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ちょっと数えただけで、家の周りには5つ以上の寺がある。僕の住むまちは、とても寺が多いのだ。いつもの年と変わらず、年越しの夜は除夜の鐘があちこちで打ち鳴らされている。若干の灯りが所々に散らばっている夜のまちにカメラを向けてみた。 鐘の音は、神々に願いを伝える信号だ。氷の国も、砂漠の国も、国境を越えてシャーマニズムの合唱は共通している。 それぞれの寺の鐘の音は微妙に音階が違うけれども、それぞれが和音になって夜空に舞っている。たぶん、表は氷点下。二年参りはちょっとキツイ。毎年取り寄せているT君の年越し蕎麦を味わいながら、誰かが打ち鳴らす鐘の音に願いを乗せてみよう。
2006.12.31
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「日本酒は、民族の酒として古来連綿と受け継がれて来た文化の滴」。信州の酒は、各種品評会で新潟の酒をしのぐ評価を得ていることは、あまり知られていない。清らかな水の源、肥よくな土から丹念に作られる米、そこに職人の技が命を注ぐ。僕の住むまちの周辺は、いくつもの蔵元がある。いずれも、その蔵ごとの個性豊かな伝統を今に伝えているのだ。 夕方、友人Kさんから「華酒」という酒をいただいた。しぼりたて生酒だ。しぼりたて独特のトロリとした口当たりが何ともいえない酒で、アルコール度数も若干高い。僕がこの酒を飲むようになったのは最近になってからだが、文字通り、宴席に華を添えてくれるようなふくよかさを感じる。 夜になって、これまた知人からドイツワインをいただく。ブルグライヤーのシュロスカペレ。とてもフルーティーで、やや甘口の白ワインだ。この青いボトルを家の入り口に飾ると、災いごとを吸い込んで幸せになれると言われているらしい。いかにも欧州らしい言い伝えだ。 アルコールの滴は人類の、歴史の贈り物なのだ。ということは、僕にお酒を贈ってくれる人々は、連綿と文化を受け継ぐ人類の歴史を届けてくれているのだ。僕は、この責任を全うしなければならない。翌朝、頭が痛いなどと言っているようではダメだ。この責任を果たし続けるには、1本飲んで酔っ払ったら、2本飲んでも酔っ払わない練習が、むしろ人類のために必要なのだ。きっと。
2006.12.30
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年の瀬は、読書するのに都合がいい。読みかけや、買ったまま積み足しておいたものを取り出しては、おやつを食べるように楽しんでいる。 「遠野物語」は学生時代に買った古いもので、表紙の日焼けも年季が入っている。久しぶりにページを開いた。僕が持っているのは大和書房発行のもので、原書を意識した新漢字旧かなづかい。普段は旧かなづかいに慣れていないから、なかなか文章のリズムに乗れないが、例えば、柳田國男が友人から聞き取りをしている光景が見えてくるようで面白い。 八百万の神々と、里山の動物、人間の絡みは、それが戒めであったり、土地の名前の歴史であったり、あまりに幅広い許容量で僕を圧倒する。初めて読んだ時と今では活字から伝わる情報量も違うので、何回読んでも感動が薄れないのだ。なんだか聖書にも似ている。 年取りについての話がある。12月は、ほとんど毎日のように稲荷や大黒、山の神らの年取りの日が決められている。人間の年取りは30日だそうな。「昔から、そう決まっている」という話は、窮屈なようでいて案外気が楽になる。考えてみれば、正月だってそうなのだ。 遠野物語は、文章の構成がお酒によく合う。座敷わらしに怒られないように、河童に川へ引き込まれないように、朝から冷酒でもいただこう。
2006.12.29
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夕方、無性にウナギが食べたくなる。ウナギは日本の宝だ。今年中に味わっておきたい。こんな時は、食いしん坊G君を誘おう。僕もG君も、暴飲の1年だった。こんな時は2人静かに反省会を開かなくてはいけない。「ウナギで反省会ってどうよ?」「いいねぇ」とG君。 ウナギ屋Hは、このまちで最も美味いウナギ専門店だ。まずは瓶ビール。この場合は生ビールじゃいけない。コップに注ぎあう行為が重要なのだ。この店の名物でもある焼き鳥をいただく。日本酒に切り替えたところでウナギの白焼きを注文。川魚の旨みが凝縮されている。白焼きを食べて、グッとうつむく。舌が、喉が反省している。 ふと、寿司が食べたくなる。寿司は日本の宝だ。今年中に味わっておきたい。「この後は寿司ってのどうよ?」「いいねぇ」で、徒歩3分のUという寿司屋に初めて入る。品書きにあった「お勧めトラフグ」を注文。食感がいい。お姉さんが、「車エビの踊り食いがお勧めです」というのでお願いする。なるほど美味い。阿波踊り級の喜びを感じる。とても美味しい反省をする。 ふと、次は何を食べようかと考える。こんな時は、あっさりと河岸を変えよう。Iちゃんの料理を今年中に味わっておきたい。徒歩2分。Iちゃんの店での注文は、いつも通り「Iちゃんのお勧め」。クジラ刺が出てくる。 Iちゃんが演出する新鮮なクジラに、手厳しく1年の反省をうながされる。クジラは日本の宝だ。調査捕鯨のおじさんたちに手を合わせて感謝。「で、次はどこよ?」「大人のバーなんてどうよ?」「いいねぇ」。 徒歩3分。バーテンダーKさんに「炭酸系であっさり」と注文。モスコミュールが出てくる。 ウォッカ、フレッシュライム、ジンジャービアの共演を堪能する。Kさんが言うには「ジンジャーエールじゃダメ。ビアーだよビアー」。ふーん、ということはジンジャービアーも日本の宝だ。発酵ショウガを今年中に味わえてよかった。「で、次はどこで反省する?」「洋食ってどうよ?」「いいねぇ」。 徒歩3分。洋食屋Rに行く。まずは赤ワイン。「カキフライでノロウイルスを偲ぶってのどうよ?」「悪くないねぇ」。洋食とは言え、カキフライは日本の宝だ。旬のノロウイルス騒ぎを今年中に味わえてよかった。「で、どうよ?」「もう、食えないねぇ」と反省する。 雪の舞う6時間、気がつけば5軒を巡っていた。こんな反省会ってどうよ?
2006.12.28
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職人技術は、何十年、何百年という歴史の結晶だ。芸術と同じように、一見個人の技に思えるが、その足元には世代を越えて蓄えられた技術の階段があるに違いない。 岐阜県の関市で生産されている刃物は、国内だけじゃなくて国外でも評価が高いという。それを実感できたのは、いつもの衝動買いだった。 これが衝動買いしたフィッシングナイフ。僕は釣り場で魚をさばくことはない。以前にも別のメーカーのフィッシングナイフを買ったが、魚をさばくために買ったのではなかった。ただ単に、職人技術の結晶が身近にあることが、とてもうれしいのだ。 侍は、めったに刀を使わなかったらしい。時代劇のようなチャンバラ劇は、刑事ドラマで拳銃をドンパチやるのと同じで、現実からかけ離れた世界なのだ。刀は斬るためのものではなく、侍のプライドを示すものだった。そんなプライドを、刃渡り10cmのナイフに求めている。 刃物は、業務など正当な理由(釣りとか狩猟とか)がない限り、携帯することが法律で禁止されている。侍をまねて、ナイフ片手にお店に入ってはいけない。刃を人に向けて、ニヤニヤしてもいけない。プライドは、その管理方法が結構きびしいのだ。
2006.12.27
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来年の干支になるイノシシさんが、ここ数年あちこちに出没している。先日、高速道のインターチェンジ付近にも顔を出したらしい。新年までまだ何日かある。もう少し我慢してほしい。 僕の住むまちの最北端の集落も、イノシシとの闘いがもう何年も続いている。イノシシ避けの柵は用を成さず、昔ながらの撃退法というか迷信を、二十一世紀の現代に復活させている。 ズバリ、それは人の髪の毛なのだ。女性の長い髪の毛がいいらしい。これを束ねて畑や民家の軒先に吊すと、効果があると信じられている。 でも、不気味に思うのはイノシシ以上に人間の方。僕も初めて見た時は、「この集落には化け物でも出るのか?呪われているじゃないか」と真剣に考えた。猪突猛進は、猪突迷信に通じるものがあるのだ。 この写真は、某公的機関が駆除した大型イノシシ。「背中の部分がたまらなく美味しい」そうだ。
2006.12.26
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近所の高校の野球部が、つきたての餅を届けてくれた。コイツら野球は下手だが、大きな声で「おはようございます」「おやすみなさい」の挨拶ができるし、うちの庭のアメリカシロヒトリ退治もしてくれる気が利く高校生だ。冬の合宿に、自分たちで食べるための餅をついているのだが、野球は下手でも、こういう心がけが高校球児には必要なのだ。 実は、実は僕も高校球児だった暗い過去を持つ。1年生からレギュラーで、それでも地区予選では上位に入っていた。だから、信州の野球レベルの低さをイヤと言うほど知っている。そんな僕より、コイツらは下手なのだ。だから、バットを持つより杵を持ち、臼の底目がけて打撃練習をする必要があるのだ。 これが、輝く球児がついてくれた餅と豆餅である。通常の切り餅の約3倍。ちょっと大きい。 食べてみると、しっかりとした食感としっとりとしたネバリを感じる。餅米の香りが荒々しくも残っている。試合で勝てなくても、餅つきは確実に結果を残す。毎朝の挨拶や害虫退治は、地域住民を明るくする。コイツらはそれだけで、輝く栄光を手にしている。かつての僕よりも遙かに立派だ。 餅つき甲子園だったら、オマエら間違いなく優勝だ。これはかっちゃんのお墨付き、というよりお餅つきの感謝のお言葉である。以上。
2006.12.25
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クリスマスだから、スパークリングと赤ワインが必要になる。テーブルの上にワインがほしくなる時、僕はいつも友人のK君に相談する。彼は「ワインアドバイザー」という資格を持っていて、ワインにあまり詳しくない僕にとっては、とても心強い存在だ。電話を入れた時、既にK君はシャッターを閉めていたが、僕が来るまで開けておいてくれるという。 「スパークリングは何にします?ロゼ系なんか面白いですよ。スペインのヤツでこれなんかお勧めだな」というのがこれ。ほのかな甘味があるが、ワイン自体の力強さも残している。 主役の赤ワインは、「スペアリブを食べるので、それに負けないヤツ」と注文。そこで彼が選んでくれたのがイタリアはキアンティ・クラッシコの「ボッジョ・ピアーノ」だった。フランスワインと比べ、味は引けを取らないのに今ひとつ評価が追いつかないらしい。 以前、K君たちが主催したワインのイベントで、川頭義之さんというその道の先生が来た。彼は、イタリアワインを日本に紹介する仕事もしている。俳優・川津裕介さんの甥だ。僕もこのイベントに参加させてもらったが、イタリアワインと真面目に向き合ったのはこの時が初めて。欧州人、特にイタリアの個人主義的な気質とワインの関係の話がとても面白かった。 僕は、ワインや葡萄の木が刻んできた歴史に比べればまだまだ若い。だから、自分の足りない分をワインの歴史が補ってくれると思っている。 ちなみに、このワインはキアンティ・クラッシコの中でも都会的な感じの味。ワインアドバイザーのK君だけに、「個人主義のかっちゃんも、そろそろアーバンな味を出しなさい」とアドバイスしてくれたのか。乾杯...というか完敗。
2006.12.24
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僕はカトリック系の幼稚園を卒園している。だから、クリスマスにはクラスのお友だちと、イエスさまが生まれる「ご降誕」を演じた。クリスマスの思い出の、最もコアなところにこの時の記憶がある。当時は、「羊小屋で赤ちゃんが生まれた」ぐらいしか、この台本の意味が理解できなかった。それで、劇をやったご褒美にサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれたと思っていた。 サンタさんに放置されて久しい。きっと、卒園以来まじめに「ご降誕」を演じていないからだろう。 納戸に仕舞いこんだ70cmほどのクリスマスツリーを久しぶりに引っ張り出した。身近なところからムードを高めるには、音楽が手っ取り早いので、ついでにCDの山を物色する。山下達郎が顔を出したので、仲間に加える。ビング・クロスビーとか大人系のものあったはずだ。 これで、サンタさんも無視はできまい。…と思っていたら、山下達郎が不吉な歌を歌っている。うーん、「きっと君は来ない」っていうのは、サンタさんのことなのか?サンタさんへの想いは、まだ消え残っているのに。
2006.12.23
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この秋、新潟の海で釣りをした時、釣れてくるのはフグばかりだった。フグを狙ったわけじゃない。それなのに、海面から飛び出してくるのは、全身をプクッと膨らませたフグご一行様だった。 後輩S君の後輩のT娘が、先日、生まれて初めての海釣りに行ったという。どうせ、僕と同じようにフグのオンパレードに悩まされたに違いない。じゃあ、その話を聞きがてら夕飯でも食べようと、3人で居酒屋Sに来た。 こともあろうに、T娘はフグを1匹も釣らず、イワシやメバルをたくさん釣ったと自慢している。しかも、「釣りたてをフライにして食べたら美味しかったですよぉ」と、全国共通商品券のような、誰が聞いても当たり前の挑発をし、「フグってそんなに釣れるものなんですか?」と、いらぬ質問を投げかけてくる。 「かっちゃんさん、こうなったら、今夜の熱燗はフグのヒレ酒しかないですわ」というS君の問いかけに、大きくうなずく。 深い味わい、深いコク。こんなに美味しいのなら、あの時のフグのヒレを頂戴しておけばよかった。 T娘はダイエット中だという。油断すると贅肉武装する体質だそうな。身長170cmの体格からして、「かなり危険な兵器になるね」と、つい口を滑らせる。T娘の顔が、ヒレのないフグになる。
2006.12.22
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サメを漢字で書くと、魚へんに交わるになる。サメの別称フカは、魚へんに養うと書く。以前、魚の卸売り業者に聞いた時、「フカは交尾前、サメは交尾後の身の上を漢字で表している」と教えてもらったことがある。本当かどうかは知らない。うかつにサメに聞こうものなら、セクハラの恨みをギザギザの歯ではらされる。 難しい会議を終え、飲み仲間とIちゃんの店に行った。「いいところに来た。ぜひ食べてほしいものがある」と、テーブルに出されたのはサメの心臓だった。生まれて初めて食べる。 先程の、サメとフカの話をしてみると、仲間の女性陣全員が「あたしはフカ!」とフカしている。サメ肌軍団、いい加減にしてほしい。 で、サメの心臓は、サメ特有の臭みはない。マグロのような濃い味わいと、アオヤギなんかの貝のような歯ごたえがたまらない。生醤油で食べたら最高だ。 臓物系がダメだという自称「フカ」のYちゃんにも、強引に勧めてみる。ペロリと平らげたYちゃんに感想を聞くと、「ゴックンしちゃった」という。興ザメする。
2006.12.21
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今宵は久々の無礼講鍋じゃ。皆のもの、忘年の宴じゃ、遠慮するでない。熱いところをつつこうぞ。 おい、板前奉行のIちゃん之助、この鍋はなかなかの具じゃなぁ。ほーう、タラとな。まことに持って大きなタラじゃのう。この面構えはなかなかのものじゃ。ほーう、ハマグリもカキもあるのじゃな。まことに持って用意周到じゃ。大儀であった。 さて、今宵の鍋奉行は誰じゃ?おうおう、信州回り役人のH郎か。そーれ、仕切ってみよ。 ふむふむ、初めは固いものから、とな。ニンジンだけかえ?色気がないのう。ちと、われに出汁をよこせ。うん、これもなかなかじゃて。塩分控えめとは健康大目付も良い仕事をしておる。 おっ、タラを放り込んだのう。何?アクを取ってほしいとな?今宵のアク代官は誰じゃ?何?このかっちゃんにアク代官をしろと!ええい、無礼な奴じゃ。腹を切れ!ん?タラの腹を切って白子を出したとな?こやつ、なかなかの味じゃのう。 おい、そこで何をしておる!野菜を入れる前から豆腐は野暮じゃぞ。あーあ、スが入ってしまうではないか。やっぱり後輩S兵衛か。町方風情の食生活が見えてくるようだわ!無礼な奴じゃ!腹を切れ!ん?酒を注ぐから許せとな?今回ばかりは目こぼしして進ぜよう。そちも飲むか?何?杯がないじゃと!アク代官のアク取りレンゲで飲めばよい。 おやっ、そうこうしているうちに、もう鍋が空ではないか!何?具が切れた。んー、んー、もう許さん、腹を切れ!何じゃと?赤ナマコを切ったと?どれ、んー、なかなかオツなものじゃ。褒めてつかわす。 こらぁ!赤ナマコを鍋に入れてどうする!この酔っ払いが!腹を切れ!ええい、酒じゃ酒じゃ、酒をこれい。はぁ?酒も切れたか。
2006.12.19
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バーテンダーのKさんは、バーZを開店して10年になる。大勢でワイワイやるというより、1人ないしは女性と訪れたい「大人の空間」だ。普段は和食系で飲むことが多い僕も、たまにはこうした空間に足を踏み入れる。Kさんの作るカクテルは、それだけの魅力に満ちている。 Kさんの店で、僕はカクテルの名前でオーダーはしない。「今日の陽気に合ったもの」とか「美しい女性をイメージしたヤツ」みたいないい加減なオーダーだ。それでも、Kさんは「かっちゃん、これなんかいいよ」と、まさしく「これ」というカクテルを作ってくれるのでうれしい。 そんな悪ノリの延長で、強引に注文して作ってもらったオリジナルカクテルがある。何と、このカクテルは芋焼酎を使っている。僕の住むまちの特産品「白いも」を原料にした焼酎はそれ自体美味いのだが、カクテルにしたらどんな味に変身するのだろう...という遊び心だった。 忘年会を終え、久しぶりにKさんの顔と、そのオリジナルカクテルを見たくなった。 これがそのカクテル。ほんのりとした桜の香り。口に含むと一瞬だけ焼酎の味が横に広がる。くどくない甘味と、フルーティーでいてちょっぴり大人っぽい渋みが薄く残る。底に沈むミントチェリーの色合いがきれいだ。 カクテルは、オーソドクスなものから日々作られていく新しいものまで、多彩な顔を持つ。バーテンダーの創造は止まることを知らないのだ。僕の肝臓が休むことを知らないのと同じように。
2006.12.18
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朝起きたら、部屋のカーテンが青い薄明かりに照らされていた。庭を見ると、一面が薄い初雪に覆われていた。 今年は随分と遅い初雪だった。北の地方にお住まいの方々からは、とっくに初雪の報せが届いていたのに、寒い信州の東にある僕のまちさえ12月も中盤を過ぎてからというのはめずらしい。ニュースでは、何かと「異常気象」の言葉を使いたがっている。難しいことはわからないが、気象に関心が向いているうちは、まだいい。そうでなくなったら、それが異常だと思う。 車の暖機運転というのが必要な季節。二酸化炭素排出を抑止したいのは山々だが、アイドリングストップとはいかない。車を覆う雪を払い、凍りついたフロントガラスを暖める生活が始まるのだ。 初雪は瞬く間に消えるはかなさがある。春のお花見のように、季節のうつろいを噛み締めるのには雪見酒と洒落込みたいところだが、朝からいきなり飲むわけにもいくまい。雪見酒も暖機運転が必要だ。夜の忘年会まで、そっと気持ちを暖めておこう。
2006.12.17
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「晴天率日本一」をウリにしている僕らのまちは、晴れた日が「これでもか」と攻めてくる。10年ほど前、1年間に雨が降った日は34日しかなかった。だから、降水量も少ない。年間で1000mmを軽く下回る。市役所のおじさんたちは、この実態を一生懸命全国発信している。定住人口の増加や観光客増加のネタになると信じて疑わない。 でも、物事にはすべてにおいて2面性がある。市役所のおじさんたちは、とても肝心なことを見落としている。 おひさまは女性のお肌の敵だ。聞くところによると、シミ、ソバカス、シワの要因になるそうだ。ということは、このまちは「日本一女性に厳しいまち」ということになる。 まだある。日本各地で「美人」「おばこ」「小町」と称されるところは、いずれも晴天率が低い。どんよりとした空が、美しい女性を育んでいるのだ。おひさまは美人を作らない。事実、昔からおひさまと美人にまつわる話は少ない。逆に、お月さまの方が美人に適した存在なのだ。 ここで整理してみよう。「晴天率日本一」は「ブ●生息率」あるいは「●ス生産率日本一」とも言えるのだ。こんなことを自慢してはいけない。このまちから、女性が1人もいなくなってしまう。後を追って、男性も次々と姿を消してしまう。おめでたいようで非常に危険なPRなのだ。 冬枯れの空に、陽の光がにぶくなっていた。この季節は、こんな感じのおひさまが多い。心なしか、まちを歩く女性がいつもに比べて多い気がした。
2006.12.16
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とあるパーティーに出席した。スキー場の中腹にあるイタリアンレストランが会場。ラウンジからはまちの夜景が一望できるので、カップルに人気がある。 宴会の途中で、地元で活躍する女性シンガーMさんのミニコンサートがあった。ピアノの弾き語りで、自分の思いを一生懸命届けようと喉を震わせている。僕は一番前のテーブルだったので、ステージに興味があろうがなかろうが、まずはしっかりと聴くことがマナーだ。女性の歌声は不思議だ。母親の子守唄にも、お婆ちゃんの民謡にも、やさしく共通する味わいがある。 ところが、会場は歌声をかき消すような大声の会話で充満している。アルコールが入っている参加者の多くは、この女性の歌声に耳を貸さない。これだから宴会のコンサートは嫌いだ。どうせなら、コンサートを入れるべきではない。第一、シンガーが気の毒だ。 そんな中で、僕と同じテーブルにいた仲間は立派だった。まずは後輩S君、1曲終わるたびに拍手を送っている。拍手の送りかたがいい。まるでヨガのポーズのように肘を直角にして、胸の前で細かな周期で手を打ち鳴らしている。オタク風だが、確実に気持ちは届くだろう。 G君は、コンサート後にさっそくCDを購入。結構ミーハーなところがある彼は、大きな体を小さくしてサインをおねだりしていた。女性シンガーにとっては気味悪いかもしれないが、確実にお金は届いた。 僕は、「これからも頑張ります」という彼女の言葉に健全な誘惑を覚え、「また会いましょう」と握手をした上、僕とG君の間に挟んでS君に写真撮影を指示。「単なる女好き」という誤解を、確実に彼女に届けてしまった。
2006.12.15
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信州は、高度成長期を迎えるまで養蚕が盛んだった。だから、僕の住んでいるまちのあちこちに桑の木が残っていて、養蚕時代のなごりを今に伝えている。お爺さんやお婆さんたちの世代は、蚕のことを「おかいこさん」と、さん付けにして呼ぶ。現金収入のない農村で、お蚕さんの存在は神様に通じるものがあったのだろう。 近所の畑の土手に、桑の木が1株残っている。昔は、蚕だけに止まらず人間の生活の糧だった桑の葉は、今は誰も採ることもない。ほかの木の一生と同じように、毎年春には黄緑色の若葉を青々と大きく伸ばし、夏には紫色の実を付け、そして秋には枯れ葉を土に返していく。人間の手に触れられることもない年月を、淡々と送っているのだ。 昼過ぎ、ふと目をやると、桑の木に若干の枯れ葉が残っていた。 と、よく見ると葉ではない。じっくり近づいてみたら、昆虫の気配がする。枯れ葉を模した繭のようだ。桑の枝で一冬を過ごし、春になったら羽化するという作戦か。 人間が見向きもしなくなった桑の木が、誰に見せることもなく、自ら目立たない知恵をしぼった末の安住の地なのだ。目立たないものに、目立たなく寄り添って生き抜く一生。僕の友人にも、似たような手を使って女性に近づくヤツがいたことを、くやしいかな思い出してしまった。
2006.12.14
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「信州人の1個残し」という言葉がある。 例えば、宴会でお刺身を注文する。マグロとイカとタイの3種盛り合わせだとしよう。みんなで箸をつけても、必ず最後には全種類1枚ずつ残してしまうのだ。 連日のツライ忘年会の中で、ちょっとした楽しみを見出そうと思い、「信州人の1個残し」の実態を調査してみた。 料理が出されると、参加者の視線は皿の上に一時集中するが、その後は視線を微妙に外したり、「美味しいね」とか言いながら、数合わせの駆け引きが展開されている。 テーブルを偶数の人数で取り囲んでいるのに、奇数の料理しかない場合は大変だ。「これ、もったいないから食べなよ」と助け船を出さないと、温かい料理は冷え切るし、みずみずしさを失っていく。しかし、この助言もタイミングを要する。1回ないし2回までが限度。何回も言うと、逆効果となる。なんて手の掛かる人種なのだろう。 「信州人の1個残し」という言葉を、今回の実態調査から分析すると、信州人の遠慮深さ、やさしさを表現しているのではないことは明白。出された料理を全部平らげないという習性を、いましめを込めて表現していると推察するに至った。 さて、今夜の宴のあとを参考資料として添付しよう。 そこかしこに、1個残しの伝承文化を垣間見ることができる。しかもきたない。特に、僕の席は。
2006.12.13
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僕の書斎らしき部屋の本棚は、近所の建具職人T君にこしらえてもらった。かつては棚の上に本を積み上げていたが、本棚になってからは整理整頓が行き届くようになった。読みたい本がすぐに探せるし、ビスで棚の高さを調整できるので、とても重宝している。 で、これまた重宝しているのがブックスタンドの代わりに座を構えるゴジラさんたちだ。実に男の子らしいアイデアだと、我ながら感心。ジーッと見ているだけでもうれしくなる。それでは、ブックスタンドの主力メンバーをご紹介しよう。 隣町のおもちゃ屋さんの閉店セールで購入したゴジラさん。背中を開けると、中からTシャツ姿のお兄さんが出てくる。「かっちゃんこんにちは。今日は何を読みます?」 長野市で買い求めた大きなゴジラさん。身長は70cmぐらいある。レジに持っていった時、幼児がうらやましげに見つめていた品。怖い顔をしているが、ちょっと大きめの本を支えるのに大活躍中。 あと1、2冊の隙間を埋めるのがミニラさん。どこか人間ぽい表情をしているので、不用意に目が合った時、ギョッとしたことがある。ソフビの形状を見事に生かした作品だ。 これは、ウルトラシリーズに登場したガラモンさん。本棚の低い場所に置いたため、あまり目立たない存在だが、読書中、背中が痒くなった時なんかにいい仕事をしてくれる。 このブックスタンドは、誰にも見せたことがなかったので、何と本邦初公開。傾向として、「正義の味方」よりも「大暴れする怪獣」に魅かれているようだ。ただ、モノを壊すというよりも、本を立て直す仕事に従事しているので、許していただきたい。 それから、くれぐれも「かっちゃんはお子ちゃま」と決め付けてはいけない。かっちゃんをいじめるとゴジラさんたちが許さない。
2006.12.12
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地元のコミュニティーラジオ局から、番組出演依頼の電話が来た。来年から定期的に出てほしいのだそうな。出演者不足でよほど困っていたのだろう。「かっちゃんさん、女性のゲストも検討しているので、そのへんご考慮いただいて...」。先方はしっかりと僕という人間の調査研究を進めていたとみえる。 数年前まで、僕はこの局の毎週末の生番組に出て、どうでもいいような会話を電波に乗せていた。ところが、収録が週末で釣りに行けない悲劇に見舞われ、やむなく辞めさせてもらった経過がある。今回は収録ものなので、前のように釣りを邪魔することもないだろう。 そんな依頼を予感していたわけでもないが、僕は1週間ほど前から「ラジオスターの悲劇」という70年代後半の曲にハマっていた。10代の頃に聴いていた「Video killed the radio star」の軽快なフレーズを思い出し、暇を見つけてはキーボードで弾いていたのだ。スターではない僕だからこそできるつかの間のお遊びだ。 せっかくだから録音をしようと画策。機械の操作を思い出しながらの作業はちょっぴり面倒だが、こういう物づくりが結構好きだ。ストリングス系が好きなので、たっぷりと使ってやろう。ピアノのパートは適当にごまかして、ベースの音は忠実にいこう。クリスマスも近いから、トナカイさんの「シャンシャン」という鈴の音も入れてみようか。音を重ねていくうちに、曲ができあがった。よし、これでミックスダウンだ。 誰に聴かせるわけでもないこの4分13秒の曲は、予想通り、最後に入れた歌声がすべてを台無しにした。悲しくて、やがておかしい曲になる。これじゃ新喜劇だ。ああ、番組もこんな感じになるのかな?
2006.12.11
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町内会の日帰り忘年会で、浅間山登山口のY君の宿へ。 宴会前からビールで勢いを付けて、恒例の麻雀大会に突入する。僕は過去3年、Y君の宿で開いている忘年会で温泉に入ったことがない。麻雀をして1日が終わってしまうのだ。ところが、1度も負けたことが無いので、温泉以上の効能を得ている。 宴会場の片隅。近所のお子様がまとわりつく。「おじちゃん、何やってんの?」「積み木遊び」という同じ質問と答弁を繰り返す。ちょっと油断すると、パイをどこかに持って行ってしまうので大変だ。「お花の絵を描いて」とスケッチブックを押し付けられたりもするので、とても手ごわい。そんなこんなで優勝は逃すが、準優勝で「負けない伝説」を証明する。 夕方に町内に帰ってから、昨年開店した中華料理店にみんなで流れる。清潔感のかけらもない店で、床は滑るし、親父の調理着は黒くて、入り口横に置かれた漫画本だけが新しさを強調している。1人で切り盛りする親父さんは、「うちは本格的な中華料理が自慢」と言うが、頼んだメニューも半分が「それ、無い」で片付いてしまうから、あまり本格的な雰囲気がない。たまたま材料がそろっていた長崎ちゃんぽんを食べる。本格的なマズさが、かえって面白い。こういう感じの店も、たまにはいい。 とっとと切り上げて、20m先で赤々とちょうちんを灯すTさんの焼き鳥屋へ。酎ハイをひっかけて1日を締める。朝から10時間飲み続け、今週の忘年会ラッシュを葬る。ふぅ。
2006.12.10
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頭の上に鳥の巣を乗せたようなM君と、Iちゃんの店でバッタリ出くわした。最後に会ったのは、彼が「相談したいことがあるから」と僕の家に来て以来だから、1年以上になる。彼は一度にいくつもの相談を投げかけてきたが、その中で一番驚いたのが「実は僕はガンダムが大好きで、今の仕事を辞めてガンダムショップを出したいのです」という告白だった。 彼は、父親が社長を務める会社の後継者でもあり、「両親は猛反対。どうしよう?かっちゃん」という内容。僕はいろいろ考えたが、「ガンダムに聞くのが一番」と答えた。 久しぶりに会ったM君は、会社の同僚と3人で飲んでいた。ガンダムの件はひとまず落ち着いたのだろう。「同僚」は、どうやらカップルらしく、M君は太鼓持ち役に徹している。人がいいM君は、友人のためなら平気で機動戦士になれる。 「今日はこんなのが手に入ったから、殺されてみて」と、Iちゃんはカワハギの刺身を出してくれた。カワハギは今が旬だ。透き通る白い身を、こってりとしたキモに付けていただく。あまりに美味いので、身を食べた後にキュウリと大葉をもらって、このキモを食べた。生き返るまでに数分かかる。 カワハギは、ガンダムで言えばモビルスーツのような頑丈な皮に覆われている。「皮を剥いで食べる」のでカワハギという。モビルスーツからは考えられないほどの上品な味わいが、僕を殺してやまない。 ガンダム熱に侵されていたM君も30歳を越え、カワハギ同様、モビルスーツの中にある人生の美味さに気がついたのか。「相変わらず彼女ができなくって」と笑う頭の上で、卵が産み落とされることのない鳥の巣が揺れていた。
2006.12.09
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軟体生物特有の卑猥さか、スプラッターな滑りのせいか、ペタペタひっつく吸盤の複雑な配列か。タコは欧米で「悪魔の魚」としいたげられているらしい。僕はそんな悪魔が大好きなのに、最近は山国のまちでもだんだんお目にかかれなくなってきている。流通の発達で生ダコが出回り、健全な無着色の酢ダコは食べられるようになったが、僕は紅白の着物を身にまとった正調・酢ダコの生息数減少を憂いでいる。 先代から食堂を営むOさんの店は、このまちで昔ながらの酢ダコを食べさせてくれる数少ない店だ。ちなみに、この辺での食べ方はワサビ派、辛味大根のすりおろし派、醤油ぶっかけ派のおおむね3派に大別できる。いずれも正統派だが、僕は酢ダコの白い身にスーッと広がる程度に醤油色を染めて食べるのが好みである。 この毒々しい赤の着色が、シャキッとした真っ白の身を引き立てる。着色料をどっぷりと使っていても、「安全・安心」とか「健康」とか以上に、食材を深紅に染めるだけの理由があるのだ。ありがたくいただくのが、いわれを受け継ぐ人類の定めだ。目を閉じるような美味さとは違うが、駄菓子屋のソースカツみたいなうれしい美味さがある。 夕食を摂取すべく後輩S君とOさんの店に来たのだが、ついつい酢ダコを注文してしまったので、熱燗も頼んでしまう。忘年会が続く中、お正月のようなのんびり感覚が、僕の肝臓を癒してくれた。 この紅白の食材はお正月の定番だが、色合いからしてクリスマスにも通用する。サンタクロースが、酢ダコいっぱいのプレゼントを持って海から上がってくるのもメルヘンだ。「メリークリスマ酢ダコ」の呼びかけで、日本中の子どもたちに幸せをプレゼントしてほしい。「あなたからメリークリスマ酢ダコ、わたしからメリークリスマ酢ダコ」みたいな歌が流れるクリスマス。正調・酢ダコ業者の巻き返しイベントに、ぜひとも活用していただきたい。
2006.12.08
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髪結いMちゃんは僕よりも1つ年上で、無類のお酒好きだ。 むかーし、むかしのこと。ある朝、連日の深酒が続いたMちゃんは、下半身に痛みが伴う違和感を覚えた。Mちゃんは女性だし、明確に言うのも何なので、ここではGという表現にしたい。Gには「切れる」とか「イボ」とかいくつかの品種があるらしいが、Mちゃんのは「飛び出る」ヤツだという。時間や場所を問わず、Mちゃんがちょっと力んだり大笑いすると、Gが厳しく自己主張をし、「あらヤダ、困る」の状態になっていたらしい。 ところが、Mちゃんはとても律儀なところがあって、不自然に飛び出たこの物体を「ミミちゃん」と名付け、人生の苦楽を共にしている。僕はこの手の病気は詳しく知らないが、ミミちゃんの近況を聞くたびに、こみ上げてくる熱いものを抑えることができないでいる。 宴会の合間を縫って、Mちゃんの美容室に行く。Mちゃんは2つの店の経営者だが、お客さんの髪の毛はカットできても、ミミちゃんとの関係は断ち切れないでいる。(Mちゃん撮影) さっそく、ミミちゃんの動向を聞く。「最近はお行儀がよくて、とてもおりこうさんなの」とMちゃんは安堵していた。でも、ここ3日間、僕が行く忘年会や二次会の会場には、必ずMちゃんの姿があった。連日連夜は僕もツライが、「ミミちゃん爆弾」を抱えるMちゃんだってツライはずだ。ミミちゃんだって、もうそろそろ爆発寸前に違いない。 夜、Mちゃんも出席する忘年会に行く。着物姿のMちゃんは、姿勢正しく座っていた。「ミミちゃんが暴れだすと、おしりの左右どちらかに体重をかけなければツライの」と泣いていたMちゃんの言葉を思い出す。良かった。ミミちゃんは今夜もおりこうさんのようだ。大勢の人ごみをかきわけ、僕はミミちゃんに向かって、そっと手を合わせた。
2006.12.07
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漢字というのは、記号の森だと思う。漢字に書かれるまでの経過や、意味を巧みに示している。忘年会の二次会で、そんなことを考えていた。そのきっかけになったのは、連夜訪れたIちゃんの店の「酢ガキ」だ。 カキは漢字で書くと「牡蠣」。画数の多さといい、馴染みのなさといい、とても書ける代物ではない。で、不思議に思ったのは「カキ」の「牡」の字。どう読んでも「オス」だ。宴会同席者によると、「カキはみーんなオスなんじゃないの。見たところ白子に似てるじゃん」との返事。聞くんじゃなかった。そんな回答で酔いが進み、考えれば考えるほど記号の森をさまよう。 それはそれとして、カキと酒の愛称は、何でこんなに良いものか。僕なりに漢字で表せば「過喜」なんかがハマる。おフランスの紳士が、カキの殻を積み上げながら白ワインを楽しむ光景を見たことがあるけど、あんな食べ方もしてみたい。 二次会で、通称「N経済大学韓国語学科」に通うN君と合流。夜間学校で待つ美しい韓国女性講師のために、カキをペロリと食べてエネルギーを補給。「では、行ってまいります」と、ハングル文字の記号の森に向かった。 明日も怒濤の忘年会が待っている。
2006.12.06
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今週は忘年会が立て続けで待っている。午前中は具合が悪い自分をなだめ、夕方にはシャキッと復活する自分を励ます毎日が待っている。お酒を楽しむとか味わうレベルには程遠い毎日が待っている。いくら酒好きでも、こういう毎日は辛すぎる。 これじゃいけない。せめて今のうちに、じっくりとお酒を楽しんでおく必要があると思い、後輩S君を誘ってIちゃんの店に行く。 今夜の主役は、大間産本マグロ。人生通算2回目のご対面を果たす。「これ食べてもらいたかったから、今夜来るように願ってたよ」とIちゃん。出番を待ちわびていたという初おろしの器に、大間のマグロがデーンと鎮座している。 S君も僕も、言葉が出ない。余韻を楽しむS君が、「これ、口の中でとけちゃいますわ。歯がいらないっすわ」と、のたうち回っている。 カウンターにいたお友だちのMちゃんにも勧める。「どれどれ」と賞味したまではいいが、天井を見ながらMちゃんは静止。しばらくして気を取り戻すと、「本当に歯がいらない」と残りの本マグロをにらみつけている。「次の一口からは入れ歯をはずし、ついでにカツラもはずし、メイクを落とし、スッポンポンになってから食べる」と言い出す。やめてくれ。 ともあれ、忘年会では味わえない酒と肴に酔いしれる。忘年会前に来て、本当に良かった。味気ない忘年会浸けの合間に、またIちゃんの店に来よう。 帰り際、Iちゃんに「かっちゃん、来週もよろしく」と見送られる。来週は、Iちゃんの店が忘年会会場になっていたことを思い出す。
2006.12.05
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「新しいご馳走の発見は、新しい星の発見よりも人々を幸せにする」。 フランスの政治家で「美味礼讃」を著したブリア・サヴァラン(1755-1826)という人は、食の楽しみを学術的に説いた人だ。僕が大学でフランス語を学んだ時、講師が選んだ教科書にこの人の名前が記されていた。食べることや酒を飲むことにうつつを抜かす僕にとって、フランス語で書かれたこの人の言葉を訳す作業のはとても興味深く、学生時代に唯一、興味を持った「おふらんす」だった。 「どんなものを食べているか言ってごらん。君がどんな人間なのか言い当ててみせるから」。 恐ろしい人だ。サヴァランは食を通してその人間の価値観さえ見透かした。あるいは、それを言い切るだけの食と喜びの提案ができたのだろう。 某デパートの「デパ地下」で、サヴァランのお言葉と久々の再会を果たした。 この後、僕は焼き鳥コーナーでネギマ、アスパラ巻き、ししとう焼きをタレ、塩織り交ぜて数本買い込んだ。晩酌のお供はこれでなきゃ。 「いつも通りのご馳走は、新しい味よりも僕を幸せにする」。 簡素な日常生活の中で、数え切れない星の発見に喜びを探す。良く言えば東洋思想なのか、つまるところのオヤジ感覚なのか。学生時代とは違う自分を、ブリア・サヴァランの言葉が見守るデパ地下で目の当たりにする。
2006.12.04
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初のブラックバス釣りにチャレンジした昨日、見事に散った僕を複雑な心境に追い込んだものがある。釣れる、釣れないではない。「釣りをしてはいけない」というトドメのメッセージだ。 僕のまちの周辺は、あちこちにため池がある。その多くに「魚釣り禁止」という看板が立てられていた。僕はブラックバスをやらないので、こうした事実を初めて知ったのだ。同行した後輩S君によると、こうした環境がバス釣り愛好者を取り囲んでいるという。 外来魚のバスと在来種との因果関係だとか、環境問題だとか、釣り人のマナーなどに触れるつもりはない。が、せめて、どこの誰が、何の理由で禁止しているのかは記しておくべきだ。タバコにだって「健康に害を与えるので、吸い過ぎに注意しましょう」ぐらいの説明はされている。 看板の中には「魚釣り禁ず」という但書きも多かった。残念ながら日本語になっていない。「禁止はしない」になってしまう。おかしな日本語が、おかしな強制力を持ってはいけない。 さて、そんな看板の中で最も後光がさしていた、極めつけの1枚。 とても不思議な看板、というか鳥居だ。どんな神様を祀っているのか見てみたい。釣竿と鯛を抱えた恵比寿様も神様だが、きっと仲が悪いに違いない。 鳥居の前で、十字を切らせていただいた。
2006.12.03
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ブラックバスを釣ったことがない。都合が合わなかったりして、やるチャンスに恵まれなかったからだ。いろいろと問題が指摘されているようだが、まずはやってみないことには何とも言えない。後輩S君がバス釣りをやるので、今回初めてチェレンジしてみる。S君は、「僕はこんな寒い時期にやったことないっすわ」と言う。寒さ厳しい12月の信州で、バスが釣れるかどうか。目的地は、家から30分ぐらいのところにあるS湖だ。 トップシーズンにはバスを求めてにぎわうS湖に、今日はたった1人しかいない。後は鯉釣りの2人組みがいるだけだ。やはりこの時期は無理なのか。いつまでたっても、誰も釣れない。昨夜、Iちゃんにもらったワームが空しく水中を泳ぐだけだ。で、場所を移動する。 第2候補地のため池に着く。始めてから数分。念願の初ヒットは、こともあろうにS君だった。本当は僕が釣るはずだったブラックバスを、S君が横取りしたのだ。「僕がかっちゃんさんより先に釣ったのって、初めてっすよね」とか言っていい気になっている。が、あまりに小さすぎてメダカと勘違いしそうなサイズなのでほっとする。それでもくやしいので、S君が釣ったバスのサイズを、写真のサイズで表現してみたいと思う。S君の手が、こんなに大きく感じたことはない。 冷たい突風に晒されながら粘るが、2人とも徒労に終わる。「かっちゃんさん、やっぱこの時期は厳しいっすわ」。悲しい。冷えた身体が、温かいものを欲している。家の近所にある蕎麦屋T庵へ行く。 T庵の若旦那のT君は僕の後輩で、S君の先輩にあたる。この蕎麦屋は檜作りの蔵を店舗にしていて、観光バスが停まる人気店。旅行雑誌でもお馴染みだ。バス釣り初戦が完敗だったので、「まずはヤケ酒1本ね!」。ツマミは鴨の鉄板焼きと、蕎麦味噌だ。 T君が、「で、今日はどんな調子だったんすか?何匹釣れました?」と聞いてくる。ああ、これが、この瞬間がイヤなんだ。釣れなかった時の言い訳ほど難しいものはない。そこへS君が「僕は、まあアレなんすけどねぇ」と口を挟む。ああ、口惜しや口惜しや。すかさずT君にかけそばを注文。この店のかけそばは、すこぶる美味い。 昔、「1杯のかけそば」とかいう映画があった。とても貧しい家族が、かけそばを分かちあって食べるという「人類共存と助け合い精神、ついでに節約の見本」だった。おいS君、僕が何故かけそばを注文したのかわかるか?ブラックバスも、僕と分かち合う心遣いと...おいおい、鼻からそばを吹き出している出してる場合じゃないぞ!
2006.12.02
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幼稚園から高校まで同じ学校、クラスで過ごしたY君と、15年ぶりに飲むことになった。先日、偶然に出くわしたのだ。お互い顔かたちは変わったが、人ごみの中でもハッと気がついた。再会の杯は、Iちゃんの店がいいだろう。かくして、今夜も酒を飲む。 Y君は今、C電力で働いている。幼稚園時代、僕の家で遊んでいる時におもらしをして、後々まで僕にいじめられ続けた。もともと泣き虫なヤツで、今晩も昔の話やら家族の話題になると、ことあるたびに目を潤ませた。いい歳してグシュグシュしている変わった男のために、Iちゃんがとっておきのメニューを出してくれた。 「かっちゃん、これ食ったら泣くよ。泣きたい?」 Y君の泣き面に遅れをとってはいけない。「うん、泣く泣く。泣かせて!」 テーブルに乗ったのはキンメダイの煮付け。期待通りに泣かされ、とんでもない画像になる。 さて、キンメで泣いたついでに、Iちゃんにもう一つ泣きを入れることにする。明日はS君とバス釣りに行くことになっているが、僕はバス釣り初心者。しかし、後輩S君に負けるわけにはいかないのだ。ここは、バスプロのIちゃんに教えを請わなくてはならない。 で、「かっちゃん、これこれ。このワームをこんな感じで使ってみて」といただいたのがこれ。 酒の肴ではない。バスを釣るための肴だ。ありがとうIちゃん。僕はワーム、ワーム泣く。「ずいぶん変わった形の釣り道具だな」と、Y君が不思議そうに見守っている。 その昔、毎日顔を合わせていた頃と、Y君はなんにも変わっていない。僕も変わらない。僕らが初めて出会ったのは3歳だったが、今でもお互い青二才だ。ふるさとの町はずいぶん変わってしまったが、せめて僕らぐらいは変わらなくていい。それを確かめ合うために、今夜は飲んだのだ。
2006.12.01
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