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「心身」のうち、「身」が病むのが「病」であり、 「心」も病むのが「病気」です。 「病」の代表的なものが、天然痘・「結核」・はしかなどの伝染病です。 特徴は、外部から要因なるものが体に入ってきます。 端的に言いますと、「被弾した兵士」を癒す目的で、その体内の「弾」を取り除くために「手術」をします。 その後、若い兵士は、消毒を受け、自然治癒力が豊かですから、寝ているだけで傷が癒され、健康な心身を回復します。 しかし、がんを始めとする生活習慣病は「心も病む病気」です。 心という要因は、手術では除去できません、 放射線で焼き殺すこともできません、 薬品で攻撃することもできません。 今の近代医学は、「病気」に対しても「病」に対処したと同じ「手当て」をしているだけです。 伝染病と言われている「結核」も、一時、撲滅したと喧伝されましたが、「耐性菌」なるものがでてきて見事「復活」しています。 彼らのほうが「命の大先輩」です。 この事実は、結核の感染源とされる「結核菌」は「病因菌」ではなく、罹病した結果できた「病果菌」であるという証明でもあります。 残念ながら、これらの事実を認めない科学は「生命」も「心」も知りません。 医学は、その科学の一分野ですから、当然「生命」「心」を知りません。 「生命を知らない」医学など、最早「医学」ではなく、単なる「病院経営学」に過ぎません。。 がんを始めとする生活習慣病に苦しむかた、 これが原因で死亡するかた、 そして国民医療費・介護費が、 年々増え続ける根源的理由がここにあります。 「生命とは何か」 これこそ「文明化」された人間が取り戻さなければならない「命題」です。 「文明化」される前の人間は、「生命の本質」を当然のこととして知っていました。 目に見えるものしか「対象」としない「唯物論的科学」全盛の現代においては、これを知っている人は「超能力者」と呼ばれてしまいます。 しかし、これは「超能力」ではなく、人間が「本来、持っている能力」です。 文明化された現代人には、見えないものにこそ「生命の本質」が隠されています。 私は今のところ、次のような「偏見」を持っております。 生命は、「身体(身)」と「心」から形成されています。 「身」は「地の命」(陰)であり、地上にありますが、 「心」とは「天の命」(陽)ですから、本来は「地球外」にあります。 つまり「天の命」である「心」が、一時的に宿っているのが「身」です。 勿論、「天の命」が主体となって「生命」が営まれます。 しかし、「天の命」は、単なる容器に過ぎない「地の命」に直接、関与することは原則としてありません。 あくまでも「生命の本質」は「天の命」にあるからです。 「地の命」が亡くなっても、「天の命」は、本来の「天」に戻るだけです。 共通なのは「天の命」「地の命」ともに「気」から形成されていることです。 「気」とは、素粒子である陽子や電子を作り出す「最小のもの」です。 その「陽子」「電子」が運動、回転しますと「力」が発生します。 これが「磁気」です。 これらの素粒子が原子を作り出しますが、この原子はそれぞれ、独自の磁界を持っていて、光の波長や温度を記憶し、相手を認知し判断する能力を備えています。 「生命」という真理も、形而上(目に見えないところ)にあり、 「生命とは磁気」です。 「生命」とは「天の心」すなわち「宇宙の心」です。 あらゆる生命、路傍の石にも「宇宙の心」が宿っています。 人間の生命も、その「宇宙の心」の一つに過ぎません。 「病気」とは、人間にだけ送られてくる「宇宙からの便り」です。 「気付き」をもたらしてくれる「有り難い便り」です。 感謝 参考資料 草稿「ホロ・サイキック・アナロジー」日諸賢一著 その他、諸先輩のご高説。
2008.06.29
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国家の主たる収入は、国民から徴収する税金です。ですから、税収に応じた政策を実行するのが国家を治める政治の役割です。既存の税収では、すべての政策が、実行できないのであれば、政策に優先順位を付けて、緊急度の高いものから実行していきます。しかし、それでも、どうしても実行しなければならない政策があるのであれば、更に国民からの税収を増やせば良いのです。これが増税です。国民に必要不可欠な政策であれば、政治家は国民に負担を求めるのは当然であり、これが政治であり、国家権力です。しかし、この世に、政治家は存在しないようです。いつしか、政治家は絶滅種になってしまいました。さて、北海道新聞6月25日朝刊、第一面トップの見出し「三セク処理に地方債」総務省容認。総務省は24日、経営が悪化した第三セクターなどの廃止や縮小を推進するために、来年度から処理に必要な資金調達を目的とした赤字地方債の発行を容認する方針を固めた。(中略)来年の通常国会に地方債の発行を制限している地方財政法の改正案を提出する。財政が悪化する自治体には朗報となりそうだ。第4面の解説記事のタイトルは「夕張破たん 教訓に」。夕張市が観光事業に失敗した第三セクターの破たん処理を先送りしたことが財政再建団体転落につながったことを教訓にしたためだ。(中略)全国知事会は「赤字地方債の発行が不可欠」(幹部)と指摘していた。 引用終了これが何故「朗報」なのだろうか。借金地獄への更なる転落ではないか。「もっと大きくなって、夕張になーれ」と奨励しているようなものではあります。つまり、(政治家ではない)彼らは、国債(地方債)を発行します。先々、利子を付けて返金しなければならない借金を背負い込むのです。返さなくても良い、増税で税金を徴収すれば良いのに、彼らは、これを断行できません。次の選挙で負けるのを恐れているのでしょう。これでは、政治家ではありません。彼らは大きな誤解をしています。国家や地方自治体は、民間会社と違い、収益事業をしている訳ではありません。ですから、国家自体は、「利子付き借金」を返済できません。国家が返済するのは、国民から徴収する税金しか財源はありません。具体的に言いますと、国家が「国債を発行しないで」税収で、つまり、増税で賄った場合、国民の新たな負担は(例えば)10億円とします。一方、国家が「利子付き国債」を発行し、これを返済するため、国民の新たな負担は15から20億円になります。つまり、国債を発行しますと、国民は「利子の分」余分に負担することになります。この論理は、小学生にでも理解できることです。しかし、(政治家ではない)彼らは、これを理解することができないため、国民をも理解させることができません。マスコミの記者も、「朗報になると思われます」と「記者発表」されれば「朗報になりそうだ」と書くしか「能力」がありません。恐らく、小学校では「算数は苦手」だったのでしょう。さて、北海道新聞3月24日朝刊記事によりますと、2006年末時点で、日本国の借金が約832兆円あり、その内訳は、国債が 約676兆円、政府短期証券 約96兆円、金融機関からの借り入れ 約60兆円とのこと。これこそ、彼らが誤った行政を行い、正当な国家権力を正しく行使しなかった、明白な証明です。この複数いる責任者、例えば歴代の内閣・国会議員・中央官僚が、この借金約832兆円を負担すべきです、同新聞の記事にある「最近の人口1億2772万人に基づいて試算すると、国民一人当たりの借金は651万6000円に上る」は、「彼らの責任」を問うことをしない「ジャーナリズムの死」でもあります。しかし、我々、一般国民は死ぬ訳にはいきません。我々は生き続けなければなりません。ここに「政治」が必要となります。真に国民の健康と財産を守るのに必要な政策を実行したいのであれば、支出を吟味した上で、「政治」が、そのために増税を判断したのであれば、愚民に過ぎない国民の意思や世論そして支持率などを無視してでも、その政策と増税とを断行すべきです。これが「政治を司る政治家の仕事」です。政治家の評価は、100年後に下されます。一方、衆議院議員や地方自治体首長など「選挙運動屋」の評価は、4年後に下されます。中央官僚は、いつになっても「評価」されません。彼らには、全国知事会から「赤字地方債の発行が不可欠と要請された」という言い訳が用意されていて、これまた「責任逃れ」で、彼らの高笑いだけが響き渡ります。
2008.06.27
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前回の記事 日本こそ「テロ支援国家」 を書き込んだ6月24日は「生業」が休みの日でした。この日、「酒気帯び運転」で自転車を走らせ、約50分でミニシアター「蠍座」に着きました。映画は1981年製作、小栗康平監督の「泥の河」。「蠍座通信」VOI.144の解説文(文・田中次郎)を次に紹介いたします。かつて貧困は、人間の同情心をやしない、人びとの心の美しさの源泉になりえた。それについてもっとも美しく表現したのは、60年代、70年代の浦山桐郎の諸作品だったが、浦山の弟子の小栗康平によってその考えは受け継がれ「泥の河」という傑作を生む。この映画は、すでに失われた貧困が与える美しい心の旅を伝えた最良の成果の一つである。ときは1955年。日本が戦争の傷跡から立ち直り、高度成長期にはいりかけたころの大阪。貧しい人びとが住むドブ川のほとりの物語である。心やさしいうどん屋の夫婦の息子が、対岸につながれた小船のなかで売春をしている女性(加賀まりこ)の息子と娘の友人になり、かれらのきびしく悲しい境遇を知って衝撃をうけながら同情心をみがき深めていく話である。新人監督(36才)のデビュー作とはとうてい思えない落ち着き払った確実な演出、撮影と音楽の良さに驚くが、なによりも目をひらかせたのは、貧しさのなかでこそかくも美しく同情心はみがきあげられるかという思いである。出番は少ないがこの映画は、女優加賀まりこの最高に美しい瞬間をとらえた一本でもあった。 引用終了 私が、この映画を最初に見たのは、東京の岩波ホールであったと記憶しています。それから約25年以上が経過し、私の記憶には「加賀まりこの美しさ」と、うどん屋の主人役の「田村高広の役者ぶり」しか残っていませんでした。今回の「発見」は、3人の小供(息子・娘)役を演じた「子役」たちの「演技」でした。確かに、この「子役」から、演技を引き出した監督の力量を高く評価をしますが、それだけではないものを感じました。映画の冒頭「昭和31年、大阪」という字幕を見て、私は、この小供たちと同世代であり、札幌で暮らしていたという「同時性」でした。当時の我が家も、長屋住まいでの貧しい生活でしたが、近所の小供たちが毎日、遊びに来る「楽しい」暮らしではありました。この世話役は、いつも「母親」でした。確かに、物質的には貧しいのですが、賎しくはなく、日々の暮らしは「豊か」でありました。家庭内は勿論ですが、近所の家、家族とも、「情け」をも持ち合いながら楽しく温かい「気配」に満ちていました。「近所の小供」は「我が家の兄弟」が目当てで来るのではなく、「母親の優しさ、情け」に包まれたい一心で来ていたのだと、未だに信じている私は「母親離れ」が出来ない「子供」に過ぎません。さて、映画を見ていて、私は「大阪の子供たち」と一緒に遊んでいるという実感を覚えました。それほどまでに、彼らの「演技」は、自然なのです。「演技ではない演技」とでも言ったほうが良いのでしょうか。これこそ「名優」です。そもそも、人間、生まれたときから「芝居っ気」を持っているといわれます。ですから「小学校の学芸会(最近は学習発表会と呼ぶ)」の演劇でも、それなりの「演技」が出来てしまいます。近頃は、テレビや映画で「それなりの演技」で収入を得ている輩が多過ぎます。私は、これらを見る度に、「学芸会で金(かね)取ったら泥棒だ」と大きな独り言を言い、周りから顰蹙(ひんしゅく)をかっています。特に「女優」には「思い入れ」があります。ときは1977年。文学座創立40周年記念公演「飢餓海峡」の初日、2月17日、東京・渋谷東横劇場。「ノ列7番」の席で、私は、主役を演じた「大地喜和子」と対面していました。当時、彼女は34歳で文学座の「中堅」ではありましたが、映画「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」に出演するなどの「売れっ子」でした。さて、私は、その大地喜和子を舞台で「対面」して、彼女こそ「女優」だ!と確信しました。その一挙手一投足は充分に計算されてはいますが、自然であり、背中からも漂う妖しい気配、咲き誇る大輪の華、男を食い潰さんばかりの色気。以来、私は「大地喜和子」以外の「女優」を知りません。この「女優」は、1992年10月12日、49歳で「天」に還っていきました。合掌そして感謝
2008.06.26
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2007年9月17日、小泉首相は、北朝鮮を訪問し、事実上の国家元首である国防委員会委員長・金正日と「首脳会談」を行いました。席上、金正日は「日本人13人の拉致を認め」「口頭で謝罪」しました。これを受けた小泉は「ふざけるな!舐めるんじゃない」と言って、会談のテーブルを引っ繰り返して、直ちに帰国すべきでした。しかし、小泉は「日本の国家主権が犯された」にも関わらず、暢気に「日本と北朝鮮との平壌宣言」を交わし、発表して「凱旋」帰国しました。日本国内で、日本人が外国権力によって「拉致」されたということは、決して「人権問題」ではなく、「日本国の主権が侵された」と言う「国家主権」の問題です。更に言えば「北朝鮮の日本国への宣戦布告」と解釈しても良いほどの重大問題です。少なくとも北朝鮮による日本への「国家テロ」攻撃ではあります。北朝鮮は「テロ国家」です。さて、今日「戦争」は国際的紛争解決のための最終手段として認められた「外交」です。ただし、最終手段ですから、条件があります。ひとつは、自国、または軍事同盟を結んだ同盟国が武力攻撃を受けた場合。もう一つは、国連の安保理で「武力行使」が決議された場合。すなわち、アメリカ合衆国(USA)がイラクに「武力行使」「武力攻撃」する条件、すなわち「戦争」を仕掛ける条件を満たしてはいません。USAの「イラクへの攻撃」は、「戦争」ではなく「国際法違反」ではあります。つまり「違法な武力行使」であり「USA国家によるテロ行為」に他なりません。アメリカ合衆国(USA)は「テロ国家」です。この件に関し、USAは「前科」があります。国際司法裁判所は、1986年6月、USAの「コントラ支援(反政府組織)を含むニカラグアへの攻撃は、国連憲章を含む国際法に違反」とする判決を下しました。謂わば「テロ行為」であると非難しました。しかし、法的拘束力のある「国際連合(連合国)安保理」では、USAの拒否権で否決されてしまいました。これに勢いづいたUSAは、ニカラグア攻撃とコントラ支援をますますエスカレートさせました。そして、USAのイランへの武器売却代金が、このコントラ・グループに流れていたことが明らかになりました(イラン・コントラ事件)。このとき、USAの手先となって支援資金の洗浄をしていたのはサレム・ビンラディン(オサマ・ビンラディンの兄)ではありました。つまり、拒否権を持つ「常任理事国5カ国」が支配する「国際連合(連合国)安保理」は、5カ国に「ならず者」行為、そして「国家テロ」行為を許す「場」でしかありません。その中でも、USAは「超ならず者国家」と言えるでしょう。さて、日本では、航空自衛隊のイラクでの輸送活動を「違憲」とした名古屋高裁判決が出て、これで判決は確定するという。つまり、日本国は、日本国内で日本人を拉致した「テロ国家」北朝鮮と「国交樹立」を含む「平壌宣言」を結び、少なくともニカラグア・イラクへの「国家テロ」攻撃を行ったUSAの傭兵として、憲法に違反してまで、自衛隊を派遣していることになります。結論ですが、日本国は「テロ国家」であるUSAと北朝鮮を支援している「テロ支援国家」です。いつからか、それは「戦後」でしょう、日本国は独立を失い、情けない「テロ支援国家」に成り下がってしまいました。日本国は「自国民の防衛」のみならず、北朝鮮で拉致監禁されている「同胞」さえ救出することができないで、USAの「国家テロ攻撃」に参加し、アフガニスタン・イラクの国民を殺傷しているのです。日本人よ、洗脳から放たれ、覚醒せよ!日本国よ、伝統文化と誇りを回復し、独立せよ!付記本日(6月24日)の北海道新聞によりますと、USAが北朝鮮を「テロ支援国家指定」から解除する手続きを26日にすると伝えています。USAは国内法に基づき、現在、北朝鮮、キューバ、イラン、スーダン、シリアの5カ国を「テロ支援国家」と指定しています。お分かりのように、これこそ「茶番劇」です。「テロ国家」であるUSAが、外国を「テロ支援国家」と指定するのであれば、その一番に「日本」を挙げなければなりません。
2008.06.24
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日本では、医師であり「医者」でもある先生は、10名ほどしか、いらっしゃいません。他は、医師という資格を持った詐欺師の先生です。医者は、原則として「処方箋」を書くだけであり、病気を根治するのは、それに沿って「対策」を実行していく「ご本人」ではあります。ご本人が作った病気ですから、ご本人でしか根治できない、この原則を知っているのが「医者」です。この数少ない「医者」のお一人が進藤義晴先生です。以下、同先生の著書「万病を治す冷えとり健康法」(農文協刊)から引用いたします。 医者こそ本当の宗教家たるべし神仏の一番の願いは、拝んでほしいとか、自分を崇める人は幸せにしてやりたいとかいうことではないのです。人間でも、犬でも、道具のような無生物でも、みなそれぞれの使命を持ってこの世にでてきているのだから、それぞれがその使命を充分に果たしていく、そのことで世界がうまく、進歩発展していくことが神仏の願いということです。だから人間は、他の生物よりも偉いとか、ものを粗末に扱ってもいいとか、そういうまちがった考え方は改めること。万物とその霊はみな平等であって、自分本位ではよくないのだということをひろめるのが、本当の宗教であるといえるでしょう。だから、治療をしても体の病変を治すのは、いわばアトラクションのようなもので、あの先生のいうことを聞く気になろうという気になって、だんだん心を改めていってもらうためにやるという意味でもあるのです。「病気」は全身、全霊の病の一部が目に見える形をとって現われたものですから、全体的に治せば個々の病変は消えるものなのです。そういう考えからいけば、病名というものも本当はつける必要もなければ、つけることもできないのです。だから、体を治すことだけに心をうばわれているうちは、医者としてまだ半人前であって、心まで治す、霊まで治すところまでいかなければならないと考えて修行しています。たとえば、病気の根本原因は「心の歪み」、自分本位の想いなのですが、それでは、先天性の病気や奇形はどうなるのか?という疑問がでてくるでしょう。悪いことを考える知能さえないうちから、病気があるのですから。この問題は、輪廻転生ということがあると承知しなければ、理解できないのです。霊魂は相当永い年月生きていて(多くの人は、数億年生きている霊が現在人間の姿を持っているのですが、中には、数兆年、数十兆年と、物質宇宙発生以前から生き続けている霊もあります)、形はありません。それが虫とか木とか人間とかいろいろな形をとって、この世に出現するのです。たとえてみれば、車を運転する人は50年、80年と生きていますが、その間に車を何台か買いかえ乗りかえして、古くなった車は解体されてしまいます。運転手が霊魂で、私たちが今持っている肉体が車、みたいなものです。10年、15年、50年と使われる車もあれば、買って2日目に事故でスクラップになる車もあると同様に、50歳、80歳あるいは聖書にでてくる人のように数百年も生きる肉体もあれば、生後3日目で死亡したりする肉体もある、ということです。霊魂つまり運転手が病気であれば、運転にまちがいがあるので車にも異常がでてきます。これが肉体の病気で、世間ではこれだけが病気だ、と思っているのです。体の病気(病変)だけ治しても霊魂のほうは治っていませんから、生まれ変わってもまた、同じような病気をくり返すことになってしまいますので、霊そのものの病気を治してやらなければなりません。これが先天的の病気、奇形、体質の由来なのです。こういうわけですから、霊の心の歪みを治してやると体の病変も消え、以後は生まれ変わっても健康で暮らせることになります。そこまで治療して始めて、本当の医療といえるのだと思います。こように考えてくると、牧師や坊主よりも医者のほうが宗教家でないといけない、ということがいえます。患者さんは患者さんで自分のできることを一生懸命やる、それでも力の足りないところは医者が手助けをする。医者も自分の使命をちゃんと果たす。人間は人間で一生懸命やるから、神仏も一生懸命になって、正しい努力をしている人間には、わざわざ守ってくれといわれなくてもしっかり守り指導してくれる、そういう考えをしっかりとみんなに持たせるのが宗教家の役割だと思います。つまり本ものの宗教は、本ものの医学であり、両者は一つのものであると思います。 引用終了ここで記述されている「本ものの宗教」は、一神教に代表される「宗教」ではないことは、同先生の次の「至言」でも明らかではあります。『自然を征服する』とか『自然を開発する』と感張る『文明人』は、原始民族より野蛮で愚かである。自分の生きていく土台の『自然』を破壊して居るから。自然を繁栄させ、その『お余り』で人間も仲よく暮す。そういう方策を考え、実行するのが、真の文明人ではないのか?地球を救う? 地球を守る?誰の手から地球を守ると言うのか?!誰の攻撃から地球を守ると言うのか?!宇宙人か? 悪霊か?地球を侵略しているのは、人間自身なのである。 人間中心主義こそが人類絶滅の根本原因なのである。
2008.06.22
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日本では、医師であり、「医者」でもある先生は、10名ほどしか、いらっしゃいません。他は、医師という資格を持った詐欺師の先生です。この数少ない「医者」のお一人が進藤義晴先生です。以下、同先生の著書「万病を治す冷えとり健康法」(農文協刊)から引用いたします。「冷え」と「食べすぎ」が万病(すべての病気)の原因になります。 (中略)下半身、とくに足首から先が低温で、上半身が暖かい状態を「冷え」といいますが、これは相対的なもので、足もとを温かくしていても、上半身をそれ以上に熱くしていれば「冷え」の状態にあることになります。 (中略)私たちの体をサーモグラフィー(体温の分布を見る装置)でみてみると、例外なく上半身は温度が高く(心臓を中心に37度前後)で下半身は低く、とくに足もとは31度以下になることが確かめられています。このことから、人間は誰でも「冷え」の状態にあることがわかります。病理学的に説明すれば、この「冷え」つまり低温によって血管が縮み、抹消の循環不全(動脈血流の減少や静脈血の”うっ滞(うっ血”)が起こります。俗な言い方をすれば「血のめぐりが悪くなる」のです。この状態がある程度以上長く続くと、末梢の毛細血管の中に、交通渋滞の道路の自動車のように血球がたまり、流れが遅くなり止まりそうにさえなります。これを専門的には「血球スラッジ」(下水管にたまったヘドロみたいなものという意味)と呼び、東洋医学では「悪血(おけつ)」または「於血」、民間医学では「ふるち」と呼びます。血液は体ぜんたいの細胞に養分や酸素を供給し、炭酸ガスや老廃物を運び去る働きをしているのですが、「血のめぐり」が悪くなると、必要なものはこないで、いらないもの有害なものが出てゆかずたまってしまい細胞の機能が低下したり狂ったりします。ひどい時には死んでしまいます(壊死)。こんなことが内臓の中でも起きるので、内蔵機能の低下をきたすだけではなく、病的物質の産出(たとえば結石)、免疫力の低下、潰瘍形成、腫傷細胞の発生などにつながるのです。これを東洋医学的に説明しますと、次のようにいえます。東洋医学では、陰陽二種の気が体内を循環していれば健康、この循環が乱れ、とどこおりなどすると「病気」になるとされています。陰の気は下から上に上がりがたがる性質を持ち、陽の気は上から下へ下がる性質を持っています。しかし、陰の気は冷たい所を好み陽の気は暖かい所が好きなので、足もとが「冷え」ていると、「陰の気」は冷たい足もとから上に昇ろうとせず、「陽の気」は暖かい上半身から下がっていきたがりません。つまり気のめぐりが悪くなるわけです。そして血は気と共にめぐる性質がありますので、気のめぐりが悪いと血のめぐりも悪くなるわけです。食べすぎると、血中コレステロール値が上がることは広く知られています。このような血液は粘っこくなって流れにくくなります。つまり「血のめぐり」を悪くするわけです。その上、食べすぎでできたコレステロールは、脂肪となって皮下にたまるだけでなく骨髄の中、内臓の中、内臓と内臓の間、そして血管の壁にもたまります。血管の壁にたまると壁が厚くなってきて、内腔(血液が通る空間)が狭くなってきます。粘っこくなった血液が、狭くなった血管の中を流れるのは難しいことです。つまり「血のめぐり」が悪くなるということです。それでも末梢まで充分な血液を送ろうとすれば、血圧を上げるしか方法はありません。「冷え」のために血管が縮んでいるので、血圧を上げる必要がある上に「食べすぎ」によって、もう一段あげなければならなくなるのです。こうして「冷え」とともに「食べすぎ」も「血のめぐり」を悪くし、病気を重くしてゆくのです。 (中略)漢方では、ガン(腫瘍)は気にもつれであるといいます。気のもつれというのは、くよくよする、イライラする、頭の中がごちゃごちゃであるということです。精神的に安定していないと、肉体的にもおかしくなるというとらえ方をします。 引用終了進藤先生の入手可能な著書を下記にまとめました。 医者知らず「冷えとり」で完全健康人生 海竜社 (1997/12刊) 1365円 (症例集的な内容の冷えとり入門書) 万病を治す「冷えとり」生活療法―冷えは万病のもと 海竜社(2000/09刊) 1365円 (テーマごとにコラム形式で解説) 万病を治す冷えとり健康法 農山漁村文化協会 (2000/04刊) 1300円 (冷えとり健康法の基本) 病気にならない「冷えとり」健康法 海竜社 (2007/2刊) 1365円
2008.06.19
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アメリカ合衆国(USA)でブレンジンスキーが動き始めました。下記に「玄のリモ農園ダイアリー」 から 要約引用いたします。アメリカ合衆国連邦下院のデニス・クシニッチ議員6月10日に、ブッシュ大統領の弾劾を求める決議法案を下院に提出しました。そのブッシュへの嫌疑は35条もあるんですが、その要項を下記のごとくです。1条:対イラク戦争の根拠を正当化させるために秘密裏にプロパガンダ工作をしたこと。2条:911事件を不当に、組織的にかつ犯罪的意図をもって利用し、イラクを安全保障上の脅威と関連づけ、偽って侵略戦争を正当化したこと。3条:アメリカ国民と議会メンバーを欺いて、イラクが大量破壊兵器を所有しているかのように信じ込まさせ、戦争の根拠を捏造したこと。4条:イラクがアメリカ合州国への差し迫った脅威であるかのように、アメリカ国民と議会メンバーを欺いて信じ込ませたこと。5条:侵略戦争を秘密裏に始めるために不法に出費したこと。6条:議会決議HJRes114の必要条件に違反してイラクを侵略したこと。7条:宣戦布告なしにイラクに侵略したこと。8条:国連憲章に違反して独立国家であるイラクを侵略したこと。9条:兵士に防弾チョッキと装甲車を与えなかったこと。10条:政治的な目的でアメリカ軍兵士の死傷者数を偽ったこと。11条:イラクに恒久的なアメリカ軍基地をつくったこと。12条:イラクの天然資源を支配するために戦争を始めたこと。13条:イラクと他に国々に関してエネルギー開発と軍事政策のための秘密部隊をつくったこと。14条:重罪隠匿、極秘情報の不正使用と不正公開、および中央情報局(CIA)の秘密エージェント、ヴァレリー・プレーム・ウィルソン問題における司法妨害。15条:イラクでの犯罪コントラクター(請負い業者)の告発を免除したこと。16条:イラクとアメリカのコントラクター(請負い業者)に関連して、アメリカの税金を誤って浪費したこと。17条:不正な勾留:正当なる告発なしにアメリカ市民と外国人捕虜を無期限に勾留したこと。18条:公式な政策として、アフガニスタン、イラク、その他の地域の捕虜に対して、秘密裏に拷問を容認し、奨励したこと。19条:引き渡し:ひとびとを拉致し、その意思に反して、拷問を行う国や他の国の秘密基地に引き渡したこと。20条:子どもたちを投獄したこと。21条:議会とアメリカ国民にイランの脅威を偽って煽り、イラン政府を転覆させる目的でイラン国内のテロ集団を支援したこと。22条:秘密の法律を作成したこと。23条:ポス・コミテータス法(注:民警団法/1878年にアメリカで成立した連邦法で、国内の治安維持に陸軍、空軍、州兵を動員することを禁じたもの)の違反。24条:裁判所の捜索令状なしに、また法律や合衆国憲法修正第4条(注:不法な捜索や押収の禁止)に違反してアメリカ市民をスパイしたこと。25条:電話会社を使って、憲法に違反するアメリカ市民のプライベートな電話番号とEメールアドレスのデータベースを不正につくらせたこと。26条:サイニング・ステートメント(大統領署名声明)によって法律違反の意向を表明したこと。27条:議会召喚状に応じないこと、また元のスタッフに応じないよう指示したこと。28条:自由で公正な選挙への干渉、司法行政の腐敗。29条:1965年の選挙権法の違反謀略。30条:議会とアメリカ国民を欺いてメディケア(国民保険)をなくそうとしたこと。31条:カトリーナ;予想されていたハリケーン・カトリーナ災害への対策を怠ったこと。社会的緊急時への対応を怠ったこと。32条:議会とアメリカ国民に事実と異なる説明をし、地球温暖化問題に対応する活動を組織的に妨害したこと。33条:911事件以前にあったアメリカへのテロ行為に関するハイレベルの情報警告に対して、くりかえし無視し対応することを怠ったこと。34条:911事件の調査に対する妨害。35条:911事件で最初に救援活動したひとたちの健康を脅かしたこと。 引用終了「太田竜の時事寸評」では、次のように書かれています。第I条イラクとの戦いを擁護する間違った論拠を捏造するため秘密の宣伝活動をしてきたこと 第II条侵略戦争を正当化するため、イラクが国防上の脅威になっているとして「イラクのテロリスト」による見せかけの2001年9月11日の攻撃を、不正に、組織的に、犯罪的な意図をもって実行したこと第III条間違った戦争を擁護する論拠を捏造し、イラクが大量破壊兵器を所有したと信じこませて米国民と国会議員をミスリードしてきたこと第IV条イラクをアメリカ合衆国に対する差し迫った脅威と思わせて米国民と国会議員をミスリードしてきたこと第V条ひそかに侵略戦争を開始するため違法な形で資金を無駄使いしたこと第VI条HJRes114の必要条件に違反してイラクを侵略したこと第VII条宣戦布告なしでイラクに侵入したこと第VIII条国連憲章に違反して主権国家イラクを侵略したこと第IX条イラク駐留軍に防護服と装甲車を提供しなかったこと第X条政治目的のために米国部隊の死者・負傷者の数を偽造して報告してきたこと第XI条イラクに米国の永久の軍事基地を設立したこと第XII条イラクの天然資源を略奪するためにこの国と戦争を始めたこと第XIIII条イラクと他の国のエネルギーを軍事的に支配するため秘密部隊をつくったこと第XIV条中央情報局秘密工作員ヴァレリー・プレーム・ウィルソンに関する機密情報の不正使用・暴露と司法妨害、これらの重罪を軽視したこと第XV条イラクで犯罪を犯す契約を結んだ者たちに対して起訴を免れる不当な特権を与えてきたこと第XVII条違法な拘留:米国市民と外国人捕虜の双方を含む無実の人々を無期限に拘留してきたこと第XVIII条拷問:アフガニスタンやイラク、そして他のいくつかの場所で、公式の政府方針と称して、捕虜に対してひそかに拷問の使用を許可し、奨励してきたこと第XIX条誘拐:人々を誘拐し、彼らの意志に反して彼らに対し拷問を実践することが知られている国を含む他国の「黒いサイト」へ連れて行ったこと第XX条子供たちを刑務所に閉じ込めてきたこと第XXI条イランからの脅威を訴えて議会と米国民を誤解させ、イラン政府を倒すことを目的としてテロリスト集団をイラン国内で支えてきたこと第XXII条秘密の法律をつくってきたこと第XXIII条自警団法違反第XXIV条法律に反し、修正第4条違反を犯して、法廷命令による令状なしでアメリカ市民をスパイしてきたこと第XXV条テレコミュニケーション会社に対し、アメリカ市民の個人的な電話番号と電子メールの違法で憲法に反するデータベースを作成するよう指示してきたこと第XXVI条大統領声明に署名することによって法律を犯す意図を発表してきたこと第XXVII条議会の召喚令状を無視し、元従業員に召喚に応じないよう命令してきたこと第XXVIII条自由で公平な選挙を歪め、司法省の腐敗を画策してきたこと第XXIX条陰謀をめぐらせて1965年の投票権法を犯したこと第XXX条メディケアを破壊しようとして議会と米国民をミスリードしてきたこと第XXXI条カトリーナ:予測されたハリケーン・カトリーナの災害を防ぐ計画を立てなかったこと、市民の非常事態に適切に対処しなかったことは怠慢そのもの第XXXII条議会と米国民をミスリードして組織的に世界的な気候変動に対処する努力を台無しにしてきたこと第XXXIII条テロリストが米国攻撃を計画しているというハイレベルの知性警告が911前にあったにもかかわらず、それらを繰り返し無視し、911を防ぐことに失敗したこと第XXXIV条2001年9月11日の攻撃に関する調査を妨害してきたこと第XXXV条911の最初の被害報告者たちの健康を危険にさらしたこと 引用終了この法案は、その後、6月11日、下院で251対156で可決されました。可決の際、法案がそのままであったのか、何か「修正」が加わったのか、今の時点では分かりません。さて、日本のマスコミは「USA大統領選挙」については、当事国のUSA以上に、異常に報道し、まさに「馬鹿騒ぎ」の醜態を見せていますが、この「弾劾法案審議と可決」には一切触れていません。問題は、法案提出者であるデニス・クシニッチ議員の背後に誰が居るか?です。ブッシュは、ここに記述されている「35の嫌疑」については「無罪」です。ブッシュには、このような政策を実行する「権限」は与えられておりません。USA政府は、百%民間会社FRB(連邦準備制度理事会)の株主の傀儡政権であります。この株主がUSAの実効支配者です。輩が、カーターUSA大統領(1977~1981年)のとき、国家安全保障問題補佐官として送り込んだのがブレジンスキーです。当時、彼は単なる「国家安全保障問題補佐官」ではなく「真の政府」に一番近かった人物でした。現在でも、その事実は変わりません。つまり、新しい傀儡のUSA大統領選出に向けて、本格的な胎動が開始されたということです。
2008.06.17
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「その食事では悪くなるー食事崩壊と脳への影響」大沢 博著の表紙カバーから引用します。ごはんと違って、分解吸収が早い菓子やジュースなど甘い物ばかりを大量に摂ると、血球中のブドウ糖=血糖の値が急上昇する。その高すぎる血糖値を急いで下げようとして膵臓からインスリンが過剰に分泌され、血糖が低下したまま上がらない状態を「低血糖」という。この低血糖が、ブドウ糖しかエネルギーとして使えない脳神経の機能を低下させ、血糖を上げようとする<攻撃ホルモン>アドレナリンの分泌をうながし、ひとを攻撃的にさせる。 引用終了著者は、本文で「家計調査年報」(総務庁統計局)を調べた結果を記述しています。それによりますと、1965年では、米類が約4万円、菓子類が1万7千円弱という支出でした。。それが1987年(昭和62年)には、「米類より菓子類に多くの金を使うように」なり、「その差が開き、98年には差が約3万6千円である。まさに米ばなれで菓子大量消費という傾向である。こんな食生活では、心身が健康に向かうはずはあるまい。特に影響を受けやすいのが、小さい子供たちである」更に著者は、飲み物につても、まず、炭酸飲料の購入金額が1980年に前年よりも2倍以上に急増し「まさに校内暴力多発と同時期である。実際、私が少年院で面接調査した校内暴力の中学生たちは、ほとんどが入院前は炭酸飲料を大量に飲んでいた」更に「コーヒーやココアも年々増加してきてが、コーヒーの割合が大きいと思われる。昔の大人は、コーヒーは小どもが飲むものではないと認識していたが、今は幼児にさえ飲ませる親がいるようである。なんと乳児にコーヒー牛乳お毎日やっていていた親がいた、という話を聞いた。その子は二歳半で膠原病になってしまったそうである」引用を続けます。「他の人に怒りを向ける何らかの理由があったとしても、ひどい暴力をふるうのであれば、動機だけではなくて、栄養生化学的な見地でその行動を理解しようとすることも、必要と思う。なぜなら人をいらいらさせ、攻撃的にさせる明らかな栄養生化学的要因が、すでにいくつも知られているからである」と述べて、次の五つの項目を挙げて解説(ここでは省略)しています。低血糖ビタミンBの欠乏カルシウムなど必須ミネラルの欠乏あるいはアンバランス有害金属の蓄積食品添加物最後に筆者は「栄養カウンセリング」を提唱し、次のように記述しています。「わが国ではまだ、栄養に関心をもつカウンセラーはほとんどいないが、アメリカではすでに、心身の健康へのヒューマニスティック・アプローチとして、栄養カウンセリングが唱えられている。これまで”心因性”が強調されすぎて、心の健康と栄養との関連は無視されてきた。しかし、人間の脳もビタミン・ミネラル、糖などが適正に補給されなければ、正常に機能しない。いまや、心身の不健康、疾患あるいは異常行動の激増を、食生活の大きな変化と無関係と見るわけにはいかない。わが国でも、食生活の大きな変化とともに、さまざまな問題が発生してきたことは、大沢博が”食原性症候群”で、資料をあげて指摘した。穀物ばなれ、砂糖の摂りすぎ、インスタント食品・加工食品への依存、肉食過剰など、問題が実に多い。カウンセラーは、クライアント(来談者)の食生活にも注目し、それが不適切なら改善していくよう援助すべきである。当然、カウンセラー養成でも栄養教育が必要である」 引用終了ここで提唱されている「栄養」「栄養教育」は、現代の「栄養学=栄養素分析学」に基づくものではないと思っております。
2008.06.15
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「私が、小泉が、自民党をぶっ潰します」2001年4月の自民党総裁選挙では、アジテーターに過ぎない「小泉」が大旋風を起こしました。この選挙は、自民党所属議員による「本選」に先行して、一般の自民党員による「予備選」が全国各地で開催されるという異例な展開。小泉は「田中真紀子」と組んで、全国を遊説して回り、冒頭の台詞に代表されような、刺激的で、分かりやすい言葉で、有権者の感情に訴えました。有権者は、これが「とても新鮮に思え」て、「彼ら夫婦」を熱狂的に受け入れ、結果、予備選は「小泉の圧勝」でした。しかし、本選になれば「派閥の数の論理」に従い、小泉は沈没するだろうと予想されました。ところが、ここで「取引が成立」して、本命の亀井静香議員が「本選」出場を辞退し、「変人」「負け組」「抵抗勢力」の小泉が総裁に当選してしまいました。これこそ「愚民選挙」の「成果」ではあります。私は、このとき「日本でもヒットラーが誕生した」と感じました。さて、「秋葉原での無差別殺傷事件」の加藤智大容疑者は、このとき、高校3年生です。2003年4月、同容疑者は短大に入学、2004月3月には、短大を卒業しています。この間、同容疑者は、エアガンを撃ち合って相手を殺す「サバイバル・ゲーム」に夢中になっていたようです。卒業後は、主に「派遣社員」として、関東近辺に「派遣」されています。この2004年には、労働者派遣法の改正で、それまで禁止されていた製造業への派遣ができるようになりました。この「規制緩和」の結果「非正規雇用者」が大幅に増加し、労働者の「部品化」が促進され、経営者が、必要なときに、必要な「最も安い労働力」を確保することができるようになりました。つまり、必要なときに「納入させ」、必要でなければ「納入を停止す」れば良いのです。この「部品化」に疑問を呈した議員に対して、小泉は「柔軟性をもった労働環境を整備してきたからではないかと評価されている」と答弁しています。「労働環境を整備」の結果、「弱肉強食型」社会に弾みが付き、「勝ち組」は、益々太る一方、「負け組み」は底辺に押しのけられてしました。この「弱肉強食」の理論的支柱は「進化論」の「自然淘汰」であります。これに対し、今西錦司先生は「棲み分け論」を展開しています。勿論、私は、自然の「共生」を謳う「棲み分け」を支持いたしております。一般的に、小泉以降、日本は勝ち、負けに二極化された「格差社会」になったといわれています。私は、そうではなく、「物質的な貧富差」は古今東西どこにでもあり、この「差」が幾ら大きくなっても、所詮は「物質的なもの」に過ぎなく、精神的な豊かさを摂りいれていきますと「棲み分け」社会が可能であり、少なくとも、日本の「江戸時代」までは、これが充分に機能していたと思います。「弱肉強食」の世界は、「棲み分け」を赦しません。「ご主人様」と「奴隷」としか存在しない世界です。小泉の無責任で身勝手な、奴隷を馬鹿扱いした発言を以下に紹介します。「自衛隊の活動しているところが非戦闘地域です」2004年11月10日「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」同年6月3日「格差が出ることが悪いとは思わない」2006年2月1日これ以外にも、自分の意に反対するものは「抵抗勢力」と言い切り、「構造改革」「規制緩和」「郵政民営化」の御旗を掲げるだけで、その内実には「蓋をしたまま」でした。これらの「小泉劇場型茶番劇」の主役こそ、テレビでした。小泉もテレビ局も、お互いの利益を優先して、「茶番劇」を演じ続けていたのです。これは私の推測に過ぎませんが、同容疑者は、リアルタイムで、この「茶番」に気が付いたのではないでしょうか。今、多くの国民が「75歳以上の貧乏人は早く死ね」と言われて初めて気が付いたことに。現在の若い人たちが吸収する「情報量」は、その質を別にしますと、膨大なものであり、私のときとは雲泥の差があります。確かに、量に圧倒されて「充分に咀嚼し、消化し切れていない面」はあります。しかし、それでも、画像による情報から「流れ」「空気」を感じることには、私以上に敏感であることは間違いありません。同容疑者は、携帯ネットでは「冗舌」で、「無責任で身勝手な」書き込みを執拗に繰り返しています。「良い子を演じさせられていた」「勝ち組はみんな死んでしまえ」「高校を出てから8年、負けっぱなしの人生」「どうせ彼女できないし」「結局、顔」「不細工には恋愛する権利が存在しません」「誹謗(ひぼう)中傷されるということは、存在だけは認められているということですから 無視されている不細工な私は、その存在すら認められていない」今回の事件も克明に「実況中継」しています。これも「劇場型犯罪」と言えるでしょう。さて「不細工な私」は、周到に計画された「無差別殺傷事件」を起こし、「その存在」がやっと確認されました。「不細工な私」に画像を送り続けた「テレビ」も、「不細工な私」の別居中の両親を引っ張り出し、その中で、母親は泣き崩れ、「土下座」状態で震えるだけで「会見」は終わっても、一人では立ち上がれないでいました。まさに、これこそ、「勝ち組」の代表である「テレビ」による「拷問」そして「裁き」更には「公開処刑」に他なりません。これこそ、究極の「弱肉強食劇場」です。もう日本には「情け」が無くなってしまいました。時代こそ、違いますが、私は、同容疑者の境遇には共感いたします。恥ずかしながら。私は小学校を卒業するときは、「図画工作」を除いて「オール5」でした。卒業式が終わって、学校の玄関を出るとき、クラスを代表して、担任の先生に「お別れと感謝」を述べました。中学校では「オール4」です。これで何とか「北海道でも指折りの進学校」に入学できました。そして卒業するときは「オール3」。恥ずかしながら「私も神童でした」。卒業後は「負け組」ではないかもしれませんが、普通の人ですね。今の私は、人生の折り返し地点で「オール3」だと評価しています。私は幸いにして「テレビ」「ネット」もない時代を過ごし、「家族の絆」を大切にする「母親」に恵まれて、多くのかたからの「励まし」をいただき、「情け」をいただき、無事、ここまで「事件」も起こさないで、生きてきました。さて、ミリタリーショップなる「お店」があり、そこで「6本のナイフ」を購入しても、店の経営者からは「普通の人」であったと言わしめる「社会」は異常です。同容疑者は、確かに異常であり、今回の犯行は決して許されるものではありません。しかし、「異常な社会」が存在する限り、「不細工な私」は次から次へと培養されます。同容疑者も次のように書き込んでいます。「コンビニ弁当を買って酒を飲むだけ」の生活で、「犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする」と。幸いにして、私は、人間本来の、日本人の伝統食である「穀菜食」に出会うことができまして、この「予備軍」には組み入れられてはいません。同容疑者の「狂気」は「気が狂った」のであり、あらゆる病気は「気の病」ですから、同根です。私は、生命の根幹は「気」であるとの推測を持っています。本来の「気」を摂り入れていますと、天寿をまっとうできます。空気や水を含め「環境の化け物」である「食べ物」は、その「気」を摂り入れることではあります。「気」が適正であれば「元気」です。「彼女」がいなければ、これから努力して作れば良い、負けるが勝で、背負うものは少ないほうが良い、「不細工」は、自分だけではなく、そして個性的であり、「情け」を持っていれば「恋愛」も向こうからやってきます。天寿をまっとうして、お迎えが来たならば、やっと「オール5になれた」と喜んで静かに還りましょう。さて、先の「衆議院議員選挙」では、数多くの「小泉チルドレン」が誕生したと「マスコミ」は伝えます。今になっては、そう呼ばれることに戸惑いを隠しきれない「偽員」がいるようではあります。今回は、その「真打ち」の登場ではありました。
2008.06.12
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「北海道新聞」6月6日夕刊は、少なくとも私にとって「歴史的文書」になりそうです。主な見出しを下記に羅列します。(1)アイヌ民族は先住民族 衆参、全会一致で決議(2)公務員改革法が成立 政府 5年以内の実現目指す (3)タクシー接待 金品授受502人に 13省庁、1万2400回以上まず(1)について。新聞記事によりますと、町村官房長官は「決議案」に対する所信表明で、アイヌ民族について「独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識の下、総合的な施策の確立に取り組む」と言及したという。彼は北海道選出の「国会偽員」ではありますが、昨年9月、国連(正しくは「連合国」)総会で「先住民族の権利に関する宣言」を採択した際、日本の「アイヌ民族は先住民族ではない」と記者会見の場で語っていました。意見が変わること自体、悪いことではありません。情況が変化すれば、それに「適応した」政策を採るのが「政治家」であります。しかし、この間、情況は何も変わっていません。ただ、7月に開催される「北海道サミット」の準備が進む中、残り1ヶ月になった事実はあります。恐らく、準備を進める「若手の官僚」から、北海道に住むアイヌ民族の問題を「このまま」にしておいては、開催国・議長国・日本としては、マズイと提言があったと思われます。それに乗せられて「北海道選出の国会偽員」を中心にして「議員の会」が作られ、官僚が「決議案の素案」を作成し、政府と与野党との調整を続けていたのでしょう。町村氏が「政治家」であるのであれば、(対日軍事同盟である)「国連」総会が何を決議しようが、(税金を喰っているに過ぎない)「若手の官僚」が「マズイ」と言おうが、(茶番劇、物見さんに過ぎない)「サミット」が1ヵ月後に迫ろうが、日本国の「国益」に即した「政策」を断行するだけで良いのです。次は(2)。各中央府省庁の官僚幹部人事を「内閣官房」に設置する「内閣人事局」で一元管理し、官房長官が「官僚幹部候補者名簿」を作成することで、中央官庁の人事権を「官僚」から「内閣(政治)」に移行する画期的「政策」「法律」であるという。しかし、「内閣官房」も「内閣人事局」でさえ、実務者は「官僚」であり、その「官僚」が実権を握っているし、これからも握るでしょう。更には、今回成立したのは国家公務員制度改革「基本法」であり、「総論」という「飾り」「ショーウインドー」であり、具体策は「5年以内をめどに実現を図る」とのこと。これは「何も変わらない」に等しい。官僚の高笑いだけが響き渡っています。(3)は真打の登場。官僚が帰宅するとき、「タクシーチケット」という「税金」で、タクシーを利用した際、運転手から現金や商品券・図書券・ビール・おつまみなどを受け取り、挙句の果てには「お歳暮」「お中元」の提供まで受けていたという。これらの総数が既述の「新聞の見出し」です。「タクシーチケット」を使用したということは、実際の料金に「上乗せした金額を記入した」ということです。ですから、タクシー会社や運転手は「キック・バック」を払うのです。官僚は公務員です。公務員は「24時間勤務が原則」。自宅に居ても「自宅待機」で、「一旦、緩急あれば、すぐさま、駆け付け、職務を遂行することが求められる公僕」に過ぎません。「国民への奉仕者」ではあります。そのためには、原則として「残業」という概念さえを捨てなければなりません。一般国民の多くは、法律を無視してまで「サービス残業」をして「率先垂範」の姿を見せています。本来、官僚・役人が果たすべきことを「一般国民」が実行しているのです。この惨状の中で、マスコミや国会偽員などは「天下りを規制・禁止する」と迷い事を述べます。「天下り」の「天」とは誰のことか?再度、言います、官僚は決して「天」ではなく「国民への奉仕者」に過ぎません。職務が遅くまでかかり、帰宅への時間が終電車の後になったら、自腹で「カプセル・ホテル」にでも泊まるが良い。現に、私が東京で仕事をしていたときには、これを励行していました。勿論「カプセル・ホテル」から「キック・バック」はいただいておりません。以上、日本の「異常性」を縷々述べました。恐らく、これらは、先進国(破滅途上国)に共通する現象であると認識しております。発展途上国もこれらの「予備群」に過ぎません。さて北海道に生まれ、北海道に育まれた私としては、「アイヌ民族を先住民族」として認めて差し上げることは当然のことで、私も嬉しい限りです。私の血統に「アイヌ」が流れている可能性は否定できませんが、その私でも「アイヌ」を充分に理解はしておりません。しかし、マスコミが伝える次のような記事が間違っていることだけは分かります。以下、北海道新聞6月8日朝刊北大教授・小野有五氏の記事から引用(イ)自然保護に体張ってきた先住民族たち。(ロ)アイヌ民族は、先住民族として当然持っていた、自由にサケを採る権利などが、明治時代に奪われた。(ハ)G8を一つのきっかけに、どういう形で権利を回復できるか。アイヌ民族と国が話し合っていくことが大切です。 引用終了(イ)アイヌは、「自然を保護する」つまり「自然保護」ではなく、「自然に従順な生活をしていて、あらゆるものと共生」してきただけです。(ロ)アイヌは「自由にサケを採る権利など」があるという「妄想」を持つことなど決してありません。(ハ)最初から無いものを「どういう形で回復できる」のでしょか。さて、「サミット」を1ヶ月後に控え、主会場となる洞爺湖周辺は勿論、札幌でも「警備に立つ」警察官が目立っています。いずれ、この状態を「恒常化」させようという輩が存在します。茶番劇に過ぎない「サミット」を各国で持ち回りで開催する意図は、ここにあります。国家単位ではない「管理・監視社会」の誕生です。これに向けて「手先」となって「奉仕」しているのが「官僚」ではないでしょうか。まあ、所詮「手先」ですから「用済み」となれば「処理」されます。日本人は明治維新以降、特に戦後は、喜んで「管理・監視社会」を「享受する奴隷」に成り下がったと思われます。奴隷とは「自らは考えないで、ご主人様に隷属するモノ」です。「奴隷開放」は、自らが「覚醒」しなければ始まりません。
2008.06.08
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日本国憲法第37条 第2項 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会がを充分に与えられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。刑事訴訟法第218条検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により、差押、捜索又は検証することができる。この場合において身体の検査は、身体捜査令状によらなければならない。第2項身体の拘束を受けている被疑者の指紋若しくは足型を採取し、身長若しくは体重を測定し、又は写真を撮影するには、被疑者を裸にしない限り、前項の令状によることを要しない。ロッキード事件での田中角栄氏の裁判は、まさに「暗黒裁判」でした。「(ロッキード社の副社長であった)コーチャンは必要なことを”何でもしゃべって、すべてを”証言することと引換えに自らの刑事免責を日本の最高裁に保証された。日本における裁判で、このような司法取引をした証言を証拠として採用してよいものかどうか。まず、これが大問題。しかも、一審、二審の裁判所が、これに対する被告側からの反対尋問なしで、有罪の判決を下してしまうとは-」 小室直樹著「田中角栄の遺書」クレスト社刊から引用まさに、後半部分は「日本国憲法第37条 第2項」違反でることは間違いありません。最近の例。東京都江東区のマンションから女性が行方不明になった事件。同じマンションの男性がこの女性の「殺害や遺体切断を認めた」とされています。この被疑者の逮捕のきっかけとなったのは、警察が「同じマンションの住民から指紋を採取し」てみたところ、女性の部屋にあった「被疑者の指紋」と「男性の指紋」が一致したことだという。問題は、警察が「(身体の拘束を受けている被疑者)ではない、マンション住民から指紋を採取する」際、刑事訴訟法第218条による「身体の検査は、身体捜査令状によらなければならない」の手続きが行われていたのであろうか?という疑問です。もし、この「手続き」が行われていなかった場合、つまり、違法な捜査であった場合、「違法な捜査」の結果である「証拠」は、裁判では「証拠」とはなりません。「違法な捜査による証拠」によって「自供」しても、これは「自供」ではなくなります。つまり、本件が「違法な捜査」で、被疑者が逮捕され、今後、起訴されて、裁判になっても、被疑者は「無罪」です。このこと、警察や検事、そして、裁判官は「知っていて、知らない振り」をする可能性が強い。まして、来年から採用される(一般国民の)「裁判員」は、知るはずもありません。一番身近な国家(行政)権力とは「警察の捜査権」です。同書から引用します。「政治権力の中にあって人民の権利を行政権力から守るために、決定的に重要な役割を演ずるもの。それが司法権力である。司法は、行政から国民を守る壁。これがデモクラシーの基本構図である。ここに司法とは、裁判(所)である。このように、裁判の主機能は、行政権力から人民(国民)の権利を守ることにある」しかし、残念ながら、立法も、行政も、司法も、官僚によって支配・管理されてしまっています。国民の最後の砦であるべき、司法・裁判までが「敵」になってしまいました。裁判制度の崩壊!これに「弾み」を付けるのが「裁判員制度」であることは間違いありません。同書で著者は「裁判で裁かれる人とは、検事である。デモクラシー裁判とは、検事への裁判である。なんて断言したら、あっと驚く人もいるかもしれない」と喝破しています。私は、小さな声で「人を裁くとは、自分を裁くことです」と囁きます。付記私が見ていた唯一の「テレビドラマ」であった「相棒」。ここでも、刑事によって「捏造された証拠」を突きつけられたかたが「自供」に追い込まれた場面がありました。刑事は「してやったりの得意顔」でしたね。「杉下右京、お前もか!」「マンションから女性が行方不明になった事件」での「指紋採取」は「身体捜査令状」によるものであったのかを検証しなければなりません。ご笑覧いただいている皆様にも協力を求めます。
2008.06.05
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私たちの腸内には、約500種の細菌がおり、その数は約100兆個といわれています。 私たちは、この細菌様たちと共生しています。 まさに、腸内は小宇宙です。 私たちの心身は「宇宙」そのものです。 この腸内細菌の形態は、健全な状態ではビフィズス菌を中心とした乳酸菌が優勢になっています。 この場合、腸内での分解・消化・原子転換・合成・吸収などの活動が本来の生理システムに従い、バランス良くスムーズに営まれます。 その結果、綺麗なサラサラした正常な血液が腸内で作られ、私たちの健康が維持されています。 ところが、 肉・卵・牛乳および乳製品などの動物性蛋白質や ビタミン・ミネラルがほとんど取り除かれた精白食品(白米・白砂糖・白パンやうどんなどの小麦粉製品・白砂糖・食塩)、 化学調味料、農薬や食品添加物まみれの食品、 外国から輸入された食品などは、 人類悠久の歴史の中で、腸内細菌様がほとんど経験のないものです。 つまり、本来の生理に合わないものですので、分解・消化以下の動きがスムーズに行われなくなります。 すなわち、これらが腸内に停滞し腐敗していきます。 「腐」という字は「五臓六腑」の「府の中の肉」です。 その結果、蛋白質(アミノ酸)から有害物資(アミン・アンモニアなど)やガスが発生し、バクテリアやウイルスが作られます。 これと同時に、今まで劣勢だった大腸菌やウェルシュ菌などの悪玉菌が優位となり、 腸内細菌構成比のバランスが乱れます。 やがて、腸粘膜を刺激して、微小な傷を与え、そこから有害物質やウィルスなどが血管に入り込み、血液を汚し、その汚れた血液が全身を巡ることになります。 たまたま、上気道組織の細胞の抵抗力が弱かったため、そこに異状刺激を与えます。 それに対して、恒常性維持機能(自然治癒力)が作動し、血液が集中して炎症が生じます。 鼻やのどなどの上気道に炎症ができるのが「風邪」です。 炎症ができ、風邪になりますと、 咳が出る 熱が出る 鼻水が出る 痰が出る という症状になります。 全部「~が出る」です。つまり、自然治癒力が作動して「毒素」を出しているのです。 ですから、炎症というのは風邪を治そうとして発症し、あらゆる手段を尽くして「悪いものを体内から出そう」と一生懸命に頑張ってくれている、ありがたい治癒装置・健康維持装置といえます。 ですから、このまま、炎症という自然治癒力に任せ、そして自然治癒力を高めていきますと、毒素を出し切り、炎症は消え、風邪は根治されます。 私たちの心身は、病気の治し方を知っています。 これこそ、自然治癒力です。 これこそ「生命」です。 (原因) 本来の食べ物ではない食品を入れ過ぎた。 (結果) 風邪・がん(病気)になった。 (対策) 自然治癒力(自分で治す力)に任せ協力して、毒素を出してあげる。 これが、あらゆる病気の基本です。 がんは、全身の血液が汚れている全身病です。 生命の根幹である血液が汚れますと、死ぬしかありません。 本来、「死刑執行」です。 しかし、自然治癒力が働いて、がん細胞という炎症すなわち治癒装置・健康維持装置を作ってくれています。 つまり、「死刑」の「執行猶予」が与えられたのです。有り難いことではあります。 がん細胞は、外部から入ってきた「鉄砲玉」ではありません。 自分の自然治癒力が創り上げてくれた「希望の星」です。 がん細胞は、強力な炎症です。 たまたま、胃組織の細胞の抵抗力が弱ければ、胃に炎症ができ「胃がん」と言われ それが大腸であれば「大腸がん」 子宮になると「子宮がん」と言われるだけです。 つまり、「部分的(局所)に攻撃しても」次から次へと「転移」するのは「当たり前」です。 手術で局所を取り去っても、焼いても「根本」の手当てがされていません。 臭いものに蓋をしただけで、臭源(血液の汚れ)を絶っていませんので、再度、臭くなります。 この全身病に立ち向かい、健康を維持(恒常性維持機能)しようと孤軍奮闘しているのがガン細胞という炎症です。 汚れた血液が原因ですから、汚れてしまった血液を綺麗にサラサラにしてくれる浄血装置として働いてくれているのがガン細胞です。 つまり、私たちは、がん細胞という炎症に感謝申し上げ、 自分は「即死」しないで済んだ、 ついている、 幸運だと思わなければなりません。 そもそも、私たちの心身を構成している細胞で、必要のない細胞、健康を害するような細胞は、何一つありません。 すべて、心身の健康に必要ですから存在しています。 ガン細胞も必要あって存在しています。 がんは全身の血液が汚れる病気です。 以前は敗血症と言って、一週間以内に亡くなる恐ろしいものでした。 ところが、人間の恒常性維持機能(自然治癒力)が学習してくれて、 ガン細胞を作るようになりました。 ですから、ガン細胞は汚れた血液をキレイにしてくれる浄血装置です。 つまり、汚れた血液を一生懸命にキレイにして、 健康な心身に戻ろうと精進してくれている有難い、感謝すべき細胞です。 お陰さまで全身の血液が汚れても、早期に死ぬことは無くなりました。 「ガン細胞様、ありがとうございます。感謝申し上げます。 私も貴方様の負担が軽くなるよう、がんばり、自然治癒力を高めるよう精進しますので、 よろしくお願いいたします」と応援してあげなければなりません。 汚れた血液を綺麗にサラサラにしてあげますと、ガンは根治されます。 つまり、本来の食べ物を良く噛んで少量食べて、 腸内細菌群を正常な状態に回復させて、 綺麗なサラサラ血液を作って、全身に巡らせますと、 自然治癒力が高まり、 もう浄血装置としてがん細胞の必要性が無くなりますので、 少しずつ、ガン細胞は消えていきます。 やがて、がんは根治されます。 では、どうしたら、キレイなサラサラ血液を作ることが出来るのでしょうか。 ☆病 氣☆ 氣(心)が病んでいます。生きがい・目標・楽しみを持ち、常に感謝の気持ちで、あらゆるものを素直に受け容れ、前向きの気持ち、人生観を抱き、大いに笑いましょう。 ☆適正な食生活☆ 摂食、食べるということは、自然を構成している氣を摂り入れることです。 人間の食性に適合し、氣に満ち溢れた穀菜食を少量 (1日2食)、良く噛んで食べます。 ☆ストレス☆ ストレスを上手に解消して明るく楽しい生活とします。 大声で「カラオケ」、趣味を嗜む、適正な呼吸などなど。 ☆適正な運動☆ 1日最低1時間は散歩をしましょう。 がんを始めとする生活習慣病は「氣の病」であり、「宇宙(天)」からの「氣付き」を促す激励メッセージです。 自分は、宇宙であり、自然です。自分の「不自然さ」に氣付きましょう。 自分の自然治癒力を信じましょう。 食は命なり。 付記:当ブログがこの度、13万アクセスを達成させていただきました。皆様に感謝申し上げます。これを記念いたしまして、当ブログのタイトルであります「がんは感謝すべき細胞です」の記事を「再掲」させていただきます。
2008.06.04
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「道元禅師に学ぶ人生 典座教訓を読む」青山俊董著 日本放送出版協会刊 から下記に引用いたします。仏家に本より六知事有り。共に仏子たり、同じく仏事を作す。中に就いて典座の一職は、これ衆僧の弁食を掌る。 「典座教訓」私どもの耳に親しい言葉に「悉有仏性」という言葉があり、一般には「悉く仏性有り」と読まれております。(中略)道元さまの読みはそうではありません。「悉有は仏性なり」とまっすぐにお読みになるのです。「有」というのはあるなしではなく、存在そのものです。存在そのものが即仏性だというのです。むしろ仏性が縁にしたがって無限の展開をして、犬となり猫となり、皆さんとなり私となったのだということです。(中略)気づく気づかないにかかわらずはじめから仏であることに変わりはなく、これを本具といい、これは存在のすべてがもとより仏の全現成なのです。だからこそ料理をするとき、水一滴、米一粒、菜っ葉一枚を拝み、鍋釜をわがいのちと大切に扱ってゆくのです。もう一方は、この本具の仏性に”ああ、そうであったか”と気づく、自覚する。これを成仏といいます。(中略)お釈迦さまのことを仏陀といいます。仏陀とは梵語で、訳して覚者、真理に目覚めた人という意味で、お釈迦さまの専売特許ではないのです。誰しもが自覚すれば仏陀なのです。(中略)六知事とは狭義でいえば修行道場における6人の役寮のことですが、大きくいえばこの天地間に存在する一切のものの配役のことです。天地いっぱいが仏家、その中に仏のいのちを具体的な姿としていただいてきた一切のものはすべて仏子であり、それぞれの配役をいただいております。山の配役、川の配役、草木という配役、動物という配役、人間という配役。そしてこの私の体一つを取り上げてみても、目の配役、手の配役、足の配役と、皆かけがえのない大切な配役で、それぞれの持ち場で充分につとめあげることを「仏事を作す」というのです。 引用終了ここに出てくる「転座」という役は、お坊さんたちの食事の部門を担当しますが、大変、重要な御役ではあります。その心得を記したのが、道元禅師著の「転座教訓」です。さて、本来、この重要な「食事」を司どるのは「母親」です。すなわち「仏事」であり「修行」ではあります。残念ながら、日本では、この「仏事」を遂行している「母親」は、少なくなりました。多くの「母親」は、これ以上に「重要なモノ」があるみたいで、それに翻弄されています。食べ物が、腸で血液になり、その血液が細胞になり、その細胞が私たちの身体を創り上げています。「食事」「食べ物」「食生活」以上に「重要なモノ」があったら、私に教えていただきたいものです。どこかの「料亭が廃業した」なんて「そんなの関係ない」。食事は「我が家」で「母親」が「仏事」で作り、家族で一緒になって、他の「仏さま」をいただき、自分の「仏さま」を育むのです。「食事」とは、著者の青山住職が言われる「天地いっぱい」すなわち「宇宙」から「気」を摂り入れることでもあります。ですから、仏さまを、気を「いただきます」と、感謝申し上げ、いただきまして「ご馳走さまでした」と御礼申し上げるのです。これに「気づく」のが「成仏」です。著者は「仏教は気づきの教え」であると言われます。私は、気づきを与えてくださるのが、宇宙からのメッセージである「病気」であると確信いたします。ですから「病気を根治するには、あゆる病気に感謝する」ことから始めなければなりません。この延長線上に「がんは感謝すべき細胞です」という私の「主題」があります。
2008.06.02
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