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この三人組分かりますか?そうかぐや姫です。最初は南こうせつとかぐや姫といつていましたがいつのまにかかぐや姫になっていました。かぐや姫は昭和46年8月に誕生しました。3人は、田中君じゃないか・はじめまして・僕は何をやってもダメな男です。など、矢継ぎばやにレコ-ドを出しても、ちょつと話題になるだけでさっぱり売れなかったようです。結成2目の48年9月20日に発売した神田川が大ヒットやはりかぐや姫も中学に入ってから好きになりました。先に書いた井上陽水・吉田拓郎両氏などとともにギタ-で弾けるように練習しました。ただかぐや姫の曲は友達と二人でよく練習してました。かぐや姫解散後は伊勢正三が結成した風の曲をよく聴いていた。今でも時々カセットテ-プを引っ張り出して聴いていますやっぱりいつ聴いてもいい曲は良いですね、何十年も前の曲でも久しぶりに聴くとなんかとても新鮮に聞えます。かぐや姫forever!!
2005.11.30
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そうです吉田拓郎氏です、この写真は広島県立皆実高校の運動会のスナップ応援部で活躍していた時の物です。この人にも影響うけたなぁ中学1年の時、ちまたは、フォ-クソングがはゃつてまして自分もすぐにフォ-クの魅力に取りっかれましてギタ-も弾けないのに、通販でギタ-を買いこんで先輩に弾き方を教えてもらいに通ったなあ。この拓郎氏陽水氏にはとくに影響を受けました。自分にしてみればこの両氏はカリスマ的存在であった。ギタ-を早く覚えたかったのも先ずはこの両氏の曲を弾きたかったらこの両氏にはフォ-クギタ-で影響を受けエレキギタ-を弾くようになったのはビ-トルズの影響が大きかった。
2005.11.29
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芸名をアンドレカンドレといいます、フォ-クソング好きの人なら分かると思いますが、そう現井上陽水が21歳の時にCBSソニ-からデビュ-した時の名前です、デビュ-曲はカンドレマンドレという変な曲名でした、この曲、本人の目論見通りにはヒットしなかったそうです。第2シングル「ビュ-ティフル・ワンダフル・バ-ズ」これまた不発に終わったそうです第3シングル「花にさえ、鳥にさえ」(作詞:松山猛 作曲:加藤和彦)を発売するが結果が出ず、しばらく活動を中止したそうです。
2005.11.28
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東京競馬場で行なわれた、ジャパンカップ(3歳上、G1、芝2400m)はL、デット-リ騎手騎乗の3番人気アルカセットが中団追走から迫った2番人気ハ-ツクライの追撃をハナ差しのいで優勝した。勝ちタイムは2分22秒1(良)の日本レコ-ドさらに13/4馬身差の3着には1番人気のゼンノロブロイが入った。レ-スはスタ-と直後から果敢に先行したタップダンスシチ-スト-ミイカフェが引っ張る展開、アルカセット、ゼンノロブロイは中団、ハ-ツクライは後方3番手からの競馬レ-スは速いペ-スで流れて1000m通過は58.3秒4角手前で逃げたタップダンスシチ-が差を広げて直線へ入ると後続も一気にスパ-ト、馬群の中から脚を伸ばしたアルカセットが残り200mで先頭にゼンノロブロイはその外から懸命に差を詰めるもなかなか差は詰まらない、ゴ-ル前で後方から馬群をわって脚を伸ばしたハ-ツクライが迫るもアルカセットがハナ差凌いで栄光に輝いた。結果1 アルカセット 2、22、12 ハ-ツクライ ハナ3 ゼンノロブロイ 1.3/44 リンカ-ン ハナ5 ウィジャボ-ド クビ単勝14 1060円 複勝14 260円 16 180円 8 110円枠連 7-8 2020円 馬連 14-16 3310円ワイド 14-16 1130円 8-14 450円 8-14 310円馬単 14-16 6330円 3連複 8-14-16 1850円3連単 14-16-8 15450円ゼンノロブロイからながしてハズレてしまいました。しかし昨日のダ-トで馬連ではありますが当たりました。ゼンノロブロイもあんまり勝てないならデュランダルのように引退したほうが良いのではないかな? 有馬記念の結果次第か?
2005.11.27
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27日東京競馬場で行なわれる、ジャパンC(G1芝2400m)の前日オッズ(17時30分現在)が発表された。単勝オッズは同レ-ス連覇を狙うゼンノロブロイが2.2倍で1番人気2番人気は、Lデット-リ騎手騎乗のアルカセット、Alkaasd天皇賞(秋)6着からの参戦となるハ-ツクライが並んで9.0倍4番人気は、04年欧州年度代表馬のウイジャボ-ド、OuijaBoardで9.8倍以下、タップダンスシチ-が14.6倍、アドマイヤジャパンが15.3倍で続いている馬連はゼンノロブロイ、ハ-ツクライが7.3倍で1番人気馬単はゼンノロブロイ・ハ-ツクライが17.8倍三連複はアドマイヤジャパン・ゼンノロブロイ・ハ-ツクライの組あわせで17.8倍 三連単 ゼンノロブロイ・ハ-ツクライ・アドマイヤジャパンの組み合わせで53倍でそれぞれ1番人気となっている。いいかげん予想 今回もまたゼンノロブロイから流してみたい相手、アドマイヤジャパン、ハ-ツクライ、タップダンスシチ-へヴンリ-ロマンス、スズカマンボなどいつものごとく、また当日かえることもある。
2005.11.26
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近江国彦根藩井伊家35万石の家紋、井伊橘
2005.11.25
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皆さんのお家にもあると思いますが、きょうは、家紋について書いてみることにします、その1はテレビなどでもおなじみの葵紋の一つ徳川家の紋のことを書いてみる葵を初めて家紋として用いたのは、「見聞諸家紋」によれば加茂神社の氏子・丹波の西田氏である。戦国の世になって三河の松平、本多、伊奈、島田氏が用いた。徳川氏が三河に入ると、松平氏を継ぎ、葵の紋もそのままうけ継いだのである。徳川家康が将軍職につくと、葵紋の株はたちまち上昇し、桐の紋以上の権威さえ持つようになった。あわてて松平家では、徳川家に遠慮して従来用いていた葵紋をかえて他の家紋に改めている。例えば福釜松平氏は「葵」を「丸に向い梅」、五井松平氏は同じく葵を「丸に一つ葉葡萄」に改めた。これ以後、葵紋は徳川氏独占の紋章となって大いにその威力を発揮した。一門親藩以外は絶対これを用いる事ができない将軍の子女が他の大名に嫁入りするときも、一代限り許す事もあったがこれは特例である。享保年間、浪人者の山名左門という男が葵紋の着物を着て死刑になったことがあった。葵紋は江戸時代においては他の紋に見られない絶対の統制下にあった。菊紋、桐紋もこれから見ればまだ自由に流布されてたやはり徳川家の権力が皇室以上であったことを物語るものとみてよいであろう徳川氏は、一門親藩には少しずつ本家と違ったパタ-ンを使用させた。葉脈の数は九から四十七まである、初期のころ宗家、分家でも葉脈の数に特に指定はなかったが。将軍家では家重家治のときから十三の葉脈に落ちつき、他もそれぞれ決まっていった。将軍家と御三家(水戸、尾張、紀伊)は紋章に輪郭はなかったがその他の分家では輪郭をつけて本家と区別をした。この輪郭も家の格によってちがった。尾張家の支封である美濃高須の松平氏は「菊輪に隅切角」を用い、紀州家の支封伊予西条の松平家は「隅切角」を用いた。本多氏の祖、平八郎忠勝は、家康に仕えて功があったので一門は大いに栄えて大名になった。三河岡崎、播磨宍栗、陸奥泉、駿河田中近江膳所、伊勢神戸、信濃飯山の本多氏がこれでありみな立ち葵を用い、その分封で本多氏が十家以上あるが、やはり葵紋であった。信濃の善光寺もまた、立ち葵の紋を寺紋として用いたと言われる。「善光寺録」によると本多善光が開基となっているので立ち葵を流用したという
2005.11.24
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きょうは、デジカメからパソコンに取り込んで画像を貼り付けてみました。この写真は、友人から貰った古いデジカメに入っていた物式根島の小浜漁港ではないかと思われるのだが?違うかな?違っていたらごめんなさい。
2005.11.23
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この人、誰だかわかりますよね、たしかジャパンカップダ-トではカネヒキリで出走するはず? 違ったかな?まぁ、頑張ってほしい、勝ってほしい!!
2005.11.21
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2005.11.20
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京都競馬場で行なわれた、マイルCS(3歳上、G1、1600m)はO.ペリエ騎手騎乗の3番人気、ハットトリックが中団追走から直線で先に抜け出した。4番人気、ダイワメジャ-をゴ-ル前ハナ差捕らえて優勝した。勝ちタイム、1分32秒1(良)さらに1馬身離れた3着には2番人気、ラインクラフトが入った。同一、G1、3連覇を懸けて出走したデュランダルは直線伸び切れずに着外に終わった。結果1、ハットトリック 1.32.12、ダイワメジャ- ハナ3、ラインクラフト 14、ダンスインザム-ド クビ5、バランスオブゲ-ム クビ単勝、5、1180円 複勝、5、310円 12.360円 1.230円枠連 3-6 3320円 馬連 5-12 3580円 馬単 5-12 8040円三連複 1-5-12 7960円 三連単 5-12-1 63020円ワイド 5-12 1150円 1-5 940円 1-12 1170円デュランダルがまさかの8着に敗れ馬券はハズレてしまったが上位人気馬で決まると見たところは良しとしょう来週のジャパンカップダ-ト&ジャパンカップで巻き返しをしたいなぁ。
2005.11.20
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マイルCS、前日オッズ、デュランダルが1.6倍20日に京都競馬場で行なわれるマイルCS(G1、芝、1600m)の前日オッズ(17時30分現在)が発表された。単勝オッズは同レ-ス3連覇を狙う、デュランダルが1.6倍で1番人気2番人気はマイルG1、3連勝を目指すラインクラフトで6.9倍3番人気は天皇賞(秋)7着から巻き返しを誓うハットトリックが8.5倍以下、ダイワメジャ-が15.6倍、ダンスインザム-ドが16.7倍で続いている馬連はラインクラフト・デュランダルが4.6倍馬単はデュランダル・ラインクラフトが6.5倍三連複はラインクラフト・デュランダル・ハットトリックの組み合わせが11.2倍 三連単はデュランダル・ラインクラフト・ダンスインザム-ドの組み合わせが28.3倍でそれぞれ1番人気となっている自分なりのいいかげん予想ここはやっぱりデュランダルから流したい相手は人気所に行くと思います?が当日、また変えることもあります?
2005.11.19
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この火付盗賊改は、依然御先手頭の職にあったので本職のほかにもう一つの職を兼務したこととなり、これを「加役」といった。そのため、当時一般には「お加役さま」といった。これは、町奉行を「御番所さま」と称したのと同様である。また、火付盗賊改を略して「火盗改」ともいった。この火付盗賊改(以下略して火盗改)は季節により特に火災のおこりやすい十月から翌年三月までの間御先手頭からさらに加役を命ぜられた。これを「助役」または「当分加役」といい天和二年(1681)御先手頭、中山勘解由が任命されたのが最初である。この助役に対し、本来の火盗改を「本役」といった。これら本役・助役でもなお手にあまるときは、さらに臨時の火盗改が命ぜられた。これを「増役」といい、享保年間(1716ー35)初めて高田忠左衛門がこの職についたその後、天明の飢饉に端を発した一揆に際し天明七年(1787)五月二十三日から六月十八日まで十人の増役がまた、嘉永六年(1853)黒船が浦賀沖に来航し江戸市中が物情騒然となったため六月九日から十六日まで二人、さらに翌七年(1854)正月二十八日から二月五日まで十人の増役が置かれた。これら火盗改の任期は、原則として本役は一年、助役は半年であったが多くは引き続き二、三年勤務した。特に池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」で知られれている長谷川平蔵は、天明八年(1788)十月二日から実に八年間もこの職にあった。また、前記、中山勘解由のように、助役から本役に移った者もある。なお、火盗改は、すでに述べたとおりあくまでも御先手頭であったから、その家格・俸禄も御先手頭と同様で御役高千五百石、布衣・つつじの間席であった。ただし御先手頭の上席に位置し在職中は六十人扶持賜わった。これら火盗改は、町奉行のように役所がなくその拝領屋敷を役宅としたので、一般には「加役屋敷」といわれ簡単ではあるが仮牢(詰小屋という)や白州も設けられていた。
2005.11.18
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火付盗賊改役火付盗賊改の起源と沿革火付盗賊改、俗に「火盗改」については、最近テレビや映画、大衆小説などにより一般に知られるようになったが、それだけになお誤解されているところも多いので、やや詳しく紹介することとする。江戸の治安は、元来町奉行、それも主として町奉行与力・同心によって守られていた、しかし、江戸の人口の過密化にともない、犯罪も増加し火災や騒動の起こったときあるいは強力な盗賊があらわれたときなど町奉行だけでは手に負えないことがあった。このような場合幕府は御先手頭に出動を命じ、江戸の治安維持に当たらせた。しかも。事件や騒動が治まった後も、なおその役にありついに常設の職となったのが火付盗賊改であり寛文五年(1665)十月、御先手頭、水野小左衛門守正がこの職を命ぜられたのが始まりである、その後、慶応二年(1866)八月四日まで、およそ二百年間存続し延べ百十七人がこの職につき、最後の火付盗賊改は戸田與左衛門であった。
2005.11.17
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本所二つ目の角屋敷本所・深川に住んでいた無役の旗本・御家人でも、幸い役職につき後世に名を残したものも少なくない。たとえば「鬼平犯科帳」で知られた長谷川平蔵宣以(はせがわへいぞうのぶため)や「遠山の金さん」で親しまれている遠山左衛門尉景元がいた。しかも不思議なことに、この二人が年代こそ違うが本所二つ目の横川三の橋通りの角屋敷という同じ建物に住んでいたという、奇縁がある。そもそもこの屋敷は、明和元年(1764)当時小十人組頭であった。平蔵の父長谷川宣雄が拝領した。しかも、宣雄は安永元年(1772)十月京都町奉行となったが、不幸にも翌二年六月、京都で死去した。このため同年九月七日、平蔵が長谷川家を相続した。当時すでに年三十歳の分別盛りであったが、旗本の慣例として役職がきまるまでは小普請入りとなり、小普請支配長田備中守の配下となった。しかも、屋敷が本所二つ目にあったことと、その幼名銕三朗から「本所の銕」と仇名され、節約家であった父宣雄の貯えを使い果たし、さては金につまって才覚する道さえ覚えた。こうして、遊里での人情の機微に触れ、悪友との交わりで大江戸の暗黒面を覗き得た事が、天明八年(1788)十月火付盗賊改役になってからの職務遂行に大きな力となったのであろう。この角屋敷は、寛政七年(1795)五月、平蔵の頓死後は御召上げとなりいつのころからか遠山家の屋敷となった。遠山金四郎景元も、小普請奉行・勘定奉行公事方を経て天保十三年(1840)北町奉行となったが小普請組であった青年時代には酒と女に身を持ち崩し、市井の無頼の徒と交わった。そして、腕に桜の彫り物さえ施した。しかし、町奉行となった後は、生来の明敏と放蕩時代の経験から人情の機微に徹し、温情ある裁きにより名奉行と唱われた。なお、テレビ・映画では奉行所の白州を前にして片肌をぬぎ桜の刺青を見せて啖呵をきるが、これはいつの頃からの演出であろう実は、景元はこの刺青を深く恥じて、いかに暑い日でも決して肌着をぬがなかつたという。なお、京橋図書館安藤菊二氏の調査によれば、この長谷川平蔵および遠山金四郎の屋敷であった角屋敷は、現在の江東区菊川三丁目あたりであるという
2005.11.16
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江戸時代において、旗本と御家人はともに将軍直属の家臣(直参)であった。しかし、この両者の区分は、単なる呼称の差違ではなく、家格として処遇その他において大きな差別があった。家禄による区分とその矛盾この旗本と御家人の分界はきわめて複雑で、江戸時代においても明確な記録の根拠はなかつた、このため、一般には最も明確な家禄を基準とし家禄または役高二百石を境とした。すなわち、当時勤めていた役職が武鑑に二百石とあるもの以上を旗本とした。この考えは現在も多くの著書、刊行物に「旗本とは俸禄(知行)一万石以下、二百石(二百俵)以上のもの」と定義づけられている。しかし、この考えには大きな矛盾がある。その最も顕著な例は、俗に「番方五組」といわれる大御番・御書院御番・御小姓組・新御番および小十人組のうち小十人組衆は百俵十人扶持であるが旗本に列していた。二百石以上を旗本とする原則的な分界からすれば百俵(百石)ははなはだしい例外といわざるを得ない。この小十人衆と同様に、百俵高での旗本にはつぎの諸役があった。御畳奉行・御鷹匠・御小普請方改役・御普請方下奉行・小石川御薬園頭御庭番・禁裡御賄頭・御作事下奉行・御同朋なお、俸禄二百石(二百俵)以上を旗本とするのは矛盾があり上州徳川庄の正田隼人は五百石ながら御家人であり、しかも無役であったまた、鈴木四郎兵衛という御家人もいた。特に町奉行に属する町与力は百二十俵から古参者は二百三十俵まであったが御家人であり、諸組与力(御留守居与力・大御番与力・諸奉行与力)はいずれも二百石(二百俵)取りの御家人であった。御目見以上・以下による区分旗本と御家人との分界を、単に俸禄によるものとする矛盾と困難は前途のとおりこのため、将軍に拝謁を許される資格のある者を旗本といい資格のない者を御家人といった。将軍に拝謁することを「御目見」といったところから、「御目見以上」を旗本、「御目見以下」を御家人という分界が行なわれた。
2005.11.15
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旗本とは、ひとたび事が起これば、手勢とともに、本陣にある大将のもとに馳せ参じ、直接主君を守護することを任務とした。そのため一名「旗下」ともいわれた。ところが、江戸時代には、御家人とともに将軍直属の家臣(直参)といわれ大名に次ぐ武士としての階級を意味するようになった。同じ直参である御家人との差違は、まず、将軍に「御目見」すなわち謁見が許されるかどうかにあった、旗本は謁見が許されるのに対し御家人はこれが許されなかったのである。つぎに、俸禄または給与が、一部の例外はあっても一般に旗本は御家人よりはるかに高く、その総数は、時代により多少の相違はあったが、寛永三年(1626)の調査では、千石以上 六七六人、千石未満五百石以上 六二六人五百石未満百石以上、三○九七人 百石未満 七六六人計、五一六五人とあり百石以上五百石未満が過半数を占めていた。旗本の母胎はあくまでも、徳川氏三河以来の譜代の家臣であるが譜代の家臣から大名に栄進したものも少なくなかった。そのため、譜代の家臣すべてが旗本であるとはいえない。まして家康の江戸入府以後に、小田原北条家の家臣や旧武田家の遺臣を初め、新たに召抱えたものも少なくなかった。これら、旗本の知行は、総額およそ二百六十万石といわれその知行地は主として駿河・遠江・三河・甲斐および信濃の旧徳川領および大阪周辺に分布していたが、その多くは江戸に近い武蔵・相模・上総・下総の国々であった。これは、家康の江戸入府の際の家臣団配置方針によったもので城下の江戸を守るため直参の知行を江戸周辺に集中し、上級家臣である譜代大名を江戸から少し離れた要害の地に配置したのである。また、旗本の役職は、御家人と同様に、軍事的任務に服する「番方」と行政・司法・財務を司る「役方」とに分けていたが次第に番方より役方が優位を占めるようになった。幕府は個人の独断専行を避けるため、同じ役職数人が協議決定する連帯性や江戸町奉行のように月番制を採用した。これは一面においておよそ五千百余人にも及ぶ旗本を、つとめて役職に付けるためであった。こうした配慮にもかかわらず、なお相当数の旗本が役職にもつけない「非役」となった。旗本の非役で三千石以上のものを「交代寄合」といい三千石以下を「小普請」といった。交代寄合は寄合肝煎の小普請は小普請支配の支配をうけ、臨時に役を命ぜられることもあったがそれぞれの俸禄に応じ、一定の小普請金を徴収されるにすぎなかった。旗本でも家格により一定の役職についた者は、江戸城に出仕の際大名と同じくその詰める部屋が定められていた。
2005.11.14
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京都競馬場で行われた、エリザベス女王杯は、池添謙一騎手騎乗の2番人気スィ-プトウショウが中団追走から後続を大きく離して逃げた5番人気オースミハルカを1/2馬身捕らえて優勝した勝ちタイム、2分12秒5、さらに、2.1/2馬身差の3着には4番人気アドマイヤグル-ヴが入り1番人気に推された、エアメサイアは直線延びきれず5着に敗れた。結果1着、スィ-プトウショウ2着、オ-スミハルカ3着、アドマイヤグル-ヴ4着、ヤマニンシュクル5着、エアメサイア単勝、8番、280円 枠連、1-4、1450円 馬連、1650円馬単、8-1、2420円 三連複、1-3-8、4180円三連単、8-1-3、17500円昨日の予想でエアメサイアから流す予想を書きましたが迷いに迷って結局2番人気のスィ-プトウショウに変えてしまったがそれが、凶と出るか吉と出るかドキドキものでしたが結果的に何とか当たった。やれやれです自分の予想はいい加減予想なのでコロコロ予想を替えることもあるので参考にはしないで下さい?
2005.11.13
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エリザベス女王杯前日オッズエアメサイアが1番人気13日京都競馬場で行われるエリザベス女王杯の前日オッズ(17時30分現在)が発表された。単勝オッズは、前走、秋華賞で悲願を達成した。エアメサイアが2.7倍で1番人気、2番人気は今年の宝塚記念で牡馬を撃破しG1、2勝をあげた、スィ-プトウショウで3.1倍3番人気は重賞2連勝中のヤマニンアラバスタで7.4倍以下、同一G1、3連勝を狙うアドマイヤグル-ヴが12.5倍オオスミハルカが14.5倍と続いている。馬連は、スィ-プトウショウ、エアメサイアが3.8倍馬単は、エアメサイアースィ-プトウショウが7.5倍三連複は、スィ-プトウショウ、エアメサイア、ヤマニンアラバスタの組み合わせが6.8倍三連単は、スィ-プトウショウ、エアメサイア、ヤマニンアラバスタの組み合わせが22.3倍でそれぞれ1番人気となっている今回の自分の狙い エアメサイアから流してみたい初めて古馬との対戦ではあるが、調教も良かったみたいだし武豊がアドマイヤグル-ヴを蹴ってこっちを取ったのも一つの理由相手、スィ-プトウショウ、ヤマニンアラバスタ、オースミハルカレクレド-ル、ヤマニンシュクルなどまた当日変えることもあるかもしれない天皇賞(秋)の時よりすごく難しいレース予想だあまりにもまよったら、馬券購入は止めてテレビ観戦だけにするかな?
2005.11.12
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きょう、久しぶりにエアガンを打ってみたガスが少ししかないので、ずつと撃つていなかったが新しくガスが手に入ったので20発くらいだったが撃つてみた久しぶりだつたのでなかなか快感でした。べレッタ92Fは、まだまた威力もあり心地よいブロウバックでした。また、電動ガンもバッテリ-を充電してセミ、フルで撃った。もう、十何年も前の古いものなのだが、まだまだ元気なものです。
2005.11.11
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今から十数年前になりますか゛、夜釣りでのカゴ釣りを本格的に始めたころ黒根港の桟橋でハマフエフキの82センチ、8キロを釣ったのが初めての大物である。この魚新島の西海岸の黒根から間々下にかけて多く生息しているのか間々下では11キロの大物も出ている何匹かの群れでいるのか、一匹釣れた後も何匹か続けて釣れるしかし、この魚もあまり歓迎されない存在食べてみたが、あまりうまくはなかった。8キロもあったので大味だったのかもしれない結局、少し食べただけでほとんど捨ててしまった。ハマフエフキ、フエフキダイ科 フエフキダイに似ているが口がもっと赤い。本州中部以南の暖海にいる。全長1メートルに達する。
2005.11.10
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秋になると美味くなる魚はいろいろあるが、やっぱりサンマが一番か?新島でも何年か前、羽伏漁港で釣れた様だが、断念ながら脂もまったくといっていいほど乗っていないのでお店などで売っているものに比べればさすがに味は落ちるがそれも仕方ないこと、こんな南の水温のところにまで落ちてくる途中に脂もみな落ちてしまうのであろう?それでも鮮度が良かったので刺身にしたり焼いたりして食べた。そこできょうは、サンマについてかいてみる。サンマ ダツ目、サンマ科、サンマ属、冷水性、回遊魚日本では日本海中部以北、北日本太平洋岸。太平洋のサンマは大きく3つの群れに分けられる。最も西に棲む北西太平洋群(日本のサンマはこの一部)、アメリカ近海のカリフォルニア群その中間に中央太平洋群。外洋の表層近くを群遊し、秋の終わり頃(10ー12月)産卵のために南下し翌年暖流の勢いが強くなると北へかえる。秋刀魚の名はサンマをよく表す秋が旬で刀はその体形。頭の先の背辺が直線的で下唇の先端がとがり気味でオリ-ブ色をつけているのが雄、頭の先が曲がっていてオレンジ色をつけた丸味をおびた口をしているのが雌北海道では8月中旬以降がサンマの解禁。毎年1千隻近くの漁船がその日を待ち構えて、飛び出していく以前は流し網や刺し網を用いたが、最近は、光に集まる習性を利用して集魚灯を用いての棒受網が中心。ただし、晩秋から初夏北海道日本海沿岸にやつてくる産卵群には、光の効力は通用しない。他の事まで気にしていられないのか、光には目もくれず卵を産み付けるべく物体(海の表面に浮かぶ流れ藻や木片など)の陰に集まる北海道西岸や奥尻島付近には、この習性を利用した、つかみ獲り(海の表面に穴をあけたむしろを浮かべて、穴の下にホンダワラ等の海藻をつるして集まってくるサンマを手ずかみにする)という漁法が伝わっている。もつともこの時期のサンマは、ひどくまずいサンマは回遊魚として知られているが、とれた海域によって魚体の大きさが違うことから地付きのサンマもいるのではないかと言われている。また、日本の周りを回遊するサンマにもいくつかの系群がある。時には沿岸部にも回遊してくるがこれはアミをコマセにしたサビキ仕掛けで面白いように釣れる秋の味覚の代表、サンマ、新鮮なサンマの塩焼きは、脂の乗りと内臓のほろ苦さが何とも言えぬ。味もさることながらサンマの栄養価は昔から定評がある「サンマが出ればアンマがひっこむ」と語られているほどである。
2005.11.09
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きょうは、桟橋つり師の敵?サバと名打ってサバのことを書いてみる。桟橋で釣りをしているとサバが良く釣れることが多いサバを狙っている人にはいいが、それ以外を狙っている人にはこれほど厄介な魚はいない?といっても良いくらいだ群れでいるので、次から次と食ってくる釣れると横に走るので隣の人の仕掛けとオマツリするしハリスもすぐ傷が付いてしまう、そこで、新島で釣れるゴマサバのことを少し?書いてみる。ゴマサバ 胡麻鯖スズキ目、サバ科、サバ属、別名マルサバとも呼ばれるように体が丸い筒状で、体高はマサバ(ホンサバ)より小さい体側の下方に不規則なゴマ粒大の黒点があり背の模様はマサバより不鮮明である、全長は最大で45センチに達する。釣りの対象となるのは主にホンサバで、ゴマサバは少ないしかし、大群で行動するところから、群れに当たると大釣りが可能です。回遊性が強く、遊泳層も表層から底まで、めまぐるしく変化するのは。水温、潮、エサなどを求めて、常に快適な場所へと移動するためである釣り方は、コマセを使ったサビキ釣りを初、エサが付いていれば浮き釣り、ブツコミ釣り問わず釣れる南方系のサバで、本州中部以南に分布している。マサバは沿岸近くに回遊しているが、ゴマサバは沖合いの表層に大群をつくっている、春から夏にかけて産卵期だけ岸の近くに回遊する卵は浮遊性で、1回に数10万粒も産む、イワシなどの小魚を食べているが大群で行動するためエサにアブレることがある。そのため、遊泳中はジョウゴ状になった口を大きく開けてプランクトンを摂取している。九州でマルサバをドンサバと呼ぶ。マサバに比べると味がやや劣る。しかし、マサバは夏になると味が落ち、秋にうまくなるといわれるのに対してゴマサバの味は周年変らない、夏期にはマサバよりむしろ美味と感じるのは、このためである、料理法としては、マサバほど細かい包丁さばきができないのでシメサバのように生で食べることはむずかしい味噌とショウガで甘く煮付けるのがおいしい食べ方で、小型なら塩焼きもいい、すり身にしてダンゴ状にして油で揚げたり汁に入れるとうまい。
2005.11.08
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きょうは、もう一つ書いてみることにした。題しておじいちゃん?達の狙う魚と名打ってみました。その魚は、島の名産のクサヤの原料にもなっている、青ムロ、ムロアジなど島のおじいさん達は、青ムロを求め東へ西へと行ったり来たりでするこの時期だいぶ寒くなってきましたが、おじいちゃんたちは、元気です。きょうは、西の風が強くて黒根港の桟橋の釣りは無理となると東海岸の羽伏漁港に行っているのかな?と言うことで、ムロアジについて少し?書いてみる事にムロアジ スズキ目、アジ科、ムロアジ属本州中部以南に多く分布している。マアジより暖海性とくに黒潮流域にあたる沖縄諸島、薩南諸島、高知、和歌山、伊豆諸島方面に多く分布しといる、ムロアジ属には多くの種類があり鮮魚、干物、クサヤなどに加工されるムロアジの釣り方はマアジと大差なく、サビキ仕掛けのように魚皮やスキン片を使った擬似バリを用いる。多数結んだ擬似バリの上か下にコマセ袋を付けて、アミエビやシラスをこれに詰めて釣る。ムロアジの仲間にはマルアジ、オアカムロ、アカアジ、モロ、クサヤモロなどの種類があり、ムロアジ、マルアジ、アカアジ、モロの区別はかなり難しい。クエ、ヒラアジなど磯の超大物釣りでエサとして抜群のアカムロは主にオアカムロを指し、呼び名の通り尾鰭や、その他の鰭が赤い。マルアジはマアジくらい体高がある。クサヤに最高のクサヤモロは体表面に鱗があるなどの点で区別できる。市場評価は、一般にマアジよりやや低いがマルアジに限りマアジより高価ムロアジはマアジに比べて脂が少ない、しかも、味にマアジほどコクのないところから、マアジより評価が低いようだしかし、マアジよりやや大型の魚体が揃い、鮮度の高いものを刺身にするとマアジにないウマミがある。他には塩焼、干物はポピュラ-だが伊豆七島名産のクサヤはムロアジ類、トビウオ、変わったところではウツボなどを、特殊なバクテリアを発生させた塩水にひたし乾燥させたものである。特異な臭いを嫌う人もいるが味は絶品ですよ!!
2005.11.07
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大名の服役幕府の藩屏としての大名の軍役も、島原の乱(1637-1638)以後は、すでに有名無実となり、もつぱら各種の加役や、御用金を負担するに留まった。しかも、慶長九年(1604)六月の江戸城拡張工事発表以後たびたび行われてきた普請役も、寛永十三年(1636)の江戸城外郭の大修理を最後として大規模のものはなくなつた。このため譜代大名は、老中・若年寄を初とする幕府の主要な役職についたが外様大名の服役は参勤交代だけとなつた。そして寛永十二年(1635)には「武家諸法度」が公布され参勤交代制度が確立された。すなわち、外様大名を二班に分け。四月で切替える一年交代制を実施した、ついで、寛永十九年(16429からは。譜代大名にも参勤交代の制度を適用し、関東以外の大名は六月と八月を切替とする二班に分け、一年交替とし。関東の大名は二月と八月の半年交替とした。これによって、江戸には常時全大名の半数が在府することとなった。
2005.11.07
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大名の殿中席次幕府は、大名の身分、格式を区分するため、城中に出仕した場合にその詰める座敷および部屋の名をもつて表示した。これを「殿中席次」といい、大名の家格、家禄および役職によって定めた。幕府創設当初の席次は、その人物の家柄と経歴によりおのずと決まる習慣であったから、多分に浮動性をもっていた。ところが、幕府の制度が整い、役職の格式が定まるとともにその役職につく家柄が家格という形で固定し、席次も次第に厳しくなった。特に、明暦の大火(1657)に焼失した本丸が再建された万治二年(1659)には諸士の着座、席順が公式に布告された。なお、席次は「何之間席」または、「何部屋席」と、その詰める座敷、部屋の名をもって示された。しかも、これら大小幾多の座敷は、いずれも廊下でつながれていた。廊下といっても書院に付属する入側、すなわち畳敷の通路であった。殿中席次(大名・旗本)大廊下ー上下に分かれ、上の部屋は御三家・御三卿下の部屋は前田・島津・越前松平・因幡池田の諸家大広間ー一の間より四の間に分かれ四位以上の外様国持大名(伊達・細川・黒田・浅野・毛利・鍋島・藤堂・蜂須賀・山内・上杉・津軽)など黒書院溜の間ー常詰として高松松平・会津松平および井伊の三家。他に老中を勤めた大名(これを溜詰といい、一種の名誉職であった)溜の間 御次ー京都所司代・大阪城代帝鑑の間ー城主格の譜代の大名(大久保・戸田・堀田・内藤大給松平・柳沢など六十家)と願譜代(外様大名で譜代大名に準ぜられたものおよび交代寄合柳の間ー四位以下の外様大名と高家・寄合衆肝煎および寄合衆雁の間ー板倉・稲葉・青山・阿部・牧野・水野などの中堅大名およそ四十家および高家衆菊の間ー、三万石以下の譜代大名および大番頭・書院番頭小姓組番頭・旗奉行・槍奉行・持弓頭・持筒頭・百人組頭・使番・定火消御役芙蓉の間ー寺社奉行・町奉行・勘定奉行・大目付・奏者番駿府城代・京都町奉行・伏見奉行桔梗の間ー新番頭・新番組頭躑躅の間ー勘定奉行所勘定吟味方・大番組頭・御先手弓頭御先手鉄砲頭・鉄砲方・小十人頭・御徒頭・船手頭・火事場見廻本所深川火事場見廻山吹の間ー中奥小姓・中奥番紅葉の間ー小姓組焼火の間ー納戸組頭・納戸方・側用人勘定組頭寺社奉行吟味物調役・寄場奉行・勘定奉行勘定組頭・同勘定吟味方改役同切米手形改・金奉行払方蔵奉行・油漆奉行・林奉行・材木奉行川舟奉行・大筒役・二の丸御留守居中の間ー小普請組支配・御広敷留守居番土圭の間ー新番組衆虎の間ー書院番衆
2005.11.06
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大名の区分江戸時代の大名の家格は、将軍家との親疎、出身により親藩、譜代および外様の三種に分けられ、制度、待遇上に厳格な差別が設けられていた。親藩始祖家康以来、将軍の子弟で大名となったものとその末流、支流を親藩といつた、特に家康の第九子義直に発した尾張家、第十子頼宣に始まる紀州家および第十一子頼房による水戸家を御三家といい、将軍に後嗣がないときは、御三家より出る事になっていた。親藩は、譜代大名とともに将軍の藩屏として、外様大名を牽制する重要な地位にあった。特に水戸家は、江戸常勤であり幕府に最も近い関係にあった。また、越前松平家は、二代将軍秀忠の庶兄結城中納言秀康の末裔であり会津松平家は、秀忠の庶子保科正之の流れを汲むものでこれら一門および支流を「家門」といつた。なお、大名ではなかったが、八代将軍吉宗の三男宗武、四男宗尹に始まる田安家、一橋家および九代将軍家重の次男重好による清水家を御三卿といつた。譜代大名関が原の戦い以前より、徳川氏に服属していた大名で安祥七譜代、岡崎御譜代、および駿河御譜代の別はあったが家禄は五万石以下が多かった。最高は井伊氏の三十五万石でその領地は戦略的にも重要な地を占め、駿河、遠江、三河、甲斐および信濃などの旧徳川氏の領地および関八州の国々が多かった。これら譜代大名は、家禄は少なかったが、老中、若年寄を初め幕府の要職につく事が出来た。寛政年間(1789-1800)の大名総数は二百六十四家であつたが。うち百三十六家が譜代大名であつた。外様大名加賀の前田家、薩摩の島津家などを初とし、関が原の戦いののち徳川氏に新たに服属した大名は、制度、待遇において譜代大名とは厳格に区分されていた。なお、本来外様であったものが、自ら願い出て譜代に列したものや有馬家、相馬家のように、将軍の意志によって譜代に列したものもある国主、領主および城主、無城の別諸大名のうち、一国以上を領有するものを「国持大名」および「准国持大名」といい、一般には「国主」と称した。これらは家格によるもので、すでに室町時代においても「国持衆」「准国持衆」という区分があった。もともと、一国を領有する意味であったが必ずしも一国を領有しない場合もあり、ときには二国、三国に及ぶものもあって領地の広狭ではなく、むしろ家格であった。例えば、前田家=加賀、能登、越中 島津家=薩摩、大隈池田家=因幡、伯耆 黒田家=筑前 毛利家=周防、長門蜂須賀家=阿波、淡路 浅野家=安芸 池田家=備前山内家=土佐 宗家=対馬これに対して、伊達家=陸奥 細川家=肥後 鍋島家=肥前藤堂家=伊勢 有馬家=筑後 佐竹家、上杉家=出羽福井松平家=越前 松江松平家=出雲において、いずれも数郡を領有していたのに過ぎないがこれに南部家を加えて、俗に「国持二十家」といった。この国持大名(国主)に対して、一国に満たぬ地域を領有する大名を「領主」と称した。また、居住の城郭を有する大名を「城主」といいその数はおよそ百二十八家であった。
2005.11.05
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大名の資格江戸時代における大名としての第一の資格は、その家禄が1万石以上ということであった。この家禄には、表草高と実際の草高とがあり、表草高は、それだけの米(麦、大豆などは米に換算)の収穫があると認められた土地の広さを、石高に換算したものである。そのため、土地の荒廃、災害により平年の収穫が表草高の額に達しない場合があつても、大名としての資格を失う事はなかった。例外として、出羽国矢島の生駒家のように、実収1万5千石であつても大名ではなく、高級旗本の交代寄合に列せられた者もある。第二には、将軍直属の臣であることを資格とした。たとえ家禄が1万石以上であろうとも、大名の家臣は陪臣であったから大名とは認められなかった。例えば、長州毛利家の老臣吉川監物は、周防国岩国において6万石を領し越前松平家の本多蔵之助は、越前国府中で2万5千石を領していたがあくまでも万石以上の陪臣であり、大名とは認められなかったこれは、御三家の附家老も同様で、紀州家の安藤氏、水野氏尾張の成瀬氏、竹腰氏および水戸家の中山氏などは、いずれも万石以上であつたが、陪臣にすぎなかつた。これに反して、下野国の喜連川家は、家禄わずか5千石にすぎなかつたが足利氏の末裔であるとして特別なはからいを受け、大名に列していた。
2005.11.04
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名古屋競馬場で行われたJBCスプリント(3歳上、交流、G1、ダート1400M)幸英明騎乗のブル-コンコルドが道中中断から追走し徐々に進出した。直線で先頭に立つと2番手を追走していた5番人気ハタノアドニスを5馬身突き放して圧勝した、勝ちタイムは、(1分25秒3)さらにハナ差3着には、後方から最内を突いて追い込んだ6番人気ノボトゥルーが入った、2番人気に支持されたメイショウボ-ラーは果敢に先頭に立ったが直線で失速し4着3番人気のアグネスジェダイは好位追走から徐々に後退し8着に敗れている。メインレースはJBCクラシック、(交流G1、ダート1900メートル)武豊騎乗のタイムパラドクスが道中の中団を追走し3角から外を通って巻くリぎみに進出すると好位の内から直線差を詰めた、5番人気のユートピアの追撃を1馬身振り切って優勝した。勝ちタイム(2分00秒9)さらに3/4馬身差の3着には、早めに先頭に立った、10番人気レイナワルツが入った。断然の1番人気に支持された(単勝170円)サカラ-トは前々の位置を進んだが直線伸びを欠き3着から1.1/2馬身の4着に敗れた。しかし何だナイキアディライト、なかなかゲートに入らないで、結局途中で放送が終わってしまったじゃないか。全着順1着、タイムパラドックス2着、ユートピア3着、レイナワルツ4着、サカラート5着、パ-ソナルラッシュ6着、シーキングザダイヤ7着 クインオブクイン8着 二ューシーストリ-9着 ナイキアディライト10着 グレ-トステージ11着 ミッアキサイレンス12着 ユウキャラット単勝4番、4610円 複勝4番、240円 1番、370円 9番、1970円枠連、1-4 1920円 馬連、1-4 1810円 枠単、4-1 4030円馬単、4-1 3880円 三連複 1-4-9 36910円三連単、4-1-9 231450円
2005.11.03
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きょうも朝、釣りに行ってきました、さすがに朝夕は、だいぶ寒くなってきたが、過去の記憶では、震えながら夜釣りをしていた。また、これからの季節の方がよく釣れた、真鯛やイサキ、メジナ新島で黒アジと呼ぶ30センチ位あるアジなどその他色々そろそろルアー釣りもここらが止め時か、きょうも当たり一つ無い状態です。そろそろオキアミ使用のカゴ釣りの夜釣りに切り替えようかなぁ。
2005.11.02
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今日も朝釣りに行ってきました。今日は、北東の風で寒かった北東の風という事もあり、島の西海岸黒根港の桟橋での釣りとなつた自分の住んでいる家は、北東の風だと山の陰になりそんなに風はあたらないので実際に桟橋まで行かないと風がどの程度吹いているかわからないのが現状です、早速黒根に行ってみるとやはり風がやや強いが後ろから風を受けるので南側なら十分出来るそこでいつもの様にクルクルと呼んでいるルアーを引っ張りだす事に何投目かにサバが釣れた、前回のこともあり、今日は、しつかりク-ラーボックスのなかに入れた、結局2匹のサバが釣れたその2匹を持つて7時に帰った、釣れたサバもすぐにフライにして食べた久しぶりのサバのフライ、美味かった。
2005.11.01
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