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アメリカはフロンティアスピリットの国で、努力すればアメリカンドリームを実現できると考えられていました。 しかし、アメリカではいまや中間層の没落が進み、貧困層を食い物にしたビジネスが現われているといいます。 ”ルポ貧困大国アメリカ”(2008年1月 岩波書店刊 堤 未果著)を読みました。 経済危機後のアメリカで進行している社会の底割れ現象について報告しています。 堤 未果さんは、東京生まれ、ニューヨーク州立大学国際関係論学科学士号取得、ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得、国連婦人開発基金、アムネスティ・インターナショナルNY支局員を経て、米国野村證券勤務後ジャーナリストとして活躍し、2008に日本エッセイストクラブ賞、2009年に新書大賞2009を受賞しました。 同じアメリカ国内で、アメリカンドリームを実現した少数の極端に富める者が存在する一方、一日一食食べるのがやっとの育ち盛りの子どもたち、無保険状態で病気や怪我の恐怖に脅える労働者たち、選択肢を奪われ戦場へと駆り立てられていく若者たちなどが存在しているといいます。 また、貧しいために大学に行きたくても行けない、または卒業したものの学資ローンの返済に圧迫される若者たちや、健康保険がないために医者にかかれない人々、失業し生活苦から消費者金融に手を出した多重債務者、強化され続ける移民法を恐れる不法移民たちなど、束の間の夢を見せられて、暴走した市場原理に引きずり込まれた人々が増加しているといいます。 それらの背景にあるのは、国境、人種、宗教、性別、年齢などあらゆるカテゴリーを超えて世界を二極化している格差構造と、それを糧として回り続けるマーケットの存在があるそうです。 市場原理とは、弱者を切り捨てていくシステムです。 ワーキングプアの子どもたちが戦争に行くのは、国のためでも正義のためでもなく、政府の市場原理に基づいた弱者切捨て政策により生存権をおびやかされ、お金のためにやむなく戦場へ行く道を選ばされるのだということです。 弱者が食いものにされ人間らしく生きるための生存権を奪われ、使い捨てにされていく可能性があります。 教育、いのち、暮らしという、国民に責任を負うべき政府の主要業務が民営化され、市場の論理で回されようになった時、はたしてそれは国家と呼べるのでしょうか。 私たちには、この流れに抵抗する術はあるのでしょうか。 格差が浸透してきているいまの日本にとって、決して他人事ではありません。 学校で負け組となった多数の若者たちが社会に出ても正社員になる機会は少なく、派遣社員、パートとして酷い労働条件の元で働かざるをえない人たちが少なくありません。 まだ生活していける仕事があればいいですが、なかには働いても生活していけないワーキングプアもいます。 アメリカにおける現代の潮流が、いま海の向こうから警鐘を鳴らしています。第1章 貧困が生み出す肥満国民第2章 民営化による国内難民と自由化による経済難民第3章 一度の病気で貧困層に転落する人々第4章 出口をふさがれる若者たち第5章 世界中のワーキングプアが支える「民営化された戦争」
2012.06.26
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縄文時代の日本人の寿命は15歳程度、最も古い生命表が作成された17世紀中ごろのロンド市民は18.2歳でした。 人類は、文明を発展させることで平均寿命を延ばしてきました。 最近では、泉重千代さんという日本人男性には120年237日という記録があり、ジャンヌ・カルマンさんというフランス人女性には122年164日という記録が残っています。 これは最大寿命の関係であり、生物としてのヒトはいくつまで生きられるかということです。 ”ヒトは120歳まで生きられる”(2012年5月 筑摩書房刊 杉本 正信著)を読みました。 長寿遺伝子や寿命を支える免疫・修復・再生のメカニズムを解明し長生きの秘訣を探っています。 杉本正信さんは、1943年生まれで、東大大学院薬学系研究科博士課程修了、薬学博士、専門は細胞生物学、国立予防衛生研究所主任研究官、ハーバード大学医学部研究員、ジーンケア研究所副所長などを歴任しています。 長寿の人を調べてみると、ヒトの寿命の限界はだいたい120歳あたりと推定されるといいます。 120歳というのは、最近の分子生物学の研究でも裏づけられてきたそうです。 ヒトの寿命を支えている生体の機能には、免疫、分子修復、再生の3つがあり、これらのメカニズムを理解しよりよく機能するように生活を工夫するなどの努力をすれば、120歳に近づくことが可能だといいます。 ただし、すべての人がこの寿命を全うできるわけではなく、運の良し悪し、環境、遺伝子=ヒトゲノムに左右されます。 DNA暗号はいったんメッセンジャーRNAに書き換えられて、そこからたんぱく質がつくられます。 たんぱく質をコードしている遺伝子の大部分はエキソンという呼ばれる領域で、他にイントロンと呼ばれる領域もあり、双方とも寿命とのかかわりがあります。 この遺伝子に欠陥があれば短命となります。 また、ヒトの細胞の染色体の末端にはテロメアという構造があり、テロメアがヒトの老化に直接関係しています。 細胞分裂するとテロメアは短くなり、ヒトの体細胞はテロメアが短縮することにより寿命が尽きます。 テロメアの分析から得られたヒトの最大寿命もだいたい120歳であったといいます。 また、多くの動物実験では、カロリー制限によって寿命が延びることが証明されています。 栄養が欠乏した状態では、休眠してライフサイクルの進行が遅らされ寿命が延びます。 ヒトの場合も、サーチュイン遺伝子が活性化されて、活性酸素の精製が抑制されるという説があります。 しかし、痩せている人より太目の人の方が長生きであり、総コレステロールは高目でもよいという説もあります。 また、細胞小器官であるミトコンドリアの遺伝子が寿命に深くかかわっているといいます。 ミトコンドリアは細胞内の発電所の役割を持ち、ATP=アデノシン3リン酸を産生し細胞のさまざまな活動に必要なエネルギーを供給しています。 加齢とともにミトコンドリアは老化し、細胞も老化してゆきます。 また、これまで人類を苦しめてきたのは多くの感染症であり、ワクチンが人類を救ってきました。 ワクチンは病原体に一度出会うと獲得免疫が作られるという原理を応用したもので、獲得免疫はほとんどのあらゆる抗原に対応しています。 他にも、細胞内因子として白血球の中などに自然免疫があり、細菌を貪食したり殺したりしています。 しかし、加齢やストレスなどによって、免疫機能は低下します。 そして、遺伝子を守りがんを避け、再生機能と再生医療によって、心臓、肝臓、腎臓の障害を克服するこることが健康で長生きすることにつながります。 ほかに、性格という心理的な要因も大きく影響するということです。第1章 寿命とは何か第2章 寿命時計テロメア第3章 カロリー制限で寿命がのびる?-サーチュイン長寿遺伝子説の真偽第4章 寿命を支える-免疫機能と生体防御第5章 遺伝子を守る-放射線や酸化ストレスとの闘い第6章 がんを避ける第7章 再生機能と再生医療第8章 寿命をのばすライフスタイル
2012.06.19
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日本社会全体に閉塞感が漂い、経済は停滞し社会保障問題も深刻化しているようです。 経済成長こそ復活の鍵のようですが、日本はもうそれを望むことはできないのでしょうか。 ”経済成長は不可能なのか”(2011年6月 中央公論新社刊 盛山 和夫著)を読みました。 日本経済を取り巻く4つの難問を整理し、それらの解決策を具体的に提示しています。 盛山和夫さんは、1948年鳥取県生まれ、1971年東大文学部卒業、1978年東大大学院社会学研究科博士課程退学、1978年北大文学部助教授、1985年東大文学部助教授、1994年教授、2012年定年退任、関西学院大学社会学部教授を歴任、専門は社会学です。 日本経済は、デフレ不況問題、財政難問題、政府の債務残高問題、少子化問題の4重苦が未解決のままです。 これまで、長期不況問題に関する経済の専門家たちの議論には、十分に納得のいくものは少なかったです。 課題を同時に解決しようとすると、他の課題の状況が悪化してしまうというジレンマにあります。 その上、2011年には東日本大震災に見舞われました。 しかし、大震災は短期的には明らかに経済を縮小させますが、中長期的に見ると成長へのチャンスを秘めているといいます。 膨れあがった政府の債務残高を考えれば、国債をさらに増発して財源にあてるという考えに躊躇する向きが多いです。 しかし、インフラの復興整備への現実的で明確な計画が立案されて実行に移され、破壊された住宅や街路や地域社会そのものが力強く再建されていけば、経済活動はすみやかに回復します。 そうした積極的な復興事業そのものが、経済を牽引していくと言われます。 四重苦からの脱却と復興という問題に対しての唯一可能な工程は、まずプライマリー・バランスの悪化を覚悟しながら国債発行を拡大して必要な財政支出を行い、一定の成長軌道の確立を図ることだと主張されます。 この段階で、成長によってある程度の税収増を見込むことができます。 その上で、成長の妨げにならないタイミングと範囲で増税し、それによってさらなる税収増を図ります。 そうした、成長と増税を通じての税収の増加にあわせて、ある時点から逆に国債発行額を減らしていくというプロセスです。 これにより四重苦を抜け出して、持続的な成長の軌道を確立することは不可能なことではありません。 債務残高問題を本質的に悪化させることなく、デフレ不況と財政難を克服し、少子化を緩和して、将来への希望を確かなものにしていきます。 単に増税して国債発行を抑えるという発想だけでは、震災からの復興を含めこれからの日本に希望ある未来を描くことはできません。 さらに、積極的な未来への投資が不可欠であり、投資があってはじめて成長かあり得ます。 日本の政治が、何とかしてこの困難な状況を切り拓いて行ってほしいものです。プロローグ 日本が抱える四重苦第1章 行財政改革論の神話第2章 「失われた20年」の要因論争第3章 円高の桎梏第4章 少子化をどう乗り越えるか第5章 増大する社会保障費の重圧第6章 未来への投資第7章 まずはデフレの脱却から
2012.06.12
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ハノイ市やホーチミン市では近代的な高層ビルが建ち外見は変わりましたが、政治や経済の基本的な枠組みや、社会の運用の仕方は変化しておらず、庶民の生き方にもさしたる変化はなく、楽天的でしたたかな生き方をしているといいます。 しかし、ヴェトナム戦争終了から30年以上経っても、枯葉剤の影響が第三世代の新生児にまで及んでいるなど、戦争の傷跡がまだ完全には癒えていないそうです。 ”ヴェトナム新時代”(2008年8月 岩波書店刊 坪井 善明著)を読みました。 1994年に上梓された”ヴェトナム「豊かさ」への夜明け”の続編として、ヴェトナムの1994年から2008年までの概況と今後のあるべき体制について記したとのことです。 未曾有の戦争の後遺症を抱えグローバル化の波にさらされる中で、ひたむきに幸福を求める人々の素顔と日越関係の近未来を展望しています。 坪井善明さんは、1948年埼玉県生まれ、1972年東京大学法学部政治学科を卒業、1982年にパリ大学社会科学高等研究院課程博士で、現在、早稲田大学政治経済学術院教授、専攻はヴェトナム政治・社会史、国際関係学、国際開発論で、1988年に渋澤・クローデル賞、1995年にアジア・太平洋特別賞を受賞しました。 ハノイ近郊にトヨタ・ホンダをはじめとする日本企業が数多く工場を操業し始め、年間30万人以上の日本人がヴェトナム旅行を楽しむ時代になりました。 経済の発展に伴って、汚職・腐敗の構造や、都市化の問題、格差の拡大、共産党一党支配の弊害、激しいインフレ等々、多くの課題も表面化してきています。 初代ヴェトナム民主共和国主席、ヴェトナム労働党中央委員会主席のホーチミンは、社会主義諸国のリーダーの中で、もっともスターリン主義的でなく、官僚的な発想を持たなかった人物です。 1890年にヴェトナム中北部のゲアン省で生まれ、フエの名門校クォック・ホック学校に入学し、卒業するとファンティエットの小学校でフランス語とヴェトナム語の教師をした後、1911年にフランス商船のコックの見習いとして乗船し、世界各国を渡り歩いた後、1917年にパリに落ち着いて、ヴェトナムをフランスの植民地から独立させる運動に加わりました。 1920年にフランス社会党大会でインドシナ代表として発言し、その後モスクワへ渡りその後再びアジアへ戻り、1930年に香港でヴェトナム共産党を結成しました。 ヴェトナム国内での反乱、フランス植民地総督府の取り締まり強化、1940年のフランス本国のナチスドイツ降伏、日本軍のヴェベトナム北部進駐など、国内の混乱の中で1941年に30年ぶりに祖国の地を踏み、ヴェトナム独立同盟を結成して、国内からフランス軍と日本軍を駆逐し、ヴェトナムを独立させる運動を国内で起こしました。 その後、中国国境を超えたところで中国の蒋介石軍につかまり中国国内で投獄され、1944年に帰国すると、直ちにボ・グエン・ザップ将軍を司令官とする武装隊を結成し、フランス軍へゲリラ攻撃を仕掛けました。 1945年に日本軍はインドシナ全体を占領する計画を立て、フエでバオダイ帝を擁立して、ヴェトナムのフランスからの独立を宣言させました。 1945年に日本は連合国に無条件降伏し、ベトミンの総決起集会を行い、武力による総蜂起を決定し、ハノイの政府官舎を占領し、フエでベトミンが権力を掌握してからサイゴンを掌握し9月2日に、ハノイのインドシナ総督府前の広場で独立記念式点を開催し、ヴェトナム共和国の独立宣言を行いました。 その後フランスによるヴェトナムの再占領によってインドシナ戦争が起こり、アメリカとのヴェトナム戦争へ突入しました。 1973年のパリ協定を経て、ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させました。 その後も北ベトナム・ベトコンと南ヴェトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によってベトナム戦争は終戦しました。 1986年のヴェトナム共産党大会で提起された、主に経済、社会思想面において新方向への転換を目指したイモイ政策採用から20余年経ち、アメリカと国交を正常化し、ASEANやWTOへの加盟も果たし、国際社会への復帰を遂げました。 グローバル化した地球社会で確固たる地位を築くためには、スケールの大きな強固な基盤をつくる必要がありそうです。 また、優秀な人材の潜在能力を最大限引き出すために、民主化を進めることが必須ではないでしょうか。 生活必需品の工業製品も自分で製造するのが基本であり、国際競争力のある商品を製造して広く世界市場に売り込む必要があります。 20~30年の中期目標、50年や100年の長期目標を持つメンタリティを養成することが肝要です。第1章 戦争の傷跡 第2章 もう一つの「社会主義市場経済」 第3章 国際社会への復帰 第4章 共産党一党支配の実相 第5章 格差の拡大 第6章 ホーチミン再考 第7章 これからの日越関係をさぐる 終章 新しい枠組みを
2012.06.05
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