さんが指摘したことは、意味がある。政界を引退するというのは、もったいないなぁ
May 17, 2015
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道を行くお子様連れのご夫婦で、旦那さんのほうが幼児を抱いたり、背負ったりするのを見るは、特に週末においては珍しいことではない。僕らの世代では、夫婦連れで外出することは、まだ稀で、もし必要があった場合でも、子供を抱いたり背負ったりするのは女親であることが一般だった。ところが、我が家の子供たちが小さい頃、 週末、カミサンが仕事で出勤 は、珍しいことではなく、忙しいとはいえ、僕のほうがきちんと休めた。そのため、特に週末、僕が家事労働をやることは珍しくなく、それが今日まで連綿と続き、歳とともに、さらに労働は強化される方向にあるやに思う。それはともかく、そういった我が家の事情に、ちょうど、娘が生まれた頃、米国時代の友人夫妻が我が家にやってきて、そのとき、旦那が背負子で子供さんを背負って歩いていたことがヒントになり、それでは我が家でも僕が背負子で子供をしょって歩くか、ということになり、最初は娘を、そして娘が歩けるようになってからは息子を、僕がしょって出かけることが多かった。連休で娘が孫を連れて里帰りしてきている。体格はまだ7kg弱と、あまり変わり栄えしない孫娘。ところが、しばらく時間をおいたせいもあるのだろうが、感情表現は大きく変化した。泣くだけだったものが、言葉にこそならぬものの、何事かを訴えんと盛んに発音し、表情にも、笑みが明らかに分かるようになっている。前回まではいづれを見ているか不明であった目線も、確かに定まり、人の声がする方向、自分の見たいもののある方向を向いていることは確実。首も据わり、これならば大丈夫 と、今日は、娘が部屋の掃除をする間、僕の背中に孫娘をくくりつけ、買い物に出かけさせた。息子のとき以来、ほぼ四半世紀ぶり。 慣れぬこともあって、少々j恥ずかしげではあるが、駅前スーパーまで買い物に出かけ、無事に帰ってきた(当たり前といえば、当たり前)。帰り道、だいぶん重いなと思ったのは、帰ってみたら寝てしまっていた。降ろすと、とたんに泣き出したから、それなりにご機嫌?孫を背負った爺さんなど、見たことがあったか?世代的には、子供を背負った世代が、孫を持つようになってきているが、一方では少子化である。まぁ、先駆者のようなものでもあるし、この少子化の時代、孫を背負ってお買い物できるとは、ありがたいことなのだろう。迷惑がらず、「爺爺に背負われるのは嫌」とか孫娘が言うことが出来ないうちにせいぜい楽しむことにしよう。
May 10, 2015
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政府は4日、「軍艦島」として知られる長崎市の端島炭坑や八幡製鉄所(北九州市)など、幕末から明治にかけての近代化や重工業の発展を示す「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が、世界文化遺産に登録するよう勧告したと発表した。一部の遺産に、過去、朝鮮半島出身者が強制労働に供せられたとして、韓国の一部から遺産登録に異議が出ているようであるが、本稿は、それについて論評するものではない。軍艦島として知られる端島は、祖母終焉の地である。祖母の生地は、兵庫県淡路島だそうだ。祖母のオヤジさん(僕にとっては曽祖父となる)は職業軍人で、福知山の連隊長などを勤めたと聞く。そこから、祖母のお袋さん(曾祖母)が淡路島の出身で、実家に戻って出産したと推測。(親戚が淡路島のお姫さまと言っていたので、まぁまぁの家だったのだろうが調べたことはない)天王寺の女子師範(現大阪教育大)卒業後、そこの教員であった祖父と結婚。祖父の転勤で岡山の玉島へ移り、そこで、長男(ウチのオヤジ)を出産。その後も転々とする祖父を単身赴任させ、大正末から昭和初期にかけて東京へ。 その後、学校教員をしながら留守宅を守り、昭和47年夏、新築した祖父の隠居所で僕ら家族と同居した。翌3月、祖父逝去。その後もしばらく我が家で過ごしていたが、数ヵ月後、オヤジとオヤジの弟=叔父との間で、介護の分担について協議された結果と思う、三菱鉱業の鉱山技師として端島にあった叔父のもとに。暑い夏に無理をして端島へ移るなど、祖父死去前後のいろいろな環境変化がよくなかった。わずか二、三月後の十月、端島で死去。叔父は鉱山技師である。大学も鉱山関係だった。日本の採炭業の最後を看取った技術者。若い頃は北海道の美唄にあり、東京勤務を経て端島へ赴任した。祖母の死去からしばらく、端島での採炭は終了。叔父は東京に戻った。祖母死去の時期、おそらく、端島での採炭終了はすでに決定されていたであろう。叔父の論文に、高島炭鉱(端島など)での採炭についてのものがあり、叔父が閉山の技術的判断を行った立場の一人であったことが伺える。「端島はいいところだ。一回来い」と呼ばれたことがある。「島の中には、商店はもちろん、学校から映画館、病院までなんでもそろっている。銀座、新宿、渋谷とは言わんが、池袋並と言ったら言い過ぎかな。でも長崎の浜屋、岡政(百貨店)より品揃えはいいし、病院も県内随一」と言っていた。結局行かずじまいで、今から思えば惜しいことをした。だが、それは結果論。無理やり徴用されて劣悪な環境で働かされたと、今の韓国の一部は言う。現代的にはその通り。エネルギー資源の少ない日本で、往時、石炭は重要な自前エネルギー資源であった。日清、日露戦争以後の日本の経済発展、そして第二次世界大戦期に至る大日本帝国の工業生産、さらには、戦後復興に不可欠のエネルギーを供給し続けた石炭産業。それは、技術の最善を尽くしても安全確保を保証し得ぬ中で、日本の生命線を、文字通り体を張って支えた人々の歴史である。就職して数年。1980年前後。勤め先の金融機関に、ときおり、萩原吉太郎という老人が尋ねてくる。北海道炭鉱汽船という会社の社長である。経過はもはや忘れたが、氏の謦咳に一度接したことがある。その頃は、もう死に体の石炭産業に金を貸そうという会社もない時代。最後の命脈を、人を、産業をつながん、と、厳しい自然、労働条件下にあても、炭鉱に携わる現場における経営者、技術者、従業員、作業員の生死を共にする「炭鉱一家」「ヤマ」の一体感、そこに介入した職業的労働組合活動家、安全確保のために必要な資金すら融資せぬ金融機関への非難、さらなるエネルギーの高効率化追求、良質の無煙炭を産しえず環境重視への政策転換の中で埋没していく石炭関連産業、資源小国日本として、自主エネルギー源を保持することの重要性、石油開発に遅れをとる日本における将来の資源探査、特に海洋資源関係の開発への採炭技術応用の可能性など、氏は、すばらしい論陣を張る。だが、僕らが金を貸すことはなく、会社は、若造の僕一人に、かつての大立者の相手を任せ、萩原氏もそれと知りつつ熱弁をふるった。往時の勢いはすでになかったとはいえ、資源派財界人、政商として名を成した方。しかも、その頃も札幌の放送局の現役社長であったが、僕ごとき一人に接客させる会社の失礼をとがめるでもなく、ボロ会社「北炭」経営者に徹しておられた。物産に就職した高校同期のM君も、同じような形で氏のお話を拝聴したと言っていたので、若手相手に話しをする機会を各社が敢えて設けていたものか?氏の海洋資源開発の話の中に、端島の海底採炭技術の話があり、叔父のことを思い浮かべ、論文を取り寄せて意味もわからず読んだ。それからまもなく、夕張で大事故が発生。北炭と日本の石炭産業は、この事故を最後に名実ともに、その歴史を閉じた。政商と呼ばれ、労働者の犠牲の上に財を成したと言われることもある萩原氏は、お会いしてみれば、石炭産業と現場労働者への限りないいとしさ、何よりもの安全優先を、熱意をもって語られる方であった。叔父も、もの静かな現場技術者であり、「何よりも安全第一」と自分の仕事を語った。そういう人たちの努力があっても、なお、犠牲となられた朝鮮半島出身者を含め、採炭の現場は過酷だったのである。資源小国の悲哀。前述の通り、祖母が端島にあった頃、叔父は既に端島での採炭が終わることを見越していたと思う。そこに、無理を圧して祖母を伴なったは、学生時代(東北大学)以来、祖母と暮らすことのなかった叔父とその家族の、ひとつの気持ちであったのだろう。
May 10, 2015
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道を行くお子様連れのご夫婦で、旦那さんのほうが幼児を抱いたり、背負ったりするのを見るは、特に週末においては珍しいことではない。僕らの世代では、夫婦連れで外出することは、まだ稀で、もし必要があった場合でも、子供を抱いたり背負ったりするのは女親であることが一般だった。ところが、我が家の子供たちが小さい頃、 週末、カミサンが仕事で出勤 は、珍しいことではなく、忙しいとはいえ、僕のほうがきちんと休めた。そのため、特に週末、僕が家事労働をやることは珍しくなく、それが今日まで連綿と続き、歳とともに、さらに労働は強化される方向にあるやに思う。それはともかく、そういった我が家の事情に、ちょうど、娘が生まれた頃、米国時代の友人夫妻が我が家にやってきて、そのとき、旦那が背負子で子供さんを背負って歩いていたことがヒントになり、それでは我が家でも僕が背負子で子供をしょって歩くか、ということになり、最初は娘を、そして娘が歩けるようになってからは息子を、僕がしょって出かけることが多かった。連休で娘が里帰りしてきている。体格はまだ7kg弱と、あまり変わり栄えしない孫娘。ところが、しばらく時間をおいたせいもあるのだろうが、感情表現は大きく変化した。泣くだけだったものが、言葉にこそならぬものの、何事かを訴えんと盛んに発音し、表情にも、笑みが明らかに分かるようになっている。前回まではいづれを見ているか不明であった目線も、確かに定まり、人の声がする方向、自分の見たいもののある方向を向いていることは確実。首も据わり、これならば大丈夫 と、今日は、娘が部屋の掃除をする間、僕の背中に孫娘をくくりつけ、買い物に出かけさせた。息子のとき以来、ほぼ四半世紀ぶり。 慣れぬこともあって、少々j恥ずかしげではあるが、駅前スーパーまで買い物に出かけ、無事に帰ってきた(当たり前といえば、当たり前)。帰り道、だいぶん重いなと思ったのは、帰ってみたら寝てしまっていた。降ろすと、とたんに泣き出したから、それなりにご機嫌?孫を背負った爺さんなど、見たことがあったか?世代的には、子供を背負った世代が、孫を持つようになってきているが、一方では少子化である。まぁ、先駆者のようなものでもあるし、この少子化の時代、孫を背負ってお買い物できるとは、ありがたいことなのだろう。迷惑がらず、「爺爺に背負われるのは嫌」とか孫娘が言うことが出来ないうちにせいぜい楽しむことにしよう。
May 6, 2015
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