2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全9件 (9件中 1-9件目)
1
昨3月27日、テレビ朝日「報道ステーション」の番組中に、コメンテーターを務める元通産官僚の古賀茂明さんが、突然、キャスターの質問に答えず、自分が番組を降板になり、その原因が、テレ朝、或いは、制作会社に対する官邸の圧力だなどと不規則発言。さらに、番組後半では、I am not ABEと黒地に白抜きした紙を掲げるなど、俗に言う放送事故を自演、話題となっている。「古賀さん。しばらく前から、なんか変だなって感じてたんだけど、ついに」「どうしちゃったんだろう」「勘違い これじゃぁ、もう古賀さん使う人いなくなっちゃうね」「そうだよなぁ。選挙出すと言っても、民主党はそもそも仙谷さんが官房長官だったときかな?古賀さんのこと恫喝してたし、こうなると山本太郎的キャラで売るしかないもんな」「官僚辞めてから、かなり稼いだんじゃない?食べてく分ぐらいはあるでしょ」「実家が裕福なのかな。さもなきゃ自爆テロ、俺たちじゃあ出来ないし、やらないよなぁ」「古賀さんてレギュラー下ろされたの?」「もともとレギュラーじゃなかったみたいだよ」「だけど、わたしたちがニュースステーション見るとき、いつも出てたじゃない」「金曜、ときどき って感じだったらしい」「たまたま、金曜日に私たちがニュースステーションを見ることが多いのね」「そ。ほかにみたい番組がないんだよ」「私の同級生で、古賀さんと同期の通産省の人がいるでしょ。あの記者会見出てて、浮気がバレて飛ばされた」「 あぁ、いましたね。お気の毒な」「東大出て官僚なるような人って、なんかあるのかも」「昔から?」「そうじゃぁないんじゃない?あなたがよく言う通り、私らより少し上の世代から、ああいう人たちは、小さい頃からいい学校、いい大学、いい職場って追求してて、ほんとうの自分がどこにあるかわからなくなっちゃってるのかも。これも、あなたが言う通り、やるべきときにやるべきことをやらないで、この歳までなっちゃった。社会的地位がある程度のところまで来ると、やりたかったことが、やれそう って思う。そうすると、まわりの人のこととか自分の立場とか、そういうことが目に入らない」「ノーパンしゃぶしゃぶとか?」「君だってやりかねないと思うときはあったけど、あなたの場合、若い頃からすき放題やらしてあげてきてるからね。もう卒業したでしょ。体力もないし」「そう思ってるのはカミサンだけだ」「こないだだって、ちょっと悪さしたから頭叩いたら、帯状疱疹なっちゃったじゃない。偉そうなこと言わないの」「はいはい」「結局、ああいう人たちは、っていうか、僕なんかもそこまででなくとも、多少そのキライはあるんだが、僕らの仲間で優秀だって言われてた連中の多くは、いい学校、いい大学、いい組織、いいカミサンって、そういうライフスタイルモデルの中だけで生きてきた。だけど、ライフスタイルモデルは、いいカミサンのあとまでは面倒みてくれない。そこまでは、言ってみりゃあ僕らの母親どもが考えたライフスタイルモデルであって、嫁さんもらうとこまでで、自分の役割は終わり。そっから先で口出しする母親は、モンスターペアレンツならぬ、モンスターグランドペアレンツだな。一方で、時代も変わるから、5-60年前のライフスタイルモデルは、そこでもずれを来たしてる」「あなた方、わたしたのより少し上の世代までは、組織にも面倒みる余裕があったから、多少おかしくってもどうにかなったけど、あなた方、わたしたちの世代だと、おかしい人たちがそれなりのことになっちゃうと、カミングアウトが表に出ちゃう。古賀さんのことは私は知らないけど、同級生たちの中でも、ああいう人たちは、もともとやっぱり、協調性がなかったり、わがままだったりして、付き合いにくい連中なの」「だけどなぁ....古賀さんだって、もうそろ60のジジイだろ。古舘さんはもう60。ジジイ同士の言い争いをテレビでライブ中継しちゃったんだもんなぁ。困ったもんだ」「だけど、古舘さん、いいじゃない。昔とった杵柄じゃないけど、目の前で、あれやられて、それでも、冷静に仕切った」「さすがプロ」「そりゃそうよ。何年自分の実力だけで食べてきたと思ってるのよ。たかが官僚の経歴に甘えてきただけの古賀さんとは、天と地ほども違うわ」「でもねぇ。古賀さんの言ってることには、原発にしろ、安倍政権のことにしろ、俺はまったく賛成しかねるんだけど」「あなたは右翼だからね」「僕は、自分が真ん中だと思ってる。それはともかく、古賀さんって、彼自身があのカミングアウトの中で言ってる通り、どういう内容であれ、発言は発言として、ひとつの考え方として、やっぱ、尊重はされるべきだと思うのね。しかも、これからって、原発再稼働のことも、普天間移設も、集団的自衛権も、憲法改正も、戦後70周年談話も、それぞれに重要な時期じゃない?」「そうよ」「それがさぁ、古賀さんみたいな人が、あんな形で発言すると、なーんだ、ああいうことはあんな人が言ってるんだって、信用されなくなっちゃう。彼がほんとはどう思ってるのかはわからないけど、ちゃんとした議論が必要なときに、彼の自爆テロが、多くの人を議論から、というか、ちゃんと自分の頭で考えることから遠ざけるんじゃないかって、それはそれで、問題だと思うんだ」「だいじょぶ。ほかの人たちだって、古賀さんはへんな人、困った人だって、わかってたと思うよ。あなただって、気がついたぐらいなんだから。ほかの人はもっとだいじょぶ。君だって、本当の自分がどこにあるかわからない一人でしょ」「...............」
March 28, 2015
コメント(0)
リー・クアン・ユーの逝去が今朝伝えられた。シンガポール今日に至る発展を率い、建国の父と自他ともに認める。シンガポールはASEANをリードする小さな大国。アジアとヨーロッパ、アラブ、インドを結ぶマラッカ海峡に面する海上交通の要衝として、イギリスが拠点を置いたことから発展の端緒。長く、軍事、アジア植民地経営、防衛の拠点として発展し、マラヤ連邦の英国からの独立、さらに第二次大戦後、独立を経て、石油化学産業を中心に工業、経済、さらには株式、金融市場、投資環境を発展させ、今日に至る。難しい国である。今日に至る発展の原点に、英国による地域支配拠点としての機能がある。元来マレー系、あるいはインドネシア系住民の居住地であったところに、英国が、現在の中華人民共和国(PRC)から大量のChineseを労働力として導入し、それを管理するために、今度はインド人を末端管理のために連れてきた人為的な多民族国家。経済、外交の優等生でGarden City、Shopping Paradiseと呼ばれる観光立国、整備された社会制度と豊かな国民生活。反面、国民生活は、リー・クアン・ユー自らが実質率いてきた人民行動党による開発独裁の下で、言論、表現の自由は国家のコントロール下にある。政府の施策に則って仕事し、あるいは、遊ぶ限りは、極めて自由で快適。しかし華僑人口が多数を占める中でのインド系、マレー系住民にとって、或いは、学歴差別はじめ諸般の社会差別に反発する者、いったん、政治的、文化的自由を求め始めた者にとって、そこはかなり息苦しい場所と感じられる。田村慶子著頭脳国家シンガポールは、そのあたりの事情を極めてやわらかく、かつ、鋭く指摘した、シンガポールビジネスに携わる者にとって密かな必読の書。米国は、補給機能をシンガポールに置くが、必ずしも、その政治体制には、好意的ではない。1994年、Foreign Affairsの副編集長だったファリード・ザカリアがリー・クアン・ユーに長時間インタビューし、それを「文化は宿命である」と題して掲載している。ザカリアはリーの「アジアにはアジアの民主主義がある」というシンガポールにおける自由の制限に言及した発言に強く反発していて、その姿勢は今でも変わらない。当時、シンガポールを拠点として、東南アジアで商売していた仲間たちは、シンガポールを、その成功を、「東京を日本から独立させ、文化を取り除いたようなもの。明るい、或いは、成功した北朝鮮」と揶揄し、在星十数年の先輩は、「女郎屋の遣手婆国家」と呼んだ。やっかみも多少はあったが、開発独裁の成功と矛盾を体感した言葉だと思う。:::::::::::::::南京大虐殺に関連して、僕はPRCが喧伝するごとく、30万人もの虐殺を日本軍が行ったとは思わない。しかし、1942年日本軍によるシンガポール占領の折、日本軍はChineseを中心とした住民を相当数、虐殺している。リー・クアン・ユー自身が書いているのは、5000人と記憶するが、数字には異論もあるが、これは紛れもない事実のようであり、PRCが南京大虐殺を言い始める以前からシンガポールでは、殉難者の慰霊が行われ、記念塔も建設されている。日本軍の工作機関関係者(岩畔豪雄)も、ほぼ同数を挙げ、「しまった。やはりやってしまったか」とおっしゃっていた。このことは、30万人はともかく、この時期の日本軍に、軍事占領の開始時に、占領支配への華人を中心とする反対勢力を除去した事実があったことを示していている。岩畔さんの言いようは、陸軍の中に、現地派遣軍を統制する必要を感じた部分があるようにも思われるが、このあたりについては、機会があれば後日。岩畔氏の工作により、シンガポールで結成されたのが、Indian National Army。インド独立運動を支援(利用)した日本の工作活動で、インパール作戦にも関係した。日本では評判の悪い作戦だが、実は、イギリスのインド支配に与えた打撃は大きく、インドでも評価は高い。往時の英軍トップで最後のインド総督マウントバッテンは、昭和天皇の訪英時、式典への出席を拒否した。それほどの屈辱だったのである。:::::::::::::::話がずれた。シンガポールには、仕事で何十回と出かけ、定宿にしていたホテルのポイントは400を超える。通算1年以上、居たことになる。クアン・ユーご本人にお目にかかったことはないが、かつての親分が親しくおつきあいしており、僕も弟さんのドクター・リー・スアン・ユー(お医者さん)ほか何人かのご親族と親交があった。インドのネルー、インドネシアのスカルノ、ベトナムのホー・チ・ミン、フィリピンのマルコス、マレーシアのマハティール....と続いたアジアの成長と独立を象徴する最後のカリスマ指導者にして、最後の成功者。作り上げたシンガポールは、英国流の法治国家、階級社会であると同時に、華人独特の同族支配でもある。おそらく、ドバイ、カタール、アブダビなど湾岸諸国の国家モデルであり、ある意味、PRCもその系譜に属するかもしれぬ。そのPRCともアジアという地域性、華僑ネットワークを通じ、独特の関係を維持する。リー亡き後のシンガポールは、果たして磐石であり得るのか。御冥福を。
March 23, 2015
コメント(0)
昨秋、大腸ガンの検診で潜血反応があり、内視鏡検査の結果、大腸ポリープが多数あることがわかった。複数の医者から切除が適切と言われ、一月に第一回目の手術を行った(敬語の二律背反冒頭)が、数が多いのと、大きなものをとったそばのモノは安全のため後回しにすることにしたので、今回、第二回目の手術ということになった。水木を休みにして二泊三日で入院。前回、腸内洗浄にはマグコロールを使ったのが、今回はモビプレップ。味の素製薬が販売する製品で、そういえばどことなく味の素的な味がする?無事退院して、金曜から職場復帰。前回の経験から、手術そのものは、さしたることはない(少なくとも、施術箇所そのものは痛くも痒くもない)。出血(下血)も今のところなく、あとは、来週に切除したポリープに悪性のものが含まれているか否かのご託宣となる。とはいえ、火曜日の昼を最期に、木曜の昼食まで丸二日絶食。火曜は夕刻から腸の洗浄剤(つまり下剤)を飲むので、昼食に採った食事もどこまで栄養になっているものか.....施術箇所に負担をかけぬようにということか、木曜は五分粥、金曜朝も全粥で、さほど量もない。得意の流動食(=アルコール)も、先週金曜を最期に自粛していて、そもそも栄養過多のところに、この差は大きいらしく、栄養不足からか、ふだんに増して身体のキレが悪い。アルコールは、もうしばらく自粛することにしていて、まぁ、半強制的、半自主的、かつ一時的生活改善である。手術、入院の諸費用は全額保険でカバーされ、きれいな看護士さんが入れ替わりお世話してくれるので、考えようによっては、この程度の「病気」ならば、一年に数日ならば入院も悪くない(そんなこと言ってるとバチが当たる)。ともあれ、今は仮釈放の身。
March 21, 2015
コメント(0)
安倍さんが、戦後70年を契機に首相談話を出すと言い、有識者懇談会を設置した。座長の西室さんが昭和10年(1935年)生まれであるから、70年前はようやく10歳。当時20歳の人は今年90歳。15歳としても85歳であるから、かの戦争にある程度の意識をもって関わった人々が、相当数、当事者として証言できる最期の機会。その節目において、ヨーロッパ、アジアそれぞれで、何らか周年イベントなどが開催され、安倍さんの談話も、その中のひとつとして位置づけられるだろう。昨年6月6日の、ノルマンディ上陸作戦70年式典エリザベス女王、オバマ、プーチン、オランド(フランス大統領)にポロシェンコ(ウクライナ、当時は次期大統領)など当自各国首脳が集る中、メルケル(ドイツ首相)も参列。このとき、2015年9月2日ないし3日、第二次世界大戦終結イベントが開催された場合、さじ加減いかんでは、中華人民共和国(PRC)あたりから、日本が世界の孤児として演出されると危惧した。その後、安倍さん乃至日本として、不謹慎ではあるが、おそらく幸いなことに、ウクライナ問題が欧米とロシア間に深い溝を刻み、ISIL関連のテロが中東のみならずヨーロッパ全体から北アフリカまでの覆う中、本年の中盤は、いかにPRCと云えども、露骨に反日を演出できる環境にはなさそうである。今後の日程を展望すると、4月末から5月にかけて、ヨーロッパ(ドイツ、イタリア)戦線の終戦イベント6月、沖縄戦終結8月には、広島、長崎の原爆投下70周年を経て、8月15日となる9月3日には、PRCの70周年記念イベントが開催され、一応ここまでが、70周年の季節である。僕が注目するまずひとつ目は、さる3月11日に、モスクワで5月10日に開催されるロシア政府主催の70周年記念行事に、メルケル首相が、ウクライナ問題を理由に欠席する(前後に訪露はする可能性があり、無名戦士の墓に献花するとも)と報道されたことである。3月11日は、メルケル来日中であり、前後のメルケルと安部さんの一連の動き、発言に鑑みるに、この時期、表立って連携することの少ない日独間に、おそらく米国を交えて、微妙な調整が行われていることを示すものであろう。メルケルがロシア政府主催行事欠席となれば、9月のPRC政府主催イベントへ安部さんの出欠の自由度が増す。折しも、全人代などの機会にPRC首相、外相が安部さんの談話、イベント出欠への牽制が報道される中、なかなか有効なカウンター攻撃とも見える。もう一つ注目するのは、有識者懇談会の北岡伸一座長代理が、安部さんの70周年談話について、敢えて侵略の文言を入れたいと言ったことである。当然、保守というか右側の立場から、かなり激しい非難があるが、これはなかなかに意味深長。予算が通り、4月の統一地方選が終わると、9月までを展望するに、政治的に、少なくとも国内的に安部さんの発言の自由度は高い。むろん、それは国会での議席上の優位ということに加え、ひとつは、反安部、左派メディア代表格の朝日新聞が慰安婦誤報などでの躓きもうひとつは、衆院選での右派、次世代の党惨敗と、田母神スキャンダルに見られる右派内部分裂これらから、4月から9月までの約半年は、喧しいように見えて、安部さんにとって、実は左右両方からもっともバイアスの少ない時期なのである。安部さんは、一般に右側だと考えられている。集団的自衛権、憲法改正、原発再稼働、靖国参拝。これまでの発言、行動からも確かに左ではない。その彼が戦後70周年談話を言うとき、多くの人は、右も左も、あるいは海外の幾つかの国も、それが従前より右よりになるという前提で動いている。だが、総理大臣へ復帰してからの安部さんをみていると、そもそも、中韓両国は、自民党政権復帰への牽制があるにもせよ、安部さんが何かしかける前から先に動いたのであって、従前の安部さんから見れば相当自制的にも見える。さらに、右寄りという以外に、例えば、消費税率引き上げ先送りなど、リアリストとしての側面が出てきているように思う。どうも右の人が、戦後政治の総決算なり、戦後レジームからの脱却を言うと、憲法改正、総理大臣の靖国参拝、教育制度改革と日教組解体、国連常任理事会改革、国連憲章からの敵国条項削除、北方領土返還、尖閣諸島実効支配の確立、竹島返還さらに南京大虐殺、韓国従軍慰安婦問題の全否定ここまでを、この右寄り安部政権で全部解決しなければいけないそのマイルストーンとしての70年談話と肩に力が入る。僕は自分で、有る程度右寄りだと思っている。上に列挙した中のかなりの部分は、右の人たちの意見に100%ではないものの同意するところが多い。だが、現実を考えれば、それは、国内政治においては、特に与党公明党への配慮であり、海外については、特に米中露韓、そして北朝鮮、さらに、近い立場にあるドイツとのバランスそれらを欠けば、いかに安部政権といえども、上記のただ一つすら満足に解決し得ない。一時のカタルシスを求めて暴発すれば、それは形を変えた真珠湾の再現に過ぎない。必要なのはリアリズムなのである。その意味で、比較定型化した左派勢力が弱く、それに対する右派もしばらく前までの勢いにブレーキがかかった今ならば、安部さんとして一番リアリズムに徹することができる状態ではないか。米中国交回復は、世界の予想を覆し、タカ派ニクソンが主導した。札付きの右派、安倍晋三だからこそ徹せられるリアリズムに僕は期待する。安部さんは懇談会はあくまでも参考と言っているらしいが、そうではあるまいこの時期、西室さんのまとめたものを政府が無視できるはずがない懇談会メンバーの北岡伸一、岡本行夫ご両名は、朝日新聞の第三者委員会メンバーでもある人選にも充分の配慮がなされている。作用には必ず反作用がともなう。侵略という文言が談話に入る時、すなわち、日本政府が初めて自分の意思で第二次大戦には日本の侵略あったと公式に認めるとき、その反作用に、今以上日本にとって不利なものがあるだろうか。先月、日本記者クラブで大久保昭明治大学特任教授と韓国世宗大学の朴裕河教授の記者会見が行われた。中では、朴教授の近著が裁判で、元慰安婦の人権を侵害しているとされ、出版のためには驚くほどの訂正が必要とされたことがメインに取り扱われているものの、会見からは、日韓双方に静かであれども公平な人々の地道な努力があることがよく理解できる。こういう方々のお話に、少なくとも日本では耳を傾けることが始まっている。重箱の隅をつつくごとき稚拙な反論でなく、世界を信頼して事実をたんたんと積み重ね、理解を得て行くことで良いではないか出るべきものは出尽くしており、あとは言いがかりに過ぎない。ギリシアがドイツに第二次大戦の賠償を請求した。ドイツは賠償の形では払うまい。一事不再理東京裁判然りでありせば、南京大虐殺然り、慰安婦問題然りなのである。東京裁判を否定するは、これらに関連した一事不再理をも否定することになる。いいとこ取りだけを続けることはできない。作用には必ず反作用がある。戦後政治の総決算は過去への復帰ではなく、より多くの果実をより多くの人に与える未来への前進であって欲しい
March 20, 2015
コメント(0)
3月も半ばを過ぎ、雨が上がった今日は、ようやく春らしく暖かい日となった。また来週は寒さがぶり返すらしいが、ようやく今年の寒い冬もほぼ終わりつつある。最初は暖冬の触れ込みだったのが、12月には早々と気象庁も撤回。その後は厳しい寒さが続いた。寒いだけでなく天候も不順で、今年は例年ほど異状乾燥注意報も長く続かなかったように思う。個人的にも、年末から孫の誕生、大腸ポリープ摘出手術、オヤジの発熱騒ぎ、帯状疱疹と、イベントが続き、気がつけば花粉症の季節真っ最中。身体を酷使していたのかもしれない。好きな酒だが、気がつけば以前ほど飲めない、飲まなくなってきている。歳だな。しょうがねぇ、じじいになってしまったし...ま、まだ今年は、いくつか予定していることもあるし、気を取り直し、考え方を多少改め、新年度を迎えることにする。その前に、明日から前回取りきれなかった大腸ポリープ摘出第二回手術である。夕刻から下剤を飲み、明日に備える。入院準備しなくては。
March 17, 2015
コメント(1)
行きつけの飲み屋で仲間が集まり、帯状疱疹で欠席の僕にメールが来た。「ホワイトデーに、バレンタインデーにママさんからいただいたチョコレートのお返しを皆で差し上げることにしました。ついては、お一人さま〇〇円ずつ次回徴収いたします」よくある話しなのだろうだが、考えてみると、中学校以来、バレンタインデーにチョコをもらうことはあったが、ホワイトデーのお返しはやったことがない。そもそも、バレンタインデーからして、半世紀前にはほとんど何もなかったものが、チョコレート屋かデパートの商魂たくましく、わずかの間にはびこり、社内メール便で、「重いもの、水分が漏れるものは禁止」の通達が出たのは、もう40年ぐらい前のことである。ホワイトデーというのは、その10年後ぐらいから普及と記憶。チョコレートもらうのはいいがお返しは嫌 というケチではない徒競走でお手手つないで仲良くゴールみないな、冗談じゃねぇ こういうのは、抜けがけすることに意味があるバレンタインデーの義理チョコ、そのお返しの義理ホワイトデーなど、少子高齢化の遠因のひとつではないか。せっかく、女性が男性に愛を告白できる貴重な機会を、ルーティン化して、告白の真剣さ、緊張感を奪いそのお返しまでさらにルーティン化、普遍化し、男女間の機微のひとつからメリハリをなくしてしまった少子高齢化で売上伸び悩みなど、てめぇら自身が原因をつくってるんじゃねぇかだいいち、何を贈るんだか、わからんものを他人に委ねて、代金だけ徴収されるなど税金じゃあるまいし、欠席裁判で税金!人の金をレバレッジに使って抜けがけするのを笑ってすますほど、俺は甘くない俺は抜けがけするんだ翌朝、敢然とお手々つないでからの離脱宣言のメールを出すホワイトデーの当日「朝っぱらから反デューリング論(⇒空想から科学へ)みたいなメールよこして」と言われたなるほど、エンゲルスとデューリング、どちらが空想で、どちらが科学かはしらぬが、共産主義には、どこか、お手々つないで的な悪平等の匂いがするすなわち、それは、行きすぎた資本主義の結果であるバレンタインデー(ホワイトデー)批判になっていくのかぁ....帰宅すると、カミサンが会社から、カゴいっぱいのホワイトデーのお返しを持ち帰っていた確かに資本主義的不毛は、結果として、弱者を搾取して不当な利得を集め、肥え太るウチのカミサンのようなものを作り出すのである。
March 16, 2015
コメント(0)
寒い日曜日。午前中で仕事を切り上げ、カミサンと高齢者施設に入居中のウチの爺さん見舞い。定員45名の高齢者施設で、裏の駐車場は7台。前週、道路工事が多かったのが原因?(施設の駐車場へのアプローチ道路が工事中だった。表にまわって、カミサンに車で待ってもらって用事を足したが、みなさん、同じようなことだったものか)初めての満車。非常階段とゴミ箱の邪魔にならないように駐車できるのは、「軽」ならでは。 お昼のあとで、入居者の多くが集会室にいらっしゃるが、爺さんは部屋で食休み。部屋に入ると、「ふだんチリ紙を入れてある箱が見当たらない」と言う。部屋を探すが、やはり見当たらず、 廊下に出て、通りかかった施設の人に、尋ねると、ふだんティッシュペーパーは集会室に常備し、部屋には置いていないらしい(入居者の利便はともかく、ウチの爺さんに限らず、部屋においた場合、入居者が中から次々取り出して部屋中にティッシュが散乱するlことがままある)では、集会室まで行こう と車椅子に乗ろうとする爺さんと担当を制して、爺さんの手を引きながら、後ろ向きで集会室まで誘導する。集会室のテーブルに、ふつうの椅子をもってきて座らせると、カミサンが手土産のミカンを三つ。老人性てんかんから嚥下に障害が出て肺炎を起こし、とろみ食を食べていると聞いていたので、「どうかな」とこちらは一瞬躊躇。と、その前に早速、爺さん、手が出て食べ始めている。大きめのみかんだが、それほど時間をかけずに食べ終わる。持ってきた用箋にサインペンで筆談していく。「今日は3月8日、日曜日です」反応なし「みかんを3個お持ちしました」「そうか、1個食べたからな」なるほど、残りは2個である。ロジックは成立している。「書類を書いていただきます。住所はわかりますか?」「どこだっけ?わすれちまったよぉ」「そうか、1個食べたからな」ふたたび、みかんの話し住所を書いて、「わかりますか?」ペンを手にとって紙に書き始めると、住所を書くかと思ったら、自署である名前は書ける「もう一度お願いできますか?」「さっき書いたからもういいや」なるほど、一日一回か「そうか、1個食べたからな」連れ合いの病気のこともあって妹は、最近爺さんのところへはあまり来ないらしい。最初の頃は、一週間に二度、三度と訪問し、看護士さんのやり方に文句をつけたり、困ったものだったのだが...旦那が病気になる直前、「お父さん、もう、私のこと分からないの。どなたでしたっけって言われちゃった」達成感がなくなったからねしょうがないさ七年前亡くなったウチの母は、まだ、僕のことがわかる間は、僕のことカミサンのこと、子供達のことを罵り続けた(最初はあまりのバカバカしさ、不当さに悔しい思いをした。今でもあれはなんだったのか、親とはなんと理不尽なものかと思っている)。誰だかわかることがいいこととは限らない。爺さんが、僕のこと、妹のことがわからなくなってから、実は久しいだが、僕らにすると、その現実を認めることは虚しいみかんだけでなく、間食にアイスクリームとお茶書けば、これだけであるが、かなり時間を要する手を引いて部屋に戻り、車椅子に座らせ、ふたたび集会室へ「そろそろ帰りますね」わかれを告げて帰路につく離れた場所で、よその方と話ししていたカミサン「一度、車椅子乗ると、本人も係の人も便利だからねぇ。歩かなくなっちゃうの」「最近、新しく入居されたご夫婦がいらっしゃって、ちょうど娘さんが見えてたのね。お母さまは、入居したときから車椅子だったみたいだけど、お父さまは、まだウチのお父さまよりだいぶんお若い(父は1922年生まれだから今年92になる)のに、入居されてから歩けなくなっちゃったんですって」「ご夫婦でいっしょに、ってお願いして入居したんだけれど、お父さまが歩けなくなってしまったのは、想定外だったそうで、あなたがお父さまの手を引いて歩いていくのをご覧になって、ウチの父もああやって衰えないようにしていただくことはできないのかしら っておっしゃるのね」「でも、施設側にしてみれば、特に今日みたいな日は人手が足りないでしょ。せいいっぱいやっても、おやつと、お世話と、お部屋の整備、 お客さまたちの対応もあるし、とてもたいへんそう。歩けるうちは自分で努力しないとね。ダメになるのは、それこそすぐだから。ご夫婦で歩けなくなったら、ご家族はたいへん。ウチの場合は、お父さま、やるとこまでやったから、あなたとしては、しょうがないって思えるけど、まだお若い方はね。諦められないんでしょうねぇ。後悔なさってて、申し訳なくなっちゃった」別に訓練しようとして手をひいたわけではない。車椅子が面倒それだけのことだが、よそ様にはそういう思いもある「でもねぇ。歩けることも善し悪しで、お父さまは徘徊しちゃったし、入居してからも、夜、ほかの方の部屋入っちゃったり、いろいろあるし.....」
March 9, 2015
コメント(0)
いささか旧聞だが、2月16日、NHK夜9時のニュースで、戦後まもなくの預金封鎖についての調査報道があった。我々とて、生まれる前のことであるから、実態を知っているわけではないが、そういうことがあったということは、聞いている。両親もそれぞれに、ある程度経験者だし、祖父母にいたっては、もろに被害者であるからして、彼らにとっては極めて不愉快な記憶として残っていた。ところが、この記者さん世代となると、 そもそもご両親が我々に近い世代だろうし、三世代同居でもなければ、ある程度経験者であられよう、お爺さん、お婆さんから話しを聞くことも限られていて、記者さんご本人はともかく、預金封鎖など初めて聞く人も多いだろう。NHKであるから、近くに、NHKスペシャルかなにかで、預金封鎖前後についての番組がつくられるのかもしれない。そうなればなかなか面白い。このあたり、よくわかっていないこともあって、先輩に聞いてみたのだが.....長く商社に勤め、定年後は大学で経済学の教鞭をとられた先輩から、思わぬ答えがかえってきた。「あれね。僕は調べてみようとしたことはないんで詳しいことは知らないけど、そこらへんを多少やった人に聞いてみても、分からないことが多いんだよ。報道は制限されてたでしょ。政策決めたのは大蔵省のトップレベルで、政策決定の背景とか、あまりちゃんと残っているものがない。実務は銀行がやったんだが、そっちのほうも、守秘義務とかで縛られてるでしょ。追放もあったし。実は、そもそも、戦前、戦時中の国家財政からして怪しいんだ。日銀と、台湾銀行、朝鮮銀行、満州中央銀行といった中央銀行間に”飛ばし”があって、本来は、連結決算的であるべきものが、そうなってない。粉飾決算になってるんだ。大蔵省は、把握はしてただろう。だけど、陸軍が主導した部分があって、大蔵の支配がどこまで徹底してたものか?そうそう、太平洋戦争はアメリカの謀略だっていう人がいるでしょ。あれって、石油が禁輸されることになって、動けるうちにやっちゃえって話しになってるけど、商社からみると、実は違う部分もあるんだよね。イギリス、アメリカが、日本との為替取引を制限したんだ。金融制裁さ。輸出代金が決済できなくなっちゃったんだ。ブロック経済化のあと、第二次大戦の前。僕らのいた会社にも、踏み倒されて回収ができなかったって伝説があった。謀略といえば謀略だ。たぶん世界初の近代的貿易、金融制裁さ。今の北朝鮮なんかと一緒だよ。外務省か大蔵省か。クリエイティブなことには対応できにくい官庁になっちゃってたからね。何やられてるのか、わかんなかったんじゃないかな?たぶん両方が、イギリス、アメリカとの交渉に失敗したんだ。原因は満州事変まで遡るから、結局は原因は陸軍だろうが、貿易交渉の失敗は、あの頃は、商工省じゃなくて、外務か大蔵の責任だろう。財政破綻の原因は、大半は戦費だろうけど、いろんな失敗のツケも入ってるね。戦後は、吉田内閣って、ほら外務省でしょ。そこらへんの失敗をGHQの言論統制のどさくさにまぎれて隠蔽した部分もあるからね。GHQがどこまで関与してたのか?もともと戦前、戦時中から大蔵が考えてたことを、GHQを利用して実行したのかもしれない。ほら、朝鮮半島とか満州とか、行政で、そういうの必要だったはずで、経験済みじゃないですか。イギリスならともかく、そういう経験のなかったアメリカが考えつくことじゃないね。果たして整理して書いたものあるのかなぁ」情報隠蔽が行われていた可能性はともかく、なんで書かれたものが少ないのかを伺ってみた。「日本の教育って、近代史を教えないでしょ。だから興味をもつ機会が少ない。あと、僕もそうだけど、文科系の大学教育って、概論レベルはともかく、そっから先は、教えるほうの自由じゃないですか。不得意なこと、知らないことは教えないんだよね」
March 2, 2015
コメント(0)
生きていくことは、かなりの楽天家である僕にとっても、楽なことばかりではなかった。これからも、苦労は多く、楽をしたツケはいろいろなところに溜まっていて、僕は、最後の審判までたどりつかぬうちに、それらのツケから受ける罰により、野垂れ死ぬことも十分あり得る。10日ほど前から頭が痛い。物理的に痛い。最初は、右の前頭部に痛みがあり、ちょうど、よからぬ行いのため、カミサンに拳固でひっぱたかれたあたりなので、そのせいか?と思ったのだが.....痛みは、右前頭部から右目のまわりに至り、さらに一昨日は鼻にまで来た。「がんかもしれない リンパ辿って転移してるんだ」「だったら医者行けばいいじゃない。たぶん、がんじゃないよ。あなた食欲あるでしょ?」「ないことはない」「そんなにしっかり食べてて、がんてことはまずないわ。あなたはほんとに調子が悪いと、僕病気とか言って、食べなくなるから、そういう病気じゃないと思うよ。でも、調子は悪いわね。顔が赤いし、鼻がふだんの倍ぐらいにふくらんでる」「ほんとう?」「そうよ。あなた鏡見ないからわからないのよ」みると。鼻がはれて、鼻の右側から下にかけて発疹があり、水ぶくれしている。上唇の裏側にも亀裂がある。「たぶん、それヘルペスの帯状疱疹じゃないかな。ここ一週間ぐらい花粉症がひどかったでしょ。歳とってくるとい、からだが調子悪いときに出るらしいよ。身体の片側だけに出るの、帯状疱疹の特徴よ」 「やっぱ尾瀬行ったのが原因だ(10年ほど前、嫌がる僕をカミサンが無理やり連れ出し、かえってきたとたんに帯状疱疹を、あのときは右の後頭部だったが、発症した)」「たまたま尾瀬行ったときに発症しただけよ」「いいや、帯状疱疹は尾瀬の風土病だ。金輪際尾瀬なんか行かんぞ」「はいはい。わかりました。尾瀬はいいから、お医者さん行ってね。ちゃんとしないと、三月三日の初節句、孫の顔見れないわよ。もう遅いかも」今度は右後頭部が痛いような気がする。明日、医者に行くことにする。初節句は......三月三日はじじいと関係ねぇや。「とにかく、医者行きなさい。だいたい大げさなんだから。何年か前、手がしびれた、脳梗塞かも知れないって起こして、病院行ったら、お医者さん同士で、本気で入院させるんですか って話してたんでしょ。単に、体重重いから腕下にして寝て、血行が悪くなっただけのことじゃない」:::::::::::::::大腸ポリープの第二回目手術が迫っている。さしたる苦痛があるわけでもないが、二泊三日の入院。下剤を飲んで腸を空にするのが面倒。だんだんいろんなところにガタが来ている昨年末あたりから、親戚、知人が ガンを発症したり、急逝したりが続いている僕は例外 というわけにもいかんよなぁ:::::::::::::::高齢者施設に入居中の父は、先日、おそらく、てんかんからの誤飲により肺炎を発症。救急搬送された。ことなきを得て退院したが、その後はいたって元気 なのはいいが、どうも、以前よりさらにききわけがなくなっていて、身体がある程度まで動くようになってきていることから、少々始末に困るところが出てきている。「病院とか施設だから、おまかせして、あぁまたか って言ってられるけど、家で同居のままだったら、たいへんだよなぁ」「お母さまで苦労したから、あなた決断早かったものね」「あのとき、施設に入らなかったら、たぶんタイミング逃しただろう
March 1, 2015
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1