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最近、健康食として、日本的な食事が世界的に注目されています。 日本食といわれる食事の原点は、禅僧などが食べる精進料理です。 肉や魚などの生ものを不殺生という仏教の教えから排し、玄米、麦、大豆などの穀物や旬の野菜、山菜、漬物などを中心としています。 とくに禅では、一切の美食や飽食を排し、一汁一菜に徹した厳しい修行を行なっています。 粗食でありながら、それを徹底的に体内で消化して身心を鍛えています。 そして、粗食と坐禅による呼吸法によって、多くの禅憎が長寿を保ってきました。 禅では食事も欠くことのできない修行であり、悟りへの道であることが述べられていました。 ”禅の食事”(2004年6月 光人社刊 武田 鏡村著)を読みました。 精進料理の本ではなく心と体をきれいにする観点から禅と食事の関係を解説した本です。 武田鏡村さんは1947年に新潟県で生まれ、新潟大学を卒業して作家となりました。 明治の軍人、乃木希典は、昔の名僧といわれた人が油揚げぐらいの食事で80歳、90歳の長寿を保ったといいます。 粗食による行住坐臥と常在戦場の心を養っていたそうです。 精進料理という言葉は、精進の料理ということで深い意味があります。 精進は八生道の六番目の正精進であり、悟りにいたるために心を励まして仏道に邁進するということだそうです。 精進ものは材料に肉や魚を使わない料理のことで、精進あげは野菜類だけの揚げ物です。 これは不殺生の教えをふまえて、仏道への修行に精進する、努力する、ということを表しています。 また、昔から日本では自然を尊び血や死などの穢れを忌み嫌う神道が土着し、神事に仕える者が身心を清めて払う潔斎が習俗となっていました。 神仏が習合して、仏道に励み努力する精進と身心の穢れを除き去る潔斎が結びついて、精進潔斎といわれるようになりました。 そして、潔斎の意味が精進に包摂されて、精進というだけで肉類や酒などを断って身を慎み、修行に励むという意味になったといいます。 さらに、栄西や道元による禅宗の形成によって、ようやく不殺生と精進の食の思想が徹底されることになりました。 日本で初めて食に関心を寄せたのは道元であり、身心一如を説いています。「身心一如のむねは、仏法のつねに談ずるところなり。しかるに、なんぞ、その身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらん。」 生死は一体であるもので、身体は一瞬一瞬に死んでそして生まれています。 その生死を保つものが食ですので、食事を含めて生活のすべてが修行であり、一挙手一役足が仏道の発現であると説きました。 永平寺、円通寺、大徳寺、南禅寺等々の各寺院、道元、栄西、一休、沢庵、白隠、良寛ら高僧のメニューなどから、食事への考え方、接し方、健康を維持する食生活のヒントなど、さまざまな知恵を垣間見ることができます。第1章 仏教と食の思想―八正道と不殺生と精進の仏教の教え第2章 禅と食事の思想―道元が開いた食事観とは何か第3章 禅の食事観の展開―食文化を生み出した禅僧たちと食思想第4章 禅の呼吸と健康法―坐禅と食から健康を保つ第5章 良寛さんの食と自然体―無一物で開いた境地と健康法第6章 茶道と懐石に見る禅の食思想―茶禅一如の心とは何か
2012.09.25
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9月の中旬になり夜はやや涼しくなりましたが、昼間はあいかわらず暑い日が続いています。 一体、いつになったら涼しくなるのでしょうか。 昔から暑さ寒さも彼岸まで、といいます。 彼岸会は、春分・秋分を中日とした前後各3日を合わせた7日間です。 春分は、太陽が春分点を通過した瞬間のことで3月21日ごろ、秋分は、太陽が秋分点を通過した瞬間のことで9月23日ごろです。 最高気温が35℃以上の日のことを猛暑日といいますが、これまでの記録では、 年間最多日数は1994年の大分県日田市の45日、 連続日数は1994年7月3日から24日までの日田市の22日、 最も早い猛暑日は1993年の埼玉県秩父市、群馬県前橋市の5月13日、 最も遅い猛暑日は1991年の富山県高岡市伏木の9月28日、 最高気温は2007年8月16日の埼玉県熊谷市、岐阜県多治見市の40.9℃、 最高気温の月平均は1995年8月の岐阜県岐阜市の36.1℃でした。 一昨年、気象庁は、9月1日に、6月から8月の平均気温が平年比+1.64℃となり、観測史上最高気温となるなど記録的な猛暑となったため、2010年の夏の猛暑を異常気象と認定しました。 昨年は、7月は北日本・東日本で平年比やや高温、8月は全国的に平年並みの暑さでしたが、6月下旬の平均気温は東日本で平年比+3.8℃、西日本で平年比+3.3℃とそれぞれ2005年の平年比3.3℃、2.8℃を大きく上回る1961年の統計開始以来最高値となちました。 そして今年の8月23日に気象庁から発表された向こう3か月の天候予想では、9月は、北・東日本、西日本の日本海側では天気は数日の周期で変わり、西日本の太平洋側と沖縄・奄美では平年と同様に晴れの日が多い見込みで、気温は北・東・西日本で平年並または高い確率がともに40%とのことでした。 10月は全国的に数日の周期で天気が変わり、北日本太平洋側と西日本、沖縄・奄美では平年と同様に晴れの日が多い見込みということです。 年々、暑さが増しているように感じられるのは、やはり、地球の温暖化の影響でしょうか。
2012.09.18
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世界経済フォーラムは、世界144カ国・地域を対象とした2012年版世界競争力ランキングを発表しました。 世界経済フォーラムは政官財が集まるダボス会議の主催団体で、競争力報告は1979年から発表しています。 ランキングは、国の競争力を生産性の観点から分析し、マクロ経済情勢、金融市場、技術革新性などの分野について評価しました。 2012年度は、日本は、発明性、製造プロセスの先進性、国内サプライヤー数などが首位となりましたが、政府債務残高に関する評価が前年に続き最下位となりました。 総合順位は10位と、前年から1ランク後退しました。 首位はスイスが4年連続、アメリカは前年の5位から7位に下がりました。 アジア勢では、シンガポールが前年と同じ2位、香港が日本を抜いて9位に入り、韓国が前年の24位から19位に浮上し、中国は26位から29位に後退しました。 もはや、日本は経済一流国ではなくなってきているようです。 ただし、人口が少ないほど成長率は高くなるという傾向があるようです。 それにしても、このまま日本はどうなってしまうのかという懸念を多くの人が持っているように思えます。 第一の原因は、円高で輸出競争力が低下したことではないでしょうか。 国内にあった工場が海外に移転するなどして産業の空洞化が進展しました。 しかし、他の要因もいろいろあるようです。 短期的な投資が増えて、日本的経営の中心であった長期を見据えた経営が難しくなりました。 製造業では製品のモジュール化が進み、これまで日本の強みであったカイゼンの価値が低下しています。 また、電機業界の例でも、研究開発の成果を収益に結びつける活動が新興国に比べて弱いようです。 そもそも、研究開発者の質は向上しているのでしょうか。 ちょっと考えても、検討課題がいろいろありそうです。 がんばれ、ニッポン。
2012.09.11
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つい最近、”37歳で医者になった僕?研修医純情物語?”のタイトルで、草薙剛主演のテレビドラマとして、2012年4月10日から6月19日まで、関西テレビの制作によりフジテレビ系列の火曜22時枠で放送されました。 ”セブンソングズ フリーター医師の青春七転八倒記”(2005年1月 講談社刊 川渕 圭一著)を読みました。 小説のように読める自伝の書です。 七転八倒とは、七度も転んだり倒れたりして、転げ回ってもがき苦しむことです。 テレビドラマの原作は、2002年に発売されベストセラーとなった、”研修医純情物語?先生と呼ばないで?”と”ふり返るなドクター?研修医純情物語?”だそうです。 セブンソングズは、それに次ぐ3作目の作品です。 川渕圭一さんは、1959年群馬県前橋市生まれで、東京大学工学部を卒業し大学院を中退後、パチプロ、数社の会社勤務を経て30歳で医師を目指し、37歳で京都大学医学部を卒業し、1996年から4年間、大学病院で研修医として勤務し、現在はフリーの内科医として働きつつ執筆活動も続けているそうです。 セブンソングズとは、アメリカン・パイ、ニュー・キッド・イン・タウン、エイプリル・カム・シー・ウィル、ホワット・ゲーム・シャル・ウィ・プレイ・トゥデイ、グリーン、グリーン・グラス・オブ・ホーム、リヴィング・イヤーズ、フィールド・オブ・ドリームスです。 本の章立てもこの7章となっています。 因みに、最初のアメリカン・パイは、1999年にアメリカで公開された青春コメディ映画です。 卒業を間近に控えた高校生4人組が、プロムまでに童貞を捨てようと、あの手この手を使って奮闘する様を描いています。 途中を省略して、最後のフィールド・オブ・ドリームスは、1989年公開のアメリカ映画です。 野球を題材に、1960年代の夢や希望、家族の絆といった、アメリカの美徳を描き上げたファンタジー映画です。 著者が30歳で医学部受験を決意するまでは、迷いと挫折の日々だったそうです。 猛勉強の末、2浪はしたものの東大工学部に入学し、卒業後、一週間の勉強で東大の大学院に合格したものの、すぐにドロップアウトしました。 大学3年次のときの突然の父の事故死にあい、その後、ナンパやパチンコに明け暮れたそうです。 転職をくり返したサラリーマン時代、そして、ひきこもりになりました。 30歳で一念発起して、8月中旬から猛勉強を重ね、京都大学医学部へ入学し37歳で研修医になりました。 同じように時流に流されて生きてきて、ふと自己の生き方を再考している人々に参考になる作品だと思います。
2012.09.04
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