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期末テストの結果が早く知りたい。今回はテスト終了が金曜日だったので、土・日に採点が行われるだろう。だから月曜日から速攻で返却されるはずだ。今塾の方針に関して「猛烈に」悩んでいる。昨日は特にきつかった。へこむことが連続で2つ起きた。精神的には大分タフになってきているとおもうが、慣れるもんじゃない。僕の方針や理念が正しいことを証明したい。進むべき方向として間違っていないことを再確認したい。すばらしい結果とともに、最高の笑顔の生徒達を見たい。努力の末に勝ち得た「最高の結果」こそが、子供達を幸せにすることをこの目で見たいのだ。今年はいろいろな意味で松江塾の「岐路」だと思っている。突っ走って行きたいと思う。あ、もちろんこの体をいたわりながら、ね。そういえば、検査入院が近づいてきたな。嫌だな。
2006.06.30
生徒にも話したが、450点を超えてくる子というのは、テスト数日前の段階で、テスト範囲の内容に「飽きている」。「飽きている」という状態は、すさまじい量の「反復」をしたためである。ここに高得点のヒントがある。理解するスピードとか、要領の良さだけでは450点前後で止まる。圧倒的な高得点は、大量の反復練習による「知識のこびりつき」こそがその源泉である。知識の定着ではない。知識のこびりつきである。飽きるまではとにかく「類似問題」を徹底的にやらせるのがいい。同じ問題でもいい。「先生、もういいって。この問題は・・・」と言わせるまでやる。次の授業でぱらっとプリントを配った瞬間、「またこれかよ~」とため息交じりの声を出させたい。ここからは「スピード勝負」で飽きさせないようにする。これを数回繰り返す。もうゲームの領域だ。テス3日前くらいになったら、全く新しい問題をやらせてみるといい。思わぬ穴が見つかるはずだ。最後の追い込みの段階で、飽きたままだと「慢心」状態になる。甘い甘い・・・それだと450点。だから「超新鮮な」問題で最終確認だ。こう考えると、塾には圧倒的な問題量が確保されていなければならないだろう。一球入魂のすばらしいオリジナル問題も、バラエティーに富んでいなければ意味がない。これが大変だ。でも、ほとんどの塾講師は「問題作成マニア」だと思う。たとえば、「男女雇用機会均等法」に絡んだ問題だけで、30問くらいはいけるだろう。この問題作成能力も、講師に求められる資質の一つかもしれないね。この能力に長けている講師は、授業にも幅をもたせることが出来る。 「ああ、じゃあさ、この問題解ける?黒板に問題書くから、一瞬で解いてみ!」塾講師って面白いよね~。話がそれたが、どうだろう。「飽きるまで」って必要だと思うよ?「その先」には・・・ん~焼肉だ!
2006.06.30
今日も娘と二人生活・・・昨日39度まで熱が上がったが、今朝はけろりと36.6度まで下がった。一応小児科には連れて行ったが、いたって元気である。良かった。さて3歳の娘、どうやら文系である。文系・理系って、やはりある程度「生まれつき」なのか。それとももっと幼少期の生活習慣なのか・・・息子は、というとブロック・積み木中毒なので、立体把握や空間認識は異常である。また暗記中毒なので、ありとあらゆるものを片っ端から覚えまくる癖がある。後は数字好き。もう5桁の数字の概念を使いこなして足し算や引き算もこなす。もちろん全部「会話ベース」であるが・・・ちょっと理系に偏ってはいるかな、と思うが本も好きである。まあバランスがいい。ところが、娘は完全文系である。とにかく話し始める時期がすさまじく早かったので、周りの人間も2歳だということを忘れてしゃべっていた記憶がある。彼女が最近はまっているのが「英語」である。日本語は大体理解できるので興味が薄れてきたようだが、英語はまだ耳慣れないためか「新鮮」なのであろう。英語の本から英語の歌が流れる絵本に食らいついてはなれない。楽しそうだ。あまりに楽しそうなので、二人きりのときは「完全英語」の生活にしてみようかなとも思う。最初は戸惑うだろうな。それに比べて、「理系」の分野は全然だめである。まあいいか。今は足し算や引き算を教える時期ではない。さて・・これからお昼御飯を作るつもりだ。僕が作るメニューには全部「パパ」が接頭語としてつく。「パパ雑炊」「パパスパゲティー」「パパうどん」こんな調子だ。奥さんと同じものを作っても、「パパ~」と聞くと新鮮に感じているから面白い。今日から塾はテスト休みに入る。最近息子に「パパ!最近子供のお世話をしてないよ!」と怒られることもあったので、いやというほど遊んでやるつもりだ。覚悟しておけ。明後日は息子の5歳の誕生日だ。誕生日プレゼントは、「ポケモン大図鑑1」だ。これでまた彼の「暗記欲」が満たされるのであろう。そしてまた僕が馬鹿にされる日々が続くのだな・・・
2006.06.30
昨日中3の男子から聞いたのだが、その子のクラスの社会の授業・・・ついにテスト前最後の授業でも試験範囲を終わらせることができなかったらしい!わ、笑える・・・試験範囲が短くなることはないらしい。「結局先生は何ていったの?」と聞くと、「何も言わなかった」という。う、うける・・・どうも今回の期末は「ぐずぐず」だ。英語のK先生は僕も一目置いているのだが、その先生ですら試験前に去年の過去問を自ら配っている。去年って・・・今年から教科書変わってるんですけど・・・?おそらく「問題傾向」を知らせたかったのだと推測されるが・・・いずれにしても、今日がテスト最終日である。松江っ子はいかなる結果を出してきてくれるのか。昨日の初日が終わった時点で、「先生!俺焼肉確定だから!!」と豪語する生徒もいた。テスト範囲のすったもんだや、試験範囲が終わらなかったことに負けずに450点超えを連発してもらいたいものだ。
2006.06.30
この記事は、塾にとっての「タブー」かもしれない。でも、このタブーの領域に僕の目指す松江塾が「どっぷり」と浸かっているとしたら・・・書くしかあるまい。僕ら塾は、子供を鍛えている。勉強に関して鍛えていると、どうしてもその子の「根っこ」の部分に行き当たる。その「根っこ」を変えない限りは、もうどうにもならない状態にまで行き着くのだ。どうしたらその「根っこ」を変えられるのか。誰がその「根っこ」を変えられるのか。・・・「親」であろう。そうであれば、子供の根っこを変えられるようになったり、子供の根っこを鍛えられるような「親」になってもらうことが必要だろう。さあ、ここからが難しい。本当に難しい。塾業界の「タブー」になるのも容易に想像できるくらい難しい。たかが塾講師に、「親としての姿勢」を指摘されるのである。堪えられるか?堪えられない親もいるだろう。だが考えて欲しい。子供は毎日成長している。学校部活塾・・・いろいろな場所で、心と体と頭を成長させているのだ。親は成長しなくていいのか?これは僕自身への問いかけでもある。子供を十数年かけて育ててきたという自負があるのも分かる。自分の子供のことは親である自分が一番分かっているのも承知している。だが、親も成長しなければいけないと思うのだ。僕は日々、自問自答の連続である。子は動物として育てるだけであれば「親」は必要ない。「親がなくとも子は育つ」のである。では、「親」の役割は何か。子供を動物としてではなく、人として育てるためにいるのだろう。人として、人の話をしっかりと聞く人として、自分のことは自分でやる人として、他人に迷惑をかけない。人として、礼儀を守る。人として、自分の道を自分で切り開く。人として、自分で判断をする。こういったことを教えるのでなければ「親」が「親」である意味がない。何度も言うが、これは僕自身への問いかけでもある。正直、男と女がいれば親になることは簡単だ。何の心構えや覚悟がなくとも親にはなれる。であれば、親レベルが高い人と低い人がいて当然である。「親」であれば「偉い」というのは100%幻想である。僕は親として、まだまだだ。本当に親レベルの低い人間だと思う。誰に言われるまでもなく自覚している。だが、親として誇れるレベルに成長したいと常に思っている。そして、偶然にも松江塾という存在を介してつながりをもった保護者の方とも、「共に」成長していきたいのだ。僕が教えるのではない。偉そうなことを書いているときもあるが、「一緒に」成長していきたいのだ。答えはない。ゴールもない。誰もが自分なりの価値観で歩んでいるのだ。だが、今の日本社会においては、親として歩んでいく環境は余りに「孤独」だ。みんなもがき、苦しんでいるように見える。暗中模索なのだ。もちろん「僕も」である。だから松江塾の保護者には、あえて「厳しい」ことを言うときもある。それは僕自身への言葉でもあるのだ。僕は松江塾を通じて、子供と親の両方に成長してもらいたい。そしてそのおこぼれをもらって僕も成長したい。時にはご家庭の方針に苦言を呈するときもある。だが、全ては「試行錯誤」の中でのことだ。一緒に悩み、一緒に考え、一緒にベストな道を進んで行きたいのだ。これは僕のわがままだろうか。塾は子供の成績のことだけを考えていればいいのだろうか。僕は「生徒」を見ると、その後ろにいる「親」の姿が見える。見えてしまうのだ。それに対して何も言わない、何もやらないのは本当に「タブー」なのだろうか。だが、僕の求める松江塾は・・・「そこ」にあるのだ。
2006.06.29
いや、僕ではない。3歳になる娘のことだ。今日は仕事に行く奥さんから、娘が夜中咳をしていたと聞かされていた。咳が重くなってくるようであれば、病院へ・・・ということだったのだが・・・超元気であったのだ。走り回っていたのだった。娘の咳を一度も聞かなかったのだ。熱もなかったのだ・・・だから、ほんのちょっと外遊びをさせたのだ・・・ほんのちょっとお水で遊ばせたのだ。服も濡れない程度に・・・この暑さだったからね。授業中、僕の携帯に奥さんからメールが入った。「39度の発熱なんだけど・・・。」うぎゃ~!!ごめんなさい~!!!あ~、俺のせいだ。俺が水遊びをさせたからだ・・・ごめん~!!!明日は朝一で小児科へGO!!母親が子供の体調に敏感になる理由がわかった。「責任」この一言に尽きよう。は~。へこむ。
2006.06.29
僕は毎日膨大な数の塾ブログを読んでいる。朝8時に起きてすぐに読み、夜3時に寝る直前まで読んでいる。すさまじい量の「教育」に関する情報を得ているわけだ。僕は、それによって得た情報を、松江塾の保護者と共有していくことに決めた。すでに何割かの保護者は僕のブログにリンクされている塾ブログをチェックされているだろうが、まだまだすばらしい記事はたくさんある。こういった情報を得られることも、塾の付加価値の一つではないだろうか。共有の方法は、記事のURLをメールで保護者に送る方法を取りたいと思っている。もしくは、記事を引用させていただくこともある。その場合は、事前に了承を得たいと思っているので、その際はどうぞよろしくお願いします。
2006.06.29
僕らは塾という箱を利用して、毎日子供たちの脳みそを鍛えている。それに対して対価をもらって生活をしているわけだ。今日も期末テストで大勢の生徒達が塾で学んだ知識を総動員して問題と格闘したであろう。もし、あのとき泣きながら単語を覚えなければ・・・もし、あのとき深夜まで居残って数学を解かなければ・・・きっと今日のテストで問題を解けなかったのではないか。僕は、松江っ子の何割かは、松江塾でなければ今よりも数段レベルが低かったのではないか、と思っている。そこに多少なりとも自負はある。近所を見回しても、塾としての気合いでは絶対に負けてはいないからだ。だが、そんな僕らの自負は簡単に崩れ去る。生徒達は、今の自分の学力レベルを塾のおかげだとは絶対に思わない。僕も当時そうだった。よい成績は、全て自分の「おかげ」なのだ。だって考えてもみてみなさいよ。毎日寝床とご飯を与えてもらい、生かしてもらっている両親にだって自分が生きているのは「親のおかげ」だとは思わないでしょ。そういうことに気がつくのは、自分が親になってからでしょ。だから塾に感謝しないのは、当たり前すぎるほど当たり前なのだ。それを十分すぎるほど分かっているので、生徒に感謝されることなど期待していない。「先生、僕は松江塾のおかげで成績が伸びました!」なんて言われたら、気持ちが悪くて仕方がない。塾に感謝などいらない。利用するだけ利用して、自分を成長させていってもらえばそれでよい。数年後、自分に圧倒的な根性と基礎学力が身についているのは何故かを考えたとき、「あ、松江塾か・・・」と気がついてくれればそれでいい。さ、今日も彼らに気がつかれないように、彼らの学力と根性を鍛えてしまおう。塾は、「縁の下の力持ち」でいいよね。
2006.06.29
今頃、みんなは1時間目のテストを受けている頃だろう。どうだろうか。全部「やったことのある」問題だろうか。初めて見る問題にびっくりしていないだろうか。余裕で解いているだろうか。塾の問題のほうが難しい、なんて思いながら楽々と解いているだろうか。問題をしっかりと読むんだぞ。息を吐くなよ。気を抜くなよ。1回終わっても、まだ80点だと思えよ。もう一回解くんだぞ。安易に答えを選ぶなよ。記述は語尾に注意しろよ。大丈夫だ。みんなあれだけ頑張ったのだから。結果を待つとしよう。みんな!笑顔で塾に来いよ!微妙な笑顔で入ってくるなよ!
2006.06.29
塾生であれば、僕が授業中にこう言っているのを絶対に聞いた事があるはずだ。それも、かなり頻繁に。「おい!馬鹿な奴の机ほど、よく動くんだぞ!馬鹿の机は曲がってるんだ!誰だ~?馬鹿は!?」これは間違っていない。机が動いてしまう子は、体がよく動くのだ。背もたれに寄りかかったり、前傾姿勢になったり、肘をついていたり、足を組んでいたり・・・気がつくと、数十センチも前に移動したり、何十度も曲がっていたりする。要は集中できていないのだ。成績のいい子は、本当に動かない。体は単なる「脳みそ運搬装置」であるかのようだ。机の前に脳みそを運んできたら、その動力は右腕のみに集中してしまうようだ。以前、禅寺への「座禅合宿」を考えたことがある。結局企画倒れであったが、「じっとしている」ことを追求するのも必要かもしれない。勉強に必要なのは、脳みそと意志だけだ。体はそれを支えるだけだ。動く必要はない。いや、動いてはならない。50分の授業が終わったら、自分の机を見つめてみよう。動いてる?動いてない?
2006.06.28
今日、一足早く富士見中の期末テストが始まった。松江塾の富士見中生は3名だけだ。ゆうためぐよしゆきである。この3人は、いわゆる「成績上位者」である。中間テストでも当然のように400点を超えていた。今日3人とそれぞれ話をしたのだが、できる子というのは、テスト後に言うことが決まっている。中途半端な成績を取ってくる生徒は、「どうだった?できた?」の質問に対して「微妙~」と答えることが多い。「難しかった?簡単だった?」の問に対しても「う~ん・・・」である。ところが、上位者は違う。先ほどの3人は、「どうだった?」の問に対して、「○○という問に対して、××と答えるべきところを△△と書いちゃった・・・」と的確に答えるのである。そして、それ以外の問題に対しては、「後は全部できた。」と言い切れるのである。成績上位者というのは、その報告がほぼテスト結果と一致する。さあ、一中生も彼らに続け!!一緒に神戸牛を贅沢に焼こうぜ!!
2006.06.28
今日は中1の授業日だ。明日が期末テスト本番なので、明日の科目の問題を徹底的に解いてもらう。全部はじめての問題だ。しかも、完全オリジナル。どこにも売っておりませぬ。さて、今日は中1生を3時間ぶっ通しで集中させるつもりである。今現在、1時間10分。誰も席を離れていない。私語もゼロである。それは、ホワイトボードに「あること」が書いてあるからだ。「トイレ休憩等は自由。ただし、無言・無音自分よりも頭がいいと思う奴が席を離れるまでは、席を離れてはいけない。長く座っている奴ほど点が高い←事実。明日のテストは、今日間違えた問題だけで作られていると思え」これだけだ。今年の中1生からは、あるコンセプトのもとに指導をしている。だから、競争心が強烈に強いのだ。「あいつが立つまでは立たない・・・」そんな闘志が見える。でも、それは当たり前だ。だってあしたが本番だから。まさに「決戦前夜」だ。
2006.06.28
小学生のお子様がいるお父さん、お母さん。一つ忠告です。お子さんが、「人の話を聞いてない」と思うことが多いのであれば、5年後、勉強で苦労している可能性がほぼ100%です。○文式でいくら計算が速くても駄目です。いくら英語教室に通っても駄目です。評論家や学者が言っているのではありません。現場で毎日子供達と接している人間が言っているのです。人の話を目で聞けない子は、100%勉強ができません。逆に、人の話を目で聞ける子で、勉強の出来ない子を見たことがありません。これは本当のことです。小学校に上がる前に九九を教える必要はありません。ひらがなが上手に書けなくてもOKです。英語の挨拶なんて、中学に入るまで知らなくても大丈夫です。とにかく、ひとのはなしを目で聞けるようにしましょう。それだけで本当に本当に本当に大丈夫です。最近多いです。「目で聞けない子」
2006.06.28
まずは黙って、この人のブログを読んでもらいたい。過去3日分くらいの記事を読むのがお勧めだ。もうお分かりだろう。松江塾の最強副塾長・・・「あきらん」である。「松江塾=ごうまじまじ」というイメージを持たれていると思うが、実は、そうとも言い切れない。僕はご存知のとおり、「超愛妻家の難病患者」である。奥さんと顔を見て、お話がしたいのだ。体を酷使すると、緊急入院なのだ。だから、「体力と情熱と愛情の人=あきらん」の登場となるのだ。もはやこの人なしでは、松江塾は一日として動かないだろう。それほどの最強の人である。まあ、もうちょっとお掃除好きになってくれればいいのだが・・・最近ブログの内容が僕と似てきた気がする。同じ松江人だからであろうか・・・恐るべし!松江塾!
2006.06.28
一体どれくらいの子供たちが理解できているのだろう・・・日本は「格差社会」だということを。格差・・・格付けの上での違い。格付け・・・資格・価値・品質に応じて分類し、その段階を決めること。資格・・・その組織内での地位価値・・・何かをするのにそれがどれだけ役に立つかという程度。品質・・・良・不良が問題になる品物の性質。さて、わが子が成長し、「格差社会」に飛び出していくということは、如何なることか。わが子が属している組織内におけるわが子の地位に応じて、わが子がどれだけ役に立つかという程度に応じて、わが子が良いのか、良くないのかという判断に応じて、わが子が分類され、わが子の段階が決められる社会に飛び出していくということなのだ。それをどれだけの子供が知っているのだろうか。誰がそれを子供に「リアルに」伝えるべきか。「あなたはあらゆる面から判断されて格付けされるのよ・・・」と。法律上は「生まれながらに平等」である。だが、ある程度の年齢になった人であれば分かるはずだ。日本社会は、絶対に平等ではない。資本主義社会で「平等」など、完全矛盾だろう。法的に平等な扱いを受けることを、僕らは「平等」だとは実感できない。そんな場面なんて、普段の生活の中にないからだ。僕らが「平等ではない」と感じるのは、まさに「資本主義」の部分においてであろう。「資本主義社会」における不平等を生み出すのは・・・「学力」である。いや、「学力」を身につけるための「努力」である。「努める力」を身につけたものが、格差社会において「上」に格付けされるのだ。もし僕が「塾の先生」でなければ、「努める力」を身につける道が「学び」だけではないと断言するだろう。スポーツに「努める者」にも、芸術に「努める者」にも格差社会において「上」に格付けされるチャンスはあるからだ。だがここは「塾」である。勉強で「努める力」を身につけよう。批判しようが、認めないと言おうが、そこに「格差」はある。確かにある。そうであれば、「上」に格付けされたいものだ。そうでしょ?「下」でいいや、という人はどうぞご自由に。それもまた人生。誰からも否定されることはない。自信を持って、「下」で頑張ってほしい。松江塾は、塾の方針として子供たちに「上」の格付けを求め続けさせる。それが日本社会において「お得」であることを知っているからだ。今、半分切れ気味の斉藤君の数学の授業を受けている中3生達。分かるかい?「格差」はあるんだよ。そして、数年後には自分が「格付け」されるんだよ。確実にね。さあ、「今」何をすべき?
2006.06.27
何で5分も座ってられないんだよ!計算用紙くらい、100枚くらい持っていけよ!!席を立った瞬間に、肛門から知識が抜けていくと思えよ。立った瞬間に、集中力は完全リセットなんだよ。人間は、立ったまま頭を使うような構造には作られてないの!頭を使うときは、座らなきゃだめなんだっ!!マジで席を立った回数をカウントするぞ!?それで期末の結果を悪い順に並べるぞ!?それで名前の隣に席を立った回数を書くぞ!!??絶対に成績の悪い奴ほどたくさん席を離れてるからな!!これは「絶対に」間違ってないぞ!!!!!!おいいいいいいい!!!!!!席を立つな!!!そして、集中している友達に分からない問題を聞くんじゃない!!俺に聞け!おれに!!自分よりも圧倒的に成績が上の人間と、「席を立たない時間」を競え!!勝てないだろうっ?あたりめーだ。そいつはせきをたたないからあたまがいいのだ!こらっ!そこの中3!!!自習をしている中2を見てみろ!この3時間で誰一人として一回も席を立ってないぞ!?お前は何回立った?絶対に30回以上席を立ってるよな?集中力で中2に負けてんじゃない!!!!おいいいいいい!!!!!!
2006.06.27
ブログを通じて、全国の熱心な個人塾を見ていて思う。こういった塾に通う子と、そうでない子の差はでかいな・・・と。おそらく大手塾でも、しっかりとした先生は多数いるはずだ。研修を積み、お互いの授業を見せ合い、学びあっている講師の方々も多数いるだろう。生徒に勉強を教え、勉強を通じて子どもの成長を見つめていくことに生きがいを感じているのは、大手塾だろうが、個人塾だろうが差はない。だが、熱心な個人塾に通うということには、大手塾には絶対にないものを得られるメリットがある。それは何か。それは「泥臭い根性」を得られるかどうかである。個人塾の場合、子どもが勉強を教わる相手というのは、「先生」という人間ではない。「根性の塊」星人なのである。熱心な個人塾の塾長や選任講師というものは、例外なく「根性の塊星」からやってきた異星人である。子供達は毎日の授業を通じて、「根性の塊星人」から勉強と根性を叩き込まれるのだ。塾の方針として、子供達に根性論をひけらかす大手塾の講師とは訳が違う。大手塾の講師(全部とは言わないが・・・)達は、講師の顔とプライベートの顔を持っているだろう。それは「地球人」だからだ。当たり前だ。ところが、熱心な個人塾の講師は、そもそも異星人なのだ。レベルがちがう。みかみ先生が、ご自分の命を削りながら塾運営に全てをささげているのは言わずもがなであろう。たとえ誰であっても、それを「おろかな行為」とは言えないはずだ。「死んでしまったら、残された生徒達はどうするのか・・」みかみ先生はそんな事を考えてはいないはずだ。それを考えて80%の力で子供に接しようなどとはしていないはずだ。常に100%、いや120%。これが「根性の塊星人」の本質だ。当たり前のことなのだ。地球人が呼吸をするのと同じレベルなのである。今日、ぜすと艦長という「根性の塊星人」が腰痛のために倒れた。自分が救急車に乗せられるところを記事に載せているくらいなので、大事には至らないと思うのだが・・・ここ最近の艦長の激務ぶりは、ブログを通じて伝わってくる。すばらしきかな、「根性の塊星人」・・・そんな塾長のもとで勉強に励んでいる子供たちは、勉強よりも大事な何かを学ばずにはいられないだろう。子供の身近なところに、「根性の塊星人」が生息しているかどうかは、子供の人生を大きく左右すると思うのだ。根性を学ぶには、目の前で「根性の塊」を見るしか方法がない。根性の「How To 本」などは売っていないのだ。熱くてぶっ倒れそうなとき、すぐ隣でビールを上手そうに飲む大人がいる環境と、「くぅーっ」と歯を食いしばり、汗だくになりながら耐えている大人がいる環境とでは、どっちが根性のある子供に育つだろう・・・考えるまでもない。わが子に根性をつけたいならば、一刻も早く「根性の塊星人」を見つけ出すべきだ。どうやって見分ければいいか?そんなのは簡単だ。塾ブログを片っ端から読めばいい。そのブログは、全部「根性の塊星」の言葉で書いてあるはずだ。その塾の門を叩けばいいのだ。
2006.06.27
僕は今まで「アホ」だった。それに気がついた。なぜか。今までは、塾の目標を「400点超え」としていたのである。400点を超えることは、200人の中学で上位25%に入ることを意味する。とにかく全員が400点を超えること、塾内平均が400点を超えることというように、「400点」を基準にしてきたのだ。それが今回は、「450点」を超えたら「焼肉」にした。秘伝書も高校部の生徒に書いてもらった。当たり前に480点をたたき出し、当たり前に公立トップ校に進学していった生徒に書いてもらったのである。すると不思議なことに、生徒達も「450点」を普通に意識するようになったのである。今まで350点前後だった生徒も、「英語は大丈夫だけど、国語がまだ薄いね」なんて普通に言えるようになっている。根拠のない自信ではなく、事実英語は「大丈夫」なのだ。もちろん、常日頃の塾の中で「ペナ部」を厳しくしているというのもあるだろう。日々の積み重ねがしっかりと出来ているから、テスト前の頑張りも効果があるのだろう。でも、「目標」をより強烈に、かつ具体的に提示し続けることによって、いい意味で「洗脳」されているような状態になると思うのだ。それがお互いに相乗効果をもたらし、さらにいい雰囲気になっていく。波に乗り遅れている子はちょっと疎外感を味わっているかもしれない。ちょっとした休み時間の会話にも表れているが、1人の子が「やばいよ。まだ全然勉強してないよ」なんて言うと、以前であれば「私も~。やばいよね。」という会話が成立していたが、今は「やばいよ。まだ全然勉強してないよ」と話しかけられても、「ふ~ん、大丈夫じゃん?まだ間に合うよ。頑張りなよ。」と返している。とにかく塾全体が「いい雰囲気」なのだ。これも「450点効果」ではなかろうか。一個人にとってのことだけではあるまい。塾にとっても、目標を高く掲げること、そして、それを「当たり前」と捉えることが大事なんだね。
2006.06.27
生徒が10人いたら、2人くらいは「やばい」のが普通だ。それこそ全力でどうにかしなくてはならない。だからそんな「やばい」生徒には、塾という強い味方がいる。塾・・・やはりそうだよね・・・塾が10個あれば、2個くらいは「やばい」んだろうね。同じだよね。確かにあるだろう。「やばい塾」。僕ら塾関係者には分かっている・・・「近所のやばい塾」努力もせずに勉強や現状に不平をいうことを許さない僕としては、具体的な塾批判はあまりしたくない。「自分だって、不平を言うくせに・・」と思われたくないからだ。だが、やばい塾に「飼い殺し」にされている子供は多い。ブログを一回りすれば、「頑張っている塾」というのがすぐに見つかる。ならば、真逆の「頑張っていない塾」だってあるのが当然だ。そんな塾に現在通っているならば・・・それは「危険」なことだ。さて、現在お子さんが通っている塾が、「やばい」か「やばくない」かを判断してみよう。その方法の一つをお教えしたい。1.子供が指されたら「分かりません」と答えさせてみよう。塾関係者なら、すぐに分かるはずだ。この先を読まなくても、OKだ。書いてあることは「予想通り」だと思う。この先は、塾関係者ではない、「一般の保護者」だけが読むといいだろう。さて、わが子にあえて「分かりません」と答えさせてみよう。その発言に対し、講師はどういうリアクションを取るだろうか。これである程度判別できる。あ、書き忘れたが、あくまで「一斉授業」の場合を前提としているからね。さて、最悪な講師の場合・・・わが子「分かりません・・・」講師「お、分からんか。じゃあ○○!答えてみて。分かるでしょ?」○○「~です」講師「そうそう、正解!いいね~。じゃあ次の問題行くね。」お分かりだろう。「授業を進めること」と「1人の生徒が分からないと言っていること」のどっちを優先しているかが・・・。授業というのは、講師のやり方しだいでは、いくらでもスムーズになる。逆もまた然り、である。きついカリキュラムが決められている塾の場合、講師1人が一方的に講義的な授業を進める。これは私立中受験塾に多いかな。このタイプの塾では、生徒が理解を深めるのは、課題をこなしながらの「家庭学習」のときであることを前提としている。授業は「与える場所」家庭が「消化、吸収する場所」という前提なのだ。ついていけないのならば、受験をあきらめるか、ランクを落とすしかないだろう。最近やたらと多い、「生徒とのコミュニケーション」を前面に出す塾の場合、講師と生徒との双方向のやり取りが行われる。このときに大事なのは、「双方向のやり取りのスタートは、講師である」ということだ。お互いに対等な関係ではない。講師が「双方向のコミュニケーション」をとりたい生徒に話を振るのだ。当然、授業を決められたペースで進めなければならない塾の場合、「分かりません」と言われてしまったら困るのだ。授業が止まるから。でも、さすがに講師だって人間だ。そしてこの仕事をする人間は、もとは「教えるのが好き」な場合が多い。目の前で「分かりません」と言って悲しそうな顔をしている生徒を放ってはいられないだろう。だからその生徒のために解説をじっくりとする。カリキュラムが遅れる。塾側から「仕事が出来ない奴」と思われてしまう。誰だって、そんな評価は避けたい。だから「分かりませんと言わない」生徒に問題を答えさせ、万が一「分かりません」といわれてしまったら、即座に他の「答えられそうな」生徒に振るのだ。勉強が分からないのを分かるようにさせるのが塾の「骨組み」だろう。分からないと言っている生徒をそのままにしてどうする・・・?授業を止めろよ。そのための「クラス分け」だろう。ほったらかしにするなって!目の前で「目が死んでいく」のが見えないか?成績落とすまで落として「個別」を勧める魂胆か?その辺の保護者は気づいてないだろうけど、俺らは知ってるからね?ねえ。塾長さん。俺の「目」見て何か言える?
2006.06.27
期末テストに向けたみんなの頑張り・・・「まだまだ」な気がしてならない。今回は400点を超えるなんていうレベルで考えていない。全員が450点を超えるレベルで考えている。そう考えると、誰一人として「満足」できない。「まだまだ」だ。今までに比べれば確かに勉強してるのかもしれない。でもね、350点だった人が380点を取っても駄目なんだよ。350点だった人が450点を取るくらい「変わらない」と駄目なんだよ。家庭環境生活リズム目標価値観今までの十数年間で身につけた全てが今までの結果を生み出してきたのだ。それを一気に変えるには、根こそぎ劇的に変えなければ駄目なんだ。特に中3生370点が380点になったって、それを「成績が上がった」とは認めない。20点、30点の違いは、自分の学力や頑張りが上がったのではなく、学校の平均点でどうにでも変わってくるレベルだよね。得点が20点上がっても、順位が下がるときなんていくらでもあるからね。「まだまだ」だ。本当に「まだまだ」だ。頑張れ。あと3日。
2006.06.26
テスト前になると、いつもよりも個別に問題を聞いてくる生徒が増える。当然聞かれれば答えるわけだが、説明をしていると、「あ~、今頷きながら聞いてくれてるけど、絶対に分かってないだろうな~」って瞬間がある。なんだろう。上手く言えないが、分かるのだ。僕が「分かった?」って聞いても「分かった」って答えるんだけど、絶対に分かってないのだ。テスト直前になって、基本の基本みたいな問題を聞いてくる子って、分かってないのに「分かった」って必ず言う。逆に、成績の超いい子は、納得するまで返事をしない。「ん~」とだけ言いながら首を横に倒したりしている。質問が「セレモニー」になってる子は確かにいる。何か解き方があることを知りたいだけなのかもしれない。実際に自分が解けるようになるかは別問題なのだ。その場で理解しようとしない。自分の机に持って帰ってから理解しようとしてるのかな?それじゃ駄目だ。ぜったにまた分からなくなるはずだ。せっかく質問に来たんだから、本当に納得するまで「分かった」って言っちゃ駄目だよ。「ここで『分かった』って言わないと、馬鹿だと思われる・・・」そんなこと考えなくていいんだよ。君が分かってないことくらい、お見通しだから。一回聞いたら「分からなくちゃいけない」なんて事はないぞ。完璧に納得できるまでは首を立てに振っちゃ駄目だよ。頑張ってね。
2006.06.26
テスト対策授業は、「アウトプット中心」だ。ただひたすらに制限時間内に問題を解く練習をしている。勉強においては、「インプット」と「アウトプット」の両方が必要だと思う。インプットは「理解」したり「覚え」たりする作業であり、アウトプットは「問題を解い」たり、「記述し」たりする作業である。つまり、脳みそに入れて、脳みそから出すということだ。アウトプットの作業を行うと、見えてくるものがある。それは「出そうと思っても、出てこない」ということだ。これには二つのパターンがある。一つは「そもそも入れていない場合」もう一つは「入れたのだが、適切なところで出せない場合」である。判断するのは簡単だ。間違えた問題の答えを聞いて「ふ~ん、聞いたことないな。」とか「何だそりゃ?分からね~」と思った場合は前者であり、「あ、そうだった!」とか「なるほどね~。ここでこれが来るのか・・・」と思うのであれば後者だろう。アウトプットの作業がなければ、自分が何を理解していて、何を理解していないのか自分が何を覚えていて、何を覚えていないのかが分からないだろう。自分の「穴」が分かったら、再度インプットのやり直しをしよう。次の「アウトプット」で全部を出せるように意識を持ちながらやるべきだね。それを数回繰り返すんだ。何回やっても「穴」は見つかるだろう。それでいいんだ。本当に100%やりきってテストを向かえる奴なんていない。試験当日の朝まで、「間に合わなく」て当たり前だ。でも、繰り返せば繰り返すほど、穴の数は確実に減っていく。さ、あと3日。頑張ろうね。
2006.06.26
期末テストまで、あと3日。正直言って、これからが大事だと思う。昨日中3で社会の模擬テストをやったのだが、学年一桁の生徒がまだまだ「69点」なんて点を取っている。本人曰く「これからやるよ」だそうだ。中3の公民は、英語や数学のようにペナテストでコツコツと知識を積み上げてきていない。中3の前半は、歴史と地理に特化しているためだ。だから公民はここ2週間くらいしかやっていない。で「69点」なわけだ。だがこの生徒は本番でほぼ100点に近い点を取ってくるだろう。これからの集中力が半端ではないのだ。出来る子と出来ない子を見ていると、やはり最後の「勢い」が違うと思う。出来ない子は、いまだに「この問題は難しいから嫌いだな」とか訳のわからない問題分析をしている。「この問題、超訳わかんないよ~!」だと・・・だったら、「訳が分かるように」すればいいだけだろう。プリントにびっしりと線を定規で引きまくって、「先生!見て!後はこれを覚えれば完璧!」って・・・お前、いま達成感感じちゃってるだろ・・・たぶんそれ、覚えないよな。もう作品が出来上がっちゃったもんね。僕がこの時期良く口にするのは、「それで1点でも点が伸びんの?」である。何をやってもいいと思う。それぞれの勉強法があるのも分かる。だが、全ては「1点でも伸ばす」ための勉強でなければならない。試験範囲表をきれいにマーカーで塗りたくっても、「1点も伸びない」よね。テキストに付箋をつけても、「1点も伸びない」よね。ノートにオリジナル虫食い問題を「作っても」「1点も伸びない」よね。分かる?時間は限られてるんだからね。今自分がやっていることが「1点」につながるかどうか判断してね。「考えたって、頭に入れたことしか出てこない」からね。そんなことは、もう1000000000回くらい聞いたよね。「一度でも、自分の脳みそを使って解いた問題しか解けない」からね。分かるよね?さあ、これからの3日間で「差」がつくんだよ。
2006.06.26
昨日の夜も、さすがに12時を過ぎた頃から「もう寝ます」メールが入りまくった。そりゃそうだ。だって中3生は朝の10時から塾で勉強していたのだ。塾での授業は午後4時までだが、みんな帰宅後すぐに「これから始めます」メールを送ってきた。中には「社会8時間やりました!!もう寝ます!」なんて送ってくる猛者もいた。いや~、みんな頑張ってるな!と思いながら全員のメールが来るのを待っていたのだが・・・最後の1人のメールを待っていたら・・・・つい眠ってしまったようだ!何たる不覚!!携帯を見ると午前2:45・・・「終ゎりました★。。。ぉゃすみなさぃ(-。-)Z 」うぎゃーーーーーーー!!!!負けた~ぁぁぁぁ!!こ、この「ゎ」「ぉ」「ゃ」!!文字が小さくなってる!!!!このギャル文字に片足突っ込んだようなメールを送ってるのは誰だ!!・・・ゆみである。昨日の社会の模擬テストでトップを逃したことがよっぽど悔しかったのだろう。頑張ってるよね。本当にすごい。だが、生徒に負けたのが悔しい!!今日は負けん!!!あ、昨日のコピー機の件だけど、夜の7時くらいには行けそうです、とか訳のわからんことを言っていたので、「ぶ~ぶ~」駄々をこねたら、3時には来てくれるそうだ。授業に間に合わなかったら意味ないしね。良かった~。では、午前中は娘と楽しく過ごします。洗濯物を干そうかと思うんだけど、今日は乾かないだろうな・・・乾燥機付洗濯機がほしい・・・
2006.06.26
何となくテスト勉強をしていて、数時間が経つ。「は~、疲れたな~!」と思ってふと考える・・・すると・・・実は何もやってなかったことに気がつくときってあるよね。ちょっと座ってテキストをパラパラして、ノートをパラパラして、教科書の試験範囲をパラパラして、集中できないから席を立って・・・掲示物を一通り見て、友達が集中してやっている姿を確認し、「すごいな~」「やばい!自分もやらなきゃ!」そしてまた席について「パラパラ」と・・・お前はギャルサーか? 「やらなきゃ!」と思うのは誰でもできる。それで実際に「じっくりと」やっているのは良くて半分くらいかな。僕自身、時間が経つのを忘れて没頭できたのは「大学受験」の時だったと思う。中学生の時は、学校と塾の「授業中の集中」だけで順位をキープしていたようなものだ。今日はどうだったろう。今日は何をやった?何を吸収した?何を自分のものにした?本当に「マスター」できた?
2006.06.25
昨日と今日はテスト対策で午前10時から午後10時まで授業だ。これは、夏期講習と同じ時間割だということに気がついた。ただし、テスト対策は問題演習が中心だが、夏期講習はもうちょっと「講義」の時間が長いだろう。体力的には昨日と今日よりも大変だということだ。だが僕の場合、生徒が問題を解いている間は・・・退屈なのだ。ほっとかれているようで、寂しいのだ。だから、講義のほうがいい。一緒に笑えるし、みんなの「目」がもらえる。僕のパワーの源は、どう考えても「生徒の目」だ。彼らの視線が一斉に僕に向けられたとき、僕の眼球の中に、彼らの視線に乗って送られてきたパワーが吸い込まれるとき、体中が「じゅわー」っとする。この感覚は、舞台役者やバレーダンサーの感覚に近いかもしれない。僕はもしかしたら「視線中毒」かも・・・だから夏期講習は体力的には辛いかもしれないが、内面的には「じゅわー」がいっぱいあるのでちょっとうれしい。おうおう!疲れて意識が朦朧としてきた。文章が浮いてきた気がする。へぼい記事だ。さあ、最後の「中1社会」の解説にいってくるぜ!!「トンガ」の場所・・・地図で指せる?うがっ!!
2006.06.25
成績上位者には、ある傾向がある。彼らの勉強風景を見ていると、彼らが「教科書」と「学校のワーク」と「塾のテキスト」しかやっていないことに気がつく。教科書はもう「しなしな」になっている。ワークはもう何度解いたのだろう。塾のテキストは、1学期の時点で「ボロボロ」に使い込んでいる。それに対し、おそらく得点がぱっとしないであろう子たちを見ると・・・「市販の教材」をやっていることが多い。市販の教材をやることが悪いとは言わないが、そういう子たちは教科書を読んでいない。学校のワークを複数回解いていない。塾のテキストで解いていないページや問題がある。のである。何か特別なことをやらなければ成績が上がらないと思うのだろうか。肝心なことを忘れているね。早く気がつけばいいのに・・・
2006.06.25
テスト前のこの時期に、コピー機が壊れた~!!!!何をコピーしても「真っ黒」の紙がびろーんと出てくるだけ・・・おい~!!頼むよ~!!!!明日、保守の人に来てもらおう。直らなかったら、どうしましょう・・・?
2006.06.25
これは「いずれは・・・」の話だが、塾の方向性として、「志望校」を限定した形にしていきたい。少なくとも小5の初めから入塾してもらえば、全員が「川越高校」と「川越女子高校」を志望校にできるだろう。入塾試験などする必要はない。小5からの5年間、松江塾で学び続けることで、必ず公立トップ校を目指せる位置まで上がることができると確信している。小5、小6の授業をやっていると、数ヶ月での変化が余りにも目立つ。勉強に対する姿勢が、飛躍的に「真剣」になっていくのが手に取るように分かるのだ。この方向性をキープしたい。塾で勉強する内容は、あくまで「基本のみ」。ただし、その「完璧さ」において圧倒的なレベルを求めるだけだ。「基礎を超!完璧に」これを徹底的に極める。一部の私立高校でしか出題のされない、難問には手を出す必要はない。今までに松江塾から公立トップ校に進学した子は、全くと言っていいほど「応用」には手を出していない。それでも余裕で受かるのだ。そして、基礎を完璧にしたために高校での「伸び」が全く違うのだ。これでいい。松江塾の方針はこれでいい。
2006.06.25
以前書いた、バスの車中アナウンス案が出来上がりました。どうでしょう?ご意見をいただけたらうれしいです!『成績を上げる為の厳しさ楽しさ、並の塾ではありません。生徒ラブの完全定員制、小中高生指導松江塾前』あの美しいアナウンスの声で言ってもらえるそうです。
2006.06.24
僕の塾経営者としての1年目・・・それは今から5年半前である。当時の僕の月収は・・・・・13万円であった。何とびっくり、結婚1年目であった。またまたびっくり奥さんのお腹には長男が入っていた。これまた驚きアパートの家賃が76000円であった。今思うと・・・よく踏み切ったよな~身重の奥さん抱えて、月収13万って・・・でも、僕のかわいいかわいい奥さんは、それでやりくりをしてくれた。毎日笑顔でいてくれた。そして長男の出産。徐々に生徒数も増え、ご飯とお味噌汁と納豆だけの食卓に、おかずが加わった。続く・・・
2006.06.24
ゆうた と めぐは各自の昼食のあと、またひたすらに勉強に突入した。ゆうたは昼食持参だったので、その時間も席を離れていない。さきほど一回トイレに立ったのを奇跡的に目撃できた。めぐは昼食をとりに自宅に帰ったとき以外は席を立つところを見ていない。もし見ることができたら、それは「奇跡」だ。さてそんな中、1時から中1の男子4人が自習に来た。「お!こいつらもなかなかやるな・・・」僕はそう思った。自習中の私語は、「即帰宅」なので、無言のまま50分間ほど勉強をしていた。ところが最初の休憩の時にフラフラと外に出て行ったきり、戻ってこない。4人中2人は勉強道具を置いていっているようだ。これが「差」を生むのだな。ゆうた と めぐは朝の10時からすでに4時間近く集中している。先ほどの4人は、50分だけだ。今はどこかに遊びにいってるのだろう。午後7時からの授業以外に来たことは評価する。だが、塾を出て行くとき、後ろで黙々と勉強している2人の姿を見て、何も感じなかったのであろうか。断言できる。彼らは期末で ゆうた と めぐに負ける。中学は違うが、同じようなレベルで勉強しているであろう同じ中学の友達に負ける。初めての期末テストだ。仕方がないといえば仕方がない。だが、結果を見て自分の「甘さ」に気がつくだろう。中間テストを経験した者と、次の期末がはじめての定期テストな者この両者の差は大きい。
2006.06.24
今日は期末対策の日だ。朝の10時から夜の10時までず~っと授業。時間割としては中3生が午前10時から午後4時まで中2生が午後4時から午後7時まで中1生が午後7時から午後10時までである。もう一度書きたい部分がある「中1生は午後7時から午後10じまで」である。あえてもう一度書く「中1生は午後7時から午後10時まで」である。ところが僕の前に黙々と勉強をする2人の姿がある。それがゆうたとめぐだ。この2人は・・・そう・・・・中1生だ。中1生は午後7時からの授業なのに、その9時間も前に塾に来て勉強を始めているのだ。全中1生に、朝の10時から自習室が使えることはメールでお知らせしてある。その中で本当に来たのはゆうたとめぐの2人だけである。僕から見て、右側の教室が「中3Aクラス」真ん中が「自習室」左側が「中3Sクラス」である。つつーっと視線を左から右に移していくと、どの学年が受験生かが分からない。完全に中3に同化している。実はこの2人は、1ヶ月前に中間テストを経験している。ともに「超上位層」に食い込んだのだ。その時に、「高得点を取ること」「上位者となること」の快感を味わったのだ。と同時に、「もっと上に行きたい」「負けて悔しい」という思いもしたのだろう。だから、期末に向けた意識が他の中1生よりも「はっきり」しているのだ。他の中1生が頑張っていない、というわけではない。だが、「より」頑張っているのだ。2人とも間違いなく「焼肉」行きだろう。わずか12歳であの肉の味を知ってしまって、今後の人生に支障をきたさないかが不安だが・・・ねえ、ゆうためぐどうして頭を上げないの?どうして普通に2時間も座りっぱなしで勉強できるの?すごすぎるよ。
2006.06.24
今日の中3のペナ部レベル5で、僕はある決定を下した。12時までに合格が出来なければ、明日の10時からのテスト対策の出席を禁止するというものだ。これによって、中3Aクラスの6名が出席禁止になった。このテストは昨日も書いたように、一週間前から問題と解答を渡してあったテストだ。ただ、分量が多く、急いでやって50分ギリギリという問題だ。当然考えながらやっているようでは間に合わない。そもそも解答まで渡してあるのだから、考える必要など全くないレベルまでやり込めたはずだ。それなのに、7人がレベル5に進んだ。レベル5の前日に、レベル5をクリアーする条件を伝えた。課題がない代わりに、テストで満点を取るまでやる!というものだ。つまり7時に来てテストに受かれば、8時半には帰宅できる計算になる。ここでの問題も、やはり「同じ」である。で、結局10時までに合格したのは1人だけ。中には「空欄」まであるアホもいる。怠け心以外の何者でもない。そんな状態で明日のテスト対策に出ても、何も得ないだろう。だから、今日中に合格しないようであれば・・・としたのである。さて、不合格になった生徒はどうするか。テスト対策は土曜日だけではない。日曜日も同じ時間から始める。そこでだ。明日の4時にもう一度テストをする。そのために6名は塾に来る。そして一発勝負のテストをする。問題は「同じ」だ。問題も答えもそのままのテストだ。それで満点を取ったものは、日曜日のテスト対策に参加してよい。とした。いいですよね?お父さん、お母さん。問題はあらかじめ知っているんです。答えだってもちろん全部知っています。大学入試であれば、完璧な裏口入学のレベルです。これで落ちるようであれば、テスト対策から締め出してもいいですよね?満点取れない理由がないですよね?自分が蒔いた怠け種は、もう立派な怠け花になって悪臭を撒き散らしている。自分で蒔いた種だろう。自分で拾えよ。もう親は拾ってはくれないよ?
2006.06.24
いろいろアイデアは浮かぶが、一発単純に「絶対に成功する塾」を考えてみた。この塾が実際にできれば、まず間違いなく成功する。しかも、全国の塾長からは尊敬のまなざしで見つめられるだろう。だれからも批判はでない。まさに最強の塾だ。どんな塾か。それは、全国の塾ブログの中で、「なぜやらないんだ!」「どうして怠けるんだ!」「なぜ・・・!?」という対象になっているような生徒を「根っこから変える塾」である。塾関係者なら分かるはずである。「そんな塾は無理だ!」と思うでしょ?だから、「最強」だと思う。絶対に無理だと思うでしょ?だから、もし作ることができれば・・・「最強」の塾だろう。どう?前にも同じような記事を書いたような気がするが・・・思考が停止し始めてるな・・・
2006.06.23
8日前の問題と解答を渡したテストで昨日9割を合格ラインにテストをした。そのテスト範囲は、今回の期末の範囲のみだ。合格者ゼロ。昨日の授業の中でレベル5では「同じ問題」を「満点」でクリアーできることを伝えた。レベル5に挑んだ者7名中、一発で満点を取った生徒0人。2回目で満点を取った生徒1人。残る6人はまだレベル5継続中である。7時から始まったレベル5も3時間半を過ぎた。8時、9時当たりにはまだ笑顔も見られたが、この時間になって、やっと「やばい」と思い始めたようだ。遅いのだ。全てにおいて、タイミングが遅いのだ。チャンスをことごとく逃している。早く気がついた者から早く結果を出し始めている。気付くのが遅ければ、それだけ結果が出るのが遅くなる。この6人に、「勉強の極意」を体験させてあげたい。笑いながらできるはずがない。手に汗をにぎらないはずがない。本当の勉強はそんなもんじゃない。レベル5のクリアーには、100点が条件だ。テストを一回やるのに、60分かかる。今回の英語の試験範囲の全てが何通りもの出題パターンで出されているテストだ。これを100点取ることが合格ラインだ。例えば2問目で間違えていれば、その時点で採点は終了する。「はい、もう一回ね」と言って○付けもされていない答案を返されるだけだ。気合いと集中力が足りなさ過ぎると感じる。きっとこれが1時とか2時とかになると、意識が朦朧としてくるのだろう。「もう勘弁して欲しい・・・・」みたいな表情丸出しでこちらを見てくる。でもね、一発で90点取ってる奴と、レベル4で100点を取ってる奴、追試免除にならずに追試で90点を取ってる奴は「勘弁も何も関係ないんだからね。」誰がこの結果を招いてるんだろうね。不思議だね。どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだろうね。ここ一番、ぐっと気合いを入れて見せろよ!!!!!って偉そうなことを言ってる俺・・・実はダブルパンチで凹んでます・・・は~・・・・
2006.06.23
「先生!一日何時間勉強すればいいんですか?」さて、これにはどう答えるか。僕はこう答える。「24時間に決まってるでしょ!」生徒は面食らっている。「・・・?」そこで僕がたたみかける。「理想は24時間。ところが悲しいことに、人間には『やらなければ死んでしまうこと』がある。それを24時間から引いてみよう。睡眠と食事だ。そして、『やらないと周りの人に迷惑がかかること』がある。それをさらに引いてみよう。排泄と入浴だ。さらに、君達には学校がある。通学時に歩きながら勉強すると事故に巻き込まれて死んでしまうので、その時間もカットしよう。あとは実技科目の時間も引く。勉強科目の時間は、それがそのままテスト対策になっているのだから、勉強時間と考える。これで残った時間を全て勉強にあてよう。何か質問は?」おそらく生徒としては、「4時間」とか「6時間」といった答えを期待していたのだろう。だが、「○時間やれば○○点取れる」ということは絶対にない。順番が逆だ。「○○点を取るための勉強をしたら、○時間かかった」のである。時間は勉強の目安にはならない。今回の期末でおそらく学年トップクラスに食い込んでくるであろう連中は、もうとっくに「勉強しますメール」を送ってきた。これから延々と勉強に挑むのだろう。今日は何時までやる?そんなことを考えては駄目だ。「自分が納得できるレベル」まで終わらせた時間が「勉強終了時刻」だ。おっと、今追試に合格して変える間際の中1生が、「先生。明日は何時から塾開いてますか?」と聞いてきた。僕は「10時からだよ」と答えた。中1の授業は午後7時からである。でも彼女は午前10時に来るだろう。前回の中間で450点目前までいった子である。すばらしい。めぐ!最高だ。頑張ってくれぃ!残された時間は全員に平等に与えられる。今この瞬間も平等だ。必死こいてやるのも、タラタラやるのも、何もやらないのもぜ~んぶ自分の自由だ。そんなことは、もう言わなくても分かるよね。そんなことは、言っても分からないよね。塾は、リアルに子供達に「差」がついていくのを目撃する場所だ。きっと5年後、10年後、もう取り返しがつかないくらいの『差』がついているのだろう。1人でも多くの松江っ子に「上」に行ってほしい。こんなことは言いたくはないが、世の中確実に「上」と「下」がある。リアルな現実って、子どもにはなかなか伝えにくいかもしれない。でも、中学生なら十分にそれを理解し、受け止めることができるだろう。みんな!「差」ってあるからね。時間が経てば経つほど、その「差」は広がるよね?頑張ろうね。
2006.06.23
松江塾の小学部には、「計算道場」と「漢字道場」がある。単価がかなり安いためか、「○文ではなく、松江の道場」みたいな方も結構いる。だがこの道場には、「頑張りを評価するシステム」はあるものの、「頑張りを強制するシステム」がない。つまり、頑張る子はどんどん先に進み、頑張らない子はいつまでも同じところに停滞してしまうのだ。これでは、小学生の計算力・漢字力を根こそぎ鍛えるという道場のコンセプトにそぐわない。ということで、計算道場と漢字道場に「ペナ部レベル0」を導入しようと思う。「レベル0」としたのは、「ペナ部レベル1」だと、翌日に塾に来なくてはいけないのだ。道場生の場合、他の習い事の影響がとても大きい。つまり、重要度は他の習い事と同等なのだ。そこで翌日に塾に来るというのは避けたい。だから「レベル0」である。居残りではない。道場の時間内で完結するような「ペナ」システムにする。現計算道場は、ひたすらに各ページを満点制覇していくシステムだ。これに「前回やったところからのテスト」を道場開始時に加える。100点ならは例によってポイントゲット!1問でも間違えたらポイントはなし。そして間違えた計算を含むページを再度ノートに解きなおす。それを満点でクリアーしてから今日のページをやっていく。こんな感じでどうだろう。漢字道場については、テストに関しては今までどおり。間違えた漢字をノートに何回か書くというペナをやる。そして「再テスト」をする。満点の場合は一発合格の半分。またまた間違えた場合は、同じことの繰り返し。ポイントはその都度半分にしていく。そんなことを数回繰り返してしまうと、その日は一文字も練習ができなくなるわけで、次回のテスト語数が減ってしまう。こんな感じだね。漢字道場に比べて、計算道場のほうが圧倒的に人数が多いので、計算道場のシステムをもうちょっと煮詰めてからスタートしよう。テスト作りがちょっと大変かな。でも○文の3分の1の費用で○文以上の成果を出したいよね。
2006.06.23
小学生・中学生・高校生のお母様に言いたい。夜遅くまで勉強しているわが子を見て、こう思ったことはありませんか?「夜更かししたら、明日の授業中に寝ちゃうんじゃないかしら。テストでいい点を取るには授業をしっかり聞くことこそ大事だわ!もう寝かせなくちゃ!」あるでしょ~。でも、これは間違ってますからね。いいですか?テストに全神経を集中させ、本気で燃えている子は、前日に朝まで起きて勉強していても次の日の授業中に寝ることはありません。テスト直前の授業では、テストに関係したことをやる場合がほとんどで、なおかつ先生からテスト情報が話されることが多いのです。だから、「寝てる場合じゃない」のです。燃えている子はそれを熟知しているので、絶対に寝ません。ちょっと夜遅くまで勉強をしたからといって、大事なテスト前の授業で寝てしまうような子は、前日にたっぷり睡眠をとったからといって、授業中先生の話を聞いてません。本当に頑張る子のテスト前の「緊張感」はそんなもんじゃないんです。頑張る子は、夜遅くなって心配した親が「身体壊すわよ。もう寝たら?」なんて言葉をかけられたら、それこそ「ファイヤー」です。眠気なんて100万光年も彼方に吹っ飛ぶものです。親に自分の頑張っている姿を見せられることが、子供にとっては快感なのです。一声かけて、「そうだね。もう寝るよ」と言って本当に寝る子は、結局明日の授業中も寝てます。起きてても先生の話は聞いてないです。そういうものです。テスト前、わが子に頑張らせたいのなら、「頑張りなよ!」の一声じゃなく、「もう寝たら?」の一声のほうが効果があるかもしれません。それで本当に寝てしまったら・・・まだまだ「成績爆発」の時期ではないのかもしれませんね。
2006.06.23
一つ前の記事で、松江っ子のすばらしさを伝えたばかりなのに・・・今の僕は「切れそう」だ。ねえ、どうして「事前に配布した問題」と同じ問題のテストで合格できないの?ねえ、どうして「事前に配布した問題」と同じ問題のテストで合格できないの?ねえ、どうして「事前に配布した問題」と同じ問題のテストで合格できないの?答えも渡してあるのに答えも渡してあるのに答えも渡してあるのに一週間も時間があったのに一週間も時間があったのに一週間も時間があったのにテスト範囲の問題なのにテスト範囲の問題なのにテスト範囲の問題なのに期末まであと一週間なのに期末まであと一週間なのに期末まであと一週間なのにねえ、どうして?ねえ、どうして?ねえ、どうして?俺に何をしろと?俺に何をしろと?俺に何をしろと?ごめんなさい。僕のかわいいかわいい奥さま。明日はどうやら「朝」までかかりそうです。先に寝てていいからね。ごめんね。見放すことは簡単だけど、どうしてもどうしてもできないのです。
2006.06.22
松江塾に在籍してる生徒は、期末前に絶対に欠席しない。よく、「テスト前は自分で勉強をします」みたいな子がいるということを聞くけど、松江っ子にはそれがありえない。今日も中3は全員出席である。それもそのはず。期末の試験範囲の勉強しかやらないからだ。テスト前に塾を欠席する子の心理は、「塾に行かないので、時間がたっぷりある」となる。するとその心理的余裕が結果的には勉強時間の減少をもたらすのだ。今までの傾向からして、テスト前に塾を休む生徒は間違いなく成績が低い。焦る気持ちは確かに分かる。特にそれまでの塾の授業をさぼり気味だった生徒は、「塾のテスト対策問題もどうせ解けないし・・・。だったら、基礎からもう一度自分でやり直したほうが・・・」と考えるのも理解できる。自分で蒔いた種と言ってしまえばそれまでだが、家でやるよりは1000000倍も塾に来たほうがいい。数年前には、「家でしっかりと期末の勉強をさせますので欠席させます」などと全く勘違いをしてしまっている保護者の方からの連絡もあった。わが子の食事に毒を混ぜて食べさせているようなものだ。僕らは「勉強」のプロだ。プロが言っていることなのだから間違いはない。テスト前に塾を休むことは、「悪」だ。誰が何と言おうとも「休んでは駄目だ」。自分でやる?無理無理無理。笑顔で1000000%否定してあげよう。「あ~、君ね~、それ無理!」0.2秒で瞬殺である。松江っ子にはそんなアホはいませんよ。自分の点を上げるためには、今どこに行けばいいか。今何をやればいいか。そういったことを嗅ぎ分ける嗅覚をしっかりと身につけているようだ。すばらしきかな、松江っ子。
2006.06.22
僕らは常日頃、生徒達に「努力の重要性」を伝えている。だが、「努力以前の問題」というのがあるんじゃないだろうか。たとえば、「10」という到達地点があるとする。その「10」に努力によってたどり着ける人間というのは、努力を意識しない状態で「8」までたどり着いていた人間なのではないか。たとえば、「20」という到達地点があるとする。その「20」に努力によってたどり着ける人間というのは、努力を意識しない状態で「18」までたどり着いていた人間なのではないか。どうだろう。努力なしで「2」までしかいけなかった人間が、努力によって「20」にまでたどり着けるだろうか。言い方を変えれば、「2」までしか行けなかった人間が、「20」にたどり着くほどの努力をすることができるだろうか。道は確かにそこにあると思う。でも、現実にその道を「努力」によって駆け上がっていけるのだろうか。厳しいと思う。勉強についてみてみれば、中学でトップ層に君臨している子たちは、小学生時代に自分が「努力をした」という自覚を持っていない。小学校の勉強は、「できる」とか「できない」という以前のレベルで捉えていることが多い。「全て常識の範囲」という感覚といえばいいだろうか。中学入学時点で、「8」までごく普通の状態でたどり着いたのだ。だから彼らの「10」にいたるまで努力は「2」に過ぎない。小学校の時点で「4」までしかたどり着かなかった子は、もうよっぽどの意識変革か生活変革がない限り、「10」にはたどり着かないだろう。もちろん、その「意識変革」や「生活変革」を起こさせるために我々塾人が日々頑張っているのであるが・・・だから、「小学生」は重要なのだ。僕が見ていて思う。「努力」をしていないように見えて「8」にまでたどり着く小学生は、「人の話を目で聞き、頷きながら聞いている」ただそれだけだと思う。本当だ。通う塾がどうのこうのなんてレベルじゃない。とにかく、人の話を「目で」「頷きながら」聞いているだけなのだ。先生の話は、「自分に」向けられているのだ、という意識をごく普通に持っているのだ。ただそれだけで、「8」か「4」かが決まっているのだ。正直なところ、小学校2年生の段階では、そこに明らかな「差」が見える。もっと早い段階での「分かれ道」があるのかもしれない。何がその差をもたらすか。最後に、これを書いておこうかな。人の話を良く聞いている生徒と、聞いていない生徒では、同じことをマスターするための労力に「3倍」の開きがある。聞いていない子は、聞いている子の「3倍の努力」がないと、同じことをマスターできないのだ。授業を聞いていない子から、こんな相談を受ける。「勉強しているのに、点数が上がりません。」・・・・・・・・・・・・当たり前だ。君は人の話を聞いていないのだから。
2006.06.22
テスト前のこの時期に、ペナテストの制限時間をちょっと短くしている。僕の「はい、そこまで~」と一言が発せられてから数秒後に全員がやっと終わるくらいの時間だ。そのせいか、結構落ちる子がいる。時間がたっぷりあれば受かったであろうが、あえて時間を短くしている。なぜか。それは、「高速回転をする脳みそ」を作り上げるためである。42.195キロを走りぬく持久力を付けたければ、練習のときに最低でも42.295キロを走らなければならない。50キロのバーベルを上げたければ、練習のときに最低でも50キロのバーベルを持ち上げなければならない。「その力」がほしければ、「その力」を使うだけの練習を重ねなければならないだろう。回転スピードの遅い脳みそと速い脳みそでは、どちらがいいか。その答えは「言わずもがな」である。では、「速い回転」がほしければどうすればいいか。それは「速い回転」を強制するような練習を重ねればいいのだ。100ます計算がこれほどまでに浸透した背景には、計算が速くなることで、脳みその回転が速くなることが目に見えて分かるからだ。ただ、計算が速いだけではあまり意味がない。計算というのは、ごく限られたルールの組み合わせでしかない。一見すると「頭の回転が速く」なり、「頭が良くなった」という錯覚に陥るが、計算が速いだけのアホはたくさんいる。問われている内容を瞬時に理解し、それまでに積み上げた大量の知識を瞬時に脳みその奥底から引き出し、それを瞬時に再構築して解答にする・・・これをどれだけ「速く」できるかで脳みその回転数の速い、遅いが決まる。ここでは軽く三段階に分けたが、その段階ごとで、それを「苦手」にしている子がいる。問われていることを瞬時に理解できない子その問いに答えるための知識を瞬時に引き出せない子解答にするために再構築できない子どの段階が遅くても、解答を導き出す時間は遅くなる。僕は生徒に言っている。「所詮学校のテストは「ヘボい」。50分間のテスト時間をフルに使って問題を解き終わるようでは高得点は望めない。英語なら15分。数学なら25分。国語なら20分。理科、社会なら10分で一回ズバッと解き終わらなくてどうする!」と。学校のテストは試験範囲がある。つまり、ほぼ出る問題は分かっているのだ。だから本番のテストで問題を見た瞬間、「ああ、はいはい、これね。」そしてズババババっと解答を書く・・・そういった状態なくして、450点など夢のまた夢・・・国語の文章題など、本文の出だしと終わりを確認したら問題を解け。学校の定期テストで本文を読んでいるような奴は、アホの極みだ。本文なんぞ、それこそ全て頭に入っていなければ話にならない。接続語だろうが、重要語句だろうが、何が( )で抜かれていたって、脳みそが「ピクリ」ともしない状態で答えをかけなければならないのだ。分かる?練習の段階で脳みそをフル回転させることを続ければ、テスト本番は、「解答用紙をシャープペンで埋めるだけ」の作業になるのだ。漢字の問題は、自分の名前を漢字で書くのと同じレベルでなくてはならない。計算問題は、「九九」と同じレベルに思えなければならない。文法問題は、「ああ、これならもう見飽きたよ」と思えるレベルだ。社会や理科の問題は、全部の問題が「地球は丸いですか、四角いですか」レベルね。いい?限りなく500点に近い点を取る奴は、テストで頭を使わないよ。使うのは「腕の筋肉」だけ。分かるね。今の自分のレベルが・・・「まだまだ」だよね。さ、脳みそは高速回転してるかい?
2006.06.22
塾講師の最大の敵を知りたい?塾関係者のブログを10個読めば、大体その8個くらいに書かれているからすぐに気づくかな?中にはその敵がいない塾もあるけどね・・・そんな塾はごくまれだろう。答えは こちら ↓はい、お待たせしました。塾講師の最大の敵は「やる気のない生徒」です。塾関係者のブログの10個中、8個に書かれているのは、「やる気のない生徒」のやる気をどう引き出すか。(まあ、ないのだから引き出しようがないのかもしれないが・・・)「宿題をやってこない生徒」にどう対処するか。(やってこない奴は、一生やってくるようにはならないかもしれないが・・・)「授業を妨害する生徒」にどう集中させるか。(授業を妨害する奴は、塾に来る資格がないのだが・・・)ということである。「勉強がとてもできる子にはどう対応するか」「素直な子を相手にした授業はどうすべきか」「宿題を完璧にやってくる生徒をどう褒めるか」「テストで連続満点を取る子の次のステップは?」などといったことはまず書いていない。塾関係者の目線は、常に「出来ない子」「やる気のない子」に向けられているのだ。であれば、塾講師の最大の敵は「出来ない子」「やる気のない子」であろう。さて、敵がいる以上、勝てない塾講師はつかえない。誰だって、弱い格闘家に魅力など感じないだろう。いかに敵に勝つか。「常勝」を見せ付けることができる塾講師が、「最高の塾講師」だとはいえないか。だから塾関係者は毎日ブログの中でもがき、苦しむさまを綴っているのではないか。人生で勝つまえに、目の前の敵に勝たなくてはならない。さあ、明日。来い、明後日。ん~、明々後日勝ち続けることが出来るか?なかなか敵も手ごわいぞ。だって・・・まず・・・「目」すら合わないからね・・・最強だ。
2006.06.22
埼玉の公立受験の場合、中1の3学期の内申中2の3学期の内申中3の2学期の内申がそのまま得点化されて、全体の40%程度の割合で合否判断に使われる。具体的に言うと、中1の9教科合計45中2の9教科合計45中3の9教科合計45が「1年:2年:3年」が「1:1:3」←高校によってこの比率は異なる。の割合で得点化されるつまり、全部オール5だった場合、「1年:2年:3年」=「1:1:3」=「45:45:135」になり、合計得点は「225」となるわけだ。3年の成績が一番重要視されるのは当たり前だが、中1、中2も全体の40%だから気を抜けない。特に松江塾から一番近い「川越高校」などは、その比率が「1年:2年:3年」=「2:2:3」となるわけだから、むしろ1、2年のほうがウエイトが大きい。さて、ここまで書くと、「じゃあ3学期頑張らなくちゃね!」と思われるだろう。だが、それは違う。僕は常々言っている。大事なのは「1学期」だと。理由は「成績は先生という人間の判断によって付けられる」からだ。一度「3」という数値が付いてしまった子は、その先生に「3」というイメージをもたれてしまう。最悪なケースだと、1学期に60点で3を取り、2学期の期末で90点を取っても「まぐれかもね。3学期もこれくらい取れたら4にしてあげようかな」なんて思われてしまう。一度ついたイメージは大きい。変えるのは至難の技である。だから、「1学期」の期末は頑張らなければならないのである。さあ!期末まであと1週間。もう「やっている人間」と「やっていない人間」の差がはっきりと見えてきている。ペナテストの結果しても、「目」の輝きにしても、全てにおいて「差」が出ている。頑張れよう!松江っ子。だからと言って、授業中の空気が重くならないのがいいね。今日の中1の国語でも、文節の確認で「先生がyo!今日yo!学校をyo!休まれたyo!」と言いながら、きゃっきゃと授業が行われた。それでも「文節区切り完璧」「単語切り完璧」だから、不可思議な集団である。恐るべし。松江っ子。あ、そうそう。としゆき~!!!!まな~!!!!ゆうこ~!!!!追試免除からの復活!!!おめでと~!!!!お前ら~!!!輝いてるぞ!!!1年前の自分が今の自分を見たら、きっとびっくりするだろうね!としゆき!お前はもう「こんなの無理だよ~!」って言わなくなったな!まな!ゆうこ!お前達も「どうせだめだし・・・」って言わなくなったよな!最高だな!一生懸命頑張るって・・・気持ちがいいだろ?
2006.06.21
今回から、中学生を対象に「秘伝書」なるものを渡している。これは松江塾の先輩で450点をコンスタントに超えていた先輩達の勉強法を具体的に書いたものである。もちろん、それらは全てその本人達に書いてもらったものだ。秘伝書なので、その内容に関しては言えないが・・・さて、それを今日中1生に配っている。先ほどAクラスのメンバーに配ったのだが、一読したあと、「マーカー」で線を引いているではないか!!僕が何かを言ったわけじゃない。僕はただ、教室の前をうろうろしただけである。それなのに、自分にとって有益であろう内容が書かれている部分に「線」を引き出したのである。正直驚いた。中1生の「熱」は相当なものだ。今年の19名、なにやら「トップ層独占」の匂いがプンプンする!すごいことが起きるかも・・・?
2006.06.21
塾は小4から通うべきだ。これは中学受験の話ではない。「完璧塾」であれば、絶対に小4から通うべきだと思うのだ。僕はそもそも中学受験向けの勉強に疑問を抱いている。勉強の基礎を徹底的にやるべき時期に、目指す志望校のランクによって、「この問題は解かなくていい」とか「合格するには7割取れればいい」といった指導をするのが、どうしても納得がいかないのだ。中学に進学してからの普通の「完璧を求める勉強」に矛盾を感じてしまうようにはならないのかな~。たまに心配になる。さて、小4からの「完璧塾」への通塾は、どんな効果をもたらすのか。小学校で行う勉強は、まさに「基礎」である。基礎はみんな分かって当たり前である。だが、今の小学校でのシステム上、「定着」を図るための時間がない。これは通常の公立中学校進学を前提としている塾でも同じだ。受験というゴールがない場合、どうしても「つめ」が甘くなる。さらに、大体の小学生対象の塾が「クラス分け」をしていない。中にはとんでもなく理解の遅い生徒もいるだろう。であれば、中学部に備えて、何となく生徒を集めて指導をしている塾が多いのが現状だと思う。だが、小学部に「ペナ部レベル4」「レベル5」を導入して分かった。小学生は、中学生以上に「合格」や「100点」に対するこだわりが強い。周りからの評価も気にする。だから、学力の根本を根こそぎ鍛えるには、小学生の時に「ビシビシ」やるのがいいのだろう。だから、お近くに「完璧塾」があるならば、是非早めに通われることをお勧めする。大体そういった塾は、「厳しく」「完璧を」求めてやっているはずだ。その塾で小学生の数年間をびしっと過ごした子は、間違いなく中学で花開く。これは保証する。松江塾ではこの方針の転換により、去年度から小学生の生徒数が数十倍になった。6月の時点で小6生の残席数が・・・9席小5生の残席数が・・・9席小4生の残席数が・・・6席しかない。去年よりもかなり速いペースで席が埋まっていく。中1から松江塾を考えている方は、おそらく10月には締め切りになってしまう勢いだ。通塾開始が遅いほうがいいという理由はもはや、ない
2006.06.21
問い合わせの電話の中で、こんな話になることがある。「松江塾は進学塾ですか、それとも補習塾ですか」さて、どう答えよう。まあ目的による分類だろうから、進学目的か補習目的か他の塾の方はどう答えているのだろうか。小学生だけを考えるならば分かる。松江塾は中学受験を扱わないので、いわゆる「進学塾」ではない。でも「補習塾」か?どうも補習塾というと、「勉強のできない子のフォロー」というイメージが付きまとう気がするのだが・・・「学習を補う」んでしょ・・・学校の授業が物足りないので、それを補うのでも「補習塾」だよね~。学校の勉強を超完璧にマスターさせるのだって「補習塾」だよね。「進学塾はレベルが高く、補習塾はレベルが低い」っていうのが浸透してない?松江塾の中学部は、「学校の勉強を『超絶レベル』で完璧にする」のが目的なんですけど・・・「松江塾は進学塾ですか、それとも補習塾ですか」って聞かれたら、次からはこう答えよう。「松江塾は『完璧塾』です」よし、これでいこう。結局、学校の勉強を超完璧にしているだけで、松江塾の難関校合格率はその辺の大手塾をはるかに超えているからね~いい響きだ。「完璧塾」・・・・
2006.06.21
学力の高い子は、間違いなく記憶力がある。学力の低い子は、間違いなく記憶力がない。そう感じるのは僕だけではないはずだ。全ては「記憶力」の差だろうか・・・こんな生徒がいる。その生徒は、6年生の途中から入塾したのだが、2ヶ月間くらいアルファベットの小文字が書けなかった。ノートにどんなに練習し、どんなに暗唱させても覚えられなかった。ペナ部長と言われても、くそまじめにペナ部だけは休むことなく来ていた。その彼・・・今英語のテストで落ちることがまずない。Be動詞の文と一般動詞の文の識別や和訳も完璧にこなす。英語を教えている方であれば、それがどれほどの進歩か分かるはずだ。質問の内容も変わってきた。「漢委奴国王」の「委」には「にんべん」がないのに、「親魏倭王」の「倭」には「にんべん」がつくんですよね?」なんて聞いてくる。社会のペナテストでは全部漢字で書かなければいけないからだ。子供の学力が伸びるときは、明らかに「記憶力」が伸びていると思うのだ。だから僕は徹底的に「暗記」「記憶」にこだわっている。家庭の中ではぜひ「記憶」を意識して子供に接してみてほしい。たとえばお使いを頼むときに、メモを渡さない。買うべきものを列挙し、それを復唱させ、「頭文字」だけを並べた言葉を思い出させる。全部間違えずに、買ってこれたらちょっとしたご褒美があっても子供はうれしいだろう。僕の家では、必ず子供に記憶の掘り起こしをさせるようにしている。子供の記憶力は気持ち悪いほどだ。僕と息子の記憶力勝負は、「ウルトラマン」を最後に僕の完敗状態である。もうポケモンになるとお話にならないレベルだ。逆にふと思うのが、子供に何かを記憶させないように生活をすることもできるな・・・ということである。子供の身の回りのことをすべて親がやり、子供はされるがままになっていれば、一切「記憶」をしないですむのだろうな・・・ちょっとした意識の差である。ぜひ、ゲーム感覚になるような工夫をして取り入れてみてはいかかだろうか。
2006.06.21
今日はいままで追試免除になっていた中3生たちがたくさん来ている。この2週間は、追試免除ということで、テストに落ちても塾に来る必要はなかったわけだ。その結果、家で勉強する時間が増えたと思いきや、一向に合格率は上がらなかった。それどころか、どんどん点数が下がる子達が続出だったのである。やはり、まだまだ「自学」のスタイルが出来上がっていないんだね。それは仕方がないことだろう。中3で自学ができる子は多くない。レベル5として、やるべきことをバシッと与えた。そして「満点合格」というハードルも与えた。その結果、みんなが黙々と集中して勉強をし始めたのだ。来たときは「明日試合だから早く帰宅させてください」と連絡を入れてきた生徒も、「何だか乗ってきた!途中で帰るのは気持ちが悪い!」と言ってまだやっている。みんな気持ちよさそうに問題と格闘している。やっぱりいいな!この雰囲気!
2006.06.20
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