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私は衣食住の中で、「住」に一番興味が有る。着るものは…裸でなければ何でも良いんじゃないの?食べるものは…健康を維持できるなら、何でも良いんじゃないの?むしろ面倒だから、宇宙食でも良かったりして…なぁ~んて、考えたりする。 でも住居にはこだわりが有る。良い家でなくても良いのだが、広さと空間を大事に考えている。 私が幼い頃は、築100年以上の家に住んでいた。この家を建て替えるということで、取り壊したのが昭和63年だった。 さぞ木材が散在するだろうと考えていたのだが、私の想像は見事に外れてしまったのである。現実は、藁が散在したのだった。 築100だとしても明治かそれ以前となると、まだまだ家の建て方がしっかりしているわけでない。実際家の柱は、ひらぺったい石の上に、乗って建っていただけなのである。 これは戦後の昭和を生きてきた私にとって、衝撃的な出来事だった。コンクリートでビルが建つ時代に、単に石の上に家の柱が建っているなんて…、これっぽっちも考えなかったのだ。 古い家に生まれて、家は雨漏りが酷くて、快適とは言い難かった。雨が降れば雨漏り…しかも、吹く風の向きによって、雨漏りの場所が変わるので、雨を受けるバケツの場所が変わるから、微調整に奮闘したような状態だ。 土間も有ったし、風呂は五右衛門風呂だった。トイレも外だったので、靴を履いて用を足していた。今思うと良く住んでいたなぁ~と思うけれど、 あの時代はこれが普通だった。そんな中で私が贅沢だと思えたことというと、家が広かったということである。広い部屋を独り占め出来たことは、幸せであった。 その喜びが忘れられなくて、引っ越しを数回したが、必ず一人で3LDKを選んで住んできた。3LDKの広さを一人で独占できることが、とても幸せなのである。 着るものも食べるものも最低でも構わないが、住むところだけは、広い空間であって欲しいと思う。それさえあれば他の贅沢は無くていいと思える。 多分この家に生まれてこなければ、そんな贅沢を考えなかったかもしれないが、拘りって、そんなことで決まっていくのかもしれない。 幼い頃に体験した幸せに感じる記憶は、大人になっても決して忘れることはない。無駄に広い家は必要ないが、他の人にとって贅沢だと思える広さは、私には必要なのである。
2026年02月19日
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1月から習い始めたコーラスの先生が、2月の第一金曜に舞台に立つというので、聴きに行ってきた。 私はやたら色々なことをやっているので、土日以外で全く行く場所が無い曜日というのが、第一金曜しかない。なので、これは行け!という事に違いないと思った。 習い始めたコーラスも、第一と第三水曜で、習う前までは土日以外で、第一と第三水曜と、第一金曜しか空いてなかったのである。なのでこれも、運命だと思って始めたのだ。 実は20代の頃、社会人の合唱団に入っていた私。滅茶苦茶楽しかったと記憶している。ゴスペルもやっていたが、違う意味で楽しかった。 みんな陽気な社会人で、男女混合の集団だった。ひとしきり歌い、歌い終わるとみんなで居酒屋にいき、お酒をしこたま飲んだ。 私の若い頃は、男性の殆どがタバコを吸っていたが、ここでは誰も吸っていなかった。歌うので喉に悪いから、誰も吸っていなかったのである。 でもお酒はよく飲んだ。楽しかったのは、このお酒を飲む時間を含めてであった。 あの時の楽しさをまた感じたくて、コーラスを始めた。 習い始めたのは女性コーラスなので、男性もお酒も縁は無いのだが、歌うこと自体が楽しいし、喉の筋肉にもプラスになる。 歳をとると色々な筋肉が衰えていき、喉の筋肉の衰えが、誤嚥の元ともなりかねない。なので、喉の筋肉を鍛えたほうが良いと思ったわけだ。歳のセイか、ソプラノが出にくくなったが、かといって、やらなければもっと出なくなってしまう。 コーラスに入って人数の多さに驚いた。運動や勉強を含めて文化センター内で一番人数が多い。通常のクラスの人数の倍である。如何に歌を歌いたいと思っている人が多いか…、ということを、思い知らされた。 その先生の舞台が、「60分でオペラ…ヘンゼルとグレーテル」だった。見て楽しい、聞いて楽しい~ものだったのである。 客席から歌いながら舞台に上がる場面もあった。1時間の公演…どれだけのセリフを覚えて、歌ったのだろうか?…凄いと思った。 あれっ、待てよ、私は社会人合唱団で、中日劇場の舞台に立ったことがあったよね?そういえばミュージカルをやったよなぁ…と、遠い昔を思い出した。 今はもうオカリナをやろうと、鍵盤ハーモニカをやろうと舞台に立つ気持ちは無く、裏方のほうが好きなんだけどねぇ。 それは一生懸命やりたくなくて、楽しみたいからだ。う~ん、人間がズボラになったという説もある。苦笑
2026年02月10日
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