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両校のベンチ、スタンドも含めて、真っ向からぶつかり合った激闘でした。
試合は大社高校がサヨナラ勝ちして、93年振りのベスト8進出となりました。
敗れた早稲田実業の和泉監督が、大社高校の選手一人ひとりに声を掛けていたシーンが印象的でした。
この試合では、早稲田実業が9回、サヨナラのピンチを迎えた時、内野手5人シフトという執念の采配が話題になりました。
レフトを1年生の西村選手に替え、その西村選手がスクイズ阻止するべく、ピッチャーの横を守りました。
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そして、何と打球がそこに飛び、西村選手は3塁ランナーを牽制してから1塁アウトにし、ホームを狙ったランナーも1塁手からの送球でアウトでダブルプレーとなり、延長線に突入となりました。
早稲田実業はこのシフトを練習していたということですが、相手の大社高校の石飛監督も驚愕するほどのビッグプレーでした。
このシフトを見た時に、私はかつて同じようなシフトを敷いたチームのことを思い出しました。
25年ほど前だったと思い、調べてみたところ、1995年夏の2回戦でした。
この年の春のセンバツ大会で、初出場で優勝した観音寺中央高校が、夏の2回戦の日大藤沢高校戦で用いました。
因みに、観音寺中央高校のセンバツの決勝戦の相手は、後に千葉ロッテに入団する澤井選手が主力の銚子商業高校でした。
春夏連覇を目指して夏も甲子園にやってきた観音寺中央高校ですが、2回戦で延長11回裏、ランナー3塁とサヨナラ負けのピンチを迎えます。
ここで、観音寺中央高校の橋野監督は、センターの田中選手をピッチャーとサードの間を守らせる、内野手5人シフトを敷きました。
スクイズを絶対にさせないという執念のシフトです。
日大藤沢はスクイズを敢行出来ず、強行策でファールとなり、2ストライクとなったところで田中選手は元のセンターのポジションに戻ります。
結局はバッターの神崎選手が叩きつけた高いバウンドのセカンドゴロを打ち、セカンドの必死のバックホームも及ばずに、日大藤沢高校のサヨナラ勝ちになりました。
「観音寺中央高校、春夏連覇の夢、消えました」というアナウンサーの実況は、今でも憶えています。
勝利に向けた執念の守り、それに立ち向かう攻撃、意地と意地のぶつかり合いの、凄まじい試合でした。
観音寺中央高校は観音寺総合高校と校名を変更しましたが、その後、春夏とも甲子園出場はありません。
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