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体作りは心作りだとよく分かっているはずなのに、弱い心が邪魔をする。今更言うことでもないが心と体は連動していて、主導権は心にある。殆どの病気にストレスが関わっていることを考えれば、皆さん容易にその結論へ導かれることと思う。心の思いや考えることが、そのまま体に現れてくる。病名は色々付けられるだろうが、どんな病名であろとも、心が導いた結果であることが多い。だから心を鍛えたい。心を鍛えて、本物の健康を手にいれたい。チョッとしたことに心を捉われないで、笑い飛ばせる自分でありたい。パラリンピックのような競技を見ると、選手たちの凛とした強さに感心するばかりである。何故強いのだろうか? 何故頑張れるのだろうか?どん底を知っているからこそ、進むしかないと思うのだろうか?背水之陣で果敢に挑んでいるのだろうか?かれらの強い心を間近で感じてみたい。そしてその強さを自分のものにしてみたい。現実世界は自分が創り出したものである。不安に乗ってやってくるのは、自分で創った現実である。そぅ不安な心が創った、望んでないはずの結果がやってくるのである。物事はとてもシンプルだ。創り出した自分がいたからこそ、形となってやってくる。プラスもマイナスも、光も影も、全て自分が創り出して「今ここ」に有る。自分の心と体を点検すると良い。何を創り出したかが、分かるだろうと思う。
2014年01月31日
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人の基準は人の基準であって、その人以外の誰の基準とも一致しない。人がどんなに首を傾げるような行動をとったとしても、その人には納得のいく基準なのだと思う。私には苦労の道を選んでいるとしか思えないことでも、本人はそれが幸せへの道だと感じているのだろう。その感情が一生続くなら、それは間違いなく幸せな道だろうから、その気持ちが普遍的であることを願う。どんなに貧しくても幸せを感じる人もいれば、どんなにお金持ちでも不幸だと感じる人もいるわけで、幸せの形は決して同じ枠の中には無い。だから自分の選んだ道を一生懸命突き進んで欲しい。それで幸せでいてくれることが、きっと私にも幸せを与えてくれるだろうから‥。とても良い人だから‥、だから幸せになって欲しいと願っている。私には理解できないことでも、本人が望んでいることなのだから‥。人間は弱みがあると、どうしても一歩下がってしまい、相手に強く出られないことがある。そうすることで自分自身を追い込んでしまうのだが、それでもそうするしか道が無いと思ってしまうのだ。傍からみたらとても簡単なことなのに、それが出来ないがゆえに、困難な道を選んでしまう結果になるのだ。なにが邪魔をしてしまっているのだろうか?ほんの少し角度を変えて物事を見てみると、案外簡単だったりするのにと、残念な気持ちで一杯になる。だから私は素直に喜べない。「ご苦労様」という気持ちになるのが、精一杯である。でも良い人だから‥私も色々助けられた人だから‥。だからどうしても幸せになってほしいのだ。‥‥≪頑張れ≫
2014年01月28日
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私の夢ってなんだろう。考えてみれば最近の私は夢を追っていく状態ではない。どちらかというと受け身で、目の前に起こってくることを、ただ単に熟しているに過ぎない。元々こんなに長く生きているとは思わなかったから、学生時代は生きているだけで感謝だった。それから‥どうやら生きられるようだぞ!と思い始めて、それじゃぁ、どうしようか?と考えた時に、一人でもこの社会で生きていけるようにと、メンタルを鍛えて、色々なスキルを身に付けていったのだ。そして一人暮らしを始めて好きなことをして、殆ど家に居ない生活が7年。その後母が倒れて、実家に戻ったのである。それからは占いの勉強にハマっていき、占いから心理学に、心理学で出会った先生からレイキに行き着く。更にレイキからヘミシンクの世界へ行き、そのヘミシンクの導きでヒプノに出合っていく。そして最後に、ヒプノからNLP関連の心理学へと循環していった。占い(四柱推命)の勉強までは私の意思だと思うが、レイキからは私の意思に反して進行していく。レイキ以降の出合いは、向こうの世界で仕組まれたとしか思えない。四柱推命は統計学だから、占いといえど左脳に偏った私としては受け入れられる範疇である。しかしレイキからの分野は、もう殆どが右脳の領域ではないか。私がチョイスして勉強したいと思うような代物ではない。NLPのトレーナーにも不思議がられた。「バリバリの聴覚タイプである貴女が、何故レイキを?」‥と。だから私の意思じゃないってば~。 (ーー;)最近、向こうからの指示が無いから、日々目の前に起こってくることを、熟しているだけの生活である。だから「夢」という言葉にハッとするのである。う~ん、このままでいいのか?少女漫画のように、目をキラキラさせたいよ~。
2014年01月26日
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ぼんやりと欲しいなぁ~と思っていたものが手に入った時、超~幸せな気分になれるよね。しかもびっくりする位安かったものだから、お財布にも優しい買い物となった。実は、もっと高いと勝手なイメージを持っていたから、探そうとすらしていなかったのだ。それがふと思い立って探してみようとしたのだ。本当に、ふと思い立ったという感じ。急にその気になったわけで、予定に無い行動になった。その買い物は、欲しくて仕方がないものではないのだが、有ったら便利だよね!私だけでなく皆が喜ぶよね?!というものだから、喜びが皆の分広がるのだ。だから手に入れた時でなく、時間を追って幸せな気分になっていく。皆が使うことをイメージすると、その気持ちはもっと増していく。嬉しいには違いないのだが、自分の喜ぶ物を買った時とは違った感情になる。人間がつくづく個別ではないことが分かる。私たちが、集合体が分かれて個体となった存在だということを、心から嬉しく感じる瞬間でもある。土曜日にレイアウトを考えて組み立ててみようと思っている。どんな感じになるのだろうか?と思いを巡らせて、いまからワクワクしている。使うのは来週だ。さて、最初の人はどんな反応をするだろうか?楽しみである。
2014年01月23日
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大寒の昨日、名古屋の最低温度は-2度であった。北海道の何処かの町で、-31.3度と言っていたが、私にはとても想像できない温度である。それからすると名古屋の気温は、大したことのない温度ではあるが、それでも朝起きるのに躊躇する温度ではあった。大寒とはよく言ったもんだなぁ~。その通りに一番寒い日になった。週間天気の予報を見ると、この後気温が上がっていく。二十四節気の第24番目の大寒が過ぎれば、待ち焦がれた立春を迎えることになるわけだ。ようやく寒い冬にサヨナラをして、芽吹く春を迎えることになる。とはいえ、すぐに春到来とはいかないだろうが‥。それでも外で仕事をしている人や、冷たい水を触る仕事をしている人たちにとっては、有り難い季節に入っていく。今は給湯器があるから、私たちのように台所に立つ者は幸せである。水の冷たさを、そんなに感じないですむ。洗濯にしたってそうだ。外に干す時は少し寒いけれど、洗濯は洗濯機がやってくれる。有り難い時代と国と地方に生まれてきて幸せである。寒いのももう少しの辛抱だ。やがて待望の春がやってくる。寒さを感じて、暖かい春の良さが分かる。もう少しの間頑張って、この寒さを乗り切っていこう。
2014年01月21日
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「とても良い人」「真面目で誠実な人」「親切で優しい人」でも運勢から見放されてしまう人たちが居る。「どうして?」「不公平じゃない?」「何故あの人なの?」それはどこかに偏った考え方をしているから、その部分が、不幸なことを引き寄せてしまっていると考える。殆どの人が、良い人であれ悪い人であれ、その人の全部が、良いわけでなく悪いわけでない。そういう小さな相反するものも、引き寄せてくるのである。だから色々な考え方をチェックしてみなければならない。仕事に対する考え方、人間関係に関する考え方、健康に関する考え方、恋愛や結婚に関する考え方、そして死後の世界に対する考え方等々‥。どこかで卑屈になってしまったり、傲慢な心で対したり、頑固な自分が出てしまったり、譲れない考え方のまま仲間と接したり‥。見直してみると、結構考え方に問題が有ったりしないだろうか。それらが与えられた運勢を、プラスにしたりマイナスにしたりする。だから占いでその人の運勢をみると、可哀想になってしまうことがある。なぜその人の魂が、自分の軌道を修正しないのだろうかと‥。でもきっと、魂自身も生きている本人の考え方を変えない限り、軌道修正することは出来ないのだろうねぇ。まぁ、どんな状況になったとしても、それが今世での修行なのかもしれない。魂は必要だと思えば色々な方法をとって軌道修正してきてくれる。だから心を澄まして心に問いかけて、解答を得たいと思う。そして自分の考え方に問題がないかをチェックする時間を、心静かに持つべきだと思う。
2014年01月18日
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レイキの生徒さんから瞑想の勉強に行っていると聞き、生徒さんのやる気に、良い刺激を頂いたと感じた。 私はというと、最近気になっているセミナーが有り、取りあえずその元になる本を買って、読もうと思っているところだ。その最近気になっているものも、元々は生徒さんにセミナーをするための参考資料として、ヒプノで勉強したものを探していて見つけたのである。セミナーはテキストが有るのだから、他の資料は別に必要無いのだが、私が得た知識なり体験なりをプラスαとして、一つでも多く伝えられたらいいかなぁ~と思うので探したりする。 ヒプノの勉強の時には、全くよく分からずに書いていた言葉があり、「なんだこれ?」と思ってパソコンで検索をかけたら、思いもかけず面白そうなセッションだと分かった。「これは私がモノにして、皆に伝えていくべきだ!」と思ったのだが、はたして私がモノにできるのか?である。どこか近くでセミナーはないのかと探したところ、いいなぁ~と思ったところが有ったのだが、そのセミナーは、今年の予定が入っていなかった。まぁ、問い合わせてみるつもりではいるが‥。生徒さんが始めた瞑想も気になって検索をかけてみた。ホームページ上では、瞑想の内容まで分からなかったが、「こういうことを行なっているところも有るんだなぁ~」と思った次第である。 私の生徒さんは、向上心の強い人たちが多い。だから私も負けるわけにいかないと、良い意味で頑張ろうと思わせてくれるから嬉しい。こうやって切磋琢磨していける人たちが、私の周りに居てくれるから感謝である。共に成長できることを嬉しく思う。
2014年01月16日
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常識でしょ? 普通でしょ?そういう言い方をする人は危険であるという。それは常識というのは、時代背景や場所によって変わってくるからである。そういう大きな括りでなくても、個人レベルでも、生きてきた背景によって違った常識が培われる。だから基準は人それぞれで、それを自分の基準で常識と言ってしまってはいけないわけである。その自分が発する常識が、相手のみならず自分をも不自由にしてしまう。何故ならその常識を守れなかったとしたら、自分で自分が許せなくなるからである。だから常識という括りで、相手をジャッジしないことである。それにジャッジするということは、何処かで自分もジャッジされているということを理解するべきである。世の中は、全て映し鏡である。鏡に映し出されたように、喜怒哀楽は自分に起こってくる。人に喜びをもって接すれば、喜びで返ってくるし、怒りでもって接すれば、例え相手が変わったとしても、必ず怒りという形で自分に跳ね返ってくるのだ。「自分を不自由にする」という話しを、もう少し掘り下げてみる。例えば、遅刻をする人が許せれないとすると、遅刻をした時の自分を許せれないということになる。まぁ世の中、人に厳しくて自分に甘い人もいるから、全ての人が対象とはならないが‥。人によっては自分の持っている基準が、自分を計ってしまう結果になりかねないのである。そういう人は、相手への怒りと同時に、自分の体へのストレスを与えていることになる。怒りの刃は、相手のみならず自分の体をも切り刻むことになるのだ。怒りで血圧が上がったり、血の気が失せたり、頭から怒りで湯気が出たり(‥漫画で有るよね)。だけど現実的に、エネルギーの流れが変わってくることを、私は知っている。私は上司が怒る数秒前には、彼から変化したエネルギーの波動を受け取っているからだ。それはそのまま怒った本人の病気に直結する。だから自分で基準を設けないことである。私たちは、どんなことからも自由で居るべきだと思う。
2014年01月14日
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これは私の話しではない。エドガー・ケイシーの勉強に来られた人の話しである。光田会長は夢判断の勉強をされていて、講義もされている。私も3回ほどその勉強には出席させてもらった。その奥様も、私同様ケイシーの勉強会の常連の人なので、光田会長が来られた時に、夢の話しを聞いて欲しいと思うのは、自然の成り行きである。娘さんが自立を決意されたようで、そのことは家族の誰も知らなかった。その奥様の夢はこうであった。玄関脇に引越し業者のトラックが止まり、娘さんの部屋の荷物を次々と運び出していく。奥様はびっくりして娘さんの部屋へ入ると、娘さんも運び出しに協力している。「どういうこと?」というお母さんの質問に娘さんはにっこりして「私、今日から一人で頑張ってみるわ」という返事。常々自立して欲しいと思っていた奥様はとても感動して、涙を流しながら娘さんとハグをして、喜び合ったという。朝、起きて‥「そうか、夢だったのか‥」と残念に思いながらも、もしかしたら正夢になってくれたらいいなぁ~と思われたらしい。するとなんと!夢から起きたその日‥つまりは夢を見た次の日に、玄関先に引越し業者のトラックがー! まるで作られた話しのようだが、本当に正夢になったのだ。しかも次の日である。そして夢同様に娘さんとハグをして泣き合ったようだ。「昨夜、今日の出来事と同じ夢を見たのよ」と話しながら‥。奥様は「夢でハグの練習をさせてもらったのではないか?」と嬉しそうに感想を言っていた。そうでなければ、現実にいきなり来た引越しに動揺してしまい、上手く娘とハグできなかったのではないか?と思ったという。私は日頃の奥様の奮闘振りを垣間見ているので、この話しを自分のことのように喜んだ。その気持ちは参加者全員の気持ちでもあったので、その場であちこちから拍手が沸き起こった。暖かい気持ちをもつことができた、心地良い時間だった。
2014年01月12日
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昨日は会社の新年会だった。いつもは私が適当に決めるのだが、私の決める基準は「近くて、安い」こと。今回は昨年末に私のほうから上司に「何か要望はありますか?」と聞いてみたところ、意外にも乗り気で話しをしてきたのである。いつもなら「どこでもいいよ」と言うだけだから、結局私の「近い、安い」という基準で決めてしまっていた。「ちょっといつもと違うパターンでいかないか?」と上司。「と言いますと‥」私はどんな言葉が返ってくるのかと思いつつ、次の言葉を待った。なにせ私ときたら食べることに余り興味がないので、名古屋に仕事を持ちながら、お店自体を知らないのである。選ぶ時には、なるべく舌の肥えた上司が気にいりそうな所にするのだが、私にとっては食べる物など何でもよいわけで、飲めるだけで幸せなのだから、お店への感想が余り出てこない。「あそこは良かったよ」とか言われて、「良かったです。ありがとうございます。」と答えていても、実際は「そうなんだ~、良かったんだ~」という感想である。まぁ、喜んでもらうことが私にとっても嬉しいことなので、私がピンときていなくても、全然問題ないのだが‥。今回は上司が乗り気で自らインターネットで検索をかけ探してくれた。本人が良いと思うのが一番良いわけだから、今回は結果を待つだけ‥という有難い展開である。結果、かなり若者向けのところになり、部下のことを考えて決めたことがうかがえた。私という部下が選べば上司のことを考えて選ぶわけだが、上司が選ぶ選択肢は、自分の好みか部下の好みかになる。こんな時に私は、良い上司に恵まれたなぁ~と思う。 彼は私がこの会社に入って5人目の上司だ。年齢を重ねてきたことも手伝ってはいるが、良い上司をもって感謝している。
2014年01月10日
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早いもので、仕事始めで会社に出社して丸二日が過ぎてしまった。やっぱり長い休みの後は、仕事がたっぷり待っていてくれて、時間のたつのが早いのなんのって‥。でも仕事が有るのは、やはり有難い。規則正しい生活が健康を維持してくれるように思う。会社へ行くということだけで、生活にメリハリが出来るから、時間を考えつつ行動していく。それが適度に体を動かすことになり、体の調子が整っていくのがよく分かる。これはサラリーマン生活が長いからなのか?仕事を辞めた後の生活状態が、全くイメージできない。これも追々考えていかなければならない課題である。寒さにもびっくりした。世の中は結構寒いではないか!正月は家のお守をしていたから、外の寒さに疎くなっていた。もしかしてもう一枚着なければならないのか?と、ついつい寒さで肩に力が入っている自分に気づいて考えてしまう。私はというと、昨日からマフラーを出した状態だ。えーっと、これ自体が問題だよねぇ‥。 (-_-;)正月明けで二日たったというのに、まだ正月気分が残っている。でもそろそろ気持ちを引き締めないといけないなぁ~。暑さに比べれば寒さのほうが乗り越えられるのだから、さてさて、頑張りますかっ!
2014年01月08日
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明けましておめでとうございます。正月三が日が過ぎましたが、皆様はどのようにお過ごしでしたか?私は本当にゆっくりとさせてもらいました。私の人生の中で、正月というものは「働くもの」ということが多かったので、家にいるだけでとても贅沢な時間を過ごしていると思っています。家のことはしますので、全くのんびりしているわけではないのですが、それは世の中の殆どの女性は一緒だと思いますから、家で過ごすだけで、ゆっくりとした贅沢な時間だと感じています。正月明けにレイキの生徒さんのセミナーが待っていますので、その準備もありますから、全くゆっくりすることにはなりませんが、これも幸せな時間には違いありません。しかも有難いことに今年は正月休みがロングですから、たっぷりと時間を使うことができます。贅沢ですねぇ。天気は元旦や2日目に、お天気雨だったり霧のような雨が降ったりとしましたが、それでも全般的に晴れていました。神社にいくにも問題の無いお天気でした。良い2014年の幕開けになったと思います。また今年も思ったことや感じたことを書いていきますので、どうか今年も1年、よろしくお願い致します。
2014年01月04日
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