2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全9件 (9件中 1-9件目)
1
発足以来最低の内閣支持率で不支持が上回る事態。→政治意識月例調査 とはいえ、自民党支持率は民主党支持率の3倍強ある。今、選挙をやれば自民党は100減と報じるシミュレーションが週刊誌に載ったが、共産党、民主党はともかく、維新、次世代は風雲急を告げ、選挙協力も決められない状態で、不意打ち選挙を食らえば、またぞろ昨年末の選挙とさほど変わらぬ結果になるであろうことは、あきらか。 カミサンとこんな話しをしている「安倍さんの次の総理大臣って誰かしら」さぁねぇ次の総理大臣でGoogle検索かけると、一ヶ月以内のものには適当な予想はみあたらないもう少し範囲を広げると6月にこんなのがあるぞ最近の報道だと、岸田外相という線も出てきてるみたい「野田聖子さんが総裁選に立候補するって言ってるけど」よほどのことがない限り、当選はないだいいち全派閥が安倍再選支持で決まってしまっては、立候補に必要な推薦を集められまい「石破さんの名前が出てこないわね」総裁選の行われる9月号の文芸春秋にキャンディーズとか書いてるようでは、戦う意思はない言論は自由だし、キャンディーズを卑下するものではないが、それでも、ちょっとねおいおい、それで総理大臣なってだいじょぶかい?「もう芽はないのかしら?」 そんなこともないだろう。今はその気がない。死んだふりでいいって思ってるのかな「やっぱり谷垣さんなのかな?」自民党総裁で総理大臣にならなかったのは、河野洋平さんと谷垣さんだけ。組織の論理として、党が辛いときに総裁を引き受けた功労者には、それなりの処遇が当然。しかも、今は現役の幹事長。チャンスがあれば総理大臣。そうでなければ、衆議院議長それと、タカ派イメージ最右翼の安倍さんに対しリベラルイメージ。自民党の振り子の原理から言えば、バランス上谷垣さんは、やはり有力。但し、総裁任期で一期三年それも、この2-3年のウチだね安全保障法案が通った段階で、安倍さんがいったん退いて、谷垣さんにつなぎ、一期谷垣さんで行ったあと安倍さんなり次の人なりというのも、あったかもしれないけど、自民党総裁選と安全保障法案の日程を考えると、それはないなぁ。「官房長官の菅さんは?」実務的な実力はすごいだけど、選挙を戦う華が足りないんじゃない?ワンポイントリリーフはある。「稲田朋美さんって人もいるけど」将来、女性首相の有力候補であることは間違いない。閣僚経験は殆どないけど、高市さん野田さんの武闘派一辺倒のイメージに比べ文武両道。バランスがいいし、ソツもない。但し、タカ派イメージは、安倍さんの次としては、どうかなぁ「結局誰なのかな?」石破さん かなぁ僕にとって、好みということではないただね軍事オタクだけど安倍さんとの比較でいえばタカ派イメージは薄い。自民党的論理で言っても、幹事長として戦った選挙にも勝ってるし、論戦も強い。それと、安倍さんは、安全保障、TPP、国立競技場、消費税などの問題に隠れて目立たないけれど、明治開闢以来の大改革をやっていて、そこには自民党の中にある程度の範囲でコンセンサスがあって、そのコンセンサスの継承なくして後継総裁にはなれないとこまで来てるんじゃないかって思うんだよね「それはなーに?」明治以来、日本は短命内閣。大臣はさらに短命。ところが安倍政権は、大臣変えないでしょ。これはすごい改革なんだと思う。それと、スキャンダル。前回政権のときの反省があるはずだし、スキャンダルには冷徹だ。自民党の意識を変え、官僚の意識も変わってきてると思う。ここのところを頑として路線継承していけるには、党内掌握という意味でも、選挙という意味でも、相当の実力、実績を必要とするのであって、石破さんは、引き続き第一人者であることに間違いない大詰めのTPPだけど、石破さんは農政にも強い。あと、地方分権問題は、必ず次の課題にあがってくる。担当大臣として満を持すには、実はいいポジションなのかもよ。「どうかなぁ」但し、問題がないわけじゃない安倍さんがどこまで問題を解決していけるか。安全保障、TPPはだいたい見えてきている。財政と景気は、誰がやっても、難しい。景気については、政治でどうにかできるということではないんだろうなぁ。課題は外交。アメリカ追随でどうにかなった時代は終わった。アメリカとの協調は引き続き必要に決まっているけど、対中国、対朝鮮半島、対ロシア.....これまでとは違うレベルの外交力が必要とされているあと、あの体型とお顔人のことはいえないけど、健康は大丈夫だろうか「橋下さんてのはないの?」わからん大阪市長を引退した場合、次、どうするんだろうか?維新を離党してフリーハンドを得た。次はどうくるか?でも、現状からいえば、自民党でなければ総理大臣にはなれない。与党公明党の特に、大阪に橋下アレルギーが強い中、自公関係ということもあるんだよね。
August 27, 2015
コメント(0)
つつじヶ丘在住の家電メーカーの子会社でグラフィックデザイナーやってる若い人「そのお荷物は?」「9月から会社変わることになって、今日が最後のプレゼンだったんです。終わって、会社戻ろうと山手線乗ってまして、前にお立ちになった方にお席をお譲りしたところ、初めて席を譲ってもらったって感謝されて、三軒茶屋にお住まいの方なんですけど、渋谷でお寿司ご馳走になっちゃったんです。戻るに戻れなくて」「おいくつぐらいの方なの?」「74歳だそうです。頭がパニッくっちゃて、いくつぐらいだと思う?って言われて、50台ですかなんて答えて....」「いいお話ですねぇ。初めて席譲ってもらったら、お寿司おごろうって思ってらっしゃったのかなぁ。僕は、そこまでの覚悟はないなぁ」「えぇ.....」「9月から変わられても、いいお仕事になるといいですね。同じ系統なんですか?」「えぇ、親会社に出向になるんです」「そうですか。そうすると、しばらくすると広告で作品にお目にかかることもあるのかもしれませんね」「えぇ」「今は、どんなお仕事なんですか?]「全国の販売店さんを回って、そちらのホームページを作るとかがメインです」「販売店さん って、今、量販店さんがこれだけシェアをとってしまって、 大変なんでしょうね」「えぇ。でも、今残ってらっしゃる方々は、ほんとに皆さんすばらしい人たちで。地域社会に根ざして、って、こういうことなんだなぁって、いつも感じてます」「あ、そうなんだ」「えぇ。最近の家電はいろいろ操作が面倒ですし、お求めになっても、なかなか細かい使いがってがお分かりにならない方も多いんです。あちらのお宅の洗濯機は7年前のお求めだよね。そろそろ定期点検しといたほうがいいんじゃないかな、とか、お値段だけではない心配りがあるから、新しい商品でも安心してお求めいただけるんじゃないでしょうか」「いいですねぇ。コミュニケーションあっての地域コミュニティ。 そういう方々をおたずねになるのはチームで回られるんですか?」「えぇ。カメラさんとライターさんと僕。三人ですね」「せっかくのお仕事なのに、会社変わると仕事も変わられる?」「ありがたいことに、その仕事だけは、君が続けたほうがいいってことで、続けることができそうです」:::::::::::::::製作会社の営業のヒロくん「ANって覚えてます?」「ヒロくんとこ居た若い子でしょ?」「課長になったんですよ」「へぇ。良かったじゃない」「えぇ。同じ世代では早いほうなんです」「そうなんだ」「彼って中途じゃないですか。いろんなことあって。って、会社の中で変なことじゃなくて、人生経験で、いろんな仕事経験してて、大丈夫かなあって正直」「そういうこともあるよね」「でも、課長になったんです」「そうなんだ。ヒロくんは今、どこらへんなの?」「営業部営業室長」「部長さんとどっちがえらいの?」「営業部営業室長ですから、部長がいます。課が三つあって、僕も二つ課長を経験したんですけど、そのひとつをANに任せることになったんです」「うれしい?」「うれしいです」IT会社の社長をやっているOくんは、昨日が誕生日社員の諸君が、Oくんの親しい友人にも声をかけて、誕生日のパーティー10時過ぎから三々五々人が集まり、11時には宴たけなわお誕生日のプレゼントにペンとペンスタンドの置物を社員たちからお店からはジョージクルーニーサイン入りのカーサミーゴス(日本には15本だけというレアもの)「うれしい。ありがとう。来年も、祝ってもらえるように努力します」まだまだ苦しいけれど、なんとか独り立ち:::::::::::::::ささやかなことへのうれしさ、ありがたさを、忘れている自分を発見もっと、ささやかなうれしさに感動していないと、次のささやかなうれしさを逃してしまうかもほかの人のうれしさを、うれしいんだろうなぁ っと感じられることがうれしいほんとうはカミサンにもいいことがあった一緒に喜びたいのだが....あいにくのすれ違い世の中、今日び暗い話題ばかり、人へ、組織への非難、スキャンダルなどすざまじきことばかりが大手を振って道の真ん中を歩いているささやかではあっても、喜ぶこと、喜ぶ人へは、まゆをひそめるごとき風潮ニヒリズム、デカダントばかりが幅を利かすだが、そのすざまじさを僕らと子どもたちは生き抜き、今日がある僕らにも、若い人たちと同じく、ささやかにうれしいことが、うれしい日があった負けないぞ!最後の日まで感謝をなおざりにすまい
August 27, 2015
コメント(1)
今月4日、非武装地帯で地雷が爆発し韓国軍兵士が負傷した。韓国側は報復として拡声器で北朝鮮に向けプロパガンダ放送を始め、北朝鮮は20日、韓国に向けて砲撃、韓国はこれに応射したと伝わっている。現在、軍事境界線にある板門店で南北高官による会談が断続的に開催されているが、北朝鮮は南方地域に「準戦時状態」を宣言し、軍事行動を予告。韓国の朴槿恵大統領が24日、北朝鮮が繰り返す挑発行為を謝罪しなければ宣伝放送を続けると述べ、これが今後の動向に影響をあたえる可能性が出てきている。状況は極めて危ないと、憂慮せざるを得ない。ご存知の通り、韓国経済は行き詰っていて、政権は不安定。ある意味、不満の捌け口に利用されてきた日本との関係でも、ここのところ韓国側の主張は殆ど容れられる状況になく、注目していた安倍談話でも、韓国は事実上無視されてしまった。にもかかわらず、北朝鮮関係が緊張を深める中、韓国側は有効な反論を出すタイミングを逸したやに感じられ、韓国社会にはフラストレーションが蓄積している。北朝鮮側においても、金正恩体制の安定性は不確実。幹部の相次ぐ粛清が軍にまで及ぶ状況は、これまで体制を支えてきた軍、政府組織の中に不安が蔓延していることを想像させる。偶然、金政権は三代目、朴政権は二代目の「世襲」どちらの社会も閉塞状況に陥っている。これまでも南北関係の緊張はあった。それでも、どちらか一方、或いは、双方に老練な指導者があり、北朝鮮が青瓦台に兵を送り込む事態においても、それは南北間の「戦争」が継続する中での、ジャブの打ち合い。両国の後ろにある米中ソによる両国のグリップは強く、彼らの望まぬ限り「戦争」はあくまで限定的なものでしかなかった。今の問題は、両国内に鬱積するストレス感、閉塞感と、北朝鮮にとっても、韓国にとっても、今の状況が現在の指導者たちになって初めての本格的緊張であり、お互いに相手がどのように反応するか不確実だということである。かつてと異なり、後ろにある米中(ロ)の両国へのグリップは弱く、両国の自由度はかつてより大きい。中国経済が明らかな急ブレーキがかかる中、習近平政権にどこまで北朝鮮をコントロールする余力ありや。本来ならば、韓国としては、相手の出方を見ながら慎重に対処しなければならないところを、朴政権はあえて緊張を強める方向に動いているように見える。指導者的にも国内政治的にも抑制が効かない同士が角付き合わせる状態が続いている。燃え易いガスが溜まっている状態に、何がきっかけで火がつかないとも限らない。しばらくは目が離せない。 :::::::::::::::ここまで書いたところで、25日未明の交渉が合意が伝えられた。北朝鮮が地雷爆発事件で韓国軍兵士2人が重傷を負ったことに「遺憾」の意を表明し、韓国側は宣伝放送を中止するという内容。交渉の詳細は不明だ。ひとまず、危機は避けられつつある。韓国の勝利とは思わない。「今の韓国は危ない」北朝鮮がそう思ったような気がする。
August 24, 2015
コメント(0)
最後に行ったのは、もう3年前のことだった→弦巻茶屋にて桜新町から駒沢のほうへ戻った駒沢給水所南側の細い道を入っていくと左側にあった弦巻茶屋。古いお宅をカフェとして使用されていて、お料理も雰囲気もそれなり。すばらしく分かりにくい立地もまた面白く、夫婦そろってお気に入りだったのだが......去年閉店して、気がつくとリムテラスガーデン桜新町というマンション。
August 24, 2015
コメント(0)
8月14日、安倍首相は、戦後70年にあたり談話を発表した。内閣総理大臣談話英文村山談話、河野談話の継承、或いは、それらに盛り込まれているキーワードが再び盛り込まれるのか、もしくは、これら談話に代わる新たな位置づけの談話を発表するものか、左右の政治的立場その他さまざまな論議があった。個人的な感想をいえば、まぁ、こんなところ。可もなく、不可もなく、さまざまな意味で期待していた向きからすれば、食い足りない。村山元首相は、談話に対し、「談話は出す必要がなかった」「中身について評価するところはない」「全体を通して見ると、焦点がぼけて言葉を薄めて述べている」などとコメントしたそうだ。その通りだと思う。村山さんのコメントは、左側のフィルターを通してのデフォルメが入っているのだろうが、右側の人にしても、言葉だけを言えば、まったく同じコメントになるのでは?僕は、それでしょうがないと思う。たとえ、これが、例えば、鳩山さんとか菅さんが出す談話だったにしても、実は、多少表現に違いはあるにせよ、全体としては同じような評価に終わったであろう。しょせん官僚の作文 ということでは必ずしもない。村山さんは93歳。終戦時、既に成人であった。実体験者としての迫力は、しょせん安倍さんは持ち得ない。それは、安倍さんが左側の立場の人であっても同じだったと思う。僕にしても、第二次世界大戦のことは、言ってみれば、平家物語のようなもので、周辺国家なり人々なり、或いは、日本国民が大変な惨禍をこうむったことは事実であり、国としては申し訳ない、もしくは、アジア解放のための戦い、或いは、自衛のための戦い、その他、さまざまな見方、そのどれに対しても、しょせん戦後生まれ戦後育ちの立場を出ない。当事者たり得ないのである。ありていに言ってしまえば、そのことは、僕だけでなく、安倍さんも同様であるし、中国の習近平さんにしても、韓国の朴さんにしても、同じなのだ。どこまで拳を振り上げてみても、中国、韓国の当事者の方々からすれば、習さんも朴さんも何を言おうと食い足りない、拳の上げ方が足りない、ということになるだろうし、マスコミ(というものがあるならば)は、そういった意見の表層だけをセンセーショナルに取り上げて、さらにはやし立てるのみ。おそらく、安倍さんは、早い段階から、そのことは分かっていたと思う。4月末から5月にかけての訪米で、米国議会で演説し、9月は9月で、中国に行くならば、そこで中国用のコメントを発する。今回のようなすべての人によびかける首相談話では、すべてのお相手を満足できるような内容は網羅しえない、不向きのである。ただいまの本命は安保法制である。首相談話、或いは、沖縄の辺野古埋め立てなど、ハードルをあげるだけあげておいて、一気に下げて、反対する人たちのガス抜きを図った。9月には中国で何らかの発信を行い、さらにガスを抜いてそのまま参議院を乗り切る。談話は、ある意味その材料に過ぎないと言ったら言いすぎ?今日は、天皇陛下のお言葉がある。節目としてのお言葉ではないかもしれぬが、日本国民の象徴は安倍さんではなく、天皇陛下である。天皇陛下は、村山さんほどのお歳ではないけれど、やはり、戦争体験者であられ、そこには安倍さんの持ち得ない迫力がある。習さんにも朴さんにも、それはないのである。野党各党も70年のコメントを出したが、目を通した反意では、安倍さんにReferするだけで、彼らの言葉にはお詫びも、何もないように見える。果たして、それでよいものか。批判しているのではない。お詫びとか政府にそれを要求するならば、野党は野党としてそれはそれであるべきではないか と問うているのである。民主党代表談話共産党戦後70年にあたって――「安倍談話」と日本共産党の立場
August 15, 2015
コメント(0)
先般、NHKで「玉音放送を作った男たち」という番組が放送された。この番組の原作となったのが坂本慎一さんの「玉音放送をプロデュースした男―下村宏」(PHP研究所、2010年)である。余計なこと僕は、番組は見ていない。NHKのああいう番組は、昔のほうが出来がよかったように感じている。アニメとか作り物の映像で史実を説明することは、複雑な事情があったであろう史実を、分かり易いように見せる反面、うすっぺらなものに貶めるようでもあって抵抗感がある。また、予算の無駄、肥大化があれほど指摘されている中で、当時の写真、映像などを編集しながら、アナウンサーが文章を読めば良いものを、なぜに、時間も金もかかる外部の俳優なりプロダクションなりを使って番組を制作するものか、とも。それらはさておき、坂本さんが、「玉音放送をプロデュースした男」について語られている中で、驚いたことが2つほどあるのでメモしておく。テレビ番組の中には盛り込まれていないだろう。出典は、憲政資料館に保存されている下村宏がその著書「終戦記」を書くに当たって使った草稿で、1945年8月8日に下村が参内した際の天皇陛下(昭和天皇)からのお言葉とのことである。下村は、その部分にしては資料を散逸し、内容は忘れたと表向きは言っていて、終戦記にも、その部分の記載はなく、或いは、昨年刊行された昭和天皇実録にも、これらの内容は記載されていない。宮内庁が資料をあたっていないのではなくて、たぶん、傍証となるものがないので、実録に記載するには不適当と判断したものと惟ふ。1. 戦争は海主陸従あの戦争、特に、1941年12月8日以降の対米戦争について、我々の多くは、陸軍が主導し、どちらかといえば、海軍がそれに引きずられたように思ってきてきた。実際、参内までは下村もそのように考えていたのが、天皇陛下は、実際はその逆の海主陸従。特にガダルカナル以降は陸軍が海軍の熱望により兵を動かしたとして、前任永野軍令部総長の責任大と指摘したというのである。終戦記で下村はこのとき、天皇陛下に、戦況は極めて厳しく、勝つといって戦争を始めた者の責任を問うべきと指摘したと言っているので、それに対する天皇陛下のお答えの一部であろう。来月93になる父は、旧陸軍将校で、長く偕行社の幹部で、このあたりのことに詳しく、まだ記憶のしっかりしていた頃、「海軍は脚(船)があるから、世界中いろんなところで戦争を始めてしまうので困ってしまった。東条(英機)の頭の悪いところは、その海軍に引きずられて戦争にのめりこんだところだ」と云っていて、天皇陛下のお言葉を現場レベルからも裏打ちしている。「だいたい俺たちは、(陸軍)士官学校で対米戦争の講義など、ただの一時間も受けたことはない(対米戦争が始まり、任官後に多少の補講はあったらしい)。冬の満州かシベリアでソ連相手の話しばかり。それが南の島のジャングルで、アメリカと戦うことになるとは、夢にも思ったことはない」それが陸軍側の本音だろう。本音だから正しいという意味ではない。父はこうも言っていた。詳しく聞いておくべきだった。「阿南のオヤジが陸相で、鈴木貫太郎閣下が総理大臣。戦地に居た俺たちでも、これが終戦内閣であることは分かった。海軍最先任の鈴木閣下だからこそ、海軍が止められた」当時、陸軍の若手将校にもっとも信頼の厚かったのが、阿南陸相と今村均両大将だったそうだ。2.広島原爆と第二総軍参内は8月8日。広島原爆投下前でソ連参戦、長崎への原爆投下より前。天皇陛下は下村に、「米軍は広島に第二総軍本部があることを知っていたのか。そこまで情報を知っているのか」と言われたという。今の僕らからすれば、広島に第二総軍本部があることなど、米軍に隠せていたとは思わないが.....天皇陛下のお言葉は微妙である。広島への原爆投下。前後から天皇陛下には、この段階でかなり詳細に原爆がどのようなもので、被害がどの程度であるかの報告も入っていたことが分かる。 もちろん、驚愕するべき爆弾なのだが、それが、第二総軍本部があることを知っての投下であることに衝撃を受けておられたとはいかなることか?この衝撃は、天皇陛下お一人のものではなく、少なくとも陸軍が共有するものであったことが推測される。組織本部がどこにあるかを含めて軍の編成は機密事項であった。第二総軍はこの年の一月に構想され、広島に本部が置かれたのは、4月7日である。実は、8月8日の参内において、下村は天皇陛下へ大本営移転の中止を意見具申していた。終戦記に、下村は「近時、お上には山梨、長野方面へお移りになっているという風説」と書いた後に「通信の発達した時代に大本営が広島に移っても福岡に移っても、戦線への現地に対する距離から又時間から言へど殆ど同じことである」「しかし今日となっては東京が事実敵の占領するところとなれば格別、大本営移転といふがごとき手遅れで只徒に士気を失はしむるだけで最早問題にならない」とこのときの具申を記している。このことから、この段階で検討されていたのは、いわゆる「長野大本営」などではなく、広島、或いは、福岡に陛下ご自身が赴かれた上での陣頭指揮を期待する動きがあったことがわかる。海軍は壊滅状態とはいえ、呉は艦隊の最重要拠点。兵学校もそこにある。陸軍も、鈴鹿山脈から本土を二分した一方を所轄する第二総軍本部を広島において、軍部から言えば、広島はいわば、城を枕に討ち死に の最後の地という感覚。そこに天皇陛下をお迎えしようとは、安徳帝を道連れに海に沈んだ二位の尼の心境か。その移転(進出)先として検討されていた広島に、原子爆弾が投下されたが故に、陛下は驚愕されたことを下村の草稿は示唆しているやに思われる。再び父の登場彼はラバウルに出征した。どこから出征したかといえば、広島の宇品なのである。出征までの間、彼は広島で待機し、広島に駐在する先輩(上官)が、その間父たちを接待していた。敗れて帰還した、それも広島だったそうだ。日清戦争において、大本営は鉄道の終着点かつ港である広島にあり、それ以来、軍都広島は陸海軍とも出征軍のロジスティック最大拠点であった。分かっているところでは、原子爆弾投下時点で、なお、広島は兵員の集結地点であり、疎開した小学校校舎は、出征待ちの兵士であふれていたという。原爆の被災者数は確定していない。その最大要因は、この時点で、どれだけの兵員が広島に待機してあり、そのうちのどれだけが被災したか、分からないからである。→堀川惠子「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」などむろん集積していたのは兵員だけでなく、物資(兵器、弾薬、食料)も同様。なぜに、それだけの集積が生じたか?偶然ではない。集積したはいいが、運ぶための船がなかった。ために、そこに物流のボトルネックが生じていた。そこを原子爆弾が襲ったのである。どこ宛の物資であるか?沖縄陥落後、米軍が来襲するのは、九州と予想されていた。実際、米軍が想定していたオリンピック作戦の上陸地点は九州である。広島に集積した物資の陸揚げ地はどこか?それだけの設備と集積機能、鉄道が集結するは、門司、小倉(現北九州)、長崎、佐世保である。原爆の投下(目標)。我々は無差別爆撃というが、実際は無差別ではなく、目的がある。実は、目的がある爆撃のほうが残酷である場合も多い。彼らは、焼夷弾で日本の各都市を焼き払い、日本はどこに修復の手を差し出すかを確認、それが、軍事拠点、工場施設割り出しのデータとなったはずそして、それが、どこで何かを割り出し、さらに今度は細かく叩いていく。 軍事とはそういうものである。話しをもとにもどす。広島は第二総軍本部であり、大本営進出候補地であり、戦時物資兵員の集積地であったそこが壊滅的打撃を受けた軍から言えば、半分の機能が失われたようなものだったはず。ポツダム宣言受諾が現実味を帯びた時でもあったと思う。 :::::::::::::::下村宏(海南)名前は知っていても、これまで、終戦時の彼の行動についての研究は殆どなされてこなかった。テレビ番組の影響ということではなく、坂本さんのご研究と、その著書が契機である。坂本さんはPHP研究所の方なぜに と思ったところPHPの創設者松下幸之助が下村の信奉者で、同郷の和歌山人。下村海南の号は、自ら「小にしては紀州、中にしては台湾、大にしては南洋」と称したという。PHP→松下幸之助→下村海南という流れ思わぬところから、分かっていなかったことのヒントが出てきている。坂本さんは、まだお若いし、これからの研究に大いに期待がもてる。愉しみである。
August 12, 2015
コメント(1)
セブンイレブンに行った。ふと見ると、文芸春秋がおいてあり、芥川賞発表とある。まだ金曜日だが、 10日が日曜なので金曜日発売なのか?いや、そうではない10日は月曜日であるお盆の週を避けて7日に先行発売したのだお盆だなぁほぼ毎日、郵便ポストを占領しているチラシがないチラシを入れる人たちも休みをとっているのだろう僕らのほうも旅行などで不在の人が多く、効果が少ないお盆である
August 8, 2015
コメント(0)
その1から韓日条約には、もうひとつ重大な韓日間の意識の差があります。韓日条約と同時に結ばれた「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」によって日本は韓国に 3億ドル相当の生産物及び役務 無償(1965年)(当時1ドル=約360円) 2億ドル 円有償金(1965年) 3億ドル以上 民間借款(1965年) 計約11億ドルにものぼる資金供与及び融資をおこないました。よく言われることですが、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度だった時代です。一般に、日本の人たちは、この日本の援助が漢江の奇跡と言われる今日に至る韓国反映の基礎となったとお考えです。確かに、いただいた資金が韓国反映の基礎であることは間違いありません。しかし、韓国の人たちにとっては、それ以上に、この時期、米国から流入した資金が、漢江の奇跡をもたらしたと考えているのです。韓日条約が締結されたのは1965年です。その前年、韓国はベトナム戦争へ派兵を開始しています。米国は派遣された全ての韓国軍将兵に対し戦闘手当を支払い、韓国製品に対するアメリカの輸入規制を大幅に緩和し、韓国製品がアメリカ市場になだれ込むようになりました。さらに、米国は韓国に膨大な軍事援助を供与し、韓国はそれまで国防費に当ててきた国家予算を重工業などへの投資に回すことができました。これらを含むアメリカからの「ベトナム特需」の総額は10億ドルを遥かに上回り、朝鮮戦争時の日本における「朝鮮特需」以上の利益を韓国にもたらしたのです。当時の日本にとって韓国への資金供与は確かに厳しいものだったでしょう。しかし、韓国国民は、漢江の奇跡は、自分たちがベトナムで戦った、いわば血で購ったお金、つまり、自分たち自身で獲得した誇るべき成果であって、決して日本が言うような日本の資金によるものではないと考えているのです。漢江の奇跡が韓日条約締結の結果として、日本が支払った資金によるものだとする人たちには、ベトナム戦争時の韓国軍従軍慰安婦のことを指摘する人が一部重なります。しかし、お分かりいただけるでしょう。韓国国民にとってベトナム戦争従軍慰安婦を言うことは、自分たちの現在を購った父親たちを冒涜するものと映るのです。少し違う話をしましょう。私を含め、韓国の中にも、日本支配が従前制度に比べ優れたものであり、韓国の現在が日本支配の恩恵によるものだという感覚は存在しています。しかし、現在でも韓国内でそのことを指摘するには勇気が要ります。社会人類学者の中根千枝氏は自身の著書の中で「日本は集団の中での上下関係が、社会において 最も重要な関係になっている縦社会。組織の中では、上司や先輩に異議を唱えることが許されず、無条件に 服従しなければならない」と、集団、組織の中で、年齢や性別で一律に線引きをする文化の弊害を指摘しています。年功序列を重んじる儒家文化の影響が、その背景にあると思いますが、これは、まさに現代に至る韓国社会にも当てはまります。もともと、中国に発したものが、朝鮮半島、日本に移植された。それが、1910年の併合で、日本のものが朝鮮半島にフィードバックして融合し、独特の発展をみせたのでしょう。韓国は分断国家です。38度線の北にある、我々をいつ、どのような方法で攻撃するか分からない北朝鮮が存在し、常に緊張を強いられる生活が日常となって、もう、60年以上になります。国民の殆どが、この緊張感の中で生まれ、育ち、生活してきました。そこが、韓国と日本が大きく異なるところです。韓国でも日本でも忘れられがちですが、韓国である程度言論の自由が許されるようになったのは、ようやく軍事政権を脱した1993年の金泳三政権以降のことで、わずか22年前でしかありません。日本統治の時代を含めれば、80年以上を国民は軍事政権の下で過ごしたことになるのです。日本で縦社会の弊害として指摘される、まさにそれが、北朝鮮との対立を常にかかえる軍事政権下で、さらに増幅されていた。言論の自由なき、ストレス社会が韓国の実態だったといえるでしょう。軍事政権が終わって、限られた中ではありますが、言論の自由が認められた。でも、いつゆり戻しがあるかもしれない。過度に自由を解放すれば、それを利用して北朝鮮が謀略を仕掛ける可能性があり、ふたたび軍政が復活することもあり得る。不安定な民政移行の中、歴史的経過もあって、唯一、日本については、それが非難である限り、何を言っても許される。水面下でくすぶっていた慰安婦問題も表面化してきたのもその時期でした。拍車がかかったのは、盧武鉉政権からですね。盧大統領は戦後の軍事政権下の政治を生き抜いた金泳三、金大中両大統領といった前任者たちと比べ、政治力、カリスマ性、統率力が弱かった。そのため、反日法とも呼ばれる親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法の成立もそうですし、結果として韓国社会に深く残る反日の風潮を利用して、日本を自分に対する人気取りないし不満の捌け口に利用した。お気づきの通り、韓国社会のいびつさはまだ続いています。表面的な言論の自由の中で、日本からみれば暴走以外の何者でもない言論封殺が頻発しています。特に日本については、どんな悪口、非難でも許されるのに対し、日本を擁護する言論にはまったく自由がありません。特に政治家については、誰かが勇気をもって、日本の言い分にも耳を傾けよと言ったとするならば、その政治家は次の選挙で間違いなく落選しますし、場合によっては、自分自身はおろか、家族の命も危うい。日韓の間のいろいろな対立は、どちらかが一方的に正しいということではない。客観的に日本が正しいところは総統にあると思います。しかし、韓国人としては、それでも言いたいことの十分の一も言い尽くしていない。日本をライバルとし、追いつけ追い越せと、経済の発展に活路を求めましたが、それは社会の格差を拡大し、拝金主義を蔓延させてしまいました。心の安定には、北朝鮮問題の解決が必要ですが、方向は見えていません。韓国が日本と冷静にお話しできるようになるまで、残念なことですが、まだしばらく時間がかかると思います。ストレスのたまるところですが、辛抱強く、未来を信じて、日本の識者の方々に信頼して、次の時代にゆだねていきたい。:::::::::::::::日本国は、台湾、沖縄、朝鮮半島を、云わば養子にとり、育児の途中で、それが我々の一部の主張するごとく、いかに正当防衛の結果だとしても、 ある意味、一時獄に繋がれ、養育を放棄させられた。 いったん養子にとられたものが途中で養育を放棄された側としては、不条理、理不尽なことである。 我々、東京に住む人間たちの意識からいえば、台湾、韓国、沖縄の現状は、必ずしも理解するところにはない。 しかし、立場を変えれば、我々は、彼らからすれば、いわば裏切りの当事者の成れの果てであり、 いかにそれが不当であろうとも、相手にその認識があることを踏まえねば、相手方の主張の意味するところは、理解し得ない。
August 5, 2015
コメント(0)
承前(前回は、日韓併合に先立つ日本による朝鮮半島の経済支配)韓国(あるいは朝鮮半島)と台湾二つの地域は、ある時期、日本が支配し、1945年、日本の敗戦を契機に、その時代は終わりました。 今日、かたや、かたくなな排日ないし反日的に映る部分の多い韓国に対し、親日的な台湾。 同じような経過をたどりつつ、二つの地域の日本への態度は、(表面上)大きく異なる。なぜに、そのような違いを生じたか。先月(7月)来日された台湾の李登輝元総統は、そのあたりの経過を「日清戦争の結果、清は、当時毛外の地であった台湾を日本に譲渡した。それに対し、朝鮮は、日本と合併したとき、すでにひとつの国であった」と分析しておられます。李元総統のお言葉を振り返ってみましょう。「可愛そうな状態にあった台湾にとって、日本による統治は近代化のはじまりでした。当時の日本による支配を私は高く評価しております。台湾を非近代的な農業社会から、近代的社会に持ち込む。一番大きかったのは、行政と司法の分離です。そして、後藤新平、私の先生です。本当に台湾のために奮闘されました。それから、嘉南大圳の灌漑を行った八田与一先生、日本ではおそらく知られていないと思いますが、台湾では神様として祭られている日本人が5人います。そういう人たちがあったから、台湾は日本の支配を永遠に忘れません。韓国の場合は、そのあたりのことが台湾とは大きく異なるのではないでしょうか。韓国は国として日本と合併しましたから、むしろ韓国の場合は台湾に比べると待遇はいいんですよ。台湾人の場合は、ある程度日本人に比べると差別を受けていました。しかし、台湾の場合は、社会全体が伸びていった。差別はあっても、台湾はそういうことで、日本に対して暖かい評価をしています。そのことは、東日本大震災の災害に対して台湾人が献金した、その態度を見れば明らかです。1945年、連合国内の合意に基づき、台湾は中華民国に帰属することになりましたが、近代的統治を経験した台湾にとって、行政と司法が分離しない国民党の政治は古いものに感じられたのです」::::::::::::::::韓国と台湾の日本支配の始まりを比べますと、いわば未開の地であった台湾に対し、朝鮮半島は国家としての歴史は古く、また文明、文化においても世界の他地域と比べ独自のものが形成されていました。特に日本に対しては、歴史的経緯もあり、それこそ化外の地であって、少なくとも対当以上、比較優位という意識があり、大衆レベルにおいても、ウエノムとかチョッパリと差別して呼ぶなどが一般化していたのです。李元総統は、台湾に比べ韓国の待遇はよかったとおっしゃいますが、韓国の場合、自分より格下と考えてきた相手の傘下に組み入れられたことは屈辱でした。日本支配の下、客観的に見れば、発展は確かにありました。しかし、韓国と日本だけのことではなく、人間は屈辱の中での物的数字的拡大、質的変化を、進歩、発展として捉える、認めることはしないのです。李元総統は、台湾で尊敬される日本人の名をいくつか挙げられましたが、韓国でも、日本支配の時代の日本人がすべて悪逆非道ということではなく、津田仙、浅川巧、重松 修(まさなお)といった人々は、朝鮮半島の発展に尽くした日本人として、尊敬されてきました。しかし、残念なことに、彼らの業績は、今日の韓日関係の陰で忘れられつつあります。日本支配において、朝鮮と台湾の大きく異なるのは、台湾においては、早くから民政化が進められ、大正中期かた昭和10年代まで文官が総督を務めたのに対し、朝鮮においては、初期の朝鮮統監時代を除き、総督となったすべてが武官、しかも、斎藤実を除く全員が陸軍軍人であったことでしょう。武官、軍人も、官僚の一部ではありますし、斎藤実を含めて多くの朝鮮統監から日本の総理大臣を経験した人材があるのに比べ、台湾総督から総理大臣になったのが初期の桂太郎だけであることを考えれば、決して、台湾総督に比べて朝鮮総督に劣った人材が送り込まれたのではありません。けれども、ここには際立った違いが存在しています。李総統もご指摘なさったとおり、朝鮮は合併の段階で、ひとつの国家でありました。同じ日本支配でも、台湾では、システムも体制も何もありませんでしたから、日本の支配体制を人材ごと持込んだのに対し、朝鮮では、既に存在していた李朝支配組織のインフラを転用したのです。旧態依然がる国内組織に不慣れな外国のシステムを持ち込んだ、木に竹を接いだような組織ですから、意思の疎通も効率も悪い。統治機構が整備されないため、抜本的な改革政策をとろうとしても、組織が動かない。反体制運動も収まらぬ中、結局、民政へ移行するタイミングをつかめず終戦を迎えることになりました。このことはあとで述べますが、李朝の非効率な体制を引き継いだ軍政が民政に移行できないまま終戦を迎え、さらに、その後、北朝鮮との厳しい対立が続いたこと、これが、現代韓国の反日傾向に大きく影響してきたと私は考えているのです。日本支配終了後、韓国は、自ら憲法を制定し、李承晩が初代大統領に就任します。戦後体制発足の過程では当然、米国が影響力を行使したのですが、発足した政治制度は、その後の憲法改正などもあり、比較的短期間に従前の日本支配体制と比べ、十分、近代的な民主主義体制が整えられていきました。李登輝元総統は、国民党支配は日本支配と比較して前近代的だったと指摘されました。韓国に、日本支配が優れたものだったという感覚がないのは、国民感情と、韓国、台湾の戦後政治体制のスタートの違いに主たる影響があるのです。さて、韓国と日本、この二つの国の間には、いくつかの気持ちの行き違いといったものが存在しています。それらは、歴史的に複雑な経過もあり、単純に韓国の主張なり日本の主張が一方的に正しいということではない。そういったことの中で、戦後の韓日関係の行き違いを考えるひとつの原点が、韓日条約(大韓民国と日本国との間の基本関係に関する条約、以下本条約と標記)です。戦後韓日関係のスタートとなったこの条約に残る二つの国の間の根源的な解釈の相違点、すなわち、韓国側は、本条約の締結により「過去の条約や協定は、(当時から)既に無効であることが確認される」という解釈するのに対し、日本側は本条約の締結により「過去の条約や協定は、(現時点から)無効になると確認される」と主張し、特に韓国併合に対して、韓国側は「そもそも日韓併合条約は無効であった」という立場であるのに対し、日本側は「併合自体は合法的な手続きによって行われ、併合に関する条約は有効であった(よって、本条約を持って無効化された)」という立場をとる。最近、ユネスコの世界遺産委員会会議で、日本政府が世界文化遺産への登録を企図した明治の産業革命施設のいくつかについて韓国は、登録への反対ないし韓国人労働者の強制徴用の歴史を盛り込むように各国政府に働きかけたということがあり、多少改善の兆しが見えた両国関係を再び悪化させたことがありました。日本が朝鮮半島だけを対象とした政策ではないと説明しても韓国においては意味をなさない、また韓国が不当な強制徴用と非難しても、日本国内には違和感が残る、やりとりの根底には、この併合条約をいつの時点で無効とするか、両国の立場の違いが典型的に現れていいます。日韓関係の未来は、極論すれば、この日韓条約に残る根源的な相違点を、それぞれが認める 相手に同意するという意味でなく、相手の解釈が自分と異なることを認める ことから始まるのでしょう。せっかく始まった論争ですから、中途半端で終わらせずに、とことんやりぬく そういう覚悟がお互いに必要かもしれません。過去数百年の歴史は、問題先送りは、さらに大きな問題を未来に引き起こすことを示しています。日本からすれば、遺産の形成された年代は強制徴用に先立つ1910年以前であり、しかも徴用は当時の日本国民全般の義務であって朝鮮半島の人々だけを選択的に対象としたものではなく、韓国側の主張は極めて遺憾なものに映ります。しかし、韓国からしてみますと、強制徴用のイメージは、はるか以前、豊臣秀吉の壬申倭乱、日本でいうところの朝鮮出兵に遡る、日本の方々が考えるよりはるかに根深いものなのです。壬申倭乱により、朝鮮半島は、日本により、書籍、絵画、陶磁器等の文化財を略奪され、多くの技術者や学者などを拉致されました。ご存知かもしれませんが、江戸時代に日本と朝鮮半島間に行われた朝鮮通信使は、もともと、回答兼刷還使といいまして、日本側からの国書による回答(謝罪)を求め、日本に連れ去られた儒家、陶工などの捕虜を、朝鮮へ連れ帰るのを目的としていました。明治以降の日韓関係を韓国側から見ると、日本に対する嫌悪感、恐怖感の原点ともいえる壬申倭乱の再現そのものだった。韓国からすれば、過去の忌まわしい記憶を再現した強制徴用は、断じて容認できない。実は、韓国が働きかけたのは、23施設中7施設であり、それらは、偶然かもしれませんが、福岡、熊本、長崎の西日本3県に集中しています。先ほど、ウエノム、チョッパリと申し上げましたが、オリジナルな意味合いからすると、これらの言葉は必ずしも日本全体を対象としたものではなく、地域的により近い、よって古来から関係が深かった西日本地域に、より強い侮蔑の意識があるのです。明治の日本政府は西日本出身者が優位を占めていたことも、朝鮮にとってはより強く屈辱を感じるものだったのかもしれません。但し、西日本以外の日本が西日本よりましかといえば、そういうことではなく、眼中にない、化外の地のさらに奥として意識の外であるに過ぎないのではありますが。朝鮮半島に根深く残る西日本地域への嫌悪感は、朝鮮半島へ侵略した軍勢の大半が西日本のものであったことに起因しているかもしれません。実際、西日本の陶磁器の産地には、今でも朝鮮半島をその出自とすることを隠さない一族が技術を伝承している例が多く、拉致の事実を裏付けます。この項続く
August 5, 2015
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1
![]()

