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皆さん、どんな時にリラックスしていると思われるのだろうか?楽しい時?それとも好きなことをやっている時?大好きな趣味を一生懸命やっている時に、脳はとてもリラックスをしているだろうと思われる。逆に好きでないことをしている時は、全くリラックスできてない。多分ストレスで一杯になっているだろう。でも好きなことをやっていてもリラックスできない時がある。真剣になりすぎたり、人と比べてしまったりして、余計な感情が入ってしまった時などだ。また同じことをするにしても、リラックスできる人と、その真逆で病気すら引き起こしかねない人も居る。それは同じことをしていても、得手不得手があり、得意としていれば問題なく進めていけるが、不得意なこととなると、ストレスとなってしまうからだ。ヨガをやっていて先生に「全身の力を抜いて‥」と言われ、(力なんて入ってないけど‥)と思いつつも脱力すると、何故だか体がストンと楽になる。(あれっ?知らない間に力が入っていたのか?)とびっくりしてしまうことがある。力んでいないはずなのに、いつの間にか体が硬直していたりする。無意識に体を硬直させてしまっていたのだと、そこで初めて気がつくのだ。心が気づかないストレスを、体は正直に知っている。心は時々自分に対しても嘘をつくのだ。「私は大丈夫」と言っているのに、勝手に流れる涙。全然大丈夫ではないのに、自分で自分に嘘をつく。その嘘を見抜くのが体なのである。心と体が一致していないと壊れてしまう。時々は心と体の点検をして、自分に正直であろうと思う。
2016年01月30日
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時々私も喫茶店に入るのだが、平日は会社の休憩時間にたまに行くので、周りは男性陣が多い。営業と営業の合間だとか、商談に使っていたりして、背広を着た男性を見ることが多いのである。休みの日はというと、地元で入ることになるものだから、普段着で来る地元の人たちが使っている。といっても、普段地元に居ないものだから、全く知らない人たちばかりである。ざっと見渡しても、お年寄りや女性の集まりが多い。若い男性など皆無に等しい。う~む、目の保養ができない。(笑)たまに若い男性を見たとしても、お相手のあるカップルなので、もれなく女性付きである。去年はマンションの理事長をやっていた関係で、数回の会合を近くのコメダ珈琲店で行なったものだから、いつもより多く喫茶店を使ったことになる。理事長の仕事は、先週の日曜日の総会が終わった時点で、殆ど終わりになった。肩の荷が下りたというところか‥ホッと一息である。数年前にマンションの大規模修繕を行なった時の役員たちは、随分大変だっただろうと思う。決めなければならないことが、目白押しだったからだ。今回はその時に比べるとあっさりしたものだった。なので滞ることなく、さくさくと進めることができた。お陰様で、とても楽をさせてもらった。理事長は一度もやってなかったので、責任が果たせたという安堵感があり、区切りがついた気持ちになった。これで次の段階に進めるという感じである。気持ちが切り替わったからだろうか、2,3年後にアクションを起こすつもりだったけれど、実際は総会の次の日から動き出している。行動することで心に変化が起きる。やはり行動するということは、心に変化をもたらし、次の第一歩を踏み出せる原動力だと思った。
2016年01月28日
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私は人に甘えられるタイプではない。意地になってではなく、甘えることが苦手な人間だった。そのことが若い頃は顕著に表れていて、人から見ると痛々しい子供だったかもしれない。もっとリラックスすればいいのに‥、そんなに難しく考えなくてもいいのに‥。きっと周りはそう見ていただろうと思う。面白いもので、そういう人間には甘え上手な人たちが寄ってくる。お互いに嗅ぎ付けるのか、魅かれあっていくことになる。不足分を補うように出会っていくのだが、本当はそういう関係が、諸手をあげて良いとは言い難い。そのままの私では、いつまでたっても甘え下手であり、相手もいつまでたっても自立心が養われないからだ。勿論、全部が全部甘えられないわけではない。全く甘え無しの状態では生きていけないし、甘えを全部排除してしまったとしたら、私は多分人間的に崩壊してしまっただろうと思う。というのも、人に甘えないで生きていけるほど、強い意志というものも、持ち合わせていないからである。そんな私も社会で揉まれて、色々学んできた。人に甘えることも、時としてとても大切なことだということを、沢山の人に接する中で、教えて貰ってきたのである。人は持ちつ持たれつである。完璧でないということは、持たれあって生きていくべきである。私をサポートしてくれる人たちが居るように、私も誰かをサポートして生きている。こういう持ちつ持たれつの関係が築けることを思うと、つくづく人間に生まれて良かったと思っている。
2016年01月26日
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芸人で小説家の又吉直樹さんが話しているのを聞いて、この人の考え方も、少しシンドイだろうなぁ~と思った。そう感じたのはコンビの相方とのことである。芥川賞を受賞したことでコメントを貰おうとする記者たちが、「相方の綾部と逆転した」という言い回しをしてくる。それを聞いて、受賞しなかった前の自分の立場が、そんなに悲惨だと思われていたのかと、考えてしまったわけだ。別に前の自分は普通に楽しく生活していたのに、世間はそんな見方をしていたのかと、落ち込むことになったようだ。世間に迷惑をかけなくて、自分が満足していればそれで良いはずなのに、世の中の人たちの目には、違う自分が映っている。自分がする自分の評価と、他人がする自分の評価は違う。それは考え方の違いであって、人間の数だけ考え方が有るので仕方がないことだ。その違いを、ただ見つめるだけで良いのだが、どうしても気になってしまって悩んでしまう‥これはシンドイ。まぁでもそういう感性だからこそ、小説が書けるのだとも言える。楽観的にしか世の中を見られない人たちは、そういうキメ細やかな心の動きを、描ききれないだろう。沢山の人の共感を得るには、感性が豊かなほうが有利だというものである。小説を書くという観点からみると、心の動きが多いほど良いから、これも必要悪というところか‥。この人の小説を執筆した動機も面白い。同居人が二人いて三人で生活をしているのだが、笑いなどのツボ等は一緒で、良く気が合う三人だというのに、本の趣味が合わないことに疑問を感じたからだと言う。だから執筆した本は、その同居人の二人でも、興味を持ってくれるような作品に仕上げたかったというのだ。案外動機というのは、大義名分があるものばかりなく、軽い疑問から思い付いたものも多いのかもしれない。それが芥川賞という大きな成果になるのだから、人生面白いものである。
2016年01月24日
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いやぁ~思ったより雪が大変だったよ、ちょっと見くびっていたなぁ‥。いつもなら1時間で会社に着くはずなのに、雪のために倍の2時間かかってしまった。出勤30分前に会社へ着く私は、念のため家をいつもより20分早く出た。でも結局10分遅刻をしてしまったのである。なんだよ~このいつもとの落差は‥。バス停前の駐輪場に、殆ど自転車が止まっていない。しかもいつもの3倍位も、バス待ちで人が並んでいる。大治町の人口が増えているのか?こんなにバス停で並んだことは無かったから、びっくりしてしまった。結局4台バスを見送って、ようやく乗ることができた。バス停でバス待ち時間だけでも15分かかってしまったのである。家を出る時「名鉄バスセンター行きに乗って地下街を通り、そのまま会社へ直結すれば、雪の被害が最小限で済む」と考え、多少歩いてもそのルートで行こうと軽く考えていた。ところが実際は、何行きのバスに乗るか‥なんて選んでいる場合でなく、何でもいいから乗ることが最優先だということが分かった。しかも、いつもなら10分もかからずに名古屋市内へ入るところを、1時間もかけて入ったという有様だ。途中上司から大幅に遅れるというメールを貰ったが、私も時間内に行けるか微妙だったので、地下鉄通勤をしている同僚へ、上司と私の事情を説明したメールを送った。こういう時に遠くから通勤している上司を持っていると助かる。私の10分の遅刻が可愛いと感じる程だからだ。今度雪が降ったら、会社が始まる2時間以上前に家を出ようと思った。東京なら当たり前の通勤時間だろうが、名古屋では堪える長さである。でも毎日というわけではないから、これも致し方ないだろう。いままで大丈夫だったことが駄目になることがある。雪で2時間もかかって会社に辿り着いたことがないからと、過去のデータだけをもとに、軽く考えてはいけなかった。事態は刻々と進化しているのだから、色々なことを見極める必要があると感じた一日だった。
2016年01月21日
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弟が「車屋さんに行ってくる」と言ったので、何か欲しいものが有るのか?と聞いてみた。すると、ハンドルロックを見てきたいと言うのである。いままで何十年とそういう物を欲しがったことがないので、何か有ったのかと思い、また聞いてみた。そうすると弟が会社の同僚の話しをし始めたのである。その同僚が「車を盗まれた!」と慌てふためいていたというのだ。自分が止めた場所に車が無いというわけである。会社の駐車場は2ヶ所に分かれているので、止めた場所を勘違いしたのかもしれないと思い、くまなく探したが無かった為に、大騒ぎになったようである。車もさることながら、車の中には色々なものをおいている。それらが全部無くなったわけで、そりゃぁ真っ青になるだろう。弟の会社は夜勤が有る。日中はともかく夜勤の間に車が盗られる心配があるというのだ。それでハンドルロックを見てきたいという事になったのだ。ただ、この話しには落ちがある。別に盗まれたわけではなかったのだ。どうやらその同僚の奥さんが、急遽車が必要になったようで、会社まで出向いて夫が乗っていった車を使ったという事だった。「でも、それは奥さんが旦那さんに一言言わなければ駄目だよね」と私が言うと、奥さんにも言い分が有ったようで、携帯に連絡したけれど連絡が取れなかったということである。その同僚は携帯を車の中に入れっぱなしにしていたようだ。これでは連絡がつくはずもない。まぁ実際盗られたわけでもないし、弟の会社で過去にも車の盗難など一度もない。だから気にする必要はないのだが、それでも考えさせられたみたいだ。いままで無かったからといって、今後事件が起こらないとは限らない。「転ばぬ先の杖」である。用心するに越したことはないだろう。
2016年01月19日
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週間予報で雪マークが、今季で初めてお目見えした。今年は雪無しで行くのか?と思ったりするほど暖かい冬だ。でもそんな思惑通りいくはずもなく、やっぱり例外なく一度は雪を見ることになる。こんなことを言っていたら、きっと北の方に住む人たちからお叱りを受けることだろう。時々北海道の気温を目にするのだが、マイナス十何度とか‥。この数字はもう私の知らない世界である。しかもよく分からないのが、北海道の帯広や釧路で、最高温度が+2度で最低が-7度が雪予報なのに、最高温度が-4度で最低が-16度でも晴れという予報。北海道の北見に至っては、-18度でも雪が降らないのに、-5度で雪が降るという予報だ。住んでいる人や気象庁では理解できる話しだろうけど、極一部の私のように理解できない人もきっと居ることだろう。どんなところでも住めば都なのだろうけど、体感したことのない温度の場所で住むことなど毛頭なく、住んだところで上手く馴染めるはずもないだろうと思う。私は、良い国良い時代良い場所を選んで生まれてきた魂に、とても感謝している。この国この時代この場所以外での私など、考えられないし、考えたら頭がパンクしそうである。(笑)それでも真冬が有り真夏が有るわけで、どうしてもそれを回避することができない。四季の良さだけを受け入れて、寒いだの暑いだの文句を言っていたら、神様に怒られてしまうだろう。また寒いからこそ、寒いだけの場所に住む人と違う有難みが分かるわけで、益々生まれた全ての背景に感謝の気持ちを持つことができる。それに春夏秋冬がきちんと来ないと、地震を心配してしまうわけで、いつも通り寒さがやってくると、胸の何処かでホッとしたりする。平穏であることは、平和な毎日を約束してくれる。寒さにも感謝だ。
2016年01月17日
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私が左肩を少し痛めているのには、当然理由がある。長い年月を経て左側を酷使してきたことに起因する。考えてみると全てが左側だった。鞄を持つのもテレビを見るのも、足に重心を掛けるのも、全てが左側を酷使してきた。癖と言ってしまえばそれまでだが、気がついていないものも、きっとあるだろう。あぁそうだ、食べ物もいつの間にか左の奥歯で噛んでいる。バランス良く両方の奥歯を使っていないじゃないか。これはまだまだ気がついていないものが有りそうだ。そういえば髪の分け目すら影響が有るという。この情報を聞いた時には、随分驚いたものである。私は前髪を下ろしているのだが、美容院にいく数日前の前髪は、少し長くなっているので片方に偏っている。‥って、これも左側ではないかっ!ほおづえはどちらの手を使ってついているのか?つり革はどちらの手でつかまっているだろうか?いやはや考えてみればきりがないほど左に依存しているなぁ‥。気がついていても癖でいつの間にか左側に負担をかけてしまっているし、気がついて直したはずが、また知らない間に左側を酷使している。癖を直すのには、根気が必要になる。そして必要以上に意識をしなければ、また元の木阿弥である。厄介だが長年放置してしまっていた自分が悪いのである。しかも支障が出てくるまで、全く悪いとも思っていなかった。左腕が上がりにくい‥そんな支障が出てきて初めて気がつく癖。1年経って少しだけ改善した。しかもヨガを始めたから多少改善されたわけで、完治にはほど遠い。左肩や左腕の言い分もあるだろうね。「何十年と長い間、放っておいたのさ~」と、言いたいだろうね。バランスの良い体を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうである。
2016年01月15日
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私の知り合いが網膜剥離になった。しかも2年前に片目がなり、今回もう片方の目も網膜剥離になったのだ。私の目は近眼と乱視が有り、これは遺伝である。父親はメガネをかけていたし、母親はメガネこそかけていなかったが、視力はよくなかった。なので私自身小学校3、4年の頃からメガネをかけていた。当時はメガネをかける小学生は珍しかったから、物珍しく見られたものだった。私も本当はかけたくなかったのだが、見えなければそういうわけにもいかず、いやいやかけていたように思う。今のようにレンズの厚みを調整するような技術がなかったので、極端に視力が悪い私は、牛乳瓶の蓋のような厚みがあり、からかわれても可笑しくないような状態だった。あれっ?今は「牛乳瓶の蓋」という例え自体が分からないか‥。牛乳が瓶でしか売っていない昔は、その蓋は紙で出来ていて、とても厚かったのである。だから世間では、それでからかわれている子供も多かったように思う。私自身はあまりからかわれた記憶が無いのだが‥。その後、23歳頃に逆まつ毛の手術をしている。あの時の部分麻酔の注射は痛かった。それに目の前をうろうろする針と糸は、目を瞑れないがゆえに、ぞっとするものであった。もう二度としたくない手術である。なので網膜剥離の手術を二度行なったと聞くと、当時の逆まつ毛の手術を思い出し、絶対やりたくないと思うのだ。しかも再発の可能性があると聞いて‥、えっ?嘘でしょう!?マジっすか!! 脅威だよーー。この病気のおもな原因というのが、事故などによる頭部や眼球への物理的ショックで引き起こされというが、そんなことは無かったというし、コンタクトもしたことが無い人である。一生涯網膜剥離と無縁の人もいれば、この人のように再発に怯えなければならない人も居る。この人も目を大切にしなかったわけではないだろうが、網膜剥離と無縁になるためにも、目を労わって大切にしたいと思う。
2016年01月13日
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ブログ仲間が書いていたブログを見て思い出したことがある。それはソフトバンクに居るロボットのことである。ペッパー君と言うようだけれど、そのロボットと子供が一緒にお喋りしていた。お母さんが店員さんに相談している間、ペッパー君は子供の良い遊び相手になっていた。そのブログを見るまで、すっかり忘れてしまっていた。あんなにインパクトがあったというのに‥。お店に行ったのは12月の29日。年末の忙しさですっかりどこかに記憶が飛んでしまっていた。来店の目的は、電池パックの購入。お客さんも私たち以外に一組だけだったので、すぐにも応対して頂けた。その一組のお客さんというのが、お母さんと小さいお子さんだったのである。そのお子さんが、ペッパー君と一生懸命お話ししていたのだ。どうやらペッパー君は子供とゲームをしているようだった。子供も夢中になって、何度も同じことを話しながら楽しんでいた。子供は何度も同じことをやりたがる。なので疲れ知らずのロボットは、親にとって有り難い存在だ。身振り手振りを加えながら、お話しを何度もしている。歩きはしなかったが、それで充分子供は喜んでいた。これは売り物なのか?ネットで検索すると20万前後の値段がついている。故障時の修理などのサポートが月額9千円位だというから、結構なお金がかかるようだ。ネット情報によると、ペッパー君は常時ネットワークに接続されているようで、インターネット上の様々な情報に自らアクセスして、最新のニュースや天気、株価などを教えてくれるというから、使い道は広いようである。でもやっぱりチョッと‥購入までにはいかないなぁ~。(笑)
2016年01月10日
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職業柄、初めて出会う人も結構いる。一期一会ではないが、生涯に一度だけお会いする人も居れば、一度の出会いのはずが、何年も続く出会いになる場合もある。去年初めて出会った人たちも何人か居たが、果たして一度だけの出会いとなるのか、長い付き合いになるかは、その段階で分かるわけもない。そんな中で、ブログを読んで頂いて縁が出来る場合も度々あるのだが、読んで頂いていると、初めての出会いでない気持ちになってくれるようだ。面白いもので、書いた私がすっかり忘れていることも覚えていてくださり、私のほうがハテナマークで応対することになることもある。去年お会いした人の中に「宅建は?」と聞かれてしまったことがあった。私のブログのカテゴリーの中に「宅建」という箇所がある。それが中途半端で終わっているものだから、その彼女は聞いてきたわけである。「そこを聞く?」私は自分のことながら笑ってしまった。勉強をし始めた頃は張り切っていて、沢山のことを勉強してブログにアップしようと思うのだが‥。結局中途半端で終わってしまい、我ながら呆れた終焉だと思っている。最初の張り切り具合は誰よりも大きいのだけど、結局試験を受けるところまですらいかなかったわけで‥。(汗)なんとも中途半端な勉強の仕方だった。結構色々勉強する中で、最後まで頑張るパターンが多いのだが、法律とか建築とかは、からきし駄目である。では何故勉強する気持ちになったかというと、「衣食住」の中で衣類も食事も興味無いのだが、住居にだけは拘りがあり、関心が高いからである。いつかインテリアコーディネーターの勉強もしたいと考えている。苦手なくせに、関心が高い分野である。また少し書いてストップしそうなカテゴリーが増えそうだ。(笑)
2016年01月08日
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今回の正月休みで、規則正しい生活が如何に大事かを気づかされた。会社へ久しぶりに出勤した時、歩く時の足の運びや階段の上り下りが、結構きつかったのだ。別に正月の間動いていなかったわけではない。確かにグータラしていたけど‥。元旦は妹夫婦とその子供たちが来たから、それなりに色々用意したし、2日は神社へ行ったりして半日外出した。3日の日も午後色々楽しんで出掛けたし、年末年始ある程度は動いていた。それでも5日に会社へ出勤した際、会社までの足の運びに苦労した。こんなことは初めてである。仕事をするということだけなのに、一日色々な体の機能を使っているのだと感じた。会社まで歩くことや、姿勢を正すことや電話での対応等々、色々なことを一日の中で行なっている。そういう何気ない動きが、人間の筋力を鍛えているのだということが分かる。弟は正月太りしたというが、私は別に変わらなかった。それなのに‥筋力は衰えた。そういえば筋肉疲労は、歳をとると次の日に来ないで、その次の日にやってくる。筋肉疲労の反応は一日遅くなり、筋力ダウンの影響は、結構早くやってくるというわけか。年末年始も日にちと時間を決めて歩くべきだったと、深く反省した初出勤の日だった。
2016年01月06日
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いつの間にか、もう正月三が日が過ぎようとしている。正月が過ぎるのは早い。何かをしたというわけでもないのに、いつもより早く時間が過ぎていく。今年は1月3日が日曜日だから、4日から働くことになる人も居るだろう。私は5日出社なので、もう一日あるから楽だ。正月はお笑い番組が増える上に、一つの番組枠が長い。なので、ずーっと笑わせてもらっている。1年の終わりを笑いで終わり、新しい年をお笑いで始まるのは良い。心も体も脱力して、リラックスできている。怖いのは5日に通常に戻れるか‥なのだが(笑)人間って、楽なことに慣れるのは早い。そして戻るのは非常に大変である。ただ、それはまた一時で、一度頑張って戻ればまた戻れる。職場にはその魅力があるのだ。仕事仲間との絡みや、仕事自体の楽しさが蘇ってくる。あぁでも、後少しはお笑い番組で笑わせてもらおうかな。このお正月という長いお休みは、5月の長期休暇とは違っている。やっぱり正月は1年という区切りを意味しているので、単に長い休暇という意味合いだけではない。1年が無事に終わり、新しい1年が始まるという特別のものである。1年間生きられたことの感謝と、更に新しく1年を始められる喜びを感じられるのが正月だ。また今年も新しい年を迎えられた。自分と自分に関わる全ての人に感謝している。ブログを読んで頂ける皆さまにも、心から感謝します。遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。m(__)m
2016年01月03日
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