全15件 (15件中 1-15件目)
1
土曜日に会った人は、カラー心理学の仲間でありレイキ仲間でもある人だった。去年までは1年に一回会う機会が有ったのだが、今年からはその機会がなくなったので、聞きたいことがあったから、会う約束をした。彼女は車で迎えに来てくれて、「行ってみたい喫茶店があるから行かない?」と言われた。勿論私に異論はないので、その喫茶店に行くことになった。行ってみると私もその喫茶店の存在は知っていた。但し、入ったことがない喫茶店だった。私が入ってみたいという発想にならなかったのは、歩いて行くにはチョッと距離があるお店だったからだ。入ってみると、そこはゆったりとした造りで、アンティークな置物や絵などが掛けられていて、落ち着いた雰囲気のお店だった。こんなに良い雰囲気のお店なら、多少遠くはあるけれど、歩いて来ても良いなぁ~と思った。座って飲み物を注文した後に、お互い近況を報告し合った。1年という期間‥、環境がそんなに変わるわけではないけれど、起こってくることは色々ある。共感できるところが多いのも、同じような考え方をするからだと思う。こうやって様々な話しができるのは、有難いことである。彼女との出会いは10年ほど前‥、出会えたのは、心理学の勉強に行ったからである。その勉強を始めようと思ったきっかけは、占いのお客様でうつ病の人が来たからなのだが、そのうつ病のお客様を、占いで何とかしようとするのは難しいということから、心理学を勉強しようと思ったのだ。でも結局、その人やその人の家族が頑張ったからだが、占いで何とかできてしまった。なので勉強に行く必要は無かったという結果だったのだが、でも代わりに素敵な仲間と素晴らしい先生に出会えたのだから、嬉しい誤算ということになる。レイキを知るきっかけとなったのも、ここが発端である。人との新しい出会いが、レイキという新しいものに出合うきっかけとなったわけである。年齢を重ねれば重ねるほどに、レイキの有難さを感じるこの頃。行動して新しい出会いを作ることが、素晴らしい物に出合うきっかけとなった。好奇心を一杯にして、新しい世界に羽ばたいてみよう!※※ ◆2月2日のレイキ交流(体験)会は、今日締切です ※※
2013年01月31日
コメント(0)
願いが叶うか否かは、イメージ力にかかっていると思う。発明品などは、その典型的なものだと思うわけだ。発明したいものを発明するには、色々と勉強しなければならないだろうけれど、その勉強する前の段階で、どんなものを作りたいかという、具体的なイメージが湧いていなければ、方向性すら掴めない。前回のブログで「寒さ対策」を取り上げたのだが実験の一つとして、イメージ力の大切さを取り上げていた。暖かい物、例えば湯気のたっている鍋だとかをイメージすれば、それだけで体温上昇に役立っている。逆にかき氷とか吹雪とかをイメージしたら、体に寒さを感じて、ブルッと身震いしないだろうか?どうやらイメージすることで、体温にも多少だが変化が起こるようである。楽しいことを考えれば、心も体もうきうきしてくるが、不安な気持ちを持てば、心も体も委縮してしまう。自分が描いたイメージだというのに、心や体に変化が現れるのである。イメージが如何に大切なのかという証拠である。だから叶えたい願いが有るとしたら、より具体的なイメージをもって、心に描くと良いだろう。そう、あたかももうその願いを手に入れたが如くに‥。大事なのは、自分の心に否定させないことである。願いが叶っているというイメージの後に、「でも‥」「だけど‥」「そうはいっても‥」という否定語を使ってはいけない。否定語を考えてしまうと、願いは叶わない方向に行ってしまう。だから、自分に言い聞かせることが必要である。願いは、心の底からの願いであること。そしてその願いを、自分の中にしっかりとイメージできること。イメージができたら、願いはきっと、その方向に向かうことができるだろう。※※※ ◆レイキ交流(体験)会 ★次回2月2日土曜(要予約) ※※※※ 偶数月第一土曜(〆二日前木曜) 予約方法は左側フリーページ参照 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
2013年01月29日
コメント(0)
カイロって、みんな使うんだね。私は生まれてから一度も使ったことがないから、そんなにみんなが使っているなんて、考えもしなかった。街頭インタビューでは、まだ幼稚園児だというのにカイロを持っていたのには驚いた。しかもその小さな手をポケットに入れると、二つも出てきたのだ。では、カイロをどこに貼るか?の問いかけには、千差万別の答えがあったのだが、一番多かったのは腰だった。他には背中、お腹、首、わきの下、足の裏‥という答えだった。首は見た感じ良くないし、わきの下は何をするにも動き辛い。足の裏は寝ている時には問題ないだろうが、起きている時では、歩き辛いだろう。やっぱり私も腰か背中かお腹かが、カイロを貼る理想の場所だと思った。ところが、効果がある場所というのは違っていた。前回のブログに準ずるのだが、やはり足の裏が一番良いという結論だった。足の裏には大きな静脈瘤があるので、一番のお薦めらしい。次にお腹、こちらには大きい静脈瘤はないが、数は多く存在する。その次に多少の効果が有るらしいのが、わきの下だった。腰も背中も首も、効果はあまり無い。殆どの人が、カイロを貼っているという腰。効果が期待できないのに多くの人が貼っている、何故だろう?腰とか背中とかは元々冷たい場所だから貼っても意味が無いらしい。まぁ、部分的には暖かくなるので、その部分だけが暖かければ良いなら、それで良いだろう。でも体全体を暖めることを考えたら、大静脈瘤のある足の裏か、或いは静脈瘤が沢山集まっているお腹が良いようだ。折角お金を払って買ったものならば、効果の大きい使い方をしたほうが、お得ではないだろうか?
2013年01月26日
コメント(0)
私はレイキがあるお蔭で、深部体温が高い。でも表面温度は他の人たちとそんなに変わるわけではないので、やっぱり寒いわけだ。テレビで寒さ対策の実験をしていたのだが、街頭インタビューで、寒いとどうするか?という問いかけに、「手に息を吹きかける」「手を体の前でさする」「足のかかとの上げ下ろし」 の3パターンの回答が多かった。私の場合は最初の二つを行なっていることが多い。三番目の、足のかかとを上げたり下ろしたりなんてしないなぁ‥。ところが、ところがである。最初の二つはあまり効果が無いことが判明した。一番良いのが、足のかかとの上げ下ろしだというのだ。確かに考えてみれば、足の裏は第二の心臓と言われている場所である。足の先まで下りた血液を、足の運動で心臓まで戻しているわけだから、足を動かすことは、全身への血流に関係してくる。下血して貧血状態になったことが有る私には、血液の暖かさがリアルに理解できる。というのも、寝る時に足の先が冷たい人が多いようだが、私はすぐに暖かくなるから、なぜ冷たいのかがよく分からなかった。でも下血した最初の頃、足が冷たくて中々暖まらないことがあり、どうして足が冷たいのかが、理解できなかったことがあった。その冷えの原因が、血液不足だと気付いて、私たちは血液の流れによって、体が暖かいのだと理解できたのだ。血液不足が酸素不足に繋がることは理解できても、体温が下がるという話しにいきつかないのだから困ったものである。血液は体全体の体温に、大きく貢献しているのだ。だから、体を全体的に暖めようと考えるなら、足を動かして血液を心臓に戻すことが一番である。ついつい冷たい箇所である手を暖めようとしてしまうが、その方法で暖まるのは手だけで、体全体にまで行き着かない。だから体全体は冷えたままなのだ。それからカイロの話しをしていたが、これは次回書こうと思う。※※※ ◆レイキ交流(体験)会 ★次回2月2日土曜(要予約) ※※※※ 偶数月第一土曜(〆二日前木曜夜) 予約方法は左側フリーページ参照 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
2013年01月24日
コメント(0)
旧パソコンで作ったエクセルやワードが、新しいパソコンで適合しないことが多々あるので、四苦八苦している。互換モードで切り替えれば良いと思ったが、そうなると私の現在のパソコンであるウィンドウズ7より古いパソコンとの互換性が無くなるので、止めたほうが良いと言われた。というのも、私が作ったエクセルやワードを、他の人も使うからである。それで結局、よく分からない誤作動をするので困っている。「×」で消すと、普通保存するかしないかをきいてくるのだが、時々きいてくれなくて、打ったものが全部消えてしまう。まぁ、これは上書保存をするクセを新たにつければ良いから解決するものだが、ついつい「×」で消してしまうので、暫くの間は大変である。解決しないのが、ホームからファイルにいかないことである。上書保存も印刷もできないものだから、打ったものが全部消えてしまう。もぅ‥がっかりする。もしかしたらパソコンが、古いファイルを認識するのに時間がかかっているのではないか?と言うのだが‥。ではどうするのか? すぐに打ち始めないで少し待つか、それとも最初にホームからファイルへ移動するかどうかを、確認してから打ったら?と言われて‥。新しいものって、面倒くさいなぁ~と思っている。新しくした意味はあるのか?と疑問がわくが、古いものは部品が無くなくなるので、どうしようもない。消え去る運命の物に、いつまでもしがみ付いているわけにもいかない。結局便利さと不便さを請け負うことになる。まぁ、時代の流れに逆らうわけにもいけないから、上手くやっていく道を模索していこう。ただこういうトラブルが、何故か忙しい時に限ってやってくるのには閉口する。これも長年のクセが、災いしているといえるだろう。時間には時間で応戦しなければ‥。日々努力の積み重ねをして、新しいクセが付くよう頑張ろうと思う。
2013年01月22日
コメント(0)
23歳平成生まれの直木賞を取った作家が誕生した。社会人として、仕事をしながらの受賞である。普通にサラリーマンをしながら、何かを成し遂げるというのは大変なことである。ニュースを見ていたのだが、彼が小説家になる夢を持っていたのは小学校の時からだという。しかもその頃から小説を書いて、学校で出している新聞に連載していたというから驚く。何事も継続は力である。お母さんの話しでは、「生まれ変わったら作家になりたい」 ということが、日記代わりのノートに書いてあったらしい。でも結局、今世で夢は叶ってしまったわけだが‥。私も小学校の高学年だったと思うが、原稿用紙に小説を書いていたことがあった。私が書いたものが、いつの間にか教室中に回されていたことがある。しかも他の教室にまで回っていってしまったことがあり、せかされるように続きを書いていたということが、思い出として残っている。あの頃で原稿用紙100枚以上書いていたから、それに費やした時間は半端ではなかったと思う。とはいえ、中学に上がって吹奏楽にハマってしまい、クラリネットの練習に明け暮れて、小説を書く機会が減ってしまった。彼のような、「小説家になる」 という、確固たる願望が無かったから、結局いつの間にかやめてしまった。でも、あの時に書いていた文章が、今こうやってブログに書くことに役立っているから、中途半端であろうとも、何かに夢中になることは大切だと思う。どこかできっと自分の役に立つと信じて、いつもチャレンジ精神を忘れずにいたいと思っている。
2013年01月20日
コメント(0)
エドガー・ケイシーの「神の探求」1と2の24回が終わった。2ヶ月に一回なので、4年をかけての学びだった。とはいえ行事が重なると行けない事もあるので、全部出席していないが、2回目からの参加だったから、結構出席したほうではないか?と思う。「光田会長と、もう会えないの?」私の寂しさはそこにあったのだが、有難いことに、今後も名古屋に来て貰えることになった。勉強会は、光田会長から話しを聴くことが一番の学びではあるが、それプラス光田会長自身の、体験されたお話しが聴けるから有難い。また質疑応答は授業の最中であっても、その都度受けていただけるので、疑問が生じた時点で、解釈を間違えずに受け入れることができる。また仲間は、いつも固定されている人たちではないが、新しい人でも、学ぶ姿勢がしっかりとしている人たちが集ってくるので、すぐにも溶け込み、楽しんで学ぶことができる。それでもずっと変わらないメンバーもいるし、なにより主催者がしっかりしていて人柄も良いものだから、いつも15名~20名の集まりとなる。今後、どういうふうに授業を進めていくかを、懇親会の席で決めると言われたのだが、私はいつも通り、ちゃっかり会長の横に座ったお蔭で、今後の授業の進め方にまで、意見を言わせてもらうことができた。結局、会長と主催者と私とで授業内容を決め、他の人たちには、その方向性で賛同してもらった。ほぼ私の意見を取り入れてもらったことになるわけで、こういう立ち回りの上手さは、私のずーずーしさからくるのか? でもそれで、他のメンバーも賛同していただけたのだから、結構みんなの、的を得た提案だったと思う。今後は授業を半分に分けて、聖書を使ったものと、光田会長及び仲間の提案者が、テーマにしたいお話しをしていただけることになった。次回は夢判断である。古代史をテーマにしてほしいという要望も有ったり、他にも多数意見が出ていたから、いままで以上に楽しい授業になるだろうと思う。私は聖書の黙示録が、滅茶苦茶楽しみである。エドガー・ケイシーによる聖書の解説を聴くのは魅力的だ。仲間に会うのも楽しみの一つだから、今からワクワクしている。※※※ ◆レイキ交流(体験)会 ★次回2月2日土曜(要予約) ※※※※ 偶数月第一土曜(〆二日前木曜夜) 予約方法は左側フリーページ参照 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
2013年01月19日
コメント(0)
今回のエドガー・ケイシーの勉強は、神の探求2の第12課、「神の霊」 だった。その中にあった文章で、とても気に入った箇所があった。「同じものを見ていても、同じものを経験していても、求めている姿勢がなければ、同じものを見ることはない」どんな時でも、自分の姿勢がどうであるかが大きい。どういう取組みをするか、姿勢がはっきりしている必要がある。同じ経験に、同じ時間の経過を有するのならば、「求める姿勢」をはっきり持って、そこから得るものをより多く積みたいものである。ケイシーの三次元世界の分け方が、「時間、空間、忍耐」としている。この忍耐を加えているところが面白い。面白いというのは不適切かもしれないが、精神面を重要視していることに感心する。確かに魂だけの世界からすると、忍耐は必要が無いことになる。それは時間や空間を超越して、瞬時に移動できるからである。さらに本音しか無い世界だから、我慢することも無いだろう。肉体が有るゆえに、不自由なことが存在し、不自由だからこそ、色々な感情を味わい経験を積むことができる。そうやって魂を磨くことが、この世に生まれてきた理由である。イエス・キリストでさえ、何度も生まれ変わってきていることを考えたら、私たちが無限の愛を身につけるためには、多くの学びをしなければならない。勿論、キリストが生まれ変わってきた理由は、私たちが生まれ変わりを繰り返してきた意味とは、全く違う意味合いではあるのだが‥。地球で今この時を生きていることの意味を、しっかりと理解して、毎日をむかえ入れていきたいと思っている。※※※※ ◆次回のレイキ交流(体験)会は、2月2日です ※※※
2013年01月17日
コメント(0)
占いでいくと、後三週間で平成24年が終わる。来月の2月の節分から、平成25年に切り替わるのだ。このまま何事もなく過ぎて、新しい年を迎えたいというのが本音である。そう願うのも週明けそうそうに、もしかしたらだが、波乱が起こりそうな要因があるのだ。まぁ、波乱を呼んだら呼んだで仕方がないけれど、できれば回避したいところである。ようやく落ち着いてきたというのに、年の終わりのとどめとばかりに、やってくる試練は避けたいなぁ‥。私の気持ちはもうブレないから、どういう手段できても乗り越えようとは思っている。乗り越えるために大切なことは、私自身の覚悟だと思う。私自身がブレていては、起こってくることに対処できないからだ。流されて良い時と、決して流されてはいけない時がある。今は正念場だと思っている。これが乗り越えられたり、何事もなく過ぎていけば一安心できる。なので私の今の気持ちは、「早く2月が来ないかなぁ‥」となる。そうはいっても早く来るわけはないので、しっかり腰を落ち着けて、淡々と迎え入れようと思う。一番大切なのは、良いイメージを作っておくことだ。「必ず良い結果が待っている」 というイメージを‥。良いイメージをしっかり持って、今週を過ごしたいと思う。
2013年01月15日
コメント(0)
リフレーミング(reframing)とは、ある枠組み(フレーム)で捉えられている物事を、枠組みをはずして、違う枠組みで見ることを言う。例えば、「私、何をやるにも自信が無くて‥」 というマイナスの言葉をプラスの言葉にフレームを変えると、「あなたは、何事も慎重に進めていく人なのですね」 となる。こういう訓練をNLPでは行なっていくのだが、これが結構難しい。フレームを変える言葉が、すぐに出てこないのだ。「私失敗ばかりして、みんなの足を引っ張ってしまって‥」「相手に余分な一言を言ってしまうんですよねぇ‥」そんな言葉を友達から言われたら、どんな言葉を返してあげたらいいだろうか?「そんなことないよ」 と言ってあげるのが、精一杯だったりしないだろうか?もう一歩踏み込んで、素敵な言葉にリフレーミングできたら、きっと相手は幸せな気持ちになれるだろうと思う。でもこういう訓練は、人のためにしているようだが、実は自分自身のためにしている訓練でもある。自分が落ち込んだ時に、口に出した言葉や頭に浮かんできた言葉をリフレームすることが、ネガティブな思いからの脱却になるからだ。落ち込む時間を短くして、早く頭を切り替えていく。いつまでもマイナスの状態に留まっていては、体調不良に繋がっていき、必要以上に体を痛めてしまうからだ。この状態は、自分で病気を呼び込んでいる状態なのだ。ストレスは多くの病気を誘発するので、注意が必要である。その為にも、ちょっとした時間にリフレーミングの訓練をすると良い。訓練というと構えてしまうが、遊び間隔でやってみれば良いのだ。日頃から訓練することで、クセをつけてしまえばこっちのものである。落ち込んでも立ち直りが早くなるだろう。NLPは、実生活に根差した心理学だ。
2013年01月12日
コメント(0)
昨日まで、頭の中を数字がぐるぐる回っていた。前年の売り上げやら、対前年比やら‥。月初めの仕事プラス年始にしなければならない仕事があるから、ただでも正月休みで日数が足りないというのに‥。私の頭はフル回転である。数字が大きい単位で合わないものだから、ぶつぶつ言いながら仕事する。小切手があるから、銀行にも行かなければならない。ぎりぎりまでやって銀行に出掛ける。だけど数字が合わないから、歩きながらも(走りながらも)考えつつ移動して、銀行に駆け込む。その後、業者に書類を持っていくのだが、書類を置いてそのまま帰ろうとすると、「あれっ?」と言われた。ん? 立ち上がった相手をみて、「あらっ、私ったら年始の挨拶をしてないじゃん。」と気づいて振り返った。勿論、仕事始めの日に電話ではご挨拶をすませている。でも会うのは昨日が初めてなわけだから、やっぱりきちんと挨拶しなければねぇ。頭の中が数字で一杯なものだから、もう少しで挨拶も無しで帰るところだった。相手の立ち上がるリアクションと「あれっ?」という言葉が無かったら、きっと素通りしてしまったことだろう。いやいや、いかんいかん。まぁ、相手は長い付き合いの気さくな人たちだから、こんな私の行動も、笑いながら受け入れてくれるから有難い。今週はこんなドタバタの一週間だ。でも楽しくやっている、仕事っていいなぁ~。※※※※ ◆次回のレイキ交流(体験)会は、2月2日です ※※※
2013年01月10日
コメント(0)
昨日から仕事である。長いと思っていた休みが、あっという間だったのには驚いた。人間の適応能力は優れているのか?いやいや、単に私が怠け者だということかもしれない。初日のバスは、思いのほか混雑していた。初日はバスで‥という決め事は無いと思うから、これはどうしたことか?と思ってしまう。私は定期券なので、途中名古屋に入ったら一度降りる。降りて乗り換えると、次のバスは始発の次のバス停なので、空いているのだ。大治から津島までのバス利用者の人口が多いのである。通勤時間は、ほぼ3分に一台バスがやってくるのだが、それでも混んでいるのだ。初日だから、いきなり混んでいると気持ちがへこんでしまう。それでも仕事を始めたら、そんな気持ちは吹っ飛んでいく。休んだ分の仕事に追われるからである。でもそれが小気味良い。一定のリズムを使って仕事を熟していくので、結構楽しいのである。時間の配分を間違えないようにと、途中でシミュレーションをし直す。そして思い通りの時間配分で仕事が終わると、大きな達成感を味わうことができるのだ。今週は忙しいが、私は楽しく仕事をするだろう。やっぱり毎日一定のリズムが有ると、心も体も喜ぶように思う。さて、今日も張り切って仕事に行きますか!
2013年01月08日
コメント(0)
気が付けば、後二日で正月休みが終わる。休みが長いからきっと色々出来る‥と考えていたのだが、その考えはどこかに飛んでいってしまった。青色申告の準備もできる、なんて思っていたのに、途中その考えも一度は浮かんだのだが、(別に正月にやらなくても‥)という気持ちのほうが勝ってしまった。多分また一年仕事が始まるという思いが、休みを存分に味わおうというほうに、傾いていったと思う。何をする‥ということもなく、贅沢に時間を使うことも、楽しみの一つであっても良いだろう。いつもは休みといえども、次の週の仕事に備えるために時間を使っているわけだから、純粋な休みを取るのも大切だと思った。時間に縛られることなく自由であること。幸せな時間を有難う~。今日はショッピングモールを一日歩こうと思う。少しずつダラダラとした生活を整えていかないとね。後二日、充分楽しんで仕事に備えよう~。
2013年01月05日
コメント(0)
すご~いぃ、雪が降っています。この雪を最初に見たのが、スーパー銭湯の中。暖かい湯船の中で降ってくる雪は、本当に幻想的だった。冷たい感覚と暖かい感覚、同時に味わえるのが幸せだった。行った銭湯は庭園が素敵で、外に居るほうが良かったので、殆ど外にいたから、急に降ってきた雪を味わう事ができた。私は湯船に浸かりならが、食い入るように雪を見ていた。太陽も一緒に顔を出していたから、積もることは絶対ない。それでも降ってくる雪を見るのは楽しい。雪国の人たちには申し訳ないが、これを美しく感じる私を許してほしい。美しいものを感じられる感覚は、日本人には多いと思う。四季折々の美しさは、日本が抜群だと思う。この四季がある日本に生まれたことを感謝して、美しさを味わっていきたいと思う。美しいひとときを有難う~、感謝です。
2013年01月03日
コメント(0)
新年、明けましておめでとうございます。今年もまた1年間、よろしくお願いします。 そういえば‥、マヤ歴のこと‥、何事もなく過ぎましたね。世界?地球?が滅びると考えていた人たちは、それを信じた次元へ行ったのでしょうか!?この世界は、信じたことがそのまま現れる世界です。表面意識でなく、無意識の思うままに現れる世界。地球が滅びると信じていた人たちはその世界へ行ってしまい、永遠の時を彷徨っているのでしょうか?私は私の愛する地球が無くなるなんて、これっぽっちも信じていませんでしたから、普通に次の日を迎えることができたと思っています。信じることはとても大切ですよね。地球上の人たちが、輝かしい未来を夢みたのなら、きっと豊かな未来が広がっていくだろうと思います。一人でも多くの人が、ポジティブな世界を望みますように‥。今年1年、笑顔で過ごしていきましょう。今年もよろしくお願いいたします。 美鳳☆
2013年01月01日
コメント(0)
全15件 (15件中 1-15件目)
1