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誰にでも必ずこだわりはあると思う。 アイデンテティを得ようとすると自分でなければ出来ない事を何か探すことになり、それがこだわりへと変質する。自己の存在理由を見つけ、その価値を高めようというわけだ。 アイデンテティを得ようとする人は優秀な証拠だ。与えられた現状では得られない自己達成感を得るために、自らそれを求めて行動するのだ。 問題なのはそれが建設的な方向に働いているかどうかだろう。 メジャーレーベルが求めているものは、音楽的技術ではなく音楽的才能だ。だからデモテープにしてもギター一本でも才能は判るし、いくらオケが素晴らしくても、演奏がすごくても、歌が上手くても、既成のスタイルをなぞっただけのものは趣味のレベルとみなされる。技術だけのものではマーケットが興味を示さないのだ。ましてや芸当とみられては見世物で終わるだけである。 当然メロディや詞、演奏、歌唱などの基本的技術は必要だ。ただそれは当たり前の事であって、その上で何が必要かということになると、自分でしかできない何かを作る努力がそこにあるかどうかになると思う。 安易な例で言えば、自分の音楽を発明することだ。 ジャンル、リズム、スタイルなどを発明し、その分野でのオリジネーターになることを例えばBeatles、ZEP、Prince等のアーティスト達は行ってきているのだ。 「何かで成功するにはパラノイアである事が必要だ」とかつてビルゲイツは言った。 それは執着の異常性が時には巨大なエネルギーに転化するということなのだ。バランス感覚の欠如は飛び抜けた才能のエネルギーによって解決してしまう。 何にでも道はある。演奏力へのこだわりでもって、それが他を抜きん出ているのなら、プレイヤーになる道がある。アーティストに必要なものは音楽で人を動かす作品力と表現力になるのだ。そこへもっと執着して欲しい。 もしあなたに何かへのパラノイアの気質があって、それを活かせる人生がそこにあるなら、きっと大成することと思うが、活かせない場所にいるのなら周囲の人間も含めて大変不幸な人生となるだろう。 だからその場所は自分と向き合い、よく考えて決めるしかないのだ。
2003.03.01
海外のある程度のアーティストになると、正規盤やブートレグで作曲デモがCDとして流通しているものが多くある。 バンドに作曲メンバーが渡す曲のデモ、スタジオでメンバーが弾き語りで共作しているデモ、他のアーティスト用に作ったプレゼンデモなど、正規盤だと豪華な解説も付いていたりする。 僕もこれらを相当の数所有しているし、仕事柄当然国内の多くのヒット曲から埋もれた曲までのほとんどの作曲家の自宅デモは持っている。国内アーティストの自宅デモもかなりの数になる。 残念ながら自分の業務上管理下にあるものしか他人には聴かせられないが、こういった音源から学び取れる事柄は、情報やノウハウとしては実に膨大なものになると思う。 海外アーティストのCDには、鼻歌での弾き語りが、少しずつコードが変わり、アレンジが加えられ、歌詞が決定され、完成されたバックトラックやバンド演奏などに変わってゆくように、トラックNo.が付いた各ヴァージョンが丁寧に収められているものもあり、感動的な資料になっていたりする。 一時期話題になった「ビートルズセッションズ」のように事細かくスタジオワークが記された書籍もあるが、CDと一緒に聴くと、歴史的名盤が完成されるまでの音楽制作を共有体験できるのだ。彼らの場合はアクシデントやトラブルをそのまま採用していたりするのが多く、大変驚いたものだ。 音楽を作る作業の楽しさは過程のドラマにもあり、当然多くの苦労もあったりもするのだが、クリエイティヴの背景にある何かをこのような情報からストレートに感じる事が、作る側の人間にとっては何よりも得るものが多く、最も説得力があるのだ。 かつて純粋に音楽を完成に向けて試行錯誤する段階として存在したデモテープも、今は広告代理店やテレビ番組制作者などを説得するための音源としてまで利用されることが多くなり、本来の意味を失ってきているが、逆にデモテープの音楽的な方向性が直接そのCDのリリースを決定することにもなるわけで、それ自体の重要度は随分増しているのかもしれない。 今はインターネットがあり、メーカーの新人発掘サイトにはその音源がUPされていたりする。それも多種多様なものがある。 その用途が何であれ、デモテープを人に聴かせるなら、一度はこういった音源を聴いて自分の音源がそれらより優れている部分がどれだけ存在するかどうかを確認してみよう。 よくいるが、知っておくべき事を知らずに放っておいてグチるのも情けないものだと思うのだ。 僕はいつも自分を感動させる音を永遠に探し続けているが、そういう事は音楽を愛すれば当然な行動だと思うし、反対に僕のほうも何か面白いデモCDなどがあったら是非教えて欲しい。ちなみに僕の場合は昔はブライアンマクリーンやピートタウンゼントのデモCD、H-D-Hや、クリフトンデイビス、デビッドゲイツのソングブックを良く愛聴していたものだ。 時代は多様化しその手のマニアCDのリリースも随分増え、それとは別に僕の趣味も無節操に広がったものだなと思う。
2003.02.24
メジャーでは本物の音楽が出来ないからといったコアな音楽をやる人々が増え、オルタネイティヴというシーン、つまりアンチメジャーシーンが活性化してきた。これからはメジャーでなくともプロのアーティストとして活躍できるのである。 プロダクションマイナーレーベルやオルタナティヴレーベルなどのメジャー流通でないものが十分なマーケットを持つに至ったのだ。 国内には大小のインディレーベルが発生してきている。またドメスティックな音を持たないものはどんどん海外とコンタクトを取り、直接契約するようになった。 コア系、ラウド系、エレクトロニカ、エモ、ポストロック、エクスペリメンタル、ネオフォークなど、独特なジャンルもどんどん確立してきており、そのほかにもテクノトランス系、クラブ系、ラウンジ系、SSW系、ニューエイジ系、ミクスチャー、グランジ、サイケ、デジロック、ニュースクールなど支持層があれば必ずレーベルは存在している。 メジャーとオルタナティヴとの違いは流通経路とプロモーションの有無になるが、メディアプロモーションしなくても成立するくらいの十分なマーケット開発は、サウンドやライヴなどでのセルフプロモーションで可能だ。 逆に言えば上記の2つがかなり重要な要素となる。 その上でメジャーレーベルに比べ、圧倒的に投資回収率は高いのだ。メジャーで出しても食えないアーティストが、インディだとびっくりするくらいの大金を手に入れられるケースも多いわけである。 まずは自分たちの音がメジャー向きなのかインディ向きなのかを見極めることが大事だ。中途半端な音だと両者から嫌われてしまう。 成功は自分たちだけで手に入れられるのがオルタナティヴレーベルの魅力だろう。流通会社やショップへの営業やら苦労も多いが、成功したときはその分喜びも大きいのだ。
2003.01.21
音楽とは個性との出会いの側面を持っている。人を感動させる音楽というものは、音楽自体よりも音楽を利用した何らかのアーティストのメッセージの方が大きいものなのだ。 個性を探すということはマイノリティをも支持することになるだろう。マイノリティ側でいるには覚悟が必要だ。そのままでは広がらないがため、その個性をどういう形にして展開するかということに存在の可能性がかかってくるからだ。 あるマニア系のジャンルの音楽に情熱を持っているA&Rがいたとする。そういうアーティストとある日出会った彼はそれを何とかしたいと考えるはずだ。 やり方は2つ。それをある程度売れるような、つまり商品価値を付けて展開する方法。音楽でやる方法と音楽以外でやる方法があるが、いづれもプロデューサの力量が重要になる。もう一つは社内スタッフを説得し、場合によっては騙したりしながらも契約にもっていき、プロモーションプランで展開する方法だ。そうしてそのアーティストの作品がリリースされ評価が出た段階で、成功か失敗かがはっきりする。 成功した場合はひょっとしたらいくつかの影響を音楽シーンにも与えるだろう。失敗したときは契約次第では会社に大きな損失を与えるわけだから、こういったケースが重なれば、担当者及びそれに同調したスタッフは所属を移動させられたり、契約A&Rならば解雇されることとなる。 レコード会社はハイリスクであるがゆえ、簡単に倒産するケースも多いわけだ。 プロデュースで展開することがアーティストの成功の鍵であるわけだが、その上で重要な個性を商品価値に変えるという作業は、それら多くの個性を発見し見分けられるための音楽の引き出しも必要だ。 素晴らしい個性を見つけられるのも、その個性の背景となっている音楽に通じていなければ不可能でもあるからだ。その上で俗に言われる良いとこ採りといったプロデュースワークが行われたり、選ばれたサウンドプロデューサが得意とする流行サウンドなどにしたりするわけである。 良いとこ採りというのは魅力ある要素を拡大解釈し、マーケットに落とすというワザだ。数ある要素の中でも作ることが出来ない要素も存在する。その一つが声質だ。 今や誰でも声質でアーティストを探し、パフォーマンスをプロデュースして展開したりしているものなのだ。アーティストになるために要るものが運と天性と努力だとすれば、その天性というものの一つが声質だろう。 そのほかにもメロディメイカーとしてのセンスとわかりやすいキャラクターがあればいくらアーティスティックにサウンドを展開しても問題は無いとした、マーケットを見据えたプロデュースも増えている。 そして音がマーケットとつながるかどうか探す作業を行った上で、そのターゲットを確定するまでがプロデュースワークとなる。それが無いとプロモーション上でのターゲットへのアプローチ方法が決定しないのである。 ターゲットを確定する作業の一つに、以前も話した音楽を言葉で説明するということがある。 音楽を言葉にする場面を上げてみると、レコード店担当者へのチラシ、店頭説明、流通会社や紙媒体へのPR、ポップ、フライヤー、コメントカード、CDの帯、メディアへの紹介、タイアップ先へのプレゼン、などあらゆる場面が存在する。 とりあえず聴いてというのは、店頭でそう言われたあなたが興味なければその気にならないのと同じだ。興味を持たせるための手段が言葉だ。 キャラクタで興味を持たせるのもよくある手だ。見た目やパフォーマンスで何かがあれば、それがキーワードとなり、評判となり、実にシンプルに人に伝わっていく。当然話題を集めても音がダメならすぐ消えるだけとなる。 プロデュースという作業はこのように実に雑多な作業だ。プロデューサーというのは読んでのごとく、プロデュースの総責任者で、制作の責任者である。 指名を受けて、制作がスタートし、原盤を持っている会社から、与えられた予算の範囲でそのプロジェクトに適したプレイヤー、エンジニア、作家、アレンジャーなどをピックアップし、楽曲作りや、選曲、演奏、歌、アレンジ、ミックスなどにアイディアやアドバイスを与え、トータルで制作の流れをコントロールするのが仕事となる。 それに対しアーティストがやらなきゃならない事は表現したい音楽を明確にして、とにかくあとは作ること、表現することそれにつきる。 音楽とは作りたい人がどんどん作って、作りたくない人は作らなくても良くて、売りたい人は棚に並べると、買いたい人が棚から買うだけのものだ。ただその棚の量は限られており、棚に並べるためには競争が存在する。 メジャーだけでなくマイナー(オルタネィティヴ)レーベルも活性化しタイトル数が増え、もちろん多くの過去の名盤は永遠と増え続ける。 今これからは棚の位置というものが更に厳しくなってきているはずだ。
2003.01.13
作詞作曲の仕事が今ほど無くなってしまった要因はいくつかある。 まずは日本独自の原因として楽曲制作システムが無いこと。 音楽出版社がプロダクションによって運営され、アーティストの作品を優先させるがためと、同じ理由により、楽曲制作システムが存在せず、楽曲カタログのストック及びその制作に対するノウハウが無い為、作品がクオリティをもって供給されてこなかったことがニーズの要求を失わせた。 これは著作権ビジネスをプロダクション任せにしてきた作家側の責任だ。 2つめとして、アイドルが不在になったこと。 今いるアイドルはほとんど全ては独立系プロダクション型メーカーによるもので、アイドルの商品化からCD流通まで全て社内だけの業務で行うものだ。 アイドルはこういう会社でなければプロモーションできず、その音楽制作者はプロダクション所属の作家わずか2~3人で社内利益を追求する。 そして3つめは、作家の作品が楽曲のクオリティばかりを追及し、アーティストを失望させてきたからだ。 これは特に作詞家によくあるケースで、良い楽曲は作れるが、アーティストを売ることができる詞や生かすメッセージが作られず、そういったプロデュース感覚のない作詞家が多くのシンガーを失職させ、自らの作品をリリースする機会をも失ってしまうこととなった。 ここで一つ、楽曲の安定供給と現在活躍する作家型プロデューサについて考えてみよう。 作家型プロデューサと作家の違いは、自ら考えた音を作ってゆき狙ったアーティストを獲得してゆくか、応じた作品を提供するだけとの違いがある。プロデュースというのは売り方を考える仕事であり、それが出来る人は自然にプロデュース型に移行してきている。 アレンジャーがサウンドプロデューサに移行するのも全く同じ流れだ。当然ただのアレンジャーもどんどん失職している。 これからは自分の作品に固執する人は失職するか、常時安定供給するかの道しか残されていない。 そのためには重要になるのがディレクターの存在だと思う。常にニーズを作家に伝え、一緒に制作しストックしてゆく。作家も常にリクエストをしてゆく。そういう事が出来る人間はおそらく5~6名くらいしかいないのではないだろうか。 いずれにしてもこのままじゃアーティストという方法を選ばない音楽家は、クリエイティヴな仕事を自ら潰し続けているような状況だ。次世代クリエイターには最も理解しておかねばならない事柄だろう。 またもう一つ問題なのが音楽の多様化に一クリエイターが対応できるのかどうかの問題。 これだけ多ジャンルの音楽を理解し把握するためには、出来ないと思うジャンルに自ら挑戦してゆく姿勢がなければ務まらない。アレンジャーならともかく作家はどんなジャンルの作品をもストックできることが最低条件になってくる。 もっとあらゆる音楽を吸収し、勉強して欲しいと願うばかりだ。
2002.12.14
ここまでくると、どんな音楽をどういう風にやっていきたいのかをきちんと言葉で伝えられないと、今はデビューは出来ないという事は解ると思う。バンドならどんなジャンルのどんな音楽をどういうふうにやりたいのかをメンバー内できちんと確認しておこう。 さて、契約するにはそのどんな音楽というものに理解を示すA&Rを探さねばならない。 一番手っ取り早い方法は自分のスタイルに近い邦楽アーティストのCDのクレジットにあるA&Rにどんどんプレゼンすることだ。これは郵送でも何でも良い。指名で郵送してしまおう。必要なものは音源とプロフィール、顔のわかる写真、アーティスト活動の資料、ライブビデオかプロモーションビデオ、次回のライブの日程と連絡先電話番号だ。 問題はプロダクション(所属事務所)の決定だが、担当A&Rがいればその紹介になるが、そうでなければやはりその事務所の所属アーティストのカラーで判断してプレゼンするのが良いと思う。 メーカーが先か事務所が先かはケースバイケースになる。 注意すべきは、事務所が先に決まっている場合は、メーカーへのプレゼンは事務所と十分相談してそこに任せなければトラブルが起こってしまうということと、事務所次第だが、先に事務所があるほうが最終的には有利な展開が出来るということだ。 しかし事務所というのは、最低なところからたとえ個人でも素晴らしい体制のところまでピンキリなので、十分な判断が必要になる。基本的にパートナーとして一緒に歩むのは事務所なわけで、人間的な信頼関係がなければ規模の大小は全く関係なくなってしまうのだ。 最近メーカーはショット契約も多く、一枚だけ出して様子を見るケースも多いが、しっかりとした事務所のサポートがある場合はそう簡単に投げ出されることはないだろう。 よくテレビやマスコミが選ぶアーティストと、音楽業界が求めているアーティストを混同している人が多いが、もっと視野を広げて欲しいと思う。 とにかく今の音楽シーンは音楽を紹介する方法が無く、それがCDのリリース及び展開を困難にしている。メディアなどの音楽業界以外の業種に説得してゆくには音だけでは無理がある。また、端的にアーティストを紹介するには洋楽のように言葉だけでもその音を説明できるようにするしかないのだ。 まずはやりたい音楽をとことん追求して欲しい。レコード契約が目標になっているような、そこで完了してしまうようなアーティストはすぐに判ってしまうし、誰もいらないと言っている状況だ。
2002.12.10
音楽をどういう風に聴くかは人それぞれだ。そこにある音楽にどんな価値を見出すかは、その聴き手がどういう音楽体験をしてきたかに依存する。 楽曲で聴く人、サウンドで聴く人、アーティストの魅力で聴く人。他にも演奏技術で聴く人、音楽スタイルで聴く人、芸術性で聴く人など、いろいろな人が存在する。 作り手も自分の音楽体験や表現方法、聴き方などが音に現れる。そしてそれぞれの部分で力が備わっているかを確認してみよう。 個人的に思うのは、楽曲、とくにメロディの作り方を知らない人が多いという事だ。 この件については非常に多くの時間を要するので、ここではあえて触れないが、ただ良い曲をつくるという心構えだけでは済まないときもあるという事は知っておこう。 たとえば、楽曲には「期待と驚き」というものがバランス良く必要で、それにはセンスが要求される。過去の名曲やヒット曲を多く聴いて、分析してゆけば、数々の発見をするはずだ。 何事も、経験や知識が無い人は当然、自分がそうであることすら気づかない。 サウンドについてはすでに何度か触れてきた。 音楽の仕事は不確定要素が多い。時間や労力をいくら費やしても、努力が結果になるわけではなく、人の好みが結果になることがその理由だ。 好みというものに一番関わってくるのがこのサウンドの部分なのだ。これを特化し限定化するということが一つの課題になる。何でもないサウンドであってはいけない。恋愛でもただの良い人は口説かないといけないが、一ヶ所でも夢中にさせる部分をもつ人はそれで済むのだ。限定化という作業はその価値を高めてくれる。限定発売商品の魅力もその過小価値にあるのである。 5W1Hは文章の基本だが、音楽には音楽ビジネス側の鉄則となっていることがある。一つは、リズムは時代のキモだという事、それともう一つは次に掲げる事柄だ。・ どんな音楽を (アーティストとしてのテーマ、個性、サウンド、響き、言葉、リズム、音楽スタイル、他)・ 何が好きなどんな人に聞かせて (ジャンル、アーティスト、サウンド、年代、性別、趣味、環境、他)・ どうさせるか (歌いたい、踊りたい、じっくり聴きたい、安らぎたい、元気になりたい、ライブに行きたい、共有体験したい、良い気分にさせたい、感動させたい、驚かせたい、興奮させたい、癒したい、演奏したい、他)これらを自ら一度考えてみるのはどうだろうか? 最後にアーティスト。 結局、勝ち残ったものだけが音楽シーンの土俵に上がれるわけだが、その勝ち抜かないといけないという事を意識していない人が多い。みなその前に好きな事をしたいというのだ。それはそれで正しい。ただしプロになるには勝たないといけないし、それに加え認知してもらわないといけない。 認知させる仕事とはプロモーションということだ。CDリリース、アーティストの存在、アーティスト情報、これが伝わっていないと聞き手は絶対に動けないのだ。 これからプロを目指す人は客の中にそんなプロモーターをつくることが大事だ。 わかりやすく言うと、最低でもステージのたびに、それぞれの客が次回に夢中になって友人を呼んでくるくらいのアーティストとしての魅力がないと、それはアーティストではないということなのである。
2002.12.07
「どんな仕事でも大丈夫ですので、お仕事のほうを是非よろしくお願いします。」毎日何人もの人からこういった電話やメールが来る。アマチュアに電話番号などを教えてしまったら仕事にはならないだろう。電話ならまだ良いが、メールの返事を書くのはもっと大変な作業だ。 しかし、何度言っても皆理解できないまま、仕事を待っているのだ。 音楽業界は音楽を売るレコードメーカー、アーティストを売るプロダクション、楽曲を売る音楽出版で成り立っている。 ミュージシャンやプロデューサのエージェントはあるが、本来作曲・作詞の人間を売る業務はない。その代わりに音楽出版がある。しかしこの仕事も日本では作家事務所(エージェント)が行っているのが実状だ。 音楽の仕事は売り込みが基本だ。営業しない人は常に忘れられてしまう。それだけ需要と供給の量には大きく差があるのだ。 しかし売り込みというのはお願いするものではないのだ。作品をプレゼンするものなのである。「xx用に曲が出来たのでどうですか?」というのが正しい。 たとえば作曲作詞の人が仕事を取れても、誰も一銭にもならない。その人の詞や曲を歌ったCDの枚数や使用されることの対価が収入になるのだ。クリエイターを営業するのではなく、作品を営業しなければいけないわけだ。音楽出版業務の意味はそこにある。 仕事を依頼されるのを待つのはすぐにやめなければプロにはなれない。詞や曲にしても自ら作った作品を誰かに歌わせることを考えることだ。アーティストが欲しがる作品を作るのが裏方の仕事だ。 日本の場合作詞家の作品プレゼンは更に厳しいものとなる。詞がアーティストの洋服であることが多いためだ。しかし、そうだからといって待っている人には仕事は来ない。 通常クリエイターにはマネージメントやエージェントに所属するものとフリーランスのものがいる。 作家マネージメントとは欧米型出版社でいう開発部門をマネージメントスタイルにしたものだが、メーカーの機能がプロダクションにシフトするにつれ、独立系レーベルのプロダクションに自社カラーに合う厳選された専属クリエイターズセクションを持つところが増え、事務所のアーティストのプロジェクトは社内クリエイターを最優先するスタイルをとっている。 このプロダクション所属型が自社のプロジェクトに才能を捧げるのに対し、前者のスタイルのものは自由に提供できるかわり、彼ら以上の作品を作り行政を超えたところで勝負することが必要だ。 非常に大変なことだが、それでもやりたいという人は街に溢れている。
2002.11.19
著作権ビジネスとは音楽出版業務のことである。 当初作曲家らが集まって始めたこのビジネスは、楽曲(詞曲)を開発、管理、プロモートする仕事で、それによって対価を得るものだ。 著作権管理団体から受け取ったり、多くの使用者から徴収した印税を著作者に分配するのも重要な業務で、制作機能が強い会社は原盤を持つところも多いため、出版原盤といった権利ビジネスの主役となるべく業務である。音源(レコード)には原盤権があり、楽曲には著作権があるのだ。 ポールマッカートニーが出版社を持っていることで、自分の曲以外の多くの曲の権利で利益を上げていたり、逆にマイケルジャクソン所有の出版社がビートルズの曲を所有していたりするのは有名な話だ。 ビートルズ、R.ストーンズ、G.デッド、M.ジャクソン、P.フロイド、G.ブルックス、M.キャリー、J.ペイジ、E.クラプトンなど、音楽でミリオネアになった人々は、権利か興行でほとんどの収益を得ている。 またかつてAvexが、売れてない海外のユーロビートの原盤を買い取り、国内で売ったりアムロなどにそのまま歌わせて大きな利益を得たのも、権利ビジネスの有効な展開であったわけだ。 音楽は売ることができた者が大きな利益を得る。それはいかに売ることが難しいかを物語っている。眠っている売れていない作品を見出し、売ることが出来れば、それもビジネスになるのだ。そこで作った側(著作者)と売った側(出版社)で著作権を分け合うシステムになっているわけである。 ヴァージンという有名なレーベルも、かつてマイクオールドフィールドという若者の作品をある一青年が売ることに成功したことでスタートしている。航空会社まで所有するようになったこの企業家は一躍音楽ビジネスどころか、あらゆるビジネスのヒーローとなった。 音楽を見出す耳があればビジネスになるのを音楽産業は知っている。作る側の耳とは全く別なものだ。そんな耳を持つものがどこにいるかは、誰にも判らない。そのわけは、出した結果だけが初めてその能力を証明するからなのである。
2002.11.17
僕がこの業界に入ったキッカケはFA誌を見てのスタジオミュージシャンのアシスタントからだ。 新規にレコード業界スタッフになるには新卒正社員か、アルバイト系やアーティストや関連業種からの中途採用がほとんど。その中でも新卒採用は圧倒的に狭き門だと思う。 この世界は推薦による経験者しかどこも採らないのだ。新卒者は、採用されても想像をはるかに越える肉体系の仕事だとわかったとたんに辞めていってしまうことが多く、以前20人大量採用をしたが3ヶ月後には6人になっていたということもある。 後のミュージシャン時代がある僕にとって、当初は同世代に比べ業種の最大の武器となる人脈というものが何も無かった。しかし多くの現場経験が出来たのも事実。レコーディングから半年後に自分がこだわったフレーズが街中から流れるのがうれしかったものだ。 アーティストやミュージシャンにはこだわりというものがある。しかしそんなこだわりは第三者からはどうでもいいことだ。でもこだわりを捨てたときにはアーティストの自分はいなくなってしまう。 自分を生かすか殺すかは音楽にも通ずる。こだわるなら何が何でもそれを生かす展開を探ってみるべきだ。そういうアプローチからこそ、きっと新しい何かが生まれると思う。 プレイヤーを目指す人も多い。しかし日本のマーケットはアーティスト主導であり、商品は楽曲だ。 よくあるリードプレイだけがいくら優れていても用無しだ。バッキングに優れた人がミュージシャンになれるのだ。結局、どうしたら自分のプレイを生かせるかを知らないと駄目なのだ。 プロ意識というものも、それをどこに持つかは、自分の生かし方を知っているかどうかに関わってくる。 自分が生きる場所は信頼できる人に素直に聞いたほうが良い。もしその部分で成功する可能性があれば、間違いなく誰も放ってはおかないだろう。 それでも放っておかれる人は何かが間違っており、何を言っても気付かない人なのだ。
2002.11.13
素晴らしい作品でも誰にも聴かれず消え去った作品は多い。ショップに置いてすらもらえなかった作品も多く、多くの作品は届ける道を探せず、その評価もされずに消えていった。 音楽は人の耳に届かなければ、良し悪し以前の扱いとなるのだ。 電波に乗せる、宣伝するなどのそういった手法は投資であり、フィードバックが無ければ誰かがその大金の責任を取ることになる。 本当のアーティストなら自分の音を届けるための、アーティストとしての責任を持って欲しいものだ。別にインディーズのように自分で宣伝活動をするだけが方法ではない。自信持って本当に良い音楽なら、それをとにかく聞かせる道を切り開くべきだということを言っているのだ。まずはその方法を考えよう。 メッセージ、アート、サウンドの斬新さ、パフォーマンス、ファッション、コンセプト、言葉の面白さ、話題性、驚き、歌い方、声質、ビジュアル、ルックス、タレント性、企画性、デザインなど。なんでもいいから人を振り向かせるのだ。振り向かせてから音楽を聞かせてみよう。後ろから声をかけてもだめだ。向こうからドアを開けさせなければいけない。 一生懸命、必死になって作った作品。人が耳をかたむけてくれる状態で自分の音楽を聴いてもらった方が良いと思わないだろうか?「勝手にシンドバッド」は「いとしのエリー」の前でなければならなかったのだ。ビッグアーティストがみなやっている事、それは「アーティストに素晴らしい先入観を付ける」ことなのだ。自分の作品に対して無責任でいられるのは、それがその作品への愛情とみるべきだろう。そんな作品にはチャンスは振り向かないと思う。 作品への熱意はその人の姿勢なのだ。 ただ音楽よりも売り方の方がプライオリティが高くなってしまっては、目的と手段は逆になってしまうし、期待を裏切ることにもなる。その手が多いのも事実。 あとはアーティストを信用するしかない。
2002.11.11
それは音数との戦いの歴史だ。 邦楽は何故3ブロック構成が多いのですか?以前あるポップスマニアな新人アーティストに聞かれたことがあったが、結局は言葉の情報量の問題が解決できないからなのだ。 何故サビに下手な英語が多いのか。それはその作家が下手だということでもあるが、本当のところは、効果的なサビモチーフのフレーズリズムを殺すわけにはいかないため、メロディ音の玉数を増やせないがゆえだ。 もし3音のサビモチーフだと、どういった説得力があり、かつ響きが良い言葉が考えられるだろうか?それは大変なことだろう。 音楽を知らない人は響きやリズムを殺してまで、ハメコミと呼ばれるシロウト作業をしてしまうのだ。 ヒットを生む作詞家は意外とかなりの洋楽オタクだったりして驚かされる。そして非常に多くのアイデアと切り口を持ち、多くの角度からアプローチできるのだ。 ある有名な作詞家は、日々フレーズのストックをし、それらストックを音数別にファイリングしていた。そしていつもいろんな年齢の人と会話する機会を作っていたのだ。 彼らは創作していない時間のほうが大変だろうと思う。作曲家がメロディモチーフのストックを、ボイスレコーダで日々24時間行っているのと同じことなのである。 詞はコンペで数十作品から一作品を選ぶことが多い。 作品の顔であるサビとタイトルで選んだ後、残った作品もほとんどの作品の切り口が似ていたりする。みな発想が貧困なわけだ。その段階で大多数の同じような切り口の作品群は除外される。 残った作品の中で最終選考され、制作者やアーティストの心を一番動かした作品数点で仮の歌が吹き込まれる。その結果でリリース作品が決定されるのだ。
2002.11.07
10代男女、20代男女。 JPOPのマーケティングはこの4つでほとんどだ。それも傾向が判で押したようにすでに決定されている。女子高生とOLとでは全く狙いの音が分けられており、その音の好みがOLになったとたん、こんなにもすぐ変わるのかどうかなどは構いっこない状態だ。 メジャーはいろんなマーケティングがないと契約できないので難しい。プロになるっていうのは市場に応えるか、市場を動かすかしかありえないのだ。といいつつも大まかには、女 - 10代は芸能色 20代は歌もの男 - 10代はルックス 20代はサウンドとされ、どの層へ売るのかということが明確である必要があるようだ。 で、30代はというと。多分そんなの金にならんよ、といったところだろう。いくら企業を説得したところで、まだ彼らを動かす材料は足りない。 音楽を買う大人はすでにヘビーリスナーであり、洋楽にいくというあきらめがとっくに支配しているのだ。それも長い音楽業界の戦いの歴史があってのことだが、過去にしばられすぎている感はある。 こんな状態だから逆に海外で少しでも成功すれば、日本の洋楽として大成功できるだろうと思う。これって音楽だけの話ではないですよね? 売る側に徹底しているメーカーにはもう作り手の意識はないわけで、むしろ日本の音楽ユーザーのマジョリティの代弁でしかない。マイノリティなアプローチは成功者のみに与えられる特権になる。 僕は音楽ファンは基本的にマイノリティだと思っている。それは本来、ビジネスにはならない性質のものだろう。それでも音楽で食いたければ、可能性があるとすれば、さきのケースの何かを複合して併せ持つしかない。ヒットアーティストをみると、浜崎、宇多田は4つとも。 ラブサイコ、エゴラッピンは2つ。 林檎、サザン、Bzは3つが当てはまる。 とてもくだらない事だが、大衆は常に正しいという資本主義社会の意見は、音楽ファンの期待とは相容れないものなのかもしれない。日々の泡立ち 音楽における「色気」もしくは「官能性」について
2002.11.06
日本はラブソングばかりだと嘆く人がいる。僕も音楽のテーマが恋愛だけではつまらないと思う。洋楽の詞のテーマの豊富さが実にうらやましい。 しかし、感受性の強い時期の最大のテーマの一つは多分、恋愛だろう。 また、感受性の強い時期に影響を受けた音楽は、その人の一生の音楽感覚の土台となるようだ。その後長くそこから抜け出せない人も多く、最近の例では、リズムがスクエアな人からは古い音楽しか受け入られないような感性の閉鎖がすぐに感じ取れる。 プロを目指す人はリズムには細心の注意をしたほうがいい。女性リスナーの少ないハードロックもダンスビートにすることでBzになったのだ。 ところであなたはお金以外で人を動かすときにはどうするだろう?怒る、熱弁する、口説く、説得する、泣き落とし、感動、ビジョン。 メロディは人の心が動くことが重要で、それを理解してメロディメイキングをしている人がとても少ない。モチーフのエモーション強化が良い曲を作るための基本となるのだ。またエモーションといってもその形は星の数ほどある。そうして人の心が動くとき、音楽は役割を持つのである。 アーティストになるためには、A&Rの心を動かす音源が必要なのも結局は全く同じことだ。逆に制作の仕事はアーティストの心を動かすこと。そうして生産性を上げ、その作品管理をする仕事なのである。 恋愛も相手の心が動いて成立する。 女性で性を売るようなタイプを嫌う人は多い。男性にいたっては自己の性に対する意識すら薄いようだ。音楽と性とは無関係ではない。音楽が必要とされる場面では、古い時代からいくつもの愛が生まれているのだ。 あなたは性を表現する術を知っているだろうか?自分の曲で異性を落とせるだろうか?性を忘れた音楽には若者を熱狂させることは出来ない。 それをひたすら無視している人も多いが、そのことが頭が良いとは決して思えないのである。
2002.11.02
かつてオリコンのチャートが、あるブランドに一色に塗られることが幾度となくあった。何度も繰り返されてきたこういった現象の背景には何があるのだろうか。 おニャン子の時代には後藤・秋元コンビの作品で占領されていたし、同じようにBの時代には織田氏の曲で占領されていた。その後のAの時代があり、最近のT氏のチャート占領はご存知の通り。 彼らは優秀で才能あるクリエイター達である。異議を唱える人がいようが、求められた結果が数字となっているのだ。ところが彼らの所属会社もしくはプロジェクトのアーティストが飽きられた瞬間に、彼らもチャートから突然消えてしまう。 よく考えてほしい。本来才能ある彼らが、ある日突然に良い曲が書けなくなるわけがないのである。そこにはいかに行政が働いていたかが良く解るだろう。タレントとその集力がブランドパワーになっていたのだ。 はっきり言って、作家という仕事はヒットが無いとほとんど生活ができない。ヒットは曲だけでは生まれない。それを歌うアーティストの存在が大きい。 プロジェクトの核になれば億万長者になれるのだ。 そういったプロジェクトに所属すればオコボレをもらえる。オコボレ扱いだろうがそれを選ぶ人も多い。最近の傾向でクリエイターの例でいえば、A社に入りD氏のオコボレを・・といったところだろうか。 行政というのは一般大衆には関係ない世界だ。しかし業界への不信をとなえる人は、いつの時代にも存在する。 よく「音楽業界を変えてやる!」という人がいる。たとえばT氏のハロプロをある音楽ファンが否定しているとしよう。しかしこれは、例えて言えばタバコ撲滅運動みたいなものだということがわかるだろうか?無くすには法整備か地道な啓蒙活動しかないのだ。 結局は必要な人がいる限り、消してもいろんな所から必ず出てくるわけである。まず根本的に必要性が存在させているのだ。それを不要だとさけんでいるだけでは何も始まらない。 子供の健全な成長にどういった音楽が必要なのかは、ひとつに子供の笑顔が教えてくれるはずだ。アイドルが不在の今でさえも子供の音楽は大衆にとって必要であり続ける。逆にチャートを気にする音楽リスナーがそういった情報に左右され過ぎているのだと思う。 それはまたメディアが大々的に取り扱うからでもあろう。メディアというものは視聴率が収益になる。考えてみたら当たり前の事が行われているに過ぎないのだ。 メディアと音楽の関係は多くの課題を抱えている。情報が音楽に数字をつけ、ヒットはメディアによって加速化されるのだ。しかしメディアの情報には偶像が含まれる。そして真実味が失われてゆく。 偶像といえばアイドルである。アーティストを偶像化することは危険なのだ。良く働けば尾崎のようにカリスマにもなるし、悪く働けばそのままアイドルと化してしまう。 そんなメディアの力もここ数年失われてきている。インターネットを含む多様なミニコミにパワーが分散してしまったのだ。 ミニコミには等身大の情報がある。それが作られていない姿を求めているユーザには必要だったのだ。情報の内容がユーザの種類で分かれてきたということでもある。 メディアの情報のウソくささを解決するためにはストーリーが必要だ。アサヤンや成功物語である。ProjectXや知ってるつもりである。エピソードが伝説に変わる瞬間を共有して夢を見たいのだ。 イメージではなく、ドラマが見たい。いつのまにか失われてしまった情報の時間軸が、今必要とされている。 産業と化した音楽ビジネスにはこういった渾々とした大衆心理との格闘がある。 そうして大衆心理をつかんだ現象が生まれると、次のプロジェクトとしてメディアを賑わしてゆくのだ。
2002.10.13
PaulとJohn 、彼らとG.Martyn 、PageとPlant 、多くのシンガーとプロデューサ、織田と大幸、松浦と依田、彼らと小室、ソニー、ホンダ、ネットスケープ、多くの出会いの伝説がある。 子と親、友人、恩師や教師、同僚や先輩、ライバル、夫婦、多くの人間関係の形がある。 ある出会いが無ければどんな天才でも世に認められずに消えていった事例は多い。むしろその出会いがあって才能が開花したというケースの方が多いだろう。 出会いがあり、そこに信頼、競争、役割分担などが生まれる。一人だと見えない事が二人でお互いをナビゲートすることで見え、何かを乗り越えてゆく。 人間自体を変えるのは行動に対する反応のみで、いくら努力してもそれに周囲の誰かが応答しなければ人は成長しない(環境応答)。ただ評価というのは人それぞれ多種多様で、評価をしてくれる人との出会いはどこにでもあるものではないのである。ディレクターの仕事もそういう部分が多い。評価し、気持ち良く意気を下げず仕事を進めさせる。 多くの分野の多くの人と出会いあらゆる可能性を探らなければ、何かを生み出すのは運任せになってしまう。 出会いだって演出できる。これはその人の心構えでどうにでもなる。 自信がある人はどうしても自分対多くの人という考えに陥りがちだ。しかしそうすることが、相手にとっての自分の存在をどんどん薄くしてしまう。誰もが相手には自分の存在を認識してもらいたいのだ。多くの人の一人として扱われると、相手からもそういう扱いになるのは当然だろう。 音楽は目に見えないマインド商品であり、詞にしても情報ではなく思いを言葉にしたものだ。伝えたい相手を決定していないと誰にも聞こえない。 まずは誰かに会いに行こう。そうして自分のことを伝えてみよう。すばらしい出会いがあるたびに、必ず運命が変わって行く。何かにひるんではいけない。 どんな奇跡も案外身近にあるのだ。
2002.09.30
巨大プロダクションKにて打ち合わせ。かつて僕の育てた作家の曲が最近ここのアイドルグループで大ヒットしている(失笑。またか?) 打ち合わせの相手は数年前に設立された社内原盤制作会社のディレクターで、音楽畑の出身の彼も芸能色の強い会社での枠組みで出来ない事をやりたいらしく、一緒にショクナイで何かを立ち上げようという話題に終始した。 政治の利く会社にいる彼と音楽側人脈に強い僕が一緒に何をやることになるのかは、僕自身の楽しみでもある。 某大物グループがレコード会社を設立した。僕は彼を見くびっていた。音楽性もアーティスト性も最低に評価していた。 コンフィデンス(業界誌)のインタビューで語った内容を見て驚いた。僕があちこちでクダ巻いていた僕の理想のビジョンが、彼と共通していたことに気づいたのだ。 ・ 日本のプロダクションスタイルの有効活用。 ・ アマチュアの自主活動(ライヴ、アーティストプロデュース、レコーディング、プロモーションなど)からの自然展開。 ・ イベンターによる販売営業代行、及びプロモーションアウトソーシング。 ・ メジャーとマイナーの音楽的なレーベル棲み分け。 ・ ライブのオープニングアクトを利用した、アーティスト同志のマーケットプレゼン。 ・ パッケージ商品としてのグレードアップ(パッケージアート)。等々。 アーティストとして成功すればある部分、業界のしがらみから脱出できる。かつてK氏やT氏がこういうことを考えてくれただろうか? K氏がやればいくらでも変えられたであろう古いしきたり。彼らも結局は体制に踊らされてしまったに過ぎないのだろうかと思ってしまう。 今まで成功したスタッフ側の人間は、今思うにどんどん音楽をお金をかけて売る方向へと変えてしまったように思う。成功したスタッフの仕業は、現在売上げが抜き出ている独立系レーベルをみるといい。全ての利益を囲い込み、その利益を投資して売ることに向かっているのだ。 一昨年、高円寺の小さなライヴハウスのオーナーに僕がひたすら怒られた内容がそのことだった。彼も昔は某独立系レーベルの中心人物たちの仲間だったらしい。 僕は音楽産業の実情を説明してやったが、彼はそれは嘘だと言った。本当は力不足の僕の言い訳だったのだ。 枠を作ってきたのは業界側。ただ自分で自分に縄をかけて、もがいていただけなのだ。 ヒットを量産するレーベルに憧れる人は多い。全くあほなブランド嗜好だ。そういったレーベルが悪いということではない。僕にとっても大事な客だ。脳が無いからとりあえず憧れのイメージだけの先行で、という低脳さが嫌いなのだ。長いものに巻かれるだけの人はこの業界にはもういらない。 才能あるなら、自分でブランドを作れ。
2002.09.28
音楽家としてのセンスの良し悪しを判断するのはジャッジする側の音楽情報量に依るところが大きい。それ以外は経験と好みと勘だろう。人によって違うのは当然だと思う。僕の場合も長年の経験で仕事をしてきているわけだが、いくつかの判断材料がある。 たとえば、ユーモアを音楽に生かすことができる人というのは素晴らしい。BeatlesやZappaなどは究極の天才でもありユーモアの達人だと思う。 感受性の豊かさと人間としてのスケールの大きさがそこにある。 色気がある事も重要だ。色気といってもいろいろある。 声、演奏、歌いまわし、曲、サウンドなどの音楽の要素以外にも、表情、立ち振る舞い、香り、雰囲気、ファッションなど、あらゆるところで感じ取れるもので、僕はこれらに強さがはっきり表れているものが好みだ。 好みは人それぞれとしても、色気のカケラも無いものには誰も興味は持てないだろう。 ユーモアと色気。僕なりに言い換えればセンスと魅力だ。 音を聞く前にどういう音楽をやりたいのかを尋ねると、「スティーリーダンみたいな・・」とか具体的なアーティスト名を出す人の方が、ロックとかフォークとかテクノとか言っている人よりも可能性がある。何かが見えているように感じる。しかし、「ヒップホップとアシッドフォークを掛けたような・・」とか言う人の方がもっと魅力を感じるのだ。 そこには何かを生み出そうとするアーティストの生命が感じられるからだ。 音を聞く前に会話をする事でその人がどういうポテンシャルの持ち主かが重要に感じるのは、ポテンシャルの無い人はそこに良い曲が一曲あっても、その後どうしても発展しないのだという思いがあるから。 それ以外には、ある一つの出会いで才能が化けたものしか存在しないと思う。 「芸術とは職業ではなく生き方の問題だ。」と言った人がいる。 アーティストとは作品よりもその人の生き様であり、それを具体化したものが偶然作品として体裁を持ったものだ。 何を見て聴いて、どう感じどう行動してきたかの歴史でしかないと思う。
2002.09.23
「どいつもこいつもクソですね。」 某メーカーの公開テープ審査の会場でトイレに立った時、横に立った少年は僕にそう投げかけた。そしてすぐ「すみません。」と謝った。他の多くのデモを聞いた彼はどれもクソだと感じたわけだ。 彼のやっている音楽は実にストレートなものだったと思う。彼は考えるよりも感情からくる動機で音楽をやっているのだ。 「どうしたら自分のやる音楽が多くの人、もしくは多くの音楽ファンが聞きたいという音楽になるかを考える。」 これはプロとしての使命で、これからプロを目指す人はあらかじめその事を覚悟しておかなければならない。プロというのはそれで食える事がアマチュアとの違いになるわけで、音楽の良し悪しもとりあえず世に出なければ評価もされない。 その上で支持されることが発信する側にいるための条件だ。 好きな音楽は誰にでもあるだろう。でも好きな音楽をなぞるだけでは人は動かない。人がやってきたことを追っかけているままだと駄目なわけだ。「どうしたらいいんですか?」みなそう言う。 「切り開けばいいんです。」そういう好きな音楽を大衆や新しもの好きな人でも飛びつくように変貌させて発信すればいい。昔からどんなアーティストもそうやってきている。ストーンズもプリンスもケミカルもだ。そして誰よりも完璧を目指そう。 先の彼の「すみません。」の真意はわからない。しかし適当に褒めたたえ、でも現実は無理だよというような審査側のコメントが誰に対しても与えられる状況に、彼は猿回しの猿に対するような扱いを感じたのだろう。お茶を濁すくらいなら酷評しろと・・・ しかし、審査側も自らの評価で責任をとる事はできない。彼らに出来ることは可能性あるものを持ち帰ること。 そうして責任所在は分散されていく。 ランディニューマンの曲に「God’s Song」というのがある。 神本人が歌い手で、彼が人類を愛する理由を説明するのだが、「人類に多々の災難をもたらすのは俺なのに、アホなことに俺を信じ続けている。そんなマヌケなとこが好きなのさ。」という詞だ。 音楽業界もいくらむごい適当なことをやっていても音楽をやりたい人が勝手に集まってくるという驕りがある。 そういった連中を切り捨てるのもまずは売れなきゃできない。
2002.09.19
調性のメジャーとマイナーを決定するものは3番目の音、つまり"ミ"の音で決まる。一般的には調がはっきりしないものは不安定な気持ちになる。 誰もが日々安定と不安定の心理の繰り返しの中で生活している。 例えば、人間同士の関係にはバランス理論というのがある。2人の関係で何かのテーマがある場合、テーマとその2人の計3つの関係がそれぞれ肯定的(+)か否定的(-)かを見ると、その3つの乗の結果が全体の安定度、安定(+)か不安定(-)かを決定するらしい。 自分の恋人とどちらかの趣味などで確認してみるとおもしろい。 この世のもの全てには意志があるという。 意志が解りづらいものは不安定な気分にさせられるし、人間関係においては同調や共感が重要な鍵となる。だからこそ音楽ジャンルというものが発生するのだ。 POPSは基本的に調性音楽。解決を利用している。それは大衆がPOPSに求めるものが不安を除いた何かの感情だからだと思う。 メジャーは明るく、マイナーは悲しいと言う。しかし、メジャーの悲しい曲はさらに増して悲しかったりする。 PaulとJohnが共作していた頃はサウンド抜きの、つまりメロディだけでの名曲が多いと思う。PaulのメジャーのメロディとJohnのマイナーのメロディ。それらのヴァースのドラマが心理を揺さぶるわけだ。 曲にはドラマがあるほうがいいのだ。 最近はインディーズレーベルの動きがあわただしい。インディーズというより正確にはマイナーレーベルというべきプロダクションレーベルだ。そこから大ヒットが生まれたりしているのだ。逆に以前話したように、メジャーレーベルは消失の方向に向かっている。 宣伝が必要なアイドルや大衆的アーティスト、パワーアーティストが売れなくなり、宣伝が巨額化して自滅している反面、宣伝が出来ないマイナーレーベルが活性化しているのだ。 マイナーレーベルのアーティストはその音を探している人にしか売れない。そして、これが正しい姿なのかもしれない。音楽ファンが音楽を必要としているのだ。 困るとすれば大型店以外の一般CDショップとその利用客だろう。それに大型店のディーラーがワイロを貰うような状態も増えるかもしれない。 インターネットで一時期Push技術が盛んになったが、最近はみなおとなしくなった。インターネットでまで要らないものを押し付けられては困る。 これからの時代はメディアもユーザーも、お互いが必要とするものを対等に探すことで共存するのだ。
2002.08.18
T社某氏との会話 「最近どうすか~?」例によって当たり前な導入、そして他愛無い話。その後、r「しかし今はアマチュアがかつてのプロ同等か、それ以上の音源作れちゃってるよね。」t「そそ、実際は今すごく良いものをみんな作ってる。なのにこんなに売れなくなっちゃったのだから、業界人のやる仕事はもはや作る事ではなくてそこから先の作業になってるんだろうね。」r「うん、それに気づいていない人もまだほとんどだけどね。でもある程度レベル高ければあとは好みしかない商品なんだし、その好んでくれる人をどうつかむかには変わりないな。」t「大衆音楽ってもうありえないよね。基本てさ、大衆向けにレベル下げる手法だけど、どうなんだろう。歌謡曲の頃みたく大衆に合わせてレベル落として作ってたのが通用しなくなったというところにヒントがあると思いますよ。かといって音楽ファン向けは多様化しすぎてて彼らの好みに細かく合わせていくのもビジネス以下だね。」r「どっちからも理解されないね。ところで、さっきの出口の仕事ということはやっぱり大きなメディアを作るに尽きるんじゃないの?」t「放送や雑誌は今はみんな只で当然だと思ってますよ。大型量販店にタダでペーパーを作らせちゃったのも結局はレコード会社だしね。」r「音楽もネットでタダになる準備中なのかな?(笑)」t「みんなラクしすぎなんだよ。一度ラクになったらもう戻れないですよ。」r「みんな音楽は好きだけど、音楽家には金は払いたくはないんだよね。きっと。」
2002.07.13
オリビアNジョン、ビージーズ、シカゴ、ジェネシス、イエスなど。もし年代順ベストアルバムを聞いたらある曲以降別物に聞こえると思う。そう80年直前、パンクやニューウエーブが出現し、ラジオがMTVに取って代わる時代だ。のちに産業ロックと呼ばれる音楽もこの頃に発生してきている。 ビージーズなんかずっと素朴なフォークポップスでふわふわ聞いていたら、ある曲からいきなりフィーバーし、それ以降はノリノリディスコだ(笑)。つい笑ってしまう。 音楽でプロになるにはどこかでビジネスとの関わりや、自分や家庭の生活のことを考えなくてはならなくなる。音楽で食うからプロなわけだ。 それらとのバランスが解らず、売れることに走る人もいるしその反対も当然いる。これが取れない人が実に多い。むしろそれが普通なのだろう。それで翻弄されてしまう。 業界人を信用していない人も多い。だから余計にそういうことになってしまうのだと思う。 音楽・芸能業界は怖いところだと思っている人が多い。確かにその一面はある。どこか誰かが強引に動かさなければ一致団結できない曖昧な商品なのだ。だからそういう人が実力を持つ。 内職でやっている自分の小遣い稼ぎだけの不当なエージェントや、キックバックで膨れあがる職権乱用者も多い。不景気な今はさらに増えているかもしれない。昔からいるセクハラプロデューサはほとんどの人に当てはまるだろう(笑)。アーティストに惚れればそういう勘違いもするだろう。 みな職種ごとに違う立場で仕事をしているので、決定権を持っている人はついそういう道に行ってしまいがちで、周囲も敵味方が分かれていく。 そうしていつのまにか敵味方が多い人ほど実力者だったりする。キックバックは当たり前の人もいる。彼らは何故か都内に家を建てたり外車を何台も持つことが出来る。彼らをキックの鬼と呼ぶ(笑)。キックの鬼は沢村忠やタクシー運転手に後ろからキックをした某局アナだけではないのだ(古いか?)。 昔はアーティストはとんでもない人が多かった。だからこういう連中を押さえつけられる性格の人が必要で、そういう体質になった部分も多いのだろう。 ところで、最近はアーティストがみんな随分というかやけに大人しい。おとなしくてまじめだ。おや?と思うことすら多い。 アーティストに必要なものは才能だけではない。フェロモンや毒のエッセンスが必ず必要だ。自分の好きなアーティストを思い浮かべるとそれはすぐ解ると思う。 アーティストをやれない人はこういった部分に欠落している。いくらヒット曲を量産出来ても、本人は売れない。 音楽自体を愛し、アーティストをも愛し追求する経験がそろってないと表現が偏ってしまう。好きなアーティストがいるだけの人と音楽だけを追求する人という違いだ。 やることはいっぱいある。 音楽情報量は語彙や絵の具と同じ、絵の深みとか鮮やかさに変わる。MTRはアーティストの才能を音にするもの、ライブはアーティスト性をみんなに見てもらうもの、この2つは両車輪みたいなものだ。 聴く、作る、魅せる。これが自分に出来ているかどうか今一度考えてみよう。それが何よりもの近道なのだ。
2002.06.28
そういえば野村サチヨが逮捕された時、不安定な仕事なので将来が不安だった、みたいな事を言っていましたね。 これは音楽・芸能業界人はみんな常に思い続けているし、最大の課題のひとつかもしれない。 アーティストは野球選手よりも遥かに寿命は短いと言われる。まず人気の基本周期は3年、これは人気というのは世代が変わると古いと感じられるわけで、世代というのは進学したときに変わるからなのかもしれない。そして音楽はまずはそういう若者の文化であるからだ。 芸能は儲かるときはあっという間に国にお金を取られ、儲からないときは食うこともまともに出来ない、そういう仕事だ。ヒットがいつあるか解らないから、億の大金を持っていてもマルサにも立ち入りを受けながら実に質素な生活をしている人もいる。 アーティストはブレイクした後の3年で一生分を稼ぐくらいの心の準備が必要なときもあるわけだ。 音楽業界の現状は、メーカーなどの企業とプロダクションなどの商店が集まって出来ている。 メーカーは別として、その他の会社はほとんどがワンマン社長の会社と考えていい。このあたりが全く世の中の一般社会と違う独特な社会形成をしている所以だ。 それら商店は売れたら税金対策で多くの会社に分けて、そうでないときは小さな会社が提携グループ化をしてしのぐのだ。メーカー以外の会社の名前などは永遠に一般人には無縁のままだろう。 僕も所属会社や関連事務所から成功して独立してゆく人を多く見てきた。小林武史、原一博、亀田誠二、本間昭光、などとは一時期ある事務所でみな一緒で仕事仲間だったし、その逆のパターン、つまり成功者が集まって会社を始めたなんて話はこの業界にいて聞いたことは一度もない。だからいつまでも資本相手には、ビジネス的・立場的に優位に立てないままというクリエイターやアーティストの宿命をも感じる。 これからは権利ビジネスの時代。バ社は早くからそれに気づいていたのだ。著作権も他のいろんな権利も、アーティストやクリエイター同志が利害を超えて早くになんとかしないと手遅れになると思う。日本人はいつもなんに関しても意識の目覚めが遅い。 かつて、僕がクリエイターを集めてある権利トラブルの訴訟を起こそうとしたときに、ソニーや大手は参加を拒否した。 そういう解決方法はその後に結局自分の首を絞めるとのこと。その後説得された僕は、参加者の脱落も増えたため、穏便な解決を選んだ。 結局日本はアメリカと文化も考えも背景も違う国なのだ。アメリカの場合は、アーティストにはパーソナルマネージャーの他にビジネスマネージャーというのがつく。それはみな弁護士だ。しかし、なんかそれも大変そうだ。 でもこのままの日本の状態が良いとはとても思わないのだ。
2002.06.15
今や音楽は出口が無いと、例えメーカーがリリースしても店には置いてもらえず、並ぶことも無く、そのままゴミとして処分されていく。 出口とはつまりメディアのことだ。というわけでテレビが欲しがるものを持つことがプロダクションのパワーに直結するのだ。広告もそうだが、ほとんどは視聴率をもってくる商品を武器とする。これをバーターと呼ぶ。 J、K、Bなどの強力な事務所にはタレントや人気俳優などがずらりと名を連ねている。どこもメイン商品に、音楽に加え次の看板商品候補もセット売りにしているのだ。J予備軍などは誰でも知っているだろう。 非常に良く出来たシステムだ。その上うまく住み分けも出来ている。だからJ以外で男子アイドルグループが日本に出ることはタブーになっているのだ。 これらの大手と提携する事務所も多く、彼らをさらにどんどん巨大化させている。 こんな音楽業界でも芸能と関わらないように、音楽をちゃんとやっている人もいる。でも、とても居心地が悪いのがわかるだろうか?僕らはそんな居心地の悪い所で戦うしかないのだ。本当にこれが音楽の宿命なのだろうか?そんな事、信じたくはない。 味方するメディアだって紙媒体があるし、ディーラーも味方する。 しかしパワーのない人やマイノリティ志向の人が残れない理由が、こういうところにあるのをわかって欲しい。音楽をやろうとする人は、それが個人の趣味の世界の延長では多分無理だと思う。 矛盾するが、それでもアーティスト達が持つそれぞれの自由勝手で好きな世界観を、ビジネスにする方法を考えるのが僕らの仕事なのだ。 昔はみんなラジオで育った。今はFMでも一曲ごとにお金を要求してくる時代だが、かつてのラジオの時代の音楽は、その当時は実に生き生きしていたように思う。
2002.06.08
音楽、香水、マッサージ、雰囲気、情報、宗教、ノウハウ、コンサルタント等など・・・これらに量と質を決めるのは難しい。量は計れないし、質も感じる人それぞれだ。 値段も買う人がそれで良ければ成立する。つまり売り手の言い値だ。 この間某アマチュア向けの講座でアレンジャーの金額の相場を聞いてきた人がいた。 説明する自分すらも何かいい加減だなと感じてしまうのは、どう考えても無理やり金額を決めているという感じがしてしまうからだ。 音楽家には労働組合は無い。それらしきものはあるが、そんなものがあっても仕事は個人ベースで行われるわけで、何かのときの駆け込み寺でしかない。 となるとクライアントの安いほど良いという都合の良さに対抗するものは、金額がこうあるための理由づけに落ち着いてしまうのだ。 アレンジ料だけでは実際は非常に安い。売れないアルバムの一曲作曲印税に毛が生えたようなものだ。アレンジ料単価は安く、ところが他の多くの項目でどんどん請求金額をそれなりにもっていくのだ。実にアレンジ料の3~4倍が請求金額となる。 演奏料、打ち込み料、機材費(もしくは楽器使用料)、指揮料などが続けて列記される。多分機材費が一番高いだろう(笑)。ん?本業は機材のレンタル屋さんか?とまで思えてしまう。 あーたしかに唯一目に見えるものだな。日本人って文化にお金かけないのよねー。国もそうだけど。 そんな目に見える電化製品国家の目に余るお国事情でした。。。
2002.06.02
音楽業界もこれだけ停滞してくると、ちょっとしたアーティストの動きにその可能性に賭けた複数の企業が一挙に関わろうとするようになる。 A&R個人の好みで契約が動くことが多いため、かなりのプレゼンが対個人間で行われ、企業内の動きよりも個人同志のネットワークが鍵になっている。 ところがこういった連携プレーに時間がかかる間に、それにシビレをきらした連中が勝手にいろんな所に音を渡し、相手の都合の良いような売り込みをしてしまうのだ。こんな素人展開をするアマチュアが最近非常に多くなったせいで、権利トラブルが増えているらしく、その手の話題をよく耳にするようになった。 素人なのだからしょうがないとしても、あっちこっちで良さそうな話に乗っていると実はそのあっちこっちが関係あったりすることが多いのが業界で、アーティストの信頼も落ちるし、権利トラブルになったりするとせっかくのデビュー話などもこじれて行く。そうでなくともデビューしてすぐに大ヒットし、一曲で消えてしまうようなアーティストなどは案外こういった問題を抱えていたりする。 最近のアマチュアは音楽を作ることより、業界人との関係を多く持つことが良いことだとでも思っているのだろうか?音楽業界は何がどうなっているのか外から見えないという問題があるが、全てに決まったパターンなど無いし、日々ビジネススタイルが変化しているのだからしょうがないのである。 一般には知られていないが、音制連とか音事協とかこれらの名前を聞いたことがある人もいると思う。このメーカーと制作会社の団体とプロダクションの団体は、大義名分とは別にまずはアーティスト引き抜き防止のために設立された経緯がある。 いくらメーカーや事務所が丁寧にアーティスト育成をしていても、ある日突然何も関係のない大手プロダクションがスタジオに現れ、ディレクターの肩を叩きアーティストを連れて帰ってしまうこともあるらしい。 日本は契約社会としては根付いていないのだ。 コネにすがり付く人は、つい自分がばら撒いた節操無さで足を掬われたりすることに気を付けるべし。そしてマネージメントとかメーカーとか出版とか、今自分を気に入ってくれた人が何をやっている人かの把握ぐらいはきちんとしておこう。 音楽をやる人は音楽の部分で結果を出すのが仕事だ。くだらない詮索や焦りは信頼という土台をくずし、複雑な問題を作り出してしまうのだ。
2002.05.31
長者番付が発表された。 今年もアーティストの納税額の話題がワイドショーのネタになっている。それを見た少年少女はそれを鵜呑みにして、夢見る商売に惹きつけられてゆく。 僕は多くの人生失敗者っていうような顔をした元アーティストの人々と出会ってきた。会いたくて会うわけでなく、彼らが会いに来るのだ。相談所をやっているわけではないが、僕も今までに地方の人の才能を評価したばかりに、何十人もがあてもなく上京してきてしまった経験がある。だから責任も感じるのだ。ちょこっとマスコミに出ただけで僕を崇拝するような勢いの人すらいた。でも実際デビューした人々の殆どは同じ運命にあるのが現実ってもんだ。 一曲リリースした印税なんて、新入社員の月給にも及ばないのが普通。それも作家なんかだと、一体何十曲書いて何ヵ月かかって採用になるのかわからないのにだ。間違ってヒットしたらそれがとんでもないことになるからさっきのような話になってしまう。でもヒットなんて宝くじみたいなものなんだよ。メディアに出てる一部の作品しか一般人は知らないからみんなヒット曲だと思っているのだろう。 最近ミュージックバンクやら、なんとかバンクやらいっぱいアマチュアから会員制でお金を取って作品プロモーションする会社がかなり増えた。大体は音楽スクールなどが業界に生徒を派遣できないがために始めたのがきっかけだと思うが、大手も参入し始めたのだ。その逆をいくように、信頼できるマネージメントのある作家以外とは今後は仕事しないなどと言い始めた大手Jのようなプロダクションもある。 ただ、これまでの大手エージェントは、プロモーション単体は無料でしてきているわけだから、この音楽業界の状況ではどんどん経営的に不利になってきている。 前にも書いたが、本来は音楽出版社がやる仕事が、日本はマネージメントやエージェントがマージンを取ってやるようになり、さらにはアマチュアを大量採用し、会員費に加え、曲ごとの登録料まで取ってやらねば成立しないほどビジネスとしては危機にあるのが音楽産業の底辺に発生してきている。 アレンジだってそうだ。とある新人のデビューシングルにプロのアレンジャ-が十人以上もアレンジコンペをするのだ。作曲なんて何百曲のコンペっていうのも多い。プロだけの作品で集めてそんな状況。「好きな作曲家は出せば売れる邦楽の誰々です」なんていうレベルのアマチュアなんて一体どうしたらいいのだ? 作曲作詞も編曲もみんなそうだ。採用にならなかったら一切お金は出ない。それが当然だというような顔をして仕事をしている人がレコード会社に増えてきた。 もうそろそろこういうのやめにしませんか?って制作の僕が思うくらいだから、実際の作り手の人々はどう思ってるんだろう?
2002.05.19
音楽を作って売る会社?いや僕の考えでは結局はアーティストに投資する会社だ。 しかし、原盤持たず直接作るための関わりが薄まってきてしまっては、投資の回収は難しくなる。それ以前に本来これほど成功率の低い投資も無いはずだった。 何十発も打って、それを一発で回収する。それは原盤権があってこそだった。原盤を獲得したレーベルが一発のヒットで大会社になるのはそういったカラクリがある。A社B社両方とも典型的な例だ。A社はジュリアナCD、B社はポンポコリン。そしてTRFとB’zがそれぞれを巨大化させた。不思議なことにどちらのアーティストも名前が象徴的だ。次はどこのプロダクションの番なのか、みな興味あるはずだと思う(業界内で?)。 大手が売れないだろうということで、原盤を放棄して好きに制作させた作品が化ける(業界用語)。これは偶然と、企画力と、作品力。 U社の場合は、かつての秋元手法がつんくによって作品力のレベルが上がったものだ。これは秋元氏が自ら語っている。 ところで海外ではプリンスらがレコード会社相手に訴訟している。これは原盤出版の権利をレコード会社に譲渡する契約というのは違法だという訴え。 こうなってしまってはアーティストを発掘することも、投資することも無理だし、ましてや契約金などはレコード会社にはなんら支払う義務など無くなってくる。 アマチュアはデビューしたければ自分でスポンサー探して原盤を作り宣伝し店頭に置き、例えば3万枚売れるようになったらレコード会社が協力できますよ、的なシステムが来る。総インディーズ化及び、レコード会社の流通会社専門化だ。 毎日常に何十人も街で見かけるギターを持って歩いている連中は、自分は何をしたいのかが解っているのだろうか?
2002.05.15
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