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この間、ヨガとオカリナの新年会があった。私はヨガを大治町と名古屋2ヶ所で、火曜と木曜に行なっているのだが、名古屋のほうで行なっているヨガでの、新年会だった。こちらの新年会は、今回初めて参加する。去年の4月に入ったので、まだ1年立っていないからだ。どうやらペアになって、持ち回りで幹事を決めるらしい。日頃お話しする機会が無い人と交流できる、良い機会だと思った。なのでお昼を食べない私としても、まぁ歓迎することかな?私の場合お昼を食べるためには朝を抜かなければならないので、私的には、チョッと面倒臭いのだが‥。ヨガを11時半~13時行なうところを、30分早く切り上げて、会場である近くのホテルへ向かう。生憎の曇り空だったのが残念だったが、名古屋駅周辺を一望できる高層階での昼食会だった。ここでは4つのテーブルに分かれて親睦を計ったのだが、テーブル分けはA~Dの札を選ぶことで決まった。私は幹事の人と先生と、もう一人ヨガをやる際一番遠い場所に居る人との4人となった。16人居る中で、一番お話ししない人たちと一緒のテーブルになるのは、やっぱり札で選ぶからこその、面白いところである。いつもヨガでは、比較的新人同士とお話ししているものだから、20~30年もヨガを続けている人たちと話す機会は無い。こういった年に一回の親睦の場は、とても貴重だと思った。テーブルでご一緒した人たちの年齢は、先生は30代~40代、そして私以外は70代のベテランである。60代の私なんか、ひよっこ(?)かな??(笑)私はここのヨガではまだ1年にも満たない新人だが、会社に行っていた頃は夜の部でヨガをやっていたので、ヨガ歴としては、全くのド素人ではない。それを先生や二人の先輩は見抜いていて褒めてくれた。テヘッ!素直に嬉しい~。日頃話さない人たちとお話しが出来て、とても楽しかった。オカリナのほうは、今回の昼食会は3回目である。こちらは新年会という感じで開催するのでなく、会費が余ったら行う‥というやり方である。会費って、月1,500円なんだよ。それをやりくりするのだから、元々それほどお金がかかっていない。しかもそれでも余ると、会費を払わなくても良い月が出てくる。こちらは大治町の公民館でやっていて、会場費はタダ同然である。しかも町から文化推進ということで、少しだが補助も出ている。開催は月2回で、その内の1回だけ先生を呼んでやっているものだから、先生へのお礼も1回出すだけ‥それでお金が余って昼食会を開く。年2回ほど昼食会を開く感じである。だいたい席は上座のほうがベテランの人が座るので、私はおとなしく下座に座るけど、私より後に3人入ってきたので、まるっきりの新人ではない。こちらは大治町内のお食事処で、送迎に来てくれるお店での新年会だ。私の隣の席は、私より新人だがとても上品なご婦人である。昔、学校の先生をしていた人で(多分小学校?)音楽に詳しいし、最近ケーナもやり始めたと言われた。私も音楽関係は管楽器を始め弦楽器、打楽器‥、合唱からゴスペル、ミュウジカルと幅広くやってきているので、隣り同士で話しが盛り上がった。その彼女が大治町のスポーツセンターで太極拳をやっていると聞いて、私も4月か5月頃から始めるつもりだと言った。オカリナ以外でもご一緒できるのは、嬉しい。バレトンを一緒にやっている仲間にも太極拳の話しをしたら、その彼女も乗り気で、多分春頃には二人で入会するだろうと思う。こちらは月4回で千円の会費というのだが‥うそ?マジ!!大治町って、凄い!文化にもスポーツにも力を入れているから、色々充実している。人口増加も愛知県内では、名古屋市の次に増えている町になる。保育園が新しく出来ていることを考えてみても、田舎の過疎化が進む昨今、人口増加という逆転現象がみられる、とても珍しい町である。大治町に生まれたことを、今はとても感謝している。
2020年01月30日
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「へぇ~、バーミキュラって名古屋市で作ってんの!?」オリンピックが近いからというだけではないだろうが、外国人を扱ったテレビ番組が多い。日本人に生まれてきたから当たり前に感じていることが多いから、日本の良さが、本当の意味で分かっていないように思う。なので、外国人へのインタビューとかを聞いて、逆に日本の良さを知ることになることが多い。意外に、日本人より日本のことを知っている外国人って居ると思う。日本の製品を母国に持っていく‥。日本に住む外国人が、日本製品で親孝行をする番組がある。あの番組で持っていく確率が多いのが、日本のトイレである。便座が暖かくなるのは当たり前で、お尻の洗浄までしてくれる機能が付いているのは、日本独特である。母国の両親が、それを体験して驚き感動する様子は、日本人として日本の技術を認めてもらえたと感じ、とても誇らしい。他にも色々誇らしいと思う日本の技術なのだが、もう一つ私が凄いと思うのは、バーミキュラーである。水を必要としない調理器具‥野菜が持つ水分だけで調理するものである。日本は綺麗な水、水質のよい水、美味しい水が、水道の蛇口を捻るだけで出てくる、水というものが安心安全な国である。でも世界は日本のようにいかない国が沢山有る。水は高価な飲み物であり、品質的に、むやみに口に出来ないものだったりする。そういう国の人たちにとって、料理をする時に水を必要としない調理器具は、素晴らしいものだと思う。美味しさを追求して作った日本の製品だが、品質の悪い水しか無い国にとっては、違う意味で、感動する調理器具だろうと思う。「ガイヤの夜明け」で、名古屋市にある会社、愛知ドビー株式会社が扱っている、バーミキュラを取り上げていた。どうやらこの会社を、過去にも2回取り上げたことがあるようで、今回は3回目のようだった。元々テレビ大好きっ子の私なのだが、定年退職して時間が出来たことで、テレビを見る機会がもっと増えた。この番組もその増えた番組の一つである。なので今回がこの会社を扱って3回目だと、初めて知ったことになる。こういう番組は、長期にわたって取材をしてくれるし、その後も追ってくれるから、見応えがある。バーミキュラの存在は、他のバラエティ番組で知っていたのだが、その発祥が名古屋ということは、今回初めて知った。開発したのは2010年だというから、もう10年も前に商品として世の中に出ていたことになる。調理器具に興味を持たない私は、こういうことで知ることになる。(笑)こういう商品は、町工場で働く職人さんたちの技術が光っている。数ミリ単位が感覚で分かる職人さんの腕があって、商品となるのだ。町工場は、大手の下請けという立場で、その大手から見放されてしまったら、廃業に追い込まれるケースがある。その危機感の中、生き残りをかけて独自で開発をしていく。最終的には、機械では成しえない職人さんたちの確かな腕が、町工場を立て直していくのである。それは日本の伝統的技術。自分には一生かかっても、モノに出来ない技術だが、そういう技術を持った同じ国民であることを、とても誇らしく思う。
2020年01月26日
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「所さんの発想って、やっぱりいいなぁ‥」「新設!所JAPAN」で、所さんが自分の企画を持ち込んできた。発端は、自分の事務所に居る男性が休みを欲しいと言った事からだった。所さんがスタッフと旅行に行った時、その男性がそこでオオクワガタを買ったのだが、そこから彼はオオクワガタの虜になっていったのである。オオクワガタを面倒みているうちに、オオクワガタの達人を見つけた彼は、会いに行きたくなったのである。それが九州なので、休みをとって会いに行くというのである。「行ってきていいですか?」という言葉にボスの所さんは、「いいよ」と言って送り出したのだが、ここで所さんが思う。もしかしたらオオクワガタから何かが見えてくるのではないか?こういう発想が所さんの面白いところである。そして「知られざる日本を見つけてくる」とテーマを掲げ、新説!所JAPANのスタッフに、投げかけたのである。すると、ココリコの田中さんがロケに行くことになった。田中さんは生き物大好き人間で、その知識も半端なく持っている。そして所さんのこの番組にも、よく出演している人である。彼はこのロケに興味津々だった。それは真冬のオオクワガタのロケだったからである。オオクワガタって夏じゃぁないの?ということから、興味津々なのだ。九州にいるオオクワガタの達人は、田中さんをある場所に案内した。そこは「台場クヌギ」が有る場所である。台場クヌギって??クヌギの木は真っ直ぐに生える木なわけだが、台場って何?田中さんは見て驚いた、クヌギの木が不恰好で低い木になっていたからだ。これはどうやら人工的に低くしているらしいのだ。オオクワガタの達人は、これを何十本も植えて、30年かけて見たが目の悪くて低いクヌギの木を、育てていたのである。何の為?‥どうやらこの不恰好なクヌギの木を、オオクワガタは住居にするらしいのである。食べる、寝る、産卵すると、全てを一ヶ所でできる台場クヌギの木は、オオクワガタにとって、優良物件の住居のようだ。じゃぁ、台場って何?というと、ある一定の場所から上に伸びた枝を切って、幹だけ太くしたクヌギの木になる。枝を切るとそこが雨水で腐食していく。それが年月を経て、良い感じにオオクワガタの巣穴になるのである。「えっ?もしかしてオオクワガタを取るためにやっているの?」九州の人は当然、オオクワガタのためにやっているのだが、この人工で作った台場クヌギは、元々その為に始めたものではなかった。その謎を解いたのが、昆虫写真家の山口進さんだった。クヌギは生命力が強く、枝を切ってもすぐに若い芽が出る木である。その為化学肥料が無かった昔、この若い芽を切って、田んぼの肥料にしたというのだ。クヌギの若い葉は柔らかいので、泥の中で溶けて、稲が育つ栄養素になったというのである。昔の人の知恵は凄いなぁ‥。稲の栄養素になるって、どうして分かったんだろう?しかしそのクヌギの木の跡地が、オオクワガタの優良物件になった。そして化学肥料が有る今では、もう台場クヌギの木を育てる必要がなくなってしまった。その為オオクワガタの住居も無くなり、オオクワガタが絶滅危惧種になっていったのである。オオクワガタが少なくなった背景には、こんな物語が有った。所さんが言う「知られざる日本」である。オオクワガタから昔の米農家に行きつく‥。面白い話しだと思った。
2020年01月22日
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日曜日に弟が、買い物にいつ行く?と聞いてくれる。重い買い物袋を、車で運んでくれるためだ。「月曜日は‥どう?」私の言う月曜日は祭日で、珍しいことに今回の祭日は、弟も休みである。すると弟があまりいい顔をしなかった。暫くして弟は「日曜日はダメなのか?」と聞いてきた。ん?私にとって日曜日も月曜の祝日も、同じ休みに違いないので、どうして祝日がダメなのか、意味が分からなかった。毎週次の日が仕事である日曜日でも、買い物に行ってくれるのだから、月曜の祝日で次の日が仕事でも、同じように行ってくれるものだと思ったわけなのだが‥。「あっ、じゃぁ買い物は大丈夫、ありがとうね。」と言って、申し出を断った。別に何回かに分けて行けば、重くて運べないわけではない。退職前の私なら、弟が行ってくれる時に合わせて買い物をするのだが、今はいつでも自分で行けるので、弟に合わせる必要はない。今回も私からお願いして行って欲しいと言ったわけでなく、弟のほうから「買い物に一緒に行こうか?」と提案してきたのが発端。それに対して私のほうが望む日でなかったので、断わっただけである。でも、私の中で疑問が残った。私にとっては日曜も祝日も同じ「休み」というカテゴリーである。でも‥‥‥。「あっ!なるほど~そういうことか!」私にとって同じものでも、弟にとっては一緒とは限らない。それは‥弟にとって祝日は私と同じ扱いの日ではないからだ。なかなか祝日が休みにならない弟にとって、祝日が休みという日は「特別の日」になるのだ。だからその特別の日を、自分だけのために使いたいという心理が生まれるわけだった。(そういうことなのね!?)と、私は頷いた。彼にとってのこの祝日は、年に1,2回しかないお休みで、正に「特別の日」なのであった。自分の考え方で凝り固まっていたら、きっと弟の気持ちは一生分からないだろう。弟の立場に立ってみて初めて、分かる言葉の意味である。(こういう事で、人と人とのすれ違いが起きてしまうんだろうなぁ‥)相手の立場にたって考え無かったら、相手の気持ちは分からないままだ。考えなければ分かり合えないまま、友達を失っていくのだと思った。私は昔短気で、自分の思ったことをすぐに口にしてきた。多分気の弱い友達は、もうそこで口をつぐんでしまっただろう。(友達がいなくなるわけだなぁ~私は‥)そう思いつつも、別にそれでも構わないと思って生きてきた私だから、そこに反省が無い。(^_^.)反省しないから、振り返らないし、問題になったことを突き止めようともしなかった。コミュニケーションを取るとか、相手の立場にたって物事を考えるとか、全然やってこなかった若い頃の私。今は反省しきりである。この地球上に、何十億と人間が存在する中、まず出会う確率はどれだけのパーセントなのだろうか?その上で、分かり合える存在になる数は‥あまりにも一握りである。ミクロの世界と言っても良いだろう。もっと出会いを、縁を、大切にして生きていかなければ、大きな宝を失った人生になってしまうだろう。ふと立ち止まって、自分や自分の周りも見つめ直してもいいのでは?そんなふうに感じた、弟とのやりとりだった。
2020年01月18日
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必要な油は?動脈硬化を引き起こす油ではあっても、油の全てが悪者ではない。必要な油でもあるのだ。ただ取り過ぎるのが、いけないことだということだ。油が体のために必要だというのは、人体の数十兆個の細胞全ての柔軟性に関係しているからだ。と、教えてくれたのは、月に一回放送されている「食の起源」だ。前回は「塩」だった。あの回も面白い回だった。司会者は、TOKIO‥まぁ、それで見るようになったわけだけど‥(笑)塩も一日2グラム取るだけで良いという。2グラムなんて、料理に使うとすぐである。でも現代人の暮らしから掛け離れて生活している民族に、塩を舐めさせると、全員が吐き出してしまう。そして不快な顔をするのである。彼らは、朝も昼も絞りたての乳を1杯だけ。夜の食事も調味料を加えていない。では何処で塩を取っているかというと、絞りたての乳からである。動物は自分に必要な塩分量を知っている。決して人間のように、余分に塩分を取らない。その動物たちから摂取した乳の中に、人間にも必要な塩分量が含まれているのである。それ以上は必要としないのが、従来の人間の姿なのである。それではどうして現代人は必要以上に塩を摂取してしまうのか?これは今回の油とも同じ理由で、美味しさを知ってしまったからである。人類が道を踏み外してしまったのは、グルメになったからである。北極圏に住む先住民族のイヌイットは、マイナス50度で住んでいる。彼らの食糧は、アザラシやクジラの脂身である。イヌイットの伝統的な食生活は、驚くべきことに摂取カロリーの7割がアブラなのである。狩りをしてアザラシを仕留め食べるのだが、アザラシの体の殆どがアブラである。マイナス50度に耐えるように、全身をアブラで覆っている。そういう環境の中なら人間でも、7割アブラを取っていいのだろうか?彼らをみていると、太っているわけでないし、どうやら血液もドロドロになっていないらしいのだ。コペンハーゲン大学のヨーン・ダイヤベルグ博士は、イヌイットが食べているアブラを徹底調査したところ、人間に必要なオメガ3脂肪酸を、一日14グラム摂取していると判明した。ちなみにこの一日14グラムのオメガ3脂肪酸というのは、日本人の10倍摂取している量になる。オメガ3脂肪酸は、全身の細胞膜の材料になる。細胞膜を柔軟にしているのだから、血液もスムーズに運ばれる。「一昔前では動脈硬化にアブラが効くなんてことは考えられなかった」TOKIOの中の一人が、ボソッとつぶやいた。体にとっては、オメガ3脂肪酸とオメガ6脂肪酸が、1対2の割合で摂取するのが良いという。ところが現代人はオメガ6脂肪酸‥サラダ油、大豆油、コーン油、他には鶏肉、豚肉、牛肉にも含まれているアブラを、過剰にとってしまっているのである。オメガ6脂肪酸は、ウイルスや病原菌から体を守る役割がある。取るべきアブラではあるのだが、過剰に取ってしまえば悪者にもなる。3500年前の古代エジプトの王族のミイラ50体を調べたところ、半数に動脈硬化が有ったという。美味しいアブラが命を縮めたことになる。必要ではあるが、過剰摂取は逆に命を縮めてしまう。毎日の食事をしっかりコントロールして、片寄らないことが重要だ。バランスをとった食生活を心掛けたい。
2020年01月15日
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「う~ん、タイムリーな話しだなぁ~」「プロフェッショナルの仕事の流儀」を見ていて思った。鎌倉に有る私立の男子校の数学教師の話しだった。井本陽久さん‥50歳、東大卒の男性教師を取り扱っていた。先生らしからぬ先生で、その授業内容は、今の日本では考えられないやり方だった。生徒に考えさせる事を授業の柱としていた。だから先生は「教える」ということをしていない‥、考えさせる事をしていたのだ。授業では教科書を全く使わない。先生が独自で考えた問題のプリントを配る。それをまず生徒の一人一人に考えさせ、暫くすると2人とか3人とかで考えさせる。誰と組むとかも先生が考えるわけでない。生徒たちは、いつの間にか誰かと組んで考えているという感じだ。井本先生は「学力を上げようとは思いません」と言う。それは今の日本の教育体制の中で、言っちゃっても良いことなのだろうか?どうやら先生は、一人一人に考える力をつけさせて、様々な状況に打ち勝つ力を、持たせようとしているのだ。決して生徒の考えたことを否定しない。「そんな考えもあるよね。」と、答えの良し悪しより、考えたこと自体を評価していく先生。学校へ来たくなる、授業を受けたくなる、考えることが面白い。毎日が楽しい~という生徒を増やしたい‥というところだろうか?井本先生は50歳過ぎて、長年務めた私立の男子校の授業を減らした。つまりは、常勤勤務から非常勤勤務へと切り替えたのだ。50歳過ぎて、安定した仕事先から不安定な生活に自ら飛び込むなど、中々出来るものではない。私が勤めた会社でも、50歳過ぎて入ってきた人が居たが、その理由は、前会社との色々な角質からである。ところがこの先生の、非常勤講師に替わる理由は、進学校以外の生徒のためにも、働きたかったからである。もっと色々な子どもたちに、授業の楽しさ、考える楽しさを教えたかったからだった。この先生の原動力は、若かりし頃の失敗談からだった。教師になって10年目に、トラブルを起こす子供の担任になったことがきっかけである。後に先生は言う。「教師としての責任感が入るとダメになる。大事なものが、見えなくなってしまう。」なんとか立ち直らせて、無事に卒業させたいという気持ちが、勉強しろ!素行を正せ!と、トラブルを起こす生徒に、言い続けてしまったのである。その結果1年後にその生徒は、学校を去ってしまったのである。自分があれほど憎んでいた評価とか価値観を、その生徒に押し付けてしまったという後悔の念で、先生はその後不登校になっていった。‥教師の不登校かぁ。そんな時に出会ったのが、児童養護施設の子供たち。施設の子供たちが、頑張って生きている、楽しく生きていることに、井本先生は救われていった。「そのままでいい、そのままがいい、そのままでダメなはずがない」先生が養護施設の子供から学んだことのようだ。今日、私はこの後セミナーを行なう。この先生の話しがタイムリーだと言った理由がここにある。私の講義は楽しいだろうか?生きていくのに必要な講義をしているが、講義自体は楽しいだろうかと、改めて考えさせられた。よし!楽しいセミナーにしていくぞ!!なにせ私にとって初めての10代の生徒さんだから、学びが楽しいものだと、しっかり植え付けていこうと思うのだった。
2020年01月11日
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お正月は、しっかりぐーたらしたよ。「しっかりぐーたらした、って言い方は変だよね?」(笑)私はスーパー銭湯が大好きなので、お正月は通常よりよく行く。大体のところは、無休でやっているので、12月31日でも1月1日でも営業している。時間が短縮されるだけで営業はしてくれているので、有り難い。そして12月31日は必ず行くのだが、混み具合はいつもの倍になる。大掃除の後は、さっぱりして新年を迎えようと考えるのだと思う。そして年が明けると、客層が違ったりする。若い子が、長いお休みの一日として、友達と来たりするのだ。1月1日から行ったことはないが、きっと賑わっているだろう。そうでなければ、今時正月早々営業しているわけないだろうから‥。そんなある日、水風呂に入っていた時のことだった。私はサウナには入らないが、水風呂は大好きなので、普通のお湯と交互に入る。水風呂の中に居ると、2人の人の会話が耳に入ってきた。水風呂は他より狭いので、聞くつもりが無くても耳に入ってくる。「12月に男性が救急車に運ばれたけど、死んじゃったんだって!」なんと‥物騒な‥どうやらサウナに入っていて倒れたらしい。その女性の話しによると、係りの人がサウナに入ってきて、こまめな水分補給を促していったという。その時にその亡くなった男性の話しをしていったというのだ。水分を取らずに長時間サウナに入っていたことが、死に直結してしまったようである。これは事故の部類だよなぁ‥。いつ自分のこととして、降ってくる災難になるかもしれない話しである。サウナには入らないが、長時間風呂に入っているので、これは私も気を付けなければならないと感じた。突然命が今日で終わる‥と考えると、やり残したことで未練を持って死ぬことになるだろう。病気で苦しんで死ぬのもイヤだが、未練ありつつ死ぬのも、御免こうむりたい。子供の頃は、次の日が生きて迎えられることを、毎日感謝して生きていたが、今はその純粋な気持ちも無く、当たり前のように朝を迎えている。いやいゃ‥次の日が普通に来る保障なんて、一つも無いではないか。特に自然災害が多く、地震王国の日本に居るのだから、明日が必ずやってくるとは限らない。もっと感謝して、悔いの無い生き方をしていかなければならない。そんなことを考えながらお風呂を出ると、風呂と脱衣所の中間地点に、水を入れたタンクが置かれているのに気がついた。風呂に入る時は素通りした場所である。そこにタンクに入った水と紙カップが置かれていたのである。この設置は、さっきの話しと重なって理解出来た。それと同時に、他のスーパー銭湯でも個人の水置き場が、改めて作られたことを思い出したのである。そちらのスーパー銭湯は、元々風呂に入る前の場所に水が置いてある。いつでも水分補給が出来る状態にしてある銭湯だった。そこに、新たに個人が持ち込んだ水を置く場所を設置したのである。どうやらこの男性一人が亡くなった話しは、この業界全体に行き渡っている話しのようである。すると亡くなった男性は、ここの風呂の話しではないかもしれない。別の銭湯で亡くなって、新聞沙汰になったのかもしれない。なので業界全体で、危険回避に取り組んでいる事だと思った。どちらにせよ、そういう死に方はしたくないなぁ‥。生きている内に、やることをやり切って、安心して向こうの世界へ行きたいものだと、思ったのである。
2020年01月07日
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今日は‥もう4日、正月三が日が過ぎ去ってしまった。この正月でも、しっかり嫁としての役目を果たしつつ、ブログも毎日更新しているという人が居る。どうやって仕事を熟しているんだろう?‥不思議である。もう習慣化されていて、正月だからという理由でバランスを崩すということが、無いんだろうね。私はというと‥やっぱり正月だから、いつもより自由でありたいという気持ちが強く、そのための正月でしょ!的な考えの元、ぐーたらしていた。(笑)1月1日だけは、妹家族がやって来るのでそうもいかなかったが、その行事(笑)さえ過ぎれば、あとは自由である。弟も正月早々、何か物作りをしている。正月なのに、のこぎりやトンカチの音とかが聞こえてくるから面白い。(もうチョッと落ち着いたら?)と、私は考えるんだけど、彼にはそれが良い状態のようである。中々纏まった休みが取れないので、正月ぐらい自分のやりたいことを、思う存分やりたいのだろう。今日も材料が無いといって、朝の7時から材料を買いに行った。今日からホームセンターが開いているらしい。一般のホームセンターは、とっくに開いているのだが、プロが欲しい商品が置いてある店舗は、今日からのようだ。そしてプロが行くところなので、朝の7時には店舗を開けている。私が今頃ブログを書いているというのに、もう外で一仕事を終えて、ホームセンターへ行くという行動力。ぬくぬくとストーブを横にしてパソコンに向かっている私には、欠片も無い行動力を弟は持っている。でもそろそろ普段の日常へと移行していかなければならない。来週からはいつもの時間が戻ってくる。やらなければならないことも山積みで、これは日頃毎日コツコツやれない人間ゆえの問題で、ある意味自業自得の状態だ。(苦笑)今月はセミナーの開催やら、お出かけしなければならない行事やら‥。あっ、新年会もあちこちで行われるから、それも面倒臭い。働いていた時は、会社が終わっての新年会だから、その流れでいけばスムーズに移行できるのだが、今はお付き合いする人たちが仕事に行っていない人が多いので、ランチタイムの新年会になる。う~ん、これが私的には大変な作業なのだ。だって食事会でしょ!‥全然興味無いんだけどねぇ。飲み会は気楽に付き合えるけど、食事会は食事自体に興味が無いから、苦痛でしかないのよね、私は‥。でもこれも付き合いなわけで、1月は何回かそれに付き合わなければならない。仕方ないよね?これもお付き合いの一つだもんね。まぁ、1月ぐらい頑張ってお付き合いしないとね。日頃パスしているんだからさぁ‥。今年は「庚子(かのえ ね)」年である。「庚」は私にとって、とても強い味方になってくれるし、「子」は去年の「亥」と違って、私に悪さをしない十二支になる。だから今年は楽しみである。全体的な運気はまだまだ弱いから、滅茶苦茶大きなことはできないけど、いままでを考えたら、チョッと弾けてやっていこうかなぁ‥と、積極的に動いていこうと思っている。さて皆さんは、どんな1年を考えていらっしゃいますか?私は小さな一歩でも、去年を超える1年にしていきたいと思っています。また1年お付き合いをしていただくことになりますが、共に前年より良い1年にしていきましょうね。今年もよろしくお願いします。m(__)m美鳳★
2020年01月04日
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