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僕はアトピー性皮膚炎だ。正確に言うと、「だった」大学2年のときくらいに急に発症し、その後3年くらい悩まされた。季節や食事、生活環境によって症状が違い、根本的な治療ができないまま、突然直った。「ラッキー!」くらいにしか考えていなかったのだが、数週間前に「再発」した。今回一番症状がひどいのが「手湿疹」だ。指に小さな水泡がプチプチと出来ている。これがかゆい・・・むちゃくちゃかゆい。いいタイミングでGWに突入してくれたものだ。授業中にこのかゆみが襲ってきたら・・・だが、この手湿疹は意外とたくさんの人が経験しているらしい。ぼくの奥さんも美容師時代に悩まされた経験がある。隣の奥さんもその旦那さんも・・・「私も・・・」「俺も・・・」みたいな感じで、手湿疹の話題で盛り上がったほどだ。今日は友人の勧めで「漢方薬」を購入。どろどろとしたお茶を試飲したのだが、「ま、まずい・・・」でも、かなりの効き目が期待できるようだ。ちょっと続けてみようかな。生徒にもアトピーの子がいるようだ。まだ子供なので、首や足、手の関節の裏などがカサカサしているね。でも、あのかゆみに耐えているのだと思うと、正直凄いと思う。同じアトピーの悩みを持つ生徒と「かゆみ」を共有できるようになっただけでも、今回の「再発」は、良かったのかな。なんでも「ポジティブ」に考えよう。
2006.04.29
GWの英語の課題として、英単語の暗記を課した。中1の教科書に出てくる英単語全部だ。中2・中3にとっては復習。中1にとっては、完全なる予習。GWが明けた週の英ペナテストは、中学生が全て同じテストを受けることになるわけだ。そこで・・・・いいことを思いついた。じゃじゃ~ん!!「第一回塾内英単語テスト」開催決定~!!!学年ぶち抜きで、ランキングを貼りだすことにしてみた。さあ、中3生!!英語は「単語」が全てだ!中2や中1に負けるなよ!!さあ、中2生!!中1に負けるなよ!中3を1人でも抜いてみろ!!ヒーローになれるぞ!さあ、中1生!!ほとんどが「未知」の単語だ。1人でも中2、中3を抜いたら・・・それは「奇跡」だ・・・奇跡を見せてみろ!!!最後に・・・高校生は希望者のみ参加OK!!ただし、中学生に負けた者は・・・ふっふっふ・・・
2006.04.28
無理かと思われた今日のペナ部・・・何とか乗り切った。数人がピアノの練習などの他の習い事で遅れたため、なんとか席が確保できたのだ。ある教室など、中2が教室の前のほうに固まって授業をし、後ろのほうで中3が追試を受けたりペナプリをやったり・・・あ~、きっと個別指導の塾ってこんな感じなのかな~、と思った。今塾内を見渡すと・・・追試に合格できずに敗れ去った戦士達が、傷の痛みに耐えながら「ペナプリント」をやっている・・・その数、5名・・・さ、これから高校生達がうじゃうじゃとやってくる。塾に「静寂」はないのだ~!!!
2006.04.28
僕は「月曜日」以外は全て小学生に国語を教えている。月曜日は小6の英語なのだ。小学生に国語を教えていると、「語彙力」というものと向き合わざるを得ない。「語彙力+個人差」と言ったほうが適切だろうか。「先生~!○○ってどういう意味ですか?」本当によくある質問である。例えば今日は、「先生、「もてあます」ってどういう意味ですか?」と聞かれた。質問に正確に答えるとすれば、「取り扱いや処置に困る」と答えればいいのだが、そう答えられた小学生は、「もてあます」という言葉を吸収できるだろうか・・・僕は「否」だと思う。子どもに「言葉」を身につけさせる場合、目の前でどんどん使ってあげるのがよい。どんなときに「もてあます」のか。何を「もてあます」のか。子どもがうざがるまで使いまくるのだ。そして最後に・・・「ほら、あなたは今お母さんを「もてあまして」いるでしょ?」これで完璧だ。
2006.04.28
今日は大変なことになりそうな予感がする。やばい時間は・・・午後7時だ。この時間はすさまじい状況になっているはずだ。金曜日は中2の授業日。そこに・・・中3の英ペナ部と数ペナ部と社ペナ部と理ペナ部の生徒がくる。なぜなら、明日が休みだからだ。明日に予定されていた社ペナ部と理ペナ部が今日になっているのだ。さらに・・・中1の社ペナ部と理ペナ部もある。理系のペナ部の人数はあきらんに確認しないと分からないが、文系のペナ部の人数は・・・19人・・・!!理系のペナ部を足したら・・・37、8人?あああああああああ!!絶対に「パンク状態」だ。無理やり「オープンカフェ」状態にしようかな・・・通りがかりの車の人が、「お、こんなところにオープンカフェのお店ができたんじゃん・・・」「へ~・・・」「っていうか、子どもしかいなくない?」「しかも、コーヒーとか飲んでないじゃん・・・」「べ、勉強してんの?」てな感じで・・・どうしよう。でも、席がないからといって、昨日不合格になった生徒をそのままにしておけないし・・・そもそも全部で36席の松江塾・・・ああああああ・・・どきどきしてきた。よしっ!最終手段で「責任転嫁」だ。おい!!中1!中3!!何でペナテスト一発で受からなかったんだ!!!君らが一発で受かっていれば、こんなことにはならなかったじゃないくぁ~!!もう「正座」だな。コピー用紙のダンボールが机だな。それでも駄目なら「床」だな。なんとかなるさ!!一番大変なのは、ペナ部顧問の「うっしー」だね。頑張れ!うっしー!!
2006.04.28
今、中1の生徒がペナ部に挑んでいる。「英ペナ部」だ。しかも、「虫食い」のペナプリントだ。塾生ならばお分かりだろう。あのプリントを「厚み」は、経験したものでなければ分からない。紙なのに「重い」のだ。あの「どでかい」ホッチキスでなければ、綴じることができないのだ。今挑んでいるのは、「30枚」だ。特に現中3生達なら分かるよね。「30」の大台がどれくらいきついか。だが、それをやりきったとき・・・教科書の本文は、「教科書に書いてある文」ではなくなるのだ。最初から最後まで、一文字も抜けることなく「自分の頭の中」に完璧に入っているのだ。これをやり抜いていくものは、学校の英語のテストを「テスト」と感じなくなるはずだ。頑張れ。だがやり抜いたとしても、決して褒めることはしない。なぜならば、これは「ペナ部」だからだ。一発で受かった人間は、今日塾に来ていない。また7時からの追試で受かった人間も、もうここにはいない。わかるね?もうあんな「分厚い」プリントをやらなくていいように、しっかりと勉強して来い。
2006.04.27
kamiesu先生が猫ギター先生の塾を訪れたことは、ブログを読んでご存知だろう。ネット上の塾業界では、「大物」と言える先生二人の対面は、遠く離れた川越の地でも「何か大きな動き」を感じてしょうがない。何か大変なことが起きているような・・・ヤンキースの松井が、マリナーズのイチローの試合を観戦し、そのあとで「おでんや」で酒を飲む、みたいな・・・二人を良く知るものであれば、そこでどんな会話が交わされたのか・・・その場がどんな空気だったのか・・・見ているときの気持ちはどうだったのか・・・見られているときの気持ちはどうだったのか・・・塾業界の人間だったら必見の「ドキュメンタリー番組」が作れるに違いない。個人塾をやっていると、全てが「自分基準」になる。比較するものがない。特に大手塾の経験がない僕など、「自分基準」「自分中心」の塊のようなものだ。そこに他塾の先生が「来る」だけで、すさまじい効果があると思う。何をアドバイスしてくれなくても構わない。自分の作った塾・自分の授業を見てくれるだけで「とてつもない刺激」だ。他の先生の塾や授業を見るのは刺激があるが、見られるのもまた刺激的だ。今年の「ブーム」の匂いがしてしょうがないのだが・・・
2006.04.27
松江塾と言えば「ペナ部」というイメージがあるが、ペナ部はあくまで「一部」である。まだまだ他にも「松江塾と言えば・・・」がある。その一つが、「虫食いテスト」である。塾生ならば、「ペナ部」よりも「虫食い」のほうが松江塾っぽいとも思うだろう。この虫食いテスト・・・、中学校の期末テスト前になると、松江塾以外の生徒からもせがまれるほどの人気だそうだ。特にすごいテストでもない。教科書の文章を適当に抜いて、その文を( )にしているだけのテストだ。ただ・・・松江塾の虫食いは、「虫が食っている」レベルではないだけだ。例えば、今中1生が解いている虫食いテストは、「○ あなたは家族と英語を話しますか。 ○ ( )( )( )( )( )( )( )?」という状態だ。つまり「虫食い」ではなく、「全食い」なのだ。英語では、これを期末対策の「スタートライン」にしている。教科書の文章をもとにして問題が作られる期末テストでは、教科書本文を覚えてしまうのが一番の近道だ。これをやれば、基本文が完璧に頭に染み込み、かつ単語を書く力を圧倒的に身につく。松江っ子たちの英語の平均点が、学校平均よりも20点近く高いのには、こんな理由があるのだ。ただし、このテストを完璧にするのは、あくまで「スタートライン」だ。期末の2週間前には終了している内容である。このあとが大事なのは、言うまでもない。学校のテストだけできて、実力テストでヘボヘボなんて意味がないからね。
2006.04.27
何かにつけて「聞いてません」という生徒がいる。テストがあること。テスト範囲テスト開始時間宿題があること。特別授業があること。自分が聞いていなかったことに対して、何の罪悪感もない表情で言うのだ。正直腹が立つが、僕が言うことは初めから決まっている。「言・い・ま・し・た。聞いてなかったの?残念だね~」いやみたっぷりの笑顔でさらりと言う。情報を聞き逃すということは、「損」だということを身を持って分からせるのみだ。何のフォローもしないと決めている。それが生徒のためだからだ。「入試が8時半から?聞いてませんでしたけど!?」と言って、試験開始時刻が変わるか?「納期が今日までなんて、聞いてませんでした。」と言って、得意先が許してくれるか?「一方通行だなんて、聞いてませんよ。」と言って、違反切符を切られないことがあるか?与えられた情報を聞いていないのは、全て自分のせいだ。全責任が自分にあるのだ。「聞いていない」ということで、自分を正当化しようとする態度は、絶対に許さない。松江っ子歴が長ければ長いほど、僕がどういうところで「カチン」と来るかが分かっている。僕の「ぶちっ」とする基準は、僕の子育ての基準と同じだ。真島家でも同じ基準である。ただ違うのは、「おしりぺんっ!!」がないだけである。
2006.04.27
高校部の生徒に「二極化」の兆しがみえる。学力の二極化ではなく、「高校生活への意識」の二極化である。高校と言う枠組みを「修練の場」として意識する者と「自由な場」として意識する者の二極化といえば分かるだろうか。「修練の場」と意識する者は、「中学生っぽい高校生」とも言えるかな。「自由な場」と意識する者は、「大学生っぽい高校生」とも言えるだろう。高校生活の3年間は、人生の「5分の1」のところにある。この3年間が「残りの5分の4」を決めると言っても過言ではない。高校生活は何をすべきだ?バイトか?部活か?勉強か?生徒会活動か?遊びか?この3年間の過ごし方がその後の自分の人生を決めるんだよ。超リアルな話だよ。僕が一生懸命に勉強していた高校時代に、遊びまくっていた友人達・・・今31歳になって、彼らはどんな人生を送っていると思う?高校の3年間は、良くも悪くもそのあとで何倍にもなって戻ってくるよ。確かに新しい環境は刺激的かもしれない。中学のようにいろんな制約がないかもしれない。でもそれは「自由」という意味ではないからね。自分の人生は、もう好きなように選択してね!っていうことなんだからね。「今」が大事だよ。ちょっと考えてみてね。
2006.04.27
今日は小4生の子が体験に来た。そして授業後にお母さんが来られて、その場で即入塾!ということになった。通常授業+漢字道場+計算道場 への入塾である。小4からの松江塾への入塾は、「正しい選択」である。中学受験をしない小4生がふつうの塾にいった場合、どういう授業を受けているか・・・中学受験を扱わない塾での「小学部」は、普通の塾では「おまけ」である。ご存知のように、公立小学校の教科書は「死ぬほど簡単」だ。そして、中学受験という「関門」がない場合、塾として小4生に対して情熱を傾ける「理由」がないのだ。意識の低い塾では、中学校での学力差の原因が、「小学校」にあることに気がつかない。いや、気がついているのかもしれないが、中学生になってからでも大丈夫!と思っているのだ。甘いな~・・・確かに中学からでも「何とか」はなるが、土台はあくまで「小学校」だ。特に4年・5年・6年の3年間は、中学と高校の6年間を支える土台作りの時期だ。極論かもしれないが、小4・5・6年が「あらゆる意味で完璧」ならば、中高において塾や予備校など要らない。勉強の基礎勉強に対する姿勢の基礎意欲の基礎が小4~6年の時期に作られるからだ。今日入塾を即決されたお母さん!正解です。正しい選択です。松江塾の小学部は、その辺の中学受験塾よりも「激烈」です。やっている内容は「教科書レベル」ですが、その「完璧さ」において抜きん出ています。もし今の松江塾のシステムで中学受験を扱ったら・・・それはさておき、「やらぬなら ペナ部あります 松江塾」これだね。
2006.04.26
小学生に国語「上」の漢字を全部覚えさせた。今までの学習差や個人差はあるが、ほぼ全員がマスターした。その結果、みんな学校の国語が「簡単」になったという。国語や英語という「言語科目」においては、「単語」を知っていると言うことが重要だ。中学生の「英語」で同じことをやることにしよう。ということで、中1生のGW明けのペナテストは、中1の英単語全部!!決定~!!みんなビビッてたが、「なぜ今覚えるべきか」を理解してくれたようだ。頑張れよ~
2006.04.26
学力の差は「国語力」の差である。国語力の差は「音読力」の差である。読解問題のできない子は、文章が理解できない。文章が理解できない子は、文章を読めない。文章を読めない子は、音読ができない。授業をやっていて、「ああ、この子はできるな~。」と感じる子は、間違いなく音読がうまい。逆に、「ああ、この子は大変だな~。」と感じる子は、間違いなく音読が下手だ。音読が上手いか下手かは、100000000000000%練習量によって決まる。よし!!ペナ部に「音読」を導入!決定!早速今日の小4の授業で告知する。ペナテストは「音読」をしてもらう。スラスラと読めずに、引っかかる場合を「×」とし、採点。9割を下回ったら、翌日の追試。あ・・・、追試の場合、音読を聞く講師がいない。よし、音読の追試は「なし」!音読の場合は、一発目のペナテストで落ちたら、翌日にいきなり「ペナ部」ペナ部は「音読○○回!!」人数分の「テープレコーダー」を用意して、それに向かって読む。こうすれば、「ずる」はできない。こんな感じでやろう。強制音読だ!!
2006.04.26
ついに100000アクセス達成!!去年の11月末からコツコツと・・・記念すべき100000のキリ番を踏んだのは、ご存知この方スズキイクオ先生です!いや~、踏まれてしまいましたね~。絶対に僕が踏もうと思っていたのですが、ぐっすりと寝っこいている時に記録が達成されてしまったようです。みなさん、ありがと~!!でもあらためて考えると、すごいよね。10万人・・・
2006.04.26
僕は生徒の進路として、大学付属校を勧めない。生徒や保護者が希望しているのであれば、それを否定することは絶対にしない。だが、これから高校を決めようかというときに、大学付属校の名前を出すことは絶対にない。なぜか。それは大学受験を経験したほうが、「絶対に得」だと思うからだ。僕の通った大学には付属高校が3つあり、そこから上がってきた連中が全員「アホ」だったことはあまり関係がない。人は一度乗り越えることができた壁を、「壁」とは思わないのだ。つまり大学受験という壁を乗り越えた人間は、その困難をつぎから困難と感じないのだ。社会に出れば、困難は腐るほどある。目の前に壁が立ちふさがるときなど掃いて捨てるほどあるだろう。そのときに、大学受験を乗り切ったという経験があるかないかで、何かが変わってくるだろう。僕のこのスタンスは、保護者の方と真っ向対立をする。親はわが子に「楽な道」を歩ませたいのだ。その気持ちはよ~っく分かる。だが、僕は敢えて大学受験という困難が待ち構える道を勧めていきたい。高校部の生徒の同級生で、早稲田の付属校に進学した子は、今一生懸命に「ファイナルファンタジー」をやっているという。その高校部の子は、せっせと単語を覚えている。わが子の「真の成長」を望むなら、ぼ~っとゲームをやりながら大学に上がっていくわが子を見たいか、「ひ~ひ~」言いながら単語を覚えて、大学合格を勝ち取っていくわが子を見たいか。僕の大学受験は・・・「楽しかった」。そのときは辛かったのかもしれないが、今考えると「楽しかった」と思う。そういう経験ができたことは、僕の財産だと思う。よく大学付属校にいった連中からは、「大学受験がないから、自分のやりたい勉強ができる」という話を聞くが、そんな勉強は、大学に進んでから何倍だってできる。高校時代は、「もがいてもがいて努力をする」時期だと思うのは、僕だけだろうか。
2006.04.25
親という生き物は、奇妙だ。子どもに対しては、その欲が留まるところを知らない。子どもがどんなに頑張っても、どんなにすばらしい結果を出しても、決して満足することはない。結果が希望に届かなければ、「なぜもっと頑張らなかったのか・・・」結果が希望に達していれば「次はもっと上を・・・」結局子どもはどんな結果を出そうとも、親から「よし!良くやった。もう満足だ!」とは言ってもらえないのだ。必ず、「もっと・・・」「次は・・・」がやってくる。だから子どもは、親を満足させるために頑張るのをやめるべきだ。だから子どもは、親の顔色をうかがうのをやめるべきだ。親の考える事は、いつでも「同じ」なのだ。1人の個人として「対親」というい考えを捨てよう。親を「内包」してしまえ。親を自分の中に取り込んで、一緒に進むという意識を持とう。親は自分の腸の中で「ピーチク」言っているビフィズス菌のようなものだと思うのだ!切っても切れないものだし、どうせいつまでもついてくるし、いつまで経っても小言は尽きない。だったら、親と向き合うのではなく、親を取り込んでしまえ。親は「自分の元」だ。どんな親だって、「自分の元」なのだ。どんなに嫌がっても、自分は親によって「作られた」存在なのだ。戦ってもしょうがない。嫌っても意味がない。逃げられない。親と自分は一心同体。親を取り込んで、一緒になって頑張ってしまえ。
2006.04.25
僕は毎日40人ほどの塾長のブログをチェックする。更新されればすぐに飛んでいき、マッハで読む。それを毎日繰り返していくと、ある傾向があることに気がつく。それは、多くの塾長の目が、「できる子」よりも「できない子」に向けられていることだ。「できる子」というのは、そもそも勉強やそれ以外の面においても手がかからない。塾が計画したプラン通りに学習を進め、吸収し、予想通りの結果を出してくる。それゆえに塾長も完全に「信頼」しきっているのだろう。だから、記事に登場することは少ない。それに対して「できない子」というのは、全てにおいて手がかかる。塾が計画したようには勉強をしてくれない。成績も予想外のラインをたどる。「なぜ?」「どうして?」「何が原因?」いろいろなことを考えるわけだ。塾長の心に沸いた疑問は、当然に記事になる可能性が高い。どの塾にも「手のかかる生徒」というのはいるようだ。例外はない。どの塾長も、そういった生徒達の成績を少しでも上げようと頑張っていらっしゃる。そして、どうして学力が上がらないのか。どうしてやる気が出ないのか。どうして宿題を忘れるのか。そういう一つ一つに答えを出そうと懸命になっていらっしゃる。答えはすぐには見つからないかもしれない。また塾の力だけでは無理なことかもしれない。だが、そういう意識を持ち続けていくことが大事なのだと思う。松江塾の生徒のやる気は、「ペナテストの結果」として現れる。ペナテストに落ちる子たちに何ができるか・・・おそらく答えに少し近い場所にいるはずだ。考えよう。もっと考えてみよう。何かあるはずだ。
2006.04.25
ペナテストに同じように合格したのに、その後の学力に大きな差が出る場合がある。その原因が知りたくて、ペナテストではない「ちょっとしたテスト」をやってみた。見えてきたのは・・・「重要度の高いものへの意識」の差である。ペナテスト合格後しばらく時間が経っても点数の下がらない子は、「どこな重要なのか」を忘れていないのだ。「基本」とか「核心」と言ってもいい部分をしっかりと覚えているのだ。ペナテスト合格後に時間と比例して点数の下がっていく子は、重要な部分とそうではない部分とを、同じペースで忘れている。両者の間違えている問題をチェックすると、そのことが鮮明に見えてくる。学力キープ者は、細かい部分を忘れることによって、そういう知識を必要とする問題だけを間違える。そして、基本的な重要事項を確認する問題では間違えることが少ない。それに対し点数低下組は、細かい知識を要する問題も、基本的な問題もまんべんなく間違える。人間の記憶力には、そんなに個人差はないと思う。ただ違うのは、「重要な」内容に対するちょっとした意識だと思う。授業に取り組む姿勢の「メリハリ」と言ってもいいかもしれない。「これが大事だ!」と思う内容を、「忘れないようにしなくちゃ!」と思いながらインプットする。それほど大事でもないような内容は、そういう意識で聞く。そういうバランスが取れている子が、結果的にいい点を取っているんじゃないかな。50分間の授業を、全てマックスの集中力で取り組むことは無理だろう。「押さえどころ」をわきまえて取り組めるかどうか・・・後々点数の下がってしまう子は、「50分」という時間を無計画に進んでしまうのだ。だから、途中でくじけてしまう。今日の授業の「肝」は何なのか。それをしっかりと身につける意識が大事だね。まあ、それ「以前の問題」という生徒もいることはいるが・・・
2006.04.25
先ほど、生徒(卒業生)のお母さんが亡くなったという知らせを受けた。心筋梗塞による突然の死だったという。兄弟二人とも塾に来てくれていたので、お母さんとは何度も顔を合わせた。とても明るい、頑張り屋のお母さんだった。生徒の祖父や祖母の死は、何度か経験している。肉親の死に直面した彼らに接するのは、本当に心が痛む。まして母親の死とは・・・言葉がない。お母さんのあの明るい笑顔が脳裏に浮かぶ。ただ、ただご冥福を祈るばかりだ。
2006.04.25
あと数日でゴールデンウィークだ。僕にとって、ゴールデンウィークは特別だ。塾は約一週間の休みに入る。1年に数日の休みしかない塾長たちから見れば「甘い」と言われそうだが、塾にとってのゴールデンウィークとは、「節目の時期」だ。12月31日は、塾にとっては何の意味もない。受験直前の冬期講習の真っ只中だからだ。普通の企業や学校の切り替わりである3月31日だって、春期講習の真っ只中。おまけに、新年度の生徒募集のために、気持ちは張り詰めている時期だ。受験が終わり、新規入塾の波が収まった頃・・・それがゴールデンウィークだ。週6日働いている僕らにとって、「連休」は貴重だ。っていうか土日に休んでいる人達は、仕事をしている感覚を忘れてしまうんじゃないかとも思う。それくらい「連休」はうれしい。申し訳ないと思いながらも「どどーん」と休んで、本当の意味でリフレッシュしたい。もちろん、海外に行くとか、何泊もして温泉にいくなんてことはないのだが。いや・・・、予定を立てたときもあるが、そういう時に限って、子どもが熱を出すんだよね~。普段は日曜日しか一緒にお風呂に入れないから、毎日一緒に入ろうかな~なんていう予定しかないのだが・・・毎年GWというと、海外に行く生徒がやたらと多い。中国やら、東南アジアやら、ハワイやら・・・海外でなくても、国内旅行に4泊5日とか・・・皆さん、本当にすごい。普段お仕事を頑張っているお父さん・お母さんの姿を見ている子どもはいいよね。頑張った先には、こういう人生が待ってるんだ!!!という強烈なお手本が身近にあるのだから。
2006.04.24
4月も終盤になり、そろそろ各学年で「ペナ部長」を決める時期が近づいてきた。部長たるもの、出席率が高くなければならない。ペナ部100%出席が望ましい。ペナ部長の仕事は・・・部員達に「ペナ部に来るな~!」と叱咤激励しながら、自らもペナ部脱出を目指すこと。さあ、今のところの候補は・・・・・おまえだ~!!!!自分で分かってるね!!!君だよ! き・み!!!部長になったからといって、間違っても喜ぶなよ!?
2006.04.24
今日の猫ギター先生の記事を読んで、あることを思い出した。一昨年の夏、夏期講習の講師がどうしても足りなくなり、講師を探した。手を回して、○○ゆうかんの「選抜クラス担当者」を臨時に採用することができた。授業の評価は・・・・・・・・まあそれは別として、○○ゆうかんのような大手塾の講師から「面白い話」を聞くことができた。それは「ストッパー」の存在についてである。野球において「ストッパー」と言えばすぐにわかるだろうが、塾における「ストッパー」とは何か。その先生曰く、「その生徒が在籍していると、他の生徒が入塾してこない」つまり、他の生徒の入塾を「止めてしまう」ストッパーなのだ。なかなか生徒が増えない学年やクラスがあると、まずストッパーの存在を疑え、というのだ。小・中学生が塾を探す場合、「授業の質」や「講師のレベル」を考える子は少ない。ましてや、「合格実績」を理由に入塾する子なんてごく一部だ。多くの場合は、「○○ちゃんが通っているから」入塾するのだ。お母さんから見ても、「あの優秀な○○ちゃん」が通っている塾なら、いい塾に違いない!と思うのだろう。そして、その対極にいるのが「ストッパー」なのだ。「○○ちゃんが通っているから入らない。」親としても「あの○○ちゃんが通っているから、やめようかしら・・・」となるのだ。その塾には、「ストッパー対策マニュアル」があるらしいのだが、ちょっと「酷すぎる」ので、書くのはやめておこう。今思い出すと、大手塾のやることはとてもおもしろい。ありとあらゆることを、調査し、データ化しているところに、嫌悪感も感じるが、感心もした。びっくりしたのが、「男性講師」と「女性講師」では、どちらの退塾率が高いか、という調査。でも、一番びっくりしたのは、「若くてきれいな女性講師」と「そうではない女性講師」の退塾率比較調査だろう。調査対象となった女性講師達は、この調査の存在を知っていたのだろうか・・・近所の塾なので、余り詳しく書くと問題になりそうなので書かないが、大手塾のやることは「おもしろい」よね。
2006.04.24
昨日は下の娘が中耳炎だったため、外遊びを避けて図書館へGO!図書館に入るやいなや、長男は絵本のコーナーへ一直線。早速読みたい本を物色し始め、すぐに「虫図鑑」を手に取り閲覧席へ。娘も「あんぱんまん」「のんたん」のコーナーへ一直線。そこですぐに「あんぱんまん」を手に取り、床に広げて読み始める。もちろん、床で読むのは迷惑なので机にGO。二人とも「本好き」になってきたのでうれしい限りだ。だが、しばらくすると二人に差がでる。長男は「パパッ!」と僕を呼び、一緒に見るように誘う。まだまだ絵のほうに意識が行くが、「何て書いてあるの?」の一言で、「あ・し・な・が・ば・ち・・・あしながばちだって!!」というようなやり取りができる。一文字一文字を読み、それをつなげて「名詞」として理解するようだ。下の娘も、本に食いつくのだが、自分で「読む」というレベルではない。まだ2歳だから当たり前なのだが・・・しばらく「絵」を眺めて、すぐに飽きるようだ。まだ「読み聞かせ」レベルだな。そんな子供達の様子を見ていて、思った。「本」というものは、人間にとって「興味」の対象なのだ。しかも遺伝子に組み込まれているレベルで、みんな「本が好き」なのだ。みんな生まれたときは「本が好き」になるようにインプットされた状態でこの世に出てくるのだ。もし息子に「ひらがな」と「カタカナ」を教えていなかったらどうだろう。下の娘と同じように、4歳になっても「絵」だけに興味を示し、周りの大人が「読み聞かせ」をしなければ飽きてしまっただろう。彼は「本が好き」という本能を、「文字が読める能力」を手に入れたことで満たしているのだ。小学校低学年・中学年の国語の授業をやっていると、みんな「音読」をやりたがることに気がつく。みんな「読みたい」のだ。だが、高学年になって「漢字」が読めない子は、「音読」を嫌う。読みたいのだが、読めない文字が恐いのだ。そういう子でも、漢字をマスターしてから読ませると、実に「生き生きと」「楽しそうに」音読をする。「意味のある言葉」を「声」に出して何かを伝えると言う「人間」だけに許されたことを、実に気持ちよさそうにやっているのだ。大声で叫ぶと気持ちがいい。歌を歌うと気持ちがいい。みんな「声」に出して「読みたい」のだ。それを邪魔しているもの・・・それが「漢字」だ。だったら取り除くまでだろう。さっさと漢字をマスターしてもらおうかな。
2006.04.24
1年を通して、春は入塾のピークだ。と同時に、退塾が一番多い時期でもある。退塾が少ない松江塾でも、今年はすでに4人の退塾者が出てしまっている。いずれも、松江塾の激烈っぷりが肌に合わないことが原因の退塾だ。「頑張り力」が「5」しかない子どもが、「10」の頑張りを求める松江塾にいても辛いだけなのかもしれない。まあ、そこで子どもの頑張り力を10に近づけていくことが塾の先生の役目であり、親の役目であり、本人の役目なのだが・・・「5」しか頑張れない子が、「10」を求める松江塾から去って「5」を求める塾に行ったらその子の頑張り力は「3」に落ちることになるのだが・・・まあ、それはさておき・・・退塾した子について、時間をさかのぼって考えてみると、その子の中に「やめたい」という気持ちが芽生える「きっかけ」があることに気がつく。それは・・・「たった一回の欠席」である。退塾した子それぞれに、「気になる欠席」があったのだ。明らかな「病欠」でもなく、明らかな「都合」でもない・・・「気になる欠席」である。前から書いているが、生徒の「出席状況」は、その生徒の全てを表している。中学の3年間を通して、学業・生活・部活において「笑顔で」駆け抜けていく子は、塾の欠席が極端に少ない。おそらく3年間で1~2回ではないだろうか。本人だけの努力ではない。長期休暇の旅行やちょっとした家族の外出であっても、塾を優先してくれている「ご家族の努力」を感じる。話を元に戻すが、たとえ1回の欠席であっても、影響は大きい。どんな子でも、欠席した日から2、3回の授業に影響が出ている気がする。授業を休めば、次の授業の頭のペナテストは全滅だ。そして、ペナテストができなかったことで打ちのめされている状態で、1回分抜けてしまったところからの授業がはじまるのだ。当然分からない。そのまま放置しておけば、次のペナテストだって落ちることが確定だ。それを自力で切り抜けられる子は、欠席するまでの授業が完璧な子だけだろう。普段ペナテストで落ちることがまずない生徒が、欠席後のペナテストで40点とか取ると、「ああ、欠席の影響は甚大だな」と痛感する。1回の欠席がもたらすものは、勉強が分からないことテストに落ちること屈辱感を味わうこと焦燥感を感じること疎外感を感じることいろいろある。小学校や中学校の時に、たった1日学校を休んだだけで、次の日に自分だけがちょっとみんなの輪の中に入れないような気がするのと同じだ。ただでさえそんな空気なのに、勉強が分からないという「ダブルショック」を感じたら・・・ちょうど学校や部活が終わり、ほっと一息ついたときに、足が塾に向かなくなるのもわかる。では、塾はどうすればいいのか。欠席者のために「フォロー」をすべきか。これは難しい問題だと思う。欠席者へのフォローを充実させればさせるほど、「生の授業」を受ける必要性が減っていく。「どうせ、あとでDVDを見ればいいや・・・」「あとで個別授業でフォローしてもらえるし・・・」塾の授業は「生もの」だ。たとえその場で「冷凍」し、後で「解凍」しても鮮度とうまさは確実に落ちている。「生もの」の価値を分かっている子たちは問題ないが、中には「冷凍もの」でもいいや、という子だって出てくるだろう。正直、僕は欠席者へのフォローをしたくない。多少微熱があっても学校へは行くのだから、塾だって来て欲しい。暴論かもしれないが、学校と塾では「1日の欠席」の重さが違う。明らかに「塾の欠席」のほうが重い。でも多くの人は「逆」なんだよね。さてさて、まとまらないな。塾をやめるきっかけは「1日の欠席」だ。その後のフォローで、その生徒は辞めないかもしれない。だがそのフォローが、その生徒の「頑張り力」を下げてしまうことになったら・・・僕が目指しているものとは違ってくる。自分が目指している塾のスタイルを破ってまで、退塾者を減らすか・・・それはないだろうな。保護者のほとんどが、「爆裂松江塾」を支持してくれているのだ。「ちょっと休んでもあとからフォローするからどうぞ休んでね松江塾」を指示しているとは思えない。厳しい姿勢を貫いていらっしゃる保護者は、「そういう塾」を見抜く眼力を持ってくれているはずだ。どの保護者も「理想の子育て」を追求していると思う。その「理想の子育て」と松江塾の方針が合致しているからこその通塾であろう。それが合わなければ、「マイルドな塾」を探してもらえればいいのだ。松江塾は「一般受け」をするつもりで運営はしていない。近隣小中学校のシェア5%で十分だ。100人の保護者の中で、5人の保護者の賛同で十分運営できるのだ。「価値」のわかる5人の保護者に支えられながら、これからも頑張っていきたい。なんだかまとまらないが、今日の一発目の記事はこんな感じ。
2006.04.24
今日はある授業で、やってはいけないことをした。「挫けた」のである。土曜日は、部活をやってから来る子が多い。しかも今は大会前らしく、朝の7時集合なんていう部活もある。教室に入った瞬間から、空気が「おもーい」のだ。教室中に「疲労感」が漂っているのだ。それでもSクラスの面々は、授業が始まると目の色が変わる。特に明日は北辰テストだ。私立入試の「7分の1」を意味する重要なテストだ。目標が定まり、上を目指す者にとって、テスト前日の塾の授業は貴重なのだ。僕が挫けたクラスは「Aクラス」だった。本当に「ガス欠」だった。余りに無反応。余りに無気力。余りに・・・一喝しよう!笑顔で励まそう!そう思った。そして大きく息を吸い込んだのだが・・・その吸い込んだ息が・・・「声」ではなく、「ため息」になってしまったのだ・・・やってはいけないことだ。一回溜め込んだ気合いを「ため息」で出してしまうと、体の力が一気に抜けるのだ。授業時間はあと「20分」あった。だが、気力が消滅してしまった。僕が無言のまま突っ立っていることに全員が気がつくまでに数分かかった。そんなレベルの空気だったのだ。僕は授業を中断した。「今日の授業はやめよう・・・」僕の口から出た言葉はこれだった。そして、本当に授業をやめた。笑顔でやめた。数分後・・・僕の言ったことが冗談ではないことに全員が気がついた。教室が一瞬で凍りつき、さっきまで眠そうにしていた生徒の目がいつもの1.5倍に拡大した。必死に長文を読み始める。手を動かす。僕は止まったままだ。なんだよ~。やればできるじゃん。初めからやってくれよぅ。でも、みんなの心臓には悪いことをしたかな。
2006.04.22
今日は中1の教科書本文に取り組んだ。文法事項としては、「一般動詞の文」だ。塾の授業でBe動詞と一般動詞の文をしっかりと区別できた彼らにとって、また英文の基本的な「順番」を体得した彼らにとって、教科書の英文は「単語」さえ覚えれば簡単なものだ。ただ単に意味を言うのでは「つまらない」授業に成り下がる。僕の「教科書本文」の解説はすさまじい。授業が終わると、髪がぼさぼさになる。声がつぶれる。生徒達の腹筋は痛くなる。そして何より、強烈に本文を印象に残すことになるのだ。僕にとって、教科書本文の「!」はおいしい過ぎる。僕にとって、「Oh, really?」は天の恵みだ。僕にとって、「Thank you.」は絶好のネタだ。中学の英語のテストは、教科書本文だけで7割は取れる。逆に言えば、教科書本文をおろそかにすると、あと一歩のところで点が止まる。だから、中1・2生は「教科書命」で行く。だから松江塾の英語の平均点は、学校平均を20点も上回るのだ。それにしても、この授業をやると、2キロはやせる気がする。ダイエット競争をしている塾長先生方、やってみます?やせますよ。
2006.04.22
僕らは少し考えすぎなのかもしれない。「勉強のできる子とできない子の差」たとえば、勉強に対する意識の差だと考えたり、家庭環境の差だったり、親の意識の差だったり、将来に対する考え方の差だったり、・・・とにかく何が「学力差」を生じさせているのかについて、余りにリアルな子供達の状態とかけ離れたところで考えすぎてやしないか?勉強のできる子が、そんなにしっかりとした意識を持っているのか。勉強のできる子が、そんなに具体的な将来のビジョンを持っているのか。そんなことはないはずだ。話はもっと単純かもしれない。僕らが日々やろうとして、いい方法が見つからずにもがき苦しんでいることは、僕らの仕事ではないのではないか。確かに「根っこ」を変えるのが一番いい方法だと思うが、そんなことができるのか?親ができなくてもがいているものを、一塾講師にできるのか?「成績を上げること」のみに特化すれば、方法はもっと単純なんじゃないか?ただその方法を実践する段階で、その生徒の「人間性」が改善すれば、もっともっと伸びることに気がついてしまうから「遠回り」をするんじゃないだろうか。親は塾に対して、子どもの性格や人間性を変えることまで望んでいるか?いや、望んではいないだろう。塾にそんなことができるとは、初めから思っていないだろう。そんないつ終わるとも知れない、答えが出るとも限らないものにもがいていても、目の前の生徒の「直近のテストの点」は上がらない。もっとシンプルなはずだ。「何かをシンプルにする作業は、決してシンプルではない。」という言葉もあるが、進むべき方向を間違ってはいけない。ここは塾だ。「親」の気持ちで接しているが、プロの「親」である前に、プロの「塾講師」なのだ。プロとして、もう一度進むべき方向性を確認したい。
2006.04.22
幼稚園のお迎えママ友だちに、「背中に刺青」を入れている人がいる。僕が直接知り合ったわけではなく、奥さんが最初に知り合いになり、その後僕に紹介してくれたのだ。知り合いになる前から、背中の刺青(柄から見て、タトゥーを言うべきか)が気になってはいたのだ。背中の大きく見えるカットソーを着ていることが多かったからね。奥さんを通じて聞いたのだが、そのママの波乱万丈の人生はすさまじい。16歳で結婚17歳で離婚19歳で再婚2児を出産現在に至る・・・何歳の時に背中に刺青を入れたのか分からないが、彼女の人生に「勉強」という言葉は全くと言っていいほど出てこない。もちろん高校にも行かなかったらしい。でも今は、2児のママとして育児に追われる毎日に充実しているようだ。その「刺青ママ」が、僕が塾の先生だというのを知ったとき、笑顔だったが目は真剣に言った言葉・・・それが僕の胸に響いた。「あ~、もっと勉強しておきたかったな・・・」今、目の前の勉強が辛いなどと言って、逃げることばかりを考えている子達に、彼女の「生の声」を聞かせてあげたい。学校に行って勉強ができ、加えて親にお金を出してもらって塾でも勉強ができることが、どれほど「恵まれている」ことか・・・子どもの手を引いて幼稚園から遠ざかる、彼女の「背中のバタフライ」が何か言いたげだったな・・・
2006.04.21
生徒が問題を解いているときに机の間をふらふらしていると、「鉛筆の持ち方」がおかしい子がいることに気がつく。いろいろな持ち方があるんだな~と感心するくらいだ。全員の鉛筆の持ち方をチェックしてから前に戻り、見渡しながら「成績」のことを考えてみる。すると・・・鉛筆の持ち方がおかしい子は、やはり成績が低いのである。鉛筆の持ち方と成績には相関関係があるのかと思い、もう一度机の間をうろついてみる。鉛筆の持ち方がおかしい子は、字を書くスピードが遅いから成績が低いのか?そう思ったからだ。ところが鉛筆の持ち方がおかしくても、その子たちはスラスラと書いているのだ。別に文字が不自然ということもない。どうやら鉛筆の持ち方と成績には相関関係がないらしい。では鉛筆の持ち方と成績の一致はどう説明する?僕が思うに、鉛筆の持ち方は小学校1年生か幼稚園で教わるはずだ。そのときに、先生が説明したはずだ。それをしっかりと聞き、言われたとおりに持つ。そしてその持ち方で練習をし、間違った持ち方をしていれば、その都度直す。その繰り返しで正しい持ち方を定着させていくのだろう。正しい持ち方をしている子は、このプロセスをしっかりとこなしてきたのだ。加えて、幼少期の勉強を「親」がしっかりと見ていたことも想像できる。親の前で鉛筆を持つ。変な持ち方をしていれば、その都度親が指摘したはずだ。(きっと、おかしい持ち方をしている子は、なかなかのやり手なんだね。幼稚園の先生、学校の先生、そして親の目を潜り抜けてきたわけだから。)鉛筆の持ち方一つにしても、「指示通りにやる」ということができていなかったわけだから、その後の勉強でも、何かしらの「取りこぼし」があったことも納得できる。ただし、ここまで書いてきてなんだが、僕はこの話の超例外を知っている。「木下さん」だ。覚えている人はいるだろうか。僕の小学校時代の同級生だ。小学生時代に同じ塾に通い、地元の公立中学から「慶應女子」と「お茶の水女子」にダブル合格慶應女子に進学したが、慶応大学の医学部に不満を感じて、東大医学部に進学した「才女」である。その木下さん・・・僕が今までに見た中で、一番「おかしな」持ち方をする人である。僕は小学校時代にその持ち方を散々馬鹿にした。同じ持ち方では、文字が書けないような持ち方である。左手で書いたほうが上手に書けるくらいだ。説明しづらいが、鉛筆を「人差し指と中指の間」にはさむのだ。あれほどおかしな持ち方をする子には、会ったことがない。でも東大医学部に現役合格だ。やはり関係があるのか、ないのか・・・
2006.04.21
毎年この時期になると、塾内に黄色い声が響き渡る。黄色い声の主は・・・中3女子黄色い声が向けられる相手は・・・中1男子その黄色い声とは・・・「きゃわいい~!!」である。「かわいい」のではない。「きゃわいい」のである。彼女達に、初めて「母性」が芽生えている瞬間だろうか。その顔つきは、「お母さん」のようだ。一方で中1の男子も、初めて「外見を評価される」瞬間だろうか。その顔つきは、「かわいい少年」になっている。どちらの姿も、普段の授業の中では見ることのできないものだ。でも中3女子に言っておこう。彼らは決して「きゃわいく」はない。ちょっとした「下ネタ」でウヒャウヒャ喜ぶ「男子予備軍」である。君達の周りにいる、「キモイ同級生の男子」とスレスレである。それから中1男子にも言っておこう。2歳年上の女子に「きゃわいい」と言われることは、男として「屈辱」である。彼女らが発している「きゃわいい!」は、子犬や子猫に向けられた「かわいい~っ!」と同種である。そういう対象になって、ヘラヘラしているのも「どうか」と思うぞ。まあよい。どっちにしても、塾内が「黄色い声」に包まれる数少ないチャンスだ。存分に「お母さん」になるが良い。存分に「子犬ちゃん」になるが良い。僕は「オヤジ犬」になるから。向けられる声は・・・そうだな・・・・・「きもかわいい~!」でいいや。
2006.04.21
僕が子どもの頃、父親に毎日のように言われていた言葉だ。「自分の頭を使え!」よほど何回も言われたのだろう。僕も今父親になり、自然と子ども達に向けて発している。もちろん、父親と全く同じ台詞はしゃくなので、ちょっとアレンジを加えている。「自分の脳みそで考えろよ!」である。僕は子どもに助けを求められても、応じることはない。もちろん、物理的・能力的にあまりに無理な場合は手を貸すが・・・例えば、洋服のチャックがしめられないとか、ボタンがはずせないとか、お菓子の袋が開けられないとか、靴がうまく履けないとか、おもちゃがひっかかって出せないとか、そう言うときの「パパ、○○やって!」という言葉には絶対に応じない。そして、先ほどの言葉をかける。「自分の脳みそで考えてやりなさい。」そして、まずトラブルを起こしている部分を観察させる。もちろん一緒に観察する。例えば、チャックが閉められないときであれば、一回チャックを完全にはずさせ、チャックというものはどういう仕組みで上がったり下がったりするのか、そして、どことどこをくっつけてから上に引き上げるのかを観察させる。そして、順番にやらせてみる。なるべくゆっくりと・・・まず、服の右と左の高さを合わせ、そして、チャックの金具に右の金具をはめる。しっかりとはまったことを確認させて、静かに引き上げさせる。そうすると、チャックはするすると上に上がっていく。その間、僕は絶対に手を貸さない。絶対にだ。子どもはチャックが簡単に閉められたことに大喜びだ。「ほら、じっくりと考えながらやれば、絶対にできるだろ?ママに報告してきなさい。」すると子どもは大喜びで奥さんのほうに走っていく。「ママ~!チャック出来たよ!」子どものチャックを親自らが閉めてやる事など簡単なことだ。」だがそれは同時に大きなチャンスを殺していることになる。チャックを閉められるようになるかどうかのチャンスではない。そんな小さいものではない。「困難にぶつかったとき、誰かが助けてくれるだろう」という考えが定着するのを防ぎ、「何が原因で困難が生じているのか」を考えさせ、「自分の力で困難を切り抜けること」を「自分の脳みそ」で考えるチャンスだ。子どもの諸々の動作に「親」が介入することは、確実に子どもを駄目にする。よく何かを「やってあげる」という言葉を耳にする。「できないの?じゃあママがやってあげる!」・・・これである。「やってあげる」ではなく、「やってしまっている」のだ。子どもが困難に直面している。子どもにとっては重大なことだが、親から見れば造作もないことだ。ついつい手をさしのべてしまうのもわかる。だが日々のそうしたことの積み重ねが、自分では何も出来ない子自分から進んでやらない子自分で考えられない子周りを見れない子を作り上げていることに気がつかなければならない。子どものために「良かれ」と思ってやっていることが、親自らの手で子どもを「破壊」しているようなものだ。子どもには、「自分でやらせる」ことを心がけたい。「やらせる」というと、何か冷たい、強制的な、そして放任なニュアンスを感じるが、それこそ「愛」に満ちた言葉である。「あなたのためを思って、やらせてあげる」のである。子どもは自分の目と手と体を使っているときだけ、自分の脳みそを使っている。その繰り返しが、やがて「勉強」という困難に直面したとき「花開く」のだ。「自分の脳みそを使えよ!」なんて、なかなか言う機会はないんじゃない?と思った人、日々の生活において、ちょっと意識して欲しい。気がつくはずだ。何気ない場面で、「自分の脳みそを・・・」と言うチャンスが転がっていることを。
2006.04.21
ペナ部は名前を見ると、授業をマスターできていない生徒に「ペナルティー」を課すシステムのように思えるが、その実態はそうではない。授業をマスターできていない生徒を「フォロー」するシステムだ。ただしその際に「補習」や「補講」を一切やらないだけだ。授業が分からなくても「補習」をしてくれると思えば、真剣に授業を聞くことはなくなるだろう。「どうせ補習でやればいいし・・・」となるのだ。勉強に対しては、常に「能動的」でいてもらいたい。「教えてくれる」とか「分からせてくれる」なんていうものを期待している子は、一生できるようにはならないだろう。常に「前向き」で勉強すべし!!松江塾では、「授業→ペナテスト→追試→ペナ部→追追試→宿題」がワンセットだ。不定詞の名詞的用法一個だけでこの流れになる。各単元につき、これだけの厚みをもったフォローシステムを実行している塾は、多くはないだろう。「フォロー」・・・何か親切めいたイメージの言葉だよね。僕はこの言葉が嫌いだ。だから「フォロ部」ではなく「ペナ部」にしている。事実、講師の態度や説明の丁寧さ、生徒の扱いは、後になればなるほど「フォロー」ではなく「ペナ」の色合いを濃くしていく。特に僕は、追試を落ちた時点で「冷酷マシーン」になっている。追試を落ちてペナ部のプリントをやっている生徒に「先生~、現在完了が全然わかんないんですけど~」と言われても、「ふ~ん、ペナプリ頑張れば大丈夫じゃない?」くらいしか言わない。生徒としては、こんな言葉を期待しているのか・・・「まじ?じゃあ、教えてあげるよ。現在完了って言うのはね・・・」おいおい・・・じゃあ、あの授業は何だったんだよ。じゃあ、テストまでの3日間は何だったんだよ。じゃあ、追試までの1日は何だったんだよ。目の前に次から次へと広げられるチャンスをことごとく無駄にしてきたのに、いまさら何をおっしゃっている!?だから追試に落ちたら、教室の隅っこで小さくなってコリコリと勉強をしなさい。授業を無駄にし、ペナテストを無駄にし、追試を無駄にした人間に、「全然分からないんですけど~」という権利があるのか?????僕の授業で何かを掴み取らなかった者は、補習だろうが補講だろうが何かを掴み取ることはないだろう。だから、大量のプリントを自力でやってもらうのだ。これは「フォロー」か?これは「ペナルティ」か?僕の気持ちとしては「ペナルティ」やっている事は「フォロー」というところが正しいか。ペナ部の行き着く先・・・それは・・・ポイズン!!!!!うらっ!!!!何だかよく分からんな。この記事。
2006.04.20
中学では、今年度から教科書が改定された。ご存知のようにゆとり教育が終わり、教科書の難易度が上がっている。今年の中3生は悲惨だ。中1、中2の時に学んだ教科書は「へぼへぼ」だ。今年の教科書には、中1、2年の時に学んでいない単語がうじゃうじゃ出てくる。それでも新しい教科書で、「全部学んできたもの」として頑張らなくてはならないのだ。ちょっと単語攻めで行こうかな。いくら受験生でも、「覚えておきなさいよ」と言ってもなかなか覚えないからね。ペナテストとして、中1・2年の英単語をやるか~!!そうすると、ペナテストのボリュームが上がるな~ま、いいか。それをやり抜けば、英語の塾内偏差値は10アップだね!!
2006.04.20
今日は小6生の漢字テストがある。数人が1時間近くも前から塾に来て練習をしている。その隣には、漢字道場に来ている小4生。隣の教室には、計算道場に来ている小3生の女の子達がたくさんいる。最近特に思うのだが、漢字練習をしているときの集中力がすごい。計算をやっている子も「もりもり」やっているのだが、何かが違う。何だ・・・そうだ・・・「姿勢」だ。計算は「スポーツ」だと思う。姿勢よりも、気持ちが先行して、前のめりになって解いている子が多い。それに対して漢字練習をしている子たちは、背筋が伸びていて綺麗だ。小学校の「硬筆」の授業の影響か、それとも日本人のDNAの影響か。いずれにしても、漢字練習をしているときの集中力はすばらしい。
2006.04.20
あと5000アクセスくらいで、100000アクセスに到達する。来週中には達成できるペースだね。記事も550件を超えた。まあ~、よくここまで書いたもんだ。ちゃんと読んでくれている人がいるから頑張れるんだよね。僕も生徒を「見つめ続けよう」!そうすれば、みんな頑張れるからね。
2006.04.20
中1生のSクラスメンバー、10名中9名が世界の主要国と47都道府県を完全マスターした。あと1名は・・・・・頑張れよぅ!!明日追試ね。さて中学校の社会の最初の授業で「どれくらい国名を知ってますか?」みたいな質問があったらしい。塾生には、超基本の45国を覚えさせた。これらは、全て地図で指し示すことのできる国の数だ。地図上では分からなくても、国名だけを知っているというものを入れればもっと多いはずだ。塾生のSが、60個をすらすらと言ったところ、その社会の先生がSのことを他のクラスでも言ったらしい。「他のクラスでは、60個も言えた子がいましたよ・・・」と。うれしいね~。松江っ子たち!!学校で頑張ってるね!!子どもが勉強でヒーローになり、自信をつけるには「計算のスピード」か「知識の多さ」が手っ取り早い。僕がよく生徒に向かって言う言葉に、「知識は決して裏切らないからね!!」というのがある。結局のところ、「テストの点=知識量」だと思う。ということは、いかに「分からせるか」よりもいかに「覚えさせるか」を追求したほうが、得点は上がるんだね。漢字公式年号元素記号地図単語古文僕ら大人の頭の中に入っている事柄で、すでに「常識」となっているものでも、必ずそれを「覚えた」時があったはずである。僕ら大人には、知識を伝えると同時に「覚えさせる」義務がある。彼ら学生は、僕ら大人の常識をはるかに超えて「覚えること」ができる。圧倒的な量を、どんどん覚えていけるのだ。中学の先生!松江っ子以外の中学生!!松江っ子たちの知識量に驚くがいい!!現中1生は小6の時に「春はあけぼの」を完全暗記しているよ~!!そんなのは序の口だからね~!!中1なのに、日付変更線をまたぐ時差の計算だってできるよ~!!驚くだろうな~。と同時に、松江っ子たちは「優越感」を感じられるんだろうな~。勉強ができるって・・・こんなにも楽しいことなんだね!!ってみんな感じているかな?今日も子供達からたくさんパワーがもらえたな。記事も「うきうき」してる感じだね~。という記事を書いているときも・・・目の前で高1生が単語テストの居残りを食らっている。頭をくしゃくしゃしながらもがいてる。頑張れよ~!おい!来月のシフトを書きに来た高校生達!!早く帰って、単語を覚えろよ!!頼むから「セーラー服を脱がさないで」の着メロはやめてくれ!!!!馬鹿っぽいから・・・
2006.04.19
小学生に漢字学習を徹底させている。中学や高校において、一番成績を上げづらいのが「国語」だ。原因は「読解力不足」のみ。その読解力を支えるのが「読書量」その読書量を支えるのが「漢字力」と「語彙力」語彙力が少ない子の場合、知らない言葉は漢字で書かれた「熟語」であることが多い。つまり突き詰めていくと、「漢字力不足」にたどり着く。漢字が読めれば文が読める。文が読めれば知らない言葉も減っていく。知らない言葉が減れば、文章の理解力も伸びる。そうすれば問題も当たり前のように解けるのだ。今小学生達にどんどん漢字を詰め込んでいる。批判もあるかもしれないが、極端な「詰め込み」をしている。今まで教科書を読むことが嫌いだった生徒から、学校の授業中に、教科書を読むことが嫌ではなくなったという話を聞くようになった。いい傾向だ。小学生の吸収力はすごい。読み方や書き方を覚えるだけで、その文字を「生きた言葉」として吸収していく。見ていて気持ちがいいくらいだ。本当は、読解問題を一緒に解きたいという衝動に駆られるときもある。だが、「急がば回れ」だな。漢字漢字漢字・・・もうちょっとで、全学年で漢字を全て終了するよ~
2006.04.19
僕は授業中に、生徒の成績や得点を口にすることが多い。特に中3の場合は、全員の得点などを黒板に書き出す事だってある。なぜか。松江っ子は、「仲間」である。松江っ子が一つの固まりなって、これから受験というものに立ち向かっていくときである。そのときに、誰が今どのくらいの学力なのかをお互いに知っておくことは大事なことだと思うからだ。例えば、英語の授業中に、Nという生徒の成績をみんなに伝えた。Nは、1学期に「2」、2学期に「3」、3学期に「4」と激烈に成績を上げたのだ。その話を聞きながら、この1年間のNの頑張りを、生徒みんなが思い出したはずだ。最初は「ペナ部長」と言われていたN・・・でも、クラスでただ1人だけ合格することが増え始めたN・・・誰も答えられない問題を、最後に答えるN・・・僕が手を離せないときに、「おいN!その問題、あいつに説明しておいてくれる?」と頼まれているN・・・「そういえば、Nはむちゃくちゃ頑張っていたな・・・」Nの成績の話を聞きながら、みんなが思い出すのだ。そうだ。自分はこれから何をすべきか。逆の場合もそうだ。成績がどんなに悪くても、それを隠すことを僕はしない。その子のこれからのことを思って、堂々と発表する。北辰テストで偏差値39・・・それでも公開する。なぜか・・・みんなはその子の成績を見ながら思い出すはずだ。その子は授業を毎回遅刻する。何だかんだと理由をつけて欠席をしている。ペナテストに合格したのを見たことがない。ペナ部でも私語が多い。いい加減な態度。そういうことを話を聞きながら思い出すはずだ。その話をされている本人だって、みんな以上に自分の今までを省みているはずだ。そして気がつくのだ。これからの自分は何をすべきか。自分の成績は、見ることができて当たり前だ。見れて当たり前のものを見ても、新鮮味はない。普段見ることができないものを見たとき、人は「どきどき」し、何かを感じるはずだ。その効果を期待して、僕は成績をオープンにする。これから楽しいことも辛いことも共有していく仲間達だ。言ってみれば、「家族」のようなものだろう。それは今の高校部の先輩達を見ていれば分かるよね。仲間ならば、家族ならば、隠し事は必要ない。僕はそう思う。
2006.04.19
今日は息子の通う幼稚園の役員決めの日だった。年少の時には何の役員にもならなかったので、今年あたりは何かやるのかと思い、覚悟を決めて今日のこの日を待っていた。ところが、だ。役員決めの今日のイベント名は「母の会」。詳しく聞くと、「母限定」らしい。おいおいおいおいおいおい・・・・・去年もそうだったっけ?残念ながら、去年のこの時期は今のテナントに移動するために「てんやわんや」の日々を送っていたために、役員決めのイベントに行くことは最初から決めていなかったようだ。塾という商売をしている以上、幼稚園は「同業者」のようなものだ。その仕事っぷりを見てみようと思っていたのに・・・「母の会」ですか・・・でも、役員に男手があってもいいと思うけど・・・幼稚園の役員会などは、閉鎖的な「女の園」なのかな。ちょっとした役員の集まりの時に男が1人でもいると、何かと話しづらいときもあるのかもね。なんか幼稚園って、保護者を「母親」に限定している空気が漂ってるんだけど、気のせいかな。小学校になってもそうなんだろうか・・・
2006.04.19
僕には二人の子どもがいる。4歳の息子と2歳の娘だ。僕の子育ての柱は・・・挨拶と返事を徹底し、目を見て聞き目を見て話し何事も「じっくりと」観察し、自分の「脳」を使って考えまず自分でやることこれだけだ。これを徹底している。英会話教室や水泳教室、公文などに通っている同級生もいるようだが、そういうことはどうでもいい。今は「基礎」を固める時期だと思っている。英語で挨拶ができ、ちょっと泳げて、文字が読めることよりも、大事なことがあると思っている。それを徹底的にやっている。あ・・・それから、テレビは見せていない。それは僕のポリシー僕がそう育てられたからね。
2006.04.18
今年の春に卒業した生徒に、「Kりん」という生徒がいる。Kりんは中学でトップ層に君臨した子だ。定期テスト前の期間中、ペナテスト合格率100%を達成した唯一の生徒でもある。当然に進学した高校も、県内トップレベルの公立女子高だ。そんなKりんについて、ぜひ書いておきたいことがある。Kりんは、小6の3月から松江っ子になったのだが、そのときに持っていた「ドラえもんみたいな消しゴム」を受験が終わるなで使い続けたのだ。最初にその消しゴムを見たときは、ほぼ「まん丸」だった。顔も完璧な形をしていた。だが日々の勉強の中で磨り減り、いつしか目は半分になり、まん丸だった輪郭も楕円形になっていった・・・。Kりんはその消しゴムを「塾用」として使い続けたのだ。つまり、松江塾の3年間をずっと見続けた消しゴムだ。そんな消しゴムを受験の時に持って行ったかどうかは聞いていない。でも、たかが文房具でも、自分とずっと一緒にいる存在は心強いと思う。生徒の中には、ちょくちょく文房具を変える子も多い。それを悪いとは言わないが、「物」に対する執着心は大事だと思う。成績と執着心には相関関係がある。消しゴム1個は数十円だろう。シャープペン1本は数百円だ。気軽に買い与えることができる金額だ。だが、文房具一つへの「執着心」を育てることも大事だと思う。
2006.04.18
学校でどういう訳し方を習ったのか分からないが、主語を訳した後で、すぐに文末の単語を訳す癖がついてしまっている場合がある。大学受験の時も、英文は「後ろから」訳す、なんていうアホなことを言っている先生もいたのを思い出す。ありえないよね。だって、文章は前からしゃべり、前から聞こえていくわけだから。最後まで聞いて、最後の単語から意味を理解していく人なんていないよね。英文は、絶対に前から訳すのだ。たとえきれいな日本語に並べ替えたとき、後ろの単語から並んでいるように見えても、訳していくときは「前から」だ。絶対に!!だいちいちきれいな日本語に並べ替えなくてもいいから、前から「ざくざく」訳していくのだ~!!!
2006.04.18
生徒が1人来ない。もう数週間見ていない。学校には来ているそうだ。その生徒の学年は、定員いっぱいになっている。規定上、もう誰も入塾できない状況だ。だが、入塾希望は後を絶たない。その生徒のための座席は常に「1席」空いている状態なのだ。だが、入塾は断らなければならない。やる気のない生徒が籍だけ置いていて欠席を続け、やる気があって入塾したい生徒が来れないのはどうかと思う。退塾してもらうしかないかな。授業に来ても、ペナテストは絶対に落ちる。前の授業に出ていないのだから、これは当たり前。でも、ペナ部には来ない。これじゃ絶対に成績を上げられない。決して安くはない月謝を払っていただいているのに、この状況は申し訳がない。やめてもらうしかないね。今日伝えよう。
2006.04.18
幼稚園での出来事だ。おとといの夜、奥さんから聞いたのだが・・・最近幼稚園では制服の帽子をフリスビーのようにして投げる遊びが流行っているらしい。園児達は、誰の帽子かは構わずに投げまくっているそうだ。たまたまその日、A君という年中組の子が、年中から2年保育で入園してきたB君の帽子を投げたのだ。それも、お迎えの時間に・・・その瞬間、帽子を投げられたB君のお母さんが、周りのお母さん達がドン引きするくらいの怒声で、A君を怒ったのだ。幼稚園には一瞬の静寂。そして、A君の泣き声。B君のお母さんの怒りは収まらず、A君のママを探し出し、「帽子は洗えないのに、ひどいじゃない!!!弁償してよっ!!!」と言ったのだ。A君のママは、余りの迫力にただただ謝るばかり・・・争いを好まないA君のママは、とりあえず帽子を弁償し、お迎えの時間をずらすという防衛策に出たのだ。まあ、誰がどう悪いかは別にして、この事件はその場にいたママ達が広めまくり・・・次の日にはお迎えに来ていたママ達のほとんどが知ることになったのだ。ここまでは「良くある話」だろう。だが・・・僕が驚いたのはその後の光景だ。なんと、お迎えに来ていた100人くらいのママ達が、そのB君のクラスの前に全員集合したのだ。全員だ・・・みんな「一目B君のママを見ようと集まったのだ。」ただの1人も残さず、「全員」だよ・・・分かる?お迎えのママ達が全員知っていたのだ。ちなみに僕の奥様が知ったのは、公園でA君のママから直接。その後3人くらいのママ友だちにメールでお知らせ。その繰り返しで、翌日には「全員」に伝わっていたのだ。恐るべし・・・ママネットワーク。でもこれは、「当たり前」のことらしい。良くも悪くも「ネットワーク」・・・う~ん。
2006.04.18
松江塾では、先生の言ったことは「絶対」だ。「超絶対」だ。どれくらい「絶対」かというと・・・一番後ろの席に座っている生徒が、「こそこそ」としゃべっていたとする。そこで先生が言う。「おい!うるさいな。一番前の席に来い!」こういうと、生徒は「すみません。もうしゃべりません。」というのが普通だろう。普通の先生なら、そのまま授業に戻るだろう。だが松江塾ではそれはない。授業には戻らない。なぜなら・・・先生は、こういったはずだ。「一番前の席に来い!」だから、その生徒が一番前の席に座るまで授業は中断するのだ。松江塾では、先生が「言った」ことは絶対に起きるのだ。一度言ったことが現実にならずに引っ込むことはない。絶対にない。よくあるよね、先生が「帰れ!」と言って、生徒が「すみません・・・」と言う。それで場が収まる・・・松江塾ではそれがない。先生が「帰れ」と言ったら、生徒は帰らなければならないのだ。1回目の注意が「最終」だ。仏の顔も3度まで・・・それは松江塾では通用しない。ぴりっとした覚悟を持って、授業に参加しようね。
2006.04.17
個人塾は塾長のキャラが命だ。商品の陳列棚に、「塾長」が置いてあるのと同じイメージだね。しかも、どの棚を見ても「塾長」・・・「塾長」・・・「塾長」・・・多少生徒数が増えて、塾長の授業が週に1回だけになったとしても、売れ筋ナンバーワン商品は「塾長」なのだ。僕の子どもが通っている幼稚園を見ていてもそうだ。去年のことだが、理事長が援助交際で逮捕されたとき、幼稚園自体に避難の矛先が向けられていたのを見た。理事長なんて、入園式や運動会のちょっとした「挨拶」しかしないのに・・・それでも、「組織=トップの人間」なのだと痛感した。今理事長は幼稚園を去った。今どこで何をしているのかも分からない。だが、「前理事長逮捕」の傷跡は今でも残っている。僕が言いたいのは、「よしっ!僕も気を引き締めなくちゃっ!」ということではない。僕は僕の商品価値を高めたいのだ。授業だけではない。授業前・授業後・プライベート・・・とにかく僕が「商品」なのだと自覚を強くしたい。「鼻毛が出ているモデル」「面白くないお笑い芸人」「原稿かみまくりのニュースキャスター」・・・・ありえないよね。それと同じ。もっと自分を磨き上げて、最高の「商品」にしたい。自信を持って、自分の手と足で、「ショーウインドゥ」の一番前に並ぶのだ。完全に「ナルシスト」の領域だ。だがどの塾長のブログを読んでも、「ナルシスト」の極みみたいな人達ばかりだと気がつくよね。「自分」を「前」に。「自分こそ」が。「自分」「自分」「自分」・・・そんな意識を常にキープしたい。さ、今日も最高の笑顔と気迫を・・・!今日の「売れ筋ナンバーワン商品」は、この「僕」なのだから!!!
2006.04.17
松江塾の生徒は、近所の子が多い。一番遠くても、来るまで10分くらいから?自転車で来ようと思えば、来れる距離の子たちばかりだ。平均すると、自転車で10分以内の子が9割といったところだろうか。そうすると、小・中学校は当然として、幼稚園まで一緒と言う子達が少なくない。そんな彼らに話を聞くと、「あいつは、幼稚園のころからあんな感じだったよ。」とか「○○チャンは、年少のときから全く変わっていない。」といった話が多いことに気がつく。これはもちろん、塾ママとの話でもそうだ。そういう話を聞くと、どうしても想像してしまう。彼らをそのまま小さくして、幼稚園の園庭で遊ばせる風景を・・・かわいいよな~。勉強に関してはどうかというと、「大きく変わる」子が多いようだ。「昔は馬鹿だったのに・・・」とか「幼稚園の頃には九九が全部言えてたはずなのに・・・」などなど。やっぱり勉強は日々の積み重ねだね。
2006.04.17
新中1生たちの中学校での授業が来週の月曜日から始まるらしい。今日は、僕の持てるものを彼らに全てぶつけた。新中1の20人(あ、1人欠席したから19人か・・・)は、強烈な何かを感じたはずだ。そうね・・・、レベルとしては「中2生に、始めて不定詞を教えるとき」のレベルか、「中3生に、始めて関係代名詞という概念を教えるとき」のレベルとほぼ同じだ。英語を教えてらっしゃる先生なら分かるはずだ。一瞬の「気の緩み」も許されない。誰一人の「目」も逃してはならない。そんな気合いをもって、中1生に伝えたこと・・・「中学の勉強をな・め・る・な!」ということである。中学は小学校の延長ではない。次のステップではない。異次元の世界だと思ったほうがいい。小学校で通用していたことは、全て通用しないと思ったほうがいい。小学校の意識で中学に突っ込んでいくと、500点中300点がいいとこだろう。松江っ子として、しかも、中学入学時からペナ部がある松江っ子として、「300点」は許さない。450点で「良し」400点で「普通」350点で「何だそりゃ!?」300点は「・・・」である。それを肝に銘じるように伝えた。松江塾のSクラスは「special」の「S」だ。松江塾のAクラスは「average」の「A」なのだ。(これは、最低でも平均という意味ね。)塾内では「上のクラス」と「下のクラス」だが、中学校では「雲の上」と「上」であることが求められるのだ。そういう授業と、そういう扱いをしていく。月曜日から始まるのは「授業」ではない。「先生との愛の会話」なのだ。学校の先生の話すことを「愛のささやき」だと思って聞くのだ。先生がびびってしまうくらい「見つめる」のだ。必ず「頷く」のだ。前の生徒が邪魔なら、体をずらしてでも先生を見つめろ。そういう覚悟を持って、月曜からの授業に臨んでほしい。頑張れ!松江っ子!!先輩松江っ子に続け!!!!!
2006.04.15
松江塾のペナ部の合格基準は、最初から9割に設定している。今日、ある塾ママさんからメールをいただいた。そのまま引用させていただく。=============================こんにちは。新学期が始まり、子供も、いろいろと目標を立てている様子です。ペナ部がはじまってから勉強に対する意識がだいぶ上がった気がします。でも…前から気になっていることがありました。ブログにも書いてありましたが、90点合格!うれしいー!しかし、後の10点は?マスターしてない事になりますよね。なんで100点がとれないのでしょう?-10点が10回で-100点。それは0点になりませんか?子供も「10点まで間違えても平気よ!」と思っているようで… 最近、間違った所は大丈夫?見直ししてるの?と思いメールしました。=============================さすが松江塾の塾ママである。着眼点がするどい。確かにそのとおりなのだ。ペナテストの内容は、全て「授業でやったこと」だ。授業の内容が本当に分かっているのならば、100点を取れなければおかしいのだ。僕の本音は、「100点」にしたい。だが、できない事情もある。まず、ペナテストの作成基準は「勉強してくれば受かる。してこなければ落ちる」、これである。やった子とやらなかった子の差が、合格と不合格という結果となって現れることが必要なのだ。そして、授業中に学習内容がほとんど分かった子であっても、ある程度の家庭学習がないと、落ちてもらわなければ困るのである。そのために10問中1問は、「ちょっと考えさせる問題」を入れてあるのだ。具体的には、授業でやった内容を二つ組み合わせると解ける問題だ。この問題までできなければ「合格」にしないようなテストにしてしまうと、勉強を好きになる要素である「達成感」をほとんどの子が得られなくなってしまうのだ。今のペナテストで、100点合格をする子は、20人中2名程度だ。ところが90点を合格ラインにすると、12人は合格をする。ある程度の勉強を強制し、そして少なくとも過半数の生徒に「達成感」を与える規準は9割だと思うのだ。次に、テスト中のモチベーションを考える。基準を9割に設定すると、テストを始めて1問できない問題があっても、モチベーションは保たれるのだ。ところが基準を100点にすると、一問分からなかった時点で、その後の問題を解く意味がなくなってしまうのだ。「どうせ不合格だ・・・」と。全員に最後まで頑張りぬいてもらいたい。悪あがきをしてもらいたい。そういう「執念」を持たせるためにも、9割がいいのかな・・・と。最後に、これは本当は書いてはいけないことかもしれないが・・・「箱」の問題である。基準を100点にすると、ほぼ毎回20人近いペナ部員が発生する。そして、毎日2学年のペナ部が開かれるので、ペナ部員が40人弱になるのだ。今の松江塾の箱に、10人の通常授業を2つと、40人のペナ部員を収容するだけのキャパはない。う~ん・・・う~ん・・・・・でも本当は100%にすべきなんだよな~。上に書いたような理由は、所詮あとづけの理由だ。生徒の成績を根こそぎ上げるためにやっているペナ部なのだから、10点分をマスターしていないまま先に進むことは、システムの根幹を揺るがす矛盾点だ。どうにかしたい。ペナ部は、始めてから3回の改良を加えてきている。どんどん良くなっていると思う。だから、どうにかしよう。いや、どうにかします!!今現在の考えはこんな感じかな。
2006.04.15
高校部の個別化が始まって数週間が経とうとしている。毎日何人もの高校生達が一生懸命に「高校の勉強」と格闘している。高校部自体がとても「熱い」と感じる。高校部が盛り上がっていることで、副次的にいい影響が出始めている。それは、中3生達に対しての影響である。休み時間や授業後など、高校部の生徒達は自分の学校の話に花を咲かせる。「川高はしんどいよ~」「全然余裕じゃん!川越東なんて、もう教科書の○○ページまで進んでるんだよ!?」「川女って楽しい~!」「私でも川西でなら、トップ取れそう!」「川工でも、トップなら理科大の推薦がもらえるらしいよ」などなど・・・受験生達にとっては、最高の環境だと思わない?普通は学校見学や説明会で、何度も何度も練り直された情報しか手にできないはずだ。僕らからすれば、「意味のない情報」が多いのが現状だ。「そんなこと、わざわざ高校まで行って聞く必要はない・・」みたいな。だが、今の松江塾には「生」の情報があふれている。しかも特別な環境で勉強をして、その高校に進学していった人達を見ているのではなく、同じ「松江塾」で勉強をしていた先輩たちの話なのだ。リアルに1年後の自分と重ね合わせることができるだろう。こんないい環境ってないよね。何のための「受験」か・・・その答えがいつも目の前にあるのだ。
2006.04.15
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