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「代表的日本人」内村鑑三著(岩波文庫)は、日清戦争が始まった1894年に書かれています。著者は「代表的日本人」として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人を選択して,その生涯を記述しています。同書は岡倉天心著「茶の本」,新渡戸稲造著「武士道」とともに,日本人が英語で日本の文化・思想を欧米社会に紹介した代表的な著作ではあります。 この五人の中で、日本人に一番、知られていないのが中江藤樹ではないでしょうか。藤樹は、近江聖者と呼ばれ、滋賀県に、藤樹神社があります。日本人の学者で神社の御祭神として祭られているのは、菅原道真と藤樹だけです。藤樹は、その訓えの中で「それ孝は徳の本なり」(「孝経」)の「孝」を説きます。「孝」とは、父母を敬い、父母を養うだけではなく、その父母を生んだ天地(地球と太陽)、その天地を生んだ大虚(天、宇宙)までにも及ばなければならないと。以下、「日本思想体系・中江藤樹」(岩波書房)に掲載されている「翁問答」から引用します。元来孝は太虚をもつて全体として、万劫をへてもおはりなく始なし。孝のなき時なく、孝のなきものなし。全孝図には、太虚を孝の体段となして、てんちばんぶつをそのうちの萌芽となせり。かくのごとく広大無辺なる至徳なれば、万事万物のうちに孝の道理そなはらざるはなし。就中人は天地の徳、万物の霊なるゆえに、人の心と身に孝の実体みなそなはりたるにより、身をたて道をおこなうをもつて功夫の要領とす。身をはなれて孝なく、孝をはなれて身なきゆへに、身をたてみちをおこなふが孝行の綱領なり。おやによくつかふるも、則、身をたて道をおこなう一事なり。身をたつると云は、我身はぐわんらい父母にうけたるものなれば、わが身を父母の身と思ひさだめて、かりそめにも不義無道をおこなはず、ふぼの身を我身と思ひさだめて、いかにも大切に愛敬して、物我のへだてなき、大通一貫の身をたつる也。さて元来をよくおしきはめてみれば、わが身は父母にうけ、父母の身は天地にうけ、てんちは太虚にうけるものなれば、本来わが身は太虚神明の分身変化なるゆへに、太虚神明の本体をあきらかにしてうしなはざるを、身をたつると云也。太虚神明のほんたいをあきらめ、たてたる身をもつて人倫にまじはり万事に応ずるを、道をおこなふといふ。かくのごとく身をたて道をおこなふを、孝行の綱領とす。親には愛敬の誠をつくし、君には忠をつくし、兄には悌をおこなひ、弟には恵をほどこし、朋友には信にとどまり、妻には義をほどこし、夫には順をまもり、かりそめにもいつわりをいはず、すこしの事も不義を働かず、視聴言動みな道にあたるを、孝行の条目とする也。しかるゆえに、一たび手をあげて、一たびあしをはこぶにも、孝行の道理あり。人間千々よろづのまよひ、みな私よりおこれり。わたくしは、我身をわが物と思ふよりおこれり。孝はその私をやぶりすつる主人公なるゆへに、孝徳の本然をさとり得ざるときは、博学多才なりとも真実の儒者にあらず。まして愚不肖は禽獣にちかき人なるべし。 「万劫」:「劫」は仏教語できわめて長い時間をいう。永遠の意。 「物我」:外の万物(他者)とわれ。「大通一貫」:自他を通じて道(孝)がつらぬいて一体であること。「分身変化」:仏教用語で、仏菩薩の化身をいうが、ここでは太虚の分身が人の形をとってい ることをいう。 「私」:私心。私欲。自分ひとりのものとすること。公に対する私で、私利をはかり、 不公平である意。 引用終了 あらゆる生命が、人間も、天地・太虚・大自然の中で生かされています。太陽光、大地、空気、水、食べ物、その他、万物のお陰ではあります。ありがとうございます。中江藤樹は単なる陽明学者ではありません。「藤樹学」を日本学として認識し、更に勉強していきたいと思います。感謝
2008.12.31
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糖尿病・予備軍2200万人 糖尿病の疑いがある成人が推定で2200万人に上ることが25日、厚生労働省の「2007年国民健康・栄養調査」で分かった。患者だけではなく予備軍も含まれる。1997年から10年間で1.6倍となり、4・7人に一人となる計算。06年調査と比べ340万人の大幅増となった。 中略年代別の人口に占める割合は70歳以上が37.6%で最も多く、60代35.5%50代27.3%40代15.3%30代 6%と続いた。 以上は、北海道新聞12月26日の第一面の記事です。かつて「糖尿病」は「帝王病」と呼ばれ、ごく一部の権力者が、贅の限りを尽くした「食生活」の結果、罹病するものでした。一般市民にとっては「高嶺の花?」であり、病気になりたくても、決して「罹病」できないものでした。まさしく「贅沢病」であります。この「帝王病」の疑いがある人が、毎年増え続け、ついには4・7人に一人となっています。この調査では対象になっていませんが、20歳代以下の人たち、特に小供たちの中にも罹病する者が増えているとの調査もあります。ここで明らかになるのは、物質的な贅沢を求めて、それを手中に収めた結果、「贅沢」という幻想に惑わされ、人間本来の「食べ物」を捨て去り、人工的な化学的「食品」を大量に継続的に摂取して「帝王?」に君臨している「裸の王様」ではあります。以下は、お茶の水クリニック院長森下恵一著「クスリをいっさい使わないで病気を治す本」三笠書房(知的生きかた文庫)からの引用です。糖尿病は、血液中のブドウ糖(血糖)が異常に増加する病気だ。正常な人の血糖は100mg/dl前後だが、それが200mg/dlにも300mg/dlにも上昇してしまう。おまけに、血糖は尿に含まれてどんどん排出されてしまう。だから、糖尿病患者の血糖値がいつも300mg/dl以上もあるということは、細胞内にある糖分がどんどん抜きとられていることを意味しているのである。われわれの体では、ブドウ糖は物質代謝の基本的物質として働いている。体細胞の合成にも、エネルギーの産出にも不可欠なものだ。その貴重な物質がどんどん流れ出てしまうのだから、体がフヌケ状態になるのも当然の話であろう。では、なぜそんな異常な血糖値になるのだろうか。それは膵臓の働きが悪くなるためである。膵臓というのは、ちょうど胃袋の真下にある横にひょろ長い臓器である。ここではインシュリンというホルモンが製造され、内分泌液として直接血管の中へ分泌されている。インシュリンには血液中のブドウ糖を燃焼させて血糖値を下げる働きがある。インシュリンが正常に分泌されておれば、血糖値は100mg/dl前後の正常値に保たれる。だが、膵臓の働きが衰えてきて、インシュリンが必要なだけ分泌されないようになると、血糖がどんどん増えてくることになる。そこで問題となるのは、膵臓の働きを悪くさせる原因だ。しれは動蛋食品、精白食品の過食である。精白食品とくに白米・白砂糖は消化吸収がよすぎて、血糖値を急激に上昇させる。それに対して膵臓は、血糖値を一定に保持するためにインシュリンを盛んに分泌して、異常な過血糖の処理にあたる。こんな状態が1日に何度も反復しておこれば、膵臓は疲れはててしまい、ついにはインシュリンの製造、分泌がすストップしてしまう。これに拍車をかけるのが動蛋食品(肉、牛乳、卵)だ。膵臓はインシュリンだけでなく、消化液(膵液)も分泌している。この膵臓は蛋白質を分解する際に重要な働きをするものだが、動蛋食品をとると、その需要が非常に大きくなる。膵臓は膵液の分泌にもはげむが、ついににはくたびれてしまう。そうなると、インシュリン製造能力も弱体化してしまうのである。糖尿病になると、動脈硬化がきわめておこりやすくなるのは、高血糖状態になると、血管壁に脂肪変性がおこりやすくなるからだ。動脈の細胞の中には、ほんのわずかではあるが、インシュリンが蓄積されている。そこでは、細胞の働きが正常におこなわれるように働いているのだ。血液中の糖分が高くなり、しかも膵臓からのインシュリン分泌が衰えてくると、動脈壁中に生理的に含まれているインシュリンも動員されることになる。動脈壁に弾力をもたせるとともに、動脈壁の細胞が正常な機能をおこなえるように働いているインシュリンが、血液中に流れ出てしまうと、動脈壁の細胞に脂肪変性がおこる。細胞内に、生常時にはみられない大量の脂肪沈着がおこるのだ。こうなると、動脈壁細胞の働きは著しく弱められる。これが動脈硬化である。動脈が硬化すれば、必然的に血圧も上昇し、それによっていっそう動脈硬化は悪化していく。 引用終了糖尿病に罹病する原因をご理解していただけたのではないかと思います。そして、糖尿病では死ぬことはありませんが、糖尿病から「動脈硬化」となり、心臓疾患・脳疾患などを患い、それが「命取り」になることも再認識していただけたものと思います。大変、僭越ではありますが、森下先生のこの記事に「蛇足」を加えさせていただきます。それは「精白食品とくに白米・白砂糖は消化吸収がよすぎて、血糖値を急激に上昇させる」という部分です。あらゆる生命は、他の生命のいただいて、健全な心身を維持しております。あらゆる生命は、その自体、つまり、生命全体としてバランスがとれています。ですから、生命は、その他の「生命全体」をいただくことで、バランスがとれた「摂食」となり、その結果、健全な心身を維持することができると言えます。このように「生命全体」をいただくことを「全体食」と言います。一方、分解・破壊された部分を食べることを「部分食」と言います。例えば、白米をたべることは、稲の種子の「部分食」、白パンは、小麦の「部分食」白砂糖は、テンサイトウの「部分食」刺身や切り身は、魚の「部分食」です。日本人、特に戦後のそれは、徹底した「部分食」になってしまいました。我が人類も、その数十万年の間、他の「生命全体」をいただいてきました。しかし、いつしか、道具が作られ、機械が製造されて、「生命」という「食べ物」を破壊・分解、そして加工・貯蔵して「食品」なるものを製造し、これだけを食べるようになりました。お分かりのように、破壊・分解そして精白されたものは、最早、生命(全体)ではありません。単なる「カス」に過ぎません。私たちの腸様は、その永い歴史の中で「生命全体」を分解・再構成・消化・吸収していく生理を獲得しています。しかし、この100年位前に出現した不自然な「カス」を上手に処理できないでいるのです。この上、この「カス」が毎日、大量に、継続的に侵入してきているのです。ついに腸様、膵臓様は、絶え間ない残業に疲れ果てて、「過労死」状態です。これが「糖尿病」です。さて、同書に載っている「治療のポイント」を下記に引用いたします。1.精白食品は厳禁。白米、白パン、白砂糖などの精白食品は血糖値を急上昇させて、膵臓を弱らせ、動脈硬化を助長する。2.肉、牛乳、卵をやめる。動蛋食品は膵臓を著しく疲れさせ、インシュリンの分泌を悪くする。3.過食をやめる。過食は消化機能の減退を招き、代謝をいよいよ混乱させる。4.玄米・菜食に切り替える。根治の決め手である。それに体質に合った健康食品と薬草茶をプラスするのが、基本原則である。5.ストレスを上手に解消する。6.体重を落とす。減量すると、脂肪分と一緒に老廃物も排泄される。代謝は正常化し、筋肉も強靭になり、スタミナのある体に回復する。7.白砂糖はやめ、黒砂糖に切り替えを。ただし過食は避ける。更には、糖尿病に効く「食べ物」として「朝鮮人参」「ニラ」「ネギ」「ニンニク」「カボチャ」などを上げております。 引用終了他の生命に感謝申し上げ、その生命全体をいただく「全体食」をいたしましょう。(貴方様の生命全体を)いただきます。(貴方様の生命全体をいただき)ご馳走さまでした。ありがとうございます、感謝をこめて「食は命なり」。
2008.12.30
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「鵜呑み」とは、吟味をしないまま、そのまま、丸ごと、受け容れてしまうことです。 自分で咀嚼していませんので、腸内では「異物」扱いされ、結果として、「消化不良」でなってしまいます。 この「消化不良」に、日本人はやっと氣が付いたようです。例えば、古い記事で申し訳ありませんが、「月刊日本」の連載記事「届かなかったラブレター」(林秀彦著)の第6回に記載された記事。当時、著者の林氏はオーストラリアに移住されていました。そこで、同氏は、21歳になる同氏の娘さんと、その女友人3名とをオーストラリアに招待しました。そして、オーストラリアの有名な景勝地へ、一泊、約650キロの旅に出たときの体験記です。日本から来た4人の若い女性、林さん夫婦、そして、ミニバスを借り、運転はオーストラリアの26歳の青年デビィットさんが担当しました。 以下、記事から引用します。「その間の詳細は、あまりにもはらわたが煮えくり返るので、書かない。そのかわりに帰宅後のデビィットの感想を書く」本当に正直に言っていいのですね。と彼は念を押してから、溜まりにたまっている不満を一気に吐き出すようにして話してくれた。「信じられません。いったい彼女たちは何をしにここに来ているんですか。林さんはお金をドブに捨てているみたいなものです。車が走り出した途端に、全員居眠りです。誰も外の景色など見てはいません。僕が車を停めると目を覚まし、することといえばショッピング。彼女たちの興味はショッピング以外にありません。21歳などとは、とても信じられない。12歳に見える。オーストラリアの小供たちはお菓子に対してだってもっと成熟した反応を示す。ショッピングをすませ、車に乗れば、またまた瞬間的に居眠りに戻る。あれは一体なんなのですか。…彼女たちの動作や態度を見るていると、ロボットにだって、もう少し緊張感というものがあると思えてくる。全身だらけ切っているように見える。…ふるまいも表情も言語です。それがまったくない。そう、そもそも生命のないロボットの、更にその死体、つまり、死んだロボットを乗せて走っていたみたいです。それでいて服装と化粧だけは異常に気にしているように見える。人より目立ちたがっているように見える。Aさんはウエスタンブーツのアメリカン・カウガール、Bさんはこれまたアメリカのミリタリー・ルック、Cさんは全身ポシェットに覆われたクリスマス・ツリー!Dさんはできそこないのダイアナ姫!…シャンゼリゼやニューヨーク五番街ではないのですよ、ここは。正直に言えとおっしゃったので言っているんですよ。ぼくはもう本当にあきれかえっているんです」。(来月結婚式を挙げる予定のデビィットは、最後に、こう言った)「ぼくはオーストラリアの女性と結婚できて、実に幸せなんだということが、よォーくわかりました」。 引用終了今年の年末から正月にかけて、多くの日本人が、またぞろ外国に出かけて、これに似た醜態を曝すのでしょう。「内需拡大」が叫ばれる昨今に!という「経済」の問題ではなく、もっと「根源的な問題」ではあります。外国の人も、外国のマスコミも、日本人は「お客様」ですし、豚も「煽てりゃ木に登る」から、「デビィット」のような本音は吐きません。ですから、お金でモノを買うしかない日本人は、実際は「顰蹙(ひんしゅく)を買っている」実態が見えていません。これは、若い女性だけではなく、日本の外交も「お金」を払うしか能がありません。日本以外の国の人たちは、日本人の見識・意見・考えかたを聞きたがっているのです。しかし、日本人は、そういう「人間として当然持っていなければならない」見識などを身に付けていません。多くの日本人は「そんなモノを持ってはいけない」と、小さい頃から刷り込まれています。つまり、洗脳された「ロボット人間」「家畜人」に過ぎません。ですから、多くの日本人は「外国の人間との対話」は成立しません。外国の人のほうが「日本の伝統や文化」について知っていて、そのことに対する意見を求められても、日本人は語るものを何も持っていません。まさにロボット以下、死んだロボットです。しかし、若い女性はもとより、多くの日本人、政府関係者や害務省に代表される外交担当部署の人たちは、そのような自覚はまったく、ありません。著者の林さんはその記事の中で「日本の未来は完全に絶望だろう」と言われます。しかし、私は日本人は「居眠り」をしているだけですから、夜はいつまでも夜ではなく、いずれ朝が来る、日はまた上る、そして目が覚める。目が覚めないのは、私たち日本人の精進が足りないだけです。百年に一度の「危機」ではなく、2千年に一度の「革命」を!
2008.12.28
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「鵜呑み」とは、吟味をしないまま、そのまま、丸ごと、受け容れてしまうことです。 自分で咀嚼していませんので、腸内では「異物」扱いされ、結果として、「消化不良」でなってしまいます。 この「消化不良」に、日本人はやっと氣が付いたようです。例えば、日米安保条約の正式名称(日本語訳)は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」であり、1960年(昭和35年)6月23日批准書を交換して発効し、「条約6号」 と呼ばれています。以下、全文(日本語訳)を紹介します。日本国及びアメリカ合衆国は、 両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、 また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、 国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、 両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、 両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、 相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、 よつて、次のとおり協定する。 第一条 締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。 締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する。 第二条 締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによつて、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。 第三条 締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。 第四条 締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。 第五条 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第51条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。 第六条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、1952年2月28日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。 第七条 この条約は、国際連合憲章に基づく締約国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響も及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。 第八条 この条約は、日本国及びアメリカ合衆国により各自の憲法上の手続きに従つて批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日に効力を生ずる。 第九条 1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約は、この条約の効力発生の時に効力を失う。 第十条 この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。 もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。 以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。 1960年年1月19日にワシントンで、ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。 日本国のために 岸信介 藤山愛一郎 石井光次郎足立正 朝海浩一郎 アメリカ合衆国のために クリスチャン・A・ハーター ダグラス・マックアーサー二世 J・グレイアム・パースンズ 以上では、具体的に、アメリカ合衆国(USA)が日本国に何をするのか、しないのかは「第5条」に書かれています。もう一度、上記「日本語訳」の「第5条」を読んでみましょう。これを読んで「日本が第三国から攻撃を受けたとき、USAは日本国防衛のため、行動する」と受け取るには無理があります。さて「ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した」とあるように、当然のごとく、USAは「英語」の条文に基づいて「行動」します。原文である「英語」では、第5条は次のようになっています。ARTICLE NO.5 Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. (日本語訳・第5条) 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。either Party in the territories under the administration of Japan とは、日本の行政管理下内での日本・USA両国共ではなく、いずれかの国、すなわち日本の主権に対して治外法権を持つUSAの大使館・領事館とUSA軍事基地が一方のPartyであり、USAの治外法権の施設を除いた部分の日本国の地区がもう一つのPartyであると解釈できます。すなわち、日本国には二つのParty「地区」があります。(A)日本の中のUSA:USAの大使館・領事館とUSA軍事基地(B)日本の中の日本 :(A)以外の日本の領土この解釈に基づけば、それらのいずれか一方が自分にとって危険であると認識(recognizes) したとき、共通の危機(common danger) に対処することになります。つまり、(B)への攻撃は、日本の危機でありますが、USAの危機ではありません。一方、(A)への攻撃は、日本の危機であり、USAの危機でもある「共通の危機」となります。結局、USAは、日本国内の「USAの大使館・領事館とUSA軍事基地」が第3国から攻撃を受けた場合のみ、行動するということです。その行動も、自国の憲法すなわちUSA憲法に従わなければならないと条文で規定されています。実際、USA憲法では、海外のUSA軍基地が攻撃を受けたとき、USA本国が攻撃を受けたと看做され、自衛行動を起こすことが許されますが、駐留国(この場合、日本国)の防衛まで行う規定はありません。すなわち、第5条は「USAが日本を防衛する」のではなく、「USAは、日本国内におけるUSA軍基地・施設とUSA大使館・領事館を防衛すること」を宣言しているだけです。この「宣言」は、国際法上、ごく当たり前のことであり、条約に記述するほどのものではありません。結局、前文から10条まであって、もっともらしいことを「難しい用語」で書いてある「日米安保条約」が言っているのは、下記の「たった一つ」だけとなります。「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」勿論、その目的が「USAが引き続き、日本を占領するため」であることは明白ではあります。 かつて、我々の先輩諸兄は、「日米安保」に反対の行動を起こしました。日本国独立を目指す日本人として当然の行動ではあります。現在はどうなっているのか?日本人は「日本はUSAの核の傘によって守られている」との幻想にも溺れている情況です。「USAの核の傘」を認めることは、原爆の被害を受けた唯一の国である日本が、USAの核の存在を認めることになります。「広島・長崎に原爆を落とした張本人USAの核を認める」ことであります。いつから、日本人は「根無し草」「腑抜け」「奴隷」になったのだ。さて、大東亜戦争(USAが言う「太平洋戦争」)で戦死した日本国の英霊、約320万人は「日本国の防衛、自主独立」のため、戦いました。我々は、これに応えなければなりません。外国に、自国の防衛を依存・期待する国は、地球上、日本だけです。現状の日本国憲法で日本国を防衛することは充分できます。しかし、「日本を普通の国にしたくない」USAの日本占領軍は、「USAは日本を防衛する」「日本はUSAの核の傘の下で、核抑止策の恩恵を受けている」という幻想(洗脳)を与えて、安心させ、羊のように奴隷として支配しているだけです。日本国を防衛するのは、日本人であります。先の戦争の中で、日本は、USAから少なくとも、東京・広島・長崎で不法な攻撃を受け、多くの民間人が死傷しました。戦争は、双方の軍人が戦うものであり、民間人を主たる目的とした攻撃は、国際法に違反します。つまり、USAの東京・広島・長崎への攻撃は、「戦争」行為ではなく、国際法上、違法な行為、つまり、「USAによる国家テロ」ではありました。このようなUSAをこれ以上、容認していてはいけません。日本人は、これをバネにして「愛国心」を持たなければなりません。残念ながら、日本人という「奴隷」は、占領軍から「愛国心を持つてはいけない」と洗脳されていて、地球上で唯一「愛国心」のない国民です。自らの「奴隷」を解放しましょう。日本国に「愛国心」を持ちましょう。難しいことではありません。まずは、自分のご両親に感謝することです。その先祖を次々に辿っていきますと日本国になります。日本人が日本国を防衛しましょう。
2008.12.26
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「鵜呑み」とは、吟味をしないまま、そのまま、丸ごと、受け容れてしまうことです。 自分で咀嚼していないから、腸内では「異物」扱いされ、結果として、「消化不良」でなってしまいます。 この「消化不良」に、人類はやっと氣が付いたようです。例えば、今から5年ほど前、私は「北洲先生」に「ご指導」を得て、女子高生を「ナンパ」したことがあります。札幌市内のミッション系女子高校の生徒 二人連れに声を掛けました。2.3の質問と言うか、話題のあと、盛り上がったところで、女子高生に次のように聞いてみました。「キリスト教が、ユダヤ教に乗っ取られているということは、知らないだろうな?」これに対し、「それは知っているよ、私の周りの友達は、みんな知っているよね」と、もう一人に同意を求めながら答えてきました。 ☆「聖書の常識」(山本七平著 文芸春秋)から以下、引用します。聖書もまた1冊の本ではない。 現在の日本聖書協会発行の「旧・新約聖書」の目次を見れば、旧約は創世記からはじまって39冊の本、新約はマタイによる福音書からはじまって27冊の本から成り立っていることがわかる。 中略旧約聖書から生まれた宗教は、3つある。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でそれであり、旧約に「タルムード」(後述)がプラスされたのがユダヤ教。旧約プラス「新約」がキリスト教。旧約プラス「コーラン」がイスラム教と考えたらよいだろう。旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の基本になっており、その意味で現代の世界の大部分は何らかのかたちでその影響を受けている。そして、その影響をほとんど受けなかった民族の一つ、それがわれわれ日本人でる。 引用終了つまり、旧約聖書に書かれていることは、ユダヤ人(ユダヤ教徒)が生きて行くために必要な規範であり、「この規範は絶対神と人間との契約であるがゆえに絶対であるとされてきた」。 「 」内は同書から引用「タルムード」は、ユダヤ人の規範・律法であり「ユダヤ人たちの民法および聖典を集大成した著作」とされ、「ラビ」と呼ばれる指導者によって実行されています。さて、アメリカ合衆国(USA)在住のラビの誕生日が「USAの教育の日」になっております。このラビは、「タルムード」にある「ノアの7つの法」を広めるための「ルバビッチ運動」なるものの中心的指導者であります。以下、法律の要約です。公法 102-12[HJ.Res,104]1991年3月20日両院共同決議として1991年3月26日を「USAの教育の日」とする。 中略ルバビッチ運動の指導者、ラビ・メナヒエム・シュールソンは全世界的に尊敬され、敬慕されており、彼の誕生日が1991年3月26日であるが故に。 中略USAの上院および下院は、招集された議会において以下のごとく決議した。1991年3月26日、すなわち世界中に広まったルバビッチ運動の指導者、ラビ・メナヒエム・シュールソンの90歳の年の第1日目を「「USAの教育の日」とする。大統領は、合衆国国民に対し、この日をそれに相応しい儀式および諸活動によって祝うような声明を発しなければならない。 引用終了この事実に象徴されますように、いつの間にか、USAは、キリスト教国から、ユダヤ教の国に転換していたようです。来年、1月20日、USAの新しい大統領になるオバマは、その就任式で、片手を「聖書」に置いて忠誠を誓います。その忠誠の相手は、旧約か、それとも新約か、その忠誠の相手は、ユダヤ教か、それともキリスト教か。 ☆ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの「一神教」は、「Religion」と呼ばれ、これが明治になって日本に侵入し「宗教」と偽訳されました。本来「Religion」とは、 Re (再び) ligion(一体になる)という「ラテン語」です。従来、人間は神と一体でした。しかし、アダムとイブが、「悪魔」(蛇)に誘惑されて、神に背き、禁断の木の実を食べたのが「原罪」です。この「原罪」を犯し、彼らは神から離れてしまったため「エデンの園」から追放されました。つまり、「原罪」を犯し、一体であるべき神から離れてしまった人間が、再び、神と一体になるために必要なのが「Religion」(日本語訳の宗教)です。日本人の祖先も我々も「原罪」を犯してはいません。我々日本人は、今でも「八百万の神」と一体です。日本の「神道」や「仏教」は、江戸時代までは「随神(かんながら)の道」「自然の教え」「信仰」「仏の教え」「お釈迦さまの教え」と呼ばれていて自然な日常生活に密着した「習慣」「習俗」そのものでした。それが、明治になって侵入してきた「一神教である宗教」の範疇に強制的に入れられてしまいました。つまり、「原罪」を犯していない日本人には「神道」や「仏の道」だけで充分であり、「宗教」など必要ないのです。そもそも、私たち日本人には「悪魔」という概念が、存在していません。「神」と一体である日本人には「悪魔」が入り込む隙がありません。一方、西洋では、「森の神・フンババ殺し」から、人間は「神」と離れ、「原罪」を犯して「悪魔」に執り付かれてしまいました。この「宗教」は「一神教」ですから、異なった「宗教」の信徒を排斥します。その根源は、砂漠の民がその厳しい風土の中で獲得していった、特有の「憎悪」「妬み」「攻撃」「復讐」であります。西洋の歴史は、「悪魔」と「神」との戦いの歴史であり、「悪魔」が勝利してからは、「宗教」の名の下に実行された「排斥」つまり「大量殺戮」の記録に過ぎません。明治以降、日本人の暮らしが「西洋文明」化してきました。大久保利通は、この「西洋」を「文明」と賞賛し、西郷隆盛は、「西洋」を「野蛮」と喝破しました。「西洋文明」路線を走り続けてきた、その結果が、今日の「惨状」であり「野蛮」です。しかし、今でも、日本人は、西郷隆盛を「西郷さん」と呼び親しんでおります。「西郷さん」に象徴される日本の伝統・文化を取り戻したいものです。日本は、今でも八百万の神と一体であり、自然と共生して暮らしています。付記:イエスは、新約の中で、律法学者や異教徒から利子を取る商人を、厳しく糾弾しています。今日は、そのイエスの誕生を祝う「クリスマス」です。私は、日本神道と曹洞宗の信者であり、キリスト教とは無縁であります。しかし、今や、「キリスト教」とは無縁となってしまった「イエス」の誕生を心から祝いたいと思います。
2008.12.25
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「鵜呑み」とは、吟味をしないまま、そのまま、丸ごと、受け容れてしまうことです。 自分で咀嚼していないから、腸内では「異物」扱いされ、結果として、「消化不良」でなってしまいます。 この「消化不良」に、人類はやっと氣が付いたようです。 例えば、あらゆる生物は、大宇宙から付与された自然治癒力(恒常性維持機能)を持ち、健康を維持して、天寿を全うしています。 この自然治癒力のひとつが免疫システムです。 すなわち、生誕48時間以降、自分の体内に入ってきた「自分でない異物」を排除しょうとします。 いわゆる「拒絶反応」です。 これは、自己の健康を守るため、最も重要な「生命維持機能」です。 これに対し、今の医学は、「免疫調整」の名の下で「免疫力を弱める処置」を施し、すなわち「エイズ」(後天性免疫不全症候群)状態にして、他人の臓器などを移植手術します。 手術は成功しますが、自然治癒力に逆らい、免疫力が失われた「エイズ」状態ですから、他の病気に罹病し、命を失います。 このようなことは「医者」がやることではありません。 あらゆる生物は「医者」です。 自分の命は、自分が守ります。 「医者」になるための知恵は、両親から授かります。 知恵を獲得して初めて、自立し、「巣離れ」「親離れ」します。 これは「自然の摂理」です。 人間、特に、先進国(破滅途上国)の人間だけが、「自立」しないまま、子孫を作り、「自立していない生物」を再生産して、自国・人類だけではなく、他の生物を絶滅させ、更には地球を破滅の危機に陥れています。 食は命なり。 私たちが食べる「食べ物」も生誕48時間以降は「異物」と認識されます。 食べ物が入ってきますと、免疫システムが作動して、この異物を「排除」しようとします。 食べ物が排除されますと、生命自体を維持することが出来ません。 ここで登場するのが唾液です。 唾液は自分の血液から作られています。 すなわち、食べるときに良く噛んで唾液を分泌させ、結果、食べ物と唾液をグチャ、グチャに混ぜ合わせて、胃や腸に送り込みます。 そうしますと、私たちの生理は、これを「異物」ではなく、「自分」と判断して、初めて受け入れます。 その後、生理に従い、消化・吸収され、エネルギーとなり、生命を維持することが出来ます。 これでお分かりのように、唾液とグチャグチャになった物だけしか、エネルギーになりません。 さて、私は人間の食性に適合している穀物・野菜・豆類・海藻類を「食べ物」と呼び、 それ以外の物は、人間の食性に適合しない「食べてはいけない化学商品」略して「食品」と呼んでいます。 ここで、食生活で最上の状態は、 「食べ物を良く噛んで食べること」です。 次善の策は、 「食品を良く噛んで食べること」です。 次は、 「食べ物を良く噛まないで、呑み込むこと」です。 最悪なのは、 「食品を良く噛まないで、呑み込むこと」です。 多くの日本人は、この「最悪」を継続的に大量に実行しています。 すなわち、「飽食」「豊食」での「栄養失調」状態です。 当然、自然治癒力は低下します。 ですから、いくら食べても(呑み込んでも)、「異物」扱いで排出(下痢状態の大便)されます。 継続的に大量に、呑み込んでいる状態が続きますと、排出も追い付かない状態となり、消化・吸収されないまま、体内に滞留し、やがて「腐敗」し、有害物質、毒物となり、血管内に侵入し、血液を汚していきます。 結果、ガンを初めとする生活習慣病に罹病していきます。 これで入退院の繰り返しとなります。 すなわち、自然治癒力がドンドン低下し、健康を失い、経済力も失い、最後には「ポイ捨て」されます。 この悪循環を断ち切ることは簡単なことです。 お金は一切、必要ありません。 自分の眠っている自然治癒力を起こして挙げるだけです。 つまり、良く噛んで、一口最低30回噛んで、唾液を分泌させるだけです。 これこそ、「自立」に必要な「知恵」です。 ☆ 私は納豆を一日1個、ご飯には載せないで、おかずとして必ず食べるようにしています。 この納豆も最近は、小粒のものばかりが店頭に並んでいます。 小粒ですと、噛んで細かく砕く必要がなく、ご飯に載せて、ご飯と一緒に呑み込むことができる、つまり「呑み込み易い」ということです。 大粒ですと、噛まなければならないので、面倒くさいから「食べづらい」となります。 残念ながら、吟味されることなく、すなわち、 口の中で味わう、 味覚を噛みしめる、 歯ごたえのある味、 噛めば噛むほど味わいがあるなど、 本来の「噛み心地」が嫌われてしまいました。 柔らかく舌触りが良くて美味しく物だけが、ドンドン呑み込まれています。 現代の日本人の咀嚼回数は「卑弥呼のそれに比較して6分の一、戦前のそれに比較して半分」になっているという調査もあります。 その調査をされた齋藤 滋教授(神奈川歯科大学)は、噛む効用を「13の奇蹟」として次のように紹介しています。 太らない 積極的な性格になる 姿勢がよくなる 虫歯にならない 性欲が増す 視力がよくなる 骨粗しょう症を予防 糖尿を防げる 内臓が若返る アトピーを防ぐ 口臭をシャトアウト ボケない ガンを防ぐ つまり、私たちが日頃、悩んでいる大概の病気を予防するマルチパワーぶりです。 それも、一切、お金はかかりません。 今すぐ、実行できます。 実行しましょう。 ガンを始めとする生活習慣病は、人間本来の生活習慣に戻り、自然治癒力を高めれば予防をすることも、克服することも出来ます。 まずは、噛むこと(一口30回)から始めましょう。 一口、口に入れたら、箸を置いて、ゆっくり、噛みしめましょう。 そして眠っている自然治癒力を喚起させて、健康な心身を取り戻しましょう。 食は命なり。 「唾液が、がんを予防ぐ」ことを同志社大学の西岡一教授が証明してくれました。 以下、同教授の記述を要約してみます。 同教授は、魚や肉を焼いたときにできるオコゲの中に、変異原性(発がん性)があることを発見しました。 つまり、たんぱく質を構成しているアミノ酸が加熱されると、変異原性が現われることが判明しました。 更に、日本人が古くから飲んできた緑茶にも変異原性があり、その原因物資は、植物中にもともと成分として含有しているフラボン化合物であることも、突き止めました。 こうなりますと、あらゆる食べ物・飲み物に発がん性があることになります。 では、何故、昔の人には、ガンになる人が少なく、現代では異常なほど多いのだろうか、という疑問が生じます。 そこで同教授は「これらの発ガン物資が体の中に入ったら、どのように反応変化するのだろうか」という問題に取り組みました。 そして、まずは、口の中で唾液と混じるのが最初の反応です。 こここで、どのように変化すのか? 発ガン物質が、バクテリアに変異原性を起こす強さが、唾液を加えることによって、どのように変化するかを調べました。 唾液の「毒消し」効果は、想像以上に絶大でした。 オコゲの成分である「トリプ・P1」、 最も強い発がん物質と言われている「アフラトキシンB」も 「ベレツピレン」も唾液の作用で、その変異原性が消えてしまいました。 唾液に含まれている「ペルオキシダーゼ」と「カタラーゼ」「アスコルビン酸(ビタミンC)」などが「毒消し」を担っていることも解明されました。 この「唾液パワー」は、唾液に約30秒浸すだけで充分でした。 要約引用終了 昔の人、と言っても、戦前までの日本人は、緑茶や野菜などの植物に発がん性物質が入っていることなど知りませんが、 先祖(両親)から伝えられた智恵である「噛む」ことによって、知らず知らずのうちに「毒消し」をしていたことになります。 私たちの生命を健全に維持することに必要なものは、既に与えられています。 その一つが唾液であり、自然治癒力の源です。 感謝
2008.12.25
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連想ゲームです。まずは「風土」(和辻哲郎著 岩波文庫)から引用。二 砂漠乾燥の生活は「乾き」である。すなわち、水を求むる生活である。外なる自然は死の脅威をもって人に迫るのみであり、ただ待つものに水の恵みを与えるということはない。人は自然の脅威と戦いつつ、砂漠の宝玉なる草地や泉を求めて歩かねばならぬ。そこで草地や泉は人間の団体の間の争いの種となる(創世記136、2620以下)。すなわち人は生くるためには他の人間の脅威とも戦わねばならぬ。中略この神への絶対服従と他民族(従って他の神)に対する戦闘とは、依然としてイスラエルの族の特性である。 中略人はさらに離散せるユダヤ人がいかにその砂漠的性格を持ち続けたかを忘れてはならない。離散はすでに紀元前数世紀から始まっている。緊密なる教団組織をヨーロッパ人に教えたものは離散せるユダヤ人である。中略のみならずその服従的・戦闘的なる人間生活の様式は、かつてヨーロッパ人を魅了し去ったように、今やまた新しく現代人を魅了しようとしているのである。三 牧場旧約聖書はユダヤ民族の記録であるにかかわらず、今や人類全体の歴史を語るものと考えられる。中略このように完全な精神的制服が何ゆえに可能であったのであろうか。それは(ヨーロッパの)陰欝の苦悩がちょうど砂漠の恐怖と共鳴したからなのである。意志的・人格的な唯一神を西欧人ほどよく受け容れたものはなく、また旧約の預言者たちの意志的・論理的な情熱を西欧人ほどよく理解したものもないのであろう。次に「旧約聖書」(申命記)から引用同胞には利子を付けて貸してはならない。銀の利子も、食物の利子も、その他利子が付くいかなるものの利子も付けてはならない。外国人には利子を付けても貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない。それは、あなたが入って得る土地で、あなたの神、主があなたの手の働きすべてに祝福を与えられるためである。 注:ここで言われている「同胞」はユダヤ人・ユダヤ教徒であり、「外国人」とは異教徒。これに依拠して、新約聖書でも利子を獲ることを禁止しています。しかし、ユダヤ人は異教徒からは利子を獲ることができるとして、これを生業としました。これが、ユダヤ人が迫害を受ける一因ともなっています。次は「日本を捨てて、日本を知った」(林 忠彦著 草思社)から引用また、その背景にある、過酷な自然環境も想像してほしい。私ならタダでくれると言われても遠慮したくなるような、砂塵濛濛たるイランやイラクの土地、荒涼と砂漠の続く中近東の土に、今日も血が染み込んでいるのである。中略ところが日本人以外のほとんどの民族は、その「良くない感じ」の土地の奪い合いっこに歴史のすべての時間をかけてきたのである。それぞれが、自分たちの土地はもっと「良くない感じ」だと考えあったからだ。そこから彼らの伝統的な「嫉妬心」が生まれ、嫉妬は憎悪を育んだ。憎悪はビジネスの原動力になった。中略「我思う、ゆえに我あり」とは「我、他者を憎悪するがゆえに我あり」と同じことなのだ。 中略繰り返すが、キリスト教をはじめとする外国の一神教も、同様、発光源は個々の実体験に結びつく他者への憎しみである。そのほとんどは、時の絶対的権力者の圧制や暴政によって生まれた憎しみだったが、それゆえに、反対価値としての愛が意識された。 引用終了マネーを、そして利子を発明した「砂漠の民」は、「異教徒」に対し「憎悪」と「復讐」の連鎖を繰り返しながら、命を賭して攻撃を行い、そこからの掠奪をほしいままにしてきています。「新約聖書」の「マタイによる福音書」には、「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」とあります。ここでは、英語の「マモン」を「富」と偽訳しています。本来、「マモン」とは「魔神」であり「拝金主義者」であります。12月17日の北海道新聞は、アメリカ合衆国の連邦準備制度理事会(FRB)がその主要政策金利を、事実上、ゼロまで引き下げたと伝えています。確かにFRB誕生以来、約95年で、初めてのことですから「百年に一度」の危機と言えるでしょう。最後に「聖書の常識」(山本七平著 文芸春秋社)から引用です。「旧約聖書の各章に現在のような書名がつけられたのは、紀元前三世紀の最初のギリシア語訳からであろう」「それらがまだ厳密な学問的批判をうけていないとはいえ、聖書時代のはじまる一千年以上の昔から、これらの地が文字文化の中にあり、聖書が文字文化の中で成立したことは否定できないからである」 引用終了そうしますと、「百年」どころか、少なくとも「2千年」以来の「革命」と言えるのではないでしょうか。つまり、現在、起きているのは「危機」ではなく、「革命」であり、「マネーの呪縛」から全面的に開放される日に、一歩前進したしたと前向きに捉えたいと思います。
2008.12.23
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朝、起きたら食事をする、昼になったら食事する、夜になったら食事する。このように、ある時間がきたら、食事をするというのは不自然です。本来は、お腹が空いたときに食事をする、のです。つまり、人間の生理や脳が「新たなエネルギー」を要求したときに、始めて、そのエネルギー源となる食べ物を本来の食べかたで食べるのが自然です。しかし、現実は厳しいのです。人間のみならず、あらゆる動物にとって、その誕生以来、コンスタントに「食べ物」を確保することは至難の技でした。そこで、共存・共栄のために「棲み分け」をして、それぞれの「縄張り」を尊重してきました。もう一つ、絶えずやってくる「飢餓」に対処するために、日頃から生命内に「備蓄」する生理を獲得してきました。長い「進化」のなかで、現在、生き残っている「種」は、この二つの能力を取得した精鋭であり、選良ではあります。これに対応できなかった「種」は、滅びて行くしかありません。現存している人間も、そういう意味では「精鋭・選良」と言えるでしょう。しかしながら「西洋文明」が登場して以来、絶滅種が急増してしまいました。その原因は、「精鋭・選良」を生んできた「自然・環境」に対する「文明」による攻撃であり破壊ではあります。「自然」破壊と言い、環境破壊と言う。これは結果であり、本質的には「内なる自然」である人間の心身の破壊に他なりません。つまり、少なくとも、先進国(破滅途上国)の人間は「備蓄する生理」を獲得しているにも関わらず、物質的豊穣に目に眩み、「飽食」「美食」「肉食」に溺れ、心身のバランス・健全性を失っています。以下に、朝日新聞12月15日の記事を引用します。 長生きしたいならカロリー制限を--。 さまざまな動物で確認されてきたが、カロリー総量は減らなくても、飢えを繰り返し経験すると寿命が延びることを、京都大の西田栄介教授(細胞生物学)らのチームが線虫の実験で見つけた。この仕組みにかかわる遺伝子も突き止め、14日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。 線虫は、長さ1ミリほどで寿命は25日ほど。チームは、エサを減らしてカロリー制限をすると、約1.2倍、寿命が延びることを確認。一方、2日ごとに2日間断食をさせて断続的に飢えさせると、寿命は1.5倍も延び、しかも活発に動いていることを見つけた。 断食させた線虫で寿命が延びるときには、Rhebという遺伝子が働いていることも発見。一方、この遺伝子は、自由に摂食できるときには、寿命を抑える働きをする可能性も示された。これは、食事制限と寿命延長を結びつける仕組みが複数あり、この遺伝子はそのうち三つに影響するためとチームは推定した。 食事制限には、がんや糖尿病など老化にかかわる病気を抑えるという報告もある。この遺伝子はヒトももっており、西田教授は「2型糖尿病など、老化にかかわる疾患の発症を遅らせることができるかもしれない」と話している。 引用終了これらの事実は、既に「マウス」などで証明されております。日本でも医学博士 甲田光雄医師などの治療で実証されています。つまり、人間の生理に拠りますと、食べ物が入ってきませんと、体内で最低限必要とするエネルギーを確保するために、体内に蓄積されている「老廃物」や「多過ぎる中性脂肪」などを分解します。そして、分解されたものから、必要なエネルギーを採り出して確保する一方、本当のカス、必要のないもの「毒物・異物」として「排泄」されます。「断食」すなわち「食べ物」を入れないと、必要のない「毒物・異物」が出ていきます。体内が綺麗に掃除されます。これで「病気にならない健康な心身」を維持することができます。これで「胃様・腸様」も、私も「いい調子」になります。食生活への具体策としては、次のことに留意いたしましょう。本来の食べ物を良く噛んでいただきましょう。朝は、「排泄」の時間です。どうしても「朝食」を食べたいのであれば、朝、大便を排出してから軽く食べましょう。仕事が休みの日、体を動かさない日は、必要とするエネルギーが少ないのですから、「1日三食」ではなく、1日二食、または1日一食にしましょう。これは「小さな断食」です。1日二食、または1日一食にした場合、食べる量つまり一食分の量を増加させないようにしましょう。週一回の「小さな断食」から始めましょう。本格的な「断食」には、確かな指導者の下で実施しましょう。食は命なり自然治癒力に感謝
2008.12.21
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財務省は18日、09年度予算財務省原案の骨格を固めた。一般会計の総額は08年度当初予算(83.1兆円)から約5.4兆円増えて、88.5兆円前後と過去最大に膨らむ。税収の大幅減に加え、経済対策に伴う歳出増も重なり、新規国債発行額は33.3兆円程度と急増。08年度当初(25.3兆円)を大きく上回り、4年ぶりに30兆円の大台を突破。財政健全化路線からの転換が鮮明になった。中略 国の借金返済に充てる国債費は前年並みの20兆円強となる。 一方、税収は景気の急速な悪化に伴う法人税の大幅な落ち込みを見込み、約7.5兆円減の46.1兆円程度にとどまる見通し。中略 一方、財政投融資計画も金融危機を受けた企業への資金繰り支援策の拡充により、08年度当初に比べ2兆円程度増え、15兆円台後半になる。増加は10年ぶり。【清水憲司】以上は、12月19日毎日新聞からの引用です。約46兆円の収入しかないのに、支出が88.5兆円という予算案です。この支出案には、16日の整備新幹線のワーキンググループ会合で決定された、北海道新幹線のうち長万部~札幌間着工の「着工調査費:30億円」が含まれております。同区間の総事業費は、現在の見積もりで約1兆2千億円の見通しとなっています。つまり、収入の約2倍の支出を予定しているのです。2008年度までの国と地方の借金である長期債務高は約778兆円であります。まさに狂気の沙汰です。本来、収入が減少しますと、支出の見直しをしなければなりませんが、これだけ借金が膨らんでいるのであれば、従来の「支出」そのものを「ゼロ」にしてから、再構成しなければなりません。つまり、今、騒がれている「雇用問題」にしても「財源がないから、充分な対策が打てない」のではなく、「約46兆円もの財源がある」から、「優先的に配分していこう」という転換が必要です。国の政策とは、税金の配分とも言えますが、これは政治家が優先順位を決めて、それに従い行政機関(官僚)が執行します。勿論、政治家は少なくとも10年先を読んで、国と国民の独立・安全・健康を保つために、世論を無視してでも「打たなければ成らない政策」は断行しなければなりません。さて、それでは、札幌までの北海道新幹線が必要なのか?私は必要ないと断定します。まずは「整備新幹線」という「既得権」を破棄しなければなりません。この整備新幹線は、地元に有力な国会議員がいるところから着工・開通されてきています。今回の北海道新幹線も、ここ2.3年の間に、北海道選出の「有力な国会議員」が輩出して結果ではあります。こんな理不尽なことは、あってはなりません。本来、日本国全体の政策を立案する国会議員が、たかが「自分の選挙区」に有利な政策を「ごり押し」してはいけません。「選挙区」の有権者も、自分たちの刹那的快適な生活に目を奪われていてはいけません。この新幹線ができますと、並行在来線は、切捨てられます。この並行在来線沿線の住民も切り捨てられます。つまり、鉄道は必要で、国民の生活に必須のインフラであります。そのインフラは、既に完成されているのです。北海道、札幌の住民が、少しでも、早く、東京に行きたいのであれば「飛行機」を使用すれば良いのです。ゆっくり、旅を楽しみたいのであれば「在来線」で充分ではあります。北海道新幹線を利用して、札幌から東京まで約4時間40分で行くことができるのは「贅沢」です。しかし、今、日本は「贅沢」という「既得権」に興じている場合ではありません。質素に倹約して、日本人本来の生活を取り戻すことが急務となっております。そのためには、あらゆる「既得権」を「ゼロ」にして、再構築することが求められています。その財源は、2009年度は「約46兆円も」あるのです。
2008.12.19
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「食べ物」「食生活」によって性格・性質が変わります。 端的な例が、牛・馬・羊・兎などの草食動物は温順な性格であり、 肉食動物のトラ・ライオンなどは、獰猛な性格です。 人間の食性は「草食」ですから、本来は温和な性格です。しかし、穀物の代用食として肉食をせざるを得ない「砂漠の民」が、その強い攻撃性・憎悪・嫉妬でヨーロッパに進出し、収奪を重ね、現在は世界を席捲してしまいました。 肉食(肉・卵・牛乳)・砂糖などの酸性食を多く摂取している人たちは、低血糖になり、血液酸毒症になり易く、カルシウム欠乏から脳神経が正常に機能しなくなります。 人間本来の食性・生理に反する肉食ですから、心身に悪影響を与えるのは当然です。 「健全な身体に、健全な精神が宿る」と言いますように、私たちの身体と精神・心はひとつです。 これを証明した先駆者が日本におります。 現在、正食指導団体「蒼玄」会長の菅藤祥江氏です。 同会長は、若い頃、ある精神病院の管理栄養士でした。 そのとき、院長に了解をしていただき、「玄米正食」による「食事療法」を実行しました。 「玄米正食」とは、 玄米を主食として、副食は野菜・豆類・海藻類だけを摂る食事です。 勿論、原則として「無肥料・無農薬で国産」の食べ物を、良く噛んで少量を食べていただきます。 そこで入院患者を二つのグループに分け、 ひとつのグループには、玄米正食(穀菜食)を食べてもらい、 もうひとつのグループには、それまで通りの病院食としました。 その結果、玄米正食のグループの患者さんは、分裂症のかた、うつ病のかたなど、全員が根治されました。 そこで、この画期的な研究成果を医学論文にして、学会で発表しようとしたとき、「待った」が掛かりました。 既成の精神医学界からの妨害でした。 この事実が公表されてしまうと、「食べ物」「食生活」で精神病が根治されることになり、既成の精神医は必要なくなり、商売できなくなってしまうからでした。 それから約10年後、アメリカ合衆国(USA)でも食事療法による全く同じ臨床研究が行われて、公表されました。 その内容は、菅藤氏のものと同じでした。 この状況で、私は、まず、精神病院の院長さんの「大英断」を評価したいと思います。 この決断がなけれは「研究」「実験」「実践」の結果は、生まれていません。 感謝 次に菅藤祥江氏は、「食事療法」をする前から、既に「根治」するという「結果」が出てくる自信があったのでしょう。 果たせるかな、予想通り、全員が玄米正食(穀菜食)で「根治」されました。何故、「玄米正食」で精神・心の病が根治されるのか。そのポイントは「氣」です。玄米を主食とした食事は、生命力に満ちています。この生命力は「氣」から構成されています。一方、白米は生命力が殆どない「粕」です。氣の抜けたカスです。精神・心の病の原因は、端的に言って「氣違い」です。 差別用語を採り上げて、大変申し訳ありません。つまり、本来と違った「氣」が入ってきたため、精神・心の病に罹病しています。そこで、本来の「氣」を摂り入れてあげますと、今まであった「違った氣」が排出されていきます。やがて、「氣違い」は是正され、血液や細胞が本来の健全な「氣」に満ち溢れていきますので、病が根治されていきます。USAよりも10年も早く、「研究」と「その結果」が出ていた「日本人の叡智」にも感謝申し上げたいと思います。 この院長さんのように、「常識」や「商売」に拘らないかたが、これからも輩出してくることを切に祈念いたします。 また、犯罪も「食事療法」で減少できるという研究も発表されています。 これは「栄養と犯罪行動」(A・Gシャウス著 大沢博訳)という書籍に掲載されている下記のような、非行少年の再犯率(1978年~1985年)の研究です。 「食事療法を受けない非行少年」の再犯率は68%で、 「食事療法を受けた非行少年」の再犯率は12.5%でした。 驚くなかれ、「5倍の開き」です。 しかし、驚くことはありません。 必然の結果です。 「食は命なり」です。 私たちの心身は、「食べ物」で作られており、言わば「食べ物」の「お化け」です。 食べ物が、腸内で血液となり、 血液が細胞となり、 細胞が身体を作ります。 つまり、本来の食べ物を、本来の食べかたで食べているうちは、心身は健康を保っていました。それこそ、地域の伝統食の賜物ではあります。しかし、残念ながら、「肉・乳・卵」に代表される「肉食」や「精白食品」「化学食品」などが、地域や各国が持っていた独自の「伝統食」を駆逐してしまいました。 結果、 「内なる自然」である心身は、多くの病気に苦しみ、 「外なる自然」である地球環境は、環境破壊の極致です。 これらを推進してきた輩は、反自然的な生活習慣、つまり「西洋文明」という「幻想」を掲げ、「内なる自然」と「外なる自然」とからなる「大自然」を支配・管理したつもりでいます。それも、「大自然」からの「浄化作用」が働き、もうすぐ破綻するしかないでしょう。 その前に、日本人は、1日も早く、日本の伝統食の玄米生食「穀菜食」に復帰しましょう。 そして、人間本来の温和な性格で、共生と共存の、正常な精神活動に満ちた、健全な心身を取り戻しましょう。 大宇宙つまり万物共生共同体への回帰でもあります。食は命なり
2008.12.15
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今、NHKの大河ドラマ「篤姫」の最終回を見終わりました。ここで、薩摩藩主・島津忠義に、島津藩家老・小松帯刀が「版籍奉還」を進言する件がありました。小松は、まずは自分の領地を藩に奉還すると決意を述べます。これに対し、藩主は「西洋の猿真似をしているだけではないのか?」と言いつつ、島津藩の領地を朝廷に奉還することを了承します。この藩主の台詞こそ、日本人が今、問い直されなければなりません。以下は、「森下自然医学」誌 2008年12月号に掲載されている太田 龍氏の記事からの引用です。坂元 遇さんは、西洋文明は、「地球は有限」と「無限に拡大する欲望」との絶対的矛盾に対して、「答えをもたない文明である」(21世紀への確実な解答」、1983年)と述べていまが、これはその通りでせう。(5)「虚」を以て実を支配する「無限に拡大する欲望」、と言ふ。しかし、その欲望を実現する手段とシステムが存在しなければ、問題は生じない。そのシステムは、約2千5百年前、エルサレムのソロモン第二神殿の市場で、発明されたマネーと、そのマネーを管理する専門職業カルトと共に、人類の中に出現しました。その職業が単なるギルド(組合)でなくて、カルト(妖気に満ちた宗教)と言はれる理由は、彼らだけの神、生け贄を要求するモクロの神を信仰するからだと言ふ。彼らの管理するマネーは、交換手段としての貨幣であるのみなでなくて、それは利子を要求する。利子を生むマネー(おかね)なのです。そしてそのマネーこそ、神であると言ふ。「無限に拡大する欲望」は、ここに、確固たる根拠を獲得しました。「マネー 第12番目の、究極の宗教」の著者、R・D・ウィリングは、利子を生むマネーの発明と同時に、「エコノミック・スピリット」が発生した、と述べて居ます。西洋人が愛用する「エコノミック」と言ふ言葉の意味が、明治の日本人には、全く分からない。苦しまぎれに、彼らは「経国済民」と言ふ、日本人が良く知っていた漢籍の中のことばを引っ張り出し、「経済」、と翻訳しました。これは、誤訳です。しかし、単純な誤訳ではなかったのです。経国済民と、西洋人の「エコノミック」は文字通り、クソと、ミソと、ぐらい違ふ。いやそれ以上に異質です。エコノミック・スピリットとは、要するに、マネーの管理法です。マネーの管理の目的は、マネーを殖やすこと。金貨銀貨であろうと、紙であろうと、マネーがひとりでに殖えるわけはないので、利子を取って誰かに貸し、利子を確実に取り立てて、殖やして行くこと。その正体は、2008年9、10月、世界金融恐慌として、全世界の人々の前に、さらけ出されました。エコノミック・スピリットは、実業ではなくて、虚業を主とする精神、虚を主とし、実業を従とする精神です。虚業ですから、「実」に制約されることなく、無限大に、どこまでも肥大化して行くことが出来る。私たち日本人が、幕末開国以来このかた、「西洋」と呼びならわして居るものの起源は、ここに起源があったのです。虚を以て実を支配する、と。「虚」とは、欺瞞、詐欺、ペテン、嘘偽でもあり、エコノミック・スピリットとは、偽を以て真実、真理、事実を打ち負かすこと、その技術である。と言ふことが出来るでせう。(6)大政を大宇宙に奉還するだました方が良くて、だまされた方が悪い。これが、マネーの神の支配する西洋世界のきまりですね。西暦1532年、ピサロを長とするスペインの一隊をアンデス文明のインカ、アタワルパは歓迎しました。すると、不意に、スペインの軍隊は、インカを捕虜とし、インカの国中の黄金を集めて持って来させれば開放する、と約束したのです。その約束を信じてインカは命令し、厖大な量の黄金が集められました。そのあと、スペイン軍は、インカ皇帝を殺し、黄金を掠奪し、鉄砲と馬によってインカを滅亡させる。だまされた方が悪い、と言ふ西洋人のやり方の見本ですが、西洋人の歴史はこんな話に充ち満ちて居ます。しかしこんな手口が、大自然に通じるでせうか。アンデス文明の中心部分は、今は、ボリビア、と呼ばれていますが、2005年12月、そのボリビアの大統領選挙で、インディオ原住民出身のエボ・モラレスが選出され、三年近く、モラレス政権が続いて居ると聞きました。ボリビアは、中南米では、今日なお純粋のインディオが人口の過半数を占める唯一の国であり、アンデス文明の文化的伝統が生き残って居るのみならず、そこでは、パチャ(宇宙)クチ(回帰する)、つまり、宇宙に回帰する、日は近付いて来る、と、一部のインディオの人々によって信じられている居るさうです。西洋流の経済統計では、ボリビアは世界最貧国の部類に入れられて居るのですが、方向を逆転させると、ボリビアは、宇宙に回帰する正常な流れの最先頭を走って居ることが明らかと成るでせう。それに反して、世界でもっとも豊かでお金持ちと自慢して居る欧米日本などは、自然及び人間的自然をも破壊して自滅する道の尖端に位置して居るわけです。坂元 遇さんは、近い将来の地球維新は、地球の生態系、地球の循環への大政奉還と成る、と言って居られました。明治政府の時の大政奉還は、徳川幕府が大政を朝廷に奉還した、と称したのですが、この言ひ方は実際と違ひます。実際は、徳川幕府から西洋に、大政が奉還されたに過ぎない。西洋に大政奉還されたとは、日本が西洋のマネーの神の支配下に入ったことを意味します。これからの地球維新、世界維新は、人類が、大政を大宇宙に奉還することでなければならない。そしてそれは、超太古縄文人の「高天原(たかあまのはら)文明」に復帰することに成るのです。 平成20年10月23日記 引用終了「猿真似」などと、猿に対して大変、失礼な言い草ではありますことを、お詫び申し上げます。このようなところに、人間の傲慢さを見出し自省していかないと、「大政を大宇宙に奉還する」ことは難しくなります。乗り越えなければならない、解決しなければならない問題は山積しておりますが、最終的には「マネー」という「西洋」の呪縛 から開放されなければなりません。
2008.12.14
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11月3日、私は、自宅の一階の屋根から滑り落ちる事故に遭い、開放骨折ということで、救急車で病院に搬送され、そこで手術・入院と相成りました。27日には、退院となり、現在は自宅と病院とで「リハビリ」を行っています。さて、手術を受ける直前、私の右手首に「ネーム・バンド」なるものが装着されました。そこには、「ID:005××655」、カタカナで私のフルネーム、そして「バーコード」が記載されていました。入院中は、昼食と夕食が用意されますが、その「お膳」にもID番号が載っています。医師も看護士も、私ども患者には、必ず、それぞれの名前を呼び、親身になって処置はしていますが、実際のところ、患者はID番号とバーコードで病院側から管理されているのです。退院後も、私はリハビリのため「外来」で病院に通っていますが、その診察券にはID番号が記載され、その日の支払いは「自動精算機」に向かって、バーコードをかざして、精算しています。勿論、領収書が発行され、それには、真っ先にID番号が記載されています。このように「病院」は「収容所」であり、患者は囚人扱いされ、番号とバーコードで管理・監視されています。しかし、この状況は「病院」だけでありません。知らず知らずのうちは、私たちは、嬉々として管理と言うより「監視」を受け入れています。「振り込め詐欺」が横行し、自分の口座から「自分の判断で振り込む」ことが制限されています。いたる所に、防犯カメラが設置され、何か事件が起きますと、警察権力が「捜査協力」を求め、警察がその「監視カメラ」で国民の私生活を覗き見しています。その副作用で、容疑者を特定するという効果があることは、病院が「売る」化学薬品と情況が同一ではあります。今回の、アメリカ合衆国(USA)発の「金融危機」も、狙いは「金融の完全なる管理・監視」に他なりません。日本でも、「株券の電子化」が進められいますが、これも、その一環に過ぎません。そもそも、この「金融」は「お金がない人に、ローンを組ませて、住宅を買わせた」ことであります。このような「地雷」「毒薬」がオブラートに包まれ、化粧が施され「証券」として世界中にばら蒔かれていたのです。時がたちますと、化けの皮が剥がれるのは当然でありますが、残念ながら「爆発」するまで「気が付かなかった」のであります。勿論、確信犯はおります。その輩は、さっさと「売り逃げ」しております。この情況は、日本でも顕著です。例えば、スーマーケットでの買い物では、顧客が現金で払うよりもクレジット・カードで精算するほうが「ポイント」が大幅に加算されています。顧客・消費者は、こんな「本末転倒」に疑問を持ちません。「現金がなくても欲しいものが買えて、更にポイントが付いてくる」のであれば、これ最高ジャン!また一つ、地雷が埋め込まれ、毒薬が挿入されました。日本人だけではありませんが、人間が他の動物と大きく違うことの一つは「学習能力が高い」ということはでしょう。役人・官庁の世界では、失敗は許されません。ですから「失敗」しないための最良の策は「仕事をしないこと」であります。一方、民間には「失敗」を経験して、そこから学び取ったノウハウが豊富に蓄積されいます。これが「学習能力」です。しかし、USA発の「金融危機」に対して、マスコミは、その本質を知っていて伝えません。一般の日本国民も、「USAが風邪をひけば、日本は…」とは思いつつ、日本は大丈夫!、私には影響は少ない、金融など貧乏人の私には関係ない、などなど。これ「江戸時代の感覚ですね」。現在、日本は、「グロバリーゼーション」という「世界戦略」に組み込まれているのです。病院が、患者をID番号やバーコードで管理するのも、振込みを制限するのも、監視カメラが乱立するのも、株の電子化も、クレジット・カードのほうが有利になるのも、その推進側には、管理・監視の意図はなくても、しっかと「組み込まれている」のです。真の洗脳とは「洗脳されていることに気が付かない状態にする」ことです。つまり、嬉々として、喜んでその「状態」を受け入れるのであります。私は、この状態を「奴隷」と呼んでいます。奴隷にならないためには、まずは病院に行かないことです。それには病気にならないことです。少なくとも、風邪や出産は病気ではありません。自然治癒力さえ、しっかりしていれば風邪にはなりません。万が一、風邪になっても自分で根治できます。出産は助産師さんで充分、対応できます。もともと、出産には「危険」が伴います。これは「自然の摂理」であります。未熟児が新生児集中治療室(NICU)の「保育器」で延命治療を受け「生命力のないサイボーグ」といて「飼育」されることは、この摂理に逆らうことではあります。更には、現金で買い物をすること。できれば「食べてはいけない化学製品」略して「食品」ではなく、人間の食性に適合した「食べ物」を購入しましょう。生命力のある「食べ物」を少量、良く噛んで食べますと、自然治癒力が高まり、罹病することもなくなります。そうは言っても、現在、私は、右足に装具を装着して、ノソのそと歩き、「監視」されています。その監視の目から脱出するため、一日でも早く、装具を外し、自然な歩みができますよう、リハビリに励んでおります。私だけではなく、多くの日本国民が私と一緒になって「リハビリ」に励みましょう。「リハビリ」をするのは自分、病気を予防するのも自分、病気を根治するのも自分ではあります。
2008.12.12
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拝啓 今年も残り少なくなりましたが、ご清栄の御事とお慶び申し上げます。さて、貴殿もご承知のごとく、12月10日から16日まで、「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」となっております。これに会わせ、先日の北海道新聞に「必ず救い出す」の大見出しで広告が掲載されておりました。「日本政府は、すべての拉致被害者を取り戻すために、全力で取り組んでいいます」拉致問題は、日本の主権と国民の生命・安全にかかわる重大な人権問題です」との文章が続いております。残念ながら、私には「全力で取り組んでいます」とは思えません。民間の団体である「特定失踪者問題調査会」では失踪者リストを作成し、拉致の可能性があるかたを約440名としております。これに対し、日本政府が拉致されたと認定しているかたは17名に過ぎません。つまり、日本政府は、今まで、全力を挙げて「拉致されたかたが何名いらっしゃるのか」の調査・捜査を実行しておりません。これは重大な怠慢であり、国家の呈をなしていないと言わざるを得ません。これを機に、総務省(地方自治体)と警察とが一体となって、実施すべきであります。さて、2007年9月17日、小泉純一郎首相は、北朝鮮を訪問し、事実上の国家元首である国防委員会委員長・金正日と「首脳会談」を行いました。席上、金正日は「日本人13人の拉致を認め」「口頭で謝罪」しました。これを受けた小泉は「ふざけるんじゃない!舐めるんじゃない」と言って、会談のテーブルを引っ繰り返して、直ちに帰国すべきでした。しかし、小泉は「日本の国家主権が犯された」にも関わらず、暢気に「日本と北朝鮮との平壌宣言」を交わし、発表して「凱旋」帰国しました。日本国内で、日本人が外国人によって「拉致」されたということは、決して「人権問題」ではなく、「日本国の主権が侵された」と言う「国家主権」の問題です。更に言えば「北朝鮮の日本国への宣戦布告」と解釈しても良いほどの重大問題です。少なくとも北朝鮮による日本への「国家テロ」攻撃ではあります。日本が普通の国であれば、直ちに軍隊(自衛隊)を北朝鮮に派兵して、北朝鮮で監禁されいる日本人の救出作戦を断行したでしょう。実際には「喧嘩に強い」純一郎でも、北朝鮮や中国には弱かったのです。ここで、貴殿に提案があります。純一郎ができなかった「救出作戦」を実行に移すのです。すなわち、自衛隊の最高指揮官である貴殿の命令一つで、自衛隊を北朝鮮に「派兵」して救出作戦を展開するのです。これこそ、「内閣支持率」20%台、すなわち「3対0」で「敗戦確実」の9回裏、起死回生の逆転満塁ホームランとなるでしょう。歴代の官僚たちは、日本国憲法第9条を「自分の都合の良いよう」に解釈して、それを国会議員に刷り込んでおります。曰く、「自衛のための軍事力もない」「自衛のための交戦権もない」「海外派兵はできない」「集団自衛権は行使できない」「国連軍には参加できない」などなど。これらのことは第9条には何も書かれておりません。書く必要がないからです。自然法に拠り、更には「国際法」により、第3国が日本に戦争(喧嘩)を売ってきた場合には、自衛のための戦争は許されるのです。国家に自衛権があるということは必然であり、当然のこととして国民に祖国防衛の義務が発生します。今回、北朝鮮は「喧嘩」を売ってきたのです。「目には目を、歯には歯を!」売られた「喧嘩」は、買わなければなりません。これは「世界の常識」です。貴殿は、十八番の、口を曲げて「「ふざけるんじゃない!舐めるんじゃない」と刀を取り上げるだけです。この形相に、流石の金正日も怯むでしょうことは間違いありません。さて、ことは早いほうが良いのですが、まずは、充分な「調査・捜査」を政府・自治体・警察などが全力を挙げて取り組み、その結果を待たなければなりません。これに要する時間は2ヶ月。来春には「桜咲く」の吉報をお待ちしております。 敬具付記貴殿は、派兵部隊の総隊長として、口をへの字に曲げて、平壌入りしなければなりません。これが敵にとって「最大の脅威・威嚇」になります。その結果、貴殿は「日本国の英雄」となり、外国諸国は、やっと「日本を独立国」として認めるでしょう。蛇足必要とあれば「ランボー」殿を参謀の一員として雇うこともご検討ください。あっ、思わず、脱線してしまいましたこと、貴殿の漫画好きに免じて許していただければ幸甚と存じ上げます。
2008.12.09
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現代の医療は、一般的に「対症療法」と呼ばれていますが、実際にはアロパシー(逆療法)と呼ばなければなりません。つまり、病気の症状とは逆の作用を持つ薬物を使用して、その症状を一時的に押さえ込みます。言い換えますと、元の症状に替わって、他の症状(副作用)を起こす薬を投与して治療します。これが治療でないことは、一目瞭然ではあります。症状として咳が出たら「咳止め」を症状として熱が出たら「解熱剤」を症状として下痢したら「下痢止め」をこれらの症状は、すべて自然治癒力が作動して、体内に蓄積してしまった毒素を一生懸命、吐き出そうと奮闘努力している表れです。これに「逆らう」のがアロパシーです。確かに、症状は抑圧されますが、毒素は体内に蓄積されたままですし、自然治癒力が低下してしまいますので、一定期間が過ぎますと「再発」「転移」「併病に罹病」と相成ります。この悪循環に、患者が気が付かないように権威を振りかざし、詐欺師のごとく振舞うのが、アロパシーに携わる「医師」に求められる資質に他なりません。その結果、病人と病気は、年々増え続け、国民医療費や介護費も増加する一方です。本来の医療が行われていますと、これらのものは、すべて、減少していかなければなりません。すなわち、「医師になっても食っていけない」から、医師の成り手がいなくならなければなりません。少なくとも日本の状況は、逆に進んでいるようです。北海道新聞10月24日朝刊に「医療・介護費90兆円超」「政府試算 2025年度 現在の倍」の見出しが躍っています。記事によりますと「高齢化がピークに達する2025年の医療・介護費について、サービスの充実や効率化などの改革を実施したとして、現在の41兆円から、2倍以上になる91兆~94兆円に増えるとの試算をまとめた」とあります。別の資料では、国立ガンセンターは、がん患者が2015年には約80万人に上り、これは1998年に比較して約58%の増加と予想しています。更に「がん・統計白書」によりますと、2015年のがん死亡者は436,217人と予測し、これは1996年に比べて約62%増となっています。厚生労働省は、介護を必要とする要介護者は、2004年では約410万人でしたが、これが2014年には約640万人となり56%増加すると試算しております。これが、アロパシー(逆療法)の実態です。これは「医療」ではなく、「死の商人」による「商売」に他なりません。もう一度「436,217人」の数字を凝視してください。一の位まで正確に弾き出しているのです。「ガンだけで、436,217人を殺す」と目標を掲げているのです。その上、更に2025年には、日本国民から医療・介護費として約90兆円超を略奪する予定でいるのです。私たち日本国民は、何のために税金を払っているのでしょう。国民の生命・健康・財産を守ってもらうためではありませんか。確かに、私が常々言いますよう「自分の命は自分で守る」ものですが、日本国は、少なくとも、その脅威を減少させなければなりません。つまり、国家が率先して、罹病しないように国民に啓蒙活動を行い、結果として「国家財政の負担・支出」を軽減していかなければなりません。これにより、国民の税負担額も減少して、「国家財政も健全化」されていき、「小さな政府」もとで、心身ともに豊かな国民生活が訪れてきます。こんな簡単なことに気が付かないほど、日本人は狂っております。狂人の狂人たる由縁は「自分が狂っている」と認めないところにあります。真の「洗脳」は「洗脳されていることに気が付かない状態」にすることではあります。真の「奴隷」とは「自分が自由で、自分が好きなことを選択して実行している」と錯覚している連中です。このような連中を、入院先の病院でも見ることができました。つまり、私が見た「入院患者」の殆どは、痛い、辛い、痒い、とは言いながら、「一日でも長く、入院していたい」のです。その理由の一つは、退院しても「自分の面倒を見てくれる人がいない」といいます。病院に居ますと、3食昼寝付きで、全部、看護士さんがやってくれるからでしょう。もう一つは、自分が掛けている生命保険に「入院給付金」がついていて、入院1日に付き5千円から1万円が入ってくるからです。何もしないで、3食昼寝付きで、看護士さんに優しく見守られて、1日に1万円が収入として入ってくるなど、他では考えられません。「これ以上の贅沢はない」と思って当然です。「物質的に豊かであれば幸せだ」という錯覚に陥るのも必然でしょう。患者が一日でも長く入院していれば病院側も「収入・利益」になるのです。患者も保険会社も喜ぶのですから、こんな目出度いことはありません。しかし、入院が長くなればなるほど、確実にそのかたの自然治癒力は弱まり、より病人にさせられていきます。そして、濡れ雑巾を搾り取るがごとく、搾取された挙句、「余命6ヶ月」などと宣言されても、「有難うございました」と感謝さえしながら旅立って行くのです。これらこそ「奴隷根性」ではあります。「牧導犬」に威嚇を受け、その導くまま、静かに誘導されていく羊たち。「羊たちの沈黙」は限りなく深い闇に包まれています。蛇足私は、私の生命保険の更新のときに「入院給付金」を外して、掛け金が安くなりました。そのとき、私は「自分は、病気で入院することは百%ない」と確信していたからであります。しかし、今回のように「怪我で入院することは想定外」でした。家の者は、今になって「それ見たことか」と、私を責めてきます。私は後悔はしておりません。「入院太り」など論外であり、病院側の予定よりも早く退院できたのですから、喜ぶべきであると思っています。とか何とか、なんだかんだ言っても、経済的理由から「一日も早く退院したかった」のが本音ではあります。
2008.12.07
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入院すると病人になる 2008年12月05日 入院第1日目である11月3日、私は看護士さんに「明日から、朝食は要りません」と伝え、了解されました。11月4日、午前8時頃、私に「朝食」が運ばれてきました。運んできた看護士さんは「連絡が間に合わなかったのでしょう、明日からは、朝食は止めます」とのことでした。実際、11月5日からは、私のベットに朝食が運ばれることはなくなりました。これらに関わらず、毎日、退院の前日まで、看護士さんが各ベットを回り、検温や血圧測定などをする際、私にも「朝食は、ちゃんと食べましたか?」と聞いてきます。私は「朝食は食べていないよ」と答えると「そうでしたね」と応じてきます。これらから分かるのは、「病院が患者に用意したものは、百%、患者に受け入れられる」という前提があり、用意した朝食が拒否されるといことは、想定していないのです。私としては、食事は「消費したエネルギー分を補充してあげれば良い」との確信から朝食を断りました。入院していて、何らの仕事も運動もしない状態では、「1日三食」は多過ぎるとの判断です。私が入院した病院では、午前8時に朝食、昼12時に昼食、午後6時に夕食が提供されます。患者さんは、黙々と、与えられた食事を食べます。実際には、お腹が空いていないのに、ただただ、せっせと「呑み込んで」いきます。勿論、お米のカス(粕)である「白米」を「ご飯」と称して主食としております。カスを食べたくない私は、「我が家で炊飯した玄米を、ベット脇に私が用意した保温ジャーを使って、食べたい」と申し出ましたが、看護士には「前例がない」ということで、やんわり、断られました。家の者も、毎日、玄米を運んで病院を訪ねることは不可能なことですから、私は、止むを得ず、カスを食べることとなりました。食べるといっても「与えられた量」の半分くらいしか食べません。入院中、3日間、玄米ご飯が用意されたときには、カスは捨てました。カス中心の食生活に不安を抱いた私は、入院13日目、朝、血糖値を計ってもらいました。驚くなかれ、67でした。次の日は64でした。看護士も驚いたようで「先生に確認して、ブドウ糖を点滴しましょう」も言ってきましたが、私は「その必要はない」と断りました。私の体は素直に反応していたのです。約12年間、玄米を主食としてきた私の「生理」は、玄米を腸内でゆっりと分解・消化・再構成・吸収していましたので、血糖値は95を維持していました。しかし、入院以来、継続的に、あらゆる栄養素を削ぎ落とし、素っ裸にされた炭水化物に過ぎない「カス」が腸内に入ってくるようになりました。本来、自然界に存在しない「素っ裸にされた炭水化物」が入ってきたものですから、膵臓さんが過剰反応して、思いっ切り大量にインシュリンを分泌します。このため、急激に血糖値が急騰してしまいます。この状態を打破するため、血糖値を下げ、恒常性を維持するために、アドレナリンが分泌されます。過剰なまでに分泌され、今度は、急激に血糖値が下がります。この状態を「低血糖」と言います。67、64は立派な「低血糖」です。一般的には、これが悪循環していきます。一日も早く退院しなければならない、と決意した次第です。 ☆「入院のご案内」というパンフレットには「寝衣(パジャマ)は、お持ちいただいてもかまいません」と記載されていますが、入院患者全員が「当院から貸し出し」された「制服」を上下、着用しています。患者は、寝ているときは、勿論、起きているときも、24時間「制服」です。「制服」さえ着ていれば「入院患者」と判断され、病院側としては管理しやすのでしょう。更には、白衣という制服を着た「医療側」は、「制服」着用の患者に安心して「権威」をかざすことができます。優し過ぎる看護士さんの言動も、この権威に基づいていると考えるのは、決して「杞憂」ではありません。これに気が付いた私は、家から、赤い「ジャージー」上下を取り寄せ、起きているときは、これを着用し、寝るときは入院前のように、「上下の下着」だけになりました。それでも、不眠が続きました。睡眠薬を2度、3度も変えてみましたが、不眠は解決されませんでした。鉄筋コンクリートの室内、馴れない「ベット」、同室のかたの「いびき」、深夜でも行き交う看護士さん、などなどに加え「骨折した左足の不自由、圧迫感」が原因と思われます。私は、もっと若かったときから「枕が替わると眠れない」、神経の細かい人間ですが、このような長期間の「不眠」は始めての体験です。一日も早く「脱出を!」と決断。 ☆私の入院部屋は「8人部屋」でした。見舞いのかたが、何の挨拶もなく、「私の部屋」に入ってきて、大声でお目当ての患者と話をし、そして笑い、「個人情報」を気にすることなく、聞きたくもない「話」が、私の耳に入ってきます。散々、ご披露した挙句、連れてきた子供が強請ると、「そうね、もう帰りますよ」と言い聞かせ、そのまま、黙って「私の部屋」から出て行きます。これでは、人前で化粧をする「若者」と同類です。訪ねてきた保険会社の人、区役所の人なども同様です。「失礼いたします」「お邪魔いたします」と言って部屋に入り、「失礼いたしました」「お邪魔いたしました」「お騒わせしました」「お大事にしてください」と部屋を出るのは、当たり前のことではないのか。うるさく言う「個人情報」に気を使うのであれば、5階にある「懇談室」で「内緒話」「内輪話」をすれば良いのです。こんな毎日が続くと「ストレス」となります。 ☆手術・入院して、11日目、「抜糸」が行われました。私は、病院側の「処置」は、これで終了したと確信しました。あとは「リハビリ」しかない。1日、一回、約一時間、「リハビリ室」で担当の理学療法士が行う「リハビリ」だけではなく、「自主トレ」で自分で実行する「リハビリ」が私に課せられた「仕事」であると自覚しました。「自主トレ」を断行して、一日も早く、具体的には11月27日に「退院する」と目標を掲げました。装具を装着した状態で、フリーハンド、つまり、松葉杖なしで、階段の上り下りができるようにならなければなりません。幸い、27日の午前中「リハビリ室」での「リハビリ」でこれが実現しました。私は、大手を振って、退院することができました。感謝
2008.12.05
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「食糧自給率 10年後 50%」これは、北海道新聞12月2日夕刊第一面の見出しです。こんな悠長なことは、言ってられない情況にあることを、農水省の官僚たちは認識していない、単なる「売国奴」です。一国の最高の安全保障策が食糧の百%自給であり、国の最大の礎こそ「農」であることを自覚しているのであれば、「食糧自給率、10年後には百%!」でなければなりません。「札幌タイムス」11月21日号に、「食死」は、「戦死」より多いかもしれない という石沢文規氏の記事が掲載されています。以下、要約して引用いたします。「食死」(筆者の造語)とは、「身土不二の原則」に反する「食」で奪われる生命のことである。(中略)輸入食糧ともなれば、肉体と精神の弱体化と病死でもって、一種の民族殺戮(ジェノサイド)を引き起こしかねない。農産物貿易とは「食死」へ導く元凶である。これは、平和を装った血を流さない静かな「戦争」に他ならない。この農産物貿易がある限り、平和とは幻想でしかない。世界各国は、農産物貿易を通して、たえず「戦争」を続けているといってよい。この種の「戦争」こそ、人類を最も不幸にする。(中略)「身土不二」の「身」とは身体を、「土」は環境を、「不二」は身体と環境とは切り離せない関係にあることをあらわしている。全体の意味は、私たちは「環境の化身」ということである。食物とは、環境(日光・土地・空気・水・湿気・温度など)の諸要素のあらわれである。したがって、食べるということは、環境を食べることに他ならない。食物とは、環境が食べられる形に変わったものといってよい。その食物が、人間に変わるのである。このように、食物を仲立ちにして、人間と環境の関係をとらえることができる。これが、「身土不二の原則」というものである。(中略)一方、先に述べたように、環境というものの独自性を表わす「身土不二の原則」は、自由競争であれ、何であれ、競争というものを否定している。つまり、競争の仕様もないのが、環境の持つ「独自性」というものである。「身土不二の原則」は、地域という環境の独自性を不可侵とする。(中略)ところで、先に述べたが、ある地域(環境)の独自性と別の地域の独自性の間には競争というものはあり得ない。つまり、熱帯という地域(環境)は、温帯という地域(環境)と、本来、競合することはありえないはずである。(中略)生理的・生物的・生態的な視点から、経済的・政治的な地域主権を主張する「身土不二の原則」は、独占性・排他性をもっている。したがって、その「身土不二」の物質化ある食物も、当然のことながら、この「地域独占性・排他性」を持つことになる。(中略)「身土不二の原則」に従えば、「食べる人の住む環境」と「食べられる食物の生産される環境」とは「一致」していなければならない。(中略)いまや、世界各国の農業の自立が、もっとも求められているといわなければなるまい。 引用終了石沢氏は私の大先輩でありますが、私は、勝手に、僭越ながら「同志」と思っているかたではあります。日本の「食糧自給率百%」を達成するには、この農産物貿易と工業製品貿易との関係を洗い直さなければなりません。日本の最大の貿易相手は、アメリカ合衆国(USA)です。つまり、「対USA外交」を再構築しなければなりません。私が権力を握りました暁、石沢氏には農水大臣と外務大臣とを兼任していただき、10年間で「食糧自給率百%」を断行します。日本国民にも、協力を求めなければなりません。まずは、肉・卵・牛乳および乳製品、そして白米・白砂糖・白パンなどの「病因食」を止めることです。 止められないのであれば「少しずつ、量を減らすこと」です。 同時に「一口最低、30回よく噛むこと」です。国民皆農、国民は週末だけでも、郊外の畑で、自分や家族が食べる分の野菜を栽培していきましょう。 これで日本国民の健康を「防衛」することが出来ます。日本国を「防衛」することができます。 そして、日本の食糧外国依存度は「ゼロ」となり、「奴隷解放」が行われ、国として独立できます。 貴方が変わらないと、日本国は変わりません。 食は命なり
2008.12.03
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11月3日(文化の日)、午前10時30分頃、私は自宅の一階の屋根から転落し、両足で着地しました。左足が不安定となり、骨折であることを確信しました。やがて、救急車に収容されました。3名から成る救急隊のチーフ格のかたが搬送先予定の病院に、次から次から電話を掛けました。まずは、本日、札幌のけが(災害)救急指定病院です。4つある救急指定病院からは、すべて断られました。理由は「空きベットがない」「担当医師がいない」などでした。他の隊員の口からは「もう徳洲会しかないな」と声が上がっていました。その後、電話した2つの病院からも断られ、「最後の」7回目に電話した「札幌徳洲会病院」に受け入れられ、私は搬送されました。電話の話に出ていた「カイホー骨折」が「開放骨折」であることが、「手術説明同意書」にサインしたときに分かりました。つまり、折れた骨が皮膚の外に出てしまっている骨折です。全身麻酔で手術が行われ、直ちに「一人部屋」に入院と相成りました。その夜、看護士さんが約2時間おきに入室して、抗生物質や痛み止めの点滴、ガーゼ・包帯の取替えなどの処置や血圧・体温の検査をしていました。幸いなことに「痛み」は殆どありませんでした。次の日、「8人部屋」に移され、本格的な入院生活が始まり、この日から「リハビリ」が開始されました。27日、退院してきました。さて、問題は「救急指定病院制度」です。これは制度だけがあって、実体は「機能」していないことを実体験しました。「たらい回し」は日常茶飯事のごとく行われていますが、その結果、「死亡すれば」マスコミは採り上げますが、私のようなことは恒常的にあるケースなので「ニュース」にもならない、ということでしょうか。私は常々、現代医療に「存在する価値」があるのは「救急医療」だけで、他は必要ない、と力説しておりました。そもそも、現代医療なるものは、1853年~56年までのクリミア戦争時の「野戦病院」と変わるところがありません。この「野戦病院」では、看護婦のナイチンゲールが献身的な看護をしたことが喧伝されております。ここでは、戦場で被弾した兵士が担ぎ込まれ、鉄砲弾を取り除く手術が行われ、その後、感染防止のため、洗浄や清潔を保つ「看護」が行われました。それとともに、若い兵士は自然治癒力が高く、傷口や破損した部分が原状回復していき、治癒されていきました。現代医療は、「ガン」に象徴されるように、「がん細胞」という悪いものが体内にあるので、これを手術で取り除き、放射線で焼き殺し、抗がん剤で殺す、という対症療法に過ぎません。「がん細胞」という「鉄砲弾」を除去することしか「手当て」がありません。その上、「若くはない」かたが罹病しますので自然治癒力も低下しています。これでは、がんは根治されません。結局、がんは、死に至る「難病」であり、患者に「告知」するか否かで、未だ、騒いでおります。つまり、現代医療にとっては、ガンは「難病」であり、それと同様に「風邪」も難病ではあります。クリミア戦争時と何ら進歩しておりません。進歩したのは、早期に「商売種」を発見する「医療機器」だけです。さて、ここにPHPから出版された徳洲会理事長徳田虎雄医師著「生命だけは平等だ」があります。この中に、次のような記述があります。「僕に権力を持たせたら、国公立病院はむろんのこと、すべての病院に対して、救急医療をしなければ、即刻つぶすと言い渡す」 引用終了これに対し、私であれば、「私が権力を持ったら、救急医療以外の病院は、全部、つぶす」となります。他人の病気を治すことは誰にも出来ません。治すのは、そのかたの自然治癒力です。その自然治癒力を高めるための処方箋を書くのが「医者」です。この処方箋に従い、心を入換え、精進・努力して根治をもたらすのは「ご本人」です。そもそも、日常生活で「医者の処方箋」を忠実に実行していますと、罹病することはありません。患者さんという「お客様」がいなくなれば「病院」などの医療機関は、災害やけがに救急的に対応・処置する「救急医療」だけで充分ではあります。
2008.12.01
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